件名 : 桜に錨届きました?

2004年6月8日 トミス加藤統義様より

箱を開けるとスプロケットの山、掻き分けて探すと小さな箱、箱を又開けるとティシュペーパー、テイッシュを除くと小さなボタンが2個、アンチュウさん厳重なわりにな〜んだと思わずによ〜く見て下さい、桜に錨のデザインですよ。   20数年前に当時チョット厄介になっていて中学校の校長よりもらった海軍士官の制服のボタンです。  14期飛行予備学生で、鹿屋基地で2度目の特攻出撃待機中に終戦、搭乗員は戦犯になると言われ全て処分したそうですが、ボタンだけは記念に持って帰ったそうです。   しかし30数年後パイロットになりたいと言う幼稚園の孫に、お爺さんは昔パイロットだったと出撃前に撮った集合写真を見せたら「どこにいるのこれ誰」(かつての海の荒鷲もその時は白頭鷲and禿鷲)それではと海軍士官服姿の写真を見せたら「お爺さんは郵便屋さんだったの」言われ、持っているのがばからしくなり捨てる気にもなれずに私にくれた物です。   粗悪な素材で造られ、今の学生ボタンと比べても異常に軽いですが、輝きだけは失って無いように見えます。   既に持っておられるか、価値の無い物かもしれませんが、私が持っているより安中さんが持っていた方がボタンも喜ぶと思いますので贈らせてていただきます。  粗悪素材で造られ軽くとも、いつまでも輝きを忘れない、そんな人間になりたいですね。

あんちゅうの返信メール

メール、ありがとうございます。  また、貴重なものを送っていただき誠にありがとうございます。   我々がつけていたボタンのデザインと違うのか違わないのか?現在の生徒がつけているボタンとは違うのか違わないのか?江田島青年の眼力を借りなくてはなりません。   生徒を卒業して半年、昨年亡くなった親父との約束で新潟に戻りました。  まだ、いたかったのですが家の事情を考えると戻らざるをえませんでした。  つらくて、辛くて何日か涙を流しましたが、気持を切り替える為に身の回の海自関係の物を処分、整理し、ダブルの制服は同期の佐々木鉄男に着てもらい一切の物を封印しました。  帽子は、どうしたのか?思い出せませんが・・・   こんな歴史のあるボタンを頂いて、一体どうしたらいいのかわかりませんが縁あって加藤さんに渡り、縁あって今、私の手元あることを思うと何も残っていない私にとってはこの上ないボタンとなります。  ありがとうございます。  じっと見ていると記念に持ってこられた校長の想いが浮き出てくるようで静物なのですが生物に感じられてしまいます。    ・・大切にします。