17Th Home 徒然草 2002年3月

2002年3月31日(日)        14期生下條先輩より
件名 : お電話ございました
先ほどは電話をありがとうございました。思いがけないことで感激しました。掲示板に書きこむのは初めてなものでしたので、良くわからず、確かに電話番号を書いたのは軽率だったかも知れません。 ただ、あの掲示板を見る人に悪い人間はいないと信じてます。 さて水戸生徒の慰霊祭の件ですが、彼が眠る硫黄島の海に皆のメッセージを流したいと思います。 これは14期だけでなく、生徒全員から受付けたいとおもます。有志の方、私宛にMailかFaxをおくっていただけるように皆に連絡していただけますでしょうか ?  勝手なお願いで申し訳ありませんが宜しくお願いいたします。         下條善麿
yshimojo52@hotmail.com      bbays@twics.com      277‐0054 柏市南増尾4‐8‐3  Tel 0471‐72‐0569
アンチュウの返信メール       昨夜は大変失礼いたしました。  飲んだくれて寝床に帰ってきて いつものように14期生ホームページ ”14Th Home” (17期では以後、14期生ホームページ を ”14Th Home”といたします。関管理人、事後承諾をお許しください。)の掲示板を見たら下條先輩の書込みと電話番号が記載されていたので、思わず、電話してしまいました。      番上と連絡が取れたとのこと、良かったですね。   水戸秀樹先輩の慰霊祭の件、了解いたしました。  17期のアドレス判明者34名にはその旨、送信します。    アンチュウの持っている資料によりますと水戸秀樹先輩(航空士 電測)は 少術校卒業後、3空に配属されたようですね。そこで 昭和47年 P2V-7で殉職されたのでしょうか。      ・・・ご冥福をお祈りいたします。



2002年3月31日(日)         江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り011−02
1 仙人部落の桜は満開になり、娑婆の人々に開放しております。花をじーっと眺め、桜餅に変えるのは仙人の得意技の一つでーす。
2 前号でお便りしたとおり、44期卒業式で最初に瞼が潤んだのは大声の生徒隊歌を聞いた時でした。仙人部落中に響き、桜も松も聞き入っていました。
    将来が楽しみな音楽家の子供を持った某君が楽譜を探しているとのこと、仙人部落の倉に秘蔵されていた楽譜を送ります。
3 17期HPの存在を教えてくれた副官の青島君が、仙人部落の生活に見切りをつけ、中級機関学生へと出て行きました。素晴らしい副官でしたが、
    構内巡検使たる仙人の後をつけまわすのを、まくのにだけは苦労しました。横須賀での都会人生活に溶け込んで健闘することを祈ります。
                   ・・・・・・鶯に生徒隊歌をリクエストしている江田島仙人より・・・・・・
アンチュウの返信メール        江田島仙人便り011−02   誠にありがとうございます。
1   アンチュウは毎年、2月になるとすぐに桜餅を所望します。甘い物はあまり好まないのですが桜餅だけは別格です。仙人、技を磨いて
      ”桜酒” なるものもいいのですが・・・。
2   秘蔵の楽譜、ありがとうございます。しかし、ちょっと違うんですね。17期が知っている生徒隊歌は   ♪♪ 桜咲きそむ 春四月・・・  で始まります。
     武田虎二作詞 高山実作曲とあります。お忙しい御身、「♪♪ 桜咲きそむ ・・・をお願いいたします。」とは言えません。
     でも、蔵に入って探すんでしょうね   仙人は。    ・・・きっと。
3   17Th Homeでも紹介の通り、優秀な情報収集能力を持つ青島元副官より 「仙人部落より開放された」とのメールが届いております。
     彼は「躊躇した」と言っておられますが、それがご縁で今日もこうやってメールを書ける楽しみを与えてくれました。
     17Th Homeにとっても うれしいことでした。     ご活躍をお祈りいたします。
                ・・・・・仙人に「蔵を探して!」とお願いしている鶯より・・・・・・



2002年3月30日(土)         アンチュウより17期へ
件名 : 江田俊弘生徒のアドレス
このたび、江田俊弘のアドレスが判明しましたので本人了解の上、公開いたします。  アドレスは以下のとおりです。  ****@****    これからもお互いのコミュニケーションをはかるべく  ”17Th Home” は努力いたしますので ご協力、よろしくお願いいたします。   江田の初メールは17Th Homeに掲載済みです。ご覧ください。    尚、この他にアドレスを持っている同期がわかったら アンチュウまで連絡と 17Th Home の紹介をよろしくお願いいたします。



2002年3月30日(土)         江田俊弘より
件名 : Re: OK
アンチュウ 様   返信ありがとう、早速宣誓の写真を見ました、   こうして見直すと何も知らなかったけれど、純粋にお役に立つ人間になりたいと思ってた頃に戻れるような気がします。    さて、問い合わせの件はもちろん差し支えありません。    特別サービスで送別会の写真をCD-ROMで送ります。   楽しみに待っててくれ。   生徒隊歌の歌詞を見て思ったのは「当然楽譜もあるよね?」    楽譜があるなら、息子に伴奏をさせて練習することもできるなと思うのですが、どなたか楽譜を持っていませんかね?         江田 俊弘
アンチュウの返信メール        アドレスの件、さっそく 我、17期と江田島仙人に ”CC” で送信します。    ”特別サービスで送別会の写真をCD-ROMで送ります。 楽しみに待っててくれ。”    とのこと、 ありがとう。     この前のメールでも書いた通り17Th Homeには余力があまり無いけど 今日や明日の楽しみだけではなく、10年後、20年後の楽しみとして喜んでいただいておきます。     さて、生徒隊歌の楽譜の件ですが、生徒隊歌に楽譜はあるのでしょうか?   生徒時代、諸先輩の指導のもと、口移し的に歌ったような記憶が。    (ホームページ的に  ・・・・江田島仙人、生徒隊歌の楽譜はあるのでしょうか?)    しかし、江田、まさかオヌシが練習して歌うんじゃないだろうね?



2002年3月30日(土)        uemisa105より
件名 : 写真
3週目にやっと撮影日和に恵まれ、我が家の裏山、野呂山中腹の鉢巻き山から瀬戸内海を望んだ写真を撮りましたので送ります。HPに載せてください、よろしく。    3.29(金)職場(呉基地業務隊)に利光(大分地連勤務)が教育隊新入隊者を連れてきていたのでHPのこと知らせました。
アンチュウの返信メール         鉢巻き山からの写真ありがとうございました。  ”HPに載せてください、よろしく。”   ッとくれば ほかならぬuemisa105の事、載せねばナラヌ〜。     撮影の日付と時間が記載されていないけど桜を見る限り、葉も少しでているようだし散りぎわでしょうか?   アンチュウの生息している新潟県加茂市ではまだ桜はつぼみが膨らんで桜の枝全体が赤っぽくなっているような状態です。   こちらの見頃は「アンチュウ予報官」によりますと4月の7日頃ではないかとの情報です。   貧乏人のアンチュウはデジカメを持っていないのでこちらの仲間より拝借し17Th Homeに掲載したいと思っています。  オタノシミに。
利光よりのメールは期待していいんでしょうかね?



2002年3月29日(金)        江田俊弘より
件名 : 勝山分隊長送別会写真の送付
安中 様   お久しぶり! 元気にお過ごしのことと拝察します。   さて、すでに聞いていることと思いますが、先日佐世保総監をしておられた我らが分隊長勝山さんが自衛艦隊司令官に御栄転になられ、佐世保地区の生徒13期から18期が集まり送別会を催しました。  その際に撮りました写真の一部ですが送りますので御高覧下さい。  まだ他にもあるのですが一度に余り多数を遅れませんので今回はこの程度にします。  全部送れということであれば、CD-ROMを送るので住所等を教えて欲しい。  写真は1枚づつ別のメールで送ります。  先輩も一部入っていますのであのころを思い出す縁ともなればと思います。  尚、私は現在イージス艦ちょうかいで砲術長をしています。  妻と4人の子供に恵まれ、長男は今春高校を卒業し小倉の 自動車整備専門学校へ行きます。  次男は高校2年で勉強よりも 吹奏楽部でのドラムに燃え、小学6年4年の娘たちは合唱団でと 音楽的才能のまったく見られなかった私には付いていけない家庭環境になっていますが、楽しく過ごしています。  では、お元気で17期HPをよろしくお願いします。      江田 俊弘
アンチュウの返信メール        いや〜お久しぶりなんてもんじゃないですね。  写真を見てあのころと ちーっとも変わらない”江田生徒”を見ておぬしの努力に敬意を表します。  っというのも この17Th Homeには30年前のりりしい”江田生徒”があの大講堂で17期を代表して宣誓文を読み上げている写真を最初から掲載していました。   ・・・・見ました?   宣誓文、今でも言えますか?   っあ、そういえばどころか現役でしたね。   3月12日の水測の伊藤隆からのメールで本日送っていただいた写真の事は聞いていました。  いつ来るかいつ来るか、首をなが〜くして待ってましたよ。  ところがこの17Th Homeのホームページの容量が10M しかなく、、もっか アンチュウは頭を悩ましているところなんです。    そんなことはどうでもいい!!  とにかく一枚を17Th Homeに掲載しましょう。
江田のアドレスを17期全員と江田島仙人に公開しますが   いいかな?    ”いいとも〜!!” の メール待ってますが2日以内にこないと公開します。
早く送らないと ”後悔”します・・・・  な〜んちゃって。       だれかぁ〜      アンチュウに  ざぶとん 3枚!!



2002年3月29日 (金)       江田島仙人   17Th Home掲示板より  06時15分51秒
件名 : ハッピィ・リタイアメント
平成14年3月31日をもって、普通学生物教官・現普通学科長 小村昌三先生が、定年退官されます。後任が来るまで、非常勤講師として教鞭をとられます。仙人の履く下駄よりも高い下駄を頂戴したと思う人は、あらためて感謝を! 江田島仙人



2002年3月28日(木)      uemisa105    17Th Home掲示板より  22時11分44秒

件名 : 故 入口さんについて
14期生の皆さんへ:入口さんの葬儀では至りませず、返って14期生の同期の絆に助けていただきました。有難うございました。本日入口さんのお姉さんが最後の挨拶に呉基業補充部に見えられ、お骨の一部を呉の総監部地区の土に返したいと申されましたので入口さんは海が好きだったので同期の艦艇勤務の方に依頼して海に帰していただくことを提案し、同期の三宝さんに頼みました。17期の同期諸君も我々が1年生の時4年生(神様)が天国でも神様となることを祈ってあげてください。
アンチュウのヒトリゴト      三佐夫君 ・・ おぉ〜っと uemisa105、 ご苦労様でした。長い艦艇勤務を終えて陸上勤務についたとたん大変でしたね。14期生より御礼のメールや書込みが届いています。  よく神様におつかえしてくれました。  すべての17期が先輩の冥福を祈っている事でしょう。



2002年3月28日 (木)      14期の一人   17Th Home掲示板より  21時29分10秒
件名 : ありがとう
江田島の仙人(?)をはじめ良き上司、良き同期生にに恵まれた貴兄達のご活躍を祈ります。このホームページに負けずわが14期もがんばります。
さてこの度、貴兄たちには「入口生徒」の件につき様々なご配慮をいただきありがとう。特に、呉基業「上田君」には、無理を承知で多くのことをお願いし多くの支援のおかげで無事見送ることができました。また、舞鶴の「氏野君」の「川本」に対する見舞い、情報提供等ありがとうございました。同期のひとりとして貴兄達17期総員に感謝します。 参考まで、中谷は阪基「つきしま艇長」、小松は同じく阪基本部に勤務とのこと。
アンチュウのヒトリゴト       ”14期生の一人”先輩、お疲れ様でした。そしてご苦労様でした。せつなかったでしょう。 (名前とアドレスが無かったため”14期生の一人”先輩とさせていただきます。)   我、17期上田は頑張ってくれたようですね。三佐夫君ご苦労様でした。 知りながらも何にも出来なかったアンチュウと同じ状況にある諸先輩、生徒出身者はそれぞれの場所とそれぞれの形で入口先輩の見送りをしたと思います。・・・・合掌
”14期生の一人”先輩、次回は仮面を取ってのお越しをお待ちしております。アンチュウは神様の事を「ほっとけの**」や御社の取締役の方を「江田島仙人」などと呼び捨てにしていますがこの17Th Home上のこと。根は上下関係を重んじる人間でありたいと日々努力?・・・・間違いました、時々努力しております。



2002年3月28日(木)        ほっとけの谷憲より
件名 : なし
17期生徒諸君、ありがとうございます。      江田島仙人 殿 感謝にたえません。ありがとうございます。    「ほっとけの谷憲
アンチュウの返信メール        谷憲先輩。  本当に ご苦労様でした。   同期を彼岸へ送るつらさを 14期生ホームページや17Th Homeを見てくれているすべての人々と、17期も神様を送るというせつない事を共有したと思います。  できればこんなことで共につらい日々を共有したくないのは皆さんの気持ではないかと思いますがこれも人生とあきらめざるをえません。       入口先輩のご冥福を祈るばかりです。・・・・合掌



2002年3月26日(火)        ほっとけの谷憲より
件名 : Re:無念。
ありがとう!とってもうれしいよ!



2002年3月26日 (火)       1術校副官より
件名 : FM:1術校副官
初めてメールします。 本日、生徒卒業式をもって、1術校副官の任を解かれ幹部中級(機関)課程学生として入校する青島と申します。
このホームページについては、わざと平井校長に連絡していないのかと思い、校長への報告をしていいものか躊躇しましたが、結果として校長の楽しみの一つとなっています。 校長はこのホームページに送る写真を撮るため、最新のデジカメに買い換え(原因は他にあるという説もありますが…)校内あちこちに出没しているようです。 幹部・海曹問わず生徒出身者と当時分隊長であった校長との関係を見ておりますと戦闘艦艇部隊ばかり勤務してきた私も思わず「教育部隊もいいかな」と思わず思ってしまうことがあります。 校長は皆さんとのふれあいを非常に楽しみにしておりますので、懇親会のお知らせについては、どんどん1術校副官室に電話してきてください。(後任にも「校長は生徒の懇親会には基本的に出席する」と申し継いでおります)  それでは、このホームページのますますの御発展を祈念しています。
アンチュウの返信メール       はじめまして。 なにはさておき、まず最初に 17Th Homeを仙人に知らしめた優秀なる副官殿に厚く熱く御礼申し上げます。 そしてまた、副官の任を解かれたとのこと、ご苦労様でした。  デジカメ片手に校内あちこちに出没しては、村人に迷惑をかけているであろう仙人ですが江田島仙人便りを楽しみにしている方もおります。それもこれも優秀な情報収集能力を持つ 青島副官の一言から始まったのですね。重ねがさね御礼申し上げます。仙人はわがままを言って困らせたりはしなかったでしょうか?  仙人と副官のいる集落では、たとえ困ったとしても言えないことも承知しております。  そんなときは、アンチュウにオマカセください。後任の申し送り事項の1項目に追加をお願いいたします。  てなわけで、任を解かれてもたまには、17Th Homeにおいでをお待ちしております。



2002年3月26日(火)        江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り010−02
14期生徒入口君の訃報に接し、心からご冥福をお祈り申し上げます。
 さて、仙人部落ならではの、生徒の身体から溢れる誠の涙を見ました。そうです。今日は44期生徒の卒業式でした。仙人も達観しているつもりでしたが、貰い泣きしてしまいました。17期諸兄、先輩諸兄、涙は涸れたと言わず、当時を思い起こして下さい。講堂での卒業式。凛々しい生徒達でした。来賓も、その立派さに皆さん感動されていました。そして、後輩の送別パレード、3年生の目頭も潤んでいました。見送りは、44期生徒の、涙、涙、仙人部落での4年間の思い出が、一挙に溢れたようです。仙人冥利に尽きます。そして、表桟橋からの旅立ち、先輩達を見習って頑張れ!そして、幸あれと祈る仙人でした。先輩達、後輩を宜しく!久しぶりに普通の人間に戻った仙人より
アンチュウの返信メール    江田島仙人便りも10を数え、誠にありがとうございます。  また、仙人にも14期生の緊急連絡を送信し、お悔やみの言葉をいただき直接は14期生徒のやりとりも無いと思い、14期生になりかわり御礼申し上げます。
卒業式の写真、つい昨日のように思い出されるのはアンチュウだけではなくこの17Th Homeをご覧の多くの生徒出身者でしょう。  そして ”17期諸兄、先輩諸兄、涙は涸れたと言わず、当時を思い起こして下さい。”とありますが、たぶん20期以下の生徒出身者にとっては涙腺がゆるくなりかけの年齢にあり、特に退職組にとっては、江田島との距離が離れる中でひそかにウルウルとされた方もあろうかと思われます。
17期にとって少術校の初めての卒業式が14期生の卒業式でした。 なんと言ったらいいのでしょうか。 言葉に言い表せない卒業式でした。 どんなにツライことやキツイことがあっても何が何でもあの感激をオレもゼッタイ味わうぞ! と 心に決めて誓った一瞬を今も忘れる事が出来ません。
17Th Homeの文学館にはその14期生の卒業に関しての感想文が掲載してありアンチュウもお世話になっている    ーほっとけの谷憲ー こと 谷川憲一先輩の一文も載っていて 先輩のひととなりがわかる名作(迷作?)と思います。  是非、一読を。           うれしい ”江田島仙人便り” でした。



2002年3月26日(火)      14期生谷川先輩より
件名 : Re:
今呉にいる、来ないと一生後悔しそうで、       17期にほっとけの谷憲さんですか?と聞かれたゾ
アンチュウの返信メール     先輩。さぞかし・・・、なんといったらいいか・・・、 言葉も思い浮かばす   今までの14期生掲示板を毎日欠かさず見ていた者として無念でなりません。  アンチュウにとって14期生と言えば谷憲先輩しか思い浮かばないのですがその谷憲先輩が佐世保よりかけつけた事自体、先輩の無念さを感じざるを得ません。  どういったらいいのか、・・・・   先輩の気持は 先輩と出会ってから三十数年の時間が過ぎましたがいまだに生徒としてのつながりを感じ、14期生掲示板の投稿にも14期生の同期への熱い思いを感じていました。   ほっとけの谷憲先輩と共に入口先輩のご冥福を御祈りいたします。



2002年3月26日(火)      氏野より
件名 : Re: R:eのメール送信した?
大変失礼つかまつりました。私が送りました。  アンチュウからのメールにあわてて返信したので:Re:しか付いていませんでした。  怖がらせてゴメン<(_ _)>
本日、昼過ぎに14期生の川本さんの見舞いに行って来ました。  丸坊主で右前頭部に手術した後をテープで留めてあり、そこからチューブが出ており何か痛々しかった。しかしながら、意識はしっかりしており特に後遺症は感じ取られなかった。発見が早く処置も早かったためと思います。  14期生のH/Pに、早速結果をカキコしておきます。     では、失礼。              −氏野−



2002年3月25日(月)       アンチュウより17期全員へ
件名 : なし
緊急連絡!!     14期生に異変あり!!   関係者 14期生ホームページ   http://www.syujac.co.jp/seki/14seito.htm    掲示板を見よ!!


2002年3月25日(月)        アンチュウより氏野へ
件名 : R:eのメール送信した?
R:e  の メールがきている。  怖くて開けない。  送信したかどうか、今一度連絡を。  14期生ホームページに氏野の書込みを見た。  アンチュウがわかった時点で同期にメールを送るべきだった。  少し遅くなったが17期に緊急連絡のメールを送った。



2002年3月25日(月)        氏野より
件名 : Re:
連絡有り難う。  氏野



2002年3月25日(月)        14期水測 下條先輩より
件名 : Re: 14期水測、下條と申します
ご連絡有難うございました。  早速連絡をとらさせていただきます。      下條



2002年3月23日(土)        14期水測 下條先輩より
件名 :  14期水測、下條と申します
 14期水測、下條と申します。  17期生徒のHome Page 15期福島よりの連絡で知りました。  素晴らしい内容で17期生の行動力、結束の高さに感服しております。 私、50年に退隊し現在東京都で自営業をしております。  17期番上生徒と連絡を取りたく彼の連絡先を教えていただけますでしょうか。 彼とは12年ほど前、仕事の関係で知りあいました。 取引先の会社の接待で偶然にも生徒の17期であることを知り奇遇に驚きました。それ以来、連絡を取り合ってきたのですが、ここ数年来、音信不通で心配をしておりました。  貴殿のHP上で番上からのMailを拝見し元気そうな様子、安心しました。 連絡先等お教えいただければ幸いです   宜しくお願いいたします。   下條
アンチュウの返信メール      おはようございます。  下條先輩よりメールをいただき 感激しております。  さっそくですが、番上のアドレスですが以下のとおりです。 ****@****      そういえば、最近、番上からメールがきませんね〜。音沙汰無いのはゲンキな証拠ってところでしょうか。
17期生徒のHome Page  ”17Th Home” おほめいただきありがとうございます。少しでも同期の絆と海自生徒の絆を保ち、深めたいと 私こと、アンチュウなりに頑張っております。尚、当然ご存知かと思いますが、14期生ホームページの掲示板の書込みも盛んに行われています。(アンチュウもお世話になっております。)  http://www.syujac.co.jp/seki/14seito.htm     下條先輩も書込みされたことがあるのでしょうか。
番上と連絡が取れることをお祈りしています。   今後とも ”アンチュウ”と”17Th Home”をよろしくお願いいたします。



2002年3月21日(木)         uemisa105    17Th Home掲示板より     00時52分18秒
件名 : 祝!3000回
これからも5000,10000,と、記録を重ねていきましょう。  重ね重ね編集ご苦労様です。ところで、このところの陽気で呉方面では桜が開花し始めています。この分で行くと今年は桜咲き染む春4月ならぬ春3月と生徒隊歌を変更する要があるかも?  江田島の仙人部落でも4月初旬の観桜会に開花を合わせようと桜の根っこを氷水でひやしておられるとか?   さすが仙人、長生きの秘訣はこれですか?



2002年3月20日(水)        関洋三(14期)   17Th Home掲示板より  06時48分43秒
件名 : 祝 3000突破
17期生徒 HPカウント 3000回突破を記念して 心からお祝いを申し上げます   マイホームページの カウントUPに邁進してきたものとしては 3000回という 意味の大きさに 又その努力の偉大さに ただただ感心致します  5000回を目指して 更に 頑張って下さい   お手伝い出来ることがあれば 遠慮なくお申し付けください   17期生徒諸君の ご発展を念じて ここにお祝いのメッセージを申し述べさせて いただきます 誠におめでとうございました                http://www.syujac.co.jp/seki/



2002年3月20日(水)        江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り009−02
3000人達成おめでとう!  アンチュウの苦労が数となって、ドンドン増えておりますことに、仙人部落を代表して敬意を表します。  仙人のデジカメは、何処か巷を散歩しているようで、仙人部落には帰ってきません。  誰か餌をやってくれていればいいのだけれども・・・。  捜索に当たってくれた面々に御礼申し上げます。葉っぱで買える程度の新デジカメを手に入れました。  さて、仙人部落は卒業シーズンを迎えております。  写真は、44期の記念写真です。  誰が誰か、さっぱり分からないのが、仙人部落の写真の特徴です。  三月二十六日に仙人部落を出ます。  娑婆にいる17期諸兄!仙人部落で育った純真無垢?の44期の息子達を宜しくね!  もう一つニュース、森永夫人が、四月一日に娑婆の刑期を終え、古巣の仙人部落に戻ってこられます。  仙人の小屋の近くで仕事されます。      ・・・・涙なしで生徒を送る鍛錬をしている仙人
アンチュウの返信メール           ”江田島仙人便り009−02” ありがとうございます。  御礼の返信、遅くなって申し訳ありません。
   ゆるしてくだせー   仙人さま〜。
そうですか。44期生ですか。  17期の純真無垢?と人種が違うんでしょうね〜。きっと。  ”涙なしで生徒を送る鍛錬をしている仙人”   涙なしとは考えられません。   仙人の事ですから30数年前よりもゆるくなり量も多くなっているのでしょう。
涙をはばかってはいけません。人前、立場を考えず流す仙人の涙。    俗人を感動させる仙人の涙です。



2002年3月19日(火)        藤原より
件名 : Re:3000カウントの御礼
祝3000カウント〓17期のみなさん、そしていつもガンバッテやってくれている安中くん、おめでとう。
こんな短期間でこのカウント達成は17期のみんなが楽しみにしている証拠でしょう。他の生徒関係者にも拡がっているかも?これからも楽しみにしています。
アンチュウの返信メール         早速、返事をもらったのにこちらからの返信が遅くなり申し訳ありません。  アンチュウ・・・・ハンセイ!!  広島の桜はいかがでしょうか。  桜の花を見るたび江田島を思い出します。     あぁ  もどりてー!!  30年前に。



2002年3月19日(火)        ほっとけの谷憲より
件名 : Re:3000カウントの御礼
うん!よかったな。   お前頑張ってるねー。   パスコン今しばらく待て
アンチュウの返信メール         谷憲先輩、アンチュウからの3000カウントの御礼のメールを送信するやいなや、早速の返信、ありがとうございます。  第1号でした。  にもかかわらず、返信が遅くなってしまい申し訳ありません。  来たメールには、必ず返信を身上としているアンチュウとしましては 誠に反省をしております。  昨日(3月23日)14期生水測の下條先輩よりメールがきました。  (詳しくは  ”17Th Home” で)   ヤッパ、イイモンダ   パスコン  は。・・・・



2002年3月19日(火)        アンチュウより
件名 : 3000カウントの御礼
2001年9月2日、17期ホームページ  ”17Th Home” 開設以来 今日で198日目、3000をカウントしました。このマニアックな ”17Th Home” がここまで継続できたのも同期諸兄の協力の賜物と アンチュウは 厚く厚く御礼申し上げます。
この17Th Homeが同期諸兄のお互いのコミュニケーションの一端として役に立っていますでしょうか。
今後とも、更新を怠らず 17期の絆を深めることに 努力いたす覚悟です。  同期諸兄のご協力、よろしくお願いいたします。



2002年3月18日(月)       竹下和哉   17Th Home掲示板より  18時01分39秒
件名 : 横須賀より
久しぶりです。ますます充実してきたホームページを見てアンチュウの苦労が目に浮かびます。ミサオ君のメールでご存知のように、竹下、伊藤両名は無事、准尉講習を終え、帰隊しました。私は11日付けで横須賀地方総監部に転出しましたが、電車通勤と呉で遊びすぎた疲れがどっと出てしまい、風邪でダウンしてしまいました。17日、38度の熱の中テレビを見てるとインド洋に派遣されていた艦艇が佐世保に帰港するニュースを放映しており、な、なんと「臼井曹長」がアップで写っているではありませんか。インタビューは、たぶんカットされたのでしょうがかっこよく映っていました。そのせいか、18日のお昼には熱も下がり、明日から元気に通勤出来そうです。佐世保の同期で臼井に会ったら「竹下がありがとう」と言っていたと伝えてください。(病みあがりでとりとめのない内容になってしまいました。)
ところで、江田島仙人のデジカメ見つかったのでしょうか?
アンチュウの返信投稿        3月7日、江田島仙人からのメールによりますと「新しいものを買います」とあるのでたぶん、きっと、ぜったいに見つかっていないと思います。    仙人はガックリでしょうけど  ひろった人は、ラッキーでしょうね。



2002年3月18日(月)       lower_bamboo より
件名 : 転勤しました
桜が、つぼみを見せる頃なりましたが、皆様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。この度 3月11日付をもちまして横須賀地方総監部管理部人事課(昇任、昇給係)勤務を命ぜられ第6航空隊を退隊いたしました。6空在隊時には公私にわたり大変お世話になりありがとうございました。横須賀勤務は初めてですが、2年間、チカンに間違われないよう頑張って通勤したいと思っています。総監部にお越しの際はぜひ、人事課昇任昇給係の部屋に顔を出してください。お待ちしております。
末筆ながら、皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げ略儀ながらお礼方々ご挨拶申し上げます。       敬具     平成14年3月
アンチュウの返信メール       新しい職場でも頑張ってください。  ところで、宛先が    宛先 : "石塚 一石" ***@****なっているんだけど どうしてかな?



2002年3月17日(日)         奄美 橋本和昌よ
件名 : DE231 おおよど 先任伍長
平成13年度の術科競技のゴ−ルドプレ−トが6枚。案内されて入るとまずそれが目についた。1位、1位、1位・・・。中でも、先任伍長の自慢は平成13年9月の護衛隊群通信術科競技優勝である。そう、竹原堅一曹長がその人。乗組員の礼儀正しさと節度を肌で感じた。「いきあし」がある。
護衛艦「おおよど」2000t。
臼井曹長乗艦の護衛艦「さわぎり」につづいて忘れられない艦名がまた一つ増えた。午後2時前弦門で握手して再会を約束した。今夕、訓練に出て、佐世保へは5日後とのこと。        ありがとう「竹原曹長」。    奄美 橋本
アンチュウの返信メール      竹原堅一曹長に会えてよかったな〜。  前のメールでは、30周年のときよりこころもち太ったということだけど  ”こころもち”ってところが橋本のやさしさか? すくなくともアンチュウはそう理解している。   竹原がパソコン買ったって?  どう考えてもアンチュウには竹原がパソコンに向かっているイメージが浮かばない。 彼は、机に向かうと  うでぐみ をして居眠りするはずなんだが・・・・。
でも、竹原の健闘を期待したい。   上達の秘訣は、毎日の出来事を17Th Homeに送る事だと伝えてほしい。



 2002年月3月17日(日)       奄美 橋本和昌より
件名 :  昨日の夕刻竹原から電話があり「今、奄美にいる」という。
昨日の夕刻竹原から電話があり「今、奄美にいる」という。からかわれていると思いきや、同じ町内の「井川」さん宅からだった。井川さんは、現在奄美分遣隊の先任伍長をされている方で初めてお会いした。佐世保の伊藤隆をはじめ生徒は大変お世話になっているとのことだった。(竹原談)   予定のない古仁屋(奄美南部)入港だそうで、2人の乗員と一緒に井川さん宅に招待されたらしい。昨夜は、名瀬のネオン街に繰り出し、帰宅は2時を回っていた。(竹原はあんなに、唄うまかったかな?)  去年の30周年のときより、こころもち太ったかな?   ともあれ、元気そうで何より。  パソコンを買ったそうで帰ったら早速始めるとのこと、そうHPにメ−ルをたのむとのことだった。  行き先は言わなかったが、今夕出港するそうだ。      奄美 橋本



 2002年3月15日(金)         ほっとけの谷憲より
件名 : なし

安中よ、ここに書き込めばよかとか?俺は通信員だからこういうのに弱くて、よーわからんばい!  14期のヤツも結構輪が広がってきたぞ。うれしいもんだな。  この間の宴会楽しかったぞー!生徒OB会が一番楽しいねー。14期が少ないのが残念だけど。あの日も一人トボトボと帰りました。ーほっとけの谷憲ー
アンチュウの返信メール      こんばんは。15.16.17日とヤボ用があり返信のメールが遅くなりました。スミマセン。いつも14期生の掲示板をチェックしています。同期に心配事があるようで後輩のアンチュウとしても早く元気になられるよう新潟より御祈り申し上げます。さて、14期生掲示板によりますと「関よ俺もパスコンを買わんといけんかのー」と書込みされてますが、ーほっとけの谷憲ーは まさか、”老眼鏡”をかけて携帯に立ち向かっていたんじゃないでしょうね。このメールは違うようですが今まで先輩が送ってくれたメールのアドレスをみる限りどうもそのような・・・・。ここはイッパツ、へそくりをハタイて  ”パスコン” 買わなきゃ。
今日現在、アンチュウが把握している17期のアドレス判明者は、32名になっています。17Th Homeを見てくれている同期もそうでない同期もアンチュウは月が変わると32名にメールを送るようにしています。今さらと言う気もしないではないですが いいもんですよ ”パスコン” は。



2002年3月15(金)         uemisa105より  17Th Home 掲示板 22時05分00秒
件名 : お久ぁー
アンチュウ、いつも5963です。江田島仙人から促進をうけ早速 森永事務官(女子)に「31年前ご子息のおしめを買いに行ったのは私です。」と恩着せがましくご挨拶致しました。森健さんは、現在ご子息と同じ横浜におられて、奥方が地元に単身赴任状態とか、お元気そうでした。今週末は1月陸上配置となって初めて休めそうです。野呂山からの写真が上手く撮れたら四季採彩に投稿します。



2002年3月14日(木)       江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り008−02
諸君おはよう!(05:40)  鶯もまだ安眠を貪っているこの早い朝、仙人は起き、畑?を耕している。さて、近況二つ三つ。
 先日、父兄の気分で、候補生学校の課業整列を松林から覗き見、浦田君が行進してくるのを待つ。すると、襟立ての彼と思えない神妙な顔をした彼が。デジカメ忘れた。待て、彼の名誉のために撮るのは止めよう。浦田君、今日も居眠りせずに頑張ってね!と祈る仙人でした。流石!
 過日、森永班長の奥さんに会いたいと連発していた上田君。奥さんに聞いたら、まだらしい。そこで、彼に電話して、「やると言ったら、すぐ実行するのが男だ。」とハッパかけた。
 一昨日、珍しい人が仙人部落に来訪。一人は、漫画家の江川氏(左から二人目)、連載中の秋山真之生徒の資料収集。もう一人は、菅原文太氏、夫婦娘のお忍びの訪問。(デジカメ電池切れで写真なし)仙人は、娑婆とは縁が切れているが、この時ばかりは、漫画、映画談義する。流石!
                   百足との仁義なき戦いを思い出してる仙人より
アンチュウの返信メール       仙人、こんばんわ。送信時間を見るに(05:40)パソコンの電源を入れるのは5時コロでしょうか。当17Th Homeのため、襟立の浦田のため、頭の下がる思いです。    仙人部落には、いろいろな人が訪れるようですね。漫画にはうといアンチュウなので YAHOOで江川達也と打ち込んで検索するとナント6090件のヒット。菅原文太氏はナントナント8850件のヒット。ちなみに  ”安中均” で 検索。   すばらしい、たったの1件。それも、”17期文学館”。   では、平井良彦で検索。19件のヒット。さすが要職についておられえる。その中に 17Th Home 内のページもあり、これまた 感激。 次に ”江田島仙人” で検索。 さすが霞を食べている仙人だけあってヒットなし。          おもしろいYAHOOの検索でした。            ムムッ、これは使えるかも?




2002年3月12日(火)       itoh3 水測の伊藤隆より
件名 : 勝山さんの送別会
昨日の夜、勝山さんの送別会を実施しました。総監は毎日宴会が続いてて、体が持たないと1次会で帰りましたが、そのあとは、15期生の高田さん、阿比留さん、17期は山崎、竹原、俺、18期は市田(ET)の6人で2次会へ  そこで分かれて、俺と竹原は3次会へ移動して最後にラーメンを食って、帰ったのは3時でした。  今日は代休を取っていたのでゆっくり寝られました。  13期から18期まで参加して、総勢39名でした。  その中には、8期の松本さん、山口班長も入っていました。  勝山さんは、自衛艦隊司令官の予定だそうで横須賀へ行きます。  松本さんは、4月1日で定年準備だそうです。  山ちゃんは、相変わらず日通で働いています。(ほんとは2度目の定年ですが、代わりがいなくて辞められないそうです。)   それから、14期生の谷川さんも来ていました。そう17期のホームページによく出てくる谷憲さんです。    江田のデジカメで記念写真を写したのでそのうち送らせようと思います。  ちなみに、彼もネットをやってるそうなのでホームページのアドレスを教えておきます。
昨日、犬の散歩をしていたら早くも花を開いたサクラがありました。  こちらは月末が花見の時期です。    −伊藤ー
アンチュウの返信メール      佐世保情報、どうもありがとう。  「総監は毎日宴会が続いてて、体が持たないと1次会で帰りましたが、」のフレーズ、氏野がいつかメールで送ってくれた(17期徒然草2001年2月1日のメール)「お金も体も持ちません。」の心境でしょうな 勝山総監は。      そのとき、氏野は、「*井*彦(4年の時の分隊長:山本一実のおねぇさんのダンナ)が*海*群司令で呉に入港するので、「司令を囲む会」と題してまた宴会。」と 記していました。ひょっとしたら  江*島*人のこと?
山口班長、ご健在で何よりです。アンチュウもゲンキだとお伝えいただければ うれしゅうござりまする。
「14期生の谷川さんも来ていました。そう17期のホームページによく出てくる谷憲さんです。」・・・・・・・・・   泣いてませんでした?。14期生のホームページの掲示板を毎日ウォッチングしているアンチュウは 谷憲先輩のオッカケとストーカーを自認している一人です。(もっともアンチュウ一人だけでしょうけどネ。)そのアンチュウによりますと谷憲先輩は、自分では、「ほっとけの谷憲」と自称しましたが、最近、「泣きの谷憲」のほうがピッタシのようにオッカケのアンチュウとしては思うのですが・・・・。
江田の写真とアドレス、桜の写真、お待ちしています。



2002年3月9日(土)         itoh3 水測の伊藤隆より
件名 : Re: 藤原、携帯メールアドレス変更のお知らせ
お久しぶりでしす。  だいぶ暖かくなってきました。2,3日前のニュースでは、金沢ではまだ雪が積もっていましたがそろそろ雪もおわりでしょうか?16、17日の土、日で呉の「いなづま」という艦が、富山港にて広報を行います。 近くの人で見たい人がいたら行って見てください。もひとつニュースです。勝山総監が転勤されると言うことで、11日(月)に生徒OB(関係者)で送別会をする予定です。俺は幹次じゃないので詳しいことはわかりませんが、8期生の松本班長(現在は佐世保教育隊司令)の定年祝いも含んでいるのかも?17期の幹次は高杉がやってて、電話が来たからメールするように言ったら、操法がよくわからないらしい。安中には、俺から宜しく言っておいてくれとの伝言あり。では、また ー伊藤ー
アンチュウの返信メール        ひさしぶりでした。アンチュウの住む付近にもすっかり雪はなくなりました。高杉とは、今までメールのやり取りがなく、あるとき、14期生のホームページの掲示板に谷憲さんの投稿がありそこで高杉にメールを送るようお願いしたようなしないような・・・・。
谷憲さんからアンチュウ宛にメールがきてその返信に    ”教官をしているとしたら 「オニの谷憲」か「ホトケの谷憲」どっちなんでしょうね?”と書いたらその返信が  ”ほっとけの谷憲”     の 一言でした。       とほほ・・・。



2002年3月9日(土)      22期水測 木田浩二より
件名 : リンクの許可をお願いいたします。
はじめまして、私は22期水測卒業の木田浩二と申します。突然のメールをお許しください。私も数年前より同期の為のHPを開いております。http://home.earthlink.net/~kidakoji   17期生のHPを拝見させていただき更新の回数や内容の豊富さに驚いております。これから私も先輩のHPを見習い少しづつ22期のHPを拡張していきたいと思っております。つきましては参考の為、および先輩方々のHPを私の同期に閲覧させるためリンクをはらせていただけないでしょうか?どうかよろしくお願いいたします。      木田浩二
アンチュウの返信メール       はじめまして。17Th Home の 管理人 アンチュウ こと 安中 均 です。御期のホームページ ”海のサムライ”の存在は前から知っておりました。確か”少年術科学校”のキーワードで検索して見たものと記憶しております。ほとんど、更新していないような・・・・。
掲示板の記載に当17Th Homeの記述、ありがとうございます。1ページ目に記載の通り、17Th Homeの目標は、「自分と、おこがましいが、同期諸兄と生きてきた時代と、これからの生き様を記録するために、このホームページを開設する。」 と いうところに おいてあります。
全国各地より若干15〜6歳にして集まった同期。朝起きてからよるベットに入るまで四六時中なにをするのもいっしょ、なにをされるのもいっしょの生活を四年間まっとうしようが、たとえ数ヶ月であろうとも経験した同期。そんな同期のまさに”生き様”を記録していこうと毎日の更新作業に精を出しております。掲示板でもいいのですが、面倒をしても 17期徒然草に記載することにより何年か何十年か後、それぞれの同期が楽しめる何かを今から求めて行こうと考えています。
どうぞ自由にリンクを張っていただき22期が今後とも同期の絆を深められんことを御祈り申し上げます。なお、17Th Homeへの投稿もお待ちしております。



2002年3月9日(土)     江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り007−02
仙人は、時折、構内巡検使に変身して、仙人部落を散策します。特に生徒部に行きます。 昨日は、17期の某君が隠れてタバコを吸っていた隊舎と新隊舎付近に神出鬼没、そこで45期生徒にバッタリ!早速、旧隊舎をバックにワンショット。中に某二世も。昨年七夕の時の新隊舎を合わせ、見て頂戴!
なお、今月末で小村先生(普通学科長)が定年退職されます。         デジカメの餌は何だと生徒に聞く仙人より
アンチュウの返信メール       こんばんは。  さぞやお忙しい身上、 「構内巡検使」 ご苦労様です。  生徒部にとっては、”おお迷惑もはなはだしい”と 心中お察し申し上げます?。  それもよりによって 隊舎と新隊舎付近とは。  しかし、「いけないこと」は「いけないこと」以上の何物でもありませんぞ現役生徒諸君。
遠い昔、アンチュウは、これで 上陸禁止1ヶ月、せっかくの髪も丸坊主。今まで培ったアンチュウの優秀さ?もなにもかも失いました。 それからは、大いに反省し?、生徒の模範となるべく?、努力精進いたし?、現在のアンチュウを形作ったのであります。      今日は、?が多いのは、どうして?。



2002年3月8日(金)      藤原より
件名 : Re:Re: 携帯メールアドレス変更
ありがとう。元気でやってるよ。ここ最近忙しくてHP見てないけどまた見てみるよ。安中も元気でね。



2002年3月8日(金)        藤原より
件名 : 携帯メールアドレス変更のお知ら
メールアドレスを以下のように変更しました。お手数をおかけしますが、アドレス書き替えよろしくお願いします。                ***@docomo.ne.jp
アンチュウの返信メール        藤原クン、こんばんわ。アドレスの件、了解いたしました。 同期諸兄と江田島仙人に送信いたします。  ところで、ゲンキ?



2002年3月7日(木)        氏野より
件名 : 写真番号
早速お聞き入れ下さり、ありがとう。順序は、jpgファイル名の数字順です。「関門通狭−1・・・」とある数字順という意味です。よろしく取り計らいを。
明日は昇任試験です。これは全国一斉なので、准尉以下の同期諸兄は午前9時から少なくとも30分間は机に向かい、年に一度の「頭の体操」、いや真剣に臨んでいる方もいるでしょうが、ペンをコリコリいわせる状況となります。
小生、夕刻横須賀に向け出港します。横須賀では、久しぶりに野口昌利と会い、以後の訓練を一緒します。ということで、行って来ます。   氏野
アンチュウの返信メール        今晩、修正し17Th Homeにアップしました。横須賀出港、ご苦労様です。野口昌利に会うとか。アンチュウは言うに及ばず17Th Homeもヨロシクと  どうか、どうか、どうか よろしくお願いいたします。もっとも、このメールを見るのは、横須賀から帰ってからのことでしょうから伝わらないとは思いますが・・・。



2002年3月7日(木)        江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り006−02
仙人部落の一角を間借りしている幹部候補生村で、3月5日(火)第90期幹部予定者課程の入校式がありました。 おっと!浦田准尉がいるじゃありませんか。名前を呼ばれて、返事して立つ様子は、正に生徒当時と同じ。ただし、太り気味で、体が重たそう。だいぶ前に入校した面々と同じです。安心してね。 翌朝、朝食前のバタバタしているところを襲い、インタービュー。「ひさしぶりの江田島で緊張していまーす。32分隊の室長です。」(忙しい朝なのに邪魔するな!と言いたそう) 話す言葉もバタバタ!動きもバタバタ!仙人部落の中に、バタバタ民族がいるなんて同情!頑張ってね、余裕ができたら仙人の所においでと声かけて雲に乗って立ち去る。
デジカメばれましたか。スナップなくてごめんなさい。(代わりに夏の式を添付します)今度は枯葉を銭に変え、新しい物を買います。浦田君に負けじとキビキビしている仙人より
アンチュウの返信メール      仙人、こんばんわ。いつも楽しい ”江田島仙人便り” を ありがとうございます。浦田といいますと、2001年10月18日、八戸に全国先任伍長会議で行った竹下からのメールによれば 浦田の事を ”浦田は相変わらず、襟を立てていました。”と書いてきました。 (17Th Homeの17期徒然草2001年10月18日に掲載)そうなんです。実は、浦田は生徒時代より何を着ても襟を立てていたんです。丸首のシャツまで襟を立てて着ていたくらいの”襟立職人”なんです。竹下の記憶力・観察眼の優秀さと浦田の変わらぬ頑固さに  ”カンパ〜イッ!”
仙人の言葉、 「余裕ができたら仙人の所においで」     イイですね〜。アンチュウが変わりに行きたいくらいですが なかなか  「余裕ができたら・・・」
できないんですね〜。これがまた。    ハイ。
新しいデジカメでの ”江田島仙人便り” 期待して待ってます。



2002年3月6日(水)        氏野より
件名 : クレーム
早速、この間のメールをH/Pに掲載して頂き、ありがとさん。  クレーム:関門通狭の写真順序がファイル番号どおりでないため、関門を出たり入ったりの写真順序です。  出来れば、順番通りになりませんか。
アンチュウの家の写真、いいですねェ。 「いろり」なんかあったりして。  さいごの写真に写っているのは二人ともお嬢さんですね。  一応、みんなに紹介して下さいな。 よろしく。 −氏野でした−
アンチュウの返信メール     クレーム アリガトサン。  17Th Homeの更新をした後にメールの受信をしたため今日は、変更できません。  アシカラズ。  ところで、順番なんだけど 番号をつけて再度送ってくれるとありがたい。  アンチュウは、かなり考えたけど よくワカラン。  まってま〜す。



2002年3月5日(火)       江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り005−02
3月2日(土)夜、仙人は、准尉講習に囚われの身の竹下君慰労の会に参加しました。伊藤君は風邪引きの刑から解放されず、檻の中。 仙人は、久しぶりのネオン街に、痛飲してしまいました。しかし、17期面々の言動 は、眠ったふりして、しっかりとインプット。幾つかを紹介しよう。
1 竹下君は、次の配置の横須賀人事課を思ってか、終始淡々と。
2 西方君は、生徒部教官、ラグビー部監督を熱望、花園を目指すとか。翌日は10 kmマラソンに挑戦。
3 久しぶりの上田君は、西方君と一緒の仕事場呉の援護室にいる森永班長の奥さんに会いに行くと連発。
4 冨吉君の二次会の「UNCHAINED MELODY」?の上手いこと。
5 その他は、今回割愛。ごめんね!
当日のスナップは上田君のデジカメに譲る。    山に戻った仙人より
アンチュウの返信メール       江田島仙人、こんばんわ。  昨夜は失礼をば いたしました。  しかし、写真で見る限り  仙人、”久しぶりのネオン街” とは 思えませんな〜。  ”常連”の雰囲気をありありと感じるのは、アンチュウだけでしょうか?  でも、目の輝きを見ると、”久しぶりのネオン街” も うなずけなくもありません。  アホな同期のおもりをしていただき、遠くからではありますが 17期を代表いたしまして御礼を申し上げます。  ところで、この写真を送ってくれた上田のメールによりますと 「江田島仙人ナナナなんと、デジカメをどこかに忘れたそうな、捜索隊長のwest,side(西方)が泣いとった。」 と ありますが、デジカメは west,side捜索隊長の手によって発見されましたでしょうか?  そんないきさつを思いますに    「仙人は、久しぶりのネオン街に、痛飲してしまいました。」もアリかな?



2002年3月4日(月)         アンチュウより
件名 : 3週間前のアンチュウ宅
同期諸兄と江田島仙人、17Th Homeを見ていただいてる方、3月になりました。アンチュウの住む新潟でも春の日差しが強くなってきています。雪国新潟では、春は川の土手からやってきます。家の脇の日当たりの良いところでは、ふきのとうが膨らみ始めました。 アンチュウの大好物であります。  3週間前はまだ雪の中でご覧のとおりでしたが今はすっかり消えて春の日差しの強さを 感じる今日です。
アンチュウの返信メール         特にありません。・・・・?



2002年3月4日(月)          氏野より
件名 : 久しぶり
元気にしてますか? 本官は、先月12日に3群司令部がインド洋に出発したので、当隊(63護隊)がその代行ということで相変わらず多忙な日々(出港も含め)を送っております。2日(土)舞鶴に帰ってきたところ、3日の夜に呉の高橋良彦が、グァム遠航の調整で舞鶴に来るという連絡があり、昨夜は2時頃までなんやかやと酔っぱらいの話に花が咲きました。本日昼過ぎに呉に帰りました。ただ今、良彦から電話があり、「いま家に帰った。忘れた携帯(我が家に)を艦まで届けてくれて、重ね重ねありがとう。」ということで、相変わらずどこかぬけてる良彦君でした。(人のことあまり言えない当方ですが!)
2日夜は、准尉講習に来ている竹下と伊藤幸一を含めた同期会をしたとか。江田島仙人も来られたとか。1年前を思い出します。良彦は相変わらずPCにはとんと頭が回らないみたいで、最近艦でさわるようにはなったみたいだけど、「固まってばっかり」とはどんな使い方をしてることやら。 ということで、17期H/Pは見ていない様子。そんな良彦の写真を貼付します。それと、前回の出港で、珍しく昼間の天気のいい時に関門を日本海側から内海へ通峡したので、そのスナップも添付します。橋でしか通ったことのない人や、通ったことのない人には、めずらしいと思いますが。いかがでしょうか?
8日に昇任試験があり、夕刻また太平洋まで出かけます。次回舞鶴に入港後、今年初めにきた転勤話が現実のものとなり、約20年近い艦隊勤務にピリオドが打たれることになります。トホホ〜。今度は陸上勤務となります。人事かがどう言おうと、自分的には左遷と思っているので大変ショックでもあり、むなしいやら。また、転勤後メールします。ということで、精神的には落ち込んでいますが、身体的には元気にしている氏野でした。  おわり。
ンチュウの返信メール         ホントに久しぶりでした。3月2日の呉同期会の情報は、翌日、うえみさからメールで届きました。写真も添付してあったのですが、パワーポイント(**.ppt)で編集してありアンチュウの力では、ホームページビルダーに取り込めず、うえみさに再度 **.jpgで添付してくれるようお願いメールを送っているところです。    うえみさも卒業以来の陸上勤務との事、なんと慰めてイイやら・・・。



2002年3月4日(月)         奄美 クロウサギ より
件名 : 臼井からair-mail
臼井から書中見舞いが届いた。  消印は 2/24 DUBAI。  修正できないほど、日焼けしているらしい。  帰国は5月とのこと。  元気そうでなによりだ。  写真は彼が昨年我が家にきたとき彼が撮ったもの。  葉書にプリントして送ってきた。 スキャニングなのであまり鮮明でないが添付で送ることにした。
今度、初めて鹿児島市で2件の仕事をすることになった。  レディ−スクリニックの開業があり、設計から開業までのアシストと医療機器の納入。  もう1件は特別養護老人ホ−ムの開設に伴う物品納入が主になる予定。  現在、奄美大島郡内で8名の社員でフル回転しているが、今度は50万都市での営業第1歩になる。  心地よい緊張感と共に、自己の能力発揮の最大のチャンスが来たと思っている。
追伸     江田島仙人 殿
その節は大変お世話になりました。 仙人の投稿、楽しく読ませていただいております。  是非、江田島で又、一献。  くれぐれもご自愛を。      くろうさぎ
アンチュウの返信メール      メールありがとう。アンチュウにも臼井から葉書が届いた。消印も日付も同じ  2/24 DUBAI。ひげとあまり趣味の良くない色気のソファーと枕が気になるが、とりあえず写真で見る限り元気そうだ。クロウサギに届いた葉書も17Th Homeに掲載しようと試みたがうまくいかない。できれば **.jpg で 添付していただければと思う。
日本経済が瀬戸際にある昨今、新規開拓も大変だっただろう。
1.真実かどうか
2.誠意と真心を尽くしたか
3.みんなに公平か
4.みんなのためになるかどうか
                                                健闘を祈る。



2002年3月3日(日)                 uemisa105より
件名 : 17Th呉・江田島同期会  (17期掲示板 書込みより)
アンチュウ、お元気ですか?  編集作業5963です。14.3.2(土)1800〜かしま本店、ナイトスポット「みなみ」において同期会(准尉講習を3/5に修業する竹下、伊藤幸一の送別会)を実施しました。伊藤幸一はインフルエンザのため欠席でしたが、参加者は、自称江田島仙人平井さん、以下富吉、中谷、黒木、高橋、竹下、大石、西方、上田、樺島でした。会は時間の過ぎるのも忘れ、飲んで歌って踊って大盛況でした。証拠写真も多数撮りましたので、後日整理して、送付します。お楽しみに!