ミニ法話

住職二十三年目を迎えて、檀信徒と共に

東龍寺住職 渡辺宣昭  

 小生、今年二月で、満五十歳になりました。東龍寺で初めて生まれ育った住職として、二十三年目を迎えます。小学五年生のお盆、それまで、お盆の棚経を手伝いに来てくれていた新発田の法類(師匠弟子関係の親戚)の庵主様が都合で来れなくなって、急遽、三条市保内の圓光寺様で同世代の又従兄弟三人と一緒に、『甘露門』というお盆にお勤めするお経を一週間泊り込みで母の伯父に当たる先々代の方丈様から手ほどきをうけて参りました。

  その年は、近くの中店地区三十軒ほどだったと思いますが、母から案内してもらいながら何とか勤めたのが懐かしく思い出されます。特に当時はお布施が百円くらいだったでしょうか。板垣退助の百円札が何十枚もいただけたのは大きな喜びでした。祖父が「宣昭、いいかこのお布施はお前一人の力で戴いたのではないんだぞ。東龍寺の本尊様のお力があってこそなんだ。将来のために大切に貯金をして、置きなさい。」と諭されたものでした。

  棚経だけは、学生時代から一年も休まず勤めて来ましたが、そのお陰で畑違いの分野へ進学しながらも、再び東龍寺へ帰る大きな力となりました。汗を拭き拭き、お勤めにいくと、「良く来てくださった」「ご苦労様です。」「家の仏様も大変喜んでおられますよ。」と励ましや感謝の言葉をかけて頂くことが何よりの励みとなり、喜びとなりました。

  大本山總持寺を開かれた瑩山禅師様は「瑩山(けいざん)今生の仏法修行は、この檀越(だんのつ)の信心に依って成就す」と、檀信徒の信心の力の有り難さに感謝のお示しをされました。今でも、私にとって、檀家回りをしてご仏壇にお経をお上げし、お茶を戴きながら、色々お話をすることが一番の楽しみです。

  昨年、甥の孝昭(松代・少林寺)は、小学三年で、棚経を手伝ってくれました。というのは、一昨年、首座法戦式の弁事を勤め、白衣に改良衣姿も気に入ったようでしたので、小生と同様、『甘露門』を松代と東龍寺で練習を重ね、一人前とはいかないまでも、父である少林寺方丈様に毎年お願いしている軒数の一部・二十五軒の棚経を果たしてくれました。孝昭も、少しづつお経に親しみながら、僧侶の道を選択してくれたらと願っております。

  昨秋、加茂市耕泰寺様(師匠の姉の寺)で、開山並びに先住忌と伽藍落慶法要が盛大に行なわれました。その折、大導師に百五歳でお越しくださった永平寺貫首・宮崎奕保大禅師様が檀信徒の皆様へ「私たちは何の為に生まれてきたのか。恩送りのために生れてきた。つまり、報恩供養の為に生まれてきた。その事を忘れてはいけない。」と御垂示くださいました。朝起きて、仏壇に線香を真っ直ぐに上げ、心静かに座り、「ご先祖様、よくぞ私を生んでくださいました。」と感謝の気持ちで手を合わせ、一日を過ごすのです。

▲無事、棚経を終えて、祖父(東龍寺先代)の遺影の前で読経する甥の孝昭

  今年は、小生が僧侶になることを願った孫師匠の廿七回忌、好きな道を歩めと広い心で温かく見守ってくれた師匠の廿三回忌に当たります。先師の教えをしっかりと受け止めて実行していく事が報恩供養になると信じております。 最近、長くお付き合いを重ねてきた檀家の方の葬儀を勤めさせてもらう度に、少しでも生前の徳を称え、遺族の皆様が亡き人の教えや思い出を抱いて、先祖供養を大切にして力強く生きていかれますように教え導かせていただく事に心掛けたいと思っております。

  最後に、小生は本尊様歴代住職のお徳を戴いて自分が現在の立場にあること、檀信徒の先祖への毎日の供養を怠らぬよう勤めて行く事を肝に銘じております。併せて、檀信徒の皆様には、菩提寺東龍寺の本尊様、位牌堂の各先祖様へのお参りを三季の勤め「正月・春秋の彼岸・お盆(八月一日)のお寺へのお参り」を中心に実行していただきたいと思います。特に、彼岸とお盆の読経の後、設備の整った照光殿でのお斎(先祖のお相伴(しょうばん)として戴く昼食)に多くの方々に是非着いていただきたく切にお願い申し上げます。

合掌

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