17期 徒然草大全
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17Th Home 徒然草 2003年6月



2003年6月29日(日)   17期 小池正行より
件名 : Re: あんちゅうも参加をお願いします。
号外:番上が参加します。



2003年6月27日(木)   17期 安中 均より
件名 : 「江田島」HP開設のご案内
この度、海上自衛隊 生徒同窓会「江田島」のホームページが開設されましたのでご案内いたします。  http://www.h7.dion.ne.jp/~seitotai/
藤竹春壽からの返信メール  有難う。後で見てみます。
藤田雅之からの返信メール  安中様  藤田自宅行  ありがとうございます、早速自宅パソコンで拝見します。 藤田−−−
ハルちゃんの母様からの返信メール  お知らせありがとうございました。早速アクセスしてみます。   ハルちゃんの母



2003年6月25日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−34−64(第47期生徒防水訓練)
本日(25日)第47期生徒の防水訓練が実施されました。  我々の時も、3年生の時は暖かい時期でしたが、4年生の時は寒い時期だったと記憶しております。 3年の時、訓練終了後ソフトボールをしたと思いますが江田島青年の思い違いでしょうか。    通常ではあまり活躍する場の無い訓練ですが、艦船では必要な定番の訓練です。  しかし、”芸は身を助ける”では有りませんが、何時かは生かすことが出来るかもしれません。  しっかり覚えましょう。   添付写真の、1番目は先日投稿した防火訓練の防火実習場です。  我々の時とは違い ”地球に優しい” 構造になっており建物が遥かに大きくなっております。  2番目は、防水実習場です。  やはり機能的(基本的には一緒)な構造になっております。  順番が逆になっていたら直してください。   追伸 47回目の誕生日おめでとうございます。 と言ってもあまり嬉しくない年になってしまいましたね。 お互いに。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り ありがとうございます。   あんちゅうも訓練終了後、ソフトボールをしたかどうかは定かでありませんが、防火・防水訓練、特に、防火訓練はこわかったですね〜。  あの点火の瞬間、あんちゅうは○○タマが縮み上がりました。  現在の訓練施設を見てナットク。  青年曰く、”地球に優しい” 構造を理解できました。  当時は江田島の上空にむけて黒煙をばら撒いていましたからね。   17期卒業アルバムを見ても、みんなの緊張した様子がうかがえますが、百聞は一見にしかず、こうやって普通ではけっして経験できない訓練を積む事によって何事にも動じない強い精神力と行動力が培われてきたのでしょうか。   防火訓練、防水訓練は実際に起こらない事を願っていますが、自衛隊を取り巻く政治的環境も変化を見せていま・・・ お〜っと、宣誓文には、「・・・政治的活動に関与せず・・・」 でしたね。  失礼。   追伸の件ですが、47回目とはまた、大変ありがたいことでございますが、そういう事でございますと青年のいっこ下。  青年は、 ”17Th Home 最強のファン” の文面を鵜呑みにし、青年自身の年齢を覚えていないな? それともわざと?? 「・・お互いに。」 っと、締めくくってあるあたり、後者か?それならザブトン5枚!!



2003年6月25日(水)   17期 小池正行より
件名 :
2次会の件ですが、西新宿の***&****   10名ほどで予約しました。
あんちゅうの返信メール  了解しました。 あんちゅうの連れを一人、追加お願いします。 女性です。   あんちゅうも知りませんが、皆さんもたぶん、知らない方かと思います。 誰かは ヒ・ミ・ツ です。 っと言っても あんちゅうも知らないのですから・・ ナンと申しましょうか・・・。  来週初めにでも、参加者総員の名前を送っていただけるとありがたいのですが、よろしくお願い致します。



2003年6月25日(水)   17期 藤田雅之より
件名 : 梅木も参加します。
小池 様  安中 様  本日、梅木勝(情報本部:市ヶ谷)と出会いました。  7月5日の事を話したところ、是非参加したいとの返事なので、お手数ですが、1名追加でお願いします。   藤田  ***−****−****
あんちゅうの返信メール    あんちゅう、らじゃー! 梅木には藤田より教えてもらったアドレスにメールを送りましたが返信がありませんでした。 心配していた訳じゃありませんが、・・  どうしているかなと・・・  青年と共に同じラグビー部で汗を流しました。  7月5日は江田島での25周年以来と思います。  楽しみです。
藤田からの返信メール  今日は不在だったので、月曜日に伝えます。 5日には、必ず行かせます。



2003年6月24日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−33−63(第47期生徒防火訓練)
本日(24日)47期水測の防火訓練(通信は26日)が実施されました。 諸君添付写真の迫力は如何でしょうか、少しは昔を思い出しましたか。  今回は丸タンクだけでしたが、我々も火をつける前に消し方の練習をして望みましたが、実際火を目の前にするとその迫力に圧倒され、思わず足すくんだ者も居たのでは(江田島青年は断じてなりませんでした。)。   足はすくみませんでしたが機械室の火災時、一番をやったおりに、タオルでマスクをしていたのですが、事前訓練の時教官が苦しくなったら顔を水霧に近づければよいと教わったのですが、タオル濡れて顔に張り付き窒息しそうになった事を思い出してしまいました。(2番目が一番苦しいと聞いておりましたが、あの時は1番が一番苦しいと思いました。)    訓練では、防火衣を着ているため安心感がありますが、実際の火事に遭遇した場合、冷静に対処できるように又艦船においては定番の訓練ですが、艦船では炎より煙が遥かに危険と言われています。 生徒生活においては、少ない訓練機会ですが、自分の命にも関わる事なのでしっかり学んでほしいと思います。   要は、訓練が無駄になる様に皆火事を起こさないことが一番です。 これ、江田島青年の持論で有ります。



2003年6月24日(火)    17Th Home 最強のファン より
件名 : お誕生日おめでとう
♪♪ ハッピバースデイ ツーユー ♪ ハッピバースデイ ツーユー ♪ ハッピバースデイ ディア あんちゅうー ♪ ハッピバースデイ ツーユー ♪ ♪  去年の17th Homeの掲示板にこのような 「 2002年6月24日 あんちゅうは47歳の誕生日を迎えます。17期となって32回目の誕生日です。・・6月10日から元気になりました。 ケーキもビールも酒も焼酎もウィスキーもカクテルも・・・も・・も・も・も・・いりません。   皆様からのメールがナニよりです」 というプレゼントをおねだりしてましたね!  あれから1年、本当に皆様のメールに支えられて・・・ここまでこれて良かったね。  これからも誰の為でもなく、ただただ自分の為に、皆様と繋がっていたいだけの為に一生懸命になっているのですから、皆様に感謝をしつつ、身体を大切にいたわりながら、楽しくそして、 ながく ながーく 皆様と繋がっていられますように! そう願っております。   フレーフレー あんちゅう! フレッフレッ あんちゅう ! フレッフレッあんちゅう パチパチパチ ワーイ!!
あんちゅうの返信メール  ありがとう! ありがとう!!  今日、愛妻弁当のご飯の上にハート型に切った海苔が2枚のっていました。  「ムム?」 「ハァー よかった〜! ハートのまん中がやぶれていな〜い! ??」   我儘な自分勝手なあんちゅうですがこれからも宜しくお願い致します。   カンパ〜イ! ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ。 プハァ〜。



2003年6月23日(月)   17期 安中 均より 17期 藤原和郎へ
件名 : 似顔絵
ご無沙汰です。  お元気ですか?   タケシタ画伯が藤原生徒の作品を17Th Homeに投稿してくれました。  すばらしい出来ばえと本人以外は思っていると思うのですが・・・ 近いうちにご覧下さい。    あんちゅう
藤原からの返信メール  連絡ありがとう。  明日にでもさっそく見て、感想を送ります。  まあ今までの中で一番の男前だろうと思うけど?
藤原からの返信メール   件名 : 絵になる男    見た見た。  実は前回の一実のを見た時、竹下が最近の写真で絵になるのがないと言っていたので、そろそろ絵になる顔は自分ではないかと悪い予感がしていたけど的中です。  感想は、まあみんなにウケればいいかと。  一実のすぐ後とというのは落差ありすぎ。 シャイで優しい私としては大変恥ずかしい。  竹下画伯に寸評  写真に忠実過ぎるのでこれではハナマルはあげれません。 次回は本人も照れるようないい顔にして下さい。 ありがとう。  絵になる藤原でした。



2003年6月23日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−32−62(野球部優勝、ラグビー部勝利)
我が野球部は、15日(日)秋月弾薬庫で第36回中国5県1・2部軟式野球江能支部予選大会において強豪を連破し、決勝では(1−0)で勝利を納め見事優勝し、 22日(日)の南部大会進出を果たしました。  ”おめでとう”   22日の南部大会では決勝までの3試合を一日で行うという強行日程でもあり又生憎の雨中の試合ということもあり、強豪豊田支部に(0−1)で惜敗してしまいました。 次回頑張れ。  21日(土)に江田島スタジアムの中央グランド(第1グランド)で広島地区リーグ戦第4戦目を宮島工業高校(宮工)と行い 40(前半26−0)0 で勝利を納めました。 しかし、江田島青年としては、0点に抑えたことは褒めてやりたいのですが、試合内容は不満だらけでした。 これでは28日にある王者・安芸南高校に100点ゲームを又やられそうです。 後1週間、奮起を期待しています。   1年生デビューする。   21日の公式戦の後、宮工の一年生と練習試合《15分ハーフ》を行いました。 結果は0−12で負けましたが、赤帽訓練で殆ど練習も出来なかった状態で、初めての試合(一人は既にレギュラーとして試合に出ております。)なのに、思った以上に動きが良く感心しました。   28日にも、安芸南の1年と練習試合を行う予定ですが、どこまで通用するか見ものです。(向こうは、すでに3ヶ月練習していますが、こちらは5〜6名(1ヶ月半)を除いては、2〜3週間です。)   夏合宿でどれだけ伸びるか期待しつつ、秋を楽しみにしています。



2003年6月23日(月)   17期 竹下和哉より
件名 : 似顔絵11、12号
梅雨にはいり、じめじめした日が続いてますがお変わりありませんか?  7月5日の江田島仙人を囲む会に参加されるとのこと、再会を楽しみにしております。  さて、似顔絵10号11号が完成しましたので添付します。
あんちゅうの返信メール タケシタコレクションの新作、ありがとうございます。 まったくもって、特徴をとらえたその出来ばえにいつも感激しています。  鹿野生徒は、いつぞやタケシタ画伯がツーショットの写真を送ってくれたのでわかったようなもののそうでなければ・・・ しかしヨクヨク見てみれば、同期と鹿野生徒の近親者しかわからない変化がありますが面影もシッカリ・・  あたりまえですね。  藤原生徒とは昨年11月に江田島訪問の折、広島のホテルで再会。 この作品を見ると彼のその特徴のある岡山弁が今でも耳に残っています。 顔を見て、言葉と話し方まで記憶に出てくる貴重な人材ではありませんか?  鹿野生徒はわかりませんが、藤原生徒は普段、携帯でしかやり取りしていなくて一週間に一度くらい、パソコンで17ThHomeを見ているとの事ですが、さっそく知らせてやりましょう。  「爽快生徒・・・」での再会を楽しみにしています。



2003年6月22日(日)   17期 安中 均より14期生 下條先輩へ
件名 : 「爽快生徒 仙人を囲む会」への お誘い
ご無沙汰しております。   15年間の基本的生活習慣を江田島での4年間でオシャカにしてしまった下條先輩、お元気でしょうか?  7月5日に計画している「爽快生徒 仙人を囲む会」の お誘いです。  あんちゅうも出席いたします。 久しぶりの東京さ、出かけます。 この機会に是非、ナマ下條善磨先輩に会ってご挨拶をさせていただかなくてはなりません。 もし、「爽快生徒・・」に出席できなくても是非、お会いしたいのです。 東京さ、一泊の予定でお上りいたします。 どうかあんちゅうの願いを叶えていただくよう宜しくお願い致します。
下條先輩の返信メール  Mail 有難うございました。  爽快仙人を囲む会、万難を排してでも参加できるよう予定しておりました。  あんちゅう殿も参加されるとお聞きし、また仕事の遣り繰りもつき、小池幹事へ先週、参加のMailを送りました。 今は体調を整え、基本的生活習慣を見なおし、親の教えに則り,清く正しい生活をおくり皆様に生の下條をお見せできるよう精進しております。  2週間後お会いできるのを楽しみにしております。  下條



2003年6月22日(日)   17期 遠藤 章より
件名 : FW: あんちゅうも参加をお願いします。
今日は妻と赤城山の駒ケ岳に行ってきました。 ユックリと歩いて約4時間のコースですが特に帰りの下りでは膝ががくがくしてしまい、どうしても?を感じてしまいます。  仙人を囲む会ではいろいろと手間をかけますがよろしくお願いします。 なにぶん東京で飲むのは30周年以来のアンチュウに引けを取らないカントリー中年なので一人になるとちょっと心配です。  では当日、都会のあかりの下でおおいに飲ませてください。



2003年6月21日(土)   17期 伊藤 隆(水測)より
件名 : 今日の出来事
今酔っている。 で、簡単に今日の写真。 おやすみ。  伊藤
あんちゅうの返信メール  舞鶴の伊藤 理 が 在佐でしたか。   奥様手作りの美味しそうなご馳走が洒落たテーブルの上でほぼ完食状態。 たっけはらのにぎっている一升瓶の中身が気になるところですが、その名前もたっけはらが持つと フム?フム?フフフム?と思いたくなるような「無冠帝」。 やっぱ、焼酎なんでしょうね。  伊藤 理 も 生徒時代と変わりなく美青年?そのままで何よりです。  ここは伊藤の自宅ですか?  すばらしいロケーションにあるのですね。  あの島々は九十九島?  酔ってても、簡単でも、短くても、遅くても、嬉しいメールでした。



2003年6月17日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−31−61(梅の収穫)
江田島青年便り14−16でお伝えした、梅の木ですまったく収穫しておりません。 採るのが遅れたわけではありません、5・6本の木にせいぜい10個ぐらい生っておるぐらいでした。 残念、来年を期待しよう。   したがって、今年の梅酒は店で買った南高梅で2本つけました。 (1本は保存用(7年前から続けています。)、1本は来年の飲用です。)   薬用酒に少し凝っており、健康のためと妻に言いつつ「アロエ」、「ウコン」、「ニンニク」、「朝鮮人参」、「マムシ」等を作って楽しく飲用しております。



2003年6月17日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−30−60(水泳訓練始まる。)
気分までじめじめしそうな梅雨の季節がやってまいりました。  しかし、夏はもう直ぐです’と言う所で、我が青年広場でも水泳(プール)訓練(〜7月1日)が始まりました。  水泳訓練の前に実施した、水泳能力測定の記録により水泳隊形(個人の位置)が決められ、初めての1年生は隊形を整えるどころか、自分のことで精一杯でプールサイドで監視している教官の怒鳴り声が響き渡っておりました。  赤帽はまだ別口ですが、赤帽を卒業したばかりの者にとっては辛いかも知れんが、海で総員が安全に泳ぐためには必要なことです。  この試練を乗り越えて、7月にある遠泳では総員が完泳してほしいと願って居る江田島青年です。   2年生は二回目ということもあり全体的には余裕が有る様に見えましたが、なかには泳ぐことに神経を使い過ぎて隊形を整える余裕が無いのかやはり怒鳴られておりました。   3年生は、さすがと言うか今日は半数ということもあり余裕で泳いでおりました。   ところで、生徒が被っている黄色い帽子ですが、見えにくいですが、水泳1級: 3本の黒線  2 : 2本の黒線  3  : 1本の黒線  4・5級 : なし  と成っております。 (俺達の時もそうだったよな。)
あんちゅうの返信メール   江田島青年便り15−30−60(水泳訓練始まる。)ありがとうございます。  青年広場では威勢のいい黄蛙達が鳴き始め(泣き始め)たようで、いよいよ真夏の遠泳に向けての訓練が始まりましたね。   さて、あんちゅうの数少ないお宝の中では超一級品のヘンな物をご紹介いたしましょう。  ”水泳1級 : 3本の黒線” の帽子です。 ・・どうです? まいったか!!   5月11日、江田島青年が発見した 「村山清広と名前の入ったハンガー」 と いい勝負でしょ?  今と違って黄色い帽子ではありませんが間違いなく ”3本の黒線”が入った帽子です。  どういう訳かあんちゅうの整理ダンスの靴下が入っている引出しの一番底に営々と時を刻んで今日のこの日を待っていたとしか思えません。  つたない記憶を紡いでみると、2年の時、氏野が3本線でそれが目標かなにかハッキリしませんがともかく氏野の3本線が浮んできます。  多分、その頃、あんちゅうも3本線をつけたのかも知れません。   パンツ一枚で裸になり、この帽子をかぶって賢妻にデジカメを渡したんですが、さすがに全世界にその写真を公開する勇気がなく、恥ずかしくない程度に納まりました。 (かなり ”ヨイヨイ”ですが。)  当時とは比べ様もない体型に我ながら・・今さらながら、唖然としながらもなぜか誇らしげな顔はどうしたわけでしょう?   引締まった精悍なあんちゅうはどこへいってしまったのでしょう?  隣の「五省」がミョーに虚しく見え、なぜか眠る気になれず17Th Home更新をしています。
17期 竹原堅一の返信メール  そんな 白い 帽子なんて 生徒の時には、かぶった事ないぞう〜! あんちゅうが、その 帽子を なぜもっているのか、わからないけど、 そんなの、あったっけ! 生徒は、黄色でしょ! でも あの エル字プールで、泳いだ生徒は、みんな立派なのだ!おやすみ!



2003年6月15日(日)   17期 竹原堅一より
件名 : おす!
久し振りです。 先日、けいじ 氏野 理 達と同期会を実施したのです。 私が、カメラ係だったのよ! 次の日、ちょっとしたミスで、全部消えたのよ! ごめん! みんなに おこられるぞ〜!   まあ 俺の不注意だから、しかたないけど、、、、次回は、しっかりやります!   いいなあ〜 東京さ、行くの! おれも いきたいな〜  今週は、代休です。  ゆっくり 遊びじゃなかった、休みます!  じゃあね!
あんちゅうの返信メール  ホント、久しぶりでした。  5月27日のニコラス・ケイジからのメールによれば「平日のせいかほとんど1次会で解散になり皆さん大人になりました。」との事。 わかるような気もしますが、一抹の寂しさも感じます。  その同期会の写真、待っていたのですぞ! それがなんと、消えてしまったとは。 消えてしまったのか、消してしまったのか??  余計な勘繰りを入れてしまいましたが、っま、ほかならぬたっけはら伍長が謝っているのだから許してつかわそう。  そうです。 東京さ、行くのです。   みんなに会えるのです。 たっけはらもゆっくり休み・・じゃなかった、遊んでばっかりいないでヘリ飛ばして東京さ、出ておいで。



2003年6月14日(土)   17期 安中 均 より 17期 小池正行へ
件名 : あんちゅうも参加をお願いします。
「爽快生徒仙人を囲む会」幹事の小池殿、いつもありがとうございます。 そしてご苦労さまです。  あんちゅうも新潟より「・・・仙人を囲む会」に参加させてもらうことに致しました。 末席で構いません。 もし、末席もふさがっているようであれば宴会場のローカの片隅でも台所?(厨房)の一角でも結構です。 宜しくお願い致します。  24期平まりお生徒の参加と17期遠藤章の参加は17Th Homeを通じてご存知かと思いますが遠藤が「一次会で終わるとは思えないので宿泊(一人)予約もお願いしたい・・」との事、手配と遠藤に連絡を宜しくお願い致します。  元祖カントリーボーイのあんちゅうは、東京さ出るのは30周年の2001年3月以来の2年ぶり。 30周年は賢妻と一緒で心強く、全く心配無用でしたが、今回は一人でお上りです。 東京さおっかね〜所と聞いていますので、一人では心もとないんでありますが、大金?を体のあちこちに分散して用心深くお上りしたいと思っています。  今日、「なんでも鑑定団」を見ていましたら、藤子不二雄の書いた色紙でラーメン大好きな小池さんがラーメンを食べているの図を見て思わず17期通信の小池正行が脳裏よぎり、しばらく残留してしまいました。  残留濃度は17%程度でしたが、残留時間は長く、17分17秒くらいだったかな〜?  ・・・ ・・・ ・・・ 宜しくお願い致します。



2003年6月13日(金)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−29−59パートU
アンちゅう懐かしい写真を有難うございます。  運動記録に残る3人はいずれもラグビー部でしたよね。 溜は中途でバレーボール部に転部し佐藤豊(現在、中シ通の先任伍長です。)と活躍していたと記憶しております。  大田と小松は松本と俊足バックスでならしていましたよね。  今のラグビー部にスカウト出来るものならばしたいものです。



2003年6月11日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−29−59(記録)
アテネオリンピックも残すところ後1年となり、各スポーツ界において選手選考会を兼ねた各種競技会が開かれ、選手達は標準記録を突破するため自己記録更新との戦いに挑んでいるとこですが、我が生徒部も体力測定、水泳能力測定の生徒記録或いは自己記録更新を目指し頑張っています。(この1/四半期に体力測定及び水泳能力測定があります。)   生徒館1階と2階間の踊り場に各種運動の記録が掲示してありますが、(我々の時無かったと思います。)その中に我が17期の懐かしい名前がまだ記録として残っており掲示してあります。 今日はこれを紹介します。   もう自衛隊を退職しましたが、燦然と輝く大田博文の三段跳び(第1位)、当時は6mは夢の距離であった小松秀二の走り幅跳び(第2位)、溜範男の走り幅跳び(運動会第3位)の記録はすばらしいものでした。   考えるに、体力測定において生徒全般に言えることは走り幅跳び詰りジャンプ系は苦手だったような気がします。 記録は、破られるためにあるとよく言いますが、この中に17期が3名も名を残していることは本当にすばらしいこただと思います。   しかし、17期は暴れん坊将軍ではなかったと思いますが、陸に上がった河童の如く水泳に関する記録は残っておりません。 確かに水泳に関しては、ずば抜けた奴は居なかったように思います。(これで海上自衛官か)。    この中に一つ光り輝いている記録があります。 今年5月の連休中江田島で40周年が行われた大先輩第9期生徒400M混泳第2位の記録です。 現在も残っていると言う事は、当時は素晴らしい記録だったと思います。   これからも生徒はこの記録を破るべく頑張ってほしいものです。



2003年6月10日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−28−58(第46期生徒校外実習)
第46期生徒の校外実習が、4日(水)呉シ通、6日(金)護衛艦あけぼの(横綱では在りません)と在りました。  7月から始まる部隊実習前最後の校外見学でした。色々説明を受けたと思いますが、時間が短くて覚えていないと思いますが、部隊実習では時間は在るようでないものです。しっかり、部隊における通信の仕事は勿論、通信以外の作業についても浅く広く(出来れば深く)学んで来てほしいと思います。 江田島青年の記憶によると艦艇「はるな」においては、夜の横須賀史跡研修(若松町なつかしい。)に、出航すればベッドと仲良しになりビニール袋が大の友達だったような気がします。  東京通信隊では、悪友こと松下と夜の街「新宿」(自称、江田島青年第2の故郷です。)を毎夜毎夜巡察していたような気がします。  通信といえば、江田島青年はマーク替えにより現在植木職人をしております。 と言いましても、これも環境整備の一環としてデイスクワークの合間にしております。 松&サツキ等何でもござれとは行きませんが、ご希望が在れば出張し植木の剪定をいたします。  ただし、長い目で見る余裕のある方に限ります。



2003年6月7日(土)   陸三曹より
件名 : 不審船観てきました
本日、台場の船の科学館に展示してある、北朝鮮の不審船を見学に行って来ました。 弾痕の後をみましたが、あの距離でしかも船は揺れている中、あれだけ弾が集弾していたのはびっくりしました。 撃ち込んだ反対側からは貫通して弾が抜けていました。 センサーのすごさと船乗りの根性をみました。



2003年6月7日(土)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−27−57(ラグビー部久々の勝利)
広島高校総体Bグループの3位決定戦が本日(7日)あり、我が生徒部ラグビー部は、久々に勝利を納めることが出来ました。 (西高校 24-14 福山工業高校) ご声援有難うございました。  まだまだ課題は沢山ありますが、秋には広島の4強に勝つよう一つ一つ課題を克服して行きたいと思います。 引き続きご声援宜しく。



2003年6月7日(土)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−26−56(第49期生徒校外実習in岩国)
6月3日に第49期生徒の校外実習(航空部隊)がありました。 前回の、艦艇部隊の実習は内海に霧が発生し交通艇の運行が危うい状況になるなど、49期に関する行事等があれば様々な弊害があり、試練に耐えてきましたが、今回は何事も無く無事終了しました。 皆の気持ちが天に届いたようです。  航空機を間じかに見るのは初めてなのか、皆説明を真面目に聞いているようです。



2003年6月7日(土)   17期 遠藤 章より
件名 : RE: 仙人を囲む会
おはようございます。 しばらく御無沙汰していますが、17期ホームページを見るかぎり皆さん元気そうなので安心しています。  7月5日の「仙人を囲む会」にはぜひとも参加しますので宜しくお願いします。 なお、一次会で終わるとは思えないので宿泊(一人)予約もお願いしたいのですが、幹事の小池に確認していただけませんか?  私の近況ですが、この4月に移動があり突然忙しくなってしまいました。 そして更に主要取引先のHondaの売上(車)がすごく悪くなったことも重なって、1円の利益を上げるために日夜会社に追いまわされ、まるで現役時の艦隊勤務のような日々が続いています。  「仙人を囲む会」では、皆さんの元気な姿に接し、思いっきり発散したいと思っています。・・・・数年ぶりの都会でもあるし・・・・    よろしく !



2003年6月7日(土)   17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 17Th Home 6月のご挨拶
いつもお疲れさんです。 プチ単身赴任なので週末の今夜帰ってきました。 般若湯高橋が持ってきてくれました。 冷やしていただきます。 高橋と協力して江田島レポートしていきます。  ではまた。



2003年6月6日(金)   仙台 安部庄子様より
件名 : Re: 17Th Home 6月のご挨拶
お元気ですか?  先日の地震のさいは 17Th Homeを介した方々に お見舞いのメールをいただきました。あらためて 御礼申し上げます。ありがとうございました。  さて 早いもので もう6月ですね。6月の挨拶をいただいてから去年の6月分を 読み返し懐かしんでました。生徒同窓会「江田島」も再開されるとのこと やっぱり ”一つの釜の飯を食った仲間” の絆は太いですね。 今 頑張っている現役生徒の名前が同窓会名簿に載るときを楽しみにしてます。  そろそろ 梅雨入りの声が聞こえてきそうですが 17Th Homeのサワヤカサでジメジメした梅雨をのりきりましょう。    安部  庄子
あんちゅうの返信メール  今晩は。  相変わらずの日々を元気に送っています。 地震の影響はたいした事がなくてよかったですね。  さて、インターネットで安部さん方面のお天気カメラのページを見つけましたよ。 「仙台市泉区加茂〜泉ヶ岳方向(北西)の空の様子」とあり、地図のソフトで見るとそちら方面に安部さんの家がありますね? ただ、普段は朝も昼間も見れないのでもっぱら夜景??ばっかり。 目をシッカリと開いてみても闇夜のカラス状態です。 お天気もわかりません。 今度、休みに日中見てみます。 http://www2t.biglobe.ne.jp/~osone/home/index.html  もう1つ、ついでに御子息の江田島の様子がわかるカメラはないかと色々探しましたが、いいのがありませんでした。 そんな中で次に紹介するページには江田島方面の天気の様子がよくわかると思います。 広島湾に設置された江田島まで7.5KMの位置にあるカメラです。 http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN6/livcam/live.html  あの島の向こう側に2年生になられた御子息が頑張っていますよ。 なんて書いたら、子離れ出来そうな安部さんをまた、前に戻してしまうかも?? たまには江田島の天気を見るのもいいでしょう。なんせ仙台からは遠い江田島ですからね。  ちなみにあんちゅうの住む新潟県加茂市付近で設置されてるカメラは残念ながらありませんでしたが、次のページのビッグスワンの映像の果ての果てが加茂市です。 ビッグスワンより車で50分てところでしょうか。 http://www.nsttv.com/top/default.htm  こちらは台風以後毎日天気の良い暑い日々が続いていますが、もう梅雨の時期なんですよね。 江田島も雨の日が結構ありました。 シトシトとよく降っていた事と、それでもグランドでラグビーボールを追いかけていた事が思い出されます。 びしょぬれになって汗か雨かはたまた涙か分からない状態で・・。  長くなりました。今月も頑張っていきましょう。



2003年6月3日(火)   陸三曹より
件名 : ホームページ拝見しています
お元気ですか!こちらは目がくらむほどの忙しさです。   さてホームページを楽しく拝見させてもらってます。これだけ全国の皆さんの生の声が聞けるのも、このHPの良いところだと感じています。 ・・中略・・ 今度神浦さん(ジャーナリスト)のオフ会に船の科学館に行ってきます(最近あの不審船が展示してあるところです)。
あんちゅうの返信メール  大変申し訳ないことを致しました。 早速、文面を変更し写真も誠に残念ながら削除いたしました。 部隊の上官には確認の上、配慮に足りなかった旨を詫びていたとお伝えください。  海自関係では、艦艇はいついつ何処そこに入港するとかはうまくありませんが今現在は何処そこにいるという事は言ってもいい事とされているようです。 基本的にはこちらに届いたメールは全てHP上に掲載する事を前提にしていてそれでも十分に注意をしてHPに掲載するんですが過去に2回ほど注意を受けた事があります。 OBとして情けない話ですが・・・  ・・中略・・ 当面は目標に向かっていくしかないでしょ、陸三曹君には。 長福寺より応援していますよ。 頑張って山籠もりの訓練を・・



2003年6月2日(月)   17期 安中 均より
件名 : 17Th Home 6月のご挨拶
この週末の星野タイガース対原ジャイアンツ戦、見ごたえがありました。 阪神ファンとアンチジャイアンツファンには9回11点の試合が、ジャイアンツファンには高橋由伸の逆転ツーランサヨナラホームランがたまらなかった事と思います。  我、広島カープと言えばチーム月の5月もサッーパリ。 赤ヘル軍団ならずあかんヘル軍団に成下がり、コイの滝登りどころか泳ぐ気配も無し。 泳ぎを忘れたコイを生徒部の赤帽訓練に入れたい気分の5月でした。  さて・・、いつもは17Th Home・生徒掲示板の御利用ありがとうございます。
几帳面な?あんちゅうによりますと、5月は2200件強のカウントがあり毎日60〜70件の安定したカウントを数えています。 これもひとえに皆様方のご協力、江田島青年の努力、さらに青年のボスの御理解の賜物と深く感謝申し上げます。  先日の江田島青年事務連絡によれば久しく活動をしていなかった生徒同窓会「江田島」が新しいボスの意向で会則も改正し活動を再開との事。 誠に喜ばしい限りです。 あんちゅうの手元には昭和46年11月1日発行の海上自衛隊生徒同窓会「江田島」創刊号がありその中の会員としての資格は生徒課程を修了したものとなっていますがこの度は、海上自衛隊生徒出身者と海上自衛隊生徒期間中に中途退職した者で、入会を希望する者となるようです。  江田島のあの大講堂で入隊式に臨んだ全ての者に会員としての資格が与えられる事は17Th Homeが最初に記載した「卒業者だけが17期ではない」の言葉にも当てはまり17Th Home管理人あんちゅうにとりましてはこの上ない喜びであります。 ボス始め、同窓会再開にご尽力された諸先輩に感謝申し上げますとともに同窓会活動に大いに協力したいと思います。 また、事業の項目には 「ホームページの製作、管理及び運営」とあり、今にマッチした同窓会活動が展開されるようです。  同窓会再開と発展、また、多くの会員が登録されるよう我、17Th Homeも頑張ります。 皆様のお力をどうぞお寄せください。  17Th Home、6月のご挨拶でした。



2003年6月1日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−25−55(ラグB−部試合結果)
5月31日(土)の高校総体広島大会が、台風のため1日順延になり本日快晴の中、県工グランドで在りました。  先週土日を利用して福山で誠之館高校《12(0−7)24》、尾道高校《14(7−45)50》相手に練習試合を実施し負けたけれども、手ごたえを掴んでこの試合に挑んだのでしたが、GW前に戦った相手美鈴が丘高校に雪辱を果たすどころか、走り負け《0(0−24)52》で返り討ちにあってしまいました。 スタミナはある程度付いてきているのですが、ボールに対する執念というか集散が遅くボールの支配率で負けました。  この夏、広島の三次で(菅平は入る隙間が在りませんでした。)合宿を行う予定ですが、ここら辺を鍛え直し、秋にはまず4強の一角を崩すつもりです。


17Th Home 徒然草 2003年5月


2003年5月30日(金)   17期 上田三佐夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 涙が出るほどふれぴー
竹下君似顔絵ありがとう、もったいないぐらいすばらしい出来上がりでひじょーに気に入ってます。  実は、今運動不足とストレスでちょっと太めなのだ、もうちょっと落ち着いたら似顔絵のようにスリムになるつもりです。   ではまた・・・。   アンチュウ、ご無沙汰して申し訳ない、週末だけ家に帰るプチ単身赴任なのでH/Pのチェックを忘れてしまう。  もうちょっと余裕が出来たらまた顔出しますのでよろしく。



2003年5月30日(金)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−24−54(第46期生徒ハンドボール大会優勝)
本日(30日)第1術科学校学生対抗ハンドボール大会の決勝が行われました。   第46期生徒Aチームは、予選リーグから強豪の海士チーム相手に一戦ごと力をつけ決勝相手03士水測を 12(5−4)9で破り見事優勝を勝ち取りました。 ”おめでとうございます。”    最初練習を見た時はどうなることかと思いましたが、ハンドボール部の本村生徒を中心にチームが良くまとまり、(まるで17期を見ているようでした。(ちなみに江田島青年は口出ししていません。・・・それが良かったといわないように。))  A・Bチーム揃って、優勝と3位を勝ち取り生徒部の歴史に第46期の記念すべきページを作りました。  皆さん、祝福してやってください。  海曹の部は、02曹水測が02曹電子整備との接戦を制し「11(8−4)10」で優勝しました。
あんちゅうの返信メール  46期Aチーム 優勝おめでとう!! Bチーム よくがんばった!!  勝因は いみじくも江田島青年が( )で囲ったこともあるでしょうが諸君の努力とチームプレイに徹した結束力の賜物と思います。  連覇を目指してこれからもがんばってください。  青年・・、わかっているようなので何もいうことはありません。



2003年5月29日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−23−53(第49期生徒水泳未熟者訓練)
5月12日から第49期生徒の水泳未熟者(赤帽)訓練が、始まりました。 約40名(半数)が参加しております。 我がラグビー部からも11名(18名中)が参加しており、早く卒業してもらいたいと思っております。  A、B、Cに分かれてそれぞれ絞られております。(我々の時は、ハマグリ、ヒラメ、タイと呼んでいたような?。)   江田島青年は、赤帽では無かったのですが我流の泳法で力任せに泳いで下手にタイムをクリアー(一応最高2級でした。)したもんだから、それ以上伸びず現在はあまり泳ぐ機会も無かったのですが(多分その気が無かった)、50秒(クロール)を切るのがやっとです。 情けない、がこの夏は頑張ります。    赤帽の生徒もしっかり泳法を覚え記録を伸ばしてもらいたいものです。 そして、7月の「水泳競技」には選手として出場し優勝を目指せ。 ファイト49期赤帽。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り ありがとうございます。  未熟者の訓練が始まりましたか。 当人たちにはツラいでしょうが間違いなく泳げるようになります。  あんちゅうも青年と同じく赤帽ではありませんでしたが、ラグビー部の練習があまりにもキツく、時々、部活にでない赤帽の連中が羨ましく思えた事を覚えています。 赤帽訓練の連中もキツかったでしょうがラグビーの練習もキツかったな〜。 特に水泳訓練のあった日の練習は出る前からヘトヘトになっていて練習が終わっての食事もただ、腹に入れる、詰め込むというような感じでした。 現在の49期と同じく体力がついていなかったんですね。  しかし、ラグビー部のカナヅチはかなりの高率ですね。 歴史あるラグビー部の未来が心配になりますが、沈んだまま浮んでこないなんて事がないようにシッカリ頼みますよ・・青年。



2003年5月29日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−18−48(第46期生徒ハンドボール大会参加)パートW
決勝トーナメントが23日から行われ結果は、次のとおりです。  1回戦  Aチーム 13−8 04士通信   Bチーム  8−3 03士電測 で勝利を納めました。  2回戦  Aチーム 25−5 Bチーム  でAチームが勝ちました。  Aチームは、30日の決勝戦に進み、 Bチームは、29日の3位決定戦に挑みます。  3位決定戦は、 Bチーム 3−0 01士射撃 で勝利を納め3位入賞です。 01士射撃は、予選リーグで 4−5で惜敗しており見事雪辱を果たしました。おめでとう。   明日は、決勝戦です。Aチームには優勝を目指してきっと頑張ってくれます。ファイト46期。



2003年5月28日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−22−52(第48期野外戦闘訓練)
5月27日から28日まで大原野外訓練場で、第48期生徒の野外戦闘訓練が行われました。 29日は、27k行軍があります。   我々の時は、第1グランドに始まり大原で事前訓練を実施してから原村演習場で戦闘訓練を行いましたが、現在は大原で日帰りで行っています。 ただ、原村演習の最終日行軍で凱旋する所を何故か歩いた記憶がありません。 何か理由があったのでしょうが分りません、覚えている人は教えてください。  思えば、2年生の夜間戦闘訓練の時、運良く調理作業員に当たり当時の調理員が周りの田んぼから、食用蛙を取ってきて食べさせてもらいそれが非常に美味しかったことを覚えています。 今でも焼き鳥や等に行って蛙があれば注文しています。 皆さん一度は食して見る価値あり。  あるテレビ番組で、フグのから揚げと蛙のから揚げ食べ比べがあり、ボウジャイアンツ球団の番長が間違えたと記憶しております。  写真を添付しますが、写した江田島青年も分りませんが、写された本人もどれが自分か分らない無いと思います。 第1ホフク前進に始まり第2、第3と在りましたが、第1が一番辛かったように思います。



2003年5月28日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−20−50(パートU:分隊点検の目的正解)
分隊点検の目的   「分隊の威容、教育訓練の状況及び隊員の服装容儀、態度、申告事項、健康状態を検する。」 です。   皆さん思い出しましたか、江田島青年も思い付きで問題を出しましたが、直ぐに正解は出ませんでしたので調べました。   皆さん常に分隊点検を受けれる状態を維持し勤務に励みましょう。



2003年5月27日(火)   17期 前畑啓二より
件名 : 佐世保から帰ったニコラス
26日無事佐世保から帰りました。  佐世保では地元5人、舞鶴2人、横須賀1人の計8人で会合を開きました。 平日のせいかほとんど1次会で解散になり皆さん大人になりました。 写真は竹原が送るそうです。  次の日は伊藤隆夫婦とゴルフに行ってきました。 お世話になりました。 ・・結果は聞かないで・・・  来月は大湊に行きます。



2003年5月25日(日)   17期 藤竹春壽より
件名 : こんばんわ
今週は少し疲れ気味ー高杉のー周忌に岩国の航空機Uー36A事故により4名死亡したため今日・部隊葬がありました。 死んだらあかん! またメールします。 おやすみなさい!



2003年5月25日(日)   17期 安中 均より 17期 梅木 勝 17期藤竹春壽へ
件名 : メールアドレス公開の件
お久し振りです。  元気でやっていますか?  藤田より ”CC”でアドレスが送られてきましたが、一応、同期への公開を承知していただけるかどうかの確認です。(意味無いようですが・・・)  もうすでに17Th Homeはご覧頂いてるかと思いますが、2001年9月2日 17期ホームページ ”17Th Home”を開設いたしました。 以来、ご覧のような形で現在に至っています。  近況など一緒に送っていただければ幸いです。



2003年5月25日(日)   17期 藤田雅之より
件名 : メールアドレスの変更及び同期メールの追加
江田島仙人 生徒17期  の皆様  藤田雅之のメールアドレス(自宅及び携帯)を変更したので、更新してください。 また、梅木(情報本部:市ヶ谷)、藤竹(71空:岩国)のアドレスを添付します。 藤田:自宅 ***@*** 藤田:携帯 ***@***  梅木:自宅 ***@*** 藤竹:携帯 ***@*** です。  安中、小池さん 「爽快生徒 仙人を囲む会」の件 了解しました。 是非、参加します。 その他もあたってみます。  藤田 (基礎情報隊:市ヶ谷勤務、千葉県佐倉市在住)
あんちゅうの返信メール  自身のメールアドレス変更案内と梅木、藤竹のアドレス追加ありがとうございます。 このメール、CCで送られてきたので多分、ご両人は同期へのアドレス公開の件は了解済みかと理解していますが、一応、両人に確認のメールを送りたいと思います。  尚、パソコンのアドレスの他に携帯メールのアドレスをお持ちの方をご存知でしたら紹介してください。 現在、月初めのご挨拶メールをパソコン用アドレスと携帯メール用アドレスに別けて送信しています。  宜しくお願い致します。



2003年5月23日(金)   24期 平 まりお生徒より
件名 : Re: 仙人を囲む会
こんばんは、安中先輩。 まだ、子供にヘンタイ扱いされていない24期 平 まりお です。  安中先輩からのありがた〜い、メッセージは24期メーリングリストに確かに伝達しました。 叔母様が亡くなられたそうで、ご愁傷様です。 従兄弟の息子さん 陸自空挺団ですかー。 花形ですねー。 安中先輩の自慢の親戚ですねー。 もし、もう一度若返れるなら、「空挺団でレンジャー」 ヒジョーに興味ありますねー。  さて、「爽快生徒 仙人を囲む会」のご案内をいただきながら、返信が遅れて申し訳ありませんでした。  実は、面識のない私が出席してよいものやら、思案していたのですが・・・、もし、人員に余裕があり、迷惑でないのなら、無口でつまらん男ですが、よろしくお願いします。 ・・・・・・・・・・・・・岩国で航空機事故が発生し残念ですね。 亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
あんちゅうの返信メール  こちらこそ返信が遅れて申し訳ありません。  「爽快生徒 仙人を囲む会」への参加、ありがとうございます。「爽快生徒」であり、「仙人を囲みたい方」なら無口であろうと雄弁であろうと関係ありません。直に面識がなくても仙人はこの17Th Homeを通じ平生徒の雄姿をご覧になっているはずですし、高杉の件においては、24期の結束力に仙人もきっと好感を持っておられるはずです。  早速、幹事の小池生徒に連絡しておきます。



2003年5月22日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−21−51(第49期短艇訓練開始)
遅れましたが、第49期生徒の短艇訓練がGW前から始まりました。 とは言っても、短艇の揚げ降ろしの要領です。 初めての事でもあり真剣に聞いているようです。 怪我をしないようしっかり聞き確実な作業に心がけてもらいたいと思います。   思い起こせば、ストッパー配置をした時、途中で掛ける方向が違う事に気が付いたのですが、時すでに遅く、索が滑らないよう必死で握り締めておりました。 浦田班長に気づかれず無事カッターが下りたときはホットしておりました。  49期生徒は、このようなことが無いように応援しております。
あんちゅうの返信メール  「第49期短艇訓練開始」 ありがとうございます。   短艇とう漕訓練を通じ、シーマンシップの何たるかを体で学びながら併せて、同期と力を合わせることの大切さを学びます。 体力も違うクリューが気持を一つにして艇を進めることに最初はなかなかうまくいきませんでしたね。 江田島ではいろんな行事や訓練が次から次へと行われましたが、この短艇訓練が江田島の全てだったのかも知れません。 その第一歩を49期生徒は歩み始めました。    同じ3等海士の17期短艇訓練を掲載します。 この余裕のあるにこやかな顔をご覧ください。 キツい訓練もこうでなくてはいけません。  カッターを揚げ降ろしする時の号令は何から始まり、なんとかかったのか・・。 今ではすっかり忘れてしまいましたが浦田班長の 「君たちは・・・」 から始まるちょっと鼻にかかった甲高い声を想い出します。



2003年5月22日(木)   17期 竹下和哉より
件名 : 似顔絵9,10号
おひさしぶりです。 戦争が終わったと思えば、今度はSARSで大騒ぎ。 そして、航空要員の私にとっては、とても残念な航空機事故が岩国で起きてしまいました。 搭乗員の皆様のご冥福をお祈りいたします。  さて、似顔絵も17期HPに投稿されてくる写真を画材に作っていますがちょっとネタ不足の感があり今回も厚木の同期が中心になってしまいました。 みんな大きめの顔写真HPに投稿してくれー! ただしJPEGで軽くしないと安中が困るぞー!  7月の仙人を囲む会楽しみにしてます。  ところで、バナーは忘れてないんだけど中々、安中作を超えるヒントが浮かばなくて遅れてます。 我慢強く待っていてください。
あんちゅうの返信メール  竹下画伯のコレクションもこれで10作品目。 それぞれの特徴を際立たせる作品にはおそれいります。  バナーについては前にも書きましたが、けっして急いでいません。 17Th Homeは、竹下画伯の作品であることに意味があると考えていますので。  岩国の事故、残念でした。 17Th Homeとしてもお悔やみ申し上げます。 17期では藤竹と小川の二人が現在、岩国に勤務しているようですが大変な中にもそれぞれの職務を全うし頑張ってもらいたいものです。



2003年5月21日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−18−48(第46期生徒ハンドボール大会参加)パートV
本日(21日)Bチームが、2回戦を行い、01士通信に(13−1)で勝利を収めました。 昨日報告でしたAチームは決勝トーナメントに進出しておりBチームも進出しました。 ワンツウフィニッシュと思いきや、順調に行くと準決勝で対戦となります。 今思えば、Bチームの1回戦ラスト15秒悔やまれます。 しかし、1・3位を目指して頑張ってくれると信じています。



2003年5月21日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−20−50(NHK取材)
本日(21日)天下のNHKが取材に来ました。 「NHKおこのみワイド広島」と言うローカル番組だと思いますが、23日(金)1810〜1850に生中継(1術校全般)の中、本日生徒部を中心とした取材を放映するそうです。 時間と放映しているところは、お見逃し無く。   生徒部の取材は、分隊点検(偶然重なりました。)に始まり、教務時間、文化部の活動状況及び短艇作業等をしておりました。 当然江田島青年は、主役の座を勤めるべきところでしたが生徒中心と言う所で丁重にお断りしました。  1年生の第49期生徒にとっては、初めての経験であり、又どんな質問をされるのかと心配なのかかなり「蚊取り線香」の状態で、質問に対する返答もスムーズにいかなっかようです。 一番いいのは、 『ハイ、(一呼吸おいて)元気よく「忘れました。」が裏技だったような。』 、2・3・4生と進んでいくと少し余裕があるように映りましたが、質問されるとやはり皆「蚊取り線香」でした。  ここで諸君に質問です。分隊点検の前に、校長から始まり分隊長、分隊士及び班長の官職氏名並びに指導方針等必死で覚えたことを頭の隅にまだ覚えていますか、そこで「分隊点検」の目的を述べよ。   アンチュウ取りまとめ宜しく。 正解は1週間後に掲載します。    短艇訓練は、第46期生徒が実施しましたが、いまいち緊迫感がありません。次回は、第49期生徒の短艇作業状況をお届けします。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便りありがとうございます。  分隊点検の前の官職・氏名ですが、校長、分隊長、分隊士、班長の前に、内閣総理大臣から始まり防衛庁長官、防衛庁政務次官、防衛庁事務次官などの名前を記憶したのではなかったでしょうか?  前段の名前は比較的簡単に覚えましたが後段の特に政務次官・事務次官の名前は苦手でしたね〜。  江田島青年の質問、「分隊点検の目的」ですが、まったくわかりません。  ・・が、探しました。  ・・が、ここでは書きません。  一週間後の正解が楽しみです。  私事ですが、先週一週間は大変な日々を過ごしました。 土曜日(17日)に母の姉(行年90歳)が亡くなり月曜日お通夜。 火曜日に葬儀。 翌日水曜日にはなんと今度は母の妹(行年83歳)が急逝し、一日置いた金曜日にお通夜。 土曜日に葬儀。 土曜日は父の納骨の為、葬儀への参列を丁重に断り、今日(日曜日)午前中に母と女房を連れてお参りにいってきました。  母の姉の葬儀の時には元気でいたのでびっくりしました。 母も御歳84歳。 4月11日に自分の連れ合いを亡くし、姉を亡くし、妹まで亡くしてしまいました。 今のところ元気でいますがちょっと気にかかります。 女房が良くしてくれるので大変ありがたく、又、助かっています。 そういう年回りかもしれませんが、こう続くとガーックリきてしまいそうで気をつけなけなければなりません。  父の納骨は無事に終わりました。 その節はお世話になりました。 上三佐にも宜しくお伝えください。



2003年5月21日(水)   17期 安中 均より
件名 : 陸自第****
5月20日、母の姉(行年90歳)の葬儀が近所で執り行われ、母の替わりにあんちゅうが参列しました。  従兄弟の子供に現在陸自第****勤務の頑張り屋がいます。 彼は一般隊員として入隊。 今年の1月、めでたく三曹に昇任しました。 子供の頃から知っている彼ですが制服姿は初めて。 きちーッとした所作にさすがといったところでした。  この秋より****としての訓練が待っているそうで今から期待に胸を膨らませているといった様子でしたが、部下の指導方法に悩んでいるという所もあり、新しい武器の習熟など、彼なりに大変そうでした。   ちゃっかり屋のあんちゅうは彼の胸についている**の徽章に目をつけ、早速オネダリ。 気持のやさしい彼より頂きました。  今日、***の部隊に帰るそうですが、元気で身体に気をつけ頑張ってもらいたいと思います。
渡*満*陸*曹からのメール   今回はいろいろとお疲れさまでした。 お葬式ではありましたが、楽しくこの休暇をすごさせてもらいました。 安中さんとまたいっしょに楽しくお酒が飲みたいものですが、忙しい毎日になりそうで・・・。  そういえば今日加茂のおみこしを担いできました。**隊員の意地にかけてもと思い、最後まで前の方で担ぎつづけました。 メール遅れてすみませんでした、さっき部隊に帰ってきました。 これからもよろしくお願いします。   第**** 渡*満*
あんちゅうの返信メール  ご苦労さま。 加茂のみこしを担いだの? がんばったね〜。 根性のないあんちゅうはいまだかつて、担いだ事がありません。  部隊では何かと大変なようですがシャキーっと気合を入れて頑張ってください。 長福寺より応援しています。 また、時々メールを出すかもしれません。 HPをやっている関係で毎月、月初めに挨拶を送っているのでそのメンバーに入れておきました。  厳しい訓練の合間に時間があったら又、メールを下さい。待っています。



2003年5月20日(火)   江田島青年より
件名 : 15−18−48(第46期生徒ハンドボール大会参加)パートU
予選リーグ、Aチームの第二試合が本日(20日)あり、01海士電測課程に、(0−25)というパーフェクト試合で二勝目を上げ決勝トーナメント進出にまた一歩近づきました。 しかし、0点に抑えるとは17期顔負けの活躍です。 申し遅れましたが、現在生徒班対抗のハンドボール大会は無く、1術校大会の海士の部参加しています。



2003年5月20日(火)   17期 高橋良彦より
件名 : 故高杉の一周忌にさいして
佐世保17期の皆さん「故高杉君」の一周忌ご苦労様でした。  何時も肝心な時に行けなくて申し訳ありません。 都合が付けば佐世保に行きたいと思っています。 (艦と違い行動範囲が狭くなってしまいました。)



2003年5月20日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−19−49(第49期生徒手旗訓練)
第49期生徒の手旗訓練が始まりました。 19日午前中「江田島青年」による、第49期生徒の手旗訓練の視察を実施しました。 まだ、二回目ということでしたが、頑張っていました。  当時の教官の名前は覚えていませんが、腕が上がらなくなるまで教官の笛に合わせてひたすら腕を動かしていたように記憶しています。 皆揃っているようで中にはたまに会わないやつが居たのは今も昔も同じです。  でも、皆必死に頑張っている姿が初々しく、昔の「江田島青年」をダブらせながら心から声援を送る江田島青年でした。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り ありがとうございます。  手旗訓練ですか。  海上武人を目指す生徒には基本中の基本ですね。 しかしこれが又、大変でした。  合わないヤツとはひょっとしてあんちゅうの事? 否定は出来ないところがツラいところ。  ・・あんちゅうは海上愚人でした。  この写真は好きな写真の中の一枚です。  どーです。 いいじゃ〜あ〜りませんか。 江田島の晴れわたった空の下、初々しい17期がいます。 教官は多分、8期生の高松班長(当時)かと思いますが、どうでしょう?



2003年5月19日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−18−48(第46期生徒ハンドボール大会参加)
本日(19日)から、1術校のハンドボール大会が開催されました。 生徒部からは、4年生(A・B)のみが出場します。 リーグ戦第1試合の結果は、次のとおりです。   Aチーム 9−4 01士射菅 勝利    Bチーム 4−5 01士射撃 敗退  Aチームは、前半3−3の同点で折り返し、後半は若さで走りきり呉地方隊選手が一人居るチームに勝ちました。 このまま決勝トーナメントに進み優勝してくれると思っています。  Bチームは、同点からラスト15秒で決勝点を入れられ惜敗しました。 次の試合からは勝ち進み決勝ではAチームと争ってほしいと密かに願っている江田島青年でした。   我々の時は、少術校内の班対抗の大会であったと記憶しております。 17期通信のことしか記憶にありませんが、利光、宮崎、松下のハンドボール3羽ガラスに、速攻要員の松原を要し(忘れてはいけません「迷キーパこと江田島青年」)  1回戦は勝ち進んで行ったかな?



2003年5月19日(月) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−17−47(第49期生徒下宿でくつろぐ)
第49期生徒にとって単独による始めての外出が土・日曜日とありました。 親方が、集団下宿にお邪魔しデジカメの餌食にしましたが、くつろぐと言うかデジカメを向けられ緊張したせいか硬くなっているようです。  江田島青年も当時を振り返って見ると、外出して何をしていたのかあまり記憶にありません。 土・日といえばラグビーの練習で半日潰れ、私服で外出できるわけでもなく、ただ下宿で写真のように漫画を読むか、テレビを見るか何も考えずゴロゴロしていたように思われます。  いずれ彼らも***や*にと染まっていくのでしょうか。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便りありがとうございます。  あんちゅうも青年と同じく下宿で何をしていたかは定かでありません。 一年の頃は先輩の下宿先でお世話になったような記憶がありますがこんな写真も。 一枚目は前に紹介しましたが、二枚目も同じ日に撮った物と思われます。  ・・時代を感じます。  ステテコ姿もお似合でしょうか。  2年になってから自分で下宿先を決められ、あんちゅうはやっちゅうと二人で中常さんのところで卒業までお世話になりました。 「ユミ」・「ナミ」という双子の女の子(当時小学生)がいました。  ある時、みかんを新潟に送るということで中常さんのみかん畑に採りに行きました。  大きいものもあれば小さいみかんも。 「この木のみかんは小さいけど甘い」 と言われたそのみかんはすごく甘かったと後で母親が話してくれました。 とても懐かしい想い出です。  「下宿」という言葉もピンとこない彼等も、下宿先で私服に着替え、我々がそうだったように若者の道を歩んで行くことでしょう。
江田島青年の返信メール  思えば当時制服の下は、必ずステテコを履かないと(パンツが見えないようにするため)怒られたように思いますが、今は如何なんでしょうか。  江田島青年はズボンとステテコが一体になって居る為履いていません。  時代(中島みゆき、今ファンです。)は変わりました。 何故か、浦田班長に怒られたことを思い出しました。



2003年5月18日(日) 17期 伊藤隆より
件名 : 高杉法要終了
本日(18日)、高杉の1回忌の法要が無事終了しました。  親族をはじめ、山口班長、生前の勤務場所の隊長、同僚、同期、後輩など50名近く参加しました。  舞鶴から氏野、伊藤理、岩国からは小川、藤竹と教え子の24期の諸君も参加してくれ、生前を偲びました。  来週には横須賀から前畑が入港する予定なので、また集まろうと思っています。  まずは報告まで。   伊藤
あんちゅうの返信メール  ご苦労さまでした。  50人近くも参列してくれたなんて・・・ さすが高杉。 全国でも密かに高杉の一周忌をやった方も多いと思います。 彼の人柄が偲ばれます。  ニコラス・ケイジが佐世保に現れるようですが、デジカメなどといういいのもがこの世にあります。  「たっけはらと勝負!!」 は、もういいですから17Th Homeにふさわしい 「華」 「品」のある写真を待っています。



2003年5月14日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−16−46(各クラブの試合結果)
これまでの各クラブの試合結果
1 ラグビー部
(1) 4月12日(土)平成15年度広島地区リーグ戦 一試合目 西高校 7 (前半7−19) 52 美鈴が丘高校(ベスト4常連) *弥山登山の練習で十分なコンビネーションが出来無いにも拘らず、先制トライを奪うなど前半は善戦しましたが、後半はスピード、スタミナ供に力負けしました。弥山だけでは勝てません、いかにラグビーが大変かわかったと思います。
(2) 4月26日(土)平成15年度広島地区リーグ戦 二試合目   西高校 5 (前半0−57) 83 広島工業高校 *休暇前の試合であり気分が盛り上がらなかったと言うことは無いんでしょうが、新人大会優勝校に完璧にやられました。しかし、後半リザーブ選手が入ったとはいえ、最後までトライを取ると言う気迫は衰えず、終盤スタミナが切れるところですが、1トライを返したことは、少し成長の後が伺え褒めてやりたいと思います。(甘い)
(3) 5月11日(日)平成15年度広島地区リーグ戦 三試合目   西高校 0 (前半0−21) 45 崇徳高校(ベスト4) *休暇明けと言い訳はしませんが、雨中の中良く健闘したと思います。 殆ど自陣で試合をしていたにも拘らずこの得点で良く抑えた思います(本当は、100点ゲームを覚悟していました。)。後半は何度か敵陣に攻込みましたが。反則と言う悪いパターン押し返されました。(反則約20位、多すぎる) (リーグ戦は残り二試合です。) *第49期生徒新人が18名入部しました。練習は大変厳しいのですが、4年間頑張ってほしいものです。
2 ハンドボール部
 4月12日(土)中国大会広島予選  1回戦 西高校 22−13 城北高校  2回戦 15−30 向原高校 残念ながら、中国大会に出場できませんでした。 *ミスターハンドボール・利光、宮崎、松下、上田、大谷(元気にしていますかね)、前畑、川浪(息子は、ラグビー部でした)皆上手かったよな。
3 柔道部
 4月20日(日)第50回中国高校広島大会  1回戦 不戦勝  2回戦 西高校 3−2 呉昭和  3回戦  0−4 福山東 残念ながら、中国大会に出場できませんでした。 *記憶では、椛島、野田達頑張っていましたね。
4 野球部 
5月10日(土)第47回高松宮賜杯広島決勝大会   1回戦  西高校 2−0 Lips   準決勝  2−6 ビクトリー(西部代表) 残念ながら決勝進出なりませんでした。  *故高杉を思い出します。18日の1周忌いけませんが、佐世保17期の皆さん宜しくお願いします。
5 サッカー部
4月20日(日)第56回高校総体広島地区予選  西高校 0−5 広島工業高校 4月27日(日) 西高校 0−8 廿日市高校   *サッカーの鬼・番上、氏野を思い出します。
6 剣道部
(1) 4月20日(日)中国高校選手権広島地区予選    西高校 3勝1敗1分 国泰寺高校   0勝4敗1分 加賀北高校  敗者復活戦  3勝1敗1分 千代田高校  県大会出場権獲得 おめでとう。県大会では、全力で頑張ってほしいものです。
(2) 5月11日(日)第49回中国高校選手権  団体 1回戦 西高校 4勝0敗1分 西条紫水高校  2回戦 0勝4敗1分 崇徳高校  個人 47期 平岡誠1士、濱田忠史1士 2回戦敗退 *四天王でしたか、竹原、長倉、中谷、臼井、・・・思い出します。  高校生は相手にならないほど強かったですよね。
7 空手部
 4月19日(土)春期広島地区高校選手権  団体 西高校 2勝2敗1分け 熊野高校 (ポイント差で敗退)  個人 47期 米満1士 2回戦敗退 *17期四(五)天王こと、楯、里出、長浜、橋本、故津田強かったですよね。
8 水泳部
 5月3・4日(土・日)広島地区春季水泳競技会 団体 第5位(参加チーム:22) 個人 47期 平原伸也 200m 平泳ぎ第2位(2-36-74) 100m 平泳ぎ第3位(1-11-22) 48期 日野晶仁 200m 平泳ぎ第3位(2-40-47) 100m 平泳ぎ第8位(1-16-42)   文字誠一 100m バタフライ第4位(1-03-19)  200m バタフライ第6位(2-29-27) 47期 古舘直樹  50m 自由型 第5位(25-76) 100m 第5位(57-88)  樋口利喜  50m 第6位(27-22) 小西 遊  400m メドレー第6位(6-21-14) 藤野祐規  200m バタフライ第8位(2-56-16) リレー400m 自由型 第4位(3-55-14)  800m 第6位(9-05-50)    400m メドレー 第8位(5-04-00)   *アルバムには偉そうに鎌田が中央で写っています。さすが海上自衛隊です、本職では頑張っています。
我々の時代と違い、西高校として高体連に加盟出来色々な大会があり試合数が増えていますが、生徒達も遣り甲斐があるのではと思っております。(裏を返せば、それだけレベルが落ちたのでしょう。)  少々長くなりました。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り ありがとうございます。  このメールを何分?かかって打ったのか見当もつきません。 青年の健闘?に敬意を表します。(座布団2枚!!)  青年は17期のこともよく覚えていて、あんちゅうも名前を見るたび、それぞれがユニフォームを着ていた姿がはっきり、クッキリと目に浮びます。 いずれ機会がありましたら各クラブのメンバーの写真を掲載致しましょう。 ・・が、青年に敬意を形で表わします。  ・・・17期ラグビー部だけは今日掲載する事にします。



2003年5月14日(水)   17期 小池正行より
件名 : 仙人を囲む会
いつもお世話様です。  爽快生徒仙人を囲む会幹事の小池です。  若葉茂れる季節となり、いろいろなことがあっても元気の出る5月。  お待たせしました、日時と場所が決定しましたのでお知らせします。  日時 7月5日(土)16:00〜19:00場所 ****−**** 参加20〜30名位の予定で設定しています。  仙人、同期、先輩、後輩の皆さん予定表にチェックしておいてください。
あんちゅうの返信メール  らじゃー!! ラジャー、ラジャー!!  あんちゅうがアドレスのわかる方にはこのメールを転送いたします。  17Th Home上では場所を掲載する勇気がなく ****−****と致しました。 参加希望の関係者の皆様、早めのメールをお待ちしています。



2003年5月12日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−15−45(第49期生徒校長視察受閲)
本日(12日)快晴の中、第49期生徒が1ヶ月間の入校教育を終え、その成果を見てもらうための、「校長視察」を受閲しました。   「基本教練」と「5分間体操」を受閲したのですが、初めての体験のためか皆かなり緊張していたようですが、号令官をはじめ生徒全員元気があり、1ヶ月の成果を十分発揮できたように見えました。 校長の好評も少し注文もありましたがお褒めの言葉を戴いておりました。   クラブ活動と文化部活動が、本日から始じまります。 益々勉学、訓練及び運動にと忙しくなりますが、1ヶ月間右も左も分らないのに一生懸命頑張って乗り越えた気持ちを忘れず、厳しい生徒生活にも早く慣れ幾多の苦難を乗り越えて行ってもらいたいと、心から応援している江田島青年でした。
あんちゅうの返信メール  連日の江田島青年便り、ありがとうございます。  こういうことも行われているのですね。  相変わらず記憶の定かでないあんちゅうは我々の頃もあったのだろうかとある意味、新鮮味を感じます。  あんちゅうが生徒時代、一番思い出にある校長は 左近充尚敏校長です。 校長室の甲板掃除に行くと ピッカピカのおーきな靴がありました。 体型も大柄でしたがその大きな靴がとてもかっこよく、あるとき中を見たらリーガルでした。  それ以来、今日までリーガルファンになってしまいました。 今で言うブランド志向でしょうか。  江田島仙人は、席抜けの術を使い、時々生徒部を御忍びでカッポされて迷惑がられていたようですが、目を細めながらこういう事もされていたのでしょうね、きっと。



2003年5月11日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−14−44(第17期生徒の忘れ物)
GW突入日の4月26日(土)ラグビーの広島地区リーグ戦があり、翌日防火隊当直の為、生徒の試合着を洗濯していたところ、生徒隊で確保していたハンガーの中に貴重な物を見つけました。 江田島青年も思わず目を疑いました。   それは、「17−3 村山清広」と名前の入ったハンガーを見つけました。 他にないかと探していると「佐 sonar 藤」と名前の入ったハンガーもありました。 「佐 sonar 藤」は、少し字も新しく見えましたが、「佐藤壽」のであれば2年生になった頃ではないかと思います。 「17−3 村山清広」のハンガーを見るに、昭和46年4月1日入隊した1年の時に使用していたものと思われます。  なんと、33年間少術校から1術校生徒部に変わっても我々の代わりに生徒を見守っていてくれたのだと思うと感激も一押しです。  現在、記念に江田島青年のロッカーに入っております。  (「何でも鑑定団」に出せば、かなりいい値段が付くのではと一人でほくそえんでいる江田島青年でした。  以上)
あんちゅうの返信メール  いやー 驚きです! 驚きました。  名前入のハンガーが見つかるなんて驚きましたね〜。 村山清広は山形県天童市出身。 一年の時は青年・あんちゅうと同じ三班。 そしてそして、これまた、3人とも同じラグビー部で頑張りましたね。  彼はプロップの3番。 青年は司令塔の10番スタンドオフ。 村山と同じフォワードのあんちゅうはフッカーの時は一緒に肩を組んだり、フランカーの時は彼のケツを押したり、ある意味、同期の中では一番スキンシップをはかった仲だと思います。 (中断)  中断中、佐世保の宮嵜より電話がありました。 18日の高杉のこと、家族の事、あんちゅうがお世話になったおふくろさんの事。 そして、ハンドボールを捨て、不惑ラグビーに頑張っている事。 不惑ラグビーでのポジションはなんと、フッカーかフランカーとの事。 本は半分しか読めなくなった事。 下はいたって元気な事・・等々。  ・・失礼致しました。 青年はいーい物を見つけましたね。  でも、ほんとに欲しいのは持ち主の村山でしょう。 元気でいるのでしょうか。



2003年5月11日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−13−43(第49期生徒引率外出)
本日(11日(日))第49期生徒の、4月1日着隊以来4月7日から5月10日までの入校教育が終わり、初めての外出(GWの休暇を除く)が引率外出により許可されました。  本日0700総員起こしを外出準備等のため分隊長の計らいにより0630総員起こしで頑張っておりましたが、分隊長等や対番に外出要領等を教えてもらっていた(多分)と思いますが、外出準備の要領が分らないのか、はたまた外出証の受領要領も儘ならず先輩方に迷惑を掛け総員が0800の外出員整列には間に合わなかったようですが、なんとか雨空の中外出していきました。(苦言:49期の行事がある時、雨天等何かと何かあります。)  整列時の生徒の顔を見ていると、初めての外出で緊張しているのか、あるいは期待と不安に駆られているのか、強張っている様でした。  我々の引率外出時もそうだったのか、中央桟橋に始まり、集会所、呉駅等分隊長、分隊士及び班長に引率されと記臆しております。尚、現在は2年生の対番が引率して外出します。(当然分隊長等も一緒です。)  自分を思い起こすに、銀座デパート(現在なし)の屋上の遊園地で遊びに夢中になりすぎて集会所の集合時間ぎりぎりに行ったように記憶しております。 また、「大都会パートU」から出てきた大和子なもんで呉が大都会に思え右も左も分らなっかたことが思い出されます。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り15−13−43 ありがとうございます。 我々の1年の時もこんな風にして呉までいったのですかね〜。 まーったく記憶にございませんが、青年の 「集会所の集合時間・・・」 を読むとそーかな?とも。 集会所に行った記憶は残っていますがそれが始めての外出だったかどうか?  それにしても見事に緊張していますな〜。  いや、いいんですよ。 この引き締まった顔がいいんです。  思わずこちらも引き締まりそうな?雰囲気があります。 また、先輩は先輩らしい雰囲気を感じます。流石です。 いずれ彼等も呉で行きつけの店を見つけるのでしょうか。 17期がよくお世話になった ”いとう” のような店を。  呉といえば大都会も大都会。あんちゅうも青年と同じく、ご覧の通りの「大都会パートU」 育ち。 この頃は、夜は蛙の大合唱が風物詩です。 海があって島が見え、フェリーに乗れるなんて夢のようでしたよ。
青年の返信メール  新潟の「大都会パートU」いいですな、まるで島根の「大都会パートU」を見ているようです。 やっぱしこういう風景は情緒があっていいもんですな。 いつまでも残しておきたいものです。



2003年5月11日(日) 17期 安中均より
件名 : 自衛隊新潟地方連絡部 加茂募集事務所管内 山菜狩りパーティー
件名の行事が行われ、あんちゅうも参加させていただき、OBの方や現役隊員の父兄の方などといっしょに新鮮な山菜料理に舌鼓をうちました。  地域がら海上の関係者が少ない中、少しでも御縁を求めてあちこち話しをしていましたら、一人息子をこの春より舞鶴教育隊におくった方がおられました。  この連休に帰って来た時、往復の切符を買ってきた息子さんを見て、彼の決意の程を再認識したとか。  父親とは違う、母親としての複雑な心情も話しておられました。   休暇で帰った時、片道の切符しか買っていかなかった同期。 この話、どう考えます?   事務所の石本所長始め、広報官の各隊員の方には大変お世話になりました。 秋のきのこ狩りも参加させてもらいたいと思います。 宜しくお願い致します。



2003年5月10日(土)   17期 竹原堅一より
件名 : 久し振り
久し振りです。 父上の件 残念でしたね。 遅れましたが、お悔やみ申し上げます。  私も、大変忙しく、やっと 暇になりました。 なにをしてたか、秘密ですが、とても楽しい仕事をしてたのよ!   時がきたら 教えてあげる!   もうすぐ、高杉の一周忌です。 18日です。 みんなでご法要をします。 遠くにいる同期も高杉の事を思い出して気持ちだけは、佐世保に来てね! よろしく!      たっけはら でした
あんちゅうの返信メール ホント、久し振りでした。 忙しかったのは本当らしい?・・ですね??   江田島の雲助に現れたたっけはら先任伍長を見てそういえば、少しやつれたような?・・・感じがしないではありませんが、よくよく見るとどうも、前畑先任伍長に更に差をつけてきたような感じがしないでもありません。  (・・勉強がたらず、これ以上の文面は思い当りません。)  高杉の一周忌がもう来るのですね。  同期、関係者が仏前に集まってくれる事をあの世から見ているのでしょうか? ”高杉メモリアル”と題して 17Th Home上の高杉に関係あるものを集めました。 時間があったらご覧下さい。  全国にいる高杉関係者は一周忌の18日と命日の28日、それぞれの場所で一杯の酒を呑み、高杉の法要としたいと思います。 気持を佐世保に結集します。



2003年5月7日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−12−42(江田、竹原in江田島)
5月3、4日に神様14期生徒の35周年記念行事、4日に9期生徒40周年記念行事が、生徒の心の故郷である江田島で実施されました。 その様子をお届けしようと思ったのですが、4日は親戚の法事でお邪魔することが出来ませんでした。 すみませんです。 そこで井上隊長にお願いしたのですが、デジカメをどこかに忘れ現在行方不明だそうです。  集合写真は、14期生のHPに掲載されているそうです、そちらをご覧ください。  残念ながら、9期生徒の様子は今のところ把握しておりません分りしだい掲載します。   同期会と言えば、日にちはフッラシュバックしますが、江田の江田島訪問記を見て思い出したのですが、15日に江田、竹原と雲助で一献酌み交わしました。(てっきり掲載していると思っていました。) 二次会では、江田の一人舞台(中年のスケベー)となりその様子を添付します。 尚、江田の奥様と艦長には「秘」扱いで宜しく。
あんちゅうの返信メール  極秘資料に付き 掲載しなければいいものを あーったまにきたのでいろいろ試行錯誤の結果、モザイク処理をいたしました。 これなら秘密は保たれるでしょう。 何も言う事 ありません。



2003年5月6日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15-11-41(GW終了)
5月5日でGWが終了しましたが、皆様有意義に過ごすことが出来ましたか。 江田島青年は、26日:試合、27日当直、28日午前家庭菜園夕刻から5月2日まで「大都会パートU」で百姓の手伝い、3日午前:家庭菜園、午後:ジョギング・散髪、夕刻義兄夫婦一家と焼肉パーティ、4日親戚の法事、5日家庭菜園と充実したGWを過ごすことが出来ました。   ただし、家庭サービスは「大都会パートU」の往復のドライブのみとなってしまい愛妻には申し訳ないと思っておるしだいです。   処で、我が江田島青年広場は心配しておりました。 49期生徒も「掲示板」にもあったように両親の心配をよそに総員元気に帰って来ました。ご安心ください。   夏期休暇まで残すところ94日です。 その間、校外見学、防火・防水訓練、野外戦闘訓練、水泳訓練、幕営訓練、遠泳等訓練が目白押しですが、楽しい夏期休暇の来る日をカレンダーとにらめっこしながら、元気に乗り越えていってほしいものです。   我々も、カレンダーに日数を書き込んでいた頃が思い出されます。 考えるに半分に成るまでは日が経つのが遅く感じ、半分過ぎれば少し速く感じていたように思っていたのは私だけでしょうか。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便りありがとうございます。  GWが終わったと思ったらもう夏季休暇の話。  親心ですな〜。  わかります。 生徒諸君は夏期休暇なんて直前まで感じる暇がないくらいにいろんな訓練に立ち向かうんですね。 これから自衛官としてと 海上要員としての基礎をみーっちりと叩き込まれます。 頑張るでしょう。  さて、江田島青年のGWの日程を見まするに誠にすばらしい理想的なGWを過ごされたようですね。 家庭菜園と島根の山奥の大〜都会での百姓の手伝い。 先祖の供養と親戚の皆様との語らい。 ジョギング・散髪ときては文句のつけようがありません。 グータラな時間など青年の時計には無いようですね。 愛妻に詫びるところなどは とても真似できるものではありません。  ちょっとアゲ過ぎましたかな?  連休後も 江田島青年便り 宜しくお願い致しま〜す。



2003年5月6日(火) 仙台 安部庄子様より
件名 : Re: 5月のご挨拶
ご無沙汰しました お元気ですか? 連休中もお仕事とのこと お疲れ様でした。  5月といえば 春休暇! 息子も 意気揚揚と帰ってきましたが、 やっぱり戻るときは 前の晩から口数が少なくなり 寂しそうでした。 そういう子供を見て 私もついつい・・・・子離れしなくてはと思いつつ 1年経った今も私は全然成長してはいませんでした。  話は変わって 掲示板の反応はすこぶる良好ですね! 現役の生徒あり、先輩あり、教官あり、・・・そして現役生徒の親!いつも楽しみに のぞいてます。そして情報収集も・・・。 それでは!!!  私だって 寂しがってばかりいませんよ。 一生懸命働いて またの休暇を待つことにしましょう。  仙台  安部 庄子
追伸です
仙人もお元気そうで 何よりです。 東京のさわやか?な風に吹かれ ますます 磨きがかかっているように感じられますが・・・。  東京は中学の修学旅行で行っただけの私は 高村光太郎さんの奥様・千恵子さんが「東京には空がない」と言っていたので どんな街かと思っていたら おっきい街ですね。 緑もいっぱいあって・・・ また いろんな所を見せてください。
あんちゅうの返信メール いつも17Th Home・掲示板をご利用いただきありがとうございます。 安部さん始め、ご父兄の皆様に喜んでもらえるHP作りを目指してこれからも頑張ります。



2003年5月6日(火) 17期 小池正行より
件名 : Re: 5月のご挨拶
いつもお世話様です。 爽快生徒仙人を囲む会幹事の小池です。  米国ブッシュ大統領の戦争終結宣言が出されましたので早速行動を再開したいと思います。  街並みの緑がはえ、新しい生命の息吹を感じる季節となりました。 実は群馬の実家の兄(53歳)が、4月22日脳内出血のため急逝致しました。 前回予定4月25日ですとドタキャンになるところでした。 5月25日納骨します。  したがって、これから仙人のご都合をお聞きして6月の土曜日の午後4時ころから計画していきたいと思います。
あんちゅうの返信メール 待っていました小池幹事。  先日、戦争終結宣言を早く出すよう ブッシュにプッシュ?をかけておいたのが良かったようです。   「ジャパンノ アンチュウノ イウコトナラ スグニ ハッピョウ シマショウ」 っと 言うような事をブッシュは言っていたように聞こえたのですが・・・。  ご兄弟の急逝、大変でしたね。  まだまだ若いのに・・・ お悔やみ申し上げます。  「爽快生徒仙人を囲む会」 の件、宜しくお願い致します。  何かできることがあれば率先して協力いたします。  何なりとお申し出下さい。



2003年5月5日(月) 14期生 下條善磨先輩より
件名 : 14期35周年
Mail 有難うございました。 昨晩、江田島よりより帰宅しました。 14期35周年に関して後方よりご支援をいただきお礼を申し上げます。 お蔭様で素晴らしい同期会を持つことができました。 雰囲気を味わっていただければと会の様子を簡単に報告致します。
私は前日、広島入りをし、当日、親戚の車で呉、音戸、早瀬と廻り江田島青年の家に到着しました。 やはり我々、日頃の節制のおかげでしょうか、3日は広島地方素晴らしい天気で今年初めての夏日を記録したそうです。 広島市内は、フラワーフェステバルがまもなく開始されると言うことで賑わっておりましたが、交通の渋滞もなく30分ほどで呉の町につきました。 音戸大橋、江田島青年便りで拝見した躑躅、楽しみにしてましたが、ちょっと、盛りを過ぎたようでした。 青年の家では、早速 カッター訓練、大原射撃場の横のカッター庫で漕ぎ手10名、家族数名と乗艇しました。 指揮官は青年の家、職員、元海自OBで練習員の四十期頃の方です。 私は左舷二列目の3番手、別に意識したわけでは有りませんが、7、8,11.12番といった難しい位置ではなく比較的楽な3番の位置についたのは生徒時代からの習性でしょうか。 櫂備え。右前、左後ろ、と号令が続き艇は沖を向き、いよいよ本格的な撓漕が始ります。 そばには海上保安大学の学生が併漕しています。 昔とった杵柄、 若いものに我々の実力を見せてやろうと14期クルーの闘志は昂ります。 櫂ヨーイ、 グット突き出す30数年振りのオールの感触、櫂先を30度ほどに傾け水面を睨みます。  前へー、号令一下、一斉に尻を挙げ全身で引く第一段、力強く腕を引く第二段、そして上半身を後ろに倒しこむ第三段、 見たか、若造、これが14期の三段引だ。  ところがその後がいけません。 三段腹が邪魔をし元に戻れません。 櫂は流すは、体は倒れるは、散々な体たらくでした。  それでもようやく感覚を取り戻しなるべく櫂を内側にいれ何とか皆の迷惑にならないように漕ガさせてもらいました。  時間僅か数分だったのでしょうが時間の長いこと、やっと櫂あげの号令が出たときはホッとしました。  昔は一時間以上漕いでいたのでしょうが、歳は取りたくないものです。 同乗された原口班長、  "こんなにきついものじゃったかの "  " 班長、我々はそのあと、生徒隊の屋上で前支えをやらされたんですよ "  " そりゃ、すまんこって "   櫂組みのあと冷たい飲物が配られ、心地良い潮風にあたりながら皆と昔話に花が咲きました。 穏やかな海、広島湾に映える5月の陽光のきらめき、まるで30数年前に戻ったかのような穏やかな一刻でした。  帰路谷憲と  " 久しぶりだな、ロスアンジェルス 以来かな ?、 体は大丈夫か "  " ああ、お前こそ元気そうだな "  谷憲に会ったら話そうと思ったことが山ほど有ったのですが、何故か二人とも無口になってしまいました。 言葉はいらぬ、それが同期の付き合いなのでしょう。
その後、総会、夕食、懇親会、そして、消灯後の二次会、窓の外からは呉の街の明かりが、ぼんやりと秋月あたりの山並みを浮かび上がらせ、月の光が江田内を輝かせていました。 そんな風景を眺めながら  " 江田島というのはこんなに静かで美しい島だったんだな"  " ああ、こんな素晴らしい環境でこで4年間過ごしたんだ。 "  翌朝は0640起床、掃除。 0710に日課整列、我等有志 6名が国旗、青年の家の旗の掲揚に指名されました。  国歌吹奏のもと一糸乱れぬチームワークで吹奏終了時に旗が所定位置にピッタと掲揚された時は200名ほどの参加者全員の感嘆の声があがりました。  その後、退所者の挨拶で実行委員の三寶より、青年の家に拘わらず中年の我々が占拠した非礼を詫びる挨拶があり一同大笑い。 朝食後、同期の車に分乗し一術校。 生徒隊では9期生の神様達とお会いでき久闊を叙すことができました。  井上生徒隊長の案内のもと生徒の寝室、自習室と案内され特に自習室は8名づつの部屋で各人に机、本棚、そしてキャンバスバッグの替わりに革のブリーフケースと 我々の時とは違った環境に驚きました。 その後新装なった生徒館、昔の面影を充分に残しながら近代的な建物へと改装がなりました。 久しぶりの参考館、国の為、身を挺した英霊の遺書を前にして、17期の江田生徒と同じように、この厳粛な気持ちを表す言葉がみつかりません。  一般の展示品の中に藤田画伯の絵画が目に付きました。 前前日、往路、倉敷美術館を訪ねた折、偶然藤田画伯の展覧会が催されていました。 深く滑らかな白い下地と絶賛された藤田嗣治の世界、それと同じ色調が参考館の絵にも見られました。 その他、横山大観の富士山の画、生徒時代には気がつきませんでしたが、このような超一級の美術品を身近に接する機会があったこと、江田島での生活は精神的に贅沢なものであったと認識しました。   その後、木の香もかぐわしい体育館、そしてPX、大講堂の裏にあった建物は取り払われ、駐車場になり道路を隔てた反対側、庁舎後ろに赤レンガを模した立派なPXができていました。 土産は勿論江田島羊羹、故郷の両親に数本購った時、30数年前の休暇前の昂揚した気分が一瞬、心をよぎりました。 今、5日の19:00、そろそろ現役の生徒たちが休暇を終え帰校する頃でしょう。 英気を養い元気で戻ってきて欲しいものです。  頑張れよー、辛いだろうが、皆、乗り越えてきたんだから。  PX内のカメラやさんの前を通った折、14期の方ですかと妙齢の女性に声をかけられました。 ダンケ写真館の娘さんだそうです。 親父さんの消息を伺うと8年前に他界されたとのこと。 ご冥福をお祈り致します。  その後、順次、解散、 我々は呉に渡り、有志 数名と村瀬の墓参り、Fバースがよく見える丘の上に村瀬は眠っていました。 合掌。  最後に同期、数名と呉の地ビールで乾杯、そして 16:00頃、31年前、皆と別れた呉駅で私の同期会が終了いたしました。  短い二日間でしたが、人生50年の節目を迎えた歳に自分の原点である江田島で皆に再会できたこと貴重な時間でした。  今回は江田島青年の家で開催され、昔に近い環境を体験できたこと、同伴された家族の方には申し訳ありませんでしたが、我々、特に退職したものにとっては貴重な体験でした。  以上、17期生の35周年の参考まで。   14期 下條
あんちゅうの返信メール 思わず右目から涙が零れ落ちました。 同期とのすばらしい2日間をまるで自分の事のように感じています。 夢のような時間をすごした下條先輩がそこここにほとばしっていて一部の文字化けも気になりませんでした。  谷憲との一言、二言もよ〜くわかります。 谷憲先輩には4日の1830頃メールを入れました。 あんちゅう 「先輩、楽しみましたか? 久しぶりの同期会、いかがでした? まさか死んでいないでしょうね? お楽しみ中なら返信は要りません。 あんちゅう」  谷憲 「やっぱり生徒でよかった! 親に感謝しなくちゃ。 呉での前夜祭、江田島青年の家での本番最高でした。 カッターも漕いだぞ。 術校で、40周年行事実施中の9期生と一緒になりました。 頭上がりません。 今は、泣きたい気持ちで佐世保行きの列車の中です。 ・・・生徒ばんざい!」  下條先輩、谷憲先輩共、メールを通じてこちらにも喜びが伝わってきます。 ・・・生徒でよかったと思います。 江田島で過ごせてよかったと感じます。  17期は後、3年。 先輩と同じ感激を味わさせていただきます。 ・・・ありがとうございました。



2003年5月2日(金) 17期 伊藤隆より
件名 : アドレスが消えた。
アンチュウ久しぶり!  先日パソコンのパーテンションを変えようとして、Windowsをインストールしたんだけどバックアップしたはずのメルアドがすべて消えてしまって、なんにもなくなりました。  **日から舞鶴組の氏野と理が、富吉艇長率いるミサイル艇の就役訓練の指導に佐世保にやって来ます。  高杉の一周忌に参加するかどうか確認のため連絡を取りたいので至急メルアドを送られたし。  伊藤
あんちゅうの返信メール 開いた後、遅くなって申し訳ありません。 氏野 携帯メール ***@**** 氏野 アドレス ***@****  理 アドレス ***@**** 以上です。  あんちゅうは 父の49日の打ち合わせを近所のオヤジとしていました。すみません。 昨日の小川からのメールによれば岩国から小川と藤竹が参列するそうです。 厳粛に一周忌の法要が営まれますように。 あんちゅう



2003年5月2日(金) 14期生 関洋三先輩より
件名 : Re: 5月のご挨拶
お疲れです。 ありがとうございます。 四国は いい天気です。 うどんブームの讃岐では早くも 県外の車が 押し寄せて 人気の高いうどん屋さんは 超満員です。 待つのが 嫌な地元の うどん通は 冷凍うどんと食べています。 御機嫌よう  14期 せきようぞう



2003年5月1日(木) 14期生 ほっとけの谷憲先輩より
件名 : Re:5月のご挨拶
いよいよ、明日出発です。 明日の晩は呉で前夜祭だ! 何人集まるのかな。 女房に、生きて帰れないかもしれんと言っているところです。 前回は前日に入院でした。 同期会で死んでも本望だ!
あんちゅうの返信メール 死んではいけません! が、今晩は奥方に最後の別れを! 同期会、呑み過ぎないように。 でも、今回は許してあげます。 楽しんできて下さい。
ほっとけの谷憲先輩の返信メール はい!ありがとー。 谷川生徒がんばります。



2003年5月1日(木) 17期 小川直基より
件名 : Re>5月のご挨拶
18日高杉のー周忌があるから、岩国は藤竹と二人で参加してくるよ



2003年5月1日(木) 17期 安中均より
件名 : 5月のご挨拶
17期同期諸兄、新緑萌える5月になりました。 いつもは17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。 連休の中間を迎え、いかがお過ごしでしょうか。(あんちゅうは稼いでおります。・・ハイ。)  さて、5月3日、4日と江田島では、17期の神様、14期生の入隊35周年記念同期会が行なわれるとの事。 全国にいる神様が江田島に集合です。 まるで自分のことのようにワクワクしているあんちゅうですが、我ら17期の35周年は2006年。 ・・ あと3年 ・・・ なが〜い!  昨年の5月は同期の高杉が亡くなるという悲しい出来事がありました。 先日の臼井からのメールによれば5月18日に一周忌の法要を営むとの事。 改めて御冥福をお祈りいたしましょう。 合掌。 (命日は5月28日です。) 昨年の5月の17期徒然草を見てみますととにかくメールの数がスゴイ!同期、生徒の絆の強さを改めて感じます。  リフレッシュも、連休ボケも大切です。  適当に5月を乗り切りましょう。と言いながらも前向き17Th Homeとあんちゅうは頑張ります。 今月も同期、生徒の絆を深める17Th Homeを宜しくお願いします。 皆様のメール、お待ちしています。





17Th Home 徒然草 2003年4月



2003年4月28日(月) 爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り006−H15
17期諸兄におかれましては、それぞれ元気に連休を過ごしていることと思います。  たっぷり休んでいる人、仕事に邁進している人、洋上にいる人、スポーツに汗している人、様々に意義ある日々にされていることと存じます。 仙人は、前半は仕事?です。 江田島では、青年が、つい先日入校した49期生徒の様子を知らせてくれましたが、今生徒は、それぞれ郷里に帰り、家族水入らずの時を過ごしているのでしょう。 昨年の今頃の仙人は、連休明けには皆揃って元気に帰校してくれることを祈る毎日でした。 未練で言っているのではありません。 そういう仲間がいることは素晴らしいことです。 ただ仲間を大切にして欲しいと願っているのです。  さて、仙人巡検使は、今なお健在です。 例によって、そっと席抜けの術を使い、皇居東御苑にお参りしてきました。 この苑は、両陛下がお住まいの皇居とは仕切られていて、誰でも入門できる所です。 仙人もデジカメも直立不動?で、数枚撮影させて頂きました。 諸兄!畏まってご覧下さい。  《通勤ラッシュの疲れを癒す巡検使より》
あんちゅうの返信メール 爽快仙人便り006−H15 ありがとうございます。 東京さ行かれても術の鍛錬に励んでいる仙人に頭が下がります。 席抜けの術は江田島時代より仙人のもっとも得意とする術。 副官泣かせの術でもあったようですね。  今は撒くことは必要ないと思いますが、逆に人ごみに撒かれての右往左往にも余裕を持って対応できている事と思います。  連休後半は金沢に戻られるのでしょうか? けいこねーちゃんにも宜しくお伝えください。



2003年4月28日(月) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−11−41(生徒隊長交代)
連絡が遅くなりましたが、去る4月21日(月)生徒隊長が交代されました。  旧  13期生徒 3等海佐 別 所 和 夫  新  14期生徒 3等海佐 井 上 勝 美  生徒隊も幹事付が41期から42期に2名とも交代しました。 水測: 旧  2等海曹 宮下浩幸 (4分隊班長)      新  3等海曹 久野伸貞 (大湊 ゆうぎり) 通信: 旧  2等海曹 住吉  剛 (中シ通)      新  3等海曹 加藤広也 (中シ通) 分隊職員も、分隊長3名、分隊士2名、班長2名が年度末に交代し、新生徒隊長の基、新一年生第49期生徒を迎え15年度も昨年度以上に頑張って行きたいと思います。



2003年4月28日(月) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−10−40(音戸のさつき7分咲き)
 桜の花は、すっかり散り葉桜となって参りましたが、昔平清盛が一日で開通させたと言われる音戸の瀬戸に架かる、呉と倉橋島を結ぶ音戸大橋にある「さつき」がそろそろ満開の装いを見せてまいりました。帰りに7分咲きのさつき群をデジカメの餌食にしてまいりました。 最後の一枚は、江田島の食堂横にあるさつきです。
あんちゅうの返信メール 毎日この道を通勤している 江田島青年がうらやましい。



2003年4月28日(月) 17期 江田俊弘より
件名 : 江田島訪問記
アンチュウ、元気にしていますか? 先日施設利用訓練で江田島に行ってきました。 久しぶりの江田島は、桜は葉桜になり、ツツジが咲き始めていました。 また、長いこと工事をしていた1術校学生館が完成し、以前のイメージを守りつつ真新しい外観で登場していました。  訓練と内火艇の合間に生徒館に行ったところ、中央玄関付近に集まっていた49期生徒諸君の元気な敬礼に迎えられました。 昨年いろいろと取りざたされていましたが今年も無事に新入生が着校したことを確認しほっとしました。 新入生もいれば、そうでない人もいるのが常で、、、、普通学科の岡本先生が通りかかりました。 少しお年を召されたような気がしましたが元気な様子でした。 数学の山崎先生も髪が白くなったようですが元気に教務に行かれました。 普通学科で話していたところ高橋が顔を出してくれ、一杯やる約束をして、上田のとこへ行ったのですが、当日は3尉、3曹の面接の日で人事課としては忙しい一日で会えませんでした。 会えなかったのは残念ですが仕事で忙しいのは元気な証拠!と思っています。 またの機会を楽しみにしています。 行き帰りに、執銃訓練に励む生徒や候補生を見かけ、春を感じる私は異常でしょうか? 思えば私たちも4月には基本教練、執銃訓練ばかりやってたような気がします。 初めて銃を持った日に銃を「おもちゃ」にして遊んでたところを班長に見つかり、どやされたのを思い出します。 そういえば最近は銃を個人に貸与しているとか、そして銃もM1から64式に変わって命中率も良いのですが、、、、 今となってはM1も懐かしい。 夕刻は高橋、竹原と「雲助」で焼肉を肴に飲み、2次会まで付き合わせてしまいました。 ご馳走になりました!! 最終日には久しぶりに参考館を見学してきました。 所感は言葉にすれば私の表現力では月並みになってしまいますので書きません。 江田島を出た後も訓練は続き、一昨日佐世保に帰ってきました。 私にとって初めての地方隊勤務で戸惑うことのほうが多い毎日で、失敗も多かったのですが、良い勉強をさせてもらいました。 「せんだい」を見かけたら乗っていますのでよろしくお願いします。
あんちゅうの返信メール 江田島訪問記 ありがとうございます。 確かに4月は基本教練や執銃訓練など自衛隊員としての基本的な訓練で明け暮れていた事がフッと思い出されます。 海上自衛隊特有の手旗訓練もこの頃だったのでしょうか?  イ・ロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・・・・   教育参考館を見学したとか。 ・・見学記を書くには重すぎる場所です。  たっけはらも元気でしょうか? 彼は、夜元気になるのはわかっているのですが・・・



2003年4月26日(土)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−09−39(生徒GW休暇出発)
26日から全校的にGWに突入しましたが、皆様どのようにGWを過ごそうかと家族で、心をわくわくさせ色々計画を立てていることと思います。 我、生徒部も2・3・4年生は25日大掃除終了後、夕方からGWに出発しました。 いつもの事ながら、生徒の顔が生き生きと晴れやかに見えました。  一年生(49期)は、26日朝出発ししました。 我々の時代は、GWは無く鍛錬に明け暮れていたように思いますが、教官にすれば休めてよかとです。 特に、一年担当の教官は着校から入校教育(5月11日まで)終了まで殆ど上陸なし(上陸する場合通常で2200以降)です。 GW位ゆっくり休ませとやりたいと個人的に思っておるところです。 ただし、5月5日の帰校時全員が帰って来てくれるかどうか心配の種が一つ増えたようにも思われます。  今考えれば、GW中我々が残っていると言うことは、班長達も休みなしで指導して頂いた事に感謝しなければいけなかったと思います。 ・・分隊長、分隊士、班長有難うございました。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り15−09−39(生徒GW休暇出発)ありがとうございます。 この5月の連休ははっきり覚えていないのですが、当時は春闘とかストライキとかあって、長距離の帰郷を余儀なくされたあんちゅうはその動向に翻弄されたような思いが残っていますがそれも定かでありません。一年の時の5月は一体何をしていたのでしょうか?  誰か覚えていたら17Th Homeにお寄せください。 青年の心配(5月5日に全員帰ってくる事)はなんとも言えませんな〜。っというのも17期にはそういう輩が現実にいたからです。 個人の名誉を尊重する17Th Homeとしては個人名は挙げませんが・・・  青年の心配の種に水をまき、肥料を与えた17Th Homeでした。 ・・ゴメン。



2003年4月25日(金) 17期 今田俊介より
件名 : 舞鶴にて
あんちゅう お久しぶりです。 いつの間にか桜はすっかり散って(そちらは満開かな?) 今日なんかはじめじめ蒸し暑く梅雨のはしりを思わせる陽気でした。  そんな中、舞鶴にいってきました。 FTGで氏野准尉殿と伊藤(理)曹長殿に大変お世話になりちょっと一枚写真を撮ってきました。  後ろに写っているのは 最新鋭のミサイル艇(艦だったかな?間違っていたらごめんなさい)だそうで 佐世保に最近配属となった同型艇の艇長として冨吉君が 指揮を執っておられるらしい。 まことに頼もしいですね。  それでは又    しゅんすけ
あんちゅうの返信メール メール、ありがとうございます。 当地新潟でも暖かな日が続き、桜は葉桜になってしまいましたが木々が新芽の鮮やかな緑色を日一日と広げています。 舞鶴のご両人も元気なようで何よりですが、伊藤(理)曹長のフッくらとしたのはデジカメのせいなのでしょう。 仕事柄とは言え、各地の同期に会えるしゅんすけ君がうらやましいあんちゅうであります。



2003年4月25日(金) 17期 前畑啓二より
件名 : 修理生活終了
去年12月から始まった横浜での修理も23日にやっと終わり横須賀に帰って来ました。 先日はぶにせ臼井に携帯で孫を撮られ初公開されてしまいました。 また横浜では今田に大変お世話になりました。 なんと今田の長男が来年幹部候補生学校を受験するそうです陰ながら応援してます。 5月**、**、**日 佐世保に行きます。  迷惑がらずよろしく。
あんちゅうの返信メール 12月からの陸上生活、ご苦労さまでした。??  艦の修理もし、乗組員のリフレッシュもしの4ヶ月。 又元気で訓練や広報にがんばり、その様子を17Th Homeにお寄せください。  ”ぶにせ臼井” は 訳のわからぬ写真を17Th Homeに送り出国しました。 半年の遠航勤務を元気で乗り切ってほしいものです。



2003年4月24日(木) 17期 臼井幸一より
件名 : 出国挨拶
今朝、出港。半年後帰国まで SEE YOU 17TH (添付写真)



2003年4月23日(水) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−08−38(弥山登山)
昨日(22日)快晴の中、宮島の弥山において第1術科学校弥山登山競技が行われました。 以前は、少術校と幹候校だけのような気がしましたが、現在は1術校の競技として前期と後期の年2回実施され生徒部は前期のみ2・3・4年生が参加します。 服装も走りやすい体育服装です。 我々のときも3年の時は体育服装でしたが、作業服、短靴、キャハン、雑納、水筒及び弾帯のふる装備で走った1・2年の頃が懐かしく思い出されました。 江田島青年も一緒に登りたかったのですが、役員で出来ませんでした。  残念。 記録係として、ゴール前最後の階段のところで、役員をしながら応援をしておりましたが、鼻水、ヨダレを流しながら登って来る者、四つんばで登って来る者、最後の力を搾り出し動かない足を無理やり動かそうと(実際は動いていない)しながら登る者等様々でしたが、全員チームのためそして自分の不撓不屈の精神を養うため最後まで全力を尽くしておりました。 生徒部の結果は次のとおりです。 団体  優勝 47期水測 :22分−18秒      2 位 47期通信 :22分−54秒      3 位 48期水測 :22分−55秒(参加人数により3位) 個人  1 位 48期 3士 大石兼太郎 19分−30秒(1術校全般でも最高記録でした。)      2 位 47期 1士 三好幸作   19分−31秒      3 位 47期 1士 田中幸太郎 19分−41秒 47期水測は、二連覇達成です。おめでとうございます。タイム的には、少々不満が残る気がします。   添付写真順番がバラバラですみません。
あんちゅうのオマケ 昨年(2002年)、 江田島青年の師匠でもあり名付け親でもある江田島仙人から送られた弥山登山の様子はこちらです。 江田島青年が若かりし頃の 作業服、短靴、キャハン、雜納、水筒、及び弾帯のフル装備で行われた弥山登山競技にもリンクしています。 服装こそ違いますが、 旧海軍以来の伝統ある競技が現在も行われている所に江田島教育の素晴らしさがあるとは思いませんか?



2003年4月23日(水) 17期 臼井幸一より
件名 : FW:高杉英則一周忌の案内
五月十八日(日)11時から自宅にて挙行 857ー1161 佐世保市大塔町****ー** 高杉みゆき宅 0956ー **ー **** 臼井(遠洋航海なので同期諸君宜しく頼む)



2003年4月22日(火) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−07−37(第49期銃貸与式)
去る4月14日に生徒館前において、第49期生徒銃貸与式が行われ、生徒部長から一人一人に銃が手渡されました。  我々の時はなかったと思いますが、現在は生徒一人一人に卒業するまで銃が貸与されます。 又、時代は変わり「M−1」から「64式」になりました。 命中率は良くなっています。(余談ですが、以前江田島青年も0点規正三発で満点を取りました。)  これからの四年間、銃手入れに始まり、観閲式、訓練射撃及び戦闘訓練等付き合って行かねば生りません大切に使用しそして心を込めて手入れをしてほしいものです。  新入生も、銃を初めて手にし緊張したのか目の輝きが変わった様に見えました。 銃は厳しく管理されいるとはいえくれぐれも悪用しないように。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り15−07−37(第49期銃貸与式) ありがとうございます。 生徒一人一人に卒業するまで銃が貸与されるなんて すごい事が行われているんですね。 いや〜 驚きました。 緊張感が伝わって来ます。 我々の頃は年に一回の射撃訓練か、原村演習、観閲式の時ぐらいではなかったでしょうか。 その中でも観閲式や開庁記念日の前の訓練はきつかった想い出があります。 石橋教官の 「ささげー つつっ!」 の声が今も聞こえます。 あんちゅう秘蔵のアルバムには銃が写っている写真がほとんどないんですがその中で一枚を選びました。 中央観閲式参加の一枚です。 田中角栄が防衛庁長官でした。 青年が射撃訓練で満点を取ったことは覚えていないんですが、直美さんを射止めたことを思うと、きっとイッパツも外さなかったのでしょう。 ・・・ミョウーに説得力のある話だと自我自賛してるんでありますが・・・



2003年4月19日(土) 17期 安中均より
件名 : 御礼
17Th Homeをご覧の皆様、桜満開晴天の元、無事父の葬儀を終える事が出来ました。 ありがとうございました。 又、11日より今日まで多くの方々より励ましのメールを頂き重ねがさね御礼を申し上げます。 覚悟していたとは言えいざその時が来てみますと元気な頃の父が思い出され幾度となく胸を熱くしました。 人に言えるほどの親孝行をしたわけでもなくむしろ中学を出て少術校に行きたいと言う私のわがままを聞き入れてくれました。 「一旦決めたからには途中で帰ってくるな。区切りをつけて帰って来い。」 ・・そんな条件で江田島に行かせてくれました。 父の最期を一緒の屋根の下で暮らせた事が私の親孝行と思っています。 初七日も無事に終り本日より従来のあんちゅうに戻ります。 充分休養も取りました。 今まで通りの皆様のメールを17Th Homeにお寄せください。 お待ちしております。



2003年4月15日(火) 17期 臼井幸一より
件名 : 速報
重永と30年振りに飲みました。



2003年4月11日(金) 17期 安中均より
件名 : 17Th Home更新遅れのお詫び
17期同期諸兄、17Th Homeご覧の皆様、 いつもご覧いだだき誠にありがとうございます。 昨年より体調を崩し自宅にて療養中の父が本日午前9時40分他界いたしました。 行年84歳でした。 17Th Home徒然草で申し上げるべき事ではありませんが、17Th Homeの更新及び、メールの返信が出来ません事、お察しください。落ち着き次第、従来の管理人あんちゅうとして17Th Homeの更新を致します。 ・・親父の最後を立派に送ります。



2003年4月10日(木) 17期 今田俊介より
件名 : 臼井曹長横浜に現る
アンチュウ お久しぶり。  イラク情勢もようやく何となく落ち着きを見せはじめて良かった。 今日は’こんごう’が又インド洋に向かうらしいけれど誰か同期は乗っているのでしょうかね? 昨日4月9日、横須賀に入港中の臼井先任伍長殿が横浜に現れ 同じく 横浜でドック中の前畑先任伍長殿と3人で元町で食事をした後 我が家にやってきた時の写真を添付します。 臼井は遠洋航海に向けて山ほどの仕事をこなして少々お疲れの様子。  前畑は長期のドック中でこれまたお疲れの様子でしたが 元気一杯でした。 今月中にもう一度ぐらい集まれるかな?と思っています。 以上近況報告でした。



2003年4月9日(水) 17期 臼井幸一より
件名 : サルの孫in横須賀
昨夜、前畑と



2003年4月8日(火) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−06−36(49期入校式の模様)
第49期生徒の入校式が、桜満開の晴天の中大講堂で、部内から呉地方総監及び部外からは江田島町長を始め多数の来賓を迎え厳粛且つ整斉とそして盛大に挙行されました。 約1週間の教育で少しは、様になって来たようです。 宣誓のときは、当時の江田の宣誓を思い出しました。 今日から4年間立派な3等海曹、海上自衛官になるよう頑張ってほしいものです。 そのためにも我々教官達の使命を痛感するとともに、改めて気を引き締めて望む所存です。  又、全国のOB諸君これからも部隊実習を初め乗艦実習、校外見学等でお世話になると思うけれどよろしく御指導たのんまっせ。  4月1日に、49期生徒77名着隊と申しましたが、8日現在74名となってしまいました。 入校前に自衛隊生徒とは、どんな所かしっかり理解してから受けてもらいたいものです。     ・・・7日当直で一日遅れました。



2003年4月7日(月) 17Th Home隠れファンより
件名 : 速報!爽快仙人桜満開の江田島を訪問される。
4月7日(月)生徒の入校式が行われた日に、爽快仙人が江田島を訪れました。 時間の無い中で先任伍長室の前で爽快仙人と隠れファンのツーショットをゲットしました。 うえみささんは、残念ながら仙人の術中にはまり、訪れたことを知らなかったようで残念がっていました。



2003年4月7日(月) 17Th Home隠れファンより
件名 : 祝!桜満開第49期生徒入校式 速報
あんちゅう先輩、隠れファンで御座います。 本日江田島は桜満開のもとで第49期生徒の入校式が挙行されました。 詳細は江田島青年から報告がありますので、私は速報をお知らせします。 1枚目 入校式が挙行された大講堂を庁舎側から撮影したものです。 2枚目 2階父兄席より撮影したものです。 3枚目 我が子の入校式を2階父兄席から見守る父兄の姿を撮影したものです。 4枚目 一人一人名前を呼ばれ、元気よく返事をしながら起立する第49期生徒の姿です。 僕らの時は座ることが無かったような気がしますが・・・ 5枚目 あー終わった。 緊張感から解き放たれた新入生達、頑張れ、負けるなよ。
隠れファンより (無修正なのであんちゅう先輩の方で宜しくお願い致します。)



2003年4月6日(日) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−05−35(桜満開)
木、金雨とスッキリしない天気でしたが、本日は昨日から晴天に恵まれ、江田島青年広場の桜も満開となり心地よく花びらが背伸びをし日差しをいっぱい浴びておりました。 明日の49期の入校式は皆の願い通り17期と同じで桜満開の中実施できそうです。  ところで、先日入校式時安チュウと一緒に写ってい桜の木と思われる木がまだ健在でした。 又班の総員写真と同じアングル生徒館を移してみました。 32年も経つと我々と同じで年季も入って来ましたが、アチコチトガタも来ているようです。 現在は、2階(4年使用)を除いて常識でしょうが冷房が入っております。 当時夏は、シャツ一枚で授業を受けていたと記憶しておりますが、暑い中居眠り(俺だけかな)をしながら授業していたことが偲ばれます。



2003年4月6日(日) 爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り005−H15
17期諸兄におかれましては、梅の花、桜の花、お家の花に囲まれて、幸せな気分で新年度をスタートされたことと思います。 イラク情勢を思うとき、誰しも複雑な心情になるところですが、何はともあれ、新年度の抱負を胸に、力強く踏み出して下さい。 さて、爽快仙人は、桜吹雪に誘われ、住まい近くを散策してみました。 ここ武蔵野の地は、東京さと言っても、かの江田島にも似て、自然の残っている所です。 また往時、名のある作家が住んだ所で、その名残もあちこちに見られます。 歩いて5分の所に「山本有三記念館」があり、また、10分の所に「三鷹の森ジブリ美術館」や「東京都井の頭自然公園」があります。 ジブリ美術館は、今年、アニメ部門でアカデミー賞を獲得した「千と千尋の神隠し」の宮崎駿雄監督作品の展示館とも言える所です。 昨年までは江田島の生徒に力強さを貰っておりましたが、最近は、同館に訪れる小学生に幼稚さを貰っております。 また、井の頭自然公園には「北村西望」彫刻園があります。 「北村西望」と言えば、教育参考館「ご遺髪室」の扉を彫刻された方であります。 この時期、自然公園に近づくと鶯の鳴き声が聞こえ、仙人部落の棲み家が思い出され、この中に棲めないかと術を思案する爽快仙人です。 これらの風景を添付します。 以上、新年度の開始に当たり、お便り致しましたが、一服の清涼剤にでもなれば幸甚に存じます。 武蔵野の地で、生徒諸兄のますますのご活躍を祈念申し上げます。 最後になりましたが、3日に呉で、西方君、樺島君に会いました。 両兄とも意気と力が漲っており、頼もしい限りでした。 **自然と戯れる爽快仙人より**



2003年4月5日(土) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−04−34( 花見シーズン到来)
今日は昨日の雨も上がり晴天に恵まれ、午前中は生徒とラグビーの練習で爽やかな汗を流し、午後は急きょ我が愛妻と呉の花見の名所の1つである「串山公園」で中睦まじく花見と洒落込みました。(風がすこし強く肌寒いようでしたがある一角だけぽかぽか陽気でした。)  皆さんも、今日は花見で楽しんでいることと思いますが、くれぐれも飲み過ぎないように。(人のことは言えませんが。)



2003年4月5日(土) 17期 臼井幸一より
件名 : 大湊
SANK YUO.猪股、立川と数年振り再開、何故か池田富昭がゆうばりで副直士官していました。



2003年4月5日(土) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−03−33(中年の宴)
3日(木)に「雲助」で、井上さんと上田の歓迎会を生徒隊長の別所(13期生)さん、総務係長の石田(13期生)さん、17期HP隠れファンの先任伍長の金子と歓迎会をやりました。 生徒生活の思い出や現在の生徒生活の違いなどで話は盛り上がり激論(何の)を交わすうちに終わりました。  ただ、話に夢中になってしまい、デジカメのグッドチャンスを逃してしまい急用ができ途中で変えられた井上さん&金子をデジカメの餌食になりませんでした。 次回をお楽しみに。 15−03−33の件了解。



2003年4月4日(金) 17期 安中均より
件名 : 4月のご挨拶
17期同期諸兄 月が変わりましたのでご挨拶申し上げます。 日頃は17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。 我母校も新3等海曹を部隊に送り出し、新たな第49期77名を迎えたと江田島青年が伝えてきました。 入校式は4月7日だそうで、入校式は17期の時と同じく、晴天・満開を祈ります。 先日、野田達也生徒が海上自衛隊50周年記念CDを送ってくれました。 その中で生徒に関する記述があり興味深く、何回も読み返しました。 旧海軍における少年兵の実績から生徒制度が採用された事。 普通学教育の充実。 少年術科学校の設立。 教育現場における職員・教官の奮闘。 自衛隊生徒統合案に対する海幕の強烈な反対。・・・等々。 あんちゅう流に面白かったのは生徒の採用状況に記載されている内容でした。 「・・・5.5ないし7.2倍まで落ち込み、良質な生徒の確保が危ぶまれる時期があった。」 17期はまさにその時期に入隊しているのです。 どうりで17期は先輩・教官から可愛がられている訳です。 危機感があるゆえに目が離せなかった・・・。 それらが17期の結束力の強さの根底にあるのではと考えてしまいました。 今は、時代と少術校17期を選択した同期、育ててくれた職員・教官に感謝いたします。 17Th Homeは生徒一番の結束力を目指して今月も頑張ります。



2003年4月2日(水) 17期 江田俊弘17Th Home掲示板投稿より
件名 : 佐世保帰着
久しぶり、帰って来ました。 29日から30日まで長野県に行き義母の親戚巡りをしておりましたので連絡が遅れてしまいましたが、4月2日夕刻に無事佐世保に帰着しました。 なお、このメールアドレスは自宅用パソコンのアドレスです。



2003年4月2日(水) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−02-32(生徒隊歌)
生徒の卒業式・入校式時に歌う生徒隊歌ですが、3月25日に行われた第45期生徒卒業式のとき聞いていると我々のときと違っていました。 多分、少年術科学校が1術科学校生徒部に変更になった時に変わったと思われます。  今日は、「第1術科学校生徒隊歌」と「生徒隊歌」を添付しました。 皆さん「生徒隊歌」は多分歌えると思いますので、昔を偲んで大きな声で(近所迷惑を考えて)歌ってみてください。 「第1術科学校生徒隊歌」は自分で創造し自作自演で歌って見てください。 パソコンで江田島青年の声がお届けできるのであれば、見本をお聞かせしてあげるのですが、出来ないのが残念でなりません。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り15−02−32(生徒隊歌) ありがとうございます。 17Th Homeが 音声で構成していない事に 今日ほど ホッとしたことはありません。 江田が生徒隊歌の楽譜を欲しがっていて 仙人に倉の中を探して貰った事があります。 仙人は最初に現在の生徒隊歌の楽譜を送ってくれましたがあんちゅうが覚えている生徒隊歌は 「さーくらさきそむ・・」で、仙人、忙しい最中、さらに倉の中を探し回り見つけてくれました。 やっぱ、「 ♪ さーくらさきそむ・・」 ですよね、青年。 神様が生徒隊長に来られたのだから復活しましょう!! (ジョーダンです。)



2003年4月1日(火) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−01-31(第49期着校する)
平成15年4月1日を迎え、平成15年度がいよいよ始まりました。 早速「江田島青年便り15−01」を「第49期着校する」と題して掲載します。 本日は、昨日の晴天は続かず朝から雨の中、初々しい(昨日見た17期のアルバムを思い出し、「素直に育てよ」と心の中で応援しました。)第49期生徒77名が着校しました。(前日約40名近くが着隊、正解) 7日の入校式までの間、48期が一人一人に対番として付き(指導生徒制度はなし)学校生活等について一から教えます。 入校式が楽しみです。  少し心配なのが、桜の開花です。 31日は4・5部咲きでしたが、今日の雨で少し開花が遅れ今週の土日で満開になり、我々は花見酒で楽しみ、7日は桜満開の江田島青年広場で第49期生徒の入校を祝ってやりたいと思います。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り15−01(第49期着校する) ありがとうございます。 「15−01」 と来ましたか。 今日まで 「14−30」 の "30"のみ 気にしていまして”14”の意味に気付かなかったのですが 年度の事だったのですね。 17Th Home的には 通算のメールの番号も記録として残しておきたいので次回は「江田島青年便り15−02−32」 として送っていただけたらと思います。 今回のメールを「**15−01−31」として17Th Homeに掲載しておきます。 この返信メールを打ちながらあんちゅうも青年と同じくパソコンに入っている17期卒業アルバム「追憶」の入隊式前の写真を見ていました。 オモシロイデスネ〜。 ・・あんちゅうも思い出しました。 順番が来て受付に行きました。 「新潟のあんなかです。」 「え〜っと、あんなかさんですね ・・」 名簿の最初をパラパラめくるも ”あ”の行に名前がありません。 「あんなかさんね〜 え〜っと、・・・ あんなかさん?」 「ハイ、あんなかです。」 「無いな〜 ・・・ ちょっとお待ちください。・・ お〜い、あんなかなんてねーぞ!」 「・・・(ドキッ) ・・ やすなかではないでしょうか?」「やすなか・・やすなか・・・あった!あった!!」 あんちゅうの名前は最初の 「あ」 の行に無くて、最後に近い 「や」 の行にあったのです。 中国地方では「安中」を「やすなか」と読むのだと始めてわかりました。 ・・もっとも今は、「あんちゅう」なんですけどね。 次の「江田島青年便り15−01−32」お待ちしております。 「やすなか」「あんなか」「あんちゅう」・・・





17Th Home 徒然草 2003年3月



2003年3月30日(日) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−30(利光in呉)
28日新隊員の入隊式付き添いのため、大分から利光が来呉しました。 急なことでしたので何時もの事ながら、江田島青年は練習終了後呉に急行し久しぶりに一献酌み交わしました。 元気にしていましたが、地連生活が長いせいかかなりふっくらして見えました。 久しぶりに呉で飲みましたが、これまた久しぶりに「富士さん」(竹ちゃんが開拓した居酒屋風一杯飲み屋)で昔話、現況など話して居るうちに時間もあっという間に過ぎ、生徒の入校式の時は担当でなくでこれないため、次回35周年で会う約束し12時前にお開きとしました。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−30(利光in呉) ありがとうございます。 利光は元気そうでナニよりです。 気のやさしい江田島青年は利光の事を 「かなりふっくらして見えた」 などと優しく、ふんわりと書いてきましたが、○ぶった利光は貫禄十分。 大分地連の顔としての活躍がわかろうというもの。 積極派のあんちゅうは早速、大分地連のHPを探し出し、恐れ多くもメールなど致しました。 しかしながら「長福寺傳左衛門」の名前では果たして見てくれるかどうか・・ ウィルスメールに間違えられても致し方ありません。 利光より返信メールが来るか来ないか? どっちに賭けます青年は? たっけはらが開拓したという居酒屋風一杯飲み屋「富士さん」 いいですね〜。 ここでマスターとママさん相手にたっけはら節をブッているのですね。 あんちゅうもいきたーい!!



2003年3月30日(日) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−29(桜咲く)
時期を少し逃しましたが、江田島青年広場も桜前線が押し寄せ(広島は、26日開花予想でした。)ましたが、26日は雨のためか未だ蕾みでしたが28日天候もよくなりやっと蕾が膨らみ咲き始めました。  4月7日(月)に49期の入校式が行われますが、歓迎し祝うためにも桜が満開になってほしいものです。 桜が満開の中行われた17期の入校式が思い出されます。 来週の土日は花見で一杯を考えてる所です。 皆も今週あるいは来週にかけて花見で盛り上がることと思うところであります。 くれぐれも飲み過ぎないように。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−29(桜咲く) ありがとうございます。 思い出します17期の入校式。 江田島の桜は一片も散らず、かといって蕾も無しの満開状態でした。 この写真は入校式当日でしょうか。 一人づつこの桜の下で記念写真を撮りましたね。 集合写真の後だったと記憶しています。 撮ったのはダンケ写真館さんでしたでしょうか? 今もアルバムにこの写真が多少色あせましたが収まっています。 どういう訳かネガもあります。 名前の順番に写真に収まった記憶があります。 17期3班は 安中均・井坂和弘・伊藤英明・今田俊介・梅木勝・宇良豊・遠藤章・大田哲・大谷等・大家喜与志・鎌田恒之・川端義孝・木村文保・久保健二・黒木悦郎・黒田清隆・江田俊弘・越田秀彦・湖西敏広・小松幸弘・佐々木正康・沢本秀樹・高橋良彦・楯哲哉・立川志津男・田中秀人・塚田繁三・永野満敏・中村友佑・西郡尚生・野田達也・番上隆幸・吹矢栄一郎・藤原和郎・藤本博・船澤克巳・馬峠義郎・松島昌三・松原直文・松本幸人・三佐川和丸・村上貢・村山清隆・山田謙二・山本敏郎・湯瀬正博・吉田喜和・米光正俊 の48名。 あんちゅうは今でも当時の全員の顔をハッキリとクッキリと思い出す事が出来ます。 17Th Home開設以来出てくる名前も数多くいますし、無念ながら殉職した黒田・沢本の名前も・・ 4月7日に入校する49期も32年後、こんなメールを書けるのが一人いて欲しいものです。 晴天、満開を祈ります。



2003年3月30日(日) 17期 吉田喜和17Th Home掲示板投稿より
件名 : 転勤しました。
吉田です。この度、3月25日付で館山の123航空隊から下総の205教育航空隊に転勤になりました。今までの回転翼部隊から、固定翼の部隊、機種転換と戸惑う毎日ですが、やさしい先輩に囲まれて何とかやってます(まだ、スタートしたばかりだけど)でも、たまには固定翼部隊の風を感じることもなかなか良いなと思っています。下総航空基地に来たときは、ぜひ声をかけてください。運用班の教務管理掛けをしていますので待っています。あと、下館ありがとう。官舎は非常に良い状態で住まわせてもらっています。結構引越しの手間が省けて助かっています。



2003年3月27日(木) 17thホームかくれファンより
件名 : あんちゅう先輩お久しぶりです。17thホームかくれファンです。
あんちゅう先輩お久しぶりです。 17thホームかくれファンです。 昨年暮れに愛機(パソコン)が壊れてしまい最近やっと復旧させました。 長かったー。 前置きはこのぐらいにして本題に入ります。 3月25日朝いきなり生徒隊長(13期生 別所先輩)が先任伍長室へ入って来るなり「江田島青年は本日多忙なのでホームページ投稿用の卒業式の写真頼むぞ。」でした。 そうです、本日は45期生徒の卒業式なのです。 急いでデジカメ片手に式場である大講堂へ駆けつけパチリパチリ、そして報告なんですが、深夜1時半すぎまで頑張りましたがデータ転送に失敗しました。 今日再度挑戦します。 ぴかぴかの3等海曹が全国に旅立ちました。 生徒出身の諸先輩方ご指導のほどよろしくお願い致します。  1術校先任伍長 18期 金子
あんちゅうの返信メール 「17Th Homeの隠れファン」の異名を持つ 1術校先任伍長 18期 金子生徒、第45期生徒の卒業式の速報写真、誠にありがとうございます。 16枚、合計31Mあまりの写真を一枚ずつ16回に分け、2日間掛けて高い通信料を使い送ってくれたことに対して感謝申し上げます。 そのお返しはきっと、いつか、江田島青年が・・・ ともかくありがとうございました。 また、生徒隊長の13期生ET 別所和夫先輩にも17Th Homeへの格別のお心遣い、管理人が宜しく申し上げていたとお伝えください。 さて、45期生徒の卒業式、江田島青年のメールによれば、盛大且つ静粛に挙行されたとの事、送ってくれた写真を見て実感致しました。 江田島青年からの「江田島青年便り14−28(45期生徒江田島を巣発つ)」 を見て我々17期の卒業式が頭の中を駆け巡り、昨日の事のように思い出されました。 この17Th Homeをご覧の生徒出身者も同じかと思います。 現役生徒出身者の皆様、まだダブルに慣れない45期生を厳しく、温かく御指導よろしくお願い致します。 17Th Homeは45期生徒の健闘と健康を祈念致します。 金子先任伍長、17Th Homeは生徒部の勝手な自主的広報を受け持つ気持でこれからも頑張ります。 江田島青年以上のメール、お待ち致しております。 着任された14期生 井上生徒隊長にも宜しくお伝えください。



2003年3月25日(火) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−28(45期生徒江田島を巣発つ)
本日(25日)皆様の願いが通じたのか、はたまた生徒の日頃の行いがよいのか、昨日の雨もすっかり上がり快晴の中、第45期生徒の卒業式が呉地方総監、江田島町長を始め内外多数の来賓を迎え盛大且つ静粛に挙行されました。 部隊実習から帰った45期を遠くから(現在4年生は学生館で生活しています。我々が1年の時4年生(14期生)が学生館で生活していた当時と同じです。)でしか見ませんでしたが、随分チャランポラン(17期は如何だったかな各人思い出してちょ)に見えましたが、今日は見違えたように一本筋が通り、シャキットした姿勢を見ていると、少し頼もしく思いながら「やまゆき」(江田島青年の前勤務艦)に乗艦し巣立っていく45期生54名を見送りました。 部隊に出てもきっと頑張ってくれると信じています。 皆さんも45期の前途を祝詞万歳三唱を宜しく。バンザイ バンザイ バンザイ サンキュウべりマッチ  各部隊の諸先輩方、初心者マークの3等海曹が着任しましたら、厳しく厳しくそして厳しく、時には優しく舵を取り、早く立派な3等海曹になるよう宜しく御指導お願いします。  45期が、巣立ち寂しくなった江田島に頼もしい人が江田島青年広場に着任して来ました。 その名は、「みさお」こと上田三佐夫1尉です。 そして、明日は14期生の井上勝美3佐が着任されます。 17期のHPも江田島からの発信が増えまっせ。楽しみに。  「今、江田島が熱いぜ!」  尚、卒業式の模様は江田島青年が作業員等多忙な1日でしたので、後日17期HP江田島隠れファンが送ってくれると思います。



2003年3月25日(火) 14期生下條先輩より
件名 : ご無沙汰しております
ご無沙汰しております。 急に暖かくなり、関東地方では桜も予定どうりに開花しそうです。 イラク情勢、誠に考慮すべき事態となっておりますが、桜花を見習い短い期間での終息がなされることをを願ってやみません。 爽快仙人の会、参加を楽しみにしておりましたが、時節柄、延期は適切な処置と理解しております。 先日、関東地区生徒OB会、参加させて頂きました。 横浜駅東口の高層ビルの27階、あいにくの雨模様でしたが、東京湾を一望できる素晴らしい会場で、22期生徒主催で挙行されました。 1期生より、44期生まで総勢120名、和気あいあいとした雰囲気の中に、定年を迎えられた10期生への記念品贈呈、各期ごとの記念撮影、江田島のVodeoの放映と趣向を凝らし盛会で楽しい時間を過ごさせていただきました。 17期の石塚生徒、太田生徒、盾生徒、24期の平生徒と、H/P上でお名前をお聞きしている諸氏ともお会いできました。 皆、Nice Guy, いい男前とお見受けしましたが、酒を過ごし目が朦朧としていたのかもしれません。 また、近い将来、皆と会えるのを楽しみにしております. 遅くなりましたが報告まで。 14期 下條



2003年3月24日(月) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−27(野球部残念)
12日ぶりの登場です。 ご無沙汰しておりました。  江田島青年便り14−26で掲載した野球部その後の試合結果。 16日の二回戦は、相手が棄権し不戦勝で準決勝に進みました。(ラッキー、失礼)  23日の準決勝は、強豪ボンバーズと戦い健闘するも0対3で惜敗し決勝進出はなりませんでした。 残念。 今まで沢山のご声援いただき有難うございました。 来年こそ国体出場は勿論すべての大会において県代表になるよう頑張ってほしいものです。  明日、25日(火)は45期の卒業式です。 が、現在雨が降っております。 45期が、ピカピカの3等海曹になり新たな決意を胸に秘め爽やかに、江田島を巣立っていけるよう明日は晴れてほしいものです。 皆さん明日晴れるよう祈ってやってください。 (俺の予想では、90パーセント晴れる。)



2003年3月24日(月) 17期 竹下和哉より
件名 : 厚木同期会2003.3.20
大田君の転勤(館山)に伴い厚木17期で送別会を行いました。 その時の写真を添付します。 右上に写っている目が半分閉じた男は心霊写真ではありません。 気軽に何でも言い合える同期の集まりに、酒が進み、1次会で酔ってしまった一実君です。 この調子では当分、仙人にはなれそうにありませんね。 でも、本人は、日頃のストレスを発散して、すごく上機嫌でした。 遠路、中川君も送れて参加してくれ、駆けつけ 3切れのすき焼き用の大きなお肉に満足してました。 追伸:ついに戦争が開始され、いろんな面で、みんな肉体的精神的に忙しい思いをしていると思いますが、持ち前の生徒魂で乗り切ってほしいと思います。



2003年3月23日(日) 17期 臼井幸一より
件名 : びっくり
23日1000 天保山入港 なんと、大阪に入港後、最初に会ったのが、小松のしゅうじだっだぴょーん 赤腕章まいて誘導員をしていました。



2003年3月22日(土) 爽快仙人より
件名 : 金沢からMSG
中東の方では大変な事態になっており、落ち着かない昨今ですが、皆様ご機嫌如何ですか? 春の息吹きが感じられる時節となり、意気ますます軒昂のこととお喜び申し上げます。 連休だったので、新社会人として始めて金沢に帰っております。 早速17HPを拝見しましたら、東京での会を延期されるとのこと、同感です。 幹事役の皆さん宜しくお願い致します。 さて、19日社用で市ヶ谷に出向きました折、折りしも先任伍長会議が開催されており、懇親会席場へ向かおうとするバスの中に、貫禄十分の長倉伍長を見かけ、少し言葉を交わしましたが、他にも大伍長がおられたのではないか、そして、デジカメ不所持が恨まれた一瞬でした。 次回、伍長会議が開催される時は連絡して下さい。 また、上田君が江田島に栄転されるとのこと、誠におめでとうございます。江田島青年と共に、後輩生徒を宜しく! 仙人の分まで。 第45期生徒諸君には、次のとおり祝電を発信しました。 「第45期生徒諸君、卒業、そして昇任おめでとうございます。 入校教育で溝の中を行進していたことが昨日のことのように思い出されます。 これからは江田島で培った生徒魂を胸に日々努力し、大いに羽ばたいて下さい。 ご活躍をお祈り致します。」 先輩諸兄!改めて後輩を宜しくお願い致します。   金沢にて 爽快仙人
あんちゅうの返信メール 返信、遅くなりまして申しわけありません。 年度末故の事と(言い訳?)お察しください。 東京さ出られて新社会人になられましてからの初めての帰郷、さぞかしリラックス・リフレッシュできた事と思います。 毎日満員電車に揺られ、本日特売の品に目もくれず、ひたすら仙人の秘術を磨いてこられたこの2ヶ月間はさすがの仙人もストレスと言う文字を実感として認識をされたのではないでしょうか。 「・・そんなこたーねーぞ。」 それは失礼をいたしました。 さすが仙人、凡人とは出来が違うようで。 さて、本日(3月25日)仙人の弟子、江田島青年より第45期生徒の卒業式の様子が メールのみ送られてきました。 文面にもありましたが、気のいい青年はナンのカンのと激務をこなしデジカメを構える暇もなかったようです。 我々17期も28年前、4年間を過ごした江田島と別れ、同期と別れ、全国の部隊へ旅立ちました。 歴史ある表桟橋から江田内へ。 岩国から祝賀飛行のUS-1。 昨日の事のように思い出されます。 45期生徒には江田島を忘れず、同期の絆を深め、教官、諸先輩の恩に感謝し、配属部隊での活躍と、何よりも健康を祈念いたします。 「若竹の伸びや陽の恩 土の恩」



2003年3月21日(金) 17期 小池正行より
件名 : 緊急連絡 爽快生徒仙人を囲む会
緊急連絡 いつもお世話様です。 爽快生徒仙人を囲む会幹事の小池です。 アメリカがイラク攻撃をはじめた関係で、佐藤から 囲む会の延期をしたら・・・・との意見がありました。 各部隊では、隊員に対して拘束する場合があるとの事です。 私としては、仙人は緊急事態について十分理解していることだと思うし、来られる人だけでこじんまりとやってもいいかなと思っていたのですが、あまりすっきいしないまま懇親を深める事は、社会と乖離、軽薄なことだと思いました。 そこで、緊急提案です。 戦争が終わったあと速やかに実行するということでいかがでしょうか。 幸い1ヶ月程度で終わるのではないかとの予想もあります。 平井仙人をはじめ出席の予定をしてくださった先輩、同期の皆様には、楽しみをもうしばらく後にしてください。 よろしくお願いします。



2003年3月19日(水) 17期 上田三佐夫より
件名 : お久さぁー!
ご無沙汰していますが、お元気ですか? あの日(S50.3.25)江田島を後にしてから28年目にしてH.15年3月25日付でとうとう江田島勤務(1術校服務係、えっ!アバウトなオレが?)となりました。 残念なのは仙人が雲に乗って去られたあと・・・ということですが江田島青年と協力し合って生徒を盛り上げて行く所存です。 胃が痛くなるような仕事ですが、モットーである「青春不滅の魂」と最後は「明日があるさ」で頑張ります。 17HPをご覧の皆さん江田島に来られる機会がありましたら私の所へもご一報下さい。 ではまた。
あんちゅうの返信メール こちらこそご無沙汰でした。 おめでとう!! 「1術校服務係」がどういうところかよくわかりませんがともかく、28年にして母校に携わることができるようで、「アバウト」な所は少しばかり控えて後輩指導の為、がんばってください。



2003年3月16日(日) 24期 平まりお生徒より
件名 : 関東地区生徒OB会
安中先輩 ご無沙汰しています。 24期 平 まりお です。 昨日 関東地区生徒OB会に出席してきました。 同期会はよくあることですが、1期生から44期生までの全ての期をとおした会というのは珍しいのではないでしょうか。 恥ずかしがり屋の私は、去年までは同期とばかり話していましたが、今年は少し積極的にでました。 あの名文を書かれた14期生の下條大先輩を探して、お話する事ができました。 安中先輩にとっての神様は、ナイスミドル、紳士でした。 また、面識もない17期生の先輩方に声をかけていただき光栄でした。 これも全て、生徒の絆 安中先輩の17期ホームページのおかげです。 年度末で仕事が忙しく、月月火水木金金ですが、仕事を切り上げてOB会に出席できて本当によかったです。 2次回は23期生に整列をかけれら、44期生を連れて十数名で夜の横浜に繰り出しました。 1コ上の先輩23期生とも、20数年ぶりの再会という方がほとんどでしたが、お互いの近況を語り合い、ますます親睦を深めました。 23期生の先輩が、酔っぱらって「生徒の頃が原点。一歩前に出ようぜ!!」と言われ、受け止め方は各自違うでしょうが、何か励まされ耳に残っています。 本当に美味い酒が飲めました。 写真を添付しますが、お名前は安中先輩解読してください。
あんちゅうの返信メール 関東地区生徒OB会の様子を送っていただき大変ありがとうございます。 メールへの返信と17Th Homeへの掲載が遅くなりました事、お詫びいたします。 14期生掲示板http://dx1.kakiko.com/ring/sei/seito/index.htmlによりますと、1期生から44期まで総勢120余名の生徒OBが一堂に会し、盛会だったようですね。 今年こそは、と意気込んでいてもなかなか遠い東京です。 来年のOB会までこの17Th Homeを盛上げ、是非、参加したいと思います。 同期の元気な様子も写してくれてありがとう。 石塚一石・野田達也・太田哲・楯 哲哉。 いずれも生徒時代とチーッとも変わりませんね。 ”神様”にもお目にかかれたようでウラヤマシ〜イ。



2003年3月14日(金) 17期 江田俊弘より
件名 : 士官室 1尉 江田俊弘 お知らせ
お元気ですか? 「いかづち」は元気に次の寄港地と日本に向け航海を続けています。 もちろん私も元気です。 残念なことに本日は悲しい知らせがあります。 このメールは15日で終了することになりました。 15日以降メールは送受信ともにできなくなります。 日本近海になれば船舶電話が使えるようになりますので、用事のあるときは船舶電話をかけます。



2003年3月12日(水) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−26(野球試合結果)
去る、3月2日(日)に第58回国体一般B江能予選がありました。 我が、生徒は「大原アスレチックス」と一回戦を行い 9ー2で勝利を納めました。 二回戦は16日、三回戦は23日に行われます。 何年前か忘れましたが、以前国体?に出場したことがあったと記憶しておりますが、今回も頑張って出場してほしいと思っております。  皆さん、ご声援宜しくお願いします。
あんちゅうの返信メール 17Th Home掲載が滞り、大変失礼を致しました。 江田島青年便り14−25,14−26共に掲載をしました。 17期の野球部の面々を紹介しましょう。 佐々木鉄男・小池正行・吉田喜和・高杉英則。 ラグビーに没頭していたあんちゅうは野球部の事が良くわかりません。 当時の戦歴は如何だったのでしょうね?



2003年3月12日(水) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−25(生徒教育の歴史)
爽快仙人便り  にも在りましたように、第45期生徒が3月25日(火)に卒業します。 卒業を間近に控え生徒は勤務先もそろそろ決まっているようで、そわそわしながら卒業準備に転勤準備にと忙しそうです。 我が生徒隊も卒業式・入学式と続く慌ただしい年度末、年度始めを乗り切ろうと頑張っております。  本日は、生徒教育の歴史を簡単ですが掲載して見ましたので、我々の時代のことを思い出してみてください。



2003年3月9日(日) 17期 江田俊弘より
件名 : 士官室 1尉 江田 お久しぶり!
アンチュウ お久しぶり、元気にしてますか? 「17期HP」愛読者の皆様お久しぶりです。 17期ET江田生徒が洋上遥かインド洋からご挨拶いたします。 日本では寒い日が続いていることと思いますが皆様元気でお過ごしのことと拝察いたします。 こちらでは3月とは思えない陽気で元気にしておりますのでご安心下さい。 昨年末慌しく「きりしま」に乗り組み出港しましたが、以来3ヶ月弱フネは任務半ばですが、後任の正式な砲術長として19ET野尻1尉が着任しましたので私は「いかづち」に乗って帰国することになりました。 なぜ?かと申しますと野尻1尉が前任「いかづち砲術長」でしたので洋上で相互交代をしたのです。「ちょうかい」を降りるときも「ヘリ転勤」でしたが今回も「ヘリ転勤」で「洋上帽振れ」で盛大に見送ってもらいました。 本艦方は初めてでもあり良く分からないのですが本艦の水測、通信には19期波多野曹長を始め優秀な後輩が多数勤務しており、何かと助けて貰っています。 帰国すれば、本勤の砲術長がY1岸壁で待っているはずですのでそこでお役御免となって元の位置「ちょうかい」に復帰するのですが、既に「要らない!」と「不用品決定通知」を頂きましたので数日休養した後佐世保地方隊に転出する予定です。 佐世保地方隊関係者の皆様「引き取り方」よろしくお願いします。 なお、元気な証に写真を送ります。 現地で「砂漠とワディーツアー」に参加した時のものです。 右側が私ですので間違いの無いよう! 因みに本艦水測の22期川畠生徒が「17期HPにメールできますよ。」と彼のアドレスを貸してくれましたので送ります。
あんちゅうの返信メール インド洋上からのメール、ありがとうございます。 そして、テロ対策特措法に基づく協力支援活動ご苦労さまです。 日本では中東や北朝鮮にかかわるキナ臭いニュースが連日、テレビ新聞等で報道されていまして、湾岸戦争のような事にならなければいいがなと祈っています。 長期の支援活動も無事に終わろうとしている事を誰よりも喜んでいるのは家族の皆さんでしょう。 どうぞ、「不用品決定通知」が待っていても元気な姿をご家族に見せてあげてください。 17Th Homeも待っています。 22期川畠生徒、アドレスを貸してくれてありがとう。 あんちゅうは言葉だけですが、形なるものは後日、江田よりお返しいたします。



2003年3月7日(金) 爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り004-H15
各地で奮闘中の皆さんおはようございます。 退官に当たり、多くの諸兄から、宝になる素晴らしい記念品を賜り、誠に有り難うございました。 心から御礼申し上げます。 それぞれ御礼を申し上げるべきところですが、17THホーム上をお借りし、声を大にして「有り難う!」と申し上げます。 「雲隠れの術」を使い、静かに去り、送られる会をしないよう企図したつもりですが、却って諸兄に気遣いを頂く結果となりました。 仙人の術は、諸兄にはかからないようですね。 また、東京さでは励まし、慰めの機会を計画して頂き、いずれも身に余る光栄と衷心から感謝申し上げます。 ところで、仙人の通う中央線は、人身事故が多く、電車がよく遅れ、かつ、ギューギュー詰めの満員電車になります。 痴漢に間違えられないよう、体の向き、手の位置など、とても気を遣います。 仙人の姿を想像してみて下さい。 当然「居眠りの術」を使います。 東京さに居る人の苦労が少しずつ分かってきました。 いつまで爽快を保てることやら、まだまだ修行が足りないようですね。 最後に、45期生徒の卒業が間近に迫ってきました。 先輩諸兄、後輩を宜しくお願い致します。 諸兄を見てきての感ですが、卒業後の半年が最も眼を配る時期です。 卒業する生徒の健闘を祈ります。



2003年3月5日(水) 17期 竹下和哉より
件名 : お礼
遅くなり申し訳ない。 先日、17期CDいただきました。 本当にありがとうございました。 この中の写真を題材に「バナー」を作成したいと考えてますが、今は昇任試験の準備で忙しくて、なかなか手につきません。 4月に入ったら本格的に作ろうと考えていますとりあえず、お礼まで。 似顔絵コレクションの次回作は来週完成予定です。 お楽しみに。 フー 疲れた おやすみ!!
あんちゅうの返信メール 17期卒業アルバム「追憶」 届きましたか。 バナーの件ですが けっして 急いでいません。 9月でも、来年でも、いつでもいいですのでよろしくお願い致します。 試験に影響を与えるようでは本末転倒、しばらくは勉強の合間の気休めに17Th Homeを覗いていただければ幸いです。 似顔絵もその通りで、似顔絵のために 「××た」 なんてことが けっしてありませんように くれぐれもお願いをしておきます。
竹下和哉の返信メール 励ましのメール、ならびに奥様から感極まるお礼のメールをいただきありがとうございます。 実は昇任試験の準備で忙しいのは、自分の勉強ではなくて横須賀地区で受験する1万人弱の隊員が、何処で、何の試験を受けるか名簿を作ったり、確認したり、はたまた、印刷して担当者に書類として送ったりで、てんてこまいの状態だからです。 と、言うことで勉強する暇など全然ないので、今年は受かってしまうのではとちょっとだけ心配してますが! たぶん大丈夫でしょう。(「何、昇任意欲ないのか」と思うでしょうが大切なのは目に見えない人格の階級章のほうが価値が大きいと思っているだけですからご安心を) PS 3月29日の宴会に参加するつもりで考えていましたが、同じ職場でお世話になった方が定年退職されることなり、同じ日に宴を催すことになってしまいました。 いろいろ、考えた結果、仙人には、35周年でも会えそうですがお世話になった先輩は、これが最後になるかもしれないと言う事で、先輩を送る宴に参加することにしました。 申し訳ありませんが、小池にお伝えください。 なお厚木地区をまとめてくれている石塚にも伝えておきました。 今日、3月6日、佐々木、久保両名が呉の准尉講習を終え、厚木に帰ってきます。 それではお礼まで



2003年3月4日(火) 17期 小池正行より
件名 : 爽快生徒 仙人を囲む会
いつもお世話になります。 「爽快仙人を囲む会」の幹事 小池です。 仙人から会の名称を 「爽快生徒を囲む会」としたらいかがかという提案がありましたが、強い幹事は、これを「爽快生徒 仙人を囲む会」 と しましたので以後、よろしくお願い致します。 現役組の幹事には、当日当直で参加できませんが 佐藤豊君が例のごとく快く引き受けてくれました。 これから現役に電話攻勢をします。 現役の方よろしくお願いします。 また現在、前畑が参加、奄美大島から橋本も来てくれることになりました。 場所は、新宿副都心****で行います。 最初から2次会御用達のような店ですけど、リラックス出来ると思います。 会費6,000円 ご参加よろしくお願い致します。 



2003年3月4日(火) 17期 高橋良彦より
件名 : 賛同者一覧表
17期、18期の皆さん、平井前校長退官に際し 贈る記念品の賛同者を募りましたところ、急で無理な呼びかけにもかかわらず、17期:56名、18期:23名のご賛同を戴き厚くお礼申し上げます。 又、昨年実施した「江田島仙人」を送る会に於きましては、沢山の志を戴き 重ねて厚く御礼申し上げます。 平井前校長から皆様に 「有難う、宜しく伝えてください。」 の言葉を戴きました。 賛同者の名簿を添付しました。 尚、部隊等一部不明な所又間違いがありましたらお許しください。 大変遅くなりましたことをお詫びいたします。



2003年3月4日(火) 17期 重永幸敏より
件名 : おはよう(^O^)
おはよう(^O^)体の方は大丈夫ですか? 俺の、方は足が痛みが引いてきました。 今日は、雲一つない朝です。 ベッドの中から、メール書いてます。 ここからの、ながめは、山と谷があって、最高です(^O^) なんか、俺の人生そのもので、人生一生勉強ですね\(^O^)/
あんちゅうの返信メール こんばんわ。 雲1つない朝とはウラヤマシイ。 こちら新潟は冬に逆戻りです。 雪はほとんど積りませんでしたが さぶ〜い!! なんてったって最高気温が +1度ですからね。 風も強く 重永が夏に訪れた柏崎の ”雷音” あたりは きっと歩けないくらいの風が吹いている事でしょう。 飛ばされぬよう 飛ばぬよう・・・ 誰の人生にも山あり谷ありです。 前向きに生きるのが17期。 それを記録するのが17Th Home。 今月も 「まいえー! すすめ! おいっちにー! おいっちにー!!」



2003年3月3日(月) 17期 安中均より
件名 : 3月のご挨拶
17期同期諸兄、月が変わりましたのでご挨拶申し上げます。 日頃は、17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。 今日、新潟を含む北陸地方で ”春一番” を 観測したとニュースが伝え、雪国新潟もようやく春の息吹が感じられる時季となりました。 しかし、明日の予報は雪。 最低気温−2度、最高気温+2度。 春一番の翌日に真冬に逆戻り。 ”三寒四温”がしばらく続きそうですが、やがて ”二寒五温”になり 本当の春がやってきます。 3月3日はひな祭りです。 当家にも一人の ”姫”がおります。 その ”姫”に 御願いの御伺いを立ててお雛様の前で一枚撮りました。 早くご縁があるように近々にかたずけなくてはなりませんが、父親としては複雑な心境であることも・・・ 今月は年度末でもあり諸々の会議や歓送迎会など呑む機会の多い月です。 体調には充分留意され、1ヶ月、がんばっていきましょう。 17Th Homeは、各地の春メール、近況メールをお待ちしております。



2003年3月2日(日) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−24(呉市制100周年100キロマラソン)
早いもので、平成15年も2ヶ月が過ぎ3月になってしまいました。 江田島青年も着任して早や6ヶ月が経ちました。 まだまだ未熟者ですが日進月歩の精神で頑張ります宜しく。  と言う所で、本日(2日)呉市制100周年を記念して100キロリレーマラソンが呉二河陸上競技場で実施されました。 江田島青年も1術校チームに入れてもらい走って来ました。 呉市制100周年記念と言う事もあり50チームと言う多数の、失礼しました5チームでした。 しかし、我が1術校チーム(13名)は最後まで全員が全力を尽くした結果、6時間46分31秒で2位に約29分という大差をつけ優勝しました。 当然江田島青年も頑張りまして、受け持ち距離7.8km(3q、2.4km、2.4kmの3回に分けて走る。)を少々不満ながらも29分47秒で担当区間を完走しました。 今回は、整備課13期生の増田さんに誘って貰って参加したわけですが、生徒部から40期の宮下2曹、住吉2曹の2名以外はあまり顔を合わしたことのない選手ばかりでしたが、この100キロリレーマラソンを通じ1術校以外のチームも含めまた人の輪が広まった様な気がします。 駅伝を始め団体競技は皆で一つのことお互いにフォローしながらやり遂げる一体感・満足感は個人競技と違う意味でいいものですな。 また、このような大会があれば参加したいと思っています。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−24 ありがとうございます。 エライ! アンタは エライ!! 13期生の増田吉助先輩はもっとエライ!! 御年**歳の江田島青年、その上を行く13期生増田先輩。頭が上がりません。 しかも優勝。 リレーとはいえ一人平均でも 8q弱。 でぶったあんちゅうには到底考えられません。 恐れ入りました。





17Th Home 徒然草 2003年2月



2003年2月27日(木) 17期 安中均より
件名 :
去る2月23日、あんちゅうの住む新潟県加茂市で 新潟地方連絡部加茂募集事務所管内の自衛隊入隊・入校激励会が加茂市産業会館で行われ、あんちゅうも募集相談員として激励に行ってきました。 管内では40名の若者が厳しい試験に合格され、晴れて自衛官として任官されるのを待っています。 激励会に引き続き 昼食会が行なわれました。 40名の中で生徒合格者は一人。 航空自衛隊生徒に自分の道を見つけたようです。 残念ながら海上はいませんでしたが、あんちゅうは彼に30年前の自分を見たような気がして、目がウルウル・・激励の言葉も贈るには贈りましたが、同じ事を何べんも言ったような・・・ なんと言ったらいいのか・・嬉しくて・・・ お母さんの、「高校を卒業してからでも行けるのだから・」という言葉にも聞く耳を持たず、まっしぐらに生徒を目指して頑張って来たそうです。 お母さんは心配で心配で・・ そんな母親の気持を思うと また、ウルウル・・・ そんなあんちゅうでしたが、彼の目は自分に自信を持ち、希望に満ちた素晴らしく シャキーっとした目をしていました。 その隣の席には 陸自生徒(少年工科学校)19期の方がおられました。 現在、陸上自衛隊第30普通科連隊長兼新発田駐屯地司令 古原康孝1等陸佐 です。 ほんのわずかな時間でしたが話をする事ができました。 ”生徒”の2文字に繋がりを求めてしまった23日のあんちゅうでした。



2003年2月27日(木) 17期 竹原堅一より
件名 : 教えて
ちょっと、長い出港でした。 どこにいったか、言えないのが、つらい! 剣道部! がんばれ! 17期が工科学校に行って勝負したことがあった。 部員もいっぱいいたが、わしら(あえて、名前はだしません)より、つお〜い、 陸生徒は、おらんかったぞ〜!  ちなみに、高校生に、負けたことなんか、記憶にない! 腕組みだけでビビッテたよ!   ハハハ???? ところで 通信ハンドボール選手の写真のなかに、なんで俺が、いないの? だれか、教えて? それと宮嵜もおらんぞ! 江田島青年は何処? 佐藤と重永の間はだれ? 藤田の前はだれ? 
あんちゅうの返信メール 長期行動ご苦労様でした。 伍長殿のお陰でこうやってメールを打っていられる幸せに感謝しております。 このメールを見て 今一度、写真を見直してみましたが確かに たっけはらがいない! 気付かなかったー。 こっちが聞きたい、「なぜして??」 きっと、○○○をやってたところをバレて試合に出れなかったんじゃないの? ・・んなこたーないか・・ あるわけないよな。 剣道と同じ、真面目一本で生徒を通したたっけはらに ・・・ ・・・ ん、んなこたー あるわけない!! 宮嵜はいます。 佐藤と重永の間です。 江田島青年もいます。 藤田の前です。 たっけはらがいません。 ドーシテ?



2003年2月26日(水) 17期 小池正行より
件名 : 平井仙人を囲む会
いつもお世話になります。 幹事を拝命しました小池です。 「爽快生徒 仙人を囲む」会の開催日と場所について首都圏にもいろいろありまして、交通の便、距離などからして館山から横須賀、そして厚木まで含めますと3月29日(土)夕方1600頃の開催として進めてます。 場所はまだ決定していませんが、いつもの市ヶ谷会館よりは、西新宿の高層ビル群の中、**ビルの*階にある店を候補にしています。 都合のつく方は、小池m-koike@sol.dti.ne.jpまで連絡下さい。   よろしくお願い致します。
あんちゅうの追伸メール 17期同期、先輩・後輩生徒、関係者の皆様、「爽快生徒仙人を囲む会」の日程が小池幹事より発表になりました。 多くの皆様の参加連絡をお待ちしております。 尚、小池幹事を補佐してくれる副官を募集します。 心ある人は小池幹事か17Th Home(あんちゅう)まで。 申し出のない場合は17Th Homeより指名いたしますのでその時はよろしくお願い致します。



2003年2月25日(火) 17Th Homeより14期生ホームページへ
件名 : 17Th Homeからのお祝い
14期生の諸先輩、こんばんは。 17期ホームページの管理人 安中です。 17期にとっては神様とこのようなホームページで交流が出来、誠に喜ばしい限りです。 さて、17期ホームページのバナーなるものが欲しいとかねがね考えていまして、その作成を始めました。 そこそこ完成し、自我自賛ではありますが、すばらしいと出来ばえになりました。 その作成過程において、このバナーを14期生の入隊35周年の記念品として贈ったら喜んでもらえるのではないかという考えがフツフツと湧いてきまして17期のバナーはまた、アイデアが浮んだ時、考える事にして、とりあえずこのバナーを14期生のホームページ向けに作成しなおしました。 これを17Th Homeより14期生入隊35周年の記念品として贈ります。どうぞ御笑納、ご利用下さい。 図案は舞鶴の氏野良則から、ヒントは17期の名画伯 横須賀の竹下和哉から、アイデアと作成はあんちゅうがいたしました。 5月の入隊35周年記念式典が多くの同期生参加の元、盛大に行われる事を御祈念申し上げます。 17期ホームページ管理人 安中 均
14期生ホームページ管理人 関 洋三先輩より バナー取り込みました ありがとうございました トップページのINDEXに たいへん似合っていると思います 感謝です
14期生 下條先輩より 昨日は素晴らしいバーナーを送っていただき有難うございました。 元回転翼航空士の私にとりましてSH-60Jがホバリングし14期生徒ホームページの名称が現れるのには感激しました。有難うございます。  昨日、所用がありまして房総半島、館山まで行ってまいりました。21空群のSH-60Jが館山湾上空を飛行し館山基地にLandingする様子をみて胸の高鳴りを覚えました。 搭乗配置から離れてもう30年近くなりますが、今でも空を飛ぶ夢を見ることがあります。  房州は菜の花の盛りで浜ではメバルが釣れ始めていました。 春は黒潮に乗り、房総沖まで来ているようです。  14期 下條



2003年2月25日(火) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−23(ハンドボールの試合結果)
2月15日(土)広島県室内ハンドボール選手権大会があり、我が生徒部の新人ハンドボール部も参加しました。 昨年より少し小粒な感じがしますが、強豪相手になかなか頑張ったようで結果は次のとおりです。 14 − 21 修道高校 11 − 17 呉昭和高校  ハンドボールと言えば江田島青年も江田島に来るまで頑張って?おりました。 実働年数で言うとラグビーよりも長くやっていた関係で、練習は見れないけれど頑張ってほしいと密かに応援しております。 この試合結果を糧として益々練習に磨きを懸け今年も、3自大会では優勝してくれるものと思っております。  話は、変わりまして妙高高原いいですな。 2通研修で東京さ居た頃15期生の島谷さん誘われていった、名前は分りませんが(苗場の近く)スキー場を思い出します。 田舎で竹スキーしか知らなかった江田島青年としましては見栄を張りながら、リフト(足の股に挟むやつ)で転び、滑り降りるとき左右方向変更で一回一回転んだ頃を思い出しました。 今は違います、自称セミプロと呼んでくれ。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−23 ありがとうございます。 正直な話、少術校に行くまでハンドボールなるスポーツを知りませんでした。 新潟にはなかったのでは?と思い、今 Yahoo!で 「ハンドボール」 「新潟」のキーワードで検索したところ、「第41回新潟日報杯ハンドボール大会」がヒットしました。 41回という事は41年前からあると考えるのが常識です。 あったんですね〜新潟にも。 我、17期通信の優秀なるメンバーがそろった写真があります。 多分、校内ハンドボール大会の一枚でしょう。 よーく見ると 航空士がいません。(我、17期通信 艦艇部隊の優秀なるメンバーと訂正しておきます。) 3年生の時でしょうか? 何位だったのでしょうね。 Vサインという事は優勝か? 松下、宮嵜、利光の ”M M T” トリオの指導を受けながら試合に臨んだ記憶があります。 ”自称 セミプロ”、 今度新潟にイラッシャイ。



2003年2月23日(日) 爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り003-H15
17期諸兄!ご無沙汰しております。 江田島は、青年が頑張って近況報告をしており、仙人の立派な跡継ぎになってくれました。 青年よ!有り難う。 さて、仙人の涙腺をくすぐる諸兄の心遣い、身に余る光栄と感謝しております。 この5年で純真無垢になった江田島仙人が、殺伐たる東京で生きていけるのだろうかと心配を頂いているようですね。 諸兄ご安心あれ! この東京でも新しい技を会得すべく毎日修行に余念がありません。 と言うより、生きる術を身に付けないと暮らせないというのが本音です。 修行中の技は、「千鳥足の術」、「おしくらまんじゅうの術」、「堪忍の術」等です。 一番目は、駅構内の人の群れを右へ左へと避けて前に歩くための術です。 かなりうまくなりました。 二番目は、満員の電車の中で、発車時に押された分を、停車時に惰性で押し返し、自分の足場を確保する術です。 タイミングが難しいです。 三番目は、商店街の店頭にある、本日特売の品を衝動買いしないよう堪え忍ぶ術です。 いずれも、江田島では経験することのできなかった術です。 それにしても、江田島は仙人にぴったりの自然環境でした。 男は泣き言をいわないでしたね。  都会の水に染まり行く仙人より
あんちゅうの返信メール 爽快仙人便り003-H15 ありがとうございます。 仙人が如何にして都会の難問を突破するか?が、心配の種でしたが、文面を見るに 着々と都会の水に慣れてきているようでホッとした反面、厳しいの修行の毎日、まずは、 「ご苦労様です。」 っと申し上げておきます。 一番目、二番目の術はすぐに会得できそうですが、三番目の 「本日特売の品を衝動買いしないよう堪え忍ぶ術」 はむつかしそうですね。 仙人といえども、空腹時はアレもコレも買ってしまいそうで・・・ 小池が率先して仙人を囲む会の幹事を引き受けてくれまして、おって連絡があると思いますが、宜しくお願い致します。 是非、参加したいというメールも届いています。 慣れない仕事、生活共、大変かと思いますが、常に新しい術の会得に励んでいただき、また、体調など崩さぬよう17Th Homeはお祈りしております。 又の「爽快仙人便り」をお待ちしております。



2003年2月22日(土) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−22(46期スキー訓練実施)
去る2月18日から20日の間、第46期生徒31名は陸上自衛隊の支援を受け中国地方の屋根ともアルプス?とも言われる中国山中にある広島の芸北文化ランドでスキー訓練を実施しました。 我々の時代はなかったと思いますが羨ましい限りです。 江田島青年も江田島生活3年の間に一回位行って華麗なる?滑りを見せてやりたいものです。  新潟のプロを前に偉そうなことはいえませんが。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−22(46期スキー訓練実施) ありがとうございます。 2002年2月21日 江田島仙人より生徒のスキー訓練のメールが送られて来たことを昨日のことのように思い出しました。 丁度、一年前です。 昨日(21日)あんちゅうは倅とスキーに行ってきました。 場所は新潟県妙高高原の杉ノ原スキー場です。 ここは最大8.5キロのゲレンデと8人乗りのゴンドラがあります。 あんちゅうはどうでしょう、4.5年ぶりのスキーでしたが、さすが御幼少の頃から体に覚えたスキー、不安でしたが体が覚えていました。 でも3本目以降は足は疲れきって抑えが利きません。 ガタガタでした。 夜の車の中の宴会のせいにしたり、日頃の不精のせいにしたりと言い訳ばかりのあんちゅうでしたが密かに歳を痛感しました。 残念ながらデジカメは動く被写体には反応が鈍くてとてもあんちゅうのカッコイイ姿を収められませんので雰囲気の一部を送ります。 華麗なる?滑りは新潟でお待ちしております。



2003年2月22日(土) 17期 前畑啓二より
件名 : 修理中のニコラス ケイジ
現在横浜の本牧で5ヶ月間の修理中です。 先日今田に連絡をしたところ ちょっとイタリア1週間行って来るとのこと 次回美味しいやきとり屋に案内してくれるとの事でした。 楽しみです。 なお臼井には感謝してました。 余談ですが今田の自宅と造船所の寮は歩いて5分の距離です。 話は違いますが現在の〔しらせ〕艦長の原口1佐は35次南極行動時航海長(当時2佐)として一緒に行きました。 転勤に際しては骨をおってもらいました。 来年また希望します。 平井さんを囲む会楽しみにしています。
あんちゅうの返信メール ニコラス ケイジ自信が修理中かと思ってちょっとビックリしましたが、文面を見て安心しました。 江田島青年は夢叶わず、南極には行けなかったようですが ニコラス ケイジは35次として行ったのですね。? 「来年また希望します」とありますが、南極へ? 平井仙人を囲む会の幹事は、小池が快く引き受けてくれました。 何かあったら力を貸してやってください。



2003年2月22日(土) 17期 大谷等より
件名 : アルバム注文書 大谷等
吉原にこのホームページを聞きました。 パソコンを使いこなせていないので、見られるかどうかわからないがCDを送ってください。〒270-0024 千葉県松戸市** 7-*-* ***−****−**** よろしくお願いします。  大谷等
あんちゅうの返信メール 久しぶりです。 元気でいますか? 2001年9月2日、思い立って 17期ホームページを立ち上げ、皆さんのお陰でここまで来れました。 参加してくれる同期が一人づつ増えていくのが楽しみになっています。 パソコンを使いこなせていないとの事ですが、これを機会に頑張って下さい。 CD 送ります。 卒業アルバム”追憶”の全ての写真が入っていますのでお楽しみに。 又のメール、お待ちしています。



2003年2月22日(土) 17期 小池正行より
件名 : 平井仙人を囲む会
いつもお世話になっています小池です。 何日振りかにホームぺージを訪れてみたら幹事になっていました。 皆さん3月は転勤その他でとても忙しいと思いますが半日都合をつけてみて下さい。 まず仙人の都合を聞いて、場所は市ヶ谷会館か近辺、金曜の6時30分か土曜の4時ごろはいかがでしょう。
あんちゅうの返信メール 光栄にも、平井仙人を囲む会の幹事に 皆の総意で選ばれました事、誠におめでとうございます。 新潟在住のあんちゅうには何もお手伝いできませんが、何かお役に立てることがありましたら何なりと言いつけて下さい。 尚、14期生の下條先輩が 是非、参加したいと過日のメールで言っておられます。 連絡先が必要であれば送ります。



2003年2月19日(水) 17期 吉原英夫17Th Home掲示板投稿より
件名 : 吉田君何でしょうか
今日3術研で久保健が来総し、たった今午後の部に出席のため会場に出かけていきました.列線隊長を拝命していて大変なようです.ところで吉田君どういったご用件ですか.



2003年2月16日(日) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−20( 南極の石)
江田島青年広場探索パート2  スクールウォーズの練習後、広場の探索をしておりましたら、偶然ある物を見つけました。 日本国内において比較的温暖な気候に恵まれている広場と思って居りましたが、砲術講堂の横にひっそりと佇んでいる江田島の南極を見つけました。 誰が寄贈し?誰が設置したのか(周りを見ると何も書いていない。)分りませんが、青年若かりし頃 ペンギンとお友達になりたくて「フジ」、「しらせ」を熱望した頃が走馬灯?のように思い出されました。(思わず持って帰ろうかなどと不謹慎な事を考えていません。)  そうです、「南極の石」を見つけました。 今は、夢と化してしまいましたが、希望がかなえば我が愛妻を残し一度は行ってみいたものです。  南極「しらせ」といえば、今回の南極観測支援で「しらせ」艦長でいかれました、原口艦長は「やまゆき」勤務時の艦長で、青年がやまゆき先任伍長生り立ての頃でありまして随分苦労をかけお世話になった艦長です。 無事任務を終えられ、日本に帰投されることを祈念しつつ今だペンギンと遊ぶ夢を見ている江田島青年です。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−20( 南極の石) ありがとうございます。 いつか、青年は言っていましたね。 南極に行きたかったと。 でも、行けなかった・・・ 愛妻、直美さんが離さなかったんですよきっと。 どういう経緯で南極の石が江田島の砲術講堂の横にあるのか? 青年の調査能力をもって探査すべし! 青年、この難局をどう乗り切る? ・・・あんちゅうに座布団、2枚!!



2003年2月16日(日) 17期 橋本和昌より
件名 : 木村文保と再会
昨日(2/15)、木村から「これから奄美へ行こうと思う。」行ってもいいかな? とのTEL。 久しぶりの休みがとれふと思い出したらしい。 勤務のJASフライトでは幾度となく奄美を訪れている彼だが(ただし、奄美空港のみ)プライベートでの奄美は初めてだ。 わざわざ大阪から飛んできてくれた。 夕刻、我が家へ着いてそれから名瀬市の夜の街へ・・・。 普通の感覚では理解できないところがあるらしい。 一般的市民には・・・。 恋人でもあるまいし、ましてただ会って、飲んで、語って・・・。 それはやはり、辛苦を共にした者ににしか理解できないことで、それが何と言うか、我々の宝物のような・・・。 少しは,奄美の夜を満喫できたかな?木村君。 再会を約束して、今日、(2/16)の昼の便で奄美を発ち実家の栃木へ向かった。 すこぶる全てが快調のようで何よりだ。 これで我が家への訪問者は 平井分隊長、高橋、竹原、長倉、松原、江頭、江田につづいて9人目だ。 又会おう。   奄美大島  橋本
あんちゅうの返信メール 久しぶりでした。 元気そうで何よりです。 あんちゅうの17期メールフォルダを検索したら なんと!2002年5月11日が最終投稿でした。 木村が訪れなかったら、レッドリスト(絶滅危惧種)に入るところでしたよ。 木村はその辺の事を考えて奄美に行ってくれたと ご都合主義のあんちゅうは勝手に木村に感謝しているんであります。 木村と夜の名瀬をカッポしましたか。現在の事、過去のこと、仕事の事、家族の事・・語る事がいっぱいあって時間を忘れますよね。よかったね〜。 平井分隊長、高橋、竹原、長倉、松原、江頭、 江田 木村、どう数えても8人目なんだけど? そういえば5月の11日のメールでは江田との再会の年数を間違えた訂正メールでした。 今からボケないでくれよな、奄美のクロウサギ君。



2003年2月16日(日) 17期 吉田喜和17Th Home掲示板投稿より
件名 : 平井さんと
館山の吉田です。 筆不精ですので、なかなか投稿の機会がありませんが、申し訳ありません。 実は、先日楯と話をしていたときに平井さんの話が出ました。 今館山には久保健と私と3人いるのですが、この3月で私と久保は転勤予定です。 しかし、せっかく平井さんが東京の方に来られているので皆で集まって押しかけようかということになり、その機会を皆で相談できたらと思い、投稿しました。 3月の生徒OB会は、隊の開隊記念があり出席できませんので駄目なんですがもし、賛同できる人がいればどうでしょうか? 別件ですが、吉原に連絡を取りたいので見ていたら、メールでもください!
あんちゅうの返信投稿 書き込みありがとうございます。 2月4日に小池よりメールがあり 「仙人のお上り歓迎会をやろう!幹事はETの伊藤隆君いかがでしょう?」との提案がありましたが、肝心のET伊藤隆より音沙汰がありません。 この際、小池に幹事をやっていただいたらいかがでしょうか? 過去、「五省」の事もありますし・・・ねっ小池君。 賛成の皆さん、手を上げて!  ・・・小池君、皆の総意により君に決まりました。 関東イナナキ(17期)会のメンバーに連絡を取り、早急に段取りを。 仙人は、俗世を離れた生活を長いことやってきましたので粗相のないように!



2003年2月13日(木) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−20(短艇とう漕競技)
本日(13日)絶好の短艇とう漕競技日和に恵まれ「平成14年度生徒部短艇とう漕競技」が江田内で実施されました。  時代の移り変わりと言うか、現在単漕競技のみ実施しており競技方式は、成るべく総員が漕げるように各期でクリューを編成しております。 今年は、45期: A、B、C の三チーム 46期: A、B の二チーム 47期: A、B、C の三チーム 48期: A、B、C の三チームの計11チームで優勝を争いました。 まず、予選を3:4:4チームで行い予選の平均タイムで期の団体優勝を争い、予選タイム上位4チームで決勝を行いチーム優勝を目指します。  予選の熱戦状況としましては、やはり48期の力不足は否めず完敗でしたが、45期は連覇を目指し部隊実習で鈍った肉体に鞭打ち、46期は持久走競技に続き2種目制覇を目指し、47期は昨年前半はトップ争いを演じながら後半スタミナ不足のためか失漕した経験を生かし初優勝めざし、各期ともそれぞれの思いを体一杯に溢れさせ白熱したとう漕が実施されました。  予選の結果、 45期B、46期A、47期A、47期Bの4チームが決勝に進みました。  決勝は、各期の名誉を賭け各チーム共今まで手豆、尻豆を作り流した血の成果をオールにぶつけるよう最後渾身の力を込めて漕ぎましたが、昨年のスタミナ不足を克服した47期の二艇がスタート直後から1,2位を争い、3,4位を45期、46期が争う予想外の展開となりましたが、後半先輩の意地を見せるも、思いは最後までオールには届かずそのままの体勢でゴールとなり、47期のワンツウフィニシュと言う結果になりまた。 最終結果 団体の部:47期が平均タイム13分26秒63で優勝 チームの部:1位 47期A (12分58秒99) 2位 47期B (13分04秒44) 3位 45期B (13分21秒  )という結果になり、47期が完全優勝に近い形で終了しました。  各期共それぞれ勝負に対する嬉しさ、悔しさがあると思いますが、この思いを生かし又糧としてこれからの生徒生活、自衛隊生活に生かしてもらいたいと思います。  以上 江田島青年記 隠れファンより追記があると思います。たぶん。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−20(短艇とう漕競技)・14−19(剣道3自生徒対抗戦)ありがとうございます。 この所、ちょっと仕事が遅くなって17Th Home掲載遅れましたこと、お詫びいたします。 剣道部、力を発揮できず誠に残念でした。たっけはらの一言がありそう? 短艇とう漕競技、鏡のような江田内ですね。 天気にも恵まれすばらしい熱戦が行なわれた様子がよくわかります。 17期卒業アルバム「追憶」にも短艇競技の懐かしい写真が載っています。 一枚目は、班長、メンバーの顔ぶれから水測でしょう。 この頃、優勝すると班長を表桟橋から胴上げと共に江田内に投げ込むという荒っぽい祝福が待っていました。 いつもは厳しい班長を海に投げ込む事が出来ることだけでがんばったものです。 班長も短艇競技になると気合が入っているし、競技前は土日も櫂を漕ぎ、クリューの気を合わせたものです。 入迫班長の嬉しそうな顔を昨日のことのように思い出しませんか? カッター競技で優勝したら口癖の様に言っていましたね。 「わしゃ もう 死んでもええ!!」 ・・ まだ、お元気でしょうね? 二枚目は、いつもまとまりのない?ETが汚名返上とばかりに頑張った一枚です。 どうですこの嬉しそうな事。 飛び上がっているのは現在京都消防署勤務の黒木昌澄。 となりは現在インド洋上 ”きりしま” で頑張っている江田俊弘。 17期の誰もが認めたETの頑張りでした。 三枚目は、今は行っていないという遠槽で17期(B)が優勝した時のメンバーの写真でしょう。 優勝タイム1時間4分15秒。 手のひらやこぶし・背中・尻からの血をモロともせず、よくもまあ一時間も漕ぎつづけたものです。 青年は一番右に、あんちゅうは優勝トロフィーを持っています。 入迫班長は今日もレザーの帽子をかぶって 「わしゃ もう 死んでもええ!!」 ・・・この時表桟橋より投げ込まれたのは野島分隊長だったのでしょうか? 追伸 隠れファンの追記が来ません。どうしたのかな?



2003年2月13日(木) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−19(剣道3自生徒対抗戦)
2月8、9日の両日朝霞において全自大会生徒対抗戦がありました。 その前の週、2日(日)に呉で海自地区剣道連盟大会があり、 無段の部:1年 畑林3士 第1位 初段の部:1年 松尾3士 第1位 2 段の部:3年 宮崎1士 第3位と言う見事な成績を収めその勢いで生徒対抗戦も優勝と目論んでいましたが、中央である大会と言うプレッシャー(江田島青年も当時あったような?在りました。)の為か、実力を発揮することが出来なかったようで結果は、 2−3    :対空自  0−3−2分:対陸自で惜敗しました。  選手名簿 監督: 渡辺2尉 3年: 吉永1士、薬師寺1士  2年: 浅見2士、濱田2士   1年: 松尾3士、児島3士 以上です。



2003年2月11日(火) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−17( 竹原in江田島)
先日(14日から16日)まで竹ちゃんが江田内にやって参りました。 15日夜間練習終了後2030ごろから、「雲助」で一献酌み交わしました。 以前、氏野のメールにも在ったところです。 今回は、雲助のママ&通信科の北野2尉(竹原の高等科の同期)とのショットです。(江田島青年の目が逝っていますあしからず。)。  竹原の話で初めて知ったのですが、「おおよど」の慰霊碑が江田島の自動車学校から能美ロッジに行く途中にあるそうです。 今回乗員が慰霊碑まで艦長始め参拝のため行軍(竹原は、何かあったときのため?と言い訳しながら我が愛車で行きました。)したそうです。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−17( 竹原in江田島) ありがとうございます。 たっけはらが江田島に現れましたか。 佐世保の ”雲助” が 江田島の ”雲助” で ”たっけはら節” をブチましたね。 「トウチャンはドロボウだった?」か、「上段のたっけはら」か?。 ハタマタ 新ネタか? いったい どんな ”たっけはら節”が聞けたのでしょうか。 艦長自ら行軍したというのに先任伍長が車でですか? たっけはらの言い分もワカランわけではありませんが・・ っま、それが彼らしいということにしておきましょう。 こんなふうに30キロ行軍をした事もあったのにね〜。 歳をとりました。 ハイ。



2003年2月11日(火) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−18(准尉講習歓迎会&新人大会)
遅くなりましたが、8日三佐夫のメールに在った准尉講習に来ている佐々木、久保勝両名を迎えての同期会時の写真を添付します。  宴会中は、昔話に花が咲きすぎて証拠写真を忘れてしまい、最後に店の前でゲット(ここら辺がまだまだ未熟)しましたがデジカメそれとも腕が悪いのか暗くなってしまいました。 呉から黒木も准尉講習に行っておりますが、皆元気で頑張っているようです。 本日(11日)、広島県新人ラグビー大会の1回戦敗者戦があり、今期公式戦初勝利(22−0(前半5−0)対大門高校)をあげました。 少しは、スタミナが付いてきたようです。 秋までには、サントリー&早稲田のように走りまくるチームなってくれればと考えています。 黄色いジャージが我が西校(生徒部)です。ハーフタイム時指示している江田島青年です(よく見ると誰も聞いていないような感が)。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−18(准尉講習歓迎会&新人大会) ありがとうございます。 真っ黒な写真を修正致しましたがこのくらいが限度のようです。 これでやっと顔の判別がつくでしょう。 銀塩では出来ないデジカメのいいところです。 准尉講習とやらは、過去の同期のメールによればかなりキツイとのイメージがありますが、鉄と久保勝、黒木はがんばているようですね。 黒木からメールがこないところを見るとやっぱ、キツイのでしょう。 がんばって下さい。 藤原クンも広島から駆けつけてくれて、大変でしょうけどウラヤマシイあんちゅうであります。 公式戦初勝利おめでとう!! 何はともあれ勝つ事はいい事です。 自信につながります。 青年はハーフタイムにどんな話をしたのかわかりませんが確かに誰も聞いていないようですね・・・ しかし後半17点を上げ、デフェンスも完璧とくれば聞いていない振りをしていても選手諸君の奮闘を促す指示があったと確信します。 ・・コツがつかめてきましたね、青年。 その調子でガンバレー!!



2003年2月11日(火) 14期生井上先輩より
件名 :
仙人とは47年に卒業して、第5駆潜隊『わかたか』に赴任したとたん、船務長でした。 出来の悪い生徒で申し訳ありません。 お世話様でした。  お陰さまであれからかれこれ30年。 人の教育をする立場になりました。 生徒部での4年間は私の総決算として、一身を捧げます。
あんちゅうの返信メール 母校の生徒隊長としての赴任とか。 先輩の「永年の夢でした。」の一言に先輩の母校に対する熱い想いが伝わって来ます。 当時と比べ生徒数も少なく気質も違う事と思いますが、先輩の思い通りに後輩の指導を心よりお願い致します。 生徒部には仙人の跡を継ぐ ”江田島青年”が勤務し、当17Th Homeに ”江田島青年便り”を頻繁に届け、全国の生徒出身者に江田島の風と香りを届けてくれています。 生徒隊長になられたらその辺のところ、海上自衛隊の広報の一端としてお考えいただきたいと切に切にお願い申し上げます。



2003年2月10日(月) 14期のひとり先輩17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島青年殿
江田島地区にある「梅ノ木」はその昔8期生徒卒業を記念してご父兄の一人が多数の苗木を1術校に寄付されたものと聞いております。 本数が多く道路わき、官舎等に植えられたそうです。 今はありませんが武道場のそばのロータリーにも植えられておりました。 今も江田島に勤務されている人たちは花の美しさとともに果実も大いに味わっているようです。 記憶が間違っていたらごめんなさい。
あんちゅうの返信投稿 そうですか。 8期生のご父兄が寄付されたのですか。 生徒のご父兄寄贈の梅の木とあらば大手を振って江田島青年もその実を我が物にする事でしょう。 でも、良くご存知ですね〜。 さすが ”神様”と今さらながらに感じ入ります。 江田島青年より先にあんちゅうが書き込みいたしました。



2003年2月10日(月) 17期 竹下和哉より
件名 : 似顔絵2号
安中の似顔絵を見て竹原からメールがきました。 「あいつの頭は、もっと額が広くてもっとかっこいいぞ」だそーです。 と言うことで、感想をくれた「竹原伍長」の似顔絵を第2段として送ります。 (額は狭めてません)
あんちゅうの返信メール 似顔絵2号ありがとうございます。そっくりですね。 竹原伍長の一言はあんちゅうの胸にグッと収めておきましょう。 似顔絵を作っている時の苦労や、その人への思い等、入れていただけると ”タケシタCollection” としては、ありがたいのですが。



2003年2月10日(月) 14期生 下條善磨先輩より
件名 : Dallas より
ご無沙汰しております。 先日は体育課の教官の写真有難うございました。 お礼が遅くなり申し訳ございません。 一昨日、米国 Dallas 在住の15期福島生徒に電話をしました。 彼は宇宙センターがあるHouston の北方 600KほどのDallasの郊外に住んでおります。 Space Shuttleの爆発、彼の町では落下物はなかったようですが2日経った先日も街中は騒然とし1日中Shuttle関連のNewsを流しているようです。 爆発のあった土曜、朝、8時50分頃は彼は寝ていて爆発音は聞けなかったそうです。 前の飛行で何度かSpace Shuttleが大気圏突入の際の衝撃音を聞いたそうですが、300Km位離れていても衝撃音がガラスを震わせ、突入時の衝撃の凄さを感じさせられたとのことです。 86年のSpace Shuttle Challengerの爆発の時は初の日系飛行士 米空軍 鬼塚少佐が殉職され、日系社会は深い悲しみに襲われました。 今回も各地で追悼会が催されているそうです。 残骸を集めInternetで売ろうとした男が逮捕され、罰金 300万円、懲役7年が課せられたそうです。 皆が悲しみにくれている中、悪い奴はどこにもいるものだと唖然とさせられました。 22期のH/Pを主催しているLos Angels 在住の木田生徒(Delta航空勤務)がDallasに立ち寄り福島生徒と会ったそうです。  航空業界不況にも拘わらず元気でがんばっているそうです。 以上 14期水測 下條 追伸 江田島仙人の歓迎会、是非 参加したいと思います。 参加人数に加えておいてください。 宜しくお願い致します。
あんちゅうの返信メール こちらこそご無沙汰でした。 ” Dallas より” ありがとうございます。 現代技術の粋を尽くしたShuttleが順調に帰還作業に入っている時の事故。 関係者にとっては、というより人類にとっては残念な事故でした。 原因究明と引き続きのシャトル計画が円滑に行なわれるようにする事が乗組員の追悼と思います。 仙人のお上り歓迎激励会はその後音沙汰がありませんが、関東イナナキ(17期)会?が必ずや開催すると思いますので万障繰り合わせての参加をこちらからお願い致します。



2003年2月9日(日) つばさ様 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島健児の皆様
夜になって、帝都は雨になりました。 私は雨の音を聞きながら眠るのが好きです。 江田島に”品覚寺(ほんかくじ)”というお寺があって、そこに海軍時代の兵学校出身者から現在に至るまでの「軍人さん達」が所感を書いた雑記帳があると聞きました。このHPを訪れる皆様の中にも、それに所感を書かれた方がいらっしゃるかもしれません。その雑記帳の存在を知ったのは、江田島訪問の後でした。見せていただけるか解りませんが、私はいつかお寺に行って、その雑記帳を読んでみたいと思っています。 型どおりの文書ではなく、自分の言葉で書いた文章というものは、名文ではなくても心に響く”何か”があるような気がします。そこから、少しでも偉大なる先輩方の心情を知りたいと思うのです。 精鋭揃いの我が自衛隊も、インフルエンザ菌には敵わないようですね。皆様、お体大切になさってください!



2003年2月8日(土) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 2月のご挨拶
ご無沙汰しております。 本日、2月8日(土)准尉講習入講中の久保(勝)、佐々木(鉄)を迎え呉地区の同期会を催しました。 足下の悪い中、広島から藤原君も来てくれて、いつものことですが、時間の経つのも忘れ、当時にタイムスリップしました。 久保、高橋両名が最後に店の前で恒例の記念撮影を行いましたが、写真は、高橋君から送付されると・・・思います。
あんちゅうの返信メール 呉17期同期会速報!ありがとうございます。 写真、楽しみですがナゼして久保、高橋両名の記念撮影か? っま、写真の届くのを楽しみに待ってましょう。
上田三佐夫の返信メール すまん、久保、高橋両名は間違いです。 高橋が撮影したのですが、フラッシュが上手く作動しなかったようです。 メールする時酔いがまださめてなかったみたい・・・。



2003年2月8日(土) 17期 竹下和哉より
件名 : 似顔絵1号完成
似顔絵1号(もちろん管理人の安中です)が完成しました。 ヒゲあり、ヒゲなしの2種類を添付します。 ホームページで使えるよう一番軽いGIF(256色)にしてあります。 作っているうちに加山雄三っぽくなってしまいましたがよーく見ると安中に見えると思います。(??) 第一号と言うことで、まんが「沈黙の艦隊」に出てきそうな劇画風に仕上げました。 そのうち余裕が出来たら、2人/月のペースで作りたいと考えてます。 「こんな風にしてくれ」とリクエストがあればまんが風やアニメーションにもできます。 また、「俺の顔はもっとかっこいい」や「海将の制服」など、なるべく、お好みの顔、服装にしたいと思いますのでご要望があれば連絡ください。 それでは!
あんちゅうの返信メール 記念すべき第一号に選んでいただき誠にありがとうございます。 すばらしい出来です。「加山雄三っぽく」の「ぽく」がいいです。 あまりいい男に作られると外野諸兄よりゴーゴーの非難攻撃に合いそうでヒゲありのほうがあんちゅうのイメージにはいいようですね。 GIF(256色)にしてもらってよかった事がひとつありますが竹下にはワカランだろうな〜。 そういえばすっかり忘れていましたCD送るのを。すぐ送りますね。



2003年2月8日(土) 17期 安中均より
件名 : 小松幸弘 アドレス変更のお知らせ
佐賀の小松幸弘よりアドレスの変更案内がありましたのでお知らせいたします。 小松幸弘 ****@****



2003年2月8日(土) 17期 小松幸弘より
件名 : 勝手にアドレスの変更しました。小松幸弘の家から
娘も20才になり娘の名前はどうかな?と思いまして。 その後いかがですか? 時間ができればお会いしたいものです。 奥様にもよろしく!
あんちゅうの返信メール お久しぶりです。アドレス変更の件、了解いたしました。 同期には変更案内を送っておきます。 娘さん成人おめでとうございます。 あんちゅうは23歳の娘と21歳の倅の二人です。 佐賀の冬はどんなんでしょう? 雪は降るのかな? 佐賀の近況をお知らせください。 お待ちしております。



2003年2月8日(土) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−16(春のおとずれ)
仙人、お元気の御様子で喜ぶと共に懐かしく「爽快仙人便り001−H15、002−H15」を拝見しました。 「江田島青年便り」を申しつぎ早や二ヶ月がたちました。 江田島青年広場の新鮮な状況を遂次お届けしようと思って居りますが、仙人の様になかなかうまくいきません。 これからも仙人に追いつけるよう日々研鑽・努力を続けていきます。ご期待を。  先週(1日)練習終了後、広場を探索していたら、南グランド中学校より柵のところに梅の木を発見しました。 仙人の話では広場には実のなるものは植えないと言うことでしたが、40本もありました。 誰が植えたのかわかりませんが、6月が楽しみです。 梅酒が何本つけれるかな・・・・などと思っております。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−16(春のおとずれ) ありがとうございます。 江田島は梅の花も咲き、もう春なんですね〜。 仙人もその梅を拝借したのでしょうか? 40本もあるということですが何処かの梅林じゃないの? 仙人の話の「広場には実のなるものは植えない。取った食ったでもめるから・・」というメールを思い出しました。 なんとも情けない話ですがよ〜く分るからもっと情けない・・・



2003年2月7日(金) 17期 重永幸敏より
件名 : こんばんわ(^O^)
今日は、久しぶりの外泊です。 また、飲んでしまった(^O^)今度の病気は、酒が原因じゃないからな(^O^) 真実をいうと歩きすぎなんだ! かっこよく言えば、仕事のしすぎなんだ(^O^) 右頚椀症候群という病気なんだ。 生徒時代の俺からは、想像もしなかった病気だよ(;_;) でも、頑張るよp(^^)q だって、また柏崎に行ったときみたいに、みんなで楽しく飲みたいからね。 奥さんにヨロピク!
あんちゅうの返信メール メールありがとうございます。 また、呑んでしまいましたか・・・。 久しぶりのアルコールを廻した体内の細胞達もリラックスできた事でしょう。 でも、けっして呑み過ぎないように。 病気、じっくり治してまた、一緒に楽しい一時が持てるよう頑張りましょう。



2003年2月4日(火) 17期 安中均より
件名 : 2月のご挨拶
17期同期諸兄、早いものでもう2月になりました。 いかがお過ごしでしょうか。 「鬼はーそと!! 福はーうち!!」 昨日(2月3日)は豆まき。 あんちゅうのところでは毎年豆まきをします。 今年は年男で豆をまき、鬼を退治するはずなんですが・・・ さて、1月23日、 ”海自生徒掲示板” と称して新しい掲示板を設置いたしました。 先輩、後輩、関係者の方々にお知らせいただき多くの方からの書き込みをお願い致します。 また、仙人が2月より仮の棲み家を武蔵野に見つけ、東京駅近くで新たな修行に入るようです。 先程、小池より一人密かに瞑想にふけっているであろう仙人に激励の酒宴をという提案がありました。 音頭取りの御指名もあり是非、関東周辺関係者の多くが参集し、仙人に力水を与えてやっていただきたいと思います。 今日(2月4日)は立春。 まだまだ春遠い雪の新潟です。 インフルエンザも全国的に蔓延しているようですが、同期諸兄におかれましては飲振宴座を大いにやり、ウィルスなどぶっ飛ばせー!! 失礼をば致しました。 2月も頑張りましょう。 ・・・・あんちゅう、2月のご挨拶でした。



2003年2月4日(火) 17期 小池正行より
件名 : Re: 仙人の伝達手段のお知らせ。
ご無沙汰しています。 17期通信の小池です。I WISH ・・・・ 仙人が、せっかく東京駅近くに来たのだから、首都圏にいる生徒同期およびこのホームページに一回でも出場した生徒、先輩、後輩は集まって再就職祝賀会及び懇談会を開催したいなあ〜!(ただ飲みたいだけ)、 幹事は、東京地連墨田区江東区?支部長のET伊藤隆さんいかがでしょう? 10から20名くらいだと思いますが、また市ヶ谷会館にしますか? きっと元気が出ると思います。 以上提案だけでごめんなさい。



2003年2月1日(土) 爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り002−H15
全国各地の17期生徒諸兄! 生徒魂を発揮して、充実した日々を送っていることとお喜び申し上げます。 仙人は、雪を枕に、金沢の棲み家で悠々自適の仙人暮らしをしてまいりました。 降り積もる雪を見る度に、45期生徒と戯れたスキー訓練を思い出しております。 立っては転び、起きあがっては転びしていた生徒達が、そして、大食堂で、大盛りの食事を前にしての頂きますという大声が、17期諸兄とダブって目に、耳に焼き付いております。 もう一冬スキーをしたかったなどと泣き言は言いません。 仙人ですから? それにしても、スキー場のログハウスで休肝日が持てるなんて、思わず、嬉しい?悲鳴が出てしまいました。 その生徒達も三月には卒業です。 先輩の皆さん!後輩を宜しくお願い致します。 さて、仙人は雪の中での暮らしを中断し、二月から東京へ修行に出かけます。 武蔵野をねぐらにして、赤煉瓦の東京駅の近くで、サラリーマンに変身し、精進を続けます。 いかなる変身を遂げるか?乞うご期待! 上京の折には、仮の棲み家(п磨磨磨磨|**−****)へご一報下さい。   お上り仙人より
あんちゅうの返信メール 爽快仙人便り002−H15 ありがとうございます。 忘れもしません。 昨年生徒とスキーに行った時、不覚にも寝酒を忘れ、当時の指揮官・分隊長河野3佐に言った所、「生徒と一緒ですから総員禁酒です。」とたしなめられ?思いがけず?休肝日になってしまった事。 2002年2月21日のメールでしたね。 東京さ、おっかね〜所と聞いております。 江田島や金沢などと浮世離れした仙人生活とは違い、厳しい修行の場、頑張って下さい。 っま、仙人の事ですから大丈夫でしょう。 同期には仙人への伝達の手段を連絡しておきます。 東京から新潟まで2時間しかかからない事もお知らせして又のメールをお待ちしております。




17Th Home 徒然草 2003年1月



2003年1月30日(木) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−15(寒稽古)
ここ二・三日寒い日が続いていますが、我がラグビー部は昨日水曜日、自習ずいの時夜間練習(1Gはナイター設備完備)をやりましたがあまりの寒さに参りました。 やっている生徒からもインターバルが長い(寒さに耐えかねて)と注文がありました。  コーチする江田島青年は、手先から足先まで凍えそうで参りました。 ちなみに、練習後1Gを見たら水溜りが凍っていました。  それお見た生徒はなぜか喜んでいました。     昨日(29日)小雪がちらつく中、3年は短艇とう漕訓練をしておりました。  現役の17期をつい思い出してしまいました。?   3年は、持久走納め会生徒の部、団体で優勝(3連覇)したのでカッター競技も優勝(連覇)を狙っているようです。   少人数でここに46期ありを示そうとしているようです(思い過ごしでしょうか)。   ところで、現在の期別の生徒数は、  1年(48期):63名 2年(47期):60名 3年(46期):31名 4年(45期):54名です。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−15(寒稽古)ありがとうございます。 江田島も寒いようですね。 ナイター設備もいいのか悪いのか? 江田島の雪を思い出します。 あんちゅうは雪国育ちがゆえ、少々の雪では驚きませんが江田島の雪はきれいでしたね。 思わず故郷を思い出した事を忘れません。 先般青年より送られて来た厳冬訓練持久走納会ですが、少術校25周年記念誌によりますと「1972年(昭和47年)2月 厳冬訓練納会持久走競技校内4.3q(50年まで毎年本競技方式により実施)」と ありました。 当時、4・7qを駆け抜けていたのですね。 驚くのは2期生が入隊した「1956年(昭和31年)2月厳冬訓練納会持久走競技(高須往復8q)(昭和37年まで毎年実施)」とあり、先輩諸氏は我々の倍近くの距離を走っていた事です。 その後、「1963年(昭和38年)2月厳冬訓練納会持久走(大原地区往復7q)(昭和47年まで毎年実施)」とあります。 17期が一年の時から4・3qになった訳です。 そう言えばそんな話を聞いた事があるような・・ないような・・・ 現在の生徒が生ぬるいなどと言えない17期以降の生徒厳冬訓練納会持久走ですね。 生徒数については募集が17期の頃と比べると少ないのでなんとも・・・ どなたか在校生の数の資料がありましたらお知らせください。



2003年1月30日(木) 17期 重永幸敏より
件名 : 元気?
元気? 今、病院のベッドから、メール書いてます(;_;) 俺も、早く良くなって、社会復帰できるように頑張りますp(^^)q
あんちゅうの返信メール この所新潟は寒波に囲まれ、お陰で通勤時間、帰宅時間とも遅くなりメールのチェックは怠りませんが、返信や17Th Home更新がままならず遅くなりました。 元気?っと聞く方は俺の方なのですが、実は先日インフルエンザを患い39.1度の熱で2日間、休みました。 今はすっかり回復し、バリバリやっています。 重永の調子はどう?



2003年1月28日(火) 17期 中川一敏より
件名 : 電子メールのアドレスが変更になりました.
ご無沙汰しています.お忙しい中ホームページの管理お疲れ様です.アドレスが変更になりましたので下記に記入しておきます.今後とも宜しくお願い致します. 中川一敏 ****@*****
あんちゅうの返信メール 了解しました。 同期には変更の案内を送信しておきます。 元気でやってますか? 音沙汰のないのは元気な証拠でしょうか。 でも、たまには近況などお知らせください。 厚木の連中はどうしてます?



2003年1月27日(月) つばさ様17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島健児の皆様
お元気でご活躍のご様子、お喜び申し上げます。 冬に雄々しき松の緑、春にゆかしい桜の花・・・仙人様の名文を拝見させて頂いて、今度江田島に行ったら、その由緒ある松の前に立ってみたい気持ちになりました。  航空自衛隊芦屋基地にも、エプロン地区の向うの海岸沿いに、見事な松の防風林がありますが、近年かなり松喰い虫にやられてしまって、惜しまれつつも昔の面影はだんだんと薄れ行くようですが・・・。 この海岸は、あの有名な映画「トラ!トラ!トラ!」に登場した戦艦「大和」の一分の一スケールのセットが組まれた場所で、その出来は実に見事だったようです(第3術科学校の資料館に、当時の写真が数枚展示されています) でも、撮影が終わると解体されてしまいました。 今あるのなら、何を置いても見学希望場所の第一候補にあげたいですが、とっても残念です。 江田島青年様、S基地で勤務している我が友人も「30歳を越えると、厳冬訓練も体に堪えるようになる」とボヤきつつ頑張っております。 帝都の空の下より、皆様のご健闘を祈り応援しております!



2003年1月26日(日) 17期 黒木悦郎より
件名 : 准尉講習
只今准尉講習中。 今回同期が佐々木鉄男と久保勝正でした。 始まって一週間だけど、みんな年寄りになってるから動きも鈍いね。 3月6日には終了する予定です。 そういえば、先週の木曜日に勝正に川浪から電話があり、「迎えに来い」といったらしいけど、勝正が「呉からじゃ厚木駅までは行けない」といって笑ってました。また連絡します。 黒木悦郎
あんちゅうの返信メール ごくろうさま、ご苦労様、ゴクロウサマ。ホントにゴクロウサマ。 ナマっていた体が慣れるまで つら〜い毎日が続きますね。 氏野も伊藤隆(水測)も 呉にいた黒木は聞いているだろうけどツライらしい。 久保勝は体力ありそうだし、鉄は卒業時とほとんど変わりない体型を維持してるが黒木の体は3月6日まで持つのかな? あまり無理せず、ホドホドに。 川浪の電話、いいですね〜。 久保勝も 「そこで待っていろ。すぐ迎えに行くから」とでも言えばよかったのに・・・。 ひとつお願いがあるのですが、エアロビインストラクターが今もご健在か、その様子を是非、詳細にレポートして欲しい。 ワガママ言ってもう二つ。 久保勝にお礼を言って欲しい。あんちゅうが同期としてはじめてのメールが久保勝正だったのです。 2000年10月22日、ゆびとま経由で久保勝にメールを送った返事がきました。 嬉しかったな〜。 記念すべきメールでした。 鉄に一言。タマにはメールの一通でも欲しいあんちゅうです。 ・・・こんな時もありましたね。 最近出たスカイラインクーペのコマーシャルを見るたび、思い出します。 なんと言っても ハコスカ サイコー!!



2003年1月26日(日) 14期生 下條善磨先輩より
件名 : 普通学科教官
風邪の具合は如何ですか。 一週間ほどH/Pが更新されていなかったので、何かあったのかと心配しておりました。  今年はインフルエンザが猛威をふるっているようです。 幸いなことに私はまだかかっておりません。 なんとかは風邪を引かないという諺どうりのようです。  1月23日付けHPの教官の姓名懐かしく拝見しました。 前に写真だけを拝見し、印刷し、一人づつ御名前を記入しながら当時を思い出して楽しませていただきました。  数学の福田教官、英語の岡本教官、まだ現職とのこと、 5月に14期入隊35周年,江田島でお会いできる楽しみが増えました。  岡野教官、奥迫教官が映っておりませんが、体育課の教官は別の写真だったのでしょうか ? 14期 水測 下條善麿
あんちゅうの返信メール ご心配お掛け致しまして申しわけございません。 あんちゅうに限って言えば、「なんとかは風邪をひかない」の諺は当てはまりません。 ただ、39.1度の高熱を出したせいか、なんとかが更にひどくなったような気がしております。 ノミの心臓と虚弱体質?、そして、なんとか(事実)のあんちゅうですが、江田島で鍛えられた驚異の回復力で、中2日にして仕事に復帰いたしました。 さて、お尋ねの体育課の教官の写真はこちらです。 御二方の現在はわかりませんが、14期生入隊35周年にお会いできるといいですね。



2003年1月25日(土) ”14期のひとり”先輩17Th Home掲示板投稿より
件名 : 安部庄子様へ
先日、厳冬訓練納会が実施されました。 前日、23日には雨の中訓練を実施しており力強さを感じました。当日は、それぞれ持久走(マラソン)では自分の限界と闘っていました。 2月には、カッター競技があるため厳冬訓練に引き続きカッター訓練を続けているようです競技が終了する頃にはお尻に「タコ」ができているかもわかりません。 ご子息を含め1年生から4年生まで、日々たくましく成長しています。 お楽しみに。
安部庄子様返信投稿 ”14期のひとり”様 ありがとうございました。 ひとつの訓練が終わると 次の訓練が待っているんですね。それを一つひとつこなしていく子供達、偉いなーと思います。 日頃の訓練が子供達を成長させているんですね、体にだけは気をつけてと祈るだけです。 お尻の「タコ」、楽しみにしてましょう。



2003年1月25日(土) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−14(ラグビー新人大会)
本日(25日)福山の誠之館高校Gで誠之館高校と行いました。 結果は、5−40(前半0−26)でまたもや完敗してしまいました。 先週、呉工専(1.2年と3.4.5年(7名)の混成)との練習試合で0−60で完璧に打ちのめされ、そこから何かを掴んでくれたと思っていたのですが、練習の成果を試合でまだまだ発揮できておりません。  自分で出来ないもどかしさを感じながら指導者としての未熟さを反省しているところです。 2月11日(火)に敗者戦が有ります。 絶対勝ちます。
あんちゅうの返信メール 「ガーックリ!」 の 青年の想いが伝わって来ます。 指導者になってまだ、数ヶ月。 そんな簡単に結果を急いではいけません。 結果を出す事が指導者の力量とは思いますが、まだまだ修行の身。 っと、いって慰めては青年の為にはならない。 ここは心を鬼にして あんちゅう特有の青年の心にグサーッと来る言葉を贈ります。 1・「自分の頃は・・」 などと 想いを巡らし、まして嘆いているようでは指導者の青年に 「指導!!」 2・練習中、選手のどんな些細な事も見逃さない目配りと、怠慢に対するしつこく、厳しい指導。 3・一言、二言の注意ではなく、10言、20言の言葉を用意。体で示せないからこそ言葉が重要。 4・良いプレイには誉め殺しの言葉、30言を用意。 速射でぶっ放す。 5・体で教えられる年ではありません。目と口と頭で指導できるように自らの修行をしましょう。 今シーズンのラグビーをテレビで見ていて思うことは、早稲田にしてもサントリーにしても後半勝負。 残り10分のあの得点力と精神力は如何にして生まれたか? 想い出の一枚を添付します。 確か、観覧席の通路を通って行った宿沢の小ささに驚いた記憶があります。



2003年1月24日(金) 江田島青年より
江田島青年便り14−13(持久走納め会)
1月24日(木) 持久走納め会が風雨の中実施されました。 生徒は、日頃の行いが良かったのか雨は降りませんでしたが、強風の中必死の狂想で頑張り総員完走(当然のことですが。)しました。  しかし、目標タイムをクリアーしなかった者が、かなりいたようです。 スタート前元気にハシャイデイル4年〜1年の集合写真です。 アンチュウからの懐かしい写真、覚えている様ないない様なところですが、言える事はスタイルが全然違うことです。 よく見るとあの頃は(和田アキ子風)皆ダサイ恰好で走っていたんですね。  スタート直後、皆どんな目標を持っているのでしょうか。 トップを取る、自己ベストを出す、完走すればよい又はとりあえず5キロ走ろうか等考えているいるのでしょうか。  ラスト1周半、見た目は余裕のある者ない者色々ですが、本人は必死に走っているようです。  成績ですが、嬉しい事にラグビー部が、ワンツウフィ二ッシュ(3年と1年)をしてくれました。 今回、直前にインフルエンザが流行り走れない傷い軍人は病み上がりにも拘らず応援をしっかりしてくれました。  追伸  江田島青年の成績は、練習不足のためか(言い訳)目標の7分は切れず、7分18秒でした。
あんちゅうの返信メール 青年自ら ・・(言い訳)ときては、あんちゅう、次の文面が浮びません。とりあえず「お疲れさまー」とだけ、申しておきましょう。



2003年1月24日(金) 17期 上田三佐夫17Th Home掲示板投稿より
件名 : 良彦(仙人じゃなく江田島青年)と マツ
生徒隊舎裏の松林に関する思い出は、1年生の酷暑訓練時に訓練準備の号令が入らないのを良いことに、横着を決め込み、時間になっても午睡を続けて森永班長に松林整列をくらい、「そんな根性は草履の裏のゴミ(班長は草履の裏を指さし)と一緒だ!と叱られたことと、ハンドボールのフェイント練習を松の木相手にやったことです。高橋も文章がうまくなったねこれからもこの調子でよろしくたのみます。



2003年1月23日(木) 爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り 001−H15
012345カウントがそろそろかな?と思い、日課「HP拝見タイム」に、覗かせて貰いました。 新しい投稿欄の設定はグッドアイディアですね。 管理人の行き足に、また、感激致しました。 多くの投稿が期待でき、HPが更に充実することでしょう。 さて、江田島青年から、江田島の松の便りがありました。 当地の松は、海軍兵学校が、築地から移転した当時、八方園の所にあった樹齢四百年(要町史確認)の老松の種を植えたと言われています。 したがって、そのほとんどが幹の大小に関わらず樹齢は約110年になります。 そして、白砂青松の江田島は、群青の江田内、山緑の古鷹山とともに、素晴らしい景観を醸し出しました。 その緑雄々しい松は、多くの若人を見守り、励ましてきたと思われます。 青年が伝えているように、江田島では、昨年、水不足が主たる原因かな?と思いながらも長いもので110年も生きてきた松を十数本枯らしてしまい、身を切られる思いで、伐採致しました。 当時、仙人は、主として部外の方々に江田島の松を、次のように紹介しておりました。
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まっすぐに天に向かって伸びた松は、学生、生徒たちを見守り、励ましてくれます。 特に、真冬の松は雄々しく、その逞しさには元気付けられます。 昭和天皇の、昭和21年の御製 「ふりつもる みゆきにたへて いろかえぬ 松ぞををしく 人もかくあれ」 当時、塗炭の苦しみの中にあった国民を励まされた歌です。 江田島の松も、まさに雄々しく、学生、生徒を励ましてくれます。
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自然の力は偉大で、逆らいようもありませんが、現地では松を枯らさないように精一杯努力しはていることを付け加えて、仙人便りを閉じます。
あんちゅうの返信メール 爽快仙人便り001-H15 ありがとうございます。 仙人自ら日課を科せ、「HP拝見タイム」の時間を設けていただき誠にありがとうございます。 ご覧のように江田島青年は、仙人教えの通り、江田島の時季の話題を途切れる事無く届けてくれます。 素直な好青年(御世辞ではありません。)を後釜に据えていただきありがたい事で感謝しております。 ある方から頂いたメールの中で、17Th Home掲示板や、管理人宛てにメールを送るのにはかなり心の葛藤がある旨の話がありました。 ・・確かにうなずける所があります。 それならば気楽にご自分の想いを伝えられる新しい掲示板を開設すれば、何方も気軽に書込みできるのではないかと考えました。 掲示板を設置した事で ”江田島” と、 ”海自” と、 特に ”生徒” に関連した皆様方の話題が、人と人のつながりにまでも発展していく事が、掲示板設置の目標です。 仙人にも この掲示板の事を多くの人に知らせてくださるようお願いをし、又のメールをお待ち致しております。



2003年1月22日(水) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−12(松のある風景)
皆さん、江田島青年広場に松の木が何本あるか数えたことがありますか。 ここで問題です、はたして松の木が何本あるのでしょうか。  ところで、悲しいと言うか残念なお知らせです。 生徒館の裏に林立していた松林を今でも頭の何処かで記憶していることと思いますが。 今、松くい虫の餌食になり危機に瀕しています。 8月26日着任依頼すでに10本近く伐採されています。 かなり前から対策はしていたみたいですが効果はあまりないようです。 今日残りの松を数えたら150m×10mのスペースに95本林立していました。 その中には松食い虫の餌食になってる松もありました。 思えば、17期が入隊したときはすでに林立しており、満開の桜とともに我々を暖かく迎えてくれたような気がします。 そして4年間我々が江田島で流した汗と血と涙を優しく見守り叱咤激励し、卒業後は全国に散らばった我々を江田島から声援していてくれたのではないかと、松林を見ながら感謝しつつ少し感傷に慕っている江田島青年です。 そして、「俺は松くい虫に負けたが、お前たちは何事も負けることなく頑張れ」と言ってくれているようにも思います。 先日、伐採した松の切り株を記念に持ち帰りました。何かの置き台にしたいと考えています。 ちなみに、年輪を数えたら約90年でした。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−12(松のある風景) ありがとうございます。 江田島と言ったら松ですよね。 隊舎の裏の松林は毎朝、熊手で筋を入れ、それは綺麗で11月に行った時もそのままで、同行した相談員の方々もその掃除に驚いておられました。 そのときも確か生徒隊舎の海岸沿いの松を伐採していました。 こちら新潟でも松食い虫にやられていて、海岸沿いの防風林となっているところでは航空防除をして対処しているようです。 管理されてる方は大変でしょう。 部活を終わってヘトヘトになって第1グランドより松林を越えて風呂にいきましたね。 松林の中に公衆電話ボックスがあって長いこと待って電話した覚えもあります。 江田島青年が感傷的になるのもわかります。 ・・そういう歳なんです。 ウー ヤダヤダ!! っと言いながらもミョーに共感できるあんちゅうです。ハイ。 今度江田島に行く機会に恵まれたら、その松の輪切りをおみあげに頂きます。(17期入隊当時の少術校)



2003年1月20日(月) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−11(厳冬訓練)
1週間ぶりのご無沙汰です。我が「江田島青年広場」は、厳冬訓練真っ最中です。1月23日(木):持久走納め会(学生も一緒です。)2月13日(木):短艇とう漕競技を控え、各学年共分隊長中心にトレーニング方法を考えながら頑張っているようです。 当然、江田島青年も今年は2000mを7分以内で走りきる予定です。ちなみに、昨年は足の故障もあり7分34秒でした。 話は変わりますが。厳冬訓練と言えば朝早く眠い目をこすりながら、星がキラキラ輝く寒空の中を走っていたと記憶しておりますが。現在は、1550Iから少し寒い中を走っております。これは、海上自衛隊全般に言えることですが、軟弱な生徒や隊員が増えていると思う今日この頃です。幹部候補生学校だけは違うと思っていましたが、同じでした。しかし、朝早くやられると私江田島青年も通勤に少し困ります。 短艇とう漕訓練、今でも機会があれば漕ぐ気持ちは薄れておりません。皆さん、手やお尻に豆を作り苦しみながら漕いだあの頃を思い出してください。風呂から上がるとき、タオルが豆のため絞れなかったこと、夜はうつ伏せでないと眠れず朝起きて見ればシーツに血が付いていたこと等今は、笑い話ですみますが、当時は本当に苦しく痛く大変でしたが、それがあるからこそ現在の我々があると思います。 訓練の一部の写真を添付しました。これを見ながら当時を思い出してみてください。
あんちゅうの返信メール 大変遅くなって申しわけありません。 21日昼頃より寒気を感じ、帰りに医者に行ったら39.1度。 インフルエンザと言うことでした。 本日、23日やっと熱が下がりました。 ノミの心臓と虚弱体質を持っているあんちゅうは??弱いんです。トホホ・・・。 今日、持久走納会とか。 生徒諸君は頑張ったことでしょう。 我々の頃も2000mだったのでしょうか?・・思い出せませんが。 技術不足のため、添付のEXCELより写真を取り出せません。 申しわけありませんが、今一度、写真だけで結構ですので送ってください。 尚、今後は640×480のサイズ、JPGにて添付して、メール内にてコメントを入れていただけると大変ありがたいのですが、よろしくお願い致します。



2003年1月20日(月) 17期 竹下一哉より
件名 : 横須賀便り2003−01 (横須賀地区17、18期新年会)
横須賀地区では昨年、佐藤寿君の発案で17期忘年会を計画!(それも遠藤の送別会以来) 幹事は統率力では、同期の中でもずばぬけた?奥山君です。 「7人か、まかせとけー」と、奥山君。 ただちに宴会場を手配し準備OKかと思ったら、ある同期(S君)の都合で忘年会は中止! 「なにー」「仕方ない新年会に変更だー」と急きょ新年会に変更!(さすが対応の素早い奥山君です) ところが、この情報を聞きつけた18期諸君が一緒にやりたいとのこと。 それに、なんと勝山分隊長も参加されるとのこと! 「な、な、なにー全部で18人」「しゃーない。まかせとけー」と、これにも動じることのない幹事奥山君、 素早く宴会場を変更し、すぐさま、皆に案内状を配布。(さすがです) そして平成15年1月17日(金)無事に「勝山分隊長を囲む横須賀地区17,18期合同宴会」が始まりました。 「それではー えー ただ今より」と名調子で始まった開演の名文句に引き続き「つづいて乾杯の音頭を私、奥山がとらさせていただきます」で乾杯!(おいおい分隊長は?)と周りの心配をよそに、宴会は始まってしまいました。 皆の自己紹介では鹿野君が「髪を7,3にビシッと分けられないようなだらしないような自衛官は、再就職できません」「髪がない人はどうすればいいのですか?」と言う話で大爆笑! 楽しい3時間があっという間に過ぎ、元気な中年たちは南方の外国人のいる店へ散っていきました。 ちなみに、分隊長は、最後に「お月さんとお日さん」という小話を話され満足そうでした。 計画、集金、司会、乾杯の音頭、と全てを自分ひとりでこなした奥山君が、とっても大きく見えた今回の宴会でした。 その時の写真を添付しておきます。(集合写真は、フラッシュが乱反射してハレーション起こしてしまいました) なお、17期HPは18期にも好評でした。 生徒OB全体に広がっているって感じで、嬉しく思いました。 今年も、同期のため、いや生徒のためHP頑張ってください。
あんちゅうの返信メール第1弾 写真、640×480で 送ってくれ。
あんちゅうの返信メール第2弾 横須賀便り2003−01 ありがとうございます。 そうですか、横須賀同期会は遠藤の送別会以来ですか。 何年になるのでしょうね、遠藤君?。 17期の面々は全部わかるのですが18期は面影はあるが誰が誰やらさ〜っぱりわかりません。 あんちゅうの秘蔵写真の中に、後輩が写っているただ一枚の写真。 少術校4代 左近充尚敏校長が少術校25周年記念誌に寄せられたなかで、「運動部で思い出すのは岩国のマリンから挑戦されて出かけたラグビーチームが勝ち、しばらくして雪辱に乗り込んできたのをまた返り討ちにした事です。」と記載した、まさに、返り討ちにした試合後の写真です。 この後、一緒に風呂に入ったのですが、さすがのあんちゅうもおどきましたね。 ・・ナニが??。 今回参加した18期諸君の中にここに写っているラグビー部員はいますか? もし、よろしかったらメールなどいただけると嬉しいのですが。 この写真には19期も写っています。 18・19期からのメールもお待ちしております。 この中に遠藤が写っているのもこのメールに何か不思議なものを感じます。 今後は奥山君だけに負担を掛けず、同期・生徒の宴会を開いてください。 あんちゅうもチャンスがあったら行きたいな〜。



2003年1月15日(水) つばさ様17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島健児の皆様
江田島青年様:覚えていて下さっていたのですね。嬉しゅうございます。自衛隊という世界は、広いようで狭いですね。セーターを編んでいる時のように、糸と糸とが、どこかで繋がることが多々あります。今は厳冬訓練の最中でしょうか?お風邪など召されませんように頑張ってください! 元「はるかぜ」乗員様:「はるかぜ」は、一昨年、江田内を離れて・・・その後はどうなったのでしょう?国産第一号の護衛艦だったと聞きましたが・・・去年の12月に引退した「はやせ」もそうですが、海上自衛隊の歴史の中で”彼女達”のように、意味のある艦は、大切に保存できたらいいのになあ、と、いつも淋しく思います。 といっても、ご自分の命を預け、共に訓練に励んだ艦は、どれもがその方々にとって”ヒロイン”でありましょう。「はるかぜ」も「はやせ」形はなくなってしまうかもしれませんが、そこで勤務されたことを誇りに思っていらっしゃる皆様の、そして私の心の海で”彼女達”は、これからも白波を蹴立てて、活躍し続けるでしょう。艦とゆかりの乗員の皆様に、心からの敬意を表したいと思います。



2003年1月14日(火) 17期 上田三佐夫17Th Home掲示板投稿より
件名 : 元「はるかぜ」乗員より「つばさ」さんへ
「はるかぜ」、と言う言葉を聞いて懐かしく、思わずメール致します。  生徒を卒業して初めて乗艦した艦が「はるかぜ」でした。  昭和50年3月26日佐世保で乗り組みました。  当時はすでに第一線を退き、支援艦となっておりましたが、艤装品はすべて自分より年上で「へーこれって俺が生まれる前に出来た部品なのかー」って感じでした。  何とか自分がリタイアする時まで、あのままで居てくれたらと思います。



2003年1月14日(火) 17期 上田三佐夫17Th Home掲示板投稿より
件名 : 俺も泣いた・・・
下条先輩のメールに思わず涙腺がゆるんでしまった。 俺も1年生の夏休み前頃手紙(当時は電話など滅多にできなかった。)でずいぶん泣きを入れてた記憶がある。 自分では全然気がついてなかったけど80歳になる母が父の初盆の時言っていた。 ぼけてきたのかな・と思ったけど、いつまでも母親なんだな・・・。 泣いたのはおまえだけじゃない!竹原ー  PS:下条先輩、良いお話を有り難うございました、やっぱ、14期生は17期にとって「神様」なんですね。



2003年1月13日(月) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−10( 柔道新人大会等) 009
 1週間ぶりのご無沙汰です。冬休暇が終わり1週間がたち、我が後輩たちも休暇ボケもそろそろ抜けたようで?文武両道?で頑張っております。 クラブ活動も新人戦が控えており各クラブ練習にも熱を帯びて?おります。 早速、12日に柔道部、サッカー部の試合がありました。  結果: 柔道部 個人 48期 丸子生徒 5位(添付写真参考) サッカー 1回戦 対宮島工業 0−2 で惜敗となりました。 休暇中鈍った体を1週間で復帰させるのことが出来なかったようで納得の出来る結果が出せなかったようです。 (ところで、17期の諸君普通学科の小森教官を覚えていますか、現在柔道部の部長をしておられます。) しかし、我がラグビー部はくしくもサッカー部と同じ宮島工業から練習試合の挑戦を受け12日江田島1Gで対戦しました。結果は37−12で勝利を納めることが出来ました。今年初めての試合をこうゆう結果で納めることが出来たのも臨時コーチをはじめ皆様のおかげと感謝しながらも、試合内容はまだまだ満足していません、これにおごることなく常に上を目指して頑張っていきます。  つばささま、ご無沙汰しております、お元気でしょうか。 しっかり覚えてます、「江田島青年」はお頭は少々おとりますが、綺麗な女性は不思議とおぼえてります。 此方のほうこそ覚えていてもらい大変光栄です。 艦を降りた今、もうお会いすることはないと思っておりましたが、又このような形でお会いでき大変嬉しく思っています。 これからも宜しく。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−10( 柔道新人大会等) 009 ありがとうございます。 後輩たちはそれなりに頑張っているようですね。 暮も正月もなく練習に励んできたシャバの高校生と、各々故郷で新年を迎え、厳しいが気力あふれる江田島に集結直後の試合、同年代とはいえ・・生徒の宿命でしょう。 しかし、「言い訳をするな」・「泣き言を言うな」 の声も聞こえてきそうです。 江田島青年と同じく美人は不思議と覚えているあんちゅうですが、どの方が小森教官か思い出せません。 この中に居られるのでしょうね。 25周年記念誌の職員名簿によりますと、社会科の教官の中に「小森幹雄」の名前があります。 柔道部だった同期は覚えているんでしょうねきっと。 どなたかこの写真に各教官の名前をつけてくださる方はいませんでしょうか?



2003年1月13日(月) 17期 竹原堅一より
件名 : Res下條先輩へ
佐世保の竹原生徒です。  久し振りに泣かせてもらいました。   去年の涙は高杉の残念な涙でした。 今日の涙は、また 異質のものでした。 気持ちのいい涙です。  あらためて、自分が江田島に行った時のこと、初めての休暇の時の最後の日のことをおもいだしました。   母の気持ちもわからずに、自分はもう大人なんだ、みたいなことを、言ったようなきがします。   阿部さんの気持ちが良くわかるようになった自分も親なんだなあと、思います! 先輩みたいに、うまく、文字には、なりませんが、気持ちは、いっしょです。    また、泣かせてください。



2003年1月12日(日) つばさ様17Th Home掲示板投稿より
件名 : ファンレター
17期の皆様、はじめまして! このHPを見つけて以来”隠れファン”となって、たまに開いては、皆様の汗と涙のにじんだ思い出溢れるエッセイを、とても興味深く読ませていただいております。 自衛隊生徒の皆様が、どのような毎日を送っていらっしゃるのか、その一端を伺い知ることができる機会はなかなかありませんので、貴重な場だと思っています。 数年前、友人の案内で江田島に行きました。 小用港から1術校まで初夏の陽射しの中を、エッチラオッチラ往復しました。 まだ桜が枝に残っている頃で、白い花がハラハラ散る中で、歴戦の勇士「雪風」のアンカーと対面した時の感激は、一入でした。 土曜日でしたが、カッター訓練をやっていて、ポンドでは、どんな理由か3回くらいやり直しさせられていました・・・大変だなあ、と思いながら、教官殿の迫力のある”号令”と共に、生徒さんたちが一生懸命訓練している姿を見学させていただきました。その横に静かに浮かんでいた「はるかぜ」の姿が、今も深く印象に残っています。教育参考館では、貴重な資料の数々に、時を忘れて見入ってしまいました。 色褪せて文字が擦れた遺書や、名前しか知らなかった大先輩方の形見の数々に、思わず居住まいを正しました。 趣のある建物。友人の入校時の思い出話をききながら過ごした時間は、貴重な体験が沢山出来た半日となりました。 またいつか行ってみたいと思っています。 これからもますます充実したページになりますように、陰ながらエールを送っています!
あんちゅうの返信投稿 つばさ様、ファンレター 大変ありがとうございます。 つたない管理人ではありますがこのような書き込みをしていただけると単純なあんちゅうはすぐその気になってしまいます。 江田島や後輩生徒部の様子は つばさ様ご存知の「江田島青年」という者がおりまして、時季の話題をこまめに届けてくれます。 江田島に行かれた事があるのですね。 すばらしいところだったでしょう。 この17Th Homeは同期17期は無論のこと、生徒・江田島をキーワードに皆さんのメールによって運営更新されています。 あんちゅう一人ではネタに限度がアリアリで更新もままなりません。 どうぞ ”隠れファン”などとおっしゃらずお気軽にメールをお寄せください。 ところで前のメールで「江田島青年殿にエスコート・・」との記載がありますが、どういうご関係で? いえ、深く追求するつもりは毛頭ないんでありますが・・・ (あんちゅうは毛頭がなくなりつつありますが・・) 今後とも17Th Homeをよろしくお願い致します。



2003年1月12日(日) 14期生下條先輩より
件名 : 母のこと
仙台 阿部圧子様のお手紙を拝読させていただき故郷の母を思い出しました。
35年前のことです。 少年自衛官ヘの入隊が決まり家を離れる数週間前、母が私を呼びました。母は風呂場で私の下着とシャツをカナ盥に入れ手洗の方法をに教えてくれました。 下着の洗い方、シャツの襟の汚れの落とし方、そして乾かし方、私は母の手元を眺め、家を出るということの意味を実感しました。その後、折に触れ、母は私に釦のつけ方、繕い方等、教えてくれました。
後年、妻にその話をしましたら、"お母さん、どんな思いであなたにそのことを教えたのでしょうね。 母が娘に教えるでなく、まだ年端もいかない息子に教えるなんて" と申しておりました。 
故郷を離れる日が決まった時、そばに住む祖母に報告に行きました。"3月27日の夜行で呉に出発する" 思いもかけず祖母が申しました、"出発する日をずらして欲しい" 22年前のその日、祖父が召集され、広島にむかい、宇品から出航したまま帰ってこなかったそうです。祖母は私の入隊に最後まで反対していました。"戦争の犠牲はお祖父さんだけでたくさんだよ。 何で孫のおまえまで。" 私は"おばあちゃん、俺は自分の意志で行くのだよ"と申しましたが祖母にはわかってもらえなかったようです。 
昭和四十年代の前半は未だ戦争の記憶が人々の心の中に焼きついていた時代だったのでしょう。
家を離れる日、私は父に別れの挨拶を述べました。 父は"男たるもの、家を出たからには志を果たすまで家はないものと思え" 厳しい表情で述べました。
横に正座していた母の顔は覚えていません。 多分、俯いていたのでしょう。 
呉教育隊での1ヶ月半、そして江田島での最初の数ヶ月をなんとか乗り越え、初めての休暇、陽に焼け引き絞まった体に白の制服で帰省した私を父は誇らしげに迎えてくれました。休暇の前半は親戚への挨拶、中学の同窓生との再会と忙しく過ぎました。 休暇の後半、次第に無口になっていく私を母は腫れ物にでも触るように扱ってくれました。 明日は江田島に戻るという日の午後、母は私に訊ねました。"今晩、何をご馳走してあげようかね ?" 私は ぶっきらぼうに答えました。"何もいらねえよ"、母は悲しそうな顔をし、しばらくの沈黙の後、申しました。" おまえ、辛いのなら帰らなくてもいいのだよ。 お父さんには、お母さんからとりなしておくから"私は驚きました、今まで父に従順で口答えひとつしなかった母の言葉に。 私は思わず答えました "大丈夫だよ、母さん、俺、江田島に戻るから"、 そして部屋に入り 帰り仕度を始めました。 その晩、夕餉の席には母の手料理の私の好物が並んでいたのでしょう。何を食べたのか、どのような味がしたのか憶えておりません。 そして最後に母に "とても美味しかったよ、母さん、ありがとう" と礼を伝えたのか? 多分、伝えなかったのでしょう。 今でもその時のことを思うと母にすまなかったという思いで胸が一杯になります。
あんちゅうの返信メール 今夜、あんちゅうは呑んで帰ってきましたのでHP掲載まではできそうにありませんが、明日、掲載したいと思います。 仙台の安部さんにも直接この添付文を送付したいと思います。



2003年1月12日(日) つばさ様より江田島青年へ
件名 : 江田島青年殿
江田島青年殿  突然メールを送りまして、さぞ驚かれたことでしょう。 私は2000年の観艦式事前訓練2の時「やまゆき」で8護隊司令賞を戴いた時、江田島青年殿にエスコートをしていただいた”つばさ”です。 もう覚えていらっしゃらないかもしれませんが、其の節は、大変お世話になりました。  HPを検索している時、たまたま見つけたこのページで、江田島青年殿の懐かしきお姿を見つけて、お元気でご活躍と知り、懐かしくなってメールを書きました。 「やまゆき」から少術校に転属されたことは、風の便りに聞いておりました。 准尉になられたのですね。おめでとうございます。 17期の皆様が作っていらっしゃるHP、バラエティに富んでいて・・・少なからず自衛隊という世界を知っている私にとって・・・面白いなあ、と思いますし、自衛隊生徒についての資料・当時のご苦労も偲ばれ、とても興味深く(失礼でしょうか?ごめんなさい)拝見しております。  旧友に会うと、一瞬にして時間が当時に戻ってしまうものです。 こと自衛隊における同期という繋がりの強さは、周囲の友人たちを見ていても”いいものだなあ”と羨ましく感じております。 そんな訳で、私はこのHPの”隠れファン”として、時々覗かせていただいております。 江田島青年殿、17期の皆様、どうか今年もお元気で、ますます充実したHPを作ってください。 部隊でも、インフルエンザが猛威をふるっています。 どうかお体大切になさってください。 それでは皆様、お元気で!!  つばさ 拝
あんちゅうの返信メール つばさ様、メールありがとうございます。 江田島青年は、「やまゆき」退艦後 後輩指導の為、江田島に転属し、江田島仙人のご指導により 「江田島青年」を 名乗り、旬の江田島の話題と香りを17Th Homeに届けてもらっています。 たぶん?記憶力の抜群な江田島青年でありますので、つばさ様のことは覚えているはず?・・です。 このメールを江田島青年に転送し、17Th Homeにも掲載させていただきます。 ”隠れファン”などと申されず、またのメールをお待ち致しております。



2003年1月10日(金) ”14期のひとり”先輩17Th Home掲示板投稿より
件名 : 安部庄子様へ
まもなく厳しい厳冬訓練が始まります。朝まだ暗いなか、照明灯に照らされ霜の降りたグラウンドでのジョギング、しもやけになりそうに手もかじかむカッター訓練。今となってはいい思い出です。またあのころに戻りたいとも考えるこのごろです。卒業時には、たくましく、かつ優しい家族想いの青年に育っていると信じています。30年前同じ苦しみ(楽しみ)を味わった者の一人の独り言。年かな?
仙台 安部さんの返信投稿 気にかけていただきありがとうございます。 辛い!辛い!と言いながら9ヶ月が過ぎ、 ”ねぼすけ”(朝寝坊)だった息子が、ラッパの音に体が反応し、起き上がると同時に、毛布の四隅がそろうそうです。 休み中も 力こぶや腹筋を自慢したり、3つ上の姉に 朝の体操を特訓していきました。 息子にとって辛いことも、苦しいことも、楽しいことも、30年後には 懐かしくかけがえのない、すばらしい思い出となるよう信じています。 ありがとうございました。



2003年1月7日(火) 17期 安中均より
件名 : 斎藤賢一に逮捕状?
昨日、広瀬君のアドレス公開の案内を致しましたが、斎藤賢一君のメールが戻ってきました。 彼は、大阪府警の敏腕刑事。 ちょっとの事では発見できないと思いますが、面通しのできる方、捜索方、よろしくお願い致します。 17Th Homeは、彼を逮捕するまでとりあえずアドレス帳から外します。 ・・・ 「 隠れていても無駄だー!! おとなしく出て来い! 斎藤!! 出てこないと逮捕するぞ!!」



2003年1月7日(火) 仙台 安部庄子様より
件名 : 無事 戻りました
昨日 息子は無事に江田島に戻りました。 ちょっぴり寂しそうな笑顔をのこして・・・・ みんな 嫌なんですよね、でも 「戻らなくてはいけないんだ」って  ちゃんと頭の中で 判ってるんですね。 笑いながら 言ってました。 「隊舎で 同期と 休み中の楽しかったことを語り合って、泣くんだ」と・・・・ 「今度 帰ってくるときは 2年生だから!」 楽しみに待ってましょう。  写真ありがとうございました。 手やお尻から血が出ても あの さわやかな笑顔!いいですね! 息子には これからも 試練がいっぱいあるでしょう。 でも けっして 兜を脱ぐことのないように 祈ってます。  ・・・・仙台  安部 庄子
あんちゅうの返信メール 母親の嬉しいお努めご苦労様でした。 安部家には又、普段の生活が来ますね。 5月の連休までしばしの別れ。 彼も2年生となり後輩も出来、また一段と逞しい姿で安部さんの前にあらわれることでしょう。 彼の事は江田島に任せておけば大丈夫。 江田内と古鷹山がシャキーッとした男を創ってくれます。 心配ありません。



2003年1月6日(月) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−9(御用始)
 17th−HPの皆さん、あけましておめでとうございます。 本日(6日)から、我が青年広場も御用始めとなり、「江田島青年便り」も本日より再開します。 宜しくお願いします。 又、ご意見ご要望があればどしどし申し付けください。 さて、我が生徒部の生徒46・47・48期は本日総員無事帰校し、45期は明日帰校します。 今朝、江田島青年広場は小雪がちらつく中、我が生徒館は2週間ぶりに活気を取り戻しました。 江田島青年も両腕に軽めの物を巻いただけですが、妙に肩がこるのは気のせいでしょうか。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−9(御用始) ありがとうございます。 後輩は全員、島に戻りましたか。 むか〜し、昔、戻らなかった輩もいたようですがホッと一安心ですね。 肩が凝るのはその全容を17Th Homeご覧の皆さんに見せないからではないでしょうか? こう書くと真っ先に動いてくれる人が江田島にはいるんですよね。 あんちゅうは知っています。 ”17Th Homeかくれファン” がひそかに狙いを定めはじめている事を・・・。 17Th Homeの要望は、仙人が贈った言葉 「青年よ!デジカメとパソコンを抱け」を忠実に実行する事です。 「江田島青年便りにはデジカメ便りも!!」 期待しています。



2003年1月6日(月) 17期 安中均より
件名 : 広瀬七英 メールアドレス公開のお知らせ
17期同期諸兄、おばんです。 正月ボケはしていませんか? この度、広瀬七英のメールアドレスが分かり、本人了解の下公開する事となりましたのでお知らせいたします。 彼は単身赴任で一週間に一度、金曜日にしかメールを見れないそうですが同期のコミュニケーションが広がりますように。 広瀬七英 ***@****



2003年1月6日(月) 17期 重永幸敏より
件名 : おはよう(^O^)
おはよう(^O^)元気ですか? 去年は、家族に不幸があり、新年のあいさつができなかったことをすいません。 また、体調こわして今、入院してます(;_;) 今年も、頑張りましょうp(^^)q 俺も、この障害に、負けないように、頑張りますp(^^)q
あんちゅうの返信メール 入院してるって? また、どうして? っと聞いたところでどうにもならないけど元気出して、しっかり節制して、早くじゃなくていいから一歩づつ 確実に乗り越えてください。 その後には また、嬉しい再会と楽しい食事が待ってるよ! ツラかったら17Th Homeにメールください。 17期の応援合戦がきっとあるはず。 ガンバッテ!! 今年も宜しく。
重永の返信メール おはよう(^O^) やっぱり横浜まで、通勤時間1時間40分は、歩き過ぎって先生に言われたよ(;_;) おまけに、手も、足も、腫れてるんだ。 この病気ってやっかいな障害だね(;_;) まぁ!もう一回じっくり、自分の体の検査をしてくるねp(^^)q
あんちゅうの返信メール 歩きすぎか〜。 確かに 通勤時間の1時間40分はツライね。 座っていても長い。 ましてや通勤電車となれば座れる事も少ないだろうしね。 よく頑張ったと思うよ。 「まぁ!もう一回じっくり、自分の体の検査をしてくるね」 を 聞いて、ちょっと安心。 あせらず ジーックリ行こう。
重永の返信メール ありがとう(^O^) 明日家族と先生と集まって、評価会議があるんだ。 これから、俺の病気に対してどうやって、対処していけばいいのかってね。 じゃ〜またね(^O^)



2003年1月5日(日) 17期 安中均より 17期 広瀬七英へのメール
件名 : 17期 安中 均 です。
明けましておめでとうございます。 年賀状、どうもありがとう。遅くなりましたが、明日、投函します。ごめん。 ところで、17期ホームページ ”17Th Home” の存在はご存知かと思います。 17Th Homeでは同期のアドレスを公開しています。 もし、よろしければ広瀬のアドレスも公開したいんですがよろしいでしょうか? よろしければ返信をお願い致します。 了解を得られれば広瀬にもみんなのアドレスを送りますのでよろしくお願い致します。 ところで、卒業以来ですね。あんちゅうはあるとき、Yahoo で 同期の名前を全て検索しました。 そこで広瀬の載っているページを見つけました。
http://www.kenkoushukan.net/jogging/part5_1/hayakawa902/ 間違いなくこのページに載っているのが本人でしょう? マラソンに頑張っているようですね。 これからもヨロシク!! 海上自衛隊少年術科学校 第17期生徒ホームページ管理人 安中均
広瀬七英の返信メール  メールありがとう。 単身赴任で1週間に1度しかメールを見ることができないが公開してください。 よろしくお願いします。 明日から出勤です。 ここから1番近い下関です。 毎週金曜日に見るようにしています。  広瀬



2003年1月5日(日) 17期 上田三佐夫より仙台 安部庄子様へのメール
件名 : どうかご心配なく
阿部君のお母上、どうかご心配なく、ここまで来たらまず1年は終わったも同然、1年経てば後輩も入ってきてなんか非常に楽になります。 1月、2月は厳冬訓練で朝も暗い内からカッター漕いだり(カッターのオールの先から滴る海水中の夜光虫がキラキラひかります。ファンタスティック!)走ったりで朝飯の旨いこと! 3月になると三寒四温でぽかぽか陽気の日も多くなり瀬戸内独特の麗らかな気候になります。 万が一阿部君が弱音を吐いたらこんな話をしてあげますのでおじさんになった先輩が身近にいることを教えてやってください。 17期uemisa105



2003年1月4日(土) 14期生 下條善磨先輩より
件名 : 新年のご挨拶
新年明けましておめでとうございます。 皆様お揃いで良い正月をお迎えのことと存じます。 徒然草に掲載されました安中家の周りの雪景色、朝日に輝く白銀の世界、清浄かつ叙情的な風景に旅情をかきたてられました。 東京地方も元旦と三日は雪が舞いましたが、積もるまでにはいたらず、雪見酒は叶いませんでした。 酒といえば飲酒運転。今回規制が厳しくなり運転手だけでなく同乗者も最高30万円の罰金、 お互いに気を付けましょう。 “ドウジョウするなら金をくれ” 本年も宜しくお願い致します。 14期水測 下條
あんちゅうの返信メール おめでとうございます。 この囲炉裏に炭を入れ火を起こし、鉄瓶の中に徳利を入れ燗をします。 赤いお膳に二品のつまみ。 漬物を欠かすわけにはいきません。 外を見れば雪。 これ、正統派の雪見酒。 「さあ、先輩、まあ 一杯!」 今年も17Th Homeをよろしくお願い致します。
下條先輩の返信メール 熾る炭火、釜にたぎる湯の音、獲れたての魚に、奥様自慢の郷土料理、そして白菜の漬物の歯ごたえを楽しんだあと、熱燗を飲み干す。  外はしんしん雪が舞う、旨い酒です。  すっかり酔ってしまいました。  ご馳走様です。 14期 水測 下條



2003年1月4日(土) 仙台 安部庄子様より
件名 : おめでとうございます。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。新年を迎えたと思ったらもう4日で 明日息子は江田島に戻ります・・・・と思います・・・夕方になっても 帰る準備をせず・・・・もうしばらく家での食事はできないと思い 肉やら刺身やらケーキやら・・・好きなものを並べてあげたくて準備をしていたら 「手伝う?」とやって来たので、 私が「明日帰るんでしょう?」と聞いたら 小さい声で「かえりたくないなー」でも 8時頃食事が終わったら ボチボチと・・・準備をしはじめました。(ほっ!)「戻ったら 厳冬訓練が辛いんだよねー」と言ってます。江田島に着いたらあきらめもつくんでしょうが もどるまでが嫌なんでしょうね。(あんちゅうさんも そういう時がありましたか?)でも またがんばってくれるでしょう。 前に 江田島青年からカッター競技の予定を知らせていただきましたが 今回はちょっと見合わせようと思います。17Th Homeの江田島青年便りを期待してます。清子さんはお元気ですか?今年もよろしく、とお伝えください。 ・・・・仙台 安部 庄子
あんちゅうの返信メール 明けましておめでとうございます。 御子息は江田島に帰られましたか? 私も帰省して江田島に戻る時はイヤでしたね〜。 キツい厳冬訓練は待っているし、厳しい先輩方はいるし。 4年生(14期生)が実習から戻って ”神様” になったのもこの時期。 貫禄があり、大人を感じたさせた ”神様” は 優しかったな〜。 カッター競技は短槽、遠槽とあって優勝するとこんなメダルをもらえましたが尻から手から血が吹き出ます。・・・正に、血と汗と涙の結晶です。 「勝って兜の緒を締めよ」の文字もいいでしょう? 御子息も頑張って櫂を漕ぐ事でしょう。 仙台と新潟から応援しましょう。 本年もよろしくお願い致します。



2003年1月4日(土) 17期 前畑啓二より
件名 : 田舎に帰ったニコラス
新年明けましておめでとう御座います。 2003年は群馬で迎えました。 2日には10cmの積雪になり、チェーンもスタッドレスもないニコラスにとって死活問題なので必死に雪かきをしました。 雪かきは2年前に大湊に[さわゆき]を取りに行った時以来でした。 新潟の加茂市ではいかかですか? 田舎では曾孫を見せることができて喜んでもらいました。 今年も17期ホームの管理大変と思いますが、健康に留意し頑張って下さい。
あんちゅうの返信メール おめでとうございます。 この時期、新潟県が快晴の時は、大概関東地方は天気が良くないし、新潟県に雪マークがついていると関東はお天気マークの日が多いようですね。 今日の新潟県加茂市はご覧の通り。 これが新潟県の普通の冬です。 17Th Homeは今年もニコラスの応援を得て頑張ります。 ヨロシク。



2003年1月3日(金) 17期 石塚一石より
件名 : 明けましておめでとう
謹賀新年  2003年 元旦  北陸地方は快晴の正月を迎えたようですね。 7年程金沢の方には帰省していませんが、HPのおかげで様子がわかりうれしく思っています。 今年は関東地方も例年より寒さが厳しく雪を見る機会がふえそうです。 本年も変わらずよろしく御願いします。  石塚一石
あんちゅうの返信メール おめでとうございます。 正月は快晴でしたが、今日はご覧の通り。 雪に埋もれている安中傳左衛門家の1630の風景です。 おお〜サブー!  厚木の同期・生徒・江田島情報待っています。 今年もヨロシク。



2003年1月1日(火) 17期 小池正行より
件名 : Re: 新年のご挨拶
明けましておめでとうございます。 今年も一年話題を提供しあいながら、17期のみんなと交流したいと思っています。 どうぞよろしくお願い致します。 さて、我が家では、昨年までと異なり、アーストラリアから留学生を迎えいれています。 16歳の女性で、私と同じ位の身長、ちょっと大きめです。 息子の高校と姉妹校なので受け入れたのですが、何しろ初めてのことなので、いろいろ途惑うこともありますが、結構楽しくやっています。 ただ、家の上さんが、この正月休暇中全部出勤なので、私の数少ない料理レパートリーを披露しなくてはなりません。 結構食べてくれるので安心ですが、お雑煮はだめでした。 英語は究極、単語だけで通じると思っていたので安易に考えていたのですが、やはり意思の疎通という点では、十分ではありません。 だんだん無口になっていく自分に気付きこのままではいけないと思っているんですが、いまさら付け焼刃的に勉強しても仕様もなく、あるがままで行こうと思っています。 年末から約3週間の滞在なので、少しでも楽しく、笑顔の出るホストファミリーとして出来るだけの事はやってあげたいと思っています。



2003年1月1日(火) 17期 野田達也より
件名 : Re: 新年のご挨拶
早速、新年の挨拶ありがとう。 去年、君が懐かしがりそうな音を取り込みましたので添付します。 ソフトが1分までしか対応していないため、1分ごとにおかしくなってしまいますがお許しを。 今年もよろしく!今年も頑張って下さい。 奥さんにもよろしく伝えて下さい。 野田



2003年1月1日(火) 17期 伊藤隆(水測)より
件名 : Re:
明けましておめでとうございます。 昨年一年間ご苦労様。 本年もよろしく。 そちらの正月はどうですか。 こちらは少し寒いですが、穏やかな一日です。 お互いに体に気を付けて、本年も頑張っていこう!  朝から曇っていたけど、やっと今お日さまが顔を出しました。



2003年1月1日(火) 17期 安中均より
件名 : 新年のご挨拶
明けましておめでとうございます。 あんちゅうの住む新潟県加茂市は素晴らしい青空で新年を迎えました。 31日の夜は、安中傳左衛門一家そろってとは行きませんでしたが毎年のごとくの妻の手料理で年越しのご馳走をいただきました。 こちらでは31日にご馳走をいただきます。 さて、2003年も皆様方のご協力をお願いしながら17Th Homeをより充実したものにし、同期17期はもとより 生徒・江田島をキーワードに関係諸氏のコミュニケーションを図って行きたいと思います。 昨年は江田島仙人より江田島の香りを逐次届けていただきましたが仙人、江田島を去る前にその術を弟子の江田島青年に伝授され、本人もやる気マンマンのメールが届いています。 また、全国各地に散らばっている同期からも逐次懐かしい顔ぶれを送っていただきましたが今年も昨年以上の話題の投稿をよろしくお願い致します。 同期だけでなく生徒・江田島に関係する事も今年は重ねてお願い致します。 先輩・後輩・関係諸氏におかれましても昨年以上の投稿やメールをよろしくお願い致します。 皆様方のメールでこの17Th Homeは成り立っています。 どんな小さな事でも送っていただき、皆様方のコミュニケーションが広がり、膨らみ、深まる事を祈念し、皆々様の2003年に幸多からん事をお祈りいたしまして17Th Homeのご挨拶といたします。 海上自衛隊少年術科学校 第17期生徒ホームページ 管理人 安中 均



2003年1月1日(火) 17期 上田三佐夫より
件名 : 今年もよろしく!
あけおめー。 こちらこそよろしく御願いします。 瀬戸内地方はカラッと晴れ上がり、清々しく気持ちの良い新年を迎えました。 健康に気を付けて今年も行き足のある17HPにしていきましょう。  ヨロピク 上田



2003年1月1日(火) 17期 黒木悦郎より
件名 : 新年
おめでとう。  今年もよろしくお願いします。 また、懐かしい写真があったら、ホームページへの掲載よろしく。  今年は1月から准尉講習に行って来ます。     黒木悦郎



2003年1月1日(水) 14期生 大湊井上先輩 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 謹賀新年
明けましておめでとうございます。このHPを教えてもらった事で、我同期のHPにたどり着き、これまで連絡が取れなかった同期と楽しく語らっております。 ありがとうございました。大湊は曇ですが、少し高くなった御来光を拝むことが出来ました。17期生徒の皆さんの益々の活躍と健康を祈念します。



2003年1月1日(火) 17期 吉原英夫より
件名 : 年賀
謹賀新年 新春を迎え皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。 今年はいろいろな意味で時代が変わる年になるかもしれません。 お互い悔いの残らない一年にしたいものです。 本年もよろしくお願い致します。 平成15年元旦 吉原英夫



2003年1月1日(火) 17期 竹原堅一より
件名 : 新年のご挨拶
あけまして おめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。 さっそくのメールありがとうございます! でも 携帯なので、途中でおわってます。 いまから、初詣にいってきます。 かあちゃんと 2人で、 仲良く! 宮崎から父、母が佐世保にきたので、忙しいのです。  今年もがんばろう。



2003年1月1日(火) 14期生 谷川憲一先輩より
件名 : 謹賀新年
あけましておめでとうございます。本年も相変わらず宜しくお願いいたします。



2003年1月1日(火) 17期 臼井幸一より
件名 : なし
A,HAPPY,NEW,YEAR!



2003年1月1日(火) 江田島青年より
件名 : 新年のご挨拶
新年明けましておめでとうございます。 旧年中はお世話になりました。 本年もよろしくご指導お願いします。 平成15年元旦 江田島青年・直美
昨年は、色々ありまして「江田島青年便り」が、なかなかうまく出来ませんでしたが、今年は頑張ります。引き続きご声援宜しく。 2003年も17th HPの益々のご発展を祈ると共に、「江田島青年便り」どんどん行きたいと思っております。




17Th Home 徒然草 2002年12月



2002年12月31日(火) 17期安中 均より
件名 :
2002年もあとわずかで終わろうとしています。 今年も 海上自衛隊少年術科学校 第17期ホームページを支えていただき誠にありがとうございました。 この一年を振り返って見ますと、今年も正に、皆さんの支え無しでは成り立たなかった17Th Homeであります。 高杉、24期、安部さん、あんちゅうの江田島訪問、仙人の退官等、多くの方々によって充実した17Th Homeを更新してこられました。 同期、先輩、後輩・・江田島に関係した人々に感謝申し上げます。 2003年も皆さんのご協力をいただきながら17期は無論のこと、生徒・江田島をキーワードに17Th Homeを創っていきたいと考えています。 今年のご協力に感謝すると共に来年もどうぞよろしくお願い致します。    海上自衛隊少年術科学校 第17期ホームページ 管理人 安中 均



2002年12月31日(火) 仙台 安部庄子様より
件名 : ありがとうございました
あと1時間ちょっとで今年も終わろうとしていますが お元気ですか? 今、ちょっと外へ出てみたら仙台はすごい星空で、見上げていたら星が降ってきそうでした。 そちらはいかがですか? 今年はあんちゅうさんや 17Th Homeの皆様に本当にお世話になりました。 息子のおかげで 行ったことのない広島にも行けたし、 心配と不安で泪したこともありましたが17Th Homeを介していろんな方の思いやりにふれることができ 感謝してます。 仙人にもいろいろとお世話になりました。来年も17Th Homeの皆様にとって よい年でありますように・・・・・仙台  安部 庄子
あんちゅうの返信メール 明けましておめでとうございます。 昨年は何かとお世話になりありがとうございました。 仙人は江田島を去りましたが、 ”江田島青年” という 立派な弟子を置いていかれました。 この弟子、最初はちょっと心配でしたが12月に入ってからは仙人の教えを少しづつマスターしはじめ、弟子本人の努力もあって立派に便りを届けられるようになりました。 17Th Home、2003年は同期17期はもちろんの事、生徒・江田島をキーワードに掲げHPを創っていきたいと考えています。 ”江田島青年” は、生徒時代、聰明な生徒でしたし、今もそうです。 今年の17Th Homeの目標を十二分に理解して17Th Homeでは無くてはならない”江田島青年便り” を 江田島の香りと共に届けてくれる事と思います。 ・・・期待できます。 本年もどうぞよろしくお願い致します。



2002年12月31日(火) 17期伊藤 隆(電子)17Th Home掲示板投稿より
件名 : 明けましておめでとう
17期の皆さん、明けましておめでとうございます。皆様の健康と幸多き年であることお祈りもい仕上げます。旧年同様、皆様のご協力を宜しくお願い申し上げます。自衛隊東京地方連絡江東出張所勤務を命ぜられ、半年が過ぎようとしています。何とか無事の半年でしたが、今一番の問題は、海上自衛隊の人気がないことだと思います。機会ある事に海上自衛隊をPRしているのですが、知恵がまわりません。同期一同の知恵と行動力を拝借して、海上自衛隊の入隊希望者を一人でも多く獲得する方策を考えたいと思います。是非とも同期の一同の知恵と行動力のお力添えをお願いいたします。2002年にこのメッセージを見た方は、2003年の時報とともにもう一度ごらん頂ければと思います。



2002年12月31日(火) 17期藤原和郎より
件名 :
今年は17期HPを見だしたおかげで長い間会ってなかった友達と会えたり、連絡が取れたり、仙人を囲む会にも最後に出席でき良い一年でした。 来年もみんな良い年でありますように。



2002年12月31日(火) 仙人より
件名 : 来年も宜しく
17th Homeのお陰で充実した江田島仙人生活ができました。これもひとえに長福寺殿一家の、多忙な中での並々ならぬご尽力と、生徒諸兄のご支援の賜と、心から感謝申し上げます。来年も宜しくお願い申し上げます。良い年をお迎え下さい。  仙人



2002年12月30日(月) 17期鎌田恒之より
件名 : Re: Merry Christmas!!
ご無沙汰しております。 年の瀬も押し迫って忙しいとは思いますが17期の名簿(住所録)が無いのでお手数ですが住所録一覧をメールで送ってほしいのですがよろしくお願いします。
あんちゅうの返信メール 久しぶりです。 住所録ですが 春まで何回か出していた”ゆびとま”ハガキの住所録が最新版だったんですが”ゆびとま”が無料のハガキを休止した時、最新版住所録をダウンロードする事を忘れていて現在、あんちゅうの手元にあるものを送ります。 これで全ての同期に着くかどうかは定かではありません。 あしからず。 2002年投稿4分前!! あんちゅう
鎌田の返信メール 住所録やっとプリントアウトし終わりました、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。よいお年を〜〜〜Bye ((ヾ( ^-^)ゞ Byeー♪by娘



2002年12月30日(月) 17期臼井幸一より
件名 : 2002年
激動の2001:2002が過ぎる二年ぶりの正月を迎える準備中酒の用意もととのった。おんながいない!
あんちゅうの返信メール 今、選りすぐりの新潟もち肌美人を3人ほど佐世保に送った。今しばらく待て!あんちゅう、これより風呂に入る。倅も大掃除せねばならぬ。



2002年12月30日(月) 17期竹原堅一より
件名 : 2002年
皆さん、今年もご苦労様、 みんなも忘れられない年でしたね。 佐世保は、いろいろみんなに心配かけて、ごめんね。 来年は、楽しい話をいっぱい、教えてあげます! わたしも、来年は、江田島にでも、いこうかなー? 以上  たっけはらより 追伸: 江田島青年がめでたく、 准尉に、なられました。 みんな、祝ってください!
あんちゅうの返信メール 明けましておめでとうございます。 江田島青年は何処かの誰かに 「来年は、年男です。飛躍の年にしたいと思いますが、悲しいことに准尉が来てしまいました。ナンマイダ ナンマイダ・・・  ご愁傷様です。」などと書いていたらしいです。 先程届いた年賀状には 「1月1日付ついに年貢を納めることになり 細い線をまきます。」などと書いてありました。 ・・・・ナンマイダ ナンマイダ・・・ 2003年もよろしくお願い致します。



2002年12月30日(月) 17期竹下和哉より
件名 : 2002年
2002年は、私にとってひとつの転機の年でもありました。 准尉に昇任し、航空部隊から初めて艦艇部隊の中枢でもある横須賀地方総監部への転勤で、何もかもがはじめての経験で一時期、38℃の知恵熱を出して寝込んだこともあります。 でも、嬉しかったのは、もし、ここに転勤しなければ、35周年まで会えなかったかもしれない「ニコラスケージ」「ポンポコ奥山」「鹿野」「佐藤寿」はじめ横須賀に勤務している多くの同期に数十年ぶりに会えたことです。 髪は薄くなったり、白くなったりしてますが、やっぱり昔の(16、17歳頃)の面影は今でもしっかり残っていて、会った瞬間に名前が浮かびました。(同期以外は、物忘れがひどくて) やっぱり、あの時代の記憶って、なかなか消えないものなのだと自分ながら感心しています。 ちなみに、来年1月17日、十数年ぶりに横須賀同期会と称して、「勝山分隊長」をお迎えして新年会を催す予定です。 いいスナップが取れたら投稿させていただきます。 なお、遅れましたが、17期HPによって、多くの同期が心をひとつに出来る幸せを今後も続けられるよう、管理人である安中には大変だとは思いますが、健康に注意して頑張ってほしいと思っております。 PS 私の得意技であるパソコンの画像ソフトを使った似顔絵を来年はデビューさせたいと考えてます。うまく個性を表現で切るかどうかわかりませんが、1ヶ月一人を目標に同期の似顔絵を展示させたいなーなんて考えてます。 それで、お願いですが、同期の追憶アルバムのCD版をメールで送ってください。多少重くても当方ADSLなので、問題ありませんのでよろしくお願いします。 年末に無理言ってすいまそん。 PS×2 平井分隊長からお礼のメールいただきました。 ありがとうございました。 これからも17期HPを通じコミュニケーションを、素晴らしい訓育をお願いいたします。 以上、年末で酔ってしまったバンブーでした。 
あんちゅうの返信メール 明けましておめでとうございます。 卒業アルバム ”追憶” CD版そのものを郵送いたします。 あんちゅうの通信環境がフレッツ・ISDNですのでとても200M近いファイルを添付する事が出来ませんので。 ADSL は 思うようなスピードが出ず導入にはいま少しの時間が必要です。 いかに田舎に住んでいるかと言う事の証でもあります。 2003年は ”横須賀徒然草” の積極的な取材と投稿を任務の1つとして与えますのでよろしくお願い致します。



2002年12月30日(月) 17期安中 均より17期へ
件名 : なし
2002年 投稿 5分前!!



2002年12月29日(日) 17期上田三佐夫より
件名 : Re: 12月のご挨拶
ご無沙汰しています。 師走とはよく言ったもので悟りを開いた師でも走り出すほど慌ただしく過ぎましたね。 私の今年1年を振り返ると、艦を降りて新配置で冷や汗をかきながら「何じゃこりゃ?」とか「どうすりゃいいのこれ?」といった感じのアッという間の1年でありました。 高杉君が亡くなるという悲しい出来事もありましたが、このHPを通じて同期が何十年ぶりの再会を果たしたり、メール上で語り合って一致団結出来たことは大変嬉しく思うとともに、安中君の功績に深く感謝致します。 そして末永くこの17HPが我々の心の礎となるように同期、恩師、諸先輩、後輩、17HPに関わるすべての皆様来年もよろしく御願いします。 そう言えば来年は歳男ですね・・・。 上田
あんちゅうの返信メール 2002年、職場が変わり大変なところ、17Th Homeを支えていただき誠にありがとうございました。 「安中君の功績・・」などはほんの数パーセントに過ぎません。 これをご覧いただいている皆様のメールによってこの17Th Homeは成り立っています。 「安中君の功績」は、同期、恩師、諸先輩、後輩からのメールをチョコチョコっといたずらし、記録に残し、ジイさんになってからの楽しみを溜めている事だけです。 「安中君」に功徳があるとすれば来年の歳男を迎えてから更にあと2回の歳男を迎えなければなりません。 ・・72歳?? ウヒェー!! 一緒に頑張れる?上三佐クン。 じゃなかった ガンバロウ! ケビン・コスイナー よいお年を。



2002年12月29日(日) 14期生下條善磨先輩より
件名 : 今年もお世話になりました。
楽しいChristmas Mail 有難うございました。 24日は奥様との出会いの日、 安中生徒にとりましては幸福の始まりの日、そして奥様に取りましては・・の始まり、(伏字の内容は勝手に斟酌させていただきます) ただ、28年前というと多分 部隊実習の頃、 部隊実習の目的は江田島卒業後、部隊及び実社会に適応する為の体験教育、安中生徒はその目的を充分 理解され,かつ広範囲に実践されたご様子。 まさに模範的生徒と云えましょう。 さてこの場を借りまして一言お礼を申し上げさせていただきます。 本年 貴殿のH/Pを通じ、江田島仙人の知遇を得ることが出来、又 多数の 同期、後輩達と久闊を叙することができました。 これもひとえに貴殿 及び奥様のお陰と感謝しております。 末筆になりましたが、17期生H/Pの更なる発展、江田島生徒及びOBの活躍、そして安中家の皆様のご健康を祈念致しまして年末のご挨拶にかえさせていただきます。 14期水測  下條
あんちゅうの返信メール 2002年、何かと17Th Homeにご協力いただき誠にありがとうございました。 最初はいつかとメールのログを見てみましたら3月23日でしたね。 15期生の福島先輩からこの17Th Homeの存在を知ったとか。 番上の連絡先を訪ねる文面でした。 その後の先輩のウイットにとんだメールはさすがに ”神様” ならではのもの。 ありがとうございました。 2003年は、我17期はもとより、生徒、江田島をキーワードに17Th Homeを創っていきます。 今まで以上の ”善磨人語” 楽しみにしております。 よいお年を。



2002年12月28日(土) 仙人より
件名 : 記念品御礼
1 仙人も人の子、鹿屋で墓参り、親孝行をして、金沢に帰って参りました。一週間の帰省は少年術科学校勤務以来でした。その間、メールも留守しました。ごめんなさい。
2 帰省の途次、12月11日呉に行き、掃海母艦であった「はやせ」の自衛艦旗返納の儀式、いわゆる除籍にOBとして立ち会いました。第一掃海隊群旗艦として最後に乗艦したことや仙人と同じ定年月であったことなどもあり、感無量でした。
3 翌12日に、呉・江田島地区の生徒17、18、19期の有志と石橋、高松教官に盛大な「追い出し会」をして頂きました。誠に有り難うございました。そして、その席で、生徒17、18期生ご一同様から素晴らしい退官の「記念額」を賜りました。誠に光栄であり、心から皆様に御礼申し上げます。最後になって恐縮ですが、高橋、上田両君の奥様にもご参加を賜り、身に余る追い出し会にして頂き、重ねて深謝申し上げます。なお、余談ですが、その席で、生徒制度廃止の件が、白紙に戻ったことを報告できたましたことは、痛快でした。
4 江田島仙人の後は、江田島青年が見事に継いでくれており、同慶の至りです。「青年よ!デジカメとパソコンを抱け」
5 多くの生徒諸兄から、退官に際し、慰労の言葉を賜りました。衷心から御礼申し上げます。皆様のますますの武運・商運・家内安全長久をお祈り申し上げ、御礼の挨拶にさせて頂きます。
6 皆様、良い年を迎え下さい。         土日と平日の区別がつかなくなった仙人より
あんちゅうの返信メール 土日と平日の区別がつかなくなった仙人、故郷訪問お疲れ様でした。 生徒制度廃止の件が白紙に戻ったと聞き、一安心いたしております。 巷ではいろいろなところでいろいろな話が右往左往していたようですが仙人の口から出たところに間違いのない確かな情報との確信をいたしました。 17Th Homeでは巷の噂に惑わされる事なく、意志をもって流していましたが心配であった事は事実です。 2002年、仙人にとりましては大きな変化の一年であった事と思いますが仙人の経験と卓越した術を使い、2003年以降も変わる事無く、まだまだ修行が足りない17Th Homeと17期、生徒、江田島に仙人の術の伝授をよろしくお願い致します。 よいお年を。



2002年12月27日(金) 17期 前畑啓二より
件名 : ニコラス ケイジの一年を振り返って
3月に先任伍長になり、いきなり艦を束ねる難しさを知って落ち込みかけてた処17期ホームページを知った。 最初に開いて高杉の悲報(11月に線香をあげた)悲しかった。 2度のホストシップ(アイルランド、ドイツ)7回の広報、3週間の監視、国際観艦式参加、1ヶ月の11月行動と大変忙しく北は稚内、南は鹿児島、佐世保とあっとゆうまに過ぎてしまいました。 仙台行動前には行方不明になり捜索隊騒ぎになってしまい迷惑をかけました。 総括しますと9月に孫ができ平穏な1年だったと思います。 来年4月からは先任伍長制度が新しく発足します。 海上自衛隊も今変わろうとしています。 現役の先任伍長でいられる事に感謝し来年も頑張ろうと思います。 30日から田舎の安中へ帰ります。 17期に幸多かれ。 良いお年をお迎え下さい。
あんちゅうの返信メール ニコラス ケイジ先任伍長殿! 2002年、ご苦労様でした。 そしてありがとうございました。 伍長殿の行方不明のときの同期の反応の素晴らしさ。 あれではどんなところにひそんでいても捜索隊に発見されてしまいますね。 安部さんにも喜んでもらえてよかったです、先任伍長殿! もう1つ伍長殿の忘れられない2002年の1ページがあります。 たっけはら伍長との先任伍長勝負、残念ながらと言った方がいいのかどうなのか?? あの写真を送ってくれた勇気に感動と恐怖を同時に感じました、 伍長殿! 暮は田舎の安中に帰られるとか。安中の田舎もいいですよ、伍長殿! 17Th Homeへのご協力に感謝申し上げると共に2003年、無事の帰艦をお祈り申し上げます。 ニコラス ケイジ先任伍長殿!!



2002年12月25日(水) 24期平 まりおより
件名 : Re: Merry Christmas!!
安中 先輩 クリスマスのほほえましいお話ありがとうございます。 しかも、ちゃんと オチがありましたね。 我家は子供が4人いますが、下の子2人はまだ、サンタさんを信じています。 朝、プレゼントを見つけたときのキラキラとした子供たちの顔がたまらんですよね。 今日 関東地区生徒OB会の案内のはがきがきました。 今年は22期生が幹事で3月15日 横浜でやるそうです。
あんちゅうの返信メール あの話は、ある友人より個人的にいただいた文面なんですがあまりにもいい話なので 一人じめにしておくのはもったいなくて知り会いの方に送りました。 サンタさんを信じてくれる子供のいるうちが親も楽しめる事を肝に命じ、せっせとプレゼントを運んでやってください。 高杉の訃報に関しましては、平生徒を仲介に24期の方々より様々な激励や追悼文を送ってくれて有難うございました。 こんなことでしかつながらない事が残念至極ではありましたが答えてくれた後輩に感謝を申し上げます。 17期ホームは、同期17期と生徒・江田島をキーワードに2003年は頑張ります。 御期の本年のご協力に感謝しつつ、御期皆様の発展をお祈り申し上げます。



2002年12月25日(水) 14期生関 洋三先輩より
件名 : Re: Merry Christmas!!
毎年 暮れになると 子どものプレゼントに 頭を悩ましていたのが 懐かしく感じられます ありがとう Good job



2002年12月25日(水) 17期安中 均の幼なじみ Burgess Yoko より
件名 : Re: Merry Christmas to you too!
Hello, Hisasiburi desu. e-mail o dasoukana to omotte itatokoro, saki o kosarete simatta. Suteki na Christmas no story o okutte kurete arigatou. Hitoshi-kun no uchi wa Christmas wa dou yatte sugosuno? Nani ka tokubetsu no koto yaruno kana? Watashi tachi no chiisa katta koro betsu ni nani mo yarana katta desyou? Demo kitto Nihon no syuukan mo daibu kawatta koto de syou ne. Kotti ni kite 20 nen sugirukedo imada ni Christmas to ittemo nanka katachi dake to itta kanji. Kodomo tachi ga chiisakatta toki wa netsu mo irete ita kedo. mou 17 to 13, kanari te o nuite imasu. Tukuzuku omou koto wa Christmas wa okane no kakaru gyouji desu. Mattaku yume no nai watashi desu.
Kodomo tachi wa fuyuyasumi ni hairi mashita. Jessica wa arubaito de gift shop de hataraite imasu. Ichiban isogashii jiki desu. Krissy wa hitori taikutsu shite imasu. Watashi mo kodomo tachi douyou 2 syuukan no fuyuyasumi ------banzaaai!
Hitoshi-kun, mata nomu kikai no ooi nenmatsu nenshi no kototo omoimasu. Gokurou san desu. DON'T DRINK TOO MUCH. YOU ARE NOT THAT YOUNG ANYMORE. (Kore kurai no eigo imada ni oboete iru ?) Kazoku no minasama ni yoroshiku. Merry Christmas and Happy new year!!! Yoko
あんちゅうの返信メール 長福寺は平穏な暮を迎えています。 我家のクリスマスはなーんにもありません。 たしかに子供の小さい時はそれなりに親も楽しんでいましたが、大きくなった今、実につまらないクリスマスを過ごしました。 そんな12月24日ですが、均君と妻の清子にとっては記念すべき日なんです。 初デートの日です。 胸をときめかして行ったかどうか?疑問符が必要になるんですが・・・ ところで、英語のお勉強ですが、DON'T DRINK TOO MUCH. あ〜んまりいっぱい呑んじゃだめよ。 YOU ARE NOT THAT YOUNG ANYMORE もう、若くないんだから。これでいいのでしょうか? 正解であれば ♪♪ わかっちゃいるけどやめられない♪ ってところです。 近くにいい先輩方がたくさんいますからと言う ”いいわけ” も必要かもしれません。 今朝、ゴミだしに行ったついでに撮った写真を添付します。 だんな様と綺麗なお嬢さん、JessicaとKrissyにヨロシク! 良いお年を。



2002年12月24日(火) 14期生谷川憲一先輩より
件名 : Re:Merry Christmas!!
いい話だ!子供の頃、サンタさんからのプレゼントは本当に嬉しいものだった。貧しい島の百姓の家のそれは今考えると本当に貧しい物だった。しかし、嬉しかったなー!でも、どうしてあの当時、仏教の家にそんな習慣があったんだろう? 明日、五島のお母さんサンタにありがとうの電話をしよう。 文子とはだれか?
あんちゅうの返信メール さすが、さすがに谷憲先輩、あんちゅうのメールを見ないうちにメールが届きました。文子とは? あんちゅうもよくわからない人ですが・・・。谷憲の返信メール ****** あんちゅうの返信メール ****** 谷憲の返信メール **** ・・・・続きました。



2002年12月24日(火) 17期安中 均より
件名 : Merry Christmas!!
・・っと、ある友人より 以下の話が届きました。
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アメリカに住んでいた頃 Los Angels 近郊の我家には暖炉がありました。毎年、クリスマスが近づくとクリスマスツリーを暖炉の側に立て,その下にクリスマスのプレゼントを置きクリスマスの朝、皆でプレゼントを交換するというのがアメリカの風習と共に我家の習慣でもありました。 我家ではクリスマスの前夜、子供たちが寝静まった後、私が綿と白い粉を使いサンタクロースの足跡を作り暖炉から子供たちの部屋、そして暖炉までと置いておきました。 クリスマスの朝、目を覚ました子供たちがサンタの足跡を見つけ"サンタさんが来たんだ" と喜んでいました。  娘が小学校2年の時、日本へ帰ってきました。 その年のクリスマス、娘が、心配そうに "お父さん、日本に来てもサンタさんが来るのかしら ?" 私は "大丈夫だよ、良い子にしていればきっとサンタさんは来てくれるよ"クリスマスの前夜、日本の自宅には暖炉がないので二階の窓から子供達の部屋までサンタの足跡を作りました。 翌朝、子供達が足跡を見つけ、"サンタさんが日本にも来たんだ"と 喜ぶさまを見て妻と微笑を交わしました。 そしてそれが習慣化し数年経ったクリスマスの朝、小学校5年生になった娘がサンタの足跡を指しながら云いました。" お父さん、私、日本に帰ってきた年、サンタさんが一晩のうちに日本とアメリカの子供達にプレゼントを配れるか不思議だったの。"悪戯っ子のように目をくりくりさせながら娘は続けました。"今から思うと私も子供だったわね. "私は妻を見ました、 妻はいつものように微笑んでいました、 その微笑みは私に "あなた、子供は皆成長して行くのですよ" と語りかけていました。 窓の外から初冬の朝の澄んだ柔らかい陽射しが部屋に差し込んでいました。 そうか、この子はもうサンタクロースを信じない年代に成長したんだ。 子供の成長の喜びそして一抹の寂しさを感じながら、幼児から少女へと成長した娘に眩しいような思いで尋ねました。 "もう、サンタさんが日本とアメリカに来ること不思議に思わないのか ?"娘は笑いながら答えました。 "お父さん、日本とアメリカでは時差があるのよ。だからサンタさん両方来れるのよ." 。。。。。。
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2002年12月24日(火) 17期伊藤 隆(水測)より
件名 : Fw:
今年一年ご苦労様でした。
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 2002  Merry Christmas!!  
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|  田  |  田  |   ̄‖ ̄ ‖  ̄ ( : )
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                    来年も頑張ろう。



2002年12月22日(日) 17期江田俊弘より
件名 : アドレスが変わりました。
アドレスが変わりました。江田俊弘のメールアドレスを ***@**** に変えてください。よろしくお願いします。
あんちゅうの転送メール ご無沙汰いたしました。 江田俊弘からアドレスの変更案内が届いています。 各自のアドレス帳の変更をお願い致します。



2002年12月22日(日) 17期黒木悦郎より
件名 : 鹿児島試験所
久しぶりに国分で長倉と酒(焼酎)を酌み交わすことができました。ちょっと飲み過ぎて、翌日の研修に若干残っていましたが、充実した研修となりました。今回は、カメラを忘れたので、次からは忘れないようにしたいと思います。黒木悦郎



2002年12月20日(金) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−9(生徒休暇出発)
 生徒が待ちに待った2週間の冬休暇を出発しました。 そして我々教官連中も2週間の冬休暇に(ただし、期間中1回当直あり。)出発します。 と言う事は、「江田島青年便り」も2週間休刊となります。 「江田島仙人」から申し次を受け約半月、今だ未熟のままですが休刊中を利用しまして構成を創めパソコン技術を演錬し、来年度は1月6日から新規一転ニュウバァージョンで登場する予定です請うご期待を。  ところで「江田島青年」広場の年初めは江田島青年自ら祝うため、元旦は広場の守りに入ります。 生徒の休暇出発風景を添付しました。 生徒のニヤケタ顔を見てやってください。 「江田島仙人便り」同様、「江田島青年便り」をご声援頂有難うございました。 来年は、益々のご声援宜しくお願い申し上げます。



2002年12月17日(火) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−8(臼井in呉)
我が青春広場(今後「仙人の棲家」から「青春広場」に変身仕様と思いますが如何。)では、冬休暇を1週間後に控え生徒達は勉学及びクラブ活動に今ひとつ身が入らない日々(特に3年生)を過ごしているように感じているしだいです。 思えば俺たちもそうであったかなと思っています。  しかし、流石艦隊は違います。 15日夕刻「訓練の2群」が訓練の為、青春広場の江田内に入港して来ました。  早速、臼井先任伍長を我が豪邸に拉致し一献交わしました。 俺は練習の為1900過ぎに帰宅しましたが、臼井は昼から呉に所要が在ったらしく1800頃には我が家で風呂に入り、俺が帰った時にはすでに「すき焼き」で少し出来上がっていました。(尚、俺の妻は面食いなのでアンチュウ心配の要なし。)  予定者課程の池田と当房に連絡が取れなかったのですが、当房とは入港した日「カンポ能美の宿」で偶然風呂場で裸の再会をしたそうです。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−8(臼井in呉) ありがとうございます。 冬休暇。待ち遠しかった事を思い出せればいいのですが記憶力の希薄なあんちゅうはじれったい思いをしています。 2年、3年と冬休暇は全く思い出せませんが不思議と一年の時はハッキリと思い出されます。 それは、ある一枚の写真があるからですが、あんちゅうの青春の想い出として取っておきましょう。  12月6日付けの海上自衛隊新聞に生徒の記事が2件載っていましたね。 1練隊に48期生徒が乗艦実習しハイライン移乗も体験した事。 もう一件は江田島宮ノ原にある老人ホームで47期、48期の有志と分隊職員がボランティア活動をした事。 高校生では体験できない行事や地域活動を通して江田島教育の真髄にいる現役生徒達をこれからも宜しくご指導ください。  さて、”ひょっこり臼井”は呉に現れましたか。 江田島青年の今日のメールでなぜして ”ひょっこり臼井” なのかの一端がわかりました。 「訓練の2群」に身を置けばこそのその行動だったのですね。  家主がいない御殿で風呂に入り、「すき焼き」でほぼ、出来上がっていた事はっま、普通の人には考えられない事でしょうが、同期であればこそ、17期であればこそ、臼井であればこそ、良彦であればこそ、 ・・いえいえ、あんちゅうは賢妻「直美」さんであればこその事だと確信をもって言えます。 江田島青年と我々は、そこのところに深〜く想いをめぐらせなければなりません。  わかってる?・・ 同期諸君。



2002年12月14日(土) 17期安中 均より
件名 : 黒木悦郎アドレス変更のご案内
黒木悦郎のアドレスが変更になりましたので ”CC” で送ります。 また、いつの頃からか源口健二にメールが届かなくなりとりあえず削除をしてあります。 更に、伊藤隆(水測)のアドレスが追加されていますがこちらでも見れるそうですので緊急時にはどうぞご利用ください。 宜しくお願い致します。 各自、アドレス帳の変更をお願いします。  黒木悦郎 新アドレス **@****  伊藤 隆(水測) 追加アドレス **@****  あんちゅう



2002年12月14日(土) 17期黒木悦郎より
件名 : アドレス変更
メールアドレスを変更しました。 次からは、下記のアドレスでお願いします。 12月18日に鹿児島の試験所へ行って来ます。 飲むことはできないけど、ちょっとは長倉と話ができるかも。 それから、安中が知ってるメーリングリストをこのアドレスに送って下さい。  黒木悦郎  **@****
あんちゅうの返信メール アドレスの変更案内は同期に”CC”で送りましたがあれでよろしかったでしょうか? 呉ではお世話になりました。 「あんちゅうの呉・江田島訪問記」にも黒木とのツーショットを掲載しましたがこのメールに他の写真も添付します。  体の調子はいかがですか? 食べています? あまり無理しないように。  鹿児島試験所では長倉と会えるといいですね。 鹿児島特派員報告、待っています。



2002年12月14日(土) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−7(仙人を囲む会)
「仙人」を囲む会を、12月12日(木)呉一番のホテル「阪急ホテル」5F桜の間において賑々しく盛大に挙行されました。 今回は出航等業務多忙の中、江田島の17期HPの隠れファンをはじめ呉・江田島地区の17期・18期・19期の現役・OB、三佐夫の良妻、我が賢妻そして特別ゲストとして「前30サンチ後ろ15サンチ」の石橋教官、「ラグビーの鬼コーチ」こと高松班長にご参加していただき総勢18名のご参加を戴きました。  会は、仙人の経歴の紹介(江田島青年担当)から始まり乾杯(高松班長)、祝電(阪神警備科長 小松3佐等)、記念品の贈呈(前回紹介した額及び呉・江田島地区有志の寄せ書き)そして花束贈呈とすすみ、仙人の元気の源「清酒」の差し入れもあり(仙人が独り占めしていました。)終始楽しく昔話に花が咲き2時間があっと言う間に過ぎてしまい最後に皆で記念撮影で終了しました。  また今回、全国各地から志、仙台の安部のお母様から清酒(一の蔵)そして空のドライバー木村から清酒(17期HPの賞品「八海山」)を頂き有難うございました。 厚く御礼申し上げます。 二次会は、クラブ「みなみ」で実施し、仙人の忍術の歌、めったに聞けないカバのお経などで益々盛り上がり、24時前に別れを惜しみつつ閉会となりました。  今後、仙人は東京(駅前)さで第2の人生を歩まれるそうです。 仕事等で上京する機会があれば是非訪ねてください。
あんちゅうの返信メール 江田島青年便り14−7(仙人を囲む会)ありがとうございます。 仙人も制服を脱いだら和らいだ表情に見えますね〜。 ・・いいですね〜。 東京さ、お〜っかね人もいるらしいですが江田島で鍛えられた仙人術を使い健康に留意され元気で頑張っていただきたいと思います。 新潟は、東京さ近いからいづれ拉致したいと思っています。  12日の2252にあんちゅう宅にヨッパライ仙人より嬉しい電話がありました。 「あんちゅうか?ちょっとまて」と一言言って代わられたのが高松班長でした。 江田島青年記載の通り「ラグビーの鬼コーチ」です。 突然、体に高松コーチがラグビーボールを持って当たってきた感触がよみがえり高松さんのガッチリとした体を受けた衝撃が・・・・ めったに誉めなかったけどいいプレーをしたときは誉めてくれてそれが4年間ラグビーを続けられた1つの要因であったと卒業数年後に感じた事も思い出されました。 写真を見るとお変わりなく石橋教官と同じように色が白くなり当時のニキビ顔もスッキリ。 35周年には会えるでしょうか?   「仙人」を囲む会に参加していただいた皆さんと参加したくてもできなかった皆さん、仙人の前途にカンパーイ!! ゴクッ、ゴクッ プハー!



2002年12月14日(土) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 12月のご挨拶
ご無沙汰しておりますが、お元気ですか? 12日(木)17,18,19期で平井さんを囲む会を行いました。 来賓として当時陸警教官の石橋さん、19期班長であった8期生の高松さんをお呼びして椛島君と高橋君の名司会で平井さんのこれまでのご苦労を労うとともに終始和やかに歓談しました。 その様子を添付します。 ではまた


2002年12月11日(水) 17期江田俊弘より
件名 : 臨時勤務
お元気でお過ごしのことと拝察します。  さて、この度イージス艦ががインド洋方面に派遣されることになったことはご存知のことと思います。 私も洋上で訓練中にこのニュースを聞きやっと、イージス艦の派遣が決定されたと喜びつつも、派遣される艦は「きりしま」か「こんごう」か?いずれにせよ短期間で準備をすることになり大変だろうなと思っていたところ、「きりしま」に決定したとのニュースを聞き、ワッチに入ったところで急遽私に「きりしま」臨時勤務(砲術長)の話が飛び込んできました。 行くことについては希望しておりましたので特に依存はないのですがあまりに突然であり準備もなく、家族の反応も気にかかったのですが、既に近所に住んでる海上自衛官の家族間では派遣は当たり前のことで妻も子供たちも驚く様子もなく私のほうが拍子抜けするほどでした。 また洋上で訓練中であったことから移動の心配をしたのですが身の回りのものだけ持って「ちょうかい」からヘリコプターで退艦して一足先に分離して佐世保に寄港する僚艦に移って先ほど佐世保に入港しました。 退艦時には、航海中にもかかわらず総員集合での紹介と折からの台風でヘリコプターが降りられるかどうかギリギリの天候状況でしたが手空き総員上甲板で水しぶきをかぶりながらの見送りをしていただきました。 よもやこのような形で退艦の日を迎えるとは想像もしていませんでした。 家に帰っての派遣準備もそこそこに横須賀に移動して「きりしま」に乗り組み出港します。 ニュースで「きりしま」を見ましたら私も乗っているものと思ってください。 比較的短期間の派遣になると聞いては居ますが、任務を完遂し無事帰国することを目標に勤務するつもりです。 ということで今年は暑い冬を迎えることになります。  寒い日本に残る皆様におかれましては健康に留意され益々のご活躍を祈っています。 14.12.11 江田 俊弘
あんちゅうの返信メール メール、ありがとうございます。 いやー、臨時勤務でインド洋派遣ですか?ビックリですね。 12月10日付の地元紙、新潟日報の社会面に「戦闘指揮所スタンバイ・イージス艦内部を公開」の記事と戦闘指揮所の写真が載っていて、記事の中で「艦上では今月中旬の出航に向け、物資の積み込み作業や機器などの調整作業が急ピッチで進む。」などと記されています。 あわただしさが伝わってくる退艦時の様子ですが、ご家族にとっては平静を装って江田に心配をかけまいとしている様子がわかるような気がします。 生半可な暑さじゃないようなテレビ報道を見たことがありますが、体調には十分留意され、任務の完遂を祈っています。



2002年12月10日(火) 仙人より
件名 : 退官に当たり御礼
1 退官に当たり、多くの方から身に余る慰労の言葉を賜りました。心から御礼申し上げます。
2 江田島の先任伍長等が、写真を投稿してくれるとは思ってもみなかったので、HPを見て、始めて、追っかけられた意味を知った次第で、江田島仙人最後の不覚でした。 修行不足を再認識致しました。 でも、涙をずっと堪えたのは、特に生徒の前で、修行の成果でしょう。
3 しばらく、田舎に帰ります。 10日程留守しますので、欠礼するかも知れません。悪しからず!      雪に埋もれかかっている仙人より
あんちゅうの返信メール メール、ありがとうございます。 「江田島仙人便り・・」と書けない所に一抹の寂しさを感じます。 写真は江田島青年と17Th Homeかくれファンが送ってくれたものです。 17Th Homeかくれファンは膨大な時間と通信費をかけ、平井校長離任式第1報と題し最終報告までの10通を2日間かけて送ってくれました。 ありがたいことです。 各写真のコメントも適切に添えられていてそのままを掲載させていただきました。 「仙人別れの答礼」の写真、あんちゅうは何度見てもジーンときます。 帽フレをしている皆さんと江田島に、仙人、感謝の一枚ですね。  明日(12日)、呉に寄られるとかの情報も伝わってきていますが制服を脱いだところでゆ〜っくりお楽しみください。 江田島青年や17Th Homeかくれファンが又、写真を送ってくれるでしょう。(見てるかなー かくれファン)  雪に埋もれかかっている所から暖かな温かな田舎でのリフレッシュを。  一日で50センチも雪が降り、雪の中で埋没しているあんちゅうより



2002年12月9日(月) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−6(安部親子とのフォーショット)
大変遅くなりましたが、10月12日に実施した文化祭の時、48期安部生徒の母親と祖母のお二人が来校されており、文化祭終了後生徒館の前で記念写真を撮りました。  当時、写真を添付する術を取得しておりませんでしたので、随分と遅くなり申し訳ありませんでした。  安部生徒のお母様へ  HPの掲載が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。 当日は、遠路はるばる生徒の体育祭・文化祭にお越しいただき有難うございました。 安部生徒はじめ生徒一同喜んでおりました。 又、お土産まで戴き有難うございました。 またの、来江田島を楽しみにしています。(2月14日カッター競技の予定です。)



2002年12月6日(金) 17期 安中均より
件名 : 12月のご挨拶
2002年も最後の月、12月になりましたのでご挨拶申し上げます。 日頃は17期ホームページ17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。 あと、25日で今年も終わってしまうとは1年はあっという間ですね。 17Th Homは皆さんのおかげで9月2日に一周年を迎える事ができました。 17Th Homeの今年を振り返っては、後日掲載したいと思いますが、皆さんの2002年も募集いたしますので是非、多くの方の投稿をお待ちしております。 コーナーを作り、年末に公開したいと考えています。 受付は本日より致しますが遅い方には、「投稿5分前!!」の号令をかけます。 心の準備、よろしくお願い致します。 12月2日、17Th Homeに多大なご支援を頂いてまいりました江田島仙人が江田島を後にしました。 その様子は17Th Homeでご覧下さい。 本日、仙人より挨拶状が届きましたのでここであんちゅうが勝手にご紹介させていただきます。
拝啓 師走の候 ご清栄にお過ごしのことと拝察申し上げます この度 江田島の地を最後に 海上自衛隊を退職致しました海上武人の道を目指し 防衛大学校を経て海軍士官揺藍の地 江田島の門を叩きましてから早三十三年が経ちそして明治以来の歴史と伝統が今なお息づいております当地で海上自衛官としてのしめくくりができましたことを男冥利かつ光栄にぞんじております この間 良き上司同僚部下に恵まれました上に皆様のご厚誼を賜り お陰をもちまして無事責務を果たすことができました これまでのご支援ご厚情に心から感謝し厚く御礼申し上げます 今後は一社会人と致しまして 皆様から賜りました御教示を活かし初心に立ち返り精進を重ねたいと存じます 今後ともご指導ご鞭撻の程 宜しくお願い申し上げます 末筆ながら皆様方のご健康とご多幸をお祈り申し上げ略儀ながら書中をもって御礼旁々ご挨拶申し上げます。 謹言 平成十四年十二月 平井良彦
仙人のこれからの人生が更に大きく広がることを祈り、17Th Homeのこれからも今まで同様のお付き合いをお願いして12月のご挨拶と致します。あと25日だ!ガンバロー!!



2002年12月6日(金) 江田島青年より
件名 : 「江田島青年便り」in東京
カウンセリング講習で花の東京さ上京した時、26日久し振りに、佐藤と船橋に帰る途中の松下と東京さ副都心新宿で一献交えました。 何時行っても東京という所は人が多いところですな。 さておき、何時の事ながら「江田島仙人」に始まり昔話に花が咲き時間があっという間に過ぎてしまいました。 二人とも元気でした。 その後、佐藤の豪華マンションに泊まり奥様に迷惑をかけてしまいました。 結局講習期間5泊中3泊も図々しく佐藤のマンションに泊ってしまいました。  (恵ちゃん、たっくん、げんくん、さきちゃんありがとう。) しかし、チャント講習は受けカウンセリングというものが、少し理解できました。 何かありました、カウンセラー「江田島青年便り」まで。
あんちゅうの返信メール 佐藤も松下も元気そうでナニよりです。 恵ちゃん、たっくん、げんくん、さきちゃんですか。 佐藤は(も?)スキですね〜。 ・・子供が。  わずか4、5日の講習で「カウンセラー江田島青年」を名乗るとはさすがに人生経験豊な青年ならではです。 15の春から苦労をしただけのことはあります。 母校の後輩のため、よきアドバイスを。



2002年 12月 6日(金) 仙人より
件名 : お願い
1 送られてきたアドレスで番上にメールが届かない!教えて下さい。
2 ただの仙人になったので、名前も変えてくれたのでしょう。これが変身の術です。 誤りを発見して頂いて有り難うございます。 仙人
あんちゅうの返信メール 本日、封書を拝見いたしました。 ありがとうございます。 2110、17Th Homeに17Th Homeかくれファンや江田島青年から送ってもらった写真を速報として掲載しました。 多くの皆さんにご覧いただけると思います。 番上のアドレスですが以下のとおりです。 番上隆幸 **@**



2002年12月6日(金) 仙人より
件名 : 御礼
退官に際し、お祝いの言葉を賜り、誠に光栄です。 心から御礼申し上げます。 皆さんのアドレスが把握できたことがハッピィでした。 また、メールを送ります。  傳左殿!バンブーのアド不明につき欠礼します。  仙人より



2002年12月5日(木) 仙人より
件名 : 御礼
退官に際し、慰労のお言葉を賜り、誠に光栄であり、心から御礼申し上げます。 家の電話を盗み、とりあえずMSGが送れるようになりました。 他の方々からも頂いておりますが、送れる人だけに送ります。 送れない人にはごめんなさい。 今後とも宜しくお願い致します。  仙人より
あんちゅうの返信メール ご苦労様でした。 少しは落ち着かれましたか? 仙人がゆえのしきたりとかあいさつ回りとかでまだまだ忙しい日々が続くのにメール、ありがとうございます。 昨日(4日)、加茂募集事務所の広報官が海上自衛隊新聞を届けてくれました。
おっ、載っていた。 ・・が、名前が違う。 平井良雄? ・・知らねーな。 17Th Homeかくれふぁんや江田島青年が送ってくれた写真とメールはウソか?夢か? そうか・・江田島仙人は雲隠れの術をつかってどっかに行ったな? 海上自衛隊新聞までケムに巻くとは仙人、並みの仙人ではない。フムフム・・。
女房と二人で、仙人の前途にカンパーイ! チョッとのさみしさを酒でまぎらしている安中傳左衛門家の二人でした。



2002年12月4日(水) 17期 前畑啓二より
件名 : 勝負に負けたニコラス
一ヶ月ぶりに横須賀に帰って来ました。 佐世保での1週間滞在大変な迷惑散財をさせてしまいすいませんでした。 臼井、竹原と艦艇先任伍長会は非常に有意義な話で盛り上がりました。 3人は堅い約束の元最後まで先任伍長を全うすることで一致しましたまた。 伊藤家では久しぶりに家庭料理有り難う御座いました。 あえてマージャンの話はやめときます。(ママごめん) 話は違いますが一ヶ月ぶりに見る孫は首も座りとても可愛くなっていました。 来週から横浜本牧での生活です。(修理)
あんちゅうの返信メール 長期行動、ご苦労様でした。 仙人勇退のことでちょっと話題がそちらに向かなかったけど17Th Home開設以来、最高の写真でした。 送ってきたのを見た瞬間笑いが止まらず、よくぞあんな写真を撮りも撮ったり、送りも送ったり。 それをHPに掲載するあんちゅうもあんちゅう。 いまだに生徒でいた頃がずーっと続いている。 「こいつら、バカだー!!」と女房に言いながら一番喜んでいたあんちゅう。 情けないやら、うれしいやら、ウレシイヤラ、嬉しいやら・・ やっぱ、17期はアホの集まりだったのだと再認識した次第です。・・ハイ。 たっけはらは剣道をやっていただけあって、姿勢がよろしい。 その分、ニコラスは勝負に負けたのをあんちゅうは知っています。 17期艦艇先任伍長会議のために佐世保に行ったのではなかったのですか? 冗談、じょうだん。ぶらっくじょーくです。 しかし、楽しかったようですね。 最後の3人ですからね。 会議中にあんちゅう宅まで電話をもらって恐縮です。 できることならオブザーバーとして会議に参加したかったな〜。 次の行動まで孫親バカぶりを十分にお楽しみください。(あんちゅうにはよくわからん??)



2002年12月4日(水) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−5(「江田島仙人」江田島を去る)
本日(2日)1術校長の離着任式が12月とは感じられない穏やかな天候の中、厳粛且整斉と行われました。 写真を撮ることに夢中で訓示の内容はよく覚えていませんが、「江田島は我々の原点であり心の故郷である」と改めて実感しました。 見送りの時最後に校長付の婦人自衛官から花束を贈られるとき思わず涙ぐんでいる姿を拝見し「江田島仙人」も人の子だと思ってしまいました。(写真参照)  又、本日は「江田島仙人」の退官を祝って、江田内に1MDの3隻が入港し帽振れを実施してくれ離任式に花を添えてくれました。 表桟橋から離れる時、「俺はしばらく休むから、後頼むぞ」と言われ改めて「江田島仙人」の偉大さを知ると共に「江田島青年便り」の重大さ知りプレッシャを感じております。   「江田島仙人」のように行きませんが、江田島の状況を遂次掲載できるよう、勉強しながら皆様のお叱りを受けながら頑張りますので、声援宜しくお願いします。
あんちゅうの返信メール 忙しい中、江田島青年便り14−5 ありがとうございます。 17Th Homeかくれファンからも写真を添付していただきましたが江田島青年の写真もいい所、シャッター押しましたね。 3等海士の階級章が見えてるところがなんとも17Th Homeを頭に置いてシャッターを切ったようで。 ありがとうございます。 すばらしいです。! 誉めてばっかりだと青年、チョウシにのるので、あんちゅう文風に書きますと写真内の日付がどうも・・・。次回からよろしく。 仙人の目に涙ですか。 ・・・ムムゥー。 「校長付の婦人自衛官から花束を贈られるとき」 ですか? ・・・ムムゥー。 いえ、別に深い意味はありようがありません。ハイ。 「江田島の状況を遂次掲載できるよう」 よろしくお願い致します。



2002年12月4日(水) 17期 今田俊介より
件名 : 佐世保
あんちゅう 中東情勢がますます緊迫の度合いを増す中 わが17期生との重要性も同時に高まっている事でしょう。 江田島仙人とは結局お目にかかれずじまいで誠に残念でした。 一度金沢にお伺いしたいなと思っています。 ところで 伊藤隆からの書き込みにもありましたが佐世保に行ってきました。 何と海上自衛隊向けの仕事を画策しているのです。 改めて同期のありがたさを心から実感している今日この頃です。 佐世保から博多に向かう時には竹原先任伍長殿と臼井先任伍長殿ご両名にお見送りしていただき 又 竹原先任からもらった絶品の’めんたいこ’は是非あんちゅうにも食べさせてあげたかったよ。 ’あさぎり’艦上での臼井先任伍長との2ショットと酒が入っていない珍しい宮崎一尉殿との3ショットを送ります。 やっちゅうは(あんちゅうとともに過ごした新潟の日々が本当に楽しかったって喜んでいたよ、あんなに飲んだもの久しぶりだとも言ってたけどね)  現在退官した人たちの就職援護が担当だそうで とてもくたびれていました。 みな重責を背負って活躍していますね。 しゅん
あんちゅうの返信メール さすが、世界を相手にしている 太洋産業貿易株式会社だけあって中東情勢からきましたネ。 仙人と会えなくてほんと、残念でした。 たっけはらからの絶品めんたいこは、ふくさやの極上めんたいでしょう? あれはウマイ!! 2枚の写真、臼井もやっちゅうもほんと、珍しい写真です。 最近のこの二人、呑んでる時のデレェーッとした顔ばっかりでこんなにさわやか?な写真は久しぶりです。 しかし、臼井の左腕、おもそうだな〜。 又の営業報告、待っています。



2002年12月3日(火) 17期 遠藤章より江田島仙人へ
件名 : 仙人、ご苦労様でした。でもまだまだこれからです。
江田島仙人、ご無沙汰しております。 このたびは名誉ある退官御目でとうございます。今までは政治活動に関与せず 専守防衛でご活躍なされたわけですが、 これからはおおいに政治活動に体を張っていただけたらと、個人的には思っております。これからも、アンチューの・・・いや17期(生徒)の良きご意見番でいてくださることをお願いいたします。
あんちゅうの返信メール メール、ありがとうございます。 そのまま 江田島仙人に転送いたしました。



2002年12月3日(火) 17期 竹下和哉17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島仙人ご苦労様でした。
江田島仙人! 長きに渡る海上自衛隊の勤務本当にご苦労様でした。 私事ですが昨年の准尉講習では、同期の宴会にわざわざ参加いただき心から感謝申し上げます。 10年ぶりの再開にもかかわらず、いつも会っていたような話し振りに、一瞬、生徒時代にタイムスリップしたような気がしたのを今でも忘れません。 私から見た江田島仙人は、律儀で、部下思いであり、ちょっとお茶目で戦国大名に例えるなら、今年のNHK大河ドラマに登場する「前田利家」のような存在です。 戦国時代であれば、多くの部下が惚れ、この人のためなら命をささげても良い。と言えるような指揮官でした。 ちなみに、山本一実は派手好きで男前の前田慶次郎でしょうか? とにかく17期生徒はもちろん多くの海上自衛隊生徒及び卒業者のため御尽力いただいたことに対しあらためて感謝申し上げます。 これからも17期HPを通じて、新たな話題、思いを伝えていただければ幸いと思っております。 ご健闘をお祈り申し上げます。



2002年12月3日(火) 17Th Homeかくれファンより
件名 : 江田島に涙雨
先輩、本日江田島は仙人が去られて1日遅れの涙雨が降っております。写真はアドビ−フォトショップV6.0で加工修正してあります。そのため大変重くなってしまいました。昨日いっぺんに送信を試みたのですが失敗に終わり1日遅れの送信となってしまいました。お詫び申し上げます。 17th Homeかくれファンより
追伸 仙人の当日の様子をお知らせすることを忘れていました。 ある人が見れば、肩の荷がおりてスッキリとした表情でした。 いや、ある人が見れば寂しそうでした。 この答えは私自身が定年する時にわかる様な気がします。 いやいや仙人のように肩の荷が重くないからわからないかな。 とにかく仙人も色々な想いで周りの部下に最後のお言葉を掛けられていました。

あんちゅうの返信メール 雨ですか・・・。 仙人を乗せたキントン雲も次の住まいが見つかり下界に降りてきたのでしょうか。 いくら重くてもあんちゅうは力が有り余っています。 修正はこちらでもできますのでそのままでも結構です。 よろしくお願い致します。



2002年12月3日(火) 18期通信第1術科学校先任伍長 金子順一曹長より
件名 : 平井校長離任式第1報
あんちゅう先輩、虫の知らせでしょうか、12月2日午前5時半に17th Homeを見た方が良いと出勤前に覗くと、なんと先輩からのリクエストが掲示されているではありませんか。 見て良かった。 見てなかったらハッパですよ。 まず、第一報を送ります。 今回は以上ですが、式の途中を写真長にお願いしてありますので、出来次第スキャナで取り込んで送付します。 ホ−ムペ−ジかくれファンより
あんちゅうの返信メール ありがとう! ありがとう!! ありがとう!!! 江田島青年が忙しくて送れない中、第1報をありがとうございます。なんと申しましょうか、さすがです。 ハッパを恐れるばかりに早朝に17Th Homeを覗いたとは!! 実はあのメールを17Th Homeに載せた時間が遅かったので90%以上あきらめていましたが、あきらめきれず最後まで

17Th Home 徒然草 2002年11月



2002年11月30日(土) 17期氏野良則より
件名 : Re: 江田島仙人便り051−02 −氏野
こんばんは。 氏野です。 メールあんがと。 仕事を終え、夜の静かな高速を走り、大阪の実家に来ています。 来週4日から、長崎は勝手知ったる三菱造船所に研修?のため、出張します。 なんか、どこでも「勝手知ったる○○」が多いようにも思うけど?!大きな声では言えないけど(HPに載ったら大声(^O^)になる)帰りにヤッチュから電話があり、そちらへ寄ります。  当然、タケちゃんとこへも。 竹原のメルアドは今わからないので、友衣ちゃんにccで送っときます。 「友衣ちゃん、お父さんに見せてネ!」 実家に帰ると、深夜も昼間と勘違いしてしまうので、まだ起きています。 飲みながら。ということで、土日はゆっくり休んでくださいよ! 休養も大切だからネ!!
あんちゅうの返信メール 佐世保は大忙しだな。 今田俊介に前畑啓二に氏野良則。 失礼、長崎出張だったね。佐世保じゃなかったんだ。 もし、会う事があるようであればよろしくと。



2002年11月29日(金) 17期伊藤 隆(水測)より
件名 : 今田俊介が来た。
仕事で俊介が佐世保に来たので4人で飲んだ。俊介は、艦艇に対する営業で来たそうなのでこれからも顔を出すようなことを言っていた。



2002年11月27日(水) 17期上田三佐夫より
件名 : Re: 江田島仙人便り051−02
仙人の退官メール拝見しました。明日、江田島に行って来ます! 25日(月)予定どおり木村君が来呉され大した接遇も出来ませんでしたが、近況など話しました。 フライト中に術科学校の第1グランドが見えるとか、 ・・・どこにいても江田島のあの日あの時の空気を吸った仲間は忘れられないんですね。 記念写真も添付します。
あんちゅうの返信メール メール、ありがとうございます。 返信、遅くなり申しわけありません。 木村は元気なようですね。 江田島仙人便り050-02によればゆっくりはなす時間がなかったと伝えてきましたが仙人の現役最後に会う事ができ、目的は達せられたのではないでしょうか。 高橋がいなかったのはちょっと残念ですが、公務とあらば致し方ありません。 呉、江田島の情報、今後とも更によろしく。



2002年11月27日(水) 14期生谷川先輩より 江田島仙人へ
件名 : 安中に聞きました。
退官される由、安中から聞きました。 おめでとうございます。おっと、まだ早いですか。 突然メールを送るご無礼をお許しください。 私は、生徒大好きな14期の「ほっとけの谷憲」こと、谷川と申します。 仙人のことは、17期ホームでいつも見させて頂いていました。 そして、17期はいいなーといつも思っていました。 今回は、退官の報に接し一言お礼を申し上げたくて、安中の許しを得ましてメールしました。 お許しください。



2002年11月27日(水) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り051−02
17期諸兄!それぞれ活躍していることと拝察致します。 12月2日をもって退官、仙人は部落を去ります。 雲に乗って静かに去りたいと思います。 長い付き合い有り難うございました。 江田島のことは江田島青年にバトンタッチし、生徒に対する万感の思いを胸にして、江田島仙人の名を胸にしまわせて頂きます。 これからは単なる一社会人として仙人便りを続けられればと思っております。 しばしの別れに涙することなかれ! 今後とも宜しくお願い致します。
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り051−02 ありがとうございます。 とりあえず、17期と関連諸氏に仙人のメールを転送いたしました。 仙人に贈る文面は12月2日まで猶予があると思っていますが現在のところ全く、言葉が思い浮かび上がってきません。 仙人もお忙しいでしょうが、12月2日までは ”江田島仙人” です。 江田島の風と空気と臭いを17Th Homeを通じて届けてください。 仙人の都合も考えず、いつまでも仙人におねだりしているあんちゅうより



2002年11月27日(水) 17期楯 哲哉より
件名 : こちら携帯電話からのメールです
来月二日で関東の人になります。 吉田嘉和 久保健二と一緒に同期の話に花を咲かせようと思っています。 いろいろと懐かしく楽しい話題をいつも家族みんなで楽しく観ています。 女房たちは分隊長始め大湊に立ち寄った十七期のことはよく覚えているようで(なにしろどの同期もインパクトが強く個性的だから)写真を観ようものなら大きな声で大笑い。 俺の解説付きだからなおさらなのか。 安中の事もすでに解説済みです。 本格的な雪になるまで後わずかです。 益々のご活躍期待してます。
あんちゅうの返信メール ケイタイメール、ありがとう。 関東の人になるとは今頃又どうして? 反省部屋の獣人がいなくなると誰が反省部屋に入るわけ? いつまで? と、???が続きましたが何はともあれ、元気そうでナニよりです。 あんちゅうの事も解説済みとはありがたきかな我同期。 しかし、問題はその内容なのだ。 ここで綺麗な奥様に楯の生徒時代の解説をあんちゅう風に。 楯は空手道部に入っていました。 空手道部には、たいがい楯と同じ体型の人間がしかるべきして入部していました。 橋本和昌、長浜正平、西郡尚生。 ちょっと違う体型の松島昌三、津田千里(故人)、里出(梶)毅、山崎末孝。 全く違う松倉秀樹。 空手の型が一番決まっていたのは、もちろん楯です。 グッと構えると重心が下にきてその安定感のあること。 松倉なんざ〜足元にも及びません。 ・・コレはあくまで、生徒時代の事で卒業後は重心が上がってきていると思います。・・上がってきているのでしょう。・・・きっと上がっているはずです。 ・・・・・ですね、楯?



2002年11月26日(火) 仙台 安部庄子様より
件名 : Re: ・・・・・・?
・・・・なんかボーッとしてます。ショック・・・・・で・・・す・・・。 私のメールを安中さんが仙人に送ってくれて始まったことが・・・・今頭の中で走馬灯のようにグルグルと回ってます。 ゴメンナサイ・・・ 伝えたいことがうまくまとまりません・・・・    仙台  安部 庄子 



2002年11月25日(月) 17期安中 均より
件名 : なし
いつも17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。 11月25日、江田島仙人より以下の文面が送られてきました。 「仙人の部落での蟄居生活も残り少なくなってきました。部落は時折涙雨?が落ちています。・・・・」 風の噂でチラホラと聞いていましたがどうもそういうことらしいです。 17Th Homeが情報が少ない中、ここまでこれたのも皆さんご承知の通り、江田島仙人便りによるところは非常に大きいものがあります。 いつも江田島の臭いと空気を届けてくれました。 全世界を股にかける会社の事、いつかは訪れるであろう事とは思っていましたが、いざ、というとあんちゅう個人としてもなんと言ったらいいか・・。 皆様のメールをお待ちしております。



2002年11月25日(月) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り050−02
仙人の部落での蟄居生活も残り少なくなってきました。 部落は時折涙雨?が落ちています。 そんな今日、関西防衛を支える会の皆様多数が、部落を訪ねられ、その中に木村文保君がいました。 呉の25周年の時以来の再会です。 相変わらず色白で飄々としていました。 ゆっくり話す時間もなく、ごめんなさい。 民航パイロットとして大いに頑張って下さい。 大講堂でデジカメの餌にしたのですが、涙で曇り、ボケテしまいました。 スナップ送付は木村君に任せます。   仙人より
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り050−02 ありがとうございます。 少ない時間だったようですが、あんちゅうと同じように木村はきっと喜んでいるに違いありません。 ・・彼のメールを待つことにします。 今年に入って50通目の仙人便りでしたが、意味深な文面にキーボードを叩く指も思うように行きません。 17Th Homeをご覧の皆さんも 来て欲しくない事をどこかで感じながらの仙人便りを楽しみにしていた事と思います。 ・・江田島に涙雨が流れるのもよ〜くわかります。 ・・・文面がまとまりません。 ・・・・・・・・落としどころが見つかりません。



2002年11月24日(日) 17期上田三佐夫より
件名 : Re: 11月のご挨拶
遅ればせながら、宮嵜君の来呉夜間研修の記念(証拠)写真を送ります。宮嵜君と同行の援護課スタッフの25期生諸岡君も紹介しておきます。援護から介護?まで幅広い業務を行っているそうです。ではまた。
あんちゅうの返信メール 三佐夫君、介護?の証拠写真ありがとう。 25期生諸岡君、君には”生”をつけます。 ご苦労様。ありがとう。・・ありがとう。 高橋、ご苦労様でした。 仙人からのメールによればしっかりと仕事をし、佐世保のお客様がヒジョウに喜んでいられたとの事、諸岡君の一方ならぬ御苦労に感謝を致します。 援護は宮嵜に、介護は諸岡君に。



2002年11月22日(金) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り049−02
宮崎君来江の件、江田島青年に先を越されました。 仙人の日頃の伝授活動の成果と理解して下さい。 ヤッチュウが仕事で部落に来てくれました。 先ず、研修に部落を選んだだけでウェルダンです。 そして、昼夜の部、それぞれ計画、実施とも抜群でした。 仙人の出る幕が全くなし。 お連れした佐世保の皆様がとても喜んでおられた。 良かったね。 ヤッチュウ! 呑んでばかりいるわけではありません。 しっかりと仕事をした証拠を添付します。 雲の上で居眠りしていた仙人より
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り049−02 ありがとうございます。 あと1通で今年に入ってから50通目になるのですね。 江田島青年が「ヤッちゅうが江田島研修と称して」と書いてきましたので仕事は二の次か?と 言いたくなってしまったという訳でしたが仙人の文面と写真をみる限り、しっかりと協力者を案内したようで安心しました。 江田島青年は生徒時代より正直者で真面目。曲がった事大嫌いの性格?思わず本音を書いてしまった・・っというようなうがった見方をした事、大いに反省です。 さすが仙人、フォローがよろしいようで。



2002年11月21日(木) 14期生井上先輩 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 楽しく拝見!
14期水測の井上です。 先日総合演習の際、呉監に勤務したおり、西方から17期生徒のHPがあることを聞き、帰宅して早速拝見しました。充実したHPで楽しく拝見させてもらっております。今後も時々覗かせていただきます。 懐かしき我が同期の名前もチラホラ見られ、嬉しい限りです。14期のHPも欲しいですね。 先日は懐かしい江田島をしばらくぶりに散策し、思い出にふけりました。下宿の爺さんが少し年をとって、名前と顔を思い出してもらえなかったのは残念でしたが・・・
あんちゅうの返信メール 初めてメールいたします。 17期通信の安中均と申します。 17期ホームページ ”17Th Home” をご覧いただき誠にありがとうございます。 この17Th Homeを昨年9月2日に立ち上げ、同期17期や生徒先輩、人生先輩や後輩たちのおかげで現在の17Th Homeがあります。 17期生徒をメインに、「江田島」・「生徒」をキーワードとしての掲載をメールを公開する事により現在に至っています。(イタズラ好きな”神様”も時々、出没されています。) 私、あんちゅうも先日、呉・江田島を訪ねる機会に恵まれ7年ぶりに江田島の空気を吸い、数人の同期と会うことができました。http://www.ginzado.ne.jp/~denzen/ta.021102.annaka.htmをご覧下さい。 14期生のホームページhttp://www.syujac.co.jp/14th/は、関先輩が管理人をされ掲示板http://dx1.kakiko.com/ring/sei/seito/index.htmlで同期の絆を深めておられます。 17Th Homeに出てくる14期生のアドレスを以下に記載しておきますので参考にして下さい。関洋三 ***@**** 谷川憲一 ***@**** 下條善磨 ***@****   17Th Homeを14期生のホームページ共々、よろしくお願い致します。  またのメールをお待ちしております。 ・・本当にありがとうございます。
井上先輩の返信メール  お早うございます。 ありがとう。 今後も楽しませてもらいます。 『神様』の件も話しに聞ておりました。 我が同期のアドレス、どうもありがとう。 今朝の大湊は極めて厳しく、しばれています。    井上 拝



2002年11月21日(木) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14-3(宮崎in江田島・呉)
20日(水)ヤッちゅうが江田島研修と称して1術校、潜訓及び入船山記念館等を見学しました。早速夜上田と二人で夜引っ張り出し(しかし、すでにホテルで業者と一席設けており我々と飲むときは、かなり入っておりました。)乾杯しました。相変わらずテンションはハイレベルでした。
あんちゅうの返信メール 呑んべーヤッちゅうが 江田島研修に行きましたか。 ・・と称して とはどういうことか? っま、いいんですけどね。 写真の顔を見ると相当に出来上がっていますね。 っま、いいんですけどね。 して、研修の成果はあったのでしょうか??



2002年11月21日(木) 17期木村文保より
件名 : Re: 仙人詣でにいきます
仙人詣でにいきます。の件の返信メール了解しました。 江田島で同期に会えるのを楽しみにしております。 ぜひ江田島仙人にお会いできればと思っております。 それから、本日10017回アクセスの記念品を受け取りました。 本当に有難うございました。 新潟銘酒 八海山です。すぐにでも飲みたいところですが、仙人詣でが近づいているので、ぜひ江田島に持参したいと思っています。 江田島行きに向かって、明日もまた安全飛行で頑張ります。 木村文保
あんちゅうの返信メール メール、ありがとう。 仙人に会えるといいですね。 呉の上田より以下のメールが20日に届いています。(遅くなって申し訳ない) 「了解です。24日(日)はどうなるか分かりませんが、25日(月)は総監部は椛島、西方、潜水艦は黒木、上田がこの前と同様対応致します。」 ”キムフミの呉・江田島訪問記” 、楽しみにしています。



2002年11月20日(水) 17期上田三佐夫より
件名 : Re: 仙人詣でにいきます
了解です。24日(日)はどうなるか分かりませんが、25日(月)は総監部は椛島、西方、潜水艦は黒木、上田がこの前と同様対応致します。



2002年11月19日(火) 14期生下條先輩より
件名 : Re: 17Th Home10000カウント御礼
10,000 Counts おめでとうございます。 11月14日の晩、17期HPへ入りましたら9,997番、今夜中に10,000回達成と思っておりましたら、同期の谷川がヒットしたとのことでなによりです。 このところ、1日平均30件ぐらいこのHPにアクセスしているようですね。 昨日も米国Texas在住の15期福島生徒と電話で話をしましたが、安中生徒の江田島便り、石橋教官(15期の分隊士だったそうです)の記事懐かしく読んだそうです。 17期だけではなく生徒OB全体が関心を持っております。 今後も生徒出身者全体のため、このHPの運営頑張ってください。 14期水測  下條
あんちゅうの返信メール メール、ありがとうございます。 カウントアップを狙っているHPでないことは内容からも充分承知して頂いてると思いますが、何はともあれ節目としての10000カウントを喜び、そして下條先輩はじめご覧頂いている皆様に御礼を申し上げます。 谷憲先輩はあんちゅうが御礼メールを送信した1分後に「ハイ!それは私です。(^_^)/~~」と返信してきました。 ミエミエの文面に思わず「プッ!」と噴出してしまいましたが一応、「ウッソー!ホントー?」を直後に送り、翌日になってから「へッ?」の返信をもらったのが事実です。 ・・・なんとイタズラずきの神様でしょうか? 直後に返信してくれるところに谷憲先輩の暖か味を感じたやりとりでした。 「生徒出身者全体のため」などと大それた事は考えた事も無く、ただひたすら自分のためにしているワガママなHPですが、あんちゅうのワガママを正当化するためには「江田島」、「生徒」のキーワードにつながる皆さんの支持と協力がなくてはなりません。 イタズラずきの神様から指導を受けたワガママなあんちゅうと17Th Homeを今後もよろしくお願い致します。



2002年11月17日(日) 17期竹原堅一より
件名 : (件名なし)
今日は、天皇陛下に面会をしまして、お茶を一緒に飲んできました。と、言うのは冗談です!ほんとは、国道に整列して敬礼でみおくりました。皇太子の時は、お会いしたことがあったのですが、天皇陛下になられてからは、初めてでした。できれば私が先導したかったのですが・・・。ハハハ(笑)
あんちゅうの返信メール ハハハ・・ハハハ・・・・ハハハハ(笑)



2002年11月17日(日) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−2(江田島仙館の宴)
昨日連絡しました「江田島仙人の館」での修行(昨日の表現とちょっと違うようですがあしからず。)を本日無事終了しました。2時間の予定が、仙人のまやかしの術をご教授を承るうちに(仙人の奥様に申し訳ないと思いつつ)時間を忘れいつの間にか4時間に及びました。例により池田候補(話題は何でもよいと思います。)が奥様と「女性」について討論会をしていました。
あんちゅうの返信メール うらやましー!! 仙人さまあー! あんちゅうにも「仙人まやかしの術」を施してくだされー!!



2002年11月17日(日) 仙台 安部庄子様より
件名 : 祝・10000回
8月6日 仙台七夕の初日に 7000回を達成したと思ったらもう10000回! 三ヶ月とちょっとで なんか 驚異的な速さですね・・・ 一日平均何人の人が 17Th Homeを見ているのかなーーーと思ったら 目がさえて来ました。 ご無沙汰しました、安部 庄子です。  でも いつも見させてもらってましたよ。 私なんか仕事から帰って家の事をするともう寝てしまうほうが先で パソコンの前に座ることはないのですが(息子に占領されてます)安中さんは 仕事から帰ってきて 17Th Homeの管理!尊敬しちゃいます。 でも そのパワーの源って17期の仲間の絆ですよね。 仲間っていいですね。 安中さんが江田島に行くと決まってからの皆さんの対応の速さにはびっくりです。 でも思い出してみれば 私達が護衛艦に乗せていただいたときも皆さんが一生懸命連絡を取り合ってくれて・・・やっぱりすごいです!!! 天気予報などをみると 仙台も寒くなりましたが新潟も寒そうですね。 風邪などひかぬようこれからも17Th Homeの管理に頑張ってください。   ・・・安部 庄子
あんちゅうの返信メール 祝・10000回メール、ありがとうございます。 7000回が仙台七夕の初日でしたか。 これもひとえに安部さんのおかげと感謝しております。 17Th Homeの管理といっても17Th Homeに送られてくるメールをそのまま掲載しているだけの事ですから尊敬に値するほどのものではありません。 ハイ。 同期の絆を求め、広め、深めるのが17Th Homeの目指すところで、徐々にではありますがいろんな形で具現化をしてきているようです。 安部さんの体験航海もその1つかと思います。 17期は”江田島”の”生徒”です。 今後も同期は勿論の事、”江田島”と”生徒”のつながりを大切にして行きたいと思っています。 これからも17Th Homeをよろしくお願い致します。



2002年11月16日(土) 江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−1(木村の江田島研修について)
木村が江田島に来るそうですが、残念ながら22日から25日まで横須賀で「生徒対抗ラグビー大会」があり、26日から29日まで東京でカウンセリング講習とスケジュール入っており残念ながら、木村と30周年以来の再会が出来ません。 ここは、「江田島仙人」にお願いしようと思っております。 ところで、明日(17日)「仙人部落」で予定者課程の歓迎会(ちょっと遅いけど:17期は、池田、当房。18期は、武田、石井)を17期、18期合同で実施します。 状況は後日搭載します。 話は、変わりますが先日(15日)一年生のカッター訓練に急きょ参加させて貰いました。 色は黒いけど白形班長のことを思い出しました。 又、小銭を持って能美ロッジ、高田桟橋に横付けしたこと、カッター競技で優勝したこと等走馬灯のように思い出しました。 今回も艇指揮よろしく能美ロッジに横付けしました。 帰りに約5分漕がして貰いまして、まだまだ若い者には負けないことを1年生に見せ付けてやりました。 だだし、少々スタミナに問題あり。 今回デジカメを忘れました(まだまだ「江田島仙人」の直弟子は未熟です。)ので写真なし。 次回12月をご期待あれ。 もう一つ遅くなりましたが、ラグビー全国大会広島予選の一回戦(勝利)の写真を添付します。
あんちゅうの返信メール 初の 江田島青年便り 待ってました! ありがとう!! 木村との再会、お互いスケジュールが合わなく残念ですね。 色が黒いのは白形班長じゃなく白砂班長でしょう。 肉付きの少ないオーッカナイ顔をしていたのを覚えていますよ。 一年の時、3班は総員48名。浦田さんが班長で分隊士は須田さん。 分隊長は上田愛生さんでした。 白砂班長はなんだったのでしょうね? 歓迎会の出席者の18期、武田君も石井君もハッキリとはいえませんがそこそこに顔を思い出します。 あんちゅうにハッパをかけられなかったかどうか、心配をしています。 現1術校先任伍長の金子君は先般会った時そのような事は無かったと言ってくれましたが・・・。はて・・・。 池田、当房にもヨロシク。



2002年11月16日(土) 江田島仙人より
件名 : Re: 祝一万カウント
17期HP10000カウントおめでとうございます。 長福寺殿、奥様、ご家族のご尽力の賜物と心からお祝い申し上げ、敬意を表します。 14日夜明け前に仙人便り047を送った時は、既に通過していました。 喜ばしい限りです。 今後とも宜しくお願い申し上げます。  仙人



2002年11月16日(土) 17期木村文保より
件名 : 10017回目は木村GETしました
すみません。 いつもご無沙汰している木村が10017回目の記念すべきアクセスをゲットしてしまいました。 でも、ホームページはいつも見ていますよ! 嬉しいことは重なるものですね。 江田島行きに備えて安中の江田島研修記を見たのが良かったですね。 では楽しみにしております。  木村文保
あんちゅうの返信メール 海上自衛隊 第17期生徒ホームページ ”17Th Home”の記念すべき10017カウントをゲットされ誠におめでとうございます。 証拠の17Th Homeトップページも添付されていて確かに確認いたしました。 すぐに来ないゲットメールに8017の時の事が頭をよぎり徒然草のトップにもカウンターを配置するなり、案内を記載するなりすればよかったかなと思っていたところでした。 17Th Homeはたぶん、毎日チェックしている20人前後の限られた方とたまに見る方のほぼ、固定されたリピーターでカウントを重ねているように思います。 その中のどなたかがきっとゲットされているはずと確信していましたが、キムフミ君でしたか。 おめでとうございます。 あんちゅうの呉・江田島訪問記がゲットの要因のように書かれていますがつたない訪問記をご覧いただきありがとう。8017をゲットした上田が”早朝のしょんべん”でゲットしたのとはエライ違いです。 ・・いえ、それはそれでおもしろいことでしたが・・・。 今後とも17Th Homeの盛上げをよろしくお願い致します。 近々に記念品を贈りますのでどうぞ、御笑納ください。



2002年11月15日(金) 17期氏野良則より
件名 : Re: 17Th Home10000カウント御礼 −氏野
おめでとう!(^O^)(^O^)(^O^)(^O^)(^O^) 氏野でした。 残念ながら、私ではありません。  おやすみ
あんちゅうの返信メール ありがとう!! これもみ〜んな氏野くんのおかげです。ほんと、残念でしたが、この正直さが嬉しいです。ハイ。オヤスミナサイ。



2002年11月15日(金) 14期生谷川先輩より
件名 : Re:17Th Home10000カウント御礼
ハイ!それは私です。(^_^)/~~
あんちゅうの返信メール ウッソー! ホントー?
谷川先輩の返信メール へッ?



2002年11月15日(金) 17期安中 均より
件名 : 17Th Home10000カウント御礼
2002年11月14日、海上自衛隊 第17期生徒ホームページ ”17Th Home”は2002年9月2日開設以来、10000をカウント致しました。ひとえにご覧頂いた皆様のおかげと感謝に堪えません。尚、17期にちなんで10017をゲットされた方に記念品を用意していましたがまだ、申し出がありません。ゲットされた方は是非、お申し出下さい。今後とも17Th Homeをよろしくお願い致します。



2002年11月14日(木) 17期竹原堅一より
件名 : Re: たっけはら
10017 ゲットをもくろみながら、酒飲んだり、やっちゅうと 電話で話したりしてたらいつのまにか 10040  なんてこった!  くやし〜い! かくれホームページフアンがいっぱいいるのでしょう。   この次は 何番? 俺の 賞品をよこどりした幸せものはだ〜れ?
あんちゅうの返信メール 残念ながら、誠に残念ながら今現在、記念すべき10017をゲットしたとの申し出がありません。 ・・・申し出がないからといってたっけはらに記念品を贈るわけにはいきません。 この場を借りて10017をゲットされた方、是非あんちゅうまでメールを。 たっけはら。 前畑との闘い、ぬかりはないか?



2002年11月14日(木) 17期木村文保より
件名 : 仙人詣でにいきます
ご無沙汰しています。
江田島研修記拝見しました。 思わず江田島の頃を思い出してしまいました。 ところで、私も仙人が江田島に居らしゃる間に仙人詣でをしたいと思っていましたところ、私も会員になっている「関西防衛を支える会」で江田島研修の募集が有り、思わず参加を申し込んでしまいました。 日にちは、今月の24日(日)、25日(月)の二日間です。 フライトスケジュールもうまく調整してもらって休みが取れたので参加できることになりました。 24日は、日曜日で申し訳ないのですが、飲み会でも付き合ってくれる方が居りましたらよろしくお願いします。 行動予定は以下のとおりです。 24日(日)15:30 呉着 入船山記念館、海軍墓地見学 17:00 ホテル着 呉森沢ホテル 0823-21-5188 25日(月)07:30 〜10:30 第一術科学校見学(課業整列、訓練状況、教育参考館見学)11:30 〜12:20 呉地方総監部、潜水艦基地見学 今から楽しみにしています。ではまた   木村文保
あんちゅうの返信メール こちらこそご無沙汰でした。 いいチャンスにめぐり合えましたね。 想っていれば必ずチャンスがある、実現するというあんちゅうの考えは木村にも当てはまったようで、自分のことのように嬉しくなってしまってます。 江田島はあの頃と同じです。 変わらないところに歴史の重みとそこに勤務されている多くの人達の努力を感じます。 時代も人間もものすごいスピードで変化していますが、裏門に足を一歩踏み入れただけですぐ、あの頃に戻れます。 仙人にこの内容のメールを出されたかどうかはわかりませんが、仙人と呉の上田にこのメールを転送しておきます。 お互い都合がつけばいいですね。 嬉しさのあまり、飛行機落とさないように。



2002年11月14日(木) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り047−02
当仙人部落も冷え込みが厳しくなってきました。各地の17期諸兄は、それぞれ昼夜分かちなく活躍しているようで同慶の至りです。さて、11月9日(土)に、部落では記念日のお祭りがありました。朝方は小雨混じりのすっきりしない天候でしたが、観閲式を行う頃には、観閲部隊の気迫を感じたのか、陽も差し始め、大勢の観客の前で、堂々とした威容を示しました。特に、生徒の行進には、皆さん等しく感激されていました。少し雨に打たれた彼等達が風邪を引かないか、心配致しましたが、流石に鍛えた体、気力は、寒さ、小雨を物ともしないものでした。あらためて敬意を感じました。全国の諸兄、後輩同様頑張って下さい。  仙人より
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り047−02ありがとうございます。 観閲式ですね。 17期卒業アルバムの中にも観閲式の写真があり「開庁15周年記念」の記載があります。 江田島に術科学校が横須賀より移転したのが昭和31年1月だそうですから昭和46年、17期が1年生の時の観閲式だと思います。 ここまでくるのが大変なんですよね。 先般お会いした石橋教官が「オイッチニー!オイッチニー!!」と声を張り上げてもできの悪い17期はなかなか足が揃わない。 足が反対の時スキップするとどういうわけか右足と右手が同時に出たりなんかしてそりゃもう大変。 自分でもどうなっているのかわからない。 そんなヤカラでも観閲式までにはピシーッと出来るようになるところに江田島教育の一端を感じます。 新潟は連日、雨ばかり。気持のいい秋晴れは一日もありません。 何かを感じさせる秋雨です。



2002年11月12日(火) 17期竹原堅一より
件名 : Re: たっけはら
江田島研修 ごくろうさん! 楽しくてよかったね。  どの写真もいい顔してるよ! 先日は、長倉が、仕事で佐世保にきたので、例によって、みんなで飲んでたのしかったよ。 班長の元気なこと!!うれしいよ! **日には、ニコラスーケイジが 佐世保にきます。 又 みんな集合! たのしいな〜 腹の勝負もしなければ、!  **日には、天皇皇后両陛下が、佐世保に来訪されるので、奉迎用意等、たいへんです。 **日からは、今年最後の出港です。 がんばるぞ、   久しぶりの家より。
あんちゅうの返信メール 久しぶりでした。 チャンと国防の任に就いているたっけはらのおかげであんちゅうはこうやっていられることに感謝をしています。 (夜な夜な町を飲み歩いているようでは、あんちゅうはこうしてはいられません。) 呉・江田島は短かったけどそれぞれに元気でいたし、思いもかけず石橋教官に会えたのが嬉しかった。 「オィッチニー! オィッチニー!! たっけはらー!! 右手と右足が一緒に出てるぞー!! オィッチニー! オィッチニー!!」 聞こえてくるだろ? ニコラス・ケイジとの勝負、海上自衛隊新聞の記者を呼んで記事にしてもらおう。写真つきでのメール、待ってるとケイジに言って下さい。



2002年11月10日(日) 17期高橋良彦より
件名 : カウンセリング講習
生徒対抗戦終了後11月26日から29日まで、東京代々木でカウンセリング講習のため久しぶりに東京さに行きます。佐藤と会って一杯出来ればと考えています。
あんちゅうの返信メール 対安芸南戦、ご苦労様でした。 生徒対抗戦、気合を入れてがんばってください。 東京さ行くとか。 東京はおっかないとこだから気を付けて下さい。 佐藤と会えるといいね。 宜しく言っといて。 宮崎みたいに1ヶ月の講習なら新潟まで拉致するのに4日間ではね〜。講習の成績が悪い振りをしてもう1週間延ばせないかな〜。



2002年11月10日(日) 17期高橋良彦 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 試合結果
お待たせしました。 パソコンが復旧しました。全国大会広島予選が、11月9日(土)県営グランドで優勝候補「安芸南」と対戦しました。 皆様の応援もむなしく完璧なまでに打ちのめされ「0対110(前半0対53)」で敗れ去りました。 この経験を生かし3自対抗戦までの2週間弱点を克服優勝を目指し頑張ります。 引き続き応援宜しく。 しかし、改めて「花園」は甘くないと思うと共にやりがいのある目標であると実感しました。
あんちゅうの返信メール まさに完璧です。 この点差になると選手諸君も試合開始のファーストコンタクトで相手に飲み込まれてしまったようですね。 ディフェンスで終わってしまった60分。・・しかし、よく頑張りました。 Yahooで「安芸南」を検索してラグビー部のHPを見るとすばらしい戦跡を残しているようです。 我17期、高橋良彦の指導が本格化すれば五分に戦える相手とあんちゅうは考えますが、スポーツに力を入れている新興校の力の入れ方を思うと1術校生徒部には辛い所も・・・。 選手諸君、「言い訳するな」・「泣き言を言うな」と、自分自身にカツを入れ、日々の練習に励んでください。(良彦君もね)



2002年11月9日(土) 17期 伊藤 隆(水測)より
件名 : 久しぶりの同期会
久しぶりです。 長倉が、鹿兒島から久しぶりに佐世保に来たので(現在鹿兒島試験場先任伍長)みんなに声をかけ久しぶりに同期会をしました。 山口班長も67歳になりましたがまだまだ元気で勤めてます。 山崎が舞鶴に行くそうです。 氏野と理はいるのかな? 15期生の阿比留さんも途中から参加してくれて、おまけに高田さんまで電話をして呼び出しました。 15,17期は、卒業以来よくいっしょに飲んでいたから、今年の忘年会も久しぶりに一緒にやろうと決まりました。今写真を送ったけど、 少し重すぎたかな。 状況は、写真を見て判断して、適当に加工して掲載してください。  伊藤
あんちゅうの返信メール こんなに楽しそうなメールはいくら重くても結構です。 ありがとう! しかし楽しそうですね。 山口班長も元気そうで何よりです。 班長に会う機会があったら石橋教官も元気だったとお伝えください。たぶん臼井が話しているかもしれないけどね。67歳の班長に声をかける17期もエライけど2次会にまで付き合う班長はもっとエライ!!。15期生まで引き込んでの同期会。先輩を敬う心を忘れない在佐世保17期にカンパーイ!!



2002年11月8日(金) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り046−02
秋たけなわ、部落の生徒達は大忙しです。勉強は当然のこと、各運動部は秋季の大会参加、観閲行進の訓練、仙人部落も実りの秋です。そんな日々の中、一年生主力が江田島の老人ホームを訪れ、掃除、合唱等、お年寄りのために汗を流しました。年長者を敬い、大事にすることは、素晴らしいことです。人としての道でもあります。ありがとう!誇るべき我が生徒達よ!   年寄り?仙人より
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便りありがとうございます。 頑張っていますね〜1年生は。 4月に江田島の地に足を踏み入れてから半年が過ぎたんですね。 身体も鍛えられて逞しくなってきているのでしょう。江田島は一年中何かの行事がありましたが、今思えば秋からが一番辛かったな〜。カッター訓練・弥山登山競技・厳冬訓練のマラソン大会など。体操競技もありましたね。よくもまあいろんな行事を詰め込んだものだと感心しますが、今となってはいい思い出ばかりで、企画・指導した教官に最敬礼です。 生徒たちにワキメも振らせない行事の数々。それを一つひとつこなしていくうちに海上自衛官としての資質がはぐくまれていく事を当人たちは気付く暇もないでしょうが、頑張って欲しいと願わずにはいられません。



2002年11月7日(木) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 11月のご挨拶
研修報告拝見しました。 相談員の方には自衛隊について更に認識を深くしていただいたようで嬉しく思うとともにアンチュウにも御礼申し上げます。 ところで石橋さんに会ったとか、風の噂で江田島でボランティアされていると聞いていましたので今度江田島に行ったら私も挨拶しようと思っています。 11月もHP盛り上げて行きましょう。 ヨロピクゥ!
あんちゅうの返信メール 先日はお世話になり、ありがとう。 石橋教官とはほんとバッタリという感じで、何か、13期生か15期生の先輩に用があって江田島に来られたとの事でした。 臼井が呉に入ったとき臼井に声を掛けられ写真と撮ったとかいってましたが臼井からは音もサタもありません。 ・・冷たいヤツ・・。 30数年前の教官の声が 頭から離れません。 ・・オィッチニー! オィッチニー!!



2002年11月7日(木) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り045−02
部落の背後にそびえ立つ古鷹山も秋色が濃くなってきました。 秋になると、色んな行事が目白押しです。 過日、呉の追悼式に参加しました。 岩国の藤竹君にばったり会い、早速デジカメの餌にしました。 皆、それぞれの地で頑張っているんだと、とても嬉しい仙人でした。
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り045−02 ありがとうございます。 写真で見る限り、藤竹は相変わらず顔の色がいいですね。 先日、江田島でばったり会った石橋教官は30数年前、今の藤竹以上の色艶をしていた記憶があるのですが、退役された現在、普通の?顔色で居られました。 さて、藤竹の将来はどうなんでしょうか?



2002年11月5日(火) 江田島仙人より楯哲哉へ
件名 : 祝メルデビ
メールデビューおめでとう! ご無沙汰しています。 その節はお世話になりました。 大湊の諸兄は、皆相変わらず威勢が良いことと拝察致しております。 過日は、ハンドの海自大会で八戸まで進出したのですが、トンボ帰りで御地に行けなくて残念でした。 ご健闘を祈ります。 奥様、同期の皆さんに宜しく! GOOD LUCK!    江田島仙人



2002年11月4日(月) 17期 吉田喜和 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島は暖かかった
吉田です。江田島では大変お世話になりましてありがとうございました。連絡が遅れてすみません。まさかの校長校舎での宴と仙人自らの手作りの料理での歓待とおいしい新潟のお酒もう、感激でありました。大変ありがとうございました。私は、早速海演のため明日から搭載です。でも、幸せと思っています。一線で働けることは最高ですよ!今月の後半まで載っていますが、内の連中も搭載を争っている状態です。いつまでも、入れるかしれませんががんばります。最近、老眼でナイトフライトに支障が出てきている吉田でした。



2002年11月4日(月) 17期 安中 均より
件名 : 11月のご挨拶
17期同期諸兄、11月になりましたのでご挨拶を申し上げます。 日頃は17Th Homeをご覧いただき、誠に有り難うございます。 本日、11月4日あんちゅうの住む新潟県加茂市では初雪が降りました。 降ったと言っても積もる程ではないんですが初雪は初雪です。 昨年に比べて?と聞かれると記憶力の希薄なあんちゅうとしてはお答えのしようもございませんが早いのでしょう。 2002年ももう11月。 今月の誕生日の同期は・・・ などと書けるほど情報があればいいのですがこれもまた、希薄なあんちゅうの事、あるわけありません。 頭から(も)希薄なあんちゅうですが、気迫だけは「イキアシのある17期」を目指し今月も頑張りますのでよろしくお願い致します。 我17期、11月は気迫を前面に出し、頑張ろう!!
PS : もうすぐこの17Th Homeも10000をカウントするところに来ました。・・が、この17Th Homeのメモリアルカウントは、モチロン、10017。 管理人のあんちゅうは、記念品を用意してその日を待っています。 ゲットされた方は、”ファイル⇒送信⇒ページを電子メールで”によりあんちゅう宛まで送信してください。



2002年11月4日(月) 17期 安中均より
件名 : 楯 哲哉 メールアドレス公開のご案内
17期同期諸兄、新潟は初雪が降りましたがいかがお過ごしですか。 この度、大湊の楯哲哉がメールデビューを果たし、本人了解の下公開する事となりました。 楯は、そのメールの中で 「17期をどんどん盛り上げるため、積極的に参加していこうと思っています。」 と書いてくれました。 卒業以来大湊より離れた事がない楯に世間の厳しさを教えましょう。 CCで送ります。 楯と同期のコミュニケーションが広がりますように。 楯哲哉 ****@****



2002年11月4日(月) 17期 安中均より 17期 楯 哲哉へ
件名 : 元気な様子。
楯、安中です。 あんちゅうです。 氏野からのメールでアドレスを知りました。 久しぶりどころか卒業以来ですね。 元気そうで何よりです。 ご存知のように17期のホームページ ”17Th Home” を開設し全国に散らばっている同期の絆を深めるべく、更新に精を出しています。 たまには見てもらっているでしょうか? 30日に江田島に行ってきました。 黒木悦郎・上田三佐夫・高橋良彦・藤原和郎・平井分隊長そして、思いもかけなかった石橋教官にもお会いできました。 ところで、17Th Homeでは、同期のアドレスを公開し、メールも公開しています。 了解が得られれば、みんなに楯のアドレスも公開したいと思いますがいかがでしょうか? 連絡を待っています。
楯 哲哉からの返信メール 早く参加したいと思いながら、この間やっとの思いでこの機器を購入し、インターネットの設備を整えました。 分からない事ばかりで少し情けないけど、頑張ります。 氏野が来たときにいろいろ教わり、やる気満々でいます。 卒業以来、大湊地区から動くことなく、ここまで来ました。 二十数年間、来湊された各分隊長、同期とは必ずと言ってイイほど、一緒に酒を飲み、語り明かしました。 なにしろこちらには猪股!(来年春まで稚内勤務の予定)という頼もしい奴が居ましたから。 その度に、本人はもとより同期のホットな情報を得ることが出来、顔を思い出しながら、いつも大笑い! 同期のありがたみを痛感しています。 ホーム・ページができる前は、こんな時でないと中々みんなの情報を得ることは出来なかったけど、今はまさしく、安中の努力の賜物です。 瞬時に得ることが出来ますし、姿まで見る事が出来るのですから。 これからは、17期をどんどん盛り上げるため、積極的に参加していこうと思っています。 安中、これからもよろしくお願いします。 そして、メール・アドレスの件もよろしく。頑張りましょう。
あんちゅうの返信メール イヤーよかった。 楯からの返信メールが来なくて氏野に問い合わせのメールを出してしまいました。 氏野からの返信によれば、楯自身はあまり利用していないような書き方をしていましたが、このメールを見る限り自分が参加せずに17期が盛り上がるわけがないとの積極的な発言。 心強い限りで誠に有り難うございます。 この17期ホームページ(17Th Home)は、出来る限りメールをそのまま公開していますが、注意して欲しい事が少々ありますので3点ほど挙げますと 1 国防上、重要な情報は投稿・掲載しない。 2 個人情報にかかわる事は掲載しない。 3 物の動きに関する事は掲載しない。 以上です。 楯のアドレスを17期と江田島仙人に公開しますし、楯にも送ります。 17Th Homeの正しい見方は、試行錯誤し体得してください。 17期定時連絡 http://www.ginzado.ne.jp/~denzen/17th.teijirenraku.htm が更新情報になっており必ず見てください。 それではいま少ししたら皆のアドレスを送信します。 これからも宜しく。



2002年11月4日(月) 17期 安中均より
件名 : 椛島英明アドレス削除のお願い
このたび 呉の椛島英明のアドレスがなくなりますのでアドレス帳より削除をお願い致します。 たぶん30周年の連絡で使用していたアドレスが呉総監部広報のアドレスでそのままになっており関係者には多大なご迷惑をお掛けしてきました。 呉監広報には上田三佐夫を通じ丁重にご無礼をお詫びしていただきました。 よろしくお願い致します。



2002年11月3日(日) 17期 高橋良彦より
件名 : 試合結果
対府中東戦46対10(前半27−5)で勝利を納めました。応援有難うございました。又、パソコントラプッテマス暫くおまちを。
あんちゅうの返信メール おめでとう!! おめでとう!!! あんちゅう
高橋良彦の返信メール 有難う。次ぎは優勝候補安芸南です。 頑張ります。
あんちゅうの返信メール 優勝候補安芸南がなんやー!! 候補だけやんけ!! 優勝は生徒部にきまっとるんじゃー!! おんどりゃー!なめたらあかんでー!! ワレー!!



2002年11月3日(日) 17期 重永幸敏より
件名 : こんばんわ!
こんばんわ! やっとパソコンが直りました。 夏休みは、本当にありがとうございました。 家族一同感謝してます。 さっそくですが、ここに夏休みの楽しかったひとときの写真を送ります。 奥さんにもよろしく 伝えてください。 二回に分けて送るよ! (^_^)v重永幸敏
あんちゅうの返信メール パソコン治りましたか。 これで17Th Homeも見れますね。 添付写真全部掲載すると重くなるので一部を掲載します。 明るいお嬢さん3人ととても 楽しかったひとときが又、思い出されました。 来年は是非、長福寺傳左衛門宅にもお立ち寄りください。 お待ちしております。
「あんちゅうの呉・江田島訪問記」が出来ましたのでご覧下さい。 またのメール待ってます。



2002年11月1日(金) 新潟地方連絡部より
件名 : 写真遅くなりました。
研修旅行では色々お世話になりありがとうございました。 学校長始め同期の方々の配慮に感謝致します。 現在募集課長の指導を受けながら、研修アルバムを作成中です。 しばらくお待ち下さい。(期待しないで・・・) 送付以外の写真も必要で有ればメール下さい。 小田
あんちゅうの返信メール こちらこそ大変お世話になりました。 添付写真、ありがとうございます。 早速使わせてもらいました。 ”あんちゅうの呉・江田島訪問記”を17Th Homeに掲載しました。 暇があったら見てください。 研修アルバム、期待して待っています。 尚、小田さんが撮られた全部をCDに焼いていただく事は可能でしょうか? 事後、お忙しいところ申し訳ありません。



2002年11月1日(金) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り044−02
1 長福寺の募集相談員 安中君!呉・江田島研修お疲れ様でした。清子さん!留守番有り難うございました。確か、25周年を呉で行って以来の当地訪問だと思いますが、公私の目的は果たせたと拝察します。酒を酌み交わせなかったのは極めて残念でした。でも、流石新潟地連の計画です。酒の美味い新潟の方は、よそに出る時は休肝日にするのですね。前日の29日夜遅く、広島のホテルに着かれ、外出されなかったとか。30日の夜は???
2 仙人部落は秋たけなわです。生徒ラグビー部は花園を目指して、猛訓練中です。片や、学生は、観閲行進の訓練の真っ最中です。いずれも仙人顔負けの力の入りようです。全国何処にもない仙人部落ならではの、清々しい風景です。 髭ならぬ目尻が垂れてる仙人より
あんちゅうの返信メール この度の呉・江田島研修ではすっかりお世話になりありがとうございました。 おかげさまで仙人仰せの通り、公私共々、目的以上の成果を上げられたのではないかと感謝しております。 残念ながら、酒所の生まれつき持った習性は如何ともしがたいところがありまして30日夜は他の方々と一緒に広島の気品高い店に連れて行ってもらいました。 そこのコースターを記念に2枚頂いてきて、今、ロックグラスの下に鎮座しております。 今後も、江田島仙人便り、宜しくお願い致します。 「あんちゅうの呉・江田島訪問記」作成の為、返信が遅くなった事お詫びいたします。




17Th Home 徒然草 2002年10月



2002年10月31日(木) 17期上田三佐夫より
件名 : Re: 17期 徒然草 に掲載します。
研修お疲れさんでした。短時間でしたが元気そうで何よりでした。藤原とは会えましたか?記念写真を添付します。ではまた・・・。



2002年10月31日(木) 17期安中 均より 17期 高橋良彦へ
件名 : ありがとう。
30日は忙しい中、同伴と案内、どうもありがとう。今週末はラグビーの県大会予選を控え、忙しいのに申し訳なかった。良彦のおかげで相談員の方々の海自に対するイメージは、ガバーっと上がったようです。持つべきものは同期だと改めて実感しました。(ちょっと上げすぎましたかね〜。)あんちゅうの呉・江田島訪問記は後日として、とりあえず、御礼まで。
高橋良彦の返信メール  江田島研修ご苦労様でした。 久しぶりに、安ちゅうの元気な顔を見ることが出来大変嬉しく思いました。 満足のいく案内も出来ず失礼しました。 相談員の方々に満足して頂けなっかたかと思いますが、後のフォロー宜しく。 これから勉強し、来る11月20日にやちゅうが来たときはバッチリ決めさせていただきます。 教育参考館のCDが出来ましたので後日送付します。 参考にしてください。



2002年10月31日(木) 17期安中 均より 17期 藤原和郎へ
件名 : ありがとう。
30日は忙しい中、ホテルまで来てもらいありがとう。 相変わらずの ”イントネーションの魔術師” 藤原クンの藤原弁にスッカリ酔ってしまい気持のいい時間を過ごせました。一杯やりたかったけど又仕事にと、残念でした。 次の機会まで我慢しましょう。あんちゅうの呉・江田島訪問記は後日として、とりあえず、御礼まで。
藤原からの返信メール 無事着いたみたいですね。 またの機会にゆっくり会いましょう。 お互い元気で。



2002年10月31日(木) 17期安中 均より 17期 上田三佐夫へ
件名 : ありがとう
30日は、忙しい中、どうもありがとう。 今回は一献もできなく残念でしたが、またの機会と致しましょう。 広島の藤原にも連絡を入れてくれて重ね重ね、御礼申し上げます。 藤原とはホテル前の喫茶店で1730より1825までゆっくりといろんな話が出来ました。 彼は、その後仕事とかでわかれましたが相変わらずの”藤原弁”にあんちゅうまでホンワカしました。 あんちゅうの呉・江田島訪問記は後日として、とりあえず、御礼まで。



2002年10月31日(木) 17期安中 均より 17期 黒木悦郎へ
件名 : ありがとう。
30日は大変お世話になりありがとう。 生徒時代とちーとも変わりなく、手術をしたことなど考えられません。 江田島に渡り、「黒木はちーとも変わりなかったぞ。」と高橋に言ったら、高橋曰く、「あんちゅうは生徒時代の黒木と現在の黒木だけ見ていて途中抜けているから。」と言っていました。 高橋に言わせると手術前はだいぶ太っていたようですね。 無理をせず、そこそこに頑張ってください。 相談員の全員が、潜水艦バースを離れる時の自衛官全員の帽フレにえらく感激し、海自のイメージをそれでグッとアップさせたようです。 乗組員の皆さんに宜しくお伝えください。 あんちゅうの呉・江田島訪問記は後日として、とりあえず、御礼まで。



2002年10月31日(木) 17期安中 均より 江田島仙人へ
件名 : ありがとうございました。
30日は大変お世話になりありがとうございました。 仙人自らの案内と見送りに相談員一同、大変感激されていたようです。 あんちゅうとしましても仙人の制服姿を見る事が出来、常々、想いをしていた事が現実となりこの上ない感激でいっぱいです。 あんちゅうの呉・江田島訪問記は後日として、とりあえず、御礼まで。



2002年10月31日(木) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 17期 徒然草 に掲載します。
研修お疲れさんでした。短時間でしたが元気そうで何よりでした。藤原とは会えましたか?記念写真を添付します。ではまた・・・。



2002年10月30日(水) 17期吉原英夫より
件名 : ウィルス感染のお知らせ
2日前にw32.bugbearというウイルスに感染しました。おそらくみなさんにわたしのアドレスで1.mpg.scrというファイルが届いたと思われます。もしまだ開いていない場合は至急削除してください。もし感染してしまった方はシマンテックHPから駆除ツールをダウンロードし駆除してください。大変ご迷惑をかけまして申し訳ありませんがよろしくお願いします。 吉原



2002年10月29日(火) 14期生下條先輩より
件名 : Re: 御無沙汰しております。
返信有難うございました。 返事が遅れ申し訳ございません。 奥様、快方に向かわれたとの様子、何よりです。 ただ遺憾なのは先輩の忠告を無視した安中生徒の、相変わらずの亭主関白振り。 前々回のMailにも書かせていただきましたが、亭主関白度120%の私が敢えて有言不実行の禁を犯し、後輩の為に心を鬼にいたし、贈った忠告、実行されていないとは言語道断です。 罰として腕立て伏せ100回、これで少しは奥様の苦労を思いやるように。
先輩風を吹かすのはこれぐらいにいたしまして、 そちら加茂市下条では(げじょうと読むのですね)まだ紅葉が色づいていないとの事。 先週、谷川岳へ妻とドライブに行ってまいりました。 柏より、外環、関越を通り約200K、3時間弱で谷川岳 麓のマチガ沢、そこから木漏陽が射すぶなの林を1時間ほど歩き、一の倉まで参り、ロッククライミングの名所、万年雪をいただく、一の倉の断崖絶壁に息をのみ、その後天神平からロープウエイに乗り一気に800mほどの高度を登って来ました。 登るにつれ樹相が変わり段段と紅葉が濃くなっていきます。 頂上からの眺めは素晴らしく東は武尊山、日光の皇海山、西はすぐ目の前に谷川岳、南は遠く浅間、そして、榛名、妙義、赤城の上州三山、北は朝日山そしてその奥が新潟なのかと 雄大な眺めを満喫し遠くの地に思いを馳せました。
帰路は奥尾瀬の照葉峡、利根の源流に散る紅葉を愛で、奥日光の露天風呂で疲れを癒し(ビールが飲めなかったのが残念ですが)、夜9時ごろ帰宅しました。 忙中閑あり、日ごろの行いにより天候にも恵まれ、秋を満喫できた一日でした。 あと暫くするとそちらにも谷川岳の素晴らしい紅葉が降りていくと思います。 14期 下條
あんちゅうの返信メール 返信遅くなり申し訳ありません。本日、呉・江田島研修より帰ってきました。 日頃の行いの良い後輩安中?のおかげですばらしい天気に恵まれました。 江田島は相変わらずの綺麗さでそこに学ぶ学生・生徒達の昔と変わらぬ甲板掃除に江田島教育の原点を感じて来ました。 かなり厳しい日程で残念ながら下條先輩の同期坂口先輩や15期生河西先輩には会えませんでした。 呉・江田島訪問記は後日にさせていただきます。



2002年10月27日(日) 17期藤原和郎より
件名 : 呉・江田島研修の件
久しぶり、先日上田から安中の日程表貰いました。なかなかタイトな日程みたいですね。こちらも今忙しいのですが、30日1700から1830の夕食前の時間だったら大丈夫かも。会社から国際ホテルまでわりと近いので、もし安中も時間がとれる様だったら連絡下さい。わずかな時間だけど会いましょう。
携帯******です。



2002年10月27日(日) 17期氏野良則より
件名 : 大湊特派員より−氏野
大湊取材班の氏野です。 現在、楯の家でくつろいでいます。 昨夜(土曜)は、現在大湊にいる立川、楯、野田(末盛)、水川の4名が特派員の氏野、伊藤(理)を歓迎して、宴の会を開いてくれました。 私としては、卒業以来初めての野田との再会に感激しました。 更に、みんなも驚く水川のテンションの高さ。 その裏には、初めて聞き出した「脱走兵の真実」物語からテンションが上昇していったのでした。 文学少年?だった水川の真実が昨夜、証されました。 また、義理の弟(娘のダンナ)が生徒出身で、現在私が指導中の「いしかり」ソーナーマンということもスクープできました。 楯の長男も海自で、現在硫黄島勤務とのこと。みんな子供達も大きくなり、親の跡を継いでいる者も、同期の中では少なくないことを感じました。
さて昨夜は、伊藤(理)が楯の家の3階(自作の小屋浦)で泊まり、今朝、FTGで仕事中?の私を迎えに来てくれました。 この楯の反省部屋?は、大変立派で、階段を取り付けドア、壁、床に至る全てを自分で毎日コツコツと作り上げたそうです。 楯のイメージからブチ壊す(笑)だけでなく、物を作るという才能があったのかと改めて感心した次第です。 大空の楯、野田(単身赴任)、水川、大シ通の立川。現在、稚内に行ってる猪俣。 ともにみんな元気でバリバリやっています。 PS:宴の集合写真を写したのは、楯でした。背後霊ではありません!
あんちゅうの返信メール 江田島に行く嬉しさのあまり、返信メール、ご容赦ください。ナ〜ンてことはありません。 ・・ が、とりあえず返信メール今しばらくお待ちください。
あんちゅうの返信メール 相変わらずの氏野節、恐れ入ります。 懐かしい顔ぶれが集まりましたね。 立川・楯・野田(末盛)・水川・・ みんな元気そうで何よりです。 水川の「脱走兵の真実物語」は30周年で市ケ谷であった時に聞く機会がありとてもおもしろかった。 ところでこのメール、楯にもCCで送信していて楯のアドレスに11月2日、メールを送ったんだけどこの時間まで返信がありません。 あまり見ていないのかな〜。 30日、呉・江田島に行ってきました。 メールばっかりでインターネットを開かない氏野くん、あんちゅうの呉・江田島訪問記が17Th Homeに掲載してあるので見てチョウダイ。 大湊取材班ご苦労様でした。 今度は何処に取材に行ってもらおうか??



2002年10月26日(土) 17期高橋良彦 17Th Home掲示板投稿より
件名 : RUGBY広島予選始まる。
RUGBY全国大会広島予選が、10月26日から始まりました。わが西高(生徒部)は、11月2日(土)1410から広島県営グランドで、1回戦府中東と対戦します。 春の新人戦では、唯一勝っている相手ですが、秋は分りません気持ちを引き締めて戦ってきます。2回戦は、優勝候補の安芸南(俺たちの頃はいなかった。)です。花園にいくためには、広島で優勝しなければなりません、春は負けているそうなので借りを返して来ます。合言葉は「花園」です。 ただ、3年生が29日から11月1日まで乗艦実習で居りません、なんと言うめぐり合わせでしょうか。年間予定に入って居るためいたし方ありません、全力で頑張ってきます。皆さん、応援宜しくお願いします。



2002年10月26日(土) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り043−02
長福寺殿は、福井の方へ懇親・息抜きの旅とか、素晴らしい旅にして下さい。 と言いながら、仙人得意の留守強襲の術・メール山積の術とまいります。 過日、部落の池に、可愛い小魚がびっくりするような、大きな艦(ふね)がたくさん入って来ました。 それらの中で、弟子達が16名修行しています。 皆、元気で楽しそうでした。 大きな艦の皆さん!ありがとう!甘やかさないで鍛えて下さい。 あれだけ艦が来たのに、17期の姿は、吉田喜和君ただ一人。 氏野君みたいに丘のカッパ組となり、指導的立場に変わっていくことは当然です。 現に艦に乗っている17期諸兄、感謝の気持ちを忘れずに頑張って下さい。 吉田君には、高橋君とともに、仙人の棲み家で粗末な精進鍋料理をふるまいましたが、高級デジカルでテーブル上を撮さない、後片づけする躾は、流石に立派です。 江田島に来訪する人へ、野菜が収穫できた時しか、ふるまえないので、悪しからず!  カッパ仙人より
あんちゅうの返信メール 福井の旅は残念ながら天気に恵まれませんでしたが、東尋坊でワインを買い、港のホテルで呑み干し、永平寺をお参りし、兼六園でお銚子15本付きの昼食を食べ てきました。相変わらず、 話・笑・呑・話・呑・騒・笑・呑・呑・・・・ 呑・笑・呑・笑・話・・・呑・話・笑・呑・呑・呑・・・・。
で、本日は休肝日。体調整え、いざ江田島へー!! あまりの嬉しさに 返信になりませんでした。スミマセン。



2002年10月25日(金) 17期小池正行より
件名 : Re: 10月のご挨拶
前略  長福寺 傳左衛門様ご無沙汰しています。 小池です。  今日約1ヶ月にわたる中央病院放射線技師養成所の実習が終わりました。  今年は、今までと違い資料をあまり使用せず、ちょっと手抜きをしたかなと自分では思いつつ必要最小限の講義と実習はできたと思っています。 やっぱり素直で礼儀正しい学生は、我々にとって数少ない歓迎される存在です。  現代社会における人格形成の教育ができる環境は、本当に限られてきたことをつくづく思います。   ところで早速仙人からもらった5省の資料が、最後の反省会で出番を見ました。  ちょっと私自身興奮していたせいか、いきさつをうまく伝えられなかったこともありましたが、20年後にもう一度5省を尋ねててください。  人生におけるあなた方に伝えることは最新の医療技術や医療画像だけではない。  いかに誠実に物事を考え実行すること自分にうそをつかないことを伝えられるかだと思いました。  考えれば考えるほど深みのある5省の言葉に私自身も今までの人生を振り替えざるを得ませんでした。  江田島仙人には本当に感謝しています。ありがとうございました。
ところで話は変わりますが、17期ホームページを見て少し、かってに危惧していることがあります。  それは、セキュリティーについてです。  オーナーや私のように自衛官を辞めた仲間は別にあまり深く考えていませんが現職の自衛官には、行動を制限されたり隠密にする場合があると思います。  艦の行動計画や次の停泊地に関しての予定などをホームページ上で世界中(インターネット)に公表するのは如何なものかと余計な心配をするものであります。  また、同期名簿の公開も、セキュリティーの上からあまりフルネームでの公開はどうかと思います。  姓だけでも誰かは、同期であればいとも簡単に把握できると思います。  ペンネームやハンドルネームでも十分意思は伝わります。  ここで書いた文章は、世界中の誰が見ても良いですよというのが原則です。 したがって、釈迦に説法だと思いますが、情報公開して良いものとしてはいけないものを区別して多いに討論や連絡を密にしていただきたいと思います。 月末に仙人にあったらその点をもう一度確認して、御教授していただけたらと、かってに思っています。  では良い部隊研修になることをお祈り致します。    早々
あんちゅうの返信メール メール、ありがとう。 小池が 「・・なかりしか・・・なかりしか」と書いてくれたお陰で我々も五省のなんぞやを再認識する機会を得ました。 「こういうのは俺が詳しいの!」と たぶん、同期の誰もが思いもつかなかった突然に現れた鍋島がおもしろかった。鍋ちゃんらしい。
ところで、後半の問題ですが、あんちゅうも十分気をつけながら掲載しているつもりですが、確かに小池の危惧するところは常にあります。 17Th Homeでは、公開を前提にメールを寄せて貰っています。 したがって都合悪い事は書いていないと理解し、一部を除き全て掲載してきました。一般市民になったあんちゅうは、現役から送られてくるメールを掲載して良いか悪いかの判断は出来ないところです。心ある同期は、掲載して欲しくない旨を書いてきていますが、17Th Home開設以極々少数です。また、非公開の意味も含めて、メーリングリストなるものも立ち上げましたが9月、10月と投稿がないのが現状で、我、17期は堂々と掲載される文面を打つことにある良さを感じているのではないでしょうか。 問題は次の同期名簿の公開です。 ・・悩みました。 が、結果、公開しました。 もし17Th Home上に公開されて不利益や迷惑をこうむられた人が居たら即座に消去したいと思います。 名簿公開の目的は9月7日に今田俊介に書いた返信メールに記載しましたのでご覧下さい。 仙人が拙宅に慰労においでになったとき、そういうことを聞きましたが、雲上仙人曰く、「イインジャナイノ。」 ・・この問題は管理人をしている限り、注意をしなければならない事と常に承知をしていますが、また、気付いた事があれば是非、お聞かせください。 また、同期にはこの場を借りて、掲載していいものを送ってくれるようお願いをしておきます。 江田島では楽しんできます。



2002年10月25日(金) 17期重永幸敏より
件名 : 元気〓
俺も、社会復帰してやっと、3カ月が無事に過ぎたよ(^O^)なんか最近ドコモの仕事に、慣れてきた感じだね\(^O^)/これからも、自分のため、家族のために頑張るよp(^^)q
あんちゅうの返信メール 元気に仕事を頑張っているようで安心しました。  早いもので重永一家と食事をしてから3ヶ月が過ぎたんですね。 奥さんも娘さんも元気ですか? 宜しくお伝えください。 あんちゅうは明日から呉・江田島に行きます。黒木悦郎・上田三佐夫・高橋良彦・藤原和郎の各氏と会う予定です。 重永も頑張って35周年に江田島へ行きましょう。・・・あまり焼酎を呑み過ぎないように。・・・・・しょっちゅう呑んではいけません??



2002年10月25日(金) 17期安中 均より
件名 : 旅に出ます。
いつも17Th Homeをご覧いただきまことにありがとうございます。 明日(26日)と明後日(27日)まであんちゅうは旅に出ます。 長福寺部落の のっぴきならぬ仲間5人で20数年続いている旅行です。 今年はあんちゅうが幹事。 インターネットで宿探しをし、北陸は福井県三国町。東尋坊近くの港のホテルです。 「福井県の北の方にあり、九頭竜川が、日本海の荒波にそそぐ漁港のある町」と書いたのは番上ですが、たぶんその番上の生まれた町と思います。 越前がにの解禁には10日ほど早いようで残念ながら口に出来そうにありませんが、三国の味を堪能してきます。 17Th Homeをご覧の皆様にはおみあげを買ってきません。 (一同 ガクッ!) 28日は仕事をして、29日からは待望の呉・江田島です。 あ〜ぁ いそがしー!!



2002年10月23日(水) 17期伊藤 隆より
件名 : 准尉講習が終わりました。
お久しぶりです。奥さんのことを今日知りました。快方に向かっているとのことでなによりです。なお一層大事にしてあげてください。
50日におよぶ准尉講習がやっと終わりました。最後の一週間は飲みっぱなしで、内蔵が壊れそうです。前回受講した竹下の話とはまったく違っていて、今回の講習はとても厳しいものだったらしいです。(売店の散髪屋のおばさんの話から)。一美も、山下もみんな一緒にブツブツ言っていました。始講式の日は猛烈な残暑で、ダラダラの汗をかいたのに昨日、今日は肌寒いくらいの天気で季節の移り変わりを実感できました。岩国研修時に、小川と、藤竹に会ったのでスナップを添付します。(15期生の三木さん、16期生の佐藤さんも写っています。)忘れていましたが、呉の同期会ではおいしい酒をいただきました。(ごちそうさま) 臼井があちこち出没しているようですが、 うらやましい限りです。
あんちゅうの返信メール 准尉講習、ご苦労様でした。 もう佐世保に帰ったのかな? 一実や山下が口をとがらしてブツブツ・・ブツブツ・・・ ハッキリと目に浮かびます。 一実は時折、声を荒げて 「なーんで!・・・ ブツブツ・・・」 山下は張りのある声で 「どーして!・・・ ブツブツ・・・」 タハ! オモチロイ!! 原隊に帰ってからも頑張ってください。 モチロン、17Th Homeのためにも頑張ってもらわなければなりません。 30日に呉と江田島に行く機会を得ました。呉では黒木と上田が、江田島では高橋が案内をしてくれるとの事、17期のみんなには、感謝、深謝です。 写真、もう少しサイズが大きい方が顔が良くわかってありがたいので今後はヨロシク。 お疲れさま。・・ご苦労様。
追伸 : あちこち出没している臼井には、竹下からのメールの言葉を頂いて ”ひょっこり・臼井” の名を冠しました。



2002年10月23日(水) 17期高橋良彦より
件名 : 吉田IN江田島
11月21日 124空の吉田1尉が3群の「はまぎり」に乗艦し江田内に入港しました。 早速江田島の一杯飲み屋で25周年以来の杯を組み交わしました。 翌22日は、江田島仙人の棲家で江田島仙人の手料理で正平さんが送ってくれた越乃寒梅で一献酌み交わしました。 吉田も元気で仕事にスポーツに頑張っているようです。
あんちゅうの返信メール 昨日は、お楽しみのところ大変失礼いたしました。 吉田が江田島に行く事は彼からのメールで知っていましたが、まさか、仙人の棲家に現れていたとは思いもつきませんでした。 元気そうで、変わらぬ顔にカンパーイ!! 仙人の手料理のメニューはなんだったのでしょうか? 大変気になります。 長いこと仙人暮らしをしているからきっと、料理も上手いのでしょうね。 添付の写真では、ちゃんと後片付けをしているようですが、掃除と洗濯もしてきましたのでしょうね?



2002年10月23日(水) 17期上田三佐夫より
件名 : Re: 呉・江田島の日程
呉監広報で予定表を入手しました。残念ですが夜間の研修は実施できませんね。呉では黒木と私がご案内いたします。広島の藤原君にも連絡しておきます。ではまた・・
件名 : Re: 呉・江田島の日程
呉、江田島研修のスケジュール広島の藤原君にもしらせておきましたので、29日連絡があると思います。黒木とも本日打ち合わせをしまして、30日潜水艦研修等は黒木君が一緒に廻ってくれるそうです。私も行く予定でいるのでよろしく。ではまた・
あんちゅうの返信メール ありがとう。 いろいろお世話になります。 呉では上田、黒木が案内してくれるし、江田島では高橋が案内をしてくれて17期オンリーで、こんなにうれしい事はありません。 どなたかの力が働いてる事は重々承知をしています。 ありがとうございます。 夜は、機密扱、厳重注意、他言無用の極秘の場所で上田と黒木の研修を受けるべく用意万端していたのですが、又の機会といたしましょう。



2002年10月22日(火) 17期前畑啓二より
件名 : ぶにせとよかにせ
上陸しようと岸壁に降りたら、臼井の艦が泊まっていた。 今晩の予定でも決めようと会いに行ったらなんと夕方5時に出港とのこと。 仕方ないので『ぶにせ・とよかにせ』の写真を送ります。
あんちゅうの返信メール 「ぶにせ・とよかにせ」 には、参りました。 ”ぶにせ” ・ ”とよかにせ” にくぎって読めるからです。 「なんじゃコリャ??」 というのがあんちゅうと妻の第一声でした。 ここがインターネットのすばらしいところ。 あんちゅうは ”ぶにせ” と ”よかにせ” で検索。 ”よかにせ” とはカッコイイ人、二枚目という意味の鹿児島弁で ”ぶにせ” は その反対の意味。 添付の写真を見れば 「ん〜 うなずけるかな〜?」 と、 **にはキツーィ言葉をツイツイ、ほんのショウショウ思ってしましました。 ・・が、それはそれなりにアジのあるイイ顔になってきましたね、**君。 前畑は、これをよく見て欲しかったらしく、ナント1280×960 3.5MBの大きさで送りつけてきましたが、 17Th Homeには大きすぎるのでそれなりに縮小し、未来のことも考え、トリミングして掲載しました。 それにしても二人とも爺さんになったのだと風の便りと本人の告白で知りましたが、どうなんです?ジイさんになった感想は??



2002年10月22日(火) 17期吉原英夫より
件名 : 下総地区OB会
9期生の黒川1佐(特別昇任)を記念と91期予定者の航空実習者歓迎を兼ねて下総地区OB会を実施しました。この日下総にはATO入校中の下館(旧姓麻生)91期幹予で航空実習中の逃亡いや違った当房が居ましたので。無理矢理表に連れ出して「ホームに乗せるから往生せい」ということで写真とっちゃいました。
あんちゅうの返信メール 下総地区OB会報告、ありがとう。 下館(旧生麻生)とは30周年市ケ谷で会いましたが、吉原、当房両君とはたぶん、卒業以来の近況写真でしょう。 元気そうで何よりです。 吉原はすぐわかりましたが、当房は思い出すのに少々時間がかかりました。 なにやら「ホームに乗せるから往生せい」と恐喝された様子がわかる顔ですし、恐喝した吉原は「してやったり!」のニコニコ顔。 隣に居られる方が9期生の黒川1佐なのでしょうか? 下総では生徒OB会なるものが行なわれているのですか? 下総といえば生徒時代、ラグビー大会の合宿先として行った事が思い出されます。 冬でしたが毎日毎日、強い風が吹き、砂ぼこりの中でボールを追いかけていた事。 ビリヤードがあり4つ球のやり方を教わった事。 落花生を一斗缶で実家に送った事・・など等。 逃亡・・失礼、当房にも宜しくお伝えください。 又の下総情報をお待ちしています。
吉原英夫17Th Home掲示板投稿より 先に投稿した下総地区OB会の写真で一番右端に移っているのは黒川さんではなく下館ですよ.麻生がお怒りです.
あんちゅうの返信メール 大変失礼をば、致しました。 麻生にはくれぐれも、ひらにひらにあんちゅうが謝っていたと申し上げて下さい。 あんちゅうの中では、麻生はニヒルでシャイ。 よって、あんなに口をあけて歯を見せ笑っている顔が、記憶にありません。 30周年の市ケ谷の時も2次会に行く道中、麻生にその様な話をした覚えがあります。 下総OB会が如何に楽しかったかの表れと思いますが、なにはともあれ正直に謝ります。 下館(麻生)、 ゴメン・ゴメン。



2002年10月22日(火) 14期生下條先輩より
件名 : 御無沙汰しております。
御無沙汰しております。 その後奥様のお加減はいかがですか? もうギブスは取れましたか? 安中生徒の加茂市は大分内陸部なのですね。 もう紅葉が盛りなのではないでしょうか? 来週はいよいよ江田島ですね。 羨ましい限りです。 同期の坂口達、15期の河西生徒が水測課の教官で勤務しているそうです。 若し会えたら宜しくお伝えください。そしてもちろんのこと平井仙人にも。 どうぞ良い旅を、現地特派員報告楽しみにしています。  14期 水測 下條
あんちゅうの返信メール メール、ありがとうございます。 賢妻はギブスも取れ、傷も治りつつありますが先日、病院で握力を測ったらナント!8キロだったとか!! 然るに愚亭は神様、下條先輩の「負担をかけぬよう最善を尽くすように。」「14期神様からの絶対命令、厳守するように。」のお言葉もききめなく何の手伝いもせず、相変わらずの生活ぶり。 賢妻「下條先輩の言葉、忘れたの!!」 愚亭「ハイッ!!」 少しは安中家の内情が垣間見えたでしょうか。
新潟県加茂市下条(げじょうと読みます。)は、少しずつ秋の色が見え始めていますがまだ、盛りとまでは行きません。 もう1週間から10日くらいでしょう。
本日、呉・江田島の同期と仙人に日程をメールしました。 時間がなく同期との一献は望めそうにありません。 今回の訪問目的は相談員の方々に海自を身近に感じて理解してもらう事が第1だと思います。 生徒先輩諸氏にもお会いできたら下條先輩の事を伝えます。



2002年10月22日(火) 17期安中均より 17期 高橋良彦へ
件名 : Re: 江田島案内(遅くなりました。)
江田島案内ありがとうございます。たぶん、必死になって、一生懸命指と目を動かし、酒も呑まず、パソコン立ち向かっている良彦君が思い浮かびましたが当たってる??この文面をよく見て、一緒に行かれる相談員に江田島の歴史を話せればいいな〜。 なんて思っているあんちゅうです。良彦君の努力を無にする事は出来ません。 ・・ハイ!



2002年10月22日(火) 17期安中 均より 江田島仙人・呉江田島の同期へ
件名 : 呉・江田島の日程
いつも17Th Homeに投稿ありがとうございます。 募集相談員呉・江田島研修の日程がわかりましたのでお知らせいたします。 10月29日(火) 1920新潟空港発 2120 ひろしま国際ホテル着 2200懇親会 10月30日(水) 0730 ひろしま国際ホテル出発 0850〜1100 部隊研修(潜水艦、潜水艦教育訓練隊他) 1145〜1200 第1術科学校長表敬訪問 1200〜1300 昼食会(レストラン江田島 : 学校長と会食) 1300〜1500 部隊研修(幹部候補生学校、参考館他) 1700 ひろしま国際ホテル着 1830〜2030夕食 2100〜2300 2次会(市内スナック ”ブブ” : 有志のみ) 10月31日(木)0730 ホテル出発 0940 新潟空港着 ご覧のように泊まりはいずれもひろしま国際ホテルとなっていますので残念ながら呉・江田島の同期とは一献も交わせない事となりましたが訪問の目的が目的ですのでこれも致し方ありませんし、他の相談員の方々に、海自により一層の理解をして貰いたいと思っています。 (広島では藤原に会えればラッキーと思っています。) 新潟地連のはからいで昼食会の席は仙人の隣が用意されてるようです。ありがたい事です。 呉では会えれば嬉しいですが、そちらも都合のある事、無理をなさらぬように。江田島では高橋には会えそうです。とりあえず、連絡まで。



2002年10月18日(金) 17期氏野良則より
件名 : 氏野です
今朝、竹原が舞鶴に入港しました。 今まさに絶好調です!先程、同じマンションの住人で竹と剣道仲間が訪ねてきました。 部屋を替えてまた飲み始めたのですが、まさに写真で見るとおり「お説教TIME」真っ盛り。竹ちゃん節、絶好調です。 1週間、舞鶴にいるそうだけど、私は、日曜から大湊に出張します。 では、次は大湊での状況を連絡します。 またネ。−氏野−
あんちゅうの返信メール 絶好調のタケちゃん節の様子が手に取るようにわかるのは、あんちゅうだけではありません。 ・・いつもうちのたっけはらがご迷惑をお掛けし、氏野の奥様にはあんちゅうが替わって御礼申し上げます。 幸い、氏野が日曜日から出港とか。ホッとしました。 たっけはらが舞鶴に一週間もいたら大変ですものネ。 大湊からの特派員報告、楽しみにしています。



2002年10月18日(金) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り042−02
16日に海上自衛隊ハンドボール大会観戦のため、八戸に行って来ました。 仙人専用でない雲に、乗り継いで10時間。 試合観戦はさておき、在八戸の、浦田、松島、蒲田君に、強引に人寄せの術をかけ、デジカメの餌にしました。 川浪君は市内のハンドポール会場に役員としていたので、話だけしました。 その後、仙人は、韓国巡航訓練艦隊が江田島に来ているため、その日の内に雲に乗って部落に帰りました。 皆と酒を酌み交わすことができず、残念無念!それは八戸港に入った臼井君に譲りました。  休肝日が大好きな仙人より
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便りならぬ、”八戸仙人”便りありがとうございます。 さすが仙人、どこへ行っても17期を集める術にたけていると見え、なつかしい同期、17期の面々を捕らえましたね。八戸の何よりのおみあげです。 ・・ありがとうございます。 写真を見た瞬間、「左端はだれだ?」 仙人の文面と見比べながら 「あっ、松島か」 「だーれかに似てるぞ。そうだ! アメリカのパウエル氏に似ている!!」 17Th Home開始の頃、2002年2月25日の氏野のメールによれば松島の事を 松島:八戸・・・卒業以来初めての再会だったが、すごくジイさんになってる。顔のシワが深い。 などと、あくまでも氏野がほざいていましたがどうしてどうして立派なもんです。 「休肝日が大好きな仙人より」は、あんちゅうに言わせれば、仙人の無念さがみえみえです。 八戸の地酒が呑めなくてヤケで思わずもらしてしまった一言と理解をしてるんでありますが・・・。(そんな事はないか) そんな仙人を慰めにもう少ししたらあんちゅうが新潟の幻の銘酒「越乃寒梅」を携え、江田島にはせ参じます。 今しばらく、ご辛抱を。
江田島仙人の返信メール 長福寺の御主の返信メールには、毎度のことながら感心致します。仙人の言葉足らずをつつかれてしまいました。実は、八戸の諸兄には「桃川」と「ねぶた漬け」他を頂いて帰りました。有り難いものです。私は、ご飯のおかずにと「部落の菜っぱ」を持って行ったのですが、一献を酌み交わせない諸兄の気配りに参りました。 休肝日が作れなかった仙人より



2002年10月15日(火) 17期高橋良彦より
件名 : 生徒際(文化部)
遅くなりましたが、去る10月12日(土)に生徒際が開催されました。 生徒際の構成は、午前:運動会(江田島仙人担当)、午後:文化祭(江田島青春担当)の日程で開催されました。 運動会の様子は、「江田島仙人」よりお便りがあったと思いますが、今日は文化部の様子について報告します。 我々17期の頃、文化部は有ったような気がしますが、活動としては殆どしていなっかた様に思うのですが、現在は毎週水曜日は文化活動をしています。 ただし、大会等試合が間近の運動部については部活の方を実施しています。 今回の文化部の発表は、音楽、茶道、写真、イラストのみでしたが、生徒がミスコン、ビンゴ等色々と工夫を凝らしておりなかなかなものでした。(予断ですがビンゴは嫌いです。いままでよい商品が当たったためしがありません。今回もリーチが5回も有りながらまたもや景品に有りつけませんでした。 ちょっと愚痴りました。あしからず。)
あんちゅうの返信メール 生徒文化祭の便り、ありがとうございます。 残念ながらこのメールの後に送ってもらったたぶん、写真かと思いますが送られてきていません。もう一度の送信をお願い致します。 さて、午前と午後に行われた生徒祭とやらの午前の運動会の様子は仙人からのメールでわかりましたが、”江田島青春”(誰がつけたのか?)担当の午後の部の文化祭の様子は、サッパリわかりません。 まあ、艦をおりて間もない”江田島青春”の事、仕事第一優先です。 17Th Home江田島特派員はボランティアですからね。 許してさしあげましょう。 そんな中で、わかったことといえば、”江田島青春”がビンゴがキライでリーチが5回も懸かったにもかかわらず、景品にあずからず、おおいに残念がっていた事です。 わかります。わかりますその気持。・・・「泣き言を言うな!」ってところでしょうか。
高橋良彦の返信メール  「江田島仙人」より、今後私からのメッセージは「江田島青年便り」として掲載する様、指示がありましたので、以後私めの掲載記事は「江田島青年便り」で掲載します。 宜しく、 尚文化部の写真は添付の要領を勉強中ですので今しばらくお待ちくだされ。


2002年10月14日(月) 17期小松幸弘の奥様より
件名 : こんにちは。小松の妻です。
間違ってました。銀婚式ですね。うつろでメールしてすみません。皆さんの事聞いてます。一度、江田島に連れて行ってくれました。いいとこですね。娘が広島にいる間にもう一度行きたいです。娘と。なつかしそうに話ますよ。奥様と仲がよさそうで?これからも宜しく。お元気で!愛妻清子さんにも宜しく・失礼!



2002年10月13日(日) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り041−02
東方の娑婆では、国際観艦式があり、幸運な生徒諸兄は、海上自衛隊初の試みを堪能した様子で羨ましい限りです。 仙人も昇れない雲の上の話のようです。 色々の仕事で参加した諸兄、お疲れ様でした。 仙人部落の雲の下では、黙々と修行が続けられています。 12日(土)は、生徒祭02が生徒の手によって行われ、多くの生徒ご家族を迎え、運動会、文化祭が溌剌、格調高く?進められました。 運動会は、地区対抗、クラブ対抗、学年対抗で行われ、地区対抗では、北海道・東日本が優勝しました。 運動会は、仙人便りで、文化祭は、高橋君が江田島青年便りとして、投稿してくれるはずです。 総員起床レース、クラブ対抗リレー、綱引き、騎馬戦のスナップを添付します。 諸兄の若かりし頃を思い出しながら、爽やかさをたっぷりと堪能しました。 綱引きでは、優勝した2年生とご家族が特別対戦、身体の重さが勝因か、ご家族の勝ちでした。 親に花を持たすなんて、流石生徒!泣かせますね! 実りの秋、諸兄のご健闘を祈ります。  仙人
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り041−02 ありがとうございます。 江田島後輩の元気な様子が伝わって来ますね〜。 ギャラリーもいっぱいいて生徒諸君も張り切っている様子が写真を通じて伝わります。 17期の頃も運動会や文化祭なるものがあったのか定かでありませんが運動会は一年の時だけの記憶があります。 棒倒しの強烈で恐怖を感じた印象がはっきりと残っています。(おそろしかったナー。) 文化祭なるものはなんなのか?高橋良彦の投稿を待ちましょう。



2002年10月13日(日) 17期今田俊介より
件名 : 国際観艦式
あんちゅう 元気でいますか? 持つべき物は同期だなと言うこの数日の出来事を。 11日金曜日夜9時頃突然臼井から電話があって今度の日曜日は暇か?と(20周年の同期会であって以来一度も話もしたことがなかったのにいきなりだよ!) 今巷ではオークションで6万から7万円の値が付いている国際観艦式のチケットが奇跡のように手に入ったからしかも横浜から出航する ’はたかぜ’の乗船券2枚行くならあげるよ。との事 あいにく日曜日には予定を入れていたので残念だけど行けないと思うと返事をしつつでも臼井には会いたいので直ぐに出かけていって約30分後には合流し寿司屋に。 その写真が1枚目 結局帰艦時間ぎりぎりの11時30分頃まで一緒に飲んで(私は相変わらずお茶ですが)送っていきました。 臼井はSF司令官の勝山さんと出会ったと言って帰る時間を遅らすからと馬鹿なことを言っておりましたが最後は大人しく帰っていきました。 で 本日予定を全部キャンセルして行ってきました。 天気は快晴 波風ほんの少しの抜群のお天気でした。 小泉総理もいたくご満悦の様子のメッセージが艦内マイクを通じて流れておりました。 出港時の様子が写真2  横浜のみなと未来地区のど真ん中に泊まっていたはたかぜからの写真3 一緒に行った女房とのツーショットが4(結婚24年目) ロシアのミサイル艦と潜水艦がいて隔世の感を覚えました。 まだ現役の頃ロシアの商船の傍を通るだけで写真を撮っていたのにね。 受付で交通整理をしていたのが横須賀に単身赴任している佐藤ひさし君でした。 氏野もいるかなと思って電話していたら舞鶴で艦は降りているとのこと、残念でした。 隣に着いていたさわかぜには野口がいたらしいけれど会えませんでした。 以上報告終わりいい一日だったよ。 しゅんすけ
あんちゅうの返信メール シュンスケクン。 うらやましいの言葉の他、思い当たる言葉がありません。 よかったですね〜。 シュンスケクンの日頃の行いが良いかどうかがわかりました。 常々、17期の事を想っていればこその13日だったのでしょう。 臼井や佐藤に会えてホントよかった。



2002年10月13日(日) 17期臼井幸一より
件名 : 報告
国際観艦式終了、竹下、今田とも会えた。 16日は、初めての八戸、同期と会うのが楽しみです。 臼井幸一
あんちゅうの返信メール 国際観艦式ごくろうさま。 初めての国際観艦式に乗組員の一人として参加できてよかったですね。 先任としては大変でしたでしょうけどいい思い出になるのでしょうか。 このメールの後、今田からの報告も届きました。 持つべき者は同期だとえらく感激していますがあんちゅうもそう思います。 ”ひょっこり臼井”は八戸で誰と会うのでしょう。 みんなによろしくと17Th Homeの存在、アドレスを持っている人からのメールを待っているとお伝えください。



2002年10月12日(土) 17期竹原堅一より
件名 : こんばんわ
ひさしぶり! 明日から、舞鶴にいきます。 氏野、理、達と、飲んでくるよ! 舞鶴は、1年ぶりです。 あんちゅう メールを、携帯に送って、もらってるけど、 こっちにも、送ってよ!
あんちゅうの返信メール 元気なようでナニヨリです。 舞鶴ですか。 イイデスネ。 氏野や理によろしくとお伝えください。 特に、理には「メールをヨコセ!」っとあんちゅうがいってたとくれぐれもお伝え願います。 メールの送信先だけど、ケイタイのままでしたね。 しかし、いつも家に居ないたっけはらを捕まえるにはケイタイの方が都合が良いような気がして。 このメールはとりあえずケイタイに送ります。 次回からパソコンに送るね。



2002年10月12日(土) 17期前畑啓二より
件名 :
海上自衛隊発足50周年行事の一貫として海上自衛隊発足以来初めて国際観艦式が 13日東京湾で実施されます。 今日12日は予行で出港しました。 臼井から電話がありましたが、おふくろが群馬県安中市の父兄会のツアーで昭和47年の観閲式以来横須賀に来てまして会うのは22日に延期しました。 実は曾孫を見に来ました。 臼井との写真後日送ります。(Wおじいちゃん)  27日まで横須賀にいます。
あんちゅうの返信メール 国際観艦式参加ごくろうさんです。 ”ひょっこり臼井”からの電話は気にしなくていいでしょう。 それよりおふくろさんを大事にして下さい。 このメールを見て初めて前畑が安中市の出身だと知りました。 いえ、あんちゅうとは何の関係もないんですが、同じ安中というところに何か因縁めいたものがありそうに感じたくなるのが人情というものです。 おふくろさんは横須賀まで曾孫に会いに行ける位元気で何よりです。 きっと楽しみにしていた事でしょう。 曾孫を抱いた前畑のおふくろさんを見てみたいそんな気持になりました。



2002年10月11日(金) 17期 竹下和哉より
件名 : 海上自衛隊50周年記念行事
奥様の回復おめでとうございます。 それから、結婚25周年おめでとう。 我が家も14日に23周年を迎えます。 これまた、めでたしめでたし それに今年は海上自衛隊50周年記念として国際観艦式が東京湾で行われます。(JMSDF HPに掲載) そのため、横須賀港にもロシア、インドの艦艇が停泊し、町はアメリカ人を含む外人であふれ、まるで別の国に行ったみたいです。 その観艦式に参加する「さわぎり」伍長こと臼井が今回、ひょっこり我が家に来てくれましたので写真を添付します。(いつも「ひょっこり」ですが)  それから、なかなか写真を撮らせてくれなかった「がんこな奥山伍長」の写真もピンぼけながらゲットしましたので添付します。 最後の写真は横須賀停泊中のロシア海軍巡洋艦バリヤーグとキロ級潜水艦、そしてミサイル艇の写真です。 奥のちょっと色の違う船はインド海軍の護衛艦ですが、彼らは、朝6時から2時間、総監部グランドでサッカーしています。 カレーの威力は計り知れないものがあります。 いい年こいて、自慢話ですが10日行われた各国乗組員招待の前夜祭で警備にあたった私は、リハーサル中のアムロナミエを目の前で見てきました。「かわいい、やせてる、きれい、かっこいい」と心で思いながらも、厳正な警備を5時間みっちりやってきました。 そんな、こんなで公私共に忙しい毎日のためメールが滞ってしまい申し訳ない。 PS:月末の江田島楽しんできてください。
あんちゅうの返信メール 「回復」「25周年」ともに ありがとう。 ”ひょっこり臼井”のご接待、ご苦労様でした。 また、国際観艦式の大きな行事の忙しい最中、メールありがとうございます。 アムナミに見とれてもしっかり?警備をやった竹下に国民の一人として感謝申し上げます。 がんこな奥山伍長の最新写真ありがとう。 同期のみんなも奥山の近影を見ることができ安心したことと思います。 江田島では、楽しんできます。



2002年10月11日(金) 17期小松幸弘の奥様より
件名 : Re:罠にはまるのは誰か?
真夜中のメールちょっとビックリ!それは、結婚記念日金婚式?ですかね?オメデトウございます。主人に伝えます。何も知らず寝てますので、では、奥様にも宜しく伝えください。 小松幸弘(妻より)
あんちゅうの返信メール 深夜に送信してしまい、大変申し訳ありませんでした。 ウッカリしていました。(これからもウッカリします。) でも、あんちゅうは小松の奥さんからメールをもらい、かえって嬉しいのです。 お宅のダンナは「手間かけた。奥様共感謝す、コレからも頼む。」とか「変わりないですか?メールのコピーができたら、郵送してほしい。間に合えば、是非頼む。」とか。 とにかく文面が短い。 短いのは文面だけじゃないとはわかっている?のですが・・・。 ご主人と17期の関係はどういうものであるかは、お聞きになっていないかもしれませんのであんちゅうが聞かせて差し上げましょう。 「短いのは文面だけじゃない。」 ひょっとすると奥様が一番詳しいかも? シーッ!!何も知らず寝ている小松には内緒ですよ! 結婚25年目が金婚式でなく銀婚式と世間では言っているようですがヤッパ金婚式でしたか。ありがとうございます。 これからもご迷惑をお掛けしますがよろしくお願い致します。 追伸 <小松さんの奥様、頑張りましょう。・・安中清子>



2002年10月11日(金) 17期氏野良則より
件名 : おはよ! 氏野です。
管理人様、 日頃のおつとめご苦労様です。 HP見ましたが、ETの項と若干の人の名前がずれていますよ。 自分のパソコンの表示ずれなのかな? 今日は、やっとの代休。 実は指導中の某艦が、急遽ドック入りしたため今日は休み。 平日の休みはほんと久しぶり。 日曜が当直なので大引き連休にはならないけど。 そうそう、昨日は 結婚記念日、おめでとさん(^o^)(^_^)v(^O^)(^_-)(*^_^*)  奥さんの調子は順調ですか? HPの方は悪いけどあまり見ないので知りませんでした。 遅ればせながら、お見舞い申し上げます。 では、この辺で退室します。  氏野良則
あんちゅうの返信メール こんばんわ。  名前のズレは氏野のパソコンが新しすぎるために起きてる現象です。 あんちゅうのふるいパソコンではちゃ〜んと納まるところに納まっています。  私事を17Th Homeに掲載してしまい申し訳ございません。・が、奥方がいてこの17Th Homeも存在している面が??%ある事をアホなあんちゅうの感謝の気持として・・・ 後は言葉になりません。  奥方の左手の回復は順調の様子です。 ご心配をお掛けし、これまたモウシワケゴザイマセン。



2002年10月10日(木) 47期のお姉ちゃんより
件名 : 47期ハンドボール部の姉より(^_^)
ホームページ見ました☆★  ハンドボール部さん優勝おめでとうございます。 弟に優勝と聞いて驚き喜びました(●^o^●)    私も自衛隊に入りたくてこの間、試験を受けました(^0_0^)  受かっていることを願っています。 それでは、弟をビシバシよろしくお願いします。
あんちゅうの返信メール こんばんは。   いつも? ときどき? たまたま?17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。  47期のお姉ちゃんですか。  弟さんがハンドボール部だそうで。  先日の高橋良彦からの掲示板投稿に寄れば陸に雪辱を果たしたが優勝旗もなく寂しい凱旋だったとか。 でもこのメールを見れば喜んでくれるでしょう。 自衛隊の試験を受けたとか書いてますが、モチロン海 ですよね? 受かってる事を新潟からも祈っています。 お姉ちゃんも弟さんに負けないよう頑張ってください。  17Th Homeにもまたのメールをお待ちしています。



2002年10月10日(木) 17期安中 均より
件名 : 罠にはまるのは誰か?
私事で恐縮ですが、本日、10月10日は結婚記念日です。 早いもので25年です。 こんなワガママでデリカシーのかけらもないあんちゅうによく我慢してついてきてくれたと感謝こそすれ、他に思うところはひとつもない事を伝えたいのですが、元祖「口先男」の名前を冠してくれた妻、清子はわかってくれるでしょうか?
さて、17期ホームページに 「17期入隊者名簿」 というのがあります。 何の変哲もないただの名簿でしかありませんが、この度、この名簿がヤフーに反映されました。 ヤフーの検索で自分の名前を入れてみてください。 同姓同名が多い人はヒット数が多くなりますが、必ず、ヒットします。(姓と名の間にスペースは入れないで下さい。) これは、今現在、インターネットの環境を持っていない同期が、あるいは同期の知り合いが将来、個人名でヤフーの検索をしたときに必ず、ヒットし、17Th Homeの存在を知らしめるためにも有効なのではないかと考え、この「17期入隊者名簿」を載せました。 初めて検索した時に自分の名前がヒットしたら感動するでしょう? あるいは知り合いが教えてくれるかもしれません。 そこが17期のホームページだったら・・・ あんちゅうは一人や二人はこの罠にはまって欲しいとひそかに思っています。



2002年10月10日(木) 17期安中 均より
件名 : 黒木悦郎メールアドレス公開のご案内
17期同期諸兄、新潟は朝晩めっきり寒くなりましたがいかがお過ごしですか。この度、呉の黒木悦郎がメールデビューを果たしました。彼は潜水艦乗りがゆえに深く潜行しっぱなしもあるかもしれませんがお祝いの一言など送ってみてはいかがでしょう。黒木のコミュニケーションが広がりますように。黒木悦郎 ***@**** あんちゅう



2002年10月9日(水) 17期 石塚一石より
件名 : 重くなりました。ごめん
この間は失礼した。ちょっと酔っていましたね。でも家内には今も時めいていまよ!たびたび失礼しました。さてずい分と遅れましたが、7月末の同期会の様子を送ります。それと久保勝が娘さんにパソコンを占領されたようで、専用の武器を手に入れるまでひと月ほど音信不通になると連絡がありました。よろしく!今週は春(藤竹)が厚木に来ているので一杯やろうと思ってます。
あんちゅうの返信メール メール、ありがとう。 「家内には今も時めいていまよ!」のひとことであんちゅうの家内は一石のファンになってしまいました。 そういえば、ときめくことが少なくなった最近ですが、あんちゅうには3回のときめきがありました。 仙人一族を迎えに行った時と重永家族に会いに行った時、それに宮崎を迎えに行った時です。 いずれもときめきが久しぶりにありましたね〜。 胸がドキドキしました。 今月末にも心がたかぶることがあります。 江田島訪問です。 楽しみです。 7月末の厚木同期会の写真、ありがとう。 あんちゅうの方はいくら重くても結構ですが、送るほうも時間がかかって大変じゃないの? すべて、17Th Homeに掲載させて貰います。 藤竹との一献、待ってます。 大事な事忘れてました。あんちゅうも毎晩??ときめいています。・・ハイ!!



2002年10月8日(火) 17期 臼井幸一より
件名 : 近況報告
安中いつも、メール有難う、ご苦労さまです。 韓国海軍との交流が終わり帰国後(呉では、久しぶりにミサオ、樺、悦郎、良彦、孝准尉、一実准尉に歓待を受け久しぶりに楽しく飲みました。) ゆっくりする間もなく群の水泳大会で久しぶりに、バタフライを泳ぐ寸前で首になりガックリ?。 13日に実施の国際観艦式(14カ国参加)に参加の為8日:0800から横浜港の米軍ゲート内の瑞穂埠頭(ノースピアG)に停泊します。 近郊の同期諸氏の連絡を待つ。 来艦の折りは電話連絡を乞う。 16日から18日迄は八戸にハンドボール大会の為に寄港予定、 帰り21日頃に横須賀に寄港の予定、 <DD157さわぎり先任伍長臼井TEL”CPO:***−****−****・臼井:***−****−****>   臼井幸一 ****@****
あんちゅうの返信メール 返信、遅くなって申し訳ない。 DD157さわぎり大忙しですね。 先任伍長も大変でしょう。頑張ってください。 又の近況報告をお待ちしています。



2002年10月6日(日) 17期 今田俊介より
件名 : 新造船の受け取り
あんちゅう 予定を確認しました。 残念だけどちょうど入れ違いだな 鬼より怖い高橋先任殿に連絡して31日にでも江田島に行くことにします。 岩城島には造船所があるのです(あのあたりの島にはほとんどどこにでも造船所があるのだよ) そこで建造中の1500個積みのコンテナ船を新しく受け取り運航することになっているのでその船の引き渡し式に行くと言うのが今回の出張です。 前は新潟にも材木を運んできた船に用事があって時々行っていたけど最近はチャンスがないよ それじゃお元気で。 最愛の奥さまもちゃんと大事にしてあげて下さいよ。 いまだしゅんすけ
あんちゅうの返信メール 了解しました。 ナゼして岩城島に??と思って電子地図帳で場所を確認しました。 そういえば山陽本線の電車に乗っている頃、トンネルを抜けると瀬戸内海のいたるところに造船所のクレーンが見え隠れしていたのを思い出しました。 江田島では時間が合わないようで残念。 一足お先に「鬼より怖い高橋先任殿」に挨拶をします。



2002年10月6日(日) 17期 黒木悦郎より
件名 : ダブルブッキング
初めまして 安中元気で頑張っているみたいですね、ご苦労様です。 今日からメールデビューしました。 まだまだ不慣れで、もっつぱらホームページを見るだけでパソコンを使用していたんだけど、ぼちぼち仲間入りしようと思って始めました。  昨日は呉の同期会と、潜水艦部隊の定年退職者に対する合同歓送会が重なったので、最初に歓送会へ、二次会は同期の方へ参加しました。 校長には会えなかったけど、藤原と久しぶりに会いました。 准尉講習のメンバーもまもなく終わるけど、我が儘男や好き者男に、それぞれ酔うほどに変身する姿は、やっぱり俺たちも普通に年齢を重ねてきたものかなと、少しだけ寂しい思いもしました。 私事ながら、昨年の4月に胃癌の手術を行い、療養していました。 現在は食事料も増えて、体力を付けるため

17Th Home 徒然草 2002年9月


2002年9月30日(月) 17期 高橋良彦17Th Home掲示板投稿より
件名 : ハンドボール雪辱を果たす
去る9月23日24日全自ハンドボール大会が陸自朝霞駐屯地であり、我が生徒部ハンドボール部が生徒対抗試合に参加し、陸自生徒に「22:16」で快勝し、昨年の雪辱を果たし優勝しました。(空自生徒は、参加しておらず。)
おめでどう。皆も祝福してやってください。ただ、海自生徒もなめられたもので、陸自が優勝旗を忘れて来ていたらしく、江田島凱旋時は優勝旗もなく選手出迎えも寂しく感じられました。次は、我が「ラグビー部」の出番です。今回は、全自大会ではなく、3自生徒対抗試合として次により実施します。11月23〜24日、陸自武山駐屯地で実施します。ご声援宜しくお願いします。この頃我がラグビー部も故障者は尽きないのですが、ラグビー好きの生徒以外のOBの方にコーチに来て戴いており何とか様になってき来ております。こうご期待を。
追伸:メールデビユー後1週間でトラブルが発生し2回目が遅れました。



2002年9月29日(日) 17期 前畑啓二より
件名 : 稚内中年将校と若いおじいちゃん
3週間ぶりに横須賀に帰って来ました。 稚内は、秋本番といったところで清々しい季節でした。 稚内中年将校の猪俣と写真を撮ったので送ります。 猪俣は、家族と一緒に稚内で勤務しています。 来年4月に子供が中学に入学するので単身赴任になるそうです。同期の皆さんによろしくとのことでした。 なお、17期ホームページは公用のパソコンで閲覧のみ出来るそうです。 私事ですが、9月11日に『孫』ができました。
あんちゅうの返信メール じーじ。 3週間に及ぶ行動、ご苦労様。 稚内まで行きましたか。 稚内って北海道の最北端でしたっけ。「わっかない??」 写真が添付されていないのでわっかないけど 猪股中年将校殿はいかがされてました?。 写真、宜しくお願いします。 猪股が写っているあんちゅう秘蔵の写真を紹介します。 一枚目はあんちゅうがシャッターを切った思いで深い一枚で、カナリ好きな写真です。 この頃、同じラグビー部で先輩から鍛えられましたね。猪股君。 二枚目は卒業アルバム「追憶」に載っている写真です。「ンァッ!」 とまではいきませんが、呼びかけに答え、ウッカリ振り向いてしまった猪股君。 ・・あんちゅうはこういう写真が好きです。 ッと言うワケで、紅葉パソコンで見れるかな?猪股君は。 いま少し紅葉には早い新潟のあんちゅうでした。 じーじ、メールありがとう。 ところで可愛い御孫殿の御名前を次回のメールにでもお知らせください。



2002年9月28日(土) 17期 竹原堅一より
件名 : 帰ってきたぞ〜
奥様の手首事件 本日知り 驚いております。 このさい 安中が 家事も担当したらいかが! 全快されたおりには、お知らせ下さい。 みんなで同時乾杯致しましょう! 今回 奄美の横を通って訓練にいきました。 俺が隊司令なら、すぐ橋本と飲むために、奄美に入港するのだが、たかが曹長じゃ、どうにもならぬ! 仙人の階級を貸してほしかった!   ところで 谷憲先輩! 竹がパソコンの前に・・・・・・・・いくら先輩でも、 それは・・・・・・    みんな そう言ってます!



2002年9月28日(土) 江田島仙人より
件名 : RE:やかん
流石、傳左衛門殿! やかんが分かりましたね! 黙っていれば誰も分からなかったかも知れません。 ”やっかん”でいるから、やかんに見えるのです。 仙人は、もう百人ではありません。 悟りを開けば、やかんも茶釜に見えるのです。 やかんでないで、貴家秘伝の茶釜で茶をたて、清子さんを癒してあげなさい。 万人が百人と認めない仙人より



2002年9月28日(土) 17期 安中均より石塚一石へ
件名 : チャット出れなくてゴメン!
久しぶりです。 何かとご心配をお掛けし、申し訳なく思っています。 いっせき、だいぶ酔っ払ってたんじゃないの? そういう事は、奥さんにハッキリと、言葉で、聞こえるように言いましょう。 これを見た女房は、どういうわけか夜、寝つかれなかったそうですがあんちゅうはイビキをかいて夢の中。 いっせきの言うところの「安中の奥さんへの愛情が毎回伝わってきます。」は、誉めすぎ。 実態は、まったく、でりかしーのない男なのです。 お互いのタイミングがあったらチャットしよう。



2002年9月27日(金) 14期生下條先輩より
件名 : ご快癒お祈りしております。
奥様、手術とのこと、お見舞い申し上げます。 17期HP、ここまで皆に支持され継続できたのも、ひとえに内助の功と、心あるものは皆 思っております。 一日も早いご快癒を17期HP 愛読者全員、祈願しております。 安中生徒へ、 妻の病気の原因の 80%は夫に原因があるという統計があります。 敢えて詮索しませんが留意されるよう。 奥様が退院されたなら、負担をかけぬよう最善を尽くすように。 14期神様からの絶対命令、厳守するように。 以上 
あんちゅうの返信メール 14期生神様にまでご心配をおかけし、申し訳ありません。 「世の中は80%だけど貴方は95%!」などと言われながらも必死に耐えているあんちゅうの気持をわかってくれるのは神様だけと思っていましたが、キツーいお言葉、肝に銘じ、日々精進いたします。 ・・厳守いたします。・・いや、致したいと思います。 ・・いや、致せたらいいなーと・・・。 「貴方は99%!!」 安中家の平穏な日々を乱した「迷文」でしたが、ありがたかった「銘文」でした。 14期生神様からの絶対命令、厳守いたします。 ハイ!!



2002年9月27日(金) 仙台 安部庄子様より安中清子へ
件名 : 経過はいかがですか?
すっかりご無沙汰してしまいました。お元気ですか?と言っても病院のなかですよね?昨日 17th homeを見ていたら 左手の手首を切ったとの事、 ドッキとしましたがすぐにホーッ!ご主人は 家事の一部を奥様の指示どおりには行かないらしいですが 少しばかりやっているそうなので 応援のメールを送っておきました。早く退院され 退院祝いの乾杯で 清子さんのステキな笑顔を 17th Homeで見せてください。(その時のご主人のとろけそうな笑顔が目に浮びます。)       安部 庄子
安中清子の返信メール 本当にお久しぶりです。 お見舞いのメール有り難う御座います。 なんか、申し訳御座いませんでした。 主人が余計な事を書いてしまいました。 おおげさに手首を切ったなどと、キツイ冗談なんか言って・・・ ごめんなさい。 でも入院している訳ではないのですよ。 左手の手のひらを3〜4センチ位切っただけです。 今回は右手の時よりも軽かったので、手首の方は切らずにすみました。 手根管症候群と言う病名で、1日中しびれと鉄棒にぶら下がってる状態でだるく、手を下げててもその状態で、血液が通ってないような感じなのです。特に寝るとひどくなり、しびれを通りこして痛みに替わるという奇妙な病気です。 その痛みで、何度も目が覚めて、ひどいときには、うたた寝したくらいでもそうなるんですよ。 手首のところにリングがあり、そのリングが神経をしめつけているらしく、そのしめつけてる部分を、開くか切るのか・・・そのような手術をしたんです。 今日でまだ三日目ですが、結構右手だけでも家事は出来るんですよ。 洗濯物も取り入れてたためるし、食事のしたくも切ったり、皮むきは無理ですが、切らずにすむ焼き物とか煮物は、なんでも片手で出来ます。 主人が帰って来たら、何か作って貰って・・・やはり切れないと野菜料理が不足気味ですね。 当分の間、家族に甘えて協力して貰っています。 通院も手術の日は娘が休みでしたので、送り迎えして貰い家事も任せて・・・。 昨日と今日は息子に送り迎えして貰い、買い物もつき合わせたりで有り難いです。 お母さんのあり難さを分からせるいい機会ですかねぇ・・・分かってくれればの話ですが (>_<) 何かと主人には遅くまで、家事やらせて、申し訳ないのですが甘えようと思います。 こんな訳で皆の協力の下、たぶん10日〜2週間位でギブスも外れるのではないかと・・・パソコンも右手だけで時間は掛かりますが、打てる状態ですので大丈夫です。 本当に有り難う御座いました。嬉しかったです。 また治ったら、ご報告いたしますね。 朝夕めっきり涼しく、秋らしくなって来ましたので、風邪など召されませぬように御家族の皆様にも宜しくお伝えくださいませでは失礼致します。 清子



2002年9月27日(金) 仙台 安部庄子様より
件名 : お元気ですか?
もうすっかり仙台は秋一色です。 いつも17Th Home拝見させていただいてました。 奥様が入院されたとの事、 家の中は主婦がいないとたいへんですよネッ?!。 でも 一番家の事を心配しているのは奥様でしょうから 退院されるまで安中さんのできる事からはじめて 頑張っててください。  仙台  安部庄子 追伸  ひざっこぞうが 寒くないですか?
あんちゅうの返信メール いつも17Th Homeをご覧いただき、ありがとうございます。詳しくは賢妻が述べたようですので 追伸のみ。 ひざっこぞうを暖めてやったり、もらったり。?? いやはや、ノロケてしまいました。申し訳ない。



2002年9月27日(金) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り040−02
1 17期諸兄!充実した早秋の日々を送っていますか?過日は芸術の秋を楽しんでいる某兄の便りもありました。  仙人部落も、ここならではの文化活動に勤しんでいる後輩がいます。いつもと違って?神妙な顔をして、かつ、作法に則って行儀良くお茶をたてています。侘び、寂びの世界に浸っている思いきや、仙人の不作法ぶりを見て、忍び笑いしている、生徒、修行が足りないぞと言って、茶を頂く図々しい仙人に成り下がってしまいました。
2 仙人巡検使、お茶の帰りに食堂へ。夕食の団欒ぶりを窓から覗きの術を発揮。すると生徒は、親子丼を食べています。ひょっとしてご親御さんのことを思いだして、 べそをかいていないか?いやはや健気ですな!仙人が指をくわえて物欲しそうな顔をしているのを見て、またまた笑っています。
       前世紀にお茶を嗜んでいた仙人より
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り040−02 ありがとうございます。 侘び、寂びの世界ですか。 な〜んか、緊張感が伝わってきますね。 でも、この写真の中の ”やかん” は いかがなものかと・・・。 海幕関係者がこれを見ていたら是非、予算をつけていただきそれなりの釜を準備してほしいものです。 ・・それなりでいいのです。 この地での、この緊張感を味わってみたいと”やかん”でいるあんちゅうです。(”やかん”でいる。=うらやましい・やっかみ・等の意)



2002年9月26日(木) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re:
最近仕事上私の元へそのような人々が身を寄せてくるので、ナヌ!マジ?っと心配したぜ。 奥方の経過は順調ですか? やっぱ、夫婦は助け合ってなんぼのもんやで・・・ 仙人をさておき、覚ったようなことを宣うUemisaでありました。おだいじに・・・。
あんちゅうの返信メール 上三佐の初恋の君と同じ名前の「清子」さんの経過は順調です。 ご心配をお掛けいたしており、恐縮しています。 その内、上三佐初恋の君と同じ名前の「清子」さんから御礼のメールが届くやに思われます。 上三佐の奥様には見せられないメールで ・・しっつれいいたしました〜。



2002年9月26日(木) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り039−02
1 安中家の大白柱が大変!夏場に貴家を強襲した不届き者のせいで、働き過ぎたのが原因でしょうか?早期のご回復を村の鎮守の神様に祈っております。 大黒柱と大白柱が、仲良く手に手を取って大事にして下さい。
2 仙人部落の庭の海に、某護衛隊群の最新鋭艦三隻が、その勇姿を現しました。 正に一幅の絵です。 それらの中で4年生45期水測の4人が修行しています。 久しぶりに部落に帰省上陸した彼等は、泣き言一つ言わず、立派だったとか? これも寛厳宜しきを得た先輩の指導のお陰でしょう。 全国で修行中の4年生!頑張ってね! そして、先輩諸兄宜しくお願いします。 頭の皿に潮水をかけている丘のカッパの仙人より
あんちゅうの返信メール 1 ご心配をお掛けいたしておりますが、安中家の大白柱は元気です。 手に手を取るのは大黒柱の最も得意とするところ??。・・ご安心下さい。 2 いい写真ですね〜、仙人。 この写真をどの角度から撮ったかがわかる人は、江田島の空気を知っている人ですし今も、泣き言を言わない人でしょう。
仙人が”百人”くらいのころ、佐世保で泣き言を言ったとか言わなかったとかと言った話を先日新潟に来た宮崎を通じて詳しく聞きましたが、あんちゅうは不覚にも酔っ払ってしまい、よく覚えておりません。 ・・が、仙人が丘のカッパになったおかげで17期はこうやって絆を深めていられますし、同期以外の17Th Homeをご覧になっている皆様も江田島の風を感じていられます。 海自を志した者全てが「頭の皿に潮水をかけている丘のカッパの仙人より」の気持をわかるのではと、ふと、そんな気がしました。・・・・ 想い込みのハゲしいあんちゅうでした。



2002年9月25日(水) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re:
さすが、アンチュウ!梨の皮まで愛して食べてくれるなんて、梨もウンコになっても喜んでいることでせう。
あんちゅうの返信メール ・・・・。



2002年9月25日(水) 17期 安中 均より
件名 : お願い
本日、17Th Home最強のファンを自認しているあんちゅうの妻、清子は左手の手首を切りました。と、キツーィ冗談をカマシタところで、実は、手術をしました。  左手の手根管症候群というヤツで彼女は数年前にも右手を切りました。というわけで、あんちゅうは家事の一部を彼女の指示どおりには行きませんが少しばかりやっています。 よって、17Th Homeをご覧の、あるいは投稿していただいた皆様に若干のソソウが起こりつつありますが、事態をご理解のうえ、しばらくのご辛抱を伏してお願いを申し上げます。



2002年9月25日(水) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り038−02
北国からは紅葉の便りが届けられるようになりました。仙人部落も、朝夕はめっきり涼しくなりました。当地の修行者達は、日々鍛錬をしていますので、寒暖の差も何のその、風邪などひく者は全くおりません!ゴホンとくれば、病院へ島流しです。今年四月に仲間入りした一年生も逞しくなりました。朝は澄み切った空気を吸って、一、二、三、四、軽やかに体操。天高く、馬は肥えても、生徒はスマートの秋です。先輩諸兄、スマートさを維持して下さいね!    若返りの術が冴えなくなった仙人より



2002年9月23日(月) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re:
連休は、父の一周忌で鳥取へ帰りました。鳥取名産の二十世紀梨を少し送りましたので、秋の味覚のひとつを味わってください。 Uemisa
あんちゅうの返信メール 有り難う。・・ありがとう。・・・アリガトウ。・ありがと。 うえみさからのメールが届く前に鳥取の味を頂いてしまいました。 新潟の梨と似たような日本海の潮風を感じさせる味でしたが さすが、二十世紀の発祥の地、一味も二味も違います。 おやじさんの供養、ご苦労様。



2002年9月23日(月) 17期 竹原堅一より
件名 : Re:
ひさしぶり! このやろう〜!  楽しい電話なんかしやっがって 宮崎接待ご苦労さん、 あほの相手も疲れるだろう!今までの 仕返しを いっぺんに、お返しされました! 今まで、俺がやっちゅうにしてきた事を、先日やられました! 同期と飲んでいるとき、いつも電話を宮崎にしていたのは、わたしです!今回はみごとに、やられて、しまいました! あいつの楽しそうな声を聞いていたらこっちも楽しくなったぜ! 暇になったら! 二人で飲んで安中に電話してやる!!
あんちゅうの返信メール ざま〜みろ! こっちは たのーしく 呑んで電話してやったのに あの、あいそのなさはなんだ!! 俺と宮崎が呑んでいて オマエに 電話をわざわざしてやったのに!!宮崎から聞いたぞ! 竹原は自分が楽しい時、必ず、俺に電話してくるって。最悪だったのは、お前に可愛い女の子が生まれた時。 ・・このやろう〜!!
たっけはら。 やっちゅうは今までの仇を討ったようだけど、呑んで楽しい時、あんちゅうに電話しないでね。・・・せつなくなるから。



2002年9月22日(日) 17期 竹下和哉より
件名 : 鹿野がやってきた。
こんばんわ。本来なら、チャットルームに入って遊びたいところですがいろいろと事情があってメールで失礼します。 先日、「鹿野」が大湊から転勤してきました。久しぶりに対面したときの写真を添付します。相変わらずのXXXで、とても元気そうな鹿野君でした。 もとい、鹿野少佐殿でした。(風格が出ていました)奥山伍長も一緒に撮ろうとしましたが、真中に入ると命が奪われると騒いで逃げてしまいました。いつか写真とって送りたいと思ってます。彼も、もちろんXXX顔で、元気です。
あんちゅうの返信メール 鹿野少佐殿! お久しぶりです!!。 安中です。あんちゅうです。 覚えておいででしょうか? あんちゅうは大変失礼ながら、現在の鹿野少佐殿と鹿野生徒が別人のように思われますが竹下の言う通り、風格を感じます。 湯浅教官 「おぅ、しかの君かいの? ここ、読んでみんさい。」鹿野生徒 「いえ、 かのです。!」湯浅教官 「・・・おぅ、 ・・おぅ。・・・・」
あんちゅうもご覧のとおりです。 失礼、あんちゅうはご覧のとおりです。 鹿野少佐殿には風格がにじみ出ていますがあんちゅうの出たところといえば**だけです。たっけはら伍長や前畑伍長に負けないよう頑張っています。 XXXはあんちゅうも同じです。17期XXX同盟を奥山伍長もメンバーに他にも予備軍も交え興そうではありませんか。(竹下は問題外です。)   元気な、XXXな、鹿野生徒を見られてあんちゅうは幸せです。



2002年9月22日(日) 14期生 谷憲先輩より
件名 : Re:
・・・・・・実にいい話しだ。下条よありがとう。そういえばそんなこともあったな。米国で「面会人あり、舷門」と呼び出されたときは、びっくりしたが、しかし、俺にはどーしても、竹がパソコンの前に座っている姿が想像できん。
あんちゅうの返信メール 今晩は当直ですか?
谷憲先輩の返信メール そうだ。そして20〜24日にかけて実施されている予備自衛官招集訓練の指導官のため毎日出勤だ。風呂行ってくる。俺は良い後輩を持った。



2002年9月22日(日) 17期 氏野良則より
件名 : メルアドの変更通知−氏野
久しぶりです。めっきり秋らしくなり、過ごしやすい季節となりました。 昨日は:芸術の秋:ということで、大阪へ「バレエ」の発表会を鑑賞に行って来ました。 「くるみ割り人形」等で、なかなか感動ものでした。 帰宅は夜中になったので昼まで寝てました。 アンチュウは、食欲の秋でもあり、あまり飲み過ぎることのないよう御注意あれ!さて、当方のメルアドが今月いっぱいで下記に変わりますので御連絡します。 ***@*** では、管理人業務ご苦労様です。 いつもありがとう! −氏野−
あんちゅうの返信メール    新潟も田んぼの稲刈りもほぼ終り、朝晩は寒いくらいになりました。 山の木々は、まだ色づくには早いようです。 「くるみ割り人形」を観賞ですか。 こちらは ”呑兵衛やっちゅう” の芸を 抱腹絶倒しながら「観賞」しました。 呑・呑・話・芸・笑・騒・笑・・・・ 笑いも感動の1つなのかと考え込んでいますが、間違いないのは、「芸術」ではなかったと言う事です。 アドレスの変更、了解しました。同期にはCCで送信します。



2002年9月22日(日) 24期 平まりおより
件名 : Re: 転載許可
江田島仙人殿 安中先輩ありがとうございます。 安中先輩と江田島仙人の17期生HPから感じ取れる人柄から、絶対許可していただけるものと信じていました。 (^_^) それにしても、対応が早いのには敬服いたします。見習いたいと思います。 24期メーリングリスト参加者現在員 同期58名 教官4名 で親睦をはかり 絆を深めるために 活動しております。 が、まだまだインターネットを使っていない者も多いので、彼らは、【17期生徒ホームページ】を見ることができませんし、当然「仙人の訓育」をしりません。 そこで、24期名簿に掲載し、謹言を同期全員に紹介しようと考えたのです。 また、インターネットを利用すれば、17期生HP、仙人の訓育 はじめ江田島の空気を感じ取る事ができるというのを宣伝し まだ24期MLに参加していない同期をなんとか引きずり込もうという目論見があるのでした。(^_^) 遅くなりましたが お礼を申し上げます。 平まりお



2002年9月20日(金) 17期 安中 均より 24期 平まりおへ
件名 : 転載許可
17期生徒ホームページ1周年記念「江田島仙人のスペシャル訓育」転載の件、仙人は、管理人に全てをゆだねられました。よって、17期生徒ホームページ管理人はその転載を許可いたします 。 この企画を提案し、お願いした時仙人は「それぞれに人生を送られている諸兄に対し、訓育とはおこがましいが・・・」と記され、快諾されましたが今もその気持を持っているものとあんちゅうは考えます。何気ない気持で30数年前に戻ってみたかったのですが、「・・・訓育」の文面の裏にそういった仙人の気持が有る事を忘れてはいけないと思います。うまく書けませんが、24期には上手に伝えてください。 「・・・スペシャル訓育」の感想を待っている17Th Home管理人より



2002年9月20日(金) 14期生 下條先輩より
件名 : :ありがとうございました
前略 おかげさまで平井仙人より直接、教えを頂くことができました。   仲介の労をとっていただきました安中生徒にお礼を申し上げます.私の質問に対し秘伝の巻物を紐解かれ、懇切丁寧な御教示、又、不明な点は他の仙人部落への問い合わせと、仙人の真摯な対応に感激した次第です。このような仙人の直接の訓育を受けた、17期諸兄への羨望の念が止みません。 私も勝手に弟子入りさせていただこうかと、不敬な事を考えております。まずはお礼まで。草々 14期水測 下條善麿
あんちゅうの返信メール よかったですね。 ” 何も仙人” とは、御本人が俗世にちょっと目を奪われて発した不徳(ダジャレ?)の一言ですが、真に受けてはいけない事をあんちゅうは承知をしているつもりです。教えを請いに行けばあらゆる術を使い、俗人の煩悩をたちまち解決してくれます。自分が受けた施しをその人に返すのははもちろんですが、それ以上のものを他の人に返す。仙人がわざわざ新潟まで慰労に御出でいただいたときの心をこれからいろいろな方々にお返しするのがあんちゅうの努めです。あんちゅうと17Th Homeを何なりとお使いください。



2002年9月19日(木) 17期 野田達也より
件名 : Re: 高橋良彦メールデビューのご案内
サンキュウです。早速、メール入れてみます。 野田
あんちゅうの返信メール きっと、良彦も待ってると思います。



2002年9月19日(木) 17期 安中 均より 江田島仙人へ
件名 : Fw: 先輩 お願い
いつも17Th Homeに江田島の空気を感じさせる投稿、ありがとうございます。本日、24期の平まりお君より以下のメールが届きました。あんちゅうと、17Th Homeは、大変ありがたく許可を致しました。仙人にも許可を請うておりますので、是非、よろしくお願いを致します。尚、平まりお君に対するあんちゅうの返信メールは17Th Homeに掲載しましたのでご覧下さい。



2002年9月19日(木) 24期 平 まりおより
件名 : 先輩 お願い
安中先輩 ご無沙汰しています。 でも17期HPは欠かさず見させていただいています。 17期生の先輩方、江田島仙人のほのぼのとした心と絆が伝わってきます。 暗い事件・事案の世の中で、ホッとでき、心温まる憩いの場ですね。遅くなりましたが、1周年おめでとうございます。 安中先輩のご苦労とマメさには感心し尊敬しています。美人の奥様の力も大でしょう。 ・・・と持ち上げといて、お願いがあるのですが(^_^)
第17期生徒ホームページ1周年記念「江田島仙人殿のスペシャル訓育」を我が24期にも頂戴したいのですが許可願いないでしょうか?昔 江田島で学んだ事を思い出せさていただき、あたり前の事なのですが、忘れがちになってしまう事を文字として改めて教えられると、心が洗われます。今、24期の名簿更新作業をしているのですが、新名簿に掲載させていただきたいのです。 17期生HP管理人の安中先輩に了解していただき、さらに江田島仙人殿にお願いしていただけないでしょうか?先輩よろしくお願いいたします。m(__)m
追伸:17期生HP トップページの名文句は、さらに何度もつかわさせて貰っています。
あんちゅうの返信メール 久しぶりでした。 音沙汰の無いのは元気な証拠と理解していましたし実際のところ、投稿するまでのこともないと言う気持も理解をしております。 ・・が、このメールは嬉しいの一言では言い表せない程、嬉しく拝見しました。 ・・・と、持ち上げておくのはあんちゅう極秘の必殺技だったのですが見破られてしまったようですね。
冗談はさて置き、17Th Homeの本真を見極めて頂いて本当にありがとう。 純な生徒にしか理解できない所をさすがまりお君、ちゃ〜んとわかっている。君を育ててくれたすべての人に感謝と、君の努力に敬意を表わして、いつものごとく、かんぱーい!! ゴクッゴクッ プハー! 17Th Home1周年記念「江田島仙人のスペシャル訓育」転載の件ですが、喜んで許可します。この歳になってはなかなか聞くことの出来ない仙人の言葉の数々、あんちゅうも17期も 初心を思い起こさせる謹言でした。誰が、「言い訳をするな」「ごまかすな」「泣き言を言うな」「他人のせいにするな」「行動に責任をとれ」「けじめをつけろ」「何事も一生懸命やれ」「自発的にやれ」「挙措容儀は常に端正であれ」などと言ってくれるでしょう。仙人にはあんちゅうよりまりお君のメールを転送し、許可を請いますので今しばらく、お待ちください。間違いなく許可は下りるはずですが、17Th Homeとしましてはこのスペシャル訓育をお願いするに当たり仙人に「訓話の相手は17期でお願いします。いろんな方が見ると思いますがあくまで、ターゲットは17期です。」と、お願いを致しました。 こういったいきさつから掲載するときには、仙人が17期に贈った旨の一言を加えてもらえたらありがたいあんちゅうです。24期のコミュニケーションが益々、広がりますように。



2002年9月18日(水) 17期 高橋良彦 17Th Home掲示板投稿より
件名 : スポーツの秋
スポーツの秋となりました。 生徒部も各クラブ、大会に参加しており土・日は試合で休む暇もないようです。しかし、我がラグビー部10月26日から県予選が始まると言うのに怪我人ばかりで、未だベストメンバーが組めません。最初から少々愚痴になってしまいましたが、これから皆様のご期待に答えられるよう、生徒部の状況を”江田島仙人”とは別な角度で、遂次掲載して行きたいと思いますので請うご期待を。 遅くなりましが8月26日付で、1術校生徒部勤務を命ぜられ過日着任致しました。後輩の育成に微力ながら努力していくつもりです。 これからも、皆様のご指導・ご鞭撻宜しくお願いします。 ”アンチュウ”返信ありがとう。
あんちゅうの返信投稿 いいですね〜。この調子です良彦君。 愚痴もいいですね〜。 人間味があふれています。「生徒部の状況を”江田島仙人”とは別な角度で」ですか。 自分をわきまえてる所が流石ですね。・・これ、仙人直伝の誉め殺しの術を使ったつもりなんですが、見え見えなのも仙人直伝なんです。ハイ。しかし良彦君、この前のメールでは、仙人の”愛弟子”を許しましたが、よくよく考えてみると”直弟子”で修行を重ね仙人御本人が ”愛弟子”の称号を与えて初めて使うものだと気付きました。 あんちゅうが勝手に ”愛弟子”の称号を与える事は大きな間違いでした。 よってまだまだ修行がたらない良彦君を仙人の”直弟子”とします。 仙人の下、厳しい修行を重ね仙人より ”愛弟子”の称号を賜るまで頑張ってください。あんちゅうと17Th Homeは最大限の応援を惜しみません。(反対にお世話になるばかりなんですが・・・)



2002年9月18日(水) 17期 安中 均より
件名 : 呑・話・笑・騒・・・・。
17期 宮崎保文ことやっちゅうが9月14・15・16日と あんちゅうの自宅を訪れてくれました。やっちゅうとは江田島で開催された25周年以来の約、6年ぶりです。 普段は佐世保で仕事をしている彼が東京に出張する事を知ったのは、高杉の件で電話をしたときですから5月頃の事と思います。9月初旬より1ヶ月間東京で研修があると聞いたとき、すぐさま、新潟に呼ぶ事にきめ、逃げられないよう日にちも9月の14日からとこちらで指定しました。 重永一家に会いに行く時も、仙人一家を御迎えに行く時も心ときめき ドキドキして御迎えに上がりましたが、やっちゅうも同じく、心ときめくものがありました。 新幹線燕三条駅で握手をし、互いの健康に一言二言交えた後、「新潟に来たら俺の指示に従ってもらう。」と まずは、やっちゅうの気勢を制しました。 夜はあんちゅう長年の夢が叶い、自宅で酒を酌み交わしました。 仙人慰労の銘酒と、一実からのワインもすべてからっぽにし、妻はもちろんの事、子供達と更に途中遊びに来た近所の田代治郎一さんも交え、話・笑・呑・話・呑・騒・賑・呑・芸・笑・騒・呑・話・笑・芸・・・・延々と続きました。 翌日は、越後一宮 ”弥彦神社” にお参り。弥彦山の山頂までロープウェイで行き、新潟平野の大きさを見てもらいました。夜は場所を変え、マタマタ 話・笑・呑・話・呑・笑・呑・呑・・・・。家に帰ってきてからも呑・笑・呑・笑・話・・・。 帰る翌日も朝食後、呑・話・笑・呑・話・呑・・・・。いやはや、呑・話・笑・・・で3日間はあっという間に過ぎてしまいました。 やっちゅうを送っていった帰り道「貴方は幸せね。」の妻の言葉に 「うん。想っていれば必ず会える。いつかチャンスがある。きっとある。」と 講釈をたれた後、みょうに無口になってしまったあんちゅうでした。



2002年9月17日(火) 17期 安中 均より
件名 : 高橋良彦メールデビューのご案内
同期諸兄、お元気でお過ごしのことと思います。いつも17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。この度、高橋良彦がメールデビューを致しましたので、アドレスをCCで送信します。彼は、8月より我母校の教官として赴任し、仙人の誉め殺しの術にも浮かれることなく後輩の指導に情熱を傾けているようです。良彦君の今後の活躍に期待すると共に同期のコミュニケーションが広がりますように。 あんちゅう



2002年9月16日(月) 17期 高橋良彦 17Th Home掲示板投稿より
件名 : おまたせしました
江田島仙人の愛弟子こと高橋良彦がやっとデビューします。よろしく。
あんちゅうの返信投稿 待ってました、高橋良彦君。 メールデビューおめでとうございます。 首を長ーくして待ってましたよ。 気付くのが遅くなって申し訳ありません。 早速、同期にアドレスを配信すると共に良彦君にも同期のアドレスを送ります。 待ってましたよ〜。 仙人からは、大枚はたいて神器を手にしたことは聞いていましたが何時になってもデビューの案内が来なくて心配してましたが、これでホッとしました。 17Th Homeを見ているすべての目が、ヨシヒコのメールを見ているなどと言う大それたプレッシャーなどものともせず、どんな些細な事でも送ってください。 ヨシヒコの仕事の?%は、この、17Th Homeのために有る事を海幕も了解済みです。 これからは、仙人の愛弟子?(直弟子・・仙人はこう記載してましたが許します。)らしく江田島の風と香りを”週3”のペースで17Th Homeに届けてください。 ヨロシク!!



2002年9月15日(日) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re: コケケッコー
准尉講習に来ている山本一実、山下孝(Sの伊藤隆欠席)と臼井君それぞれの来呉を祝し、ミニ同期会を催しました。話題は、生徒時代新任のみよこ先生を泣かしたことから生徒の存続についてまで時間の過ぎるのも忘れ、盛況の内にお開きとなりました。准尉講習入講中の同期の激励会は皆さんの予定を見ながら10月に入ってから実施の予定です。記念写真を添付して報告します。それと臼井君が韓国海軍とソフトボールの親善試合に臨んでいる姿も送ります。
あんちゅうの返信メール ミニ同期会報告、ありがとう。 あんちゅう宅では、やっちゅうを拉致することに成功し、妻も交え、同期の近況に止めども無く話がつづき、こちらでもあっという間に時間が過ぎました。 今晩も第2弾をぶっぱなします。



2002年9月14日(土) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り037−02
1 アンチュウとヤッチュウで焼酎ですか?きっと長福寺秘伝の美味しい日本酒でしょうね!酒中にご注意を!長年の夢が叶えられ、良かったですね。仙人もヤッチュウとは、しばらく会ってません。宜しく! 九州の田舎出身の仙人の希望は、常に佐世保希望で、かけ出しの頃、大湊から、次は佐世保とふんでいた、あの時、行った先が仙人部落でした。おかげで、素晴らしい若い仲間と知り合うことができました。
2 13日夕刻、韓国海軍が呉に入り、レセプションがありました。久しぶりに娑婆の雰囲気を味わいに「せとゆき」へ。アンニョンハセヨの言葉一つだけを持って参りました。誰が日本人で、誰が韓国人か分かりません。突然声をかけられ。「アンニョン・・・・」と言わなければと振り向いたら、何と臼井幸一大先任伍長でした。貫禄十分! 三か月もハングルを勉強したとか。韓国の伍長を見事にもてなしていました。 仙人のデジカメより高い彼のカメでツーショット!ハングルもカメも、そして、孫も 仙人完敗。 以心伝心の術がなかなか通じない仙人より
あんちゅうの返信メール とりあえず、昨日の大宴会の様子を一枚、添付いたします。 今夜は、宴会第2弾です。



2002年9月12日(木) 14期生 下條先輩より
件名 : Re: ありがとうございます。
我々、14期も未熟者の故、彼の地で実践されている 誉め殺しのような高等な技は習得しておりません。 我々の申す言葉は全て真実とお考えください。(若干の例外はありますが……)内田康夫は先日 江田島殺人事件という小説を読みました。 題名に惹かれて購読しましたが、直接江田島とは関係ない内容でした。開高健は初期の裸の王様とか、釣りに関する著書を何冊か読んだことがあります。 近頃、(昔からですが)あまり本を読みません。灯火 親しむ候、酒を節制し書に親しもうと考えております。若し、差し支えなければ平井学校長のMail Address 教えていただけますでしょうか ? 訓育のお礼と多少お尋ねしたいことがあります。 宜しくお願いいたします。 14期水測
あんちゅうの返信メール 今、帰宅しました。かなり、相当、・・・支離滅裂に酔っ払っているので大事な事から先に記します。 ふぅ・・。
海上自衛隊第1術科学校 校長 平井良彦 ****@****江田島仙人 ****@****
新たなコミュニケーションが生まれますように。 ふぅ・・。
下條先輩の返信メール 平井校長の個人情報有難うございました。海上自衛隊、術科教育の根幹を成す第1術科学校、その校長職にあられる平井海将補の隠された事実、これは国防上の観点から最高機密に属する内容であり、取り扱い厳重注意の極秘扱いとさせていただきます。 14期水測 下條



2002年9月12日(木) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り036−02
鬼の棲む村に、池田富昭君発見! 仙人部落は、11日夕刻から12日午前まで仙人のボスの視察を受け、部落の隅々を巡検、12日ボスの総員起こし視察にお供した仙人、囚われの幹部予定者が体操をしている中、池田君を捜索、そこで、上半身裸の彼を発見!引き締まった身体で神妙な顔で一、二、三、四!鬼の棲む村に相応しい面構えでした。これなら厳しい修行にも耐えられるでしょう。 人の庭なので、写真が撮れず、皆さんに見せられないのが至極残念です!身体引き締めの術を模索し始めた仙人より
あんちゅうの返信メール メールの返信、遅くなって申し訳ありません。ボスの視察のお供、ご苦労様でした。夕刻より翌日の午前までとはかなり大変でしたでしょう。また、池田富昭の近況ありがとうございます。 あんちゅうの近況をひとつ、ふたつ。昨日(12日)1830、新潟地連・加茂募集事務所長が8月1日より替わられ、その歓迎会と自衛隊父兄会役員会並びに募集相談員との懇親会に参加いたしました。新所長は、石本政弘1等陸尉。 真面目に話をされるときはこわおもての方ですが笑顔が素晴らし方で、若者に夢を与えたいと、熱っぽく募集業務を語っておられ、その情熱に感激を致しました。海上自衛隊新聞を届けてくれるお礼も申し上げました。 明日(14日)長年の夢が叶い、宮崎保文を拙宅に拉致します。生徒実習の間、佐世保の宮崎の自宅に居候をさせてもらってました。 息子は遊びほうけて家には居ない事が多く、あんちゅうが替わりに息子となって宮崎のお母さんのご馳走を独り占めしていました。機会があったら、是非新潟に来てもらい、一杯やりたいという夢が明日、実現します。あんちゅうとやっちゅうの呑兵衛秘話は後日、報告いたします。 身体引き締めの術の模索さえも程遠いあんちゅうでした。



2002年9月11日(水) 17期 小松幸弘より
件名 : Re: 小松 幸弘
手間かけた。奥様共感謝す、コレからも頼む。



2002年9月11日(水) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 訓練を怠りなく
おはようございます、ちょっと気がゆるんでしまって今朝は0515に目が覚めました。いつもより1時間15分遅れてしまった。今夜からは就寝前にもっとしっかり飲んで寝ます。コケコッコー!
あんちゅうの返信メール 毎日が訓練です。・・が、たまにはそういうことも許しましょう。結構、ケッコウ、コケコッコー ? 失礼、コケケッコウー で〜す。!!



2002年9月11日(水) 14期生 下條先輩より
件名 : お返事: ありがとうございます。
早速のお返事有難うございました。いつも思うのですが、貴君のHome Pageに投稿すると必ず心のこもった返事が返って来ます。 それが楽しみで皆も投稿を続けるのではないでしょうか。 スマートで目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り。 このスマートさには相手に対する思いやり、そしてユーモア精神も含まれると考えています。 そして几帳面さ、これらの船乗りとしての精神がこのHome Pageを支えているのだと思います。 とっておきの話、拙い文章でしたが、同期の繋がりを感じてもらえれば嬉しく思います。
竹原生徒へ 谷健に宜しくお伝えください。 今度はそちらが もてなす番であると。
あんちゅうの返信メール 先輩のお言葉、まともに受け取ればいいのか、ヨイショの一言と取ればいいのかこの歳になっても判断できません。我、仙人流に言えば、マダマダ修行が足りません。 内田康夫の浅見光彦シリーズなど読んでいては、先輩のような高等な言葉も浮かんできません。開高健も好きなんですが、最近ちょっとご無沙汰です。 先輩の言葉に少しでも近づくためには、何よりも本を読むことだとはわかっているんですが実行が伴いません。「反省だけならサルでもできる」という言葉は、あんちゅうのためにあるようなものです。 誰にでもわかり易く、その中にチラッと光るものがあれば最高なんですが、それが、なかなか。谷憲先輩には、我、17期の艦伍長三羽ガラスの一人、たっけはらが間違いなくお伝えいたします。これからも修行を重ねるあんちゅうと17期、17Th Homeをよろしくお願い致します。



2002年9月10日(火) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 8017カウント公式認定
ありがとうございます、「八海山」厳重な包装と新潟県のにおいに包まれて無事到着いたしました。まもなく、准尉講習に来ている奴らと同期会が催されますのでその際に皆でいただきます。それと早朝にションベンも目が覚めることを悲観しなくても良いことも講釈したいと思います。8017ゲットの記念写真を添えてまずはお礼まで。uemisa
あんちゅうの返信メール 無事、届いたようで何よりです。 准尉講習のみんなに宜しくお伝えください。もちろん、同期会の報告も待ってます。わかってると思いますが、広島の藤原にも声をかけてください。 次のイベントは、10017カウントでしょうか。それまで、しっかり早朝しょんべんの訓練を怠りなくと、奴らにも教えてください。



2002年9月10日(火) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り035−02
1 仙人部落秋近し! 仙人部落の各部活の生徒の動きが爽やかになってきました。仙人は、蚊の襲来を避けつつ、巡検使となって部活を巡りました。野球部も、先輩コーチに誉められ、けなされ、頑張っています。ふと近くに眼をやると、小さい柿がたわわに、たくさん実っているではありませんか!秋近しですね♪ 仙人の感では、これは渋柿。誰が植えたのでしょう?仙人部落には、実のなるものは植えないのが伝統だと聞いていますがね。採った、食ったでもめるからです。だから、甘柿だったら、仙人が全部独り占めです。皆さん悪しからず!棲み家に帰るまで、蚊五匹にやられてしまいました。
2 直弟子華麗な変身 仲間入りしてから、まだ日も余り経っていないのに、既に変身の術を心得た直弟子。 永遠のラガーマン、カッコイイよ!生徒の中に混じっていると、生徒と間違えそう? これは、仙人の誉め殺しの術!無理すんなと叫びたいのを我慢している毎日です。
3 天高く馬肥ゆる秋、皆さん、暴飲・暴食厳禁!健康に注意しましょう。 未だ食欲封じの術を修行中の仙人より
あんちゅうの返信メール
1 イヤー 知りませんでした。 仙人部落には、「実のなるものは植えないのが伝統」という事。 その理由がまた、なんともいえませんね〜。 「採った、食ったでもめるから」 ですと。 「ん〜 わかる!」 ところが 情けない!
2 直弟子は頑張ってるようですね。 しばらくは、彼にはあまり考える時間を与えないようにしたほうが彼の精神安定上いいかもしれません。仙人の誉め殺しには誰も死んだ者がいないという伝統も耳にしています?が、この程度の誉め方では、「ん〜 わかる!」 ところも 情けない!
3 暴食、してみたいですね。 暴食できるのは若い証拠ですよね。・・・もうできませんね。 暴飲は、よくないのは わかっちゃいるけど出来る。しまいと思っていてもしてしまう。 なんと、節操のない人間になってしまったのかと 「まったく情けない!」 あんちゅうです。
4 追伸 ・・ 直弟子のメールデビューを17期は待ってます。仙人の術の及ばないところとは思いますが宜しくお伝えください。



2002年9月10日(火) 17期 竹原堅一より
件名 : いいお話
14期生 下條先輩 いいお話 聞かせていただき 有難うございます! 涙がでて きました。 おいていった同期、 それに、涙する同期!異国の地での、とてもいい話ですね。 やっぱし 生徒なんです。 そういう、ことができるのも! ちなみに、谷憲さんとは、 同じ、団地なんです! すばらしい先輩が、近くにおられて、幸せです!    おわり!



2002年9月9日(月) 17期 竹下和哉より
件名 : 1周年おめでとう。
17期HP1周年おめでとうございます。 それから江田島仙人の素晴らしい訓育を見せていただき、入隊した頃の初心を思い出すことができたような気がします。ありがとうございました。  さて、30年という年月は、あっという間に過ぎてしまったような気がしますが、17期の歴史は、このホームページにしっかりと、その足跡を残していってくれています。皆の同期愛はもちろんのこと、管理人の安中。それに全面的に協力してくださる素晴らしい奥様の力、思いがあるからこそ、途切れかけていた17期の歴史が再び力強くよみがえったような気がします。このホームページがある限り、離れ離れの全国の同期といつでも会えるような気がします。年はとっても、心はいつも入隊当時の初心に戻り明日から、また頑張ります。 PS:メールが遅くなってしまいすみません。1周年にふさわしい何かを と考えているうちに遅くなってしまいました。ひらめいたら、またメールします。それでは
あんちゅうの返信メール 17Th Home1周年記念メール、ありがとうございます。 1971年春、江田島大講堂の空気を吸った者の中には、都合により退職した者や卒業後各部隊に配属され、全国に散らばった同期がいます。 もう、あの大講堂には戻れませんが、これからの17期の歴史を記録しようと大それた目標を掲げ、このホームページは誕生しました。 現在のアドレス公開者が多いのか少ないのかはわかりませんが、ゆびとまハガキを使って約、100名にこの、17期ホームページの存在を知らしめてあります。 一人でも多くの同期が現在のIT環境を使用して 今一度、絆を深められたらこの17期ホームページは、ほぼ、目的を達成できたものと考えます。 それには、lower bamboo 提供の ”メール運びの先任海曹” から 一生懸命メールを運んで貰わなくてはなりません。 これからも、どんな些細な事でも送って下さい。 メール、ありがとう!!



2002年9月9日(月) 14期生 下條先輩より
件名 : 17期生 HP開設1周年 おめでとうございます
17期生HomePage開設一周年おめでとうございます。 今年、3月に15期、福島生徒よりこのHomePageの事を伺い早速、Accessいたしました。 自衛隊の生活を彷彿とさせる構成の妙、最新の情報による皆の動向、そして、平井校長による江田島の様子と、このHomePageの質の高さに驚いた次第です。 3月以降、必ず、一日の終わりにこのHome PageにAccessすることが日課となりました。 おかげさまで毎月の電話代が増加し、このHomePageの主催者である、安中生徒に請求書を送付しようかと、八つ当たり的なことを考えておる次第です。 冗談はさておきまして、このHomePageのお陰で番上生徒、遠藤生徒、その他、多くの後輩達と連絡が取れ久闊を叙すことができました。これもひとえに、安中生徒、そして奥様の尽力の賜物と感謝しております。
さて一周年にあたり我等14期の谷川(谷健)生徒、坂口生徒、そして原田生徒のとっておきの話を披露させていただきます。昭和51年夏のことと記憶しております。 当時、退隊し渡米一年目の私はLos Angeles郊外のFullertonという町で大学に通っておりました。 東西南北、言葉もわからず、馬鹿と言われても、Yes, Sirと言い返している毎日でした。 そんなある日、地元の日系新聞、 羅府新報に日本国遠洋航海部隊 San Diego 寄港という記事を読み、矢も盾もたまらず、面会に行こうと決心しました。  当時、 3度の食事にも事欠く貧乏生活でしたが、ここは俺の港だ。ここに来航した同期を充分にもてなさなければ皆に笑われると、なけなしの金をはたき、部屋に酒食を用意し車を借り、San Diegoまで約160K、車で迎えに行きました。そして、たかつき(と記憶しておりますが)乗艦の谷川、坂口、原田たちと、再会し、Fullertonの私の部屋に皆を連れてきて同期会を催し、久しぶりの旨い酒を酌み交わしました。宴も果て、皆をSan Diegoまで送っての帰路、今日の散財、今後、どうやって生活していこうか悩んでいました。 部屋に帰り、後片付けをしていると机の下に折りたたんだ懐紙が置かれていました。 中を空けると$100札。  谷川、坂口、原田がそっと置いていったものに違いありません。 3人とも、私がどんなに見栄を張っても、私の窮状がわかっていたのでしょう。でも、直接、手渡したのなら、絶対、私が受け取らないということもわかっていたのだと。$100札を握りしめながら、つぶやきました.  “ 馬鹿野郎、俺に恥をかかせやがって ” そして、そのあと涙が出てきて止まりませんでした。 渡米して涙を流したのはあの時が初めてです。江田島での生活はこのような友情を育んでくれます。 以上 14期水測 下條
あんちゅうの返信メール 17Th Home1周年記念メール、ありがとうございます。 谷憲、坂口、原田先輩のとっておきの話、とても感動致しました。 また、当時を思い出しながらこのメールを打っている下條先輩の気持や姿を想像すると、とっておきの話以上に、あんちゅうの心には、ズンズンと来るものがあります。 女房に至っては、先輩のメールを見ながら涙して、何回も何回も読み返しています。 17期は幸せです。このような素晴らしい先輩を持って。 谷憲先輩が 「おら!おら!! 17期も見習わんかいっ!!」などと言ってきそうですが直立不動の体勢を取り、「はいっ!!」と言うしかありません。 神様14期生に少しでも近づけるよう、下條先輩の電話代がもっともっとかさむよう17Th Homeを通じ同期の絆を深めていきたいと思います。今後とも17Th Homeをよろしくお願い致します。



2002年9月8日(日) 17期上田 三佐夫より
件名 : Re: 8017カウント公式認定
早起きは三文の徳と申しますが、そのとおりですね。お言葉に甘えさせていただきます。39!認定していただいた奥方清子様にくれぐれも宜しくお伝え下さい。因みに女房には内緒ですが、私の35年前の初恋の人も中村清子さんと申しまして清子さんは他人とは思えまシェーン!uemisa
あんちゅうの返信メール uemisa君の場合、早起きは三文の徳というよりも ”夜明けのしょんべんは三文の得”というところでしょうか。ともかく、おめでとう。そしてありがとう。8日(日)、新潟銘酒を送りました。どうぞ、お楽しみください。 ”清子さん”の件、歳をとるとそう言って口説く方法も身に付いてきます。 ・・・奥様には内緒にしておきますが17Th Homeには載せちゃいました。



2002年9月7日(土) 17期 安中 均より 海上自衛隊第1術科学校長平井良彦 海将補へ
件名 : 1周年記念グッズ御礼
本日は、素晴らしい記念品をお贈りいただきたいへんありがとうございます。思いもかけなかった品に大変驚いています。オリジナルのマウスパットは、もったいなくてしばらくは使えそうにありませんが、モノは使って初めてその価値を発揮するものと考え、何かの記念の日に初使用をするのがいいのではと思案中です。
17期HPにおきましては、いつも江田島の香りを届けていただき、誠に感謝に堪えません。私を始め、17Th Homeご覧の多くの人が「江田島仙人便り」から江田島の香りや空気、風、気温、声などを感じ、あるいは息づかいまでも感じてる事と思います。離れてみてわかる江田島の心をこれからもよろしくお願い致します。
本来ならば、自筆にて御礼申し上げなければならないところ、このようなメールでの失礼をお許しください。
海上自衛隊 第1術科学校長 平井良彦 殿 17期ホームページ管理人 安中 均
海自第1術科学校長 平井海将補の文面
拝啓 当地では、松の緑が雄々しく輝く中、江田内に差し込む陽射しも柔らかさを増してきております。御地も秋風が吹くようになり、皆様におかれましては、素晴らしい環境の中、ますますご清栄にお過ごしのこととお喜び申し上げます。
この度は、貴兄御夫妻を中心とした同期生の皆さんの、献身的な努力により17期HPが充実、発展しながら一周年を迎えられたことに対しまして、深甚なる敬意と祝意を表します。これに合わせるように、高橋良彦君が当地で勤務してくれることになり、1971年に大講堂に集った一人としての江田島便りを発信してくれるものと、嬉しく、心強く思っております。
私は、海上自衛隊に入隊以来、生徒出身者の華々しい活躍ぶりに感服致し、更に、図らずも17期諸兄の教官として、お付き合いするようになりましてから、現代の生徒達の生活にも愛着を覚え、日々お節介を焼いているところであります。若い生徒たちを見ておりますと、どうしても、当時の諸兄の様子にダブり、身体が動いてしまいます。そのような訳で、最近の後輩生徒の状況をお知らせするのが、17期HPにおけます仙人の主たる仕事かなと認識致している次第です。今後とも宜しくお願い致します。
さて、一周年のお祝いに貴兄用のグッズを作りましたので、同封致します。ご愛用ください。
季節の変わり目で天候不順の折、安中家ご一同様のご健勝、ご多幸を心からお祈り申し上げます。 敬具
平成14年9月吉日 平井良彦 安中均様
追伸 : 17期HPの存在について、上田分隊長に話しました。



2002年9月7日(土) 17期 今田俊介より
件名 : びっくりしたよ
安中いつもご苦労さまびっくりしたよ 名前で検索してあんなものが出て来るんだ悪いことは出来ませんね〜〜 菜菜子ちゃんは現役の女子大生 聖心だよ ばりばりのお嬢さまだから あんちゅう手を出しちゃダメだからね 又メールしします しゅんすけ
あんちゅうの返信メール そうです。・・悪い事は出来ません。 17Th Homeに17期入隊者

17Th Home 徒然草 2002年8月


2002年8月28日(水) 17期 遠藤 章より
一周年おめでとう!と言うよりも、安中、一年間ご苦労さん。 今は、肩のこるサラリーマン生活を送っているが、帰宅後に「17th Home」を見て、元気の元を毎日もらっている。 同期諸兄の近況を身近に知ることが、これほど楽しみになるとは思いもよらなかった。 ほんとうにすばらしい生徒17期だ。 この様子であれば「17th Home」は永遠に不滅と思う。 自分のことを少し言わせてもらうが、「新しい歴史教科書をつくる会」の会員になって活動している。 とにかくサラリーマンで時間もあまり取れないので、主に群馬県内の会員と定期的な会合を開いて歴史勉強会をしている程度ではあるが。 昨年度の中学校歴史教科書の採択結果は、ご存知と思うが惨敗に終わった。 この結果を踏まえて、今月あった愛媛県の新設中高一貫校の採択に対しては県外からの署名活動を積極的に支援し、44万人の方々から署名を頂けた。 この結果はご存知と思うが、「新しい歴史教科書をつくる会」の推す扶桑社版が採択された。自分は、今後もこの活動に関わってゆきたいと思っている。 「17th Home」と同様、永遠に不滅でありたい。
あんちゅうの返信メール 1周年記念メッセージ第1号、ありがとうございます。 「17th Home」は永遠に不滅になれるかどうか、遠藤の両肩にかかっています。 両肩です。ますます、肩がこるかもしれません。 ・・・が、すこしでもこの「17th Home」によって、ほっとしていただいてる様でやりがいが出てきました。 仕事の他に自分なりに生き甲斐を見つけることは、おおいに有意義な事と思います。 仕事と離れたいろんな人と交流を持つことは、今後の人生が魅力あるものになることでしょう。 遠藤が感じてる事は、他の同期も感じている事。17Th Homeにも定期的な顔出しをよろしくお願い致します。



2002年8月27日(火) 17期 竹下和哉より
件名 : チャットルームについて
お元気ですか。 7777に向かって驀進中の17期HPですね。 9月2日の1周年では、素晴らしい訓育が聞けそうなので楽しみです。 さて、いろんな思考をHPに反映させ、見事に花開いたHPですが、いかんせん電話回線使用中の同期諸君にとって「チャット」は大変みたいです。 総監部管理部伍長の奥山大先生に言わせると「もう寝とる。または飲みすぎて意識がない」そうで、できれば21:00開始に変えてほしいとのことでした。 他の同期は、どう思っているのでしょうか。 私はADSLなので、いつでも構いませんが、年齢、仕事、接続方式等を考慮するとやっぱり21:00開始のほうが集まりやすいのでしょうか? 1周年も近いし、皆の意見を聞きたいものですね。 できれば、その日に「全員集合」もとい「総員集合」なんて命令して「チャット」するなんていかがでしょうか。 ふと、気づいたのでメールしました。 1周年に対するメールは、後日送ります。 明日も早いので、もう寝ます。 PS 9月4日から、山下 孝、山本一実、伊藤 隆(水測:佐世保)(ほかもいるかな)が呉の准尉講習に参加します。 椛島の音頭で江田島仙人を囲み歓迎してくれるでしょう。 それでは おやすみ タケシタカズヤでした。
あんちゅうの返信メール いつも素晴らしいアイデア、ありがとう! チャットは、21:00開始にしましょう。 そうですよね。22:00じゃ 若年寄りにはムリって感じ。 開始時間はいいとして、ADSLやフレッツみたいな通信料金定額の人と、通信料金は従量課金の人がいると思うし、会社からしか見れない人もいるし、それぞれの状況を考えると、「総員集合」の命令は、酷かなと思います。 いろいろ考えると当分の間はこのままの状況で進んだ方がいいような気がします。 その時間に暇を持て余している者がおしゃべりを楽しむ。 そんなスタンスでいかがでしょう? その内、興味を持ち始めた同期が徐々に増えていく。 それを待ちましょう。 ちなみにあんちゅうは現在、パソコンの電源を入れると真っ先にOutlook Express を立ち上げ、ツール⇒オプション⇒全般のタブの 「メッセージの送受信」の 「メッセージが届いたら音を鳴らす」 にチェックを入れ、「新着メッセージをチェックする」にチェックを入れ時間を「1分ごと」 に設定しておきます。 Outlook Expressは、パソコンの電源を切るまで終了しません。 ですから、パソコンの電源が入っている限り、オンラインとなっています。 そうしてチャットルームに入り、あの文面を書き込み、いったん退室しています。 先日、木村とチャットした時も最初、木村から 「・・・今晩はもうおやすみですか」とメールが来て「まだです。チャトルームへ。」と返信し、チャットルームに入りチャットをしました。 常時接続にある人はこの方法がいいと思います。 メールがこなければテレビを見ていてもいいし、他の事をやっててもいいし。 メールがくれば ♪ピンポーン と鳴ってくれるのですぐ、対応できます。っと、いったところで。



2002年8月27日(火) 17期 上田三佐夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 祝「仙台広報成功」!
いやぁー仙台広報大成功で何よりです。これもひとえにアンチュウを筆頭とする17thネットワークのお陰ですね。ケイジほんとに5963でした。また頼りにしています。それでは、君のお腹に4649ゥ!  ケビン・コスイナー
メール件名 : 投稿しました。 本文 : お疲れさんです、メール送りました。密かに7777を狙っていますがちょっとむつかしいかも?
あんちゅうの返信投稿 ほんと、前畑始め、同期のみんなに世話になったんじゃけん。安部さんには喜んで貰えてうれしいんじゃけん。最初、8月8日に安部さん当てに出したメールであんちゅうは、前畑の了解も得ず、「・・・・遠慮はいりません。」などと書いてしまったんじゃけん。でもそこは流石 ”にこらす・けいじ” スペシャルゲストとして最大限の接待をやってくれたけん、あんちゅう、ホッと一安心。にこらす・けいじ捜索もK・コスイナー言う通り17thネットワークのお陰なんじゃけん。これからも4649ゥ! なんじゃけん。 わしゃあんちゅうなんじゃけん。 ちょーっとばか呑み過ぎなんじゃけん。



2002年8月27日(火) 17期 安中 均より
件名 : 17Th Home一周年前夜
同期諸兄、新潟は夏の暑さが戻ってきました。 いかがお過ごしでしょうか。 さて、前にもご案内の通り、9月2日で17期ホームページ ”17Th Home” は一周年を迎えます。 公私共々、お忙しいであろう江田島仙人に記念のメッセージをお願いしたところ、快く引き受けていただきました。題して 「江田島仙人のスペシャル訓育」 しばらく、訓育なるものを拝聴した事がない同期がほとんどかと思いますが、初心に返り、また、これからの人生を送る上での糧にしたいと思います。どうぞ、ご期待ください。 尚、ケイタイメールで長文対応できない方は申し出てください。あんちゅうがプリントし、郵送いたします。 同期からの1周年記念メールもお待ちしております。できれば9月1日までにはこのメールが届く、全員からのメッセージを夢見ています。 17Th Home更新の気力をあんちゅうに与えてください。



2002年8月27日(火) 17期 安中 均より
8月24日(土) 17Th Homeのチャットルームで 17期 木村文保と話をしました。 2回目のチャットでした。 彼は現在、JASのパイロットとして日本の空を飛び回っています。 新潟にも飛んでくるようですが、時間的になかなか会う事ができません。 最近ご無沙汰の奄美のクロウサギこと、橋本和昌とは、5月31日に会ったと橋本よりメールがありました。 今後のチャンスを楽しみにしています。



2002年8月26日(月) 17期 前畑啓二より
件名 : 汚れた にこらす・けいじ 近況報告(仙台編)
今年6回目の広報作業を終えて仙台より帰って来ました。 無事、阿部さん一家をスペシャルゲストとしておもてなししました。 48期の息子さんを見ていると 31年前の自分を見ている感じでした(かなり無理がある)(>_<) アンチュウよりもらった卒業アルバムから『使用前のにこらす・けいじ』を見せたところすごい反響でした。 夜の部は仙台国分町に繰り出しました。(^O^) お疲れ様でした。(^_-)
あんちゅうの返信メール 仙台広報、ご苦労様でした。 昨日、安部さんより御礼のメールが届きました。 追伸が嬉しいじゃないですか。 真に受ければの話ですが・・・。その後に前畑からのこのメールの件名。 「汚れた にこらす・けいじ・・・」何かしっかりと自分の事をわかっているようで自己管理ができている前畑に感慨深いものがあります。 ほんと、喜んで貰って仲介したあんちゅうもほっとしました。 前畑の熱き心にカンパーイ!! また、このような事があったら宜しくお願い致します。



2002年8月25日(日) 48期の母親 仙台 安部庄子様より
件名 : 体験航海御礼
24日 朝 目が覚めたら外はどんよりとした曇におおわれてましたが なんとか晴れてくれました。 はやる気持ちを落ち着かせ 家を出たのは11時・・・・ 仙台港までは1時間・・・・ 途中私の両親と合流し 護衛艦「さわゆき」が待つ高松木材埠頭へと車を走らせました。 つきあたりはもう海と言う所で左に目をやると突然 ”さわゆき”という文字が・・・ 「おぉー!すごい!」 「わぁー!!」車の中は4人の歓声が渦巻いてました。 ちょっと緊張しながら受付へ行くと なんと前畑さんが待っていてくれました。 あいさつもそこそこに 「さわゆき」に乗艦させていただき それからはずーっと 「えっー?こういう所まで?」と言うくらいに ”熱い” ”厚い” 接待を受けました。 話をしながら前畑さんは 卒業当時の写真を パソコンで見せてくれ 19歳の前畑さんはとてもスマートでかっこよく 思わず 「もてたでしょうネー」と呟いてしまいました。 息子はと言うと いろんな方に 「48期」 と紹介されましたが 緊張の為か 言葉も少なく固まってました。 本当にこのようなすばらしい体験をさせていただき 前畑さんと17期の皆様になんと御礼を言ったらよいのか 感謝の気持ちでいっぱいです。 有難うございました。 息子は明日25日 江田島へ戻りますが がんばってくれると信じてます。 だって!! このようなすばらしい先輩方がたくさんいらっしゃるのですから!! あんちゅうさん 前畑さんと連絡をとってくれた皆様に 宜しくお伝えください。 今日は本当に有難うございました。 ・・・ 仙台  安部 庄子
  追伸 前畑さんは ”ニコラス・ケイジ”以上に すてきで さわやかな方でした。
あんちゅうの返信メール 昨夜(8月26日)、返信と17Th Homeに掲載をする予定でしたがヤボ用が出来てしまい申し訳ありません。 安部さんのメールでは、感激の様子が伝わって来ます。 よかったですね。 喜んでもらえて、今回一連の事に協力してくれた同期も安部さんと同様、喜んでいる事と思いますし、17Th Homeとしても同期の絆を再確認することができ、嬉しく思っています。 卒業アルバムもご覧になったとか。ニコラス・ケイジ当時の写真と、現在の貫禄十分な姿のギャップに少なからずともショックを受けたのではと心配していますが、見かけは変っても、国防と同期、後輩を思う熱き心は今も変っていないとあんちゅうは確信を持っています。 固まってしまっていた息子さんは、今回の体験航海も貴重な経験と思いますが江田島ではさらにいろんな ”体験” をされると思います。 ”体験” が自分自身に自信を持たせる事を江田島で経験して欲しいと思います。・・江田島とはそういうところです。 だいぶ硬くなりました。いつものあんちゅうに戻ります。 追伸の 「前畑さんは ”ニコラス・ケイジ”以上に すてきで さわやかな方でした。」は前畑をちょうしに乗せる名文ですが、同期の何人が名文を真に受けるか?・・難しい問題です。 今後とも17Th Homeをよろしくお願い致します。



2002年8月24日(土) 17期 安中 均より 17期小川直基へ
件名 : あんちゅう
高杉仏参とニコラス・ケイジ捜索、ありがとうございました。ところで、小川のアドレス、まだ、同期に公開していなかったような気がするけどどうだったかな?
小川の返信メール 件名 : 24時間営業 メル・アドは僕の認識番号だよ〓安中お好きなように! できれば同期より若い女性からのメール待つ!
あんちゅうの返信メール 残念ながら、誠に残念ながら、さらに残念ながら、小川の希望ははかなく消えることになるのでは・・・。 公開しても良いという事で理解をします。 さっそく同期に配信します。 小川にも送るからね! ちなみにあんちゅうの認識番号は、小川流でいくと me**-***** でした。 ん? これ、いいね〜。 あんちゅうもケイタイアドレスはこれにしようかな。
小川の返信メール 件名 : 夢を見る! そんのなこと言わず同期はどうでもいいから新潟美人にアド教えてやって!
あんちゅうの返信メール 件名 : Re: いい夢見ろよー! まて! 今、同期に配信の文面を打っている。
あんちゅうより同期へ 件名 : 小川直基アドレス公開 同期諸兄、こんばんわ。 高杉仏参やニコラス・ケイジの捜索に尽力いただいた 岩国 小川直基のアドレス公開です。 小川曰く、「できれば同期より若い女性からのメール待つ!」 と きたもんだぁ〜♪! 来ない事は わかっちゃいるけどやーめられない♪ ってとこか〜!! 小川直基 mo**-*****@**** 小川は ”24時間営業” と のたまっています。 0100から0500の間のメールが好きなようです。 同期のコミュニケーションが広がりますように。
あんちゅうより小川へ どうだー! まいったかー!!
小川の返信メール 件名 : ありがとう〓 おいおい、野郎から夜中〓きたらどうすんだ!参ったなあ。 どんくさい同期の娘さんから来るのを待とう。 土・日は藤竹とゴルフだ! 藤竹はシングルで俺はもう中古車一台分ぐらい払っているよ。 くやしいからハンディは貰ってないから裏目にでてる。 それじゃまた何かあれば知らせる
あんちゅうの返信メール 件名 : 藤竹に新車を! 間違いなく、野郎から深夜にメールがいくだろうな〜。 最初はあんちゅうが泣く子も黙る丑三つ時にメールを送る。 ッてな事はないからご心配なく。 前畑じゃないけどゴルフじゃなく芝起しに行くのだろう? コースのグリーンキーパーのことも考えてね。藤竹にもヨロシク。 ・・17Th Homeもヨロシク。



2002年8月23日(金) 17期 竹原堅一より
件名 : Re:Re: おしらせ
こんばんわ〓 今日で5日目 酒がぬけて 体調抜群あと1週間もいると肝臓生き返る〓これが俺の健康法? 国防最前線より〓〓
あんちゅうの返信メール 件名 : 実弾発射ヨーイッ!! ついでに、腹もぬけたらたっけはら、大喜び! ・・などとは 言えないあんちゅうです。 国防最前線、ごくろう。 日本の国民と財産を守るため、いま少し、たっけはらの力が必要です。 酒がぬけて頭が冴えてくるところでお願いを1つ。 9月2日にこの17Th Homeは開設一周年を迎えます。 そこで、17Th Home最前線にいるあんちゅうと、愛しの同期に向けてたっけはらの実弾をドカーン!!とイッパツ! ブッぱなして欲しい。 ・・・・・無事の帰還を祈ります。 あんちゅう
竹原の返信メール わかったぜ〓うちのミサイル(2億円)かまして やろう〓2日までもうちょっとあるので悪い頭で考えてみるよ〓 まあ そういうことで本日は ばいバイ〓



2002年8月23日(金) 17期 安中 均より 仙台 安部庄子様へ
件名 : 呉 上田三佐夫の心配事。
言い忘れました。 呉の上田三佐夫からのメールによれば「でもちょっと心配なのは安倍さんの頭の中でニコラス・ケイジが膨らみすぎてないかなぁ?名前が同じだけだってよーく言っとかないと会えないかもよ・・・」 そうです。 ・・最後の”ケイジ”が同じ”啓二”だけの事なんです。 前畑啓二を ”ニコラス・ケイジ” と最初に言ったのは他でもない ”呉の上田三佐夫” です。 言い出しっぺが、ちょっと心配しての忠告だと思います。 安部さん、ニコラス・ケイジのイメージが無かったら 「サワユキ・ケイジ」とでも呼んでください。 けっして、「サワヤカ・ケイジ」 などとダジャレてはいけません。 ・・調子に乗りますから。 明日は、晴れると良いですね。
安部さんの返信メール もーーーいっぱいいっぱいに 膨らんでますヨ! 私の中では!!(明日が待ち遠しいです。) でも はたと気がつきました。 つまり ”ニコラス” と ”サワユキ” と ”サワヤカ” をたして 3で 割ったような方が 前畑啓二さんなんですよね? わかりました! ほんとに いろんな方にバタバタとあわただしい思いをさせてしまい ゴメンナサイ。 17期の皆様に感謝します。 仙台は 今夜から明日の午前中にかけて雨 午後から曇り そして夕方からまた雨という予報が出ています。 でも心配は要りません! 私が今晩一晩かけて天気祭りをします。 17期の方々が私の願いをかなえてくれた様に 天の神様もきっと・・・・。それでは 明日行ってまいります。    仙台  安部 庄子



2002年8月23日(金) 17期 小池正行より
件名 : 感謝感激雨あられ
何年ぶりかの猛暑とか言われていたこの夏も日増しに秋の気配が漂ってきました。 同期諸兄におかれましては益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。 最近、特にお世話になっている小池です。 ところで、昨日仙人から江田島精神の贈り物が届きました。 何回もお手紙を拝見しているうち五省は、人の生きていく道そのもの、江田島精神の原動力だということに気付きました。 人生もかなり折り返している今日この頃、やっと気付くとは、ちょっと情けないですが、もう一度初心に戻ることができそうな気がします。 そう、医療にも「ヒポクラテスの誓い」や「ナイチンゲールの精神」があったりしますが、これと五省が結びつけば鬼に金棒、弁慶に長刀ですね。 仙人からの激励と贈り物をひとり占めするのはあまりに申し訳ないのでここで告白します。 「感謝感激雨あられ!!!」 同期諸君、これに乗じて仙人に何かをねだってはいけません。
あんちゅうの返信メール よかったですね〜。 小池の「五行だったかね」 のおかげであんちゅうも、多分同期もおおいに楽しませていただきました。 仙人の贈り物も気になりますが、あんちゅうは「お手紙」の内容がおおいに気になります。 もう一度初心に戻れる。 ・・かも知れないその手紙の内容とやらをきっとみんなも知りたいことでしょう。 仙人直伝の「五省」を糧に頑張りましょう!!



2002年8月22日(木) あんちゅうの妻より 17期重永幸敏へ
件名 : 楽しい会食を有り難うございます。
20日の日は、お世話様に成りました。奥様はじめお嬢様方にもお会いする事が出来て、本当に嬉しかったです。いつかのメールにあったように、やはり奥様は若くて3人姉妹の様でした。お土産まで頂き有難う御座いました。 せっかくの旅行なのに、少々お天気に恵まれなくてお気の毒です。昨日も夜は結構寒くて・・・朝方もですが、風邪など引かないように、残りの日にちを楽しんで気を付けてお帰り下さいね。 お別れの時の名残おしい事、私まで貰い泣きしそうで・・・帰りの車の中で主人と二人で、もうちょっと居たかったけどね、どうしてもホームページに、11時帰宅後、やらなければ成らない事があったから、仕方ないと・・・。 同期会でも会ってないので、28年ぶりぐらいなんでしょう?重永さんは!本当に、最初の予定の日にちごろだったら、我家にも来て頂いてゆっくりとしていって貰いたかったのに、とても残念です。 娘さん達にも悪かったねぇ・・大人の付き合いさせちゃって!でもいい娘だねー!まだ、一緒に付いて来てくれるなんて・・うちはもうダメでしょう。 今度は是非とも我家にも、来て頂きたいので、奥様にもその様に宜しくお伝え下さいね。 今日と明日はお天気良く成りそうなので、朝夕涼しいですが気を付けて楽しんでいって下さい。会えて良かった!奥様と娘さん方にも会えてホントに良かった。有難う御座いました。 お帰りの車の運転 くれぐれもお気をつけて!再会を楽しみにしております。じゃあ!またメールします。 清子
重永の返信メール いやこちらこそありがとうございました(^O^)奥さんは、本当にできた奥さんですね〓家の女房が、尊敬してましたよ。来年は、安中さんちに行きたいってね\(^O^)/安中にもよろしくお伝えください〓



2002年8月22日(木) 17期 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り033−02
1 「小池君の五省」、「安部さんの乗艦」等々について、皆さんの対応の早さに、仙人は感心し、腰が抜けそうです。
2 さて、部落では、生徒の休暇は25日までのところ、ラグピー部員が帰り、合宿を始めております。今夏は、尾道高校1年生が来村し、術の競い合い、他流試合をします。古鷹、新学生館、江田内に囲まれ、第1グランド溌剌と(実は休暇疲れでバテ気味)プレーしています。
棲み家に帰った仙人より
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り033−02 ありがとうございます。 「小池の五省」、「安部さんの乗艦」については、全く同感です。 小池はもちろんですが、安部さんについてはなんとしても希望をかなえてあげたかった。 前畑始め、現役同期にはご迷惑をおかけいたしましたが、日にちがないもので急いで捜索隊を編成、前畑を発見し、安部さんに引き渡しました。 前畑も快く引き受けて 「先任伍長のスペシャルゲストとして最大級のお持てなしをしたいと思います。」とメールを送ってくれました。 ありがたきかな17期! ありがたきかな17Th Homeです。 あとは仙人が送ってくれた江田島のように天気に恵まれる事を祈るばかりです。 さて、仙人部落が活気付くのはいま少しのようですが、あんちゅうも汗を流したグラウンドは今も、古鷹山や松や江田内が見守っているんですね。 ラグビーに汗を流している後輩たちも数十年後、あんちゅうと同じ事を思うのでしょう。 相変わらず、あんちゅうの涙腺を刺激する仙人の写真、ほんとうにありがとうございます。



2002年8月22日(木) 17期 安中 均より
件名 : あんちゅう・重永二十数年ぶりの酒盛り
8月20日(火曜日)、重永が奥さんと娘さん2人の一家4人で 新潟県柏崎市の”雷音”に2泊3日の日程で旅行に来ました。その日、あんちゅうは消防の講習で1650まで新潟市。終わるやいなや、新潟市から三条燕インターまで高速をぶっ飛ばし、三条燕インターで待ち合わせていた女房と柏崎の”雷音”までこれも高速をぶっ飛ばし、1830、着きました。重永は5年程前、病気になり右手、右足に後遺症が残り少し不自由そうでしたが、車の運転も出来るし元気でした。早速 ”雷音”のレストランで再会を祝し かんぱーい!! ゴクッ、ゴクッ、 ぷはぁ〜。 奥様も気さくな方で重永を良くここまで助けてこられたと感激しました。重永はビールから焼酎へ。 やっぱ、鹿児島県人だ! あんちゅうはビールから熱燗へ。やっぱ、新潟県人だ!
杯を重ね、いろんな話をしていると なんと、番上から重永のケイタイに電話が。 あんちゅうの「ニコラス・ケイジを探せ!」のメールを見て電話したとの事。嬉しかったな〜。電話の後は、番上はデカイ、デカイ!と 奥方の羨むような話に盛り上がり、「デカイばかりが能じゃない。性能が問題だ!」っとは言ってみたもの所詮、あんちゅうのモノはあんなモノ。あえなくトーンダウンせざるを得ませんでした。そんなこんなであっという間に「ラストオーダーでーす!」 ・・・場所を変えロビーで話しているとなにやら重永、涙ぐんでいる。娘さんや奥様の話によると すっかり泣き虫になったとの事。 ・・・マタマタ、あっという間に時間が過ぎ、又の再会を約束して2120帰路につきました。 35周年には江田島に行こうー! 重永!
重永の返信メール 俺の方こそありがとう\(^O^)/今度来たら、安中の家で飲みたいです〓それよりおまえは、本当にすばらしい奥さんもらったね〓俺の女房も言ってたよ〓まじ、できてる人ってね\(^O^)/次回来るときは、かならず安中のところに行きます〓奥さんにもヨロピク〓



2002年8月21日(水) 48期の母親 仙台 安部庄子様より
件名 : Re: 体験航海をお楽しみください。
こんばんわ メール拝見しました。遅くなってすみません。 8月24日(土) 4人でお願いします。岩国小川直基 さん・佐世保 伊藤 隆さん・ 舞鶴 氏野良則 さん・ 呉 上田三佐夫さん そして 忘れてはならない あんちゅうさん! お忙しい中いろいろとありがとうございました。とりいそぎ連絡まで。 ・・・・・・仙台  安部 庄子
あんちゅうより前畑・小川・伊藤・氏野・上田へ 仙台 安部さんからメールが届いたのでそのまま転送いたします。ご協力、感謝に堪えません。 よかった〜。前畑へ。 確認の為、このメールを見たら、あんちゅうまでメールを。
前畑の返信メール 確かにメール確認しました。土曜日24日4名様お待ちしています



2002年8月21日(水) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re: ニコラス・ケイジを探せ!
さすが、アンチュウの一声でケイジがつかまったねぇ。 またケイジも「まかせなさーい」って頼もしいね。 でもちょっと心配なのは安倍さんの頭の中でニコラス・ケイジが膨らみすぎてないかなぁ? 名前が同じだけだってよーく言っとかないと会えないかもよ・・・ (ケイジ、すまん・・・言い過ぎた。) 上田ケビン・コスイナー
あんちゅうの返信メール あんちゅうもそう思います。 ・・えへっ! 2分ほど前、ケイジよりメールがきたばかりです。ありがたきかな17期! 上田ケビン・コスイナー1尉殿! これから、あんちゅうは、17Th Homeの更新作業に入ります!!



2002年8月21日(水) 17期 前畑啓二より
件名 : Re: 見つけられたニコラス ケイジ
台風13号の奴に2泊も避泊させられ行方不明になってしまい同期に迷惑をかけてしまいました。呉の上田、舞鶴の氏野、電話有り難う。官品の衛星で電話ができるのは竹原と氏野だけです。仙台の阿部さんは先任伍長のスペシャルゲストとして最大級のお持てなしをしたいと思います。明日22日は鴨川カントリークラブで芝起こしをしてきます。
あんちゅうの返信メール 素晴らしい件名、ありがとう。 8月21日0012に安部さんに以下のメールを送信しましたが、2109現在メールが届いていません。 連絡があり次第、前畑にお知らせいたしますが、もし、出港中ならいろんな手を尽くし、連絡いたしますので、よろしくお願い致します。 前畑先任伍長!これから、あんちゅうは、17Th Homeの更新作業に入ります!!



2002年8月21日(水) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り032−02
江田島仙人 長福寺参り
1 仙人一行は、8月17日(土)、長福寺を目指し、お盆帰省の道路混雑を見込み、朝六時に金沢を出発、ところが、スーイスーイ、雲乗りの術を使うことなく、新潟県内に到着。朝駆けの術でお目覚め直後の安中夫妻を強襲!片付け・掃除・洗濯と慌て?させてしまいました。仙人部落ではよくあること!ごめんなさい。
2 安中家は、仙人も引っ越したいような山、谷、川?を越え、自然に恵まれた所にありました。特に周りは、米、野菜、魚、何でも採れる環境でした。羨ましーい!
3 お昼は、一寸した娑婆の安中君行きつけの料理屋で一杯と料理、新潟のお酒も頂きました。これだけは、行って見ないと頂けませーん!悪しからず。
4 安中ご夫妻に深謝しつつ、二時半に長福寺を去りました。 後ろ髪を靡かせながら、かっこよく去った?仙人より
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り032−02 ありがとうございます。
イ 仙人御一行をお迎えに燕三条インターまで行く途中と、待っている時、あんちゅうのココロはドキドキでした。初恋の君に会う時の緊張感を思い出していました。
ロ 朝駆けの術を使っていただいたお陰で拙宅での時間がいっぱい取れ、嬉しい限りです。
ハ 過去のメールでは、失礼な言葉の数々を申し上げましたが、仙人を目の前にすると、さすがのあんちゅうもメールのような訳にはいきませんでした。 っと、思っているあんちゅうです。
ニ 竹下忠告の酔うと同じ事を何べんも言うといわれた一実。そんな様子はコレッポッチも見せず、チットモ変らない友との酒盛りは、最高でした。
ホ 一実のネーチャンは全くあの頃のままでした。仙人秘伝の術中にあるようですが、どうも、ネーチャンの術中に仙人がハマッているような気が・・・?
へ 長男の学君は、一実にそっくりの好青年でした。仙人の生活が続く間、ネーチャンをよろしくお願い致します。
ト 清子には、あんちゅう最大のお客様を迎えるに当たり、色々苦労をかけました。お陰でいいお招きをする事が出来ました。愚亭あんちゅうには無くてはならない賢妻清子です。 (だいぶ ノロケました事、お詫びいたします。)



2002年8月21日(水) 17期 重永幸敏より
件名 : なし
おはよう(^O^)昨日は、久しぶりに酔いがまわりました〓楽しかったよありがとう\(^O^)/



2002年8月21日(水) 17期 安中 均より 17期全員へ
件名 : なし
ニコラス・ケイジを探せ! では、ご迷惑をおかけいたしました。 おかげさまで48期の母親、安部さんは、ケイジの元、体験航海を楽しんでいただける事となりました。 本当にありがとうございました。 とりあえず、御礼まで。 あんちゅう



2002年8月21日(水) 17期 安中 均より 17期鍋島久司へ
件名 : なし
なべちゃん。 チャット、一人で申し訳ないね。 さみしさが文面の隅々に垣間見える? 今度一緒に楽しみましょう。 あんちゅう



2002年8月21日(水) 17期 小松幸弘より
件名 : どうだたかな?
小池より、返事有り。 短メール、end。 幸弘
あんちゅうの返信メール 意味不明。 あんちゅう理解できず。 小松飲み過ぎ。 もう一度送信されたし。 あんちゅう



2002年8月21日(水) 17期 安中 均より 仙台安部庄子様へ
件名 : 体験航海をお楽しみください。
こんばんわ。件名の通り、現役同期の力添えで体験航海がお楽しみいただけることとなりました。順番をご説明いたします。
1・ 桟橋の受付テントに行き、「”さわゆき”の前畑さんのゲストで来ました。前畑さんをお願いします。」と申し出てください。
2・ 受付では、前畑がゲストとして安部さんを迎えることが伝わっているはずです。
3・ もし、もしも、受付でラチがあかないようでしたら前畑のケイタイに電話をかけて下さい。電話番号は、 ***-****-**** です。
4・ 体験航海は土曜日と日曜日だそうです。どちらの日に何人おいでになるかを早急にあんちゅうまで連絡願います。
以上、取り急ぎ、ご案内いたしますので、”4”の件、早急にお願い致します。神様は見捨てません。 ・・・いえ、17期は歓待いたします。以下に同期からのメールを記載いたします。 ・・・・岩国 小川直基・・・・佐世保 伊藤 隆・・・・舞鶴 氏野良則・・・・呉上田三佐夫・・・・



2002年8月20日(火) 17期 前畑啓二より
件名 : にこらす・けいじ(前畑です)
残暑見舞い申し上げます。 休暇中でありながら、今年3回目の台風避泊を余儀なくされ、やっと帰って参りました。 横総監初度巡視時の画像データを送ります。 『佐世保の竹原』いざ勝負!! ダイエット中の前畑より
あんちゅうのヒトリゴト 海曹長 前畑啓二。 横総監初度巡視先導 素晴らしい! りっぱだよ!! ご苦労様。 これを送ってくれる直前に捜索願を同期に配信したが、小川、伊藤、氏野共タイミング悪く 補足出来なかった。最後に 呉 上田三佐夫が発見。 ・・仙台 安部さんのエスコート、よろしくお願い致します。
佐世保 竹原との勝負はオアズケにします。 ダイエット がんばれ!



2002年8月19日 (月) あんちゅうの妻より 17期竹原堅一へ
件名 : ごちそうさまでした。
残暑お見舞い申し上げます先日は、竹原御夫妻には沢山の品々をお贈り頂きまして、誠に有難う御座いました。本当に美味しかったです。これから私が里帰りした時のお土産には、おおくぼの辛子明太子に決まりです。福砂屋のカステラも大変に美味しかったです。その上に、仙人御家族が来られた際にはお助けマンでした。流石 仙人!とびっきり速い雲に乗って来られたのか?予定時刻よりお早いご到着で・・・。それとも、校長先生は抜き打ちチェックがお得意とみえて・・・こんな事書いて大丈夫かしら?まさか・・主人がHPに載せたりしないでしょうねぇ?皆様のお陰で、楽しいひとときを過ごさせて頂きました。17期HPを支えて下さってる方々のお陰ですよね。本当に感謝してます。それで、頂いたカステラをお出ししました。助かったー!!奥様本当に有難う御座いました。本来ならお手紙をお出しすべきところメールでお許し下さいませ。まだまだ、暑さが厳しいですので、どうぞご自愛下さいますように。今日はこの辺で失礼致します。お礼まで! 清子



2002年8月19日(月) 17期 安中 均より前畑と現役同期へ
件名 : ニコラス・ケイジを探せ!
前畑と現役同期へ。 前畑本人か、前畑に連絡の取れる同期がいたらぜひ、連絡をとってほしい。実は、17Th Homeにも投稿してくれる48期の母親仙台の安部様から仙台港の体験航海の申込がすべて外れたとの事。日は、23、24.25日。 もう前畑が出港しているとこのメールが届かないと思い、すべての現役同期にメールを送ります。是非、後輩の母親を前畑の艦に乗せてやりたいので、連絡方、お願いします。尚、あんちゅうは今夜、重永と二十数年ぶりに会うので、帰宅は2300頃になる予定です。 あんちゅうのお願いをよろしくお願い致します。
小川直基の返信メール ラジャー!サーチコンディション
小川直基の返信メール 今のところ、岩国では 猿とコンタクトとれず
伊藤 隆(水測)の返信メール 緊急信送信中! 前畑の携帯が変わっていなければ、(***−****−****)だよ。電話をすれば、数人だったら伍長の一声で艦に乗せれると思うよ。
話は変わるけど、昨日(19日)岩国から、小川と藤竹が高杉をお参りに来てとんぼ返りで帰っていったよ。俺は当直で会えなかったけど、宮埼が案内して無事お参りできたようだ。宮埼からの伝言で、17THhomeに報告を頼むと言うことで、連絡します。奥さんの最近の情報では、高杉に皮膚を移植した足の傷跡がぴりぴりとたまに痛むそうです。でもとても元気そうで安心しました。
お盆を過ぎたあたりから、朝晩はとても涼しくなってきましたが、みんな寝冷えしないように頑張りましょう。   ー伊藤ー
氏野良則の返信メール 私に任せなさい。氏野。 今週から「しまかぜ」の指導に当たっている。明日、「しまかぜ」出航中に連絡を取る。 ただ、その後の連絡方法をどうするのか知らされたし。直接、艦に行って前畑を呼びだしてもらうのが最終手段だけど。 では。−忙しい氏野より−君の頼みなら、これくらい・・・!
上田三佐夫の返信メール ケイジとコンタクトがとれて(まだ在宅してました。)2300以降にアンチュウへTELするように伝えました。
あんちゅうの返信メール ありがとう!! 前畑と連絡が取れ、仙台の安部さんにその旨、メールを送信いたしました。きっと、体験航海を楽しんでいただける事と思います。 とりあえず、お礼まで。 あんちゅう



2002年8月19日(月) 48期の母 仙台 安部庄子様より
件名 : 体験航海の件
何かとバタバタしたお盆も終わり 私も今日から通常生活が始まりました。 しかし 一週間の休み明けの月曜日は非情につらく 午後からは 「いかに睡魔と闘うか!」それだけで 終わってしまいました。 さて護衛艦 体験航海の件往復はがきで 申し込みましたがすべて外れてしまいました。 でも神様は私を見放しませんでした。 是非 是非 宜しくお取り計らいくださいと 甘えてよろしいんでしょうか・・・?    仙台   安部 庄子 
あんちゅうの返信メール おはようございます。 今(0717)現役同期全員に前畑と連絡が取れるよう手配いたしました。 もう少し早ければ前畑本人に連絡が取れたと思いますが、ひょっとして出港しているとあんちゅうではどうにも出来ないので現役同期の力を借ります。 いい結果が出るといいのですが・・・・ 今、岩国にいる同期より以下のメールが届きました。
*********************
件名 : Re>ニコラス・ケイジを探せ! 本文 : ラジャー!サーチコンディション
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なんとなく、うまくいきそうです。 あんちゅう。



2002年8月19日(月) 17期 小川直基より
件名 : 岩国の小川
今日高杉宅に藤竹と線香あげに佐世保に行ってきたよ。宮崎に案内してもらい助かったよ。休みだったけど持つべきものは同期だな!高杉にくるのが遅い!って怒られたよ。安中の分まで拝んできたぞ
あんちゅうの返信メール ありがとう!ありがとう!ありがとう! よかったね。心がちょっと楽になった。 あんちゅう
小川の返信メール 高杉スケベな顔してたよ。いい奴だよ



2002年8月19日(月) 江田島仙人より
件名 : 美酒御礼
銘酒「甕覗」を、ギンギンに冷やして、昨夜頂戴しました。 有難うございました。 素晴らしい味に酔いしれ、正に甕を覗き込んでしまいました。 今日、部落に帰ります。 ご健闘をお祈り致します。 17HPを宜しくお願い致します。 安中ファミリー 様    仙人より



2002年8月17日(土) 江田島仙人より
件名 : 長福寺訪問御礼
念願の安中家訪問・安中夫妻との再会を叶えて頂き、深謝!予定より早く着くなどご面倒をおかけしました。仙人の長福寺訪問記は後日にしまして、本当に有難うございました。お二人の元気、かつ、仲睦まじい様子に直接触れることができ、感激の訪問にすることができました。サンキュー & グッドラック 仙人 けいこ 学 一実
あんちゅうの返信メール 遠いところをおいでいただき、また、諸々ご迷惑をおかけしほんとうにありがとうございました。 楽しいひとときを共に過ごしていただいて、決して大げさでなく、まるで夢のようでした。 十分、仙人の意も感じております。 これからも17Th Homeを通じ、同期との絆を益々深めるべく努力いたします。 17期ホームページ 管理人 安中 均 ・清子



2002年8月17日(土) 17期 小池正行より
件名 : 五行もとい、五省でした。
いつもお世話になっています小池です。 早速皆様からのメールありがたく拝見致しました。 本当にすばやい対応に驚いています。 ありがとうございました。 ここ2日間くらいメールにちょっとしたトラブル(ウイルスではありません)が発生して、開けられなかったら、貯まる貯まるやっぱり同期はすごいと改めて感心しました。 これからもよろしくお願い致します。
あんちゅうの返信メール あんちゅうの感覚はあたりませんでしたが、良かったですね。 おもしろかったのは、鍋島の「件名:ざんねんでした こういう物はオレがくわしいの」と、文面の最後の「以上 「五省」にもっとも縁遠い鍋島より」 です。 「っえ!!なべちゃん、おまえがくわしい?」 と パソコンを前にヒトリゴト。 最後の文面を見て「そうだろう、自分をよくわかっている。フムフム。」と納得。
仙人の 「「五省」と言えば、江田島仙人でしょう。」 も 全くその通りで ”平井幹部候補生時代”、正に実践してこられたのですから。 あんちゅうの頭の中に仙人はいましたが ”平井幹部候補生”は存在していなかった事に大いに反省しました。 でも、おもしろかったな〜。 また、こういうのを送ってください。



2002年8月17日(土) 17期 竹原堅一より
件名 : ただいま
ただいま!宮崎から帰ってきました。  明日、仙人と一実が新潟にくるんだって!久しぶりだろ。 たのしみだね!俺も新潟に行こうかな〜。 なんてね、、、  よろしく いっといてね。年老いた 父母の顔を見てると、自分も歳とったんだな〜と、改めて感じたよ。 それと同時に、70過ぎまで元気に暮らしてる親を改めて尊敬したのだ。 長男(わし)に迷惑をかけないよう頑張っているようだ。 やっぱり たっけはらはたよりに ならないのだろうね!  親はよくわかっているのだろう。 なさけない(^_^;)じゃあ また 明日!
あんちゅうの返信メール 相変わらず送信時間が遅いね。 親には、元気な顔を見せる事が親孝行だとあんちゅうは思います。 何かあるたびに宮崎に帰るように。 仙人、奥様、長男、一実、あんちゅう、妻6人で、昼食会を楽しみました。 この17Th Homeを支えてくれる人がいるおかげで実現した事と、仙人はもちろんみんなにも感謝しています。 ありがとう。



2002年8月16日(金) 17期 安中 均より 17期竹原堅一へ
件名 : しおり・諸々ありがとう
みやこんじょうから無事、帰ってきましたか? いろいろ送っていただいてほんとにありがとう。 たっけはらの顔を思い浮かべながら頂く事とします。 明日17日、仙人があんちゅう宅においでになります。 一実も一緒です。 ぅひぇー!! 驚いたでしょう? 雲に乗って来るのでしょうかね?



2002年8月16日(金) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り031−02
「五省」と言えば、江田島仙人でしょう。
一 至誠に悖るなかりしか  (もとる)
一 言行に恥ずるなかりしか
一 気力に缺くるなかりしか (かくる)
一 努力に憾みなかりしか  (うらみ)
一 不精に亘るなかりしか  (わたる)
仙人は、ただ今、金沢に帰省し、前田家の末裔に秘伝伝授中につき、棲家に戻り次第、史料を小池君に送りましょう。 江田島仙人より ・・・小池に転送しました。・・・



2002年8月16日(金) 17期 安中 均より 17期竹下和哉へ
件名 : なし
さっき、小池に転送しました。 ♪ ゆかたのーきみぃは ♪ すすきのかんざぁし ♪ 旅の宿の「浴衣の君」はいかがです? 今夜は久しぶりにもえるかな〜。 ところで、明日、17日にナ、なんと仙人があんちゅう宅においでになります。一実も一緒です。 一緒に昼食を楽しみます。 ぅひぇー!!
竹下の返信メール 一緒に食事。いいですね。 カズミが酔うと、同じ事何度も話すから気を付けよう。 私は、旅の宿でかなり酔っています。 明日、家に帰ります。そんじゃ 浴衣の君は酔ってま−す。おやすみ!
あんちゅうの返信メール カズミの癖、ご忠告ありがとう。明日、竹下がこう言ってたと話しておきます。 酔った浴衣の君も素敵でしょう? ・・・ゥフッ・・・子供誕生に気を付けてご帰還ください。 おやすみ。



2002年8月16日(金) 17期 竹下和哉より
件名 : なし
それは「五省」です
一 至誠にもとるなかりしか
一 言行にはずるなかりしか
一 努力にうらみなかりしか
一 不精にわたるなかりしか
一 気力にかくるなかりしか
以上五つの言葉を海軍兵学校で山本五十六大将が残されました。 以上旅の宿からでした。 ・・・小池に転送しました。・・・



2002年8月16日(金) 17期 安中 均より
件名 : 五省
暇にまかせ掲示板に書き込みのあったごとく ヤフーで「五省」を検索しました。 約531件のページ内一致があり、抜粋してまとめてみました 。「医道五省」なるものもあり、「シルバー・ネービー五省」や「経営五省」など多くの「五省」にめぐり合えました。 おかげでいい勉強になりました。 添付ファイル(EXCEL)にてご覧下さい。 またの ?? を お待ちしています。



2002年8月16日(金) 17期 小松幸弘より
件名 : 忘れはしない小池へ。
一人娘の里弥、広島国大R課2年生だ教授願う頼む 小松幸弘 元気で! 小池へメールが届かない、良かったら届けて欲しい。すまないが。
あんちゅうの返信メール たった今、小池に転送しました。ちなみに、小池のアドレスは***@****です。小松の件名が、小池を泣かせそうでスバラシイ!!
小松の返信メール 助かりました。また、便りします、身体には気を付けて。



2002年8月16日(金) 17期 鍋島久司より
件名 : Re:ざんねんでした こういう物はオレがくわしいの
小池の件   「五行」ではなくて「五省」  
      五省
一、至誠の悖るなかりしか
一、言行に恥づるなかりしか
一、気力に欠くるなかりしか
一、努力に憾みなかりしか
一、不精に亘るなかりしか   以上 「五省」にもっとも縁遠い鍋島より ・・・小池に転送しました。・・・



2002年8月15日(木) 17期 江田俊弘より
件名 : Re>17期通信小池正行のお願い
小池、元気にしてる様ですね。私は護衛艦ちょうかいで砲術長をしています。さて問い合わせの件ですが次のとおりです。五省一 至誠にもとるなかりしか。 一言行に恥ずるなかりしか。 一 努力にうらみなかりしか。一 気力に欠くるなかりしか。 一 不精にわたるなかりしか。・・・小池に転送しました。・・・



2002年8月15日(木) 17期 安中 均より
件名 : 17期通信 小池正行のお願い。
同期諸兄、こんばんわ。 現在、防衛医大の放射線技師をしている小池正行より皆さんの力を貸していただきたいと、以下のメールが届きましたので是非、小池の力になってください。 メールの宛先は、小池正行****@****でも あんちゅう ****@****でも結構です。 以下に小池のメールを紹介します。
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件名 : 五行の件
残暑お見舞い申し上げます。 あんちゅうには、いつもいつもお疲れさまです。 皆さんのメールを一通り拝見しました。 いつも皆よく飲みよく遊んでいますね。 ページをめくるたびに昔に戻っていまうのは、本当に不思議ですね。 ところで、最近、あまり年をとり過ぎたために思い出せないことがあるので皆さんのお力を貸していただきたいのですが、それは、昔黒板の上に掲げてあった「五行だったかね?」......なかるしか。 .....なかるしか。 云々。 とってもいい言葉だったのに今になって省みれば想いだしもしない。 どなたか教えていただければと思います。自衛隊中央病院放射線技師養成所の3年生が毎年実習に来るので、今年の言葉にしようかと企んでいます。 どうかご存知の方はお知らせ下さいよろしくお願いします。 防医大病院 小池正行
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2002年8月15日(木) 17期 小池正行より
件名 : 五行の件
残暑お見舞い申し上げます。 あんちゅうには、いつもいつもお疲れさまです。 皆さんのメールを一通り拝見しました。 いつも皆よく飲みよく遊んでいますね。 ページをめくるたびに昔に戻っていまうのは、本当に不思議ですね。 ところで、最近、あまり年をとり過ぎたために思い出せないことがあるので皆さんのお力を貸していただきたいのですが、それは、昔黒板の上に掲げてあった「五行だったかね?」......なかるしか。 .....なかるしか。 云々。 とってもいい言葉だったのに今になって省みれば想いだしもしない。 どなたか教えていただければと思います。自衛隊中央病院放射線技師養成所の3年生が毎年実習に来るので、今年の言葉にしようかと企んでいます。 どうかご存知の方はお知らせ下さいよろしくお願いします。 防医大病院 小池正行
あんちゅうの返信メール メール、ありがとうございます。 同期にはそのままの文面を送信しました。(もう、着いてると思います。) さて、何人から教えの言葉が帰ってくるか。 こういうのは、あんちゅうの感覚から言うと吉原あたりがヒジョーに詳しいのではないかと踏んでるんでありますが・・・・。 (個人攻撃してみるのもおもしろいのかもしれません。一生懸命しらべてくれると思うのですが。)



2002年8月14日(水) 江田島仙人より17期 安中均へ
件名 : 訪問伺い
先にお知らせした貴兄方面へのドライブは、17日(土)にさせて貰います。 昼過ぎになると思います。 予定を立てている夏の休みの時期にごめんなさい。 皆様に宜しくお伝え下さい。 平井
あんちゅうの返信メール 喜んでお待ち致しております。 是非、是非、是非、・・・お待ち致しております。新潟県境をすぎたら私の指示に従ってもらってもいいでしょうか?
1 北陸道三条燕インターで待ち合わせをします。待ち合わせ時間は仙人に合わせます。
2 北陸道上越インターを通過したら私の自宅****-**-****まで電話をお願い致します。 (米山パーキングエリアからでも結構です。)
3 仙人の北陸道三条燕インター到着時間を予測し、出口でお待ちしております。
4 私の車は、ワインレッドのカペラワゴンです。私は、車の後ろに立って待っています。
5 私の電話番号は、自宅****-**-**** ケイタイ***-****-**** ピッチ***-****-**** です。
6 自宅はケイタイ、ピッチが通じません。(圏外の為)
7 北陸道三条燕インターでお会いした後、私が先導して仙人をご案内いたします。(昼食会場まで約20分)
8 昼食は途中で取らずにおいでください。 仙人のご家族の人数を是非、お知らせください。 (私と妻と仙人のご家族で楽しみましょう。)
9 食事後、私の自宅にご案内いたします。(昼食会場より約8分)
10 私の自宅にて茶を一杯差し上げたいと思います。 仙人の時間の許す限り懇談を楽しみましょう。
11 仙人のケイタイ番号をお知らせいただければ幸いです。
以上が、私が予定している新潟県に入ってからの仙人の行動予定ですが、仙人の予定と違っているところがあれば連絡をお待ちしております。
私と妻が楽しみにしている事は、一緒に昼食を楽しむ事と私の自宅においでいただくことです。・・・楽しみにお待ち致しております。 安中 均・清子
江田島仙人の返信メール アドバイス拝受 ご丁寧なアドバイス他痛み入ります。深謝! 仙人は、部落におり、今日金沢に帰ります。 行動計画は、妻(けいこ)と長男(学):この二人がドライバー:が立案しており、帰宅次第、連絡します。 あと、同乗するのは、私、二男(ゆう)、一実、計5名と聞いております。
伺う日:8月17日(土) 車:長男の白い「サーフ」 自宅電話:***−***−**** 仙人携帯:***−****−****
なお、貴兄の本メールを金沢に転送しました。 再々会を楽しみにしております。 ご迷惑をおかけ致しますが、奥様に宜しくお伝え下さい。  仙人



2002年8月14日(水) 17期 安中 均より
件名 : 伊藤 隆(ET)のアドレスの間違い
ETの伊藤 隆のアドレスに間違いがありました。 お詫びして訂正いたします。 伊藤 隆(ET) アドレス ****@****
竹下の返信メール 竹下了解 明日から旅にでます。 と言うことで今晩10時例の部屋で!
あんちゅうの返信メール OK っと言いたいところだが今晩は、部屋に行けそうもない。 あんちゅうの自宅から200メートル足らずのところで花火が上がる。 わずか30分位の花火大会なんだが、最後は2尺球5連発が発射される。 2112打ち上げ。 竹下も是非、おいで。 これからあの部屋に入って、書き残しておきます。 あんちゅう
竹下の返信メール 了解 楽しんで下さい。 飲み過ぎて、自分が爆発しない程度にネ。
あんちゅうの返信メール ありがとー! でも、 忠告を無視してあんちゅうは爆発する。 楽しい旅を。



2002年8月14日(水) 17期 安中 均より
件名 : 小松幸弘のアドレス公開
同期諸兄、残暑お見舞い申し上げます。今度、佐賀県出身 小松幸弘のアドレス公開の了解を得られたのでCCで送信します。小松は現在、佐賀で元気にしています。最近の小松の様子は、17期徒然草8月8日の竹原のメールで紹介しています。これで、43名の同期のアドレスを把握できました。・・・同期の絆を深められん事を祈ります。 小松幸弘 ****@**** ケイタイ ***-****-****



2002年8月14日(水) 17期 小松幸弘より
件名 : 小松 幸弘
お元気ですか?パソコンへのメールが初めての為、入ったかどうか確認のメールをお願いします。
あんちゅうの返信メール 元気ですよ〜。 ちゃんと届いています。っで、この後どうすればいいの? あんちゅう
小松の返信メール この携帯で連絡してくれ。電話番号******です。パソコン無いのでまだ、開けてない御免!携帯は女房が持ってる。何かあればこれでいいから。元気で!幸弘
あんちゅうの返信メール 同期にアドレスの公開をしてるんだけどいいかな?よければ、あんちゅうからも小松にみんなのアドレスを送りたいんだけど・・・。竹原もよろこぶぞ!! あんちゅう
小松の返信メール 是非頼む。 娘のアドレスだから途中かわったらまた連絡する。有難う
あんちゅうの返信メール こちらこそありがとう。了解しました。 早速、みんなに小松のアドレスを送ります。体に気をつけ、たまには、じゃなく、しょっちゅう 17Th Homeにメールの送信をお願いします。褒美に8月8日に届いた竹原からのメールを以下に記します。
**********************
あんちゅう  たっけはら生徒は本日1645〜から、楽しい楽しい夏休暇にはいったのだ。 今日はFTGの指導最後の日だったのです。 後ろ姿の若若しい3尉がいたのです。 防大出の新人かなあ〜と、おもいきやな〜んと 振り向いた顔の面白いこと。 山崎でした。 体は青年、顔は、定年。ところで、 佐賀県出身の小松生徒を覚えていますか? このあいだ 伊万里に入港したとき、いきなり面会にきたのです。髪はなくなっていたが、小松でした。懐かしそうで、みんなのことを話してあげたら泣きそうに なってました。やっぱり同期なんだな〜。。。。。。。。。
**********************
小松の返信メール Thank You! Next hope again!



2002年8月11日(日) 17期 竹下和哉 17期メーリングリストより
件名 : [17th-home] チャットルーム開設のお知らせ
17期HPでチャットなるものが始まりました。 毎晩、10時から眠たくなるまでの無制限話し放題です。 トップページのチャットの部分をクリックして入室してください。 チャットの意味がわからない人は掲示板を見ましょう。 第一日目は3人でした。 愉快な気兼ねのないバカ話でストレス発散しましょう。



2002年8月11日(日) 17期 竹下和哉より
件名 : タイトルページGOODです
チャットルームの案内が表示されたタイトルページ見ました。GOODです。さて、この餌に、最初に食いついてくるのは誰でしょうかね?心配なのは、パソ通で酒飲みの同期が酔って、この部屋に入ると、返事が遅くてチャットにならない可能性があるけどそれは、それで、また楽しいと思います。今晩10時が楽しみです。私の参加予想は「江田島仙人」「伊藤隆」「ADSLの伊藤理」です。では、10時にチャットルームで。



2002年8月11日(日) チャットじゃっど by 17期 竹下和哉 17Th Home掲示板投稿より
件名 : チャットルーム
チャットルームってなんじゃ?と思っている人へ チャットルームって、複数の仲間がインターネットを通じ、「文字」で会話するものです。 キーボードで文字が入力できる。パソコンの画面が見える。この2つが必須条件です。 接続方式がモデムの人は、電話代に気をつけてください。(夢中になると1時間位すぐ過ぎてしまいます)
1)チャットルームに入ると、参加者の名前の入力画面になります。名前を入れて「入室」を押します。
2)画面が変わって室内になります。「○○さんが入室しました」と表示されます。
3)「発言」部分に文字を入力して、発言ボタンを押すと、約30秒ほどで画面に表示されます。
4)それを見た相手が返事をしてくれますので、内容を予想して次の言葉を入力して発言ボタンを押すだけにしておきましょう。
そうすれば結構スムーズな会話が楽しめます。 開始は夜10時です。
あんちゅうの返信投稿 ダジャレている投稿者様、チャットの御説明、ありがとうございます。 (おぉ〜サブー!!)



2002年8月10日(土) 17期 臼井幸一より
件名 : なし
田舎(宮崎)に帰って来ました。 新潟出身の従兄の奥さんと飲んでいます。明日は、サセポに帰ります。 臼井幸一
あんちゅうの返信メール 新潟はどこか旧姓は何か早急に連絡されたし。 あんちゅう
臼井の返信メール 岩船郡荒川町(村上市に近い)須貝です。
あんちゅうの返信メール 県北ですね。あんちゅうの妻は佐世保出身ですと言ってくれた?
臼井の返信メール 当然でする。名前は、イツ子色白の美人です、
あんちゅうの返信メール 色白美人のイツ子さん、はじめまして。わたしが、あんちゅうです。ッと言ってもわかりませんよね。新潟県加茂市より全国にいる17期にほぼ、毎日ホームページの更新をしながら、絆を深めています。(臼井始め、同期のおかげなんですけどね)
加茂もぜーごらろも、荒川町もぜーごらね。なーんでそんげとけ嫁にいったん?宮崎もあっちぇかもしんねろもに新潟もめーんちめーんちすーっげ、あっちぇいね。盆はけぇってこねんかね? あんちゅう



2002年8月10日(土) 17期 伊藤 隆(水測) 17期メーリングリストより
件名 : 残暑 お見舞い 申し上げます
久しぶり、佐世保の伊藤隆です。 先日の17THhomeに、移通の伊藤隆を(水測)とかいてありましたが水測は俺で、あいつはETだよ。 ところで昨晩、竹原夫婦をうちに呼んでバーベキー(写真)をしました。 その後、夜中の3時までマージャンでした。 横須賀から、前畑も良く知っている垂水さん。(横須賀時代の知り合い)が来たので急遽始まりました。 前畑と竹原、どちらの腹が出てるか比べる為に誰か前畑の前進写真を投稿してください。 ちなみに、9月4日から10月24日まで呉教に出張します。      ー伊藤ー
竹下和哉の返信メール 天国のような准尉講習頑張ってナー 呉市活性化のため、お金たくさん持っていけよー 今年1月入校した感想だけど個性的な准尉100人、集まると、こんなに面白いものかって思いました。 エアロビ張り切りすぎて、体壊さないように健闘を祈ります。  准尉講習終了の竹下より
吉田喜和の返信メール 准尉講習も良いかもしれないけど、思い出の江田島で過ごす予定者の生活も捨てたもんじゃないよ! どうせ、定年まであと8年もあるのだから皆でまとまって幹部候補生学校を占拠したら!! なかなか、楽しい生活だったよ(^0^) 予定者を出た吉田でした!
あんちゅうの返信メール 推測とETのマチガイですが、8月6日に かの、タッケハラよりご指摘を受け修正いたしました。ゴメン。 准尉講習ご苦労様です。 仙人にも会えますね。ウラメシイ。 ・・失礼、ウラヤマシイ。 2001年2月1日氏野からのメールを紹介します。
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今晩は(^o^) 昨日は予定通り呉地区の同期会をした。メンバーは、江田島組が参加できずに高橋(やまゆき)・佐藤(寿)(呉教育隊)・椛島(呉総監部)・黒木(悦郎)(潜水艦○○しお?)・(准尉講習組:氏野・窪田・藤竹・松島)の8名だけとなったが、12時過ぎまで飲んでしまった。なにを話したかははっきり覚えていないが(年のせいで)とにかく楽しかった。やはり同期と飲むと気を遣わなくていい。おかげで今日は、拳銃射撃で講習組は二日酔いの状態だった。江田島「青年の家」の奥にある長浜射場まで行った。大変懐かしい場所でもある。当然、弁当持ちで行ったわけだが朝までの雨により寒く、またコンディションは悪かったが、結構みんな楽しんできた。教育隊に帰ってからの8時限目エアロビクスには総員くたびれてしまった。インストラクターは年齢不詳の女性で、スタイルは一応抜群だけど、年齢が50をすぎてる過ぎてないだとか、あの乳の揺れはシリコンだと、勝手なことばかり言うジジィどもばかりだ。というわけでやっと酒が抜けたと言うところ。明日は急遽、平井良彦(4年の時の分隊長:山本一実のおねぇさんのダンナ)が掃海隊群司令で呉に入港するので、「司令を囲む会」と題してまた宴会。お金も体も持ちません。 という近況です。 では、また。    (^_^)/~ by Ujino
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これを見るに、竹下が 「エアロビ張り切りすぎて、体壊さないように」 の 意味もわかろうというもの。・・年齢不詳の女性には気をつけて。



17Th Home 徒然草 2002年7月


2002年7月31日(水) 江田島仙人より
件名 : 対戦相手の修正等
蹴球っ子の三回戦の相手は、広工大付属ではなく、五日市高で、昨日0:1で惜敗しました。 訂正とお知らせでした。 でも、良くやりました。
今日は青海苔海岸に行きます。   仙人
あんちゅうの返信メール 青海苔海岸に行ったら 海から見て右の小川に鮎がいるかどうか・・・ もう遅いですね。 仙人。



2002年7月31日(水) 17期 竹原堅一より
件名 : ありがとう
ごめん  ホームページを泣きながら読んでました。 今 護衛艦 おおよど の電信長です。 先任伍長もやってます。 ただ 怖い顔して 腕組しているだけです。 あんちゅう  ありがとう。 みんなの アドレス わかったよ。 あんたは えらい。 夜遅くごめんね。 おやすみ
あんちゅうの返信メール こんばんわ。昨夜のうちに17Th Homeに掲載しようと思っていたが、パソコンが言う事きかなくてね〜。?? なにはともあれ、インターネットデビューおめでとう。 17Th Homeを見ている多くの同期が 「・・ん? おぉ〜!!」 っと、 のた打ち回るに違いありません。 このメールを見て、( 「先任伍長もやってます。 ただ 怖い顔して 腕組しているだけです。」のフレーズ) いまも笑いが止まりません。 笑いながら打ってるんであります。ハイ。 得意でしたからね〜、怖い顔と腕組み。 先任伍長の仕事はそうでなくては曹や士をまとめられません。 怖い顔と腕組みだけは、「昭和の竹原」を引き継いだんですね。 ケッコウケッコウ。コケケッコウです。 これからは、もちろん17Th Homeに協力してくれるんでしょうね? ・・協力・・・わかります?



2002年7月30日(火) 17期 番上隆幸より
件名 : Re:同期諸兄、ゴメン
番上です。 竹原インターネットデビューで安中が喜ぶ気持ちよくわかりますよ! 連絡有難うさんです。 私も、出張から戻ったら早速メールしてみます。 それでは、また
あんちゅうの返信メール 番上、竹原が ナ、なんとメールをやるなんて事、かんがえられる? 昭和の竹原を知っている17期通信としては思いもよらない事だけど 平成の竹原は、実は、アイテーの最先端を行ってるのかも? そういえば、昭和の竹原は、「ツメ」 を隠していたような気が・・・?? ・・・しないな。
同期の絆を深められん事を祈ります。



2002年7月30日(火) 17期 安中 均より
件名 : 同期諸兄、ゴメン
竹原インターネットデビューのメールを複数送信してしまい、申し訳ありません。 竹原からのメールを受けた途端、パソコンに異常が・・・・ そんな事はありません。 すべてあんちゅうの責任です。 本当にゴメン!! あんちゅう



2002年7月30日(火) 17期 安中 均より
件名 : 竹原、ゴメン
あの、あの竹原がインターネットを始めたらしい。 ?? ・・らしいじゃなくホントに始めた。(竹原、ゴメン) 証拠にメールを送ってきたので、後悔します。 失礼、公開します。

インターネット始めました。 yahooのIDも取得。 ******* チャットもおもしろそうですね。 こちらも初心者なので、いまからです・・・ Fletsにしましたので時間は大丈夫です。 これからよろしくね。 たまに登場します。
*****************************
Kenichi Takehara
e-mail ****@****

あまりの驚きに、まだ17Th Homeに掲載しませんでした。(竹原、ゴメン)
あんちゅうのヒトリゴト 同上文面を3回も送信してしまった。



2002年7月30日(火) 17期 竹原堅一より
件名 : インターネット始めました。
インターネット始めました。 yahooのIDも取得。 ******* チャットもおもしろそうですね。 こちらも初心者なので、いまからです・・・ Fletsにしましたので時間は大丈夫です。 これからよろしくね。たまに登場します。
*****************************
Kenichi Takehara
e-mail ****@****
あんちゅうの返信メール げんきか? あんちゅう
あんちゅうの返信メール 17Th Homeの更新でメールが来ていたのはわかったが、返信できなくて申し訳ない。 まだ起きているかな? あんちゅう



2002年7月30日(火) 17期 藤原和郎より
件名 : 前畑の下半身
上田と前畑のメール見ました。 前畑に会えなかったのと、全身が写った写真が見られなかったのが非常に残念。 でも顔は30年近く見てないけど昔とほとんど変わってないよ。 前畑もおれも昔から少しフケていたから、顔は年を取らないのかも? 腹は自分も人の事を言える様な腹では無いけど。 まあ、元気そうみたいなのでなによりです。 また機会があれば是非会おう。
あんちゅうの返信メール ホントに残念でした。 自然現象とあらば、これもまた、いたしかたありません。 前畑の下半身は次の機会と致しましょう。



2002年7月30日(月) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り026−02
1 仙人部落の仙人っ子達は、雲ならぬ”ぽんぽん船”に分乗して、宮島の青海苔海岸に仙人生活体験に出かけました。 住処の作り方、一人用蚊帳の吊り方、飯の炊き方、食材のさばき方、水の使い方等等、仙人術の一端なりとも会得して欲しいものです。 遊びたい気持ちはやまやまとは思うけれども、自然の中で生きる術を学ぶのが狙いであることを忘れないで楽しんで欲しい。
2 仙人部落の蹴球っ子が県予選で、一回戦、神辺高に1:0で勝ち、二回戦、本郷工高に5:1で勝つという快挙を果たしております。 したがって、仙人生活体験は免除です。 三回戦は広工大付属と対戦です。 勝利を目指せ!生徒精神で!たまに仙人部落を離れ、子達の若さを盗んでいる仙人より
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り026−02有難うございます。
1 幕営ですね。 すばらしい。 今のいままで続いている事に素晴らしいのひとことです。 楽しかったですね〜。 仙人の狙いなど、何所吹く風。生徒諸君にはおおいに遊んで欲しいと思います。 幕営で、同期のさまざまな癖や考え方や行動力を知りました。 そして、この時のそんな経験が、その後の生徒生活の基盤になったような、そんな気がします。 左から須田分隊士、今田、安中、宇良、梅木、伊藤、鎌田。後を振り返っているのが井坂。 ・・ん〜〜なつかしい。 浜の端には川があり、そこに鮎がいたんですよね。 いっぱいいましたね〜。 スイカの香りがしてちょっと小さ目のまさに、若鮎でしたね。 人は鮎の香りを野菜と言いますが、あんちゅうは断じて、スイカです。 いまでも青海苔海岸の鮎の香りを忘れられません。
2 蹴球っ子、がんばってますね。 ただ、青海苔海岸にたどり着けずかわいそうな気がします。
3 不思議さを感じます。・・14期生掲示板http://dx1.kakiko.com/ring/sei/seito/index.htmlに14期生の村岡先輩より次の掲載文がありましたので、先輩の了解無しに、ご紹介します。

ところで今日(昭和45年現在)は幕営中です、 28日から31日まで連日天候に恵まれましたね。 31日は午後雨でしたが、覚えてますか? いずれにしても夏休暇直前で気もそぞろといったところでした。 今日も昔と同じく暑い夏日になっています。

よりによって仙人から幕営の便りが届いた同じ日にこの記載です。 やっぱ、14期生は神様です。 ・・いや? 仙人が神様か??



2002年7月28日(日) 17期 江田俊弘より
件名 : 佐世保帰投
アンチュウ、久しぶり、元気にしてるかな? 日本を南から北まで往復するツアーも終了し佐世保に帰って来ました。 家族そろって元気にしており、何はともあれ一安心です。 長男も夏休みで帰って来ました、 この4ヶ月が少しは成長させてくれているようです。 さて、函館では、通信隊長の松倉友樹から呼び出しを受けくらまの窪田一郎と一緒に新築の自宅にお邪魔しました。 思いがけないご馳走攻めに会いました、 函館の美味しいものを出して頂き感激しました。 大変お世話になりました。 ありがとう松倉、写真送るからね!! また、松倉から「函館に来る機会があったら、ぜひ連絡くれ。」と皆に言っておいて欲しいとのことでした。 松倉が北の大地、故郷の函館で寂しがっていますので行く機会があれば是非連絡をしてやって下さい。 江田 俊弘
あんちゅうの返信メール お勤め、ご苦労様でした。 久しぶりに見る奥様は、いかがだったでしょうか? あんちゅうなら 「ちょっと見ない間にキレイになったね〜。」 とか言っておおいに”ヒンシュク”をかいながら、賢妻は、 「この口先男!!」と 愚亭をニコニコしながら見つめるんであります。 ・・いや、そうあってほしいと・・・。 想像しているんでありますが・・・。 松倉は元気そうで何よりですね。 「函館の美味しいもの」とは、なんなんでしょう? ウニか、それとも毛蟹か、はたまたタラバガニか・・・・ よだれが出てしまいました。 ところで、松倉はITらしきものはやっていませんでしたか? 携帯を持っていれば、アドレスなんかも持っているのではないかとヒソカに期待しているんですが。 またの情報、待ってます。



2002年7月27日(土) 17期 安中 均より
件名 : Yahoo! のチャット
同期諸兄、お暑うございます。 暑中見舞いのゆびとま葉書を出そうと準備をしていたのですが、残念、葉書がなくなってしまっています。 東京、神奈川、千葉、埼玉に居住する同期にはBMWの葉書が地域限定であったので過日、送りました。 ところで、件名にもある 「Yahoo! のチャット」 を実験的にやってみたいと思っていますが、いかがでしょうか。 ただ、接続環境がフレッツとか、ADSLなど、定額契約になっている人でないと通信費がかさむ恐れがあり注意が必要です。 同意者は、http://chat.yahoo.co.jp/にアクセス、Yahoo! JAPAN IDを取得して、チャットとはなんぞや?を経験してください。 (あんちゅうもまだ、初心者。あんちゅう模索中? な〜んちゃって・・・) ちなみにあんちゅうのYahoo! JAPAN IDは **** です。 そして、あんちゅうあてにYahoo! JAPAN IDをメールで送信してください。 何人、くるかな〜。



2002年7月27日(土) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り025−02
7月26日に、仙人部落では鯨が変身した河童の水泳大会を行いました。 河童が頭に水をかけているのを、仙人は、雲の上から高見の見物です。 仙人の安住の地は、やはり雲の上。 結果、生徒の3年生が優勝、そして、ムカデ競争、ボール運搬、ビート板は、生徒が仙人部落新記録!流石ですね。 河童のようにスイスイと泳ぎたい仙人より
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り、有難うございます。 仙人部落は夏の行事が目白押しの様子。 生徒諸君の体力は極限にあるのではといささかご同情もうしあげますが、 普段から鍛えられている生徒の事、一晩寝れば回復するのでしょう。 あんちゅうの頃も校内水泳大会がありました。しかし、「50mムカデ競争」なるもののイメージが思い浮かびません。 ムカデだから足がいっぱいあるんですよね・・・。 う〜ん、どういう競技なんだろう?



2002年7月24日(水) 17期 前畑啓二より
件名 : 横須賀入港
防大2学年の実習で阪基、呉と寄り今日24日無事横須賀に帰ってきました。 阪基警備課長の小松と一杯やりましたが、単身赴任のストレスと、チビッコヤング大会の警備疲れで途中寝てしまいました。 小松の話は終始沖縄の単身赴任エンジョイ生活ばかりでした。(相当楽しかったみたいです) 呉では宴会まで考えてもらったのに台風9号の影響で0800入港、1500出港となり上田、高橋良彦と会っただけに終わりました。 上田が後で写真を載せるそうです。特に藤原とは逢いたかったな(残念) 今度は静岡県清水です  又連絡します。  前畑



2002年7月24日(水) 17期 上田三佐夫より
件名 : 前畑とツ−ショット
アンチュウ、いつもご苦労様です。 7/23(火)台風接近のため前畑君は呉の地を踏むことなくいっちまいましたが、艦に押しかけ記念撮影をしてきました。 立って写そうと言ったのですが当局の検閲に引っかかるとかで撮影許可が下りませんでした。 テーブルの下に隠れているケイジのお腹は先任伍長の貫禄十分でした。 また、同期のみんなに宜しくとのことでした。以上 上田特派員でした。
あんちゅうの返信メール 上田、呉特派員、リポートごくろうさまです。 前畑は呉に上陸できなかったんですね。っということは、広島の藤原にも会えなかったということか・・。 テーブルの下の様子は、あんちゅうにはわかっています。 当局が撮影許可を与えなかったのは、賢明な判断でしょう。 なんせ、コレ ですから。



2002年7月24日(水) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り024−02
1 23日炎天下、仙人部落の遠泳が終わりました。江田内は、黄鯨、白鯨で一杯でした。ただし、鯨は逞し過ぎて、食えませんでした。全ての術を心得ている仙人鯨は、若い鯨には、まだまだ負けぬと、ちょっぴり海水に浸り、潮を吹いてみましたが、2、3年生の早さにはついて行けず、早々に丘の河童に変身、1年生とは、少々の時間、悠々と?潮吹きしましたが、先に「校長ファィト!」と言われる始末!仙人形無しでした。黄鯨達は、堂々と陸に上がり、立派な海の子に変身しました。
2 19日、45期水測生徒が、船頭さん修行を終え、泣く子も黙らない先輩達のいる部隊へ出ました。先輩の皆さん、純真無垢な後輩を宜しく!!
鯨の大漁にほくそ笑んでいる仙人より
あんちゅうの返信メール 江田島仙人便り024−02ありがとうございます。 おたまじゃくしも鯨になるという不思議な仙人部落の実態が写真を通じて伝わって来ます。 後輩生徒たち、よく頑張りました。 伝馬船につかまっての昼食など、シャバではゼッタイに味わえない貴重な経験をしたんですよ。17期の頃も同じように伝馬船につかまって、船にいる教官からおにぎりを渡してもらいました。乾パンは潮味がして美味かったし、氷砂糖の味も忘れられません。 あんなに粗食で、あんなにうまい食事はその後、ありません。きつかったけど、なにより、教官たちの叱咤激励が7マイルを完泳させたと今頃になって、感謝しているあんちゅうです。 諸君が 「校長ファィト!」 と 気合を入れたようですが、・・・挫折。 年齢の差と大目に見てやってください。
仙人、遠泳、ご苦労様でした。 ・・わかりました。 仙人がゆえに雲の上がよろしいようで。



2002年7月21日(日) 17期 吉原英夫より
件名 : 暑中見舞い
暑中お見舞申し上げます。 梅雨の時期に二つの台風襲来、大きな被害もなく無事に過ごせたことはなによりです。その梅雨も明け夏本番を迎え暑さに負けないようお互いに頑張りましょう。 千葉県鎌ヶ谷市軽井沢****-*** 吉原英夫



2002年7月16日(火) 17期 石塚一石より
件名 : 黒田の実家
黒田の実家の住所は 栃木県下都賀郡都賀町合戦場**−*です。橋本和昌!!高橋良彦!!中央に出てきたら墓参り一緒に行くぞ!!失礼しました。
あんちゅうの返信メール 返信遅くなって申し訳ありません。 ・・して、父上様のお名前はなんとおっしゃるのでしょう?



2002年7月15日(月) 17期 佐藤壽の息子、防医大3学年の佐藤一寿くん17Th Home掲示板投稿より
件名 : はじめまして
はじめまして。佐藤壽の息子で現在防医大3学年の佐藤一寿です。先日夏季定期訓練で江田島の幹部候補生学校に行き、その訓練の最終日に平井第一術科学校長に挨拶する機会を設けて頂き、その際にここのアドレスを教えて頂きましたので、早速投稿させて頂きました。ちょうど本日2泊3日の乗艦実習を終えて所沢に無事帰ってまいりました。短い間ではありましたが船の中の生活を体験でき、たいへんいい勉強になったと思います。しかし激しく船酔いをしてしまったので将来海自に入るかどうかはまだ決めかねています・・・
あんちゅうの返信メール 31年前、一寿君のお父さんが鍛えられた江田島はいかがだったでしょうか。 激しい船酔いを経験したとか。 一生懸命研究して、船酔いにイッパツで効く治療法を研究して欲しい。 あんちゅうも ”たかつき” に乗った時、一週間、食事が喉を通りませんでした。 それを過ぎたら、艦が横になろうが縦になろうが食欲モリモリ。 どうってことはありません。 なれです。慣れ。 時間が解決してくれます。 海上自衛隊に入りなさい。 それに比べると、二日酔ってヤツは、何べん経験しても慣れるってことがない。 いまだに、苦労しています。 なんとかしてくれ〜! 一寿君。



2002年7月14日(日) 17期 石塚一石より
件名 : 元気ですか
久し振りです。 みんな元気そうでなによりです。 昨日13日(土曜日)に伊賀、大田(哲)、水川と黒田の墓参りに栃木県は合戦場まで行って来ました。 今年に入ってから何かしら呼ばれるような気がして家内と話していたところ、事故から今年でちょうど20回目!! 昭和58年4月26日ですから早いものですね。 お墓を磨き黒田が好きだったビールをいっぱい飲んでもらい、帰りに実家の父上様にも御挨拶してきました。 お元気そうでしたよ。 黒田の一粒種の長男友則君も現在慶応義塾大学の学生で、時々御爺様(黒田の父上様)にお顔を見せに来られるようで喜んでおられました。 さて厚木には同期が一杯いるのですが春に松下が転入し、水川が今度8月1日に約3年半の単身赴任を終え大湊の方へ転出します。 墓参りと水川の送別会(現在計画中)の模様は後日送ります。 今度、機会があったら新潟は長岡の花火!日本一と聞きます。 行って見たいと思っています。 いつも有難う!!
あんちゅうの返信メール 久しぶりでした。 黒田ですか。 17Th Homeでも2001年10月6日のメールで書いてくれてたね。 亡くなった日が、昭和58年4月26日ですか。(あんちゅうが愛用しているスケジュールソフト ”おかる” に 記入しておきます。) よくぞ、墓参りにと、四人の熱き心に感激しています。(黒田の実家の住所がわかればあんちゅうにも教えてください。) 長岡の花火ですが、灯台元暗し。あんちゅうは一回も見た事がありません。 長岡のとなりの ”片貝”も 三尺球がいくつも上がるので何回か見に行った事はあるんですが、長岡は、すごく込むので一回も行った事が無いんです。 ハイ。 見たいですね〜。生ビールを片手に。 「たぁまやぁ〜!!」 とか 言いながら。


2002年7月12日(金) 17期 安中の妻より安部庄子様へ
件名 : はじめまして
はじめまして私、17期HPを管理いたしております安中の家内です。安部さんよりのメールを拝見させて頂きながら、私まで泣いてしまいました。私にも、長女22歳と長男20歳の子供がおります。 おなじ子を持つ親の気持、痛いほど良くわかります。さぞかしお寂しかったことでしょう、ご心配なさっておられる事でしょうね! 私どもの息子も、高校3年の進路を決める際に県外の大学に行きたいと言いまして・・・長女も学生だった事もありまして、経済的な事もあったとはいえ、本人も親を押し切れなかったのか、諦めて、地元の大学に通っております。 親元に残ってくれて、私が寂しい思いをしなかった分、後悔とまでは言いませんが、その判断が如何なものだったのか?息子には言えませんが・・いまだに私の心の中に残っております。 しかし、今3年生です・・そろそろ進路を考えなければならない時期に来ております。半分は覚悟しているつもりですが、もし県外に出たいと言った時に、しっかり、子離れして 送り出してあげられるのか?少々不安です。 安部様、そして31年前に同じように、主人を江田島に送り出した安中の両親!とても偉かったなぁと、自分にそんな勇気があるのか・・・でも、子供はいつかは巣立って行くんですよね。 私も皆様を見習って、少しでも子離れ出きるように心掛けて生きたいと思っております。私事が長くなってしまいまして、申しわけ御座いません。 何かとご心配でしょうが、HPを見て頂いてお分かりのように、4年間の絆は本当に素晴らしいもので、主人からいつも同期の方々の話を聞かせて貰って、目を輝かせて、熱く語る姿はとても羨ましく感じます。 苦楽を共にした者だけが知る気持でしょうね。ですから安部様の息子さんも、きっと素晴らしい仲間と共に苦楽を共にして、諸先輩方のような、強い絆を育んでいかれる事と思います。 主人も安部様よりの思いもよらぬ、管理人冥利につきる嬉しいメールを頂き、より一層、はりきってHPに取り組んでいく事と思います。 私も微力ながら、応援していきますので、今後とも宜しくお願い致します。御家族様にも宜しくお伝え下さいませ。今日はこの辺で失礼致します。今日は主人が、会社の寄り合いで居りませんので、お返事は・・・明日にでも?です。 安中 清子
安部庄子様返信メール 安部 庄子です はじめまして メールありがとうございます。感激しました。 22歳と20歳のお子さんですか・・・私は19歳の長女を頭に17歳と15歳の息 子です。 ほんとに子供はいつか巣立っていくと 頭のなかでは解っていても・・・・上から順 に家を離れて行くのかと思っていたら 1番下から巣立っていくとは・・・ 私 ぜんぜん偉くなんかないんです。 いつもいつも 遠くにいる子が 気になって・・・ 上の二人は親がいてあたりま え。ご飯ができていてあたりまえ。たまに私も爆発して 「裕樹は お母さん お母 さんって甘えられないんだよ」と・・・・・ 言ってから しまった・・・・と思っても後の祭りで けっこう反感を買ってます。 口で言っても このような状態なので 7月23日の遠泳大会に まずは娘を連れて 行って裕樹の生活を見せてこようと思ってます。 何か感じてくれれば いいのですが・・・・ でも なんか不思議ですよね インターネットって。 昨日まで全然知らなかった者同士が こうやって メール交換しているんだから・・ ・ 私 恥ずかしいけれど メール打つの 3回目なんです。今もメールに挑戦という本 の「受信したメールに返事を出そう」という 項目を開いて 打ってます。 本当に届くんでしょうか?不安です。 そろそろ 1時を回ったので 今日はこのへんで・・・私これ打つのに1時間くらい かかってます・・・トホホ・・・ ご主人に宜しくお伝え下さい。



2002年7月12日(金) 17期 臼井幸一 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 捜索
竹村と番上の住所を、高杉の奥様がほしがっていました。わかる人は、090-****-****迄
あんちゅうの返信メール 竹村貞之 0*6-0**4 北海道千歳市柏陽*-**-** 番上隆幸 2*1-0**2 千葉県 松戸市新作 ***
臼井からのメール 有難うついでにもう一見、木村のメールad,をロストしましたので再送信お願いします。
あんちゅうの返信メール 木村文保 ****@***.**.jp あとは?
臼井からのメール サンキュウ、今晩、盾が来ます。昨夜初めて17thをみました。30年前に、タイムスリップしました。
あんちゅうの返信メール 楯ですか。なつかしい。卒業以来会っていません。臼井は自宅で17Th Home見れるの?
臼井からのメール 今、盾、隆、山崎、竹原で飲んでます。
あんちゅうの返信メール おぉ〜いぃ!! いま、あんちゅう、ご帰宅。!! メールよこせ!!
臼井からのメール 高杉の法要、無事終了有難う 臼井孝一 momo3030.ne.jp
臼井からのメール 盾が、林の連絡先を知りたがっています。臼井孝一      momo3030.ne.jp
あんちゅうの返信メール いま、帰って来ました。林 美彦 水測 3*6-0**1 茨城県 猿島郡総和町小堤 1**1-** ケイタイ 090-****-**** 楯のたてのじが盾になっているようで・・・ 楯、俺だ。 あんちゅうだ。元気な事はわかっている。 ・・が、あいたいな〜。
あんちゅうの返信メール お〜ぃ 臼井、 届いたか〜。 うんとかすんとか 言ったらどうだ。 あんちゅう
あんちゅうの返信メール お〜ぃ。 あんちゅう
臼井の掲示板投稿 高杉の49日法要が無事終了し、改めて同期の絆を深めるとともに山口班長のバイタリティに感服しました。 奥様から全国の応援者に対して改めて御礼を述べられました. 安中へ、多くの情報をもらいありがとう。 連絡は迅速にします。ごめん!
あんちゅうのヒトリゴト うすい〜ぃ!、 ゆるさん!!



2002年7月12日(金) 17期 臼井幸一 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 業連
ドックも終わり久しぶりに佐世保へ帰港しましたが、機器のトラブルで徹夜?明後日は高杉の49日ですが、台風が追いかけてきているので、避泊すぬのでは?心配しています.錨地s−7(17thET臼井)



2002年7月12日(金) 48期の母 仙台 安部庄子様より
件名 : お言葉にあまえて・・・
「またのメールをお待ち致しております」のお言葉にあまえて。 本当に子離れしなくてはだめですよね。頭の中ではわかっているんです。 24期の平 まりおさんからのメールで「母親がいつまでも立ちつくして、姿が小さくなっても見送っていた・・・」とありますが あれはほんとに 親としては「身を切られるおもい」と言っても言い過ぎじゃないです。 元気でいるか? 町には慣れたか? 友達できたか? 寂しかないか?お金はあるか?今度いつ逢える?(さだ まさし) いつもこの歌が頭の中で渦巻いてます。 今日初めて息子から手紙が届きました。「家族へ・・・やっとここの生活も三ヶ月終わり・・・」で始まっていて 元気そうでした。その手紙の最後に
お父へ→体 無理しないように気をつけて お姉へ→あんま悪いことして 親に迷惑かけないように お兄へ→食べ過ぎないで 勉強 部活 がんばって お母へ→みんなを 支えてやって とあり 涙が怒涛のようにあふれてきました。 ほんの5〜6年前には何かあるとすぐに私の後ろに隠れ膝の上に座っていた子がわずか3ヶ月足らずでこのような気遣いができるとは・・・・仙人部落の成せるわざでしょうか? 日に日に大人になっていく息子に負けないように 私も少しずつ・・・少しずつですが 子離れしていきたいとおもってます。 (でも 時間がかかりそう・・・なさけない・・・) 最後に仙人 仙人部落の皆様 仙人部落に少しでも足を踏み入れたことのある諸先輩の方々に息子たちをよろしくと 願わずにはいられません。     ・・・・安部 庄子
あんちゅうの返信メール 17Th Home への掲載、遅くなって申し訳ありません。 男だけの17Th Homeに たぶん?同世代の御夫人からの2回目のメール、ありがとうございます。 母親の気持は、父親とは違って、本能そのもののような気がします。 怒られそうですが、我家の御婦人もご多分に漏れず、同じような感じを受けます。 ・・が、それでいいのでしょう。 父親は? っとなりますと、これがどうもはっきりしませんね〜。 いけませんね〜。 自分が15.6の時、親元を離れた経験があるからでしょう。 生徒出身者の父親は、たぶん、似たように思うのですが。 御子息なりに、生徒でがんばってと、思わずにはいられません。 また、またのメールをお待ち致しております。



2002年7月12日(金) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り023−02
仙人部落には、鍛錬の場があちこちにあります。 教室あり、海あり、山あり、グランドあり、そんな中に、心のオアシス「洗心園」があります。 ここは、修行厳しい生徒達の心を慰めるためのものでありますが、仙人は、心を洗って、自らの心を清くするためにあると思っています。 その洗心園を、45期生徒が、他流試合に出る前に、殊勝にも、自らの心を清めるごとく、改修してくれたのです。 早々と卒業記念と銘打って。(卒業は、まだ早い!それは、修行に厳しい仙人の手に握られている。) それにしても、流石に仙人の弟子達です。 何かしようと思う4年生に感激、目頭ウルルンです(仙人の独り言)。 生徒達の良き伝統です。 きっと他流試合でも頑張ってくれることでしょう。 娑婆に出ている先輩達、宜しく! 後輩達も、きっと後を継いでくれることを信じて、久しぶりに構内巡検使になりすまし、後輩の様子を見てきました。 皆、まじめに授業を受けていました。 海面訓練で疲れているだろうに、居眠りの術を発揮している生徒は、誰もいません???。 仙人がいるときだけは!これは、仙人得意の居眠り退治の術です。 日増しに逞しくなる生徒を見るのが大好きな仙人より



2002年7月12日(金) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り022−02
江田島の海の仙人部落に、埼玉・所沢の山の仙人?部落から、医者のタマゴの修行生がやってきました。 その中に、仙人の弟子の二世がおり、仙人の仕事部屋を訪ねてくれました。 早速、葉っぱの中に隠し持っていたパソコンの、17期HPを開け、インド洋にいる弟子の娘さんが投稿した記事を見せ、HPアドレスを伝授しました。 仙人は、少しの時間、修行生の全部に、江田島の歴史などについて、話をしましたが、驚くなかれ、タマゴ達は居眠りの術を心得ており、当部落の若者達も顔負け?でした。 寝る子は育つと再納得した仙人より



2002年7月10日(水) 24期 平 まりおより
件名 : 後輩も楽しみに見ていますよ
あんちゅう先輩 お久しぶりです。 17Th Homeを楽しみにしている後輩もたくさんいる事をお忘れなく。 24期もサイレントネービィーが多く「黙して語らずをよしとする」風潮がありますが、同期のHP 閲覧だけはしているようです。 17Th Homeも宣伝していますから、24期も多くの者が見ているはずです。 先日 江田島仙人部落から巣立った中に24期も2名いますし、江田島仙人殿の写真はいつも楽しみにしています。 仙人殿の部下にも24期が1名います。 48期生の母上殿の文面を読み母親の気持ちが強く伝わってきました。 そういう私は、「自分の子ができて親の気持ちが初めてわかる」という親不孝者でしたが、1年の夏休暇が終って家をあとにする時、母親がいつまでも立ちつくして、姿が小さくなっても見送っていたのを思い出しました。 しかし、差し出がましいようですが、子離れも 子供を成長させるためには必要ですよ。 もう、ご子息は立派な日本国の海上自衛官ですから。 と、思いついた事を勝手に書きましたが、17期生の大先輩のHPに書き込むのには、かなりの勇気を要します。 本来は無口・口下手の24期 平 まりお でした。
あんちゅうの返信メール 「本来は無口・口下手」の24期 平 まりお 生徒。 あんちゅうは大変よくわかります。 ・・平生徒の口を開いたのに出会ったためしがありません。 まったくもって、「無口、口下手」そのものですね。 久しぶりでした。 高杉の件に関しては17期として、一個人として感謝申し上げます。 早いもので、15日が高杉の49日ですが、14日に法要を行うようです。 一緒に冥福を祈りましょう。 17Th Homeは公開が大原則です。 プライバシー等、難しい問題もありますが、そのおかげで後輩や、先輩、ハタマタ思いもよらなかった方からのメールもあり、インターネットの持つ広がりに驚きを隠せません。 これからも さらに格調高い?17Th Homeを目指し、あんちゅうは、シャキーっと気合をいれます。 ・・が、書き込むのに勇気などいらないのですぞ。 17期は心の広い、大きい人間ばかり。 問題ありません。 「無口、口下手」だが、「多語、指上手」な 24期 平まりお 生徒へ



2002年7月9日(火) 17期 前畑啓二より
件名 : ご無沙汰です。
ドイツ海軍のお世話も終わりやっと一息と思ったら、台風6号が近づいている。 明日は避泊だ。16日から27日まで防大3学年の実習で阪基、呉と行きます 地方隊には珍しく長期行動です。 艦隊勤務の皆さんごめんなさい。 阪基には確か小松がいるはずです。 (1*日入港、2*日出港)呉は2年ぶりで、同期との再会を楽しみにしています。 (2*日入港、2*日出港) 藤原とも会いたいな江田島まで行けるかどうか解らないけど連絡してください。
携帯 ***−****−****
あんちゅうの返信メール 久しぶりのメールでした。 元気そうで。 とりあえず、小松、上田、藤原にそのまま送信しました。 同期の絆が深められん事を。 深めすぎてよく日、浮かんでこない事のないように。
藤原からのメール 連絡ありがとう。了解です。前畑に連絡してみます。
上田からのメール 暑中お見舞い申し上げます。前畑メール転送ありがとう。同期会を計画し、前畑のオジン度を撮影してレポートします。ではまた。上田



2002年7月9日(火) 48期の母 仙台 安部庄子様より
件名 : はじめまして
はじめまして・・・・ 海上自衛隊関係のHPを見ていたら 偶然17期のHPにたどり着き時間を忘れて見入ってしまいました。この春 息子も48期生徒として4月1日に着校 視力検査等も無事クリアし 4月8日入校しました。 小学生の頃からの 「大きくなったら 海上自衛隊に行く」 と言う夢を 一歩叶えてしまいました。親としては 右も左もわからない状態でしたので この17期のHPで救われた気がします。文学館など これからの息子にだぶらせ 涙 涙で読ませていただきました。(息子を旅立たせてから私は涙もろくなったみたいです・・・・)4年間の絆って大きいんですね・・・見るだびにうらやましくなります。 また 仙人部落からのメールからは最近の生徒の様子がうかがえ 感謝 感激です。忙しい中 HPの管理もたいへんでしょうけども 17期の方々以外にも楽しみにしている者がいることを お知らせしたく書き込みました。遠い仙台の地より・・・・ 安部 庄子
あんちゅうの返信メール 17期ホームページ "17Th Home" を見つけていただき、また、メールをいただき大変ありがとうございます。そうですか。息子さんが48期生ですか。息子さんは希望を持って生徒にいかれたのですね。すばらしい選択をしたと、31期前の17期はもちろんのこと生徒出身者の全てが間違いなく思っています。一年生の時は、つらい事ばかりかもしれませんが、つらい事のその中にこそ、同期の絆が生まれるのです。私(あんちゅう)は、そこに非常に大きな意味があった事を40を過ぎて感じました。さらに、この "17Th Home" を立ち上げ、同期とのやり取りを始めてから益々、その事を確信しました。
安部さんにとっては、本当の子離れですね。 しっかり、きっかり、放してください。江田島には、仙人という浮世離れした方が住んでおられます。この仙人、ありがたいことに 17Th Homeに再々、写真つきの便りを送ってくれます。生徒部の他にもかなりの要職におられる方ですが、事、生徒のことに関してはまっさきに行動を起こされる方です。 ・・心配ありません。 この17期の分隊長でしたから。この便り、仙人にさっそく送ります。きっと目をウルウルさせながら、何回も安部さんのメールを読み返すはずです。 あんちゅうには分かるんです。涙もろくなっているのは安部さんだけでなく江田島にもいますよ。
「17期の方々以外にも楽しみにしている者がいることを お知らせしたく書き込みました。」この一行は、あんちゅうが今まで思いもよらなかった言葉です。ありがとうございます。安部さんのためにもこの"17Th Home"を更新していきます。もっとも、ご覧のように同期や仙人のメール無しには "17Th Home" は ありえません。あんちゅうは、メールを送ってくれる同期や、仙人、先輩諸氏に常々、感謝を怠りません。 ・・(言葉だけですけど) またのメールをお待ち致しております。 17期ホームページ管理人 安中 均



2002年7月8日(月) 17期 安中より
件名 : 正しい17Th Homeの見方
今日は、正しい17Th Home の見方を勉強します。
1 17Th Home http://www.ginzado.ne.jp/~denzen/ に アクセスする。
2 何カウント目かを確認する。
3 一番下の「こちらよりおはいりください」をクリックする。
4 「17Th Home INDEX」 の「17期 定時連絡」をクリックする。
5 掲載文をクリックし、投稿者に思いを馳せる。
6 全て見終わったら、戻るをクリックし「17Th Home INDEX」に戻る。
7 「17Th Home INDEX」 の 「17Th Home 掲示板」をクリックする。
8 掲載文を読み、投稿する。
9 投稿し終わったら、メールソフトを開き、あんちゅう宛 にメールを送る。
以上が17Th Home の正しい見方です。特に、"5"は大切です。(・・試験に出ます。)さらに忘れてならないのは"8"と"9"です。(・・これも試験に出します。) (どうも大多数の諸兄は大切なところがよくわかっていないらしい。) 本日の授業はこれで終了。まだよくわかっていない者はそのまま残るように!!



2002年7月6日(土) 17期 安中より 14期生 下條・関両先輩へ
件名 : 木更津情報
17期ホームページ掲示板に 同期の吉原英夫から、投稿がありましたのでお知らせいたします。
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現在11期生の梶原1尉と期別名前は判らないが管理課長が生徒出身だそうです.今年度海自生徒採用は見送られたそうです.このままなくなってしまいそうですね.一抹の寂しさはありますが今の海上自衛隊の現状では致しかたないのかな.
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吉原に連絡を取るようでしたら直接でも、あんちゅうを介してでも いかようにも好きなようにしてください。 ・・17期は、神様のなすがままです。
14期生下條先輩の返信メール 早速の連絡ありがとうございました。 梶原さんは館山の101空で一緒に勤務させていただきました。 連絡を取ってみます。 吉原生徒に宜しくお伝えください。 下條
14期生 関先輩の返信メール ありがとうございました 感謝します ーせきようぞうー



2002年7月5日(金) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り021−02
1 仙人部落の不思議な現象、黄蛙が海で泳ぎ始めました。蛙の鳴き声は、既にお知らせしたように声変わりし、「○○ファィト」です。7月末には鯨に変身します。その時は、何とホエールのでしょう。
2 生意気そうだった4年生、45期の仙人っ子が、神妙な顔をして旅にでます。可愛い子には旅をさせ、そうです通信は、今日から娑婆に修行(実習)に出ます。水測は、しばらく、江田内で船頭さん(小型船舶操縦士)に仕込んでから、娑婆へ出します。皆、仙人部落で育ったせいか、純真無垢です。先輩達、良からぬことを教えないよう、宜しくね! ”日々育っていく仙人っ子を見て仙人冥利に浸っている仙人より”
あんちゅうの返信メール
1 ・・・ おーぃ 山田君。 仙人の座布団、ぜぇーんぶ もっていきなさい!!
2 ・・・ そうですか・・。あんちゅうは佐世保の”たかつき”に修行に行きました。
それから、佐世保とは縁が切れなくなりました。・・恋女房と結婚して10月10日で25年になります。
3 ・・・ ありませんでしたね 。 ・・ 仙人、失礼致しました。



2002年7月5日(金) 17期 吉原英夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 木更津のOB
現在11期生の梶原1尉と期別名前は判らないが管理課長が生徒出身だそうです. 今年度海自生徒採用は見送られたそうです.このままなくなってしまいそうですね. 一抹の寂しさはありますが今の海上自衛隊の現状では致しかたないのかな.
あんちゅうの返信投稿 久しぶりです。 木更津情報、早速、14期生 先輩に送信します。 見ていてくれてると思うとちょっとした話でも17Th Homeに載せて 「よかったな〜」っと思います。 その積み重ねが17Th Homeの目指すところとキモに命じて日々、努力をしようと努力をしてるんですが・・。    中川と一緒に頑張ります。  ありがとう!!



2002年7月4日(木) 17期 上田三佐夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 住所探し
アンチュウお元気ぃ−?7月1日のメール見てくれたかな、根気よく色々な方法で捜索を続行する。気をながーくして待っててくれ。では、また・・・。
あんちゅうの返信投稿 1日の投稿見てました。 すぐ変身・・失礼、返信すべきとこ、無礼つかまつった。 仙人の住む島にはどうやら見当たらないようだが、島を配下に置く総監部でも見当たらないか・・・。でも、心強い。そうやって職務を放棄しながらの・・失礼、職務をマットウしながらの捜索、さぞかし大変な事でありましょう。 歳をとると 気が短くなってね〜。・・・ 我慢します。



2002年7月4日(木) 17期上田三佐夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : な・か・が・わ ガンバ!
忙しそうでなによりです。体こわさんように頑張ってください。一生懸命頑張っている姿を見れば家族はきっと解ってくれるさ。上田



2002年7月4日(木) 17期 中川一敏 17Th Home掲示板投稿より
件名 : ご無沙汰しています。
何ヶ月ぶりかでインターネットをつなぎました。 高杉のことは今日知りました。非常に残念です。 彼とは下宿が一緒でした。(高杉、岸、中川)誰とでもわけ隔てなく付合うとても優しい心の持ち主だったと思います。 何ヶ月ぶりかなので受信メールが何千件も溜まってしまい難儀しています。 こんな不義理をしていたらその内誰も相手にしてくれなくなってしまう。 これからはマメに顔を出すようにしよう。 とは言っても早朝に家を出て夜家に帰り寝るだけの毎日。 インターネットをやっている暇が無く、家庭も危機的状況で・・・。 まあ、とにかく生徒魂を忘れず、愚か者の結論を出さず、ガンバって生きていくしかないんだよね。
あんちゅうの返信投稿 なにがあったのか、中川。 いずれ話せる時期がくるまで待ってる。 歳をとると気が長くなってね〜。 ・・・ 我慢します。 冗談はさておき、 頑張る人を応援する、 ”前向き17Th Home”を 目指しているあんちゅうと「そうだ!そうだ!!」の声も聞こえる多くの同期がいることをお忘れなく。



2002年7月3日(水) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り020−02
7月1日、仙人部落の中の鬼が棲む村から、熱血年寄り達が巣立って行きました。優秀な成績と、平均3.5Kg減のスリムな身体を手土産に、目頭を潤ませながら、笑みを浮かべながら全国各地へ発って行きました。生徒各期の年寄り、若年寄の一人一人の、鬼を征伐した誇らしげな顔をお知らせできないのが残念です。お疲れさまでした。おめでとうございました。しかし、仙人部落に巣くって、頑張っている後輩を含む私達がいることを忘れないで下さい。
人は、送るより送られる方がいいと再認識した仙人より
あんちゅうの返信メール
一枚目・・・さすが、幹部。 歩いてくる方向が違います。 生徒は、右からでしたよね。
二枚目・・・んん〜? 襟立の浦田はどこだ? 皆、襟がたってるぞ!! (3.5キロも減量だと首が長く見えます。)
三枚目・・・表桟橋ですか。これですよね〜。 この何も無い桟橋から30余年前、旅立ったのです。 ・・ 帽フレ〜!!



2002年7月2日(火) 17期 竹下和哉より
件名 : 遅くなりましたが、参加します。
すばらしい試みでグッドですね。 さっそく、活用します。 ただ、管理者である安中が、ますます忙しくなるかと思うと、すこし心配です。微力ながら、少しでも協力したいと考えてますから 私に出来ることがあれば言って下さい。



2002年7月2日(火) 14期生 関 洋三先輩より
件名 : Re: 関洋三です
尋ねる理由は 下條生徒(14期)が仕事で 山口県岩国市へ行く予定があるので生徒出身者と交流を深めたい ということです 申し訳ありませんが もう一点 木更津にも 連絡取れる 生徒出身者が 勤務しておりますか? 判れば 教えて下さい よろしく お願いします 14期 せきようぞう http://www.syujac.co.jp/seki/ 
あんちゅうの返信メール 先ほど、以下の文面を下條先輩に送信いたしました。 生徒のコミュニケーションが広がる事を祈念します。
14期生 関 洋三先輩からの返信メール 早い対応に 神様としては 大満足です 謝謝  クアン ヤン サン(関洋三)(中国を勉強中です)



2002年7月2日(火) 14期生 下條善磨先輩より
件名 : Re: Fw: 関洋三です
下條です。 早速の連絡有難うございました。 実は仕事の関係で岩国基地に行く可能性が有り生徒出身者を探しております。甘えついでで申し訳ないのですが、木更津基地には誰かおりますでしょうか ? 宜しくおねがいいたします。 下條
あんちゅうの返信メール ご無沙汰です。 早速ですが、岩国の同期とじかに連絡を取りました。 小川直基と言います。自宅に電話をかけ、先輩の望みを伝えました。 小川の携帯番号は、 ***−****−**** です。 先日のメールで記載した部隊にかけるより携帯の方が良いと言ってましたので携帯で連絡した方がよろしいかと思います。 尚、数日前に電話を頂いた方が無礼な歓迎をしなくて良いといってましたのでよろしくお願い致します。 14期生もいらっしゃると言ってました。 下條先輩との関係も、番上も含めてわかる範囲で話してあります。 彼からは、偶然といった方が良いかもしれませんが、6月23日に手紙が届いたばかりでして、返事を書かなくてはと思っていた矢先の”岩国捜索”のメールで、おかげ様で数年ぶりにナマの声で近況などを話す事が出来ました。 流石、17期の”神様”のおぼし召しと、思わずにはいられません。 是非、尋ねていただきたいと思います。 (残念ながら、”木更津捜索”は、今日現在、収穫がありません。)
14期生 下條善磨先輩より 早速の連絡ありがとうございました。 未だ、予定段階で詳しい日取り等未定ですが、わかり次第連絡させていただきます。  いつもながら、十七期生の連絡のよさには感服させられます。 ありがとうございました。 下條



2002年7月2日(火) 14期生 関 洋三先輩より
件名 : Re: 関洋三です
早速 ありがとうございました 同期からの 問い合わせです 理由が わかったら 報告します 感謝します 14期 せきようぞうhttp://www.syujac.co.jp/seki/



2002年7月1日(月) 17期 上田三佐夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 145名の住所
先週、「入隊当時の同期の住所の手がかりは呉鎮守府の人事課にあるのでは?」と仙人のお告げがあり、本日捜索に行って参りましたが、残念ながら住所は出てきませんでした。これで諦めたわけではありませんので、また違う方法で探してみます。学校(生徒部)に残っていないのかなぁ?ではまた・・・。



2002年7月1日(月) 17期 藤原和郎より
件名 : AOLのアドレス
元気ですか。いつもご苦労さん。今まで長いメールだと携帯なので文字がカットされて大事な所が読めなかったりしたのでAOLに登録しました。アドレスは****@aol.comです。これだと携帯でもかなりの文字数だいじょいぶなので、今度からこれで送ってくれたら助かります。今までのアドレスも生きているのでみんなには知らせなくていいです。 W杯も終わってさみしい今日この頃ですが、また楽しいことを見つけて良い日々をおくりましょう。
あんちゅうの返信メール 了解しました。このメールをdocomoとaolの両方に返信します。 元気そうで何よりです。



2002年7月1日(月) 14期生 関 洋三先輩より
件名 : 関洋三です。
現在 岩国基地に勤務している 生徒出身者に 連絡取れますか? 返事待っています 14期生徒HP ウェブマスター せきようぞう 
あんちゅうの返信メール こんばんは。 遅くなってもうしわけございません。 ”神様”のお尋ねです。 ナニはさておき、お答えしなければバチがあたります。 岩国には以下の者に連絡をとればいいでしょう。 17期生徒 小川直基 山口県岩国市三角町2丁目 海上自衛隊岩国航空基地第**航空隊 **班長電話 ****−**−****〜** 残念ながら小川はアドレスを持っていません。つい先日、(6月23日)手紙が来たばかりです。 電話して、呼びつけてください。 (何の用事かな?)





17Th Home 徒然草 2002年5月


2002年5月31日 (金) 17期 橋本和昌より
件名 : 木村文保と再会
「今日、奄美に飛ぶ」との電話。 大阪−宮崎−大阪−奄美−大阪のフライトスケジュ−ルとのこと。 13:30空港ロビ−で待ち合わせ。 こころもち30周年のときより太ったかな? 40分程度の短い時間だったが気さくで変わらず、談議にはなさいた。 JAS MD−90型機の副操縦士で頑張っている。 何とも頼もしいかぎりだ。 15:00奄美発で大阪へむかった。 宮崎名産 カフェもっち おいしかった。 ありがとう。   5/31 奄美大島 橋本和昌 



2002年5月31日[金) 高杉の甥っ子 高杉 豊君より
件名 : ありがとうございました。
高杉 豊と言います。英則おじさんは、残念な結果になってしまい、とてもつらいです。おじさんは、私の父の実弟で、小さい時によく、遊んでもらいました。父も非常に悲しんでましたが、応援して頂いた同期の皆様方に大変感謝していました。話は変わりまして、どうやって私がこのホムペを見つけたかと言いますと、父から電話で応援メッセージを書き込める所があると聞き、私自身、今千葉の方にいまして(松戸の陸自にいます)おじさんをお見舞いに行けないから、せめてメッセージを・・・という事で掲示板をお借りしました。この様な掲示板があるのを知って、同期ってすばらしいなぁ。と本当に思いました。私は今、24歳でまだまだ駆け出しですが、亡くなった英則おじさんをはじめ、同期の方々の様になれるようがんばっていきたいと思います。ありがとうございました。
あんちゅうの返信メール そうですか。現職陸自隊員ですか。 このたびはほんとに残念で残念でなりませんね。 17Th Homeはご覧のように当初から高杉の件をHPに掲載し、同期の結束力をもって立ち直ってもらおうとやってきましたが、力及ばず、誠に申し訳なく思っています。 高杉は置き土産に同期の絆を深める「何か」を残して逝きました。 その「なにか」を探求するのが高杉に対する最大の供養と思っています。 我々生徒17期は、右も左も分からない15歳にして、全国より集まった同期と楽しい時も苦しい時も24時間、四六時中、常にいっしょの生活を送りました。 ある者は一年で、ある者は3年で、ある者は卒業後退職したりしましたがたとえ一ヶ月であろうと同じ釜の飯を食った者同士、通じるものがあります。 現職陸自隊員の豊君には、少しくらいは理解できるところがあるでしょうか。 どうか、自分の周りにいる人を大切にして、英則おじさんのぶんまで 頑張ってください。 高杉は豊君の事、見守っていますよ。
豊君のお父さんは豊君とは又、違った悲しみを感じていると思います。 小さい頃からの英則おじさんが脳裏をかすめ、たぶん、自分の親をなくすとき以上の悲しみに打ちひしがれていると思います。 兄弟、特に弟を先に送らなければならないほど、せつない事はありません。 豊君には、そういうお父さんの悲しみにもちょっとだけ目を向けて欲しいと思います。 お父さんにもどうかよろしくお伝えください。 海自生徒17期ホームページ ”17Th Home” 管理人 安中 均



2002年5月30日(金) 磯野正行様より
件名 : ご冥福を祈ります。
同期の方がおなくなりになって、さぞつらかったこととお察しいたします。生死は世のならいごととはいえ、残されたご家族ご友人の悲しみは深いものと思います。つきなみな言葉で申し訳ありませんが、早くその悲しみから立ち上がられることをお祈り申し上げます。
〒959-1225 新潟県燕市大字中川***-* 磯野 正行 ****-**-****



2002年5月30日(金) 22期 木田浩二 17Th Home掲示板投稿より
件名 : ご冥福をお祈りいたします。
22期生徒HP管理人の木田です。高杉先輩が亡くなられたことを十七期生のHPを通じ知らされました。心からご冥福をお祈りいたします。



2002年5月30日(金) 17期 浦田文男 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 故高杉氏の冥福を祈ります。
故高杉氏の訃報を下総の3術校(部隊実習)で聞き、非常に残念です。家族の方々へのサポートをよろしくお願いします。



2002年5月30日(金) 17期 今田俊介より
件名 : ご冥福を祈ります
安ちゅう 高杉は本当に残念だった。野球部で大きな声を上げていた彼を想い出す。大きな身体でいつも優しい笑顔の男だったよな。彼の冥福を心からお祈りします。
安ちゅう 本当にご苦労さまでした。あなたの苦渋に本当にご苦労さまと言ってあげたいです。貴君のおかげで17期の結束がどれほど高まったことか。これからもますます多忙だとは思うけれどどうかみんなのためによろしくお願いします 今田俊介



2002年5月29日(木) 14期生 谷川先輩より
件名 : なし
安中 いますか?さっき、宮崎に電話し、つらい涙を流しました。今日は、いくら飲んでも酔わない酒です。まったく、・・・ まったく美味くない酒です。でも、飲まずにいられない酒です。聞いてます? 先輩。
谷川 高杉との出会いは、下関基地隊だった。当時俺は交信係長をしていた、今度、幹部予定者課程を修業して下基に着任するのは17期ですと、予定者が奴と同期の18期から聞いていた。便所の前の通路で高杉とすれ違った、俺は、「オイ!」と呼び止めた。怪訝そうにするアイツに「俺は14期だ!」と言った。勿論アイツは最敬礼した。それから、アイツとの付き合いが始まった。気持のいい可愛い後輩だった。俺は高杉が大好きだ!
安中 寝ていなかったんですね。「俺は14期だ!」っといわれれば17期は勿論、最敬礼です。まして 「・・!!」がついていればなおさらです。っま、そんな言葉は吐かない谷憲さんと認識しているんですが。ただ、無言で、きびしい目で「ジロッ!!」っと にらんだに違いありません。 「・・!!」 は あったでしょうね。ロックをもう一杯。
谷川 おぅ!のめ、のめ!!それもよかたい!俺ものんどるばい!
安中 そうーッスか? かんぱーっい!! じゃなかった、ここ新潟では 「けんぱーっい」っといいます。こんばんは、高杉と三人で飲みましょう。・・・ 立ち直りに2〜3日ほどかかるといま、 高杉に言いました。昨日は先輩の携帯を使って宮崎に電話させたり申し訳アリマセンでした。佐世保の17期はよくやってくれたでしょうか?杉の家族を今後も見守ってくれるでしょうか? 心配ないのに 心配しているあんちゅうです。 ロック、もう一杯!!
谷川 うん!よか、よか!!みんな、よーやった。人と別れるのは悲しいもんだ。どうして、俺はすぐ涙がでるんだろう。はずかしい。信じられんだろうが昔からそうだったんだよ。俺のキャラにあわんので強がっていたんだよ。もう寝る。
安中 オヤスミナサイ。安中



2002年5月29日(木) 14期生 谷川先輩より
件名 : Re:総括
ごくろう!!よくやった!そして、ありがとう。今日は、どうしても教務のやりくりがつかず、残念ながら見送りに行けなかった。 合掌



2002年5月29日(木) 17期 安中より
件名 : 総括
仙人、諸先輩、生徒先輩、後輩 そして同期諸兄 ほんとにご苦労様でした。 そしてお疲れ様でした。高杉の見送りに佐世保には行けませんでしたが、同期を彼岸に送らなければならないつらさを、この現代のインターネットによってまざまざと知らされました。逐次入ってくるメールに全国との距離がなくなり、まさにその場に居合わせたかのような感じを受けるからでしょうか。これが、状況の結果だけを知ったのであれば、こんなにもつらくはなかったのではないか。・・冷たい見方かもしれませんが、そう思いたくもなる この2〜3日でした。今まで、同期や諸先輩、後輩、さらに分隊長の力添えによりこの17Th Homeが17期としての絆を深めるひとつの手段として存在しましたが、これからも一人でも多くの同期が絆を深められるよう、いろんな手段を講じてアクションを起こし、コミュニケーションの手助けとなる様、今、高杉の御霊に誓います。これを高杉に送る17Th Homeの最後の言葉とします。
海上自衛隊 少年術科学校 第17期生徒 ホームページ管理人 安中 均



2002年5月29日(木) 14期生 下條先輩より
件名 : Re: 葉書を送らせてもらいました。
此の度は誠に残念な結果になりましたが、皆の気持ちは天に届くことと思います。安中生徒、そして17期の皆様、本当にご苦労様でした、Mailのやり取りを読みながら、緊迫した状況とともに皆の熱意が伝わってきました。謹んで故高杉生徒のご冥福を祈ります。 14期水測 下條



2002年5月29日(木) 17期 伊藤 隆より
件名 : Re: 17Th Home高杉情報 終止
高杉の葬儀も無事終わり、今帰ってきました。海幕長はじめ多くの方からの生花、100通を越える弔電をいただきました。高杉も安心して旅立ったものと思います。アンチュウには毎日の情報配信ご苦労様でした。これからも17期homeをよろしくお願いします。  佐世保の17期が 「よろしく」 と言ってます。 ー伊藤ー



2002年5月29日(木) 17期 臼井幸一より
件名 : 報告
葬儀は、無事終了。有難う。感謝 臼井孝一 



2002年5月29日(木) 高杉班長の部下 17Th Home掲示板投稿より
件名 : ご冥福をお祈りします。
本日、1300から葬儀が行われました。全国各地から多数の弔電・花輪等が届き、改めて班長の人柄が偲ばれました。また、入院当初から同期の方々が病院に駆け付けられ、同期の絆の深さを感じました。応援メッセージ(17th Home)にも同期の方以外に教え子や先輩等からも声が寄せられ、班長にきっと届くと願っていましたが、祈りが届かず残念です。明るい班長は、我が隊のムードメーカーでした。班長の豪快な笑い声・ダジャレ忘れません。班長、やっと熱傷の痛みから解放されましたね。安心してゆっくり眠ってください。



2002年5月29日(木) 17期 吉原英夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 高杉の冥福を祈って
29日1530i高杉の訃報を知った.高杉の快復を信じて疑わずにいたが残念な結果になってしまった.残されたご家族のことを思うとやるせない気持ちでいっぱいです.今私ができることは心から冥福を祈ることしかできないが佐世保のみんなに家族への支援を心よりお願いしたい.下総基地には下館(旧姓麻生)、予定者課程で実習中の浦田がいるのだが今だ連絡がとれない、連絡が取れ次第ここにメッセージを入れさせる.



2002年5月29日(木) 17期 前畑啓二より
件名 : 卒業アルバムの無料配布について
高杉は残念でした。安中本当にご苦労様 卒業アルバムのCD希望します。宜しくお願いします。



2002年5月29日(木) 17期 小池正行より
件名 : Re: 17Th Home高杉情報 終止
あんちゅう様、本当に長い間お疲れさまでした。仕事とホームページマスターとして寝る時間も惜しんでさぞ大変だったと思います。高杉応援メッセージでは、多くの同期や先輩後輩、また仙人までも参加していただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。何処にいても、どんな仕事についていてもいつもつながっているという、あんちゅうの17期ホームページの趣旨にきっちりはまったものと考えます。これからもよろしくそしてお疲れ様でした。小池



2002年5月29日(木) 17期 氏野良則より
件名 : Re: 17Th Home高杉情報 終止
おはよう、アンチュウ。みんなの願いもむなしく残念でした。しかしながら、あなたの活躍は私が言うに及ばず、大したものでした。17th HPといい、今回の件といい。 本当に頭の下がる思いです。本当にありがとう。 ご苦労様でした。少しはゆっくりしてください。では、行って来ます。 今日もミサイル艇で出港です。  −氏野−



2002年5月29日(木) 別府 十時新吾様より
件名 :長期間、おつかれさま
24期の元班長中間として過した江田島生活は、今思えば そんなに長い期間ではなかったけれど充実していたと思います。独身の班長が何人か我が家(官舎)に集まって飲んだり食ったりの他愛ない生活も想い出として隅に追いやられる運命ですか、47才というのは、あまりにも早すぎます。一ヵ月メール情報お世話になりました。 今後の活躍を祈念致します。



2002年5月28日(水) 24期 平 まりおより
件名 : 追悼 高杉班長
あんちゅう先輩 24期水測 平 まりお(予備自) 佐世保の17期生先輩方によろしくお伝えください。 そうですねー ちょうど一月ですね。高杉班長、御家族の方々 頑張ったんですね。今はきっと楽になっていますよ。本日のmyss24 メール抜粋して送付します。
    故高杉英則班長・先輩への追悼文
24期水測 緒方 浩治(艦艇開発隊) 残念でなりませんご家族の方もさぞ無念なことだと思います。慎んでお悔み申し上げます。
24期水測 栗原 浩之 高杉班長 頑張られたのに、ホントに残念でしかたありません・・・・来年の25周年でお会いできるのを楽しみにしていました・・・心よりお悔やみ申し上げます。
24期ET 飯田 雅也 高杉班長の訃報に接し、只々驚くばかりです。一時、良い方向に向かっているという事で少し安心をしていたのですが・・・残念無念でなりません。ご家族の皆さんのお気持ちを思うと、今は、本当に何て言っていいのか判りません。
24期ET 中島 和彦(防衛施設庁) 容態が小康状態を保っていたようなので「まさか」と思いましたが大変残念です。生徒時代は「班長」というより、生徒の先輩として「兄貴分」の高杉さんが思い出されてなりません。残されたご家族に対して慎んでお悔やみ申し上げます。
24期水測 鞍掛 藤雄 (第22航空群 第122航空隊) 先程、訃報の連絡を頂きました。卒業後、2回程一緒に酒を飲んだ記憶があります。が・・非常に残念でなりません。ただ、ただ、ご冥福を祈るだけです。
24期ET 佐藤 耕三(1術校総務科通信係長) とにかくびっくりしています。・・・中略・・・1術校長からも弔電発信しました。
24期通信 河田 力 このような結末に、申し上げる言葉も浮かびません。遺されたご家族には、心よりお悔やみ申し上げます。
24期通信 赤石 真騎也(海上保安庁「みずほ」) 高杉班長の訃報を知り驚きと残念さでいっぱいです。 昨夜平から聞いて回復するように祈っていたけれど残念です。
24期通信 金 澤 正 典(舞鶴調査隊運用班長) 袖触れ合うも多少の縁 人の縁は分からないもの 生徒修業10年目に高杉班長とひょんなことから再会し 以後、機会あるごとに世話をし、世話をされの関係になりました。(される方がずいぶんと多かったのですが...)いつも明るく「豪放磊落」を絵に描いたような方だけに、未だ現実として受け止めがたいものがあります。故人のご冥福を祈るとともに、ご遺族の皆様に心からお悔やみを申し上げます。
24期一同 弔電 故高杉英則御遺族様 ご逝去の知らせを受け、ただただ驚いております。ご生前のお姿を偲び心よりご冥福をお祈りいたします。来年の25周年にはお会いしたかったのですが、とても残念です。高杉班長のことは絶対忘れません。 教え子の海自生徒24期一同



2002年5月28日(水) 17期 安中より
件名 : 17Th Home高杉情報 終止
佐世保17期一同より高杉情報終止の最終メールを先ほど配信しました。17Th Homeも高杉情報の一斉送信をこれを最後に終了いたします。つたない ハブステーションの役目をまっとうできたか、プライバシーに誤りはなかったか自問自答の日々でした。皆様のご協力に感謝するとともに 故高杉の冥福を祈りながら17Th Home最後の高杉情報一斉送信を終了させていただきます。 高杉・・ありがとう そして さようなら・・・・



2002年5月28日(水) 17期 遠藤 章より
件名 : RE: 高杉情報 終止
絶対に治ると確信していたのに、このような結果になるとは誠に残念でなりません。葬儀には出られませんが、17期として協力出来る事がありましたら連絡ください。

2002年5月28日(火) 17期 安中より14期生 下條先輩へ
件名 : 葉書を送らせてもらいました。
高杉の件に関しましては、勝手にメールを送りつけ申し訳なく思っています。一筆でも高杉応援コーナーにお寄せいただいた方には高杉情報のすべてを送信させてもらいました。ご了承ください。残念ながら、誠に残念ながらその願いは通じませんでした。ところで、ゆびとま葉書なるものがあり、あんちゅうは過去2回同期に送っています。このたびの高杉の訃報に際しても先ほど送りました。下條先輩にも17期と同じ文面の葉書を送付しましたのでお受け取りください。インターネットの環境を持っていない同期には、絆を深めるための有効な手段となるような気がしています。また、いろんな使い方が考えられるようです。・・・無料ですから。今後とも、生徒と、17期・17Th Homeをよろしくお願い致します。



2002年5月28日(火) 14期のひとり先輩 17Th Home掲示板投稿より
件名 : (無題)
君達の仲間、高杉君の訃報に接し謹んでご冥福をお祈りいたします。 残された奥様をはじめ、ご家族に対する心よりの支援が高杉君に対する最も大きな供養にもなるものと考えます。今後とも、君達17期諸君の団結の絆を深くされることを希望します。
あんちゅうの返信投稿 投稿ありがとうございます。誠に残念な結果となりましたが、同期や諸先輩、後輩の思いは高杉に通じたと確信しています。これからも17Th Homeは、いろんな手段を講じながら同期の結束を深めて行きます。見守りください。



2002年5月28日(火) 24期 平まりおより
件名 : 24期団結の強化
あんちゅう先輩 高杉班長・・・悲しい結果になってしまいましたが、そのおかげと言っては何なんですが、全国に散らばり疎遠になっていた24期の距離が近くなりました。結束して事にあたり、絆が強くなりました。高杉班長が最後に我らに与えてくれた教えでしょうか・・・今後ともよろしくお願いいたします。



2002年5月28日(火) 17期 安中より
件名 : 高杉情報 終止
佐世保 17期一同より メールが送られてきたのでそのまま送信します。



2002年5月28日(火) 17期 伊藤 隆より
件名 : 高杉情報の終止
忙しい中でのお気遣いありがとうございました。 高杉についてはほんとに残念でしたが、ちょうどひと月あいつも頑張って、家族も兄弟もほんとに苦しい日々を過ごしていたから、もうだめならこれ以上苦しませるのはほんとにかわいそうで、よく頑張ったといってやりたいと思います。奥さんも子供たちも、苦しそうな高杉を毎日見てきて、今日、安らかなあいつの顔を見ながら 「ひと月よく頑張ったね」、・・・・・と。ほんとに安らかな顔でした。 大村から、楯が、呉からは上田三佐夫が来てくれています。全国あちこちの先輩、同期等から、電話もありました。 ご心配いただいた、先輩、同期、後輩の諸兄にお礼申し上げます。高杉のお母さん、奥さん、親族のみなさんから 「この度のご厚情につきましては、ほんとうにありがとうございました。」 と伝言を預かってきました。 来佐の折りには、残された家族に励ましの言葉をお願いします。  ー佐世保17期一同ー



2002年5月28日(火) 24期 平まりおより
件名 : Re: 追悼 高杉情報 3
あんちゅう先輩 残念無念です。 いろいろ情報ありがとうございます。返信遅くなって申し訳ありません。メール、FAXで連絡がつかない同期に電話連絡をしていました。皆 落胆しています。今はただただ、故人の冥福を祈ります。明日 14:00 全国の24期が佐世保に向かって黙祷を捧げることを申し合わせました。



2002年5月28日(火) 17期 藤原和郎より
件名 : Re:追悼高杉情報3
高杉の事、本当に残念です。でも高杉もご家族の方もよくがんばられたと思います。高杉、精一杯やったんだから、あちらでゆっくり休んで下さい。いつかまた会おう。謹んで御冥福をお祈り致します。17期 藤原



2002年5月28日(火) 17期 竹下和哉より
件名 : Re: 追悼 高杉情報 1
長い間、高杉のため尽力してくれてありがとう。君と高杉のお陰で、中村恒正、野口昌利と久しぶりに会うことが出来ました。できれば、同期会で会えるような理由があれば良かったのですが高杉の死去によって、再開するなんて寂しい気持ちです。佐世保の葬儀には参加できませんが、横須賀地区の6人で弔電、花輪等送りました。また、安中がHPで頑張っていることも伝えました。高杉の死を無駄にせず、なお一層、同期の絆が強くなることを祈っています。今後もHPによる同期の絆の強化、拡大に尽力してください。ただし、健康第一で無理しないように。



2002年5月28日(火) 17期 安中より
件名 : 追悼 高杉情報 3
誠に残念ながら高杉は逝ってしまいました。先ほど、日宇飛鳥会館に 17Th Homeに寄せられた高杉応援メッセージをFAXし、奥様に棺の中に入れていただくようお願いをいたしました。皆さんの応援も実を結ばなかったわけですがきっと、きっと高杉には通じていたと確信しています。17Th Homeとしましては、今後、高杉の追悼コーナーを設けまして、故人の冥福を祈りたいと思います。 合掌



2002年5月28日(火) 17期 藤田雅之より
件名 : Re: みんなの応援もむなしく・・・
安中様 悲しい連絡を受け、市ヶ谷地区(梅木勝、佐藤豊、藤田雅之)3名は、大湊地区と一緒に香典及び花束を贈りました。今後も17期の情報を交換しあい、力を合わせたいと思います。隣の部隊に15期生の西川さんが居られ、17期のホームページをよく閲覧していると聞いております。 藤田 雅之



2002年5月28日(火) 17期 藤原和郎より
件名 : Re:追悼高杉情報2
高杉の事、本当に残念でした。申し訳ないんですが、携帯しかないので文章が全部届かず途中で切れます。よかったら高杉の住所以下を送ってくれませんか。よろしく。
あんちゅうの返信メール 申し訳なかった。再送します。



2002年05月28日(火) 17期 安中より
件名 : 追悼 高杉情報 1
佐世保の伊藤隆より高杉のお通夜と葬儀の情報が入ったので取り急ぎ お伝えいたします。
お通夜 : 日時 今夜(28日)19:00から 場所 長崎県 佐世保市 日宇町2787−6 日宇飛鳥会館 TEL 0956−33−4949
葬儀 : 日時 5月29日(明日) 13:00場所 日宇飛鳥会館(お通夜会場と同じ) 喪主 高杉みゆき(奥様)
高杉英則 自宅住所 : 長崎県佐世保市大塔町****−** TEL ****−**−**** 以上 あんちゅう



2002年5月28日(火) 17期 氏野良則より
件名: 高杉の御冥福を祈ります。氏野
昨夜の伊藤隆からのメールが気になりつつ、ミサイル艇の指導で出港した。入港して、携帯に竹原からのメールが入っており、高杉の悲報を知った。5月3日夜、見舞いに行ってアイツの顔を見たのがとうとう最後となってしまった。その際、ご家族と竹原、伊藤と峠を越えてからの復帰のための話をしていたのに。佐世保の同期の暖かさと団結の強さを再認識し、安心して帰ったきたというのに。残念だ! 高杉の冥福を祈る。 −氏野−



2002年5月28日(火) 17期 竹村禎之より
件名: Re: 確認メール
いやいや、申し訳ない。 <(_ _)> 見ると感染するウイルスがあるとかで、ずーっと見なかった。hotmailのアドレスは、ほとんど使わないし、スパムメールしか来ないので気がつくまでずいぶんかかったけど、今年になってから、HPを覗きました。相変わらず元気なんだなぁ・・・ と感心しきり。  しかし、「長福寺」じゃ、誰だか分からん。 当方は、ウイルスに汚染されてから、ソフトを買ったぐらい遅れてます。 唐突ですが、先日の葉書きで、高杉の火傷の事が書いてあったけど、今日、川浪から電話があって、亡くなったとか。   ご冥福をお祈りいたします。Y.Takemura



2002年5月28日(火) 17期 鍋島久司より
件名 : Re: 申し訳なかった
5月に入ってパソコン故障 先日やっと買い換えたところだった。 いま過去の今月分のメールを見ていた。確認のメールまで入れていてくれたのに高杉にはなにも言ってやれなかった。アンチュウ申し訳ない。まことに申し訳ない。



2002年5月28日(火) 17期 鍋島久司より
件名 : Re:高杉よ安らかに
 5月28日夜 高杉が亡くなった事を知った。 闘病応援メッセージを送ろうとした矢先だった。彼本人や御家族の皆様の事を思うと断腸の思いです。苦しかっただろう。つらかっただろう。君は本当によく頑張った。でも、もういいんだよ。安らかに、安らかに眠ってください。 遠い横浜の地より、ご冥福をお祈りいたします。今夜は、1人で酒を飲みます。  鍋島



2002年5月28日(火) 17期 小池正行より
件名 : Re: みんなの応援もむなしく・・・
ずーと見守ってきましたが、残念です。最後まで頑張った高杉の事は、いつまでも皆の心の中に生き続ける事でしょう。ご冥福をお祈りいたします。できれば皆の頑張れコールのコピーを棺に入れてくれると、決して一人で旅立つわけではない高杉への想いを伝えられると思いますますがいかがでしょうか。
あんちゅうの返信メール ありがとう。そういたしました。あんちゅう



2002年5月28日(火) 17期 伊藤隆より
件名 : 高杉情報
お通夜と、葬儀が決まったので連絡します。お通夜:日時今夜(28日)19:00から 場所長崎県佐世保市日宇町2787日宇飛鳥会館葬儀: 日時  29日13:00場所日宇飛鳥会館 喪主高杉みゆき(奥様) 何かわかったらまたメールします。安中へ、今職場にいるから俺へのメールはこのアドレス宛に下さい。メールの最後に、伊藤宛と記入のこと。 ー伊藤ー 



2002年5月28日(火) 17期 安中より
件名 : みんなの応援もむなしく・・・
佐世保 伊藤隆より高杉の残念な知らせが入ったのでそのまま掲載する。
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2002年5月28日 6:14 件名 : 残念な知らせ この時間にメールを打つ、ということでみんな察すると思いますが、高杉が亡くなりました。今朝(28日)の5時前だったそうです。これから顔を見に行ってそのまま出勤します。冥福を祈った下さい。葬儀の詳しい場所、時間等はわかり次第連絡します。 0610i    ー伊藤ー
*********************************

残念・無念です。 (あんちゅうは仕事なので、メール送信等は、夜になる事をお断りしておきます。)



2002年5月28日(火)0614 17期 伊藤隆より
件名 : 残念な知らせ
この時間にメールを打つ、ということでみんな察すると思いますが、高杉が亡くなりました。今朝(28日)の5時前だったそうです。これから顔を見に行ってそのまま出勤します。冥福を祈った下さい。葬儀の詳しい場所、時間等はわかり次第連絡します。  0610i    ー伊藤ー



2002年5月27日(月) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 伊藤 高杉情報 10
高杉!がんばれ!みんなが応援しているぞ、呉上田
あんちゅうの返信メール 17Th Home 高杉応援コーナーに掲載しました。・・・ 祈るばかりです。 ・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月27日(月) 17期 吉田喜和 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 高杉がんばれ
吉田です。17期の皆、久しぶりです。今、私は、館山の123航空隊にいます。皆も知っているとおり、今インド洋に派遣されている護衛艦はるなに搭乗しているヘリ部隊は123空です。高杉の件は、後輩の森川から聞いて信じられないことでした。さっき、森川から電話をもらってメールしています。 佐世保の皆我々の分までそばにいて応援してやってくれ。お願いします。



2002年5月27日(月) 17期 浦田文男 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 高杉さん応援メッセージ
初めまして、息子の浦田研と申します。高杉さんの早期回復を心から願っております。父よりメッセージを預かりましたので代筆させて頂きます。 「江田島の地より高杉の回復を心から祈り、信じております。」
あんちゅうの返信投稿 17Th Home 掲示板投稿 ありがとうございます。研くんとお父さんの気持は佐世保の同期が高杉に伝えます。江田島のお父さんに宜しくお伝えください。 研くん、ありがとう。   ・・・高杉応援コーナーに掲載しました。・・・



2002年5月27日(月) 24期 平 まりおより
件名 : Fw: RE:Fw: 伊藤高杉情報10
あんちゅう先輩 24期 平 まりお今 きました 同期からのメール転送します。 (小原 凡司 24期ET 現役)
小原です。 ずっと高杉さんの状況を流してくれてありがとう。 高杉さんへの励ましの言葉、なんと言ってよいのかわからないけど、一日も早い回復を祈っていること、平の方から送れるんだろうか? もし送れるんだったら、教え子の24期の一人として毎日回復を祈っていることを伝えてください。手数をかけます。 本当に一日も早く元気になってほしいと祈るばかりです。
あんちゅうの返信メール ありがとう。アドレスが載っていたが突然出すのも悪いと思いメールしなかった。平君のほうからくれぐれもよろしくとお伝えください。(高杉応援コーナーに掲載しました。)・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月27日(月) 24期 平 まりおより
件名 : Re: 伊藤 高杉情報 10
あんちゅう先輩 伊藤先輩がおっしゃるように全国から高杉班長を励まします。祈ります。昨日届いた、岡山で弁当屋をやっている同期の奥さんからのFAX紹介します。24期 平 まりお
近況:10:00〜24:00 入店しています。帰宅は24:30〜01:00です。FAX内容は私が伝えています。時間がある時は見ているようです。365日休みなしです。『同じ釜の飯を食った仲間』の連帯感、フットワークのすごさにただただ驚きながら拝見しています。
平 まりお様 いつもFAXありがとうございます。川崎一成様 いつもお見舞い ありがとうございます。元看護婦として、だいたいの状況がわかる為、心配しております。十数年前、小児科 ICUに勤務していた際、人工呼吸器をつけていた子供さんが驚くべき回復を複数回見ました。今は当時より医学がめまぐるしく発展しています。皆さんが おっしゃている様に 気力 だと思います。高杉班長 気力で乗り切って下さい。 今一番大変なのは、奥様だと思います。親しい方、奥様の支えとなってあげて下さい。(尿は出るようになりましたか?)何の面識もない者ですが、主人に変わりFAXさせて頂きます。向井
あんちゅうの返信メール ありがとう。ありがとう。向井生徒の奥様にくれぐれもよろしく伝えてください。(高杉応援コーナーに掲載しました。) ・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月27日(月) 14期生 谷川先輩より
件名 : Re:伊藤 高杉情報 9
安中いるか?俺だ!高杉に会ってきた。様子は17期からあると思うから・・・。ダメなんだよ、俺ああいうの。病院に着いたら、ちょうど帰ろうとしていた伊藤と山崎がまた、上まで付き合ってくれた、ありがたい。 高杉はきっと良くなる!きっと!そう信じる! それはそうと、俺が病院に着いた時、そこに制服姿のガードマン様が巡回しておられた。なっなんと「気を付け!」それは佐通で定年になられた第1期生の○○さんではないか。「休め」 勿論、私は直ちにご挨拶しました。17期の諸君は知らないんだろうな。 国の始まりは大和の国、泥棒の始まりが石川の五エ門、生徒の始まりは何期生だ!
あんちゅうの返信メール はい! 1期生です。17期の館山 吉田善和より掲示板に書き込みがありそれを転送してからまた送ります。・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月27日(月) 17期 安中より
件名 : 伊藤 高杉情報 10
佐世保 伊藤より高杉の情報が入ったのでそのまま送信する。



2002年5月27日(月) 17期 伊藤隆より
件名 : 高杉情報
今、病院から帰った。結果から言うと非常にまずい状況だ。 血圧が80−40で、今朝から尿がほとんど出ていない。今日の夕方が一番悪かったそうだけど、ほとんどそのままの状態を保っている。宮埼からの情報で、俺、山崎、窪田それから14期生の谷川さんも駆けつけていた。帰り際に、江頭も来ていた。 家族みんなが努めて明るく振る舞う姿が、このひと月の試練を想像させるようで、胸にぐっとくるものがある。 とにかくここまでひと月も頑張ったんだから、何とか今の状況を乗り越えて欲しいと思う。 もう一度全国から、高杉を励ましてやってください。 2217 i   ー伊藤ー



2002年5月27日(月) 24期 平まりおより
件名 : あんちゅう先輩・・・・24期 平 まりお です。昨日 情報入らなかったので、安心していたのですが・・・・myss24にはすぐに転送しました。通信 十時班長のメール転送します。みな同じ気持ちです。状況が静かだったので安心してたのに非常時態とは〓周りが一喜一憂してはいかんのだろうが、ウーッ〓持ち直してくれー、頼む〓(会社にて)



2002年5月27日(月) 17期 安中より
件名 : 高杉情報 9 の 時刻
宮崎に電話で確認したところ高杉情報 9 の時刻は19:44です。 以上 ・・・・・ あんちゅう・・・・・



2002年5月27日(月) 17期 安中より
件名 : 伊藤 高杉情報 9
佐世保、伊藤隆より高杉の情報が入ったのでそのまま送信する。



2002年5月27日(月) 17期 伊藤隆より
件名 : 高杉非常事態。
今、宮埼からの電話で高杉が危ないらしい。医者が、「いつでも面会してください」、と言っているそうで奥さんも病室から降りてきてるらしい。みんなに連絡を取ってこれから行って来る。  2040i    ー伊藤ー



2002年5月26日(日) 17期 遠藤 章より
件名 : RE: 確認メール
わざわざ連絡をいただきありがとう。メール及び17th Homeページはすべて見ています。特に高杉の件は、同期及び関係者の皆様からの連絡を注意深く見させてもらっています。気持ちでいつも応援メッセージを送っています・・・・・が。この場を借りて安中にお願いする。次の文を 17th Home に投稿してください。「高杉頑張れ!絶対回復するぞ!そして約束だ、35周年には必ず笑顔をみせてくれ。」ところで、ホームページ開設では本当にご苦労さま、感謝しています。だいぶ前になるが上田三左夫からもメールをもらい同様のお叱りを受けたが、つい何もしないまま今日になってしまった。これからも大変だろうが、17th Homeは宜しくお願いする。
あんちゅうの返信メール 返信遅くなりました。高杉情報 9 を先に送信しましたが、心配です。どうする事も出来ないのは、同じ事。 ただただ祈るのみ。文面を17Th Home高杉応援メールに掲載しました。 ・・・・・ あんちゅう ・・・・・


2002年5月26日(日) 17期 丸岡 剛より
件名 : 確認メールへの返事
お久しぶりです。オトも・サタもなくごめんね。m(_ _)m 今、東京へ転勤で来ています。なかなか不況であり、産業構造上でも厳しい状況です。 九州の田舎者が花のお江戸で人生のひと勝負中です。 それぞれ同期の皆もそろそろ五十路を迎えようとしている今、感慨深いものがありますね。 ますますの健勝・健康を祈念してサタとします。      丸岡 剛
あんちゅうの返信メール 26日にメールを受けてからかなりたってしまいました。申し訳ありません。前に電話した時は福岡といってたようですがだいぶ上にあがってきましたね。上に上がるといえば・・・ その話はやめましょう。お互い様。っあ、失礼、あんちゅうだけのことでした。ところで、メール送信のアドレスは、こちらのアドレスでいいのですね? > 九州の田舎者が花のお江戸で人生のひと勝負中です。 っま、がんばりもほどほどに行きましょうや。



2002年5月25日(土) 17期 木村文保より
件名 : ごぶさたしています
連絡が遅くなってすみません。17期のホームページは開設当初から拝見しております。懐かしい情報満載で30年以上前が思い出されます。高杉君の事故に接して驚いています。皆様からの情報ににより、いくらか状況はわかり病状にたいして一喜一憂しております。大阪在住のため見舞いにも行けないのが残念ですが、頑張ってもらい再会を楽しみにしております。今日はこれから大阪ー長崎のフライトですので、せめて長崎上空から佐世保を見ながら高杉君の早期快復を念じようと思っています。頑張ってください。今日は江田島もきれいに見えそうです。ぜひ江田島で再会をniftyで送信できなくなってしまったのでメールアドレスを以下に変更お願いいたします。****@**** 木村文保
あんちゅうの返信メール 遅くなりました。高杉情報 9 を先に送信しましたが、心配です。どうする事も出来ないのは、同じ事。 ただただ 祈るのみ。文面を17Th Home高杉応援メールに掲載しました。 ・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月25日(土) 17期 川口克司より
件名 : Re:確認メール
返信が遅くなり申し訳なく思っております。いつも気にとめ読んて゛います。突然のことで驚きを隠せません。現段階では高杉の早期回復を祈ることしかできなく腹立たしさを感じます。同じ佐監内にいて、何も手助け出来なく残念です。メ−ル送信大変でしょうがよろしくおねがいします。
あんちゅうの返信メール 遅くなりました。高杉情報 9 を先に送信しましたが、心配です。どうする事も出来ないのは、同じ事。 ただただ 祈るのみ。文面を17Th Home高杉応援メールに掲載しました。 ・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月24日(金) 17期 安中より江田へ
件名 : 現住所
いつも高杉情報ありがとう。ところで、現住所を教えて欲しい。 ゆびとま葉書が転居先不明でかえってきている。郵便番号も忘れずにね。
江田の返信メール さっきの「高杉の近況」を送った後で、タイトルのとこに入れてた時間が間違っていることに気づいた。正解は「1930」でした。 さて、私の住所ですが 〒***−**** 長崎県佐世保市**町***−****自宅:****−**−****フネ:****−**−****(海上自衛隊佐世保地方総監部)内線****(****士官室) 因みに、家族は妻:ひとみ 結婚以来専業主婦で今は子供たちの学校でPTAの役員を引き受けて忙しくやってる。長男:健(たけし) 今年工業高校を卒業し、小倉にある自動車整備専門学校に入った、親元を離れて大変だろうと思ったら、一人暮らしは意外と楽とのたまっている。次男:工業高校の土木科2年、勉強よりもブラスバンドのために学校に行ってるようなもの??先日友人から「エアーガン」を借りてきた、私がもうすぐ小火器射撃が控えているので貸してもらって練習している、、、、長女:かおり、小6、合唱団に入って頑張っています。 先日はプロと共演してこちらのテレビで放送されました。実はこの時私もコメントを聞かれて放送されました。 次女:はるか、小4、同じく合唱団で頑張っていますが、性格的にはだいぶ違うようです。家は、弓張岳の中腹にあるマンションで、窓からの見晴らしが良好です。 そのうち、うちから見た佐世保の夜景を送ります。 江田 俊弘



2002年5月24日(金) 17期 安中よりオトもサタもない同期へ
件名 : 確認メール
*****様 メールは読んでもらってるでしょうか? オトもサタもないので。 そのまま返信か、何か一言を。 17期ホームページ ”17Th Home” 管理人 安中均



2002年5月24日(金) 24期 平まりおより
件名 : Re: 伊藤 高杉情報 8
あんちゅう先輩 高杉班長情報ありがとうございます。先日 日曜日の状況には驚きましたが、安定しているようですね。早期回復 とは言いません、ゆっくりでいいので、着実によくなってほしいです。江田さん、伊藤さん 情報を寄せてくれる17期先輩方にもよろしく言ってください。myss24参加者(24期55名、十時班長)には、もう転送しました。FAX保持者には明日 朝 送信します。



2002年5月24日(金) 17期 安中より
件名 : 斎藤賢一 アドレス公開
斎藤賢一のアドレス公開の了解を得たので 送信します。 多くのコミュニケーションが生まれますように。 斎藤賢一 ***@****



2002年5月24日(金) 17期 安中より
件名 : 伊藤 高杉情報8
佐世保、伊藤隆より 高杉の情報が入ったのでそのまま送信します。



2002年5月24日(金) 17期 伊藤 隆より
件名 : 高杉情報 7
19:00頃見舞いに行ってきました。江田も一緒だったから情報が重複するかも・・・。状況は変わらないらしいけど、俺が見た感じでは少し良くなっているようだった。みんなからのメールを読んで聞かせたら、薄目をあけてなにか言いたそうに見えた。呼びかけると何度か目を開けたから、麻酔が覚めかけていて少し意識があったのかな。今日は奥さんやお姉さんも表情が明るくて、こちらも少しほっとした。これからも、一喜一憂しながら進んでいくと思うが、周囲が励ましながら回復を待とうと思う。連絡がない時は、状況が変わってないと思ってください。久々に気持ちのいい夕日でした。  ー伊藤ー



2002年5月24日(金) 17期 安中より
件名 : 江田 高杉情報7
佐世保、江田より高杉の情報が入ったのでそのまま送信します。



2002年5月24日(金) 17期 江田俊弘より
件名 : 高杉の近況0524_1730
本日は、休みが取れたので午後2時頃見舞いに行き、1900からの面会時間にはICUには入れるとのことでしたので1900から出直してきました。さて、私は初めてICUに入りましたので以前との比較はできませんが、もともと太り気味であったところに、点滴等による水分補給で全身が膨らんでいますが、それでも一緒に入ったお姉さんによると「足にしわが見えるようになってきたのでだいぶ水が抜けてきてる。」とのことでした。血圧は100〜40、脈拍は70前後でした、肺の水分は最も悪かった時期から少しは抜けたものの大きな変化はないのだそうです、そのほかの機能はほぼ正常だそうです。ただし、今日は排尿が少くなかったので利尿剤を使用したとのことでした。現在は人工呼吸器をつけています、麻酔は使用していないが痛み止めを使っているとのことでしたが、まだ麻酔からさめていないのか意識はありませんでした。それでも「高杉!」と声をかけたところ目が開きましたので、「17期の皆や、先輩、後輩たち特に教え子の24期が応援してるから頑張れ!」と声を掛けてきました。うなずいたような気がしたのは私の欲目でしょうか?家族の皆さんによれば、先生は、「良くなった。」とは言わないそうですが、先週の日曜に比べれば明らかに良いそうです、しかしながら「今次の手術をすることは危険」と言ってるそうですので、このまま徐々に回復し次の手術ができるのを気長に待つほかはないようです。奥さんにも久しぶりに会いましたが、両太ももの皮膚を提供後のため車椅子に乗ったままでしたが、顔色もよく元気にしておりました。奥さんは予定のとおり後一週間で退院できるそうです。皆さんから寄せられた応援メールを耳元で読んで聞かせたとのことでした。引き続き応援をよろしくお願いします。追伸私は、6月3日出港し10日過ぎに一旦、帰港しますがすぐに6月半ばから8月上旬まで長期訓練航海に出ますので、しばらく状況報告ができなくなります。佐世保17期で状況を伝えて行きます。行動中は、沖縄、函館、舞鶴、呉に寄港する予定です。最寄の人はメールを下さい。・・・・江田 俊弘



2002年5月24日(金) 17期 西郡尚生より
件名 : 返: CD送ります。
忙しいなか申し訳ありませんでした。   西郡尚生



2002年5月24日(金) 江田島仙人より
件名 : Re: ゆびとま葉書送付中
ゆびとま葉書を23日に拝受しました。ありがとう。高杉君の回復を諸兄と共に祈ります。 仙人



2002年5月24日(金) 17期 斎藤賢一より
件名 : こんばんは。
すまん。遅くなった。送ってるアドレスは息子のアドレスなので****@**** の方に送ってくれた方が助かる。職場でも見ることができるし。ホームページの管理大変だと思うけど、がんばって続けてくれな 楽しみにしてるから。
あんちゅうの返信メール どうやら”張り込み”から開放されたようでようやく連絡がついてよかった。アドレスの件、了解しましたので、サッソク、同期に配信します。
17Th Homeは昨年の9月2日、誕生しました。17期徒然草に今までのやりとりをすべてに近い、ほとんどを掲載してあります。秘密の事項はこれも、ほとんどありません。暇な時に読んでください。
江田島仙人とは、世を偲ぶ仮の姿、1術校長の平井良彦海将補です。我期の分隊長でもありましたが、縁あっていつも楽しいそしてなつかしいメールを送ってくれます。17Th Homeの愛読者のほとんが仙人のメールを楽しみにしているようです。あんちゅうとしましては、仙人を17期のごとく思っていて、アドレスの公開はもちろんの事、ゆびとま葉書まで同じ物を送信しています。 ・・・・・「フムフム」と仙人は言っています。あんちゅうが現役でないから出来る事とは思いますが。・・・仙人に感謝しております。
14期生は、17期にとっては 「神様」。2001年11月26日に14期生ホームページの掲示板に書込みさせて頂いて以来、「神様」に御使しています。これからも「神様」のご加護の元、17Th Homeは生きていきます。
高杉は、24期の班長でした。このたびの入院の件においては、すばやく17Th Homeにメールを寄せてくれました。彼らの言葉にあらためて、心を揺さぶられました。まさに、生徒のつながりを感じさせてくれました。・・後輩に感謝です。同時期、番上と窪田も一緒だったようです。
ざっとそんなところです。又のメールを待っています。 追伸 基本的にあんちゅうに来たメールはすべて17期徒然草に掲載します。掲載して欲しくないメールや文面にはそれなりの言葉を入れてください。



2002年5月23日(木) 17期 安中より 17期 西郡へ
件名 : CD送ります。
5月10日の依頼 以来 すでに2週間となろうとしています。高杉の件などあり遅れに遅れてしまいモウシワケアリマセン。あす、送りますので楽しみに。出来がいいかどうかはわかりませんが・・・。



2002年5月23日(木) 17期 安中より
件名 : 前畑啓二 アドレス公開のご案内
17期諸兄、高杉の状態も心配ですが、この度 前畑啓二生徒がゆびとま葉書を見て17Th Homeに投稿してきました。本人了解の上、アドレスを公開しますので多くのメールを送りつけてください。前畑啓二 ****@**** なお、斎藤賢一も公開の確認メールを送信していますが、返事がアリマセン。 ・・・・どうも張り込み中の様子です。



2002年5月23日(木) 17期 前畑啓二より
件名 : OKです。
 なんせメールのやりとりも、初めてなので苦労しています。忘れていた名前も沢山でてくるので懐かしく思っています。安中ご苦労様



2002年5月23日(木) 24期 平まりおより
件名 : 高杉班長
あんちゅう先輩 わたしも、同じ内容のメールを24期に送信しました。 いい方に解釈しましょう。 myss24に参加していない同期からケイタイメールとFAXがきました。
・24期生ET 杉原幸治    高杉班長の早期ご回復をお祈りします。
・24期生ET 山岡恵之助    頑張れ 高杉班長!1日も早い回復を心より願っています。
印字に慣れてしまっていると、手書きの文字は心がこもっていて暖かみがありますね。高杉班長のもとへは佐世保の同期に届けてもらいますが、あんちゅう先輩に送付します。Wordで添付。
あんちゅうの返信メール ありがとう!!皆によろしくお伝えください。



2002年5月23日(木) 17期 安中より
件名 : なし
高杉情報が入ってきません。連絡がないのは皆様の願いが通じているものと考えます。高杉の全細胞が応援メールの声を聞き、やっとその気になったのでしょう。あせらず、見守りましょう。 ・・・「気」を高杉に送りましょう。



2002年5月23日(木) 17期 前畑啓二より
件名 : 始めての投稿
始めて投稿します。高杉のヤケドの件は、ハガキで知りました。事故の

17Th Home 徒然草 2002年5月


2002年5月31日 (金) 17期 橋本和昌より
件名 : 木村文保と再会
「今日、奄美に飛ぶ」との電話。 大阪−宮崎−大阪−奄美−大阪のフライトスケジュ−ルとのこと。 13:30空港ロビ−で待ち合わせ。 こころもち30周年のときより太ったかな? 40分程度の短い時間だったが気さくで変わらず、談議にはなさいた。 JAS MD−90型機の副操縦士で頑張っている。 何とも頼もしいかぎりだ。 15:00奄美発で大阪へむかった。 宮崎名産 カフェもっち おいしかった。 ありがとう。   5/31 奄美大島 橋本和昌 



2002年5月31日[金) 高杉の甥っ子 高杉 豊君より
件名 : ありがとうございました。
高杉 豊と言います。英則おじさんは、残念な結果になってしまい、とてもつらいです。おじさんは、私の父の実弟で、小さい時によく、遊んでもらいました。父も非常に悲しんでましたが、応援して頂いた同期の皆様方に大変感謝していました。話は変わりまして、どうやって私がこのホムペを見つけたかと言いますと、父から電話で応援メッセージを書き込める所があると聞き、私自身、今千葉の方にいまして(松戸の陸自にいます)おじさんをお見舞いに行けないから、せめてメッセージを・・・という事で掲示板をお借りしました。この様な掲示板があるのを知って、同期ってすばらしいなぁ。と本当に思いました。私は今、24歳でまだまだ駆け出しですが、亡くなった英則おじさんをはじめ、同期の方々の様になれるようがんばっていきたいと思います。ありがとうございました。
あんちゅうの返信メール そうですか。現職陸自隊員ですか。 このたびはほんとに残念で残念でなりませんね。 17Th Homeはご覧のように当初から高杉の件をHPに掲載し、同期の結束力をもって立ち直ってもらおうとやってきましたが、力及ばず、誠に申し訳なく思っています。 高杉は置き土産に同期の絆を深める「何か」を残して逝きました。 その「なにか」を探求するのが高杉に対する最大の供養と思っています。 我々生徒17期は、右も左も分からない15歳にして、全国より集まった同期と楽しい時も苦しい時も24時間、四六時中、常にいっしょの生活を送りました。 ある者は一年で、ある者は3年で、ある者は卒業後退職したりしましたがたとえ一ヶ月であろうと同じ釜の飯を食った者同士、通じるものがあります。 現職陸自隊員の豊君には、少しくらいは理解できるところがあるでしょうか。 どうか、自分の周りにいる人を大切にして、英則おじさんのぶんまで 頑張ってください。 高杉は豊君の事、見守っていますよ。
豊君のお父さんは豊君とは又、違った悲しみを感じていると思います。 小さい頃からの英則おじさんが脳裏をかすめ、たぶん、自分の親をなくすとき以上の悲しみに打ちひしがれていると思います。 兄弟、特に弟を先に送らなければならないほど、せつない事はありません。 豊君には、そういうお父さんの悲しみにもちょっとだけ目を向けて欲しいと思います。 お父さんにもどうかよろしくお伝えください。 海自生徒17期ホームページ ”17Th Home” 管理人 安中 均



2002年5月30日(金) 磯野正行様より
件名 : ご冥福を祈ります。
同期の方がおなくなりになって、さぞつらかったこととお察しいたします。生死は世のならいごととはいえ、残されたご家族ご友人の悲しみは深いものと思います。つきなみな言葉で申し訳ありませんが、早くその悲しみから立ち上がられることをお祈り申し上げます。
〒959-1225 新潟県燕市大字中川***-* 磯野 正行 ****-**-****



2002年5月30日(金) 22期 木田浩二 17Th Home掲示板投稿より
件名 : ご冥福をお祈りいたします。
22期生徒HP管理人の木田です。高杉先輩が亡くなられたことを十七期生のHPを通じ知らされました。心からご冥福をお祈りいたします。



2002年5月30日(金) 17期 浦田文男 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 故高杉氏の冥福を祈ります。
故高杉氏の訃報を下総の3術校(部隊実習)で聞き、非常に残念です。家族の方々へのサポートをよろしくお願いします。



2002年5月30日(金) 17期 今田俊介より
件名 : ご冥福を祈ります
安ちゅう 高杉は本当に残念だった。野球部で大きな声を上げていた彼を想い出す。大きな身体でいつも優しい笑顔の男だったよな。彼の冥福を心からお祈りします。
安ちゅう 本当にご苦労さまでした。あなたの苦渋に本当にご苦労さまと言ってあげたいです。貴君のおかげで17期の結束がどれほど高まったことか。これからもますます多忙だとは思うけれどどうかみんなのためによろしくお願いします 今田俊介



2002年5月29日(木) 14期生 谷川先輩より
件名 : なし
安中 いますか?さっき、宮崎に電話し、つらい涙を流しました。今日は、いくら飲んでも酔わない酒です。まったく、・・・ まったく美味くない酒です。でも、飲まずにいられない酒です。聞いてます? 先輩。
谷川 高杉との出会いは、下関基地隊だった。当時俺は交信係長をしていた、今度、幹部予定者課程を修業して下基に着任するのは17期ですと、予定者が奴と同期の18期から聞いていた。便所の前の通路で高杉とすれ違った、俺は、「オイ!」と呼び止めた。怪訝そうにするアイツに「俺は14期だ!」と言った。勿論アイツは最敬礼した。それから、アイツとの付き合いが始まった。気持のいい可愛い後輩だった。俺は高杉が大好きだ!
安中 寝ていなかったんですね。「俺は14期だ!」っといわれれば17期は勿論、最敬礼です。まして 「・・!!」がついていればなおさらです。っま、そんな言葉は吐かない谷憲さんと認識しているんですが。ただ、無言で、きびしい目で「ジロッ!!」っと にらんだに違いありません。 「・・!!」 は あったでしょうね。ロックをもう一杯。
谷川 おぅ!のめ、のめ!!それもよかたい!俺ものんどるばい!
安中 そうーッスか? かんぱーっい!! じゃなかった、ここ新潟では 「けんぱーっい」っといいます。こんばんは、高杉と三人で飲みましょう。・・・ 立ち直りに2〜3日ほどかかるといま、 高杉に言いました。昨日は先輩の携帯を使って宮崎に電話させたり申し訳アリマセンでした。佐世保の17期はよくやってくれたでしょうか?杉の家族を今後も見守ってくれるでしょうか? 心配ないのに 心配しているあんちゅうです。 ロック、もう一杯!!
谷川 うん!よか、よか!!みんな、よーやった。人と別れるのは悲しいもんだ。どうして、俺はすぐ涙がでるんだろう。はずかしい。信じられんだろうが昔からそうだったんだよ。俺のキャラにあわんので強がっていたんだよ。もう寝る。
安中 オヤスミナサイ。安中



2002年5月29日(木) 14期生 谷川先輩より
件名 : Re:総括
ごくろう!!よくやった!そして、ありがとう。今日は、どうしても教務のやりくりがつかず、残念ながら見送りに行けなかった。 合掌



2002年5月29日(木) 17期 安中より
件名 : 総括
仙人、諸先輩、生徒先輩、後輩 そして同期諸兄 ほんとにご苦労様でした。 そしてお疲れ様でした。高杉の見送りに佐世保には行けませんでしたが、同期を彼岸に送らなければならないつらさを、この現代のインターネットによってまざまざと知らされました。逐次入ってくるメールに全国との距離がなくなり、まさにその場に居合わせたかのような感じを受けるからでしょうか。これが、状況の結果だけを知ったのであれば、こんなにもつらくはなかったのではないか。・・冷たい見方かもしれませんが、そう思いたくもなる この2〜3日でした。今まで、同期や諸先輩、後輩、さらに分隊長の力添えによりこの17Th Homeが17期としての絆を深めるひとつの手段として存在しましたが、これからも一人でも多くの同期が絆を深められるよう、いろんな手段を講じてアクションを起こし、コミュニケーションの手助けとなる様、今、高杉の御霊に誓います。これを高杉に送る17Th Homeの最後の言葉とします。
海上自衛隊 少年術科学校 第17期生徒 ホームページ管理人 安中 均



2002年5月29日(木) 14期生 下條先輩より
件名 : Re: 葉書を送らせてもらいました。
此の度は誠に残念な結果になりましたが、皆の気持ちは天に届くことと思います。安中生徒、そして17期の皆様、本当にご苦労様でした、Mailのやり取りを読みながら、緊迫した状況とともに皆の熱意が伝わってきました。謹んで故高杉生徒のご冥福を祈ります。 14期水測 下條



2002年5月29日(木) 17期 伊藤 隆より
件名 : Re: 17Th Home高杉情報 終止
高杉の葬儀も無事終わり、今帰ってきました。海幕長はじめ多くの方からの生花、100通を越える弔電をいただきました。高杉も安心して旅立ったものと思います。アンチュウには毎日の情報配信ご苦労様でした。これからも17期homeをよろしくお願いします。  佐世保の17期が 「よろしく」 と言ってます。 ー伊藤ー



2002年5月29日(木) 17期 臼井幸一より
件名 : 報告
葬儀は、無事終了。有難う。感謝 臼井孝一 



2002年5月29日(木) 高杉班長の部下 17Th Home掲示板投稿より
件名 : ご冥福をお祈りします。
本日、1300から葬儀が行われました。全国各地から多数の弔電・花輪等が届き、改めて班長の人柄が偲ばれました。また、入院当初から同期の方々が病院に駆け付けられ、同期の絆の深さを感じました。応援メッセージ(17th Home)にも同期の方以外に教え子や先輩等からも声が寄せられ、班長にきっと届くと願っていましたが、祈りが届かず残念です。明るい班長は、我が隊のムードメーカーでした。班長の豪快な笑い声・ダジャレ忘れません。班長、やっと熱傷の痛みから解放されましたね。安心してゆっくり眠ってください。



2002年5月29日(木) 17期 吉原英夫 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 高杉の冥福を祈って
29日1530i高杉の訃報を知った.高杉の快復を信じて疑わずにいたが残念な結果になってしまった.残されたご家族のことを思うとやるせない気持ちでいっぱいです.今私ができることは心から冥福を祈ることしかできないが佐世保のみんなに家族への支援を心よりお願いしたい.下総基地には下館(旧姓麻生)、予定者課程で実習中の浦田がいるのだが今だ連絡がとれない、連絡が取れ次第ここにメッセージを入れさせる.



2002年5月29日(木) 17期 前畑啓二より
件名 : 卒業アルバムの無料配布について
高杉は残念でした。安中本当にご苦労様 卒業アルバムのCD希望します。宜しくお願いします。



2002年5月29日(木) 17期 小池正行より
件名 : Re: 17Th Home高杉情報 終止
あんちゅう様、本当に長い間お疲れさまでした。仕事とホームページマスターとして寝る時間も惜しんでさぞ大変だったと思います。高杉応援メッセージでは、多くの同期や先輩後輩、また仙人までも参加していただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。何処にいても、どんな仕事についていてもいつもつながっているという、あんちゅうの17期ホームページの趣旨にきっちりはまったものと考えます。これからもよろしくそしてお疲れ様でした。小池



2002年5月29日(木) 17期 氏野良則より
件名 : Re: 17Th Home高杉情報 終止
おはよう、アンチュウ。みんなの願いもむなしく残念でした。しかしながら、あなたの活躍は私が言うに及ばず、大したものでした。17th HPといい、今回の件といい。 本当に頭の下がる思いです。本当にありがとう。 ご苦労様でした。少しはゆっくりしてください。では、行って来ます。 今日もミサイル艇で出港です。  −氏野−



2002年5月29日(木) 別府 十時新吾様より
件名 :長期間、おつかれさま
24期の元班長中間として過した江田島生活は、今思えば そんなに長い期間ではなかったけれど充実していたと思います。独身の班長が何人か我が家(官舎)に集まって飲んだり食ったりの他愛ない生活も想い出として隅に追いやられる運命ですか、47才というのは、あまりにも早すぎます。一ヵ月メール情報お世話になりました。 今後の活躍を祈念致します。



2002年5月28日(水) 24期 平 まりおより
件名 : 追悼 高杉班長
あんちゅう先輩 24期水測 平 まりお(予備自) 佐世保の17期生先輩方によろしくお伝えください。 そうですねー ちょうど一月ですね。高杉班長、御家族の方々 頑張ったんですね。今はきっと楽になっていますよ。本日のmyss24 メール抜粋して送付します。
    故高杉英則班長・先輩への追悼文
24期水測 緒方 浩治(艦艇開発隊) 残念でなりませんご家族の方もさぞ無念なことだと思います。慎んでお悔み申し上げます。
24期水測 栗原 浩之 高杉班長 頑張られたのに、ホントに残念でしかたありません・・・・来年の25周年でお会いできるのを楽しみにしていました・・・心よりお悔やみ申し上げます。
24期ET 飯田 雅也 高杉班長の訃報に接し、只々驚くばかりです。一時、良い方向に向かっているという事で少し安心をしていたのですが・・・残念無念でなりません。ご家族の皆さんのお気持ちを思うと、今は、本当に何て言っていいのか判りません。
24期ET 中島 和彦(防衛施設庁) 容態が小康状態を保っていたようなので「まさか」と思いましたが大変残念です。生徒時代は「班長」というより、生徒の先輩として「兄貴分」の高杉さんが思い出されてなりません。残されたご家族に対して慎んでお悔やみ申し上げます。
24期水測 鞍掛 藤雄 (第22航空群 第122航空隊) 先程、訃報の連絡を頂きました。卒業後、2回程一緒に酒を飲んだ記憶があります。が・・非常に残念でなりません。ただ、ただ、ご冥福を祈るだけです。
24期ET 佐藤 耕三(1術校総務科通信係長) とにかくびっくりしています。・・・中略・・・1術校長からも弔電発信しました。
24期通信 河田 力 このような結末に、申し上げる言葉も浮かびません。遺されたご家族には、心よりお悔やみ申し上げます。
24期通信 赤石 真騎也(海上保安庁「みずほ」) 高杉班長の訃報を知り驚きと残念さでいっぱいです。 昨夜平から聞いて回復するように祈っていたけれど残念です。
24期通信 金 澤 正 典(舞鶴調査隊運用班長) 袖触れ合うも多少の縁 人の縁は分からないもの 生徒修業10年目に高杉班長とひょんなことから再会し 以後、機会あるごとに世話をし、世話をされの関係になりました。(される方がずいぶんと多かったのですが...)いつも明るく「豪放磊落」を絵に描いたような方だけに、未だ現実として受け止めがたいものがあります。故人のご冥福を祈るとともに、ご遺族の皆様に心からお悔やみを申し上げます。
24期一同 弔電 故高杉英則御遺族様 ご逝去の知らせを受け、ただただ驚いております。ご生前のお姿を偲び心よりご冥福をお祈りいたします。来年の25周年にはお会いしたかったのですが、とても残念です。高杉班長のことは絶対忘れません。 教え子の海自生徒24期一同



2002年5月28日(水) 17期 安中より
件名 : 17Th Home高杉情報 終止
佐世保17期一同より高杉情報終止の最終メールを先ほど配信しました。17Th Homeも高杉情報の一斉送信をこれを最後に終了いたします。つたない ハブステーションの役目をまっとうできたか、プライバシーに誤りはなかったか自問自答の日々でした。皆様のご協力に感謝するとともに 故高杉の冥福を祈りながら17Th Home最後の高杉情報一斉送信を終了させていただきます。 高杉・・ありがとう そして さようなら・・・・



2002年5月28日(水) 17期 遠藤 章より
件名 : RE: 高杉情報 終止
絶対に治ると確信していたのに、このような結果になるとは誠に残念でなりません。葬儀には出られませんが、17期として協力出来る事がありましたら連絡ください。

2002年5月28日(火) 17期 安中より14期生 下條先輩へ
件名 : 葉書を送らせてもらいました。
高杉の件に関しましては、勝手にメールを送りつけ申し訳なく思っています。一筆でも高杉応援コーナーにお寄せいただいた方には高杉情報のすべてを送信させてもらいました。ご了承ください。残念ながら、誠に残念ながらその願いは通じませんでした。ところで、ゆびとま葉書なるものがあり、あんちゅうは過去2回同期に送っています。このたびの高杉の訃報に際しても先ほど送りました。下條先輩にも17期と同じ文面の葉書を送付しましたのでお受け取りください。インターネットの環境を持っていない同期には、絆を深めるための有効な手段となるような気がしています。また、いろんな使い方が考えられるようです。・・・無料ですから。今後とも、生徒と、17期・17Th Homeをよろしくお願い致します。



2002年5月28日(火) 14期のひとり先輩 17Th Home掲示板投稿より
件名 : (無題)
君達の仲間、高杉君の訃報に接し謹んでご冥福をお祈りいたします。 残された奥様をはじめ、ご家族に対する心よりの支援が高杉君に対する最も大きな供養にもなるものと考えます。今後とも、君達17期諸君の団結の絆を深くされることを希望します。
あんちゅうの返信投稿 投稿ありがとうございます。誠に残念な結果となりましたが、同期や諸先輩、後輩の思いは高杉に通じたと確信しています。これからも17Th Homeは、いろんな手段を講じながら同期の結束を深めて行きます。見守りください。



2002年5月28日(火) 24期 平まりおより
件名 : 24期団結の強化
あんちゅう先輩 高杉班長・・・悲しい結果になってしまいましたが、そのおかげと言っては何なんですが、全国に散らばり疎遠になっていた24期の距離が近くなりました。結束して事にあたり、絆が強くなりました。高杉班長が最後に我らに与えてくれた教えでしょうか・・・今後ともよろしくお願いいたします。



2002年5月28日(火) 17期 安中より
件名 : 高杉情報 終止
佐世保 17期一同より メールが送られてきたのでそのまま送信します。



2002年5月28日(火) 17期 伊藤 隆より
件名 : 高杉情報の終止
忙しい中でのお気遣いありがとうございました。 高杉についてはほんとに残念でしたが、ちょうどひと月あいつも頑張って、家族も兄弟もほんとに苦しい日々を過ごしていたから、もうだめならこれ以上苦しませるのはほんとにかわいそうで、よく頑張ったといってやりたいと思います。奥さんも子供たちも、苦しそうな高杉を毎日見てきて、今日、安らかなあいつの顔を見ながら 「ひと月よく頑張ったね」、・・・・・と。ほんとに安らかな顔でした。 大村から、楯が、呉からは上田三佐夫が来てくれています。全国あちこちの先輩、同期等から、電話もありました。 ご心配いただいた、先輩、同期、後輩の諸兄にお礼申し上げます。高杉のお母さん、奥さん、親族のみなさんから 「この度のご厚情につきましては、ほんとうにありがとうございました。」 と伝言を預かってきました。 来佐の折りには、残された家族に励ましの言葉をお願いします。  ー佐世保17期一同ー



2002年5月28日(火) 24期 平まりおより
件名 : Re: 追悼 高杉情報 3
あんちゅう先輩 残念無念です。 いろいろ情報ありがとうございます。返信遅くなって申し訳ありません。メール、FAXで連絡がつかない同期に電話連絡をしていました。皆 落胆しています。今はただただ、故人の冥福を祈ります。明日 14:00 全国の24期が佐世保に向かって黙祷を捧げることを申し合わせました。



2002年5月28日(火) 17期 藤原和郎より
件名 : Re:追悼高杉情報3
高杉の事、本当に残念です。でも高杉もご家族の方もよくがんばられたと思います。高杉、精一杯やったんだから、あちらでゆっくり休んで下さい。いつかまた会おう。謹んで御冥福をお祈り致します。17期 藤原



2002年5月28日(火) 17期 竹下和哉より
件名 : Re: 追悼 高杉情報 1
長い間、高杉のため尽力してくれてありがとう。君と高杉のお陰で、中村恒正、野口昌利と久しぶりに会うことが出来ました。できれば、同期会で会えるような理由があれば良かったのですが高杉の死去によって、再開するなんて寂しい気持ちです。佐世保の葬儀には参加できませんが、横須賀地区の6人で弔電、花輪等送りました。また、安中がHPで頑張っていることも伝えました。高杉の死を無駄にせず、なお一層、同期の絆が強くなることを祈っています。今後もHPによる同期の絆の強化、拡大に尽力してください。ただし、健康第一で無理しないように。



2002年5月28日(火) 17期 安中より
件名 : 追悼 高杉情報 3
誠に残念ながら高杉は逝ってしまいました。先ほど、日宇飛鳥会館に 17Th Homeに寄せられた高杉応援メッセージをFAXし、奥様に棺の中に入れていただくようお願いをいたしました。皆さんの応援も実を結ばなかったわけですがきっと、きっと高杉には通じていたと確信しています。17Th Homeとしましては、今後、高杉の追悼コーナーを設けまして、故人の冥福を祈りたいと思います。 合掌



2002年5月28日(火) 17期 藤田雅之より
件名 : Re: みんなの応援もむなしく・・・
安中様 悲しい連絡を受け、市ヶ谷地区(梅木勝、佐藤豊、藤田雅之)3名は、大湊地区と一緒に香典及び花束を贈りました。今後も17期の情報を交換しあい、力を合わせたいと思います。隣の部隊に15期生の西川さんが居られ、17期のホームページをよく閲覧していると聞いております。 藤田 雅之



2002年5月28日(火) 17期 藤原和郎より
件名 : Re:追悼高杉情報2
高杉の事、本当に残念でした。申し訳ないんですが、携帯しかないので文章が全部届かず途中で切れます。よかったら高杉の住所以下を送ってくれませんか。よろしく。
あんちゅうの返信メール 申し訳なかった。再送します。



2002年05月28日(火) 17期 安中より
件名 : 追悼 高杉情報 1
佐世保の伊藤隆より高杉のお通夜と葬儀の情報が入ったので取り急ぎ お伝えいたします。
お通夜 : 日時 今夜(28日)19:00から 場所 長崎県 佐世保市 日宇町2787−6 日宇飛鳥会館 TEL 0956−33−4949
葬儀 : 日時 5月29日(明日) 13:00場所 日宇飛鳥会館(お通夜会場と同じ) 喪主 高杉みゆき(奥様)
高杉英則 自宅住所 : 長崎県佐世保市大塔町****−** TEL ****−**−**** 以上 あんちゅう



2002年5月28日(火) 17期 氏野良則より
件名: 高杉の御冥福を祈ります。氏野
昨夜の伊藤隆からのメールが気になりつつ、ミサイル艇の指導で出港した。入港して、携帯に竹原からのメールが入っており、高杉の悲報を知った。5月3日夜、見舞いに行ってアイツの顔を見たのがとうとう最後となってしまった。その際、ご家族と竹原、伊藤と峠を越えてからの復帰のための話をしていたのに。佐世保の同期の暖かさと団結の強さを再認識し、安心して帰ったきたというのに。残念だ! 高杉の冥福を祈る。 −氏野−



2002年5月28日(火) 17期 竹村禎之より
件名: Re: 確認メール
いやいや、申し訳ない。 <(_ _)> 見ると感染するウイルスがあるとかで、ずーっと見なかった。hotmailのアドレスは、ほとんど使わないし、スパムメールしか来ないので気がつくまでずいぶんかかったけど、今年になってから、HPを覗きました。相変わらず元気なんだなぁ・・・ と感心しきり。  しかし、「長福寺」じゃ、誰だか分からん。 当方は、ウイルスに汚染されてから、ソフトを買ったぐらい遅れてます。 唐突ですが、先日の葉書きで、高杉の火傷の事が書いてあったけど、今日、川浪から電話があって、亡くなったとか。   ご冥福をお祈りいたします。Y.Takemura



2002年5月28日(火) 17期 鍋島久司より
件名 : Re: 申し訳なかった
5月に入ってパソコン故障 先日やっと買い換えたところだった。 いま過去の今月分のメールを見ていた。確認のメールまで入れていてくれたのに高杉にはなにも言ってやれなかった。アンチュウ申し訳ない。まことに申し訳ない。



2002年5月28日(火) 17期 鍋島久司より
件名 : Re:高杉よ安らかに
 5月28日夜 高杉が亡くなった事を知った。 闘病応援メッセージを送ろうとした矢先だった。彼本人や御家族の皆様の事を思うと断腸の思いです。苦しかっただろう。つらかっただろう。君は本当によく頑張った。でも、もういいんだよ。安らかに、安らかに眠ってください。 遠い横浜の地より、ご冥福をお祈りいたします。今夜は、1人で酒を飲みます。  鍋島



2002年5月28日(火) 17期 小池正行より
件名 : Re: みんなの応援もむなしく・・・
ずーと見守ってきましたが、残念です。最後まで頑張った高杉の事は、いつまでも皆の心の中に生き続ける事でしょう。ご冥福をお祈りいたします。できれば皆の頑張れコールのコピーを棺に入れてくれると、決して一人で旅立つわけではない高杉への想いを伝えられると思いますますがいかがでしょうか。
あんちゅうの返信メール ありがとう。そういたしました。あんちゅう



2002年5月28日(火) 17期 伊藤隆より
件名 : 高杉情報
お通夜と、葬儀が決まったので連絡します。お通夜:日時今夜(28日)19:00から 場所長崎県佐世保市日宇町2787日宇飛鳥会館葬儀: 日時  29日13:00場所日宇飛鳥会館 喪主高杉みゆき(奥様) 何かわかったらまたメールします。安中へ、今職場にいるから俺へのメールはこのアドレス宛に下さい。メールの最後に、伊藤宛と記入のこと。 ー伊藤ー 



2002年5月28日(火) 17期 安中より
件名 : みんなの応援もむなしく・・・
佐世保 伊藤隆より高杉の残念な知らせが入ったのでそのまま掲載する。
******************************
2002年5月28日 6:14 件名 : 残念な知らせ この時間にメールを打つ、ということでみんな察すると思いますが、高杉が亡くなりました。今朝(28日)の5時前だったそうです。これから顔を見に行ってそのまま出勤します。冥福を祈った下さい。葬儀の詳しい場所、時間等はわかり次第連絡します。 0610i    ー伊藤ー
*********************************

残念・無念です。 (あんちゅうは仕事なので、メール送信等は、夜になる事をお断りしておきます。)



2002年5月28日(火)0614 17期 伊藤隆より
件名 : 残念な知らせ
この時間にメールを打つ、ということでみんな察すると思いますが、高杉が亡くなりました。今朝(28日)の5時前だったそうです。これから顔を見に行ってそのまま出勤します。冥福を祈った下さい。葬儀の詳しい場所、時間等はわかり次第連絡します。  0610i    ー伊藤ー



2002年5月27日(月) 17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 伊藤 高杉情報 10
高杉!がんばれ!みんなが応援しているぞ、呉上田
あんちゅうの返信メール 17Th Home 高杉応援コーナーに掲載しました。・・・ 祈るばかりです。 ・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月27日(月) 17期 吉田喜和 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 高杉がんばれ
吉田です。17期の皆、久しぶりです。今、私は、館山の123航空隊にいます。皆も知っているとおり、今インド洋に派遣されている護衛艦はるなに搭乗しているヘリ部隊は123空です。高杉の件は、後輩の森川から聞いて信じられないことでした。さっき、森川から電話をもらってメールしています。 佐世保の皆我々の分までそばにいて応援してやってくれ。お願いします。



2002年5月27日(月) 17期 浦田文男 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 高杉さん応援メッセージ
初めまして、息子の浦田研と申します。高杉さんの早期回復を心から願っております。父よりメッセージを預かりましたので代筆させて頂きます。 「江田島の地より高杉の回復を心から祈り、信じております。」
あんちゅうの返信投稿 17Th Home 掲示板投稿 ありがとうございます。研くんとお父さんの気持は佐世保の同期が高杉に伝えます。江田島のお父さんに宜しくお伝えください。 研くん、ありがとう。   ・・・高杉応援コーナーに掲載しました。・・・



2002年5月27日(月) 24期 平 まりおより
件名 : Fw: RE:Fw: 伊藤高杉情報10
あんちゅう先輩 24期 平 まりお今 きました 同期からのメール転送します。 (小原 凡司 24期ET 現役)
小原です。 ずっと高杉さんの状況を流してくれてありがとう。 高杉さんへの励ましの言葉、なんと言ってよいのかわからないけど、一日も早い回復を祈っていること、平の方から送れるんだろうか? もし送れるんだったら、教え子の24期の一人として毎日回復を祈っていることを伝えてください。手数をかけます。 本当に一日も早く元気になってほしいと祈るばかりです。
あんちゅうの返信メール ありがとう。アドレスが載っていたが突然出すのも悪いと思いメールしなかった。平君のほうからくれぐれもよろしくとお伝えください。(高杉応援コーナーに掲載しました。)・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月27日(月) 24期 平 まりおより
件名 : Re: 伊藤 高杉情報 10
あんちゅう先輩 伊藤先輩がおっしゃるように全国から高杉班長を励まします。祈ります。昨日届いた、岡山で弁当屋をやっている同期の奥さんからのFAX紹介します。24期 平 まりお
近況:10:00〜24:00 入店しています。帰宅は24:30〜01:00です。FAX内容は私が伝えています。時間がある時は見ているようです。365日休みなしです。『同じ釜の飯を食った仲間』の連帯感、フットワークのすごさにただただ驚きながら拝見しています。
平 まりお様 いつもFAXありがとうございます。川崎一成様 いつもお見舞い ありがとうございます。元看護婦として、だいたいの状況がわかる為、心配しております。十数年前、小児科 ICUに勤務していた際、人工呼吸器をつけていた子供さんが驚くべき回復を複数回見ました。今は当時より医学がめまぐるしく発展しています。皆さんが おっしゃている様に 気力 だと思います。高杉班長 気力で乗り切って下さい。 今一番大変なのは、奥様だと思います。親しい方、奥様の支えとなってあげて下さい。(尿は出るようになりましたか?)何の面識もない者ですが、主人に変わりFAXさせて頂きます。向井
あんちゅうの返信メール ありがとう。ありがとう。向井生徒の奥様にくれぐれもよろしく伝えてください。(高杉応援コーナーに掲載しました。) ・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月27日(月) 14期生 谷川先輩より
件名 : Re:伊藤 高杉情報 9
安中いるか?俺だ!高杉に会ってきた。様子は17期からあると思うから・・・。ダメなんだよ、俺ああいうの。病院に着いたら、ちょうど帰ろうとしていた伊藤と山崎がまた、上まで付き合ってくれた、ありがたい。 高杉はきっと良くなる!きっと!そう信じる! それはそうと、俺が病院に着いた時、そこに制服姿のガードマン様が巡回しておられた。なっなんと「気を付け!」それは佐通で定年になられた第1期生の○○さんではないか。「休め」 勿論、私は直ちにご挨拶しました。17期の諸君は知らないんだろうな。 国の始まりは大和の国、泥棒の始まりが石川の五エ門、生徒の始まりは何期生だ!
あんちゅうの返信メール はい! 1期生です。17期の館山 吉田善和より掲示板に書き込みがありそれを転送してからまた送ります。・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月27日(月) 17期 安中より
件名 : 伊藤 高杉情報 10
佐世保 伊藤より高杉の情報が入ったのでそのまま送信する。



2002年5月27日(月) 17期 伊藤隆より
件名 : 高杉情報
今、病院から帰った。結果から言うと非常にまずい状況だ。 血圧が80−40で、今朝から尿がほとんど出ていない。今日の夕方が一番悪かったそうだけど、ほとんどそのままの状態を保っている。宮埼からの情報で、俺、山崎、窪田それから14期生の谷川さんも駆けつけていた。帰り際に、江頭も来ていた。 家族みんなが努めて明るく振る舞う姿が、このひと月の試練を想像させるようで、胸にぐっとくるものがある。 とにかくここまでひと月も頑張ったんだから、何とか今の状況を乗り越えて欲しいと思う。 もう一度全国から、高杉を励ましてやってください。 2217 i   ー伊藤ー



2002年5月27日(月) 24期 平まりおより
件名 : あんちゅう先輩・・・・24期 平 まりお です。昨日 情報入らなかったので、安心していたのですが・・・・myss24にはすぐに転送しました。通信 十時班長のメール転送します。みな同じ気持ちです。状況が静かだったので安心してたのに非常時態とは〓周りが一喜一憂してはいかんのだろうが、ウーッ〓持ち直してくれー、頼む〓(会社にて)



2002年5月27日(月) 17期 安中より
件名 : 高杉情報 9 の 時刻
宮崎に電話で確認したところ高杉情報 9 の時刻は19:44です。 以上 ・・・・・ あんちゅう・・・・・



2002年5月27日(月) 17期 安中より
件名 : 伊藤 高杉情報 9
佐世保、伊藤隆より高杉の情報が入ったのでそのまま送信する。



2002年5月27日(月) 17期 伊藤隆より
件名 : 高杉非常事態。
今、宮埼からの電話で高杉が危ないらしい。医者が、「いつでも面会してください」、と言っているそうで奥さんも病室から降りてきてるらしい。みんなに連絡を取ってこれから行って来る。  2040i    ー伊藤ー



2002年5月26日(日) 17期 遠藤 章より
件名 : RE: 確認メール
わざわざ連絡をいただきありがとう。メール及び17th Homeページはすべて見ています。特に高杉の件は、同期及び関係者の皆様からの連絡を注意深く見させてもらっています。気持ちでいつも応援メッセージを送っています・・・・・が。この場を借りて安中にお願いする。次の文を 17th Home に投稿してください。「高杉頑張れ!絶対回復するぞ!そして約束だ、35周年には必ず笑顔をみせてくれ。」ところで、ホームページ開設では本当にご苦労さま、感謝しています。だいぶ前になるが上田三左夫からもメールをもらい同様のお叱りを受けたが、つい何もしないまま今日になってしまった。これからも大変だろうが、17th Homeは宜しくお願いする。
あんちゅうの返信メール 返信遅くなりました。高杉情報 9 を先に送信しましたが、心配です。どうする事も出来ないのは、同じ事。 ただただ祈るのみ。文面を17Th Home高杉応援メールに掲載しました。 ・・・・・ あんちゅう ・・・・・


2002年5月26日(日) 17期 丸岡 剛より
件名 : 確認メールへの返事
お久しぶりです。オトも・サタもなくごめんね。m(_ _)m 今、東京へ転勤で来ています。なかなか不況であり、産業構造上でも厳しい状況です。 九州の田舎者が花のお江戸で人生のひと勝負中です。 それぞれ同期の皆もそろそろ五十路を迎えようとしている今、感慨深いものがありますね。 ますますの健勝・健康を祈念してサタとします。      丸岡 剛
あんちゅうの返信メール 26日にメールを受けてからかなりたってしまいました。申し訳ありません。前に電話した時は福岡といってたようですがだいぶ上にあがってきましたね。上に上がるといえば・・・ その話はやめましょう。お互い様。っあ、失礼、あんちゅうだけのことでした。ところで、メール送信のアドレスは、こちらのアドレスでいいのですね? > 九州の田舎者が花のお江戸で人生のひと勝負中です。 っま、がんばりもほどほどに行きましょうや。



2002年5月25日(土) 17期 木村文保より
件名 : ごぶさたしています
連絡が遅くなってすみません。17期のホームページは開設当初から拝見しております。懐かしい情報満載で30年以上前が思い出されます。高杉君の事故に接して驚いています。皆様からの情報ににより、いくらか状況はわかり病状にたいして一喜一憂しております。大阪在住のため見舞いにも行けないのが残念ですが、頑張ってもらい再会を楽しみにしております。今日はこれから大阪ー長崎のフライトですので、せめて長崎上空から佐世保を見ながら高杉君の早期快復を念じようと思っています。頑張ってください。今日は江田島もきれいに見えそうです。ぜひ江田島で再会をniftyで送信できなくなってしまったのでメールアドレスを以下に変更お願いいたします。****@**** 木村文保
あんちゅうの返信メール 遅くなりました。高杉情報 9 を先に送信しましたが、心配です。どうする事も出来ないのは、同じ事。 ただただ 祈るのみ。文面を17Th Home高杉応援メールに掲載しました。 ・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月25日(土) 17期 川口克司より
件名 : Re:確認メール
返信が遅くなり申し訳なく思っております。いつも気にとめ読んて゛います。突然のことで驚きを隠せません。現段階では高杉の早期回復を祈ることしかできなく腹立たしさを感じます。同じ佐監内にいて、何も手助け出来なく残念です。メ−ル送信大変でしょうがよろしくおねがいします。
あんちゅうの返信メール 遅くなりました。高杉情報 9 を先に送信しましたが、心配です。どうする事も出来ないのは、同じ事。 ただただ 祈るのみ。文面を17Th Home高杉応援メールに掲載しました。 ・・・・・ あんちゅう ・・・・・



2002年5月24日(金) 17期 安中より江田へ
件名 : 現住所
いつも高杉情報ありがとう。ところで、現住所を教えて欲しい。 ゆびとま葉書が転居先不明でかえってきている。郵便番号も忘れずにね。
江田の返信メール さっきの「高杉の近況」を送った後で、タイトルのとこに入れてた時間が間違っていることに気づいた。正解は「1930」でした。 さて、私の住所ですが 〒***−**** 長崎県佐世保市**町***−****自宅:****−**−****フネ:****−**−****(海上自衛隊佐世保地方総監部)内線****(****士官室) 因みに、家族は妻:ひとみ 結婚以来専業主婦で今は子供たちの学校でPTAの役員を引き受けて忙しくやってる。長男:健(たけし) 今年工業高校を卒業し、小倉にある自動車整備専門学校に入った、親元を離れて大変だろうと思ったら、一人暮らしは意外と楽とのたまっている。次男:工業高校の土木科2年、勉強よりもブラスバンドのために学校に行ってるようなもの??先日友人から「エアーガン」を借りてきた、私がもうすぐ小火器射撃が控えているので貸してもらって練習している、、、、長女:かおり、小6、合唱団に入って頑張っています。 先日はプロと共演してこちらのテレビで放送されました。実はこの時私もコメントを聞かれて放送されました。 次女:はるか、小4、同じく合唱団で頑張っていますが、性格的にはだいぶ違うようです。家は、弓張岳の中腹にあるマンションで、窓からの見晴らしが良好です。 そのうち、うちから見た佐世保の夜景を送ります。 江田 俊弘



2002年5月24日(金) 17期 安中よりオトもサタもない同期へ
件名 : 確認メール
*****様 メールは読んでもらってるでしょうか? オトもサタもないので。 そのまま返信か、何か一言を。 17期ホームページ ”17Th Home” 管理人 安中均



2002年5月24日(金) 24期 平まりおより
件名 : Re: 伊藤 高杉情報 8
あんちゅう先輩 高杉班長情報ありがとうございます。先日 日曜日の状況には驚きましたが、安定しているようですね。早期回復 とは言いません、ゆっくりでいいので、着実によくなってほしいです。江田さん、伊藤さん 情報を寄せてくれる17期先輩方にもよろしく言ってください。myss24参加者(24期55名、十時班長)には、もう転送しました。FAX保持者には明日 朝 送信します。



2002年5月24日(金) 17期 安中より
件名 : 斎藤賢一 アドレス公開
斎藤賢一のアドレス公開の了解を得たので 送信します。 多くのコミュニケーションが生まれますように。 斎藤賢一 ***@****



2002年5月24日(金) 17期 安中より
件名 : 伊藤 高杉情報8
佐世保、伊藤隆より 高杉の情報が入ったのでそのまま送信します。



2002年5月24日(金) 17期 伊藤 隆より
件名 : 高杉情報 7
19:00頃見舞いに行ってきました。江田も一緒だったから情報が重複するかも・・・。状況は変わらないらしいけど、俺が見た感じでは少し良くなっているようだった。みんなからのメールを読んで聞かせたら、薄目をあけてなにか言いたそうに見えた。呼びかけると何度か目を開けたから、麻酔が覚めかけていて少し意識があったのかな。今日は奥さんやお姉さんも表情が明るくて、こちらも少しほっとした。これからも、一喜一憂しながら進んでいくと思うが、周囲が励ましながら回復を待とうと思う。連絡がない時は、状況が変わってないと思ってください。久々に気持ちのいい夕日でした。  ー伊藤ー



2002年5月24日(金) 17期 安中より
件名 : 江田 高杉情報7
佐世保、江田より高杉の情報が入ったのでそのまま送信します。



2002年5月24日(金) 17期 江田俊弘より
件名 : 高杉の近況0524_1730
本日は、休みが取れたので午後2時頃見舞いに行き、1900からの面会時間にはICUには入れるとのことでしたので1900から出直してきました。さて、私は初めてICUに入りましたので以前との比較はできませんが、もともと太り気味であったところに、点滴等による水分補給で全身が膨らんでいますが、それでも一緒に入ったお姉さんによると「足にしわが見えるようになってきたのでだいぶ水が抜けてきてる。」とのことでした。血圧は100〜40、脈拍は70前後でした、肺の水分は最も悪かった時期から少しは抜けたものの大きな変化はないのだそうです、そのほかの機能はほぼ正常だそうです。ただし、今日は排尿が少くなかったので利尿剤を使用したとのことでした。現在は人工呼吸器をつけています、麻酔は使用していないが痛み止めを使っているとのことでしたが、まだ麻酔からさめていないのか意識はありませんでした。それでも「高杉!」と声をかけたところ目が開きましたので、「17期の皆や、先輩、後輩たち特に教え子の24期が応援してるから頑張れ!」と声を掛けてきました。うなずいたような気がしたのは私の欲目でしょうか?家族の皆さんによれば、先生は、「良くなった。」とは言わないそうですが、先週の日曜に比べれば明らかに良いそうです、しかしながら「今次の手術をすることは危険」と言ってるそうですので、このまま徐々に回復し次の手術ができるのを気長に待つほかはないようです。奥さんにも久しぶりに会いましたが、両太ももの皮膚を提供後のため車椅子に乗ったままでしたが、顔色もよく元気にしておりました。奥さんは予定のとおり後一週間で退院できるそうです。皆さんから寄せられた応援メールを耳元で読んで聞かせたとのことでした。引き続き応援をよろしくお願いします。追伸私は、6月3日出港し10日過ぎに一旦、帰港しますがすぐに6月半ばから8月上旬まで長期訓練航海に出ますので、しばらく状況報告ができなくなります。佐世保17期で状況を伝えて行きます。行動中は、沖縄、函館、舞鶴、呉に寄港する予定です。最寄の人はメールを下さい。・・・・江田 俊弘



2002年5月24日(金) 17期 西郡尚生より
件名 : 返: CD送ります。
忙しいなか申し訳ありませんでした。   西郡尚生



2002年5月24日(金) 江田島仙人より
件名 : Re: ゆびとま葉書送付中
ゆびとま葉書を23日に拝受しました。ありがとう。高杉君の回復を諸兄と共に祈ります。 仙人



2002年5月24日(金) 17期 斎藤賢一より
件名 : こんばんは。
すまん。遅くなった。送ってるアドレスは息子のアドレスなので****@**** の方に送ってくれた方が助かる。職場でも見ることができるし。ホームページの管理大変だと思うけど、がんばって続けてくれな 楽しみにしてるから。
あんちゅうの返信メール どうやら”張り込み”から開放されたようでようやく連絡がついてよかった。アドレスの件、了解しましたので、サッソク、同期に配信します。
17Th Homeは昨年の9月2日、誕生しました。17期徒然草に今までのやりとりをすべてに近い、ほとんどを掲載してあります。秘密の事項はこれも、ほとんどありません。暇な時に読んでください。
江田島仙人とは、世を偲ぶ仮の姿、1術校長の平井良彦海将補です。我期の分隊長でもありましたが、縁あっていつも楽しいそしてなつかしいメールを送ってくれます。17Th Homeの愛読者のほとんが仙人のメールを楽しみにしているようです。あんちゅうとしましては、仙人を17期のごとく思っていて、アドレスの公開はもちろんの事、ゆびとま葉書まで同じ物を送信しています。 ・・・・・「フムフム」と仙人は言っています。あんちゅうが現役でないから出来る事とは思いますが。・・・仙人に感謝しております。
14期生は、17期にとっては 「神様」。2001年11月26日に14期生ホームページの掲示板に書込みさせて頂いて以来、「神様」に御使しています。これからも「神様」のご加護の元、17Th Homeは生きていきます。
高杉は、24期の班長でした。このたびの入院の件においては、すばやく17Th Homeにメールを寄せてくれました。彼らの言葉にあらためて、心を揺さぶられました。まさに、生徒のつながりを感じさせてくれました。・・後輩に感謝です。同時期、番上と窪田も一緒だったようです。
ざっとそんなところです。又のメールを待っています。 追伸 基本的にあんちゅうに来たメールはすべて17期徒然草に掲載します。掲載して欲しくないメールや文面にはそれなりの言葉を入れてください。



2002年5月23日(木) 17期 安中より 17期 西郡へ
件名 : CD送ります。
5月10日の依頼 以来 すでに2週間となろうとしています。高杉の件などあり遅れに遅れてしまいモウシワケアリマセン。あす、送りますので楽しみに。出来がいいかどうかはわかりませんが・・・。



2002年5月23日(木) 17期 安中より
件名 : 前畑啓二 アドレス公開のご案内
17期諸兄、高杉の状態も心配ですが、この度 前畑啓二生徒がゆびとま葉書を見て17Th Homeに投稿してきました。本人了解の上、アドレスを公開しますので多くのメールを送りつけてください。前畑啓二 ****@**** なお、斎藤賢一も公開の確認メールを送信していますが、返事がアリマセン。 ・・・・どうも張り込み中の様子です。



2002年5月23日(木) 17期 前畑啓二より
件名 : OKです。
 なんせメールのやりとりも、初めてなので苦労しています。忘れていた名前も沢山でてくるので懐かしく思っています。安中ご苦労様



2002年5月23日(木) 24期 平まりおより
件名 : 高杉班長
あんちゅう先輩 わたしも、同じ内容のメールを24期に送信しました。 いい方に解釈しましょう。 myss24に参加していない同期からケイタイメールとFAXがきました。
・24期生ET 杉原幸治    高杉班長の早期ご回復をお祈りします。
・24期生ET 山岡恵之助    頑張れ 高杉班長!1日も早い回復を心より願っています。
印字に慣れてしまっていると、手書きの文字は心がこもっていて暖かみがありますね。高杉班長のもとへは佐世保の同期に届けてもらいますが、あんちゅう先輩に送付します。Wordで添付。
あんちゅうの返信メール ありがとう!!皆によろしくお伝えください。



2002年5月23日(木) 17期 安中より
件名 : なし
高杉情報が入ってきません。連絡がないのは皆様の願いが通じているものと考えます。高杉の全細胞が応援メールの声を聞き、やっとその気になったのでしょう。あせらず、見守りましょう。 ・・・「気」を高杉に送りましょう。



2002年5月23日(木) 17期 前畑啓二より
件名 : 始めての投稿
始めて投稿します。高杉のヤケドの件は、ハガキで知りました。事故の

17Th Home 徒然草 2002年4月


2002年4月30日(火) 野田達也より
件名 : Re: 高杉第2報
メール読みました。頑張れ高杉・・・!!! 野田



2002年4月30日(火) 江田俊弘 17Th Home掲示板より 21時58分27秒
件名 : 高杉の要態4.30 1930
高杉の4月30日1930時の状況を知らせます。相変わらずICUにて麻酔による睡眠下にありますが、自然に排尿されるようになり、先生からは良くなりつつあるとのことですが今後は感染症の心配があるとの所見を得ています。 家族の皆さんによれば(ICUは家族以外立ち入り禁止で私は直接見れません。)先日までは普段90Kg+の体重が点滴等によって150Kg程まで増加していたものが、自然排尿できるようになった効果でしょうか若干ながら減少(家族の見た目)しているそうです。 肺に水が入っているそうですが徐々に出ているそうです。 完全復帰できるまでの日数等はまだ不明ですが家族の皆さんにも明るい兆しが見えてきたところです。
 一日も早い高杉の回復を祈って下さい。 江田



2002年4月30日(火) アンチュウ 17Th Home掲示板より 22時31分38秒
件名 : 浦田生徒へ
久しぶりです。元気な様子はいろいろな人からのメールで聞いています。相変わらず襟を立てているとか、今日も居眠りせずに頑張ってねとか、勝手なことを申しております。(誰が言ったとかは申し上げられません。ハイ。)高杉の状態は第2報までしか把握していません。分かり次第掲載したいと思います。



2002年4月29日(月) 浦田文男 17Th Home掲示板より 20時45分45秒
件名 : 現在の状況
現在休暇中につき、八戸に帰省中、江田島では27年ぶりの厳しい汗をかいています。 17期のホームページを時折息子のメールで見ています。高杉の状況を分かり次第教えてください



2002年4月29日(月) 隊甲板 17Th Home掲示板より 19時00分56秒
件名 : アンチュウ先輩へ
早速の返信有難う御座います。各期のHPをあのスレで紹介したのは私ではありません(笑)「海生徒スレ」の常連、生徒出身薬科大氏です。2◎期(後半)さんを中心に、殺伐とした雰囲気のあのスレで、匿名の良さを活かした議論がなされております。高杉先輩のご回復を心より祈っております。尚、生徒各期のHPは存じませんが、24期、28期がヤフーでMLを開設しているとのことです。



2002年4月29日(月) 隊甲板 17Th Home掲示板より 12時30分55秒
件名 : 2ちゃんねる海自生徒総合スレッドについて
個人運営の悪名高い「2ちゃんねる自衛隊板」にも「海自生徒総合スレッドパート2」があります。殺伐とした投稿の多い中、生徒のスレッドだけは生徒魂を残しております。是非ご視察下さい。11期から4●期まで、匿名で好き放題言っております。http://natto.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1015132386
アンチュウの返信投稿 「2ちゃんねる海自生徒総合スレッドパート2」のご紹介 ありがとうございます。パート1の頃よりたまにチェックしておりまして、当17Th Homeも何回か紹介いただき大変ありがとうございます。・・・残念ながら今まで投稿したことがありません。匿名ということでもあり、「2ちゃんねる」特有の雰囲気がありましてそれはそれでおもしろいし結構なことだと思いますし、生徒の結束や、つながりや、絆や、理解を深めるために投稿各自の言葉で表現がなされ、すばらしと感じております。おっしゃるように生徒のスレッドは他に比べるとまだましなように思いますが、いずれにしろ 「2ちゃんねる」の "よさ" を生徒スレッドも持っているようです。この歳になりますと耐えられないのがありまして、いたるところに出てくるいわば「汚い言葉」の羅列です。インターネット上での表現は「言葉あそび」あるいは「文章あそび」と考えているアンチュウはいかにそこで表現を通して遊ぶかが最大の楽しみであり、それが相手に伝わったときの喜びであります。勿論、「2ちゃんねる」の中にもフムフムと感じ入る言葉もありですが、せっかくの言葉が次の方によって台無しになってしまっているところは、残念至極です。でもそれが、「2ちゃんねる」であり「2ちゃんねる」のおもしろいところなんでしょう。極最近、妙に感じ入ったのが14期生掲示板上の372 発言者 尾形先輩の書込みです。どんな方かは存じ上げませんが、あの文章を打っているときの尾形先輩の気持を思うとき、アンチュウの心と魂は揺さぶられます。「海自生徒総合スレッドパート2」は、あくまで「2ちゃんねる」らしくパート3・4と発展されんことを。
ところで、14期生・17期・22期のほかにHPを公開している期をご存知ありません?



2002年4月28日(日) アンチュウより竹下へ
件名 : 14期生関先輩からの問い合わせ
お久しぶり。17Th Homeの掲示板に14期生ホームページを管理している関先輩からの書き込みがありました。「メール運びの先任海曹」の作成方法を教えてほしいとの事。竹下のアドレスを教えましたのでメールがあるかもしれません。一度、17Th Home掲示板をご覧下さい。
竹下からの返信メール 竹下了解しました。メールがきたら作成方法についてメールします。それより、高杉の件については、驚きました。第2報で、命に別状がないことを知り、少しほっとしましたが、彼の明るい性格を考えると、これからのことも心配です。佐世保の同期も大変でしょうが、何とか力を合わせて乗り切ってほしいと思っています。もし、我々に出来ることがあったら、また連絡してください。お、事態を知らせてくれた安中にも感謝しています。



2002年4月28日(日) 14期生 関先輩 17Th Home掲示板より 21時51分47秒
件名 : 教えてほしい
専任海曹が敬礼する図柄の作成を教えて下さい あれが出来ると カウントUPに有利と思います若い者に負けないように田舎でがんばっている先輩を 助けると思って 教えて下さい
アンチュウの返信投稿 メール運びの先任海曹のお問い合わせかと思います。彼は、アンチュウが作成したわけではなく同期の竹下和哉が作成し17Th Homeに転勤させられてきました。(単身赴任です。)従いまして、彼の作成方法をアンチュウは分からないんです。竹下にお聞きになったほうがいいと思います。アンチュウからも竹下に先輩の投稿があった事をを知らせます。喜びますよきっと。尚,彼でよろしければ竹下の了解の下、14期生ホームページにももう一人を常駐させるのは17Th Homeとしてはいっこうにかまいません。むしろ海自生徒のメール運びとしておおいに使っていただいたほうがいいと17Th Homeは思っています。竹下のアドレスはメールで送ります。
アンチュウの送信メール お問い合わせの件で、作成者の竹下和哉のアドレスをお知らせいたします。****@****です。竹下にも掲示板を見るようメールしてあります。よろしくお願いいたします。
関先輩の送信メール ご配慮ありがとうございました せきようぞう


2002年4月28日(日) 佐世保伊藤隆より高杉の第2報
件名 : 高杉の状況
今日の高杉の状況を知らせます。24時間の山は無事通過したようで眠り続けている。今日は血圧も120くらいまで戻って安定しているようだ。この情報は、先ほど臼井から聞いたもので佐世保の関係者は連絡済み。後は感染症にかからないことを祈ろう。 ー伊藤ー
アンチュウの返信メール 了解した。同期にはその旨、メールで送信する。


2002年4月27日(土) 佐世保 伊藤隆より緊急メール
件名 : 事件だ!
高杉が大変なことになった。 昨日の夜(26日深夜)、高杉が大やけどを負ってしまって、緊急入院して危険な状態だ。体の70%を、2度の重傷で今夜が第一の山だそうで、それを乗り越えても次は一週間後あたりまでが第2の山で、その間に感染症にかからなければ大丈夫だろうという話です。 本人は意識があったけど、痛みで暴れて傷にさわるから薬で眠らせていて、傷が治るまではこのままでいくそうです。一時は、危ないので親兄弟を呼ぶようにということで、兄弟の人たちも病院に来ました。容態に変化があったら、連絡が来るのでそのときはまた連絡します。    ー伊藤ー
アンチュウの返信メール とりあえず、17Th Homeに掲載した。同期にはメールをそのまま送信する。 以上



2002年4月26日(金) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り015−02
1 仙人部落の修験者、生徒等の霊峰弥山駆け登りが、4月24日霧がくすぶる中、行われました。生徒学年対抗成績は次のとおりでした。団体 優勝47期(2年生)水測、2位46期(3年生)通信、3位46期水測。4年生は、ブービーとアンカーでした。仙人部落の主として、秘伝の栄養をよく採り、貫禄がついてきたからでしょう。個人 優勝、2位とも45期(4年生)、3位46期でした。3位までは、海士課程の1位よりタイムが上でした。流石、生徒、そして、4年生!天晴れ!仙人部落の主。写真は、ミス宮島から記念の”しゃもじ”を貰っているスナップです。川浪2世 (右端)は、代表してミスに記念のスコードロンハットをプレゼント。残念ながら チュッはありませんでした。
2 4月26日夕刻からリフレッシュウィーク(連休)に入りました。皆、巷の誘惑に負けず、休みが終わったら、部落に帰って来てね!
3 富吉君が、5月上旬新型のミサイル艇3号の艤装員長(艇長)に転出します。仙人部落の教官として成果を挙げた?から、娑婆に叩き出します。武運長久を祈ります。
娑婆に縁がない仙人より
アンチュウの返信メール 江田島仙人便り 015−02 ありがとうございます。17Th Homeへの掲載、遅くなりましたことお詫び申し上げます。さて、弥山登山競技ですか。アンチュウの頃は寒い頃にあったような記憶があるんですが・・・。ともかくキツかったことだけは身体が覚えています。写真を拝見すると当時と服装も違い、ミス宮島からのナンタラなんてのはありませんでした。もし当時もミス宮島からのチュッがあればアンチュウは脱兎のごとく駆け上りダントツの一等賞を取ったでしょう。・・・・飢えていたのでしょうか。



2002年4月26日(金) 佐世保 江田より
件名 : 佐世保から
アンチュウ 今日、アフガニスタン関連で派遣されていた護衛艦「さわぎり」が無事佐世保に帰港しました。「さわぎり」には臼井が乗っています。 まだ顔を見ていませんが元気に帰ってきてくれたことと思います。 さて、新年度には護衛艦隊の集合が佐世保で行われ、その際に電灯艦飾を実施していました、私の乗っているちょうかいは長崎の某造船所に入っていましたのでフネとしては参加しませんでしたが、会報に参加のため佐世保に帰った機会に写真を撮ってきましたので送ります。 フネは、左から「あさかぜ」、「みょうこう」と「きり型」です。 風もなく波静かでしたので電灯が海面に映りこんでいました。 気に入った一枚です。 長男が高校を卒業し小倉にある専門学校に行くため家を出て行きました、家でささやかに送別会をして送り出したのですが 一人居なくなったことで家の空気も微妙に違ってきています、 一抹の寂しさを感じると同時に、これも子供が成長したということかと喜んでいます、、、とはいえこれから2年間、学費、下宿代、食費を仕送りし続けることになります。 では、これからも元気で17th HPをよろしく! 江田 俊弘
アンチュウの返信メール 17Th Homeへの掲載、遅くなって申し訳ありません。ところで、伊藤隆より第1報がはいったけど高杉の様子はいかがでしょうか。 すばらしい写真、ありがとう。今まではHPの容量がなく掲載も躊躇せざるを得なかったのですが先日もお知らせの通り、今度は十分に余裕がありますのでドシドシ送ってください。 江田より送ってもらった勝山総監の送別会のCDも”17Th Home”で紹介して(掲載)いろんな人から見てもらえるようにしました。 子供が出て行きましたか。さみしいですね。自分も遠い昔、そうしたわけだからこれも致し方ないよね。我々は仕送りはしてもらわなかったけどね。でもこれも親の努め。せっせと送りましょう。 アンチュウは今年、一人終わりました。もっとも,子供二人は家から通っていましたけども それなりに大変でした。あと一人もう2年間 頑張ります。 さわぎりの臼井に会ったら17Th Homeのことよろしく伝えてください。彼のドバイからの葉書も17Th Homeに掲載されてますので。 では。



重永に送られたメールの数々を掲載いたします。
2002年4月25日(木) 氏野より重永へ
件名 : ほんとに久しぶり
氏野です。最近忙しくて、17thHPを更新していなかった。17thHPへは、立ち上げから随分と協力してきたんだけど。その中で君の辛かった時期のことが書いてあって、たいへんビックリした。でも、写真で見ても昔の面影は十分に残っているし、元気そうなので安心した。君とは、確か51年頃東京であったきりだと記憶しているが、その後自衛隊を止めたのやら音信不通になっていた。 伊藤隆からのメールでもあるようにそちらにはたくさんの同期(航空士)がいるので、なるべく会える機会を作るように希望します。オレの方は、先月末に陸上勤務(舞鶴海上訓練指導隊)となり、長年の艦船勤務とおさらばしたが、実はまだ艦には乗艦している。というのは、FTGなので各艦船に指導という形で乗り組んでいく。先週からも「のと」という小さな揚陸艦に指導に行ってる。明日からも出港する。娘二人とは大変だね。アンチュウも書いてたように、まさに君の娘だね。後1年学校があるということだが、まさにこれからの職には重要だと思うのでしっかり勉強して頑張ってね。そうそう、住所は舞鶴です。〒***−**** 京都府舞鶴市大波下****** 電話:****−**−****  携帯:090−****−**** 携帯アドレス:090****@**** これを機に何かあったらメール下さい。17thHPを通じて、ますます広がる輪に感謝。ということで、元気でネ!  失礼(^_^)/~    氏野良則
2002年4月25日(木) 重永より氏野へ
件名: ありがとう!
メールありがとう!氏野とは東通で会ったきりだよね。 電話の声も生徒の頃と変わってないよね。今俺も学校のレポートに毎日追われてます。まったく46にもなってから学校で勉強なんかするとは思わなかったよ(笑)もしこちらに来る機会があればぜひ連絡ください。 また、たまには電話ください!それでは(−_−)z z z 〒***−**** 住所・・・神奈川県大和市林間*−**−** ヤ****** 3*3 電話番号・・・***−***−**** 携帯・・・090−****−**** (^_^)v重永幸敏
2002年4月25日(木) 重永より伊藤隆へ
件名 : 久しぶり!
(^_^)v重永幸敏 今晩は返事遅れてごめんなさい。隆の元気な声を聞いて俺も安心したよ。 今、学校のレポートが忙しいんだよ。46にもなって勉強するとは思わなかったよ(笑) ここだけの話だけどかわいい女の子が2人美人系が2人学校にはいってきたんだよ。俺は年とっても女は大好きだね(笑) そういえば隆も女の子は好きだったよなぁ?もちろん山崎もね(笑) とにかく障害に負けないように頑張るよ! また、メール書くよ!!!(−_−)z z z (^_^)v重永幸敏



2002年4月25日(木) 重永より
件名 : 元気?
返事遅れてごめんなさい。この前氏野からメールきてうれしかったよ。これも安中のおかげで感謝してます。それから山崎と氏野のところに電話したけど声は生徒のときとそのままだね。30年前と全然変わってないよ。俺もみんなとメール、電話などできて本当にうれしいです。これからも今の障害に負けないように頑張るよ!!! また、メール書きます。(−_−)z z z (^_^)v重永幸敏
アンチュウの返信メール 26・27日と二日間メールを見るのがやっとで17Th Homeの更新が出来ずもうしわけない。ゴメン。27日は、佐世保高杉の件で伊藤よりメールがあり、とりあえずそれだけは、掲載しました。高杉の状態は第1報だけなので現在(28日1556)よくわかっていません。たいしたことなければと祈っているのですが・・・。



2002年4月25日(木) 江田島仙人よりアンチュウに届いた物
拝啓 御地は、山菜収穫の時が待たれる昨今でしょう。貴兄の元気な様子は、HP上で感じられます。それにしても、多忙な中、投稿メールを見て、編集するという膨大な作業は大変な負担になっていることと拝察しております。心から御礼申し上げます。奥様にも宜しく。気持ばかりの江田島の香りを届けます。ご笑納ください。他に希望の品があったら、連絡ください。 敬具 平成14年4月23日 江田島仙人こと平井良彦 安中 均様
”江田島の香り” と 文面

アンチュウの御礼メール 仙人、この度はたいへんありがとうございます。そして、恐縮しております。この ”17Th Home” は 私がつらいときに誕生いたしました。私がいの一番に ”17Th Home” に 投稿メールを下さる仙人始め、諸先輩そして同期にヤルキと力をいただいていると、大変感謝するとともに御礼を申し上げなければなりません。 ですから、17Th Homeの編集作業などまったく、大変と思ったこともありませんし、少しでも多くの同期がこれを見てくれて私と同じように感じてくれたらそれで大満足です。 これからも ”江田島仙人便り” よろしくお願いいたします。 さらに、「他に希望の品があったら、連絡ください。」との事、ありがたく承っておきます。いずれよろしくお願いいたします。 さらに、文面に生徒ラグビー部の写真を添えていただいたこと、仙人の心遣いに、女房共々おおいに感激いたしました。 平成14年4月25日 アンチュウこと安中均 平井良彦様



2002年4月24日(水) アンチュウより今田俊介へ
件名 : メール送った?
久しぶり。 ところで メール送った? なにやら アヤシイ添付ファイルのついたメールがきています。 本文はナシ。 いきさつをお願いします。
今田俊介の返信メール あんちゅう 今日は岡山で朝を迎えています お久しぶり いつもHP見ているよ 本とにご苦労さまです ところで小生からのメール きっとウイルスメールだと思うから即削除して下さい どうしてかな? この1週間ぐらい会社のPCは開いてもいないから僕のPCから出たわけではないと思う 自然増殖してしかも送信人の名前をどんどん変えていく最近一番多いタイプだね ご迷惑をお掛けしました 元気で17期のためますます頑張って下さい しゅん ps 小生の登録アドレスを変更して置いてもらえますか? ****@**** でおねがいします



2002年4月23日(火) 新潟地連加茂募集事務所より
件名 : 第1術科学校長より電話がありました。
 4/23日 平井学校長より募集事務所へ安中さんからメールをいただいた旨、 電話をいただきましたのでご一報いたしました。   自衛隊加茂募集事務所
アンチュウの返信メール いつもお世話になっております。このたびは、お気遣いいただき、ありがとうございます。どんな内容の電話かは知る由もありませんが、たぶん、私が開いているホームページに加茂募集事務所から海上自衛隊新聞を届けてもらっている事を掲載したのでたぶん、その事かと推察されます。 海自出身者としてはあの新聞はとても楽しみにしています。 ”17Th Home”というHPを開設していることもあって同期や関係者の情報を得るのには大変、役だっております。今後ともよろしくお願いいたします。 ところで、先日届けていただいた5月26日の募集相談員連絡会議と山菜狩りに参加さていただきますのでよろしく取り計らいお願いいたします。 場所がすぐ近くなので自宅より学習館のほうに直行いたします。



2002年4月21日(日) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り014−02
投稿者が続々と増え、新プロバイダへの転換に嬉し泣きしているアンチュウの顔が見えるようです。ごめんなさーい!そして、サンキュー!
1 仙人部落は、山の目映い緑の中で、梅の実が少しずつ大きくなり、仙人は涎を垂らしながら、もっと大きくなれ、もっと大きくなーれと、毎朝夕梅の木を撫でております。もちろん、可愛い生徒も新入りを含め、デッカクなーれと毎朝夕祈っております。仙人の祈りは悟りを開いている分、効き目十分?です。
2 重永君の投稿メール拝見。脳出血の大病を見事に克服された様子、感激と敬意をもって、頑張ったねとエールを送ります。奥さん、お嬢さんと一緒の写真は、とても明るくて、逆に力づけられます。重永君もさることながら、ご家族の苦労は並大抵ではなかったと拝察致します。チェスト行け!重永!時間がとれたら、仙人部落へおいで!
3 番上君の登場、嬉しく拝見。仙人の若返り薬を飲ませて、Jリーグに送り込もうか。
4 人生いろいろ、山あれば谷あり、花の道もあれば、茨の道あり。逆境を、如何に前向きで生きるか。人を成長させるのは、決して能力ではなく、取り組む姿勢です。皆頑張ろう!
5 今週は、弥山登山競技です。生徒も一般の中で対抗させます。成績は如何に?個人優勝すれば、ミス宮島にチュッ、お楽しみに!
”相変わらず部落巡検使を勤め、生徒に嫌がられている仙人より”
アンチュウの返信メール 江田島仙人便り 014−02 有難うございます。 さすが仙人、遠く離れていてもアンチュウの気持を ”ズバリ!”と言い当てておられる。 まさに、「嬉しくて涙がチョチョぎれる。」というところなんで あります。ハイ。 先日、募集事務所の主任広報官が ”海上自衛隊新聞” を届けてくれました。その中で、生徒部のスキー訓練の記事が載っており 世を偲ぶ仮の姿 1術校長・平井良彦海将補が「視察に訪れ、生徒の訓練状況を見守った。」と記載されていました。・・が、2月21日のメールによれば「・・とともに半日滑り・・」の記載が・・・。けっして新聞がウソを載せるわけがないし、ましてや仙人が・・・。 そこで、アンチュウは、次のように考えました。 「・・見守った」のは 1術校長、「・・半日滑った」のは仙人。??・・・ ナットクです。 アンチュウのところにはありがたい事に”海上自衛隊新聞” が届き、江田島のチェックも怠りません。 新潟地連加茂募集事務所に感謝です。



2002年4月20日(土) 14期生下條先輩より
件名 : Re: 電話で失礼しました
ご返事有難うございました。エレベーターの保守点検、ご苦労様です。 私は、都内で、金融の通信関係のコンサルタントの会社におります。直接は関係ないのですが、今、世間をさわがしている ミズホ銀行のシステムのような関連の仕事です。上京されるおりは是非、ご連絡ください。 下條
**−****−**** 会社 ****−**−**** 自宅



2002年4月19日(金) 鎌田恒之 17Th Home掲示板より 23時26分55秒
件名 : 久しぶり八戸からです
入ります! 前回安中に課題出されてから早4分の1半期過ぎたけど、俺のパソコンはがきどもに占領されなかなかカキコできませんでした。今八戸では桜がやっと満開になり(通年より十日早く)やっと春らしくなりました。先日同期の皆や先輩に皆のメールを見せたところ、「余計なことを書き込むな」と某先輩に歯止めかけられたので手短に近況を報告する。 俺事だけど青森の春の自然に戯れて日夜山菜取りに励んでいます。他の連中は仕事の鬼と化し日夜がんばっています。これからも十七期のHPを楽しみに・・・ 今日はこれまで、以上。帰ります!
アンチュウの返信メール ほんと、久しぶりの八戸通信でしたね。 ”がきども”にパソコン占領されたんでは、アンチュウも攻められません。ゲームであろうとナンであろうとパソコンに触れることはおおいに大切にしなければなりませんから。 アンチュウも山菜取り大好きです。休日、時間があると半日くらい近くの山に入っています。春の山菜はいろいろありますが一番好きなのは、”コシアブラ” です。 ・・・ 天婦羅で絶品です。 あの独特の味、”たらの芽”なんて問題じゃありません。 そう思いません? 鎌田君。 先輩に歯向かってまで17Th Homeに投稿はイケマセン。今日のような何気ない普段の生活のメールなら先輩も許可を出すでしょうし、アンチュウも嬉しいかも。



2002年4月16日(火) 14期生下條先輩より
件名 :Re: 電話で失礼しました
逆に番上に子守りをしてもらっています。Serverの移転、無事終わったようで何よりです。安中さんはSystemAdmin関係のお仕事なのですか ? 下條
アンチュウの返信メール こんばんわ。現在、アンチュウは、エレベーターの定期点検・保守・修理等をやっている会社に勤務し、マジメに職務にハゲんでおります。新潟県の地図で言うとアンチュウの生息している加茂市より下(南側)が主な活動地域で、時には長野市内なども行きます。



2002年4月15日(月) 源口健二 17Th Home掲示板より 22時28分52秒
件名 : 無題
雨の音を、聞きながらホ-ムペ-ジを見ています。次々に顔が浮かんでは、消えて 年輪を創要った顔が浮かびません。 と言う私も相当変わってしまいました。江田島にもずいぶん行っていない事にも、きずきました。一度17期のみんなにお会いしたい者です。  17期水測 源口
アンチュウの返信メール 源口健二生徒、どうしてますか?。アンチュウを覚えていますか?。17期の顔が浮かびましたか?突然のゆびとま葉書でオドロイたことでしょう。こうやって源口が書込みしてくれてアンチュウはなんと申しましょうかとてもウレシイんです。しかし、アンチュウは、源口生徒の顔も、歩き方も、体格も、話し方も、声も、臭いも、・・・・ 忘れてしまいました。思い出せそうで思い出せない、イライラした気持がキーボードをたたきながらしています。きっと、すぐそこに源口がいるのにね。・・・アンチュウが17Th Homeの最初のページに記載したことは、ナンだったのだろうと、・・ ひょっとしたらアンチュウの思い上がりだったのではないだろうかと思っています。ゆびとま葉書を出すときに、きっとこんなことがあるのではないかとは思っていましたが、いざそうなってみると アンチュウは、随分、失礼な葉書を出したものだなと思うこともありますが、そこがアンチュウのいいところ、とにかく、出してみる。答えはついてくる。きっと、わかってもらえるゼッタイ、わかってもらえる。わからなかったらわからせてみせる。そんな気持でゆびとま葉書の住所をたたいていました。しかし、きっと 思いは通じると アンチュウは、自信があるのです。 これからです。



17期より重永に届いたメールの数々を紹介いたします。
2002年4月16日(火) 伊藤隆より重永へ
件名 : 電話番号連絡
今日は、台風みたいな風と雨でいやな一日です。先日のメールで、”電話番号を知りたい”とあったので知らせます。俺は****携帯****山崎****携帯****長倉携帯****竹原****携帯**** あと、他に知りたい奴がいたらまた連絡下さい。  俺の知り合いも、脳出血で右半身に麻痺が残っています。その人は、トイレで倒れたけど、ペットの犬が奥さんを起こしてくれたおかげで一命は取り留めました。倒れたのは62歳くらいの時で、保安庁を定年後でこれからゆっくりしようという時だったから、しばらくはショックと不自由さで、いらいらしたみたいです。人生いろんな事があると思うけど、それを受け入れながら生活するしかないのかな?それじゃまた。 ー伊藤ー 
2002年4月16日(火) 重永より伊藤隆へ
件名 : ごめん連絡しないで!
あっそうか?俺も病気のほかにいろいろあったからなぁ!でも今では平気だよもう落ち着いたからな!俺が大和に来たのは平成02年9月ごろかなぁ!!!なんだ横須賀にいたんだったら会いに行ったのになぁ!野口には何回か電話したんだけどね。今度こっちにくる機会があればぜひ連絡してくれ!!!わかった電話してみるよ。お前の電話番号を教えてくれよ?また、山崎の電話番号も頼む!!!最近の写真を送っとくよ。暇な時でいいからメールください。では、また失礼します。
2002年4月11日(木) 伊藤隆より重永へ
件名 : 一人じゃないぞ
いろんな事があったみたいで、この4,5年は大変だったろうね。俺も重永ほどじゃないけど、いろいろあったよ。ところで、 いつそっちに移ったんだ。おれもH7〜H11年の3月まで横須賀にいたんだぞ。たしか、谷山に艦が入港したのが昭和の終わりくらいだから、最後に会ったのがもう15年くらい前になるな。大和だったら、厚木には同期が7人もいるから連絡を取って会ってみな。竹下がメールアドレスを公開してるよ。
2002年4月10日(水) 重永より番上へ
件名 : ありがとう!
久しぶりです。元気で頑張ってるみたいだね。 メールきて本当にうれしかったよ。なんか今までの4年前からの辛さが吹っ飛んだ感じだよ(笑) まじ、お前に電話してもつながらなくていつもどうしてるかなぁ!と思っていたんだ。今度時間ができたら会いたいです。 じゃ〜失礼します。
2002年4月10日(水) 番上より重永へ
番上です。17期HPの掲示板見ました。 大変でしたね! でも、元気になり本当に良かったです。少々辛いことがあっても、重永の頑張っている姿を思い出して、俺も頑張る!一日も早い「現役復帰」を祈ります。 再会できる日を楽しみにしています。 それじゃ、また メールします。
2002年4月9日(火) 重永より伊藤隆へ
件名 : ありがとう!
伊藤隆?ありがとう!実は俺4年前に脳出血で倒れて右半身に強い麻痺が残ったんだ。でもお前のメール見てまじ今まで苦しんだ4年間が消えたように思えるよ(笑)ありがとう!今では神奈川障害者能力開発校というところで社会復帰のために電子制御(コンピューター)の勉強をしています。でも生活は労災になって安心してるんだけどね。また、不幸は続くもんで今年の1月27日に末期の胃がんで1人だけのおふくろがなくなったんだ。これにめげないでこれからはおふくろの分まで頑張っていくよ!!!最近の家の家庭を紹介しておくね。たまにはメールください!
2002年4月9日(火) 伊藤隆より重永へ
件名 : 久しぶり
佐世保の伊藤隆だよ。谷山港に入港したときに、会って以来だから何年ぶりかな?安中のメール配布で聞いたけど、体をこわしていたんだって?もうほんとに大丈夫なのか?今、俺は艦に乗ってないから鹿児島に行く機会がないけど、そのうち遊びに行こうと思っている。年齢的に無理が利かなくなって、病気も出てくる頃だからお互いに気を付けよう。暇があったらメールを下さい。 ー伊藤ー



2002年4月13日(土) 重永幸敏より
件名 : おはよう!
おはよう今日は、休みで今から箱根に行ってきます。 この前、(伊藤隆)と(番上)からすぐに励ましのメールがきて自分としても本当にうれしいでした。番上とは近いうちに会うつもりです。もちろん安中にも感謝してますよ。 安中は神奈川、東京に出張なんかあるの? もしこちらにくる予定があれば連絡してほしいんだけど・・・ いつも夏になったら旅行は伊豆高原か下田方面だったんだけど今年は柏崎にかならず行きますよ。 あっ!この前の写真、女房写ってたよ。娘は二人でもう1人は女房だよ(笑)この前のメールのことを女房に言ったらまじうれしがってたよ(笑) はっきりわかる写真を送るね!!! 返事待ってま〜す!!! (^_^)v重永幸敏
アンチュウの返信メール 17Th Home移転作業のため、返事と掲載遅くなり申し訳ありません。 どうにか順調に引越しが出来たようです。 伊藤隆と番上からのメール、よかったですね。 さしつかえなければそのメールを送ってくれるか17Th Homeの掲示板に投稿していただけたらさらに二人の人柄がわかるし重永が嬉しかったメールを読んだみんなにもその嬉しさが共感できるのではないかな〜 なんて勝手に思っているアンチュウです。
写真、拝見しました。 やっと、重永が二人の娘さんの父だということが 「はっきりわかる写真」を見て、はっきりわかりました。( ・・・・ 奥様、喜んでいただけるかな?)



2002年4月13日(土) 14期生下條先輩より
件名 : 電話で失礼しました
本日は夜分電話をいたし失礼しました。 番上と久しぶりに会いました。真面目な印象は昔のまま、 ちょっと髪の毛が薄くなったような気もしますが、私も腹が出っぱったぶん、お互い様です。 久闊を叙し近況を話し、最後はやはり、江田島の話になりました。遠泳訓練で潮の流れに阻まれ、泳いでも、泳いでも前に進まなかったこと、撓漕訓練で汗と塩水でしみる眼から、かすかに見えた津久茂の瀬戸、そしてそのの奥に広がる広島湾、江田島での4年間を思い出すと、いつも潮の香りがします。安中生徒が仰るように、江田島の潮の辛さを識っている、それが我々江田島出身者の原点だと思います。 あいつは潮の香りがする。 これは海に生きる男に対する最大の誉め言葉でした。 俺はは今でも潮の香りがするのだろうか ? いつも自問自答しています。
今日は番上と久しぶりに旨い酒を飲みました。 ‘あの鼻、曲がれば生徒館が見ーええるうよ、赤い煉瓦にゃよーよ 鬼が住むよー‘ 今日は少し飲みすぎたようです。 14期 水測 下條
アンチュウの返信メール 17Th Home移転のために返事が遅れて申し訳ありません。 まあまあ順調に引越しが出来たようです。 番上との久しぶりの一献、失礼 多献 、 よかったですね。 番上も元気そうで何よりでした。 今後とも、番上の子守り役、よろしくお願いいたします。



2002年4月12日(金) 湖西より
件名 : CD届きました
CD届きました。ありがとう あまりの多さに驚きました。まだ全部は見ていませんが、今度の休みの日にゆっくりと見たいと思います。この前電話くれたときにも言ったと思うけど、Eメールアドレスだけど ***@****でお願いいたします。
アンチュウの返信メール 17Th Home移転のため、遅れて申し訳ありません。 どうにか順調に引越しできたようです。 CDゆっくり見てください。 湖西自身が写っているのが何枚あるかはわかりませんがそれを探すのもまた、暇なときの時間つぶしとして最適かもしれませんね。



2002年4月12日(金) 森重辰雄よりアンチュウへの手紙
拝啓 春暖の候 皆様お元気そうで何よりです。懐かしい便りをいただき感激しております。先日、生徒OB会に参列し伊賀から十七期ホームページのことを聞きました。残念ながら 当方 貧乏暮らし故パソコンの購入のめどはついておらず ホームページ開設とはいかないところです。ということで当分の間 手紙参加でお許しいただきます。あちこちと三年間周期で転勤しています。いや、あちこちといっても呉と横須賀の往復で十八期のほうとはけっこう行来があるのですが十七期とは最近はすっかり疎遠となっていました。一昨年 その十八期の飲み会の席で 「船に鍋島さんが来た」ということで 「辰あんはどうしてる?」と聞かれたとのこと 鍋島も横浜の方にいるとのことですが 私も十七期のこともすっかり縁遠くなってしまったかと反省しています。では 「友へ チング」の絵葉書が届いたということで 「元気です」の 挨拶まで 早々 安中均様 森重辰雄
アンチュウのヒトリゴト とてもすばらしい筆書きの手紙で感激しました。本当は、すべてスキャナで取り込んで17Th Homeに掲載したいところですがほんの一部だけの掲載とさせてもらいます。本文はすべて上記に掲載しました。 文面の中で「当方 貧乏暮らし故 パソコンの購入・・・」と書いて来ましたがアンチュウも貧乏暮らしには一言も二言もあります。 ゆびとま葉書も貧乏人がゆえのありがたいサービスです。 200字以内の制限があるとはいえ、ナンセ無料ですからね。さらに二十数年ぶりの同期よりメールやら手紙やら届いて 「ゆびとま」さんには ホント 感謝しています。 パソコンであればこそ、できること。いい時代になったのでしょうか。



2002年4月11日(木) 14期生下條先輩より
件名 : 石塚生徒よりのMailです
14期 下條です。 17期 石塚生徒より下記のMailが届きました。硫黄島の慰霊祭に私が参加できるように色々骨を折ってくださいました。実際の面識がない私の為にここまでしてくださったことに感激してます 江田島出身者の絆の強さ、とても一般社会では得られない貴重なもの、大事にしたいと思います。
明後日は番上生徒と飲む予定、楽しみにしています。 下條
石塚よりのメール 遅くなって申し訳ありません。 そしてご期待に応えられませんですみません。 メールのあった次の日さっそく調整の電話を3空の方にいれたのですが、もっと早い時期に動いていたらしく硫黄島行きのP−3Cは席が一杯らしいです。 先輩の期にも連絡を入れたらしいのですが、同期の方代表は水戸先輩の同県人の方で同じET出身者の方が行かれる事が決まっているようです。 谷口先輩の方からも連絡すると言っておられました。お力になれなくて申し訳ありません。 これからも宜しく御願いします。    17期 石 塚
アンチュウの返信メール ありがとうございます。 大変申し訳ありません、アンチュウは今(23:07)、このメールを開きました。 今晩は、近くの友人(54歳)が家に来て、いましがた帰ったところです。 本日このメールを17Th Homeには掲載できませんこと、お詫び申し上げます。 石塚よりのメール、拝見いたしました。 努力してくれてるようですね。(アンチュウが言うのもおかしな話ですが。) そうやって、同期はもとより、諸先輩のつながり、絆を大切にすることは17期の全員の基本でありたいと、”17Th Home”は17期の全員に呼びかけたいと思います。 ” 明後日は番上生徒と飲む予定、楽しみにしています。” とのこと、先輩と飲む前にこのメールを見せたいところです。・・が、そこは番上、”17Th Home”が呼びかけなくても、十分、心得ていることと思いますが。 いま、たったいま、アンチュウは思いました。 「江田島出身者の絆の強さ、とても一般社会では得られない貴重なもの、・・」との、記載がありますが、それはきっと、江田島湾の”海水の味”を知っているからではないでしょうか。 ・・同じ ”水” を飲んだ者の絆ではないでしょうか。 あの、江田島湾の海水の味を知っている、飲んだ、・・・ 水戸先輩も、入口先輩も、下條先輩も、・・・・ほっとけの谷憲も・・、・・も、・・も、・・も、 番上も、石塚も、アンチュウも、・・・も、・・も、・も。きっとそうです。はからずも ”17Th Home” の最初のページの一番最後に 「17期とは、1971年4月5日に江田島大講堂の中の空気を吸っていた者。」と言うふうに記載しましたが、それを 江田島出身者に置き換えると、 「生徒とは、江田島大講堂の中の空気を吸った者、江田島湾の海水を飲んだ者」になりはしないでしょうか。 入口先輩は、江田島湾の海水に溶け込み、その海水を後輩生徒が飲み、そうやって、同じ海水の味を知っている者が増えてゆく。我々17期もきっと、永遠と続いている江田島のそういう営みの中にあったのかもしれません。 いえ、あったのですね。 下條先輩のメールよりいろいろなことが広がります。 やっぱ、 ”神様” なんですね。 14期生は。 番上との飲み会、うらやましいです。 後日談をお待ちしております。



2002年4月9日(火) 重永より
件名 : こちらこそよろしく!
俺の方こそ感謝してるよ。すぐメール来てうれしかったのはまじこっちのほうだよ。今までの苦しかったことが吹っ飛んだ感じだよ。 俺も生徒の17期出身!この障害に負けないように頑張るよ。 今年は社会復帰するつもりだ。 安中に俺の家族を紹介しておくよ。なんか写りが悪いけど実物は まだ、いいからなぁ!!!(笑) これからもヨロピク! (^_^)v重永幸敏
アンチュウの返信メール 返事、遅くなって申し訳ない。 17Th Homeに重永からのメールを紹介してから いいことがありましたか? 文面から察するに、又いっそう、元気が出たようで、アンチュウとしても、17Th Homeを見てくれているみんなもきっと ウレピイ。? きれいな娘さんが3人ですか。いいですね。 奥さんが写っていないようだけど どうしたの? 夏に柏崎に来るとの事、ナンとしても都合をつけるので、予定がハッキリしたら連絡ください。 アンチュウはアヤシイ男ではない事をこの写真に写っていない奥様にくれぐれもお伝えください。 いつでもメール待っているし、17Th Homeの最初からの約束事でアンチュウに届いたメールはすべて17Th Homeに掲載します。 将来の楽しみのために。



2002年4月9日(火) 佐藤豊より
件名 : メールアドレスの削除のお願い。
配置換えによりこのアドレスの使用が出来なくなりました、削除緒お願いいたします。転勤したわけではないので、市ヶ谷に居ます。 なお、残念ながら、インターネットのアドレスは有りません、ホームページは時々覗きます。宜しくお願いします。 佐藤豊
アンチュウの返信メール 了解しました。 ・・・・残念。・・・・ 同期には、その旨、送信しておきます。 これからも ”17Th Home” 見てね。



2002年4月9日(火) 氏野より
件名 : 久しぶりにメールします。
いよいよ新年度が始まり、みなさん忙しいことでしょう。 母校でも「涙の卒業式」が終わり、なんと48期が入ってきたとか。 むかし部隊に出てから、はるか遠い先輩から「おまえ達17期か?生徒も、もう△▼年も経ったのか!」と言われたことがあるが、17期の我々から見ても、まさにその心境が解るというもの。 さて、挨拶が遅れましたが、「3月28日付 舞鶴海上訓練指導隊勤務を命ぜられ、同日着隊しました。」 艤装も含め、20数年の艦艇勤務。中でも「しまかぜ」「みょうこう」、「63護隊司令部」と渡り歩いてきた、この約15年間は本当に充実した、かつ忙しい時期でした。それ故、弁当持ち生活は何かしら寂しさを感じます。しかし、めげずに陸上勤務に精を出し、エンジョイすることを誓います。 先日佐世保での合同群訓練には、早速の出張で三晩とも、同期・教え子・通信関係者等と掛け持ち宴会の連続でした。 何しに行ってきたことか(^_-) ということで、もう各地に行くこともないでしょうが、現役組は電話でもしてきて下さい。待ってます。 最後に、湖西のメルアド知らせてくれてありがとさん! 早速メールしました。 湖西とは、3年の夏休暇で一緒に返還になったばかりの沖縄へキャンプに行った思い出が今も強烈に残っています。
アンチュウの返信メール 久しぶりでした。 20数年の艦艇勤務、ご苦労様でした。 これで、「お金も体ももちません。」 っというような 宴会漬けの日々からもおさらばできるのでしょうか? っま、オヌシの事だから ナンノカンノと理由をつけて 出るんでしょうな〜。 湖西より連絡が取れて、ホント、よかった。どんなメールのやりとりをするんでしょうか? 陸幕弐部別室に依頼して、傍受しなくては。



2002年4月8日(月) 吉原 17Th Home掲示板より 22時37分13秒
件名 : アンチュウへ
先日大谷へこのホームのことを教えようと電話したのだが息子さんが出て何時帰るか分からないとのことだったのでこのホームを見るようにとの伝言を伝えたのだが見てくれたのかな?ところでアンチュウ"力作"のCD、私も見てみたいものです。
アンチュウの返信メール 大谷への電話、アリガトウ。 しかしながら、大谷からの音沙汰は今のところ、ありません。 しつこく、又電話してもらって、アンチュウがメールを待っていると伝えてください。 CDの件、送ります。最新の住所を聞かせてください。 こんなのも入ってますよ!



2002年4月8日(月) 重永幸敏より
件名 : ありがとう!
安中元気?やっと元気になったよ。 今日突然ハガキがきたのでびっくりしたよ。 実をいうと俺、脳出血で4年前に倒れたんだ。2年間はベッド生活でした。本当は市ヶ谷に行きたかったんだけど体が思うように動かなくて・・・ それで今は社会復帰のために神奈川障害者能力開発校という国立の学校でコンピューターの勉強をしてるんだ。 あと1年あるんだけどね。 今年は俺が一番落ち込んでる時に知り合った柏崎のメル友に旅行がてら家族で会いに行くんだ。 暇な時でいいですから返事ください。 TEL ***-***-**** (^_^)v重永幸敏 ****@***** ***−****−****
アンチュウの返信メール 昨夜(8日)は、突然電話して失礼いたしました。 17Th Homeの更新を終わって、サーバーに送って確認のため17Th Homeに行ったら掲示板に重永の書込みがあるではないか。 さらにつないでるついでにメールの送受信をしたらメールまで届いていて。 アンチュウも嬉しくなって思わず電話をしてしまいました。 大変だったんですね。・・・ もっと早くお互いのアドレスを知っていればアンチュウだけでなく17期の誰かがきっと力づけ出来たのにね。 ゆびとま葉書のおかげでこうやってメールのやり取りが出来たこと、うれしいね!!。 どんな状況にあろうとも、ケッシテあきらめず、前向きに物事を見、考え、実行しようではないか。 行動をおこすことが第一歩とアンチュウは思い、ゆびとま葉書もその具体的行動のひとつなのです。 これをきっかけに 17期とのコミュニケーションが広がる事を祈ってます。 アドレスと電話、同期に ”CC” で 送信します。



2002年4月8日(月) 重永幸敏 17Th Home掲示板より 22時05分02秒
件名 : みんな頑張ってる?
17期のみんな元気で頑張ってますか?俺、4年前に脳出血で倒れて右半身に強い麻痺が残ったんだけどやっと元気になったよ!今、神奈川障害者能力開発校という学校で、社会復帰のためにコンピューターを勉強してます。よかったらメールください。また、17期のホームページの管理人安中には感謝してるよ。ありがとう!!!夏には柏崎に旅行がてら家族で、メル友に会いにいくつもりです。これからみんなよろしくお願いします。



2002年4月8日(月) 藤原より
件名 : Re
こんばんは。元気でやってる?湖西のアドレスだけど、湖西がOKだったら教えてもらいたいんだけど。急がないんで面倒ですがお願いします。 藤原
アンチュウの返信メール ゲンキです。このメールと同時におくります。是非、湖西にメールを。



2002年4月8日(月) アンチュウより
件名: 湖西敏広の住所とメルアド
同期諸兄、今晩は。 ご存知のように、ゆびとま葉書を出したことで、湖西敏広より掲示板に書込みがあり、アドレスと住所をメールで送信してきたので ”CC” で送ります。
***************************
〒314−0115
茨城県鹿島郡神栖町知手********
п磨磨磨磨|**−****  携帯***−****−****
Mail Address
****@******* 

***************************
彼は、昨年3月より四国の地を離れ、目下、単身赴任とのこと。 さぞかし寂しい思いをしていることと思われます。17期のコミュニケーションの拡大を。



2002年4月8日(月) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り013−02
仙人部落に新しい仲間がやって来ました。そうです。生徒48期の64名が今日入校しました。大講堂での式では、一週間で、かくも機敏な動作が出来るようになったかと感激、雨あられでした。後輩の成長を見守ってやって下さい。ちなみに、生徒出身者の子息は、18期生水測の山田君の子息以下4名です。先輩は、生徒隊歌斉唱、歓迎パレードで後輩を迎えました。今後も可愛がって欲しいと願わずにはおれない仙人でした。桜のない入校式で、主役は、正に生徒達でした。17期諸兄、大講堂に集った日を思い起こして、HPを盛り上げよう! 新たな仲間から、若さを貰おうと企んでいる仙人より
アンチュウの返信メール 江田島仙人便り、ありがとうございます。 64名ですか。 きっと、緊張していたことでしょうね。 アンチュウも覚えています。 昨日(7日)までは、「お客様」、今日(8日)からは「生徒」。 きっと今晩の消灯後、黄色のオニ達がそう吠えるに違いありません。 「明日からはどうなるんだろう?なんでこんなところに来たんだろう?」と不安になりながら、息を殺して身動き一つせず聞くことでしょう。 仙人の願いは、青や黄色のオニ達が間違いなく かなえてくれるはずです。 ・・・・可愛がってくれるはずです・・・・。 おそろし〜。 っと、いうような事は、17期の時代でした。 チャン チャン!!



2002年4月7日(日) 橋本和昌 17Th Home掲示板より 10時26分26秒
件名 : 無題
気になる情報 平成15年度の採用をもって海自生徒の募集が打ち切られる? 中堅海曹を育成すべく創設された制度だが、半世紀を経て時ここに来たり、か・・・と、一抹の淋しさを隠しきれない。 信頼できる情報か否か知りたい。



2002年4月7日(日) 湖西敏広より
件名 : そうじゃないよ!
安中が考えてるような気持ちでメールしたんじゃないよ。葉書を貰って17期のHPを見て懐かしさの余り涙があふれて、「17期とは・・・」の記載の意味も充分理解して、だから小松のことも書いたし、俺も17期と思ってるよ。子供にだって自慢してるし。江田島を見せてやりたいし、「こんな所で父さんは青春時代をすごしたんだよ」と胸を張って言えるし。(でももういっしょに旅行してくれないけど。) そうじゃなくて、17Th homeをよく立ち上げてくれたな・・・と感謝の気持ちでいっぱいでお礼の意味をこめてうまく言えないけどわかってくれないかな 社交辞令かな? 話は変わるけど、安中の彼女って大島のとてもかわいい娘だったよね? 住所とメルアドの件OKです。
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〒314−0115
茨城県鹿島郡神栖町知手********
п磨磨磨磨|**−****  携帯***−****−****
Mail Address
****@******* 

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アンチュウの返信メール 昨夜は電話をして話が出来てよかったね。アンチュウは勘違いをしていたと、このメールを読んでも昨夜の電話でもハッキリした。もうしわけない。今日(8日)、さっそく藤原より湖西のアドレスを教えてとメールが届いている。このメールといっしょに送信します。
”話は変わるけど、安中の彼女って大島のとてもかわいい娘だったよね?” そうです。とっても可愛い娘だったんです。 でも、今の女房はもっと可愛いぞ!!なんたって 佐世保産ですから。 又メールを送ってください。待ってます。



2002年4月6日(土) 湖西敏広 17Th Home掲示板より 10時40分20秒
件名 : 30年前の記憶が
ゆびとま葉書を受け取りました。ありがとうございます。懐かしくて30年前の江田島にいた少年時代を思い出しました。辛かったカッター訓練、ミセン登山、古鷹山、水泳大会、遠泳、もちろん17期生の当時の面影等とても懐かしく拝見させていただきました。私は今、転勤で茨城県にいます。昨年の3月から単身でです。一昨年、佐賀の小松が突然訊ねてきました。伊万里でタクシーの運転手をしてると言ってました。今度、江田島に行こうと思います。最後に、17期生の益々の活躍を祈ってます。
アンチュウの返信メール 湖西、元気そうで何よりです。掲示板投稿ありがとう。感激しました。涙が出ました。しかし、最後の言葉がアンチュウには気に入りません。まるで、他人事のような ”17期生の益々の活躍を祈ってます。” はないでしょう。湖西、君も間違いようのない17期なんです!!。17Th Homeの最初のページの下に小さくではありますが「17期とは・・・・」の記載の意味をよくよく考えてください。現役組であろうと退職組であろうと、数日間であろうと数年であろうとあの大講堂でおなじ空気を吸ったじゃないですか。同じ緊張感を感じていたじゃないですか。さらにいえば同じメシを食い、同じ水を飲み、同じトイレを使い、同じ風呂に入り、同じ部屋に寝て、同じ指導(シゴキ)に耐え、つらい涙を流し、嬉しい笑い声を上げていっしょに喜んだじゃないですか。中退組?・・卒業組?・・ 現役組?・・・・・・ もし、どうしても17期を区別しろと言われても、どうしても区別はできようがありません。それぞれの個人にとってそれは、ひとつの節目でしかないからです。それぞれの17期生のそれぞれの人生があるのはあたりまえの事。江田島での生活が長い・短いを他人が語るのはまったく意味がありません。江田島でのあの生活を同じように過ごした事実は事実としてあるのです。あの生活をたとえ数日間であってもした者がすべて17期なんです。
17Th Homeを立ち上げるにあたってのアンチュウの基本中の基本の考え方として、この17Th Homeを見ていてくれるすべての人が理解してくれているはずです。しつこくなりました。・・・ゴメンね。ともあれ、ホントにありがとう。アンチュウの作成したCDを送ります。住所を連絡ください。
アンチュウの返信メール 前文を送信後に風呂に入りながらだいぶ 余計なことを書きすぎたと大いに反省しながら、汗を拭いています。ひとつ、書き忘れました。同期のアドレスがわかると全員に ”CC” でアドレスを公開しています。現在、アンチュウが把握しているのは、34名です。もし、湖西の了解が得られれば公開したいと思います。17期の絆を深めるためにも、よろしくお願いいたします。住所の連絡と共にアドレスの件もよろしく。(住所は、公開していません。) アンチュウの気持が少しでも 湖西に通じることを祈ります。






17Th Home 徒然草 2002年3月


2002年3月31日(日) 14期生下條先輩より
件名 : お電話ございました
先ほどは電話をありがとうございました。思いがけないことで感激しました。掲示板に書きこむのは初めてなものでしたので、良くわからず、確かに電話番号を書いたのは軽率だったかも知れません。 ただ、あの掲示板を見る人に悪い人間はいないと信じてます。 さて水戸生徒の慰霊祭の件ですが、彼が眠る硫黄島の海に皆のメッセージを流したいと思います。 これは14期だけでなく、生徒全員から受付けたいとおもます。有志の方、私宛にMailかFaxをおくっていただけるように皆に連絡していただけますでしょうか ?  勝手なお願いで申し訳ありませんが宜しくお願いいたします。 下條善麿
yshimojo52@hotmail.com bbays@twics.com 277‐0054 柏市南増尾4‐8‐3 Tel 0471‐72‐0569
アンチュウの返信メール 昨夜は大変失礼いたしました。 飲んだくれて寝床に帰ってきていつものように14期生ホームページ ”14Th Home” (17期では以後、14期生ホームページを ”14Th Home”といたします。関管理人、事後承諾をお許しください。)の掲示板を見たら下條先輩の書込みと電話番号が記載されていたので、思わず、電話してしまいました。 番上と連絡が取れたとのこと、良かったですね。 水戸秀樹先輩の慰霊祭の件、了解いたしました。 17期のアドレス判明者34名にはその旨、送信します。 アンチュウの持っている資料によりますと水戸秀樹先輩(航空士電測)は 少術校卒業後、3空に配属されたようですね。そこで 昭和47年 P2V-7で殉職されたのでしょうか。 ・・・ご冥福をお祈りいたします。



2002年3月31日(日) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り011−02
1 仙人部落の桜は満開になり、娑婆の人々に開放しております。花をじーっと眺め、桜餅に変えるのは仙人の得意技の一つでーす。
2 前号でお便りしたとおり、44期卒業式で最初に瞼が潤んだのは大声の生徒隊歌を聞いた時でした。仙人部落中に響き、桜も松も聞き入っていました。
将来が楽しみな音楽家の子供を持った某君が楽譜を探しているとのこと、仙人部落の倉に秘蔵されていた楽譜を送ります。
3 17期HPの存在を教えてくれた副官の青島君が、仙人部落の生活に見切りをつけ、中級機関学生へと出て行きました。素晴らしい副官でしたが、
構内巡検使たる仙人の後をつけまわすのを、まくのにだけは苦労しました。横須賀での都会人生活に溶け込んで健闘することを祈ります。
・・・・・・鶯に生徒隊歌をリクエストしている江田島仙人より・・・・・・
アンチュウの返信メール 江田島仙人便り011−02 誠にありがとうございます。
1 アンチュウは毎年、2月になるとすぐに桜餅を所望します。甘い物はあまり好まないのですが桜餅だけは別格です。仙人、技を磨いて
”桜酒” なるものもいいのですが・・・。
2 秘蔵の楽譜、ありがとうございます。しかし、ちょっと違うんですね。17期が知っている生徒隊歌は ♪♪ 桜咲きそむ 春四月・・・ で始まります。
武田虎二作詞 高山実作曲とあります。お忙しい御身、「♪♪ 桜咲きそむ ・・・をお願いいたします。」とは言えません。
でも、蔵に入って探すんでしょうね 仙人は。 ・・・きっと。
3 17Th Homeでも紹介の通り、優秀な情報収集能力を持つ青島元副官より「仙人部落より開放された」とのメールが届いております。
彼は「躊躇した」と言っておられますが、それがご縁で今日もこうやってメールを書ける楽しみを与えてくれました。
17Th Homeにとっても うれしいことでした。 ご活躍をお祈りいたします。
・・・・・仙人に「蔵を探して!」とお願いしている鶯より・・・・・・



2002年3月30日(土) アンチュウより17期へ
件名 : 江田俊弘生徒のアドレス
このたび、江田俊弘のアドレスが判明しましたので本人了解の上、公開いたします。 アドレスは以下のとおりです。 ****@**** これからもお互いのコミュニケーションをはかるべく ”17Th Home” は努力いたしますので ご協力、よろしくお願いいたします。 江田の初メールは17Th Homeに掲載済みです。ご覧ください。 尚、この他にアドレスを持っている同期がわかったらアンチュウまで連絡と 17Th Home の紹介をよろしくお願いいたします。



2002年3月30日(土) 江田俊弘より
件名 : Re: OK
アンチュウ 様 返信ありがとう、早速宣誓の写真を見ました、 こうして見直すと何も知らなかったけれど、純粋にお役に立つ人間になりたいと思ってた頃に戻れるような気がします。 さて、問い合わせの件はもちろん差し支えありません。 特別サービスで送別会の写真をCD-ROMで送ります。 楽しみに待っててくれ。 生徒隊歌の歌詞を見て思ったのは「当然楽譜もあるよね?」 楽譜があるなら、息子に伴奏をさせて練習することもできるなと思うのですが、どなたか楽譜を持っていませんかね? 江田 俊弘
アンチュウの返信メール アドレスの件、さっそく 我、17期と江田島仙人に ”CC” で送信します。 ”特別サービスで送別会の写真をCD-ROMで送ります。楽しみに待っててくれ。” とのこと、 ありがとう。 この前のメールでも書いた通り17Th Homeには余力があまり無いけど 今日や明日の楽しみだけではなく、10年後、20年後の楽しみとして喜んでいただいておきます。 さて、生徒隊歌の楽譜の件ですが、生徒隊歌に楽譜はあるのでしょうか? 生徒時代、諸先輩の指導のもと、口移し的に歌ったような記憶が。 (ホームページ的に ・・・・江田島仙人、生徒隊歌の楽譜はあるのでしょうか?) しかし、江田、まさかオヌシが練習して歌うんじゃないだろうね?



2002年3月30日(土) uemisa105より
件名 : 写真
3週目にやっと撮影日和に恵まれ、我が家の裏山、野呂山中腹の鉢巻き山から瀬戸内海を望んだ写真を撮りましたので送ります。HPに載せてください、よろしく。 3.29(金)職場(呉基地業務隊)に利光(大分地連勤務)が教育隊新入隊者を連れてきていたのでHPのこと知らせました。
アンチュウの返信メール 鉢巻き山からの写真ありがとうございました。 ”HPに載せてください、よろしく。” ッとくれば ほかならぬuemisa105の事、載せねばナラヌ〜。 撮影の日付と時間が記載されていないけど桜を見る限り、葉も少しでているようだし散りぎわでしょうか? アンチュウの生息している新潟県加茂市ではまだ桜はつぼみが膨らんで桜の枝全体が赤っぽくなっているような状態です。 こちらの見頃は「アンチュウ予報官」によりますと4月の7日頃ではないかとの情報です。 貧乏人のアンチュウはデジカメを持っていないのでこちらの仲間より拝借し17Th Homeに掲載したいと思っています。 オタノシミに。
利光よりのメールは期待していいんでしょうかね?



2002年3月29日(金) 江田俊弘より
件名 : 勝山分隊長送別会写真の送付
安中 様 お久しぶり! 元気にお過ごしのことと拝察します。 さて、すでに聞いていることと思いますが、先日佐世保総監をしておられた我らが分隊長勝山さんが自衛艦隊司令官に御栄転になられ、佐世保地区の生徒13期から18期が集まり送別会を催しました。 その際に撮りました写真の一部ですが送りますので御高覧下さい。 まだ他にもあるのですが一度に余り多数を遅れませんので今回はこの程度にします。 全部送れということであれば、CD-ROMを送るので住所等を教えて欲しい。 写真は1枚づつ別のメールで送ります。 先輩も一部入っていますのであのころを思い出す縁ともなればと思います。 尚、私は現在イージス艦ちょうかいで砲術長をしています。 妻と4人の子供に恵まれ、長男は今春高校を卒業し小倉の 自動車整備専門学校へ行きます。 次男は高校2年で勉強よりも 吹奏楽部でのドラムに燃え、小学6年4年の娘たちは合唱団でと 音楽的才能のまったく見られなかった私には付いていけない家庭環境になっていますが、楽しく過ごしています。 では、お元気で17期HPをよろしくお願いします。 江田 俊弘
アンチュウの返信メール いや〜お久しぶりなんてもんじゃないですね。 写真を見てあのころと ちーっとも変わらない”江田生徒”を見ておぬしの努力に敬意を表します。 っというのも この17Th Homeには30年前のりりしい”江田生徒”があの大講堂で17期を代表して宣誓文を読み上げている写真を最初から掲載していました。 ・・・・見ました? 宣誓文、今でも言えますか? っあ、そういえばどころか現役でしたね。 3月12日の水測の伊藤隆からのメールで本日送っていただいた写真の事は聞いていました。 いつ来るかいつ来るか、首をなが〜くして待ってましたよ。 ところがこの17Th Homeのホームページの容量が10M しかなく、、もっか アンチュウは頭を悩ましているところなんです。 そんなことはどうでもいい!! とにかく一枚を17Th Homeに掲載しましょう。
江田のアドレスを17期全員と江田島仙人に公開しますが いいかな? ”いいとも〜!!” の メール待ってますが2日以内にこないと公開します。
早く送らないと ”後悔”します・・・・ な〜んちゃって。 だれかぁ〜 アンチュウに ざぶとん3枚!!



2002年3月29日 (金) 江田島仙人 17Th Home掲示板より 06時15分51秒
件名 : ハッピィ・リタイアメント
平成14年3月31日をもって、普通学生物教官・現普通学科長 小村昌三先生が、定年退官されます。後任が来るまで、非常勤講師として教鞭をとられます。仙人の履く下駄よりも高い下駄を頂戴したと思う人は、あらためて感謝を! 江田島仙人



2002年3月28日(木) uemisa105 17Th Home掲示板より 22時11分44秒
件名 : 故 入口さんについて
14期生の皆さんへ:入口さんの葬儀では至りませず、返って14期生の同期の絆に助けていただきました。有難うございました。本日入口さんのお姉さんが最後の挨拶に呉基業補充部に見えられ、お骨の一部を呉の総監部地区の土に返したいと申されましたので入口さんは海が好きだったので同期の艦艇勤務の方に依頼して海に帰していただくことを提案し、同期の三宝さんに頼みました。17期の同期諸君も我々が1年生の時4年生(神様)が天国でも神様となることを祈ってあげてください。
アンチュウのヒトリゴト 三佐夫君 ・・ おぉ〜っと uemisa105、 ご苦労様でした。長い艦艇勤務を終えて陸上勤務についたとたん大変でしたね。14期生より御礼のメールや書込みが届いています。 よく神様におつかえしてくれました。 すべての17期が先輩の冥福を祈っている事でしょう。



2002年3月28日 (木) 14期の一人 17Th Home掲示板より 21時29分10秒
件名 : ありがとう
江田島の仙人(?)をはじめ良き上司、良き同期生にに恵まれた貴兄達のご活躍を祈ります。このホームページに負けずわが14期もがんばります。
さてこの度、貴兄たちには「入口生徒」の件につき様々なご配慮をいただきありがとう。特に、呉基業「上田君」には、無理を承知で多くのことをお願いし多くの支援のおかげで無事見送ることができました。また、舞鶴の「氏野君」の「川本」に対する見舞い、情報提供等ありがとうございました。同期のひとりとして貴兄達17期総員に感謝します。 参考まで、中谷は阪基「つきしま艇長」、小松は同じく阪基本部に勤務とのこと。
アンチュウのヒトリゴト ”14期生の一人”先輩、お疲れ様でした。そしてご苦労様でした。せつなかったでしょう。 (名前とアドレスが無かったため”14期生の一人”先輩とさせていただきます。) 我、17期上田は頑張ってくれたようですね。三佐夫君ご苦労様でした。 知りながらも何にも出来なかったアンチュウと同じ状況にある諸先輩、生徒出身者はそれぞれの場所とそれぞれの形で入口先輩の見送りをしたと思います。・・・・合掌
”14期生の一人”先輩、次回は仮面を取ってのお越しをお待ちしております。アンチュウは神様の事を「ほっとけの**」や御社の取締役の方を「江田島仙人」などと呼び捨てにしていますがこの17Th Home上のこと。根は上下関係を重んじる人間でありたいと日々努力?・・・・間違いました、時々努力しております。



2002年3月28日(木) ほっとけの谷憲より
件名 : なし
17期生徒諸君、ありがとうございます。 江田島仙人 殿 感謝にたえません。ありがとうございます。    「ほっとけの谷憲」
アンチュウの返信メール 谷憲先輩。 本当に ご苦労様でした。 同期を彼岸へ送るつらさを 14期生ホームページや17Th Homeを見てくれているすべての人々と、17期も神様を送るというせつない事を共有したと思います。 できればこんなことで共につらい日々を共有したくないのは皆さんの気持ではないかと思いますがこれも人生とあきらめざるをえません。 入口先輩のご冥福を祈るばかりです。・・・・合掌



2002年3月26日(火) ほっとけの谷憲より
件名 : Re:無念。
ありがとう!とってもうれしいよ!



2002年3月26日 (火) 1術校副官より
件名 : FM:1術校副官
初めてメールします。 本日、生徒卒業式をもって、1術校副官の任を解かれ幹部中級(機関)課程学生として入校する青島と申します。
このホームページについては、わざと平井校長に連絡していないのかと思い、校長への報告をしていいものか躊躇しましたが、結果として校長の楽しみの一つとなっています。 校長はこのホームページに送る写真を撮るため、最新のデジカメに買い換え(原因は他にあるという説もありますが…)校内あちこちに出没しているようです。 幹部・海曹問わず生徒出身者と当時分隊長であった校長との関係を見ておりますと戦闘艦艇部隊ばかり勤務してきた私も思わず「教育部隊もいいかな」と思わず思ってしまうことがあります。 校長は皆さんとのふれあいを非常に楽しみにしておりますので、懇親会のお知らせについては、どんどん1術校副官室に電話してきてください。(後任にも「校長は生徒の懇親会には基本的に出席する」と申し継いでおります)  それでは、このホームページのますますの御発展を祈念しています。
アンチュウの返信メール はじめまして。 なにはさておき、まず最初に 17Th Homeを仙人に知らしめた優秀なる副官殿に厚く熱く御礼申し上げます。 そしてまた、副官の任を解かれたとのこと、ご苦労様でした。 デジカメ片手に校内あちこちに出没しては、村人に迷惑をかけているであろう仙人ですが江田島仙人便りを楽しみにしている方もおります。それもこれも優秀な情報収集能力を持つ青島副官の一言から始まったのですね。重ねがさね御礼申し上げます。仙人はわがままを言って困らせたりはしなかったでしょうか? 仙人と副官のいる集落では、たとえ困ったとしても言えないことも承知しております。 そんなときは、アンチュウにオマカセください。後任の申し送り事項の1項目に追加をお願いいたします。 てなわけで、任を解かれてもたまには、17Th Homeにおいでをお待ちしております。



2002年3月26日(火) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り010−02
14期生徒入口君の訃報に接し、心からご冥福をお祈り申し上げます。
さて、仙人部落ならではの、生徒の身体から溢れる誠の涙を見ました。そうです。今日は44期生徒の卒業式でした。仙人も達観しているつもりでしたが、貰い泣きしてしまいました。17期諸兄、先輩諸兄、涙は涸れたと言わず、当時を思い起こして下さい。講堂での卒業式。凛々しい生徒達でした。来賓も、その立派さに皆さん感動されていました。そして、後輩の送別パレード、3年生の目頭も潤んでいました。見送りは、44期生徒の、涙、涙、仙人部落での4年間の思い出が、一挙に溢れたようです。仙人冥利に尽きます。そして、表桟橋からの旅立ち、先輩達を見習って頑張れ!そして、幸あれと祈る仙人でした。先輩達、後輩を宜しく!久しぶりに普通の人間に戻った仙人より
アンチュウの返信メール 江田島仙人便りも10を数え、誠にありがとうございます。 また、仙人にも14期生の緊急連絡を送信し、お悔やみの言葉をいただき直接は14期生徒のやりとりも無いと思い、14期生になりかわり御礼申し上げます。
卒業式の写真、つい昨日のように思い出されるのはアンチュウだけではなくこの17Th Homeをご覧の多くの生徒出身者でしょう。 そして ”17期諸兄、先輩諸兄、涙は涸れたと言わず、当時を思い起こして下さい。”とありますが、たぶん20期以下の生徒出身者にとっては涙腺がゆるくなりかけの年齢にあり、特に退職組にとっては、江田島との距離が離れる中でひそかにウルウルとされた方もあろうかと思われます。
17期にとって少術校の初めての卒業式が14期生の卒業式でした。 なんと言ったらいいのでしょうか。言葉に言い表せない卒業式でした。 どんなにツライことやキツイことがあっても何が何でもあの感激をオレもゼッタイ味わうぞ!と 心に決めて誓った一瞬を今も忘れる事が出来ません。
17Th Homeの文学館にはその14期生の卒業に関しての感想文が掲載してありアンチュウもお世話になっている ーほっとけの谷憲ー こと 谷川憲一先輩の一文も載っていて 先輩のひととなりがわかる名作(迷作?)と思います。 是非、一読を。 うれしい ”江田島仙人便り” でした。



2002年3月26日(火) 14期生谷川先輩より
件名 : Re:
今呉にいる、来ないと一生後悔しそうで、 17期にほっとけの谷憲さんですか?と聞かれたゾ
アンチュウの返信メール 先輩。さぞかし・・・、なんといったらいいか・・・、 言葉も思い浮かばす 今までの14期生掲示板を毎日欠かさず見ていた者として無念でなりません。 アンチュウにとって14期生と言えば谷憲先輩しか思い浮かばないのですがその谷憲先輩が佐世保よりかけつけた事自体、先輩の無念さを感じざるを得ません。 どういったらいいのか、・・・・ 先輩の気持は 先輩と出会ってから三十数年の時間が過ぎましたがいまだに生徒としてのつながりを感じ、14期生掲示板の投稿にも14期生の同期への熱い思いを感じていました。 ほっとけの谷憲先輩と共に入口先輩のご冥福を御祈りいたします。



2002年3月26日(火) 氏野より
件名 : Re: R:eのメール送信した?
大変失礼つかまつりました。私が送りました。 アンチュウからのメールにあわてて返信したので:Re:しか付いていませんでした。 怖がらせてゴメン<(_ _)>
本日、昼過ぎに14期生の川本さんの見舞いに行って来ました。 丸坊主で右前頭部に手術した後をテープで留めてあり、そこからチューブが出ており何か痛々しかった。しかしながら、意識はしっかりしており特に後遺症は感じ取られなかった。発見が早く処置も早かったためと思います。 14期生のH/Pに、早速結果をカキコしておきます。 では、失礼。              −氏野−



2002年3月25日(月) アンチュウより17期全員へ
件名 : なし
緊急連絡!! 14期生に異変あり!! 関係者 14期生ホームページ http://www.syujac.co.jp/seki/14seito.htm 掲示板を見よ!!


2002年3月25日(月) アンチュウより氏野へ
件名 : R:eのメール送信した?
R:e の メールがきている。 怖くて開けない。 送信したかどうか、今一度連絡を。 14期生ホームページに氏野の書込みを見た。 アンチュウがわかった時点で同期にメールを送るべきだった。 少し遅くなったが17期に緊急連絡のメールを送った。



2002年3月25日(月) 氏野より
件名 : Re:
連絡有り難う。  氏野



2002年3月25日(月) 14期水測 下條先輩より
件名 : Re: 14期水測、下條と申します
ご連絡有難うございました。 早速連絡をとらさせていただきます。 下條



2002年3月23日(土) 14期水測 下條先輩より
件名 : 14期水測、下條と申します
14期水測、下條と申します。 17期生徒のHome Page 15期福島よりの連絡で知りました。 素晴らしい内容で17期生の行動力、結束の高さに感服しております。私、50年に退隊し現在東京都で自営業をしております。 17期番上生徒と連絡を取りたく彼の連絡先を教えていただけますでしょうか。彼とは12年ほど前、仕事の関係で知りあいました。 取引先の会社の接待で偶然にも生徒の17期であることを知り奇遇に驚きました。それ以来、連絡を取り合ってきたのですが、ここ数年来、音信不通で心配をしておりました。 貴殿のHP上で番上からのMailを拝見し元気そうな様子、安心しました。連絡先等お教えいただければ幸いです 宜しくお願いいたします。 下條
アンチュウの返信メール おはようございます。 下條先輩よりメールをいただき感激しております。 さっそくですが、番上のアドレスですが以下のとおりです。****@**** そういえば、最近、番上からメールがきませんね〜。音沙汰無いのはゲンキな証拠ってところでしょうか。
17期生徒のHome Page ”17Th Home” おほめいただきありがとうございます。少しでも同期の絆と海自生徒の絆を保ち、深めたいと私こと、アンチュウなりに頑張っております。尚、当然ご存知かと思いますが、14期生ホームページの掲示板の書込みも盛んに行われています。(アンチュウもお世話になっております。) http://www.syujac.co.jp/seki/14seito.htm 下條先輩も書込みされたことがあるのでしょうか。
番上と連絡が取れることをお祈りしています。 今後とも ”アンチュウ”と”17Th Home”をよろしくお願いいたします。



2002年3月21日(木) uemisa105 17Th Home掲示板より 00時52分18秒
件名 : 祝!3000回
これからも5000,10000,と、記録を重ねていきましょう。 重ね重ね編集ご苦労様です。ところで、このところの陽気で呉方面では桜が開花し始めています。この分で行くと今年は桜咲き染む春4月ならぬ春3月と生徒隊歌を変更する要があるかも? 江田島の仙人部落でも4月初旬の観桜会に開花を合わせようと桜の根っこを氷水でひやしておられるとか? さすが仙人、長生きの秘訣はこれですか?



2002年3月20日(水) 関洋三(14期) 17Th Home掲示板より 06時48分43秒
件名 : 祝 3000突破
17期生徒 HPカウント 3000回突破を記念して 心からお祝いを申し上げます マイホームページの カウントUPに邁進してきたものとしては 3000回という意味の大きさに 又その努力の偉大さに ただただ感心致します 5000回を目指して 更に 頑張って下さい お手伝い出来ることがあれば 遠慮なくお申し付けください 17期生徒諸君の ご発展を念じて ここにお祝いのメッセージを申し述べさせていただきます 誠におめでとうございました http://www.syujac.co.jp/seki/



2002年3月20日(水) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り009−02
3000人達成おめでとう! アンチュウの苦労が数となって、ドンドン増えておりますことに、仙人部落を代表して敬意を表します。 仙人のデジカメは、何処か巷を散歩しているようで、仙人部落には帰ってきません。 誰か餌をやってくれていればいいのだけれども・・・。 捜索に当たってくれた面々に御礼申し上げます。葉っぱで買える程度の新デジカメを手に入れました。 さて、仙人部落は卒業シーズンを迎えております。 写真は、44期の記念写真です。 誰が誰か、さっぱり分からないのが、仙人部落の写真の特徴です。 三月二十六日に仙人部落を出ます。 娑婆にいる17期諸兄!仙人部落で育った純真無垢?の44期の息子達を宜しくね! もう一つニュース、森永夫人が、四月一日に娑婆の刑期を終え、古巣の仙人部落に戻ってこられます。 仙人の小屋の近くで仕事されます。 ・・・・涙なしで生徒を送る鍛錬をしている仙人
アンチュウの返信メール ”江田島仙人便り009−02” ありがとうございます。 御礼の返信、遅くなって申し訳ありません。
ゆるしてくだせー 仙人さま〜。
そうですか。44期生ですか。 17期の純真無垢?と人種が違うんでしょうね〜。きっと。 ”涙なしで生徒を送る鍛錬をしている仙人” 涙なしとは考えられません。 仙人の事ですから30数年前よりもゆるくなり量も多くなっているのでしょう。
涙をはばかってはいけません。人前、立場を考えず流す仙人の涙。 俗人を感動させる仙人の涙です。



2002年3月19日(火) 藤原より
件名 : Re:3000カウントの御礼
祝3000カウント〓17期のみなさん、そしていつもガンバッテやってくれている安中くん、おめでとう。
こんな短期間でこのカウント達成は17期のみんなが楽しみにしている証拠でしょう。他の生徒関係者にも拡がっているかも?これからも楽しみにしています。
アンチュウの返信メール 早速、返事をもらったのにこちらからの返信が遅くなり申し訳ありません。 アンチュウ・・・・ハンセイ!! 広島の桜はいかがでしょうか。 桜の花を見るたび江田島を思い出します。 あぁ もどりてー!! 30年前に。



2002年3月19日(火) ほっとけの谷憲より
件名 : Re:3000カウントの御礼
うん!よかったな。 お前頑張ってるねー。 パスコン今しばらく待て
アンチュウの返信メール 谷憲先輩、アンチュウからの3000カウントの御礼のメールを送信するやいなや、早速の返信、ありがとうございます。 第1号でした。 にもかかわらず、返信が遅くなってしまい申し訳ありません。 来たメールには、必ず返信を身上としているアンチュウとしましては 誠に反省をしております。 昨日(3月23日)14期生水測の下條先輩よりメールがきました。 (詳しくは ”17Th Home” で) ヤッパ、イイモンダ パスコン は。・・・・



2002年3月19日(火) アンチュウより
件名 : 3000カウントの御礼
2001年9月2日、17期ホームページ ”17Th Home” 開設以来 今日で198日目、3000をカウントしました。このマニアックな ”17Th Home” がここまで継続できたのも同期諸兄の協力の賜物と アンチュウは厚く厚く御礼申し上げます。
この17Th Homeが同期諸兄のお互いのコミュニケーションの一端として役に立っていますでしょうか。
今後とも、更新を怠らず 17期の絆を深めることに 努力いたす覚悟です。 同期諸兄のご協力、よろしくお願いいたします。



2002年3月18日(月) 竹下和哉 17Th Home掲示板より 18時01分39秒
件名 : 横須賀より
久しぶりです。ますます充実してきたホームページを見てアンチュウの苦労が目に浮かびます。ミサオ君のメールでご存知のように、竹下、伊藤両名は無事、准尉講習を終え、帰隊しました。私は11日付けで横須賀地方総監部に転出しましたが、電車通勤と呉で遊びすぎた疲れがどっと出てしまい、風邪でダウンしてしまいました。17日、38度の熱の中テレビを見てるとインド洋に派遣されていた艦艇が佐世保に帰港するニュースを放映しており、な、なんと「臼井曹長」がアップで写っているではありませんか。インタビューは、たぶんカットされたのでしょうがかっこよく映っていました。そのせいか、18日のお昼には熱も下がり、明日から元気に通勤出来そうです。佐世保の同期で臼井に会ったら「竹下がありがとう」と言っていたと伝えてください。(病みあがりでとりとめのない内容になってしまいました。)
ところで、江田島仙人のデジカメ見つかったのでしょうか?
アンチュウの返信投稿 3月7日、江田島仙人からのメールによりますと「新しいものを買います」とあるのでたぶん、きっと、ぜったいに見つかっていないと思います。 仙人はガックリでしょうけど ひろった人は、ラッキーでしょうね。



2002年3月18日(月) lower_bamboo より
件名 : 転勤しました
桜が、つぼみを見せる頃なりましたが、皆様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。この度 3月11日付をもちまして横須賀地方総監部管理部人事課(昇任、昇給係)勤務を命ぜられ第6航空隊を退隊いたしました。6空在隊時には公私にわたり大変お世話になりありがとうございました。横須賀勤務は初めてですが、2年間、チカンに間違われないよう頑張って通勤したいと思っています。総監部にお越しの際はぜひ、人事課昇任昇給係の部屋に顔を出してください。お待ちしております。
末筆ながら、皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げ略儀ながらお礼方々ご挨拶申し上げます。  敬具 平成14年3月
アンチュウの返信メール 新しい職場でも頑張ってください。 ところで、宛先が 宛先 : "石塚 一石" ***@****なっているんだけど どうしてかな?



2002年3月17日(日) 奄美 橋本和昌より
件名 : DE231 おおよど 先任伍長
平成13年度の術科競技のゴ−ルドプレ−トが6枚。案内されて入るとまずそれが目についた。1位、1位、1位・・・。中でも、先任伍長の自慢は平成13年9月の護衛隊群通信術科競技優勝である。そう、竹原堅一曹長がその人。乗組員の礼儀正しさと節度を肌で感じた。「いきあし」がある。
護衛艦「おおよど」2000t。
臼井曹長乗艦の護衛艦「さわぎり」につづいて忘れられない艦名がまた一つ増えた。午後2時前弦門で握手して再会を約束した。今夕、訓練に出て、佐世保へは5日後とのこと。 ありがとう「竹原曹長」。    奄美 橋本
アンチュウの返信メール   竹原堅一曹長に会えてよかったな〜。 前のメールでは、30周年のときよりこころもち太ったということだけど ”こころもち”ってところが橋本のやさしさか? すくなくともアンチュウはそう理解している。 竹原がパソコン買ったって? どう考えてもアンチュウには竹原がパソコンに向かっているイメージが浮かばない。 彼は、机に向かうと うでぐみ をして居眠りするはずなんだが・・・・。
でも、竹原の健闘を期待したい。 上達の秘訣は、毎日の出来事を17Th Homeに送る事だと伝えてほしい。



2002年月3月17日(日) 奄美 橋本和昌より
件名 : 昨日の夕刻竹原から電話があり「今、奄美にいる」という。
昨日の夕刻竹原から電話があり「今、奄美にいる」という。からかわれていると思いきや、同じ町内の「井川」さん宅からだった。井川さんは、現在奄美分遣隊の先任伍長をされている方で初めてお会いした。佐世保の伊藤隆をはじめ生徒は大変お世話になっているとのことだった。(竹原談) 予定のない古仁屋(奄美南部)入港だそうで、2人の乗員と一緒に井川さん宅に招待されたらしい。昨夜は、名瀬のネオン街に繰り出し、帰宅は2時を回っていた。(竹原はあんなに、唄うまかったかな?) 去年の30周年のときより、こころもち太ったかな? ともあれ、元気そうで何より。 パソコンを買ったそうで帰ったら早速始めるとのこと、そうHPにメ−ルをたのむとのことだった。 行き先は言わなかったが、今夕出港するそうだ。 奄美 橋本



2002年3月15日(金) ほっとけの谷憲より
件名 : なし



17Th Home 徒然草 2002年2月


2002年2月24日(日) uemisa105より
件名 : アドレス変更のお知らせ (17期掲示板 書込みより)
あんちゅうへ ご無沙汰しています。dionからocnへの切り替えに手間取っておりました。せっかく皆さんにアドレス通知していただいたのに申し訳ありませんが、またよろしく通知御願いします
江田島仙人 殿 帰呉のご挨拶が遅れましたこと伏してお詫び申し上げます。お陰様で14.1.10付3年間島流しのご褒美に補充部分隊長という最高のポスト?に付けていただきました。 様々な人間がいて・・・やり甲斐あります。上田三佐夫 



2002年2月21日(木) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り003−02
1 生徒3年生(45期)と芸北文化ランドにスキー訓練に行ってきました。仙人の精進のせいで、一日目はザクザク状態、二日目は大雪、仙人が帰った後の三日目は、最高のスキー日和だったとか。さすが仙人!常に厳しさに身を置く?
2 生徒が、あちこちで転ぶ姿を見て快感!生徒諸君ありがとう。川浪二世は確か八戸出身なのに、スキーは初めて。親の顔が見たいな。生徒のよく食べること。レストランのおばちゃんが、悲痛な顔して、食いっぷりが気持ちよいと喜んでいた。到着後の昼のカレーは、最高4杯。見事!見事!
3 仙人大失敗!二人掛けリフトに生徒二人が先着して待っていたのを、仙人が一人で先取り、生徒(生徒会長・剣道部主将)一人を弾き出して、リフトストップ。生徒に平謝りして、小声で秘密にしてねとお願いした。ちゃっかり仙人でした。
4 夜はケビン泊り。テレビもなく、酒を持ってくるのを忘れたなと、指揮官・分隊長河野3佐(19期水測)に言ったら、生徒と一緒ですから、総員禁酒ですとのこと。仙人、休肝日ができて良かったなと負け惜しみ!昼間の下手スキーのせいか、大いに疲れ、7時半就寝。仙人は厳寒の地でも、酒なしで、ぐっすり眠れるのだ。zzz
5 二日目の大雪の中、生徒とともに半日滑り、上手になれよ!と激励し、足腰の痛みを隠しつつ、颯爽と雪国を後にする。
17期GUY GOOD LUCK!  仙人
アンチュウの返信メール 30年前は、スキー訓練なるものは、なかったんですけどよかったですね。 ところで、仙人の出身地は、どこでしたっけ? 文面を拝見する限りリフトをストップさせたところを見るとなんとなく思うところもあるのですが・・・。 アンチュウは生まれが新潟ですからスキーは、おてのもの。 30代くらいまでは、ガンガン滑っていましたが、近年は、2〜3本くらいすべるとイップクしようとかいって、ビールをガンガン。そのまま宴会になりせっかく来たんだからもう一本滑ろうといっても、すでに泥酔状態。 もう、どうにもこうにもならないで ひと眠りして帰ってくるというパターンが多くなっています。
オレもトシかな?・・・・・ アッタリマエ ジャン!!



2002年2月15日(金) 江田島仙人より
件名 : 江田島仙人便り002−02
1 親子三代・だーれ
2月15日に、川浪2世を呼び、17HPに投稿することを説明した上で、スナップを撮っていいか?有無を言わさず、快諾を得、親子三代のモデル写真を撮りました。主役は、川浪2世、いい男です。後は、爺仙人と親父1術校先任伍長・金子曹長(18期通信・津久茂在住)です。伍長は、時々ばあちゃんの作ったキャベツやカリフラワーを、いつも雲しか食べていない仙人に届けてくれます。川浪2世は、親に似て班長等の手を煩わさない良い生徒です。
2 スキー訓練楽しーみ
2月18日(月)〜19日(火)、川浪2世等3年生とスキー訓練に行きます。最初は、仙人の華麗な滑りを見せられると思っていますが、半日過ぎたら、足腰の痛みが出、ポロが出るだろうなと覚悟しております。 GOOD LUCK!   仙人
アンチュウの返信メール 17Th Homeへの掲載、おくれて申し訳ありません。 川浪2世については、風のうわさで聞いておりました。 川浪は、当17Th Homeの2001年10月18日 竹下からのメールで最近の写真を拝見いたしました。 生徒時代とまったく変わらぬ ゲタ?(失礼!)顔で・・。変なところで安心しました。 2世は、「親に 似て班長等の手を煩わさない良い生徒」だそうですね。非常によくわかります。親は、本当にヨイ生徒でした。 2世に伝えてください。 「冒険も大事だぞ!親と違う自分を見つけろ!」 (っま、人の2世だから言えることなんですけどね。)



2002年2月15日(金) 江田島仙人より
件名 : Re: 江田島仙人便り01−02
早速の返信有難う!副官は偶然HP見つけたと、22班の短艇競技優勝の写真もコビーして、校長も写ってますよと、笑みを浮かべて、私に渡してくれました。早速HPを開いて、副官に最敬礼!ちなみに副官は30歳、独身です。 提案の件、仙人の腕前では、やや不安なところもありますが、喜んで投稿させていただきます。 GOOD LUCK!    仙人
アンチュウの返信メール 短艇競技優勝の写真、見ていただいたようですね。それはよかった。 優秀な副官の笑みの意味はひょっとしたらあの写真の下のフレーズかも? なんせ、極めて高い情報収集能力の持ち主のようですからね。30歳独身の彼は。 副官は、そこを生かしてなんとか仙人のように良き伴侶を見つけてほしいものです。 ご自分の経験を踏まえ、その辺の教育は十分にしているのでしょうね? ・・・・仙人?
”江田島仙人便り”の新コーナー、今しばらくお待ちください。 デザイン的センス皆無のアンチュウであるがゆえ、今しばらくの時間を。 ”江田島仙人便り”は、もちろん、1日に何通でもケッコウですので送ってください。 とりあえず、17期徒然草に掲載いたします。コーナー設置の時には、すべて掲載いたしますのでよろしくお願いいたします。
アンチュウが把握しているアドレスを持っている同期には、新しい者が増えると CC で アドレスを配信していますが、仙人のアドレスも配信します。もちろん仙人にも17期のアドレスを配信いたします。 お互いのコミュニケーションが広がることがこの 17Th Home の目的でもあります。 が、現役組には、メールは、つらいかもしれませんね。ある意味では、会社の上司どころか取締役にメールを送るようなものですからね。 釣りバカ日誌のスーさんと浜ちゃんのイメージで・・・っと考えているのは、退職組のアンチュウくらいなものでしょうが、そこのところは、よろしくお願いいたします。
江田島仙人便り01−02 の 次を お待ちいたしております。



2002年2月14日(木) 海上自衛隊第1術科学校校長 平井良彦海将補より
件名 : 江田島仙人便り001−02
我が副官が偶然見つけた17期HPで、皆さんのメールや当時の写真を拝見し、素晴らしいHPができたものと感心致しております。私は、当時と同じように塀の中の仙人暮らしが板についてきました。畑仕事、木々の剪定も上手になりました。夏は、百足、虫と戯れ、冬は枯葉に埋もれております。2月13日、短艇競技がありました。昔も、こんな長い距離を漕いだかな?と、生徒に惚れ惚れしました。優勝は三年(45期)通信、2位は二年通信、3位は4年通信でした。スナップを添付しますので、当時に戻ってみて下さい。
3月2日には、伊藤幸、竹下准尉と呉・江田島の17期と一杯飲む計画を樺島が立ててくれました。仙人は、ネオンのある塀の外では、生活が出来なくなっておりますので、狂わないか心配です。 GOOD LUCK!     仙人
アンチュウの返信メール こんばんは。 ようこそ ”17Th Home”においでくださいました。 アンチュウは、なが〜いこと 待っていました。 あまりの嬉しさに何から先に書けばよいのか迷いに迷っていますが、指の動くままに記していきたいと思います。
当17Th Homeには、”仙人”に関する記載が数箇所ありますが、そのうちの一つ「リンク集」にあるページには ”仙人”の若かりし頃の写真も掲載してあります。 昨日生徒の短艇競技があったとか。 30数年前、その短艇競技で多分22班が優勝したのではないかと思われる写真です。 現在の第1術科学校のHPで拝見する ”仙人”とまったく同じでHPを作成しながら驚いていた事を思い出します。 よくぞ 御自分から ”仙人” と 名のったものだと・・・。 ”仙人” の ”仙人” たるゆえんをまざまざと感じております。 この17Th Homeの存在を教えた副官は、これを見たのでしょうか? 17期徒然草1月6日の竹下からのメールの返信にも ”仙人” にこの17Th Homeの存在を教えてほしいとお願いしていましたがそれより先に副官に発見されたようですね。 アンチュウとしては、副官の極めて高い情報収集能力に敬意を表すとともに ”座布団5枚!!”
なんだかわけわからなくなってますが、とにかくありがとうございます。 3月2日の様子は、きっと竹下が送ってくれると思いますが ”仙人” の感想もお待ちしております。 尚、 「江田島仙人便り」 を 新コーナーとして準備いたす用意を整えますのでお忙しいでしょうが 雨なぞ降って 畑仕事、剪定もできないようなときには毎日でもケッコウです。 是非、お寄せください。 (当17Th Homeでは、江田島の”仙人” で行こうと考えていますがそれでよろしいでしょうか。)
今日はこのへんで。また、メールいたします。
追伸 17Th Homeに掲載の予定でしたが、あっという間に23時30分をまわってしまったので、とりあえずメールを先に送信します。 お許しください。



2002年2月11日(月) 上田三佐夫より
件名 : なし
編集ご苦労様です、卒業以来初めての陸上勤務となりました。今までなかなか会えなかった人に会えたり、お陰でこんな懐かしい気分にさせてもらって感謝しています。まだ新しい仕事に慣れていないので余裕ないんだけど、何かお手伝い出来ることがあったら申しつけてください。ではまた 上田三佐夫 
アンチュウの返信メール 三佐夫君、久しぶりです。卒業以来初めての陸上勤務とか。よく頑張りましたね。海上自衛隊を目指した者はそうじゃなくちゃ。縁あって、17期ホームページ ” 17Th Home ”を立ち上げました。全国各地に散らばっている同期のよりどころを目指してはいるんですが・・・。これからもよろしくお願いいたします。アルバムの 「三佐夫君 ネムイ〜」 なかなかいい写真です。



2002年2月9日(土) takeshita kazuyaより
件名 : 新しい仲間の紹介
こんばんわ 後歩沙汰です。 今、呉で准尉講習中のタケシタです。連休で一時帰宅しています。 先日、呉で同期会やりました。 竹原、黒木悦郎、高橋良彦、大石、椛島、上田三佐夫そして、講習員の竹下、伊藤幸一です。 黒木が胃の手術をして、ちょっぴり元気なかったもののみんな元気でした。宴会中に対馬の宮崎に電話して激励の言葉もいただきました。 月末頃、再度宴会を計画しています。 17期のHPの話も、もちろんしましたが、上田君だけ反応ありました。とりあえず、アドレス送ります PC:****@**** 携帯電話***−****−**** メール ****@**** ****@****かもしれない(FAXのため判別困難)
アンチュウの返信メール 上田三佐夫の紹介、アリガトウ。 17Th Homeに上田君だけ反応とは、なんと言ったらいいか。 でも、そんなもんかもしれないな・・・。 准尉講習、頑張っている? 宴会の一枚を待ってます。



2002年2月5日(火) 佐世保 伊藤隆(水測)より
件名 : Re: 2月の情報
今、氏野が佐世保に来て家で飲んでいます。 竹原は残念ながら出港です。山崎に電話したけど仕事が忙しくて出なかった。 このところみんな忙しいみたいで誰とも連絡は取っていません。 何も連絡がないということは、みんな元気でいるんだということにしておこう。 今、写した写真を添付します。            02.02.05  19:40   伊 藤

17Th Home 徒然草 2002年1月


2002年1月29日(火) 佐世保 伊藤隆(水測)より
件名 : 九州は寒い
 ごぶさた! 今日10日ぶりに佐世保に帰ってきたら寒いこと寒いこと。 沖縄は、さすがに暖かくてポロシャツにふつうのジャンパーでOKだった。忙しくて飲みに出たのは1日しかなかったけど、平成になって初めての沖縄だったから泡盛をたらふく飲んできた。 今回は、我が社の定期便で下ったんだけど厚木の山下孝が乗っていて2,3分しか話せなかったけど卒業以来初めてあったから、とても懐かしかった。 2月の4日に氏野が来るからまた竹原たちと飲む予定。 高橋芳彦も25日くらいから来てたらしいけど俺は出張中で会えなかった。 乱雑になったけど、沖縄から帰ってまずは一筆。 添付の写真は今の天気です。  伊藤(水測)
アンチュウの返信メール 返事と17Th Homeへの掲載、遅くなって申し訳ない。 沖縄は、あったかいらしいね。 本当の泡盛の味、残念ながらアンチュウは知らないが、知らないことのほうがアンチュウには幸せかもしれないね・・・? 山下に会ったとか。同じ会社にいながら卒業以来というのもおかしな話だが、全国をマタにかける御社、うなづける。 氏野は新聞によると海外に出張になるのかな? 実習で佐世保にいたとき、飲むといったら焼酎のお湯割りといったイメージが強いが今でもそうなのかな? 2月4日の宴会報告、待ってます。



2002年1月16日(水) クロウサギより
件名 : 確認
伊藤隆へのメ−ルが[unknown]で返ってきた。 アドレスは*****@**** で間違いないか?
アンチュウの返信メール 間違いないと思うが、今一度送ります。なお、昨日も今日の以下のアドレスもアンチュウのキーボードでたたいたものじゃないから間違うわけはないと思うが・・・・*****@***** 一応、佐世保の伊藤隆にも橋本のアドレスを送信しておきます。



2002年1月16日(水) クロウサギより
件名 : Thankyou !
佐世保の情報の窓口ができた。ありがとう。氏野のメールにもあったが同期に「イト−タカシ」が3人もいたんじゃホントややこしいよな。ともあれ、少しでも17HPの輪が広がればステップアップだ。氏野のメ−ル、実感として伝わってくる。一般社会の通念ではあまりにも早すぎる年齢設定だよな。通信適正で「氏野」と「立川」は類希な能力を生徒時代から持っていたが、彼の30数年の目に見えない功績は称えて余りあると思う。「氏野」の活躍はいろいろ聞いている。その持ち前の闊達なさわやかさで、一層の活躍を祈る。
俺の一言 
「さがしものは何ですか?みつけにくいものですか?・・・」松島と小池と3人で「小用」に下宿をとっていた頃、松島がよく「陽水」を聴いていた。石塚はビ−トルズに熱中していたな、たしか。野田末盛はとりわけ「小柳ルミ子」だったかな?当時の青春時代のそれがなつかしく蘇る。いま、自分の、家族の、社会のための本当のものをみつけよう! クロウサギ



2002年1月15日(火) 伊藤隆(水測)掲示板投稿より
件名 : 昨日のメールは届いたかな?
昨日、氏野からのメールで17期のホームページがあるのを聞いて初めてメールしたけど届いたかな?今日期待してメールを開いたけど返事がなかったのでもう一度確認のメールを送ります。 佐世保の伊藤隆(水測)だぞ。 返事待ってます。
アンチュウの返信メール 掲示板への書き込みアリガトウ。連休中、更新出来なかったものだからメールの返信も遅くなってしまった。申し訳ない。今後とも、17Th Homeの輪を広げるべく頑張るのでご協力をお願いします。



2002年1月14日(月) 佐世保ー伊藤隆(水測)より
件名 : 初メール
アンチュウ久しぶり、佐世保の伊藤隆(水測)です。先ほどメールを開いたら、氏野からメールが入っていて17期のホームページがあるのを知りました。早速開いてみたら懐かしい面々のメールがありじっくりと読んでしまいました。現在、3FTGという配置で勤務しています。書きたいことが多すぎて長くなるので、今回は佐世保の同期名と勤務場所を送ります。
水測 伊藤(3FTG)、池田富昭(対馬)、山崎末孝(はるゆき)、長倉等(鹿児島音響測定所)
通信 竹原堅一(おおよど)、宮崎保文(対馬)
ET 臼井幸一(やまぎり)、江田(ちょうかい)、高杉(調査隊)
こんなところかな、またおいおい情報を流します。 02.01.14 16:06
PS:奄美のクロウサギ(橋本)が「佐世保にはインターネットをやっている者はいないのか」と書いていたので俺のメールアドレスを教えるか、こちらに橋本のアドレスを教えてください。 伊藤 隆
| *****@*****.ne.jp | 〒858-09** 佐世保市 ******* | TEL 0956-**-****
アンチュウの返信メール 奄美のクロウサギ〜 ! オヌシの願いが通じたか佐世保にもいたぞ〜!! っと、まずは、奄美のクロウサギに一声ほえてから。
こちらこそ、久しぶり!! 元気なようでナニヨリです。アンチュウも、17Th Homeのおかげで相変わらず元気に過ごしております。佐世保隊の消息、ありがとう。高杉は14期生の谷川先輩(自称”ほっとけの谷憲”)から 「いる」 程度の情報を得ていますが、17Th Homeの存在を知らないのかいまだにメールが届きません。他には、竹原がキーボードをたたく姿はアンチュウにも同期にも考えられないことだし・・・・?
”伊藤隆のアドレスを知ってる人は、アンチュウにおしえて ” の言葉は、実は、ETの伊藤隆の事だったんです。っと言うのは、30周年の住所録の中でETの伊藤隆のアドレスが記入されていたんですが、Host unknown で送れないんです。そこで、誰か知っている人がいればと思い、あの記入になったわけです。でも、それで水測の伊藤隆のアドレスが氏野からの連絡でわかり アンチュウは充分に満足しています。これからも佐世保の情報をよろしくお願いいたします。なんせ、アンチュウの恋女房は佐世保出身ですから。
奄美のクロウサギには、このメールと一緒にアドレスと、住所を送っておきます。いずれ届くでしょう。また、メール待ってます。





2002年1月13日(日) 舞鶴ー氏野より
件名 : Re: 2000カウント・・俺のひとこと
あけまして おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。さらに、2000人達成おめでとう!本日、年賀状の整理をしてハッと気がついた。なんと、管理人に信念の挨拶状を出していなかった。メールやH/Pでアンチュウと近すぎて・・・(>_<) 大変失礼しました。来年からは、教官室に呼び出されることの無いように注意いたします。
まず、「伊藤 隆」とは、どの「伊藤隆」かいな?佐世保にいる艦艇要員 水測の「伊藤隆」は、****@****.ne.jpです。本命と違っていてもアンチュウからのメールのccにないので一度連絡してやってね!
さて、本題ですが。
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最近、昔お世話になった方々がリタイアされていくのを見て、定年後のことを考えるようになった。こんなことを考えるのはまだ早いと思われるかもしれないが、単にヒマで年寄りじみたことを考えるのではなく、実家(大阪)に帰り、兄弟・親戚と酒を酌み交わし、不況の中どのように経営して生き残るか?とかを毎日のように話題になると、我が社のぬるま湯が何とも言い難い:恥ずかしさ:にも感じられる。日頃から本職である:艦隊通信等:については、やかましく思われるくらい経営者感覚で指導しながら引っ張ってきたが、所詮、彼らにとって我々は営利企業でもない我が社をうらやましく思っているだけである。不況の中、いろんな事件が発生し、我が社がクローズアップされてきているが、世の中に比べればアマイものである。そういったことから、世間より早い定年を迎えた後、どのように生活していくのだろうかということを考えてしまう今日この頃です。その日まで一桁となってしまったが、忙しさで日々を押し流されるのではなく、しっかりと先を見て自分の定年後のライフスタイルをビジュアル化していこうと考えております。同期諸兄はいかがお考えでしょうか?
現役組はともかく、すでにこの不況の大嵐の中で頑張っている同期の健闘を祈ります。
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ということで、取り留めもなく書きましたが、こんなところが現在の心境です。ところで、管理人の仕事は大変ありがたいことだけど、それより貴方の仕事の方はうまくいってるんだろうかと、常々心配しております。差し障りなければ、そちらの方の現況を知らせてください。体が資本だけに、健康には十分留意して頑張ってネ! ありきたりの言葉だけど。では、また。     舞鶴−氏野−



2001年1月7日(月) 野田 達也より
件名 : RE: CDの注文
ご迷惑をおかけして候 ヨロシク・・・・!!!    By Noda



2002年1月6日(日) 野田達也より
件名 : RE: CDの注文
ゴメン安中・・・!!!! 私は、野田達也です。 明けましておめでとう。今年もよろしく!! 野田健太は私の息子です。マイクロソフト・アウトルックを息子のアドレスで設定してあるのを忘れていました。申し訳ない。普段、自分用には別のメールソフトを使っているので、17期HPからメールを作成したら、マイクロソフト・アウトルックが立ち上がっていたのです。ということで、よろしくお願いします。また、間違って息子のアドレスでメールが行くことがあるかもし知れませんが、その時はよしなに・・・! ところで、昨日は中川といっしょに相模原市内で食事をしました。不動産会社の出資者は叔父さんだそうですが、まだ前の会社の仕事か一部残っているため、直ぐには不動産会社を始められないとか言っていました。        by  野田 達也
アンチュウの返信メール ヤッパ、 オヌシか。 文面といい最後の ” by  Noda” といいきっとオヌシだと確信していたがなんせインターネットの世界、どこにどんな落とし穴があるかわからない。念には念を入れて例のメールを送信したわけだ。 CDのご注文、ありがとう。明日、郵便で送るので待っててくれ。感想のメール、 マッテルデ〜。 っあ、中川に会う機会があったようだけど、よろしくね。



2002年1月6日(日) takeshita kazuya より
件名 : HAPPY NEW YEAR
あけましておめでとうございます。新年の挨拶とニュースを少々
1 江田島町は昨年めでたく「江田島市」になりました
2 久保 健二のメールアドレス *****@*****.ne.jp
3 1月1日付 航空部隊の准尉昇任者(私に届いているもの) 私、伊藤幸一(船はわからない)、1月17日〜3月5日 呉教育隊にて准尉講習入校(たぶん浦田も)入校のため、しばらく連絡できなくなりますが、17期ホームページの更新頑張ってください。呉教育隊のパソコンでのアクセスができれば見たいと思います。 今年もよろしく
アンチュウの返信メール メール、アリガトウ。”メール運びの先任海曹” も 懐かしい顔をしていたような気がするのは、アンチュウだけだよね。准尉講習とか。昨年行った氏野のメールによれば宴会につぐ宴会で ” お金も体も持ちません。”との事。(17Th Home 17期徒然草 2001年2月1日のメール) 胃腸に気をつけながら同期とのコミュニケーションをはかるべし。 もし、1術校の平井校長と一緒になる機会があったらこの17Th Homeの存在を教えて。 久保健のアドレスありがとう。メール、送る。 呉教からのアクセスとメール、”メール運びの先任海曹”も マッテルデ〜。



2002年1月4日(金) 17期掲示板より 鎌田
件名 : 八戸にだって・・・・・・・ 
俺も始めたよ、今回初めて参加させてもらいます。厚木の同期からホームページの件は聞いて知ってました。が、いかんせんパソコンなる物をいじるのがまだまだど素人で自分でも歯がゆい程です。八戸の17期を代表して第一声を届けます。
アンチュウの返信メール 久しぶりだな鎌田。八戸よりの第一声、確かに17Th Homeに届いたぞ。2001年10月18日lower_bambooからのメールによれば ”鎌田は相変わらず下半身で頑張っています。” とのこと。アンチュウには何のことか理解できるのが悲しい。 パソコン初めて間もないようだけど この 17Th Home のおかげでヤルキになったのなら本望だ。っま、ボチボチやるさ。この歳になると頭ではなく身体で覚えないと身につかないようだが 下半身で頑張ってもどうしようもない。毎日17Th Homeにメール書いていればすぐに上達するさ。早速練習問題を与える。「現在の八戸の同期の情報を連絡されたし。」



2002年1月3日(木) Kenta Noda より
件名 : CDの注文
明けましておめでとう。今年もよろしく!!!今年は、久しぶりにのんびりした正月を過ごす事ができました。安中の方はどうでしたか?早速で申し訳ありませんが、CDを注文したいと思います。よろしくお願いします。なお、無料だと書いて有りましたけれども、それでは安中がたいへんなことになるんじゃないの?    by  Noda
アンチュウの返信メール ご注文ありがとうございます。ところで、あなたは ダレ?17期には野田は二人いて一人は野田達也、もう一人は野田末盛 ”Kenta Noda” のアドレスをアンチュウは把握していない。もう一度住所も記載して送信お願いいたします。



2002年1月3日(木) 中川一敏より
いいですよ。どうもありがとう。今日野田に電話した。楽しかった。新潟県出身の長浜正平の消息を知っているか? 

17Th Home 徒然草 2001年12月


2001年12月29日(土) Tathuya Nodaより
件名 : 2001年の出来事
早速の返事ありがとう。直ぐにメールを出してみます。病気の件ですが、まだ話してなかったっけ・・・。もう15年前から拡張型心筋症なんです。精神的には、もうすでにクリアしたというか、いろいろな本を読んだり、フルマラソンにも挑戦したり、自分なりに自分の考えやなんかを整理しました。ですから、心配しないで下さい。 ありがとう。   by   Noda



2001年12月28日(金) 藤原より
件名 : いつも、ご苦労様
今日、会社でHP見たよ。たまに借りて、みんなのメールを見ているんだけど、いい事言っていたり、みんなの近況がわかり、楽しみしているよ。安中がHP作ったおかげで17期のコミュニケーションも拡がっているようだし。
会社のパソコンがあいている時に借りて見るだけだし、携帯だからあまり長いのが打てないけど、できるだけ参加させてもらうよ。安中も今年は大変だった様だけど、来年はお互い、良い年にしましょう。
アンチュウの返信メール 17Th Home、たまに見ていてくれるんだね。ありがとう。この17Th Homeは、アンチュウのホームページでないことは、優秀な17期生徒としては、すでに理解していてくれていることと思う。ただ、アンチュウが、17期の”交通整理”をしているだけなのだ。 ”17期のコミュニケーションも拡がっているようだし。”・・・ アンチュウの思うツボだ。ソコだけなんだ。この17Th Homeの存在価値は。アンチュウの大変さは、みんなの大変さだし、みんなの大変さは、アンチュウの大変さ。 ”我々17期は”イキアシのある奇数期なのだ”


2001年12月26日(水) koike masayukiより
件名 : Re: 新コーナー開設!
あんちゅう、そして17期の皆様ごぶさたしてます。防衛医大病院で放射線技師をしている小池です。メールが来たので”17期2001年”早速何か一言でも書かなくてはという衝動に刈られて、昔を懐かしみながらホームページの中を覗いてみたら突然30年間をタイムスリップするではありませんか。みんなバリバリ仕事をやっている姿、ぼちぼちやっている姿を垣間見ることができ嬉しくなってきました。ところで2001年、生徒隊教官の17期佐藤(寿)氏のご子息が防衛医大2年生に在籍しています。それもよりによってバスケットボール部にいるのです。よりによっての意味は、部長が放射線科の教授、鬼コーチが私の部下と云う事で良く話は聞きます。今年も東日本医歯薬系大学選手権大会で3位になったといっておりました。ちなみに数年前は優勝していました。コーチは、今年優勝を逃したため山梨の会場から大学まで走って帰らせるとほざいていましたが、結局車で帰ってきたそうです。病院での仕事の方はぼちぼちですが、ことバスケットとなると人が変わってしまうコーチの性格で、私から見るとメンバーからは愛されているのか怖がられているのか非常に微妙なところです。・・・
・・お大事に!


2001年12月21日(金) takeshita kazuyaこと lower_bambooより
件名 : 平成13年忘年会
お久しぶりです。 先日、石塚から、ウイルス入りのメールが送られて大騒ぎになっていたみたいですけど、同期の皆は17期HPを見て対策してくれたでしょうか。 これから、ますます、ウイルスには気をつけないと、とんでもない結果になってしまうのでお互い注意したいものですね。 さて、まずはメール運びの先任海曹を掲示してくれてありがとう。 私のアニメーションGIF(自衛隊関係第一号)なので感激しています。 今日は、先日12月19日実施した厚木での同期会の写真を添付します。(1・2・3・4)(4枚:586kbちょっと重いかな)LZH(圧縮)なのでLHASA等の解凍ソフトで解凍してください。 17期HPにも登場していたように中川君も参加してくれました。現役中心の中で、一人、あの4年間の記憶をしっかり話していた彼には感心させられました。
追伸  航空部隊で、私、伊藤幸一が来年1月1日付 准海尉に昇任予定です。八戸では、今年7月、浦田が准尉になっており、ひょっとしたら准尉講習(呉1月17日-3月5日)で一緒になるかもしれません。(また、飲み過ぎそう)それでは、寒くなりました。 風引かないように、HPのアップデート頑張ってください。ADSL開通したらリンクできるHPを作ろうと思ってますがヤフーなかなか来ない (><)/ 竹下和哉

アンチュウのヒトリゴト この写真を見ながらすぐに17Th Homeに掲載するのはもったいない、もう少しじっくりとアンチュウ一人で楽しみたいとおかしな事を思ってしまった。 メールのよさを今さらながらに実感している。多数の同期や、関係者や、野次馬や、関係は無いけど縁あってこの17Th Homeを訪れた人々や、インターネットの環境のあるすべての人々が共有できる。 電話ではこうはいかないし、手紙を書くアンチュウでもないし・・・・。
”メール運びの先任海曹” タイヘンよくできている。竹下が生みの親であり育ての親であったことは、オリジナリティーを重んじたい ”17Th Home” にぴったりだった。特にアンチュウは彼の”目”の動きに思わず見入ってしまった。あの、敬礼し終わったあとのメールに目をやる あの、一瞬だ。 今一度 よくみてくれ。 ほら、実にイイだろう? 彼を lower_bamboから17Th Homeに配属させ、ここに常駐させたとたん takeshita kazuya からメールが届いた。 今後とも彼は、せっせとメールを運んでくれることだろう。
ありがとう、lower_bambo、takeshita kazuya、竹下和哉



2001年12月12日(水) 中川生徒より
件名 : 覚えてくれていてありがとう
アンチュウ。俺のイメージは大体君の通りだ。俺は剣道部だったし(臼井も剣道部だったね)どんくさかったね。おかげでみんなよりも1年も長く江田島にいたし。でもホームページに俺のメールが載って大感動だよ。1年も長くいたけどおかげで観閲式には二回出て、しかも一回目は神宮外苑で二回目は朝霞の駐屯地なんてそんなに経験できるものではない。卒業後勤務していた護衛艦「ゆきかぜ」の乗員名簿には俺のことが生徒17期となっていたから俺は今でも17期と思っているのだが。まあ異論は無いよね。そう言えば「ゆきかぜ」に乗っているとき中村恒正の案内で田中と黒木が遊びに来てくれたことがあった。俺は当直で上陸できなかったので少し話をしただけだったんだけど。 思い出してきた。このHPにも出てくる佐藤豊は二年の原村で俺に****を教えてくれたんだっけ。やつは忘れてるかもしれないけど。部隊実習で「ひえい」に乗ってたとき3等海曹の中村恒正と一緒だったんだけど忘れもしない7月7日に一晩で七回も***をしてしまったこと。(恒正は知らないと思うけどね) 心弱い俺はくじけそうになったとき、いつもなぜか同期と会って力をつけてきた。なぜかそんな時現役の奴とか辞めた奴でも同期と出会うことが出来た。そう言えば今日も鉄と会ったぜ。今はくじけてないけどね。長々と書いてしまったがこのHPは俺の原動力になると思う。あと何百年になるかもしれないけどアンチュウ! 俺たちが生きている限りこのホームページを続けてくれ頼む。
酔っ払って書いたので不謹慎な言葉など多数あるでしょうから消してしまってもかまいません。
アンチュウいつか会える日を楽しみに待ってる。よれよれのじじいになってもがんばろうぜ。
アンチュウのヒトリゴト 中川、このメールを読んでうれしかったヨ。自分の事はなかなか言えないものを自分をさらけ出している中川の心とフトコロの大きさに感激もした。当時は、計り知れない苦労や辛いこともあったろうに。文面の中に「俺は今でも17期と思っているのだが。まあ異論は無いよね」とあるが、もちろんだ。全くない。そこがアンチュウは声を大にして思うところで17Th Homeの最初のページにも記載のとおり、あの時大講堂にいたものすべてだ。あの時が大事なのだ。 中川よ! オヌシは、酔っ払ってメール書いた方が文面がイキイキしてるようにアンチュウには感じる。 次回も、飲んだあとにメール送ってくれ。 ****の箇所は まかしとけ!!



2001年12月10日(月) Ishizuka より
件名 : ウイルス
ウイルスに感染したみたいだ。12月8日にはメールを送っていない。 竹下に相談したところ下記のような処置を教えてくれた。 CHECKしてみてくれ。 13.11月頃から発生しているウイルスの名前 (W32.ALIZ.WORM)上記、ウイルスはOUTLOOK EXPRESS使用中に、知らない相手からこのウイルスが入ったメールを開いた時点で感染する。 感染すると、次回メールソフトを起動しただけで、ウイルスが作動し接続した時点で、自分のアドレス帳に登録してあるアドレスへ同じメールを送ってしまうもの。 間違って、感染した場合は、早急に、自分のアドレス帳、全ての人に「ウイルスに感染したメールが送られています」「早急に、対処してください」と連絡しなければ、被害はどんどん広がります。 PC自体に、損傷を与えるウイルスではないので、以外に気づかないものですがメールを送られてきた相手には、いい迷惑です。 対策(ただし100%ではない)
(1)IE5.5以前のインターネットエクスプローラ&OUTLOOK EXPRESS使用者は =>マイクロソフト社がホームページ上で公開している「SP2」をダウンロードする。
(2)IE6にバージョンアップする。  =>マイクロソフト社のホームページ上で公開しているのでダウンロードする。 ただし、このバージョンから接続しながらしかインストールできなくなっています。
今のところ安中と橋本からメールが開けないと連絡がはいったが、他の人からは今のところない。 17期HPにのせてくれ。   いしづか
アンチュウのヒトリゴト 11月28日、12月8日、12月9日とわけのわからない添付ファイルのついたメール3通を受信していた。12月8日のメールには、送信者に Ishizuka の 名前があったので、一応、Ishizukaにその旨、メールした。その返事が、以上の文面だ。心当たりの人は、すぐに対応すべし。詳しい内容は、 http://www.trendmicro.co.jp/virusinfo/default3.asp?VName=WORM_BADTRANS.B のサイトに記載されている。 尚、アンチュウのパソコンは感染していない。いしづかの「17期HPにのせてくれ」の要請にこたえ”緊急連絡”として17Th Homeに掲載した。 いしづか、連絡ありがとう。



2001年12月7日(金) 中川より
件名 : お久しぶりです
中川一敏と申します。覚えていますか。最近厚木基地の中で仕事をする機会があり17期の連中とも顔を合わせることが出来とても嬉しく思っています。また厚木基地で行われる同期会にも誘われとても光栄です。 このホームページはとても良く出来ていますね。 お気に入りに追加させてもらいました。またいつかお会いできる日を楽しみにしています。
アンチュウのヒトリゴト 覚えているとも!覚えてるデ〜、中川生徒。イヤー!29年何ヶ月ぶりかな?とってもウレシイ。アンチュウが保存している17期に関するアルバムの中に1枚だけはっきり顔のわかる中川生徒の写真があった。ホント久しぶりだね。今思い出してみると背が高くて体格もよくて確か剣道部だったような気が、なんか剣道着を着ていたようなイメージが残っているのだが。(汗臭いにおいがパソコンからしてきそうだ。)間違っていたらゴメン。走るのは苦手のような気もしてきた。フムフム、だんだん思い出してきたぞ。水泳も赤帽で頑張っていた。どっちかというと*****ような・・・ゴメンゴメン、なんか中川生徒の変なイメージばっかりで。いずれ削除するね。しかし「そうじゃないぞアンチュウ!」っと中川生徒からじかに言ってもらうとアンチュウのこれからの中川生徒に対するイメージが新たなものになるし、このままだといつまでたってもそのイメージが払拭できない。でソコのところヨロシク。 17Th Home 誉めていただいて光栄です。お気に入りに追加もいいけどこの17Th Homeの目指すものは「同期諸兄と生きてきた時代とこれからのいきざまを記録するために、このホームページを開設する。」ところにある。そのためには生きたメールが必要だ。待っていますメールを。

17Th Home 徒然草 2001年11月


2001年11月30日(金) S-IMADAより
件名 : 前畑啓二
あんちゅう 元気でいますか? このところご無沙汰で申し訳なし 10日間ほどアメリカを回ってきた NYのダウンタウンはまだすっすらと煙が上がり焼け焦げたにおいが残っていた 僕はかつてこの街に3年半の駐在をしていた事があって心中複雑でした ところで昨日11月29日呉から戦技(?間違ってたらごめん)で横須賀にやってきた高橋良彦と前畑啓二と3人で横須賀で会いました 前畑には30周年の案内が届いていなかったようでちょうどその時横須賀に居たのにと残念そうでした で 昨日の3人の写真を添付します 前畑自慢の魚料理の店と海上自衛隊おっかけママがやっているBUBUと言うクラブ?バー?で盛りあがってきましたが 高橋・前畑はその後いずれかに沈没して行きました・・・・ 現役は強い! それと臼井 無事任務を完了し元気に帰ってきてほしいものです 前畑も湾岸戦争では掃海艇で参加し苦労したと話しておりました それでは又 いまだしゅんすけ
アンチュウのヒトリゴト シュンスケクン、よかったね。いい夜を過ごせて。前畑に関しては、以前小松からのメールでこんなのがあったぞ。
「写真無事届いたよ!サンキュー 明日から、約一か月間、呉方面に行く予定です。久しぶりに、江田島に行って心の修行をしてきます。一術校長の平井海将補にもあいさつしてきます。話は変わるけど、先週前畑と飲んだ。相変わらずだ!だけど宴会でもないようだったけど時間的にあの時間に飲んでいるのはおかしい。調査の要有り!」
どう思うかねこの文面をシュンスケクン。それとすばらしい写真ありがとう。あの一枚でその夜がどんなものだったか感のいいアンチュウには手にとるように分かる。俺も仲間にイレテクレ〜!



2001年11月28日(水) Ishizukaより
件名 : 15期生徒HPのLINK
 今日、松川さんからHPのLINKについて連絡が入りました。返事は「YES」です。いつでもどうぞ!とのことでしたが、書き込みについては、当然[USER ID][PASSWORD]が必要なので要検討とのことでした。  URLは http://***********です。 臼井、とうとう出発しましたね。頑張ってきてほしいものです。航空部隊も応援していますよ。 先日の鍋島が夜、興奮して電話してきました。仕事から帰ってインターネットで「少年術科学校」をなんとなく検索したらしいですよ。そしたら、そしたら!我が期のHPがあるではないですか。「一石!HPに俺も乗せたいがやけど、どすればいいがか?」と金沢弁で!なんせ夜の12時前だったので爆睡中。寝ぼけ半分でHP中の連絡先からメールを安中に送るように言ったのですが、何か連絡ありましたか?鍋島に翌日シャキットしたところで、電話したのですが連絡がとれません。おーいナベ!わかったか!!



2001年11月21日(水) 奄美 橋本和昌より
件名 : 「さわぎり」出航
臼井が奄美に来たとき、艦内を見学し食事をし、乗員に説明を受け、艦を後にするとき若き艦長も陸岸まで内火艇を共にした。そういったこともあってこころなしか「さわぎり」に親近感をおぼえる。 奄美出身の若い隊員も1人乗艦していた。 今朝、弊社の朝礼で、臼井と撮った艦上写真の拡大プリントを社員に見せ、国事の重大さ、任務の重さと職務意識ついて時間をさいた。 弊社の朝礼では以下のことを皆が復唱して始まる。
1.真実かどうか
2.誠意と真心を尽くしたか
3.みんなに公平か
4.みんなのためになるかどうか
今回の「臼井」の出航がこれらの言葉とオ−バ−ラップする。 任務を全うして、元気に帰国せんことを奄美より祈る。   橋本
アンチュウのヒトリゴト メール、ありがとう。 さっそく、17Th Home に 掲載した。 アンチュウの意見も若干、書いておいた。報道で、「さわぎり」と聞いてすぐ、臼井を思い出した。 17Th Homeの書き込みも、このメールも複雑な気持だ。先発の3隻のときもそうだったが、このたびの「さわぎり」の出航に関しては、臼井が乗艦していることもあり、どういうわけか涙ぐんでくる。まるで、親、兄弟かあるいは自分の子供を送り出すような気がしているのだが、そう思っていたのは、オレだけではない、歳のせいではないと、変な安心をした。 ともかく、家族の心労をねぎらい、本人の無事を祈るだけである。朝礼の言葉、すばらしい。それぞれの言葉の中には、きっと、もっと深い意味があると理解しているが、そのうち披露してくれ。




2001年11月10日(土) 奄美 橋本和昌より
件名 : 護衛艦対米支援出航に思う
12億人ともいわれるイスラム世界の純粋な人々を、宗教の名のもとに方向を誤らせ、およそ架空の神を自らの野望のためにデッチあげ、アメリカ国際社会を敵として世界を混乱させている一部の狂人たちに自らが信ずる神による地獄の罰を・・・! 米国際貿易センタ−への衝撃的なテロ事件から2ヶ月になる。  にわかに予想はできたものの、いよいよ現実のこととなってしまた。 マスコミや野次馬的思考の一部の国民は必要以上に自衛隊の支援行動を煽っている感も否定できないが身近に理解できる小生としては報道を人ごとはとても思えず、今、キ−ボ−ドをたたきながらも目頭が熱くなる。 「ふだん通り任務を果たします」と応えた「くらま」の45歳の隊員。 「昨晩は家族でホ−ムビデオを撮影しました。子供の写真とお守りを渡してあります」と涙ながらに「きりさめ」隊員の奥さん。 「家族のいるこの国のために粛々と任務を遂行したい」と「はまな」乗員。 心中はいかほどか、察してあまりある。 文字通り、戦火の中へ赴く700人の精鋭たちの勇気と潔さに懐心の敬服と、必ずや無事帰還を念じてやまない。   11/10   橋本和昌



2001年11月5日 鍋島より安中へ
件名 : 鍋島だよ・・・・・・ん
びっくりしたよ  だって少術校でこんなんが出てくるなんて・・・。私は元気でやってます。この出所がわからなくって今H13.11.5.22:45一石にTELして確認しました。一石は迷惑がらずに説明してくれました。うれしいかぎりです。 私も今横浜市役所につとめながら予備自衛官をしています。 この前会った時よりも元気でやってますよ。あんちゅうはどうですか? また なんかあったら送ります。このページ見てますよ。よろしく。



2001年11月5日 鍋島より安中へ
件名 : 鍋島だよ
今、仕事から帰って何となく開いて見ました。スケベ根性で少術校をひらいて見たらこれがでて びっくり aa

17Th Home 徒然草 2001年10月


2001年10月26日(金) Einstein より安中へ
件名 : 15期生HP
前略アンチュウ様 昨日、15期生の松川さんとHPのLINKの件について話しました。松川さんは快く賛成してくれましたが、こればかりは一人で決められないので後日、同期(HP開設者)に話してみるとのことでした。15期生のHPは個人がそれぞれパスワードをもっており、やはり現役組の生では話せない仕事等のことを秘匿するためのものらしいです。我が期も同期だけしかOPENできないページがあってもおもしろいですね。 さて私めのアドレス(einstein)ですが、一石(いっせき)なのです。英語で(one stone)独語で(einstein)!  祖父がアインシュタインのような科学者になってもらいたくて命名したみたいですよ。 自衛官になってしまって、あの世に行くのが怖いですね。  Einstein(いっせき)
アンチュウのヒトリゴト アンチュウもパスワードで入れるHPを模索していたが当HPのプロバイダーOCNでは CGIの利用制限があり残念ながらできないようだ。17Th Homeのプロバイダーを別に移すかしないと無理みたい。・・・ザンネン。何か良い方法を知っている同期がいたら教えてくれ。
さて、Einsteinクン、オヌシのじい様はいったいどんな人物だったのだろう?世の中に”隔世遺伝”という言葉があるが、じい様がどんな人物かEinsteinクンを知っている人間には、興味のある問題だ。



2001年10月18日(木) lower_bamboo より安中へ
件名 : 同期の写真by八戸
10月16日八戸に全国先任伍長の会議で行きました。 厚木基地各隊の先任伍長10名のうち4名は17期です。 竹下、佐々木、山本、吉原のうち吉原を除き行ってきました。 八戸には、川浪3尉、松島准尉、浦田准尉、鎌田曹長の4人が我々を出迎えてくれ、久々に昔の話や安中のHPの話をしましたがなんせ、八戸はまだ20世紀のためパソコン、インターネットをやっている同期がいません。(話にならん)でもHPの件は伝えておきました。 その時、撮った写真を添付します。 八戸のみんなは、外見上、老けていました。が松島は老眼ではなく近眼で浦田は相変わらず、襟を立てていました。 川浪は一時体調を壊していましたが元気になっていました。 鎌田は相変わらず下半身で頑張っています。 ちなみに、山本は翌日、死んでいました。(すでに死にかけている)
アンチュウのヒトリゴト ヤッパリ八戸は電気が通って まもないのか。それではパソコンもインターネットも「ナンノ話?」ってなことになるのもうなづけるし lower_bamboo の(話にならん)の落胆もわかるような気がする。・・・写真もよ〜くよ〜く見ると「ウム〜 間違いない。」っと 一呼吸おかないとわからないヤツがいた。人のことは言えないアンチュウであるが30年の歳月は オソロシイね。同期諸兄。



2001年10月13日(土) いしづかより安中へ
件名 : アルバム
ありがとう!!今日受け取ったよ。アンチュウの言葉に甘えてしまって・・・手間かけて悪かった。でもアルバム見るとみんな若いね。そして細い、いや締まっているよ。最近、腰を悪くして運動不足!!若干太りぎみ!年齢的に気を付けなくてはね。 いしづか
アンチュウのヒトリゴト いしづかにCDを送った後に気づいてもあとの祭りだが昔、メンズクラブという雑誌に掲載されたことがある写真を見つけた。 なつかしいだろう いしづかクン。



2001年10月12日(金) lower_bamboo より安中へ
件名 : Re: ピンポン(当たり-)
そうです。私が竹下和哉です。 さっそくHP見ました。投稿文を掲示していただきありがとう。ただし「ここから掲示して」ではなく最初のほうが掲示してありました。 特に問題はありませんが、石塚をフランケンみたいと冗談で書いたのがばれると怒られそうですね。 先日の飲みすぎで二日酔いだったと言う事でOKです。 ちなみに4空群のHPは、広報班で作っています。(立ち上がりの6空紹介ページは私が作りましたけど)現在、職場の隊員(6空)の中だけで閲覧するHPを担当しています。ゴルフは遊び、いや、本職でHPとは関係ありません。ということで補足説明でした。 以上、私も、おやすみです。では、また! 質問、安中のPCのOSはWINDOWSだよね。もしMACだったら添付ファイル見れないかも?と心配しましたが、いかがでしょうか? 竹下和哉
アンチュウのヒトリゴト 添付ファイル、ちゃんと見れたよ。そのうち17Th Homeに使わせてもらいます。



2001年10月11日(木) lower_bambooより安中へ
件名 : 初めまして
フランケンみたいなアインシュタインからHPのURLを教えてもらい拝見しました。 仕事が忙しいのに、毎日、夜遅くまでかかって苦労して作ったんだなーと思いました。 石塚からのメールで厚木の同期については多少、理解してくれたと思いますが、この年になると、皆、仕事が忙しくて(私と佐々木を除いて)中々逢えません。といっても一言、声をかければ、どんな仕事があっても、すぐ集まるところは、やっぱり同期なんですかねー HPについては、私も作ろうか下なんて考えていたのですが、ゴルフと職場のHP作成、更新が忙しくてなかなか始まらなくて、なんて言い分けですが、安中のHPみて安心しました。とりあえず、17期のネットワークの基礎が出来たということで、今後も素晴らしい内容になるよう頑張ってください。 私も、暇な配置に転勤したら、リンクページでも作ろうと考えています。今日は初めてと言うことで写真を送ろうかと思ったのですが、来週、少し同期が集まる会議があるので、その写真を後日送ります 今回は、HP素材に使えるかどうか分かりませんが添付しておきます。(画像=2、MIDI=7file:147kb) ここまでは私の独り言、また長い文章なのでカットしてください。 それではここから、掲示板にのせてもいいように、ちゃんと書きます。


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安中君、17期のHPを拝見させていただきました。とてもすばらしい出来栄えで感激しています。 さて、私の希望ですが、将来といっても後、6年から8年すれば現役組も定年で、チリジリばらばらになってしまいます。その時のためにも、17期のネットワークを確立し、いつでも、連絡が取り合えるようにしておきたいと考えています。簡単にはできませんが、少しづつ輪を広げていって17期ホームページにアクセスすれば、最新の同期の情報が分かるなんて素晴らしいことだと思います。40の手習いと言いますが、私も本格的にパソコンをさわりだしたのは40歳からです。優秀な17期諸君、IT時代に取り残されないよう、また同期のネットワーク確立のため若い頃を思い出して頑張りましょう。そして、そのうちあたりまえになるかもしれないテレビ電話でお互いの老けた顔を見ながら若い頃の話をボケ防止のためにできればいいなーなんて考えています。そのために、とりあえず、電話、住所、メールアドレス等、必要な情報を安中君宛に送って、一覧表(パスワードあり)にしてもらえればありがたいなーなんて勝手なこと言ってばかりですいまそん。とにかく、今後も17期HP期待しています。

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以上です。長くなってしまいました。それでは
アンチュウのヒトリゴト lower_bambooクン ありがとう。とりあえず、(いしづか以外)問題ないようなので全文を掲載した。”一覧表(パスワードあり)”の件、アンチュウも考えていた。今しばらく、お待ちくだされ。添付素材、利用させてもらいます。会議後の写真、マッテルデ〜



2001年10月9日(火) Einstein いしづかより安中へ
件名 : おはよう
おはよう!HPにメールを掲載することは問題ないよ。*******。今日から厚木地区は冬服。朝一で携帯からメールしたEinstein いしづか でした。
アンチュウのヒトリゴト さっそく変更した。ところで”Einstein”をどう読んでいいかわからない諸兄にアンチュウが教えて差し上げよう。オンラインソフト・バビロンで調べればイッパァ〜ツ。 ”アインシュタイン” で間違いないよな Einsteinいしづか くん?



2001年10月6日 いしづかより安中へ
件名 : 元気そうだね。
この間は突然ごめん! 17期のHPを知る前に15期の松川さん(航空集団先任伍長、次期海上自衛隊先任伍長)から15期のHPができたことを知らされ是非!見たいと話していたところだった。 我が期にもあればと、竹下(6空のLAN担当で、厚木地区では彼の上を行くITオタクはあまりいません)に話しをもっていこうとした矢先、携帯メールが鳴り奄美のクロウサギこと橋本君から17期のHPのアドレスが送られてきた。(3回目で正しいアドレスをBINGO!!続けて安中からもBINGO!)目から鱗でしたね。すばらしいものができたね。楽しみがふえたよ。航空士の参加者が少なくてチョピリ寂しかったけど、これからどんどん充実していけばいいね。たいへんだったろ(我輩はIT音痴)それと卒業アルバムだけど、安中CDにしてくれるの? 17年前に岩国基地でPS−1の事故により殉職した黒田の奥さんに貸してあげたんだけど、返してくれとも言えずに今日まできてしまった。黒田は卒業していないのでアルバムもっていなかったようだよ。できれば作ってほしいな。御願い!! 厚木の同期のアドレスだけれど、竹下 ****@****** と、鉄 *****@******* のならわかるけど、ほかは山下と久保がPCを持っているが普段基地のなかのLANで連絡をとりあっているので知らないんだ。今度調べておくるよ。ちなみに鉄はメールが嫌い。用件は電話で!といっているが、携帯電話もなかなかでないので、そんな時はメールを送りつけている。8月に一実と3空先任伍長を交代して51空に転勤してきた。こういう時期だけに3空・6空は大変なようだ。6空(竹下・先任伍長)はえひめ丸の支援でHAWAIに飛行機を飛ばしているようだし、3空は10月にオーストラリアで開催予定だった国際観艦式参加がCANCELになり、****************.こういう時期に51空に転勤になって残念でたまらない。 同じ基地に11人もの同期が勤務していると、いつでも顔を会わせられるだけになかなか同期会やらないのが現状。以前は17期会(いななきかい)と称してセーターやパンツを揃えて月に1回基地のなかでGOLFし、お金を積み立てて年に一回温泉付きGOLFを楽しんでいたが転勤により同期が減り今はやっていない。最近また同期が増えてきたのでまた開催しようと話している。 最近同期で飲んだのは猪俣が大湊から儀装に入った時と、楯が術科競技で飛んできた時くらいかな。寂しいね! 昼飯はいつも顔を会わせて食っているんだけどなぁ!! そんなわけで厚木方面に来るときは是非連絡を!!また連絡します。ありがとう Einstein いしづか
アンチュウのヒトリゴト 厚木の同期の情報ありがとう。いろいろ聴きたいこともあるが、メールで送る。



2001年10月5日 氏野より安中へ
件名 : 素材の送達について
久しぶりです。 最近の国会中継には、注目させられます。どうなる事やら。 さて、素材を送ると言いながら遅くなり申し訳ない。一昨日郵送したので、明日には届くはずです。我家のコマーシャルも若干入っていますが、それは別として参考に使ってください。この内容は、HPには載せることはないと思います。
では、季節柄、体調を崩すことのないよう頑張ってね! by Ujino
アンチュウのヒトリゴト 素材CDは、10月5日に届きました。いつもながら氏野には感謝している。



2001年10月3日 いしづかより安中へ
件名 : アドレス
橋本から教えてもらった17期のHPが開けません。 アドレスが間違っているのかな?教えて下さい。いしづか
http://www.2.ocn.ne.jp./~annaka/ これが橋本が送ってきたアドレスです。
アンチュウのヒトリゴト これでは、17Th Home には行けません。ドットが二つほどヨケイですぞ、奄美のクロウサギ君。


2001年10月3日 いしづかより安中へ
件名 : やったぁー17期HP
橋本から17期のHPアドレス聞きました。元気ですか?厚木の同期はみんな元気ですよ。今、51空なんだけどこの庁舎には空団(吉原)・通信隊(野田)・PGD(佐々木)・51空(山下)が一緒にいる。基地全部では4空群(久保カツ)・513飛(大田、水川)・電整隊(伊賀)・3空(山本)・6空(竹下)と11名の同期がガヤガヤとやっている。ちょうど昨日15期の松川さんと同期のHPについて話していたところ、橋本から連絡をもらいこの件の話しを聞き喜んでいます。今は携帯からです。我が家のアドレスは****です。こちらの情報も又おくります。いしづか
アンチュウのヒトリゴト 詳しくは 17Th Home 定時連絡で。

17Th Home 徒然草 2001年9月


2001年9月28日 シュンスケより 安中へ
件名 : 15歳の自分
アンチュウ 新しい職場できっと時間的にも精神的にも厳しいだろうに 17期のHPが本当に定期的にアップされていて驚きと感謝です ありがとう CDちゃんと見ることができましたよ 15歳の時の自分に久しぶりに対面しました それを見た息子が お父さんて昔からこうだったんだねと何とも意味深な反応を示しておりました 深謝・多謝 今日の報道によると取りあえず ’’こんごう’’の派遣は見送られた由今同期は誰か乗っているのでしょうか? バンジョウ君 僕の毒舌は関西人であるが故ではなくそれだけ歳を重ねて人間が辛辣になったってことだよ でもなぜ今ごろ唐突にあのメール?? しゅんすけ
アンチュウのヒトリゴト バンジョウ君への疑問を説くカギはここにあるのだよ しゅんすけクン。



2001年9月25日 Banjo より安中へ
件名 : 今田俊介のこと
やっぱり、今田は「イマダ?(デ)こそ」横浜人になっているが、やっぱりこてこての関西人だと思うよ。あの、口の悪さは関西人だよ! 賛同してくれる人はたくさんいると思うのですが・・・・・。
アンチュウのヒトリゴト イヤ〜 よかった。オレばっかりではなかった。 ところで 「イマダ?(デ)こそ」 のフレーズ、 だいぶ考えただろう Banjoクン。っま、アマク見ても40点かな。



2001年9月23日 氏野より安中へ
件名 : お元気?
正に大変なご時世となりました。 我々海上自衛官にとっても重大な意味合いがあります。 特に艦船勤務者にとって。 この間も、ロシア軍艦(アドミラル・トリブツ)との礼砲交換任務が無事終了し、主隊に戻るところで例の事件。その時の話し。 五島の島影で漂泊していた「しまかぜ」。夜の11時を回った頃、突然オレの部屋にノックもしないで隊司令が、「通信班長 大変だ! ニュ ニューヨークがやられた! ニューヨークがやられた。 戦争になるぞ!!」 11時前にベッドに入り、赤灯だけの暗闇の部屋の中、寝入りばなを襲われた私。 「ど どうしたんですか? ニューヨークがやられたって、米艦船のニューヨークですか?」「違うよ。 ニューヨークだ。 ニューヨークだよ!」 「エッ ニューヨークって、地名のニューヨークですか?」 「そうだよ、ニューヨークだよ! 大事件だ。 戦争になるぞ!!」 「本当ですか!」 「島影にいるとやられるかもしれないので、動くことにした。 通信班長も情報収集するように!」 「了解しました!」と 服を着替えながら、「なんで真っ先にオレンとこに来るんだヨ〜」と独り言。 それから士官室に降りてBSを見てみと、:えらいこっちゃの大騒ぎ:。 翌日昼過ぎに主隊に合同した後、上から命令で:米軍施設の警備にあたる:ということで、佐世保に近い我群は訓練中止で佐世保沖へと向い、いつ終わるともしれない警備任務に就いたのです。幸いというか「しまかぜ」は、舞鶴での修理が控えていたのでブレイクされ、一足先に帰ることが出来ました。 舞鶴に入港すると今度は、「下関付近で航空機が落ちた」との情報が入り、入港中であった竹原の乗ってる「おおよど」ほか数隻の地方隊艦船が捜索のため、緊急出港していったわけです。結局、練習機は下関の山中で発見され、竹原は20日早朝舞鶴に入港しました。 翌日出港ということで、その日の夕刻は、温泉(なかなか良い湯)に連れて行き、その後、自宅で深夜まで飲んだという結末。 写真はその時のもの。 それと、11日早朝のロシア軍艦との礼砲交換時の写真は遠く過ぎて、あまりよく見えない。 ゴメン。 同日艦上体育時の写真1・2を貼付します。 日曜というのに、日頃の習慣か、年のせいか?早起きな氏野でした。 では、また。  休みはゆっくりとリフレッシュしなさいヨ (^^)/~~~
アンチュウのヒトリゴト 緊迫感がビンビンに感じられた「しまかぜ」居住区からのレポート、ありがとう。久しぶりのメールだったのできっと警備行動やらナニやらで忙しいのだろうと思っていた。奄美のクロウサギのメールにもあるようにしばらくは緊張が続くと思うが頑張って。



2001年9月21日 今田より安中へ
件名 : CD届きました
あんちゅう! 新しい職場はどうですか? いままでオーナーとして経営をしていたあなたが今度は違う立場で仕事をするのはとても大変だと思うけれどしっかり家族のために張り切ってやって下さい ちょっと長期の出張だったので昨日帰ってきました CD届きました 本当にありがとう じっくり ゆっくり 見させてもらいます 今回のアメリカの軍事行動によってきっと我々の同期も何らかの援助活動を余儀なくされるだろうね みんなが無事で職務を全うしてくれることを祈るばかりです 何か情報が入ったら教えて下さい 重ねまして 本当にありがとう いまだしゅんすけ
アンチュウのヒトリゴト シュンスケクン、17Th Home 掲載遅くなってゴメン。ウッカリしていた。CDはちゃんと見れたかな?



2001年9月18日 奄美のクロウサギより安中へ
件名 : 護衛艦「さわぎり」艦上にて
早速の返事ありがとう。 宴会部長は今も健在だ。 父の栄光?を子供たちに自慢できる「証」が貴君のおかげでできた。 当時の訓練の厳しさがHPの文章と写真から肉迫してくる。 当時、HPに掲載されている研ぎ澄まされた思考を投稿した秀才?臼井との艦上ツーショットを送る。 (画像が悪いのは勘弁! きっと被写体のせいだろう。) 奄美のクロウサギ
アンチュウのヒトリゴト 自分のタメと同期のための 17th Home を誉めていただいて恐縮している。初期の目的に近づくために おのずと文章が余計になることは 致し方ないが 写真もありがたい。これからも20年後、30年後の楽しみを今から貯金しよう。



2001年9月17日 奄美のクロウサギより安中へ
配信ありがとう。 それからHP開設に至るまでかなりの時間を費やしたと思うが本当にご苦労様。懐かしく、楽しく読ませてもらった。 9月7日、8日の両日、臼井が奄美に来た。護衛艦「さわぎり」のCPOで頑張っている。 洋上から小生に電話があり、奄美の古仁屋(奄美大島南部、海上自衛隊の分遣隊がある)に入港するとのこと。未だ遅しと岸壁で内火艇を待ち再会。 彼は10年ぶりの奄美で、9/7は小生宅で一献、9/8は「さわぎり」を見学、CPO室で昼をいただいた。内火艇が艦を離れるとき、舷門で見えなくなるまで帽子を振っていた彼に、生徒時代を垣間見た。今、国際情勢は、米国におけるテロによって大変な事態にあるが、現役諸君はかなりの緊張の中にいると察する。労をねぎらいたい。 もちろん正義が勝利すると確信している。 まずは「アンチュウ」へのお礼と近況報告まで。    奄美のクロウサギより
アンチュウのヒトリゴト 奄美のクロウサギくん、元気そうでナニヨリ。お礼にとっておきの写真をプレゼントしよう。



2001年9月15日 番上より安中へ
安中 殿 番上です。すっかり、ご無沙汰してしまい申し訳ないです・・・。 HP拝見しましたよ。あれだけのHPを造るのも大変だったでしょ! 嬉しかったし、少し忘れかけていた昔の自分を想い出し「少々のことでは、倒れないよ」という気持ちにもなりました。ありがとう! これからも、時々アクセスさせてもらうし 家で昔のアルバムなんぞを出して、投稿します。 昨日迄、北京に行っていましたが NYのテロは本当に恐ろしい事件ですね。 現役の人達もこれから、少し大変になるのかな? 新潟、長野、富山方面に行くこともあるので その時は、連絡させて貰います。 それでは、またジャパンマシナリー株式会社 ハイテク営業部 番上隆幸
アンチュウのヒトリゴト 番上、ありがとう。めーるおくるからね。投稿まってま〜す。



2001年9月12日 プロ業班Aより 安中へ
安中様 立川 *** 様 <****.go.jp のアドレスを*****.go.jpに変更をお願いします。
アンチュウのヒトリゴト さっそく立川におくった。・・・ これだけではものたりなさをかんじない? プロ業班Aよ。



2001年9月10日 氏野より今田、安中へ
17th MYSS HP開設ご苦労様です。 たいしたものです。ところで、あなたの状況がそうとは知らず、改めて「たいしたヤツだ」と再認識!さすが、17期だ。台風16号のおかげで、沖縄周辺で訓練中の3護群は暴風域の中を走り回って訓練どころではなかった。また、楽しみにしていた沖縄(勝連)入港も出来なく「しまかぜ」は分離され、本朝、佐世保に入港しました。そこでメールチェックし、HPにアクセス(157人目)した次第です。 > オヌシより来ていたメールを”17期徒然草”のネタとして使用させてもらった。 だいぶ貢献したみたいだな〜。 あんまり変なこと書いてないからいいか。 > このメールをみたら、すぐつないで、読んでほしい。まずい箇所があれば、すぐ削除する。 松島君には失礼かもしれないが、全国の同期に想像してもらうためにもカンベンしてもらおう。2001年2月4日氏野より安中へのコメントで アンチュウのヒトリゴト ハテ?本当に氏野は勉強しに江田島に来たのだろうか?。とありますが、准尉講習は江田島ではなく、呉教なので間違いなく。3尉は、江田島。 私は3尉ではないので、江田島までたどり着けなくその手前の呉教育隊止まりです。そこだけ訂正よろしく。
それと、先般の台風16号の暴風域を航行中、艦橋からの写真を特別公開しましょう。これを見て、あんちゅうは実習時代を懐かしく思い出して下さい。そうだ、今田にも送ることにする。 
FOR しゅんチャンということで急遽、君にも送るけど、前半からほとんどあんちゅう宛の内容で申し訳ない。その後元気にしてますか。卒業アルバムをなくすなんてとんでもない!このHPは、安中を中心にみんなで大切に育てていきましょう!!!では、おげんきで。
再度もどって、あんちゅうへ、HP作成に当たっての素材として、めぼしいのがあるので帰ってから送ります。携帯からだと、とろくって。では。 by ujino
アンチュウのヒトリゴト ○江田島の件、さっそく修正した。ゴメン。 ○今田は今頃、アムステルダムか、ミラノだ。メールの掲載が遅 くなってゴメン。この下に。氏野君素材の提供楽しみにしてるからね。




2001年9月7日 プロ業班Aより安中へ
安中様 素晴らしい企画ありがとう、立派なホームページありがとう。 ホームページに乗っけられないものは、送りませんからご安心を。同姓同名ですが人違いです。きっとユタカと読むのでしょう。
アンチュウのヒトリゴト おほめのお言葉をアリガトウ。暇も無いだろうけどナニか送ってくれ。



2001年9月5日 今田より安中へ
あんちゅう いつもながらお返事が早いね感謝! 今からアムステルダム・ミラノ・マルタと言う出張に出発します帰国は17日です ところで情報って生徒時代のじゃなきゃ駄目だよね? 本当に何も残ってないんだよ今の俺!って言うのなら いつでもいいけどね??? それじゃ意味ないよね 何とか探してみます又メールするね しゅん
アンチュウのヒトリゴト 間違って、記載を9月10日にしてしまった。遅くなってゴメン。シュンクン。



2001年9月5日 プロ業班Aより安中へ
安中様 ご無沙汰しております。 一つご報告 オメデトー、松下春喜に長男が生まれました。お知らせが遅くなってすみません。真也君7月30日生まれ、4000g近くある大きな赤ちゃんだったそうです。なにかデータが有ったらメールします。 佐藤豊
アンチュウのヒトリゴト イヤー 松下クン。オメデトウー。 同期会のとき聞いていたがヨカッタネ。さっそく信也君の部屋を作らなくては。それはそうとプロ業班Aクン、佐藤クンはインターネット接続できるんだろうネ。



2001年9月4日 今田より安中へ
あんちゅう 相変わらず積極的にやってくれてありがとう 僕は色々引越しを重ねている間に 卒業アルバムが無くなったんだよ だから今回の企画はとてもありがたいです もし可能ならCD分けていただけますか? これからも17期のために頑張ってください 僕で出きるお手伝いはさせてもらいます 何でも言って下さい いまだしゅんすけ
アンチュウのヒトリゴト さっそく送るようメールした。 手伝いは、ネタの提供ダ。 シュンスケクン。



2001年9月2日 氏野より安中へ
こんばんわ! まだ、竹原家にいます。明朝、仕事に行きますが又明日も、伊藤隆(ソーナー)を交えて飲むことになっている。添付してくれた昔の写真を見て、竹原家のみんなで大笑い。長男そっくり。特に長女、友衣ちゃん(11歳)は大爆笑。とっても受けました。 FM:たけはら新潟に行きたいが、まだでれなく、佐世保の守りに徹している。たまには、佐世保にきて顔を見せてチョ!みんなで待ってるゾ。 > 先月、数日間かけて 卒業アルバムをバラして 写真の一枚一枚をスキャナでパソコンに取り込みました。のべ、505枚という膨大な枚数になりました。 ご苦労様。 しかし、よくやるな〜。しっかりがんばれ!!! 順次、公開していきますが 諸兄も ぜひ、情報の提供の協力をお願いします。 極力協力する。 > 現在、手持ちの本などから、17期の手記を入力していますが、うっているうちに、「あぁ、ヤツはこんなことを考えていたんだ。」とその当時のヤツの思い出が浮かんできます。 HPが完成すれば、みんな大変な思い出話に、各家庭で楽しめることになる。言い思いつきだし、感謝します。では、氏野は、4日佐世保を出港し、訓練後沖縄(勝連)に入港します。竹原は、4日出港し、舞鶴に13日はいるそうです。では、又便りをします。       BY UJINO
アンチュウのヒトリゴト このメールも記載が9月10日になってしまった。 たっけはらー! 元気そうでナニヨリ。パソコンはじめてね。

2001年7月31日 氏野より安中へ
毎日、暑いですワ。8月1日付で当隊の隊司令が交代するので、そのための離着任式や両司令の挨拶回りのアポ取りやらで大変忙しい日々を送っています。本日は、離任式。通常は同じ日にするのですが、分けあって明日は着任式。炎天下の甲板上で白色とはいえ、長袖のつめえりはタマラン。本日、忙しい中を「たかつき」の中島2曹が訪ねてきて、「遅くなって済みません」と、頂き物を届けてくれました。生徒30期で、「しまかぜ」乗艦時に、生徒を卒業して乗り組んできた、いわば教え子でした。サルそっくりですが。開けずに家に帰って家内に渡すと、大変感激し、たちまち貴方のファンになってしまいました。なんとげんきんな!ほんとうに 有り難うございました。 ワイン党の我家にとって非常に嬉しいお土産でした。今日は冷蔵庫の中で一晩寝かし、明日の夕食時の食前酒に頂くことに致します。たのしみ、たのしみ!話しかわって、2日から山形の酒田港に広報のため出港してきます。3〜5日まで一般公開、並びに体験航海を2回実施します。向こうはチョットは涼しいと思うので、避暑気分で行って来ます。帰舞は6日夕刻です。それ以降に夏休暇ということになります。商売人には、これといった夏休みがないのでは?!家族で数日間旅行というわけには行かないことでしょう。かわいそうに。当方は、毎年乗鞍高原に4.5日でかけます。今年は8日から行くことにします。ということで、御礼のメールとさせていただきます。では、暑さに負けないで頑張って下さい。    氏野 & その妻 (*^_^*)
アンチュウのヒトリゴト 7月22日新潟港で舞鶴地方隊の展示訓練があった。生徒実習のとき乗艦していたたかつきも来るということで氏野に連絡を取り・・・・いろいろせわになった。



2001年7月1日 小松より安中・伊藤隆・今田・藤田へ
久々にメールです。先月11日から29日まで訓練で呉に行って来ました。15日に平井海将補を囲んで同期が集まりました。集まった人:樺島:呉監総務科 高橋:まつゆき大石:くろべ 黒木悦郎:療養中 佐藤寿:教育隊 小松 西方は当直でした。みんな相変わらずだったけど黒木は、飲み過ぎで胃を3分の2位取って今酒は、ドクターストップ状態でした。でも順調でも心配はないそうです。以上、報告終わり!
アンチュウのヒトリゴト 報告、ゴクロウ! オヌシも飲みすぎに注意すべし。



2001年6月8日 小松より安中・今田へ
写真無事届いたよ!サンキュー 明日から、約一か月間、呉方面に行く予定です。久しぶりに、江田島に行って心の修行をしてきます。一術校長の平井海将補にもあいさつしてきます。話は変わるけど、先週前畑と飲んだ。相変わらずだ!だけど宴会でもないようだったけど時間的にあの時間に飲んでいるのはおかしい。調査の要有り!奥山にもこの間会った。優雅な生活をしているようだ。
アンチュウのヒトリゴト 二人とも元気そうでナニヨリ。メール始めないかな。小松、ハッパかけてくれ。



2001年5月30日 小松より安中・伊藤隆・今田・藤田へ
この間のメールデビュウ 不慣れで、アドレス間違っていました。あしからず!正しいアドレス ******
アンチュウのヒトリゴト そうだよな。届かなかったんだよな。



2001年5月19日 小松より安中・伊藤隆・今田・藤田へ
今度、メールデビュウしました。この間の同期会はごくろうさまでした。面白い、情報を求む!横須賀 小松



2001年4月28日 氏野より安中・番上・今田・野田へ
昨日、やっと舞鶴に帰りました。 舞鶴で花見を終え出港したわけですが、さすが大湊は真冬近かったです。大湊での艦隊集合は予想通り悲惨なものでした。というのも、ほとんどの艦(大型艦)は沖で投錨のため、岸壁まで20〜30分もかかり、上陸するのも一苦労という有様でした。 おまけに飲み屋も一杯で。普段何もないところに隻数は少ないまでも、艦隊が入ったということで、かなりの経済効果はあったと考えられます。 私自身もかなり、むつ市に貢献したヨ。大空に盾3尉と大通に立川2尉の二人と、艦隊側は私と窪田(くらま)の4人で淋しく同期会をしました。 二人とも元気でやっていました。今日からG/Wで休めます。明ければ次の出港が待っていますので、ゆっくり休養したいと思います。 みなさん何か予定しているのでしょうか?FOR 野田: その後奥さんの調子はいかがですか?ということで、またネ! 元気で。  by Ujino
アンチュウのヒトリゴト そういえば気になっていたんだけど、野田君どうしたの?



2001年4月9日 氏野より安中へ
この土日は花見真っ盛りで昼から酒盛りしてた。新潟はまだ咲いてないんだろうな。先日佐世保に寄港した際、今田からの同期会写真を竹原経由で受け取った。懐かしい顔やら、誰かわからん顔がありで結構面白かった。君も頭の方が後退しているようにも見えるが、気のせいだろうか(?_?)先日、番上と17,8年ぶりに電話で話をした。写真で見る限りあまり変わっていないが。ということで、私からも先日の写真を一枚送ります。では、明後日大湊に向け出港します。 帰りは月末です。 ****集合がある。どれだけ同期と会えるか判らないが、何か情報があれば帰ってから知らせます。では。
アンチュウのヒトリゴト だいたい飲んでいるんだな氏野は。でも、よくメールをくれるからな。ユルシテヤロウ。



2001年4月1日 今田より安中へ
安中 奥さん共々 寒い中ご苦労さまでした 新潟に帰った方が暖かかったりしてね 東京でもちょっと北の内陸部は雪だったらしいからね 桜満開の雪とは矢張り珍しいでしょう 今日の撮影分を送るよ どうも俺以外の人が押したシャッター分は ぶれが激しくて使い物になりませんで 余り枚数がないのでメールでも大丈夫でしょう 又あえるのを心待ちにしているよ しゅんすけ
アンチュウのヒトリゴト ホント寒かったよな。誰かオコナイの良くないヤツがいたな?俺には、氏野しか考えられん。(こなかったけど)



2001年3月23日 佐藤より安中へ
同期会参加者各位殿 暖かい日が続き東京も桜の開花宣言がされました。今回の同期会は、これと言ってイベントの計画が無いのですが、ご希望が有れば、31日(土)に、市ヶ谷駐屯地をご案内しようと考えています。(31日は、市ヶ谷駐屯地の花見です。)時間等は、30日に宴会場でお伝え致します。なお、東京界隈を観光される方には、出来るかぎりご協力したいと考えておりますので、何か出来ることが有れば、ご一報下さい。添付ファイルに参加者名簿を付けましたので、開いてみてください。航空士の参加者7名は入っていません。30日15:00再会を楽しみにしています。 佐藤豊
アンチュウのヒトリゴト ホント、佐藤初め、東京部隊には同期会の開催、ドウモアリガトウ。



2001年2月25日 氏野より安中へ
早速の返事ありがとう。<上田1術校長が勇退とか。<勇退ということは、退職されるのかな。そういうことです。<谷勝治 呉総監といわれて、思い出せなかったけど、<生徒時代、確かに、いたよな〜。<どっちかというとゴツゴツした顔をしてたような気がします。<いつ頃、なにやってたんだったっけ。水測科長でラグビーを指導してました。高橋に言わせるとヘタくそだったらしいけど。通称: ジャイアント馬場  思い出したかナ?!<そのなかに、おぬしの写真を見つけたので、添付しました。懐かしい写真をありがとう。 私も持ってますよ。<俺は、ずいぶんかわったけど、氏野は、そのままなんだろうな〜。やっぱりオジさんになってますよ。<金すじ巻いて、舞鶴へ戻ってもがんばってネ。ありがとう。 みんなの赴任先。窪田:くらま(佐世保)・・・今まで地方隊の艦でユタ〜ッとしてたのが艦隊勤務なので不安がっている。藤竹:岩国・・・原隊に帰ります。松島:八戸・・・卒業以来初めての再会だったが、すごくジイさんになってる。顔のシワが深い。では、またネ  (^^)/~~~ by Ujino
アンチュウのヒトリゴト 松島がオコルゾ〜。削除しようか?氏野君。



2001年2月24日 今田より安中へ
あんちゅう メールありがとう 懐かしい写真もありがとう あれは多分2年生に上がる直前なんだろうね 名札は間違いなく赤だから さっき子供に見せたら (21歳息子、18歳息子、15歳娘)今と同じ顔だけど 幼い!と言われたよ 当たり前だよな もうほぼ30年前なんだから 30周年勿論行きます 氏野は残念だけど この前観艦式で彼の艦に乗って長時間話をすることが出来たのでまあいいかと思っています たまにはメール下さい (今回のメールは別のアドレスで送っていますがこれに返信にしてくれても 或いはさっき送ってくれたアドレスでもどちらでも受信は出来るので都合のいい方を使って下さい)それでは30周年でお目に掛かりましょう いまだしゅんすけ
アンチュウのヒトリゴト 我が家の正月・「正月慕情」 そのうち UP します。今田の意外な一面でした。



2001年2月4日 氏野より安中へ
こんばんわ(^o^) 氏野です。先週は水曜日の同期会に引き続き、金曜日に平井さん(現在、掃海隊の司令官:横須賀)が2日呉に入港すると言うことで、「囲む会」の招集がかかり、再度同期が集まり、また谷−呉地方総監(ジャイアント馬場)も参加することになり、両名とも2次会まで来てもらい大変盛り上がった。というような相変わらずのんべー達でした。昼過ぎから雨が降り、うっとおしい天気だ。 明日の朝まで降り続いてくれれば、体操なしの課業整列も雨天の位置になるんだけど。 こんなこと願うのは大変懐かしいことだ。ということで、また明日から勉学にいそしむことにします。 では、また。(^^)/~~~ by Ujino
アンチュウのヒトリゴト ハテ?本当に氏野は勉強しに呉教に来たのだろうか?。



2001年2月1日 氏野より安中へ
今晩は(^o^) 昨日は予定通り呉地区の同期会をした。

メンバーは、江田島組が参加できずに高橋(やまゆき)・佐藤(寿)(呉教育隊)・椛島(呉総監部)・黒木(悦郎)(潜水艦○○しお?)
・(准尉講習組:氏野・窪田・藤竹・松島)の8名だけとなったが、12時過ぎまで飲んでしまった。
なにを話したかははっきり覚えていないが(年のせいで)とにかく楽しかった。やはり同期と飲むと気を遣わなくていい。
おかげで今日は、拳銃射撃で講習組は二日酔いの状態だった。江田島「青年の家」の奥にある長浜射場まで行った。大変懐かしい場所でもある。
当然、弁当持ちで行ったわけだが朝までの雨により寒く、またコンディションは悪かったが、結構みんな楽しんできた。教育隊に帰ってからの8時限目エアロビクスには総員くたびれてしまった。インストラクターは年齢不詳の女性で、スタイルは一応抜群だけど、年齢が50をすぎてる過ぎてないだとか、あの乳の揺れはシリコンだと、勝手なことばかり言うジジィどもばかりだ。というわけでやっと酒が抜けたと言うところ。
明日は急遽、平井良彦(4年の時の分隊長:山本一実のおねぇさんのダンナ)が掃海隊群司令で呉に入港するので、「司令を囲む会」と題してまた宴会。
お金も体も持ちません。 という近況です。 では、また。    (^_^)/~ by Ujino
アンチュウのヒトリゴト イヤ〜、オモチロイ。 女房とおおわらいしました。



2001年1月28日 氏野より安中へ
ひさしぶりだの〜! 舞鶴の氏野だ。15日から准尉講習のため、呉教育隊に入隊中だ。当然のことながら、呉には良彦がいるのでいつも相手してやってる。
今も家で一杯飲んでる。
以後、良彦ちゃんからのメール。
「元気でやっていますか。俺は相変わらず現状維持の為走り飲んでおります。30周年で会えることを楽しみにしています。SEE YOU AGAIN.BY YOSHIHIKO.」
ということで、持ってきたノートPCと携帯からメールをチェックできるのでまた、話しましょう。では。
PS. 今週の水曜日は呉地区の同期会をする。メンバーは、高橋・佐藤(寿)・椛島・黒木(悦郎)・富吉・大石・西方・中谷・(准尉講習組:氏野・窪田・藤竹・松島)だ。
 みんなにメッセージあれば、火曜日までに。    BYBY
アンチュウのヒトリゴト いつも良彦の相手をしていただいてどうもアリガトウ。



2001年1月8日 氏野より安中へ
こちらこそ、年賀状だけの仲になってしまったけど、3月下旬は30周年という事で再会できるのを楽しみにしています。 おそらく出席できると思います。
13日に舞鶴を出て岡山経由、呉(高橋宅)に行き、15日から呉教にて准尉講習のため3月上旬まで絞られてきます。 全くいやな感じ。
アンチュウのヒトリゴト この後、氏野からはタビタビメールが。このページのネタに最適です。アリガトウ。



2001年1月6日 藤田雅之より安中へ
突然のメールに驚きました。おそらく佐藤豊からの連絡でしょう。早いもので少年術科学校に入隊してからまもなく30年。
それぞれの歩んだ道は違いますが10代に過ごしたあの4年間は永久に忘れることはないと思います。
私は後10年自衛隊で勤務し新たな道を進むつもりです。できれば中国で過ごしてみたいと考えております。
昨年5月北京、上海に1週間のひとり旅をしてみました。家族 妻(パート)、長男(高校1年)、次男(中学2年)
アンチュウのヒトリゴト 中国とはウラヤマシイ。そのうち一人旅の感想文を送られたし。



2001年1月1日 野田達也より安中へ
メール、どもでした。オメデトさんです。
勝手な希望を色々書いてあったりしてますが、奥さんは、安中と宮崎と俺で佐通へ実習に行ってた時売店にいた子だということですよね。
今度、メールに写真を添付して下さい。楽しみにしていますヨ。
ちなみに、うちの奥さんは江田島にいた頃文通していたかわいらしい(???????見方によっては・・)奥さんです。(ワッハハ・・ちっと冷や汗)
まとにかく添付の写真を見て下さい。この写真は、今年結婚20周年を記念して近所の写真屋で撮影したものです。
写真ではあまりわからないかも知れませんが、髪の毛も薄くなってしまいました。それじゃ、奥さんにもよろしく!!!
アンチュウのヒトリゴト 髪の毛の話、俺も人のことは言えません。ハイ。



2000年10月22日 久保勝正より安中へ
メールありがとう。ゆびとまからは、メールがこないと思ってたのに感激です。安中も元気そうで安心しました。時々ほかの同期はどうしたのかな?と思っています。
ところで、現在厚木の6空にいます。竹下が伍長、、山下が先任でおなじ所にいて、みんな元気でがんばっています。返事が送れて申し訳ない。
実は、win MEをインストールしたらインターネットが外れどうすることもできなかったので、仕方なくハードをフォーマットして古いOSを・・・・・原因がわかったので、
今週暇だったら再度挑戦しようと思ってる これからも時々メールを送るのでよろしくお願いします。それではまた
アンチュウのヒトリゴト そういえば、ゆびとまだったよな。最初は。