17Th Home 徒然草 2003年5月

2003年5月30日(金)   17期 上田三佐夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 涙が出るほどふれぴー
竹下君似顔絵ありがとう、もったいないぐらいすばらしい出来上がりでひじょーに気に入ってます。  実は、今運動不足とストレスでちょっと太めなのだ、もうちょっと落ち着いたら似顔絵のようにスリムになるつもりです。   ではまた・・・。   アンチュウ、ご無沙汰して申し訳ない、週末だけ家に帰るプチ単身赴任なのでH/Pのチェックを忘れてしまう。  もうちょっと余裕が出来たらまた顔出しますのでよろしく。



2003年5月30日(金)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−24−54(第46期生徒ハンドボール大会優勝
本日(30日)第1術科学校学生対抗ハンドボール大会の決勝が行われました。   第46期生徒Aチームは、予選リーグから強豪の海士チーム相手に一戦ごと力をつけ決勝相手03士水測を 12(5−4)9で破り見事優勝を勝ち取りました。 ”おめでとうございます。”    最初練習を見た時はどうなることかと思いましたが、ハンドボール部の本村生徒を中心にチームが良くまとまり、(まるで17期を見ているようでした。(ちなみに江田島青年は口出ししていません。・・・それが良かったといわないように 。))  A・Bチーム揃って、優勝と3位を勝ち取り生徒部の歴史に第46期の記念すべきページを作りました。  皆さん、祝福してやってください。  海曹の部は、02曹水測が02曹電子整備との接戦を制し「11(8−4)10」で優勝しました。
あんちゅうの返信メール  46期Aチーム 優勝おめでとう!!  Bチーム よくがんばった!!  勝因は いみじくも江田島青年が(   )で囲ったこともあるでしょうが諸君の努力とチームプレイに徹した結束力の賜物と思います。  連覇を目指してこれからもがんばってください。  青年・・、わかっているようなので何もいうことはありません。



2003年5月29日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−23−53(第49期生徒水泳未熟者訓練)
 5月12日から第49期生徒の水泳未熟者(赤帽)訓練が、始まりました。 約40名(半数)が参加しております。 我がラグビー部からも11名(18名中)が参加しており、早く卒業してもらいたいと思っております。  A、B、Cに分かれてそれぞれ絞られております。(我々の時は、ハマグリ、ヒラメ、タイと呼んでいたような?。)   江田島青年は、赤帽では無かったのですが我流の泳法で力任せに泳いで下手にタイムをクリアー(一応最高2級でした。)したもんだから、それ以上伸びず現在はあまり泳ぐ機会も無かったのですが(多分その気が無かった)、50秒(クロール)を切るのがやっとです。 情けない、がこの夏は頑張ります。    赤帽の生徒もしっかり泳法を覚え記録を伸ばしてもらいたいものです。 そして、7月の「水泳競技」には選手として出場し優勝を目指せ。 ファイト49期赤帽。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り ありがとうございます。  未熟者の訓練が始まりましたか。 当人たちにはツラいでしょうが間違いなく泳げるようになります。  あんちゅうも青年と同じく赤帽ではありませんでしたが、ラグビー部の練習があまりにもキツく、時々、部活にでない赤帽の連中が羨ましく思えた事を覚えています。 赤帽訓練の連中もキツかったでしょうがラグビーの練習もキツかったな〜。 特に水泳訓練のあった日の練習は出る前からヘトヘトになっていて練習が終わっての食事もただ、腹に入れる、詰め込むというような感じでした。 現在の49期と同じく体力がついていなかったんですね。  しかし、ラグビー部のカナヅチはかなりの高率ですね。 歴史あるラグビー部の未来が心配になりますが、沈んだまま浮んでこないなんて事がないようにシッカリ頼みますよ・・青年。



2003年5月29日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−18−48(第46期生徒ハンドボール大会参加)パートW
決勝トーナメントが23日から行われ結果は、次のとおりです。  1回戦  Aチーム 13−8 04士通信   Bチーム  8−3 03士電測 で勝利を納めました。  2回戦  Aチーム 25−5 Bチーム  でAチームが勝ちました。  Aチームは、30日の決勝戦に進み、 Bチームは、29日の3位決定戦に挑みます。  3位決定戦は、 Bチーム 3−0 01士射撃 で勝利を納め3位入賞です。 01士射撃は、予選リーグで 4−5で惜敗しており見事雪辱を果たしました。おめでとう。   明日は、決勝戦です。Aチームには優勝を目指してきっと頑張ってくれます。ファイト46期。



2003年5月28日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−22−52(第48期野外戦闘訓練)
 5月27日から28日まで大原野外訓練場で、第48期生徒の野外戦闘訓練が行われました。 29日は、27k行軍があります。   我々の時は、第1グランドに始まり大原で事前訓練を実施してから原村演習場で戦闘訓練を行いましたが、現在は大原で日帰りで行っています。 ただ、原村演習の最終日行軍で凱旋する所を何故か歩いた記憶がありません。 何か理由があったのでしょうが分りません、覚えている人は教えてください。  思えば、2年生の夜間戦闘訓練の時、運良く調理作業員に当たり当時の調理員が周りの田んぼから、食用蛙を取ってきて食べさせてもらいそれが非常に美味しかったことを覚えています。 今でも焼き鳥や等に行って蛙があれば注文しています。 皆さん一度は食して見る価値あり。  あるテレビ番組で、フグのから揚げと蛙のから揚げ食べ比べがあり、ボウジャイアンツ球団の番長が間違えたと記憶しております。  写真を添付しますが、写した江田島青年も分りませんが、写された本人もどれが自分か分らない無いと思います。 第1ホフク前進に始まり第2、第3と在りましたが、第1が一番辛かったように思います。



2003年5月28日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−20−50(パートU:分隊点検の目的正解)
分隊点検の目的   「分隊の威容、教育訓練の状況及び隊員の服装容儀、態度、申告事項、健康状態を検する。」 です。   皆さん思い出しましたか、江田島青年も思い付きで問題を出しましたが、直ぐに正解は出ませんでしたので調べました。   皆さん常に分隊点検を受けれる状態を維持し勤務に励みましょう。



2003年5月27日(火)   17期 前畑啓二より
件名 : 佐世保から帰ったニコラス
26日無事佐世保から帰りました。  佐世保では地元5人、舞鶴2人、横須賀1人の計8人で会合を開きました。 平日のせいかほとんど1次会で解散になり皆さん大人になりました。 写真は竹原が送るそうです。  次の日は伊藤隆夫婦とゴルフに行ってきました。 お世話になりました。 ・・結果は聞かないで・・・  来月は大湊に行きます。



2003年5月25日(日)   17期 藤竹春壽より
件名 : こんばんわ
今週は少し疲れ気味ー高杉のー周忌に岩国の航空機Uー36A事故により4名死亡したため今日・部隊葬がありました。 死んだらあかん!     またメールします。  おやすみなさい!



2003年5月25日(日)   17期 安中 均より 17期 梅木 勝 17期 藤竹春壽へ
件名 : メールアドレス公開の件
お久し振りです。  元気でやっていますか?  藤田より ”CC”でアドレスが送られてきましたが、一応、同期への公開を承知していただけるかどうかの確認です。(意味無いようですが・・・)  もうすでに17Th Homeはご覧頂いてるかと思いますが、2001年9月2日 17期ホームページ ”17Th Home”を開設いたしました。 以来、ご覧のような形で現在に至っています。  近況など一緒に送っていただければ幸いです。



2003年5月25日(日)   17期 藤田雅之より
件名 : メールアドレスの変更及び同期メールの追加
江田島仙人 生徒17期  の皆様  藤田雅之のメールアドレス(自宅及び携帯)を変更したので、更新してください。 また、梅木(情報本部:市ヶ谷)、藤竹(71空:岩国)のアドレスを添付します。 藤田:自宅 ***@*** 藤田:携帯 ***@***  梅木:自宅 ***@*** 藤竹:携帯  ***@*** です。  安中、小池さん 「爽快生徒 仙人を囲む会」の件 了解しました。 是非、参加します。 その他もあたってみます。  藤田 (基礎情報隊:市ヶ谷勤務、千葉県佐倉市在住)
あんちゅうの返信メール  自身のメールアドレス変更案内と梅木、藤竹のアドレス追加ありがとうございます。 このメール、CCで送られてきたので多分、ご両人は同期へのアドレス公開の件は了解済みかと理解していますが、一応、両人に確認のメールを送りたいと思います。  尚、パソコンのアドレスの他に携帯メールのアドレスをお持ちの方をご存知でしたら紹介してください。 現在、月初めのご挨拶メールをパソコン用アドレスと携帯メール用アドレスに別けて送信しています。  宜しくお願い致します。



2003年5月23日(金)   24期 平 まりお生徒より
件名 : Re: 仙人を囲む会
こんばんは、安中先輩。 まだ、子供にヘンタイ扱いされていない24期 平 まりお です。  安中先輩からのありがた〜い、メッセージは24期メーリングリストに確かに伝達しました。 叔母様が亡くなられたそうで、ご愁傷様です。 従兄弟の息子さん 陸自空挺団ですかー。 花形ですねー。 安中先輩の自慢の親戚ですねー。 もし、もう一度若返れるなら、「空挺団でレンジャー」 ヒジョーに興味ありますねー。  さて、「爽快生徒 仙人を囲む会」のご案内をいただきながら、返信が遅れて申し訳ありませんでした。  実は、面識のない私が出席してよいものやら、思案していたのですが・・・、もし、人員に余裕があり、迷惑でないのなら、無口でつまらん男ですが、よろしくお願いします。 ・・・・・・・・・・・・・岩国で航空機事故が発生し残念ですね。 亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
あんちゅうの返信メール  こちらこそ返信が遅れて申し訳ありません。  「爽快生徒 仙人を囲む会」への参加、ありがとうございます。「爽快生徒」であり、「仙人を囲みたい方」なら無口であろうと雄弁であろうと関係ありません。 直に面識がなくても仙人はこの17Th Homeを通じ平生徒の雄姿をご覧になっているはずですし、高杉の件においては、24期の結束力に仙人もきっと好感を持っておられるはずです。  早速、幹事の小池生徒に連絡しておきます。



2003年5月22日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−21−51(第49期短艇訓練開始)
遅れましたが、第49期生徒の短艇訓練がGW前から始まりました。 とは言っても、短艇の揚げ降ろしの要領です。 初めての事でもあり真剣に聞いているようです。 怪我をしないようしっかり聞き確実な作業に心がけてもらいたいと思います。   思い起こせば、ストッパー配置をした時、途中で掛ける方向が違う事に気が付いたのですが、時すでに遅く、索が滑らないよう必死で握り締めておりました。 浦田班長に気づかれず無事カッターが下りたときはホットしておりました。  49期生徒は、このようなことが無いように応援しております。
あんちゅうの返信メール  「第49期短艇訓練開始」 ありがとうございます。   短艇とう漕訓練を通じ、シーマンシップの何たるかを体で学びながら併せて、同期と力を合わせることの大切さを学びます。  体力も違うクリューが気持を一つにして艇を進めることに最初はなかなかうまくいきませんでしたね。 江田島ではいろんな行事や訓練が次から次へと行われましたが、この短艇訓練が江田島の全てだったのかも知れません。 その第一歩を49期生徒は歩み始めました。    同じ3等海士の17期短艇訓練を掲載します。 この余裕のあるにこやかな顔をご覧ください。 キツい訓練もこうでなくてはいけません。  カッターを揚げ降ろしする時の号令は何から始まり、なんとかかったのか・・。 今ではすっかり忘れてしまいましたが浦田班長の  「君たちは・・・」  から始まるちょっと鼻にかかった甲高い声を想い出します。 



2003年5月22日(木)   17期 竹下和哉より
件名 : 似顔絵9,10号
おひさしぶりです。 戦争が終わったと思えば、今度はSARSで大騒ぎ。 そして、航空要員の私にとっては、とても残念な航空機事故が岩国で起きてしまいました。 搭乗員の皆様のご冥福をお祈りいたします。  さて、似顔絵も17期HPに投稿されてくる写真を画材に作っていますがちょっとネタ不足の感があり今回も厚木の同期が中心になってしまいました。 みんな大きめの顔写真HPに投稿してくれー!  ただしJPEGで軽くしないと安中が困るぞー!  7月の仙人を囲む会楽しみにしてます。  ところで、バナーは忘れてないんだけど中々、安中作を超えるヒントが浮かばなくて遅れてます。 我慢強く待っていてください。
あんちゅうの返信メール  竹下画伯のコレクションもこれで10作品目。 それぞれの特徴を際立たせる作品にはおそれいります。  バナーについては前にも書きましたが、けっして急いでいません。 17Th Homeは、竹下画伯の作品であることに意味があると考えていますので。  岩国の事故、残念でした。 17Th Homeとしてもお悔やみ申し上げます。 17期では藤竹と小川の二人が現在、岩国に勤務しているようですが大変な中にもそれぞれの職務を全うし頑張ってもらいたいものです。



2003年5月21日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−18−48(第46期生徒ハンドボール大会参加)パートV
本日(21日)Bチームが、2回戦を行い、01士通信に(13−1)で勝利を収めました。 昨日報告でしたAチームは決勝トーナメントに進出しておりBチームも進出しました。 ワンツウフィニッシュと思いきや、順調に行くと準決勝で対戦となります。 今思えば、Bチームの1回戦ラスト15秒悔やまれます。 しかし、1・3位を目指して頑張ってくれると信じています。



2003年5月21日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−20−50(NHK取材)
本日(21日)天下のNHKが取材に来ました。 「NHKおこのみワイド広島」と言うローカル番組だと思いますが、23日(金)1810〜1850に生中継(1術校全般)の中、本日生徒部を中心とした取材を放映するそうです。 時間と放映しているところは、お見逃し無く。   生徒部の取材は、分隊点検(偶然重なりました。)に始まり、教務時間、文化部の活動状況及び短艇作業等をしておりました。 当然江田島青年は、主役の座を勤めるべきところでしたが生徒中心と言う所で丁重にお断りしました。  1年生の第49期生徒にとっては、初めての経験であり、又どんな質問をされるのかと心配なのかかなり「蚊取り線香」の状態で、質問に対する返答もスムーズにいかなっかようです。 一番いいのは、 『ハイ、(一呼吸おいて)元気よく「忘れました。」が裏技だったような。』 、2・3・4生と進んでいくと少し余裕があるように映りましたが、質問されるとやはり皆「蚊取り線香」でした。  ここで諸君に質問です。分隊点検の前に、校長から始まり分隊長、分隊士及び班長の官職氏名並びに指導方針等必死で覚えたことを頭の隅にまだ覚えていますか、そこで「分隊点検」の目的を述べよ。   アンチュウ取りまとめ宜しく。 正解は1週間後に掲載します。    短艇訓練は、第46期生徒が実施しましたが、いまいち緊迫感がありません。次回は、第49期生徒の短艇作業状況をお届けします。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便りありがとうございます。  分隊点検の前の官職・氏名ですが、校長、分隊長、分隊士、班長の前に、内閣総理大臣から始まり防衛庁長官、防衛庁政務次官、防衛庁事務次官などの名前を記憶したのではなかったでしょうか?  前段の名前は比較的簡単に覚えましたが後段の特に政務次官・事務次官の名前は苦手でしたね〜。  江田島青年の質問、「分隊点検の目的」ですが、まったくわかりません。  ・・が、探しました。   ・・が、ここでは書きません。  一週間後の正解が楽しみです。  私事ですが、先週一週間は大変な日々を過ごしました。 土曜日(17日)に母の姉(行年90歳)が亡くなり月曜日お通夜。 火曜日に葬儀。 翌日水曜日にはなんと今度は母の妹(行年83歳)が急逝し、一日置いた金曜日にお通夜。 土曜日に葬儀。 土曜日は父の納骨の為、葬儀への参列を丁重に断り、今日(日曜日)午前中に母と女房を連れてお参りにいってきました。  母の姉の葬儀の時には元気でいたのでびっくりしました。 母も御歳84歳。 4月11日に自分の連れ合いを亡くし、姉を亡くし、妹まで亡くしてしまいました。 今のところ元気でいますがちょっと気にかかります。 女房が良くしてくれるので大変ありがたく、又、助かっています。 そういう年回りかもしれませんが、こう続くとガーックリきてしまいそうで気をつけなけなければなりません。  父の納骨は無事に終わりました。 その節はお世話になりました。 上三佐にも宜しくお伝えください。



2003年5月21日(水)   17期 安中 均より
件名 : 陸自第****
5月20日、母の姉(行年90歳)の葬儀が近所で執り行われ、母の替わりにあんちゅうが参列しました。  従兄弟の子供に現在陸自第****勤務の頑張り屋がいます。 彼は一般隊員として入隊。 今年の1月、めでたく三曹に昇任しました。 子供の頃から知っている彼ですが制服姿は初めて。 きちーッとした所作にさすがといったところでした。  この秋より****としての訓練が待っているそうで今から期待に胸を膨らませているといった様子でしたが、部下の指導方法に悩んでいるという所もあり、新しい武器の習熟など、彼なりに大変そうでした。   ちゃっかり屋のあんちゅうは彼の胸についている**の徽章に目をつけ、早速オネダリ。 気持のやさしい彼より頂きました。  今日、***の部隊に帰るそうですが、元気で身体に気をつけ頑張ってもらいたいと思います。
渡*満*陸*曹からのメール   今回はいろいろとお疲れさまでした。 お葬式ではありましたが、楽しくこの休暇をすごさせてもらいました。 安中さんとまたいっしょに楽しくお酒が飲みたいものですが、忙しい毎日になりそうで・・・。  そういえば今日加茂のおみこしを担いできました。**隊員の意地にかけてもと思い、最後まで前の方で担ぎつづけました。 メール遅れてすみませんでした、さっき部隊に帰ってきました。 これからもよろしくお願いします。   第**** 渡*満*
あんちゅうの返信メール  ご苦労さま。 加茂のみこしを担いだの? がんばったね〜。 根性のないあんちゅうはいまだかつて、担いだ事がありません。  部隊では何かと大変なようですがシャキーっと気合を入れて頑張ってください。  長福寺より応援しています。 また、時々メールを出すかもしれません。 HPをやっている関係で毎月、月初めに挨拶を送っているのでそのメンバーに入れておきました。   厳しい訓練の合間に時間があったら又、メールを下さい。待っています。



2003年5月20日(火)   江田島青年より
件名 : 15−18−48(第46期生徒ハンドボール大会参加)パートU
予選リーグ、Aチームの第二試合が本日(20日)あり、01海士電測課程に、(0−25)というパーフェクト試合で二勝目を上げ決勝トーナメント進出にまた一歩近づきました。 しかし、0点に抑えるとは17期顔負けの活躍です。 申し遅れましたが、現在生徒班対抗のハンドボール大会は無く、1術校大会の海士の部参加しています。



2003年5月20日(火)   17期 高橋良彦より
件名 : 故高杉の一周忌にさいして
佐世保17期の皆さん「故高杉君」の一周忌ご苦労様でした。  何時も肝心な時に行けなくて申し訳ありません。 都合が付けば佐世保に行きたいと思っています。 (艦と違い行動範囲が狭くなってしまいました。)



2003年5月20日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−19−49(第49期生徒手旗訓練)
第49期生徒の手旗訓練が始まりました。 19日午前中「江田島青年」による、第49期生徒の手旗訓練の視察を実施しました。 まだ、二回目ということでしたが、頑張っていました。  当時の教官の名前は覚えていませんが、腕が上がらなくなるまで教官の笛に合わせてひたすら腕を動かしていたように記憶しています。 皆揃っているようで中にはたまに会わないやつが居たのは今も昔も同じです。  でも、皆必死に頑張っている姿が初々しく、昔の「江田島青年」をダブらせながら心から声援を送る江田島青年でした。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り ありがとうございます。  手旗訓練ですか。  海上武人を目指す生徒には基本中の基本ですね。 しかしこれが又、大変でした。  合わないヤツとはひょっとしてあんちゅうの事? 否定は出来ないところがツラいところ。  ・・あんちゅうは海上愚人でした。  この写真は好きな写真の中の一枚です。  どーです。 いいじゃ〜あ〜りませんか。 江田島の晴れわたった空の下、初々しい17期がいます。 教官は多分、8期生の高松班長(当時)かと思いますが、どうでしょう?



2003年5月19日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−18−48(第46期生徒ハンドボール大会参加)
本日(19日)から、1術校のハンドボール大会が開催されました。 生徒部からは、4年生(A・B)のみが出場します。 リーグ戦第1試合の結果は、次のとおりです。   Aチーム 9−4 01士射菅 勝利    Bチーム 4−5 01士射撃 敗退  Aチームは、前半3−3の同点で折り返し、後半は若さで走りきり呉地方隊選手が一人居るチームに勝ちました。 このまま決勝トーナメントに進み優勝してくれると思っています。  Bチームは、同点からラスト15秒で決勝点を入れられ惜敗しました。 次の試合からは勝ち進み決勝ではAチームと争ってほしいと密かに願っている江田島青年でした。   我々の時は、少術校内の班対抗の大会であったと記憶しております。 17期通信のことしか記憶にありませんが、利光、宮崎、松下のハンドボール3羽ガラスに、速攻要員の松原を要し(忘れてはいけません「迷キーパこと江田島青年」)  1回戦は勝ち進んで行ったかな?



2003年5月19日(月)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−17−47(第49期生徒下宿でくつろぐ)
第49期生徒にとって単独による始めての外出が土・日曜日とありました。 親方が、集団下宿にお邪魔しデジカメの餌食にしましたが、くつろぐと言うかデジカメを向けられ緊張したせいか硬くなっているようです。  江田島青年も当時を振り返って見ると、外出して何をしていたのかあまり記憶にありません。 土・日といえばラグビーの練習で半日潰れ、私服で外出できるわけでもなく、ただ下宿で写真のように漫画を読むか、テレビを見るか何も考えずゴロゴロしていたように思われます。  いずれ彼らも***や*にと染まっていくのでしょうか。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便りありがとうございます。  あんちゅうも青年と同じく下宿で何をしていたかは定かでありません。 一年の頃は先輩の下宿先でお世話になったような記憶がありますがこんな写真も。 一枚目は前に紹介しましたが、二枚目も同じ日に撮った物と思われます。  ・・時代を感じます。  ステテコ姿もお似合でしょうか。  2年になってから自分で下宿先を決められ、あんちゅうはやっちゅうと二人で中常さんのところで卒業までお世話になりました。 「ユミ」・「ナミ」という 双子の女の子(当時小学生)がいました。  ある時、みかんを新潟に送るということで中常さんのみかん畑に採りに行きました。  大きいものもあれば小さいみかんも。 「この木のみかんは小さいけど甘い」 と言われたそのみかんはすごく甘かったと後で母親が話してくれました。 とても懐かしい想い出です。  「下宿」という言葉もピンとこない彼等も、下宿先で私服に着替え、我々がそうだったように若者の道を歩んで行くことでしょう。
江田島青年の返信メール  思えば当時制服の下は、必ずステテコを履かないと(パンツが見えないようにするため)怒られたように思いますが、今は如何なんでしょうか。  江田島青年はズボンとステテコが一体になって居る為履いていません。  時代(中島みゆき、今ファンです。)は変わりました。 何故か、浦田班長に怒られたことを思い出しました。



2003年5月18日(日)      17期 伊藤 隆より
件名 : 高杉法要終了
本日(18日)、高杉の1回忌の法要が無事終了しました。  親族をはじめ、山口班長、生前の勤務場所の隊長、同僚、同期、後輩など50名近く参加しました。  舞鶴から氏野、伊藤理、岩国からは小川、藤竹と教え子の24期の諸君も参加してくれ、生前を偲びました。  来週には横須賀から前畑が入港する予定なので、また集まろうと思っています。  まずは報告まで。   伊藤
あんちゅうの返信メール  ご苦労さまでした。  50人近くも参列してくれたなんて・・・      さすが高杉。 全国でも密かに高杉の一周忌をやった方も多いと思います。 彼の人柄が偲ばれます。  ニコラス・ケイジが佐世保に現れるようですが、デジカメなどといういいのもがこの世にあります。  「たっけはらと勝負!!」 は、もういいですから17Th Homeにふさわしい 「華」 「品」 のある写真を待っています。



2003年5月14日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−16−46(各クラブの試合結果)
これまでの各クラブの試合結果
1 ラグビー部
 (1) 4月12日(土)平成15年度広島地区リーグ戦 一試合目 西高校 7 (前半7−19) 52 美鈴が丘高校(ベスト4常連) *弥山登山の練習で十分なコンビネーションが出来無いにも拘らず、先制トライを奪うなど前半は善戦しましたが、後半はスピード、スタミナ供に力負けしました。弥山だけでは勝てません、いかにラグビーが大変かわかったと思います。
 (2) 4月26日(土)平成15年度広島地区リーグ戦 二試合目   西高校 5 (前半0−57) 83 広島工業高校 *休暇前の試合であり気分が盛り上がらなかったと言うことは無いんでしょうが、新人大会優勝校に完璧にやられました。しかし、後半リザーブ選手が入ったとはいえ、最後までトライを取ると言う気迫は衰えず、終盤スタミナが切れるところですが、1トライを返したことは、少し成長の後が伺え褒めてやりたいと思います。(甘い)
 (3) 5月11日(日)平成15年度広島地区リーグ戦 三試合目   西高校 0 (前半0−21) 45 崇徳高校(ベスト4) *休暇明けと言い訳はしませんが、雨中の中良く健闘したと思います。 殆ど自陣で試合をしていたにも拘らずこの得点で良く抑えた思います(本当は、100点ゲームを覚悟していました。)。後半は何度か敵陣に攻込みましたが。反則と言う悪いパターン押し返されました。(反則約20位、多すぎる) (リーグ戦は残り二試合です。) *第49期生徒新人が18名入部しました。練習は大変厳しいのですが、4年間頑張ってほしいものです。
2 ハンドボール部
 4月12日(土)中国大会広島予選  1回戦 西高校 22−13 城北高校  2回戦 15−30 向原高校 残念ながら、中国大会に出場できませんでした。 *ミスターハンドボール・利光、宮崎、松下、上田、大谷(元気にしていますかね)、前畑、川浪(息子は、ラグビー部でした)皆上手かったよな。
3 柔道部
 4月20日(日)第50回中国高校広島大会  1回戦 不戦勝  2回戦 西高校 3−2 呉昭和  3回戦  0−4 福山東 残念ながら、中国大会に出場できませんでした。 *記憶では、椛島、野田達頑張っていましたね。
4 野球部 
5月10日(土)第47回高松宮賜杯広島決勝大会   1回戦  西高校 2−0 Lips   準決勝  2−6 ビクトリー(西部代表) 残念ながら決勝進出なりませんでした。  *故高杉を思い出します。18日の1周忌いけませんが、佐世保17期の皆さん宜しくお願いします。
5 サッカー部 
4月20日(日)第56回高校総体広島地区予選  西高校 0−5 広島工業高校   4月27日(日) 西高校 0−8 廿日市高校   *サッカーの鬼・番上、氏野を思い出します。
6 剣道部 
(1) 4月20日(日)中国高校選手権広島地区予選    西高校 3勝1敗1分 国泰寺高校   0勝4敗1分 加賀北高校  敗者復活戦  3勝1敗1分 千代田高校  県大会出場権獲得 おめでとう。県大会では、全力で頑張ってほしいものです。
(2) 5月11日(日)第49回中国高校選手権  団体 1回戦 西高校 4勝0敗1分 西条紫水高校  2回戦 0勝4敗1分 崇徳高校  個人 47期 平岡誠1士、濱田忠史1士 2回戦敗退 *四天王でしたか、竹原、長倉、中谷、臼井、・・・思い出します。  高校生は相手にならないほど強かったですよね。
7 空手部
 4月19日(土)春期広島地区高校選手権  団体 西高校 2勝2敗1分け 熊野高校 (ポイント差で敗退)  個人 47期 米満1士 2回戦敗退 *17期四(五)天王こと、楯、里出、長浜、橋本、故津田 強かったですよね。
8 水泳部
 5月3・4日(土・日)広島地区春季水泳競技会 団体 第5位(参加チーム:22) 個人 47期 平原伸也 200m 平泳ぎ第2位(2-36-74) 100m 平泳ぎ第3位(1-11-22)        48期 日野晶仁 200m 平泳ぎ第3位(2-40-47) 100m 平泳ぎ第8位(1-16-42)   文字誠一 100m バタフライ第4位(1-03-19)   200m バタフライ第6位(2-29-27)      47期 古舘直樹  50m  自由型 第5位(25-76) 100m 第5位(57-88)  樋口利喜  50m 第6位(27-22) 小西 遊  400m メドレー第6位(6-21-14)        藤野祐規  200m バタフライ第8位(2-56-16)       リレー400m 自由型 第4位(3-55-14)  800m 第6位(9-05-50)    400m メドレー 第8位(5-04-00)   *アルバムには偉そうに鎌田が中央で写っています。さすが海上自衛隊です、本職では頑張っています。
我々の時代と違い、西高校として高体連に加盟出来色々な大会があり試合数が増えていますが、生徒達も遣り甲斐があるのではと思っております。(裏を返せば、それだけレベルが落ちたのでしょう。)  少々長くなりました。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り ありがとうございます。  このメールを何分?かかって打ったのか見当もつきません。 青年の健闘?に敬意を表します。(座布団2枚!!)  青年は17期のこともよく覚えていて、あんちゅうも名前を見るたび、それぞれがユニフォームを着ていた姿がはっきり、クッキリと目に浮びます。 いずれ機会がありましたら各クラブのメンバーの写真を掲載致しましょう。 ・・が、青年に敬意を形で表わします。   ・・・17期ラグビー部だけは今日掲載する事にします。



2003年5月14日(水)   17期 小池正行より
件名 : 仙人を囲む会
いつもお世話様です。  爽快生徒仙人を囲む会幹事の小池です。  若葉茂れる季節となり、いろいろなことがあっても元気の出る5月。  お待たせしました、日時と場所が決定しましたのでお知らせします。  日時 7月5日(土)16:00〜19:00場所 ****−**** 参加20〜30名位の予定で設定しています。  仙人、同期、先輩、後輩の皆さん予定表にチェックしておいてください。
あんちゅうの返信メール  らじゃー!!  ラジャー、ラジャー!!  あんちゅうがアドレスのわかる方にはこのメールを転送いたします。  17Th Home上では場所を掲載する勇気がなく ****−****と致しました。 参加希望の関係者の皆様、早めのメールをお待ちしています。



2003年5月12日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−15−45(第49期生徒校長視察受閲)
本日(12日)快晴の中、第49期生徒が1ヶ月間の入校教育を終え、その成果を見てもらうための、「校長視察」を受閲しました。   「基本教練」と「5分間体操」を受閲したのですが、初めての体験のためか皆かなり緊張していたようですが、号令官をはじめ生徒全員元気があり、1ヶ月の成果を十分発揮できたように見えました。 校長の好評も少し注文もありましたがお褒めの言葉を戴いておりました。   クラブ活動と文化部活動が、本日から始じまります。 益々勉学、訓練及び運動にと忙しくなりますが、1ヶ月間右も左も分らないのに一生懸命頑張って乗り越えた気持ちを忘れず、厳しい生徒生活にも早く慣れ幾多の苦難を乗り越えて行ってもらいたいと、心から応援している江田島青年でした。
あんちゅうの返信メール  連日の江田島青年便り、ありがとうございます。  こういうことも行われているのですね。  相変わらず記憶の定かでないあんちゅうは我々の頃もあったのだろうかとある意味、新鮮味を感じます。  あんちゅうが生徒時代、一番思い出にある校長は 左近充尚敏校長です。 校長室の甲板掃除に行くと ピッカピカのおーきな靴がありました。 体型も大柄でしたがその大きな靴がとてもかっこよく、あるとき中を見たらリーガルでした。  それ以来、今日までリーガルファンになってしまいました。 今で言うブランド志向でしょうか。  江田島仙人は、席抜けの術を使い、時々生徒部を御忍びでカッポされて迷惑がられていたようですが、目を細めながらこういう事もされていたのでしょうね、きっと。



2003年5月11日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−14−44(第17期生徒の忘れ物)
GW突入日の4月26日(土)ラグビーの広島地区リーグ戦があり、翌日防火隊当直の為、生徒の試合着を洗濯していたところ、生徒隊で確保していたハンガーの中に貴重な物を見つけました。 江田島青年も思わず目を疑いました。   それは、「17−3 村山清広」と名前の入ったハンガーを見つけました。 他にないかと探していると「佐 sonar 藤」と名前の入ったハンガーもありました。 「佐 sonar 藤」は、少し字も新しく見えましたが、「佐藤壽」のであれば2年生になった頃ではないかと思います。 「17−3 村山清広」のハンガーを見るに、昭和46年4月1日入隊した1年の時に使用していたものと思われます。  なんと、33年間少術校から1術校生徒部に変わっても我々の代わりに生徒を見守っていてくれたのだと思うと感激も一押しです。  現在、記念に江田島青年のロッカーに入っております。  (「何でも鑑定団」に出せば、かなりいい値段が付くのではと一人でほくそえんでいる江田島青年でした。  以上)
あんちゅうの返信メール  いやー 驚きです!  驚きました。   名前入のハンガーが見つかるなんて驚きましたね〜。 村山清広は山形県天童市出身。 一年の時は青年・あんちゅうと同じ三班。 そしてそして、これまた、3人とも同じラグビー部で頑張りましたね。  彼はプロップの3番。 青年は司令塔の10番スタンドオフ。 村山と同じフォワードのあんちゅうはフッカーの時は一緒に肩を組んだり、フランカーの時は彼のケツを押したり、ある意味、同期の中では一番スキンシップをはかった仲だと思います。 (中断)  中断中、佐世保の宮嵜より電話がありました。 18日の高杉のこと、家族の事、あんちゅうがお世話になったおふくろさんの事。 そして、ハンドボールを捨て、不惑ラグビーに頑張っている事。 不惑ラグビーでのポジションはなんと、フッカーかフランカーとの事。 本は半分しか読めなくなった事。 下はいたって元気な事・・等々。  ・・失礼致しました。 青年はいーい物を見つけましたね。  でも、ほんとに欲しいのは持ち主の村山でしょう。  元気でいるのでしょうか。



2003年5月11日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−13−43(第49期生徒引率外出)
本日(11日(日))第49期生徒の、4月1日着隊以来4月7日から5月10日までの入校教育が終わり、初めての外出(GWの休暇を除く)が引率外出により許可されました。  本日0700総員起こしを外出準備等のため分隊長の計らいにより0630総員起こしで頑張っておりましたが、分隊長等や対番に外出要領等を教えてもらっていた(多分)と思いますが、外出準備の要領が分らないのか、はたまた外出証の受領要領も儘ならず先輩方に迷惑を掛け総員が0800の外出員整列には間に合わなかったようですが、なんとか雨空の中外出していきました。(苦言:49期の行事がある時、雨天等何かと何かあります。)  整列時の生徒の顔を見ていると、初めての外出で緊張しているのか、あるいは期待と不安に駆られているのか、強張っている様でした。  我々の引率外出時もそうだったのか、中央桟橋に始まり、集会所、呉駅等分隊長、分隊士及び班長に引率されと記臆しております。尚、現在は2年生の対番が引率して外出します。(当然分隊長等も一緒です。)  自分を思い起こすに、銀座デパート(現在なし)の屋上の遊園地で遊びに夢中になりすぎて集会所の集合時間ぎりぎりに行ったように記憶しております。 また、「大都会パートU」から出てきた大和子なもんで呉が大都会に思え右も左も分らなっかたことが思い出されます。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り15−13−43 ありがとうございます。 我々の1年の時もこんな風にして呉までいったのですかね〜。  まーったく記憶にございませんが、青年の 「集会所の集合時間・・・」 を読むと そーかな?とも。 集会所に行った記憶は残っていますがそれが始めての外出だったかどうか?  それにしても見事に緊張していますな〜。  いや、いいんですよ。 この引き締まった顔がいいんです。   思わずこちらも引き締まりそうな?雰囲気があります。 また、先輩は先輩らしい雰囲気を感じます。 流石です。 いずれ彼等も呉で行きつけの店を見つけるのでしょうか。 17期がよくお世話になった  ”いとう” のような店を。  呉といえば大都会も大都会。あんちゅうも青年と同じく、ご覧の通りの「大都会パートU」 育ち。 この頃は、夜は蛙の大合唱が風物詩です。 海があって島が見え、フェリーに乗れるなんて夢のようでしたよ。
青年の返信メール  新潟の「大都会パートU」いいですな、まるで島根の「大都会パートU」を見ているようです。 やっぱしこういう風景は情緒があっていいもんですな。 いつまでも残しておきたいものです。



2003年5月11日(日)      17期 安中 均より
件名 : 自衛隊新潟地方連絡部 加茂募集事務所管内 山菜狩りパーティー
件名の行事が行われ、あんちゅうも参加させていただき、OBの方や現役隊員の父兄の方などといっしょに新鮮な山菜料理に舌鼓をうちました。  地域がら海上の関係者が少ない中、少しでも御縁を求めてあちこち話しをしていましたら、一人息子をこの春より舞鶴教育隊におくった方がおられました。  この連休に帰って来た時、往復の切符を買ってきた息子さんを見て、彼の決意の程を再認識したとか。  父親とは違う、母親としての複雑な心情も話しておられました。   休暇で帰った時、片道の切符しか買っていかなかった同期。 この話、どう考えます?   事務所の石本所長始め、広報官の各隊員の方には大変お世話になりました。 秋のきのこ狩りも参加させてもらいたいと思います。 宜しくお願い致します。



2003年5月10日(土)   17期 竹原堅一より
件名 : 久し振り
久し振りです。 父上の件 残念でしたね。 遅れましたが、お悔やみ申し上げます。  私も、大変忙しく、やっと 暇になりました。 なにをしてたか、秘密ですが、とても楽しい仕事をしてたのよ!   時がきたら 教えてあげる!   もうすぐ、高杉の一周忌です。 18日です。 みんなでご法要をします。 遠くにいる同期も高杉の事を思い出して気持ちだけは、佐世保に来てね! よろしく!      たっけはら でした
あんちゅうの返信メール    ホント、久し振りでした。 忙しかったのは本当らしい?・・ですね??   江田島の雲助に現れたたっけはら先任伍長を見て そういえば、少しやつれたような?・・・感じがしないではありませんが、よくよく見ると どうも、前畑先任伍長に更に差をつけてきたような感じがしないでもありません。  (・・勉強がたらず、これ以上の文面は思い当りません。)  高杉の一周忌がもう来るのですね。  同期、関係者が仏前に集まってくれる事をあの世から見ているのでしょうか? ”高杉メモリアル”と題して 17Th Home上の高杉に関係あるものを集めました。 時間があったらご覧下さい。  全国にいる高杉関係者は一周忌の18日と命日の28日、それぞれの場所で一杯の酒を呑み、高杉の法要としたいと思います。   気持を佐世保に結集します。



2003年5月7日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−12−42(江田、竹原in江田島)
5月3、4日に神様14期生徒の35周年記念行事、4日に9期生徒40周年記念行事が、生徒の心の故郷である江田島で実施されました。 その様子をお届けしようと思ったのですが、4日は親戚の法事でお邪魔することが出来ませんでした。 すみませんです。 そこで井上隊長にお願いしたのですが、デジカメをどこかに忘れ現在行方不明だそうです。  集合写真は、14期生のHPに掲載されているそうです、そちらをご覧ください。  残念ながら、9期生徒の様子は今のところ把握しておりません分りしだい掲載します。   同期会と言えば、日にちはフッラシュバックしますが、江田の江田島訪問記を見て思い出したのですが、15日に江田、竹原と雲助で一献酌み交わしました。(てっきり掲載していると思っていました。) 二次会では、江田の一人舞台(中年のスケベー)となりその様子を添付します。 尚、江田の奥様と艦長には「秘」扱いで宜しく。
あんちゅうの返信メール  極秘資料に付き 掲載しなければいいものを あーったまにきたのでいろいろ試行錯誤の結果、モザイク処理をいたしました。 これなら秘密は保たれるでしょう。  何も言う事 ありません。



2003年5月6日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15-11-41(GW終了)
5月5日でGWが終了しましたが、皆様有意義に過ごすことが出来ましたか。 江田島青年は、26日:試合、27日当直、28日午前家庭菜園夕刻から5月2日まで「大都会パートU」で百姓の手伝い、3日午前:家庭菜園、午後:ジョギング・散髪、夕刻義兄夫婦一家と焼肉パーティ、4日親戚の法事、5日家庭菜園と充実したGWを過ごすことが出来ました。   ただし、家庭サービスは「大都会パートU」の往復のドライブのみとなってしまい愛妻には申し訳ないと思っておるしだいです。   処で、我が江田島青年広場は心配しておりました。 49期生徒も「掲示板」にもあったように両親の心配をよそに総員元気に帰って来ました。ご安心ください。   夏期休暇まで残すところ94日です。 その間、校外見学、防火・防水訓練、野外戦闘訓練、水泳訓練、幕営訓練、遠泳等訓練が目白押しですが、楽しい夏期休暇の来る日をカレンダーとにらめっこしながら、元気に乗り越えていってほしいものです。   我々も、カレンダーに日数を書き込んでいた頃が思い出されます。 考えるに半分に成るまでは日が経つのが遅く感じ、半分過ぎれば少し速く感じていたように思っていたのは私だけでしょうか。
あんちゅうの返信メール    江田島青年便りありがとうございます。  GWが終わったと思ったらもう夏季休暇の話。  親心ですな〜。  わかります。 生徒諸君は夏期休暇なんて直前まで感じる暇がないくらいにいろんな訓練に立ち向かうんですね。 これから 自衛官としてと 海上要員としての基礎をみーっちりと叩き込まれます。 頑張るでしょう。  さて、江田島青年のGWの日程を見まするに誠にすばらしい理想的なGWを過ごされたようですね。 家庭菜園と 島根の山奥の大〜都会での百姓の手伝い。 先祖の供養と親戚の皆様との語らい。 ジョギング・散髪ときては文句のつけようがありません。  グータラな時間など青年の時計には無いようですね。 愛妻に詫びるところなどは  とても真似できるものではありません。  ちょっとアゲ過ぎましたかな?  連休後も 江田島青年便り 宜しくお願い致しま〜す。



2003年5月6日(火)      仙台 安部庄子様より
件名 : Re: 5月のご挨拶
ご無沙汰しました お元気ですか? 連休中もお仕事とのこと お疲れ様でした。  5月といえば 春休暇! 息子も 意気揚揚と帰ってきましたが、 やっぱり戻るときは 前の晩から口数が少なくなり 寂しそうでした。 そういう子供を見て 私もついつい・・・・子離れしなくてはと思いつつ 1年経った今も私は全然成長してはいませんでした。  話は変わって 掲示板の反応はすこぶる良好ですね! 現役の生徒あり、先輩あり、教官あり、・・・そして現役生徒の親!いつも楽しみに のぞいてます。そして情報収集も・・・。 それでは!!!  私だって 寂しがってばかりいませんよ。 一生懸命働いて またの休暇を待つことにしましょう。  仙台  安部 庄子
追伸です
仙人もお元気そうで 何よりです。 東京のさわやか?な風に吹かれ ますます 磨きがかかっているように感じられますが・・・。  東京は中学の修学旅行で行っただけの私は 高村光太郎さんの奥様・千恵子さんが「東京には空がない」と言っていたので どんな街かと思っていたら おっきい街ですね。 緑もいっぱいあって・・・ また いろんな所を見せてください。
あんちゅうの返信メール    いつも17Th Home・掲示板をご利用いただきありがとうございます。 安部さん始め、ご父兄の皆様に喜んでもらえるHP作りを目指してこれからも頑張ります。



2003年5月6日(火)      17期 小池正行より
件名 : Re: 5月のご挨拶
いつもお世話様です。 爽快生徒仙人を囲む会幹事の小池です。  米国ブッシュ大統領の戦争終結宣言が出されましたので早速行動を再開したいと思います。  街並みの緑がはえ、新しい生命の息吹を感じる季節となりました。 実は群馬の実家の兄(53歳)が、4月22日脳内出血のため急逝致しました。 前回予定4月25日ですとドタキャンになるところでした。 5月25日納骨します。  したがって、これから仙人のご都合をお聞きして6月の土曜日の午後4時ころから計画していきたいと思います。
あんちゅうの返信メール    待っていました小池幹事。   先日、戦争終結宣言を早く出すよう ブッシュにプッシュ?をかけておいたのが良かったようです。    「ジャパンノ アンチュウノ イウコトナラ スグニ ハッピョウ シマショウ」  っと 言うような事をブッシュは言っていたように聞こえたのですが・・・。  ご兄弟の急逝、大変でしたね。   まだまだ若いのに・・・  お悔やみ申し上げます。  「爽快生徒仙人を囲む会」 の件、宜しくお願い致します。  何かできることがあれば率先して協力いたします。  何なりとお申し出下さい。



2003年5月5日(月)      14期生 下條善磨先輩より
件名 :  14期35周年
 Mail 有難うございました。 昨晩、江田島よりより帰宅しました。 14期35周年に関して後方よりご支援をいただきお礼を申し上げます。 お蔭様で素晴らしい同期会を持つことができました。 雰囲気を味わっていただければと会の様子を簡単に報告致します。
私は前日、広島入りをし、当日、親戚の車で呉、音戸、早瀬と廻り江田島青年の家に到着しました。 やはり我々、日頃の節制のおかげでしょうか、3日は広島地方素晴らしい天気で今年初めての夏日を記録したそうです。 広島市内は、フラワーフェステバルがまもなく開始されると言うことで賑わっておりましたが、交通の渋滞もなく30分ほどで呉の町につきました。 音戸大橋、江田島青年便りで拝見した躑躅、楽しみにしてましたが、ちょっと、盛りを過ぎたようでした。 青年の家では、早速 カッター訓練、大原射撃場の横のカッター庫で漕ぎ手10名、家族数名と乗艇しました。 指揮官は青年の家、職員、元海自OBで練習員の四十期頃の方です。 私は左舷二列目の3番手、別に意識したわけでは有りませんが、7、8,11.12番といった難しい位置ではなく比較的楽な3番の位置についたのは生徒時代からの習性でしょうか。 櫂備え。右前、左後ろ、と号令が続き艇は沖を向き、いよいよ本格的な撓漕が始ります。 そばには海上保安大学の学生が併漕しています。 昔とった杵柄、 若いものに我々の実力を見せてやろうと14期クルーの闘志は昂ります。 櫂ヨーイ、 グット突き出す30数年振りのオールの感触、櫂先を30度ほどに傾け水面を睨みます。  前へー、号令一下、一斉に尻を挙げ全身で引く第一段、力強く腕を引く第二段、そして上半身を後ろに倒しこむ第三段、 見たか、若造、これが14期の三段引だ。  ところがその後がいけません。  三段腹が邪魔をし元に戻れません。  櫂は流すは、体は倒れるは、散々な体たらくでした。  それでもようやく感覚を取り戻しなるべく櫂を内側にいれ何とか皆の迷惑にならないように漕ガさせてもらいました。  時間僅か数分だったのでしょうが時間の長いこと、やっと櫂あげの号令が出たときはホッとしました。  昔は一時間以上漕いでいたのでしょうが、歳は取りたくないものです。 同乗された原口班長、  "こんなにきついものじゃったかの "  " 班長、我々はそのあと、生徒隊の屋上で前支えをやらされたんですよ "  " そりゃ、すまんこって "   櫂組みのあと冷たい飲物が配られ、心地良い潮風にあたりながら皆と昔話に花が咲きました。 穏やかな海、広島湾に映える5月の陽光のきらめき、まるで30数年前に戻ったかのような穏やかな一刻でした。  帰路谷憲と  " 久しぶりだな、ロスアンジェルス 以来かな ?、 体は大丈夫か "  " ああ、お前こそ元気そうだな "  谷憲に会ったら話そうと思ったことが山ほど有ったのですが、何故か二人とも無口になってしまいました。 言葉はいらぬ、それが同期の付き合いなのでしょう。
その後、総会、夕食、懇親会、そして、消灯後の二次会、窓の外からは呉の街の明かりが、ぼんやりと秋月あたりの山並みを浮かび上がらせ、月の光が江田内を輝かせていました。 そんな風景を眺めながら  " 江田島というのはこんなに静かで美しい島だったんだな"  " ああ、こんな素晴らしい環境でこで4年間過ごしたんだ。 "  翌朝は0640起床、掃除。 0710に日課整列、我等有志 6名が国旗、青年の家の旗の掲揚に指名されました。  国歌吹奏のもと一糸乱れぬチームワークで吹奏終了時に旗が所定位置にピッタと掲揚された時は200名ほどの参加者全員の感嘆の声があがりました。  その後、退所者の挨拶で実行委員の三寶より、青年の家に拘わらず中年の我々が占拠した非礼を詫びる挨拶があり一同大笑い。 朝食後、同期の車に分乗し一術校。 生徒隊では9期生の神様達とお会いでき久闊を叙すことができました。  井上生徒隊長の案内のもと生徒の寝室、自習室と案内され特に自習室は8名づつの部屋で各人に机、本棚、そしてキャンバスバッグの替わりに革のブリーフケースと 我々の時とは違った環境に驚きました。 その後新装なった生徒館、昔の面影を充分に残しながら近代的な建物へと改装がなりました。 久しぶりの参考館、国の為、身を挺した英霊の遺書を前にして、17期の江田生徒と同じように、この厳粛な気持ちを表す言葉がみつかりません。  一般の展示品の中に藤田画伯の絵画が目に付きました。 前前日、往路、倉敷美術館を訪ねた折、偶然藤田画伯の展覧会が催されていました。 深く滑らかな白い下地と絶賛された藤田嗣治の世界、それと同じ色調が参考館の絵にも見られました。 その他、横山大観の富士山の画、生徒時代には気がつきませんでしたが、このような超一級の美術品を身近に接する機会があったこと、江田島での生活は精神的に贅沢なものであったと認識しました。   その後、木の香もかぐわしい体育館、そしてPX、大講堂の裏にあった建物は取り払われ、駐車場になり道路を隔てた反対側、庁舎後ろに赤レンガを模した立派なPXができていました。 土産は勿論江田島羊羹、故郷の両親に数本購った時、30数年前の休暇前の昂揚した気分が一瞬、心をよぎりました。 今、5日の19:00、そろそろ現役の生徒たちが休暇を終え帰校する頃でしょう。 英気を養い元気で戻ってきて欲しいものです。  頑張れよー、辛いだろうが、皆、乗り越えてきたんだから。  PX内のカメラやさんの前を通った折、14期の方ですかと妙齢の女性に声をかけられました。 ダンケ写真館の娘さんだそうです。 親父さんの消息を伺うと8年前に他界されたとのこと。 ご冥福をお祈り致します。  その後、順次、解散、 我々は呉に渡り、有志 数名と村瀬の墓参り、Fバースがよく見える丘の上に村瀬は眠っていました。 合掌。  最後に同期、数名と呉の地ビールで乾杯、そして 16:00頃、31年前、皆と別れた呉駅で私の同期会が終了いたしました。  短い二日間でしたが、人生50年の節目を迎えた歳に自分の原点である江田島で皆に再会できたこと貴重な時間でした。  今回は江田島青年の家で開催され、昔に近い環境を体験できたこと、同伴された家族の方には申し訳ありませんでしたが、我々、特に退職したものにとっては貴重な体験でした。  以上、17期生の35周年の参考まで。   14期 下條
あんちゅうの返信メール    思わず右目から涙が零れ落ちました。 同期とのすばらしい2日間をまるで自分の事のように感じています。 夢のような時間をすごした下條先輩がそこここにほとばしっていて一部の文字化けも気になりませんでした。  谷憲との一言、二言もよ〜くわかります。 谷憲先輩には4日の1830頃メールを入れました。 あんちゅう  「先輩、楽しみましたか? 久しぶりの同期会、いかがでした? まさか死んでいないでしょうね? お楽しみ中なら返信は要りません。    あんちゅう」  谷憲  「やっぱり生徒でよかった!  親に感謝しなくちゃ。  呉での前夜祭、江田島青年の家での本番最高でした。 カッターも漕いだぞ。 術校で、40周年行事実施中の9期生と一緒になりました。  頭上がりません。 今は、泣きたい気持ちで佐世保行きの列車の中です。 ・・・生徒ばんざい!」  下條先輩、谷憲先輩共、メールを通じてこちらにも喜びが伝わってきます。 ・・・生徒でよかったと思います。 江田島で過ごせてよかったと感じます。  17期は後、3年。 先輩と同じ感激を味わさせていただきます。 ・・・ありがとうございました。



2003年5月2日(金)      17期 伊藤 隆より
件名 : アドレスが消えた。
アンチュウ久しぶり!  先日パソコンのパーテンションを変えようとして、Windowsをインストールしたんだけどバックアップしたはずのメルアドがすべて消えてしまって、なんにもなくなりました。  **日から舞鶴組の氏野と理が、富吉艇長率いるミサイル艇の就役訓練の指導に佐世保にやって来ます。  高杉の一周忌に参加するかどうか確認のため連絡を取りたいので至急メルアドを送られたし。  伊藤
あんちゅうの返信メール    開いた後、遅くなって申し訳ありません。 氏野 携帯メール ***@**** 氏野 アドレス    ***@****  理    アドレス     ***@**** 以上です。  あんちゅうは 父の49日の打ち合わせを近所のオヤジとしていました。すみません。 昨日の小川からのメールによれば岩国から小川と藤竹が参列するそうです。 厳粛に一周忌の法要が営まれますように。     あんちゅう



2003年5月2日(金)      14期生 関 洋三先輩より
件名 : Re: 5月のご挨拶
お疲れです。 ありがとうございます。 四国は いい天気です。 うどんブームの讃岐では早くも 県外の車が 押し寄せて 人気の高いうどん屋さんは 超満員です。  待つのが 嫌な地元の うどん通は 冷凍うどんと食べています。 御機嫌よう  14期 せきようぞう



2003年5月1日(木)      14期生 ほっとけの谷憲先輩より
件名 : Re:5月のご挨拶
いよいよ、明日出発です。 明日の晩は呉で前夜祭だ! 何人集まるのかな。 女房に、生きて帰れないかもしれんと言っているところです。 前回は前日に入院でした。 同期会で死んでも本望だ!
あんちゅうの返信メール    死んではいけません!  が、今晩は奥方に最後の別れを!      同期会、呑み過ぎないように。  でも、今回は許してあげます。    楽しんできて下さい。
ほっとけの谷憲先輩の返信メール    はい!ありがとー。 谷川生徒がんばります。



2003年5月1日(木)      17期 小川直基より
件名 : Re>5月のご挨拶
18日高杉のー周忌があるから、岩国は藤竹と二人で参加してくるよ



2003年5月1日(木)      17期 安中 均より
件名 : 5月のご挨拶
17期同期諸兄、新緑萌える5月になりました。 いつもは17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。 連休の中間を迎え、いかがお過ごしでしょうか。(あんちゅうは稼いでおります。 ・・ハイ。)  さて、5月3日、4日と江田島では、17期の神様、14期生の入隊35周年記念同期会が行なわれるとの事。 全国にいる神様が江田島に集合です。 まるで自分のことのようにワクワクしているあんちゅうですが、我ら17期の35周年は2006年。  ・・ あと3年 ・・・ なが〜い!  昨年の5月は同期の高杉が亡くなるという悲しい出来事がありました。 先日の臼井からのメールによれば5月18日に一周忌の法要を営むとの事。 改めて御冥福をお祈りいたしましょう。  合掌。 (命日は5月28日です。) 昨年の5月の17期徒然草を見てみますととにかくメールの数がスゴイ!同期、生徒の絆の強さを改めて感じます。  リフレッシュも、連休ボケも大切です。   適当に5月を乗り切りましょう。と言いながらも 前向き17Th Homeとあんちゅうは頑張ります。 今月も同期、生徒の絆を深める17Th Homeを宜しくお願いします。 皆様のメール、お待ちしています。