17Th Home 徒然草 2002年12月


2002年12月31日(火)      17期 安中 均より
件名 :
2002年もあとわずかで終わろうとしています。  今年も 海上自衛隊 少年術科学校 第17期ホームページを支えていただき誠にありがとうございました。  この一年を振り返って見ますと、今年も正に、皆さんの支え無しでは成り立たなかった17Th Homeであります。  高杉、24期、安部さん、あんちゅうの江田島訪問、仙人の退官等、多くの方々によって充実した17Th Homeを更新してこられました。  同期、先輩、後輩・・江田島に関係した人々に感謝申し上げます。    2003年も皆さんのご協力をいただきながら17期は無論のこと、生徒・江田島をキーワードに17Th Homeを創っていきたいと考えています。    今年のご協力に感謝すると共に来年もどうぞよろしくお願い致します。    海上自衛隊 少年術科学校 第17期ホームページ 管理人  安中 均



2002年12月31日(火)      仙台 安部庄子様より
件名 : ありがとうございました
あと1時間ちょっとで今年も終わろうとしていますが お元気ですか?  今、ちょっと外へ出てみたら仙台はすごい星空で、見上げていたら星が降ってきそうでした。  そちらはいかがですか?   今年はあんちゅうさんや 17Th Homeの皆様に本当にお世話になりました。  息子のおかげで 行ったことのない広島にも行けたし、 心配と不安で泪したこともありましたが17Th Homeを介していろんな方の思いやりにふれることができ 感謝してます。  仙人にもいろいろとお世話になりました。 来年も17Th Homeの皆様にとって よい年でありますように・・・・・仙台  安部 庄子
あんちゅうの返信メール    明けましておめでとうございます。  昨年は何かとお世話になりありがとうございました。  仙人は江田島を去りましたが、 ”江田島青年” という 立派な弟子を置いていかれました。  この弟子、最初はちょっと心配でしたが12月に入ってからは仙人の教えを少しづつマスターしはじめ、弟子本人の努力もあって立派に便りを届けられるようになりました。    17Th Home、2003年は同期17期はもちろんの事、生徒・江田島をキーワードに掲げHPを創っていきたいと考えています。   ”江田島青年” は、生徒時代、聰明な生徒でしたし、今もそうです。  今年の17Th Homeの目標を十二分に理解して17Th Homeでは無くてはならない”江田島青年便り” を 江田島の香りと共に届けてくれる事と思います。  ・・・期待できます。    本年もどうぞよろしくお願い致します。



2002年12月31日(火)      17期 伊藤 隆(電子)17Th Home掲示板投稿より
件名 : 明けましておめでとう
17期の皆さん、明けましておめでとうございます。皆様の健康と幸多き年であることお祈りもい仕上げます。旧年同様、皆様のご協力を宜しくお願い申し上げます。自衛隊東京地方連絡江東出張所勤務を命ぜられ、半年が過ぎようとしています。何とか無事の半年でしたが、今一番の問題は、海上自衛隊の人気がないことだと思います。機会ある事に海上自衛隊をPRしているのですが、知恵がまわりません。同期一同の知恵と行動力を拝借して、海上自衛隊の入隊希望者を一人でも多く獲得する方策を考えたいと思います。是非とも同期の一同の知恵と行動力のお力添えをお願いいたします。2002年にこのメッセージを見た方は、2003年の時報とともにもう一度ごらん頂ければと思います。



2002年12月31日(火)      17期 藤原和郎より
件名 :
今年は17期HPを見だしたおかげで長い間会ってなかった友達と会えたり、連絡が取れたり、仙人を囲む会にも最後に出席でき良い一年でした。  来年もみんな良い年でありますように。



2002年12月31日(火)      仙人より
件名 : 来年も宜しく
17th Homeのお陰で充実した江田島仙人生活ができました。これもひとえに長福寺殿一家の、多忙な中での並々ならぬご尽力と、生徒諸兄のご支援の賜と、心から感謝申し上げます。来年も宜しくお願い申し上げます。良い年をお迎え下さい。  仙人



2002年12月30日(月)      17期 鎌田恒之より
件名 : Re: Merry Christmas!!
ご無沙汰しております。   年の瀬も押し迫って忙しいとは思いますが17期の名簿(住所録)が無いのでお手数ですが住所録一覧をメールで送ってほしいのですがよろしくお願いします。
あんちゅうの返信メール    久しぶりです。  住所録ですが 春まで何回か出していた”ゆびとま”ハガキの住所録が最新版だったんですが”ゆびとま”が無料のハガキを休止した時、最新版住所録をダウンロードする事を忘れていて現在、あんちゅうの手元にあるものを送ります。  これで全ての同期に着くかどうかは定かではありません。  あしからず。      2002年 投稿4分前!!        あんちゅう
鎌田の返信メール    住所録やっとプリントアウトし終わりました、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。よいお年を〜〜〜Bye ((ヾ( ^-^)ゞ Byeー♪by娘



2002年12月30日(月)      17期 臼井幸一より
件名 : 2002年
激動の2001:2002が過ぎる二年ぶりの正月を迎える準備中酒の用意もととのった。おんながいない!        
あんちゅうの返信メール    今、選りすぐりの新潟もち肌美人を3人ほど佐世保に送った。今しばらく待て!あんちゅう、これより風呂に入る。倅も大掃除せねばならぬ。



2002年12月30日(月)      17期 竹原堅一より
件名 : 2002年
皆さん、今年もご苦労様、 みんなも忘れられない年でしたね。  佐世保は、いろいろみんなに心配かけて、ごめんね。 来年は、楽しい話をいっぱい、教えてあげます! わたしも、来年は、江田島にでも、いこうかなー? 以上  たっけはらより     追伸: 江田島青年がめでたく、 准尉に、なられました。 みんな、祝ってください!
あんちゅうの返信メール    明けましておめでとうございます。  江田島青年は何処かの誰かに  「来年は、年男です。飛躍の年にしたいと思いますが、悲しいことに准尉が来てしまいました。ナンマイダ ナンマイダ・・・  ご愁傷様です。」などと書いていたらしいです。   先程届いた年賀状には  「1月1日付 ついに年貢を納めることになり 細い線をまきます。」などと書いてありました。      ・・・・ナンマイダ ナンマイダ・・・   2003年もよろしくお願い致します。



2002年12月30日(月)      17期 竹下和哉より
件名 : 2002年
2002年は、私にとってひとつの転機の年でもありました。  准尉に昇任し、航空部隊から初めて艦艇部隊の中枢でもある横須賀地方総監部への転勤で、何もかもがはじめての経験で一時期、38℃の知恵熱を出して寝込んだこともあります。  でも、嬉しかったのは、もし、ここに転勤しなければ、35周年まで会えなかったかもしれない「ニコラスケージ」「ポンポコ奥山」「鹿野」「佐藤寿」はじめ横須賀に勤務している多くの同期に数十年ぶりに会えたことです。  髪は薄くなったり、白くなったりしてますが、やっぱり昔の(16、17歳頃)の面影は今でもしっかり残っていて、会った瞬間に名前が浮かびました。(同期以外は、物忘れがひどくて)    やっぱり、あの時代の記憶って、なかなか消えないものなのだと自分ながら感心しています。  ちなみに、来年1月17日、十数年ぶりに横須賀同期会と称して、「勝山分隊長」をお迎えして新年会を催す予定です。  いいスナップが取れたら投稿させていただきます。  なお、遅れましたが、17期HPによって、多くの同期が心をひとつに出来る幸せを今後も続けられるよう、管理人である安中には大変だとは思いますが、健康に注意して頑張ってほしいと思っております。    PS 私の得意技であるパソコンの画像ソフトを使った似顔絵を来年はデビューさせたいと考えてます。うまく個性を表現で切るかどうかわかりませんが、1ヶ月一人を目標に同期の似顔絵を展示させたいなーなんて考えてます。  それで、お願いですが、同期の追憶アルバムのCD版をメールで送ってください。多少重くても当方ADSLなので、問題ありませんのでよろしくお願いします。  年末に無理言ってすいまそん。    PS×2 平井分隊長からお礼のメールいただきました。  ありがとうございました。  これからも17期HPを通じコミュニケーションを、素晴らしい訓育をお願いいたします。    以上、年末で酔ってしまったバンブーでした。 
あんちゅうの返信メール   明けましておめでとうございます。  卒業アルバム ”追憶” CD版そのものを郵送いたします。  あんちゅうの通信環境がフレッツ・ISDNですのでとても200M近いファイルを添付する事が出来ませんので。   ADSL は 思うようなスピードが出ず導入にはいま少しの時間が必要です。   いかに 田舎に住んでいるかと言う事の証でもあります。    2003年は ”横須賀徒然草” の積極的な取材と投稿を任務の1つとして与えますのでよろしくお願い致します。



2002年12月30日(月)      17期 安中 均より17期へ
件名 : なし
2002年   投稿 5分前!! 



2002年12月29日(日)      17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 12月のご挨拶
ご無沙汰しています。  師走とはよく言ったもので悟りを開いた師でも走り出すほど慌ただしく過ぎましたね。  私の今年1年を振り返ると、艦を降りて新配置で冷や汗をかきながら「何じゃこりゃ?」とか「どうすりゃいいのこれ?」といった感じのアッという間の1年でありました。  高杉君が亡くなるという悲しい出来事もありましたが、このHPを通じて同期が何十年ぶりの再会を果たしたり、メール上で語り合って一致団結出来たことは大変嬉しく思うとともに、安中君の功績に深く感謝致します。  そして末永くこの17HPが我々の心の礎となるように同期、恩師、諸先輩、後輩、17HPに関わるすべての皆様来年もよろしく御願いします。    そう言えば来年は歳男ですね・・・。       上田
あんちゅうの返信メール    2002年、職場が変わり大変なところ、17Th Homeを支えていただき誠にありがとうございました。   「安中君の功績・・」などはほんの数パーセントに過ぎません。  これをご覧いただいている皆様のメールによってこの17Th Homeは成り立っています。  「安中君の功績」は、同期、恩師、諸先輩、後輩からのメールをチョコチョコっといたずらし、記録に残し、ジイさんになってからの楽しみを溜めている事だけです。   「安中君」に功徳があるとすれば来年の歳男を迎えてから更にあと2回の歳男を迎えなければなりません。  ・・72歳??   ウヒェー!!   一緒に頑張れる?上三佐クン。  じゃなかった  ガンバロウ!  ケビン・コスイナー          よいお年を。



2002年12月29日(日)      14期生 下條善磨先輩より
件名 : 今年もお世話になりました。
楽しいChristmas Mail 有難うございました。   24日は奥様との出会いの日、 安中生徒にとりましては幸福の始まりの日、そして奥様に取りましては・・の始まり、 (伏字の内容は勝手に斟酌させていただきます)    ただ、28年前というと多分 部隊実習の頃、 部隊実習の目的は江田島卒業後、部隊及び実社会に適応する為の体験教育、安中生徒はその目的を充分 理解され,かつ広範囲に実践されたご様子。  まさに模範的生徒と云えましょう。    さてこの場を借りまして一言お礼を申し上げさせていただきます。  本年 貴殿のH/Pを通じ、江田島仙人の知遇を得ることが出来、又 多数の 同期、後輩達と久闊を叙することができました。 これもひとえに貴殿 及び奥様のお陰と感謝しております。  末筆になりましたが、17期生H/Pの更なる発展、江田島生徒及びOBの活躍、そして安中家の皆様のご健康を祈念致しまして年末のご挨拶にかえさせていただきます。    14期水測  下條
あんちゅうの返信メール    2002年、何かと17Th Homeにご協力いただき誠にありがとうございました。   最初はいつかとメールのログを見てみましたら3月23日でしたね。  15期生の福島先輩からこの17Th Homeの存在を知ったとか。  番上の連絡先を訪ねる文面でした。    その後の先輩のウイットにとんだメールはさすがに ”神様” ならではのもの。  ありがとうございました。    2003年は、我17期はもとより、生徒、江田島をキーワードに17Th Homeを創っていきます。   今まで以上の ”善磨人語” 楽しみにしております。      よいお年を。



2002年12月28日(土)      仙人より
件名 : 記念品御礼
 仙人も人の子、鹿屋で墓参り、親孝行をして、金沢に帰って参りました。一週間の帰省は少年術科学校勤務以来でした。その間、メールも留守しました。ごめんなさい。
 帰省の途次、12月11日呉に行き、掃海母艦であった「はやせ」の自衛艦旗返納の儀式、いわゆる除籍にOBとして立ち会いました。第一掃海隊群旗艦として最後に乗艦したことや仙人と同じ定年月であったことなどもあり、感無量でした。
 翌12日に、呉・江田島地区の生徒17、18、19期の有志と石橋、高松教官に盛大な「追い出し会」をして頂きました。誠に有り難うございました。そして、その席で、生徒17、18期生ご一同様から素晴らしい退官の「記念額」を賜りました。誠に光栄であり、心から皆様に御礼申し上げます。最後になって恐縮ですが、高橋、上田両君の奥様にもご参加を賜り、身に余る追い出し会にして頂き、重ねて深謝申し上げます。なお、余談ですが、その席で、生徒制度廃止の件が、白紙に戻ったことを報告できたましたことは、痛快でした。
 江田島仙人の後は、江田島青年が見事に継いでくれており、同慶の至りです。「青年よ!デジカメとパソコンを抱け」
 多くの生徒諸兄から、退官に際し、慰労の言葉を賜りました。衷心から御礼申し上げます。皆様のますますの武運・商運・家内安全長久をお祈り申し上げ、御礼の挨拶にさせて頂きます。
 皆様、良い年を迎え下さい。         土日と平日の区別がつかなくなった仙人より
あんちゅうの返信メール    土日と平日の区別がつかなくなった仙人、故郷訪問お疲れ様でした。  生徒制度廃止の件が白紙に戻ったと聞き、一安心いたしております。  巷ではいろいろなところでいろいろな話が右往左往していたようですが仙人の口から出たところに間違いのない確かな情報との確信をいたしました。  17Th Homeでは巷の噂に惑わされる事なく、意志をもって流していましたが心配であった事は事実です。    2002年、仙人にとりましては大きな変化の一年であった事と思いますが仙人の経験と卓越した術を使い、2003年以降も変わる事無く、まだまだ修行が足りない17Th Homeと17期、生徒、江田島に仙人の術の伝授をよろしくお願い致します。         よいお年を。



2002年12月27日(金)      17期 前畑啓二より
件名 : ニコラス ケイジの一年を振り返って
3月に先任伍長になり、いきなり艦を束ねる難しさを知って落ち込みかけてた処17期ホームページを知った。   最初に開いて高杉の悲報(11月に線香をあげた)悲しかった。  2度のホストシップ(アイルランド、ドイツ)7回の広報、3週間の監視、国際観艦式参加、1ヶ月の11月行動と大変忙しく北は稚内、南は鹿児島、佐世保とあっとゆうまに過ぎてしまいました。    仙台行動前には行方不明になり捜索隊騒ぎになってしまい迷惑をかけました。    総括しますと9月に孫ができ平穏な1年だったと思います。  来年4月からは先任伍長制度が新しく発足します。  海上自衛隊も今変わろうとしています。  現役の先任伍長でいられる事に感謝し来年も頑張ろうと思います。  30日から田舎の安中へ帰ります。  17期に幸多かれ。    良いお年をお迎え下さい。
あんちゅうの返信メール    ニコラス ケイジ先任伍長殿! 2002年、ご苦労様でした。  そしてありがとうございました。  伍長殿の行方不明のときの同期の反応の素晴らしさ。  あれではどんなところにひそんでいても捜索隊に発見されてしまいますね。  安部さんにも喜んでもらえてよかったです、先任伍長殿!    もう1つ伍長殿の忘れられない2002年の1ページがあります。  たっけはら伍長との先任伍長勝負、残念ながらと言った方がいいのかどうなのか??  あの写真を送ってくれた勇気に感動と恐怖を同時に感じました、 伍長殿!     暮は田舎の安中に帰られるとか。安中の田舎もいいですよ、伍長殿!     17Th Homeへのご協力に感謝申し上げると共に2003年、無事の帰艦をお祈り申し上げます。    ニコラス ケイジ先任伍長殿!!



2002年12月25日(水)      24期 平 まりおより
件名 : Re: Merry Christmas!!
安中 先輩    クリスマスのほほえましいお話ありがとうございます。  しかも、ちゃんと オチがありましたね。  我家は子供が4人いますが、下の子2人はまだ、サンタさんを信じています。  朝、プレゼントを見つけたときのキラキラとした子供たちの顔がたまらんですよね。  今日 関東地区生徒OB会の案内のはがきがきました。  今年は22期生が幹事で3月15日 横浜でやるそうです。
あんちゅうの返信メール    あの話は、ある友人より個人的にいただいた文面なんですがあまりにもいい話なので 一人じめにしておくのはもったいなくて知り会いの方に送りました。  サンタさんを信じてくれる子供のいるうちが親も楽しめる事を肝に命じ、せっせとプレゼントを運んでやってください。    高杉の訃報に関しましては、平生徒を仲介に24期の方々より様々な激励や追悼文を送ってくれて有難うございました。  こんなことでしかつながらない事が残念至極ではありましたが答えてくれた後輩に感謝を申し上げます。    17期ホームは、同期17期と生徒・江田島をキーワードに2003年は頑張ります。   御期の本年のご協力に感謝しつつ、御期皆様の発展をお祈り申し上げます。



2002年12月25日(水)      14期生 関 洋三先輩より
件名 : Re: Merry Christmas!!
毎年 暮れになると 子どものプレゼントに 頭を悩ましていたのが 懐かしく感じられます    ありがとう Good job



2002年12月25日(水)      17期 安中 均の幼なじみ Burgess Yoko より
件名 : Re: Merry Christmas to you too!
Hello,  Hisasiburi desu.  e-mail o dasoukana to omotte itatokoro, saki o kosarete simatta.  Suteki na Christmas no story o  okutte kurete arigatou.  Hitoshi-kun no uchi wa Christmas wa dou yatte sugosuno?  Nani ka tokubetsu no koto yaruno kana?  Watashi tachi no chiisa katta koro betsu ni nani mo yarana katta desyou?  Demo kitto Nihon no syuukan mo daibu kawatta koto de syou ne.  Kotti ni kite 20 nen sugirukedo imada ni Christmas to ittemo nanka katachi dake to itta kanji.  Kodomo tachi ga chiisakatta toki wa netsu mo irete ita kedo. mou 17 to 13, kanari te o nuite imasu.  Tukuzuku omou koto wa Christmas wa okane no kakaru gyouji desu.    Mattaku yume no nai watashi desu.
Kodomo tachi wa fuyuyasumi ni hairi mashita.  Jessica wa arubaito de gift shop de hataraite imasu.  Ichiban isogashii jiki desu.  Krissy wa hitori taikutsu shite imasu.  Watashi mo kodomo tachi douyou 2 syuukan no fuyuyasumi ------banzaaai!
Hitoshi-kun, mata nomu kikai no ooi nenmatsu nenshi no kototo omoimasu.  Gokurou san desu.  DON'T DRINK TOO MUCH.   YOU ARE NOT THAT YOUNG ANYMORE.  (Kore kurai no eigo imada ni oboete iru ?)  Kazoku no minasama ni yoroshiku.  Merry Christmas and Happy new year!!!        Yoko
あんちゅうの返信メール    長福寺は平穏な暮を迎えています。  我家のクリスマスはなーんにもありません。  たしかに子供の小さい時はそれなりに親も楽しんでいましたが、大きくなった今、実につまらないクリスマスを過ごしました。   そんな12月24日ですが、均君と妻の清子にとっては記念すべき日なんです。  初デートの日です。  胸をときめかして行ったかどうか? 疑問符が必要になるんですが・・・      ところで、英語のお勉強ですが、DON'T DRINK TOO MUCH.      あ〜んまりいっぱい呑んじゃだめよ。  YOU ARE NOT THAT YOUNG ANYMORE      もう、若くないんだから。これでいいのでしょうか?    正解であれば  ♪♪ わかっちゃいるけどやめられない♪   ってところです。   近くにいい先輩方がたくさんいますからと言う  ”いいわけ”  も必要かもしれません。    今朝、ゴミだしに行ったついでに撮った写真を添付します。      だんな様と綺麗なお嬢さん、JessicaとKrissyにヨロシク!   良いお年を。



2002年12月24日(火)      14期生 谷川憲一先輩より
件名 : Re:Merry Christmas!!
いい話だ!子供の頃、サンタさんからのプレゼントは本当に嬉しいものだった。貧しい島の百姓の家のそれは今考えると本当に貧しい物だった。しかし、嬉しかったなー!でも、どうしてあの当時、仏教の家にそんな習慣があったんだろう? 明日、五島のお母さんサンタにありがとうの電話をしよう。   文子とはだれか?
あんちゅうの返信メール    さすが、さすがに谷憲先輩、あんちゅうのメールを見ないうちにメールが届きました。文子とは?   あんちゅうもよくわからない人ですが・・・。谷憲の返信メール    ******    あんちゅうの返信メール    ******    谷憲の返信メール    ****    ・・・・続きました。



2002年12月24日(火)      17期 安中 均より
件名 : Merry Christmas!!
・・っと、ある友人より 以下の話が届きました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆
アメリカに住んでいた頃 Los Angels 近郊の我家には暖炉がありました。毎年、クリスマスが近づくとクリスマスツリーを暖炉の側に立て,その下にクリスマスのプレゼントを置きクリスマスの朝、皆でプレゼントを交換するというのがアメリカの風習と共に我家の習慣でもありました。 我家ではクリスマスの前夜、子供たちが寝静まった後、私が綿と白い粉を使いサンタクロースの足跡を作り暖炉から子供たちの部屋、そして暖炉までと置いておきました。 クリスマスの朝、目を覚ました子供たちがサンタの足跡を見つけ"サンタさんが来たんだ" と喜んでいました。  娘が小学校2年の時、日本へ帰ってきました。 その年のクリスマス、娘が、心配そうに "お父さん、日本に来てもサンタさんが来るのかしら ?" 私は "大丈夫だよ、良い子にしていればきっとサンタさんは来てくれるよ"クリスマスの前夜、日本の自宅には暖炉がないので二階の窓から子供達の部屋までサンタの足跡を作りました。 翌朝、子供達が足跡を見つけ、"サンタさんが日本にも来たんだ"と 喜ぶさまを見て妻と微笑を交わしました。 そしてそれが習慣化し数年経ったクリスマスの朝、小学校5年生になった娘がサンタの足跡を指しながら云いました。" お父さん、私、日本に帰ってきた年、サンタさんが一晩のうちに日本とアメリカの子供達にプレゼントを配れるか不思議だったの。"悪戯っ子のように目をくりくりさせながら娘は続けました。"今から思うと私も子供だったわね. "私は妻を見ました、 妻はいつものように微笑んでいました、 その微笑みは私に "あなた、子供は皆成長して行くのですよ" と語りかけていました。 窓の外から初冬の朝の澄んだ柔らかい陽射しが部屋に差し込んでいました。 そうか、この子はもうサンタクロースを信じない年代に成長したんだ。 子供の成長の喜びそして一抹の寂しさを感じながら、幼児から少女へと成長した娘に眩しいような思いで尋ねました。 "もう、サンタさんが日本とアメリカに来ること不思議に思わないのか ?"娘は笑いながら答えました。 "お父さん、日本とアメリカでは時差があるのよ。だからサンタさん両方来れるのよ."    。。。。。。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆



2002年12月24日(火)      17期 伊藤 隆(水測)より
件名 : Fw:
今年一年ご苦労様でした。
。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..

 2002  Merry Christmas!!  
  *            .     ...             .       
  。* *    。o O ○ 。   ☆∴∵¨             .  *               
   。        Π       .             。  *  .          .           
      __||__     *                ☆                            
 *    /\ ||  \      。       ☆。/\  。 ∴                                  
    /  \    \           /\/  \    *   д         
   /    \___\            /  \  \   \(∵)/
   |  田  |  田  |          ̄‖ ̄ ‖  ̄      ( : )                             
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
.。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..。..

                    来年も頑張ろう。




2002年12月22日(日)      17期 江田俊弘より
件名 : アドレスが変わりました。
アドレスが変わりました。江田俊弘のメールアドレスを ***@**** に変えてください。よろしくお願いします。
あんちゅうの転送メール    ご無沙汰いたしました。  江田俊弘からアドレスの変更案内が届いています。  各自のアドレス帳の変更をお願い致します。



2002年12月22日(日)      17期 黒木悦郎より
件名 : 鹿児島試験所
久しぶりに国分で長倉と酒(焼酎)を酌み交わすことができました。ちょっと飲み過ぎて、翌日の研修に若干残っていましたが、充実した研修となりました。今回は、カメラを忘れたので、次からは忘れないようにしたいと思います。 黒木悦郎



2002年12月20日(金)    江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−9(生徒休暇出発)
 生徒が待ちに待った2週間の冬休暇を出発しました。  そして我々教官連中も2週間の冬休暇に(ただし、期間中1回当直あり。)出発します。  と言う事は、「江田島青年便り」も2週間休刊となります。 「江田島仙人」から申し次を受け約半月、今だ未熟のままですが休刊中を利用しまして構成を創めパソコン技術を演錬し、来年度は1月6日から新規一転ニュウバァージョンで登場する予定です請うご期待を。   ところで「江田島青年」広場の年初めは江田島青年自ら祝うため、元旦は広場の守りに入ります。 生徒の休暇出発風景を添付しました。  生徒のニヤケタ顔を見てやってください。 「江田島仙人便り」同様、「江田島青年便り」をご声援頂有難うございました。   来年は、益々のご声援宜しくお願い申し上げます。



2002年12月17日(火)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−8(臼井in呉)
我が青春広場(今後「仙人の棲家」から「青春広場」に変身仕様と思いますが如何。)では、冬休暇を1週間後に控え生徒達は勉学及びクラブ活動に今ひとつ身が入らない日々(特に3年生)を過ごしているように感じているしだいです。 思えば俺たちもそうであったかなと思っています。  しかし、流石艦隊は違います。 15日夕刻「訓練の2群」が訓練の為、青春広場の江田内に入港して来ました。  早速、臼井先任伍長を我が豪邸に拉致し一献交わしました。 俺は練習の為1900過ぎに帰宅しましたが、臼井は昼から呉に所要が在ったらしく1800頃には我が家で風呂に入り、俺が帰った時にはすでに「すき焼き」で少し出来上がっていました。(尚、俺の妻は面食いなのでアンチュウ心配の要なし。)  予定者課程の池田と当房に連絡が取れなかったのですが、当房とは入港した日「カンポ能美の宿」で偶然風呂場で裸の再会をしたそうです。
あんちゅうの返信メール    江田島青年便り14−8(臼井in呉) ありがとうございます。 冬休暇。待ち遠しかった事を思い出せればいいのですが記憶力の希薄なあんちゅうはじれったい思いをしています。 2年、3年と冬休暇は全く思い出せませんが不思議と一年の時はハッキリと思い出されます。 それは、ある一枚の写真があるからですが、あんちゅうの青春の想い出として取っておきましょう。  12月6日付けの海上自衛隊新聞に生徒の記事が2件載っていましたね。 1練隊に48期生徒が乗艦実習しハイライン移乗も体験した事。 もう一件は江田島宮ノ原にある老人ホームで47期、48期の有志と分隊職員がボランティア活動をした事。 高校生では体験できない行事や地域活動を通して江田島教育の真髄にいる現役生徒達をこれからも宜しくご指導ください。  さて、”ひょっこり臼井”は呉に現れましたか。 江田島青年の今日のメールでなぜして ”ひょっこり臼井” なのかの一端がわかりました。 「訓練の2群」に身を置けばこその その行動だったのですね。  家主がいない御殿で風呂に入り、「すき焼き」でほぼ、出来上がっていた事はっま、普通の人には考えられない事でしょうが、同期であればこそ、17期であればこそ、臼井であればこそ、良彦であればこそ、  ・・いえいえ、あんちゅうは賢妻「直美」さんであればこその事だと確信をもって言えます。 江田島青年と我々は、そこのところに深〜く想いをめぐらせなければなりません。  わかってる? ・・ 同期諸君。



2002年12月14日(土)      17期 安中 均より
件名 : 黒木悦郎アドレス変更のご案内
黒木悦郎のアドレスが変更になりましたので ”CC” で送ります。  また、いつの頃からか源口健二にメールが届かなくなりとりあえず削除をしてあります。  更に、伊藤隆(水測)のアドレスが追加されていますがこちらでも見れるそうですので緊急時にはどうぞご利用ください。  宜しくお願い致します。  各自、アドレス帳の変更をお願いします。  黒木悦郎    新アドレス  **@****  伊藤 隆(水測) 追加アドレス **@****  あんちゅう



2002年12月14日(土)      17期 黒木悦郎より
件名 : アドレス変更
メールアドレスを変更しました。 次からは、下記のアドレスでお願いします。 12月18日に鹿児島の試験所へ行って来ます。 飲むことはできないけど、ちょっとは長倉と話ができるかも。 それから、安中が知ってるメーリングリストをこのアドレスに送って下さい。  黒木悦郎  **@****
あんちゅうの返信メール    アドレスの変更案内は同期に”CC”で送りましたがあれでよろしかったでしょうか? 呉ではお世話になりました。 「あんちゅうの呉・江田島訪問記」にも黒木とのツーショットを掲載しましたがこのメールに他の写真も添付します。  体の調子はいかがですか?  食べています?  あまり無理しないように。  鹿児島試験所では長倉と会えるといいですね。 鹿児島特派員報告、待っています。



2002年12月14日(土)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−7(仙人を囲む会)
「仙人」を囲む会を、12月12日(木)呉一番のホテル「阪急ホテル」5F桜の間において賑々しく盛大に挙行されました。 今回は出航等業務多忙の中、江田島の17期HPの隠れファンをはじめ呉・江田島地区の17期・18期・19期の現役・OB、三佐夫の良妻、我が賢妻そして特別ゲストとして「前30サンチ後ろ15サンチ」の石橋教官、「ラグビーの鬼コーチ」こと高松班長にご参加していただき総勢18名のご参加を戴きました。  会は、仙人の経歴の紹介(江田島青年担当)から始まり乾杯(高松班長)、祝電(阪神警備科長 小松3佐等)、記念品の贈呈(前回紹介した額及び呉・江田島地区有志の寄せ書き)そして花束贈呈とすすみ、仙人の元気の源「清酒」の差し入れもあり(仙人が独り占めしていました。)終始楽しく昔話に花が咲き2時間があっと言う間に過ぎてしまい最後に皆で記念撮影で終了しました。  また今回、全国各地から志、仙台の安部のお母様から清酒(一の蔵)そして空のドライバー木村から清酒(17期HPの賞品「八海山」)を頂き有難うございました。 厚く御礼申し上げます。 二次会は、クラブ「みなみ」で実施し、仙人の忍術の歌、めったに聞けないカバのお経などで益々盛り上がり、24時前に別れを惜しみつつ閉会となりました。  今後、仙人は東京(駅前)さで第2の人生を歩まれるそうです。 仕事等で上京する機会があれば是非訪ねてください。
あんちゅうの返信メール     江田島青年便り14−7(仙人を囲む会)ありがとうございます。  仙人も制服を脱いだら和らいだ表情に見えますね〜。 ・・いいですね〜。 東京さ、お〜っかね人もいるらしいですが江田島で鍛えられた仙人術を使い健康に留意され元気で頑張っていただきたいと思います。 新潟は、東京さ近いからいづれ拉致したいと思っています。  12日の2252にあんちゅう宅にヨッパライ仙人より嬉しい電話がありました。  「あんちゅうか?ちょっとまて」と一言言って代わられたのが高松班長でした。 江田島青年記載の通り「ラグビーの鬼コーチ」です。 突然、体に高松コーチがラグビーボールを持って当たってきた感触がよみがえり高松さんのガッチリとした体を受けた衝撃が・・・・ めったに誉めなかったけどいいプレーをしたときは誉めてくれてそれが4年間ラグビーを続けられた1つの要因であったと卒業数年後に感じた事も思い出されました。 写真を見るとお変わりなく石橋教官と同じように色が白くなり当時のニキビ顔もスッキリ。 35周年には会えるでしょうか?   「仙人」を囲む会に参加していただいた皆さんと参加したくてもできなかった皆さん、仙人の前途にカンパーイ!!    ゴクッ、ゴクッ プハー!



2002年12月14日(土)      17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 12月のご挨拶
ご無沙汰しておりますが、お元気ですか? 12日(木)17,18,19期で平井さんを囲む会を行いました。 来賓として当時陸警教官の石橋さん、19期班長であった8期生の高松さんをお呼びして椛島君と高橋君の名司会で平井さんのこれまでのご苦労を労うとともに終始和やかに歓談しました。 その様子を添付します。 ではまた


2002年12月11日(水)      17期 江田俊弘より
件名 : 臨時勤務
お元気でお過ごしのことと拝察します。  さて、この度イージス艦ががインド洋方面に派遣されることになったことはご存知のことと思います。 私も洋上で訓練中にこのニュースを聞き やっと、イージス艦の派遣が決定されたと喜びつつも、派遣される艦は「きりしま」か「こんごう」か?いずれにせよ短期間で準備をすることになり 大変だろうなと思っていたところ、「きりしま」に決定したとのニュースを聞き、ワッチに入ったところで急遽私に「きりしま」臨時勤務(砲術長)の話が飛び込んできました。  行くことについては希望しておりましたので特に依存はないのですがあまりに突然であり準備もなく、家族の反応も気にかかったのですが、 既に近所に住んでる海上自衛官の家族間では派遣は当たり前のことで妻も子供たちも驚く様子もなく私のほうが拍子抜けするほどでした。  また洋上で訓練中であったことから移動の心配をしたのですが身の回りのものだけ持って「ちょうかい」からヘリコプターで退艦して一足先に分離して佐世保に寄港する僚艦に移って先ほど佐世保に入港しました。  退艦時には、航海中にもかかわらず総員集合での紹介と折からの台風でヘリコプターが降りられるかどうかギリギリの天候状況でしたが 手空き総員上甲板で水しぶきをかぶりながらの見送りをしていただきました。 よもやこのような形で退艦の日を迎えるとは想像もしていませんでした。  家に帰っての派遣準備もそこそこに横須賀に移動して「きりしま」に乗り組み出港します。  ニュースで「きりしま」を見ましたら私も乗っているものと思ってください。  比較的短期間の派遣になると聞いては居ますが、任務を完遂し無事帰国することを目標に勤務するつもりです。  ということで今年は暑い冬を迎えることになります。  寒い日本に残る皆様におかれましては健康に留意され益々のご活躍を祈っています。  14.12.11 江田 俊弘
あんちゅうの返信メール    メール、ありがとうございます。  いやー、臨時勤務でインド洋派遣ですか? ビックリですね。 12月10日付の地元紙、新潟日報の社会面に「戦闘指揮所スタンバイ・イージス艦内部を公開」の記事と戦闘指揮所の写真が載っていて、記事の中で「艦上では今月中旬の出航に向け、物資の積み込み作業や機器などの調整作業が急ピッチで進む。」などと記されています。 あわただしさが伝わってくる退艦時の様子ですが、ご家族にとっては平静を装って江田に心配をかけまいとしている様子がわかるような気がします。 生半可な暑さじゃないようなテレビ報道を見たことがありますが、体調には十分留意され、任務の完遂を祈っています。



2002年12月10日(火)      仙人より
件名 : 退官に当たり御礼
 退官に当たり、多くの方から身に余る慰労の言葉を賜りました。心から御礼申し上げます。
 江田島の先任伍長等が、写真を投稿してくれるとは思ってもみなかったので、HPを見て、始めて、追っかけられた意味を知った次第で、江田島仙人最後の不覚でした。 修行不足を再認識致しました。 でも、涙をずっと堪えたのは、特に生徒の前で、修行の成果でしょう。
 しばらく、田舎に帰ります。 10日程留守しますので、欠礼するかも知れません。悪しからず!       雪に埋もれかかっている仙人より
あんちゅうの返信メール    メール、ありがとうございます。 「江田島仙人便り・・」と書けない所に一抹の寂しさを感じます。 写真は江田島青年と17Th Homeかくれファンが送ってくれたものです。 17Th Homeかくれファンは膨大な時間と通信費をかけ、平井校長離任式第1報と題し 最終報告までの10通を2日間かけて送ってくれました。 ありがたいことです。 各写真のコメントも適切に添えられていて そのままを掲載させていただきました。 「仙人別れの答礼」の写真、あんちゅうは何度見てもジーンときます。 帽フレをしている皆さんと江田島に、仙人、感謝の一枚ですね。  明日(12日)、呉に寄られるとかの情報も伝わってきていますが制服を脱いだところでゆ〜っくりお楽しみください。 江田島青年や17Th Homeかくれファンが又、写真を送ってくれるでしょう。(見てるかなー  かくれファン)  雪に埋もれかかっている所から 暖かな温かな田舎でのリフレッシュを。  一日で50センチも雪が降り、雪の中で埋没しているあんちゅうより



2002年12月9日(月)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−6(安部親子とのフォーショット)
大変遅くなりましたが、10月12日に実施した文化祭の時、48期安部生徒の母親と祖母のお二人が来校されており、文化祭終了後生徒館の前で記念写真を撮りました。  当時、写真を添付する術を取得しておりませんでしたので、随分と遅くなり申し訳ありませんでした。  安部生徒のお母様へ  HPの掲載が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。 当日は、遠路はるばる生徒の体育祭・文化祭にお越しいただき有難うございました。 安部生徒はじめ生徒一同喜んでおりました。 又、お土産まで戴き有難うございました。 またの、来江田島を楽しみにしています。(2月14日カッター競技の予定です。)



2002年12月6日(金)      17期 安中 均より
件名 : 12月のご挨拶
2002年も最後の月、12月になりましたのでご挨拶申し上げます。 日頃は17期ホームページ17Th Homeをご覧いただき誠にありがとうございます。 あと、25日で今年も終わってしまうとは1年はあっという間ですね。 17Th Homは皆さんのおかげで9月2日に一周年を迎える事ができました。 17Th Homeの今年を振り返っては、後日掲載したいと思いますが、皆さんの2002年も募集いたしますので是非、多くの方の投稿をお待ちしております。 コーナーを作り、年末に公開したいと考えています。 受付は本日より致しますが遅い方には、「投稿 5分前!!」の号令をかけます。 心の準備、よろしくお願い致します。 12月2日、17Th Homeに多大なご支援を頂いてまいりました江田島仙人が江田島を後にしました。 その様子は17Th Homeでご覧下さい。 本日、仙人より挨拶状が届きましたのでここであんちゅうが勝手にご紹介させていただきます。
拝啓  師走の候  ご清栄にお過ごしのことと拝察申し上げます この度  江田島の地を最後に  海上自衛隊を退職致しました海上武人の道を目指し  防衛大学校を経て海軍士官揺藍の地  江田島の門を叩きましてから早三十三年が経ち そして明治以来の歴史と伝統が今なお息づいております当地で海上自衛官としてのしめくくりができましたことを男冥利かつ光栄にぞんじております この間  良き上司同僚部下に恵まれました上に皆様のご厚誼を賜り  お陰をもちまして無事責務を果たすことができました  これまでのご支援ご厚情に心から感謝し厚く御礼申し上げます 今後は一社会人と致しまして  皆様から賜りました御教示を活かし初心に立ち返り精進を重ねたいと存じます  今後ともご指導ご鞭撻の程 宜しくお願い申し上げます 末筆ながら皆様方のご健康とご多幸をお祈り申し上げ略儀ながら書中をもって御礼旁々ご挨拶申し上げます。    謹言        平成十四年十二月        平井良彦
仙人のこれからの人生が更に大きく広がることを祈り、17Th Homeのこれからも今まで同様のお付き合いをお願いして 12月のご挨拶と致します。あと25日だ!ガンバロー!!



2002年12月6日(金)      江田島青年より
件名 : 「江田島青年便り」in東京
 カウンセリング講習で花の東京さ上京した時、26日久し振りに、佐藤と船橋に帰る途中の松下と東京さ副都心新宿で一献交えました。  何時行っても東京という所は人が多いところですな。  さておき、何時の事ながら「江田島仙人」に始まり昔話に花が咲き時間があっという間に過ぎてしまいました。  二人とも元気でした。  その後、佐藤の豪華マンションに泊まり奥様に迷惑をかけてしまいました。  結局講習期間5泊中3泊も図々しく佐藤のマンションに泊ってしまいました。  (恵ちゃん、たっくん、げんくん、さきちゃんありがとう。) しかし、チャント講習は受けカウンセリングというものが、少し理解できました。  何かありました、カウンセラー「江田島青年便り」まで。
あんちゅうの返信メール    佐藤も松下も元気そうでナニよりです。 恵ちゃん、たっくん、げんくん、さきちゃんですか。 佐藤は(も?)スキですね〜。  ・・子供が。  わずか4、5日の講習で「カウンセラー江田島青年」を名乗るとはさすがに人生経験豊な青年ならではです。 15の春から苦労をしただけのことはあります。 母校の後輩のため、よきアドバイスを。



2002年 12月 6日(金)      仙人より
件名 : お願い
1 送られてきたアドレスで番上にメールが届かない!教えて下さい。
2 ただの仙人になったので、名前も変えてくれたのでしょう。これが変身の術です。 誤りを発見して頂いて有り難うございます。 仙人
あんちゅうの返信メール     本日、封書を拝見いたしました。  ありがとうございます。  2110、17Th Homeに17Th Homeかくれファンや江田島青年から送ってもらった写真を速報として掲載しました。  多くの皆さんにご覧いただけると思います。  番上のアドレスですが以下のとおりです。  番上隆幸   **@**



2002年12月6日(金)      仙人より
件名 : 御礼
退官に際し、お祝いの言葉を賜り、誠に光栄です。  心から御礼申し上げます。 皆さんのアドレスが把握できたことがハッピィでした。 また、メールを送ります。  傳左殿!バンブーのアド不明につき欠礼します。  仙人より



2002年12月5日(木)      仙人より
件名 : 御礼
退官に際し、慰労のお言葉を賜り、誠に光栄であり、心から御礼申し上げます。  家の電話を盗み、とりあえずMSGが送れるようになりました。  他の方々からも頂いておりますが、送れる人だけに送ります。  送れない人にはごめんなさい。    今後とも宜しくお願い致します。     仙人より
あんちゅうの返信メール    ご苦労様でした。  少しは落ち着かれましたか?   仙人がゆえのしきたりとかあいさつ回りとかでまだまだ忙しい日々が続くのにメール、ありがとうございます。  昨日(4日)、加茂募集事務所の広報官が海上自衛隊新聞を届けてくれました。
おっ、載っていた。  ・・が、名前が違う。   平井良雄?  ・・知らねーな。    17Th Homeかくれふぁんや江田島青年が送ってくれた写真とメールはウソか?夢か?     そうか・・江田島仙人は雲隠れの術をつかってどっかに行ったな?   海上自衛隊新聞までケムに巻くとは仙人、並みの仙人ではない。フムフム・・。
女房と二人で、仙人の前途にカンパーイ!      チョッとのさみしさを酒でまぎらしている安中傳左衛門家の二人でした。



2002年12月4日(水)      17期 前畑啓二より
件名 : 勝負に負けたニコラス
一ヶ月ぶりに横須賀に帰って来ました。  佐世保での1週間滞在大変な迷惑散財をさせてしまいすいませんでした。  臼井、竹原と艦艇先任伍長会は非常に有意義な話で盛り上がりました。  3人は堅い約束の元最後まで先任伍長を全うすることで一致しましたまた。  伊藤家では久しぶりに家庭料理有り難う御座いました。  あえてマージャンの話はやめときます。(ママごめん)     話は違いますが一ヶ月ぶりに見る孫は首も座りとても可愛くなっていました。  来週から横浜本牧での生活です。(修理)
あんちゅうの返信メール     長期行動、ご苦労様でした。  仙人勇退のことでちょっと話題がそちらに向かなかったけど17Th Home開設以来、最高の写真でした。  送ってきたのを見た瞬間笑いが止まらず、よくぞあんな写真を撮りも撮ったり、送りも送ったり。  それをHPに掲載するあんちゅうもあんちゅう。  いまだに生徒でいた頃がずーっと続いている。  「こいつら、バカだー!!」と女房に言いながら一番喜んでいたあんちゅう。  情けないやら、うれしいやら、ウレシイヤラ、嬉しいやら・・    やっぱ、17期はアホの集まりだったのだと再認識した次第です。・・ハイ。    たっけはらは剣道をやっていただけあって、姿勢がよろしい。  その分、ニコラスは勝負に負けたのをあんちゅうは知っています。    17期艦艇先任伍長会議のために佐世保に行ったのではなかったのですか?  冗談、じょうだん。ぶらっくじょーくです。   しかし、楽しかったようですね。  最後の3人ですからね。  会議中にあんちゅう宅まで電話をもらって恐縮です。  できることならオブザーバーとして会議に参加したかったな〜。      次の行動まで孫親バカぶりを十分にお楽しみください。(あんちゅうにはよくわからん??)



2002年12月4日(水)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−5(「江田島仙人」江田島を去る)
本日(2日)1術校長の離着任式が12月とは感じられない穏やかな天候の中、厳粛且整斉と行われました。  写真を撮ることに夢中で訓示の内容はよく覚えていませんが、「江田島は我々の原点であり心の故郷である」と改めて実感しました。  見送りの時最後に校長付の婦人自衛官から花束を贈られるとき思わず涙ぐんでいる姿を拝見し「江田島仙人」も人の子だと思ってしまいました。(写真参照)     又、本日は「江田島仙人」の退官を祝って、江田内に1MDの3隻が入港し帽振れを実施してくれ離任式に花を添えてくれました。 表桟橋から離れる時、「俺はしばらく休むから、後頼むぞ」と言われ改めて「江田島仙人」の偉大さを知ると共に「江田島青年便り」の重大さ知りプレッシャを感じております。   「江田島仙人」のように行きませんが、江田島の状況を遂次掲載できるよう、勉強しながら皆様のお叱りを受けながら頑張りますので、声援宜しくお願いします。
あんちゅうの返信メール    忙しい中、江田島青年便り14−5 ありがとうございます。  17Th Homeかくれファンからも写真を添付していただきましたが江田島青年の写真もいい所、シャッター押しましたね。  3等海士の階級章が見えてるところがなんとも17Th Homeを頭に置いてシャッターを切ったようで。   ありがとうございます。   すばらしいです。!    誉めてばっかりだと青年、チョウシにのるので、あんちゅう文風に書きますと写真内の日付がどうも・・・。次回からよろしく。    仙人の目に涙ですか。    ・・・ムムゥー。   「校長付の婦人自衛官から花束を贈られるとき」  ですか?  ・・・ムムゥー。   いえ、別に深い意味はありようがありません。ハイ。    「江田島の状況を遂次掲載できるよう」 よろしくお願い致します。



2002年12月4日(水)      17期 今田俊介より
件名 : 佐世保
あんちゅう  中東情勢がますます緊迫の度合いを増す中  わが17期生との重要性も同時に高まっている事でしょう。  江田島仙人とは結局お目にかかれずじまいで誠に残念でした。  一度金沢にお伺いしたいなと思っています。  ところで 伊藤隆からの書き込みにもありましたが佐世保に行ってきました。  何と海上自衛隊向けの仕事を画策しているのです。  改めて同期のありがたさを心から実感している今日この頃です。  佐世保から博多に向かう時には竹原先任伍長殿と臼井先任伍長殿ご両名にお見送りしていただき 又 竹原先任からもらった絶品の’めんたいこ’は是非あんちゅうにも食べさせてあげたかったよ。  ’あさぎり’艦上での臼井先任伍長との2ショットと酒が入っていない珍しい宮崎一尉殿との3ショットを送ります。  やっちゅうは(あんちゅうとともに過ごした新潟の日々が本当に楽しかったって喜んでいたよ、あんなに飲んだもの久しぶりだとも言ってたけどね)   現在退官した人たちの就職援護が担当だそうで とてもくたびれていました。  みな重責を背負って活躍していますね。      しゅん
あんちゅうの返信メール    さすが、世界を相手にしている 太洋産業貿易株式会社 だけあって中東情勢からきましたネ。  仙人と会えなくてほんと、残念でした。  たっけはらからの絶品めんたいこは、ふくさやの極上めんたいでしょう?  あれはウマイ!!   2枚の写真、臼井もやっちゅうもほんと、珍しい写真です。    最近のこの二人、呑んでる時のデレェーッとした顔ばっかりでこんなにさわやか?な写真は久しぶりです。    しかし、臼井の左腕、おもそうだな〜。   又の営業報告、待っています。



2002年12月3日(火)      17期 遠藤 章より江田島仙人へ
件名 : 仙人、ご苦労様でした。でもまだまだこれからです。
江田島仙人、ご無沙汰しております。 このたびは名誉ある退官御目でとうございます。 今までは政治活動に関与せず 専守防衛でご活躍なされたわけですが、 これからはおおいに政治活動に体を張っていただけたらと、個人的には思っております。これからも、アンチューの・・・いや17期(生徒)の良きご意見番でいてくださることをお願いいたします。
あんちゅうの返信メール    メール、ありがとうございます。  そのまま 江田島仙人に転送いたしました。



2002年12月3日(火)      17期 竹下和哉 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 江田島仙人ご苦労様でした。
江田島仙人! 長きに渡る海上自衛隊の勤務本当にご苦労様でした。 私事ですが昨年の准尉講習では、同期の宴会にわざわざ参加いただき心から感謝申し上げます。 10年ぶりの再開にもかかわらず、いつも会っていたような話し振りに、一瞬、生徒時代にタイムスリップしたような気がしたのを今でも忘れません。 私から見た江田島仙人は、律儀で、部下思いであり、ちょっとお茶目で戦国大名に例えるなら、今年のNHK大河ドラマに登場する「前田利家」のような存在です。 戦国時代であれば、多くの部下が惚れ、この人のためなら命をささげても良い。と言えるような指揮官でした。 ちなみに、山本一実は派手好きで男前の前田慶次郎でしょうか?  とにかく17期生徒はもちろん多くの海上自衛隊生徒及び卒業者のため御尽力いただいたことに対しあらためて感謝申し上げます。 これからも17期HPを通じて、新たな話題、思いを伝えていただければ幸いと思っております。   ご健闘をお祈り申し上げます。



2002年12月3日(火)       17Th Homeかくれファンより
件名 : 江田島に涙雨
先輩、本日江田島は仙人が去られて1日遅れの涙雨が降っております。写真はアドビ−フォトショップV6.0で加工修正してあります。そのため大変重くなってしまいました。昨日いっぺんに送信を試みたのですが失敗に終わり1日遅れの送信となってしまいました。お詫び申し上げます。       17th Homeかくれファンより
追伸   仙人の当日の様子をお知らせすることを忘れていました。  ある人が見れば、肩の荷がおりてスッキリとした表情でした。  いや、ある人が見れば寂しそうでした。  この答えは私自身が定年する時にわかる様な気がします。  いやいや仙人のように肩の荷が重くないからわからないかな。  とにかく仙人も色々な想いで周りの部下に最後のお言葉を掛けられていました。

あんちゅうの返信メール    雨ですか・・・。  仙人を乗せたキントン雲も次の住まいが見つかり下界に降りてきたのでしょうか。    いくら重くてもあんちゅうは力が有り余っています。    修正はこちらでもできますのでそのままでも結構です。    よろしくお願い致します。



2002年12月3日(火)      18期通信 第1術科学校先任伍長 金子順一曹長より
件名 : 平井校長離任式第1報
あんちゅう先輩、虫の知らせでしょうか、12月2日午前5時半に17th Homeを見た方が良いと出勤前に覗くと、なんと先輩からのリクエストが掲示されているではありませんか。  見て良かった。    見てなかったらハッパですよ。   まず、第一報を送ります。    今回は以上ですが、式の途中を写真長にお願いしてありますので、出来次第スキャナで取り込んで送付します。      ホ−ムペ−ジかくれファンより
あんちゅうの返信メール    ありがとう! ありがとう!! ありがとう!!!    江田島青年が忙しくて送れない中、第1報をありがとうございます。 なんと申しましょうか、さすがです。 ハッパを恐れるばかりに早朝に17Th Homeを覗いたとは!!  実はあのメールを17Th Homeに載せた時間が遅かったので90%以上あきらめていましたが、あきらめきれず最後まで頑張るあんちゅうは、わずかなチャンスをあのメールに賭けていたのです。  17Th Homeかくれファンもお忙しい中、ス−パ−海士長の岡田君まで動員しての撮影、仙人が娑婆に下りたあと江田島青年がサボっている時は17Th Homeかくれファンにお願いしましょうか。 断ればナニが待っているかは生徒出身者の事、・・・ これ以上は申し上げなくても・・・。   な〜ンてことは間違ってもありませんからネ。    また、式の写真までお願いしてあるとか。 先を読んでの行動、仙人の教えのせいだけとは思えません。・・頭が下がります。  これからはよろしくお願いします。   ホント、アリガトネ!!



2002年12月2日(月)      17期ホームページ管理人あんちゅうより 前1術校副官 青島忠俊様へ
件名 : 一言御礼申し上げたくて。
ご無沙汰致しております。  17期HP管理人 安中です。  ご存知かと思いますが12月2日で平井海将補が退官されます。  17Th Homeがここまで来れたのも青島副官のおかげと感謝しております。  今後のご活躍をお祈りすると共に一言、御礼を申し上げます。
前青島副官の返信メール    メールをありがとうございます。  私は共通教育期間のため8月から1術校で勉強しており、12月5日(木)に横須賀2術校に戻ります。  そのため、非常に幸運なことに平井校長の交代行事及び帽振れに参加することができました。  平井校長の離任挨拶は「江田島」への想いが綴られた情緒あふれるものでした。(御本人の許可を得ていませんので添付はしませんでした。御了承を。)    デジカメは準備していましたが、幹部とは言え1学生の身分では一人だけ違うこともできず、一緒に帽振れをしてしまい良い写真が撮れず、表桟橋を離れた直後の1枚だけ添付させていただきます。  平井校長はあっちを向いてしまっていますが(校長すみません…)雰囲気だけ感じてください!?    今日は偶然横須賀の掃海艇隊が候補生学校の教務協力で江田内に投錨しており、乗員の帽振れで式典に華を添えておりました。    それでは、平井校長の第2の人生の御多幸と貴ホームページの御発展を祈念しております。  青島 忠俊(前1術校副官)
あんちゅうの返信メール    早速の返信、ありがとうございます。  添付の写真とメールは、青島前副官の了解も得ず、勝手に17Th Homeに掲載致しました。    なんと、江田島にいられたのですね。  さすが、あんちゅうが座布団5枚もやった程の情報収集能力には恐れ入ります。   デジカメも用意されていたのに撮れなかった様子はよ〜くわかります。  貴重な一枚を添付していただき本当にありがとうございました。  雰囲気は十二分に伝わって来ます。    仙人は雲に乗らず、表桟橋より旅立たれたのですね。  今まで雲の上から大局を見つめていた目にはどんなふうに見えたのでしょう。    仙人の離任挨拶、聞きたかったですね。    これからの青島前副官の益々のご活躍をお祈り致します。



2002年12月1日(日)      17期ホームページ管理人 あんちゅうより 江田島仙人へ
件名 : 江田島仙人、ごくろうさまでした。
江田島仙人殿。  いよいよ退官の日を迎えられ、胸中いかがかと拝察いたします。  長年の国防勤務、ご苦労様でした。  任官された時代と今日のこの時を思い浮かべるに時代の流れとはいえ大きな変化、変動を感じられていると思います。  東西冷戦から緊張緩和へ。  最近では国際テロと自衛隊を取り巻く環境が大きく変化をしていく中、海上自衛官として過ごして来られました。    そんな江田島仙人の海自生活の1ページに我17期生徒の分隊長としての時代もありました。  時が経ち分隊長が1術校校長になられたと聞き、呉や江田島の同期に事あるたびに17期ホームページ(17Th Home)の存在を知らせてもらうようにお願いをしていた時、当時の副官であった青島副官が17Th Homeを発見され、17Th Homeはわざと平井校長に連絡していないのかと躊躇する中、恐る恐る仙人に報告、今日まできました。    2002年2月14日の「江田島仙人便り001−02」を初メールとして今日までの290日間に86通のメールと51通の江田島仙人便り、79枚の写真を届けてくださいました。  17Th Home開設1周年記念には「江田島仙人のスペシャル訓育」の特別寄稿も頂いたり、生徒の行事を通じて江田島の空気と風と香りを全国の方に伝えていただきました。    12月2日をもって江田島を離れられる訳ですが「江田島仙人」の「江田島」の冠をはずし娑婆の「・・・仙人」になられても今まで同様、17期と17Th Home、17Th Homeをご覧の皆様の為に「・・・仙人便り」をお待ちしております。    長期にわたるご苦労に深謝・感謝申し上げると共に今後の仙人のご健康と益々のご活躍を祈念しつつ「江田島仙人」への最後のメールと致します。      17期ホームページ管理人     あんちゅう より



2002年12月1日(日)      17期 伊藤 隆(水測)より
件名 : 前畑佐世保にきたる。
最近珍しい同期が佐世保を賑わしている。  先日は今田俊介、昨日今日は前畑が・・・・・。  昨日の町の同期会、今日は我が伊藤邸の宴会状況です。  (現在進行中)            新潟と佐世保で一緒に飲むぞ!! ちなみに、約束の腹比べだ。
あんちゅうの返信メール      こっちだって負けてないぞー!!



2002年12月1日(日)      江田島青年より
件名 : 江田島青年便り14−4(試合結果)
1週間の出張無事終了し29日呉に帰って来ました。  皆さん期待して待っていたと思いますが、3自生徒対抗試合の結果ですが、皆様方の沢山の応援を戴きましたが、惨敗してしまいました。  対空自62vs5海自、対陸自36vs0海自、空自5vs17陸自でした。  まだまだ、私めの力不足を実感しました。  来季は、今回の結果を糧として雪辱を果たすべく明日から頑張って行きます。  引き続き応援を宜しくお願いします。     明日、「江田島仙人」の離任式です。その様子等は明日以降お届けします。
あんちゅうの返信メール    3自生徒対抗試合、ご苦労様でした。 結果を見れば惨敗のようですが、いいところもあったのでしょう?  明日からはそこのところを伸ばして海自生徒ラグビー部の指導をがんばってください。    江田島仙人の離任式の様子、よろしくお願い致します。  江田島青年忙しければ18期の金子先任海曹にもお願いして多くの写真を送ってください。受信に一時間かかろうが二時間かかろうが構いません。金子君、もしこのHPを見ていたらよろしくお願い致します。 ・・待っています。



2002年12月1日(日)      14期生 下條先輩より
件名 :
ご無沙汰しております。  江田島仙人殿、退官の報に接し驚いています。   転勤、退官は自衛隊生活の習いとはいえ、未だ先のことと考えておりました。   誠に残念ですが、  我々の感謝の気持ちを込め、以下の電文、仙人殿宛てご転送下さい      14期下條

江田島仙人殿
このたび雲の上の御勤務を終わられ、還俗なされ、下界に移られると伺いました。  多年にわたる御精励、御苦労さまでした。  我々14期は直接、仙人殿より御指導を受け賜る機会はございませんでしたが、この1年、仙人部落便り、訓育を通じ、仙人殿のお人柄に触れることができましたこと、感謝しております。  今後の下界での生活、仙人殿のことゆえ、長年、御修行 なされた仙術を駆使され、下界をも、たちまちのうちに、桃源郷に変えられることと存じます。  今後とも宜しく、御指導の程お願い致します。    本当に長い間、ご苦労様でした。      14期水測 下條
あんちゅうの返信メール    そのままを江田島仙人に転送いたしました。   ありがとうございます。



2002年12月1日(日)      17期 小池正行より
件名 : Re: 江田島仙人便り051−02
江田島仙人の退官を聞き心よりお疲れ様と今までのご厚情に感謝を申し上げます。    特に、あんちゅうのおかげで17期ホームページができて、日々同期の近況が聞けたり、つながりを再び感じたり、高杉生徒にはとても残念なことになってしまいましたが、その時々において、本当に適切なご意見番でした。   仙人がいたからホームページも盛り上がり、安心して投稿できたことも沢山あります。  今後とも健康に留意され(そんな年寄りじゃないか!!)益々、仙人のご意見を聞かせていただければ幸いです。  私個人的には、”江田島仙人”のハンドルネームを永遠に使用していただきたいと思います。  次に誰が名乗ってここに姿をあらわすのでしょうか。  私には考えられません。   ただ今後、もっと大きな山河の仙人になって我々に生きる道についてご意見を続けられることを説に望んでいるものです。    長い間、本当にお疲れ様でした。    そして次の人生に幸多かれと祈ります。
あんちゅうの返信メール    そのままを江田島仙人に転送いたしました。   ありがとうございます。