簡単に「そうだ!」と分からないから「奥が深い」

今日の5時間目、加茂市の市史編纂室の関正平様から、6学年特別興講座「加茂軍議」をしていただきました。今から150年前、加茂市に集まった幕府軍(中心にいたのが、あの河井継之助です)が、攻めてくる新政府軍にどう対応するか(どの方面から、どの順番で、どんな作戦でいくか)を相談しました。

◆加茂軍議での、それぞれの立場は様々。
・長岡城を取り戻すことを主張する長岡藩の河井継之助
・戦いの指揮を躊躇する米沢藩
・河井継之助から激しくなじられる村松藩
・態度をはっきりせず軍議に不参加の藩(当時の須田の村々を支配していた新発田藩など)
・その中にいる会津藩や桑名藩(江戸幕府の中心の藩)

それぞれの藩からの代表は、それぞれの思惑もあり、たった2日間の会議で、長岡城を取り戻す戦いをすることに決まりました。結果は、長岡のまちは火の海に。歴史に結末を知っている150年後の人は、「なんで戦争をしたのか。」と考えることは簡単です。でも、当時の人は、それぞれの立場で必死に考えました。

この加茂軍議後、会津戦争、そして白虎隊の悲劇につあがっていきます。

◆戦争(対立)することに決めたのは?
今回の学習のテーマは、「対立から対話へ」物事を進めるため知恵です。歴史を反面教師として、この加茂軍議(その前の小千谷談判も)をもうすこし掘り下げます。そのために、これまで学習してきたことを劇にしていきます。劇を創り上げていくことで、「なぜ当時の人たちが対立に流れていったのか」を見付けていきたいと思います。理屈ではなく、感情かもしれません。はっきりさせていくことで、これからの子供たちの生活場面に活かせられたらと思います。