ゲレンデのほうが騒がしく、何事かと鈴はそっちの方を見上げた。
 まず目に映ったのは、お昼も過ぎ、人も増えたゲレンデを無理やり滑走する二人の姿。
 考えるまでもなく、昨日の焼き直しだった。
 「またバカ兄貴とくるがやか」と思うが、その二人の姿に違和感を感じる。
 昨日の勝負は、スピードこそ出していたが周りには配慮していた。
 けど、今の二人にはそれがない。
 周囲の迷惑そうな視線や怒声を気にすることなく、ただ下を目指して降りてくるその様子に、鈴は言い知れない不安を抱く。

(きょーすけが、焦ってる?)

 滅多に見られないものだった。
 それは来ヶ谷にも同じことが言え、それが余計に鈴の不安を煽る。
 ゲレンデの様子に気づいた他のスキーヤーたちも、何事かとそちらの方を見始めている。

「なんだなんだ?」
「ふむ、あれは……恭介たちか?」
「わふーっ! すごいスピードなのです!」
「うわぁ、あれはちょっとキケンすぎないですかネ」
「いえ……どこか様子が変です。いつものお二人らしくありません」

 美魚も、鈴と同じことを感じて怪訝そうに眉をひそめる。
 それは真人と謙吾も同じで、鈴とおなじ漠然とした不安を胸中に抱く。
 ふと、真人が何かが足りないことに気づく。

「あれ、そういえば理樹たちはどうしたんだ?」
「……そういえばまだ下り来てきていないな」

 真人のその一言に、全員が一斉に強い不安を抱く。
 恭介と来ヶ谷の危険すぎる滑走。
 一緒に登ったはずの理樹が、いない。
 全員に不安と緊張が張り詰める中、二人は見事なまでにみんなの少し手前まで滑ると、転ぶギリギリのところでエッジを聞かせて急停止する。
 ゲレンデでの爆走を見とがめたスキー場の人が怒声を上げながらこちらに駆け寄ってくる音が鈴の耳に届く。

 いやな予感が、みんなの中で急速的に現実味を帯びて具現化してくる。

 ゴーグルを取るのももどかしそうに、恭介は乱雑にストックとゴーグルを放り投げると、そこには一切余裕のない表情があった。
 来ヶ谷も同じだった。
 生まれた不安が雪崩のごとき速度で、全員の心中を黒く覆っていく。

「理樹が」

 荒いままの呼吸で、恭介は全員に絶望的な言葉を告げる。

「理樹と小毬が崖から落ちた!!」

 一つの悪夢が、全員の中に生まれた瞬間だった。










リトルバスターズ、スキー旅行に行く! 第六話










 からだが、つめたい。
 ぜんしんがにぶいいたみをもって、そこだけねつをかんじる。
 ……ぼく、どうしたんだっけ。
 ぼんやりとしたせかいのなかで、ぼくはかんかくをとぎすます。

……っ、……んっ

 かすかに、こえがきこえた。
 それとどうじに、にぶっていたかん覚が、じょじょに輪郭を伴ってハッキリしてくる。
 胸に僅かな暖かい感覚が伝わってくる。
 そこを起点にするように、身体を強く揺さぶられているのをようやく感じた。

「……きくんっ! りきくんっ!!」

 声がだんだんはっきりと聞こえてくる。
 同時に、体にも力が入るようになって僅かに目が開くようになってくる。
 まだ完全に機能していないのか、うっすら開き始めた目は採光の調整ができなくて、目の前の輪郭しかわからない。
 白い世界の中で、誰かが僕を揺さぶっていた。

「りきくんっ! ねぇ、お願いだから起きて理樹君っ!!」

 目の機能も徐々に回復してきた。
 色素の薄い髪と、その両端に結わえつけられた星のついたリボン。
 普段は透き通るような白い肌が、今は真っ青になってしまっている。

「ん……、っ! こ、まりさん?」
「理樹君……? 理樹君! だいじょうぶ!? ねぇ、どこか痛いところない!?」
「ぼく、なにして……」
「わたし、止まれなくて、それでそのまま林の中に突っ込んじゃって、理樹君が追ってきてくれて、それで、崖から落ちちゃって……
 理樹君、私を庇ってくれて……それで! ごめんね理樹君……わ、わたし、わたしが無茶しなければ……こんな!」
「……そういえば」

 少しだけ、思い出してきた。
 確か恭介たちとエクストラコースに行って、それで間違って登ってきた小毬さんが止まれなくなって。
 それで

「そっか……うん、思い出してきた」
「ごめんねっ! 私のせいで、こんな、崖に落ちちゃって……そうだ。ねぇ理樹君、どこか痛い所ある!?
 一応、血とかは出てないみたいだけど、でもウェアでよく分からないし、」
「……うん、たぶん、大丈夫。体中がちょっと殴られたみたいに痛むけど、そこまで強くもないし。骨折も……っ!」

 体を起こした瞬間、左の足首に鈍い痛みが走る。

「……! もしかして、どこか折れちゃった!?」
「いや……っぅ! たぶん、骨折じゃないと思う。森の木と、新雪のお陰かな、崖から落ちたにしては殆ど無傷だよ。
 ただ、少しだけ足ひねったみたい。スキー板が外れてるから、その時だと思うけど」

 最後に覚えてる光景は、崖から飛んだ時に見た下に広がる森だ。
 それほど高くは見えなかったけど、それでも崖から落ちてこれだけで済んでるならまさしく幸運だと思う。
 改めて周りを見渡してみると、無残に折れた木の枝や、片っぽだけ残ったスキー板が雪に突き刺さっている。
 森の木々、深い新雪に分厚いウェア。そして多分、足から落ちてスキー板で最初の衝撃がだいぶ逃げたのが助かった要因なんだろう。

「ごめんなさい……ごめんなさい理樹君、ごめんなさい」
「……大丈夫だよ、小毬さん。幸いそれほど怪我はなかったんだし。それよりも、小毬さんは怪我はない?」
「ぅん……わたしは、理樹君が守ってくれたから」
「そっか、それならよかった」

 ただただ謝り続ける小毬さんの頭をそっと抱いて、ゆっくり頭をなでる。
 小毬さんが無事で、二人とも生き延びれたんだからそれだけで十分だった。
 そもそも、落ちたのだって僕らがしっかりと止めてればこんなことにはならなかった。
 一人でリフトに乗るのが恥ずかしいなら一緒に戻ればよかったんだし、誰の所為なんて言えない。
 むしろ、教える側の僕たちのほうが責任という形で問われるなら、より重いだろう。
 静かに、小毬さんが泣きやむまで僕はただゆっくりと、悪くないよと小毬さんの頭を撫で続けた。





「ぅん……もうだいじょうぶ。ありがとう……理樹君」

 10分か、20分か。
 それくらいして、小毬さんはようやく落ち着いた。
 まだ泣きはらした目が赤いけど、動くことはできそうだった。

「さて、これからどうしようか……」

 本当なら、遭難した場合は動かない方がいいのかもしれないけれど……

「雪、だんだん強くなってきてるね……」
「うん、このままここに留まってたら、多分凍死するかもしれない」

 昔、恭介たちとスキーに行った時に、恭介のお爺さんが言っていた。
 雪山を舐めてはいけない、と。
 特に体温低下は怖く、気づかないうちに体が動かなくなって、ほんの5メートル先に山小屋があっても死ぬことがあるらしい。
 体温低下は急激に体力を奪うだけじゃなくて、視覚や聴覚すらおぼろげになっていくと。
 必要なのはとにかく雪風をしのげる場所と、こまめな体力補給。
 そして体を冷やさないことらしい。

「小毬さん、何かチョコとか飴とか持ってる?」
「え、うん……ポケットにナッツ入りのアルファベットのチョコと、キャラメルがあるけど……」
「うん、それじゃあそれは小まめに少しづつ食べることにしよう。一気に食べちゃダメだけど、
 かと言って長時間なにも体力補給しないのはヤバイらしいから」
「うん、わかったよ。……たくさんお菓子持ってて良かったよ」
「そうだね。お菓子好きの小毬さんに感謝、だね」
「……うん、私でも役に立てたなら、良かったよ」

 弱々しくも、小毬さんが笑ってくれる。
 さて、ここからが正念場だ。
 とりあえず、雪風がしのげる場所を探さないといけない。
 岩陰、洞穴、山小屋。
 どこでもいいから、吹雪が吹く前にそれをしのげる場所を見つける必要がある。
 さらに、どっちに進むかも決めないといけない。
 多分恭介と来ヶ谷さんが僕たちが落ちた場所を確認して、助けを呼んでくれてるだろうから、下手に動くわけにはいかない。
 雪が降り出してるこの状況じゃ、足跡が残るなんて期待はできそうにない。

「小毬さん、崖から落ちるとき、どこに落ちたか分かる? もしくは目立つものとか」
「え、ううん……私は気が動転してたから……あ、でも確か川がちょっと目に入ったかも」
「川か……その川沿いを歩いていけば、もしかしたら人里に出られるかも」
「あ、そういうのは聞いたことあるよ。人って川沿いに住むって言うし」
「うん。それに、確かペンションの脇に川があるって恭介が言ってたから、運が良ければそこまで戻れるかも」

 そうと決まったら、まずは川を目指すことにした。
 森の木々は深いけど、木々の隙間から崖の位置は確認できた。
 後は、小毬さんの記憶を頼りに川まで行って、そこから下流に向かっていけばいい。
 近くに落ちていたストックを杖代わりに、小毬さんの肩を借りて僕らはゆっくりと歩きだしていった。










「いやだ!! あたしもいく!」
「ダメだ。お前は残ってレスキュー隊の連絡を待ってろ。西園、能美、三枝もだ」
「どうしてだっ! 理樹が、こまりちゃんが遭難してるんだぞ! じっとなんてしてられるかっ」
「鈴。お前は山に対する知識がない。体力だって、俺たちほどはないだろう。今からやろうとしてるのは、かなり無茶な行為だ。お前には無理だ」
「けどっ」
「鈴。いいから言うことを聞いてくれ……これ以上危険を増やしたくないんだ」

 いつでも連絡を受けられる場所、ということであたしたちはペンションまでもどってきた。
 これは、理樹達が自力で戻ってくるとしたらこのペンションだろうということもあるらしい。
 なんでも、きょーすけたちが確認した川がこのとなりを流れてる川とおなじものらしい。
 だから、戻ってこれるとしたらここだろうと、ここで連絡を待つことになった。

「それに、理樹達が戻ってきたとき誰が出迎えてやるんだ? そういう役割も必要だ」
「……」
「大丈夫だ。理樹と小毬は俺たちで必ず助け出す。山岳救助の人たちだって動いてくれている」
「……わかった」

 きょーすけの言うことに、しぶしぶと頷く。
 くやしいが、きょーすけの言うとおりあたしには山の事はわからない。
 体力だって、きょーすけたちや来ヶ谷には勝てない。
 それに、戻ってきたときに誰も居ないのは理樹たちが困る。
 だから……あたしはここで待つことにした。

「何かあったら真人の携帯に連絡しろ。確か真人のやつは山でも使えたよな」
「おうっ! GPSもついてるぜ。山で修業するのに必要だからな」

 よくわからん理由で、むだに高機能なのをもってるやつだった!
 けど、そのおかげで今回は連絡が取れるということだ。
 ……よのなか、何が役立つかわからないものだな。

「恭介氏、準備はできたぞ」
「ウィスキー、毛布、タオル、ラジオ、神北のお菓子。全て揃った」
「よし、他の無駄な荷物は全部置いて行くぞ。あくまで俺たちは川沿いを伝って上流を目指していく。無理と判断したらすぐ戻るぞ」
「ああ、承知した。なに、そうなる前に見つけ出せばいいだけのことだ」
「その通りだ。真人、携帯型の充電器はちゃんと持って行けよ」
「おうっ。抜かりはないぜ」
「それじゃあ、行くとしよう」

 できる限り荷物を減らしたきょーすけたちが、ペンションから出ていく。
 扉が閉まった後、重い空気がペンションの中を漂う。
 ふだんはうるさいはるかも、今はクドと一緒になって不安そうな顔でソファーに座っている。
 みおも、冷静そうにしてても、落ち付きなく窓の外を見たり、電話の所にいったりとしてる。
 みんな、二人を心配してた。
 けど、このままじゃいけない気がする。
 重い空気につぶされて、みんなどうにかなりそうだ。
 きょーすけは、待つのも役目だとかいってたが、ただ待つのは、つらい。
 できることもなく、ただ待つだけなのは焦りだけが溜まってよくない。

「……クド、なにか料理を作りたい。教えてほしい」
「料理、ですか? どうして……」

 なんでこんな時に、といった目でクドが見てくる。
 はるかも、同じような目でこっちを睨んでる。
 ……お腹が減ったと思われてるのかもしれなかった。

「……ちがう、理樹とこまりちゃんのだ。遭難してるなら、きっとお腹がすくと思う」
「あ、なるほど……そうですね」
「そっか……戻ってきても、体力がなくなってたらすぐには回復しないもんね」
「うん。だから、帰ってくるまでにいっぱいつくっておきたい。だから、てつだってほしい」
「そういうことでしたら、よろこんでっ」
「あたしも手伝うよっ。疲れてるなら、きっと甘いのがいいよね」
「それだけじゃありません。ずっと外にいるなら、温まるものがいいでしょう……全員で、作れるだけ作りましょう」
「うん。それから、心配させた二人にお仕置きを考える」
「にゃはは、そーですネ。心配させた罰に、とびっきりな奴を考えよう」
「それじゃあ、作りながら考えましょうっ」

 やることが出来て、みんなに元気が戻ってくる。
 ……うん。やっぱり待つだけはよくない。
 あたしたちは、あたしたちが出来る事をするべきだ。
 戻ってきたらいくらでも食べられるように、あたしたちは昨日買い込んだ材料をぜんぶ引っ張り出して料理を作り始めた。










「……吹雪いてきたね」
「そうだね」

 川は難なく見つかって、その流れに沿って僕たちは下流を目指しだした。
 けど、運の悪いことにそれからすぐ、雪足が強くなってきた。
 ちらついていただけの雪が、少しずつ深々と降りだし、やがて風が強くなり出す。
 そして、歩けないほどではないけど、少しつらいくらいには吹雪出してしまった。

「理樹君……足、大丈夫?」
「うん、ストックもあるし、小毬さんが支えてくれてるし……小毬さんこそ、辛くない?」
「ううん、私は大丈夫。それに……」

 言葉は途中で切れたけど、何を言おうとしたかはすぐにわかった。

『その怪我は私を庇っちゃったから』

 その話題はもうしないようにって話したから、小毬さんは途中で思い出して口をつぐんだんだろう。
 だから、僕もその先は拾わないことにする。
 徐々に高さが増してくる雪が、タダでさえ遅い足をさらに遅くする。

「……どれくらい、歩いたのかな」
「携帯持ってなかったからわからないけど、1時間以上は歩いてるとおもう」

 空は雪雲で覆われてるから、それで時間を読むこともできない。
 ただの疲労度で時間を言ってみるけど、普段と違う道のりはどれだけ歩いたのかもよく分からない。
 ただ、どっちにしても距離はそこまで稼げてないと思う。

「けど、この沢を下っていく限りは、いつか人里に出るから……それまで、もう少し頑張ってみよう」
「うん……理樹君、無理、しないでね?」
「小毬さんもね」

 互いに苦笑し合いながら、ゆっくりと、一歩ずつ僕らは歩いて行く。






「……はぁ、はぁ」
「……っ」

 更にそこから……おそらく数十分。
 雪足はどんどん強くなってきている。
 深い雪に足を取られながら進むのは、思ってた以上に体力を取られていった。
 次第にどちらともなく無言になって、口はただ白い息を出すだけになっている。
 僅かな沢の音と、吹きすさぶ吹雪の音だけがあたりを支配する。

 チョコの欠片を一つ、口に放り込む。
 小毬さんも同じようにして、それを食べる。
 時計もなく、太陽も分からない。
 けど疲れだけを目安に体力補給するのは、僕らには怖すぎた。
 だから、100歩歩くごとに、ほんの小さい欠片を食べるようにする。
 体力が切れないように。
 体が熱を作れるように。

「…………」
「…………」

 無言のまま、ゆっくりと進む。
 出来ることなら、気が滅入らないように努めて明るく話をし続けてあげたい。
 けど、僕も小毬さんも、それをするだけの体力も気力も殆どなかった。
 段々気が滅入ってくるのが分かる。
 ただ、お互いに支え合って、一歩ずつ確実に二人で歩んでいく。
 それだけが、僕らが出来ることだった。

「はぁ……はぁ……」

 小毬さんの息は、さっきから上がりっぱなしになっている。
 吹雪の音で、ともすれば聞き逃しがちになるけど、間違えなく小毬さんは体力が限界に近づいていっている。
 元々、小毬さんは体力がそう多い方でもない。
 その上で、僕を支えてくれているのだから、もう限界がきていてもおかしくはなかった。

「小毬さん……僕なら大丈夫だから、無理に肩貸してくれなくてもいいよ。ほら、ストックもあるし」
「……ダメだよ。そんなことしたら、はぐれちゃう……はぐれちゃったら、もうどうしようもなくなっちゃう」

 それに、と小毬さんが続ける。

「今理樹君と離れるのは、怖いよ……無理でも、理樹君と一緒に歩きたい」
「小毬さん……」

 その声を聞いて、自分が馬鹿な事を言ったと気づく。
 今まだ歩けてるのは、多分一緒に歩いてるからだ。
 お互いに支え合って、触れ合えているのは一人じゃないって思わせてくれる。

 たぶん、それはこの状況の中で唯一、確かで安心できるものだった。

「うん、そうだね。けど、本当に無理になりそうだったらどこか見つけて休もう。流石に、吹雪の中には留まれないけど」
「……早く休める場所、見つかるといいね」

 再び、黙々と歩く作業に戻る。
 けど、今度は気分が滅入ることはなかった。





「……っ。……」
「……」

 更に進むこと……もう、どれだけ歩いたか分からない。
 吹雪は強くなる一方で、視界がかなり悪くなり出している。
 下手すると休める場所も見逃してしまいそうだから、周囲を探る様に丹念に見て回る。
 これ以上吹雪いてきたら、流石に歩くのは無理になりそうだった。
 早く、どこか見つける必要がある。

「……っぅ」

 それに、吹雪以上に、もう小毬さんのほうが限界を超えている。
 顔は真っ青になってしまってるし、おそらく体温も低下しだしてる……
 今では逆に僕の方が小毬さんを支えていかないと、先には進めない。
 一歩、歩くごとに捻った脚は苦痛を訴えて休むことを求めてくる。
 けど、歩くのを止めるわけにはいかない。
 今立ち止まったら、きっと僕はそこから動くことはできなくなる。
 足もあるけど、それ以上に気力が完全に死んでしまいそうで怖い。
 だから、歩く。
 それに、歩いていれば少しでも熱が生まれる。
 しっかりと小毬さんを抱きしめて、少しでも小毬さんに風が当たる面積を減らすようにして進んでいく。

「小毬さん……ほら、チョコ食べて」
「ぅん……」

 小さく二欠片、小毬さんの口元にチョコを運ぶ。
 分かって食べてるのか、それとも半ば無意識なのか、小毬さんはそれを口に含んでもごもごと食べる。
 ……もう、本当に時間がない。
 火のある場所……せめて、吹雪だけでもしのげる場所がないと。

「……ん?」

 一瞬、吹雪の隙間に何か見えた気がした。










「くそっ!!」

 ドンッ、と恭介氏の壁を殴る音が室内に響く。
 窓から見える景色は猛吹雪。
 閉じられた室内でも、その威力は垣間見られた。
 ピッチリと閉められたこの山小屋の中でさえ、風の鳴る音が聞こえている。

「落ち付け。恭介氏……苛立っていても仕方ない」
「分かってる!」

 ここまで苛立っているのを見るのは初めてだな。
 判断力や決断力は普段と比べても衰えてはいないが、余裕が全くない。
 それだけ、あの二人が心配ということか……いや。
 あれは罪悪感だ。
 そして、それは私にも同じことが言えるだろう。

「……なんとか、理樹たちも吹雪をしのげる場所に移動してくれてるといいんだが」

 備え付けの暖炉に手をかざしながら、謙吾少年がそう呟く。
 この吹雪の中、外にいるのは死を意味するほかない。
 そればっかりは、祈るしかなかった。

「……ダメだ。流石にこの吹雪じゃ電波が通じねぇ。最後に確認した位置からどれだけ進んだか知りてぇんだが」
「おそらく、まだ1/4といったところだろう……吹雪と雪のせいで、あまり進度は芳しくない」
「だろうな……今あるこの山小屋は理樹たちが落ちた場所とペンションの間でいえば、ちょうどそれくらいだ。
 この先にあるのは、あと3つといった所だ」
「うち1つは理樹君たちより僅かに上流……上に行くことはまずないだろうから、おそらく残り二つ」
「……辿り着いてる事を、祈るしかないか」

 じっと眼をとじ、謙吾少年はそのまま黙りこむ。
 真人少年も、窓から外の様子を見たまま何もしゃべらない。
 吹雪がやむまでは、私たちもここから動くことはできない。
 ……なんて、無力なんだろうな。

 ジッと黙り込んだまま、私たちは吹雪が止むのを待った。










「……山小屋だ」
「……ぇ?」

 吹雪と木々の合間に一瞬見えたもの。
 あれは確かに家の形をしていた。

「山小屋だよ、小毬さん! あそこで休もう」
「うん……」

 目標を見つけると、人はやる気がわき出てくる。
 あてもなく歩き続けてたさっきまでと違い、僕らの足にも力が戻る。
 あと少し。
 もう少しだけ歩けば、休む場所がある。
 それは、最後の力を振り絞るのにこれ以上ない目的だった。

 けど、それの希望もすぐに潰された。

「そんな……」

 目の前に立ちはだかるのは、細々とだけど、それでもしっかりと流れている沢。
 山小屋は、その対岸にあった。

「あとちょっとなのに……」

 目標に、あとわずかの所で足止めを食らう。
 回り道を探すべきだろうか?
 いや、そんなものがあるかどうかわからない。
 あったとしても、見渡してある場所になければ、おそらくあの山小屋までたどり着くことはできない。
 だからといって、このまま見過ごして歩いていくことは、できるはずもなかった。

「……渡ろう、小毬さん」
「理樹君……危ないよ」
「大丈夫、見た感じ、深さはそこまでないっぽいし。流れは速いけど、二人で渡れば流されることもないと思う」

 但し、そのためには腰までは濡れることを覚悟しないといけない。
 水は膝丈くらいだけど、移動して水が跳ねたりで多分そこまでは濡れると思う。
 後は……冷たさに耐えきれずに動けなくならないように祈るだけだ。

「このまま、ここにいてもそのうち寒くて凍死するだけだし。思い切って渡って、吹雪が止むのを待つのが賢明だと思う」
「理樹君……」

 不安そうな顔をして、小毬さんは一度目を閉じた。
 そして、次に目を開けたとき、そこには決意をした光が灯っていた。

「うん、わかった。理樹君を信じるよ」
「ありがとう、小毬さん」

 久しぶりに微笑んだ小毬さんをみて、僕も自然と微笑み返す。
 ギュッと、互いに握った手を確認する。
 肩に回した手でしっかりと小毬さんを抱きかかえて、一度深く深呼吸をする。
 ……大丈夫。渡り切れる。
 僕達が渡るのは、普通の沢だ。間違っても三途の川なんかじゃない。
 覚悟は、決めた。

「行くよ、小毬さん……」
「うん……っ!」

 ゆっくりと、僕らは水の中に足を踏み入れた。













「さ、寒い〜……」
「さ、さすがにあれは……」

 沢は、なんとか無事に渡り通ることができた。
 ……最後の最後で岸に上るのに失敗して二人で転んでしまったけど。
 ともかく、吹雪は避けれるようになった。

「あるのは……毛布が一枚と、あと残った薪とちょっとした油だけだね」

 山小屋は、もう使われなくなって古いものらしかった。
 作り自体はしっかりとしてて、隙間風が入ってくることがないのだけは救いだったけど。

「……くしゅっ」
「大丈夫、小毬さん?」
「……うん、ちょっと寒いけど、さっきよりは」

 体を抱えるようにして縮こまりながらも、小毬さんの顔色は山小屋に入ってからは少し回復した。
 外の猛吹雪で体温が下がっていったのがやっぱり良くなかったらしい。
 チョコを一欠片食べて、飴を舐めつつ小毬さんは震える体をしきりにさすっている。

「まってね……今暖炉に火をつけるから」
「理樹君、暖炉起こせるの……?」
「暖炉っていうか、鈴と恭介のおじいさんの家でかまどを使ったことあるだけだけど……」

 あの時の要領を思い出しながら、薪を組んでいく。
 隅に積まれていた新聞紙に油をしみこませて、そこに火をつける。
 そうしてそれを組んだ薪の下に入れて、全体に火が移る様にする。
 薪が湿って着かないか不安だったけど、なんとか火は起こってくれた。
 僅かな火だけど、今はこれだけでも嬉しかった。

「ほら、小毬さん当たって」
「うん……あったかぃ……」

 冷え切った手をかざすようにして、小毬さんは暖炉に身を寄せる。
 でも……濡れた服はどうしようもないほどに冷たかった。
 薪だって数が少ない。
 吹雪がいつ止むかは分からないけど、薪は長時間は持ちそうになかった。

「うぅ……でも濡れた服が冷たい……」
「そうだね……」

 このまま着てたら、いくら暖炉に当たってるからといっても体力がなくなってしまう。
 特に、多少は回復したといっても限界寸前までいってた小毬さんには、それは危険かもしれなかった。

「小毬さん、毛布使いなよ。その、恥ずかしいかもしれないけど、濡れた服脱いで包ってれば暖かいと思うから」
「服を脱いで……ってふぇぇぇぇ!?」
「いや、驚いたり恥ずかしいのは十分わかるんだけど、僕は後ろ向いてるようにするから」

 予想通りというか、なんというか。案の定小毬さんは顔を真っ赤にしてわたわたとしだす。
 けど、今は恥ずかしいとか言ってる場合じゃない。
 とにかく助けが来るまで、体力を少しでも残しておく必要があった。
 最悪、自力で戻ることだって視野に入れておかないといけないんだ。

「濡れた服って体力奪うし、乾かさないといけないし」
「それは……うん、わかるけど」

 恥ずかしそうに俯いて、小毬さんはあたふたと慌てる。
 そういう動作をされると、こっちまで恥ずかしくなってくるから僕もそっぽを向いてしまう。
 けど、やっぱり濡れた服は気になるのか小毬さんはどうするか悩んでいた。

「あ……でも、理樹君はどうするの? 毛布、一枚しかないよ……」
「僕はまだ大丈夫だから、このまま何とか乾かすよ」

 残念なことに、毛布はその一つしかない。
 それもぼろぼろで薄かったから、多分撤去するときに邪魔だからそのまま置いて行ったんだろう。
 そんなものでも、ないよりはマシだから今はその物ぐさな片付けをした人に感謝をする。

「でも、そのままじゃ理樹君が今度風邪引いちゃう」
「それは……」

 ぐっしょりぬれたウェアは、そうそうは乾かない。
 特に防寒するためにしっかり中身の詰まったウェアだから、余計に乾くのは遅いだろう。

「けど、無いのはしょうがないから。小毬さんの方が体調悪いんだから、小毬さんが包るのは当然だよ」
「でも……」

 小毬さんがそうやって悩むのはわかっていた。
 優しいコだから、きっと小毬さんはこのままでいると譲ると言い出すだろう。
 でも、どうみても小毬さんのほうが包る必要があった。
 回復した、といっても一時的なものだろう。
 根本の体力が枯渇してるんだから、体力を使うようなことをしたらすぐにまた逆戻りになる。
 それだけは、避ける必要がった。

「だったら、一緒に包る? お互いに裸だけど」
「へ、ふぇえええ!?」

 だから、僕は切り札をあらかじめ考えていた。

「僕よりも、小毬さんのほうが包る必要があるんだから、譲るって言われても受け取れない。なら、そうするしかないし」

 それで、後はどっちを選ばせればいいだけだ。
 そうすれば小毬さんは諦めておとなしく包まってくれる。

「流石にそれは恥ずかしいでしょ? だから――」

 後ろ向いてるから、早く毛布に包まって。
 そう続けるはずだったのに

「……ぅん。り、りきくんが、それでいいなら」
「って、ええ!?」

 今度は逆に、僕が顔を真っ赤にして慌てだす番だった。
 え、いやだって、普通は断るよね!?

「だ、だって私だけ毛布使って理樹君に風邪引かせたら悪いし、それをいったらそもそも転んだのは私のせいでだからつまり――」
「いや、でも小毬さん分かってるの!?」

 ついさっきまで外で死にかけてた人間が、いつの間にかコメディになっていた。
 わたわたと二人して考えてるようで考えてない言葉をしゃべり続ける。

「わ、わかってるよっ。私だって恥ずかしいし、でも理樹君を風邪引かせたくはないしそもそも濡れたままじゃ死んじゃうかもしれないからつまりあの」

 両手をばたばたとしながら百面相で慌ててる小毬さんは、最後には頭を毛布で隠して、そっと目だけ出してこっちをみて。

「そ、それにほら……ふ、二人でくっついてれば、あったかいし。そういうの、漫画とか映画でよくあるし……」

 ぼんっ、と顔から湯気を出してそれ以上は何も言わずに黙り込んでしまった。
 僕も、それ以上は何も言えなくなった……





BGM:無題『恋心を奏でる奇想曲』、たった一つの魔法の言葉、遥か彼方-Instrumental-、Sha La La Ecstasy。のどれかをご使用ください。
オススメは『Sha La La Ecstasy』




「だ、大丈夫? 小毬さん?」
「う、うん……それじゃあ、そっち、いくね? ぜ、ぜぜったい目開けないでねっ!」
「う、うん。分かった」

 目を閉じて、暖炉の前で小毬さんを待つ。
 毛布は今、僕が身に纏ってる。その毛布の下は……ほぼ全裸だ。
 川で転んだ時に殆ど濡れてしまったし、ウェアはそもそもあの吹雪で半ば濡れ始めていた。
 今着てるのは、上の肌着だけだ。それ以外は全部暖炉の近くで干している。
 それは、小毬さんも一緒だった。

 閉じた視界の代わりに、耳が余計に周りの音を聴き取って状況を伝える。
 僅かに外から聞こえてくる吹雪の音の中埋もれるくらい小さく、小毬さんの歩く音が聴こえる。
 ……同時に、自分の心臓の音もうるさいくらいに聞こえる。
 ともすれば、その音で他の音がかき消されるんじゃないかってくらい、そっちの音のほうが大きく感じる。
 小毬さんの気配が隣にまで来たときには、もう小毬さんにだって聞こえるんじゃないかと思った。
 ぺたん、と小毬さんが目の前に座りこむのが音で分かった。
 それくらい、今僕らの距離は近かった。

「り、理樹くん……もう、目、開けてもいいから……」
「う、うん……」

 そう言われても、なんとなく目が明けづらくて……そのまましばらく戸惑ってしまう。
 けど、すぐに凍えるような小毬さんの声が後を押す。

「そ、その……インナー1枚だけだと、寒いから……」
「あ、ご、ごめんっ」

 慌てて眼を開けて、毛布で小毬さんを包もうとして、動きが止まる。
 キャミソールなのか、それを一枚だけ来た小毬さんが、目の前に座りこんでいる。
 薄い素材なのか、その下まで透けて見えていた。

「ゃ、り、理樹君あんまり見ないでっ」
「うわっ、ご、ごめんっ!」

 あわてて謝って、僕は視線をそらす。
 な、何を思わず見てるんだ僕はっ

「そ、それじゃあ毛布を回すね」
「は、はいっ」

 取り繕うようにそう言う僕に、なぜか敬語で返ってくる。
 そっと、小毬さんを包むように腕をまわして、毛布に二人で包まる。
 ……ここまで来たら、もう自棄だった。
 お互いで温め合うように、やさしく、ぎゅっと小毬さんを抱きしめる。
 小毬さんの、柔らかい肌の感触が触れた部分から伝わってくる。
 すべすべとしたきめの細かい肌から、お互いの熱が伝わってくる。
 たぶん、僕らはどっちも顔が真っ赤になってるんだと思う。
 現に後ろから見た小毬さんは、耳まで真っ赤になっていた。

 でも

「……りきくん、あったかい」
「うん……小毬さんも」

 何故か、心はとても落ち着いていた。
 さっきまでの動揺とか恥ずかしさとか、そういったのが綺麗に無くなる。
 代わりに、暖かくて、優しく、穏やかなものが心に広がる。

 とても、安心できた。

「なんだろ、おかしいね」

 おかしそうに笑いながら、小毬さんが言う。

「何が?」
「うん。さっきまでね、ものすっごい恥ずかしくて、今すぐにでも外に逃げ出したいくらいだったのに」
「そんなことしたら、死んじゃうよ」
「うん、わかってる。でもね、本当に、それくらい恥ずかしかったんだから。でもね」

 一言、そこで区切る小毬さん。
 その手が、小毬さんを抱きしめてる手に重ねられる。

「今ね、すっごい暖かいの。落ち着いてて、さっきまでの動揺が嘘みたい」
「うん……僕もそれ思ったよ」
「理樹君も? うわぁ、それじゃあ、私たち一緒だね」
「そうだね」

 小毬さんが僕の方に振り向いて、見上げて笑う。
 僕もそれにつられるように、自然に笑えた。
 お互いに顔を見合せて、笑い合う。
 さっきまでの恥ずかしさが、ほんと、嘘みたいだった。
 殆ど裸に近い状況で、お互い一つの毛布に包まってるのに、そんなことは何も考えなかった。

 ただ、暖かくて、ほっとした。
 穏やかで安心できるもので、心が満たされている。

「ちょっと不謹慎だけど、一緒に落ちてくれたのが理樹君でよかった」

 小毬さんの言葉を、黙って聞く。

「だって、きっと理樹君だから、私はここまで頑張れたと思うから。一人だったらきっと、私はそのまま、あの場所で動けなかったと思う。
 ううん。たぶん、理樹君に守ってもらえなかったから、落ちたときにもう死んじゃってたかも」
「えっと……」
「……ごめんね、変なこと言って。でもね、理樹君が一緒でよかった……一人だったらきっと、私は何もできなかったから」

 だから、と小毬さんは続ける。

「ありがとう、理樹君」
「そんな、僕だってきっと一人じゃ何もできなかったよ。一人じゃなかったから……小毬さんがいたから、なんとかしてでも助けなきゃって思えたから。
 ここまで頑張れたと思う」
「でも、私が落ちなかったら、理樹君はこんなことに巻き込まれないで済んだんだよ?」
「それを言ったら、僕がちゃんと止めてればこんなことにもならなかったよ」
「それじゃあ……お互い様、なのかな?」
「うん、お互い様だよ」
「そっか」

 苦笑して、小毬さんは頷いてくれる。
 でも、きっと僕一人だったら多分ここまで辿り着けなかったのは本心だった。
 ここまで頑張れたのは、小毬さんが一緒にいて、怪我した僕を支えてくれたからだ。

「僕からも。ありがとう、小毬さん」
「ふぇ?」
「辛いのにずっと僕を支えてくれて、一緒に頑張ってくれたから」
「ううん。辛くなんてなかったよ。それに、結局最後は私が理樹君に支えられてたんだし」
「そうだったっけ」
「そうだよ」

 そんな、他愛もない会話をしてるだけで、僕らは安心できた。
 小毬さんがいて、その温もりを感じられる。
 それだけで、一人じゃないって思わせてくれる。
 守るものがあるって、改めて思える。

 ぱちり、と暖炉の火が跳ねる音が聞こえる。
 外は相変わらずの吹雪。
 いつ止むか全く分からなかった。

 火が燃え尽きないように、薪を一つ暖炉の中に放り込む。
 上手い具合に組まれた上に乗って、火がまたそれに移って燃え盛る。
 ぱちぱちと、僕らを温めながら暖炉の火は燃え続けている。

「温かいね……」
「うん……」

 吹雪が止むのを、僕らはただそうやって待って過ごしていた。













 ごとん、

「ん……」

 薪が崩れる音がして、僕は目が覚めた。
 気付かないうちに、眠ってしまってたらしい。
 山小屋にいることで、疲れが一気に出てきたみたいだった。
 寝入ったことに、全く気がつかなかった。

「……死ななくてよかった、かな」

 薪が崩れて火が消えたけど、まだ熱は残っていた。
 それに、二人一緒にいたから僕らも体温が下がることもなかったらしい。
 薪の音で起きれて幸いだった。

「小毬さん、起きて」

 ぽむぽむ、と腕を叩くようにして小毬さんを起こす。
 気がづけば、外は綺麗に晴れ渡っていた。
 吹雪が止んだらしい。

「ん……、理樹君?」
「おはよう、小毬さん。ほら、吹雪やんだよ」
「んー……あ、そっか……寝ちゃってたんだ、わたし」

 寝ぼけまなこを擦りながら、小毬さんは伸びようとする。

「うわっ、小毬さん今伸びたら……!」
「ふぇ? って、うわわわわわわわっ! り、りりりりりきくんっ。だめだよこんなのっ! だって、そんないきなりっ」
「何勘違いしてるのさ! 服がぬれてるし乾かしてたんでしょ! それで、毛布が一枚しかないから」
「って……あれ、そうだっけ。……ってことは、私の早とちり?」
「うん、まぁ……」
「はー……う、うわああああんっめっちゃはずかしいぃ〜!」
「ま、まあ寝呆けてたから、ほら。しょうがないよ」
「え、あ、うん……しょうがない、かな?」
「うん、しょうがないよ」
「そっか……うん、ようし。聞かなかったことにしよ〜」

 あ、小毬さんお馴染のいつものやりとり。
 ぴっ、と毛布から手だけ出して指を立てている。
 それを、僕に向けていた。

「あ、うん」
「聞かれなかったことにしよ〜」

 今度は自分をさして、一人頷く。

「うん、これで解決」

 にっこり笑顔で言う小毬さんに、僕は苦笑する。

「あー、でも、晴れたんだね〜」

 よかった、という風に窓の外を見て微笑む小毬さん。
 と、「くしゅん」と小さくくしゃみを一つした。

「うう……暖炉の火が消えたから寒いよ……」
「そうだね。ウェアが乾いてたら着ようか。まだズボンは湿ってるかもしれないけど、他は大体乾いてるんじゃないかな」

 どれだけ寝てたか分からないけど、薪を全部使い切ってるからそれなりに乾いてるんじゃないかと思う。
 湿ってるだけなら、まだ我慢できるだろう。
 なにより、もう薪がない以上あまり我儘も言ってられない。
 小屋に残ってた家財に掛けるようにして干してあるウェアを取ろうと手をのばそうとしたとき、僕は忘れていた。
 思い出したのは、左足首が痛んだ時だった。

(しまっ……! 足、捻挫……!)

 気づいた時にはもう遅かった。
 おまけに、僕はもう一つ失念していた。

「ふぇ!? り、理樹君っ。急に立たれると……!」

 今僕らは一つの毛布に包まっていて、それはたいして大きくもない。
 必然的に、僕が立ち上がれば小毬さんの裸が日の光に晒されるわけで、小毬さんはそれを止めようと振り返る。

 そこに、僕は勢いよく倒れこんだ。

「うわっ!」
「ふぇえええ!?」

 ずだんっ、といい音がして二人とも床に転ぶ。
 転んだ時に打った頭がチカチカと痛むのを我慢しながら、上体を起こす。
 けど、頭以外は大して痛くなかった。
 なにか柔らかいものがクッションになって……って。

「たたた……って、あ」
「うう〜痛い〜……理樹君、急に立つとわた……し、が」

 目の前に、小毬さんの顔があった。
 まつ毛が数えられるほど近くにある小毬さんの顔は、驚きで分からないといった目をしている。
 が、それも一瞬ですぐに小毬さんの顔が真っ赤に茹で上がる。

「り、りりりりりりきくんっ。あ、あのその……!」
「うわわわわっ、ご、ごめん! すぐどくから!」

 今の状況を完全に把握して、僕はあわてて体を離そうとする。

 今の状況、それは裸に近い僕が、同じように殆ど裸の小毬さんを押し倒してる図だった。
 ひどく体裁の悪い恰好だった。
 もう、人に見られたら言い訳のしようもないほどに。
 けど、パニックに陥った頭は何をどうすればいいのかを上手くまとめあげてくれない。
 捻った左足も、立ち上がるのを妨害する。

 普段だったら、上手く足をかばって立ち上がれたんだと思う。
 けど、二人して混乱した状況じゃ何をしようにも上手く進まない。



 そして……間が悪いことは続くことなんだと、この時、強く実感した。
 なにも、こんなときじゃなくても……というのは本当にあるらしい。
 もう少し早ければ、あとちょっと遅ければ。
 それだけで済むのに、けれど神様は意地悪らしい。
 もしくは、緊急時だったとしても傍から見れば美味しい事をしてた僕への、これはお仕置きだったのかもしれない。

 扉がバタンと開いて、人が入ってきた。

「理樹! 小毬! ここか!?」
「なにやら人の声と物音がしたが、そこにいるのか? 理樹く……」
「あ、」
「ふぇ……」

 恭介と来ヶ谷さん、そして謙吾と真人が扉を開けて中に入ってきていた。
 けど、そのままみんなの動きは止まる。
 ……僕たちの動きも止まる。

 今、僕は傍目には半裸の小毬さんを押し倒している状況で、僕も半裸だ。
 4人が目を丸くするのは、ある意味当たり前だった。

 そこで、叫んでこの場を狂乱の渦に巻き込んでくれれば、まだ救いようがあったのかもしれない。

「なんだ、その……すまなかった」
「あ、ああ……まあ、なんだ。間が悪くて、すまない。そ、その、もう少ししたら、また、こ、来よう、と、思う」

 バツの悪そうに去っていく恭介と、珍しく顔を真っ赤にして慌てて出ていく来ヶ谷さん。
 真人と謙吾も、何も言わずに出ていく。
 ……いや、謙吾の最後のあの笑みは、とても悪い方向に誤解してくれていた!

「って、ちょっとまってみんなっ! 違うから、これ誤解だから!」
「う、うわああああんっ! み、みんなにみられたーっ!」





 慌てて追うにも、ウェアも来てない僕らじゃすぐには追いかけられない。
 ともかく、こうして大騒動になった僕らの遭難事件はひとまず終わりを迎えた。

 ……とてつもない誤解をみんなに残して。







あとがき



「命でーす」
「翠です。ようやく終わりを迎えました、『リトルバスターズ、スキー旅行に行く!』」
「まだエピローグが残ってますが、どうだったかな?」
「作者からのメッセージです『ぶっちゃけ、この話が描きたかったためだけのスキー旅行でした』だそうです」
「最初は1泊2日で即落下、だったんだけどなんか納まり悪いから2泊3日にしたらしいよ」
「力不足を感じながらも、山小屋のシーンを読んでて恥ずかしくなったり、オギオギしてもらえたら、と思ってるらしいです」
「うーん……もっとネチっこく、こう濃厚に書いた方があたしは好みだけどねー」
「まあ、作者の力が足りない、という事で置いておきましょう」
「そだね。じゃあ、残りのラスト、エピローグがあるからそっちもぜひぜひ読んでねっ」
「では、またお会いしましょう」



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