17Th Home 徒然草 2003年1月


2003年1月30日(木)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−15(寒稽古)
ここ二・三日寒い日が続いていますが、我がラグビー部は昨日水曜日、自習ずいの時夜間練習(1Gはナイター設備完備)をやりましたがあまりの寒さに参りました。 やっている生徒からもインターバルが長い(寒さに耐えかねて)と注文がありました。  コーチする江田島青年は、手先から足先まで凍えそうで参りました。 ちなみに、練習後1Gを見たら水溜りが凍っていました。  それお見た生徒はなぜか喜んでいました。     昨日(29日)小雪がちらつく中、3年は短艇とう漕訓練をしておりました。  現役の17期をつい思い出してしまいました。?   3年は、持久走納め会生徒の部、団体で優勝(3連覇)したのでカッター競技も優勝(連覇)を狙っているようです。   少人数でここに46期ありを示そうとしているようです(思い過ごしでしょうか)。   ところで、現在の期別の生徒数は、  1年(48期):63名 2年(47期):60名 3年(46期):31名 4年(45期):54名です。
あんちゅうの返信メール    江田島青年便り14−15(寒稽古)ありがとうございます。  江田島も寒いようですね。   ナイター設備もいいのか悪いのか?    江田島の雪を思い出します。  あんちゅうは雪国育ちがゆえ、少々の雪では驚きませんが 江田島の雪はきれいでしたね。  思わず故郷を思い出した事を忘れません。    先般青年より送られて来た厳冬訓練持久走納会ですが、少術校25周年記念誌によりますと 「1972年(昭和47年)2月 厳冬訓練納会持久走競技校内4.3q(50年まで毎年本競技方式により実施)」 と ありました。  当時、4・7qを駆け抜けていたのですね。  驚くのは2期生が入隊した「1956年(昭和31年)2月 厳冬訓練納会持久走競技(高須往復8q)(昭和37年まで毎年実施)」とあり、先輩諸氏は我々の倍近くの距離を走っていた事です。  その後、「1963年(昭和38年)2月 厳冬訓練納会持久走(大原地区往復7q)(昭和47年まで毎年実施)」とあります。  17期が一年の時から4・3qになった訳です。  そう言えばそんな話を聞いた事があるような・・ないような・・・    現在の生徒が生ぬるいなどと言えない17期以降の生徒厳冬訓練納会持久走ですね。    生徒数については募集が17期の頃と比べると少ないのでなんとも・・・  どなたか在校生の数の資料がありましたらお知らせください。



2003年1月30日(木)      17期 重永幸敏より
件名 : 元気?
元気?   今、病院のベッドから、メール書いてます(;_;)    俺も、早く良くなって、社会復帰できるように頑張りますp(^^)q
あんちゅうの返信メール    この所新潟は寒波に囲まれ、お陰で通勤時間、帰宅時間とも遅くなりメールのチェックは怠りませんが、返信や17Th Home更新がままならず遅くなりました。   元気?っと聞く方は俺の方なのですが、実は先日インフルエンザを患い39.1度の熱で2日間、休みました。  今はすっかり回復し、バリバリやっています。    重永の調子はどう?



2003年1月28日(火)      17期 中川一敏より
件名 : 電子メールのアドレスが変更になりました.
ご無沙汰しています.お忙しい中ホームページの管理お疲れ様です.アドレスが変更になりましたので下記に記入しておきます.今後とも宜しくお願い致します.      中川一敏      ****@*****
あんちゅうの返信メール    了解しました。  同期には変更の案内を送信しておきます。    元気でやってますか?  音沙汰のないのは元気な証拠でしょうか。   でも、たまには近況などお知らせください。    厚木の連中はどうしてます?



2003年1月27日(月)      つばさ様 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島健児の皆様
お元気でご活躍のご様子、お喜び申し上げます。  冬に雄々しき松の緑、春にゆかしい桜の花・・・仙人様の名文を拝見させて頂いて、今度江田島に行ったら、その由緒ある松の前に立ってみたい気持ちになりました。   航空自衛隊芦屋基地にも、エプロン地区の向うの海岸沿いに、見事な松の防風林がありますが、近年かなり松喰い虫にやられてしまって、惜しまれつつも昔の面影はだんだんと薄れ行くようですが・・・。  この海岸は、あの有名な映画「トラ!トラ!トラ!」に登場した戦艦「大和」の一分の一スケールのセットが組まれた場所で、その出来は実に見事だったようです(第3術科学校の資料館に、当時の写真が数枚展示されています)  でも、撮影が終わると解体されてしまいました。  今あるのなら、何を置いても見学希望場所の第一候補にあげたいですが、とっても残念です。  江田島青年様、S基地で勤務している我が友人も「30歳を越えると、厳冬訓練も体に堪えるようになる」とボヤきつつ頑張っております。  帝都の空の下より、皆様のご健闘を祈り応援しております!



2003年1月26日(日)      17期 黒木悦郎より
件名 : 准尉講習
只今准尉講習中。   今回同期が佐々木鉄男と久保勝正でした。   始まって一週間だけど、みんな年寄りになってるから動きも鈍いね。   3月6日には終了する予定です。 そういえば、先週の木曜日に勝正に川浪から電話があり、「迎えに来い」といったらしいけど、勝正が「呉からじゃ厚木駅までは行けない」といって笑ってました。また連絡します。        黒木悦郎
あんちゅうの返信メール    ごくろうさま、ご苦労様、ゴクロウサマ。ホントにゴクロウサマ。   ナマっていた体が慣れるまで  つら〜い毎日が続きますね。   氏野も伊藤隆(水測)も 呉にいた黒木は聞いているだろうけどツライらしい。   久保勝は体力ありそうだし、鉄は卒業時とほとんど変わりない体型を維持してるが黒木の体は3月6日まで持つのかな? あまり無理せず、ホドホドに。   川浪の電話、いいですね〜。  久保勝も 「そこで待っていろ。すぐ迎えに行くから」とでも言えばよかったのに・・・。    ひとつお願いがあるのですが、エアロビインストラクターが今もご健在か、その様子を是非、詳細にレポートして欲しい。    ワガママ言ってもう二つ。    久保勝にお礼を言って欲しい。あんちゅうが同期としてはじめてのメールが久保勝正だったのです。  2000年10月22日、ゆびとま経由で久保勝にメールを送った返事がきました。 嬉しかったな〜。  記念すべきメールでした。    鉄に一言。タマにはメールの一通でも欲しいあんちゅうです。  ・・・こんな時もありましたね。  最近出たスカイラインクーペのコマーシャルを見るたび、思い出します。  なんと言っても  ハコスカ  サイコー!! 



2003年1月26日(日)      14期生 下條善磨先輩より
件名 : 普通学科教官
風邪の具合は如何ですか。   一週間ほどH/Pが更新されていなかったので、何かあったのかと心配しておりました。   今年はインフルエンザが猛威をふるっているようです。   幸いなことに私はまだかかっておりません。 なんとかは風邪を引かないという諺どうりのようです。   1月23日付けHPの教官の姓名懐かしく拝見しました。 前に写真だけを拝見し、印刷し、一人づつ御名前を記入しながら当時を思い出して楽しませていただきました。   数学の福田教官、英語の岡本教官、まだ現職とのこと、 5月に14期入隊35周年,江田島でお会いできる楽しみが増えました。   岡野教官、奥迫教官が映っておりませんが、体育課の教官は別の写真だったのでしょうか ?      14期 水測 下條善麿
あんちゅうの返信メール    ご心配お掛け致しまして申しわけございません。   あんちゅうに限って言えば、「なんとかは風邪をひかない」の諺は当てはまりません。   ただ、39.1度の高熱を出したせいか、なんとかが更にひどくなったような気がしております。   ノミの心臓と虚弱体質?、そして、なんとか(事実)のあんちゅうですが、江田島で鍛えられた驚異の回復力で、中2日にして仕事に復帰いたしました。   さて、お尋ねの体育課の教官の写真はこちらです。   御二方の現在はわかりませんが、14期生入隊35周年にお会いできるといいですね。



2003年1月25日(土)      ”14期のひとり”先輩 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 安部庄子様へ
先日、厳冬訓練納会が実施されました。  前日、23日には雨の中訓練を実施しており力強さを感じました。当日は、それぞれ持久走(マラソン)では自分の限界と闘っていました。  2月には、カッター競技があるため厳冬訓練に引き続きカッター訓練を続けているようです競技が終了する頃にはお尻に「タコ」ができているかもわかりません。  ご子息を含め1年生から4年生まで、日々たくましく成長しています。  お楽しみに。
安部庄子様返信投稿    ”14期のひとり”様 ありがとうございました。  ひとつの訓練が終わると 次の訓練が待っているんですね。それを一つひとつこなしていく子供達、偉いなーと思います。  日頃の訓練が子供達を成長させているんですね、体にだけは気をつけてと祈るだけです。  お尻の「タコ」、楽しみにしてましょう。



2003年1月25日(土)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−14(ラグビー新人大会
本日(25日)福山の誠之館高校Gで誠之館高校と行いました。   結果は、5−40(前半0−26)でまたもや完敗してしまいました。   先週、呉工専(1.2年と3.4.5年(7名)の混成)との練習試合で0−60で完璧に打ちのめされ、そこから何かを掴んでくれたと思っていたのですが、練習の成果を試合でまだまだ発揮できておりません。    自分で出来ないもどかしさを感じながら指導者としての未熟さを反省しているところです。   2月11日(火)に敗者戦が有ります。  絶対勝ちます。
あんちゅうの返信メール    「ガーックリ!」  の 青年の想いが伝わって来ます。   指導者になってまだ、数ヶ月。  そんな簡単に結果を急いではいけません。   結果を出す事が指導者の力量とは思いますが、まだまだ修行の身。   っと、いって慰めては青年の為にはならない。   ここは心を鬼にして あんちゅう特有の青年の心にグサーッと来る言葉を贈ります。    ・「自分の頃は・・」 などと 想いを巡らし、まして嘆いているようでは指導者の青年に   「指導!!」   ・練習中、選手のどんな些細な事も見逃さない目配りと、怠慢に対するしつこく、厳しい指導。   ・一言、二言の注意ではなく、10言、20言の言葉を用意。体で示せないからこそ言葉が重要。   ・良いプレイには誉め殺しの言葉、30言を用意。 速射でぶっ放す。   ・体で教えられる年ではありません。目と口と頭で指導できるように自らの修行をしましょう。     今シーズンのラグビーをテレビで見ていて思うことは、早稲田にしてもサントリーにしても後半勝負。  残り10分のあの得点力と精神力は如何にして生まれたか?    想い出の一枚を添付します。    確か、観覧席の通路を通って行った宿沢の小ささに驚いた記憶があります。



2003年1月24日(金)      江田島青年より
江田島青年便り14−13(持久走納め会)
1月24日(木)    持久走納め会が風雨の中実施されました。   生徒は、日頃の行いが良かったのか雨は降りませんでしたが、強風の中必死の狂想で頑張り総員完走(当然のことですが。)しました。   しかし、目標タイムをクリアーしなかった者が、かなりいたようです。   スタート前元気にハシャイデイル4年〜1年の集合写真です。      アンチュウからの懐かしい写真、覚えている様ないない様なところですが、言える事はスタイルが全然違うことです。   よく見るとあの頃は(和田アキ子風)皆ダサイ恰好で走っていたんですね。   スタート直後、皆どんな目標を持っているのでしょうか。    トップを取る、自己ベストを出す、完走すればよい又はとりあえず5キロ走ろうか等考えているいるのでしょうか。    ラスト1周半、見た目は余裕のある者ない者色々ですが、本人は必死に走っているようです。    成績ですが、嬉しい事にラグビー部が、ワンツウフィ二ッシュ(3年と1年)をしてくれました。 今回、直前にインフルエンザが流行り走れない傷い軍人は病み上がりにも拘らず応援をしっかりしてくれました。      追伸   江田島青年の成績は、練習不足のためか(言い訳)目標の7分は切れず、7分18秒でした。
あんちゅうの返信メール    青年自ら   ・・(言い訳)ときては、あんちゅう、次の文面が浮びません。 とりあえず「お疲れさまー」とだけ、申しておきましょう。



2003年1月24日(金)      17期 上田三佐夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 良彦(仙人じゃなく江田島青年)と マツ
生徒隊舎裏の松林に関する思い出は、1年生の酷暑訓練時に訓練準備の号令が入らないのを良いことに、横着を決め込み、時間になっても午睡を続けて森永班長に松林整列をくらい、「そんな根性は草履の裏のゴミ(班長は草履の裏を指さし)と一緒だ!と叱られたことと、ハンドボールのフェイント練習を松の木相手にやったことです。高橋も文章がうまくなったねこれからもこの調子でよろしくたのみます。



2003年1月23日(木)     爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り 001−H15
012345カウントがそろそろかな?と思い、日課「HP拝見タイム」に、覗かせて貰いました。  新しい投稿欄の設定はグッドアイディアですね。   管理人の行き足に、また、感激致しました。   多くの投稿が期待でき、HPが更に充実することでしょう。   さて、江田島青年から、江田島の松の便りがありました。   当地の松は、海軍兵学校が、築地から移転した当時、八方園の所にあった樹齢四百年(要町史確認)の老松の種を植えたと言われています。   したがって、そのほとんどが幹の大小に関わらず樹齢は約110年になります。   そして、白砂青松の江田島は、群青の江田内、山緑の古鷹山とともに、素晴らしい景観を醸し出しました。   その緑雄々しい松は、多くの若人を見守り、励ましてきたと思われます。   青年が伝えているように、江田島では、昨年、水不足が主たる原因かな?と思いながらも長いもので110年も生きてきた松を十数本枯らしてしまい、身を切られる思いで、伐採致しました。   当時、仙人は、主として部外の方々に江田島の松を、次のように紹介しておりました。
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まっすぐに天に向かって伸びた松は、学生、生徒たちを見守り、励ましてくれます。   特に、真冬の松は雄々しく、その逞しさには元気付けられます。   昭和天皇の、昭和21年の御製    「ふりつもる みゆきにたへて いろかえぬ 松ぞををしく 人もかくあれ」     当時、塗炭の苦しみの中にあった国民を励まされた歌です。   江田島の松も、まさに雄々しく、学生、生徒を励ましてくれます。
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自然の力は偉大で、逆らいようもありませんが、現地では松を枯らさないように精一杯努力しはていることを付け加えて、仙人便りを閉じます。
あんちゅうの返信メール     爽快仙人便り001-H15  ありがとうございます。   仙人自ら日課を科せ、「HP拝見タイム」の時間を設けていただき誠にありがとうございます。   ご覧のように江田島青年は、仙人教えの通り、江田島の時季の話題を途切れる事無く届けてくれます。   素直な好青年(御世辞ではありません。)を後釜に据えていただきありがたい事で感謝しております。    ある方から頂いたメールの中で、17Th Home掲示板や、管理人宛てにメールを送るのにはかなり心の葛藤がある旨の話がありました。  ・・確かにうなずける所があります。   それならば気楽にご自分の想いを伝えられる新しい掲示板を開設すれば、何方も気軽に書込みできるのではないかと考えました。   掲示板を設置した事で  ”江田島” と、 ”海自” と、 特に ”生徒” に関連した皆様方の話題が、人と人のつながりにまでも 発展していく事が、掲示板設置の目標です。   仙人にも この掲示板の事を多くの人に知らせてくださるようお願いをし、又のメールをお待ち致しております。



2003年1月22日(水)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−12(松のある風景
皆さん、江田島青年広場に松の木が何本あるか数えたことがありますか。   ここで問題です、はたして松の木が何本あるのでしょうか。   ところで、悲しいと言うか残念なお知らせです。  生徒館の裏に林立していた松林を今でも頭の何処かで記憶していることと思いますが。 今、松くい虫の餌食になり危機に瀕しています。  8月26日着任依頼すでに10本近く伐採されています。  かなり前から対策はしていたみたいですが効果はあまりないようです。  今日残りの松を数えたら150m×10mのスペースに95本林立していました。  その中には松食い虫の餌食になってる松もありました。 思えば、17期が入隊したときはすでに林立しており、満開の桜とともに我々を暖かく迎えてくれたような気がします。  そして4年間我々が江田島で流した汗と血と涙を優しく見守り叱咤激励し、卒業後は全国に散らばった我々を江田島から声援していてくれたのではないかと、松林を見ながら感謝しつつ少し感傷に慕っている江田島青年です。  そして、「俺は松くい虫に負けたが、お前たちは何事も負けることなく頑張れ」と言ってくれているようにも思います。 先日、伐採した松の切り株を記念に持ち帰りました。何かの置き台にしたいと考えています。  ちなみに、年輪を数えたら約90年でした。
あんちゅうの返信メール       江田島青年便り14−12(松のある風景) ありがとうございます。  江田島と言ったら松ですよね。  隊舎の裏の松林は毎朝、熊手で筋を入れ、それは綺麗で11月に行った時もそのままで、同行した相談員の方々もその掃除に驚いておられました。  そのときも確か生徒隊舎の海岸沿いの松を伐採していました。  こちら新潟でも松食い虫にやられていて、海岸沿いの防風林となっているところでは航空防除をして対処しているようです。  管理されてる方は大変でしょう。    部活を終わってヘトヘトになって第1グランドより松林を越えて風呂にいきましたね。  松林の中に公衆電話ボックスがあって長いこと待って電話した覚えもあります。    江田島青年が感傷的になるのもわかります。  ・・そういう歳なんです。  ウー  ヤダヤダ!! っと言いながらもミョーに共感できるあんちゅうです。ハイ。    今度江田島に行く機会に恵まれたら、その松の輪切りをおみあげに頂きます。(17期入隊当時の少術校



2003年1月20日(月)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−11(厳冬訓練)
1週間ぶりのご無沙汰です。我が「江田島青年広場」は、厳冬訓練真っ最中です。1月23日(木):持久走納め会(学生も一緒です。)2月13日(木):短艇とう漕競技を控え、各学年共分隊長中心にトレーニング方法を考えながら頑張っているようです。 当然、江田島青年も今年は2000mを7分以内で走りきる予定です。ちなみに、昨年は足の故障もあり7分34秒でした。 話は変わりますが。厳冬訓練と言えば朝早く眠い目をこすりながら、星がキラキラ輝く寒空の中を走っていたと記憶しておりますが。現在は、1550Iから少し寒い中を走っております。これは、海上自衛隊全般に言えることですが、軟弱な生徒や隊員が増えていると思う今日この頃です。幹部候補生学校だけは違うと思っていましたが、同じでした。しかし、朝早くやられると私江田島青年も通勤に少し困ります。 短艇とう漕訓練、今でも機会があれば漕ぐ気持ちは薄れておりません。皆さん、手やお尻に豆を作り苦しみながら漕いだあの頃を思い出してください。風呂から上がるとき、タオルが豆のため絞れなかったこと、夜はうつ伏せでないと眠れず朝起きて見ればシーツに血が付いていたこと等今は、笑い話ですみますが、当時は本当に苦しく痛く大変でしたが、それがあるからこそ現在の我々があると思います。 訓練の一部の写真を添付しました。これを見ながら当時を思い出してみてください。
あんちゅうの返信メール    大変遅くなって申しわけありません。  21日昼頃より寒気を感じ、帰りに医者に行ったら39.1度。  インフルエンザと言うことでした。   本日、23日やっと熱が下がりました。   ノミの心臓と虚弱体質を持っているあんちゅうは??弱いんです。トホホ・・・。     今日、持久走納会とか。  生徒諸君は頑張ったことでしょう。  我々の頃も2000mだったのでしょうか?・・思い出せませんが。    技術不足のため、添付のEXCELより写真を取り出せません。  申しわけありませんが、今一度、写真だけで結構ですので送ってください。  尚、今後は640×480のサイズ、JPGにて添付して、メール内にてコメントを入れていただけると大変ありがたいのですが、よろしくお願い致します。



2003年1月20日(月)      17期 竹下一哉より
件名 : 横須賀便り2003−01 (横須賀地区17、18期新年会)
横須賀地区では昨年、佐藤寿君の発案で17期忘年会を計画!(それも遠藤の送別会以来)   幹事は統率力では、同期の中でもずばぬけた?奥山君です。   「7人か、まかせとけー」と、奥山君。   ただちに宴会場を手配し準備OKかと思ったら、ある同期(S君)の都合で忘年会は中止!   「なにー」「仕方ない新年会に変更だー」と急きょ新年会に変更!(さすが対応の素早い奥山君です)   ところが、この情報を聞きつけた18期諸君が一緒にやりたいとのこと。   それに、なんと勝山分隊長も参加されるとのこと!   「な、な、なにー全部で18人」「しゃーない。まかせとけー」と、これにも動じることのない幹事奥山君、 素早く宴会場を変更し、すぐさま、皆に案内状を配布。(さすがです)   そして平成15年1月17日(金)無事に「勝山分隊長を囲む横須賀地区17,18期合同宴会」が始まりました。   「それではー えー ただ今より」と名調子で始まった開演の名文句に引き続き「つづいて乾杯の音頭を私、奥山がとらさせていただきます」で乾杯!(おいおい分隊長は?)と周りの心配をよそに、宴会は始まってしまいました。   皆の自己紹介では鹿野君が「髪を7,3にビシッと分けられないようなだらしないような自衛官は、再就職できません」「髪がない人はどうすればいいのですか?」と言う話で大爆笑!    楽しい3時間があっという間に過ぎ、元気な中年たちは南方の外国人のいる店へ散っていきました。   ちなみに、分隊長は、最後に「お月さんとお日さん」という小話を話され満足そうでした。    計画、集金、司会、乾杯の音頭、と全てを自分ひとりでこなした奥山君が、とっても大きく見えた今回の宴会でした。   その時の写真を添付しておきます。(集合写真は、フラッシュが乱反射してハレーション起こしてしまいました)    なお、17期HPは18期にも好評でした。  生徒OB全体に広がっているって感じで、嬉しく思いました。    今年も、同期のため、いや生徒のためHP頑張ってください。
あんちゅうの返信メール第1弾    写真、640×480で 送ってくれ。
あんちゅうの返信メール第2弾    横須賀便り2003−01  ありがとうございます。   そうですか、横須賀同期会は遠藤の送別会以来ですか。  何年になるのでしょうね、遠藤君?。    17期の面々は全部わかるのですが18期は面影はあるが誰が誰やらさ〜っぱりわかりません。   あんちゅうの秘蔵写真の中に、後輩が写っているただ一枚の写真。  少術校4代 左近充尚敏校長が少術校25周年記念誌に寄せられたなかで、「運動部で思い出すのは岩国のマリンから挑戦されて出かけたラグビーチームが勝ち、しばらくして雪辱に乗り込んできたのをまた返り討ちにした事です。」と記載した、まさに、返り討ちにした試合後の写真です。  この後、一緒に風呂に入ったのですが、さすがのあんちゅうもおどきましたね。  ・・ナニが??。    今回参加した18期諸君の中にここに写っているラグビー部員はいますか?  もし、よろしかったらメールなどいただけると嬉しいのですが。  この写真には19期も写っています。  18・19期からのメールもお待ちしております。   この中に遠藤が写っているのもこのメールに何か不思議なものを感じます。     今後は奥山君だけに負担を掛けず、同期・生徒の宴会を開いてください。  あんちゅうもチャンスがあったら行きたいな〜。



2003年1月15日(水)      つばさ様 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島健児の皆様
江田島青年様:覚えていて下さっていたのですね。嬉しゅうございます。自衛隊という世界は、広いようで狭いですね。セーターを編んでいる時のように、糸と糸とが、どこかで繋がることが多々あります。今は厳冬訓練の最中でしょうか?お風邪など召されませんように頑張ってください! 元「はるかぜ」乗員様:「はるかぜ」は、一昨年、江田内を離れて・・・その後はどうなったのでしょう?国産第一号の護衛艦だったと聞きましたが・・・去年の12月に引退した「はやせ」もそうですが、海上自衛隊の歴史の中で”彼女達”のように、意味のある艦は、大切に保存できたらいいのになあ、と、いつも淋しく思います。 といっても、ご自分の命を預け、共に訓練に励んだ艦は、どれもがその方々にとって”ヒロイン”でありましょう。「はるかぜ」も「はやせ」形はなくなってしまうかもしれませんが、そこで勤務されたことを誇りに思っていらっしゃる皆様の、そして私の心の海で”彼女達”は、これからも白波を蹴立てて、活躍し続けるでしょう。艦とゆかりの乗員の皆様に、心からの敬意を表したいと思います。



2003年1月14日(火)      17期 上田三佐夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 元「はるかぜ」乗員より「つばさ」さんへ
「はるかぜ」、と言う言葉を聞いて懐かしく、思わずメール致します。  生徒を卒業して初めて乗艦した艦が「はるかぜ」でした。  昭和50年3月26日佐世保で乗り組みました。  当時はすでに第一線を退き、支援艦となっておりましたが、艤装品はすべて自分より年上で「へーこれって俺が生まれる前に出来た部品なのかー」って感じでした。  何とか自分がリタイアする時まで、あのままで居てくれたらと思います。



2003年1月14日(火)      17期 上田三佐夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 俺も泣いた・・・
下条先輩のメールに思わず涙腺がゆるんでしまった。  俺も1年生の夏休み前頃手紙(当時は電話など滅多にできなかった。)でずいぶん泣きを入れてた記憶がある。  自分では全然気がついてなかったけど80歳になる母が父の初盆の時言っていた。  ぼけてきたのかな・と思ったけど、いつまでも母親なんだな・・・。    泣いたのはおまえだけじゃない!竹原ー    PS:下条先輩、良いお話を有り難うございました、やっぱ、14期生は17期にとって「神様」なんですね。



2003年1月13日(月)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−10( 柔道新人大会等) 009
 1週間ぶりのご無沙汰です。冬休暇が終わり1週間がたち、我が後輩たちも休暇ボケもそろそろ抜けたようで?文武両道?で頑張っております。  クラブ活動も新人戦が控えており各クラブ練習にも熱を帯びて?おります。 早速、12日に柔道部、サッカー部の試合がありました。  結果: 柔道部 個人 48期 丸子生徒 5位(添付写真参考) サッカー 1回戦 対宮島工業 0−2 で惜敗となりました。  休暇中鈍った体を1週間で復帰させるのことが出来なかったようで納得の出来る結果が出せなかったようです。 (ところで、17期の諸君普通学科の小森教官を覚えていますか、現在柔道部の部長をしておられます。) しかし、我がラグビー部はくしくもサッカー部と同じ宮島工業から練習試合の挑戦を受け12日江田島1Gで対戦しました。結果は37−12で勝利を納めることが出来ました。今年初めての試合をこうゆう結果で納めることが出来たのも臨時コーチをはじめ皆様のおかげと感謝しながらも、試合内容はまだまだ満足していません、これにおごることなく常に上を目指して頑張っていきます。     つばささま、ご無沙汰しております、お元気でしょうか。  しっかり覚えてます、「江田島青年」はお頭は少々おとりますが、綺麗な女性は不思議とおぼえてります。  此方のほうこそ覚えていてもらい大変光栄です。 艦を降りた今、もうお会いすることはないと思っておりましたが、又このような形でお会いでき大変嬉しく思っています。  これからも宜しく。
あんちゅうの返信メール    江田島青年便り14−10( 柔道新人大会等) 009  ありがとうございます。  後輩たちはそれなりに頑張っているようですね。  暮も正月もなく練習に励んできたシャバの高校生と、各々故郷で新年を迎え、厳しいが気力あふれる江田島に集結直後の試合、同年代とはいえ・・生徒の宿命でしょう。    しかし、「言い訳をするな」・「泣き言を言うな」 の声も聞こえてきそうです。      江田島青年と同じく美人は不思議と覚えているあんちゅうですが、どの方が小森教官か思い出せません。 この中に居られるのでしょうね。    25周年記念誌の職員名簿によりますと、社会科の教官の中に「小森幹雄」の名前があります。  柔道部だった同期は覚えているんでしょうねきっと。    どなたかこの写真に各教官の名前をつけてくださる方はいませんでしょうか?



2003年1月13日(月)      17期 竹原堅一より
件名 : Res下條先輩へ
佐世保の竹原生徒です。  久し振りに泣かせてもらいました。   去年の涙は高杉の残念な涙でした。 今日の涙は、また 異質のものでした。 気持ちのいい涙です。  あらためて、自分が江田島に行った時のこと、初めての休暇の時の最後の日のことをおもいだしました。   母の気持ちもわからずに、自分はもう大人なんだ、みたいなことを、言ったようなきがします。   阿部さんの気持ちが良くわかるようになった自分も親なんだなあと、思います! 先輩みたいに、うまく、文字には、なりませんが、気持ちは、いっしょです。    また、泣かせてください。



2003年1月12日(日)      つばさ様 17Th Home掲示板投稿より
件名 : ファンレター
17期の皆様、はじめまして!  このHPを見つけて以来”隠れファン”となって、たまに開いては、皆様の汗と涙のにじんだ思い出溢れるエッセイを、とても興味深く読ませていただいております。  自衛隊生徒の皆様が、どのような毎日を送っていらっしゃるのか、その一端を伺い知ることができる機会はなかなかありませんので、貴重な場だと思っています。 数年前、友人の案内で江田島に行きました。  小用港から1術校まで初夏の陽射しの中を、エッチラオッチラ往復しました。  まだ桜が枝に残っている頃で、白い花がハラハラ散る中で、歴戦の勇士「雪風」のアンカーと対面した時の感激は、一入でした。  土曜日でしたが、カッター訓練をやっていて、ポンドでは、どんな理由か3回くらいやり直しさせられていました・・・大変だなあ、と思いながら、教官殿の迫力のある”号令”と共に、生徒さんたちが一生懸命訓練している姿を見学させていただきました。その横に静かに浮かんでいた「はるかぜ」の姿が、今も深く印象に残っています。教育参考館では、貴重な資料の数々に、時を忘れて見入ってしまいました。  色褪せて文字が擦れた遺書や、名前しか知らなかった大先輩方の形見の数々に、思わず居住まいを正しました。 趣のある建物。友人の入校時の思い出話をききながら過ごした時間は、貴重な体験が沢山出来た半日となりました。  またいつか行ってみたいと思っています。 これからもますます充実したページになりますように、陰ながらエールを送っています!
あんちゅうの返信投稿    つばさ様、ファンレター 大変ありがとうございます。   つたない管理人ではありますがこのような書き込みをしていただけると単純なあんちゅうは すぐその気になってしまいます。   江田島や後輩生徒部の様子は つばさ様ご存知の「江田島青年」という者がおりまして、時季の話題をこまめに届けてくれます。   江田島に行かれた事があるのですね。  すばらしいところだったでしょう。  この17Th Homeは同期17期は無論のこと、生徒・江田島をキーワードに皆さんのメールによって運営更新されています。  あんちゅう一人ではネタに限度がアリアリで更新もままなりません。  どうぞ ”隠れファン”などとおっしゃらずお気軽にメールをお寄せください。   ところで前のメールで 「江田島青年殿にエスコート・・」との記載がありますが、どういうご関係で?   いえ、深く追求するつもりは毛頭ないんでありますが・・・   (あんちゅうは毛頭がなくなりつつありますが・・)    今後とも17Th Homeをよろしくお願い致します。  



2003年1月12日(日)      14期生 下條先輩より
件名 : 母のこと
仙台 阿部圧子様のお手紙を拝読させていただき故郷の母を思い出しました。
35年前のことです。 少年自衛官ヘの入隊が決まり家を離れる数週間前、母が私を呼びました。母は風呂場で私の下着とシャツをカナ盥に入れ手洗の方法をに教えてくれました。 下着の洗い方、シャツの襟の汚れの落とし方、そして乾かし方、私は母の手元を眺め、家を出るということの意味を実感しました。その後、折に触れ、母は私に釦のつけ方、繕い方等、教えてくれました。
後年、妻にその話をしましたら、"お母さん、どんな思いであなたにそのことを教えたのでしょうね。 母が娘に教えるでなく、まだ年端もいかない息子に教えるなんて" と申しておりました。 
故郷を離れる日が決まった時、そばに住む祖母に報告に行きました。"3月27日の夜行で呉に出発する" 思いもかけず祖母が申しました、"出発する日をずらして欲しい" 22年前のその日、祖父が召集され、広島にむかい、宇品から出航したまま帰ってこなかったそうです。祖母は私の入隊に最後まで反対していました。"戦争の犠牲はお祖父さんだけでたくさんだよ。 何で孫のおまえまで。" 私は"おばあちゃん、俺は自分の意志で行くのだよ"と申しましたが祖母にはわかってもらえなかったようです。 
昭和四十年代の前半は未だ戦争の記憶が人々の心の中に焼きついていた時代だったのでしょう。
家を離れる日、私は父に別れの挨拶を述べました。 父は"男たるもの、家を出たからには志を果たすまで家はないものと思え" 厳しい表情で述べました。
横に正座していた母の顔は覚えていません。 多分、俯いていたのでしょう。 
呉教育隊での1ヶ月半、そして江田島での最初の数ヶ月をなんとか乗り越え、初めての休暇、陽に焼け引き絞まった体に白の制服で帰省した私を父は誇らしげに迎えてくれました。休暇の前半は親戚への挨拶、中学の同窓生との再会と忙しく過ぎました。 休暇の後半、次第に無口になっていく私を母は腫れ物にでも触るように扱ってくれました。 明日は江田島に戻るという日の午後、母は私に訊ねました。"今晩、何をご馳走してあげようかね ?" 私は ぶっきらぼうに答えました。"何もいらねえよ"、母は悲しそうな顔をし、しばらくの沈黙の後、申しました。" おまえ、辛いのなら帰らなくてもいいのだよ。 お父さんには、お母さんからとりなしておくから"私は驚きました、今まで父に従順で口答えひとつしなかった母の言葉に。 私は思わず答えました "大丈夫だよ、母さん、俺、江田島に戻るから"、 そして部屋に入り 帰り仕度を始めました。 その晩、夕餉の席には母の手料理の私の好物が並んでいたのでしょう。何を食べたのか、どのような味がしたのか憶えておりません。 そして最後に母に "とても美味しかったよ、母さん、ありがとう" と礼を伝えたのか? 多分、伝えなかったのでしょう。 今でもその時のことを思うと母にすまなかったという思いで胸が一杯になります。
あんちゅうの返信メール    今夜、あんちゅうは呑んで帰ってきましたのでHP掲載まではできそうにありませんが、明日、掲載したいと思います。  仙台の安部さんにも直接この添付文を送付したいと思います。



2003年1月12日(日)      つばさ様より 江田島青年へ
件名 : 江田島青年殿
江田島青年殿  突然メールを送りまして、さぞ驚かれたことでしょう。  私は2000年の観艦式事前訓練2の時「やまゆき」で8護隊司令賞を戴いた時、江田島青年殿にエスコートをしていただいた”つばさ”です。  もう覚えていらっしゃらないかもしれませんが、其の節は、大変お世話になりました。   HPを検索している時、たまたま見つけたこのページで、江田島青年殿の懐かしきお姿を見つけて、お元気でご活躍と知り、懐かしくなってメールを書きました。 「やまゆき」から少術校に転属されたことは、風の便りに聞いておりました。 准尉になられたのですね。おめでとうございます。   17期の皆様が作っていらっしゃるHP、バラエティに富んでいて・・・少なからず自衛隊という世界を知っている私にとって・・・面白いなあ、と思いますし、自衛隊生徒についての資料・当時のご苦労も偲ばれ、とても興味深く (失礼でしょうか?ごめんなさい)拝見しております。  旧友に会うと、一瞬にして時間が当時に戻ってしまうものです。  こと自衛隊における同期という繋がりの強さは、 周囲の友人たちを見ていても”いいものだなあ”と羨ましく感じております。  そんな訳で、私はこのHPの”隠れファン”として、時々覗かせていただいております。   江田島青年殿、17期の皆様、どうか今年もお元気で、ますます充実したHPを作ってください。 部隊でも、インフルエンザが猛威をふるっています。  どうかお体大切になさってください。  それでは皆様、お元気で!!  つばさ 拝
あんちゅうの返信メール    つばさ様、メールありがとうございます。  江田島青年は、「やまゆき」 退艦後 後輩指導の為、江田島に転属し、江田島仙人のご指導により 「江田島青年」 を 名乗り、旬の江田島の話題と香りを17Th Homeに届けてもらっています。    たぶん?記憶力の抜群な江田島青年でありますので、つばさ様のことは覚えているはず? ・・です。    このメールを江田島青年に転送し、17Th Homeにも掲載させていただきます。    ”隠れファン”などと申されず、またのメールをお待ち致しております。



2003年1月10日(金)      ”14期のひとり”先輩 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 安部庄子様へ
まもなく厳しい厳冬訓練が始まります。朝まだ暗いなか、照明灯に照らされ霜の降りたグラウンドでのジョギング、しもやけになりそうに手もかじかむカッター訓練。今となってはいい思い出です。またあのころに戻りたいとも考えるこのごろです。卒業時には、たくましく、かつ優しい家族想いの青年に育っていると信じています。30年前同じ苦しみ(楽しみ)を味わった者の一人の独り言。年かな?
仙台 安部さんの返信投稿     気にかけていただきありがとうございます。  辛い!辛い!と言いながら9ヶ月が過ぎ、 ”ねぼすけ”(朝寝坊)だった息子が、ラッパの音に体が反応し、起き上がると同時に、毛布の四隅がそろうそうです。   休み中も 力こぶや腹筋を自慢したり、3つ上の姉に 朝の体操を特訓していきました。  息子にとって辛いことも、苦しいことも、楽しいことも、30年後には 懐かしくかけがえのない、すばらしい思い出となるよう信じています。    ありがとうございました。



2003年1月7日(火)      17期 安中 均より
件名 : 斎藤賢一に逮捕状?
昨日、広瀬君のアドレス公開の案内を致しましたが、斎藤賢一君のメールが戻ってきました。  彼は、大阪府警の敏腕刑事。  ちょっとの事では発見できないと思いますが、面通しのできる方、捜索方、よろしくお願い致します。   17Th Homeは、彼を逮捕するまでとりあえずアドレス帳から外します。     ・・・ 「 隠れていても無駄だー!! おとなしく出て来い! 斎藤!!  出てこないと逮捕するぞ!!」  



2003年1月7日(火)      仙台 安部庄子様より
件名 : 無事 戻りました
昨日 息子は無事に江田島に戻りました。  ちょっぴり寂しそうな笑顔をのこして・・・・   みんな 嫌なんですよね、でも 「戻らなくてはいけないんだ」って   ちゃんと頭の中で 判ってるんですね。    笑いながら 言ってました。  「隊舎で 同期と 休み中の楽しかったことを語り合って、泣くんだ」と・・・・    「今度 帰ってくるときは 2年生だから!」  楽しみに待ってましょう。   写真ありがとうございました。  手やお尻から血が出ても あの さわやかな笑顔!いいですね!  息子には これからも 試練がいっぱいあるでしょう。  でも けっして 兜を脱ぐことのないように 祈ってます。  ・・・・仙台  安部 庄子
あんちゅうの返信メール    母親の嬉しいお努めご苦労様でした。    安部家には又、普段の生活が来ますね。    5月の連休までしばしの別れ。  彼も2年生となり後輩も出来、また一段と逞しい姿で安部さんの前にあらわれることでしょう。   彼の事は江田島に任せておけば大丈夫。   江田内と古鷹山がシャキーッとした男を創ってくれます。    心配ありません。



2003年1月6日(月)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−9(御用始)
 17th−HPの皆さん、あけましておめでとうございます。  本日(6日)から、我が青年広場も御用始めとなり、「江田島青年便り」も本日より再開します。  宜しくお願いします。  又、ご意見ご要望があればどしどし申し付けください。 さて、我が生徒部の生徒46・47・48期は本日総員無事帰校し、45期は明日帰校します。  今朝、江田島青年広場は小雪がちらつく中、我が生徒館は2週間ぶりに活気を取り戻しました。 江田島青年も両腕に軽めの物を巻いただけですが、妙に肩がこるのは気のせいでしょうか。
あんちゅうの返信メール     江田島青年便り14−9(御用始)  ありがとうございます。  後輩は全員、島に戻りましたか。   むか〜し、昔、戻らなかった輩もいたようですがホッと一安心ですね。    肩が凝るのはその全容を17Th Homeご覧の皆さんに見せないからではないでしょうか?  こう書くと真っ先に動いてくれる人が江田島にはいるんですよね。  あんちゅうは知っています。  ”17Th Homeかくれファン”  がひそかに狙いを定めはじめている事を・・・。    17Th Homeの要望は、仙人が贈った言葉  「青年よ!デジカメとパソコンを抱け」 を忠実に実行する事です。    「江田島青年便りにはデジカメ便りも!!」    期待しています。



2003年1月6日(月)      17期 安中 均より
件名 : 広瀬七英 メールアドレス公開のお知らせ
17期同期諸兄、おばんです。   正月ボケはしていませんか?    この度、広瀬七英のメールアドレスが分かり、本人了解の下公開する事となりましたので お知らせいたします。  彼は単身赴任で一週間に一度、金曜日にしかメールを見れないそうですが同期のコミュニケーションが広がりますように。    広瀬七英      ***@****



2003年1月6日(月)      17期 重永幸敏より
件名 : おはよう(^O^)
おはよう(^O^)元気ですか?  去年は、家族に不幸があり、新年のあいさつができなかったことをすいません。  また、体調こわして今、入院してます(;_;)   今年も、頑張りましょうp(^^)q   俺も、この障害に、負けないように、頑張りますp(^^)q
あんちゅうの返信メール    入院してるって?  また、どうして?  っと 聞いたところでどうにもならないけど元気出して、しっかり節制して、早くじゃなくていいから一歩づつ  確実に乗り越えてください。 その後には また、嬉しい再会と楽しい食事が待ってるよ!  ツラかったら17Th Homeにメールください。  17期の応援合戦がきっとあるはず。    ガンバッテ!!  今年も宜しく。
重永の返信メール    おはよう(^O^)    やっぱり横浜まで、通勤時間1時間40分は、歩き過ぎって先生に言われたよ(;_;)    おまけに、手も、足も、腫れてるんだ。  この病気ってやっかいな障害だね(;_;)    まぁ!もう一回じっくり、自分の体の検査をしてくるねp(^^)q
あんちゅうの返信メール    歩きすぎか〜。  確かに 通勤時間の1時間40分はツライね。  座っていても長い。 ましてや通勤電車となれば座れる事も少ないだろうしね。  よく頑張ったと思うよ。  「まぁ!もう一回じっくり、自分の体の検査をしてくるね」 を 聞いて、ちょっと安心。  あせらず ジーックリ行こう。
重永の返信メール    ありがとう(^O^)  明日家族と先生と集まって、評価会議があるんだ。  これから、俺の病気に対してどうやって、対処していけばいいのかってね。    じゃ〜またね(^O^)



2003年1月5日(日)      17期 安中 均より 17期 広瀬七英へのメール
件名 : 17期 安中 均 です。
明けましておめでとうございます。  年賀状、どうもありがとう。 遅くなりましたが、明日、投函します。ごめん。  ところで、17期ホームページ  ”17Th Home”  の存在はご存知かと思います。  17Th Homeでは同期のアドレスを公開しています。  もし、よろしければ広瀬のアドレスも公開したいんですがよろしいでしょうか?  よろしければ返信をお願い致します。  了解を得られれば広瀬にもみんなのアドレスを送りますのでよろしくお願い致します。    ところで、卒業以来ですね。あんちゅうはあるとき、Yahoo で 同期の名前を全て検索しました。  そこで広瀬の載っているページを見つけました。
http://www.kenkoushukan.net/jogging/part5_1/hayakawa902/  間違いなくこのページに載っているのが本人でしょう?  マラソンに頑張っているようですね。  これからもヨロシク!!    海上自衛隊 少年術科学校 第17期生徒ホームページ管理人 安中均
広瀬七英の返信メール     メールありがとう。  単身赴任で1週間に1度しかメールを見ることができないが公開してください。  よろしくお願いします。  明日から出勤です。  ここから1番近い下関です。  毎週金曜日に見るようにしています。  広瀬



2003年1月5日(日)      17期 上田三佐夫より 仙台 安部庄子様へのメール
件名 : どうかご心配なく
阿部君のお母上、どうかご心配なく、ここまで来たらまず1年は終わったも同然、1年経てば後輩も入ってきてなんか非常に楽になります。  1月、2月は厳冬訓練で朝も暗い内からカッター漕いだり(カッターのオールの先から滴る海水中の夜光虫がキラキラひかります。ファンタスティック!)走ったりで朝飯の旨いこと!  3月になると三寒四温でぽかぽか陽気の日も多くなり瀬戸内独特の麗らかな気候になります。  万が一阿部君が弱音を吐いたらこんな話をしてあげますのでおじさんになった先輩が身近にいることを教えてやってください。    17期uemisa105



2003年1月4日(土)      14期生 下條善磨先輩より
件名 : 新年のご挨拶
新年明けましておめでとうございます。  皆様お揃いで良い正月をお迎えのことと存じます。  徒然草に掲載されました安中家の周りの雪景色、朝日に輝く白銀の世界、清浄かつ叙情的な風景に旅情をかきたてられました。 東京地方も元旦と三日は雪が舞いましたが、積もるまでにはいたらず、雪見酒は叶いませんでした。  酒といえば飲酒運転。今回規制が厳しくなり運転手だけでなく同乗者も最高30万円の罰金、 お互いに気を付けましょう。  “ドウジョウするなら金をくれ”  本年も宜しくお願い致します。  14期水測 下條
あんちゅうの返信メール    おめでとうございます。  この囲炉裏に炭を入れ火を起こし、鉄瓶の中に徳利を入れ燗をします。  赤いお膳に 二品のつまみ。   漬物を欠かすわけにはいきません。  外を見れば雪。   これ、正統派の雪見酒。    「さあ、先輩、まあ 一杯!」   今年も17Th Homeをよろしくお願い致します。
下條先輩の返信メール    熾る炭火、釜にたぎる湯の音、獲れたての魚に、奥様自慢の郷土料理、そして白菜の漬物の歯ごたえを楽しんだあと、熱燗を飲み干す。   外はしんしん雪が舞う、旨い酒です。   すっかり酔ってしまいました。   ご馳走様です。    14期 水測 下條



2003年1月4日(土)      仙台 安部庄子様より
件名 : おめでとうございます。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。新年を迎えたと思ったらもう4日で 明日息子は江田島に戻ります・・・・と思います・・・夕方になっても 帰る準備をせず・・・・もうしばらく家での食事はできないと思い 肉やら刺身やらケーキやら・・・好きなものを並べてあげたくて準備をしていたら 「手伝う?」とやって来たので、 私が 「明日帰るんでしょう?」と聞いたら 小さい声で「かえりたくないなー」でも 8時頃食事が終わったら ボチボチと・・・準備をしはじめました。(ほっ!)「戻ったら 厳冬訓練が辛いんだよねー」と言ってます。江田島に着いたらあきらめもつくんでしょうが もどるまでが嫌なんでしょうね。(あんちゅうさんも そういう時がありましたか?) でも またがんばってくれるでしょう。 前に 江田島青年からカッター競技の予定を知らせていただきましたが 今回はちょっと見合わせようと思います。17Th Homeの江田島青年便りを期待してます。清子さんはお元気ですか?今年もよろしく、とお伝えください。 ・・・・仙台 安部 庄子
あんちゅうの返信メール    明けましておめでとうございます。  御子息は江田島に帰られましたか?  私も帰省して江田島に戻る時はイヤでしたね〜。  キツい厳冬訓練は待っているし、厳しい先輩方はいるし。  4年生(14期生)が実習から戻って ”神様” になったのもこの時期。  貫禄があり、大人を感じたさせた ”神様” は 優しかったな〜。    カッター競技は短槽、遠槽とあって優勝するとこんなメダルをもらえましたが尻から手から血が吹き出ます。・・・正に、血と汗と涙の結晶です。  「勝って兜の緒を締めよ」 の文字もいいでしょう?    御子息も頑張って櫂を漕ぐ事でしょう。  仙台と新潟から応援しましょう。    本年もよろしくお願い致します。



2003年1月4日(土)      17期 前畑啓二より
件名 : 田舎に帰ったニコラス
新年明けましておめでとう御座います。  2003年は群馬で迎えました。  2日には10cmの積雪になり、チェーンもスタッドレスもないニコラスにとって死活問題なので必死に雪かきをしました。  雪かきは2年前に大湊に[さわゆき]を取りに行った時以来でした。  新潟の加茂市ではいかかですか?  田舎では曾孫を見せることができて喜んでもらいました。  今年も17期ホームの管理大変と思いますが、健康に留意し頑張って下さい。
あんちゅうの返信メール    おめでとうございます。  この時期、新潟県が快晴の時は、大概 関東地方は天気が良くないし、新潟県に雪マークがついていると関東はお天気マークの日が多いようですね。    今日の新潟県加茂市はご覧の通り。   これが新潟県の普通の冬です。    17Th Homeは今年もニコラスの応援を得て頑張ります。    ヨロシク。



2003年1月3日(金)      17期 石塚一石より
件名 : 明けましておめでとう
謹賀新年  2003年 元旦  北陸地方は快晴の正月を迎えたようですね。  7年程金沢の方には帰省していませんが、HPのおかげで様子がわかりうれしく思っています。  今年は関東地方も例年より寒さが厳しく雪を見る機会がふえそうです。  本年も変わらずよろしく御願いします。   石塚一石
あんちゅうの返信メール    おめでとうございます。  正月は快晴でしたが、今日はご覧の通り。  雪に埋もれている安中傳左衛門家の1630の風景です。  おお〜 サブー!  厚木の同期・生徒・江田島情報待っています。     今年もヨロシク。



2003年1月1日(火)      17期 小池正行より
件名 : Re: 新年のご挨拶
明けましておめでとうございます。 今年も一年話題を提供しあいながら、17期のみんなと交流したいと思っています。 どうぞよろしくお願い致します。 さて、我が家では、昨年までと異なり、アーストラリアから留学生を迎えいれています。 16歳の女性で、私と同じ位の身長、ちょっと大きめです。 息子の高校と姉妹校なので受け入れたのですが、何しろ初めてのことなので、いろいろ途惑うこともありますが、結構楽しくやっています。 ただ、家の上さんが、この正月休暇中全部出勤なので、私の数少ない料理レパートリーを披露しなくてはなりません。 結構食べてくれるので安心ですが、お雑煮はだめでした。 英語は究極、単語だけで通じると思っていたので安易に考えていたのですが、やはり意思の疎通という点では、十分ではありません。 だんだん無口になっていく自分に気付きこのままではいけないと思っているんですが、いまさら付け焼刃的に勉強しても仕様もなく、あるがままで行こうと思っています。 年末から約3週間の滞在なので、少しでも楽しく、笑顔の出るホストファミリーとして出来るだけの事はやってあげたいと思っています。



2003年1月1日(火)      17期 野田達也より
件名 : Re: 新年のご挨拶
早速、新年の挨拶ありがとう。 去年、君が懐かしがりそうな音を取り込みましたので添付します。 ソフトが1分までしか対応していないため、1分ごとにおかしくなってしまいますがお許しを。 今年もよろしく!今年も頑張って下さい。 奥さんにもよろしく伝えて下さい。           野田



2003年1月1日(火)      17期 伊藤 隆(水測)より
件名 : Re:
明けましておめでとうございます。 昨年一年間ご苦労様。 本年もよろしく。 そちらの正月はどうですか。 こちらは少し寒いですが、穏やかな一日です。 お互いに体に気を付けて、本年も頑張っていこう!  朝から曇っていたけど、やっと今お日さまが顔を出しました。



2003年1月1日(火)      17期 安中 均より
件名 : 新年のご挨拶
明けましておめでとうございます。  あんちゅうの住む新潟県加茂市は素晴らしい青空で新年を迎えました。  31日の夜は、安中傳左衛門一家そろってとは行きませんでしたが毎年のごとくの妻の手料理で年越しのご馳走をいただきました。  こちらでは31日にご馳走をいただきます。     さて、2003年も皆様方のご協力をお願いしながら17Th Homeをより充実したものにし、同期17期はもとより 生徒・江田島をキーワードに関係諸氏のコミュニケーションを図って行きたいと思います。  昨年は江田島仙人より江田島の香りを逐次届けていただきましたが仙人、江田島を去る前にその術を弟子の江田島青年に伝授され、本人もやる気マンマンのメールが届いています。  また、全国各地に散らばっている同期からも逐次懐かしい顔ぶれを送っていただきましたが今年も昨年以上の話題の投稿をよろしくお願い致します。  同期だけでなく生徒・江田島に関係する事も今年は重ねてお願い致します。    先輩・後輩・関係諸氏におかれましても昨年以上の投稿やメールをよろしくお願い致します。     皆様方のメールでこの17Th Homeは成り立っています。  どんな小さな事でも送っていただき、皆様方のコミュニケーションが広がり、膨らみ、深まる事を祈念し、皆々様の2003年に幸多からん事をお祈りいたしまして 17Th Homeのご挨拶といたします。     海上自衛隊 少年術科学校 第17期生徒ホームページ   管理人  安中 均



2003年1月1日(火)      17期 上田三佐夫より
件名 : 今年もよろしく!
あけおめー。 こちらこそよろしく御願いします。 瀬戸内地方はカラッと晴れ上がり、清々しく気持ちの良い新年を迎えました。 健康に気を付けて今年も行き足のある17HPにしていきましょう。  ヨロピク 上田



2003年1月1日(火)      17期 黒木悦郎より
件名 : 新年
おめでとう。  今年もよろしくお願いします。 また、懐かしい写真があったら、ホームページへの掲載よろしく。  今年は1月から准尉講習に行って来ます。     黒木悦郎



2003年1月1日(水)      14期生 大湊 井上先輩 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 謹賀新年
明けましておめでとうございます。このHPを教えてもらった事で、我同期のHPにたどり着き、これまで連絡が取れなかった同期と楽しく語らっております。 ありがとうございました。大湊は曇ですが、少し高くなった御来光を拝むことが出来ました。17期生徒の皆さんの益々の活躍と健康を祈念します。



2003年1月1日(火)      17期 吉原英夫より
件名 : 年賀
謹賀新年    新春を迎え皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。    今年はいろいろな意味で時代が変わる年になるかもしれません。    お互い悔いの残らない一年にしたいものです。    本年もよろしくお願い致します。    平成15年元旦    吉原英夫



2003年1月1日(火)      17期 竹原堅一より
件名 : 新年のご挨拶
あけまして おめでとうございます。  本年もよろしくお願い申し上げます。  さっそくのメールありがとうございます! でも 携帯なので、途中でおわってます。  いまから、初詣にいってきます。 かあちゃんと 2人で、 仲良く! 宮崎から父、母が佐世保にきたので、忙しいのです。  今年もがんばろう。



2003年1月1日(火)      14期生 谷川憲一先輩より
件名 : 謹賀新年
あけましておめでとうございます。本年も相変わらず宜しくお願いいたします。



2003年1月1日(火)      17期 臼井幸一より
件名 : なし
A,HAPPY,NEW,YEAR!



2003年1月1日(火)      江田島青年より
件名 : 新年のご挨拶
新年明けましておめでとうございます。  旧年中はお世話になりました。  本年もよろしくご指導お願いします。    平成15年元旦    江田島青年・直美
昨年は、色々ありまして「江田島青年便り」が、なかなかうまく出来ませんでしたが、今年は頑張ります。引き続きご声援宜しく。 2003年も17th HPの益々のご発展を祈ると共に、「江田島青年便り」どんどん行きたいと思っております。