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2003年12月31日(水)   つばさ様より
件名 : Re: 17Th Home2003 年暮れのご挨拶
こんばんは!  ご無沙汰しております失礼をお許しください。   2003年は私にとって、多くの素晴らしき思い出と体験に満ちた年でありました。  あんちゅうさまはじめ、皆様には一方ならぬお世話になりました。  この感謝の気持ちは、言葉に尽くせません。  有難うございました。   さっき、紅白歌合戦の中で、南極の昭和基地で正月を迎える隊員さんたちのメッセージが紹介されていました。  「もうすぐ帰るからね!」  日本で帰りを待っているご家族・恋人・大切な人たちへのメッセージのバックに流れていたのは「涙そうそう」 私の大好きな歌でした。   彼らの姿に、海外で頑張っている自衛官の皆様の姿を重ねて、涙が出そうになりました。  任務を完遂されて、無事に愛する方々のもとへ帰ることができますように・・・  心から祈りながら、新年を迎えたいと思います。   2004年が、あんちゅうさま・清子様・ご家族の皆様にとってお健やかで、幸多き年になりますようにお祈り申し上げます。   お元気で、良いお年をお迎えくださいませ(^^)

2003年12月31日(水)   安部髭修様より
件名 : 皆さん 良いお年を!
今年も残すところ1時間余りで暮れようとしています。  いい1年でした。  ありがとうございました。  来る年も宜しくお願いします。   伊達髭修

2003年12月31日(水)   17期 林 美彦より
件名 : いつもm(._.)m
大晦日の折り管理人としての日々大変なご苦労お察し致します。   久々と言うよりは、何年振りかのメールです。   色々参加したいとは考えてはいたのですがやはり、現役組の話が主体的の為、私の様な中途退役の者にとっては、中々参加しずらいのが本音です。  まして、ホームページが携帯で見られなくなってしまった事に対しては残念には他なりません。    しかし、17期は、何が有っても17期と存じ上げます。   やがて新春を迎えます。  17期はもとより、すべての生徒に対し幸あれとお祈り申し上げます。  安中、ご苦労さんです。

2003年12月31日(水)    17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 17Th Home2003年暮れのご挨拶
1年間本当にお疲れさんでした。   来年もマイペースで頑張りましょう。   1年間ありがとう。  また来年もよろしく!  上田

2003年12月31日(水)   17期 野田達也より
件名 : Re: 17Th Home2003年暮れのご挨拶
どうも、アンチュウご無沙汰していました。   この間、谷川さんのメルアドを教えてもらってから何度か谷川さんとメールのやり取りをしました。  ありがとう。  谷川さんもとても喜んでくれたようです。  是非もう一度、メールでではなく本物の谷川さんに合いたいものです。   さて、今年も野田家では、目まぐるしいほど色々ありました。  また来年もよろしくお願いします。   ところで、手術後の経過は極めて順調です。  それじゃ・・・。   野田

2003年12月31日(水)   14期生 村岡裕美先輩より
件名 : 一年間、ありがとうございました。
安中様 今年も余すところ、数刻となりました。   この一年間、本当に楽しい時々をありがとうございました。  業務以外にメールがかくも人生を豊かにしてくれると思ってもいない事でした。   「自衛隊生徒」というキーワードに集う人々に来たるべく2004年が幸せでありますよう心から祈念いたしますと共に「あんちゅう」様のさらなるご活躍をお祈りいたします。    −追−  柏の不良中年殿の霊験は来年へ持ち越されました。  この来年への澄みきった期待、願望こそ明日への活力となります。  しかしながらブツブツ・・・・・。   埼玉日高  村岡裕美

2003年12月31日(水)   17期 藤竹春壽より
件名 : Re:17Th Home2003年暮れのご挨拶
この1年本当にご苦労様でした。これからも御家族の御多幸をお祈りします。良い新年、迎えてください。

2003年12月31日(水)   14期生 谷川憲一先輩より
件名 : Re:17Th Home2003年暮れのご挨拶
よいお年を!!m(__)mパスコンは息子に占領されており使用不能です。

2003年12月31日(水)   17Th Home管理人 あんちゅうより
件名 : 17Th Home2003年暮れのご挨拶
2003年ももうすぐ暮れようとしていますが、皆様、お元気で大晦日を過ごされていることと思います。  こちら新潟では雪のない正月になりそうです。   いつもは17Th Homeをご覧いただき、誠にありがとうございます。  今年は思いがけない方からのメールや掲示板投稿を頂き、17Th
Homeの広がりを感じると共に管理人冥利に尽きる年でありました。   年頭に「同期17期はもとより 生徒・江田島をキーワードに関係諸氏のコミュニケーションを図って行きたいと思います。」と目標を掲げましたが、自己評価では十分に当初の目的を達せられたのではないかと思っています。  これもひとえにご覧頂いている皆様のお陰と感謝しております。   2004年の目標はまだ定まっていませんが、今年の広がりをベースに海自生徒の様子や、同期の絆の深さ、江田島の素晴らしさを紹介できたらと考えています。   来年もどうぞ生徒同窓会HP・14期生HPと22期生HP、17期HPと各掲示板をよろしくお願いいたします。   何方様もよいお年をお迎えください。 -- 4月に父が逝去いたしましたので年賀の欠礼をさせていただきます。
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2003年12月31日(水)   17期 吉原英夫より
件名 : CD届いた。
今日CDアルバム届きました。  有り難うございます。   さらに自分なりに編集してUPDATEしようと思っています。   下総基地のフセインより

2003年12月31日(水)   17期 竹原堅一より
件名 : Re: 来年もよろしく
今年もあとちょっとで、終わり、 2004ですね!   今年も色々、楽しませてもらい、ありがとう。  感謝いたします。   来年は、もっと、あんちゅうに、協力いたす所存で、あります。   遅れたけど、カレンダー送りました!  1月3日頃着くとおもいます。   奥様にも、宜しくお伝えください。 では、よいお年を!
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございます。   こちらこそ色々と17Th Homeにご協力頂き、誠にありがとうございました。   今年は、たっけ腹・・失礼、たっけはら率いる「おおよど」に現役生徒のご父兄をご招待いただいたことが思い出されます。  とても素晴らしい広報をして頂き、海上自衛隊・・いや、防衛庁を代表して御礼申し上げます。   17Th Homeにとっては、何よりもたっけはら先任伍長の人柄にひかれたご父兄のメールを拝見し、17期の名を高めていただいたことに対し、厚く厚く御礼申し上げます。  来年もよろしくお願いいたします。   超怒迫力のカレンダーはとても楽しみです。   どうぞ、健康に留意され、良いお年をお迎えください。   ありがとう!!

2003年12月30日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−76−106(江田島青年大都会パートU帰る)
今年も残すところ、ONE DAYとなりました。  皆さん今年1年いかがでしたか。   江田島青年はラグビーで明け暮れたように思いますが、花園予選における1回戦抽選勝ち、2回戦抽選負け、そして、自衛隊生徒対抗戦における対陸自戦逆転勝ち、対空自戦大敗と喜びの後の悔しさ・悲しさを体験しました。  生徒は1年目より好成績を残してくれましたが、来年はこの経験を生かし、今年足りなっかた所をさらにレベルアップし、今年以上の成績を目指したいと思います。    ”あんチュウ”を始め17期HPファンに皆様、この1年間江田島青年の、つまらないMGに付き合っていただき有り難うございました。  来年は、ラグビー同様更にレベルアップを目指し頑張りますので宜しくお願いします。   31日「江田島青年」は、大都会パートUに4日まで里帰りします。  今年は雪が降っていないそうで少々面白みが無いなと思っております。    最後に毎月1回実施している「月例パレード」の1シーンを添付します。  少々古く48期生徒が「野外戦闘訓練」に行く前の写真です。   *皆様良い年をお迎えください。  来年も宜しく。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り、ありがとうございます。   平成15年は76通の江田島青年便りを届けていただきまして、大変感謝しております。   また、江田島青年通算106通目のメールをもって平成15年を終了します。  ありがとうございました。  ご苦労様でした。  当初のメールより格段にレベルアップしており普段の青年の奮闘振りを現すものとその努力に対し敬意を表します。   青年の「大都会パートU」も雪がないようですが道中気をつけてください。   来年もよろしくお願いいたします。

2003年12月28日(日)   17期 伊藤 隆(水測)より
件名 : 山口班長のメルアド
年の瀬も迫り、佐世保はやっと冬らしくなってきました。  長いことご無沙汰して申し訳ない。   26日の同期会は、相も変わらず生徒時代に戻って大騒ぎでした。  こちらの同期の中にも、孫持ちが3人ほどいます。  みんな年をとったはずなのに、寄ると「馬鹿気(若気)の至り」を繰り返してしまいます。   ところで、山口班長のメルアドがわかりました。  会社だけど、いつでもメールOKだそうです。  パソコン係の秘書がいて、班長宛の個人メールはプリントアウトしておいてくれるそうです。  ただし、返信はないかも?(いまだにめちゃくちゃ忙しそう。)  ***@***.co.jp  同期会の写真は、臼井のデジカメで撮影のため近日中に臼井から転送される予定。  以上、報告終わり。   今日から5日まで休暇です。28日23:00  伊藤
あんちゅうの返信メール  「馬鹿気(若気)の至り」?? ・・  「まーったく、何やってんだい!!」   山口班長のアドレス、ありがとうございます。   たとえ返事なんか来なくても結構。メールします。   最近ご無沙汰でしたが、元気そうで何よりでした。  来年もよろしく。

2003年12月27日(土)   ハルの母様より
件名 : 冬休暇
あんちゅう様おはようございます。  ハルの母です。   息子は22日最終列車で帰ってきました。  今までと違って制服姿ではなく私服でしたので、誰なのかよーくみないと分かりませんでした。  キャップを目深にかぶりまるで非行少年のように見えてしまいました。   翌23日は彼の希望で佐世保のセイルタワー見学に付き合いました。  父と息子は2〜3度行った事があるけれど、私は初めてでした。  なかなか立派な建物で、展示品も色々ありました。  さすが海上自衛隊ですね。   昼ごはんは、佐世保発祥のハンバーカーでした。  チェーン店のものしか食べた事のない私は大満足、父も美味しかったと言っておりました。  息子はオーダーのときはっきり答えなかったので、1個しか食べられませんでした。  私達両親は食べ盛りの子を見捨てて自分達が頼んだものをパクつきました。   冬休暇が終わると持久走があると言って毎朝走っています。  感心していたら、今日は土曜日だからと言う事でジョギングは中止でした。  こんな事でついていけるのか心配です。  運動部に所属した事がなく、身長もなく、スイミングにもいかなかった我が子ですが、彼なりに努力しているようです。  これからも暖かく見守って行きたいと思います。   最後になりましたが、今年の3月末(江田島に着隊)から17Th Homeに支えられて今まで過しました。  これからもよろしくお願いいたします。
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございます。   生徒にとってもご家族にとっても待ち遠しかった冬休暇がやってきましたね。  
 1年生は江田島で気を抜けるのは同期だけ。  故郷に帰ったら精一杯リラックスさせてやってください。  後、3ヶ月もすれば後輩が入ってきて先輩としての自覚も出てきますし、今年1年間頑張ったお陰で体力、精神力とも入隊当事とは比べ物にならないくらいについてきていると思います。    でも、いつまでたっても息子は息子。  心配もあるでしょうが、ご子息は本人の努力と江田島が立派に育ててくれる事を信じて見守ってやってください。   今年1年お世話になりました。  来年もよろしくお願いいたします。  良いお年をお迎えください。

2003年12月27日(土)   17期 臼井幸一より
件名 : 報告
佐世保地区忘年会挙行!   〜寿(佐世保単身赴任・・・うらやましい)の歓迎会〜   「みんな年取ったけど班長だけは、変わっとらん」・・・竹原   そのぐらい若く、「何やってんだい!」そんな声が聞こえてきそうな山口班長を招いての
同期会となり、久しぶりのそしてうれしい二日酔いです。   きょうは、ベースで、日米CPO忘年会(1800〜2400)です。がんばるぞ!   これを見ている諸君、良い年を迎えてください。   PS、精勤章がベタ金3本になりました。 やったぜ!
あんちゅうの返信メール  「あんちゅう! メールの返信もせず、何やってんだい!!」 と 山口班長の言葉が聞こえてきます。   佐世保地区17期忘年会、盛会だったようですね。  ご苦労様でした。  懐かしい面々の中に昔に戻された御人もいて・・・。   複雑な心境のあんちゅうであります。   さて、臼井先任伍長にとっては今年は遠航の年でしたね。  ご苦労様でした。  来年は地元佐世保にて南の海の守り、よろしくお願いいたします。   モモと共に良いお年を!!

2003年12月27日(土)   伊達髭修様より
件名 : こんばんは
こんばんは。 あんちゅう殿  ほんとに、ご無沙汰でした。   言い訳無用ですが、ここ、我家にもいろいろありまして身内に不幸がありまして、パタパタしました。  月2回は、メール出そうと思っていましたが、そんな事情がありまして、返事遅れました。  すんません!。   ここ、宮城の里は、今年は異常です。  雪は降らないし、スキー場は、滑走不能!  1回だけ吹雪!  いまは、穏やか穏やか!   息子、帰って来ました。  息子は息子で親を驚かせたつもり 帰省日を言わなかったので・・・  でも、現実はお通夜で誰も我家にはいなかった。  親を驚かすのが逆に帰ったら家に誰もいなかった・・・  本人が一番ビックリしたみたいです。  今は、まずは、めでたしめでたし!  ゆっくり、ゆっくり、休めさせたいと親心思っています。   今年もあと少し気合を入れて頑張ります!  拙者、これから、神の仕えで初詣とここ、宮城では正月飾りを送るどんと祭という儀式があります。  その実行委員になっており、また、雲隠れいたします。   来年は、今年以上に17homu盛り上がりますよう期待してます!  微力ながら拙者にも協力させて下さい!  では、良いお年を!   伊達髭修
あんちゅうの返信メール  おはようございます。   言い訳無用ですが・・、こちら越後のあんちゅうも何かとせわしなく、メールの返事が遅れて申し訳ありません。   今年は髭修殿と初めてお会いしましたね。  とても楽しい オペレーション「磐梯熱海
清稜山倶楽部」でした。  来年も機会を作りますので、その時はよろしくお願いいたします。   神の使いとあれば雲隠れもいたし方ありません。  神事には御神酒が付き物。・・くれぐれもお体を大切に。   良いお年をお迎えください。

2003年12月26日(金)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−75−105(海曹会主催ゴルフコンペ)
先日24日呉「海曹会」主催「第9回年忘れゴルフコンペ」が、広島の国際ゴルフ倶楽部で開催されまして、江田島青年も参加して参りました。   ここ数年は、年1回多くて2回ペースのモグラ叩きで、今回も昨年のこの大会以来のモグラ叩きでした。  運動神経の良い青年は問題ないと思って昨年の名誉挽回にとイメトレだけで挑んだのですが、さんざんな成績に終わってしまいました。  結果は、IN51, OUT57 トータル108でした。    考えてみると、モグラ叩きは昭和62年の遠航以来18年近くやっておりますが、まじめに練習しないせいか全然進歩が無く、何年か前待望の100を切って90台をキープし80台目前と言う所まで行ったのですが、 ここ数年は、今日も元が取れたと自分で納得して家路についております。  やはり、スポーツは練習が大切です。  練習以上のプレーは試合にはでません。  生徒には偉そうに言ってけど実行していない江田島青年です。   今回一緒にプレーをしたメンバーです。  ペースを乱してすみません。   皆さん、ドライバーのよく飛ぶこと何時も50〜100ヤードは離されておりました。 参った。   来年からは、ボールの形を、球型から楕円型してはどうでしょうか。  それとも、厚木のタイガーウッズこと「鉄」に弟子入りしましょうか。

2003年12月26日(金)   トミス加藤統義 様より
件名 : 本年は素晴らしい思いありがとうございました
秋田の加藤統義です。  私の至らぬメールにたいし、皆様から温かい反響をいただき感謝しております。   安中さんのホームページに接した時、なぜ内容を良く見ない内に興奮しメールを送ったのか自分なりに考えてみました。  自分では忘れたように思っていたが、30年間あの時の自分の気持ちを分かってくれる人を探していたのではないか、だから安中さんの返信メールを見たときは、ありがとうと涙が出そうになりました。   なぜ自分の気持ちを分かってくれる人を探していたか、それは学生時代2〜3度受験したことを言ったことはありますが、ベトナム戦争がやっと終わろうとしていた時代、赤や黒のヘルメットがそこかしこに動いていたキャンバスでは、話をしただけで言わずと知れた反論だけでした。   徒然草2002年5月20日の欄と捜索ページに住所の確認できない同期生を探しているようですが、一名 秋田出身の 森本様 が目に付きましたので、秋田県の電話張で捜してみたところ、一名同姓同名の方がおりましたのでお知らせいたします。   ***−**** 秋田県**** 018−***−****  
この地区は自衛隊の駐屯地も近くにありますので、自衛隊への志願者も多いと聞きますし、森本と言う名字も全県で50名ほどの珍しい名字のです。  お捜しの森本様であることを、お祈り申し上げます。   来年は、この幸運な出会いを心に秘め絶対に江田島を訪れます。
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございました。   2003年10月22日にメールを頂いたときは本当に感激いたしましたし、インターネットの力を直に感じました。   今年、2003年の挨拶に「・・同期17期はもとより 生徒・江田島をキーワードに関係諸氏のコミュニケーションを図って行きたいと思います。」と目標を掲げましたが、10月22日でその目標は達成されました。  17Th
Home的に言えば達成率170%であります!!。   ありがとうございました。  今、この期に及んでもこんな風に17Th
Homeが広がるとは・・が、正直な気持ちです。   来年は江田島に行かれる決心をされたとか。  少しでもお役に立てることがありましたら是非、お手伝いをさせていただきます。   2004年もどうぞよろしくお願いいたします。   追伸   過日、お知らせいただいた方に電話をいたしましたが、残念ながら違いました。  お気遣い、ありがとうございました。

2003年12月26日(金)   爽快仙人より
件名 : 年の瀬&新年の挨拶
安中 均、清子様   貴家におかれましては、年の瀬の慌ただしい中にも、皆様お元気に締めくくりをされていることと存じます。  今年はご不幸もあり、大変でしたね。  そんな中で、皆様お力を合わせられ、日々健気に過ごされましたことに心から敬意を表します。   そして、社会人一年生の私のために、二度にわたって励ましの機会を設けて頂きましたことに深謝致します。   また、ご多忙にも関わらず、HPの充実に管理人として尽力されましたことに心温まる感銘を受けました。  誠に有難うございました。   貴家の皆様の今後のご多幸と無病息災を心底から祈念申し上げます。  来年も宜しくお願い申し上げます。  今日帰省致します。   最後に、元気な証に、天皇誕生日にお祝いに参上致しました折のスナップを添付致します。     爽快仙人こと平井良彦
あんちゅうの返信メール  年末、年始のご挨拶、ありがとうございます。   今年は仙人にとっては、激変の1年でしたね。  人生劇場の第1幕が海上武官を志すまでの期間、第2幕が海上自衛官時代とすれば今は第3幕。  この3幕は短い舞台かもしれませんが、第4幕、そして最終幕に向けての大事な舞台と思います。   この第3幕、知識や経験は人生劇場の中ではトップレベルにありますが、1・2幕と違う所は、仙人が17Th
Home2周年記念に贈って頂いた「爽快仙人修養の栞」最終章に記載していただきました
「健康第1に」であります。  まだ第3幕が開いたばかりですが、「健康第1に」を実践され、これまでと違う舞台を見せください。   今年は2度もお会いできてあんちゅうと17Th Home最強のファンは幸せです。   お体に気をつけられて、来年もどうぞよろしくお願いいたします。

2003年12月23日(火)   17期 前畑啓二より
件名 : 寒かった北のはずれ
3週間ぶりに横須賀に帰ってきました。  大湊で猪俣、函館で松倉と一杯やってきました。   北海道はさすがに広く、稚内は常にマイナス気温でした。  またエンジンの空気取り入れ口が凍ってしまいエンジン停止というアクシデントもあってどうにか無事帰って来ました。   今年を振り返ると4月に先任伍長制度が正式に発足しとまどいの中どうにかこうにか頑張ってきたかなという感じです。   海上自衛隊も大きく変わろうとしている今、来年からも『さわゆき』先任伍長として頑張ろうとおもいます。
あんちゅうの返信メール  北への作戦行動、ご苦労様でした。   先任伍長制度は、艦艇の警衛海曹制度を基盤にして服務指導体制のいっそうの強化を図るため、海曹士に共通した規律、風紀維持などの体制強化と上級海曹の活動推進を目的に制度化されたもので、「部隊等における副長等の指導監督の下、(1)海曹士の規律および風紀の維持に当たり、服務を指導(2)海曹士の規律および風紀の維持、士気の高揚ならびに融和団結の強化に関して副長等を通じ部隊等の長に意見を具申」する任務が付与されるもの。  約340名が4月1日付けで任命された。とある記事に書いてあります。   大変ですね〜。  一杯ばっかりやっていられませんね〜。  いや?よくよく読んでみると一杯やらなければ勤まらない立場といったほうが正しいかも?  どうりで「おおよど」先任伍長たっけはらも似かよった体型。 ・・納得です。ハイ。   ところで猪股、松倉とも元気そうで何よりでしたが、写真の無いのが残念!   17Th
Homeのベテラン、ニコラス・ケイジとあろうお方が・・・  次回投稿の際には一幅の写真の添付をよろしくお願いします。

2003年12月23日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−74−104(生徒休暇出発)
22日生徒が年末年始休暇に出発しました。  夏季休暇から指折り数えて待ちに待った休暇です。  しかし、心が浮ついているのか、分隊長等に出発までにやれと言われた事をせず出発直前まで怒鳴られておりました。情けない3年生。    1年生は、夏期休暇に比べ余裕が出てきたのか落ちいて見えておりました。    今回から下宿の無い者は、私服出発許可となり2名ほど居りました。時代は変わりました。   おまけとして、休暇前に足を怪我したものが2名居り、松葉杖で痛々しく出発して行きました。 (もちろん班長が車で小用港まで送りました。)    来年1月5日には、また元気な姿を見せてくれると思います。  江田島青年も来年1年間グランド所狭しと走りまわれるよう充電しよう張り切っております。    又、今回は1術校長(海将補 関泰雄)自ら、先任伍長(隠れファン)と見送りに来て頂きました。  校長には、ラグビー部の用具購入にも口添えを頂いております。  重ね重ねありがとうございます。   追伸  送信したらメッセージのみしか行きませんでしたので、今一度送ります。    又、懐かしい写真を有り難うございました。  皆さん若いですな。   そして、岩国海兵隊との試合、岩国と江田島で2試合して1勝1敗だったような気がしますがどうでしょうか。
あんちゅうの返信メール   その通り! っと言いたい所ですが、少術校25周年記念誌の4代目校長 左近充尚敏校長によりますと  「運動部で思い出すのは岩国マリンから挑戦されて出かけたラグビーチームが勝ち、しばらくして雪辱に乗り込んできたのをまた返り討ちにしたことです。  アメリカ人はラグビーに不慣れだったこともあるでしょうが、あの図体のでかい、しかも強じんな体力を誇るマリンを倒した事は痛快でした。」  と、書かれています。  つまり岩国と江田島で2試合して2勝0敗だったのです。 すばらしい!!  生徒はニコヤカに江田島を後にしてそれぞれの故郷に帰ったのですね。 ご両親もこの日を首を長くして待っているのに、中にはまっすぐ帰らず寄り道しているのもいるのではないでしょうか?   普段の厳しい生徒の生活をしばし忘れて今風の高校生に戻るのもいいでしょう。   故郷に帰って中学の同級生に会うと彼らがとても子供っぽく感じた事を思い出します。   教官方にとってもしばらくは気の休まる期間となるのでしょうが、休暇中、羽目をはずして問題を起こさないようにとこれまた、心配もあるのでしょうね。
 ご苦労様です。   関1術校長におかれましては直接メールをいただいた事はありませんが、17Th Homeに格別のご理解をいただいていると感謝しております。   1術校にご迷惑をかけないようにと注意しながら更新をしております。 どうぞこれからも宜しくお願い致します。   青年は島根の大都会パートUに戻られるのでしょうか?  この1年間ありがとうございました。
お世話になりました。    良いお年をお迎えください。  来年も宜しくお願い致します。

2003年12月21日(日)   17期 臼井幸一より
件名 : 平成15年年末の挨拶
12月26日(金)   佐世保地区17期生徒忘年会挙行予定   時間:1800頃〜時間無制限   場所:佐世保市内某所(ミステリアス?まだ決めていない!)   参加者:01.臼井幸一(護衛艦さわぎり)  02.池田富昭(護衛艦ちょうかい)  03.竹原堅一(護衛艦おおよど)  04.江田俊弘(護衛艦せんだい)  05.窪田一郎(護衛艦くらま)  06.冨吉賢治(ミサイル艇おおたか)  07.宮崎保文(佐世保総監部:就職援護室)  08.伊藤 隆(佐世保基地業務隊:総務課)  09.山崎末孝(3FTG:水雷科)  新着任者10.佐藤 壽(補給艦さがみ)  ゲスト:11.山口 脩(班長:日通)  当直員:12.広瀬七英(佐世保造修収補給所:誘導武器科)   以上のメンバーで、倒れるまで飲みます。  近傍のもので、山口班長と飲みたい方は、幹事まで連絡を乞う。   幹事:臼井幸一  連絡先:自宅電話(FAX):0956-**-****  携帯電話:090-****-****  MailAdd:momo3030@****.ne.jp  EーMail:tenzin17sasebo@****
.ne.jp     PS:今年の10月に母(100歳)が逝去し、年賀の挨拶のおことわりを出しましたが、何通か返ってきました。
 届かなかった諸君、ごめんなさい。    佐世保の17期(いななき)忘年会の様子は、後日掲載します。
  今回は、荒れないことを、祈念してます。

2003年12月18日(木)   ハルの母様より
件名 : お久しぶりです。
あんちゅう様お変わりありませんか。  冬休暇が間近になって落ち着かない気持ちです。  昨日は第一分隊長様から成績表が送られてきました。  辛うじて赤点はなかったので一安心しました。   ハルの父も帰ってくるのを楽しみにしています。  この前の連休にツーリングの帰りに江田島にわざわざ立ち寄って顔を見てきたばかりなのに・・・。  23日は佐世保のセイルタワーに行くそうです、2人で。  都合がつけば一緒にと思っていますが、年末は何かと忙しくて。   このごろは谷憲様もお忙しそうでなかなかお出ましにならないようですね。  私谷憲様のファンです。  佐世保は近くだし、そのうちお目にかかりたいと思っています。  確か教育隊にいらっしゃるんですよね。   ハルは寒さに負けず元気です。  母も元気です。  明日はこちらも雪がちらつくらしいです。  昔と比べると雪が降りません。  地球温暖化のせいなんだろうと思います。  年に一度ぐらい雪が降ると、出勤が難しくなります。  スノータイヤなんて履かせていないし、チェーンなんて持ってないし。  つるつるすべる道を出勤できず、休むか、電車の駅まで30分歩いて、1時間電車に乗ってまた20分歩いて、職場にたどり着きます。  ここは盆地なので、何処に行こうとしても峠を越えなくてはなりません。  雪が降ると、どの峠も渋滞したりスリップ事故が起こっています。   普段は静かなど田舎で大好きですが、雪だけは困ってしまいます。  新潟のあんちゅう様おかしいでしょうこんな雪降りの話。  バカみたいでしょ。  バカになったところで今年のおしまいとします。来年も17thホーム期待しています。よろしくおねがいします。
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございます。   返信が遅くなり申し訳ありません。   さて、もうすぐですね、ご子息がお帰りになるのは。  夏より一段と体もできてホレボレする姿はもう少しの辛抱ですね。   赤点なんてどーって事はありません。 ・・と書いて見たものの本人とご両親にとってはそんなには考えられませんね。  
すみません。   良かったです。   あんちゅうも一安心。   昨日は新潟は大荒れの一日でした。  あんちゅうの付近は積雪2センチといったところですがまだまだ、本格的な冬はこれからです。  今日午前中、娘の車のタイヤをスノーに替えてやりました。  
「早くタイヤを替えてくれる男を見つけて来い!」と言っているのですが、「とーちゃんがいるから大丈夫!」
と ぬかしています。  こんな時ばっかり相手をしてくれるような気がしていますが、性格があんちゅうそのものときては返す言葉がありません。
・・・トホホ   今年、17Th Homeは生徒ご父兄のお役に立てたでしょうか? 17Th Homeを通じて少しは生徒の生活が見えたでしょうか?  なにせ、ああいうところですから一から十までお知らせするわけには行きませんが、少しでもお役に立てればと思っています。  
実際はあまり期待されても困る所もあるのですが・・・  っま、許される範囲でメールを送ってくれるのですから江田島青年には感謝しています。   あと10日で2003年も終わりますね。   年末年始の挨拶をどうするか・・ しばらくはそれがあんちゅうの問題です。  
たいした事の無い内容なのに一応、気を使います。   谷憲先輩はいたって元気です。   件名が 「何だ酔っ払い。」 とか 「おう。」
とか、 文面が掲載できない”檄文”が含まれることが多くて掲載できませんが相変わらず、愛すべき神様であります。   九州も気温がだいぶ下がったようですね。  お体に気をつけてあと10日、頑張りましょう。  いいお正月になることをお祈りしています。

2003年12月18日(木)   49期の親様より
件名 : Re: 17 Th Home 12月のご挨拶
すっかりご無沙汰いたしました。  12月に入り、冬らしい天気が続いております。   冬休暇までカウントダウンに入りました。  お蔭様で4月1日入校式から8ヶ月過ぎようとしております。  喜んだり、笑ったり、悩んだり、涙したりの1日1日の積み重ねの山あり谷ありの8ヶ月でした。  「本人の努力と江田島・・・」の言葉を自分に言い聞かせながら、2003.1/5件名「どうかご心配なく」を目指し、17TH・HPのパワーを拝借しつつここまでたどり着くことが出来ました。  第一段階の目標まであと少しとなりました。  本当にありがとうございました。   掲示板に、生徒受験を目指す方の投稿をみて1年前のことを思い出します。  この冬休暇、もう一度初心に返り、心身共に健やかに「江田島」に戻るよう心がけて過ごさせたいと思っております。  季節柄、風邪など召されませぬように。  奥様にも宜しくお伝えくださいませ。   追伸   アノォ!お尋ねいたしたい事があるのですが。  例の宝くじの件です。  「14期神様のご利益」は、49期まで巡る事は可能でしょうか?  神様のご利益です。  可能な筈ですよね。  それともしばらくご無沙汰したバチで駄目でしょうか?  駄目と言う事であれば伝家の宝刀を抜かせていただきます。   実は、家の祖父母は「生徒2期生」の仲人でもあります。  それでも駄目でしょうか?  あさまし過ぎて駄目でしょうね。  今年も駄目元、「残り物に福あり」の諺を頼って、19日に夢を買いに出かけます。
あんちゅうの返信メール  こんばんわ。  最近のあんちゅう、ちょっとメールが滞っていまして、どなたにも返信できない状態になっていますが、明日、”残り物”を買いに行かれるとか。  間に合わないと万が一のとき、おこぼれが頂戴できないと悔しいので特別に返信メールをしたためています。   「14期神様のご利益」はそんなに簡単に授かられるものではありません。・・が、伝家の宝刀を抜かれては「14期生神様」も
・・ です。   突然ですが、あんちゅうの弁当は勿論、賢妻が作ってくれます。  卵焼きあり、シャケあり、たらこあり、冷凍食品あり、くだもののデザートまであって、みんな美味しいのですが、一番美味いのは、実は、前の晩の残りおかずなんです。 
これ、実にウマイ!!  毎日の弁当のメインディッシュは間違いなく ”残りおかず”
です。  ・・「残り物に福あり」    明日19日は、夢ではなく ”現実” を買って来てください。   おこぼれにあずかれるか?  ・・
心配なあんちゅう、飲んでも呑んでも眠れそうにありません。

2003年12月14日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−72−103(自衛隊生徒対抗戦記)
生徒対抗戦の結果は、次の通りです。   海自生徒26(10−21)21陸自生徒   海自生徒 7( 0−19)41空自生徒   陸自生徒22(10− 3)15空自生徒   1勝1敗で並びましたが、得失点差で、空自、陸自、海自の順となりました。   陸自戦は、先制トライを決めるも前半リードを許しましいましたが、後半諦めずに相手の攻撃に耐え終了1分前に逆転トライを決め劇的な逆転勝ちを納めてくれました。   今年のチームはここら辺が成長したようです。  江田島青年も思わず生徒と涙してしまいました。    しかし、これで油断したのか翌日の空自にはいいところ無く大差で破れてしまいました。  後半最初のりトライを奪いこの調子で逆転してくれるものと信じていたのですが、一瞬の隙をつかれトライを奪われると悪い癖がでてしまい終わってみると大差が付いていました。    初日陸自に勝ち浮かれ過ぎたのかもしれません。  コーチのカツが足りなかったようです。・・反省。  又、陸自のように縦に突進してくるタイプには強いのですが、横に揺さぶるタイプにはやっぱり弱いみたいです。  この課題を克服し来年は優勝します。   引き続き応援宜しく。    今回の大会に際し2期生徒塩柄さん、13期生徒佐藤さん、14期生徒村岡さん、18期生徒神代、加戸(生徒時代以来に再会、少しふっくらしてました。)の諸先輩方に遠方から応援に駆けつけていただき有り難うございました。   又、ご父兄の方にも盛大な応援に差し入れ等いただき有り難うございました。  生徒の姿を見て逞しくなったと思われたのではないでしょうか。   1・2年生は来年この悔しさをバネにもっと逞しくなり今年以上の成績を残してくれると思います。  引き続き応援宜しくお願いします。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り、ありがとうございます。   メールの返信が遅くなり申し訳ありません。   残念でしたね〜。   優勝候補の陸自生徒に逆転勝ちしたとの事で、「ムムッ、これは・・・
」っと思っていました。  かなりの強行スケジュールが組まれていたようでもありますし、空自生徒にとってはホームでのゲーム。  選手諸君にとっては精一杯戦ったのではないかと、理解あるOBは思っているんであります。   ところで、海自生徒ラグビー部「古鷹会」の名簿、ありがとうございました。  17期が鍛えられた15・16期生の懐かしい名前を拝見できました。  中でも16期生の先輩方の顔は名簿を見てハッキリと思い出すことができました。 (16期生と17期、17期と18・19期の写っている写真を添付します。)   岩本・多田・藤田・坊野・柳田の各先輩方、それぞれにお元気でしょうか。  また、15期生の何人かも思い出されます。  18・19期にも懐かしい名前が・・    14期生におかれましては、誠に失礼ながら思い出せません。  4月から6月までの3ヶ月間と、1月から3月に卒業されるまでの3ヶ月間の6ヶ月間が17期が14期生と江田島で過ごした時間で、間違いなく第1グランドで体をぶつけ合ったはずなのですが・・・  神様には申し訳ない話です。   19期の荒木真澄夫生徒が殉職となっていますが、多分この写真の中央付近に写っている方ではないでしょうか。  ご冥福をお祈りいたします。   3期生に住所が新潟市の長谷川先輩の名前を見つけました。  あんちゅうの勤務先の近くですので時間を見つけて表敬訪問しようと思っています。   追伸   あんちゅうの郵便番号は 959−1361 です。   変更、お願い致します。

2003年12月13日(土)   17期 臼井幸一より
件名 : hou.ern.sou
Hello!   My name is Koichi Usui & momo.   日本に帰国して3ヶ月、11月1日からSSKに年次検査ドックのため、45日間滞在それも15日をもって完工します。   母港での修理のおかげで、家の壁の塗装も終わり、つい先ほどP/Cの設定も完了し最初のメールを北陸新潟に発信します。   佐世保はやっと冬の入り口に来ました。  我が家は、あまりの暖かさにいつまでも咲き誇る大輪の「あさがお」を無理やりに切り落とし、Xmasバージョンにしたところです。   山も上なので朝晩はそれなりですが紺愛に暖かいのはここで暮らし始めてから最初の出来事です。   今、パートナーのmomoと二人で書いています。   追伸   昨夜は、Enjoyで来ましたか?   今日は、久しぶりに業務のない日曜日。  たぶん艦にも顔を出さなくてよいのではなかろうか。  momoは、寒が、りなのでまだベッドの中・・・。   昨夜の、Meilの添付に内容と関係ないのがあったので送ります。  前件のphotは削除してください。  臼井   追追伸   2003、3 大阪寄港の折、交通整理をしていた小松秀治の口から、「その辺に、村上がいるべ。」と、いっていた。  何でも、私の艦(さわぎり)の警戒に来ていた模様、大阪府警の港署にいるらしい。(老婆心)
あんちゅうの返信メール  今日は、12月21日。   PC設定の第一発目のメールを送ってくれたのに返信が大変遅くなり申し訳ありません。   新潟県民は、新潟県の地理的括りを 山梨・長野・新潟の3県で「甲信越」と称していて、決して北陸とは思っていない人が多いと思います。  NHKのニュースなどでも「関東甲信越の天気は・・・」などと流れます。  全国的に見れば新潟は北陸、あるいは東北のイメージが強いのでしょうね。  地図ソフトなどで新潟県は北陸の中に入っているようですが、その見方が正しいのかもしれません。   その北陸新潟は、昨夜大荒れの天気でした。  あんちゅう宅では積雪2センチといったところでこれからが冬本番です。   ”momo” とは、誰の事かと思っていましたら彼女だったのですね。   今まで携帯アドレスだけで、時々意味不明の短文メールが送られてきていましたが、PCアドレスを取得されたとの事、誠におめでとうございます。  これからはどちらにも送信しますので宜しく。

2003年12月13日(土)   17期 臼井幸一 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 挨拶
アンチュウに最初のメール発信後、確認を入れたら、サタディ・ナイト・フィーバーでした。   しばらく岸壁(sskドック)にいたせいで、アルコール漬けで塩気が抜け体が変。  来週から碇を揚げます。   追伸        谷川先輩この前はとある場所で出会いましたが、ろくな挨拶もできず失礼しました。  新年会で飲みましょう。
あんちゅうの返信投稿  ウォ! 臼井!!   只今、(2353)あんちゅう殿のお帰りだー! 今日も呑んでしまった・・ でも呑まれてイナイ!!   ここまで・・・失礼・・・
谷憲先輩の返信投稿   臼井よ、分かった。    本日は、さむ〜い一日だった。    竹原に「ある物」を頼んだら、すぐに持参してくれた。  さすが!!後輩!ありがとう。   うれしかったぞ。

2003年12月11日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年青年便り15−72−102(ほっとけの谷憲江田島に現る)
先日「江田島青年広場」で思いがけない人にお会いしました。  通路でお会いしたとき、何となく見たことのある人と思い敬礼をしましたが、すれ違い後向こうから「17期か、谷川だ」と言われ思わず「谷憲」と言ってしまいました。  先輩、先に気付きもせず失礼しました。  おまけに「**られました。」と、またまた失礼な事を申しまして重ね重ねお詫びいたします。    又、急なことで何もご接待せず失礼しました。(言い訳ですが、当直でした。)またのお越しをお待ちしております。    いつもの事ながら、デジカメ位直ぐ準備しろ、とまた自己反省している江田島青年です。
あんちゅうの返信メール  「カーッツ!」 だー!!   「ご注意! 「ほっとけの谷憲」 江田島へ」という警告メールを送信していたにもかかわらずなんと失礼な言動。  振舞!!    先に声をかけない。  「**られました。」の言葉。  接待しない。  何よりもデジカメを忘れてた?。     ・・「カーッツ!」 だー!!   ただ一つ誉められるのは神様を前にして  「谷憲」 と呼んでくれた事です。  ありがとう!!   (変な後輩)

2003年12月11日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−71−101(第49期生徒小火器訓練射撃)
 4月14日の「銃貸与式」(江田島青年便り15−07−37)以来、毎月銃手の入れをしながら銃と友達になり愛着がつき始めた12月4日第49期生徒の小火器訓練射撃がありました。   皆「ゴルゴ49」を目指して頑張っていたようですが「吉田優佑生徒」が48点/50点で見事「黒点」を射止めました。  この調子で彼女のハートを掴めナーンチャッテ・・・・    ちなみに11月26日に職員の訓練射撃が有りました。  拳銃射撃も2回目であり要領もある程度掴めたと思い自信を持って(囚われの身時代86点でした。)挑んだので
すが、銃が波打っていたのか、己の目が波打っていたのか結果は22点/100点と今までの射撃で最低の結果に終わり、「ゴルゴ江田島青年」を返上しなければと意気消沈しているところで・・・・・   来年リベンジします。    明日(12日)自衛隊生徒ラグビー対抗試合のため出発します。  頑張ります。  応援宜しくお願いします。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便りありがとうございます。   初めての射撃訓練、あんちゅうは肩にビシッと来る衝撃と乾いてピシーっと聞こえるM1ライフルを思い出します。  「黒点」を射止めた「吉田生徒」は高得点でしたね。
  49期ですが「ゴルゴ48」のネーミングを与えましょう。   それに比べ青年、22点/100点。     マッタク情けない・・・  
ハズカシイ・・・    銃が波打っていたとか、己の目が波打っていたとか
。    肝心な 「心が乱れていた」 の言葉がありませんね〜。  22点では
「ゴルゴ江田島・・」 ではなく、 「コルコ江田島・・」 と、呼ばざるをえません。  何事にも動じない平常心を持つ精神の修行がなっていません。    
 「カーッツ!」 だー!!    それはさておき、自衛隊生徒ラグビー大会の健闘をお祈りいたします。

2003年12月9日(火)   14期生 下條先輩より
件名 : RE: 17Th Home 12月のご挨拶
師走の御挨拶有難うございます。  返事が遅れ申し訳ございません。   最近、おいしいご飯と、自然の特効薬のおかげで体調すこぶる良好、感謝しております。   この季節、帰宅時間、晴れた日は東の夜空に昴が瞬き、それを追うようにオリオン座が舞昇ります。  ギリシャ神話では、オリオンは猟師なのですが、堂々としたその姿を見るたびに、宇宙の広さと、時の流れの早さを感じます。  もう12月、今年も後僅かだなと。    我が家の辞典では12月とはオリオンの猟師が獲物を追い、夜空を走る月、それが師走と定義されております。  澄み渡った星の世界、オリオン座、おおいぬ座、そしてこいぬ座が作る冬の三角形を眺めながら何万光年という遥かなる宇宙に想いを寄せていますと、夜更け 北の方角より、なにやら怪しげな声が悠久の静寂を乱します。  “ …長者だー ”。    12月は1年の煩悩を洗い流し、来るべき新年に気持ちを新たにすべき時。  同期、後輩諸氏、この1年の悪行不徳の数々を反省し、心、清らかに静かなる年の瀬を迎えられることを願っております。    追伸   ! 断酒月、サケダンも無事満願となりました。   若干の戒律破りもありましたが、それも後輩思いの先輩として懺悔を繰り返しながらの、苦渋の選択。  決して自発的に禁を犯したわけではありません。  この、苦行により得られる神の御加護、その恩恵に浴したものは私の労苦を多として下さい。   若し、叶わなかった時の責は戒律破りをそそのかした某後輩に起因致します。   14期 下條

2003年12月9日(火)   17Th Home管理人 あんちゅうより
件名 : 早明戦
7日日曜日、伝統の早明戦が行われました。  前半はすでに対抗戦3連覇を決めている早稲田の強さが至る所で見られましたが、後半はなかなか追加点が取れません。  明治の頑張りもあり自陣でのプレイが続きましたがロスタイムにトライ。  対抗戦3年連続の全勝優勝を決めました。   7日朝、新聞を読んでいてその記事に心震わせられました。  「奥、聞こえるか。  こんなところで横になって、まだハーフタイムだぞ。」  
「高校県大会の準決勝覚えてるだろ。  おれがパスして、おまえがトライした。  おまえも輝いていた。  おれ、誰にパスしたらいいんや。」
  「おまえは死にざまで生きざまを示してくれた。  もうノーサイドやな。」   ・・・
ご冥福をお祈りいたします。

2003年12月7日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−70−100(呉・江田島地区同期会とOB会)
6日(土) 呉の阪急ホテルで平成15年度の呉・江田島地区の生徒OB会が、31期生徒の幹事で盛大に実施されました。  2・3年ぶりに参加しましたが、約100名の参加があり盛り上がっておりました。  17期はトム・クルーズと江田島青年の二人で参加してきました。    終了後二次会として称して同期会を愛妻同伴で行いました。  広島から土曜日も働いている藤原も駆けつけてくれ、黒木も元気な姿を見せてくれました。  タバコ・酒を美味しそうに飲んでおりました。イイノカナ?    各人の愛妻を紹介します。   左から、黒木、高橋、上田、中谷の美しい奥様達です。      「江田島青年便り」を17期HPに掲載して100通目を本日迎えることができました。  文才のない江田島青年がよくここまでやったと自分で褒めてやっております。  これからも江田島青年の拙いMGの掲載よろぴく。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り、記念すべき100通目、誠にありがとうございます。   そうですね〜。  記念すべき100通目ですね。  すごい!   ごりっぱ!   ありがとう!!   何よりも現役生徒のご父兄が  ”サイレント感謝” をしていることと思います。  あんちゅうが代弁しましょう。   
 「青年様ありがとうございます。  青年様の文才はメールの数とともに成長していますが、何よりもそれらしき写真が何よりの喜びであります。  江田島の風景
・・これからもよろしくお願いします。」   さて、さて。  同じ日に、トム・狂うーズよりメールがありましたが、タッチの差で更新できずご迷惑をお掛けいたしました。  
トム・狂うーズの返信メールにも書きましたが、それぞれのお嬢様をご招待する所はさすがホコリ多き17期と感動いたしました。(たたけば出るものが・・?)   「師」はまだ眠っていると嘆いていた藤原クンも 「師」が走らなければ自分が・・・と、広島より駆けつけてきたようですし、インターフェロンに勝る特効薬
「ハイライト」を欠かさない黒木も元気そうで何よりです。   歌丸師匠はいつもニコやかに・・・。    樺島は、ナンとお呼びすれば・・・。   どちらもメールアドレス・ケイタイアドレスを持っていればお知らせください。   ちゃんと最後までお嬢様方を満足させたのでしょうね。  17期同輩。

2003年12月7日(日)   17期 竹下一哉より
件名 : 立川君が来厚
大湊の立川が厚木に来たので宴会しました。   山本、松下、久保、竹下で出迎えての宴会でした(他のメンバーは??)   その時の写真です。  が何故かばらばらに撮ってしまい集まって撮るのを忘れてしまいました。(仕事の疲れのせい?それとも年のせい?)   立川とは、たぶん卒業以来の再会でしたが昔とちっとも変わってなかったベーでした。   PS:小生、現在五十肩で悩んでおり、長期のパソコン作業ができません。  似顔絵しばらく待ってください(リハビリ中です)
あんちゅうの返信メール  久しぶりのメール、ありがとうございます。   立川。  横顔ですが、若かりし頃とチーとも変わっていないようですね。  ・・・ベー
もお変わりなく。  たれ目気味の優しく澄んだ瞳を思い出します。  厚木はいつまでかわかりませんが、宜しくお伝えください。  ついでにアドレスがあれば聞いておいて欲しい所です。  そういえば、松下もアドレスが変わったような・・・   こんなにニコヤカに笑っているのにヒトにはそれぞれ悩みがあるのですね。  五十肩ですか? 
  あんちゅうは肩よりもう少し上のほうで・・・   似顔絵も含めて、っま、のんびりやりましょうや。

2003年12月7日(日)   17期 上田三佐夫より
件名 : 17期忘年会
こんばんは、しばれるねぇ。   12/6(土)呉阪急ホテルにおいて、呉、江田島地区生徒OB会が(第1期生〜第45期生有志100名参加)行われました。  来年の生徒50周年記念行事が話題になりました。(詳しくは生徒同窓会HPで)   その後、17期の忘年会を実施しました。  日頃苦労を掛けている奥方にも苦労を労うため参加していただき、花?を添えていただきました。(写真向かって右から中谷、上田、高橋、黒木各婦人)
あんちゅうの返信メール  呉もシバレますか?   あんちゅう家は今日、初雪でした。   メール、ありがとうございます。  OB会に参加後、同期の忘年会とは素晴らしい企画!  それも
”お嬢様” を招待するとは、さすがに17期のやることは違いますね〜。  ナニ?
 年に何回もやっている??     それはそれは大変失礼を致しました。 
・・お見逸れいたしました。   そうですね〜。  ・・日頃、不精な旦那のために(失礼!)その身を粉にして家庭を守ってくれているお嬢様に
たまには罪滅ぼししないとネ〜。   優秀な17期生徒を伴侶として選ばれたお嬢様方、優秀がゆえにその家庭を守っていくということは容易なことではないとお察しいたします。  同期の一人として感謝申し上げます。   お嬢様方に対して17Th Homeは栄誉礼を捧げます。   「かしーらー −!   なかっ!! 」   全国の17期のお嬢様にも   「かしーらー −!    なかっ!! 」   17Th Home最強ファンにも    「かしーらー −!   なかっ!!
」

2003年12月6日(土)   14期生 谷川先輩 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島
17期ホームを通じて、生徒の結束を改めて思い知らされました。   これひとえに安中の頑張りによるところです。 よく頑張った。  願わくは、一桁台の先輩方がたくさん参加してくださることです。   もし、これらのホームページを密かに楽しんでおられる先輩方がおられましたら、ぜひ、何か書き込んで下さい。  後輩たちは待っています。    安中、来る年も頑張ろう!!

2003年12月4日(木)   17期 橋本和昌より
件名 : 富吉来訪追伸
我が家での炉辺会で途中から記憶がとぎれたのは、小生ではなく、海上自衛隊が誇る最新鋭ミサイル艇艇長、「富吉賢治」三等海佐殿であります。  それでも、翌朝すっきりだと奄美黒糖焼酎に絶賛でした。   その夜、多分一升は空けたかも?   橋本
あんちゅうの返信メール  それはそれは大変失礼致しました。  よく読んでみれば確かに 「・・・目が覚めたときは布団の中であったようだ。」は富吉三佐とも取れますね〜。   17Th Home徒然草に掲載するまで何回も読むのですがこのメールを読むまではまったく気が付きませんでした。   メールが来る。  読む。  想いをはせる。  読む。  ホームページビルダーにコピーする。  読む。  返信メールを書く。  読む。  返信メールをホームページビルダーにコピーする。  読む。  サーバーに転送する。  ネット上の徒然草を読む。・・・ が、通常のパターンですが、最初のイメージが橋本になってしまっていたようです。  なにせ、ロックグラス片手の更新作業、想いをはせる時に間違いが起こってしまったようですネ。   この追伸を拝見するに、どれほど富吉がリラックスできたか、いかに橋本家が気を許せる雰囲気を持っているかという事を証明していますね。  素晴らしいご家族と、あんちゅう家もそうでなくてはとの想いを強く持ちました。   のん兵衛あんちゅうにとっては その一升空けても翌日スッキリの ”奄美黒糖焼酎”
を是非、試して見たいものですが、”翌日スッキリ”は雰囲気が重要な要素を占めているハズ。  
同期と飲む酒に二日酔いなどあろうハズはありません??

2003年12月3日(水)   24期生 平まりお生徒より
件名 : 24期25周年同期会
こんばんは。  24期生徒 平まりお です。   11月29日無事、24期生徒入隊25周年同期会が終わり一息ついています。  幹事の一人としては「ふー」と肩の力が抜けたという感じです。  余韻にひたりながらも日々仕事に四苦八苦している毎日です。  おじさんになっても、同期会の時はなぜか生徒時代に戻ってしまいます。  特に生徒以来会っていない者がけっこういましたので、皆子供に戻ってしまいました。   24期班長3名、26期班長番上先輩、24期32名、司会は同期の奥さんと同期の彼女(プロの司会者です)2名体制。  コンパニオン現役女子大生6名、女性カメラマン1名 総勢41名で盛り上がりました。  会の前に幹事3名で防衛庁慰霊碑に献花。  会の冒頭では故人の冥福を祈り黙祷(海ゆかば)をしました。  離れ離れになろうとも、同期、教官の絆は永遠に続く、亡くなった者をけっして忘れないと誓いました。   そして、乾杯。途中、偶然隣で航空生徒29期生が20周年同期会をやっていたので、誰かが1名さらってきて、むりやり挨拶をさせました。  彼らも私らのことに気がついていて警戒していたそうですが、「やっぱり来たか・・・」とのことでした。  おもしろいスピーチをしてもらい、海空交流の場がもて楽しかったですよ。   その後、各自の近況、ビデオレター、現在の江田島のスライドショー、メールではとても書けない懺悔タイムなどで盛り上がりました。  最後は生徒隊歌、同期の桜を円陣になって歌い大盛り上がり。  番上先輩には2次会まで付き合っていただきお疲れ様でした。  3次会はG市ヶ谷の部屋で話し込みました。
  写真の一部を掲載しました。  http://www.photohighway.co.jp/AlbumPage.asp?un=8272&key=1414095&m=0  プロのカメラマンが撮ったものはまだ手もとに来てないので、また後日。  簡単ではありますが24期同期会報告でした。
あんちゅうの返信メール  24期25周年同期会、盛会の内に終了されたようでご苦労様でした。   特に幹事は数ヶ月の準備期間を通じ、全国各地より結集される同期のために何かと気ぜわしい日々を送ってこられた事と思います。  ご苦労様でした。   写真、隅から隅まで拝見しました。   中でも、あんちゅうと似たような境遇を送っている24期の面々にはなんとコメントすればいいのか、適当な語句が見つかりません。  
「めげずに・・・」「ご愁傷・・」「まだまだ・・・」「お気の毒・・」   17期掲示板には十時の親分より書き込みも頂き、先程返信投稿をした所ですが、親分が班長だった班員はさぞかし・・・だったろうと拝察いたします。  
「おーっかねっー!!」と○○も縮み上がったのではないでしょうか?  24期のため、帝都まで飛んで来てくれる班長には感謝を申し上げなければなりませんね。   25周年をきっかけにさらに同期の輪が広がり絆が深められますようにお祈りいたします。

2003年12月3日(水)   24期班長 十時様 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 17期生出席に感謝!
17期HP管理人・あんちゅう様 お噂は24期を通して常々・・・です。   ご馳走になった者も居るとか聞いています。  有難う御座います。   私、24期で班長をしていた関係で生徒との繋がりを持って、今回も25周年に呼んでもらいました。   生徒出身の教官や班長の場合、自分の期の集まりがある為か中々出席してもらえないことが多く、その中で今回は番上さんに出席してもらい24期生徒共々、喜んでいる次第です。  改めて御礼申し上げます。   後輩が先輩のテリトリーに出向くのは遠慮があって難しいことかも分りませんが、逆の場合はどんどん進出して、可愛がってやって下さい。  今後とも宜しくお願いします。
あんちゅうの返信投稿  十時親分、この度は大分よりの帝都訪問、ご苦労様でした。   平生徒より当日の様子とアルバムのアドレスが送られてきて、全写真を拝見させていただきました。24期同期会の盛会の様子がそこここに感じられるいい写真がいっぱいありますね。  何時頃だったか、番上がどうしているか心配になって電話を入れましたが、2次会場で盛り上がってる最中で元気な声に安心しました。   親分におかれましては、ディズニーやら、シーやら、靖国参拝から海の博物館で北朝鮮の不審船見学、ふじTVや、お台場ウロチョロから「海ほたる」まで足を伸ばして・・・ 大変ご苦労様でした。   人並みを掻き分けて・・などと言いますが、事、親分の場合、その精悍な風貌で自然に道が開け、お連れの方々もゆっくりと歩けたのではないか?などとフトドキな事を考えてしまいました。   海自生徒、江田島とつながった24期と親分と番上。  末永くお付き合いを宜しくお願いいたします。 
(少林寺拳法 別府上人支部 拝見しております。)

2003年12月3日(水)   14期生 村岡裕美先輩より
件名 : こちらこそ
あんちゅう様   こちらこそ師走の月、宜しくお願いいたします。   おかげさまで「海自生徒」というキーワードで多くの方たちと知り合いになり実際にお会いする事が出来、また楽しい時間を過す素晴らしい年となりまた。  おまけに各種イベントにも出かける事が出来ましたのもひとえにこの17期生徒ホームページのおかげでした。  心から感謝いたします。   私事ながら、娘の大学入試もおかげさまでうまく行き、次男も就職の内定がありまして来春の卒業を待つばかりとなりました。  自分は14期HPのとおりトボケて国試をおえたばかりで来年又、次を目指します。  と、結構楽しく忙しく年内を締めくくれそうです。   あんちゅう様には、帝都侵攻の由、楽しく拝見いたしておりました。  奥様と仲良くお元気で年の瀬をおすごしください。  来週の週末に熊谷で大声を張り上げてきます。  また、写真を14期掲示板に貼り付けるつもりです。  暇がありましたら覗いてください。   それでは、寒いおり、クリスマスイルミネーションを素面で眺めて風邪など召されませんように(内炬燵を沢山おなかに入れて暖かくして眺めましょう)お元気でおすごしください。  奥様によろしくお伝え下さい。     −追− 柏の極道息子が酒断ちしてくれたか心配です。  ン億円がかかっております。  来年は正月早々、億万長者ダァ〜ッ!  草々   JP1466  村岡裕美
あんちゅうの返信メール  インディージョーンズ・MURAOKA 先輩、メールありがとうございます。   「海自生徒というキーワードで多くの方たちと知り合いに なり・・・」 の お言葉、なによりの励ましと受け取りました。  
苦労はしていませんが 努力が報われたと素直に思っています。  
ありがとうございます。   13・14日には熊谷の航空自衛隊 第4術科学校にお出かけになるのですね?  あんちゅうの分も、海自生徒の応援を宜しくお願いいたします。 
そしてナマ江田島青年とのワンショットをお待ちしております。  また、ひょっとすると17Th
Homeや14期生掲示板をご覧の皆様ともお会いできるかもしれませんね。  あんちゅうも期待しています。   14期生掲示板は暇がなくても毎日、拝見させて頂いています。  11月22日、先輩が武道館の入場を1時間半も並んでいた頃、あんちゅうは下條先輩と皇居が見渡せる朝日生命ビル?の上で杯を重ねていました。  自衛隊音楽祭りが始まった1430頃は場所を変え帝国ホテルのラウンジで武道館の屋根を見ながら
水割りをすすっていました。   下條先輩、11月は、宗教上の理由、下條家家訓、及び父の遺言(生前遺言)で断酒の所、後輩の為に禁断の杯を手に取られ、いやなそぶりは少しも見せず、ケッコウなピッチで仲居さんやウェイトレスに追加をお願いしておりました。   11月はそのような訳で酒断ちすることは出来ませんでしたが、12月は果たしてどうでしょうか?  でも、できのいい後輩はたとえ飲んでも断酒と同じ効果のある秘薬をお土産に持っていきましたので今から
「億万長者ダァ〜ッ !!」と 叫ぶ練習をしていたほうが良いと思います。  あんちゅうもご一緒致します。    
毎夜2200に・・・     「億万長者ダァ〜ッ !!」

2003年12月3日(水)   17期 藤原和郎より
件名 : Re:(4/4)17Th Home 12月のご挨拶
広島も今のところ暖かい師走を迎えていますが、仕事の方は師はまるで眠っているかの様で、懐ばかり寒い今日この頃です。   早く師に目覚めて走ってもらい暖かい年末になってもらいたいものです。

2003年12月2日(火)   17Th Home管理人 あんちゅうより
件名 : 17Th Home 12月のご挨拶
12月になりましたのでご挨拶申し上げます。   2003年も残す所1ヶ月になってしまいました。  日頃は17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。  皆々様方には今年も1年間、大変お世話になりました。  こちら新潟は”雪国新潟”と言えないような暖かな師走を迎えていますが皆様いかがお過ごしでしょうか?   2003年1月、「同期17期はもとより 生徒・江田島をキーワードに関係諸氏のコミュニケーションを図って行きたいと思います。」と新年の挨拶に記しましたが、果たして結果を出せたかどうか? 甚だ疑問を感じるところであります。  ・・が、一人、又一人と心温まるメールをお寄せいただき私なりには結果を出せたのではないかと思っています。  たとえ一人でも海自と生徒と江田島に関心を持ってくれればそれが17Th
Homeのもう一つの目的だからです。   自衛隊生徒という特異環境で過ごした我々17期は、帝国海軍以来の海上武官の教育場、これもまた特異な江田島という素晴らしい環境で青春を過ごしました。  幾度となく海自生徒廃止論が叫ばれていたようですがそれを聞くたびに今の私を育んでくれた同期と海自生徒の素晴らしさを少しでも紹介できたらとの思いもあり、17Th
Homeは誕生しました。  ただ同期との繋がりを求めるならば公開する必要はないのですが、公開を原則にしたのはそんな想いがあったからであり、今もその考えに少しの疑問もありません。   ホームページの更新は手探り状態で、出来る事から即実行に移しさまざまなコーナーを設けましたがベースになっているのは皆様からのメールであります。  現役生徒父兄であり、後輩であり、同期であり、先輩であり、教官であり、海上自衛隊であり、江田島であります。  来る2004年も皆様方からのメールをお待ちしています。 
  あと一ヶ月。今年の最後を締めくくりしっかりと生きましょう。   ケヤキの街路樹がすっかり葉を落とし、イルミネーションが取り付けられて点灯カウントダウンを待つ新潟駅南口。  出勤途中、餌場に向かう白鳥が何家族も飛翔しています。  新聞の折り込みチラシにはクリスマスケーキや豪勢なおせちも。  季節にはまったく関係なく、パソコンの横には
ロックグラス片手のあんちゅう。  全国各地から寄せられる皆様のメールを読みふけり更新もままなりません。       
・・・ 「師」は走ったのでしょうか?

2003年12月2日(火)   伊達髭修様より
件名 : こんばんは 12月です!
こんばんは!あんちゅう殿   早いもので、今年のカレンダーもあと1枚となりました。  今年はあんちゅう殿とお会いしたのですよね。  ずーとず〜と前からメールをやり取りしてる様な錯覚しています。  思い起こせば、つい半年前までPCに向っている俺なんか想像もつかないです。  これも偏にあんちゅう殿と奥方のおかげと感謝・感謝です!  ありがとうございます。   で、(30日)愚亭(髭修)が、我愛妻に日頃のお詫び?(感謝)の気持ちを込めてわが愛車(ランクル80)山形へいざ、出発!   新蕎麦を食べ放題でまず、満足させ、次は、銀山温泉で癒しを至れりつくせり、昨夜の疲れをみせず鍋越峠を帰ろうとしたら12月より閉鎖・・・無計画でした。  すいません!  髭修はいつも思いつきのままなもんで  と言うより、計画性がない!  全くその通りです。   帝都から帰ったと思ったらあんちゅう殿もご多忙ではないですか。  お互い、ニャハッ!、俺少しだけ髪の毛勝ってるかな・・じゃなくて、(イーブン)  おっと!髪の話は・・やめて!  俺もあんちゅう殿も・・・タブーかな?   お互い体を大事にして行きましょう。  飲めるときは大いに飲んで頑張りましょう!  それでは、銀山温泉送ります!  では、また。   伊達髭修
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございます。  あんちゅうが12月のご挨拶を送信した直前にこのメール。   先を越されました。   そういえば初めて髭修殿と会ったのは7月でしたね。    ・・ あれは何年前だったかな〜?  初めてお目通りを願ったとき、人会百戦錬磨のあんちゅうも緊張しましたよ。(”人会” = 人に会うこと。 傅左大辞典より)  今思えば、磐梯熱海インターで 「ランクル80」を見たとき、ビビッと来るものがあったような、なかったような・・  お会いする前、まったく想像出来なかった髭修殿でしたが、今となっては、「はは〜ん、・・・・」 と、「ランクル80」と髭修殿のイメージがニアミスした気がいたします。   「愚亭は愛妻に常に感謝の気持ちを忘れるべからず。」    あんちゅう家の家訓  (・・というより、教訓が正しい) となっています。   ”鍋越峠”を帰ろうとしたのが間違いでしたね。   あんちゅうだったら ”鍋喰峠”を通ります。  シーズン的にはピッタリでしょ?    峠の頂上煮立てば湯気の向こうに愛妻が見えます。   アガる。ヒカる。スベる。ウスい。ヅレる。ナい。・・Mカット  ・・  殿の秘伝巻物にも無いように傅左大辞典にも載っておりません。  世間の厳しい批判にジーっと耐えながらの2003年も終わろうとしていますが、来年は新しい太陽が17Th
Homeと髭修殿、あんちゅうにも上る(のぼる)ことを期待しましょう。

2003年12月1日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−69−99(自衛隊生徒対抗戦日程決まる。)
自衛隊生徒対抗ラグビー大会の日程が次の通り確定しました。   1 日時及び対戦相手    15.12.13(土) 1400〜  : 陸自生徒    15.12.14(日) 0930〜  : 空自生徒    2 場 所   熊谷 航空自衛隊 第4術科学校 グランド   3 移動等  12日(金)PM 熊谷へ移動  14日(日)PM 江田島へ移動   少々強行日程となっておりますが、生徒は優勝するつもりで張り切っております。  応援宜しくお願いします。

2003年12月1日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−68−98(銃撃戦の傷跡)
 2週間ぶりの登場ですが、おぼえていますか?  江田島青年です。  12月の挨拶に替え、12月最初の便りを送ります。    今年も残すところ一ヶ月となり、生徒も夏期休暇終了から冬期休暇までの残日数をカレンダーと睨めっこしておりましたが、やっと3週間となり喜びたい所と思いきや、来週集中試験(XMT 3年生)です。  明日からクラブもせず勉強に釘付けです。  ラグビーコーチとしては寂しい限りです。    話は変わりまして、囚われの身になっておりました「准尉講習」中、呉の保安大学校の資料館に展示してあった、平成13年12月22日奄美大島北西海域で起きた、不審船と海上保安庁の巡視船「あまみ」との銃撃戦の生々しい傷跡を見学してきました。  鉄板のあまりの薄さにびっくりしました  。護衛艦を含めこのような任務に就く艦の鉄板は、「大和」までは行かなくても、せめて現在の2倍位にはしてもらいたいと思った次第であります。    しかし、「江田島青年も」丘に上がった「河童」だから言うわけではありませんが、インド洋派遣を含め一度はこのような経験をしてみたいと大熱望しております。  よろぴく。
あんちゅうの返信メール  あんちゅうが総理大臣になったら全護衛艦を潜水艦並みの鉄板の厚さにし、江田島青年を戦闘地域に送り込み、祖国のために働いてもらいます。   ・・・来年、出馬表明をします。    
よろぴく。

2003年12月1日(月)   17期 橋本和昌より
件名 : 富吉賢治来る
富吉と久しぶりに会った。  最新鋭ミサイル艇「おおたか」艇長。   奄美瀬戸内に入港したとの電話。  一方的に小生都合でスケジュールを決めてもらい、車を走らせること1時間。  再会。  艇内へ招かれ久しぶりの歓談。  技術の粋を集めた見事な艇も見学させてもらった。   夕刻我が家へ案内し、奄美料理と黒糖焼酎と小生の下手な三味線と島唄にひとときを楽しんだ。  その日は我が家で一泊し、小生の出張もあり翌朝帰艦。  やわらかな物腰は変わらず、おだやかな彼の人柄は学ぶに余りあり、誇りに思う。  すこぶる体調も良かったようで、会話がはずみ、杯もすすんだ。   余談だが、途中から記憶がとぎれ、目が覚めたときは布団の中であったようだ。   今後の彼の活躍と部隊の隆盛を祈る。   奄美 橋本和昌
あんちゅうの返信メール  久しぶりでした。  メール、ありがとうございます。   橋本、富吉艇長とも元気な様子に安心しております。   今年7月、帝都 「船の科学館」で工作船を見学する機会に恵まれ、その装備の強大さに驚かされ、激しい銃撃戦の残痕を目のあたりにし驚愕しました。   ミサイル艇はこの事件をきっかけに急遽建造、配備されたと思いますが、その初代艇長の要職にある彼は操艇、法律等、我々民間人には計り知れない苦労があるはずです。   ”日本に一番近い戦場”で緊張の毎日を過ごしている富吉には、橋本の下手な(聞いてもいないのに失礼!)三味線と奄美島唄も美味しい奄美料理と黒糖焼酎によりきっと、上手に聞こえたと思いますよ。  何よりもいいリフレッシュが出来たのは間違いありません。  
途中、橋本の記憶が無くなった事で確信しました。   素晴らしい ”もてなし” が出来ましたね。