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2003年10月31日(金)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−62−92(観閲行進訓練)
自衛隊記念日行事として8日に行われる、観閲行進を一週間後に控え生徒、教官とも行進訓練に熱が入ってきております。  一ヶ月前に比べ数段旨くなってきているようです。  今日はその一コマをお送りします。    その間、我がラグビー部は全国大会予選(3日)を、空手部は新人戦(9日)を目前に日々ハードな練習を実施しております。   今週から、我がラグビー部に新コーチをお呼びしてから生徒の目つきも少し変わったかなと思っております。   新コーチは、元マツダ(前東洋工業)の選手で、谷口さん(バックス)と言う方です。  話を聞くと、我々17期が3・4年の頃、広島社会人リーグで戦った事のある東洋工業に所属されており、あのオールジャパンの島崎選手と一緒にプレーをされており 12回(9年連続含む)全国大会に出場されたそうです。  生徒は、それだけでビビッテ居り江田島青年と同じ事を言ってもやはり重みが違います。



2003年10月30日(木)   17期 高橋良彦より
件名 : 33年前&観艦式を思い出して
「フラレェ」様のメールを読み感動しました。   思えば33年前、鼻たれ小僧が「大都会パートU」から江田島に来た時は、本当に都会に来たんだなと思い感動したような気がします。    生徒を受験したきっかけと言うか動機は、当時の同級生が商船高校を受験すると言うことで、山育ちの江田島青年としては海に少し憧れもあり一緒に受験しようとしていたのですが、当時の先生の息子さんが15期生徒(野田先輩)で入隊中で海に行くなら、給料が貰え、食事付、被服付おまけに高校の資格が貰える「少年術科学校」を受けたほうが良い、と言う事で自衛隊という所も知らない田舎者が受けたところ偶然に受かり、現在に至って居ります。(同級生は不合格でしたが、翌年18期として入隊しました。)    パンツの件ですが、江田島で脱がされ我が愚息をニギニギされたような記憶があります。  また、色網の検査で全部読んでしまい再検されそうになり、(その時聞いたのですが、読めない物は「分りません」と言うことを知りました。)難を逃れたことを思い出しました。   10月26日(日)に、快晴の中「観艦式」が行われたこと聞き、懐かしく思いでにしたると供に、もうあの感動を経験することが無いのかと思うと一人寂しく感じておるしだいです。    平成12年、20世紀最後(ミレニアム飾る海上ページェント)の観艦式を経験でき、また、我が両親(観艦式初体験)を初めて自分の乗艦する艦に招待したのも最初で最後となり貴重な体験をさせて貰い感謝。   「つばさ」様とお会いしたのもこの時で、たしか1回目は一人で、二回目はご夫婦で御乗艦頂いたと記憶しておりますが、記憶違いでしたらお許しを。



2003年10月29日(水)   17期 前畑啓二より
件名 : 平成15年度自衛隊観艦式
前畑です。横浜にて『さわゆき』は、支援していたところ、急遽、内閣総理大臣の訓辞に40名派出せよとの命令が下った。   先任伍長の独断と偏見により、写真班を編成し観艦式当日のお宝画像を収録し送ります。
あんちゅうの返信メール  観艦式支援、ご苦労様でした。   『さわゆき』にはすばらしいカメラマンが乗艦しているのですネ。  部下の能力をしっかりと把握している先任伍長の力量を感じます。   なかなかこういう構図と迫力ある写真は撮れない、・・ゆえに見れない。  まさにお宝映像と思います。   強いて言えば写真上の文字のないものも送っていただけたら写真評論家?あんちゅうの満足度はグッグッーっとアップするのですが・・・    (相変わらず、我儘なあんちゅうであります。)



2003年10月28日(火)   17期 高橋良彦より
件名 : 元普通学科長 後藤教官の告別式について
生徒同窓会のHPで連絡しましたが、本日(28日(火))1000から、故後藤教官の告別式が行われました。    椛島と高橋(生徒同窓会会長)で参列すると供に、「17期生徒一同」で弔電を発信しました。  御了承を。
あんちゅうの返信メール  高橋良彦生徒、久しぶりでした。    生徒同窓会会長の要職、ご苦労様です。   同窓会掲示板は毎日チェックしております。    最近では11期生の書き込みが多くあり管理者としては嬉しい事でしょう。   また、1期、3期、7期、8期、9期、10期、11期、14期、15期、17期、20期、22期、24期、31期、40期、41期、43期、44期の18クラスに生徒同窓会掲示板を通じて連絡が出来るという事は生徒五〇周年に向けてすばらしいことだと思います。   これを見て、ふと思い出したことは、我々の頃、「お前らは奇数期ぞ! 行き足のある奇数期ぞ!!」と、事あるたびに元気付けられて、それなりに頑張り、同期としてまとまり、絆を深めてきましたが、この1期生から17期までの事を見るとその伝統が生きていたのだと思います。   話しがずれましたが、故後藤教官の告別式参列、ご苦労様でした。 ありがとうございました。  弔電の件、この17Th Homeを見ている全ての17期は了解していると思います。  17期の代表者も兼ねている高橋生徒には今後とも、どうぞよろしくお願い致します。   後藤教官の御冥福をお祈り致します。     17期一同 合掌



2003年10月28日(火)   14期生 村岡裕美先輩より
件名 : 台風が消えた!
あんちゅう殿、お元気ですか。  2003観艦式が予定どおり実施されました。   当日早朝は台風の影響がありダメもとで、取敢えず出かけてみてからなどと思いながら着いてみると風がない、波もない、青空がどんどん広がってきた。  東京湾の奥だから、外へ出たらドンブラコと思いきや、なんと絶好調!ヤッター、万歳で、14期掲示板の写真と相成りました。   つばさ様ご一家、同期の山岸生徒と奥様、そして乗艦できた「はるゆき」には24期生徒の服部3尉が水雷士で勤務しておられて挨拶が出来ましたョ。  今回は本当につばさ様にお世話になりました、こんなに素晴らしい観艦式を体験できるとはなんて幸せな事か思っております、先ずはご報告まで。   内緒で・・やっぱ、柏の極道息子の「酒断ち」が効いたのか。  とすれば、次の宝くじにはぜひヤツをそそのかして「酒断ち」を前後賞分もあわせてやってもらって・・・ムフフフフ
あんちゅうの返信メール  村岡先輩、メールありがとうございます。   観艦式の様子は、14期生掲示板にて詳細に報告されていてスミからスミまでしっかりと拝見させて頂きました。   つながりがつながりを呼んでの今回の観艦式。  行けなかったあんちゅうですが台風に翻弄されず実施できてよかったな〜と思っています。   ほんとに台風17期・・いや17号には心配させられました。  新潟にいても気に掛かっていました。  でも、さすがに神様、 ”17”を治めるのがうまい!!   何か、 「柏の極道息子」と名乗られる方の「酒断ち」が効いた様子とか?   そうであれば17期あんちゅうも先輩の一案に乗って「柏の極道息子」をそそのかし 「・・・ムフフフフ」の仲間にいれてほしい所ですが、柏には 「孝行息子」もおられます。   ・・・さて、どうしたものか??



2003年10月28日(火)   17期 藤原和郎より
件名 : (なし)
17期になれなかった人のメール見ました。  とても心にしみるいい話でした。  私も30数年前のあの頃を思い出しました。   17期になれなかった人も、なれてその道を全うしている人も、私の様に途中下車した人も、みんなそれぞれいい道でありますように。   試験問題、そういえばあの様な問題がなんとなくあった様な気がします。  答えられたかどうかまでは思い出しませんが。
あんちゅうの返信メール  久しぶりのご登場、ありがとうございます。   お元気でしたか?     「17期になれなかった男」様からのメール、本当にいい話でしたね。   ご存知のように17Th Homeをご覧のいろんな方からメールが寄せられています。   今、ふと思ったのですが、ひょっとしたら17期という括りだけではなく、○○期の同じ思い出を持っている方もご覧になっているかもしれませんね。      さて、問題は上三佐のメールです。  ちなみにあんちゅうが受けた新潟ではパンツは下ろさなかったような気がします。   なぜか?  江田島で下ろされてビーックリしたのが鮮明に残っているからであります。
藤原和郎からの返信メール  そうです。  パンツを下ろしたのは江田島です。   地連関係でパンツを下ろしたのは多分、上三佐一人だけだと思います。  きっと何か問題があったか、魅力があったかのどちらかだと思います。



2003年10月26日(日)   江田島にふられた男(フラレェ)様より
件名 : 掲載ありがとうございます
17期徒然草に掲載していただけるそうで、ありがとうございます。  はたして私の文章などでよいのでしょうかと思いますが、宜しくお願い申し上げます。   ××の件ですが、文書上まづい事や不愉快を与えてしまうような事がありましたら、遠慮なく訂正して下さい。 その他はお気遣いはいりません。  ただ、試験問題の「パナマ運河」はもしかしたら「スエズ運河」だったかもしれないのと、南極観測船富士を見たのは昭和51年の夏だったかもしれません。  小笠原村父島には、学生時代調査で3回も行き、いつも夏の土地のため何時だったか定かでないのです。   下宿の先輩が小笠原高校の教師をしていたので、通算2ケ月おりましたが、その時島民のかたから聞いたことですが「海上自衛隊は島民にとっては命の綱であり、急病人が出た時はるか1000k離れた本土より海上自衛隊の飛行艇が飛来してくれ、本土の病院まで無料で運んでくれる。  だから安心してこの孤島でも生活出来るんです」と、その当時で往復の燃料代が400万か700万だったと思います。   ご返事送れてすみませんでした。



2003年10月26日(日)   48期ハイブリッジ親父様より
件名 : 「17期になれなかった男」を見て
確か17期生の時の募集ポスターは、黄色地に、「少年自衛官募集」と記載され、2名の生徒生が、白の作業服姿に手旗を持ったポスターではなっかたですか?  一寸思い出しました。   このポスターを見て興味本位で進学指導の先生に聞いてみたら「10番以内にいる男を言ってみー」と言われ答えると、「そいつらが受験しても受かるかどうか分らんとこや」と言われた記憶がある(皆さん賢いんですね)。   アプローチして体重で×。  さぞ悔しかったことでしょう。  俺は、航空自衛隊(航空学生または、戦闘機に携わる仕事がしたかった)それも「生徒掲示板の2003年8月6日記載」の理由により断念。  アプローチする前にあきらめっちゃった。  今の仕事で辛い時「あの時・・・」と思う時があるが所詮負け犬の心境。   子供達には、「あの時・・・」と、絶対思わせたくない。  子供の人生は、親の人生ではない(親の楽しみかも)。   、昭和30年生まれ。  17期生と、フラレ男と同学年かも。
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございます。   こうやって、「17期になれなかった男」様からのメールの話題が色々な方々の33年前を思い出させ実に、インパクトがありましたね。    「10番以内にいた男」が 居たのかどうかわかりませんが、少なくとも、あんちゅう以下、数人を除いては全員優秀な17期であります。  (”数人”には申し訳ありません。 あんちゅうといっしょにして)  中には、とんでもない秀才もいますよ。   しかし、よくポスターのことまで覚えていますね〜。   我中学校にもポスターが貼られていた記憶がありますがそれがどんな構図で、何色で、何と書いてあったかなど、相変わらず記憶力希薄なあんちゅうは思い出せません。   「あんたって、ほんとに何も覚えていないのね。」   「俺に過去は無い。常に前をだけを向いているからだ。」 と、言ってみたものの26年連れ添った賢妻がまともに受ける訳はありません。   「トホホ・・・」 の世界です。   あんちゅうよりハイブリッジ親父様の方がよっぽど、賢い。



2003年10月25日(土)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−61−91(ラグビー部初戦突破)
本日(25日)全国高校ラグビー大会広島予選1回戦が行われました。   西校19(前半14-7)19福山工業で引き分けでしたが、抽選により辛うじて2回戦進出の権利を得ることができました。   試合経過   前半は何時ものとおり立ち上がり攻めながらミスにより先制トライを奪われましたが(何時もの事ながら目覚めが悪い。)、以後ミスを繰り返しつつも相手のミスにも助けられ2トライを奪い逆転(ここら辺が少し成長)して前半を終了。  後半は、この勢いで行き安心して試合が見れると思いきや、反則&ミスで劣勢に廻り同点トライを許してしまいました。  後半の4分の3は自陣で戦う最悪の状態の中、よく踏ん張ってくれ逆襲を狙っていたのですが、終了30秒前に逆転トライを奪われ花園もここで終わりかと思いきや、ロスタイムで同点トライを奪い何とか引き分けに持ち込み後は、神頼みの状態でしたが、キャプテンが「勝ち」のくじを引きなんとか初戦突破をすることが出来ました。    今回は、プッロプ(1,3)とフランカー(6)を怪我等で欠き苦戦は予想していましたが、控えの選手が良く頑張ってくれ勝利を納めることが出来ました。  これも日頃の練習の成果だと思います。  ご苦労さん。  2回戦までの1週間怪我人もある程度目どがつくと思うので、毎度おなじみの建て直しを図り次に挑みたいと思います。    2回戦は、9日(日)誠之館高校です、花園出場経験のある古豪です。  今年は、新人戦・練習試合と2連敗中ですが、春の練習試合では健闘しているので、雪辱を期し福山工業高校の分まで頑張ってきます。



2003年10月25日(土)   伊達髭修様より
件名 : 「17期になれなかった男」様のメールを読んで・・・
私はこのようなメールをもらえるあんちゅう殿が羨ましい!  なんか感激しました!  我愛妻も ”17期になれなかった男様の文面を読み あんちゅうの殿の返信メールを読んでいるうちにやっぱりウルウルしてました。  「よかった!またひとつ17Th Homeの輪が大きくなった・・・・」としみじみと言ってました。   この方は17Th Homeを見ているうちに 試験当時の記憶が鮮明に甦ってきたのでしょう。   見れば秋田の方、秋田はいい所です。  象潟のみさき公園 何度か家族でキャンプに行きました。  夏の湯沢の絵灯篭 しっとりとした美しさは我愛妻のお気に入りです。  秋の宮 泥湯 小安峡・・・・きりがありません。  どうかこの17Th Homeの輪がもっともっと広がりますように!   私はこれから隣の家の稲こきを手伝ってきます。  天気が勝負の稲こき!  家族総出で頑張っているのに知らんふりできません。  隣は乳牛も飼っているので終わったら藁集めです。  明日は神社の草刈・・・と予定がいっぱいの伊達家です。   来週は陸上生徒 少年工科学校の2年生が修学旅行で松島にやって来ます。  陸上の生徒も全国から集まってきていることでしょう。  みんな 頑張ってます。  俺もグァンバリマス!    伊達髭修
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございます。   青森は遠い昔、厚木通信隊に勤務していた頃、ラグビーの海自大会が八戸で行われラグビー部のパイロット操縦のYS-11で行った事があります。   メンバーの知り合いがホタテを何箱も差し入れてくれてそれがものすごく美味しかった思い出があります。   秋田は今までどういう訳か縁が無く、あんちゅう、残念ながら一歩も足を踏み入れた事がありません。  十和田湖や奥入瀬など、是非行ってみたいと思っているのですが・・・   「17期になれなかった男」様からのメールは、髭修殿の愛妻が17Th Homeにメールを送っていただいたのとほとん同じ感激をあんちゅうに与えてくれました。  ・・ありがたいことだと思っています。   稲こき、藁集め、草刈が終わったら髭修殿、 囲炉裏に鍋が掛かっている所で、「なまはげ」相手に一杯やりたいですが、本物の「なまはげ」を見た「なまはげ」が恐れをなして逃げないか・・それが心配です。   だれだ! 今、 「ムフフ・・」 と笑ったのは!!



2003年10月25日(土)   24期 平まりお生徒より
件名 : 観艦式予行
おはようございます。安中先輩   昨日観艦式予行 空手の先生ご夫妻を誘って行ってきました。  偶然にもいただいた券が同期の乗艦する「やまぎり」でしたので、嬉しさも倍増でした。  晴天に恵まれ波もおだやかで観艦式予行びより?でした。   出港前に艦橋に行き同期と再会し、軽く挨拶をして「それじゃ、また後で」とすぐに別れました。  空手の先生ご夫妻は自衛隊関係の行事に参加するのは初めてで、とても喜んでくれました。  前日に電話して誘ったのですが、「風邪をひいたことにして行きませんか?」と言ったら、「いや、堂々と行く」と即答されました。  さすが武人。   当初同期を誘ったのですが、皆仕事の折り合いがつかず、自衛隊とはまったく関係のない空手の先生を誘ったのですが、かえって良かったと思っています。  自衛隊を理解してもらうための民間広報のお役にたてたかとおもいます。  また、空手の先生ですから、常日頃から「自分の身は自分で守る、いざというときは家族を守れ!」と、子供たちに教えています。  自衛隊の考えと同じですよね。   観閲海域まで、頻繁に上空を低空飛行するヘリや、他の艦船を見ながら海のひと時を楽しみました。  普段 仕事で時間に追われていますが、今日はのんびりムードです。   いや〜自衛艦が数十隻集結 壮観でした。  艦艇、航空機の観閲、そして展示訓練「やまぎり」は観閲部隊(観閲艦の随伴隊)だったので、展示訓練をいい位置で見れました。   ボフォースの実弾発射、5インチ砲の(祝砲)発射、SH-60Jの発艦、潜水艦の潜航・浮上、洋上補給、甲板散水、IRフレア、ミサイル艇高速航行、LCAC高速航走、US−1A離着水、P−3C爆弾投下などなどを間近で見れました。  たぶん本番と同じ規模だったのでしょう。   っと、気がついたら、そー言えば乗艦している同期はどーしたんだろ?  艦橋は見学者で混んでいそうだなーと思いつつ行ってみました。  いるかな〜?・・・あっいたいた!  一生懸命仕事をしています。  なにかを覗き込んで、しきりに数字を報告しています。  じゃまにならないように、そ〜っと近くに行ってみたら、水上レーダーで、他の艦船との距離を測っていました。  航海長の頻繁な問いに、適切に応対していました。   艦長の横に生徒さんらしい人(七つボタンの胸にYマーク)がいて、しきりにメモをとっていました。  乗艦実習中なんでしょうね。  心の中で「がんばれよ!」と言いました。   私は仕事を休んでのんびりムードでしたが、隊員の方たちは当然ですが違うんですよね。  真剣です。  また、艦橋独特の雰囲気というものがあるんですね。  同期の後ろで2時間ほど、入港するまで働きぶり、艦橋の状況を観察させてもらいました。  観閲式での陣形を保つのと、通行船舶数の多い東京湾を航行するのは神経を使うようです。   同期は0700に艦橋に上がって、1600入港するまでトイレに1回下に降りただけで昼飯も食べていないとか。  二人でゆっくり話もできませんでしたが、同期が一生懸命働いている姿を見れて貴重な体験をさせてもらいました。   応募の往復はがきを200枚も書いたという方がいるのに、私は券をいただいて乗艦できて本当に幸せものです。  安中先輩 本当にありがとうございました。  24期 平 まりお
あんちゅうの返信メール  返信、遅くなって申し訳ありません。   24日の観艦式予行演習、「やまぎり」の乗艦券をあんちゅうのお世話になっている自衛隊新潟地連、加茂募集事務所の星野広報官が持ってきてくれたのが20日。  行きたくても行けないあんちゅう・・・。  貴重な乗艦券を首都圏に在住の方に速達で送るには一刻の猶予も無いと突然の電話を差し上げてしまい申し訳ありませんでした。   このメールを見て、ほんと、無駄にしなくて良かったな〜と思っています。   海上自衛隊を身近に感じた事の無い空手の先生ご夫妻をまりおくん、誘ったのも大変よくできました。   ◎+〇です。   同期の24期 川崎一成 2等海尉 船務士(通信)は忙しく、まりお君にかまっている事は出来なかった様ですが、それがまた、川崎2尉始め、乗組員の緊張感がそこここ伝わるイイ話でした。  まりお君自身も予備自衛官として頑張っていられるのできっと、自身も緊張の艦橋2時間だったのでしょうね。  ほんと、喜んで貰えて、あんちゅうもこんなに嬉しい事はありません。   「あんちゅう先輩、っま、一杯。  観艦式、ありがとうございました。」  「っお、ありがとう!!」  ・・今度会った時が楽しみだな〜



2003年10月25日(土)   17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 17Th Home 10月のご挨拶
お久しぶりです、お元気ですか?   フラレェ氏の投稿読みましたが、17期に対する思い入れがある方が様々なところに居られるようで驚きました。  入試の作文の題名は覚えていましたが、問題まで記憶にあるとは、すごいですね、   因みに私は大阪地連に志願しましたが、パンツをおろす検査は、ありました・・・。



2003年10月24日(金)   つばさ様より
件名 : 観艦式
村様  山岸様  あんちゅうさま  こんばんは。お元気でいらっしゃいますか?   本日「はるゆき」で、観艦式予行に連れて行って頂きました。  朝、出港時は寒かったですが、お日様が出てくるにつれ暖かくなって・・・うねりはありましたが観艦式日和、素晴らしい1日でありました。   あんちゅうさまへの詳しい報告は、写真の準備ができてから、として・・・  今日偵察してきたことを、ご報告申し上げます。    村様、山岸様(券、届きましたか?)は、JRで来られますか?  東神奈川駅で降りると、京急の仲木戸駅は目の前でした・・・(^^;)  JRなら東神奈川の改札口を出られて左に直進、階段を下りてまた直進すると、右手に歩道橋があります。  横断歩道を渡って、歩道橋を渡る、下りたら右に直進してください。  川にかかった橋を渡ったり踏切を渡ったりして10分か15分歩くと、米軍基地のゲートに着きます。(皆歩いていくのでお分かりになると思います。)    ゲートで乗艦券を見せて、手荷物検査を受けます。  基地内は、指示されたバスに乗って艦まで移動できますので、心配ご無用です。  今回は、警備の都合で、そういう形式に変わったと思われます。    私と家族も行きますが、ベスト・ポジションは、左舷ヘリ甲板の後方角あたりと思われます。  実際、訓練展示はよく見えます。  でも、観閲部隊との間を航行する受閲部隊は、右舷側になりますので、どちらを重視したいか、によって”居座り”のポジションは変わります。   ブリッジ等、艦内は、帰投時にも見学できますので、作戦を練っておくといいと思います。  私たちは、上記のあたりにおります。  第一甲板は日陰で寒いかもしれません。  短SAMを動かすとき、一時移動させられる場所もあります。  天候にもよりますが・・・防寒対策は、乗艦時を基準に考えられるといいでしょう。  マフラーや手袋があると、かなり体感温度が違います。    観艦式は1213から始まるので、その前に昼食をとっておいた方がいいと思います。  食べ物・飲料は、あらかじめ調達されたほうがいいと思います。   帽子は、顎紐のある飛んでいかないものを・・・(T。T)   航海中は、私にお気遣いなく、お好きなようにお過ごしくださいね。  お顔を拝見することを楽しみにはしておりますが・・・    今日、24期の平 まりお様が「やまぎり」に乗って来られました。  平様の同期で「はるゆき」の水雷士をされている服部3尉と、偶然第一甲板でバッタリお会いいたしました。  平様からお話を伺っていたので、名札と階級章を見て、とっさに声をかけてしまいました。  今になって思えば、初めは緊張して名前も名乗らないまま・・・随分失礼なことをしたなあ、と反省しておりますが、写真と私と服部3尉から平様へのビデオレターを撮ったので、後日、平様にお届けしたいと思っています。  服部3尉は、たいそう驚かれたご様子で・・・本当に失礼をいたしましたが・・・Cuteな方でしたヨ(^^)  日曜日に、村様や先輩方が来られると知って、ますます緊張されているかもしれませんが、艦上でお会いしたら、ぜひ彼に励ましのお言葉を・・・ 「はるゆき」には7月に転属されたそうです。    あんちゅうさま、17th Homeは、こんな形でも繋がりを作ってくださいます。  でも、甲板で・・・探していた訳でもなく偶然出会うとは・・・不思議な出来事でした。  平様の同期生を思うお気持ちが通じたのでしょうか?  以上、簡単ですが、状況報告でした!  何かご質問がありましたら、ご一報くださいませ。  日曜日、予報では大丈夫のようですが・・・  村様、きっと晴れると念じましょう。  今日は平様の神通力で(?)航海日和になりましたから・・・(^^)  今日は楽しく・素晴らしく・不思議な、でも疲れた1日でした。  それでは皆様、おやすみなさい!!   つばさ拝



2003年10月23日(木)   14期生 ほっとけの谷憲先輩より
件名 : Re: 御無沙汰しております。
おう。安中か   どうした元気か?  近頃音沙汰なしでほんと心配していたぞ。    48歳若すぎる死だった。  自分で書いた弔辞に泣いた。  自分では読むことができないだろうと、他の教官に読ませた。    安中よ、ちょっとでも具合が悪かったら病院に行こうな。  約束できるか? そうしないといけんぞ!!    結局はそのことが家族を悲しませないことだぞ!  分かっているか。   死んだらなーんにもならんぞ。    ちなみに自分が死んだら「ゴミの日に捨ててくれ。」と言っている。  女房は、「天国から見守らなくてもいいから、さっさとどっかへ行ってね。」と言う。   それでいい!! お前もそうしろ!!   死んだ部下は、頑固でナカナカ病院に行かんかった。  奥様はまだ38歳で子供は中1、小5、小4の娘3人だ。可哀想だよな!   本当に貴様は何ともないよな!!    ほっとけの谷憲
あんちゅうの返信メール   ****  



2003年10月23日(木)   24期 平まりお生徒より
件名 : 券届きました。
おはようございます。   昨日 速達にて観艦式「やまぎり」乗艦券 確かに届きました。  ありがとうございます。   明日は天気もよさそうだし、楽しんできます。



2003年10月22日(水)   伊達髭修様より
件名 : こんばんは
こんばんは、あんちゅう殿   相変らず、忙しそうで。体、大丈夫?  いやいや、江田島で鍛えられしあんちゅう殿の肉体は、こんなことには、びくとも、しませんよ! なんて、返事くるよね。   ここ、宮城の地にも、冬将軍の先発隊が、到着しそうです。  私は、秋生まれのせいか暑いの寒いの苦手です。   さて、いよいよ、観艦式がまもなくですね。  海自新聞で見ました。  チケットがプレミアムとか?150倍とか・・今年は仕事の都合?・・いやいや、大蔵省の予算で・・・見に行けません。  ただで、行くためには・・衆議院選挙に立候補し総理大臣になれば・・  なにを、アホナことを・・   ところで、話変わりますけど、来年NHK4月朝ドラ宮城より発信します! 多分ここ、地元のかやぶきの家がモデルだそうです。 中味は、まだ、わかりませんが・・  着々とロケが進んでいます。   あんちゅう殿、朝ドラなんて、見れないよね・・ でも、私の周りの風景がでると思います。  おたのしみに!まずは、ご一報まで!   伊達髭修でした。
あんちゅうの返信メール  江田島で鍛えられたあんちゅうの肉体は、こんなことにはブク? ビクともしませんよ!!  いやー! 返信遅くなって申し訳ありません。  っま、そういう訳で、元江田島健児は言い訳しません。 ハイ。   この土日は長らく続いている長福寺部落のノッピキならない連中と長野への旅行でしたが、その間、観艦式があったり、思いも寄らぬ 「17期になれなかった男」様からのメールがあったり、それがまた様々な方から返信を頂いたり・・・  今夜は、気合を入れて17Th Homeの更新をしたいと思います。  てなわけで、今夜の更新の一発目は「17期になれなかった男」様の次に頂いた髭修殿のメールの掲載から始めています。   NHK朝ドラは、そういえば見る機会がほとんどありません。  朝ドラだけでなくテレビそのものもじーっくり見ることはなかなか出来ないのが最近のあんちゅうですが、ちーっとも困りませんね〜。  髭修殿始め、皆さん方とのつながりが、あんちゅう、一日のリフレッシュになっているからであります。  直に返信が出来ないかもしれませんが、これからもよろしくお願いしますよ、髭修殿。   でも、NHK朝ドラに髭修殿の地元が映るとあっては興味深々です。  山、田圃、川、・・・  かやぶき屋根に煙がひとすじ・・・・  牛が 「モー!」 と鳴き、耳を澄ませば鳥の鳴き声が・・・・       い〜いですね〜・・・   っと、  突然、「余は飲みに出るぞ! 篭を呼べい!!」   と 髭修殿の声。  「な、なに???」    伊達正宗公の地元、仙台の懐かしくも美しい風景が、髭修殿を想い出すとついつい こんな風になってしまうのです。   あんちゅうは永遠に朝ドラのプロデューサーにはなれそうもありません。    ゴメン。



2003年10月22日(水)   17期になれなかった男より
件名 : 33年前の12月のあの日を思い出しました
皆様とは同じ空気を吸うことは出来ませんでしたが、昭和45年12月の二日間の日曜日は、同じ夢と希望に向けて試験場に望んだ者です。  机に貼られた受験番号票は、陸は黒、海は赤、空は青のマジックで書かれていました。     なぜか社会科の試験問題で「太平洋と大西洋を繋ぐ運河は何と言うか」と出題されていたのを今尚記憶にあります。     一週間後、地方連絡部の方が自宅まで一次合格通知を持ってきてくれ「二次試験も必ず受験するように」と言われ、心はすでに遠く江田島の地にあったのを憶えております。   二次試験の作文は、「なぜ少年自衛官を志願したか」と言う題材について書き、健康診断の前には、試験官からパンツも脱ぐ検査(実際にはありませんでしたが)もあると驚かされました。   残念ながら体重不足で落とされ、高校、大学、社会人として普通に今日まで過ごしてまいりましたが、偶然にも貴兄のホームページを見、私にもこんな青春を過ごすことを夢みていた時があったことを思い出されました。  メールを送る資格がない私ですが、江田島にふられた男の戯言としてお許し下さい。   そうそう、地方連絡部に入学願書をもらいに行った時「君のお父さんは軍隊の経験はありますか」と聞かれました、大人たちには戦争の記憶が実体験として残っていた、まだそんな時代だったのですね。   17期になれなかった男より
あんちゅうの返信メール  「17期になれなかった男」様、メールありがとうございます。   今日ほど17Th Homeをやっていてよかったな〜と思ったことはありません。 ・・ 感激しています。  17Th Homeに力があるとすれば今日ほどその力強さを感じた事はありません。  17Th Homeの力とはあんちゅうの力ではありません。これをご覧頂いている皆様による力です。   2010に帰宅してまず、最初にパソコンの電源を入れ、メールをチェックしたところ、名前に覚えのない方からのメールがありました。 「・・・   しらねーな」   ウィルスもなく、開いてみた所がこの文面でした。   ・・・感激しました。 感動しました。   17Th Homeがはじめての方なら、多分、(あんちゅうならば)まず、アドレスを記載せず、実名も記載せずに生徒掲示板に書き込みをするのが普通と考えていましたが、貴方様の場合は直接あんちゅう宛てにメールを送っていただきました。  本当にありがとうございます。  文面に溢れる貴方様の青春の思い出にあんちゅうの心は揺さぶられました。   17Th Homeを立ち上げる時、トップページにも記載していますが17期に入隊した時が生徒17期なんだと、卒業したかどうかは問題じゃないという意味の事を書いていますが貴方様の文面を見てそれさらに拡大しなければならないかもしれないとも思っています。   賢妻は 「そんな問題でたの?」 などと直球を投げてきましたが、アベレージバッター?あんちゅうは見逃しました。  見逃したというより当然の事ながら?記憶にありません。  「江田島にふられた男・・・」 と書かれていますが貴方様が真摯に江田島を、少術校を想う気持ちがあんちゅうの心を動かし、17Th Homeをご覧の皆様の心を動かした事は間違いありません。  読めば読むほどに貴方様の江田島と少術校17期を想う気持ちが伝わって来ます。  ありがとうございました。  メールの意味の深さを知った賢妻も 「よかったね〜、ホントよかったね〜!」  感激のウロウロ声で涙ぐんでいます。   これからも17Th Homeを宜しくお願い致します。
17期になれなかった男様の返信メール  アンチュウ様 へ 江田島にふられた男(フラレェ)より
先日は、突然のメールを送り大変失礼いたしました。  早々に、身に余るお言葉を頂き恐縮しているしだいです。   何げなくアンチュウ様のホームページを開き、1971年4月という年号を見た時、思わず71から55を引いてみたら16つまり16歳高校1年の歳が弾き出され、ア〜自分が受験したのは17期なのかと自分の閉じていた1コマの過去に鮮明な光がさし、何故か感動し思わずメールを送ってしまいました。  私は偶然にもアンチュウ様と同じ年に受験したので、勝手に親しみを感じてメールしましたが、他にも陸・海・空の少年自衛官を目指し、その夢が果たせなかった多くの人がアンチュウ氏のホームページを見、密かに1971=17期という数字に数を+たり−たりしていると思います。  その人数を想像して見ると、海自の倍率を10倍として当時の採用予定者は120名、約1000名が夢果たせず、陸・海・空を合わせると想像ですが年間4000〜5000名がフラレェと同じ運命になったのでは、  インターネットが発達した現在、フト自分の子供が受験年齢に達した時に何げなく昔を思い出し「自衛隊生徒」「少年術科学校」とキーボードを叩いていると思いますよ、  そんな気持ちでアンチュウ様のホームページを見ている40年間のフラレェ組は、1971年4月に江田島の空気を吸っていた人よりも多いと思います。   フラレェ組はおそらく昔少年自衛官を受験したことを家族にも言っていないと思います。  それはなぜか、15歳の時純真な気持ちで自分の進路を決めた当時のことが自分自身判らなくなっているからであり、密かに自分の記憶に留めているのだと思います。  そんな時アンチュウ様のホームページが、閉じていた思い出に光を当てて思わず苦笑いをしている人は全国で多数いると思います。  よけいなお世話と思いますが、ホームページのどこかに「自衛隊生徒」と言う言葉をいれたら検索しやすくもっと多くの人に見ていただけるのでは、特にこれから受験しようとしている少年や親にとっては、防衛庁のホームページで掲示している給与・待遇・教育内容よりもどんな生活を送っているのかが一番知りたいことと思い、そのようなことを知り得るのに、アンチュウ様のホームページは多くの諸兄の実体験が記載され益々必要とされます。   フラレェのその後の自衛隊とのかかわり   昭和46〜47年頃  豊田 穣原作「海兵四号生徒」の映画を見る あこがれた江田島の風景を見るが、戦前とはいえ教練の姿を見て俺には無理だと悟る。   昭和51年 夏  友人と小笠原父島に行き、友人が海で行方不明(無事発見)村中大騒ぎさせる。  捜索してくれた父島分遣隊にお礼に行き、始めて海上自衛隊の中に入るり隊長の部屋に通されたが、ジュースを乗せたお盆を目の高さまで捧げて持ってきてくれた隊員の白い服と、ジュースの黄色い色のみが鮮明に記憶にあり。  一応海上自衛隊を志願した物が、数年後海上自衛隊のお世話になっていれば世話ないですね。   昭和52年春  同じく小笠原父島  二見湾に「南極観測船富士」入港、上陸しただただ島中を歩き回る乗員を見て、狭い艦船での生活を思う。   平成8年夏  秋田県土崎港  初めて自衛艦の体験乗船する  ヘリコプター格納庫にて海上自衛隊員がモデルになったさまざまな服装を見る、26年目にして初めてあこがれの7ボタンの制服を見るが、虚弱体質もいつのまにかサイズはA体型になっていた。  心の中で思わずニヤリ   平成10年ころより自衛隊退職のSE希望者の(現在コンピュータ会社勤務 総務担当)就職について、地方連絡部援護課の職員と会う。  制服姿の人には最初少しビビルものですが、昔面接で3〜4人の自衛官に面接された経験があったせいか、通常通り話すことができた。   受験当時地方連絡部の職員だった同級生の親父が、定年後専門学校の職員になり専門学校の非常勤講師を受ける。  最初はめんどうなので断っていたが、その方の顔を見た瞬間お受けしました。   受験当日試験場にて「作文はいくつかの題材が出るが、なぜ少年自衛官を志願したかの題材を書け」とか「面接で海上以外でも入るかと聞かれたらハイと言え」とかアドバイスを受けた他、どうも筆記試験は下駄を履かせてもらったような気がズートあったため。(体重にも下駄履かせてくれればよかったのに)  ちなみに面接ではやはり言われましたが陸上はいやで「海洋国日本の防衛か、頻繁に領空侵犯・・・」と答えてしまったような記憶があります。   つまらぬ事ばかりお書きいたしすみませんでした。  きっと試験問題や試験場の風景を覚えているということは、純真な熱き血潮があの時で止まってしまっているからだと思いますが、今になっては熱き血潮が何であったか良く判らなく、いやもう言葉では語ることが出来ない親父になってしまいました。  まさかこの年になり、面識のない方にこのようにメールを送るとは思いませんでした。   アンチュウ様のホームページが親父族の思いでに光を与えるとともに、我々がそうだったように未来ある少年たち熱き血潮の道標になり益々の拡大と発展いたすことを熱望いたします。  今後フラレェ組の代表として、掲示板の方へも受験当時の思い出など投稿したいと思います。   010−****  秋田県*******2−22 ****  018−***−****



2003年10月20日(月)   17期 重永幸敏より
件名 : 久しぶり(^_^)v
こんばんわ(^_^)v久しぶりです。  やっと引越しも終わり落ち着いたところです(*^_^*)   やっぱり新しいPCは最高だ\(^o^)/   今年の夏はまじ失敗だったよ(:_;)  伊豆は台風で大雨でどこも遊びに行けなかったよ(:_;)  だから女房が(絶対に来年は、新潟に行こうって)言ってたよ(*^_^*)   新しい住所を報告しとくね。   〒228−****  住所・・・神奈川県****  自宅電話番号・・・046−***−**** **@***  携帯 090−****−**** ***@****   今日はこのへんでこれからもよろしく(^_^)/~
あんちゅうの返信メール  ご無沙汰でした。 元気そうで何よりです。 あまり無理をしないようにして下さい。   メールの返信、遅くなって申し訳ありません。  本日(28日) 同期に転送します。 ・・顔文字は消去しました。



2003年10月20日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−59−90 (准尉講習生徒出身者
准尉講習修講一週間前の10日(金)江田島研修があり教育参考館を訪れました。  いつ訪れても参考館の入り口に立つとき、ピーンと張り詰めた空気に触れると身も心も引き締まる気がします。   そこでやっと総員(一部)写真をゲットしました。 
一枚目
後列  野  村  伊  藤  矢   野   山   城  加茂田
    (20期) (19期) (19期) (18期) (18期)
前列  中  村  高  橋  町  田   高橋昇  石  塚
    (17期) (17期) (15期) (16期) (17期)
二枚目(遅れてきた人)
     飯  塚  上  村  古  賀    木  屋
    (18期) (20期) (18期) (16期)
如何でしょうか、昔の面影の有る者、無い者と揃っております。  皆元気で講習を終了し各部隊に旅立っていきました。  三枚目:17期の美男子トリオです。
あんちゅうの返信メール  生徒先輩、後輩、そして愛する同期、准尉講習ご苦労様でした。   諸先輩を除いては、いずれも机上や坐学、教室、講習、または、ノート、エンピツ、消しゴムなどの言葉を聞くと 「ゾゾッ!!」 とするような顔ぶれにお見受けいたしましたが、長期の収監、ご苦労様でした。  部隊では術科を極めてこられた方々にとっては多分、大変な期間だったとお察し致します。   送ってもらった写真を見て、記憶力希薄なあんちゅうでも当時の面影のある方は16期生木屋先輩です。  ガッチリした体格も当時のまま。毅然としておられましたが優しい方だったと記憶しています。  18期の加茂田生徒は確か剣道部だったような・・・  苗字の加茂田が、あんちゅうの住んでいる加茂市と似ているので覚えていたかも知れません。(単細胞なだけですが・・)   山城生徒もなんとなく・・・   15・16・17・18・19・20期とくればいずれも昭和40年代後半に江田島で暮らした愛すべき方々です。  元隊に戻られても益々のご活躍をお祈りしております。



2003年10月20日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−59−89(広島県予選組合せ決まる)
第83回全国高等学校ラグビーフットボール広島県予選に抽選会が18日(土)にあり、我が西高は1回戦福山工業高校と25日(土)1440から県営グランドで対戦します。  春に対戦した時は、(24−14)で勝利を納めていますが、今度は向こうも雪辱に燃えていると思うので油断せずふんどしを引き締めて戦います。  福工に勝つと2回戦は、今年いい試合をしながら今一歩のところで負けている、誠之館高校です。     ここから愚痴です。  昨年着任して思ったことですが、本番一ヶ月のこの時期、集中試験に始まり観閲式の行進訓練(先週まで参加していました。)、3年生の乗艦実習、1年生の乗艦実習及び2年生の乗艦実習と続き、土日曜日しかまともな練習が出来ません。 と思ったら月二回土曜日の午前、学習会が二時間あり午後練習といった具合です。     しかし、短い練習時間でしたが、今までの練習成果を100%出せば良い所までいけると思います。  生徒の頑張りに期待したいと思います。  応援宜しく。    、江田島青年の留守中は中級学生の竹森1尉に指導してもらったおかげで強くなったと思っております。   感謝。



2003年10月18日(土)   島原報告人様より
件名 : 30017突破すごい!
 仕事出勤前 メールチェック  その後17THホームをのぞいたら NO 030017  だったのです。  感激しました。 パソコン画面に見とれていたら仕事に遅刻してしまいましたが、今日は なんだか楽しい一日でした。   島原報告人より
あんちゅうの返信メール  30017カウント、ゲッツ!!   おめでとうございます。   そして、いつも17Th Homeをご覧頂き誠にありがとうございます。   本日より遡る事、776日前、海上自衛隊少年術科学校第17期生徒ホームページ ”17Th Home” を立ち上げ、以来、”17Th Home徒然草” を柱にHPの更新に努めてまいりました。   ”青春の1ページ” などと言いますが、江田島少術校で過ごした日々はあんちゅうにとっては青春の全ページでありました。  歳月が過ぎ、ふと江田島を振り返ると同期の顔が次から次へと浮んできます。  特に赤マークをつけていた1年生の頃の同期です。  その中でも途中で江田島を離れた同期が皆、元気で頑張っているだろうか?   彼はその時に何を考え何を感じていたのか? HPを開設すれば、17期同期が赤マークをつけていた時に少しでも近づけるのではないか?   この時代、いつかは17期ホームページをどこかで見つけてくれるのではないか?   そんな想いを実現する為にお互いのメールを公開する事を前提に17Th Homeを進めてきました。   ”俺とあいつ”の1対1のメールは当人同士だけで終わってしまいます。  その輪を広げる為にも17Th Home徒然草に転記掲載することが前提でしたが、それがいろんなところからのアクセスを頂き、本日の30017カウントを数える事となりました。  30017をゲットされた島原報告人様始め、いつもご覧頂いている皆様のおかげと感謝しております。  ありがとうございます。  島原報告人様にはわずかばかりではありますが粗品をお送り致します。   「言い訳をするな」「ごまかすな」「泣き言を言うな」「他人のせいにするな」「行動に責任をとれ」「けじめをつけろ」「何事も一生懸命やれ」「自発的にやれ」「挙措容儀は常に端正であれ」  と、いつも自分自身に言い聞かせていますが、平日は忙しく、休日も野暮用が立込んでいる最近のあんちゅう、暫くの猶予を頂きたく、宜しくお願い致します。  ・・これって「言い訳」以外の何物でもありませんね。   これからも17Th Homeと江田島、海自生徒の応援を宜しくお願い致します。



2003年10月18日(土)   17期 竹下和哉より
件名 : 30017
お知らせです。   まもなく30017アクセスですよ。  17日0800現在で30011だった。  以上 報告まで



2003年10月16日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−58−88(出所祝い)
 本日、一ヵ月半のお勤めを終了し江田島広場に戻ってきました。   入所中の目標であった、「150q走破」を無事クリアーし約200q走りました。  持久力を少し戻りましたがスピードは戻りませんでした。  やはり年ですかね。  もう一つ密かに狙っていた「30q完泳」が出来ず、25qで終了してしまいました。  残念無念ですが我ながらまだまだ泳げるぞと感心しました。(一日最高3q)    石塚(51空)と中村(横指隊)そして生徒出身者も元気に原隊に帰って行きました。(一・二年後また江田島で再開を約束して。)    長い間ご無沙汰しておりました、江田島青年広場の様子を入所中の状況を交えながら遂次お送りしていきたいと思います宜しく。
あんちゅうの返信メール  お勤めご苦労様でした。    200Km走りましたか。 大したもんです。   江田島の風、17Th Homeをご覧の皆様に届けてください。  宜しくお願い致します。



2003年10月13日(月)   安部庄子様より
件名 : 近況報告
お元気ですか?  江田島の生徒祭も終り やはり気の抜けたように1週間を過ごしてしまいました。   前日に江田島に渡ったのですが 広島港から高速艇を利用すれば早いものを呉線に乗り呉港から江田島に渡りました。  私はこの呉線から見える風景が大好きです。 ・・・  今年の運動会は秋晴れの中おこなわれ 私はといえば昔のお嬢様方との記念撮影などで息子を見つけたのは綱引きの時でした。  元気で頑張っているのは重々承知してるのですが 顔を見るとやはり安心します。  ふと空を見上げると運動会を応援するかのように 飛行機が飛んできました。   文化祭も楽しく生徒も父兄も盛り上がりました。  基本教練展示! キビキビした動作に日頃の訓練の厳しさを垣間見ることができました。   さて今日は全国的に国民の休日、 伊達家のお膝元 西部地区の我部落でも五穀豊穣を願う秋祭りがおこなわれました。  若者が担ぐ 暴れ神輿! お神酒も入りこの時ばかりは無礼講と、稲刈り前の田んぼで暴れたり はせ掛けの田んぼを荒らしたり・・・・神輿が暴れた田んぼは来年は豊作だとか・・・・  田んぼの持ち主は 皆苦笑いで顔が引きつってました。   髭修はといえば 前前日は縄ない、〆縄作りで飲み 前日は宵宮祭りで飲み 今日は振舞い酒と頭のてっぺんからつま先までお神酒にどっぷり浸かって今ごろは・・・・  あーっ!何時になったら帰ってくるのやら・・・・考えるのも恐ろしい・・・・   我家から見える泉ケ岳にも来週は初冠雪があるとか・・・・寒くなりました。  新潟も寒そうですね お互いに体に気をつけて暮らしましょう。
あんちゅうの返信メール  近況報告、ありがとうございます。   生徒祭、楽しまれ、感動されてよかったですね。  安部様の訪江田島後の気の抜け様でその大きさが伝わって来ます。  呉線はあんちゅうにとっても思いで深い鉄道です。  あんちゅうにとってはというよりも当時、呉以北より江田島を目指したほとんどの生徒がそうでしょう。  当時はまだ、新幹線が広島まで開通しておらず、三原より呉に入りました。  瀬戸内海の静かな海と島々。  希望に胸を膨らませ・・とはいかず、不安がいっぱいのところへきて、トンネル。  ・・更に募る不安。    思い出します。   稲刈り前の田圃に入ったり、荒らしたりの西部地区の五穀豊穣を祈る秋祭り、こちらも楽しそうですね。  写真を見て担ぎ手の足元が汚れている理由がやっとわかりました。  お神輿の担ぎ手によって踏みにじられた稲穂は鳥やネズミのご馳走になり、その肥しで来年の豊作が約束される・・・すばらしい!    自然と共に生きてきた伊達家お膝元の広い心にバンザ〜イ!!    さてさて、問題は髭修殿ですぞ。  同じ同姓としてどうフォローすればいいのでしょうか。    ・・・少なくとも、神様のお祭りを滞りなく行う為に準備段階から携わり担ってきた事に対しては尊敬に値します。  自分自身を殺し、時にはさして欲しくもないお神酒を口に含み、・・・・ す、すみません髭修殿、無理にこじつけようとしてもお嬢様を納得させるような文面が浮んできません。    っま、ほどほどにとしか言い様がありません。・・・    (こちらは、お手上げの”バンザイ”です。)   今夜の新潟は冷たい雨が降り続いていますし、気温も低くなってきました。  気の抜けたお嬢様と神様におつかえした髭修殿が体調をくずしませんように。  おやすみなさい。
伊達髭修様からの返信メール  こんばんは、あんちゅう殿  江田島孤児も、あっという間にというか・・・甘い誘惑がありついふらふらと、隣の家のご招待で午前様・・・不覚!   生徒祭の様子をデジカメで我愛妻より報告していただき納得!  来年は是非参加してみたいと思っています。    さて、地元の秋祭り、なんだかんだ30年付き合っていますが、つくづく、思うのは、時代の流れというか、今回の担ぎ手は20代。  我息子と同じ。  体はわたし以上でも、体力は40代  基礎訓練がなってない。   昔の暴れ神輿はとても、手がつけられないそんな感じでしたが現実は10分も持ちません!  昔は!・・・・やはり、そんな愚痴をいう歳になりました。 反省!   さすがに、昨日は神に4日も仕えた身ゆえ、アルコールを控えました。  というより、飲めませんでした! 反省!  気の抜けたお嬢様と、神様の抜けた髭修はヘロヘロで、寝ます。   こちら、宮城も、不安定の天気が続いています。  朝、布団からの脱出に勇気がいります。  くれぐれもお体に、留意なされますように!  奥方にも、宜しくお伝え下さりませ! では!  ごめん!!   伊達髭修
あんちゅうの返信メール  ちっともフォローできず、かえってお嬢様に 「・・それ見たことか・・」 などと火に油を注いでしまったのではなかったかと誠に申し訳なく思っております。  甘い誘惑・・しかもとなりの家。   いいですね〜。   だからこそ西部地区の歴史が受け継がれ、あのような立派なお祭りが絶えることなく続いてきたのだと思います。  仕事を離れ、部落の人たちと飲み明かす酒ほど明日の活力になるものはありません。   おお〜っと、間違いました。 明日の活力になるのは髭修殿の愛妻の溢れまくる愛情でしたね。  ・・・   ・・・・   ・・・・・   ボロが出ないうちに失礼致します。 (もう出てしまっているようですがお許しを)    おやすみなさい。



2003年10月13日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り15−57−87(平成15年度生徒祭)
ご無沙汰しております。  約一月ぶりに登場する江田島青年です。   一ヶ月半の准尉特別講習の終講を二日後に控え、最大の難関であった所感文等が終わりほっとしているところです。  老化した脳みそもやっと落ち着いたようで、こうしてパソコンに向かっております。  終講後は予定通り生徒部に復帰します。    先々週の4日(土)秋晴れの中、「今年は違うぞ、見せます2003」と題して生徒祭(午前:体育祭、午後:文化祭)を生徒会が中心となり実施されました。   体育祭は日本を3地区(九州・沖縄、西日本・東九州、北海道・東日本)に別け借物競走に始まり綱引き、クラブ紹介からクラブ対抗リレー、騎馬戦及び対抗リレーで各人がチームのため頑張りました。  優勝は、西日本・東九州チームが輝きました。    文化祭は、各クラブのそれぞれ工夫した模様物等が発表・展示され有意義な時間を過ごせたようです。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り15−57−87(平成15年度生徒祭) ありがとうございます。   お久しぶりでしたね。   講習に囚われてからの目標、1ヶ月半で150KM走破は達せられたのでしょうか?   ナニ!200KM走った!!  ・・ などとは書いていませんね青年。   一人ボケ、メールでは悲しいものがありました。 失礼しました。  ・・トホホ。。   15期生町田さん、16期生木屋さん・高橋昇さん・18期綾塚、加茂田・山城・古賀、19期伊藤・矢野、20期上村・野村、そして17期の石塚・中村・青年、ご苦労様でした。  元隊に復帰しても更なるご活躍をお祈りいたしております。   木屋先輩は海上自衛隊新聞9月26日付けの記事で1万飛行時間達成したことが報じられていて、17Th Home10月の挨拶文の中でも紹介させて頂きました。   青年、17Th Homeは勿論の事、14期生HP・22期HPや生徒同窓会HPの事、皆さんに紹介してくれたのでしょうね?   生徒祭の様子が隠れファンからもなかなか送られてこなくて余計な心配をしていましたが、青年がその様子をデジカメに収めていた事でナットクしました。  参観組父兄様のメールによればギャラリーの数は過去最高で参観用のベンチ椅子が足りなく生徒の手により増設したとか。  益々盛んになる生徒祭、誠に結構な事です。  一人でも多くの方々が生徒の様子や江田島を知ってもらう事は海上自衛隊をより身近に感じて貰えるでしょうし、江田島で過ごしたことのある生徒出身者にとっても大変喜ばしい事だと思います。   もうすぐ江田島広場に戻られる青年、これからも江田島の風と香りを届けてください。  宜しくお願い致します。



2003年10月13日(月)   14期生 下條先輩より
件名 : Re: 17Th Home 10月のご挨拶
御無沙汰しております。  忙しさにかまけ皆様に不義理をしたことお許し下さい。  仕事も一段落し、やっと落ち着きました。   仕事だけが人生ではない、わかってはいるのですが、自営業の辛さ、請け負った仕事は最善を尽くさねばとつい無理をしてしまいます。  このような環境を乗り越えられるのも江田島で培った修練の賜物と感謝してます。  とうぶんは仕事をいれず、往く秋を楽しもうかと予定しております。   安中殿、上京されると伺いました。 もし、お時間がとれれば、一献、傾けましょうか。   御予定をお知らせ下さい。  下條
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございます。   約2ヶ月に渡るProject、ご苦労様でした。  7月、「爽快生徒・仙人を囲む会」に東京さ行った折、時代の最先端を行く先輩の仕事の一部を見せていただきましたが、実に大変な仕事と映りました。  何か新しいProjectをやるときには過去の成功事例や失敗事例などの経験が全く役立たない時があるように思います。  そんな時助けてくれるのはそれまで培ってきた人脈とその人達との人間関係ではないでしょうか。   下條先輩を知る度に先輩は人の心を動かすことのできる素晴らしい方との認識を新たにしてしまいます。  先日、15期生福島先輩の書かれた著書「まけてたまるか!・・・」を読ませて頂きましたが、その154Pや特に178Pに至っては読みながら震えてしまいました。  目がかすんで文字がよく見えなくなりました。  そんな先輩を持つ我々は幸せ者ですし、今回の先輩のProjectに参加された方々も先輩の根底にある優しさを十分に察しておられる方々と思います。   そんな先輩に向かって、 「仕事ばかりが人生じゃない!!! のう 下條!!」 などと、それもよりによって谷憲先輩に書いたらいかが?などとそそのかしてしまったあんちゅうはとんでもない後輩でした。   ・・深く反省をしております。   11月、上京の折には先輩にお詫びをしなくてはならないと考えておりまして、その時はどうぞ宜しくお願い致します。  あんちゅうを力づけてくれた先輩のこのメール、本当にありがとうございました。



2003年10月11日(土)   参観組父兄様より
件名 : 生徒祭03 今年は違うぞ!?見せます2003秋最高でした。
毎年 生徒主催ですばらしの一言です。  参観用のベンチ椅子が、生徒の手により増設 いままでで最高の大入りだったのでは ないでしょうか。    最初 運動会のプログラムを手にした時 ほとんどの父兄の方は 小・中学校でのイメージが強く これだけの種目??? と思われたはずでしょう。  しかし ひとつひとつの種目に 子供の力が目に見える運動会です。  今回も 素敵な声の生徒のアナウンスの呼び出しにより 開会式から始まり選手宣誓注意事項示達・準備運動へ わが子探すのに目は落ち着きません。   3地区での得点取り競技でした。(九州・沖縄)(西日本・東九州)(北海道・東日本)  帽子・人いろいろな借り物競争・互角の力での綱引き・運動部紹介を兼ねたクラブ対抗リレー・けがしないでと願う騎馬戦・最後はほとんどの生徒参加の3地区対抗リレーで終了。  大声で応援しました。応援で燃え尽きました。   綱引きの優勝生徒チームと父兄との戦いもありました。  わが子には負けない! まだまだ父親強し・・・さすがです。勝ち組のお父さん達でした。 が、優勝チームのお子たちは5戦〜6戦ぐらいした後だから少々お疲れ気味! かわいそうだったかな。  お疲れ様でした。   昼食済ませ 文化部の活動展示見学後 午後の部の文化祭イベント会場へ。  生徒ライブの3バンド共にすばらしいこと ここでも感動! 親の青春時代の歌まで・・・  素敵な白制服での 基本教練 とてもカッコよかったです。  飛び入り親も参加しました。 難しそう。   生徒の機敏な動作に 術校でのガンバリを感じました。   未成年の主張では、テレビ的の期待をしていましたが、生徒みなまじめな主張 これにも感動しました。  アームレスリングで 舞台での戦い。代表生徒選手頑張ってました。   最後 当たるといいなのビンゴゲーム すばらしい商品が山積み。  数字の数が増えるに連れて 商品が消えていく。あぁぁ・・・  あと一個の数字が出ない。あぁぁ終わった。  生徒会長挨拶につづき生徒祭閉会宣言。   楽しませていただきました。  ありがとう ございました。
あんちゅうの返信メール  生徒際のリポート、ありがとうございます。  遠路江田島を訪れた生徒ご父兄にとっては例年にも増して楽しい生徒際だったようで、生徒諸君は勿論のこと生徒隊の各教官のご苦労も報われたのではないでしょうか。   よかったですね〜。   ご苦労様でした。(写真を4〜5枚ほど送っていただけますでしょうか?)   色々な都合で行けなかったご父兄、来年は是非江田島を訪れ、ハツラツとした生徒諸君のガッツ溢れる姿をご覧になってほしいと思います。



2003年10月5日(日)   爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り008−H15
冷夏の影響ありと言っても、秋は秋。  17期諸兄におかれましては、それぞれに実りの秋を迎えておられるようで、あちらこちらから活躍の便りがHPに載って届きます。   また、病と上手に付き合っている友の便りもありました。  まずはお喜びを申し上げます。   さて、今年、東京では江戸開府400年のイベントが行われています。  そこで、今日は、江戸時代にタイムスリップできる浅草の「奥山風景(店屋の並んだ江戸時代の町並み)」を訪ねてみました。  諸兄にその幾つか紹介しましょう。  江戸の浅草情緒を味わって頂けたらと思いますが、どこもかしこも人垣が多く、高く、仙人の術ではタイムスリップできませんでした。   秋風に乗って勝手気ままに散策する仙人より
あんちゅうの返信メール  爽快仙人便り008−H15、ありがとうございます。   この仙人便りを拝見し、何を思ったかあんちゅう、真っ先に仙人が裃を羽織り脇差を腰に挿したちょんまげ姿の仙人を想像してしまいました。  あんちゅうの頭の中ではちょんまげ姿の仙人、とーってもお似合いででしたよ。   更に追い討ちをかけるようにちょんまげ姿の仙人を竹下画伯が作ってくれると面白いのにな〜などと思ってしまいましたが、これ以上のことは書けません。   仙人の術ではタイムスリップできなかったようですが、あんちゅうの壊れかけた頭はしっかりとタイムスリップ。  江戸時代の仙人に思いを巡らせた全くフトドキセンバンなあんちゅう、市中引き回しの上、遠島を申し付けられても致し方ありません。   お詫びにといってはナンですが、仙人が今考えている事を形にしてみました。  ・・・いかがでしょうか?  (ナンでこんなものがあるのかも不思議ですが・・)   ところで、11月18日から21日まで江戸で缶詰になりそうです。  一宿一飯の恩義をお願いするかも知れませんがそうなりましたら宜しくお願い致します。   仙人のちょんまげ姿が頭から離れないあんちゅうでした。  大変失礼致しました。



2003年10月4日(土)   陸上自衛隊 **団 ****より
件名 : お久しぶりです
お久しぶりです。   10月からレンジャー課程に入校しました。  自分がどれだけやれるか又、最後の青春だと思って思いっきりがんばってきます。   そうしたらレンジャーバッチをもって新潟へ胸を張って帰ろうと思っています。   denzenもどうかお体には気をつけてください。  **@****
あんちゅうの返信メール   メールありがとう。   元気そうで何よりです。     いよいよ**君の希望が叶ってのレンジャー課程入校、まずはおめでとう。  そして、精一杯頑張って下さいね。  あの時、「レンジャーバッチをつけないとこれからの業務が何も出来ない・・」と、言うような事を話してくれましたね。  陸上自衛隊の最強部隊*****団に配属されているのに更に厳しいレンジャー課程を希望し、現在訓練を受けている**君、君なら立派にレンジャーバッチを胸に付ける事が出来ると確信しています。    インターネットでレンジャーを検索して、アチコチ見てる内に**団のレンジャーがどんな訓練をするのかがチョッピリ載っていました。  ほんのチョッピリ。   そのチョッピリの隙間からdenzenが感じたものはその訓練を支えてくれている多くの同僚自衛官です。  **君自信も辛く厳しい訓練かと思いますが支えてくれる人達の思いも胸にしっかりと訓練に励んでもらいたいと思います。  そして、レンジャー徽章をつけた暁にはその雄姿を両親とdenzenに見せてください。  元気な姿を待っています。   がんばって!!



2003年10月4日(土)   17期 前畑啓二より
件名 : 別人のニコラス、ケイジ
卒業旅行、島原編懐かしく見ました。  確か前日は大宴会で盛り上がり一升瓶12本がホテル側からサービスされた記憶があります。  その後ホテル内のバーに行ったまでは覚えてますが、誰が支払いしたのか、どうやって寝たのか全く記憶がありません。  誰か記憶にある方お知らせ下さい。   話は違いますが先日佐藤寿の送別会を8人で行いました。  竹下画伯がデジカメを忘れてしまい画像はありません。  出席者 鹿野、小松、中村(友)、竹下、山崎(佐世保からFTG指導)、野口(博)、奥山前畑   今月19日から26日まで相模湾で観艦式が行われます。  「さわゆき」は横浜で支援艦として行動します。  出港しません。   参加する人画像をあんちゅうまで送ってあげてね。



2003年10月4日(土)   17期 臼井幸一より
件名 : 連絡
眼鏡かけずに読んで失礼しました。  これまでどうり配信お願いします。
あんちゅうの返信メール  今年の4月24日、「出国挨拶 : 今朝、出港。半年後帰国まで SEE YOU 17TH 」のメールを最後に遠航部隊「さわぎり」先任伍長として頑張って来た臼井君、ご苦労様でした。  9月8日、無事晴海に着いた事、海上自衛隊HPにて確認していました。    ”ひょっこり臼井”はどこに現れるか?  また訳のわからない?メールをお待ちしています。   あんちゅう



2003年10月3日(金)   17期 伊藤 隆(水測)より
件名 : アドレス変更
アドレスが変わったよ。   最近、朝晩冷えるからみんな風邪に注意!
あんちゅうの返信メール  らじゃー!  同期にアドレス変更のお知らせをします。



2003年10月3日(金)   伊達髭修様より
件名 : 孤児1晩目
こんばんは、ごぶさたしてます。  10月のご挨拶ありがとうございます。   我愛妻は、今朝915広島に向かいました。  土産話を、楽しみにしています。  と言いながら1人寂しく飲んでいます。  息子はいるのですが、見たい番組が違うとのこと隣の部屋でテレビ見てます。  娘は、友達とお食事、その後我家に宿泊予定みたいです。   朝飯なにを作ろうか?悩んでいます。 ということで、羽など伸ばしてる暇はありません・・心配ご無用?・・・  我愛妻は、息子と私に留守中のスケジュールなるものを書置きしていました。  留守部隊も、決して甘くはありません。   こちら、実沢でも、稲刈りが始まりました。  4日、5日天気も続きそうでまわりは、にぎやかになりそうです。  体育の日に実沢地区では、熊野神社秋祭典があります。  今年まで、若者頭取締り役員を担当しています。  それと、神輿が出ますが、笛を吹いて伴走します。  笛の方は、20年以上になりますが、なにせ、大好きなお神酒を飲みながら、歩きますので、ついつい、ホラ吹いてますね・・・   すっかり、寒くなりました。 お体を大事に!  では、また・・・うーさぶ、熱燗もう一杯飲んで寝よう!  おやすみ!あんちゅう殿、奥様。
あんちゅうの返信メール  こんばんわ。  江田島孤児?は、やっぱり寂しい様子が伝わって来ますね。・・ご愁傷様です。  こんな夜は熱燗をお代わりしないとやってられませんよね。  ・・わかります。   髭修殿の愛妻は今頃殿の事をチョッピリ考えながら、しかし、自然と微笑む顔を自分ではどうする事も出来ず、 「・・ムフ、  ムフフフ・・・」  今頃はお知り合のお嬢様?方と   ・・・普段は口数も少ないのに?  ・・・どういう訳か?話しがはずんでいるのではないでしょうか?    今朝、奥方より出発前にメールがありましたが、何の装飾もないメールのゴシック文字が心なしかはずんでいるように感じられ、デジタルの文面があたかも踊っているように感じられました。   しっかりと精一杯楽しんできて欲しいですね。   今日の新潟は西の空に青空、ここは土砂降り。  かと思えば10分も経たないうちに秋空が広がるという、全く 「女心と秋の空」そのものの一日でした。  鈍くなった男には ついていくのがヤットコサットコ。  今は雲1つない月夜になっています。   奥方帰宅までほんの少〜し、頑張ってください。  明日の朝は、なんの味噌汁が伊達家の食卓に登場するのでしょうね?



2003年10月3日(金)   新潟県自衛官募集相談員連合会会長 上村浩子様より
件名 : お返事
おはようございます。   メールいつもありがとうございます。    私は10月18日、舞鶴地方隊記念行事に出席する予定です。   またいつかお目にかかれる日を楽しみにしています。    (財)上村病院 統括部長 上村浩子
あんちゅうの返信メール  御無沙汰しております。   お忙しい中、いつもつたない月変りの挨拶文をご覧いただきありがとうございます。  18日には海上自衛隊の認識をさらに深めてきて頂き、17Th Homeへの投稿もお待ちしております。



2003年10月3日(金)   14期生 村岡裕美先輩より
件名 : こちらこそよろしくお願いいたします。
あんちゅう殿、お元気の様子、なによりです。   谷川岳ひとつで天候も大違い、関東平野はドピーカンの毎日です。   海自生徒の活躍、とっても嬉しい話を読ませていただきました。  現職の方々の頑張りに心から敬意を表したいと思います。    あんちゅう殿も決算年度下期が始まりこれから年末、年始と何かと気ぜわしい日々が訪れることと存じますが自然の恵みで体調を整えお元気でご活躍ください。  勿論、自分もあちこち飛び回り?ます。  暇な時にでも14期の掲示板を覗いて下さい。  写真を貼付けときます。   それでは今月もよろしく、さようなら。   ━追━ 折がありましたら、つばさ様によろしくお伝えください。
あんちゅうの返信メール  先輩のお姿、神様の掲示板にて見させていただいております。    素晴らしい趣味をいくつも持っている先輩がとってもうらやましいです。  あれだけの趣味を持っておられると たぶん、「道楽者」 の烙印を押され、別次元の人間とみなされているのではないかと少なからず心配をしておりますが、大丈夫でしょうか?    っま、「類は類を呼ぶ」と言うこともありますので先輩の周りにはそんな人はいないのでしょうね。   あんなに高く上がって恐くないのでしょうか?   たぶん、あんちゅうだったら 〇〇たまが縮みあがって、そうでなくても〇〇さいのに、探すのに容易でない状態になってしまう事、間違いありません。  素人目にはおっかないように見えますが、それ相当の準備をしてフライトされているのでしょう。 でも、絶対はありえないこの人生、十分に気を付けてお楽しみください。   つばさ様はあんちゅうがお伝えしなくてもたぶん、先輩にメールが届くと思います。・・待っていてください。   メール、ありがとうございました。



2003年10月3日(金)   17Th Home管理人 あんちゅうより
件名 : 17Th Home 10月のご挨拶
10月になりましたのでご挨拶申し上げます。  秋晴れの日がなかなか続かない新潟ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。  また、いつもは17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。   気持にゆとりが無い時はなかなか周りに目が行かないもので、秋の風情もちょいと見落としがちですが米所新潟では長続きしない天気の晴れ間を縫って稲刈りが盛んに行われ、あんちゅうの庭でも彼岸花が満開になり、爽やかな秋風が時折、金木犀の香りを運んできます。   新米に、栗に、きのこ、・・・   きのこ?  これから約2ヶ月のお楽しみ月間の初日、9月23日、あんちゅうは2年ぶりに天然の舞茸にお目にかかることが出来ました。  家から歩いて10分ほどの雑木林で、もう4・5日経てば丁度いいのですが、待てないのがきのこ採りの宿命。   小振りでしたが香りと歯ざわりがスーパー産とは全くちがう秋の味覚を堪能しました。    うまかったー!!   さて、今日、自衛隊新潟地連 加茂募集事務所の星野広報官(2空曹)が海上自衛隊新聞9月26日付を届けて下さいましたが、その5面に我同期、竹原おおよど先任伍長の記事が載っていました。   「江口隆一水俣市長は8月6日、佐世保地方総監部を訪れ、7月19・20日の両日に発生した豪雨災害に際して、積極的に行方不明者の捜索支援を実施した護衛艦「おおよど」(艦長・隈部秀彦2佐)乗員一同をたたえると共に、8月2日に実施された水俣市主催の合同慰霊祭に「おおよど」から乗員を代表して先任伍長・竹原曹長が参列した事に感謝状を手渡し、改めて感謝の意を表した。  ・・・  市長と懇談し、危機管理の重要性について大いに話しが盛り上がった。・・・」    竹原先任伍長と同じ釜の飯を食った同期として、大変誇らしく思います。  いつも腕組みを決めこんでいた生徒時代の竹原でしたが、今では、それにプラスして行動力のある所を発揮してくれました。  大いに話を盛上げたのが竹原かどうかは定かでありませんが、 「・・フムフム」と思いたくなる記事でした。  亡くなられた方々の御冥福をお祈りいたします。   また、16期生木屋先輩が1万飛行時間を達成した旨の記事もあり、掲載された写真に写っている小さな写真から、生徒時代の木屋先輩の姿をはっきりと思い出し、懐かしさでいっぱいになりました。   ガッチリした身体に浅黒い顔・・・。   新聞の写真は勿論、白黒ですが、いっしょに写っている奥様、お嬢様、お孫さんの顔の色と木屋先輩の顔の色の違いは、当時の先輩を思い出させるには十分です。  これからもお元気で益々、ご活躍されるようお祈りいたします。  16期生の先輩方、どうぞ、メールをお寄せください。  お待ちしております。   全国各地で活躍されている海自生徒出身者に誇りを感じると共に、17Th Homeもがんばらねばと気合を入れた、あんちゅう・・。   10月のご挨拶でした。