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17期 徒然草大全
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2004年6月29日(火)   伊達髭修様より
件名 : 白装束にて
殿! ご無礼 平に平に!お許しを!   カウントと、殿のバースデイ出来れば良いな なんて思っていたのがそもそもの間違いの判断でした。  近所で、不幸が2つも重なり・・・言い訳です!  改めまして、リーチ50 おめでとうございました。  いろいろ、殿もお忙しいそうで・・・チェンソウ持っていずこえ・・   50017ゲットは俺だー!なんていうのが間違いでした。  3年も経っていないのにすごい! 殿! 改めましておめでとうございます。  殿のご尽力の賜物です。  ・・・と、皆さんは思っています。   今後とも、大変でしょうが、よ・ろ・し・く!  恩返しは、やっぱ雪降ろししかないのかな?  ほんじゃ、また。    髭修



2004年6月29日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−50−156(第50期生徒総員赤帽脱出
先日、赤帽をまだ脱出出来ない生徒が居ると伝えましたが、昨日最後の一人が見事赤帽を卒業しました。   これで、当初29名という半数以上が赤帽という最悪の状況でしたが、昨年より早く総員卒業という優秀な成績で、7月2日からの海面訓練に望めます。    第50期は54名と定員割れですが、少数精鋭の期のようです。  褒めすぎですかね?   17期は、何とかの大人数でしたっけ。



2004年6月27日(日)   江田島中年より
件名 : Re: 17Th Home 6月のご挨拶
あっという間に6月も終わろうとしています。  ご無沙汰して申し訳ない。   江田島中年便り一つも送れず、相変わらずアンチュウ頼り?になりましたが来月(7月)は何とか送りたいと思います。  ではまた・・・。  江田島中年



2004年6月26日(土)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−49−155(カウント50、000おめでとうございます。)
17th HP 50,000  おめでとうございます。    これもアンちゅうの人望と努力の賜と思います。    これからも健康に気を付け(お互い年を考え程々に飲みましょう。)、    拙い江田島青年便りに付き合ってくだされ。       今回も、記念すべき50,000及び50,017を密かに狙っておりましたが、今日HPを開いてみますと、50,056と成っており、またしても記念すべきカウントを逃してしまいました。    相変わらず「記念」、「記録」と言う言葉に縁のない江田島青年でした。       広島はまだ梅雨が明けず、蒸し暑い日が続いております。     昨日から本日にかけ梅雨に入って初めて梅雨らしい雨が降りました。    これで梅雨が明けてくれると願っております。       7月2日からは、生徒も海面訓練が始まります。    まだ赤帽を抜け出せないで頑張っている者がいるようですが、2日までには黄帽に変わって欲しいものです。        ・・・門田を思い出してしまいました・・・
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り、ありがとうございます。   50000というカウントに感謝しつつもカウント数よりHPの内容を充実する事に勤めてまいりたいと思いますし、あんちゅうの人望と努力より青年初め皆様の力なくしてはこの17Th Homeの充実もままなりませんのでどうぞこれからも宜しくお願い致します。   少術校25周年記念誌によれば、第17期2等海士門田勝明生徒 昭和47年7月4日、水泳訓練中に死亡、7月6日送葬式とあります。  早いもので32年、次の日曜日は33回忌にあたるんですね。    彼を忘れない青年と多くの同期とともに ご冥福をお祈りいたします。    合掌



2004年6月26日(土)   ハルの母様より
件名 : おめでとうございます。
50017突破おめでとうございます。  今朝のぞいたときはまだ49****でしたがただ今1800現在で50045となっています。  50000を狙っていましたが残念です。  でも本当におめでとうございます。  ハルの母
あんちゅうの返信メール  ありがとうございます。   50017を突破したのは26日の朝と思われます。  自分でゲットしたのではシャレにならないと17Th Homeを開くのを躊躇しておりましたが1100、確認の為開いた所、50027となっていました。  ただ、今現在(28日2340)、ゲットしたとの申し出がありません。   これからも17Th Homeを宜しくお願い致します。



2004年6月25日(金)   17期 臼井幸一より
件名 : Re: 連絡
アンチュウへ   優秀な海上自衛官の募集とは、少々関係ないのですが、まずはがんばります。   後半部分は了解。   最近、お近くでは、石川からこられました。   17Th Home記念カウント  絶対ゲットするぜ!



2004年6月25日(金)   ハルの母様より
件名 : じゃがいも
あんちゅう様ご無沙汰いたしております。   今朝は妙に早ーく目が覚めてしまったので、日頃ゆっくりできないじたくのパソコンと向かい合っています。  職場では朝から夕方までパソコンと格闘しておりますが、家に帰ってまでゆっくりできるハルの母ではありません。   あんちゅう様じゃがいもが苦手なようですね。  我が家の愚亭、豚児どもはじゃがいもコロッケが大好物です。  特に大学生の上の息子は私が作ったものしか食べません。  江田島の息子は雑食性のためどんなコロッケでも食べますが。   このハルの母の手作りコロッケはなかなか食卓に登場しません。  なにせじゃがいもの皮をむいて、ゆがいて、つぶして、中に混ぜるたまねぎ、人参の皮をむき、みじん切りにし、まだまだ作業は続きます・・・。  作るときは大皿に山盛り作らないと足りません。  もちろんハル用のちょっと小さめも1個必ず作ります。   出来上がる前から皆は台所周辺を用もないのにウロウロです。  全部出来上がってから、「よーいドン」の掛け声で食べ始めます。  休暇中には1回ずつ作るよう心がけているのですが、なにせ病弱な母〔?〕ですので、幻のコロッケとなっています。    昨日は体調不全で仕事を休み、午後からのっそり起きだして、平成15年の「思い出アルバム」〔CD〕をじっくり眺めておりました。  息子が写ってる分だけメモしておいて、夜愚亭に見せたところ大変喜んでおりました。  50000カウントもまもなくですね。  これからもよろしくお願いします。  ハルの母
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございます。  おいしそうですね〜。ハルの母様特製コロッケ。  揚げたてが一番ウマイ!!   食にまつわる言葉はいろいろあり、その好きな言葉のひとつには 「肉は骨に近いほどウマイ。  食事は土に近いほど美味い。」 というのがありますが、あんちゅうが一番 「ウマイ!」 っと思うのは何といっても 「ツマミ食い」です。  いささか行儀の悪い、しつけのなっていない事で非難を浴びそうですがテーブルの周りをウロウロしながら・・賢妻の目を盗んで 「パクリ!」「〜ん ウマイ!!」   ツマミ食いほどこの世に美味い物は無いというのが世の殿方の共通した所ではないでしょうか。  文面を拝見するにご家族もツマミ食いの美味しさを知っているんですね、きっと。    ジャガイモがどうだこうだと言ってもそれほどではないんですよ。  ちゃ〜んと出されたものはありがたく頂きます。  今日も弁当の中に玉葱に隠されて一カケ入っていました。   ・・・我賢妻の心意気?を感じました。



2004年6月24日(木)   17Th Home最強ファンより
件名 : おたんじょうびおめでとう
♪♪おめでとう   おたんじょうび ♪おめでとう   おたんじょうび ♪おめでとう   でぃやー ひとちゃーん ♪  おめでとう ひとちゃーん♪♪    なんでひらがなかわかる?  朝のNHKのドラマ「 天花 」 を見ていたら、その昔、私が保育実習をしていた時の事が甦りました。  私も愛も、その道には進みませんでしたが、得るものが沢山ありました。  とても懐かしい気分に浸って・・・  貴方と子供達がお世話になった光徳寺保育園で、おたんじょうび会の時に歌う、おたんじょうびの歌を口ずさんでしまいました。    17Th Homeも、もうすぐ3年になろうとしています。  去年のおたんじょうびから早いもので、もう1年が過ぎたんですね。   この一年、ホームページを通して、また多くの方々とお付き合いが広がり、楽しい会話に花が咲きました。   初めての長期出張で、とうとう、伊達家への訪問を実現し、14期生の神様にもお会いする事が出来ました。  さらに15期生,18期生の御二方にもお会いする事が出来ました。   本当に、貴方は、なんて幸せな人だろうと心からそう思います。   そんな強運な貴方のパワーを、これからも17Th Homeにおしみなく注がれますように・・・。   どうか身体に気を付けて、頑張ってください。    17Th Home 最強ファンより
あんちゅうの返信メール  ありがとう!  ありがとう!!   み〜んな貴方のおかげです。



2004年6月20日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−48−154(ラグビー広島地区リーグ終了)
本日でH16広島地区リーグ戦が終了しました。  西高は昨日(19日)宮島工業高校と対戦し、64(29−0)0で勝利を収めました。  しかし、いつもの事ながらミスが多く又個人プレーが多く思い描いていたような試合はなかなかしてくれません。   今回、練習試合、公式戦を含め1年生(50期)3名が後半からデビューしました。  動きなど分からないなりに一生懸命頑張っておりました。  2・3年生もそれをカバーしようと動きが少し良くなったように見えたのですが、気のせいでしょうか。  常にこのような動きをして欲しいものです。  結果は、1位広島工業高校  2位安芸南高校  3位美鈴が丘高校  4位西高校  5位崇徳高校  6位宮島工業高校となり、昨年より一つ上に行きましたが、ろくな練習が出来ない中、負けは負けでも惨敗した広島工業高校以外は前半リードし、後半逆転されると言う悪いパターンながら善戦したことは褒めてやりたいと思います。  西高の成績:2勝3敗33(19−0)24 崇徳高校14(14−5)19美鈴が丘高校0(43−0)83広島工業高校14(14−12)24安芸南高校64(29− 0)0宮島工業高校でした。



2004年6月19日(土)   17期 安中 均より
件名 : 神様の心遣い
先日、飯坂の神様のご機嫌を伺いに参りましたところ、相変わらず元気で江田島で鍛えた体力を活かし いろいろと頑張っているようでした。  神様のはからいで18期の川崎保雄君と30年ぶりに、又、二本松に居られる15期生の瀬戸(旧姓・丹治) 睦男先輩とは31年ぶりにお会いする事ができ、感激して帰郷いたしました。   川崎君は生徒当時のあんちゅうを覚えてくれていて、生徒時代の事から今現在の事をいろいろと話をする事ができました。  15期生の瀬戸(旧姓・丹治) 先輩は二本松で「あぶくま浄化槽管理センター」の理事長の要職に就かれ、忙しい中、約2時間に渡りこれまた、懐かしい話に花がさきました。   いずれも生徒時代の教育と経験を胸に秘め、厳しい娑婆の世界をしっかりと歩まれていて まさに、「江田島健児ここにあり」の感をいっそう強くした神様参りの旅となりました。



2004年6月17日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−47−153(H16水泳(プール)訓練開始
梅雨入り宣言から2週間立ち、梅雨になったのか成らないのか惑わすような晴天の中、今年も水泳訓練のシーズンがやって参りました。  まずはプール訓練からと言うことで本日から始まりました。    2・3年生は、少し余裕が有るように見えましたが、1年生(50期)は少し戸惑いを感じていたようです。    思えば昨年の49期がそうであったように、50期も徐々に慣れていってくれると思います。  2年生になった49期は、昨年とは見違えるようで最初としては整斉と実施していたように見えました。   添付した写真は、言わずとも学年が分かると思いますがいかが。



2004年6月17日(木)   伊達髭修様より
件名 : こんばんは
殿、こんばんは!  お変わりないようで安心してます。   先週は、シトシトやっぱ、梅雨と思いきや、晴天続き我青空公務員にとっては最高のお天気です。   江田島では、遠泳にむけて頑張っているようですね。  あぁ あれから30年・・・  あれが青春   今わかりますね。  あれも、これも、しておけば、良かった。  ・・・言い訳するな。 でしたよね! 反省しています!   明日は、早起きして???  もう寝ます! では!       伊達髭修
あんちゅうの返信メール  返信遅くなり申し訳ありません。  ホヤでも○○でも何でも、一度は食してみるあんちゅうでありますが、唯一苦手なのがこのジャガイモという物です。  いえ、決して食べないわけではありません。  ただ、できれば・・・の範疇であります。   昨夜は、ミョーに疲れて風呂にも入らず、寝てしまい、HPの更新も出来ませんでした。  明日の朝は地域のドブさらい。  早く寝よっと 。   っと、言いながら冴えているんであります。   これからHPの更新、頑張ります。
伊達髭修様からの返信メール  殿、こんばんは、お疲れ様です。   へぇ・・殿も苦手がござりますか。  殿の好きな芋焼酎・・原料が違うか・・・  私、じゃがいも大好きです。  芋焼酎も大好きです。(飲めるものなら)   昨夜は、夜間作業があり、本日も作業しました。  焼酎がきれましたのでウィスキー水割りで飲んでました。  私も明日0600より神社の草刈作業があります。  起きれるかな?  眼はどろんです。  撃沈寸前です。  明日の為、ベットインです。  HPの更新は草刈が終了してから見させて戴きます。  殿宜しく!   お城の周りの花便りです。  じゃがいもはやめました。  愛犬ロンと、ランクル80も一緒にドン。  ほんじゃ、明日!  おやすみなさい殿! 髭修
伊達髭修様からの追伸メール  うっかりしてました!  越後の姫殿の誕生日お祝いの言葉忘れていました。  申し訳ない!   姫!誕生日おめでとうございます。  ・・歳乾杯!  おっと!乾杯するグラスがカラでしたので作り直しします。   それでは、姫殿 改めまして、・・歳おめでとうございます!  あとの、プレゼントは越後の殿にお任せします!  殿、良しなに!  伊達髭修    追伸の追伸   わたしからの写真のプレゼント



2004年6月15日(火)   17期 竹原堅一より
件名 : 転勤
ご無沙汰しております。  この度『おおよど』先任伍長を首になり6月25日付転勤の内示を受けました。   つぎの配置は、佐世保地方隊先任伍長です。  私などで務まるかどうかわかりませんが頑張る所存であります。  宜しくお願いします。 
あんちゅうの返信メール  長年に渡る艦隊勤務、大変ご苦労様でした。   臼井が艦を降り、また貴君が艦を降りる。一抹どころか十抹の寂しさを感じざるをえません。  「老兵は去るのみ」・・・   組織の活性化のためには必要欠くべからざるものではありますが、己もその歳になったのかとこれまた、情けなささえも感じます。  ・・が、娑婆ではこれからが勝負どころであります。  若い者にはない経験と思慮深さが我々には備わっていると思います。   佐世保地方隊の先任伍長と言う要職に就かれるとの事、貴君の個性を生かし、貴君でなければ出来ないことを見つけ、それを実行する事で、今までとは違う先任伍長であって欲しいと思いますし、生徒時代より個性豊かな貴君はそれが出来る人と確信しております。   今まで蓄えてきた 「たけはら節」 を更に完成させるために新たな修行に励むたけはら先任伍長に   かんぱーい!!



2004年6月13日(日)   14期生 下條先輩より
件名 : RE: 17Th Home 6月のご挨拶
いつも季節の挨拶有難うございます。  関東地方も本格的な梅雨に入り鬱陶しい毎日が続いております。   出張 ご苦労様でした。  留守の間、伊達の殿、秋海様、ハイブリッジの親父殿と東北、京都 桜の旅を楽しませていただきました。   先日、同期の山野が上京いたし一献酌み交わしましたが、貴君のこと気持ちの良い後輩だと褒めておりました。  今後、全国を回る機会がありましたら14期のところへも遠慮なく尋ねてください。 皆、大歓迎すると思います。  山野も知人と一緒の上京で忙しそうでした。  彼も江田島で鍛えた体力を活かし いろいろ、色々 頑張っているようです。  我々も負けずに頑張らねばと思いますが いろいろ、色々 大変ですね。  不順な天気が続きますが、お元気でお過ごしください。
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございます。   山野先輩には、色々とお世話になりました。  近いうちにまた、お会いできるかもしれませんが、こちらもいろいろあり、上手くいくかどうか・・   っま、あんちゅうなりにいろいろ頑張ります。



2004年6月12日(土)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−45−151(秋海さんin江田島)
本日、「秋海さん」がはるばる秋田から江田島を訪問いただきました。  秋海さん有り難うございました。   貴重な見学時間の合間であり、僅か5分位しかお話が出来ませんでしたが、生徒17期として同期と成るはずの所、二次試験で不合格の理由(今日お会いした所面影はありませんでしたが、軽量過ぎたそうです。失礼。)、自宅がラグビーの名門中の名門秋田工業高校と数メートルしか離れていない事、あんちゅうもお譲りいただいた「ボタン」の言われ等のお話を伺いました。  そしてこの貴重な「ボタン」を大小一個づつ江田島青年にもお譲りいただきました。  有り難うございます。  大切に保管させていただきます。    秋海さんは、相変わらず進歩の無い江田島青年に比べると、ナイスガイの中年おじさんです。  昭和46年4月、江田島少年術科学校の門を叩き同じ釜の飯を食っていたら、頼もしい同期と成っていたのではないかと感じました。   17期35周年では、あんちゅうと江田島に来島いただけるとか、今回は時間がありませんでしたが、今度はゆっくりと話したいと思っております。  楽しみにお待ちしています。



2004年6月11日(金)   秋海さんより
件名 : 秋海の江田島への旅
0702いざ出羽の国を出発です。天気晴れ   0745角館到着。  しかし、二月前神様や中年不良に荒らされた後がチラホラまだのこっています。 そうこうしているうちに、田沢湖到着、ここもやばい早く発車してくれ。  そうだ、白川の関を越えるまでトイレに隠れていよう。 と二月前の乱行の反省をしている秋海です。 谷憲殿助けて   0828雫石到着  この地は、33年前航空自衛隊隊の飛行機と民間機が空中衝突した、悲しい過去をがあります。   0925仙台到着   本来ならば、伊達の殿奥方の御尊顔を拝し当地通過のご挨拶を申し上げるべき所、急ぎ忍びの旅ゆえ車中より失礼申し奉ります。   1100帝都着  天気曇   さあお仕事お仕事早く済まさなければ   1550帝都を予定通り出発   いざ一路広島へ    帝都の天候  雨   1810京都着  ハイブリジ親父さまに車中よりご挨拶いたしたいのですが、右を向けばいいのか左なのかわかりませんので、お住まいの大津市を向き比叡山にご挨拶いたします。   2008広島出発  最地周着地呉へ向います。   2100秋海は一日がかりで地上を走り、やっと呉にたどりつきました。   6月12日0800ただいま乗船いたしました。 今後のよていはまだたてておりません。   0801江田島行きただいま出航いたしました。 天気  曇   0836乗船中。 今後のよていはまだたてておりません。 帰りは広島空港発1705の飛行機です。   0850秋海はただいま34年前に思った江田島に上陸できました。   0905ついに術科学校門の前に着きました。 今の気持ち・・・   0920江田島青年たちがラクビーの練習をしております。 仁君はどれかな?   1315見学を終え小用港に着きました。 見学エピソードはのちほど 。 呉か広島か思案の最中です。   1350さんざん悩み、一度は呉行きの切符を買いましたが、乗換の少ない広島行きにギリギリで飛び乗りました。  天候  曇   1420宇品着  電車かバスに乗ればよいか分からないので、船で一緒だった人の後をついていきバスに乗っています。   15201440広島駅着  少し駅地下をウロウロしましたが無事リムジンバスに乗ることが出来ました。   16301605広島空港着後は全日空まかせとなりました。 土産店をながめ物色中です。   19101830無事羽田空港着  空港をお好み焼きの袋を下げ歩いています。 搭乗ロビーでグッタリ、でも秋田なまりが聞こえてき、少し安心な気分になります。  なまり懐かし停車場も今は空港の搭乗ロビーになりました。   2100定時、出羽の飛行機停車場に到着。 外に出たら思わず「寒い!」  天候  曇らさい 気温15度とのこと   2200やっと自宅に着きました。 二日に渡るお付き合い、ありがとうございました。 バッテリーよ良く持った。 最後に家の入り口のチェーンに躓きころぶところでした。
2004年6月14日(月)  件名 : 0905秋海第一術科学校前着   術科学校前でバスを降りるが、あれ?学校らしき建物がない? 前を歩く人の後をトボトボと、カーブを回ったらあった。   門を通り受付へ、アンチュウさんより江田島青年はグランドで練習中なのでグランドに行くようにと前夜電話がありましたので、受付の隊員に「知り合いがラグビーの練習していますのでグランドはどちらですか?」と聞いたら「一般の方の行動は禁じられていますので、あちらで見学時間までお待ち下さい」と言われました。   見学者の待合室に入ると、広報係は優しそうな方でしたので、もう一度同じことを言いましたら、「学校の先生ですか、どうぞどうぞ・・真直ぐ行くとグランドです。 生徒にお会いしたら戻ってこなくともいいですから見学して下さい。」と優しいお言葉を、先生でないと言うのもいまさらなんですのでクランド目指して出発。   いたいた。 ラグビーの練習をしていると思っていたら、後ろから大きな声で「先生〜!」と叫びさっきの広報係が自転車で追いかけきました。  そして「やはり見学時間までお戻りください。」とのこと、やはり話しがうますぎた 。   近くまで行き練習中の江田島青年を探しました。  いたいた10番が江田島青年と確認し、しばし練習を見学していると江田島青年も気が付いてくれました。   練習中でしたので短い時間しかお話はできませんでしたが、私にとりましてはこの上ない思い出となりました。    待合室に戻りますと、外で若い隊員が二人、紙を見ながら打合せ中。  待合室に入ると「荷物はロッカーに入れてもよいですよ。」と言われ、隣の部屋へ入りアンチュウさんのラッキーナンバー17番に入れました。    案内は生徒の予定が「今日は人数が少ないから小父さんがしてやる、2人とも付いてこい」とOBの太い声。 いざ見学と思いきや、遠くに止まっている観光バスに向ってまた太い声で「ガイドサ〜ンこっちこっち」バスからは昔の紳士淑女が40名ほどゾロゾロと降りてきました。    まず、案内の生徒2名(49期50期)を前に出し「彼らは海上自衛隊で一番若い隊員です。  昔で言えば予科練生です。」と紹介すると「ハイ、私は乙飛○○期です!」  もう一人が「私は、甲飛○○期です!」   顔を会わせた二人の間に火花が・・  すぐさま案内の方が「もう60年たちましたので、甲乙の争いは・・・・」一件落着、この先なにかいやな予感がフット頭を横切った秋海でした。    途中の見学については、皆様ご存知のことですので割愛し、戦艦陸奥の大砲の所まで来てしばしの自由時間となりました。  そしたら後ろの老婦人たちが(後ほど出演するので四オババとします)  「トイレ行きたくない?」  「私も我慢できない」との会話が聞こえてき、老人には優しい秋海は案内人さんに「後ろのご婦人たちがトイレに行きたいそうですよ。」と報告したら生徒さんを呼び「ご婦人たちをトイレに案内し、一人づつ入れて他の人が入らないように最後まで付いてろ」と、生徒さん、まさかオババサマたちのトイレの番兵させることになるとはゴメン。(ハイブリジ親父様のご子息と仁君でありません) しかし、この優しさが後に秋海の災いになるのです。   教育参考館においては、観るもの全てに目頭が熱くなる思いで感無量になった私でしたが、静粛な参考館の中に突然、「添乗員さ〜ん!」  添乗員の返事無し。  「添乗員さ〜んってば!!」  それでも添乗員の返事なし。  「チョット・・添乗員さん」と言う声とももに私の背広の袖を引っ張る人が(オババ1登場)、振り向くと「○○駅に着くのは何時だっけ」  「え、すみませんが私見学者なんですけど」 「背が高いから添乗員と勘違いした。ハハハ〜」    出口でウロウロしている人が(オババ2登場)「ネ〜皆どこに行ったのか知ってる?」 また添乗員と勘違いしているな、知るわけないのにと思ったのですが、「集合場所は出て右に行ったベンチですから、そちらでは?」といい加減な答えをしました。  たしかにオババオジジ皆様集まってジュースなど飲んでいました。    最後は売店で買い物。  やはり恐れていた事態が・・・   観光地恒例のオババたちの土産物の争奪戦。 秋海はこの荒波に飲み込まれ端においやられ、(オババ3登場) 「チョット、さっきのおにいさん、一番上、右の帽子取って・・左も・・」 親切に取って差し上げたら「小六の孫の土産なんだけど、どっちが孫に似合うかな?」 知るか!! 今度は店員さんになってしまった秋海でした。  嵐がさり、静かになった売店で訪問の思い出の品をいくつか買いました。    食事も学校の中でと思い食堂に入ったら、いたあの団体が。 なるべく離れた席に知らぬ顔をして座ったのですが、食べ終わるころ(オババ4登場)「これからどちらまで?」と有りがたい言葉が・・ 「広島空港まで行きます。」 「あら、私達と同じ、旅は道連れと言いますから一緒に乗って行きません?」 道連れしたくない秋海は、丁重にご辞退申し上げ、逃げるようにその場を立ち去りました。  校門まで行き、バス停で立っているとまたお会いしそうなので、秋海のオババたちからの逃亡を助けるかのように、校門の前に止まっていたタクシーに飛び乗り小用港まで逃げました。    今、メールして思い出されることは、広いグランドからだんだん近づいて来る江田島青年のお姿と、真直ぐに伸びた松、そしてそして・・・ あ〜秋海よ、なんでオババたちのトイレをなぜ心配した。  旅に出る前に校門を後にする時の気持ちは、33年前の少年か?・ただの見学者か?・中年親父か? どんな感情が沸き立つのか考えていたのに、ただの逃亡者になるとは情けない。 お前の33年間の思いは何なのだったか?   最初アンチュウさんの言われた、2年後江田島でお会いしエスコートしていただく提案があったのに、強行に行ってしまい天罰が下ってしまいました。    今回の江田島訪問は、私の記憶から一部削除いたします。   アンチュウさんの提案どおり、2年後に江田島でお会いいたしたく念願していますので、その時エスコート宜しくお願い申し上げます。   でも、江田島までの交通機関の乗り継ぎは、今回の旅で自信がつきました。
あんちゅうの返信メール  「秋海の江田島への旅」 道中記、23通ものメールに乗せてありがとうございます。  かなりの強行軍のようでさぞかしお疲れだった事とお察しいたしますが、33年間の想いがつのった江田島の風景はいかがでしたか?   一部を抹消したい気持は充分に理解できますが、 ”オババ4人衆” への対応は、秋海さんの人柄を知るにはこれまた、充分すぎるエピソードと楽しく拝見いたしました。   誠に申し訳ない話でありますが、秋海さんが ”オババ” の ゲリラ攻撃にあっている頃、あんちゅうは信濃の国、白骨温泉で 「あ〜ぁ〜、てんごく、天国」 と 骨抜きになっていました。   2年後の17期35周年には喜んでエスコートさせていただきます。  一緒に楽しみましょう。  (これで、万が一、”オババ”の攻撃があっても安心ダー!!)



2004年6月10日(木)   17期 臼井幸一より
件名 : 訂正
おはよう。  募集支援では在りません。  艦艇広報です。   今日は、長男に子供が生まれそうです。  では行ってきます。



2004年6月8日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−45−151(猪股in江田島
掲載が遅くなりましたが、先日大湊から猪股が施設利用で江田島を訪れました。  前回約1か月江田島に滞在していた時は、仕事が忙しくて(むろん猪股)ゆっくり話をする事ができませんでしたが、今回はゲットしました。   江田島中年の隠れ家屋で3人で一献交わしました。  猪股も江田島滞在1か月で蘇った若さを維持していたようで、北の守りは任せろと言ったところですか。



2004年6月8日(火)   14期生 村岡先輩より
件名 : お久しぶりです
お元気のご様子、何よりです。   飯坂の不埒者がさみしがっておりました、「あいつが近所に住んでたらいいのになあ」などといっております、よほどうれしかったと見受けましたが。   もう、ペースは戻りましたか?  これから暫く、梅雨の煙霧が立ち込めますが御身大切におすごしください。  又、掲示板でよろしくお願いいたします。
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございます。   いつも14期生掲示板で先輩の行動力のすばらしさを見させていただいております。  昨日は、江田島を訪れたご子息の雄姿を拝見し、感想を読ませていただきました。  谷憲先輩と同じく、自分が誉められているようで ”おじさん”の心は優越感で満たされました。   隊長さんよりカッコいい ”親父”の青春をお届けいたします。  これは、飯坂の神様をお参りに行った折、お借りしてきたアルバムをスキャナで取り込んだ写真です。  全424枚の取り込みは全部終わったのですが、修正作業があと90枚ほど残っていて今少し、時間が必要です。  全て完成したらCDアルバムにして贈呈しますのでお楽しみに。
村岡先輩の返信メール  このところのカラ梅雨にもめげず昨日早朝からネムの花がボーっと咲き始めています。  薄桃色でなんともいえず儚げできれいです。   ところで先日の写真にドキッとしました。  生徒の卒業アルバムからですよネ。  夜の自習時間にメッセージを書くことになり自分は迷わず、「竹の節」としました。   呉教から江田島へ移ってしばらくして故郷の父から手紙と一緒に送られてきた文章を四年間大切にしておりました。  これが「竹の節」です。   写真の頃はすでに卒業目前で毎日、三島の「行動の美学」をくり返し読みふけり行動を起こさねばとあせっておったことを懐かしく思い出します。  もっともこのとき身についた癖で何でもとにかくやってみてからと軽はずみな行動が多く、家族のひんしゅくを買い続けています。  父か゛書いて送ってくれた「竹」を添付いたします。



2004年6月8日(火)   14期生 谷川憲一先輩より
件名 : Re: 17Th Home 6月のご挨拶
やっぱり、お前の書き込みがないことには、掲示板を見る気にもなれず、すっかりご無沙汰でした。   新配置にもすっかり慣れて、快適に勤務させてもらっているよ。  先週は、部隊監察・安全調査受検と忙しかった。  調査班員として16期が来た。  俺は、前日にホテルまで会いに行った。  30年振りだ。   あいつ俺をみるなり「谷憲の顔じゃない。」と言いやがった。  やっぱり年取ったな。  しかし、今の俺がいいや。  そのほうが疲れないよ。  自分の顔に責任を持とう。 谷 憲
あんちゅうの返信メール  先輩、ご無沙汰でした。   最近、左のケツに出来物ができて椅子に座るのもちょっとツライものがあります。  だす物を出していないのは間違いないんでありますが・・・  それが原因かな〜。   もしかして先輩、最後の勤務になるのでしょうか、大村システム通信分遣体調の職が・・  快適に勤務させてもらっているとの事、何よりですが、「皆さんかわいそー!ビシビシいくぞー!」の意気込みも拍子抜けといったところ見たいですね?   16期生は誰でしょう?   平田先輩?  西中先輩?  高畑先輩?  それとも??   その話に30年前、佐通のPXにいた我、賢妻は興味信信であります。
あんちゅうのメール  件名 : プロジェクトX ・・「宿命の最強決戦」   多分、しばし中断・・・      あんちゅうも中断します。
谷憲先輩の返信メール  元々緩い方ではあったが、歳とって益々涙腺が緩くなり、TVをみていてもすぐ涙が出てきます。  女房に見られないようにそっと拭っています。   中学1年生だった時、東京五輪の柔道競技を音楽室のTVで見ていました。  柔道なんてやったことのなかった私は、合掌しながら見ていた校長先生が、神永選手がヘーシンクに負けた時、泣いているのを見て、銀メダルなのに、なぜ悔しいんだらろうと不思議でした。   時は過ぎ私は、ソウル五輪で日本柔道が負けるのを見ることができませんでした。   その16期とは、那須です。  その時に撮影した写真を昨日、メールで送信してきました。  「久し振りに憲さんと会えてものすごく嬉しかったです。」とメッセージを添えて・・・
あんちゅうの返信メール  だんだん近くなると?涙腺が緩んでくるのでしょうか?  な〜んてね・・、 怒られる事を平気で言うとんでもない後輩をお許しください。  お詫びのしるしに先輩の柔道着姿をご紹介して、とんでもない後輩は17Th Homeの更新作業に入ります。  最前列右から3人目が 「鬼の谷憲」先輩であります。
谷憲先輩の返信メール  15期の福島鏡がいるのわかるか?



2004年6月8日(火)   トミス加藤統義様より
件名 : 桜に錨届きました?
箱を開けるとスプロケットの山、掻き分けて探すと小さな箱、箱を又開けるとティシュペーパー、テイッシュを除くと小さなボタンが2個、アンチュウさん厳重なわりにな〜んだと思わずによ〜く見て下さい、桜に錨のデザインですよ。   20数年前に当時チョット厄介になっていて中学校の校長よりもらった海軍士官の制服のボタンです。  14期飛行予備学生で、鹿屋基地で2度目の特攻出撃待機中に終戦、搭乗員は戦犯になると言われ全て処分したそうですが、ボタンだけは記念に持って帰ったそうです。   しかし30数年後パイロットになりたいと言う幼稚園の孫に、お爺さんは昔パイロットだったと出撃前に撮った集合写真を見せたら「どこにいるのこれ誰」(かつての海の荒鷲もその時は白頭鷲and禿鷲)それではと海軍士官服姿の写真を見せたら「お爺さんは郵便屋さんだったの」言われ、持っているのがばからしくなり捨てる気にもなれずに私にくれた物です。   粗悪な素材で造られ、今の学生ボタンと比べても異常に軽いですが、輝きだけは失って無いように見えます。   既に持っておられるか、価値の無い物かもしれませんが、私が持っているより安中さんが持っていた方がボタンも喜ぶと思いますので贈らせてていただきます。  粗悪素材で造られ軽くとも、いつまでも輝きを忘れない、そんな人間になりたいですね。
あんちゅうの返信メール  メール、ありがとうございます。  また、貴重なものを送っていただき誠にありがとうございます。   我々がつけていたボタンのデザインと違うのか違わないのか?現在の生徒がつけているボタンとは違うのか違わないのか?江田島青年の眼力を借りなくてはなりません。   生徒を卒業して半年、昨年亡くなった親父との約束で新潟に戻りました。  まだ、いたかったのですが家の事情を考えると戻らざるをえませんでした。  つらくて、辛くて何日か涙を流しましたが、気持を切り替える為に身の回の海自関係の物を処分、整理し、ダブルの制服は同期の佐々木鉄男に着てもらい一切の物を封印しました。  帽子は、どうしたのか?思い出せませんが・・・   こんな歴史のあるボタンを頂いて、一体どうしたらいいのかわかりませんが縁あって加藤さんに渡り、縁あって今、私の手元あることを思うと何も残っていない私にとってはこの上ないボタンとなります。  ありがとうございます。  じっと見ていると記念に持ってこられた校長の想いが浮き出てくるようで静物なのですが生物に感じられてしまいます。    ・・大切にします。



2004年6月7日(月)   17期 上田三佐夫より
件名 : Re: 17Th Home 6月のご挨拶
お疲れさんです。  最近ご無沙汰して申し訳ない!   梅雨に入りこちらもはっきりしない天気が続いておりますが、スッキリするような楽しい話題を見つけてまた便りしますのでよろしく。   中年太りで困っているuemisaより
あんちゅうの返信メール  江田島中年便り04−02−03   楽しいメール、お待ちしております。



2004年6月7日(月)   17期 藤原和郎より
件名 : Re:(2/2)17Th Home 6月のご挨拶
久しぶりです。  梅雨入りでじめじめ、ムシムシ嫌ですね。   私の方も人生の梅雨入りです。  5月末で会社が業績不振で廃業になり、只今失業中です。  まあお米も梅雨で雨が降ってこそ育って行くもので、人生もたまには雨も必要でしょう。  焦らずやって行きます。(わりとのんびりしています)   家にPCが無いので当分の間HP見れませんが何かあれば知らせて下さい。   呉の同期も飲み会など有るときは失業中という事など気にせず連絡下さい。  行ける時は喜んで参加しますから。  ヨロシク。
あんちゅうの返信メール  それなりに元気そうで・・    会社が廃業ときてはどうしようもありませんね。  あんちゅうも廃業した一人なんでありますが・・・   突っ走ってきたこれまでを振り返り、これからの人生をじっくり見極める事も大切かと。  江田島に渡ってみたらいかがです?



2004年6月7日(月)   17Th Home管理人 あんちゅうより
件名 : 17Th Home 6月のご挨拶
本日、越後の国も「梅雨に入ったと思われる。」とのニュースがありましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。  いつもは17Th Homeをご覧いただきありがとうございます。   誠に失礼ながら、17Th Home5月の挨拶欠礼及び、更新がままならない事、お詫び申し上げます。   「言い訳をするな」「ごまかすな」「泣き言を言うな」「他人のせいにするな」「行動に責任をとれ」「けじめをつけろ」「何事も一生懸命やれ」「自発的にやれ」「挙措容儀は常に端正であれ」・・・ ・・・反省の日々であります。   反省してばっかりでは前に進めませんのでここは一つ、気持を入れ替えて50000カウント目指し、梅雨を乗り切るべく気合を入れます。   ハッスル! ハッスル!!



2004年6月7日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−44−150(高校総体結果)
第57回高校総体広島県予選が、6月5日(土)・6日(日)の両日開催されました。   各クラブ練習の成果を十分発揮したことと思いますが、結果は次の通りです。  空手部:団体1回戦2−2ー1分け山陽高校2回戦進出 2回戦2−3安芸府中高校負け  剣道部:団体リーグ戦1−1銀河学園負け4−1広島大付属勝ち個人戦 1・2回戦負け  柔道部:団体戦リーグ戦3−1呉工業勝ち3−1誠之館勝ち決勝トーナメント進出決勝トーナメント1回戦0−3国際学園負け  ハンドボール部1回戦29−7呉昭和勝ち2回戦15−24広高校負け  ラグビー部(Αグループ)1回戦0−36尾道高校3位決定戦0−40広島工業  野球部(総体と別)準決勝6−1グリーンズ勝ち決勝1−2江田島ボンバーズ負け第2位になり南部大会進出   ご苦労様。   1・2年生は、来年を目指して今から頑張ってくれることを期待しています。



2004年6月7日(月)   伊達髭修様
件名 : ご無沙汰です
あんちゅう殿 ご無沙汰です。   ここ、伊達家方面も、梅雨に入りました。  日中はなんとか、もったのですが、夕方にはしとしとと降り出しました。  畑の作物にとっては一番の潤いでしょう。  水田のささにしきや、ひとめぼれは、ますます青くなり順調です。  秋の恵みが楽しみです。   昨日家の回りの草刈で腰はヘロヘロ状態です。  パワーダウンです。  本日は焼酎水割り2杯で終了!  明日、雨でも青空公務員、合羽を着て、ウェイトコントロールに励みまーす。   殿も調崩さぬようしっかりきばってや!  ほんじゃ、また   越後の姫殿にも宜しく!
あんちゅうの返信メール  こちら越後の国でも梅雨に入り、今日は一日中シトシト・・シトシト・・・   日曜日は3週間ぶりに裏の庭の芝を刈り、いーっぱい花目のついたつるバラのアブラムシ予防、土手の草刈にあんちゅう家の米倉、天水田の畦の草刈、近所の人と、信州塩尻の桔梗ヶ原ワイン(赤)の一升瓶を二人で空け、宮崎県都城市の焼酎、霧島黒20度をお湯割で2ハイ、家に帰ってきてから普段どおりの晩酌を一杯、 あとは押して知るべし・・・・   ウェイトコントロールなど、程遠い一日でしたが、すこぶる好調!!  身体を動かし、プライベートで呑む酒があんちゅう、元気の源であります。