17Th Home 徒然草 2002年4月

2002年4月30日(火)         野田達也より
件名 : Re: 高杉第2報
メール読みました。頑張れ高杉・・・!!!          野田



2002年4月30日(火)      江田俊弘    17Th Home掲示板より     21時58分27秒
件名 : 高杉の要態4.30   1930
高杉の4月30日1930時の状況を知らせます。相変わらずICUにて麻酔による睡眠下にありますが、自然に排尿されるようになり、先生からは良くなりつつあるとのことですが今後は感染症の心配があるとの所見を得ています。 家族の皆さんによれば(ICUは家族以外立ち入り禁止で私は直接見れません。)先日までは普段90Kg+の体重が点滴等によって150Kg程まで増加していたものが、自然排尿できるようになった効果でしょうか若干ながら減少(家族の見た目)しているそうです。 肺に水が入っているそうですが徐々に出ているそうです。 完全復帰できるまでの日数等はまだ不明ですが家族の皆さんにも明るい兆しが見えてきたところです。
 一日も早い高杉の回復を祈って下さい。 江田




2002年4月30日(火)      アンチュウ   17Th Home掲示板より     22時31分38秒
件名 : 浦田生徒へ
久しぶりです。元気な様子はいろいろな人からのメールで聞いています。相変わらず襟を立てているとか、今日も居眠りせずに頑張ってねとか、勝手なことを申しております。(誰が言ったとかは申し上げられません。ハイ。)高杉の状態は第2報までしか把握していません。分かり次第掲載したいと思います。



2002年4月29日(月)      浦田文男   17Th Home掲示板より      20時45分45秒
件名 : 現在の状況
現在休暇中につき、八戸に帰省中、江田島では27年ぶりの厳しい汗をかいています。 17期のホームページを時折息子のメールで見ています。高杉の状況を分かり次第教えてください



2002年4月29日(月)      隊甲板  17Th Home掲示板より      19時00分56秒
件名 : アンチュウ先輩へ
早速の返信有難う御座います。各期のHPをあのスレで紹介したのは私ではありません(笑)「海生徒スレ」の常連、生徒出身薬科大氏です。2◎期(後半)さんを中心に、殺伐とした雰囲気のあのスレで、匿名の良さを活かした議論がなされております。高杉先輩のご回復を心より祈っております。尚、生徒各期のHPは存じませんが、24期、28期がヤフーでMLを開設しているとのことです。



2002年4月29日(月)      隊甲板  17Th Home掲示板より      12時30分55秒
件名 : 2ちゃんねる海自生徒総合スレッドについて
個人運営の悪名高い「2ちゃんねる自衛隊板」にも「海自生徒総合スレッドパート2」があります。殺伐とした投稿の多い中、生徒のスレッドだけは生徒魂を残しております。是非ご視察下さい。11期から4●期まで、匿名で好き放題言っております。http://natto.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1015132386
アンチュウの返信投稿     「2ちゃんねる海自生徒総合スレッドパート2」のご紹介 ありがとうございます。パート1の頃よりたまにチェックしておりまして、当17Th Homeも何回か紹介いただき大変ありがとうございます。・・・残念ながら今まで投稿したことがありません。匿名ということでもあり、「2ちゃんねる」特有の雰囲気がありましてそれはそれでおもしろいし結構なことだと思いますし、生徒の結束や、つながりや、絆や、理解を深めるために投稿各自の言葉で表現がなされ、すばらしと感じております。おっしゃるように生徒のスレッドは他に比べるとまだましなように思いますが、いずれにしろ 「2ちゃんねる」の "よさ" を生徒スレッドも持っているようです。この歳になりますと耐えられないのがありまして、いたるところに出てくるいわば「汚い言葉」の羅列です。インターネット上での表現は 「言葉あそび」あるいは「文章あそび」と考えているアンチュウはいかにそこで表現を通して遊ぶかが最大の楽しみであり、それが相手に伝わったときの喜びであります。勿論、「2ちゃんねる」の中にもフムフムと感じ入る言葉もありですが、せっかくの言葉が次の方によって台無しになってしまっているところは、残念至極です。でもそれが、「2ちゃんねる」であり「2ちゃんねる」のおもしろいところなんでしょう。極最近、妙に感じ入ったのが14期生掲示板上の 372 発言者 尾形先輩の書込みです。どんな方かは存じ上げませんが、あの文章を打っているときの尾形先輩の気持を思うとき、アンチュウの心と魂は揺さぶられます。「海自生徒総合スレッドパート2」は、あくまで「2ちゃんねる」らしくパート3・4と発展されんことを。
ところで、14期生・17期・22期のほかにHPを公開している期をご存知ありません?




2002年4月28日(日)      アンチュウより竹下へ
件名 : 14期生関先輩からの問い合わせ
お久しぶり。17Th Homeの掲示板に14期生ホームページを管理している関先輩からの書き込みがありました。「メール運びの先任海曹」の作成方法を教えてほしいとの事。竹下のアドレスを教えましたのでメールがあるかもしれません。一度、17Th Home掲示板をご覧下さい。
竹下からの返信メール       竹下了解しました。メールがきたら作成方法についてメールします。それより、高杉の件については、驚きました。第2報で、命に別状がないことを知り、少しほっとしましたが、彼の明るい性格を考えると、これからのことも心配です。佐世保の同期も大変でしょうが、何とか力を合わせて乗り切ってほしいと思っています。もし、我々に出来ることがあったら、また連絡してください。お、事態を知らせてくれた安中にも感謝しています。



2002年4月28日(日)         14期生 関先輩  17Th Home掲示板より  21時51分47秒
件名 : 教えてほしい
専任海曹が敬礼する図柄の作成を教えて下さい あれが出来ると カウントUPに有利と思います若い者に負けないように田舎でがんばっている先輩を 助けると思って 教えて下さい
アンチュウの返信投稿      メール運びの先任海曹のお問い合わせかと思います。彼は、アンチュウが作成したわけではなく 同期の竹下和哉が作成し17Th Homeに転勤させられてきました。(単身赴任です。)従いまして、彼の作成方法をアンチュウは分からないんです。竹下にお聞きになったほうがいいと思います。アンチュウからも竹下に先輩の投稿があった事をを知らせます。喜びますよきっと。尚,彼でよろしければ竹下の了解の下、14期生ホームページにももう一人を常駐させるのは17Th Homeとしてはいっこうにかまいません。むしろ海自生徒のメール運びとしておおいに使っていただいたほうがいいと17Th Homeは思っています。竹下のアドレスはメールで送ります。
アンチュウの送信メール    お問い合わせの件で、作成者の竹下和哉のアドレスをお知らせいたします。****@****です。竹下にも掲示板を見るようメールしてあります。よろしくお願いいたします。
関先輩の送信メール         ご配慮ありがとうございました   せきようぞう


2002年4月28日(日)        佐世保伊藤隆より高杉の第2報
件名 : 高杉の状況
今日の高杉の状況を知らせます。24時間の山は無事通過したようで眠り続けている。今日は血圧も120くらいまで戻って安定しているようだ。この情報は、先ほど臼井から聞いたもので佐世保の関係者は連絡済み。後は感染症にかからないことを祈ろう。 ー伊藤ー
アンチュウの返信メール      了解した。同期にはその旨、メールで送信する。


2002年4月27日(土)        佐世保 伊藤隆より 緊急メール
件名 : 事件だ!
高杉が大変なことになった。 昨日の夜(26日深夜)、高杉が大やけどを負ってしまって、緊急入院して危険な状態だ。 体の70%を、2度の重傷で今夜が第一の山だそうで、それを乗り越えても次は一週間後あたりまでが第2の山で、 その間に感染症にかからなければ大丈夫だろうという話です。 本人は意識があったけど、痛みで暴れて傷にさわるから薬で眠らせていて、傷が治るまではこのままでいくそうです。一時は、危ないので親兄弟を呼ぶようにということで、兄弟の人たちも病院に来ました。 容態に変化があったら、連絡が来るのでそのときはまた連絡します。    ー伊藤ー
アンチュウの返信メール          とりあえず、17Th Homeに掲載した。同期にはメールをそのまま送信する。     以上



2002年4月26日(金)      江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り015−02
 仙人部落の修験者、生徒等の霊峰弥山駆け登りが、4月24日霧がくすぶる中、行われました。生徒学年対抗成績は次のとおりでした。団体 優勝47期(2年生)水測、2位46期(3年生)通信、3位46期水測。4年生は、ブービーとアンカーでした。仙人部落の主として、秘伝の栄養をよく採り、貫禄がついてきたからでしょう。個人 優勝、2位とも45期(4年生)、3位46期でした。3位までは、海士課程の1位よりタイムが上でした。流石、生徒、そして、4年生!天晴れ!仙人部落の主。写真は、ミス宮島から記念の”しゃもじ”を貰っているスナップです。川浪2世 (右端)は、代表してミスに記念のスコードロンハットをプレゼント。残念ながら チュッはありませんでした。
 4月26日夕刻からリフレッシュウィーク(連休)に入りました。皆、巷の誘惑に負けず、休みが終わったら、部落に帰って来てね!
 富吉君が、5月上旬新型のミサイル艇3号の艤装員長(艇長)に転出します。仙人部落の教官として成果を挙げた?から、娑婆に叩き出します。武運長久を祈ります。
              娑婆に縁がない仙人より
アンチュウの返信メール      江田島仙人便り 015−02 ありがとうございます。17Th Homeへの掲載、遅くなりましたことお詫び申し上げます。さて、弥山登山競技ですか。アンチュウの頃は寒い頃にあったような記憶があるんですが・・・。ともかくキツかったことだけは身体が覚えています。写真を拝見すると当時と服装も違い、ミス宮島からのナンタラなんてのはありませんでした。もし当時もミス宮島からのチュッがあればアンチュウは脱兎のごとく駆け上りダントツの一等賞を取ったでしょう。・・・・飢えていたのでしょうか。



2002年4月26日(金)     佐世保 江田より
件名 : 佐世保から
アンチュウ 今日、アフガニスタン関連で派遣されていた護衛艦「さわぎり」が無事佐世保に帰港しました。「さわぎり」には臼井が乗っています。 まだ顔を見ていませんが元気に帰ってきてくれたことと思います。 さて、新年度には護衛艦隊の集合が佐世保で行われ、その際に電灯艦飾を実施していました、私の乗っているちょうかいは長崎の某造船所に入っていましたのでフネとしては参加しませんでしたが、会報に参加のため佐世保に帰った機会に写真を撮ってきましたので送ります。 フネは、左から「あさかぜ」、「みょうこう」と「きり型」です。 風もなく波静かでしたので電灯が海面に映りこんでいました。 気に入った一枚です。 長男が高校を卒業し小倉にある専門学校に行くため家を出て行きました、家でささやかに送別会をして送り出したのですが 一人居なくなったことで家の空気も微妙に違ってきています、 一抹の寂しさを感じると同時に、これも子供が成長したということかと喜んでいます、、、とはいえこれから2年間、学費、下宿代、食費を仕送りし続けることになります。 では、これからも元気で17th HPをよろしく! 江田 俊弘
アンチュウの返信メール         17Th Homeへの掲載、遅くなって申し訳ありません。ところで、伊藤隆より第1報がはいったけど高杉の様子はいかがでしょうか。     すばらしい写真、ありがとう。今まではHPの容量がなく掲載も躊躇せざるを得なかったのですが先日もお知らせの通り、今度は十分に余裕がありますのでドシドシ送ってください。   江田より送ってもらった勝山総監の送別会のCDも”17Th Home”で紹介して(掲載)いろんな人から見てもらえるようにしました。    子供が出て行きましたか。さみしいですね。自分も遠い昔、そうしたわけだからこれも致し方ないよね。我々は仕送りはしてもらわなかったけどね。でもこれも親の努め。せっせと送りましょう。   アンチュウは今年、一人終わりました。もっとも,子供二人は家から通っていましたけども それなりに大変でした。あと一人もう2年間 頑張ります。    さわぎりの臼井に会ったら17Th Homeのことよろしく伝えてください。彼のドバイからの葉書も17Th Homeに掲載されてますので。  では。



重永に送られたメールの数々を掲載いたします。
2002年4月25日(木)    氏野より重永へ
件名 : ほんとに久しぶり
氏野です。最近忙しくて、17thHPを更新していなかった。17thHPへは、立ち上げから随分と協力してきたんだけど。その中で君の辛かった時期のことが書いてあって、たいへんビックリした。でも、写真で見ても昔の面影は十分に残っているし、元気そうなので安心した。君とは、確か51年頃東京であったきりだと記憶しているが、その後自衛隊を止めたのやら音信不通になっていた。 伊藤隆からのメールでもあるようにそちらにはたくさんの同期(航空士)がいるので、なるべく会える機会を作るように希望します。オレの方は、先月末に陸上勤務(舞鶴海上訓練指導隊)となり、長年の艦船勤務とおさらばしたが、実はまだ艦には乗艦している。というのは、FTGなので各艦船に指導という形で乗り組んでいく。先週からも「のと」という小さな揚陸艦に指導に行ってる。明日からも出港する。娘二人とは大変だね。アンチュウも書いてたように、まさに君の娘だね。後1年学校があるということだが、まさにこれからの職には重要だと思うのでしっかり勉強して頑張ってね。そうそう、住所は舞鶴です。〒***−**** 京都府舞鶴市大波下****** 電話:****−**−****  携帯:090−****−**** 携帯アドレス:090****@****  これを機に何かあったらメール下さい。17thHPを通じて、ますます広がる輪に感謝。ということで、元気でネ!  失礼(^_^)/~    氏野良則
2002年4月25日(木)       重永より氏野へ
件名: ありがとう!
メールありがとう!氏野とは東通で会ったきりだよね。 電話の声も生徒の頃と変わってないよね。今俺も学校のレポートに毎日追われてます。まったく46にもなってから学校で勉強なんかするとは思わなかったよ(笑) もしこちらに来る機会があればぜひ連絡ください。 また、たまには電話ください! それでは(−_−)z z z 〒***−****  住所・・・神奈川県大和市林間*−**−** ヤ****** 3*3 電話番号・・・***−***−**** 携帯・・・090−****−**** (^_^)v重永幸敏
2002年4月25日(木)     重永より伊藤隆へ
件名 : 久しぶり!
(^_^)v重永幸敏         今晩は返事遅れてごめんなさい。隆の元気な声を聞いて俺も安心したよ。 今、学校のレポートが忙しいんだよ。46にもなって勉強するとは思わなかったよ(笑)   ここだけの話だけどかわいい女の子が2人美人系が2人学校にはいってきたんだよ。俺は年とっても女は大好きだね(笑) そういえば隆も女の子は好きだったよなぁ?もちろん山崎もね(笑)   とにかく障害に負けないように頑張るよ!   また、メール書くよ!!!(−_−)z z z   (^_^)v重永幸敏



2002年4月25日(木)           重永より
件名 : 元気?
返事遅れてごめんなさい。この前氏野からメールきてうれしかったよ。これも安中のおかげで感謝してます。それから山崎と氏野のところに電話したけど声は生徒のときとそのままだね。30年前と全然変わってないよ。俺もみんなとメール、電話などできて本当にうれしいです。これからも今の障害に負けないように頑張るよ!!!    また、メール書きます。(−_−)z z z    (^_^)v重永幸敏
アンチュウの返信メール    26・27日と二日間メールを見るのがやっとで17Th Homeの更新が出来ずもうしわけない。ゴメン。27日は、佐世保 高杉の件で伊藤よりメールがあり、とりあえずそれだけは、掲載しました。高杉の状態は第1報だけなので現在(28日1556)よくわかっていません。たいしたことなければと祈っているのですが・・・。



2002年4月25日(木)       江田島仙人よりアンチュウに届いた物
拝啓 御地は、山菜収穫の時が待たれる昨今でしょう。貴兄の元気な様子は、HP上で感じられます。それにしても、多忙な中、投稿メールを見て、編集するという膨大な作業は大変な負担になっていることと拝察しております。心から御礼申し上げます。奥様にも宜しく。気持ばかりの江田島の香りを届けます。ご笑納ください。他に希望の品があったら、連絡ください。  敬具        平成14年4月23日    江田島仙人こと 平井良彦       安中 均様
  ”江田島の香り”  と    文面

アンチュウの御礼メール         仙人、この度はたいへんありがとうございます。そして、恐縮しております。この ”17Th Home” は 私がつらいときに誕生いたしました。私がいの一番に ”17Th Home” に 投稿メールを下さる仙人始め、諸先輩そして同期にヤルキと力をいただいていると、大変感謝するとともに御礼を申し上げなければなりません。  ですから、17Th Homeの編集作業などまったく、大変と思ったこともありませんし、少しでも多くの同期がこれを見てくれて私と同じように感じてくれたらそれで大満足です。  これからも ”江田島仙人便り” よろしくお願いいたします。  さらに、「他に希望の品があったら、連絡ください。」との事、ありがたく承っておきます。いずれよろしくお願いいたします。  さらに、文面に生徒ラグビー部の写真を添えていただいたこと、仙人の心遣いに、女房共々おおいに感激いたしました。       平成14年4月25日       アンチュウこと安中均          平井良彦様



2002年4月24日(水)      アンチュウより今田俊介へ
件名 : メール送った?
久しぶり。  ところで メール送った?  なにやら アヤシイ添付ファイルのついたメールがきています。  本文はナシ。  いきさつをお願いします。
今田俊介の返信メール       あんちゅう   今日は岡山で朝を迎えています   お久しぶり   いつもHP見ているよ 本とにご苦労さまです   ところで小生からのメール きっとウイルスメールだと思うから即削除して下さい    どうしてかな? この1週間ぐらい会社のPCは開いてもいないから僕のPCから出たわけではないと思う   自然増殖してしかも送信人の名前をどんどん変えていく最近一番多いタイプだね   ご迷惑をお掛けしました   元気で17期のためますます頑張って下さい    しゅん     ps 小生の登録アドレスを変更して置いてもらえますか?   ****@****   でおねがいします



2002年4月23日(火)       新潟地連加茂募集事務所より
件名 : 第1術科学校長より電話がありました。
 4/23日 平井学校長より募集事務所へ安中さんからメールをいただいた旨、 電話をいただきましたのでご一報いたしました。   自衛隊加茂募集事務所
アンチュウの返信メール       いつもお世話になっております。このたびは、お気遣いいただき、ありがとうございます。どんな内容の電話かは知る由もありませんが、たぶん、私が開いているホームページに加茂募集事務所から海上自衛隊新聞を届けてもらっている事を掲載したのでたぶん、その事かと推察されます。  海自出身者としてはあの新聞はとても楽しみにしています。 ”17Th Home”というHPを開設していることもあって同期や関係者の情報を得るのには大変、役だっております。今後ともよろしくお願いいたします。   ところで、先日届けていただいた5月26日の募集相談員連絡会議と山菜狩りに参加さていただきますのでよろしく取り計らいお願いいたします。 場所がすぐ近くなので自宅より学習館のほうに直行いたします。



 2002年4月21日(日)       江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り014−02
投稿者が続々と増え、新プロバイダへの転換に嬉し泣きしているアンチュウの顔が見えるようです。ごめんなさーい!そして、サンキュー!
 仙人部落は、山の目映い緑の中で、梅の実が少しずつ大きくなり、仙人は涎を垂らしながら、もっと大きくなれ、もっと大きくなーれと、毎朝夕梅の木を撫でております。もちろん、可愛い生徒も新入りを含め、デッカクなーれと毎朝夕祈っております。仙人の祈りは悟りを開いている分、効き目十分?です。
 重永君の投稿メール拝見。脳出血の大病を見事に克服された様子、感激と敬意をもって、頑張ったねとエールを送ります。奥さん、お嬢さんと一緒の写真は、とても明るくて、逆に力づけられます。重永君もさることながら、ご家族の苦労は並大抵ではなかったと拝察致します。チェスト行け!重永!時間がとれたら、仙人部落へおいで!
 番上君の登場、嬉しく拝見。仙人の若返り薬を飲ませて、Jリーグに送り込もうか。
 人生いろいろ、山あれば谷あり、花の道もあれば、茨の道あり。逆境を、如何に前向きで生きるか。人を成長させるのは、決して能力ではなく、取り組む姿勢です。皆頑張ろう!
 今週は、弥山登山競技です。生徒も一般の中で対抗させます。成績は如何に?個人優勝すれば、ミス宮島にチュッ、お楽しみに!
”相変わらず部落巡検使を勤め、生徒に嫌がられている仙人より”
アンチュウの返信メール     江田島仙人便り  014−02 有難うございます。 さすが 仙人、遠く離れていてもアンチュウの気持を ”ズバリ!”と言い当てておられる。  まさに、「嬉しくて涙がチョチョぎれる。」というところなんで あります。ハイ。   先日、募集事務所の主任広報官が ”海上自衛隊新聞” を届けてくれました。 その中で、生徒部のスキー訓練の記事が載っており  世を偲ぶ仮の姿 1術校長・平井良彦海将補が 「視察に訪れ、生徒の訓練状況を見守った。」と記載されていました。・・が、 2月21日のメールによれば「・・とともに半日滑り・・」の記載が・・・。けっして新聞がウソを載せるわけがないし、ましてや仙人が・・・。  そこで、アンチュウは、次のように考えました。 「・・見守った」のは 1術校長、「・・半日滑った」のは 仙人。??・・・  ナットクです。 アンチュウのところにはありがたい事に”海上自衛隊新聞” が届き、江田島のチェックも怠りません。  新潟地連加茂募集事務所に感謝です。



2002年4月20日(土)      14期生下條先輩より
件名 : Re: 電話で失礼しました
ご返事有難うございました。エレベーターの保守点検、ご苦労様です。 私は、都内で、金融の通信関係のコンサルタントの会社におります。 直接は関係ないのですが、今、世間をさわがしている ミズホ銀行のシステムのような関連の仕事です。 上京されるおりは是非、ご連絡ください。    下條
      **−****−**** 会社           ****−**−**** 自宅



2002年4月19日(金)           鎌田恒之   17Th Home掲示板より    23時26分55秒
件名 : 久しぶり八戸からです
入ります!  前回安中に課題出されてから早4分の1半期過ぎたけど、俺のパソコンはがきどもに占領されなかなかカキコできませんでした。今八戸では桜がやっと満開になり(通年より十日早く)やっと春らしくなりました。 先日同期の皆や先輩に皆のメールを見せたところ、「余計なことを書き込むな」と某先輩に歯止めかけられたので手短に近況を報告する。  俺事だけど青森の春の自然に戯れて日夜山菜取りに励んでいます。他の連中は仕事の鬼と化し日夜がんばっています。これからも十七期のHPを楽しみに・・・  今日はこれまで、以上。帰ります!
アンチュウの返信メール     ほんと、久しぶりの八戸通信でしたね。 ”がきども”にパソコン占領されたんでは、アンチュウも攻められません。 ゲームであろうとナンであろうとパソコンに触れることはおおいに大切にしなければなりませんから。   アンチュウも山菜取り大好きです。休日、時間があると半日くらい近くの山に入っています。春の山菜はいろいろありますが一番好きなのは、”コシアブラ” です。  ・・・ 天婦羅で絶品です。  あの独特の味、”たらの芽”なんて問題じゃありません。  そう思いません? 鎌田君。   先輩に歯向かってまで17Th Homeに投稿はイケマセン。今日のような何気ない普段の生活のメールなら先輩も許可を出すでしょうし、アンチュウも嬉しいかも。



2002年4月16日(火)      14期生下條先輩より
件名 :Re: 電話で失礼しました
逆に番上に子守りをしてもらっています。Serverの移転、無事終わったようで何よりです。安中さんはSystem Admin関係のお仕事なのですか ?  下條
アンチュウの返信メール      こんばんわ。現在、アンチュウは、エレベーターの定期点検・保守・修理等をやっている会社に勤務し、マジメに職務にハゲんでおります。新潟県の地図で言うとアンチュウの生息している加茂市より下(南側)が主な活動地域で、時には長野市内なども行きます。



2002年4月15日(月)         源口健二     17Th Home掲示板より   22時28分52秒
件名 : 無題
雨の音を、聞きながらホ-ムペ-ジを見ています。次々に顔が浮かんでは、消えて 年輪を創要った顔が浮かびません。 と言う私も相当変わってしまいました。江田島にもずいぶん行っていない事にも、きずきました。一度17期のみんなにお会いしたい者です。  17期水測 源口
アンチュウの返信メール     源口健二生徒、どうしてますか?。アンチュウを覚えていますか?。17期の顔が浮かびましたか?突然のゆびとま葉書でオドロイたことでしょう。こうやって源口が書込みしてくれてアンチュウはなんと申しましょうかとてもウレシイんです。しかし、アンチュウは、源口生徒の顔も、歩き方も、体格も、話し方も、声も、臭いも、・・・・  忘れてしまいました。思い出せそうで思い出せない、イライラした気持がキーボードをたたきながらしています。きっと、すぐそこに源口がいるのにね。・・・アンチュウが17Th Homeの最初のページに記載したことは、ナンだったのだろうと、・・  ひょっとしたらアンチュウの思い上がりだったのではないだろうかと思っています。ゆびとま葉書を出すときに、きっとこんなことがあるのではないかとは思っていましたが、いざそうなってみると アンチュウは、随分、失礼な葉書を出したものだなと思うこともありますが、そこがアンチュウのいいところ、とにかく、出してみる。答えはついてくる。きっと、わかってもらえるゼッタイ、わかってもらえる。わからなかったらわからせてみせる。そんな気持でゆびとま葉書の住所をたたいていました。しかし、きっと 思いは通じると アンチュウは、自信があるのです。   これからです。



17期より重永に届いたメールの数々を紹介いたします。
2002年4月16日(火)     伊藤隆より重永へ
件名 : 電話番号連絡
今日は、台風みたいな風と雨でいやな一日です。先日のメールで、”電話番号を知りたい”とあったので知らせます。俺は****携帯****山崎****携帯****長倉携帯****竹原****携帯****  あと、他に知りたい奴がいたらまた連絡下さい。  俺の知り合いも、脳出血で右半身に麻痺が残っています。その人は、トイレで倒れたけど、ペットの犬が奥さんを起こしてくれたおかげで一命は取り留めました。倒れたのは62歳くらいの時で、保安庁を定年後でこれからゆっくりしようという時だったから、しばらくはショックと不自由さで、いらいらしたみたいです。 人生いろんな事があると思うけど、それを受け入れながら生活するしかないのかな?それじゃまた。 ー伊藤ー 
2002年4月16日(火)      重永より伊藤隆へ
件名 : ごめん連絡しないで!
あっそうか?俺も病気のほかにいろいろあったからなぁ!でも今では平気だよもう落ち着いたからな!俺が大和に来たのは平成02年9月ごろかなぁ!!!なんだ横須賀にいたんだったら会いに行ったのになぁ!野口には何回か電話したんだけどね。今度こっちにくる機会があればぜひ連絡してくれ!!!わかった電話してみるよ。お前の電話番号を教えてくれよ?また、山崎の電話番号も頼む!!!最近の写真を送っとくよ。暇な時でいいからメールください。では、また失礼します。
2002年4月11日(木)      伊藤隆より重永へ
件名 : 一人じゃないぞ
いろんな事があったみたいで、この4,5年は大変だったろうね。俺も重永ほどじゃないけど、いろいろあったよ。ところで、 いつそっちに移ったんだ。おれもH7〜H11年の3月まで横須賀にいたんだぞ。たしか、谷山に艦が入港したのが昭和の終わりくらいだから、最後に会ったのがもう15年くらい前になるな。大和だったら、厚木には同期が7人もいるから連絡を取って会ってみな。 竹下がメールアドレスを公開してるよ。
2002年4月10日(水)     重永より番上へ
件名 : ありがとう!
久しぶりです。元気で頑張ってるみたいだね。 メールきて本当にうれしかったよ。 なんか今までの4年前からの辛さが吹っ飛んだ感じだよ(笑) まじ、お前に電話してもつながらなくていつもどうしてるかなぁ!と思っていたんだ。 今度時間ができたら会いたいです。 じゃ〜失礼します。
2002年4月10日(水)     番上より重永へ
番上です。17期HPの掲示板見ました。 大変でしたね! でも、元気になり本当に良かったです。 少々辛いことがあっても、重永の頑張っている姿を思い出して、俺も頑張る! 一日も早い「現役復帰」を祈ります。 再会できる日を楽しみにしています。 それじゃ、また メールします。
2002年4月9日(火)      重永より伊藤隆へ
件名 : ありがとう!
伊藤隆?ありがとう!実は俺4年前に脳出血で倒れて右半身に強い麻痺が残ったんだ。でもお前のメール見てまじ今まで苦しんだ4年間が消えたように思えるよ(笑)ありがとう!今では神奈川障害者能力開発校というところで社会復帰のために電子制御(コンピューター)の勉強をしています。でも生活は労災になって安心してるんだけどね。また、不幸は続くもんで今年の1月27日に末期の胃がんで1人だけのおふくろがなくなったんだ。これにめげないでこれからはおふくろの分まで頑張っていくよ!!!最近の家の家庭を紹介しておくね。たまにはメールください!
2002年4月9日(火)    伊藤隆より重永へ
件名 : 久しぶり
佐世保の伊藤隆だよ。谷山港に入港したときに、会って以来だから何年ぶりかな?安中のメール配布で聞いたけど、体をこわしていたんだって?もうほんとに大丈夫なのか?今、俺は艦に乗ってないから鹿児島に行く機会がないけど、そのうち遊びに行こうと思っている。年齢的に無理が利かなくなって、病気も出てくる頃だからお互いに気を付けよう。暇があったらメールを下さい。 ー伊藤ー



2002年4月13日(土)       重永幸敏より
件名 : おはよう!
おはよう今日は、休みで今から箱根に行ってきます。  この前、(伊藤隆)と(番上)からすぐに励ましのメールがきて自分としても本当にうれしいでした。番上とは近いうちに会うつもりです。もちろん安中にも感謝してますよ。   安中は神奈川、東京に出張なんかあるの?  もしこちらにくる予定があれば連絡してほしいんだけど・・・     いつも夏になったら旅行は伊豆高原か下田方面だったんだけど今年は柏崎にかならず行きますよ。  あっ!この前の写真、女房写ってたよ。娘は二人でもう1人は女房だよ(笑)この前のメールのことを女房に言ったらまじうれしがってたよ(笑)     はっきりわかる写真を送るね!!!  返事待ってま〜す!!!             (^_^)v重永幸敏
アンチュウの返信メール     17Th Home移転作業のため、返事と掲載遅くなり申し訳ありません。   どうにか順調に引越しが出来たようです。   伊藤隆と番上からのメール、よかったですね。  さしつかえなければそのメールを送ってくれるか17Th Homeの掲示板に投稿していただけたらさらに二人の人柄がわかるし重永が嬉しかったメールを読んだみんなにもその嬉しさが共感できるのではないかな〜 なんて勝手に思っているアンチュウです。
写真、拝見しました。 やっと、重永が二人の娘さんの父だということが 「はっきりわかる写真」を見て、はっきりわかりました。(  ・・・・ 奥様、喜んでいただけるかな?)



2002年4月13日(土)       14期生下條先輩より
件名 : 電話で失礼しました
本日は夜分電話をいたし失礼しました。  番上と久しぶりに会いました。真面目な印象は昔のまま、 ちょっと髪の毛が薄くなったような気もしますが、私も腹が出っぱったぶん、お互い様です。 久闊を叙し近況を話し、最後はやはり、江田島の話になりました。遠泳訓練で潮の流れに阻まれ、泳いでも、泳いでも前に進まなかったこと、撓漕訓練で汗と塩水でしみる眼から、かすかに見えた津久茂の瀬戸、そしてそのの奥に広がる広島湾、江田島での4年間を思い出すと、いつも潮の香りがします。安中生徒が仰るように、江田島の潮の辛さを識っている、それが我々江田島出身者の原点だと思います。 あいつは潮の香りがする。 これは海に生きる男に対する最大の誉め言葉でした。        俺はは今でも潮の香りがするのだろうか ?  いつも自問自答しています。
今日は番上と久しぶりに旨い酒を飲みました。  ‘あの鼻、曲がれば生徒館が見ーええるうよ、赤い煉瓦にゃよーよ 鬼が住むよー‘    今日は少し飲みすぎたようです。    14期 水測 下條
アンチュウの返信メール      17Th Home移転のために返事が遅れて申し訳ありません。  まあまあ順調に引越しが出来たようです。   番上との久しぶりの一献、失礼   多献 、 よかったですね。  番上も元気そうで何よりでした。  今後とも、番上の子守り役、よろしくお願いいたします。



2002年4月12日(金)       湖西より
件名 : CD届きました
CD届きました。ありがとう    あまりの多さに驚きました。まだ全部は見ていませんが、今度の休みの日にゆっくりと見たいと思います。この前電話くれたときにも言ったと思うけど、Eメールアドレスだけど   ***@****でお願いいたします。
アンチュウの返信メール       17Th Home移転のため、遅れて申し訳ありません。   どうにか順調に引越しできたようです。  CDゆっくり見てください。  湖西自身が写っているのが何枚あるかはわかりませんがそれを探すのもまた、暇なときの時間つぶしとして最適かもしれませんね。



2002年4月12日(金)      森重辰雄よりアンチュウへの手紙
拝啓 春暖の候 皆様お元気そうで何よりです。懐かしい便りをいただき感激しております。先日、生徒OB会に参列し 伊賀から十七期ホームページのことを聞きました。残念ながら 当方 貧乏暮らし故 パソコンの購入のめどはついておらず ホームページ開設とはいかないところです。ということで 当分の間 手紙参加でお許しいただきます。あちこちと三年間周期で転勤しています。いや、あちこちといっても 呉と横須賀の往復で十八期のほうとはけっこう行来があるのですが十七期とは最近はすっかり疎遠となっていました。 一昨年 その十八期の飲み会の席で 「船に鍋島さんが来た」ということで 「辰あんはどうしてる?」と 聞かれたとのこと 鍋島も横浜の方にいるとのことですが 私も十七期のこともすっかり縁遠くなってしまったかと反省しています。 では 「友へ チング」の絵葉書が届いたということで 「元気です」の 挨拶まで      早々     安中均様     森重辰雄
アンチュウのヒトリゴト         とてもすばらしい筆書きの手紙で感激しました。本当は、すべてスキャナで取り込んで17Th Homeに掲載したいところですがほんの一部だけの掲載とさせてもらいます。本文はすべて上記に掲載しました。   文面の中で「当方 貧乏暮らし故 パソコンの購入・・・」と書いて来ましたがアンチュウも貧乏暮らしには一言も二言もあります。  ゆびとま葉書も貧乏人がゆえのありがたいサービスです。 200字以内の制限があるとはいえ、ナンセ無料ですからね。さらに二十数年ぶりの同期よりメールやら手紙やら届いて 「ゆびとま」さんには ホント 感謝しています。 パソコンであればこそ、できること。いい時代になったのでしょうか。



2002年4月11日(木)       14期生下條先輩より
件名 : 石塚生徒よりのMailです
14期 下條です。   17期 石塚生徒より下記のMailが届きました。硫黄島の慰霊祭に私が参加できるように色々骨を折ってくださいました。実際の面識がない私の為にここまでしてくださったことに感激してます 江田島出身者の絆の強さ、とても一般社会では得られない貴重なもの、大事にしたいと思います。
明後日は番上生徒と飲む予定、楽しみにしています。     下條
石塚よりのメール       遅くなって申し訳ありません。  そしてご期待に応えられませんですみません。  メールのあった次の日さっそく調整の電話を3空の方にいれたのですが、もっと早い時期に動いていたらしく硫黄島行きのP−3Cは席が一杯らしいです。  先輩の期にも連絡を入れたらしいのですが、同期の方代表は水戸先輩の同県人の方で同じET出身者の方が行かれる事が決まっているようです。  谷口先輩の方からも連絡すると言っておられました。お力になれなくて申し訳ありません。  これからも宜しく御願いします。    17期 石 塚
アンチュウの返信メール      ありがとうございます。  大変申し訳ありません、アンチュウは今(23:07)、このメールを開きました。  今晩は、近くの友人(54歳)が家に来て、いましがた帰ったところです。  本日このメールを17Th Homeには掲載できませんこと、お詫び申し上げます。  石塚よりのメール、拝見いたしました。  努力してくれてるようですね。(アンチュウが言うのもおかしな話ですが。)  そうやって、同期はもとより、諸先輩のつながり、絆を大切にすることは17期の全員の基本でありたいと、”17Th Home”は17期の全員に呼びかけたいと思います。  ” 明後日は番上生徒と飲む予定、楽しみにしています。”    とのこと、先輩と飲む前にこのメールを見せたいところです。・・が、そこは番上、”17Th Home”が呼びかけなくても、十分、心得ていることと思いますが。  いま、たったいま、アンチュウは思いました。  「江田島出身者の絆の強さ、とても一般社会では得られない貴重なもの、・・」との、記載がありますが、それはきっと、江田島湾の”海水の味”を知っているからではないでしょうか。  ・・同じ ”水” を飲んだ者の絆ではないでしょうか。  あの、江田島湾の海水の味を知っている、飲んだ、・・・     水戸先輩も、入口先輩も、下條先輩も、・・・・ほっとけの谷憲も・・、・・も、・・も、・・も、     番上も、石塚も、アンチュウも、・・・も、・・も、・も。きっとそうです。はからずも ”17Th Home” の最初のページの一番最後に 「17期とは、1971年4月5日に江田島大講堂の中の空気を吸っていた者。」 と言うふうに記載しましたが、それを 江田島出身者に置き換えると、 「生徒とは、江田島大講堂の中の空気を吸った者、江田島湾の海水を飲んだ者」 になりはしないでしょうか。    入口先輩は、江田島湾の海水に溶け込み、その海水を後輩生徒が飲み、そうやって、同じ海水の味を知っている者が増えてゆく。 我々17期もきっと、永遠と続いている江田島のそういう営みの中にあったのかもしれません。    いえ、あったのですね。   下條先輩のメールよりいろいろなことが広がります。  やっぱ、 ”神様” なんですね。  14期生は。    番上との飲み会、うらやましいです。   後日談をお待ちしております。



2002年4月9日(火)       重永より
件名 : こちらこそよろしく!
俺の方こそ感謝してるよ。すぐメール来てうれしかったのはまじこっちのほうだよ。今までの苦しかったことが吹っ飛んだ感じだよ。  俺も生徒の17期出身!この障害に負けないように頑張るよ。  今年は社会復帰するつもりだ。  安中に俺の家族を紹介しておくよ。なんか写りが悪いけど実物は まだ、いいからなぁ!!!(笑)    これからもヨロピク!    (^_^)v重永幸敏
アンチュウの返信メール      返事、遅くなって申し訳ない。  17Th Homeに重永からのメールを紹介してから いいことがありましたか?  文面から察するに、又いっそう、元気が出たようで、アンチュウとしても、17Th Homeを見てくれているみんなもきっと    ウレピイ。?    きれいな娘さんが3人ですか。いいですね。   奥さんが写っていないようだけど どうしたの?      夏に柏崎に来るとの事、ナンとしても都合をつけるので、予定がハッキリしたら連絡ください。    アンチュウはアヤシイ男ではない事をこの写真に写っていない奥様にくれぐれもお伝えください。    いつでもメール待っているし、17Th Homeの最初からの約束事でアンチュウに届いたメールはすべて17Th Homeに掲載します。    将来の楽しみのために。



2002年4月9日(火)       佐藤豊より
件名 : メールアドレスの削除のお願い。
配置換えによりこのアドレスの使用が出来なくなりました、削除緒お願いいたします。 転勤したわけではないので、市ヶ谷に居ます。 なお、残念ながら、インターネットのアドレスは有りません、ホームページは時々覗きます。 宜しくお願いします。       佐藤豊
アンチュウの返信メール       了解しました。   ・・・・残念。・・・・    同期には、その旨、送信しておきます。   これからも ”17Th Home” 見てね。



2002年4月9日(火)        氏野より
件名 : 久しぶりにメールします。
いよいよ新年度が始まり、みなさん忙しいことでしょう。  母校でも「涙の卒業式」が終わり、なんと48期が入ってきたとか。  むかし部隊に出てから、はるか遠い先輩から「おまえ達17期か?生徒も、もう△▼年も経ったのか!」と言われたことがあるが、17期の我々から見ても、まさにその心境が解るというもの。  さて、挨拶が遅れましたが、「3月28日付 舞鶴海上訓練指導隊勤務を命ぜられ、同日着隊しました。」  艤装も含め、20数年の艦艇勤務。中でも「しまかぜ」「みょうこう」、「63護隊司令部」と渡り歩いてきた、この約15年間は本当に充実した、かつ忙しい時期でした。それ故、弁当持ち生活は何かしら寂しさを感じます。しかし、めげずに陸上勤務に精を出し、エンジョイすることを誓います。 先日佐世保での合同群訓練には、早速の出張で三晩とも、同期・教え子・通信関係者等と掛け持ち宴会の連続でした。  何しに行ってきたことか(^_-)   ということで、もう各地に行くこともないでしょうが、現役組は電話でもしてきて下さい。待ってます。  最後に、湖西のメルアド知らせてくれてありがとさん!  早速メールしました。 湖西とは、3年の夏休暇で一緒に返還になったばかりの沖縄へキャンプに行った思い出が今も強烈に残っています。
アンチュウの返信メール     久しぶりでした。  20数年の艦艇勤務、ご苦労様でした。  これで、「お金も体ももちません。」 っというような 宴会漬けの日々からもおさらばできるのでしょうか?   っま、オヌシの事だから ナンノカンノと理由をつけて 出るんでしょうな〜。   湖西より連絡が取れて、ホント、よかった。どんなメールのやりとりをするんでしょうか?   陸幕弐部別室に依頼して、傍受しなくては。



2002年4月8日(月)      吉原   17Th Home掲示板より  22時37分13秒
件名 : アンチュウへ
先日大谷へこのホームのことを教えようと電話したのだが息子さんが出て何時帰るか分からないとのことだったのでこのホームを見るようにとの伝言を伝えたのだが見てくれたのかな?ところでアンチュウ"力作"のCD、私も見てみたいものです。
アンチュウの返信メール      
大谷への電話、アリガトウ。   しかしながら、大谷からの音沙汰は今のところ、ありません。  しつこく、又電話してもらって、アンチュウがメールを待っていると伝えてください。   CDの件、送ります。最新の住所を聞かせてください。     こんなのも入ってますよ!



2002年4月8日(月)     重永幸敏より
件名 : ありがとう!
安中元気?やっと元気になったよ。  今日突然ハガキがきたのでびっくりしたよ。  実をいうと俺、脳出血で4年前に倒れたんだ。2年間はベッド生活でした。本当は市ヶ谷に行きたかったんだけど体が思うように動かなくて・・・  それで今は社会復帰のために神奈川障害者能力開発校という国立の学校でコンピューターの勉強をしてるんだ。  あと1年あるんだけどね。  今年は俺が一番落ち込んでる時に知り合った柏崎のメル友に旅行がてら家族で会いに行くんだ。  暇な時でいいですから返事ください。  TEL ***-***-****    (^_^)v重永幸敏    ****@*****      ***−****−****
アンチュウの返信メール       昨夜(8日)は、突然電話して失礼いたしました。  17Th Homeの更新を終わって、サーバーに送って確認のため17Th Homeに行ったら掲示板に重永の書込みがあるではないか。  さらにつないでるついでにメールの送受信をしたらメールまで届いていて。  アンチュウも嬉しくなって思わず電話をしてしまいました。  大変だったんですね。・・・   もっと早くお互いのアドレスを知っていればアンチュウだけでなく17期の誰かがきっと力づけ出来たのにね。  ゆびとま葉書のおかげでこうやってメールのやり取りが出来たこと、うれしいね!!。  どんな状況にあろうとも、ケッシテあきらめず、前向きに物事を見、考え、実行しようではないか。  行動をおこすことが第一歩とアンチュウは思い、ゆびとま葉書もその具体的行動のひとつなのです。  これをきっかけに 17期とのコミュニケーションが広がる事を祈ってます。  アドレスと電話、同期に ”CC” で 送信します。



2002年4月8日(月)      重永幸敏   17Th Home掲示板より   22時05分02秒
件名 : みんな頑張ってる?
17期のみんな元気で頑張ってますか?俺、4年前に脳出血で倒れて右半身に強い麻痺が残ったんだけどやっと元気になったよ!今、神奈川障害者能力開発校という学校で、社会復帰のためにコンピューターを勉強してます。よかったらメールください。また、17期のホームページの管理人安中には感謝してるよ。ありがとう!!!夏には柏崎に旅行がてら家族で、メル友に会いにいくつもりです。これからみんなよろしくお願いします。



2002年4月8日(月)      藤原より
件名 : Re
こんばんは。元気でやってる?湖西のアドレスだけど、湖西がOKだったら教えてもらいたいんだけど。急がないんで面倒ですがお願いします。  藤原
アンチュウの返信メール      ゲンキです。このメールと同時におくります。是非、湖西にメールを。



2002年4月8日(月)      アンチュウより
件名: 湖西敏広の住所とメルアド
同期諸兄、今晩は。  ご存知のように、ゆびとま葉書を出したことで、湖西敏広より掲示板に書込みがあり、アドレスと住所をメールで送信してきたので ”CC” で送ります。
***************************
〒314−0115
茨城県鹿島郡神栖町知手********
   п磨磨磨磨|**−****  携帯***−****−****
Mail Address
  ****@******* 

***************************
彼は、昨年3月より四国の地を離れ、目下、単身赴任とのこと。  さぞかし寂しい思いをしていることと思われます。 17期のコミュニケーションの拡大を。



2002年4月8日(月)        江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り013−02
仙人部落に新しい仲間がやって来ました。そうです。生徒48期の64名が今日入校しました。大講堂での式では、一週間で、かくも機敏な動作が出来るようになったかと感激、雨あられでした。後輩の成長を見守ってやって下さい。ちなみに、生徒出身者の子息は、18期生水測の山田君の子息以下4名です。 先輩は、生徒隊歌斉唱、歓迎パレードで後輩を迎えました。今後も可愛がって欲しいと願わずにはおれない仙人でした。 桜のない入校式で、主役は、正に生徒達でした。17期諸兄、大講堂に集った日を思い起こして、HPを盛り上げよう!     新たな仲間から、若さを貰おうと企んでいる仙人より
アンチュウの返信メール       江田島仙人便り、ありがとうございます。  64名ですか。  きっと、緊張していたことでしょうね。  アンチュウも覚えています。  昨日(7日)までは、「お客様」、今日(8日)からは「生徒」。  きっと今晩の消灯後、黄色のオニ達がそう吠えるに違いありません。  「明日からはどうなるんだろう?なんでこんなところに来たんだろう?」と不安になりながら、息を殺して身動き一つせず聞くことでしょう。  仙人の願いは、青や黄色のオニ達が間違いなく かなえてくれるはずです。   ・・・・可愛がってくれるはずです・・・・。   おそろし〜。    っと、いうような事は、17期の時代でした。     チャン チャン!!



2002年4月7日(日)        橋本和昌  17Th Home掲示板より    10時26分26秒
件名 : 無題
気になる情報     平成15年度の採用をもって海自生徒の募集が打ち切られる?  中堅海曹を育成すべく創設された制度だが、半世紀を経て時ここに来たり、か・・・と、一抹の淋しさを隠しきれない。  信頼できる情報か否か知りたい。



2002年4月7日(日)        湖西敏広より
件名 : そうじゃないよ!
安中が考えてるような気持ちでメールしたんじゃないよ。葉書を貰って17期のHPを見て懐かしさの余り涙があふれて、「17期とは・・・」の記載の意味も充分理解して、だから小松のことも書いたし、俺も17期と思ってるよ。子供にだって自慢してるし。江田島を見せてやりたいし、「こんな所で父さんは青春時代をすごしたんだよ」と胸を張って言えるし。(でももういっしょに旅行してくれないけど。) そうじゃなくて、17Th homeをよく立ち上げてくれたな・・・と感謝の気持ちでいっぱいでお礼の意味をこめてうまく言えないけどわかってくれないかな 社交辞令かな? 話は変わるけど、安中の彼女って大島のとてもかわいい娘だったよね? 住所とメルアドの件OKです。
***************************
〒314−0115
茨城県鹿島郡神栖町知手********
   п磨磨磨磨|**−****  携帯***−****−****
Mail Address
  ****@******* 

***************************
アンチュウの返信メール      昨夜は電話をして話が出来てよかったね。アンチュウは勘違いをしていたと、このメールを読んでも昨夜の電話でもハッキリした。もうしわけない。今日(8日)、さっそく藤原より湖西のアドレスを教えてとメールが届いている。このメールといっしょに送信します。
”話は変わるけど、安中の彼女って大島のとてもかわいい娘だったよね?”    そうです。とっても可愛い娘だったんです。  でも、今の女房はもっと可愛いぞ!! なんたって 佐世保産ですから。      又メールを送ってください。待ってます。



2002年4月6日(土)       湖西敏広  17Th Home掲示板より    10時40分20秒
件名 : 30年前の記憶が
ゆびとま葉書を受け取りました。ありがとうございます。懐かしくて30年前の江田島にいた少年時代を思い出しました。辛かったカッター訓練、ミセン登山、古鷹山、水泳大会、遠泳、もちろん17期生の当時の面影等とても懐かしく拝見させていただきました。私は今、転勤で茨城県にいます。昨年の3月から単身でです。一昨年、佐賀の小松が突然訊ねてきました。伊万里でタクシーの運転手をしてると言ってました。今度、江田島に行こうと思います。最後に、17期生の益々の活躍を祈ってます。
アンチュウの返信メール      湖西、元気そうで何よりです。掲示板投稿ありがとう。感激しました。涙が出ました。しかし、最後の言葉がアンチュウには気に入りません。まるで、他人事のような ”17期生の益々の活躍を祈ってます。” はないでしょう。湖西、君も間違いようのない17期なんです!!。17Th Homeの最初のページの下に小さくではありますが「17期とは・・・・」の記載の意味をよくよく考えてください。現役組であろうと退職組であろうと、数日間であろうと数年であろうとあの大講堂でおなじ空気を吸ったじゃないですか。同じ緊張感を感じていたじゃないですか。さらにいえば同じメシを食い、同じ水を飲み、同じトイレを使い、同じ風呂に入り、同じ部屋に寝て、同じ指導(シゴキ)に耐え、つらい涙を流し、嬉しい笑い声を上げていっしょに喜んだじゃないですか。中退組?・・ 卒業組?・・ 現役組?・・・・・・   もし、どうしても17期を区別しろと言われても、どうしても区別はできようがありません。それぞれの個人にとってそれは、ひとつの節目でしかないからです。それぞれの17期生のそれぞれの人生があるのはあたりまえの事。江田島での生活が長い・短いを他人が語るのはまったく意味がありません。江田島でのあの生活を同じように過ごした事実は事実としてあるのです。あの生活をたとえ数日間であってもした者がすべて17期なんです。
17Th Homeを立ち上げるにあたってのアンチュウの基本中の基本の考え方として、この17Th Homeを見ていてくれるすべての人が理解してくれているはずです。しつこくなりました。・・・ゴメンね。ともあれ、ホントにありがとう。アンチュウの作成したCDを送ります。住所を連絡ください。
アンチュウの返信メール     前文を送信後に風呂に入りながらだいぶ 余計なことを書きすぎたと大いに反省しながら、汗を拭いています。ひとつ、書き忘れました。同期のアドレスがわかると全員に ”CC” でアドレスを公開しています。現在、アンチュウが把握しているのは、34名です。もし、湖西の了解が得られれば公開したいと思います。17期の絆を深めるためにも、よろしくお願いいたします。住所の連絡と共にアドレスの件もよろしく。(住所は、公開していません。)    アンチュウの気持が少しでも 湖西に通じることを祈ります。



2002年4月5日(金)     伊藤(佐世保)より
件名 : Re: 今日の報告
総監部で観桜会がありました。 それとは関係なく、同期会を決行しました。   2次会、3次会で15期の諸先輩と一緒になりましたので写真を添付します。 ちなみに、それぞれの勤務先は 氏野(舞鶴FTG)、野口昌(はたかぜ)、大石(くろべ)、窪田(くらま) 鹿野(せとぎり)、山崎(はるゆき)、竹原(おおよど)、 15期の平田さんは「きりしま」、高田さんは(佐監、広報)というところです。   もう3時を過ぎたので、寝ます。 おやすみ     ーいとうー
アンチュウの返信メール      連日連夜の斥候部隊、ご苦労様です。 総監部での観桜会にも関係なくの、同期会の決行、さすがと言うべきか、やっぱりというべきか。 あほー!っと言うべきか。    結束の強固さを佐世保の夜に開花させて どないするんじゃ〜!!



2002年4月4日(木)       14期生下條先輩より
件名 : Re: お電話ございました
お返事ありがとうございました。  安中生徒のおかげで早速17期石塚生徒より連絡をいただきました。 ありがとうございます。  それと前のMailで水戸が殉職したのは47年ではなく48年の間違いでした。  30周年ということで逆算してみましたが、29年前の昭和48年でした。  訂正します。   下條
アンチュウの返信メール        返信と、17Th Homeへの掲載、遅くなりまして申し訳ありません。 石塚から連絡があったとのこと、よかったです。 石塚は確か、同期の沢本が殉職した頃、沢本の家族へ17期の卒業アルバムを貸したままで、返してとも言えず・・・と  ちょうど一年前の17期30周年でいっしょになったとき話していたような気がします。          心やさしき ”アインシュタイン” です。



2002年4月4日(木)        江田より
件名 : 佐世保100周年
江田島仙人 様   度重なるずうずうしい注文に早速の送付を頂きありがとうございます。 早速我が家のハイテク音楽家に打ち込ませ懐かしく聞いています。 ところが、いらぬ操作をしたため折角の隊歌をおかしくしてしまいました、 しかしながら歌うのと違ってパソコン操作であれば私にもできますので自力で立ち上げ直してみるつもりです。  江田島では48期生徒が入村したとのこと、今頃は陸上基本教練に頑張っていることでしょうね。 あのころは石橋教官がつばを飛ばしながら教えてくれたものですが 今はどんな教官が居られる事でしょうか?  ここ佐世保でも桜が散り始めていますが、EFの合同群訓練が市制100周年の佐世保で行われており、イルミネーションで花を添えています。   さて先日怪しげな人物が立神岸壁に入り込み情報収集に努めこんな写真を撮ってきましたので報告します。    江田 俊弘



2002年4月4日(木)       伊藤(佐世保)より
件名 : 同期会
佐世保に艦隊が集合しています。昨日集まった同期です。他にもいるから、明日飲むことになっています。明日の写真は、また送ります。佐世保の夜は、今とても賑やかです。俺も体が持たないから、2勤1休(夜の付き合い)にしています。では次のメールをお楽しみに。      ー伊藤(佐世保)ー



2002年4月3日[水)       江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り012−02
お待たせしました。いや、毎度お手数をおかけします。仙人部落の桜は、48期生徒の入村後、涙を誘うかのように散り始めました。
1 今朝、山を降りて、生徒部落の様子を探りに行きました。1年生は、先輩達の基本教練を、幼い顔で眼をくりくりして見学していました。
     皆も頑張ってねと祈りつつ立ち去る仙人でした。仙人部落への正式な仲間入りは4月8日です。可哀想!
2 生徒隊歌を探しましたよ。埃だらけの仙人の秘蔵の倉には無かったので、部落中の昔紅顔の生徒のごっつい手を借りました。
     流石に年寄り格、ちゃんと持っているのですね。サンキュー!          恥をかかなくて済んだ、しかし小さくなっいる仙人より
アンチュウの返信メール      仙人便り012−02  ありがとうございます。  生徒隊歌の楽譜、ありがとうございます。  流石,仙人。よくもあったし、よくぞ探したものだと感謝感激しております。  江田はこれを音楽家に渡し、音楽家の伴奏で自分が歌うんでしょうか。  まさか、CDに吹き込んで同期に送ってなんかこないですよね。  あれ?・・・   江田の歌は聞きたくないみたいに聞こえます?    何はともあれ、江田のお願いとそれを聞いて頂いた仙人のおかげで生徒隊歌  ・・・♪♪ 桜咲きそむ〜春4月・・・ は、何十年ぶりに日の目を見ることになりました。  何人の音楽家が演奏し、何人の歌手が・・・♪♪ 桜咲きそむ〜春4月・・・ とドナるのでしょうか。      「どうだ。仙人の力をみたか。」と 大きく出ましょう。 それだけの価値があります。 ・・♪♪ 桜咲きそむ〜春4月・・・     アンチュウも CD 造ろうかな・・・・・。



2002年4月2日(火)        14期生下條先輩より
件名 : Re: お電話ございました
ご協力感謝いたします。 水戸は3空配属で、昭和47年4月26日未明、硫黄島沖で殉職しました。 当日、私は、当直海曹で21空群 101空の当直室で詰めておりました、0600頃 通信班よりの緊急連絡を受領しに行ったところ3空P2V7 帰投せず、そして搭乗員の中に水戸の名前を発見したときの驚きは今でも覚えています。 生徒出身の航空士は落ちても必ず助かるというジンクスがあり楽観しておりましたが、101空から派遣された同期、同郷の国井達、その他、全軍あげての捜索にもかかわらずついに機影、遺体とも発見されませんでした。戻ってきた国井から捜索の模様を聞きましたが、漂流物を発見し空からマーカーを投げると鮫が寄ってきたそうです。あれから30年、当時のことを思い出すと、今でも胸が痛みます。14期だけでなく同じ江田島での生活を体験した、多くの先輩、同期、後輩からのメッセージが届けられれば良い供養になると思います。  宜しくお願いいたします。     下條
アンチュウの返信メール        下條先輩、詳細なる状況説明をありがとうございます。ちょうどと言うか何と言うか当直だったのですね。さぞかし驚かれたことと思います。・・・・下條先輩の提案、すばらしい供養になるでしょう。毎日、14Th Home掲示板チェックしています。


2002年4月2日(火)    アンチュウ   17Th Home掲示板より    22時56分26秒
件名 : ”14期のひとり”先輩へ
ゆびとま葉書を送るため、17Th Homeの更新が出来ず、申し訳ありません。
”14期のひとり”先輩、書込みありがとうございます。48期生ですか。・・・歳をとったのは事実なんですが、インターネットを通じてこうやって同期やら先輩やら仙人とまでもやりとりしていると あまり感じないのですが48という数字には実感が湧きません。  不思議なカンジ。




2002年4月2日(火)     アンチュウ  17Th Home掲示板より     22時41分08秒
件名 : ゆびとま葉書送付中
ゆびとま葉書という無料で遅れる葉書のサービスが始まっています。  アンチュウは30周年の名簿の中から現役でない同期を中心に本日、50名に葉書を送りました。  内容はこの17Th Homeの紹介です。  200字以内という制約のため文面に苦労しましたが この17Th Homeの存在を知ってもらうには充分だと思います。  さて、誰からこの17Th Homeにメールがあるか、掲示板に書込みがあるか楽しみです。尚、逐次住所のわかる同期には送りますのでヨロシク。
マチガイ    ”遅れる”を ”送れる” に 変更。遅れたら てーへんダ!!



2002年4月2日(火)      14期のひとり  17Th Home掲示板より    21時22分15秒
件名 : 無題
「上田」君へ      上田君から提案のあった「入口」の江田内への散骨の件、昨日行った。 入口も古鷹山や生徒館を毎日観ながら青春時代を思い出すとともに後輩達を見守っていてくれるものと思う    今日、お姉さまにも報告し了承していただいた。提案ありがとう 14期を代表して感謝する。  ところで17期諸君、君達の恩師「仙人(?)」の住む島においては4月1日、48期生徒が着校、4月8日の入校式を待っているとのこと。仙人は、君達に接したと同様厳しさの中にも優しさと暖かみを持って後輩達を育ててくれるものと思います。本日の天気晴れ、まさに生徒日和



2002年4月2日(火)       吉原  17Th Home掲示板より   19時22分56秒
件名 : 転勤しました。
3月25日付第三術科学校学生隊(下総)に転勤になりました。今後ともよろしくお願いします。



2002年4月1日[月)          江田より江田島仙人へ
件名 : Re: 江田島仙人便り011−02
江田島仙人 様   江田島の桜も満開の御様子ですが、ここ佐世保もこの週末がちょうど見ごろで、EF合同群訓練に集まった部隊乗員も楽しんでいる事と思っています。  さて、先日は生徒隊歌の楽譜についての要望に早速に秘蔵の楽譜を送っていただきありがとうございました。  昨日我が家の音楽家に頼んで音楽ソフトに打ち込んでもらいピアノの伴奏で聴いてみました、私の場合自力では対応できませんがこうして伴奏が付くと練習すれば何とかなりそうな気が致します。  今回送って頂いた小術校生徒隊歌は私たちが生徒の頃に作られたものですが、これ以前にも1術校生徒隊歌があり、17期には1術校生徒隊歌にも深い愛着があります、 もし古いものもありましたらと思ってあります。  お忙しい、、、であろうと拝察しております、、、、 江田島仙人様のお手を煩わすことは本位ではありませんが手がかりなりありましたらよろしくお願いします。     17ET 江田生徒



2002年4月1日(月)         アンチュウより
件名 : 4月になりました。
同期諸兄、日頃は17Th Homeにご協力いただき誠にありがとうございます。    3月は、神様14期生に不幸がありましたが、呉の上田をはじめ、それぞれのところでそれぞれの形で入口先輩を送ったことと思います。   ありがたいことに14期生の諸氏より御礼も届きました。   これからも一致団結、イキアシのある17期をさらに高めて行きたいものです。   14期生下條先輩からのお願い事が17Th Homeに掲載してあるので必ず、ご覧ください。     おかげで34名の同期にメールを送信できるようになりました。   これからも一人、二人と増えるようご協力、お願いいたします。