2004年11月 9日

回答

キタ━━━━(°Д°)━━━━!!!!
催促の電話が功を奏したのか、件のシークレットイベントの回答が来ました。
まあ、回答というか、向こう側の6にした根拠のみですが。
要は向こうは向こうで、他の場合を考慮しない場合での正解なんでしょうね。
だって実際に3つのキーワードに一致する人物が、こちらで探しただけでも
2名いたわけで・・・。それを考慮していたとすれば、正解は複数あってしかるべきだし。

とりあえず模範解答
4桁目:6
1.サヴォナローラ(1452~1498)     :8
2.エドワード3世              :8-(3*2)=2
3.ハンブルク 東経10度           :2+(0*2)=2
4.リチャード3世              :2+3=5
5.エドワード5世              :5/2(2.5を切り上げ)+5-2=6

こうしてみると、結局1問目がすべてだったわけですが。
mail from エリス
それでは、本日よりシークレットイベントの問題を出していきますね。前回より
も少し難しくなっていますが、最後まで頑張ってくださいね。第1問はある人物
に関する問題です。「次の3つの言葉から連想される人物の死亡年を示す西暦年
の末尾1桁の数字を答えよ。/フィレンツェ/宗教改革/メディチ家」。おわか
りですか?

 一応、”お願い、グーグル先生”してみました。で、またウィキペディア (Wikipedia)からですが。
ジロラモ・サヴォナローラ - Wikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』
ジロラモ・サヴォナローラ(Girolamo Savonarola 1452年 - 1498年5月23日)はフェラーラ生まれ、ドミニコ会の修道士。
フィレンツェで神聖政治(神権政治)を行い、宗教改革の先駆ともされる。

サヴォナローラは1482年、フィレンツェのサン・マルコ修道院長になる。
説教壇から激烈な言葉でフィレンツェの腐敗ぶりやメディチ家による実質的な
独裁体制を批判し、信仰に立ち返るよう訴え、市民を感激させた。
ルネサンス文化の黄金時代を築いたメディチ家当主のロレンツォも、
死の間際(1492年)にサヴォナローラを招いて罪を告白したという。
1494年、フランス軍が侵攻してくると、それを予言していたということで信望が高まる。
メディチ家はフランスへの対応を誤ったことからフィレンツェを追放され、
サヴォナローラが共和国の政治顧問となって政治への影響力を強める。
これ以降、神聖政治が行われることになった。

次第に教皇庁をも批判し、1497年には教皇アレクサンドル6世から破門される。
また、贅沢品として工芸品や美術品を焼却する。
サヴォナローラの厳格な姿勢に対しては次第に反発も高まっていった。
1498年、対立するフランチェスコ会修道士から預言者なら火の中を歩いても
焼けないはずだとして「火の試練」の挑戦を受けるが、この際に醜態を演じたとして
サン・マルコ修道院に暴徒と化した市民が押し寄せ、ついに共和国も
サヴォナローラを拘束する。裁判の結果、絞首刑ののち火刑に処された。
遺骨はアルノ川に捨てられた。

フィレンツェのシニョリーア広場にあるジロラモ・サヴォナローラが処刑された場所を
記念する銘板フィレンツェでは共和制のシンボルとしてミケランジェロのダビデ像が
造られる(1504年)が、1512年にはメディチ家が復帰する。
こうした社会の混乱の中でフィレンツェのルネサンス文化は終息していった。

3つのキーワードを元に探していくと、上位には教皇レオ10世、クレメンス7世がでてくる
と思うんですけどねぇ・・・この2人を排除した理由はどんなのだったのかなあ・・・。

諸注意より>>
5.一度発行したリアクションの変更、マスタリングのやり直しは、如何なる事情があろうともいたしません。あらかじめご了承ください。

っていうからまあ、判定は覆らないにしても・・・釈然としないな・・・。Σ(-_- ;))
結局なんで不正解なのかね?キーワードヒット率的には同じくらいじゃない?
宗教改革なんて”とも言われる”という程度だし・・・。一般的に宗教改革っていえば
ルターじゃね?こう思うのは私だけ?

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