17Th Home 徒然草 2003年2月


2003年2月27日(木)      17期 安中 均より
件名 :
去る2月23日、あんちゅうの住む新潟県加茂市で 新潟地方連絡部加茂募集事務所管内の自衛隊入隊・入校激励会が加茂市産業会館で行われ、あんちゅうも募集相談員として激励に行ってきました。   管内では40名の若者が厳しい試験に合格され、晴れて自衛官として任官されるのを待っています。 激励会に引き続き 昼食会が行なわれました。    40名の中で生徒合格者は一人。   航空自衛隊生徒に自分の道を見つけたようです。   残念ながら海上はいませんでしたが、あんちゅうは彼に30年前の自分を見たような気がして、目がウルウル・・激励の言葉も贈るには贈りましたが、同じ事を何べんも言ったような・・・ なんと言ったらいいのか・・嬉しくて・・・    お母さんの、「高校を卒業してからでも行けるのだから・」という言葉にも聞く耳を持たず、まっしぐらに生徒を目指して頑張って来たそうです。   お母さんは心配で心配で・・ そんな母親の気持を思うと また、ウルウル・・・     そんなあんちゅうでしたが、彼の目は自分に自信を持ち、希望に満ちた素晴らしく シャキーっとした目をしていました。   その隣の席には 陸自生徒(少年工科学校)19期の方がおられました。 現在、陸上自衛隊第30普通科連隊長兼新発田駐屯地司令 古原康孝1等陸佐 です。   ほんのわずかな時間でしたが話をする事ができました。    ”生徒”の2文字に繋がりを求めてしまった23日のあんちゅうでした。



2003年2月27日(木)      17期 竹原堅一より
件名 : 教えて
ちょっと、長い出港でした。 どこにいったか、言えないのが、つらい!    剣道部! がんばれ! 17期が工科学校に行って勝負したことがあった。  部員もいっぱいいたが、わしら(あえて、名前はだしません)より、つお〜い、  陸生徒は、おらんかったぞ〜!  ちなみに、高校生に、負けたことなんか、記憶にない! 腕組みだけでビビッテたよ!   ハハハ????      ところで 通信ハンドボール選手の写真のなかに、なんで俺が、いないの?  だれか、教えて?  それと宮嵜もおらんぞ! 江田島青年は何処?  佐藤と重永の間はだれ?  藤田の前はだれ? 
あんちゅうの返信メール    長期行動ご苦労様でした。  伍長殿のお陰でこうやってメールを打っていられる幸せに感謝しております。  このメールを見て 今一度、写真を見直してみましたが確かに たっけはらがいない!  気付かなかったー。  こっちが聞きたい、「なぜして??」    きっと、○○○をやってたところをバレて試合に出れなかったんじゃないの?   ・・んなこたーないか・・  あるわけないよな。   剣道と同じ、真面目一本で生徒を通したたっけはらに ・・・  ・・・  ん、んなこたー   あるわけない!!    宮嵜はいます。 佐藤と重永の間です。  江田島青年もいます。  藤田の前です。    たっけはらがいません。  ドーシテ?



2003年2月26日(水)      17期 小池正行より
件名 : 平井仙人を囲む会
いつもお世話になります。  幹事を拝命しました小池です。   「爽快生徒 仙人を囲む」会の開催日と場所について首都圏にもいろいろありまして、交通の便、距離などからして館山から横須賀、そして厚木まで含めますと3月29日(土)夕方1600頃の開催として進めてます。  場所はまだ決定していませんが、いつもの市ヶ谷会館よりは、西新宿の高層ビル群の中、**ビルの*階にある店を候補にしています。  都合のつく方は、小池m-koike@sol.dti.ne.jpまで連絡下さい。   よろしくお願い致します。
あんちゅうの追伸メール    17期同期、先輩・後輩生徒、関係者の皆様、「爽快生徒仙人を囲む会」の日程が小池幹事より発表になりました。   多くの皆様の参加連絡をお待ちしております。    尚、小池幹事を補佐してくれる副官を募集します。  心ある人は小池幹事か17Th Home(あんちゅう)まで。  申し出のない場合は17Th Homeより指名いたしますのでその時はよろしくお願い致します。



2003年2月25日(火)      17Th Homeより14期生ホームページへ
件名 : 17Th Homeからのお祝い
14期生の諸先輩、こんばんは。  17期ホームページの管理人 安中です。  17期にとっては神様とこのようなホームページで交流が出来、誠に喜ばしい限りです。    さて、17期ホームページのバナーなるものが欲しいとかねがね考えていまして、その作成を始めました。  そこそこ完成し、自我自賛ではありますが、すばらしいと出来ばえになりました。  その作成過程において、このバナーを14期生の入隊35周年の記念品として贈ったら喜んでもらえるのではないかという考えがフツフツと湧いてきまして17期のバナーはまた、アイデアが浮んだ時、考える事にして、とりあえずこのバナーを14期生のホームページ向けに作成しなおしました。  これを17Th Homeより14期生入隊35周年の記念品として贈ります。どうぞ御笑納、ご利用下さい。    図案は舞鶴の氏野良則から、ヒントは17期の名画伯 横須賀の竹下和哉から、アイデアと作成はあんちゅうがいたしました。   5月の入隊35周年記念式典が多くの同期生参加の元、盛大に行われる事を御祈念申し上げます。  17期ホームページ 管理人   安中 均
14期生ホームページ管理人 関 洋三先輩より    バナー取り込みました ありがとうございました トップページのINDEXに たいへん似合っていると思います 感謝です
14期生 下條先輩より    昨日は素晴らしいバーナーを送っていただき有難うございました。  元回転翼航空士の私にとりましてSH-60Jがホバリングし14期生徒ホームページの名称が現れるのには感激しました。有難うございます。   昨日、所用がありまして房総半島、館山まで行ってまいりました。21空群のSH-60Jが館山湾上空を飛行し館山基地にLandingする様子をみて胸の高鳴りを覚えました。  搭乗配置から離れてもう30年近くなりますが、今でも空を飛ぶ夢を見ることがあります。   房州は菜の花の盛りで浜ではメバルが釣れ始めていました。  春は黒潮に乗り、房総沖まで来ているようです。  14期 下條



2003年2月25日(火)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−23(ハンドボールの試合結果)
2月15日(土)広島県室内ハンドボール選手権大会があり、我が生徒部の新人ハンドボール部も参加しました。  昨年より少し小粒な感じがしますが、強豪相手になかなか頑張ったようで結果は次のとおりです。  14 − 21 修道高校 11 − 17 呉昭和高校    ハンドボールと言えば江田島青年も江田島に来るまで頑張って?おりました。  実働年数で言うとラグビーよりも長くやっていた関係で、練習は見れないけれど頑張ってほしいと密かに応援しております。 この試合結果を糧として益々練習に磨きを懸け今年も、3自大会では優勝してくれるものと思っております。  話は、変わりまして妙高高原いいですな。  2通研修で東京さ居た頃15期生の島谷さん誘われていった、名前は分りませんが(苗場の近く)スキー場を思い出します。  田舎で竹スキーしか知らなかった江田島青年としましては見栄を張りながら、リフト(足の股に挟むやつ)で転び、滑り降りるとき左右方向変更で一回一回転んだ頃を思い出しました。  今は違います、自称セミプロと呼んでくれ。
あんちゅうの返信メール     江田島青年便り14−23 ありがとうございます。  正直な話、少術校に行くまでハンドボールなるスポーツを知りませんでした。  新潟にはなかったのでは?と思い、今 Yahoo!で 「ハンドボール」 「新潟」のキーワードで検索したところ、「第41回新潟日報杯ハンドボール大会」がヒットしました。  41回という事は41年前からあると考えるのが常識です。  あったんですね〜新潟にも。     17期通信の優秀なるメンバーがそろった写真があります。  多分、校内ハンドボール大会の一枚でしょう。  よーく見ると 航空士がいません。(我、17期通信 艦艇部隊の優秀なるメンバーと訂正しておきます。)  3年生の時でしょうか? 何位だったのでしょうね。  Vサインという事は優勝か?   松下、宮嵜、利光の ”M M T” トリオの指導を受けながら試合に臨んだ記憶があります。     ”自称 セミプロ”、  今度新潟にイラッシャイ。



2003年2月23日(日)      爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り003-H15
17期諸兄!ご無沙汰しております。  江田島は、青年が頑張って近況報告をしており、仙人の立派な跡継ぎになってくれました。  青年よ!有り難う。   さて、仙人の涙腺をくすぐる諸兄の心遣い、身に余る光栄と感謝しております。  この5年で純真無垢になった江田島仙人が、殺伐たる東京で生きていけるのだろうかと心配を頂いているようですね。  諸兄ご安心あれ!  この東京でも新しい技を会得すべく毎日修行に余念がありません。  と言うより、生きる術を身に付けないと暮らせないというのが本音です。    修行中の技は、「千鳥足の術」、「おしくらまんじゅうの術」、「堪忍の術」等です。  一番目は、駅構内の人の群れを右へ左へと避けて前に歩くための術です。  かなりうまくなりました。   二番目は、満員の電車の中で、発車時に押された分を、停車時に惰性で押し返し、自分の足場を確保する術です。  タイミングが難しいです。   三番目は、商店街の店頭にある、本日特売の品を衝動買いしないよう堪え忍ぶ術です。  いずれも、江田島では経験することのできなかった術です。    それにしても、江田島は仙人にぴったりの自然環境でした。  男は泣き言をいわないでしたね。     都会の水に染まり行く仙人より
あんちゅうの返信メール    爽快仙人便り003-H15 ありがとうございます。  仙人が如何にして都会の難問を突破するか?が、心配の種でしたが、文面を見るに 着々と都会の水に慣れてきているようでホッとした反面、厳しいの修行の毎日、まずは、 「ご苦労様です。」 っと申し上げておきます。   一番目、二番目の術はすぐに会得できそうですが、三番目の 「本日特売の品を衝動買いしないよう堪え忍ぶ術」 はむつかしそうですね。  仙人といえども、空腹時はアレもコレも買ってしまいそうで・・・    小池が率先して仙人を囲む会の幹事を引き受けてくれまして、おって連絡があると思いますが、宜しくお願い致します。   是非、参加したいというメールも届いています。    慣れない仕事、生活共、大変かと思いますが、常に新しい術の会得に励んでいただき、また、体調など崩さぬよう 17Th Homeはお祈りしております。    又の「爽快仙人便り」を お待ちしております。



2003年2月22日(土)       江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−22(46期スキー訓練実施)
去る2月18日から20日の間、第46期生徒31名は陸上自衛隊の支援を受け中国地方の屋根ともアルプス?とも言われる中国山中にある広島の芸北文化ランドでスキー訓練を実施しました。  我々の時代はなかったと思いますが羨ましい限りです。  江田島青年も江田島生活3年の間に一回位行って華麗なる?滑りを見せてやりたいものです。    新潟のプロを前に偉そうなことはいえませんが。
あんちゅうの返信メール     江田島青年便り14−22(46期スキー訓練実施) ありがとうございます。  2002年2月21日 江田島仙人より生徒のスキー訓練のメールが送られて来たことを昨日のことのように思い出しました。  丁度、一年前です。    昨日(21日)あんちゅうは倅とスキーに行ってきました。  場所は新潟県妙高高原の杉ノ原スキー場です。  ここは最大8.5キロのゲレンデと8人乗りのゴンドラがあります。  あんちゅうはどうでしょう、4.5年ぶりのスキーでしたが、さすが御幼少の頃から体に覚えたスキー、不安でしたが体が覚えていました。   でも3本目以降は足は疲れきって抑えが利きません。  ガタガタでした。  夜の車の中の宴会のせいにしたり、日頃の不精のせいにしたりと言い訳ばかりのあんちゅうでしたが密かに歳を痛感しました。    残念ながらデジカメは動く被写体には反応が鈍くてとてもあんちゅうのカッコイイ姿を収められませんので雰囲気の一部を送ります。   華麗なる?滑りは新潟でお待ちしております。



2003年2月22日(土)      17期 前畑啓二より
件名 : 修理中のニコラス ケイジ
現在横浜の本牧で5ヶ月間の修理中です。  先日今田に連絡をしたところ ちょっとイタリア1週間行って来るとのこと    次回美味しいやきとり屋に案内してくれるとの事でした。  楽しみです。  なお臼井には感謝してました。   余談ですが今田の自宅と造船所の寮は歩いて5分の距離です。  話は違いますが現在の〔しらせ〕艦長の原口1佐は35次南極行動時航海長(当時2佐)として一緒に行きました。  転勤に際しては骨をおってもらいました。  来年また希望します。  平井さんを囲む会楽しみにしています。
あんちゅうの返信メール    ニコラス ケイジ自信が修理中かと思ってちょっとビックリしましたが、文面を見て安心しました。  江田島青年は夢叶わず、南極には行けなかったようですが ニコラス ケイジは35次として行ったのですね。? 「来年また希望します」とありますが、南極へ?    平井仙人を囲む会の幹事は、小池が快く引き受けてくれました。  何かあったら力を貸してやってください。



2003年2月22日(土)      17期 大谷 等より
件名 : アルバム注文書 大谷等
吉原にこのホームページを聞きました。  パソコンを使いこなせていないので、見られるかどうかわからないがCDを送ってください。 〒270-0024 千葉県松戸市** 7-*-* ***−****−**** よろしくお願いします。   大谷等
あんちゅうの返信メール    久しぶりです。    元気でいますか?    2001年9月2日、思い立って 17期ホームページを立ち上げ、皆さんのお陰でここまで来れました。   参加してくれる同期が一人づつ増えていくのが楽しみになっています。    パソコンを使いこなせていないとの事ですが、これを機会に頑張って下さい。 CD 送ります。  卒業アルバム”追憶”の全ての写真が入っていますのでお楽しみに。  又のメール、お待ちしています。



2003年2月22日(土)      17期 小池正行より
件名 : 平井仙人を囲む会
いつもお世話になっています小池です。  何日振りかにホームぺージを訪れてみたら幹事になっていました。  皆さん3月は転勤その他でとても忙しいと思いますが半日都合をつけてみて下さい。   まず仙人の都合を聞いて、場所は市ヶ谷会館か近辺、金曜の6時30分か土曜の4時ごろはいかがでしょう。
あんちゅうの返信メール    光栄にも、平井仙人を囲む会の幹事に 皆の総意で選ばれました事、誠におめでとうございます。  新潟在住のあんちゅうには何もお手伝いできませんが、何かお役に立てることがありましたら何なりと言いつけて下さい。    、14期生の下條先輩が 是非、参加したいと過日のメールで言っておられます。  連絡先が必要であれば送ります。



2003年2月19日(水)      17期 吉原英夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 吉田君何でしょうか
今日3術研で久保健が来総し、たった今午後の部に出席のため会場に出かけていきました.列線隊長を拝命していて大変なようです.ところで吉田君どういったご用件ですか.



2003年2月16日(日)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−20( 南極の石)
江田島青年広場探索パート2    スクールウォーズの練習後、広場の探索をしておりましたら、偶然ある物を見つけました。 日本国内において比較的温暖な気候に恵まれている広場と思って居りましたが、砲術講堂の横にひっそりと佇んでいる江田島の南極を見つけました。 誰が寄贈し?誰が設置したのか(周りを見ると何も書いていない。)分りませんが、青年若かりし頃 ペンギンとお友達になりたくて「フジ」、「しらせ」を熱望した頃が走馬灯?のように思い出されました。(思わず持って帰ろうかなどと不謹慎な事を考えていません。)   そうです、「南極の石」を見つけました。  今は、夢と化してしまいましたが、希望がかなえば我が愛妻を残し一度は行ってみいたものです。  南極「しらせ」といえば、今回の南極観測支援で「しらせ」艦長でいかれました、原口艦長は「やまゆき」勤務時の艦長で、青年がやまゆき先任伍長生り立ての頃でありまして随分苦労をかけお世話になった艦長です。 無事任務を終えられ、日本に帰投されることを祈念しつつ今だペンギンと遊ぶ夢を見ている江田島青年です。
あんちゅうの返信メール    江田島青年便り14−20( 南極の石) ありがとうございます。   いつか、青年は言っていましたね。  南極に行きたかったと。  でも、行けなかった・・・   愛妻、直美さんが離さなかったんですよきっと。    どういう経緯で南極の石が江田島の砲術講堂の横にあるのか?  青年の調査能力をもって探査すべし!    青年、この難局をどう乗り切る?      ・・・あんちゅうに座布団、2枚!!



2003年2月16日(日)      17期 橋本和昌より
件名 : 木村文保と再会
昨日(2/15)、木村から「これから奄美へ行こうと思う。」行ってもいいかな? とのTEL。  久しぶりの休みがとれふと思い出したらしい。  勤務のJASフライトでは幾度となく奄美を訪れている彼だが(ただし、奄美空港のみ)プライベートでの奄美は初めてだ。  わざわざ大阪から飛んできてくれた。  夕刻、我が家へ着いてそれから名瀬市の夜の街へ・・・。  普通の感覚では理解できないところがあるらしい。  一般的市民には・・・。  恋人でもあるまいし、ましてただ会って、飲んで、語って・・・。  それはやはり、辛苦を共にした者ににしか理解できないことで、それが何と言うか、我々の宝物のような・・・。   少しは,奄美の夜を満喫できたかな?木村君。  再会を約束して、今日、(2/16)の昼の便で奄美を発ち実家の栃木へ向かった。    すこぶる全てが快調のようで何よりだ。  これで我が家への訪問者は 平井分隊長、高橋、竹原、長倉、松原、江頭、江田につづいて9人目だ。 又会おう。     奄美大島  橋本
あんちゅうの返信メール    久しぶりでした。  元気そうで何よりです。    あんちゅうの17期メールフォルダを検索したら なんと!2002年5月11日が最終投稿でした。  木村が訪れなかったら、レッドリスト(絶滅危惧種)に入るところでしたよ。  木村はその辺の事を考えて奄美に行ってくれたと ご都合主義のあんちゅうは勝手に木村に感謝しているんであります。   木村と夜の名瀬をカッポしましたか。現在の事、過去のこと、仕事の事、家族の事・・語る事がいっぱいあって時間を忘れますよね。よかったね〜。   平井分隊長、高橋、竹原、長倉、松原、江頭、 江田  木村、どう数えても8人目なんだけど?  そういえば 5月の11日のメールでは江田との再会の年数を間違えた訂正メールでした。  今からボケないでくれよな、奄美のクロウサギ君。



2003年2月16日(日)      17期 吉田喜和 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 平井さんと
館山の吉田です。  筆不精ですので、なかなか投稿の機会がありませんが、申し訳ありません。  実は、先日楯と話をしていたときに平井さんの話が出ました。  今館山には久保健と私と3人いるのですが、この3月で私と久保は転勤予定です。  しかし、せっかく平井さんが東京の方に来られているので皆で集まって押しかけようかということになり、その機会を皆で相談できたらと思い、投稿しました。  3月の生徒OB会は、隊の開隊記念があり出席できませんので駄目なんですがもし、賛同できる人がいればどうでしょうか?  別件ですが、吉原に連絡を取りたいので見ていたら、メールでもください!
あんちゅうの返信投稿    書き込みありがとうございます。   2月4日に小池よりメールがあり 「仙人のお上り歓迎会をやろう!幹事はETの伊藤隆君いかがでしょう?」との提案がありましたが、肝心のET伊藤隆より音沙汰がありません。  この際、小池に幹事をやっていただいたらいかがでしょうか?    過去、「五省」の事もありますし・・・ねっ小池君。  賛成の皆さん、手を上げて!  ・・・小池君、皆の総意により君に決まりました。  関東イナナキ(17期)会のメンバーに連絡を取り、早急に段取りを。    仙人は、俗世を離れた生活を長いことやってきましたので粗相のないように!



2003年2月13日(木)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−20(短艇とう漕競技)
本日(13日)絶好の短艇とう漕競技日和に恵まれ「平成14年度生徒部短艇とう漕競技」が江田内で実施されました。   時代の移り変わりと言うか、現在単漕競技のみ実施しており競技方式は、成るべく総員が漕げるように各期でクリューを編成しております。 今年は、45期: A、B、C の三チーム 46期: A、B の二チーム 47期: A、B、C の三チーム 48期: A、B、C の三チームの計11チームで優勝を争いました。 まず、予選を3:4:4チームで行い予選の平均タイムで期の団体優勝を争い、予選タイム上位4チームで決勝を行いチーム優勝を目指します。  予選の熱戦状況としましては、やはり48期の力不足は否めず完敗でしたが、45期は連覇を目指し部隊実習で鈍った肉体に鞭打ち、46期は持久走競技に続き2種目制覇を目指し、47期は昨年前半はトップ争いを演じながら後半スタミナ不足のためか失漕した経験を生かし初優勝めざし、各期ともそれぞれの思いを体一杯に溢れさせ白熱したとう漕が実施されました。  予選の結果、 45期B、46期A、47期A、47期Bの4チームが決勝に進みました。   決勝は、各期の名誉を賭け各チーム共今まで手豆、尻豆を作り流した血の成果をオールにぶつけるよう最後渾身の力を込めて漕ぎましたが、昨年のスタミナ不足を克服した47期の二艇がスタート直後から1,2位を争い、3,4位を45期、46期が争う予想外の展開となりましたが、後半先輩の意地を見せるも、思いは最後までオールには届かずそのままの体勢でゴールとなり、47期のワンツウフィニシュと言う結果になりまた。    最終結果 団体の部:47期が平均タイム13分26秒63で優勝 チームの部:1位 47期A (12分58秒99) 2位 47期B (13分04秒44)  3位 45期B (13分21秒  )という結果になり、47期が完全優勝に近い形で終了しました。  各期共それぞれ勝負に対する嬉しさ、悔しさがあると思いますが、この思いを生かし又糧としてこれからの生徒生活、自衛隊生活に生かしてもらいたいと思います。   以上  江田島青年記      隠れファンより追記があると思います。たぶん。
あんちゅうの返信メール      江田島青年便り14−20(短艇とう漕競技)・14−19(剣道3自生徒対抗戦)ありがとうございます。  この所、ちょっと仕事が遅くなって17Th Home掲載遅れましたこと、お詫びいたします。  剣道部、力を発揮できず誠に残念でした。たっけはらの一言がありそう?    短艇とう漕競技、鏡のような江田内ですね。  天気にも恵まれすばらしい熱戦が行なわれた様子がよくわかります。    17期卒業アルバム「追憶」にも短艇競技の懐かしい写真が載っています。    一枚は、班長、メンバーの顔ぶれから水測でしょう。 この頃、優勝すると班長を表桟橋から胴上げと共に江田内に投げ込むという荒っぽい祝福が待っていました。  いつもは厳しい班長を海に投げ込む事が出来ることだけでがんばったものです。  班長も短艇競技になると気合が入っているし、競技前は土日も櫂を漕ぎ、クリューの気を合わせたものです。  入迫班長の嬉しそうな顔を昨日のことのように思い出しませんか?   カッター競技で優勝したら口癖の様に言っていましたね。  「わしゃ もう 死んでもええ!!」  ・・ まだ、お元気でしょうね?    二枚は、いつもまとまりのない?ETが汚名返上とばかりに頑張った一枚です。  どうですこの嬉しそうな事。  飛び上がっているのは現在京都消防署勤務の黒木昌澄。  となりは現在インド洋上 ”きりしま” で頑張っている江田俊弘。 17期の誰もが認めたETの頑張りでした。    三枚は、今は行っていないという遠槽で17期(B)が優勝した時のメンバーの写真でしょう。  優勝タイム1時間4分15秒。  手のひらやこぶし・背中・尻からの血をモロともせず、よくもまあ一時間も漕ぎつづけたものです。  青年は一番右に、あんちゅうは優勝トロフィーを持っています。  入迫班長は今日もレザーの帽子をかぶって  「わしゃ もう 死んでもええ!!」      ・・・この時表桟橋より投げ込まれたのは野島分隊長だったのでしょうか?          追伸  隠れファンの追記が来ません。どうしたのかな?



2003年2月13日(木)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−19(剣道3自生徒対抗戦)
2月8、9日の両日朝霞において全自大会生徒対抗戦がありました。  その前の週、2日(日)に呉で海自地区剣道連盟大会があり、 無段の部:1年 畑林3士 第1位 初段の部:1年 松尾3士 第1位 2 段の部:3年 宮崎1士 第3位と言う見事な成績を収めその勢いで生徒対抗戦も優勝と目論んでいましたが、中央である大会と言うプレッシャー(江田島青年も当時あったような?在りました。)の為か、実力を発揮することが出来なかったようで結果は、 2−3    :対空自  0−3−2分:対陸自で惜敗しました。   選手名簿 監督: 渡辺2尉 3年: 吉永1士、薬師寺1士  2年: 浅見2士、濱田2士   1年: 松尾3士、児島3士 以上です。



2003年2月11日(火)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−17( 竹原in江田島
先日(14日から16日)まで竹ちゃんが江田内にやって参りました。   15日夜間練習終了後2030ごろから、「雲助」で一献酌み交わしました。  以前、氏野のメールにも在ったところです。   今回は、雲助のママ&通信科の北野2尉(竹原の高等科の同期)とのショットです。(江田島青年の目が逝っていますあしからず。)。   竹原の話で初めて知ったのですが、「おおよど」の慰霊碑が江田島の自動車学校から能美ロッジに行く途中にあるそうです。  今回乗員が慰霊碑まで艦長始め参拝のため行軍(竹原は、何かあったときのため?と言い訳しながら我が愛車で行きました。)したそうです。
あんちゅうの返信メール    江田島青年便り14−17( 竹原in江田島) ありがとうございます。  たっけはらが江田島に現れましたか。 佐世保の ”雲助” が 江田島の ”雲助” で ”たっけはら節” をブチましたね。  「トウチャンはドロボウだった?」か、「上段のたっけはら」か?。  ハタマタ 新ネタか?  いったい どんな ”たっけはら節”が聞けたのでしょうか。   艦長自ら行軍したというのに先任伍長が車でですか?  たっけはらの言い分もワカランわけではありませんが・・  っま、それが彼らしいということにしておきましょう。  こんなふうに30キロ行軍をした事もあったのにね〜。  歳をとりました。 ハイ。



2003年2月11日(火)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−18(准尉講習歓迎会新人大会
遅くなりましたが、8日三佐夫のメールに在った准尉講習に来ている佐々木、久保勝両名を迎えての同期会時の写真を添付します。   宴会中は、昔話に花が咲きすぎて証拠写真を忘れてしまい、最後に店の前でゲット(ここら辺がまだまだ未熟)しましたがデジカメそれとも腕が悪いのか暗くなってしまいました。  呉から黒木も准尉講習に行っておりますが、皆元気で頑張っているようです。 本日(11日)、広島県新人ラグビー大会の1回戦敗者戦があり、今期公式戦初勝利(22−0(前半5−0)対大門高校)をあげました。  少しは、スタミナが付いてきたようです。 秋までには、サントリー&早稲田のように走りまくるチームなってくれればと考えています。   黄色いジャージが我が西校(生徒部)です。ハーフタイム時指示している江田島青年です(よく見ると誰も聞いていないような感が)。
あんちゅうの返信メール   江田島青年便り14−18(准尉講習歓迎会&新人大会)  ありがとうございます。  真っ黒な写真を修正致しましたがこのくらいが限度のようです。  これでやっと顔の判別がつくでしょう。  銀塩では出来ないデジカメのいいところです。    准尉講習とやらは、過去の同期のメールによればかなりキツイとのイメージがありますが、鉄と久保勝、黒木はがんばているようですね。  黒木からメールがこないところを見るとやっぱ、キツイのでしょう。  がんばって下さい。  藤原クンも広島から駆けつけてくれて、大変でしょうけどウラヤマシイあんちゅうであります。    公式戦初勝利おめでとう!!   何はともあれ勝つ事はいい事です。  自信につながります。    青年はハーフタイムにどんな話をしたのかわかりませんが確かに誰も聞いていないようですね・・・    しかし後半17点を上げ、デフェンスも完璧とくれば聞いていない振りをしていても選手諸君の奮闘を促す指示があったと確信します。    ・・コツがつかめてきましたね、青年。  その調子でガンバレー!!



2003年2月11日(火)      14期生 井上先輩より
件名 :
仙人とは47年に卒業して、第5駆潜隊『わかたか』に赴任したとたん、船務長でした。  出来の悪い生徒で申し訳ありません。 お世話様でした。   お陰さまであれからかれこれ30年。 人の教育をする立場になりました。  生徒部での4年間は私の総決算として、一身を捧げます。
あんちゅうの返信メール    母校の生徒隊長としての赴任とか。  先輩の「永年の夢でした。」の一言に先輩の母校に対する熱い想いが伝わって来ます。  当時と比べ生徒数も少なく気質も違う事と思いますが、先輩の思い通りに後輩の指導を心よりお願い致します。    生徒部には仙人の跡を継ぐ  ”江田島青年”が勤務し、当17Th Homeに ”江田島青年便り”を頻繁に届け、全国の生徒出身者に江田島の風と香りを届けてくれています。  生徒隊長になられたらその辺のところ、海上自衛隊の広報の一端としてお考えいただきたいと切に切にお願い申し上げます。



2003年2月10日(月)      14期のひとり先輩 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島青年殿
江田島地区にある「梅ノ木」はその昔8期生徒卒業を記念してご父兄の一人が多数の苗木を1術校に寄付されたものと聞いております。 本数が多く道路わき、官舎等に植えられたそうです。 今はありませんが武道場のそばのロータリーにも植えられておりました。 今も江田島に勤務されている人たちは花の美しさとともに果実も大いに味わっているようです。 記憶が間違っていたらごめんなさい。
あんちゅうの返信投稿    そうですか。  8期生のご父兄が寄付されたのですか。  生徒のご父兄寄贈の梅の木とあらば大手を振って江田島青年もその実を我が物にする事でしょう。  でも、良くご存知ですね〜。   さすが ”神様”と今さらながらに感じ入ります。   江田島青年より先にあんちゅうが書き込みいたしました。



2003年2月10日(月)      17期 竹下和哉より
件名 : 似顔絵2号
安中の似顔絵を見て竹原からメールがきました。  「あいつの頭は、もっと額が広くてもっとかっこいいぞ」だそーです。  と言うことで、感想をくれた「竹原伍長」の似顔絵を第2段として送ります。    (額は狭めてません)
あんちゅうの返信メール    似顔絵2号ありがとうございます。そっくりですね。    竹原伍長の一言はあんちゅうの胸にグッと収めておきましょう。  似顔絵を作っている時の苦労や、その人への思い等、入れていただけると ”タケシタCollection” としては、ありがたいのですが。



2003年2月10日(月)      14期生 下條善磨先輩より
件名 : Dallas より
ご無沙汰しております。  先日は体育課の教官の写真有難うございました。  お礼が遅くなり申し訳ございません。    一昨日、米国 Dallas 在住の15期福島生徒に電話をしました。  彼は宇宙センターがあるHouston の北方 600KほどのDallasの郊外に住んでおります。  Space Shuttleの爆発、彼の町では落下物はなかったようですが2日経った先日も街中は騒然とし1日中Shuttle関連のNewsを流しているようです。  爆発のあった土曜、朝、8時50分頃は彼は寝ていて爆発音は聞けなかったそうです。  前の飛行で何度かSpace Shuttleが大気圏突入の際の衝撃音を聞いたそうですが、300Km位離れていても衝撃音がガラスを震わせ、突入時の衝撃の凄さを感じさせられたとのことです。  86年のSpace Shuttle Challengerの爆発の時は初の日系飛行士 米空軍 鬼塚少佐が殉職され、日系社会は深い悲しみに襲われました。  今回も各地で追悼会が催されているそうです。    残骸を集めInternetで売ろうとした男が逮捕され、罰金 300万円、懲役7年が課せられたそうです。  皆が悲しみにくれている中、悪い奴はどこにもいるものだと唖然とさせられました。    22期のH/Pを主催しているLos Angels 在住の木田生徒(Delta航空勤務)がDallasに立ち寄り福島生徒と会ったそうです。  航空業界不況にも拘わらず元気でがんばっているそうです。    以上      14期水測 下條          追伸    江田島仙人の歓迎会、是非 参加したいと思います。 参加人数に加えておいてください。  宜しくお願い致します。
あんちゅうの返信メール    こちらこそご無沙汰でした。   ” Dallas より” ありがとうございます。    現代技術の粋を尽くしたShuttleが順調に帰還作業に入っている時の事故。  関係者にとっては、というより人類にとっては残念な事故でした。   原因究明と引き続きのシャトル計画が円滑に行なわれるようにする事が乗組員の追悼と思います。    仙人のお上り歓迎激励会はその後音沙汰がありませんが、関東イナナキ(17期)会?が必ずや開催すると思いますので万障繰り合わせての参加をこちらからお願い致します。



2003年2月9日(日)      つばさ様 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島健児の皆様
夜になって、帝都は雨になりました。  私は雨の音を聞きながら眠るのが好きです。 江田島に”品覚寺(ほんかくじ)”というお寺があって、そこに海軍時代の兵学校出身者から現在に至るまでの「軍人さん達」が所感を書いた雑記帳があると聞きました。このHPを訪れる皆様の中にも、それに所感を書かれた方がいらっしゃるかもしれません。その雑記帳の存在を知ったのは、江田島訪問の後でした。見せていただけるか解りませんが、私はいつかお寺に行って、その雑記帳を読んでみたいと思っています。 型どおりの文書ではなく、自分の言葉で書いた文章というものは、名文ではなくても心に響く”何か”があるような気がします。そこから、少しでも偉大なる先輩方の心情を知りたいと思うのです。 精鋭揃いの我が自衛隊も、インフルエンザ菌には敵わないようですね。皆様、お体大切になさってください!



2003年2月8日(土)      17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 2月のご挨拶
ご無沙汰しております。   本日、2月8日(土)准尉講習入講中の久保(勝)、佐々木(鉄)を迎え呉地区の同期会を催しました。   足下の悪い中、広島から藤原君も来てくれて、いつものことですが、時間の経つのも忘れ、当時にタイムスリップしました。   久保、高橋両名が最後に店の前で恒例の記念撮影を行いましたが、写真は、高橋君から送付されると・・・思います。
あんちゅうの返信メール    呉17期同期会速報!ありがとうございます。   写真、楽しみですがナゼして久保、高橋両名の記念撮影か?  っま、写真の届くのを楽しみに待ってましょう。
上田三佐夫の返信メール    すまん、久保、高橋両名は間違いです。  高橋が撮影したのですが、フラッシュが上手く作動しなかったようです。  メールする時酔いがまださめてなかったみたい・・・。



2003年2月8日(土)      17期 竹下和哉より
件名 : 似顔絵1号完成
似顔1号(もちろん管理人の安中です)が完成しました。  ヒゲあり、ヒゲなしの2種類を添付します。   ホームページで使えるよう一番軽いGIF(256色)にしてあります。   作っているうちに加山雄三っぽくなってしまいましたがよーく見ると安中に見えると思います。(??)   第一号と言うことで、まんが「沈黙の艦隊」に出てきそうな劇画風に仕上げました。   そのうち余裕が出来たら、2人/月のペースで作りたいと考えてます。   「こんな風にしてくれ」とリクエストがあればまんが風やアニメーションにもできます。  また、「俺の顔はもっとかっこいい」や「海将の制服」など、なるべく、お好みの顔、服装にしたいと思いますのでご要望があれば連絡ください。   それでは!
あんちゅうの返信メール    記念すべき第一号に選んでいただき誠にありがとうございます。   すばらしい出来です。「加山雄三っぽく」の「ぽく」がいいです。  あまりいい男に作られると外野諸兄よりゴーゴーの非難攻撃に合いそうでヒゲありのほうがあんちゅうのイメージにはいいようですね。   GIF(256色)にしてもらってよかった事がひとつありますが竹下にはワカランだろうな〜。   そういえばすっかり忘れていましたCD送るのを。すぐ送りますね。



2003年2月8日(土)      17期 安中 均より
件名 : 小松幸弘 アドレス変更のお知らせ
佐賀の小松幸弘よりアドレスの変更案内がありましたのでお知らせいたします。    小松幸弘 ****@****



2003年2月8日(土)      17期 小松幸弘より
件名 : 勝手にアドレスの変更しました。小松幸弘の家から
も20才になり娘の名前はどうかな?と思いまして。  その後いかがですか?  時間ができればお会いしたいものです。  奥様にもよろしく!
あんちゅうの返信メール      お久しぶりです。アドレス変更の件、了解いたしました。  同期には変更案内を送っておきます。    娘さん成人おめでとうございます。  あんちゅうは23歳の娘と21歳の倅の二人です。    佐賀の冬はどんなんでしょう?  雪は降るのかな?  佐賀の近況をお知らせください。 お待ちしております。



2003年2月8日(土)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−16(春のおとずれ)
仙人、お元気の御様子で喜ぶと共に懐かしく「爽快仙人便り001−H15、002−H15」を拝見しました。   「江田島青年便り」を申しつぎ早や二ヶ月がたちました。  江田島青年広場の新鮮な状況を遂次お届けしようと思って居りますが、仙人の様になかなかうまくいきません。  これからも仙人に追いつけるよう日々研鑽・努力を続けていきます。ご期待を。  先週(1日)練習終了後、広場を探索していたら、南グランド中学校より柵のところに梅の木を発見しました。  仙人の話では広場には実のなるものは植えないと言うことでしたが、40本もありました。  誰が植えたのかわかりませんが、6月が楽しみです。   梅酒が何本つけれるかな・・・・などと思っております。
あんちゅうの返信メール    江田島青年便り14−16(春のおとずれ) ありがとうございます。   江田島は梅の花も咲き、もう春なんですね〜。  仙人もその梅を拝借したのでしょうか?  40本もあるということですが何処かの梅林じゃないの?    仙人の話の「広場には実のなるものは植えない。取った食ったでもめるから・・」というメールを思い出しました。   なんとも情けない話ですが よ〜く分るからもっと情けない・・・



2003年2月7日(金)      17期 重永幸敏より
件名 : こんばんわ(^O^)
今日は、久しぶりの外泊です。  また、飲んでしまった(^O^)今度の病気は、酒が原因じゃないからな(^O^)   真実をいうと歩きすぎなんだ!   かっこよく言えば、仕事のしすぎなんだ(^O^)   右頚椀症候群という病気なんだ。   生徒時代の俺からは、想像もしなかった病気だよ(;_;)   でも、頑張るよp(^^)q   だって、また柏崎に行ったときみたいに、みんなで楽しく飲みたいからね。    奥さんにヨロピク!
あんちゅうの返信メール    メールありがとうございます。   また、呑んでしまいましたか・・・。   久しぶりのアルコールを廻した体内の細胞達もリラックスできた事でしょう。  でも、けっして呑み過ぎないように。    病気、じっくり治してまた、一緒に楽しい一時が持てるよう頑張りましょう。



2003年2月4日(火)      17期 安中 均より
件名 : 2月のご挨拶
17期同期諸兄、早いものでもう2月になりました。  いかがお過ごしでしょうか。    「鬼はーそと!!  福はーうち!!」  昨日(2月3日)は豆まき。  あんちゅうのところでは毎年豆まきをします。  今年は年男で豆をまき、鬼を退治するはずなんですが・・・      さて、1月23日、 ”海自生徒掲示板” と称して新しい掲示板を設置いたしました。  先輩、後輩、関係者の方々にお知らせいただき多くの方からの書き込みをお願い致します。    また、仙人が2月より仮の棲み家を武蔵野に見つけ、東京駅近くで新たな修行に入るようです。  先程、小池より一人密かに瞑想にふけっているであろう仙人に激励の酒宴をという提案がありました。  音頭取りの御指名もあり是非、関東周辺関係者の多くが参集し、仙人に力水を与えてやっていただきたいと思います。     今日(2月4日)は立春。  まだまだ春遠い雪の新潟です。    インフルエンザも全国的に蔓延しているようですが、同期諸兄におかれましては飲振宴座を大いにやり、ウィルスなどぶっ飛ばせー!!    失礼をば致しました。  2月も頑張りましょう。 ・・・・あんちゅう、2月のご挨拶でした。



2003年2月4日(火)      17期 小池正行より
件名 : Re: 仙人の伝達手段のお知らせ。
ご無沙汰しています。  17期通信の小池です。I WISH ・・・・    仙人が、せっかく東京駅近くに来たのだから、首都圏にいる生徒同期およびこのホームページに一回でも出場した生徒、先輩、後輩は集まって再就職祝賀会及び懇談会を開催したいなあ〜!(ただ飲みたいだけ)、    幹事は、東京地連墨田区江東区?支部長のET伊藤隆さんいかがでしょう?  10から20名くらいだと思いますが、また市ヶ谷会館にしますか? きっと元気が出ると思います。    以上提案だけでごめんなさい。



2003年2月1日(土)      爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り002−H15
全国各地の17期生徒諸兄!  生徒魂を発揮して、充実した日々を送っていることとお喜び申し上げます。   仙人は、雪を枕に、金沢の棲み家で悠々自適の仙人暮らしをしてまいりました。   降り積もる雪を見る度に、45期生徒と戯れたスキー訓練を思い出しております。   立っては転び、起きあがっては転びしていた生徒達が、そして、大食堂で、大盛りの食事を前にしての頂きますという大声が、17期諸兄とダブって目に、耳に焼き付いております。   もう一冬スキーをしたかったなどと泣き言は言いません。  仙人ですから?   それにしても、スキー場のログハウスで休肝日が持てるなんて、思わず、嬉しい?悲鳴が出てしまいました。  その生徒達も三月には卒業です。  先輩の皆さん!後輩を宜しくお願い致します。    さて、仙人は雪の中での暮らしを中断し、二月から東京へ修行に出かけます。  武蔵野をねぐらにして、赤煉瓦の東京駅の近くで、サラリーマンに変身し、精進を続けます。  いかなる変身を遂げるか?乞うご期待!    上京の折には、仮の棲み家(п磨磨磨磨|**−****)へご一報下さい。   お上り仙人より
あんちゅうの返信メール    爽快仙人便り002−H15 ありがとうございます。  忘れもしません。  昨年生徒とスキーに行った時、不覚にも寝酒を忘れ、当時の指揮官・分隊長 河野3佐に言った所、「生徒と一緒ですから総員禁酒です。」とたしなめられ?思いがけず?休肝日になってしまった事。  2002年2月21日のメールでしたね。    東京さ、おっかね〜所と聞いております。   江田島や金沢などと浮世離れした仙人生活とは違い、厳しい修行の場、頑張って下さい。  っま、仙人の事ですから大丈夫でしょう。    同期には仙人への伝達の手段を連絡しておきます。  東京から新潟まで2時間しかかからない事もお知らせして 又のメールをお待ちしております。