17Th Home 徒然草 2003年4月


2003年4月28日(月)      爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り006−H15
17期諸兄におかれましては、それぞれ元気に連休を過ごしていることと思います。  たっぷり休んでいる人、仕事に邁進している人、洋上にいる人、スポーツに汗している人、様々に意義ある日々にされていることと存じます。 仙人は、前半は仕事?です。 江田島では、青年が、つい先日入校した49期生徒の様子を知らせてくれましたが、今生徒は、それぞれ郷里に帰り、家族水入らずの時を過ごしているのでしょう。 昨年の今頃の仙人は、連休明けには皆揃って元気に帰校してくれることを祈る毎日でした。 未練で言っているのではありません。 そういう仲間がいることは素晴らしいことです。 ただ仲間を大切にして欲しいと願っているのです。  さて、仙人巡検使は、今なお健在です。 例によって、そっと席抜けの術を使い、皇居東御苑にお参りしてきました。 この苑は、両陛下がお住まいの皇居とは仕切られていて、誰でも入門できる所です。 仙人もデジカメも直立不動?で、数枚撮影させて頂きました。 諸兄!畏まってご覧下さい。  《通勤ラッシュの疲れを癒す巡検使より》
あんちゅうの返信メール     爽快仙人便り006−H15 ありがとうございます。 東京さ行かれても術の鍛錬に励んでいる仙人に頭が下がります。 席抜けの術は江田島時代より仙人のもっとも得意とする術。 副官泣かせの術でもあったようですね。  今は撒くことは必要ないと思いますが、逆に人ごみに撒かれての右往左往にも余裕を持って対応できている事と思います。  連休後半は金沢に戻られるのでしょうか? けいこねーちゃんにも宜しくお伝えください。



2003年4月28日(月)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−11−41(生徒隊長交代)
  連絡が遅くなりましたが、去る4月21日(月)生徒隊長が交代されました。    13期生徒 3等海佐 別 所 和 夫    14期生徒 3等海佐 井 上 勝 美  生徒隊も幹事付が41期から42期に2名とも交代しました。 水測:   2等海曹 宮下浩幸 (4分隊班長)        3等海曹 久野伸貞 (大湊 ゆうぎり) 通信:   2等海曹 住吉  剛 (中シ通)        3等海曹 加藤広也 (中シ通) 分隊職員も、分隊長3名、分隊士2名、班長2名が年度末に交代し、新生徒隊長の基、新一年生第49期生徒を迎え15年度も昨年度以上に頑張って行きたいと思います。



2003年4月28日(月)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−10−40(音戸のさつき7分咲き)
 桜の花は、すっかり散り葉桜となって参りましたが、昔平清盛が一日で開通させたと言われる音戸の瀬戸に架かる、呉と倉橋島を結ぶ音戸大橋にある「さつき」がそろそろ満開の装いを見せてまいりました。帰りに7分咲きのさつき群をデジカメの餌食にしてまいりました。 最後の一枚は、江田島の食堂横にあるさつきです。
あんちゅうの返信メール    毎日この道を通勤している 江田島青年がうらやましい。



2003年4月28日(月)      17期 江田俊弘より
件名 : 江田島訪問記
アンチュウ、元気にしていますか? 先日施設利用訓練で江田島に行ってきました。 久しぶりの江田島は、桜は葉桜になり、ツツジが咲き始めていました。 また、長いこと工事をしていた1術校学生館が完成し、以前のイメージを守りつつ真新しい外観で登場していました。  訓練と内火艇の合間に生徒館に行ったところ、中央玄関付近に集まっていた49期生徒諸君の元気な敬礼に迎えられました。 昨年いろいろと取りざたされていましたが今年も無事に新入生が着校したことを確認しほっとしました。 新入生もいれば、そうでない人もいるのが常で、、、、普通学科の岡本先生が通りかかりました。 少しお年を召されたような気がしましたが元気な様子でした。 数学の山崎先生も髪が白くなったようですが元気に教務に行かれました。 普通学科で話していたところ高橋が顔を出してくれ、一杯やる約束をして、上田のとこへ行ったのですが、当日は3尉、3曹の面接の日で人事課としては忙しい一日で会えませんでした。 会えなかったのは残念ですが仕事で忙しいのは元気な証拠!と思っています。 またの機会を楽しみにしています。 行き帰りに、執銃訓練に励む生徒や候補生を見かけ、春を感じる私は異常でしょうか? 思えば私たちも4月には基本教練、執銃訓練ばかりやってたような気がします。 初めて銃を持った日に銃を「おもちゃ」にして遊んでたところを班長に見つかり、どやされたのを思い出します。 そういえば最近は銃を個人に貸与しているとか、そして銃もM1から64式に変わって命中率も良いのですが、、、、 今となってはM1も懐かしい。 夕刻は高橋、竹原と「雲助」で焼肉を肴に飲み、2次会まで付き合わせてしまいました。 ご馳走になりました!! 最終日には久しぶりに参考館を見学してきました。 所感は言葉にすれば私の表現力では月並みになってしまいますので書きません。 江田島を出た後も訓練は続き、一昨日佐世保に帰ってきました。 私にとって初めての地方隊勤務で戸惑うことのほうが多い毎日で、失敗も多かったのですが、良い勉強をさせてもらいました。 「せんだい」を見かけたら乗っていますのでよろしくお願いします。
あんちゅうの返信メール    江田島訪問記 ありがとうございます。 確かに4月は基本教練や執銃訓練など自衛隊員としての基本的な訓練で明け暮れていた事がフッと思い出されます。 海上自衛隊特有の手旗訓練もこの頃だったのでしょうか?  イ・ロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・・・・   教育参考館を見学したとか。 ・・見学記を書くには重すぎる場所です。  たっけはらも元気でしょうか? 彼は、夜元気になるのはわかっているのですが・・・



2003年4月26日(土)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−09−39(生徒GW休暇出発)
26日から全校的にGWに突入しましたが、皆様どのようにGWを過ごそうかと家族で、心をわくわくさせ色々計画を立てていることと思います。 我、生徒部も2・3・4年生は25日大掃除終了後、夕方からGWに出発しました。 いつもの事ながら、生徒の顔が生き生きと晴れやかに見えました。  一年生(49期)は、26日朝出発ししました。 我々の時代は、GWは無く鍛錬に明け暮れていたように思いますが、教官にすれば休めてよかとです。 特に、一年担当の教官は着校から入校教育(5月11日まで)終了まで殆ど上陸なし(上陸する場合通常で2200以降)です。 GW位ゆっくり休ませとやりたいと個人的に思っておるところです。 ただし、5月5日の帰校時全員が帰って来てくれるかどうか心配の種が一つ増えたようにも思われます。  今考えれば、GW中我々が残っていると言うことは、班長達も休みなしで指導して頂いた事に感謝しなければいけなかったと思います。 ・・分隊長、分隊士、班長有難うございました。
あんちゅうの返信メール    江田島青年便り15−09−39(生徒GW休暇出発)ありがとうございます。 この5月の連休ははっきり覚えていないのですが、当時は春闘とかストライキとかあって、長距離の帰郷を余儀なくされたあんちゅうはその動向に翻弄されたような思いが残っていますがそれも定かでありません。一年の時の5月は一体何をしていたのでしょうか?  誰か覚えていたら17Th Homeにお寄せください。 青年の心配(5月5日に全員帰ってくる事)はなんとも言えませんな〜。っというのも17期にはそういう輩が現実にいたからです。 個人の名誉を尊重する17Th Homeとしては個人名は挙げませんが・・・  青年の心配の種に水をまき、肥料を与えた17Th Homeでした。   ・・ゴメン。



2003年4月25日(金)      17期 今田俊介より
件名 : 舞鶴にて
あんちゅう お久しぶりです。 いつの間にか桜はすっかり散って(そちらは満開かな?) 今日なんかはじめじめ蒸し暑く梅雨のはしりを思わせる陽気でした。  そんな中、舞鶴にいってきました。 FTGで氏野准尉殿と伊藤(理)曹長殿に大変お世話になりちょっと一枚写真を撮ってきました。  後ろに写っているのは 最新鋭のミサイル艇(艦だったかな?間違っていたらごめんなさい)だそうで 佐世保に最近配属となった同型艇の艇長として冨吉君が 指揮を執っておられるらしい。 まことに頼もしいですね。  それでは又    しゅんすけ
あんちゅうの返信メール    メール、ありがとうございます。 当地新潟でも暖かな日が続き、桜は葉桜になってしまいましたが木々が新芽の鮮やかな緑色を日一日と広げています。 舞鶴のご両人も元気なようで何よりですが、伊藤(理)曹長のフッくらとしたのはデジカメのせいなのでしょう。 仕事柄とは言え、各地の同期に会えるしゅんすけ君がうらやましいあんちゅうであります。



2003年4月25日(金)      17期 前畑啓二より
件名 : 修理生活終了
去年12月から始まった横浜での修理も23日にやっと終わり横須賀に帰って来ました。 先日はぶにせ臼井に携帯で孫を撮られ初公開されてしまいました。 また横浜では今田に大変お世話になりました。 なんと今田の長男が来年幹部候補生学校を受験するそうです陰ながら応援してます。 5月**、**、**日 佐世保に行きます。  迷惑がらずよろしく。
あんちゅうの返信メール    12月からの陸上生活、ご苦労さまでした。??  艦の修理もし、乗組員のリフレッシュもしの4ヶ月。 又元気で訓練や広報にがんばり、その様子を17Th Homeにお寄せください。   ”ぶにせ臼井” は 訳のわからぬ写真を17Th Homeに送り出国しました。 半年の遠航勤務を元気で乗り切ってほしいものです。



2003年4月24日(木)      17期 臼井幸一より
件名 : 出国挨拶
今朝、出港。半年後帰国まで SEE YOU 17TH       (添付写真



2003年4月23日(水)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−08−38(弥山登山)
昨日(22日)快晴の中、宮島の弥山において第1術科学校弥山登山競技が行われました。 以前は、少術校と幹候校だけのような気がしましたが、現在は1術校の競技として前期と後期の年2回実施され生徒部は前期のみ2・3・4年生が参加します。  服装も走りやすい体育服装です。   我々のときも3年の時は体育服装でしたが、作業服、短靴、キャハン、雑納、水筒及び弾帯のふる装備で走った1・2年の頃が懐かしく思い出されました。 江田島青年も一緒に登りたかったのですが、役員で出来ませんでした。  残念。 記録係として、ゴール前最後の階段のところで、役員をしながら応援をしておりましたが、鼻水、ヨダレを流しながら登って来る者、四つんばで登って来る者、最後の力を搾り出し動かない足を無理やり動かそうと(実際は動いていない)しながら登る者等様々でしたが、全員チームのためそして自分の不撓不屈の精神を養うため最後まで全力を尽くしておりました。  生徒部の結果は次のとおりです。 団体  優勝 47期水測 :22分−18秒      2 位 47期通信 :22分−54秒      3 位 48期水測 :22分−55秒(参加人数により3位) 個人  1 位 48期 3士 大石兼太郎 19分−30秒(1術校全般でも最高記録でした。)      2 位 47期 1士 三好幸作   19分−31秒      3 位 47期 1士 田中幸太郎 19分−41秒 47期水測は、二連覇達成です。おめでとうございます。タイム的には、少々不満が残る気がします。   添付写真順番がバラバラですみません。
あんちゅうのオマケ    昨年(2002年)、 江田島青年の師匠でもあり名付け親でもある江田島仙人から送られた弥山登山の様子はこちらです。    江田島青年が若かりし頃の 作業服、短靴、キャハン、雜納、水筒、及び弾帯のフル装備で行われた弥山登山競技にもリンクしています。 服装こそ違いますが、 旧海軍以来の伝統ある競技が現在も行われている所に江田島教育の素晴らしさがあるとは思いませんか?



2003年4月23日(水)      17期 臼井幸一より
件名 : FW:高杉英則一周忌の案内
五月十八日(日)11時から自宅にて挙行 857ー1161  佐世保市大塔町****ー** 高杉みゆき宅 0956ー **ー **** 臼井(遠洋航海なので同期諸君宜しく頼む)



2003年4月22日(火)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−07−37(第49期銃貸与式)
  去る4月14日に生徒館前において、第49期生徒銃貸与式が行われ、生徒部長から一人一人に銃が手渡されました。   我々の時はなかったと思いますが、現在は生徒一人一人に卒業するまで銃が貸与されます。    又、時代は変わり「M−1」から「64式」になりました。   命中率は良くなっています。(余談ですが、以前江田島青年も0点規正三発で満点を取りました。)  これからの四年間、銃手入れに始まり、観閲式、訓練射撃及び戦闘訓練等付き合って行かねば生りません大切に使用しそして心を込めて手入れをしてほしいものです。  新入生も、銃を初めて手にし緊張したのか目の輝きが変わった様に見えました。   銃は厳しく管理されいるとはいえくれぐれも悪用しないように。
あんちゅうの返信メール    江田島青年便り15−07−37(第49期銃貸与式)  ありがとうございます。   生徒一人一人に卒業するまで銃が貸与されるなんて すごい事が行われているんですね。  いや〜 驚きました。  緊張感が伝わって来ます。     我々の頃は年に一回の射撃訓練か、原村演習、観閲式の時ぐらいではなかったでしょうか。  その中でも観閲式や開庁記念日の前の訓練はきつかった想い出があります。   石橋教官の 「ささげー つつっ!」 の声が今も聞こえます。     あんちゅう秘蔵のアルバムには銃が写っている写真がほとんどないんですがその中で一枚を選びました。   中央観閲式参加の一枚です。  田中角栄が防衛庁長官でした。     青年が射撃訓練で満点を取ったことは覚えていないんですが、直美さんを射止めたことを思うと、きっとイッパツも外さなかったのでしょう。          ・・・ミョウーに説得力のある話だと自我自賛してるんでありますが・・・



2003年4月19日(土)      17期 安中 均より
件名 : 御礼
17Th Homeをご覧の皆様、桜満開晴天の元、無事父の葬儀を終える事が出来ました。  ありがとうございました。   又、11日より今日まで多くの方々より励ましのメールを頂き重ねがさね御礼を申し上げます。     覚悟していたとは言えいざその時が来てみますと元気な頃の父が思い出され幾度となく胸を熱くしました。  人に言えるほどの親孝行をしたわけでもなくむしろ中学を出て少術校に行きたいと言う私のわがままを聞き入れてくれました。  「一旦決めたからには途中で帰ってくるな。区切りをつけて帰って来い。」 ・・そんな条件で江田島に行かせてくれました。      父の最期を一緒の屋根の下で暮らせた事が私の親孝行と思っています。   初七日も無事に終り本日より従来のあんちゅうに戻ります。   充分休養も取りました。    今まで通りの皆様のメールを17Th Homeにお寄せください。      お待ちしております。



2003年4月15日(火)      17期 臼井幸一より
件名 : 速報
重永と30年振りに飲みました。



2003年4月11日(金)      17期 安中 均より
件名 : 17Th Home更新遅れのお詫び
17期同期諸兄、17Th Homeご覧の皆様、 いつもご覧いだだき誠にありがとうございます。   昨年より体調を崩し自宅にて療養中の父が本日午前9時40分他界いたしました。  行年84歳でした。   17Th Home徒然草で申し上げるべき事ではありませんが、17Th Homeの更新及び、メールの返信が出来ません事、お察しください。落ち着き次第、従来の管理人あんちゅうとして17Th Homeの更新を致します。     ・・親父の最後を立派に送ります。



2003年4月10日(木)      17期 今田俊介より
件名 : 臼井曹長横浜に現る
アンチュウ    お久しぶり。     イラク情勢もようやく何となく落ち着きを見せはじめて良かった。    今日は’こんごう’が又インド洋に向かうらしいけれど誰か同期は乗っているのでしょうかね?    昨日4月9日、横須賀に入港中の臼井先任伍長殿が横浜に現れ 同じく 横浜でドック中の前畑先任伍長殿と3人で元町で食事をした後 我が家にやってきた時の写真を添付します。  臼井は遠洋航海に向けて山ほどの仕事をこなして少々お疲れの様子。   前畑は長期のドック中でこれまたお疲れの様子でしたが 元気一杯でした。    今月中にもう一度ぐらい集まれるかな?と思っています。    以上近況報告でした。



2003年4月9日(水)      17期 臼井幸一より
件名 : サルのin横須賀
昨夜、前畑と



2003年4月8日(火)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−06−36(49期入校式の模様)
第49期生徒の入校式が、桜満開の晴天の中大講堂で、部内から呉地方総監及び部外からは江田島町長を始め多数の来賓を迎え厳粛且つ整斉とそして盛大に挙行されました。   約1週間の教育で少しは、様になって来たようです。    宣誓のときは、当時の江田の宣誓を思い出しました。  今日から4年間立派な3等海曹、海上自衛官になるよう頑張ってほしいものです。    そのためにも我々教官達の使命を痛感するとともに、改めて気を引き締めて望む所存です。     、全国のOB諸君これからも部隊実習を初め乗艦実習、校外見学等でお世話になると思うけれどよろしく御指導たのんまっせ。    4月1日に、49期生徒77名着隊と申しましたが、8日現在74名となってしまいました。 入校前に自衛隊生徒とは、どんな所かしっかり理解してから受けてもらいたいものです。     ・・・7日当直で一日遅れました。



2003年4月7日(月)      17Th Home隠れファンより
件名 : 速報!爽快仙人桜満開の江田島を訪問される。
4月7日(月)生徒の入校式が行われた日に、爽快仙人が江田島を訪れました。    時間の無い中で先任伍長室の前で爽快仙人と隠れファンのツーショットをゲットしました。    うえみささんは、残念ながら仙人の術中にはまり、訪れたことを知らなかったようで残念がっていました。



2003年4月7日(月)      17Th Home隠れファンより
件名 : 祝!桜満開第49期生徒入校式 速報
あんちゅう先輩、隠れファンで御座います。    本日江田島は桜満開のもとで第49期生徒の入校式が挙行されました。  詳細は江田島青年から報告がありますので、私は速報をお知らせします。    1枚目 入校式が挙行された大講堂を庁舎側から撮影したものです。  2枚目 2階父兄席より撮影したものです。  3枚目  我が子の入校式を2階父兄席から見守る父兄の姿を撮影したものです。  4枚目 一人一人名前を呼ばれ、元気よく返事をしながら起立する第49期生徒の姿です。  僕らの時は座ることが無かったような気がしますが・・・  5枚目 あー終わった。  緊張感から解き放たれた新入生達、頑張れ、負けるなよ。      
隠れファンより                (無修正なのであんちゅう先輩の方で宜しくお願い致します。)



2003年4月6日(日)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−05−35(桜満開)
 木、金雨とスッキリしない天気でしたが、本日は昨日から晴天に恵まれ、江田島青年広場の桜も満開となり心地よく花びらが背伸びをし日差しをいっぱい浴びておりました。    明日の49期の入校式は皆の願い通り17期と同じで桜満開の中実施できそうです。   ところで、先日入校式時安チュウと一緒に写ってい桜の木と思われる木がまだ健在でした。  又班の総員写真と同じアングル生徒館を移してみました。  32年も経つと我々と同じで年季も入って来ましたが、アチコチトガタも来ているようです。  現在は、2階(4年使用)を除いて常識でしょうが冷房が入っております。    当時夏は、シャツ一枚で授業を受けていたと記憶しておりますが、暑い中居眠り(俺だけかな)をしながら授業していたことが偲ばれます。



2003年4月6日(日)      爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り005−H15
17期諸兄におかれましては、梅の花、桜の花、お家の花に囲まれて、幸せな気分で新年度をスタートされたことと思います。    イラク情勢を思うとき、誰しも複雑な心情になるところですが、何はともあれ、新年度の抱負を胸に、力強く踏み出して下さい。      さて、爽快仙人は、桜吹雪に誘われ、住まい近くを散策してみました。  ここ武蔵野の地は、東京さと言っても、かの江田島にも似て、自然の残っている所です。  また往時、名のある作家が住んだ所で、その名残もあちこちに見られます。  歩いて5分の所に「山本有三記念館」があり、また、10分の所に「三鷹の森ジブリ美術館」や「東京都井の頭自然公園」があります。  ジブリ美術館は、今年、アニメ部門でアカデミー賞を獲得した「千と千尋の神隠し」の宮崎駿雄監督作品の展示館とも言える所です。    昨年までは江田島の生徒に力強さを貰っておりましたが、最近は、同館に訪れる小学生に幼稚さを貰っております。    また、井の頭自然公園には「北村西望」彫刻園があります。  「北村西望」と言えば、教育参考館「ご遺髪室」の扉を彫刻された方であります。  この時期、自然公園に近づくと鶯の鳴き声が聞こえ、仙人部落の棲み家が思い出され、この中に棲めないかと術を思案する爽快仙人です。  これらの風景を添付します。    以上、新年度の開始に当たり、お便り致しましたが、一服の清涼剤にでもなれば幸甚に存じます。      武蔵野の地で、生徒諸兄のますますのご活躍を祈念申し上げます。    最後になりましたが、3日に呉で、西方君、樺島君に会いました。  両兄とも意気と力が漲っており、頼もしい限りでした。        **自然と戯れる爽快仙人より**



2003年4月5日(土)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−04−34( 花見シーズン到来)
今日は昨日の雨も上がり晴天に恵まれ、午前中は生徒とラグビーの練習で爽やかな汗を流し、午後は急きょ我が愛妻と呉の花見の名所の1つである「串山公園」で中睦まじく花見と洒落込みました。(風がすこし強く肌寒いようでしたがある一角だけぽかぽか陽気でした。)    皆さんも、今日は花見で楽しんでいることと思いますが、くれぐれも飲み過ぎないように。(人のことは言えませんが。)



2003年4月5日(土)      17期 臼井幸一より
件名 : 大湊
SANK YUO.猪股、立川と数年振り再開、何故か池田富昭がゆうばりで副直士官していました。



2003年4月5日(土)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−03−33(中年の宴
3日(木)に「雲助」で、井上さんと上田の歓迎会を生徒隊長の別所(13期生)さん、総務係長の石田(13期生)さん、17期HP隠れファンの先任伍長の金子と歓迎会をやりました。    生徒生活の思い出や現在の生徒生活の違いなどで話は盛り上がり激論(何の)を交わすうちに終わりました。   ただ、話に夢中になってしまい、デジカメのグッドチャンスを逃してしまい急用ができ途中で変えられた井上さん&金子をデジカメの餌食になりませんでした。    次回をお楽しみに。     15−03−33の件了解。



2003年4月4日(金)      17期 安中 均より
件名 : 4月のご挨拶
17期同期諸兄 月が変わりましたのでご挨拶申し上げます。  日頃は17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。    我母校も新3等海曹を部隊に送り出し、新たな第49期77名を迎えたと江田島青年が伝えてきました。  入校式は4月7日だそうで、入校式は17期の時と同じく、晴天・満開を祈ります。    先日、野田達也生徒が海上自衛隊50周年記念CDを送ってくれました。  その中で生徒に関する記述があり興味深く、何回も読み返しました。    旧海軍における少年兵の実績から生徒制度が採用された事。  普通学教育の充実。  少年術科学校の設立。  教育現場における職員・教官の奮闘。  自衛隊生徒統合案に対する海幕の強烈な反対。・・・等々。    あんちゅう流に面白かったのは生徒の採用状況に記載されている内容でした。  「・・・5.5ないし7.2倍まで落ち込み、良質な生徒の確保が危ぶまれる時期があった。」    17期はまさにその時期に入隊しているのです。    どうりで17期は先輩・教官から可愛がられている訳です。  危機感があるゆえに目が離せなかった・・・。   それらが17期の結束力の強さの根底にあるのではと考えてしまいました。     今は、時代と少術校17期を選択した同期、育ててくれた職員・教官に感謝いたします。    17Th Homeは生徒一番の結束力を目指して今月も頑張ります。



2003年4月2日(水)      17期 江田俊弘 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 佐世保帰着
久しぶり、帰って来ました。    29日から30日まで長野県に行き義母の親戚巡りをしておりましたので連絡が遅れてしまいましたが、4月2日夕刻に無事佐世保に帰着しました。   なお、このメールアドレスは自宅用パソコンのアドレスです。



2003年4月2日(水)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−02-32(生徒隊歌)
生徒の卒業式・入校式時に歌う生徒隊歌ですが、3月25日に行われた第45期生徒卒業式のとき聞いていると我々のときと違っていました。 多分、少年術科学校が1術科学校生徒部に変更になった時に変わったと思われます。   今日は、「第1術科学校生徒隊歌」と「生徒隊歌」を添付しました。  皆さん「生徒隊歌」は多分歌えると思いますので、昔を偲んで大きな声で(近所迷惑を考えて)歌ってみてください。  「第1術科学校生徒隊歌」は自分で創造し自作自演で歌って見てください。    パソコンで江田島青年の声がお届けできるのであれば、見本をお聞かせしてあげるのですが、出来ないのが残念でなりません。
あんちゅうの返信メール    江田島青年便り15−02−32(生徒隊歌) ありがとうございます。  17Th Homeが 音声で構成していない事に 今日ほど ホッとしたことはありません。    江田が生徒隊歌の楽譜を欲しがっていて 仙人に倉の中を探して貰った事があります。  仙人は最初に現在の生徒隊歌の楽譜を送ってくれましたがあんちゅうが覚えている生徒隊歌は 「さーくらさきそむ・・」で、仙人、忙しい最中、さらに倉の中を探し回り見つけてくれました。    やっぱ、「 ♪ さーくらさきそむ・・」 ですよね、青年。  神様が生徒隊長に来られたのだから復活しましょう!!     (ジョーダンです。)



2003年4月1日(火)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−01-31(第49期着校する)
平成15年4月1日を迎え、平成15年度がいよいよ始まりました。    早速「江田島青年便り15−01」を「第49期着校する」と題して掲載します。    本日は、昨日の晴天は続かず朝から雨の中、初々しい(昨日見た17期のアルバムを思い出し、「素直に育てよ」と心の中で応援しました。)第49期生徒77名が着校しました。(前日約40名近くが着隊、正解) 7日の入校式までの間、48期が一人一人に対番として付き(指導生徒制度はなし)学校生活等について一から教えます。  入校式が楽しみです。  少し心配なのが、桜の開花です。  31日は4・5部咲きでしたが、今日の雨で少し開花が遅れ今週の土日で満開になり、我々は花見酒で楽しみ、7日は桜満開の江田島青年広場で第49期生徒の入校を祝ってやりたいと思います。
あんちゅうの返信メール     江田島青年便り15−01(第49期着校する) ありがとうございます。  「15−01」 と来ましたか。  今日まで 「14−30」 の "30"のみ 気にしていまして”14”の意味に気付かなかったのですが 年度の事だったのですね。  17Th Home的には 通算のメールの番号も記録として残しておきたいので次回は「江田島青年便り15−02−32」 として送っていただけたらと思います。  今回のメールを「**15−01−31」として17Th Homeに掲載しておきます。    この返信メールを打ちながらあんちゅうも青年と同じくパソコンに入っている17期卒業アルバム「追憶」の入隊式前の写真を見ていました。  オモシロイデスネ〜。 ・・あんちゅうも思い出しました。    順番が来て受付に行きました。   「新潟のあんなかです。」  「え〜っと、あんなかさんですね ・・」 名簿の最初をパラパラめくるも ”あ”の行に名前がありません。  「あんなかさんね〜 え〜っと、・・・  あんなかさん?」  「ハイ、あんなかです。」  「無いな〜 ・・・ ちょっとお待ちください。・・ お〜い、あんなかなんてねーぞ!」   「・・・(ドキッ) ・・  やすなかではないでしょうか?」「やすなか・・やすなか・・・あった!あった!!」   あんちゅうの名前は最初の 「あ」 の行に無くて、最後に近い 「や」 の行にあったのです。    中国地方では「安中」を「やすなか」と読むのだと始めてわかりました。  ・・ もっとも今は、「あんちゅう」なんですけどね。    次の「江田島青年便り15−01−32」お待ちしております。   「やすなか」「あんなか」「あんちゅう」・・・