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4月19日より約1ヶ月、福島県郡山市に赴任の為、17Th Homeの更新を中断いたします。
17Th Home掲示板への書き込みをお願い致します。

2004年4月30日(金)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−34−140(艦隊集合)
アンちゅうGWの出張ご苦労様です。   掲載が遅くなりましたが、4月14日から21日にかけ平成16年度の艦隊集合が呉で実施されました。   陸に上がって1年半も経つと江田島青年にとっては死語になりつつありますが、護衛艦隊で活躍している同期も少なくなり寂しく感じられます。   今回護衛艦隊で老体にむち打って頑張っている6人の内5人が呉に集結しました。  横須賀から野口、佐世保から佐藤と池田、舞鶴から伊藤理そして呉から大石(あと一名は松原です。)です。  特別参加として護衛艦隊集合には必ず現れるという、艦艇を降りても未だに艦艇の指導に活躍している氏野が舞鶴からやって参りました。  20日には鹿野も来てくれました。   しかし、この期間中当直が2回(15日と試合の関係で交代し日曜当直)あり土曜日は試合、20日は弥山登山と少々忙しくろくな接待も出来ずみんなには申し訳なく思っております。  鹿野には会えませんでしたが、17日(土)に佐藤(18日出航)、野口、池田、19日(月)には野口、伊藤理、池田、大石、樺島、中谷と一献かわしました。  皆元気で頑張っておりました。   艦では偉そうに威張っているのでしょうが、同期が集うと昔と同じように馬鹿なことを言いあう飾らない姿を見ると、同期って目に見えない糸で繋がっており本当いいものだとつくづく感心している、29日で49歳を迎えた江田島青年でした。



2004年4月30日(金)   爽快仙人より
件名 : 爽快仙人便り001−H16
平成16年のゴールデンウィークを迎え、17期諸兄は、それぞれ置かれた環境の下で充実した日々をお迎えのことと思います。   5月1日は海上自衛隊生徒50周年の行事が呉で執り行われ、これに参加される諸兄もいることでしょう。  高橋君が同窓会会長として、また、呉の同期他諸兄が盛会にすべく準備に奔走していることに心からの敬意を表します。   50周年記念行事が成功裡に運ぶことを祈念致しまして、高橋君へ送付したお祝いのメッセージと、東京の桜とさくらんぼを送るとともに、諸兄のますますのご壮健、ご活躍を衷心よりお祈りし、久しぶりの便りと致します。    さくらんぼを眺めるだけでの念食の術に挑戦している爽快仙人より

海上自衛隊生徒50周年記念に当たり、万感の思いを込め、心からお祝い申し上げます。
縁あって多くの生徒、あるいは生徒出身者と、艦艇乗組員として、生徒分隊長として、第1術科学校長としてなど、勤務を共にし、極めて充実した海上自衛官勤務をさせて頂きましたことを、改めて衷心より御礼申し上げます。   歳若くして親元を離れ、健気に生徒生活を送る姿に涙すること多々あり、また、大成した生徒の逞しさに感涙することあり、生徒との勤務は、今にもはみ出しそうな闘志に心配することもありましたが、総じて感激の連続でありました。   私自身、若年幹部として修養中、先輩生徒の活躍される姿を見て、教えられましたことが数多くあり、正に背中を見て育ったと言えます。  生徒出身者の発揮された生徒魂は、先輩から後輩へ連綿として受け継がれ、海上自衛隊の大きな一つの核として、その精強性を支えられました。  ここに改めて心底より敬意を表します。  また、志半ばにして、不幸にも殉職、あるいは、亡くなられました生徒諸兄のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。   今正に変革の時代を迎えております。  海上自衛隊、いや、日本が誇れる生徒諸兄が、今後とも生徒魂を発揮され、存分のご健闘、ご活躍をされますよう祈念申し上げ、重ねて海上自衛隊生徒50周年をお祝い申し上げます。   平成16年5月1日   元生徒17、18、19期分隊長  元第1術科学校長副校長、校長   平 井 良 彦    海上自衛隊生徒、生徒出身者 各位殿  (海上自衛隊生徒同窓会会長気付)
あんちゅうの返信メール  久しぶりの爽快仙人便りありがとうございます。  仙人仰せのとおり、「それぞれ置かれた環境の下で充実した日々」を送っておりますが、充実しすぎて 1900帰宅、食事、仙人のメールをHPに更新、2000 福島県郡山市に出発です。  到着は2230頃の予定です。  傳左衛門家に戻るのは5月2日。   したがいまして充分な返信も出来ずに申し訳ありません。



2004年4月28日(水)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−33−139(生徒GW出発
冬休暇から指折り数えていたGWがやって参りました。   いつもなら休暇出発前分隊教官の大声が響き渡るところですが、本日は静粛の中出発していきました。  要領が良くなってきたのでしょうか。   尚、1年生50期は明朝出発します。  着校以来約1ヶ月我が息子がどのように変わったかご家族の方におかれましては楽しみではないでしょうか。   さて、江田島青年は5月1日の「生徒50周年記念行事」及び5月2日の「ラグビーOB対抗戦」と行事が目白押しでまだまだ気が抜けません。



2004年4月25日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−32−138(ラグビー試合結果
今月から始まった広島地区リーグ戦がGWを前に4試合終了しました。   初戦崇徳高校に勝ちこのまま勢いに乗って勝ち進んでくれかと思いきや練習不足のせいか3連敗してしまいました。  17日(土)の対美鈴が丘高校は、後半逆転されてしまいました。  西高校14(14−5)19美鈴が丘高校   24日(土)の広島工業高校は、新人戦では健闘したのですが、いいところなく完敗してしまいました。 西高校0(0−43)83広島工業高校   25日(日)の安芸南高校は、前日の情けない試合ぶりを吹っ飛ばすが如く頑張ってくれましたが、またもや後半逆転されてしまいました。 西高校14(14−5)24安芸南高校  GWが終わるとやっとまともな練習が出来そうです。   第50期生徒の入部希望者は10名と目標より少ないのですが、昨年と違い少数精鋭です。  1・2・3年生総員で30名となりますが、本当の意味で少数精鋭です。  秋が楽しみですがコーチの責任重大だと気を引き締めております。



2004年4月24日(土)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−30−137(50期生徒初月例パレード)
22日(木)朝課業整列時、50期入校後最初の月例パレードに参加しました。   今回は執銃しないで入校式から約2週間の訓練の成果を見せる絶好の機会でしたが、緊張しているせいか足と手が揃って出る者、音楽を聴かずマイペースで歩く者等色々で、本人は一生懸命歩いているつもりなのでしょうが、思わず笑みが出てしまいました。   一生懸命歩いているのですが揃わない足、そして真剣な眼差しなのですが焦点が定まらず、皆の揃わない目線を特と御覧あれ。



2004年4月24日(土)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−29−136(50周年記念人文字)
20日(火)に弥山登山競技終了後第1グランドにおいて、弥山登山で疲れている生徒及び職員一同で「生徒創設50周年」を記念して人文字による記念写真を撮影しました。  本来なら航空写真がGOODなのですが、同窓会「江田島」会長(江田島青年)の急な思いつきによりまして手配が出来ませんでしたので、新学生館の屋上から撮影しました。   計画・設計が江田島青年ですので今回はこれでご勘弁を。  「生徒のシンボルマーク」と「50」です。  見えますか?



2004年4月22日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−29−135(H16弥山登山競技)
20日(火)夏を思わせるような快晴の中、日本三景の一つである安芸の宮島でH16前期弥山登山競技が行われました。  生徒部の結果は次の通りです。   団体戦 優勝:47期水測(見事三連覇達成)22分29秒  2位:48期水測 22分54秒  3位:48期通信 22分55秒    個人戦 1位:外山寛明(ラグビースタンドオフ)19分19秒  2位:屋島 諒 (ラグビースクラムハーフ)19分25秒  3位:金野 喬(持久走第2位)19分34秒  以上でしたが、全般的に気温が上がったせいか昨年より記録が悪かったようです。   江田島青年も当然今回は約30年ぶりに挑戦しました。  結果は、最近の運動不足のせいもあってか周りの景色を見る余裕もなく惨敗でした。  余裕を扱いて桟橋から登山口まで走って(約2q)行ったのは良かったのですが、スタート地点を探すのに迷ってしまい、いつの間にか登山道に出てしまったようで、そこから約100M登ると歩き始め、頂上に着いたときは満足感より苦しさを先に味わってしまい、少し年を感じるようになった情けない江田島青年でした。



2004年4月19日(月)   17期 前畑啓二より
件名 : さわゆき体験航海
4月18日(日)横須賀市長浦港において護衛艦『さわゆき』の体験航海が実施されました。  横浜在住の今田俊介親子が乗艦しニコラス・ケイジとCPOで写真に収まりました。



2004年4月18日(日)   17期 上田三佐夫より
件名 : 音戸のツツジ
ぽかぽか陽気に誘われて音戸に行ってきました。



2004年4月16日(金)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−28−134(第50期生徒銃貸与式)
遅れましたが、17期HPの表紙に我がラグビー部の活躍場面の掲載ありがとう。  そして今回の故沢本、故黒木そしてアンちゅうのスリーショットよくぞあったもの感心しております。  これまでHPに掲載される写真等を見ていると、アンちゅうのお腹はただ出ているだけでなく、「ドラエモン」もどきのお腹ではないかと感服しております。    などと馬鹿な事を言っている内に、50期が着校して早やいもので2週間が経ちました。  本日は、江田島生活2週間で凛々しくなった50期生徒の銃貸与式の模様を掲載します。  映画、漫画等で見たり聞いたりしか知識がなかった者(?)が初めて銃を目の前にした時の、物珍しさ、不安等が入り交じり緊張した顔を特と御覧あれ。



2004年4月13日(火)   17期 安中 均より
件名 : 情報提供のお願い
聡明なる同期諸兄、ご機嫌いかがでしょうか。    「件名 : 情報提供のお願い」 ですが、津田千里と沢本秀樹の命日、遺族の住所、黒田清隆の住所をご存知の方はあんちゅうまでお知らせください。  宜しくお願い致します。



2004年4月11日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−26−132(ラグビー情報)
本日(11日)からラグビー広島地区リーグ戦が始まりました。  これは広島市を中心とした高校で実施するもので、安芸南、広島工業、崇徳、美鈴が丘、宮島工業そして西校(生徒部)の6校で実施します。   初戦は、新人戦では(34−17)で勝った崇徳高校が相手で、今日負ければ新人戦で勝ったのがフロックだと言われないよう気合いを入れて、生徒が頑張ってくれ33(19−0)24で何とか勝利を納めてくれました。  しかし、後半立ち上がり10分間は集中しろと指示したにもかかわらず3連続トライを奪われ同点にされてしまいました。  ここら辺が今後の課題のようです。  最後は勝つには勝ちましたが、県工、安芸南そして尾道には勝てません。  リーグ戦を通して1戦1戦逞しくなって行ってくれることを信じています。   今回、20日の弥山登山競技の事前訓練あるいは補習のため1日30分それも2・3年生が揃って練習する機会がない中、よく頑張ってくれたと思います。   ここで「青年の主張」ではな「青年の愚痴」を一つ。   新2年生(49期)の退部率が高く18名入部しましたが、10名転部し現在8名となってしまいました。  (ちなみに17期は、30名入部し2年の時は半分の15名だったと思います。)  その中には有望な生徒も居たのですが、青年の説得が悪いのか魅力がないのか引き留められませんでした。  (現在員20名その内2名は怪我等のため当分出れそうにありません。)    又、追い打ちをかけるように50期は54名と少なくおまけにクラブが8部から9部に増え人員確保が難しくなってきました。  せめて15名は確保したいと考えております。



2004年4月11日(日)   柏の不良息子より
件名 : RE: 17Th Home 4月のご挨拶
季節のご挨拶ありがとうございます。   今年は関東地方の桜は3月18日に開花宣言がなされ、その後気温の低下により3週間近く咲き続けておりました。  お蔭様で今年も十分桜を楽しませてもらいました。   江田島でも後輩たちが桜の下での入校式、記念すべき50期の後輩たちの活躍を期待します。  しかし、皆、素直で純真そうですね。    我々の時もそうだったのかもしれませんが、当時は、谷憲や、村岡とか、明日にでも少年院におくりこまれるのかというような悪餓鬼ばかりで、とんでもないところにきてしまったな、というのが実感でした。    さて、ここ数週間、上野、千鳥が淵、隅田川と近郊の桜の名所を仕事の合間に訪れ、(実際は桜の合間に仕事)、散り逝く桜を愛でながら美酒を堪能してまいりましたが、 仕事もせず遊び呆けるぐうたら亭主に業を煮やした家人は娘ともども家を出て、今週末は独り寂しく単身生活を強いられております。  反省の意味を込め、これから、昼風呂にはいり、斎戒沐浴し、今朝、届いた、初鰹を肴に、新潟の地酒を独酌、小説本にでも没頭し、寂しさを紛らわそうかと考えております。  身から出た錆びとはいえ、本当に寂しい週末です。   14期 不良息子
あんちゅうの返信メール  先輩の素晴らしい週末に カンパーイ!!
14期生 谷憲先輩からのメール  件名 : 14期不良息子へ   コラー! コラー!! 少年院送りとは何事だ! 学習院の間違いだろう?  よりにもよって、14期でも1番目と2番目に可愛い2人を捕まえて悪がきとは、何たることだ全く!  知らない人が見たら本当にするじゃないか。 お詫びして、訂正しろ。  なっ!村岡。    冗談はこれくらいにして。  綺麗だった櫻も散ってしまった。  それだから櫻はいいと昔から言われているんだろうがな。  もっと観ていたかった。   新潟方面はこれからなのかな?櫻の花見は?   今年は寒くて花見ができなかったので新潟方面に行こうかな。  どうする?下條よ。   「14期のおぼっちゃま?」
柏の不良息子からのメール  件名 : 谷憲に返信   谷憲、当時の写真、どう見回しても可愛らしいという表現は思い浮かばないが、とりあえず、可愛いおぼちゃま、紅顔の美少年に訂正(現在は厚顔の中年おじん)。   さて花見の件、女房たちが、週末、信州に行ってきたが素晴らしい桜だったそうだ。  これから北陸、東北は盛りを迎えるようだ。   そこで不良中年 花見ツアーを企画しよう。  集合場所は新潟の 長福寺傳左衛門家、素直な後輩を運転手に車の旅、一路、北上、東北路、我々は後部座席で桜を眺めながら新潟の地酒を堪能、運転手はウーロン茶。  我慢しろよ。   目的地は福島 三春の滝桜、宿泊は飯坂温泉、同期の山野を交えて、大宴会、二日目は、仙台まで足を伸ばし青葉城で伊達髭殿、姫をお呼びし春高楼の花の宴、、松島湾の牡蠣はぼちぼち終わりそうだが、牛タンで旨い酒が呑めるぞ。   3日目は全員で秋田の角舘、武家屋敷に散る桜を眺めた後、泊まりは大曲の東旅館、囲炉裏端で、しょっつる鍋を囲み、きりたんぽを焼きながら、熱燗をぐっぐっと。 草g、  歓迎 不良中年御一行様と東旅館の入り口に幟をたてておけよ。    谷憲、どうだ、いい企画だろう、是非 実現しよう。   柏  おぼっちゃま
14期生 谷憲先輩からのメール  件名 : 柏 おぼっちゃまへ(花見ツアーへの参加表明)   早速の訂正ありがとうございます。  みんなが「そうだそうだ!」と言っておったぞ。  ある同期は、「お前を初めて見た時は、何と高貴な賢そうな顔をした少年だろう。」と思ったもんだと言っていたぞ。    それはそうと、雪下ろしツアーに続く、花見の宴、堪えられませんな。   雪見ツアーは、働き過ぎて腰を痛めてしまったので、花見の宴では楽させてもらうよ。  後輩の運転手には、佐世保での実習の時、酒は呑むなと教育したはずだからウーロン茶で十分のはずだ。   恥ずかしながら未だに「きりたんぽ」というものを食したことがないんだよ。  元ミス長崎の我が愛妻も食べに行きたいと申しているが同行しても構わんかな?   俺もチョッと体調がよくないんだが、命懸けで参加するよ。    山野とか草gとか同期の桜が日本中にいるということは素晴らしいことだな。  地理的関係がよく解らんのだが、宮城県は遠いのかな?  そこには是非ともお会いしたい本郷のおやじさんが住んでおられるのだが・・・   おっと、また調子に乗りすぎたら怒られるな。   14期のおぼっちゃま?
秋海様からのメール  件名 : 柏の不良息子にあいのりメール   良い気分の先輩を3日間後部座席に乗せて運転して来る安中さん、南部藩から佐竹藩に入ったらご安心を、不肖秋海が運転を変りまする。   助手席で秋田の純米酒を存分にご所望あれ、もしかして下條殿は酒・キリタンポ・しょっつるより一番の目的は秋田美人でごるのでは?  川反のネオンはおまかせを。    大曲に着いたら、大曲は全国花火大会の会場すぐに予約を。  秋田でドンチャンサワギをして二日酔いになっても大丈夫、帰りは日本海を右手に見て走れば長福寺傳左衛門家のある尊藩までは一本道、温海温泉あたりで引っかかったり、笹川流れで日本海に浸からないかぎり本日中に無事ご到着。
伊達髭修様からのメール  件名 : 柏の孝行息子殿   正確には仙台城と言い、関が原の合戦ののち、伊達政宗によって築かれました。  現在は隅櫓と石垣が残されているだけですが、仙台城本丸跡に伊達政宗公の騎馬像が仙台市街を眺めるように建っています。  そこで待つことにしましょう。   御一行様と合流したら一路 天橋立、安芸の宮島、と並んで日本三景として名高い松島へと案内します。  江戸八百八町、大阪八百八橋、同じように松島八百八島といわれ 無数の島々を目にする事が出来ます。   「松島や ああ松島や 松島や」は 松尾芭蕉が松島に立ち寄った時に詠んだ歌ですが、あまりにも素晴らしい景観に言葉を失ったというエピソードは有名です。   そして伊達家の菩提寺 「瑞巌寺」・・・  広大な境内で政宗公や愛姫の木像が収められてます。  瑞巌寺周辺は海産物を串に刺して焼いている店や 仙台名物 牛タンや笹蒲鉾を焼き立てで食べられる店もたくさんあり 「この匂いと浦霞があれば・・・・」なんて神様達はヨダレをたら・・・・(ゴホン)失礼しました。   松島を十分堪能していただいたら車は東北自動車道を北上し角館へ・・・  その前に秘湯で有名な田沢湖温泉郷の「鶴の湯」へ  ”よっこ寄り”して二日間の垢をおろしませんか?  この温泉は神様達にお勧めです。  大きい声では言えませんが・・・こ・ん・よ・く・・・です。  ここで裸の付き合いをして大曲へ向かうというのはいかがかな?   谷憲殿 柏の不良・・・失礼孝行息子殿   伊達髭修
あんちゅうの返信メール  ウーロン茶での運転はお任せください。   ・・が、 実習中、「酒は飲むな!」と教育を受けたあんちゅう、  ・・「酒は呑め!飲め!!」と教えてくれたが、ウーロン茶で我慢しろと言う柏の神様・・・   いったい、あんちゅうはどうすればいいのか??   悩めるあんちゅうを救ってくれたのは神様ではなく、秋海様でした。  かんしゃ、感謝。  助手席でいい気分になり髭修殿お勧めの「鶴の湯」へ入りましょうか。  ミス長崎との混浴か?・・・ クッウーっ!   その後は川又の秋田美人ですか?   たまらん!!!   長福寺傳左衛門家へ 全員集合!!
伊達髭修様からの追伸メール  件名 : 宮城県は遠いのかな?にお答えして・・・・   谷憲殿 遠くはありませんよ、飛行機で2時間 車で20時間 人生80年いや17Th Homeの仲間は人生100年として、それに比べたらアッと言う間! すぐです!   ぜひ御来県を!
秋海様からのメール  件名 : 奥の細道花見ツアーのスケジュール    秋田はやっと桜が咲き始めています。  今回は神様ご一行様の添乗員をさせていただきたいと思っております。   さて3日目のスケジュールですが、まず盛岡で名物の椀子蕎麦の早食い競争をしていただき、一位の方には景品として蕎麦を進呈し、いざ奥羽山脈目指して出発。  え、お神酒が無い、神様たち失礼申し上げました。  それでは、奥羽山脈突入の前に小岩井農場で可愛い羊たちを眺めてジンギスカンで生ビールなどはいかがでしょうか。  南部との関所は仙岩峠の長いトンネルの中になりますので、不肖秋海はトンネルを出た峠の茶屋でお待ちしております。  神様ご一行が着きましたら峠の茶屋名物の味の濃いおでんでまずは地酒で乾杯し、鶴の湯目指して出発。   鶴の湯で消耗した水分の補給とモヤモヤした気分をほぐすため、世界最大の深さを誇る田沢湖にて、畔の龍子姫の銅像を眺めて田沢湖地ビールなどはいかがでしょうか。   東北の小京都角館では、武家屋敷を散策し昔NHKの朝のドラマ「雲のじゅうたん」のヒロインを思い出しながら、ワンカップ片手にみやげ物屋の食い放題のガッコ(漬物)食べるのもおつなのでは。  角館からご宿泊先の大曲市までは、車で40分でございますが、この間に造り酒屋も多くございますので見学希望の方はご案内いたします。   江田島青年もツアーに参加されるのでしら、江田島青年のご宿泊は大曲でなく、秋田市の秋海の自宅に泊まり翌日は研修視察をしてもらいます。  江田島青年と言えば高校ラクビー、高校ラクビーと言えば、花園最多出場で最多優勝している秋田工業高校、秋海の家から秋田工業高校の敷地までは5歩で行けますので、早朝練習を視察するのはいかがでしょうか。   帰りは、神様たちは大曲より秋田新幹線で天上していただき、安中さんは疲れを取るのと、潮気を補充するために、新潟までカーフェリーでお帰りいただきます。   神様たちをお迎えいたします、奥の細道の最終の地秋田のスケジュールお気にめしましたでしょうか。
柏の不良息子からのメール  件名 : 花見ツアー 参加者募集   谷憲、伊達殿、秋海様  谷憲、早速の参加表明、有難う。  もちろん奥様同伴、大歓迎だよ。  安中家の奥様もお誘いしよう。  旅の名称も不良中年改め、美女と野獣 花見ツアーに変更。  ともあれ、谷憲、体、無理するなよ。   伊達殿 素晴らしい企画,有難うございます。  仙台は二年ほど前の秋、初めてお邪魔しました。  ちょうど、お城の石垣を修復中で巨大な石を組み込む先人の知恵に感心しました。  修復が完了したそうで石垣をみるのが楽しみです。  私も秋の松島の素晴らしい景観に目を見張りましたが、春は、又、違った趣があるのでしょう。  瑞岩寺あたりで霞がたなびく島々を眺めながら笹蒲鉾を肴に地元の美酒で一杯と来ては 思わず一句 “浦霞、ああ浦霞、浦霞”   秋海様 いつも掲示板での投稿、拝見させて頂いております。  この度は佐竹藩での御先導誠に有難うございます。  今回の旅の難点、籠かきアンチュウがウーロン茶のみでどこまで我慢できるのか、危惧しておりましたが、秋海様のお陰で、秋田の銘酒を後輩にも賞味させる事が出来そうです。   秋田は美人の産地、美しいものには目のない私ですが、こと女性に関しては女房ひとすじ、(ただし人の女房も含む等と噂する、不逞の輩もおりますが)私の二の腕に認めた“女房 命”の彫り物、鶴の湯温泉でご確認ください。  常陸の名家、佐竹氏の秋田移封に始まった歴史ある尊藩の旅 楽しみにしております。   さて、この掲示板をご覧の全国の皆様、江田島、海上自衛隊生徒というキーワードを元に集まった、不良中年の我々(私のみ ?)がNetの特性を活かし、仮想の旅を楽しんでおります。  どうぞ奮ってご参加ください。
48期ハイブリッジ親父様からのメール  件名 : 花見ツアー参加者募集を見て俺も参加したい   自衛隊とは全く関係の無い私が参加してもいいですかー?   17期生「斎藤」さんと同業者です。  OKがでれば、東北の何処かの港から船に乗って、既に葉桜となっている「近畿地方」大阪の南港で下船して下さい。 (船代は?酒代は?勿論、私に連絡して下さい。ただ聞いとくだけですが。)   大阪は斎藤さんに任せて、大阪から「阪急電鉄」に乗って「三条川原町駅」で下車。  又は、「京阪電鉄」に乗って「三条京阪駅」で下車。  どちらも終着駅ですから酔いつぶれても大丈夫です。 (電車賃は?電車内の酒代は?勿論、私に連絡してください。聞いとくだけですが。)    「阪急」でも「京阪」でも降りたら目の前は、『祇園』です。  『祇園』と言えば、『舞妓』。舞妓・舞妓ですぞうーー。  「舞妓」をあげて、「円山公園」の葉桜を見ながら、その後の事とはとても私の口からは・・・・・・・。   一応私、京都の○○官ですから。  もう、始末書は書きたくないので。
14Th インディジョーンズ様からのメール  件名 : 暖かすぎるゾぉ〜   皆さんお元気そうで何よりです。    自分も仙台大好きの一人であります。  何せ仙台には世界にも類を見ない富沢遺跡を基にした「地底の森ミュージアム」があるのです。  二万三千年の昔、後期旧石器時代の我等の先祖たちが生きた証がみれます。  そして、青葉城から眺める太平洋等など、出張で仙台市営地下鉄へ出向く度に仕事は十分の一にして残りは趣味へ廻すのが常であります。   夜は遠くへ行かずとも市内にその、店数東北一番の大飲食店街が手ぐすねひいてまってます。  先ず海産物の新鮮でかつ、うまいこと。  秋海様、これを柏の不届者及び、佐世保の谷憲に教えるのはサルに何を教えるのと同じこと、ヒジョーに危険です!  同期として心配しております。  それに新潟のアンチュウ氏が加わる事を思うと・・・  なんと恐ろしい。    ところで昨夜(18日、1900i)長野県下伊那在住の15期、原生徒から福島で14期山野と飲んでる最中の旨TELがありました。  絶好調の様子でした。  この時間からオダがあがっておるとはさすが生徒出身者、酒は明るいうちから飲め!の教えをしっかり遵守しとりました。   −追−  仙台は伊達髭修様の範疇、余計なカキコでした。  でもいいところです。  牛タン、ズンダもち、酒は銘柄選ばずで・・・・・。
14期生 谷憲先輩からのメール  件名 : ワッハッハッ!!   いやー!楽しかねー!  ほんと!  安中よ、もしもこれが本当になったら・・・「14期の1人」
柏の不良息子からのメール  件名 : 予定変更のお知らせ   伊達殿、秋海様のお陰で美女と野獣、春のみちのくの旅、段段と佳境に入ってまいりました。   福島の飯坂温泉で、既に15期と出来あがっている山野達を拉致し、仙台入り、伊達髭殿、姫君の暖かいもてなしと村さんお勧めの仙台の夜を満喫した一行、谷憲,アンチュウ、伊達殿と各奥方、山野に、原生徒、そして不肖,柏の不良息子、南部藩を後にし、いよいよ佐竹藩入り、お出迎えの秋海御夫妻の横にはなんと江田島青年。   峠のおでんに秋田の地酒でのおもてなしに、はじめてお会いする秋海御夫妻とも、まるで江田島同期の親密さ。  角舘の落ちついた佇まいを満喫する女性陣のはるか後方、いぶしがっこの漬物にワンカップのピッチがあがる男性陣。  谷憲、不良息子にいたっては沈没寸前、アンチュウと江田島青年に支えられ、酔眼朦朧の大曲入り。   東旅館での、草gを交え、大宴会、翌朝、完全ダウンの我々を尻目に江田島青年、秋海様、なんとラグビーの朝練。  昼頃、戻った二人を交え、皆で別れの宴、お互い別れ難く、杯を重ねるうち、関西のハイブリッジ親父殿より京都の祇園でお待ちするとのお誘い、渡りに舟とばかり、秋海御夫妻、草g御夫妻を加えた一行、14名、空路 関西へ。   秋田空港からチャーター便、Pilotは何と村さん。  パラグライダーもジェット機も基本的には同じとのこと、村さん、しっかり頼むよ。   さて美女と野獣御一行。ハイブリッジ親父殿の待つ大阪空港へ。   無事につくといいのですが ?
秋海様からのメール  件名 : 京都までのスケジュール   ハイブリッジ親父様より上洛のご下命が下りました。  が、旅費もすでに心細くなりました一行は、江戸時代の北前船のコースを通り京へ上ることとしました。  北前船を思い出しての船の旅、最初の寄港地新潟で新潟銀行のカードがある人がキャッシングし旅費を確保、敦賀に上陸したらひたすら鯖街道を走破し琵琶湖を目指します。   ハイブリッジ親父様の住む琵琶湖の湖畔滋賀県に着いていざ上洛のところだが、不浄の体を清めるため、京の鬼門比叡山延暦寺登り男性のみ修行道場「居士林」にて一泊二日の修行、座禅・写経・精進料理にありがたいお話を聞き心を清めるます。  もちろん禁酒禁煙です。  女性軍は延暦寺会館にて豪華精進料理です。  バスや電車で行くと売店に走りせっかく清めた体を汚す可能性が十分にありますので、京へ行くコースは、売店もコンビニも無い昔弁慶が京へ夜な夜な通った山道を通って行きます。  途中病院で検査、二日間の修行できっとγGPT・脂質・血糖値は最近にないほど下がっているのを確認したら、いざハイブリッジ親父様が待つ京の都へ入城です。   京都へ着いたら秋海は、京都で一番好きな食べ物、出町ふたばの豆大福を腹一杯食べたい。
伊達髭修様からのメール  件名 : 感激です!!   そうですか 柏不良?息子殿も村殿も すでに仙台の地を踏まれていたのですね。  村殿、仙台市内に詳しいですね、嬉しい限りです。   感激ついでに・・・・京都まで行ったら、舞鶴、天橋立方面へ連れて行っていただきたく ハイブリッジ親父殿 どうぞ宜しくお願いします。  何処までもついて行きます!
ハイブリッジ親父様からのメール  件名 : 待っています。   陸路と空路に分かれて入洛楽しみに待っています。   空路の不良中年グループにあっては、関空からJRの《はるか》に乗っていただき終着の「京都駅」で嫌でも下車。  エスカレーターでコンコースへと、そして右方向へ、どんつき右の階段を降りれば観光バスの駐車場です。  そこで、初めは「マイクロバス」をチャーターしていたのですが、「伏見の酒」数十本、ビールは、「乙訓郡」の「サントリービール工場」で生ダル数十本買い込んだら積みきれなくなったので「大型バス・サロンバス」に変えました。  「大型バス、誰が運転するの?」 任せなさい。  元機動隊車両班の私にお任せあれ、バスは、もう二十数年運転していませんが多分大丈夫(直進・バック無しの条件付かもしれませんが、ま、硬いことは抜きにして)と思います。  バス代・酒代は、お任せあれ、既に「清水の舞台から飛び降りていますから。」  怪我は、「大丈夫です。二十数年前、選抜で陸上自衛隊でのレンジャー訓練受けてますから。  背中から股にかけてロープを掛け飛び降りたら途中宙ぶらりんになりそれを見た住職から『下手くそ云々』と物凄く怒られましたが。」   とりあえず元「ミス・ユニ○○ス」の妻と待っています。  ひょっとして「ミス・ユニバース」と聞き違えしてません。  「ユニットバス」を販売をしていた「元ミス・ユニットバス」ですよ。   秋海さん、比叡山の「根本中堂」で待っていてください。  必ず「不良中年」を載せ、「出町ふたばの豆大福」一杯積んで迎えに行きます。
柏の不良息子からのメール  件名 : 予定、また変更   ハイブリッジ親父様、早速のお出迎えありがとうございます。  秋海様のご提案で海路をとり上洛と考えておりました。  村さんの操縦では……、と幹事の私も躊躇しておりました。  そして、日本海の船旅、比叡山での禁酒禁煙、γGPT・高脂血症・血糖値と成人病が気になる不良中年としては秋海様の暖かいお心遣い身にしみます。   ところがハイブリッジ親父様の伝言を拝見いたし、伏見の銘酒にできたてのサントリービール、旨いんだなーこれが !、  そしてなにより嬉しいのは美人の奥様のサロンバスでのお出迎えに、心は既に京都の地。  一刻も早く、馳せ参じハイブリッジ親父様御夫妻のご尊顔を拝見せねばと再度、空路に決めました。  何名、空路を取るのか未定ですが、全員 一億円の生命保険を掛け、万が一の場合には残りのメンバーでお受け取りいただき、旅の費用としてください。  なお、海路をとられる一行は比叡山より弁慶入道が通った路を走破とのこと、それなら我らが牛若丸、江田島青年を護衛のため、同行させましょう。    先に上洛を果たす、我ら不良中年先遣隊、ハイブリッジ親父様御夫妻の御好意に甘え、京都の美酒を丸山公園あたりで愛でながら、本隊の到着をお待ちしております。   ハイブリッジ親父様。  甘えついでに天の橋立、舞鶴方面への散策、お願いしても宜しいでしょうか ? 
秋海様からのメール  件名 : 京の泡般若湯水楽しみにしています   ハイブリッジ親父様、一足先に着く空路班のご接待宜しくお願い申し上げます。   三鳥の泡般若水や伏見の般若湯をいただく前に、私は身の潔白を示すため借金の返済に行かなくてはなりません。  昨年、豆大福5パック30個を買ったのに、出羽の国に帰って見たらあらビックリ36個に増えておりました。  京都府警に豆大福の盗難届が出ていたら、それは盗まれたのではなくお店が間違えたのてす。  お金を払いに行く時は京都府警のハイブリッジ親父様征服姿でご同行お願いします。   さて、借金も返済し美味しい泡般若水もご馳走になり、もっと皆様と京の都を堪能いたしたいところですが、そろそろ有給休暇も残り少なくなってきましたので、お名残おしいですが秋海は今夜の寝台特急「日本海」で出羽の国に帰ります。  次回の旅は、国内空路一便12500円で乗れるバースデー特割(4名まで同行可)を利用し、沖縄か北海道などいかがでしょうか。  日程は神様のお誕生日の前後一週間とします。
ハイブリッジ親父様からのメール  件名 : さー出発   京都駅の八条口で、空路で入洛した不良中年と合流。  バスで陸路で入洛を果たそうとする「秋海」様御一行を比叡山まで迎えに行く。  「おーい、このバスえらく煙吐くなー」と苦情。  「予算の都合で木炭車に変更しました」  「誰が罐炊くの?」  「祇園のオカマクラブでオカマ2名拉致しましたから大丈夫です」  「カマ違いとちがう」。   木炭車では、比叡山を登れない為一行は、比叡山登山ケーブルで山頂を目指す。  「根本中堂」に行くも既に「秋海」御一行は、既に、その昔弁慶が夜な夜な走破した山道で下山したあと。 (何やら借金が有るらしい)   仕方なく「根本中堂」近くの精進料理屋で昼食。  京都市内散策後「清水寺」で京都市内の夜景を満喫。  「千年坂」から「円山公園」を目指す。 (千年坂〜円山公園のコース一番京都情緒が有ると思います)   既に「円山公園」では陸路組みが舞妓をあげて宴会中、それを見たオカマが魅惑の魔女に変身。   翌日、二日酔いの頭を抱えて「舞鶴市」「天橋立」のある「宮津市」と目指す。  「舞鶴」と言えば、「東郷平八郎」閣下。  「東郷閣下」と言えば、「肉じゃが」  舞鶴と呉が肉じゃがの元祖と競っているようですが。 (私としては、どうでもいいこと)  「舞鶴」には、海上自衛隊があります。  皆様方の先輩・同期・後輩が居ると思いますので昔の華を咲かせていただき、三日酔いの頭を抱えて「天橋立」の有る「宮津市」、  「天橋立」に行っても何もありません。  ただ「江田島」の松に負けじと劣らずの松林、そこで昔を思い出していただき「ほうき」を持っていただきます。  「何するの」  「甲板掃除」  以上。   その後は、歩いて展望台へと登り、綺麗にした「天橋立」を汗を拭きながら満喫。  そして「兵庫県」に入り「出石そば」を賞味。  そばを肴に地酒で三日酔いをほぐす。   夜は、「城之崎温泉」で最後の夜を楽しみ皆さん轟沈。  四日酔いで京都駅に着。  楽しかった四泊五日の旅を終へ、私は明日、仕事なので皆さんを見送った後、楽しかった旅を思い出しながら寝ます。   2人の「オカマ」気に入って頂ければ連れて帰ってもいいですよ。  「要らんわい」  「私も要りません」  「じゃーどうする」  「祇園も飽いたと言ってるから、仙台の夜に離すとしょう」・・・。
柏の不良息子からのメール  件名 : お疲れ様でした。   ハイブリッジ親父様、京都のご案内有難うございました。  危惧しておりました、村さんの操縦、何度か、危ない場面もあり、息も絶え絶えの状態で、ようやく関空にたどり着きました。  極度の緊張を強いられた不良中年一行 ミスユ…スの奥様の素敵な笑顔にやっとリラックス。  木炭バス、罐焚きの祇園のオカマ達、大丈夫かしらと危惧の声に、“カマヘン、カマヘン”。   陸路の秋海様達の一行とも無事、合流、正直者の秋海様に感激した出町ふたばの主人よりお土産の豆大福に舌鼓を打つ女性陣、その横で般若湯、泡般若にすっかり出来上がってしまった不良中年達、千年坂から円山公園で京の雅を堪能させていただきました。   翌日の舞鶴、肉じゃが、発祥の地とは初耳でした。   舞鶴の同期、後輩達とも久闊を叙することができ、天の橋立では得意の松葉掃除、きれいに出来上がった、箒目の美しさに地元観光協会よりの感謝状。  出石でのおいしい蕎麦に蕎麦好き、めん喰いの我々は大満足、城崎温泉での別れの宴、お互いに別れ難い想いを胸に、重ねる杯、尽きぬ話に夜は更けていきました....   このたびは、皆様のおかげをもちまして、素晴らしい花見を満喫できました。  我ら、不良中年の、戯言より、発した投稿でしたが、皆様の参加により愉快な時を過ごさせていただきました。  越後の地より、始まった旅、仙台では伊達髭殿の心温まる、おもてなし、秋田では、秋海様、綿密にして、心配りが行き届いたご案内、同期、草gとも再会を果たすことが出来ました。   みちのくの春の恵みを満喫したあと、思いもかけずハイブリッジ親父様よりのお誘い、空路、海路にわかれての上洛、千年の古都の雅やかな春を軽妙洒脱なハイブリッジ親父様の案内で楽しませていただきました。  谷憲、安中生徒、伊達殿、秋海様、草g、ハイブリッジ親父様各ご夫婦、途中で拉致した同期山野、15期原生徒、江田島青年に、パイロットの村さん。  祇園のオカマさん達2名そして不肖、不良息子、総勢17名の大名旅行。  干した般若湯、数十斗、抜いた泡般若の壜、数十ダース、山海の珍味の万漢席、轟沈回数 数知れず。  愉快な旅でした。   皆様、お疲れ様でした。  解散 !!!!
秋海さんからのメール  件名 : 楽しい旅でした。   寝台特急日本海は、敦賀駅にて北陸線との電圧調整のため止まっております。   深夜の静かな港町にて今回の旅の思い出をいろいろ回想しているところですが、明日早朝4時20分に新津駅で降り、信越線に乗りかえる加茂市のご夫妻はすでに旅の疲れで高鼾です。  ハイブリジ親父様調達の木炭バスが故障したら、神様たちのお足として渡月橋あたりから人力車を一台チャータし、三人引きで乗っていただこうと思っていました。  ただ京都の人力車は、昔ロシアのニコライ皇太子が切りつけられたこともありますので、先導と露払いは京都東町奉行所のハイブリジ親父様、先棒は足に自信のある江田島青年、梶棒は力持ちの安注さん、後押しは昔虚弱体質の秋海と、警備体制も万全に縦列駐車違反の多い京の街を車道歩道と駆け巡る計画も実は立てておりました。   尚、豆大福の話は本当ですので、今年上洛して払いに行きます。  ハイブリジ親父様 その時は時間が許せば賀茂大橋でお会いしましょう、目印は出町ふたばの紙袋を2つ持った中年親父を探して下さい。  その時は○日○時とカキコしますので宜しく。   長い停車時間も過ぎ、やっと北陸線に向けて列車は動きだしました、見ず知らずの私を皆々様の温かいお気持ちにより楽しい旅に参加させていただきましたことを、深く感謝するとともに、少年のころ抱いた夢の一部が今開花したような気持ちでおります。   アー ハイブリジ親父さんと「ゼロ戦はやと」合唱するの忘れてた。



2004年4月11日(日)   17期 竹下和哉より
件名 : 久しぶりの似顔絵(23号・24号)
北陸も、すっかり春めいてきたのでは?  毎月のお便り、そして、17期HP更新の努力にはいつもながら敬服しております。   昨年末から、随分と、とどこっていた似顔絵作成ですが五十肩につづき、実は肋間神経痛もわずらってしまい長時間マウスで作業していると、ズキーンと痛みが走りホームページ・ビルダーとても、似顔絵を作れる状態ではありませんでした。  春になって、気温が上がり、徐々にですが良い方向に向かっているようなので、頑張って2名の作品を完成させましたので送ります。   楯 哲哉  空手道を極めた男、楯君です。  「気は優しくて力持ち」という言葉は彼のためにあるような。  年をとっても「うーんマンダム」です。(ちょっと古いかな)   久保勝正  17期生徒父兄会の会長、国士舘高校レスリング部出身、と言えば久保君です。  久保は2人いるけど、今はちょっぴり太ってしまった久保君です。  だけど、仕事熱心、良いお父さんって感じの久保君です。  今年は12mm?
あんちゅうの返信メール  久しぶりでした。   タケシタCollectionを覗いて見たら最終作品は2003年11月8日、遠藤章君が最後でしたネ。  17期きっての若作り、竹下画伯が五十肩・肋間神経痛とはまったく、情けなくなりますな〜。  そんな情けない中、よくぞ二人の作品を仕上げてくれました。  感謝いたします。   2004年3月8日の後輩生徒からのメールはご覧頂いたかと思いますが、その後輩生徒はタケシタCollectionの佐藤壽を見てメールをよこしてくれました。  ・・嬉しいじゃありませんか。  なんと、彼らは佐藤を ”**たまご”と称していたそうです。   その発想、素晴らしいものがありますね〜。   愛すべき後輩たちは彼らが関わり合った17期に一体、どんなあだ名をつけていたのでしょうね。   あまり無理をせず、ほどほどに作品の制作をお願い致します。



2004年4月8日(木)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−25−131(第50期生徒入校式)
生徒創設50周年の記念すべき節目に我々の仲間入りする、第50期生徒の入校式が7日(水)太陽が少し雲隠れする桜満開の江田島で部内外の来賓を迎え厳粛に行われました。   今回は、余裕があったので17期が入校した当時を薄れた記憶の中から思い起こしながらデジカメの餌食にしました。  特に宣誓する場面では5インチ砲のごとく大講堂に響いた江田生徒の声が甦りました。   また、この日を境に先輩たちの接する態度が、ガラリと変わったと感じたのは江田島青年だけでしょうか。   第50期生徒もこのギャップに負けず頑張ってくれることを祈っております。    これはほんの序曲です。
あんちゅうの返信メール  江田島青年便り、ありがとうございます。   50期生徒、入校おめでとうございます。  どうです、この青々した丸刈りの頭。  思い出しますね〜。  つい1週間前まで 「頭髪 命!」とばかりに、なでまわしていた髪の毛をバッサリ切って、彼らなりに今までの生活にケジメをつけたことでしょう。   今日から厳しい生活と訓練が次々と襲い掛かってくると思いますが、少なくとも3ヶ月は何事も深く考えずに、先輩、教官の言う事に疑問を持たず、健康を第1に考えて江田島生活の一歩を踏み出して欲しいと思います。



2004年4月7日(水)   17期 斎藤賢一 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 孫の入園式に参加して
本日年次休暇を取得し孫の入園式に参列してきました。   小さな子供たちを見ていると心が和むと共に、小さな子供たちでもそれぞれが個性と云うものを持っていることが改めて判りました。  生徒17期も個性派集団でしたね・・・・・・   孫の名前は斎藤 萌(もえ)と云い満4歳と2ヶ月です。  皆さんに近日中に写真公開しますので楽しみに。   私のDNAを沢山引き継いでいるものの、私には似ていません?・・・(似なくてよかったって・・・・・・)   それでは皆さん本日はこの辺で失礼します。
あんちゅうの返信投稿  爺、きっと萌チャンはカワイイのでしょうね。  早く写真を送ってください。  すぐに17Th Homeに掲載いたします。   萌チャン、萌チャンは爺に似てオシャベリかな?   あんちゅう家では、子供が学生時代、「何をしてもいいが、けーっして、子供だけは作るな!」と言い聞かせてきましたが、最近、「結婚などしなくてもいいから早く子供を作れ!」と言いつづけています。 ・・が、うまくいかないんだな〜これが。  爺がウラヤマシイ。



2004年4月7日(水)   江田島中年より
件名 : 江田島中年便り16−01−01(第50期生徒入校歓迎パレード)
本日記念すべき第50期生徒の入校式が行われ、入校歓迎のパレードが行われました。  私も初めて見ましたが、毎朝の練習の成果を遺憾なく発揮していました。  また大講堂での式の様子は青年?が報告すると思いますのでよろしく。   長倉と青年が熱く語っている様子も送ります。  ではまた青春不滅の魂を持つ(持ち続けたい、でも中年太りで腹が竹ちゃんみたいになってきたヤダー)  江田島中年より・・・。
あんちゅうの返信メール  江田島中年便りありがとうございます。  このパレード、素晴らしいですね。  いつからこんなのやっているのでしょうか。   「中年」という言葉に抵抗があり使いにくかった言葉のひとつですが、ここは自分で名乗られたのでそのまま掲載いたしました。  勇気ある行動に対して連番(04−01−01)のプレゼントをしておきます。  2004年ー2004年の1通目ー通算の数 と なっています。   ちなみに江田島青年は今年に入って24通目、通算130通目が(青年広場桜満開)のメールです。  青年に負けない 「江田島中年便り」をお待ちしております。



2004年4月6日(火)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−24−130(青年広場桜満開)
生徒創設50周年の記念すべき年に入校する第50期生徒を祝福しているのか、入校式を明日(7日)に控え青年広場の桜は満開となりました。   まるで17期が入校した時を彷彿させてくれています。   明日の天気は、夕方から雨模様です。  せめて午前中だけでも持ってほしいものです。   後は彼らの気力です。



2004年4月6日(火)   17Th Home管理人 あんちゅうより
件名 : 一石アドレス変更
聡明なる同期諸兄、ご機嫌いかが?   石塚一石がこの度、度重なる迷惑メールにうち勝てずアドレスの変更をしましたのでお知らせいたします。(新アドレス***@****)   尚、アドレスを変更されましたらあんちゅうまでご一報を。   花に浮かれる事なかれ!!   しばらくぶりに”CC"で送ります。  アドレス帳のチェックを。



2004年4月5日(月)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−22−129(爽快仙人・長倉in呉・江田島)
3月31日(水)鹿児島地連勤務の17期の西郷隆盛こと長倉等が生徒を引率して江田島を訪れました。   初日は、呉の霊園調布に拉致し、2日目は江田島で上田、中谷と4人で激辛キムチモツ煮で汗をかきかき一献交わしました。  三佐夫の隠れ宿での乱れた姿をおまけとして掲載しておきます。   3日目は呉監の観桜会に参加のため来呉していた、爽快仙人を二次会でゲットし、中谷、長倉、樺島、江田島青年の5人で一献交わしました。  久しぶりの仙人を囲んでの宴のためか時間のたつのも忘れ、江田島青年も少々羽目を外すほど盛り上がり、いつの間に散会となったのか気がついたら朝でした。   ちゃんちゃん。
あんちゅうの返信メール  長倉とは、字は違えども同じ ”ひとし”。   っま、彼の ”ひとし” は 植木 等の ”等”ですが・・。  30周年、市ヶ谷で会ったときと変わりなく何よりと思います。   OBの立場で母校に後輩を紹介するときは一体、どんな言葉で誘惑するのでしょうか? 一度、聞いてみたい気がしますが、もっと聞いてみたいのは母校に入隊者を引率して来る時の気持。  ・・いったいどうなんでしょうね〜。   爽快仙人が呉に現れたとの事。  青年のデジカメのエジキにされたようですが、そこは青年、顔がわからないようにとフラッシュを光らせずに取ったようですがそうはいきません。  あんちゅうはデジタルクリエーター。  技術を駆使して○○べー仙人のお姿をちゃんと拝見しました。  仙人の今後の事を考えてHPにはソコソコわかるくらいで編集いたしましたがいかがでしょうか?  長倉とは同じ鹿児島県人・・いや、鹿児島賢人。きっとせ訳の分からない鹿児島弁で話に華が咲いたのではないでしょうか。   青年にお願いがひとつ。  青年の下に訪れる同期の携帯のアドレスを聞き出して、あんちゅうに教えてください。  是非、ヨロシクお願いします。



2004年4月4日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−22−128(新入生)
生徒創設50周年の記念すべき年に入校する、第50期生徒が4月1日(木)に着校しました。   海上自衛隊生徒二次試験合格者は103名位と聞いておりましたが、着校したのは56名でした。  その内2名が団体生活に着いていけないとかでお帰りになりました。  記念すべき年としては少し寂しく感じられます。   多数の中から少数選ばれた精鋭として4年間頑張ってくれることを期待してエールを送りたいと思います。



2004年4月4日(日)   江田島青年より
件名 : 江田島青年便り16−21−127(岡本・福田教官定年)
3月31日付で岡本・福田教官が定年退職されました。   岡本教官(主に英語)は昭和42年から37年間、福田教官(主に数学)は昭和43年から36年間我々生徒の教育一筋に貢献されてこられました。  17期の担当ではありませんでしたが、時々臨時で習った記憶があります。  特に岡本教官は少し取っつきにくい感じがしましたが、某教官でなく岡本教官であれば江田島青年の英語能力も少し向上したのではと、臨時に教わったとき思ったものでした。   ちなみに福田教官の次に歩いておられる赤い服を着た方が森健こと森永班長の奥様です。  時を同じくして42年間の勤務を終えられ定年となられました。   最後尾の青い服を着ておられる方も同じく42年間の勤務を生徒部で終えられ定年となられた後川事務官です。   皆様、長い間ご苦労様でした。  来年は、17期が数学を教わった山崎教官が定年退職となります。



2004年4月2日(金)   14期生 谷川先輩より
件名 : Re: 17Th Home 4月のご挨拶
櫻満開の春4月になりました。   新入隊員の入隊式等が、間もなく執り行われようとしている今、どうしても思い出すのは、呉教育隊の満開の桜です。  (呉教で、基礎課程を履修した期の者はそうではないかと思います。)   TV等で15歳の子供達を観るにつけ、こんな可愛い子供をよく自衛隊(昔は=軍隊であったはず。)に送り出したものだと感心いたします。  その時の親の気持ちにも思いを致し、後輩達には是非とも頑張って欲しいものです。   安中も飲み過ぎないように!   14期 谷川 憲一
あんちゅうの返信メール  ハイ!!



2004年4月2日(金)   17Th Home管理人 あんちゅうより
件名 : 17Th Home  4月のご挨拶
月が変わりましたのでご挨拶申し上げます。   いつも17Th Homeと掲示板をご覧いただき誠に有難う御座います。  各地の桜開花がニュースの枕言葉で伝えられる中、年度末・初、それぞれにお忙しい日々を送って居られる事と存じます。   江田島では、第50期の海自生徒諸君が最終的な身体検査を終え、54名が合格し、憧れの7つボタンの制服を支給されたと14期生掲示板に投稿されていました。   OBにとっては、それぞれの江田島一日目や、飲むといつも話題に上る恐怖の身体検査、満開の桜の元での入隊式を想い出されている事でしょう。   わずか15歳で故郷を離れ、不安と期待で渡った江田島。  ”同期”という意識もわからない少年が、やがて厳しい訓練や先輩・教官の情熱あふれる指導の元、その意味を少しづつ実感してきました。  そして、他では決して体験できない強い絆が生まれ、先輩・後輩がつながり、その後の人生の貴重な糧となっています。   延々と続いてきた「江田島教育」を言葉で表すことは簡単ではありませんが、その中に我が身を置いた事に今更ながらに感謝しています。   初心に返り今月も頑張りましょう。



2004年4月2日(金)   nao.u 様より
件名 : 無題
私は30年ほど前に少年術科学校の方と文通していたことから、このホームページを拝見するようになりました。   この数ヶ月の悲しい出来事は、17期生の方の逝去と思われます。  私は、黒木様とは面識も言葉をかわしたこともありませんが、同世代の者として残されたご家族の事を思うといたたまれず、メールさせて頂きます。    黒木様のご冥福をお祈りしますと同時に、ご家族の深い悲しみが少しずつやわらぎますようお祈り申し上げます。   nao.u.  from nagoya
あんちゅうの返信投稿   17Th Home掲示板への投稿、有難う御座います。   「ひょっとして 文通していた相手はオレか?」と、思われた方もいるかもしれない? 投稿でしたね。  いや、「ヒョッとしてヒョッとして黒木は相手だったのかも?? 」などと ついつい想像を膨らませています。    先に旅立った黒木のことは本当に残念で無念でしょうがありませんが、こうやって見ず知らずの方よりお悔やみの言葉をいただける彼は反面、幸せ者かもしれません。   今後とも17Th Homeと、マニアックな人しか書き込まないこの、掲示板、宜しくお願い致します。



2004年4月1日(木)   17期 斎藤賢一 17Th Home掲示板投稿より
件名 : 50期生徒の入校に思う
昨夜、良彦に電話をしたら偶然にも、自称鹿児島の地連部長を名乗る長倉が電話に出た。  50期入校予定者を引率しての呉入りとのこと・・・・・・・・    33年前の4月 桜満開の中での入校式・・・・七つボタンの制服・青色の坊主頭・大分県立大分舞鶴高校中退の江田生徒による力強い?宣誓・入校の誓い・・・・  昨日のように思い出した。   現職で活躍中の17期生の皆さん、健康に注意され益々の発展・活躍を祈念いたしております。   私も現在、大阪府池田警察署刑事課盗犯係長として同期生の皆さんに負けないように又、海上自衛隊生徒の名に恥じぬよう毎日頑張っております。   5月1日の50周年記念式典には妻と一緒に呉に行きます。  同期生・上司・先輩・後輩と再会できることを楽しみに後一ヶ月頑張ります。   斎藤賢一    上田・高橋・西方・伊藤(つことり)・伊藤 理・氏野・冨吉・伊賀・鹿野・小松・村山・猪俣・竹下・小川・きゃん・窪田・鎌田・前畑・臼井・・・・・・・・・ 皆んな、皆んな、皆んな、元気ですか・・・・・・・・・・・    また投稿します。おやすみなさい!!! 
あんちゅうの返信投稿  久しぶりやんけ。   1月25日に氏野家を訪れた係長の雄姿を拝見、ちょっと痩せていたので日頃のストレスが身体に現れているのかと心配していました。  氏野曰く、「機関銃のようなシャベリは言うに及ばず健在だった。」    「身体が利かなくなると口が利くようになる」は、一般人に当てはまる諺。  係長殿に関しては当てはまらない事は皆がご存知。   羨ましい事に50周年には夫婦揃って江田島に渡られるそうですが、今からてんぷらを食べつづけてその口に更に磨きをかけてください。