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田上中学校第十五回卒業生 昭和37年3月卒業
十五喜の会



田上中学校校歌合唱!

♪や〜ま〜ぁむらさぁ〜きにみず〜きいよおき〜
たが〜みのさ〜ぁと〜のぉあさぁ〜ぼらけ〜
みぃど〜りがぁおおか〜にそび〜えぇた〜ぁつ〜ぅ
わが〜ぁま〜なあび〜やにひか〜り〜あり〜♪


「チャイム」
♪キン〜コン〜カン〜コン〜・・・・???
(いや、あの頃は鉄琴で)
♪ポン〜ポン〜ポン〜ポ〜ン
(でしたね。)

2012/01/01

田上の元日は穏やかな一日でした。



「六十五歳懇親会」が十月八日無事に
開催されました。


田上中学校「十五喜の会」六十五歳懇親会

  告  記

2011年10月8日(土)

会場:田上町・ホテル小柳

 平成23年10月8日の午前11時頃、
天気予報では想定していない大粒の雨が降ってきた。
この日は、田上中「十五喜の会」が5年ぶりに開かれる日だった。
前回は、六十歳の還暦の年に100人もの仲間が、
全国から駆けつけてきて盛大にお互いの無事を祝ったものだった。
会場の田上町・ホテル小柳のロビーで、
「さて足元が悪くなると、集まってくるのに大変だなあ」と
思っていると、
雨は三十分ほどで上がり明るい日差しが戻ってきた。
雨に濡れた木々は、
みずみずしくも新鮮でさえあった。

早めの参集で5年ぶりの再会、懐かしい顔、顔

 受付は12時からと案内されていたが、
時間前にも次々と集まってくる。
「やあ、久しぶり」「元気?」と、
瞬時にして昔に返れるのは同級生の不思議さだ。
この日の参加予定者は、
二組の樋口先生と三組の伝井先生を入れて総勢69人。
なにせ5年ぶりの学年会だ。
県外からも19人が駆けつけることになっていた。
遠くは福岡、和歌山、三重、大阪、福井などなど。
そのほか、埼玉、神奈川、東京、静岡からも、
そして県内各地、
地元の田上や加茂・三条・見附・新潟・白根・新津・五泉からも
続々と懐かしい顔が集まってきた。

受付係は、地元女性幹事だ。
五組に分かれて受付していたが、
久しぶりの顔と顔が溢れて混雑、
誘導係が必死に控え室に誘導する一幕もあった。
二階の控え室「越後路」は、両先生が到着した12時半頃には、
参集した仲間で一杯となり、
早速、お茶での交流が始まったようだ。

先生を真ん中に記念撮影、どの人もいい顔してる

 午後1時、懇親会場のとなりで記念撮影開始。
両先生を真ん中にして、五列に並んでの撮影だ。
もうどっちが先生で生徒なのかわかんなくなったが、
先生方はどちらも八十歳に到達されたとか。
六十五歳と八十歳の顔がどちらも輝いている。
どの顔も50年前のあの頃の面影を残して、
まったく別人になった人はいないように見受けられる。
会社社長も農業生産者も商店経営者も、
そして今では年金生活者もここでは同級生。
みんな年輪を刻んだいい顔をしている。

撮影した写真屋さんは、
中学時代から付き合いのある「アヅマ写真館」さんだ。
「さあ、そこのお姐さん、もうちょっと素晴らしい笑顔でね」と、
リラックスな雰囲気作りに余念が無い。
もちろん、
代は替わっているが長い付き合いということになる。

 写真撮影は15分で終了し、
懇親会がいよいよ始まった。

先生二人が据わった正面席には、
これをはさんで3人づつが並んだ。
あとは正面席には直角に6列が席を連ねた格好だ。
これはいずれも
受付段階で引いたくじ引きで決まったこと。
埼玉から参加の長谷川忠君が
「なんで先生の横に据んなきゃならないんだよ」と、
並ぶことに異議を申し立てたが、
幹事の
「運がよかったんだと思って据わってくんねえか」の声に
しぶしぶの態。
(でも、その本人が長々と先生と話し込んでいたっけ)

今回の参加者は女性が25人で男性が42人と、
女性が少なかったので
座席担当幹事の渡辺(佐藤)周司さんが
苦心した座席配置だった。
少ない女性が孤立しないように、
左右はもちろん向かい側にも気を使ったはずだ。

元気な顔を合わせて大震災の年に感慨あり

 司会は、地元・湯川の高橋伸一さんだ。
最初は緊張気味だったが、
開会のことばも一度流れに乗れば持ち前の話術がさえる。

続いて私たちは、
学年213人の仲間のうち、これまで亡くなった17人と
すでに亡くなられている河野先生のご冥福、
さらには
東日本大震災で犠牲になった方々のご冥福を祈って、
全員で黙祷をささげた。
17人の中には、
七月末の豪雨に流された
渡辺芳孝さんも新たに加わってしまった。
心から哀悼の気持ちを表したい。

最初の挨拶は、
勝手に幹事会を代表して小池真一郎さんだった。
彼は農業の傍ら、前期まで田上町議会議長を務めていた。
「今年は、三月に東日本大震災が発生し、
七月末には新潟・福島豪雨がありました。
幹事会は四月に立ち上がって準備に入りましたが、
最初は五年ぶりの学年会だけどほんとにできるのか、
という声もありました。
しかし、
震災をきっかけに日本中が連帯や絆を深めているときに、
無事で元気な顔を合わせれば勇気も湧いてくる、
として開催することに全力を挙げることにしました。
きょう、
恩師を迎えみなさんと会えたことは、
ほんとうにうれしい限りです」と、
歓迎のことばを述べた。

感謝と感謝、人生の先達二人の恩師が激励

続いて、恩師二人のご挨拶です。

まずは二組の樋口先生。
「お招きいただいて本当に感謝しています。
なにかお話しようと、
今日の朝、
人生とは何かを辞書を引いてみました。
すると、
生きることとは生を保つというほかに、
活きることと書いてあります。
それは活動すること、
頭や体を使って活発に動くことだと思います。
みなさんも大いに活きていってください」と、
激励された。
続いて三組の伝井先生。
「今回も来ることができてうれしい限りです。
私が知っている範囲では、
この学年が一番、まとまってるように思います。
君たちには何かと声をかけてくれて感謝していますが、
私は君たちによって
生かされているようにも思います。
体力は年々弱ってきますが、
君たちの会がいつまでも続くことを願っています」と、
挨拶された。

お二人には
いつまでもこの会に参加されることを
願わずにはいられない。
人生の先達として、
これからも体調の話も含めて、
いろいろな話を聞きたいものだ。

同級会の魅力、十五歳の昔に戻って話に花が

挨拶が終わり、いよいよ乾杯のときがきたようだ。
乾杯の音頭は、
和歌山から駆けつけた田村(藤田)喜恵子さん。
彼女は、
中国やベトナムなど東南アジア各国から
和歌山に留学する学生たちを支援する
ボランティアを長年続けてきて、
学生からは母のように慕われている。
田村さんの
「かんぱ〜い!」の声で、
5年ぶりの大懇親会がスタートした。

会場は
ホテル小柳のコンベンションホール。
ガラス張りの窓越しには
山と芝生の緑が映えて美しい。
この日は、ビール、酒、焼酎、などなど
なんでもござれ。
勢いよく宴会がスタートを切ったようだ。

最初は隣同士だった話が、
正面席の先生方を囲む輪に広がり、
やがてあっちこっちで
大小の花が開いているようだ。
じっくりと話し込む組があれば、
懐かしさのあまり蝶のように
誰彼となく話しかける人ありで、
時間はゆったりと
動いているようにも見えた。

自分の席に座り込まれた人は、
ミーティング用に設けられた丸テーブルで、
伝井先生寄贈の日本酒をいただきながら
あぶれもの同士で話し込んでいる。

話は中学時代の話や近況報告だが、
共通項はどうしても現在抱えている
健康と孫と年金の話に及ぶ。
アルコールで気分を和らげ、
五年間を取り戻すように交流が続いていた。
住む場所や生活は違っても、
一瞬にして15歳の昔に戻れる、
これが同級会の魅力だろう。

校歌「山紫に水清く・・」先生方も歌の輪に

二時間経った頃、
樋口先生が帰る意思表示をされたので、
最後に予定していた校歌を
全員起立で歌うことになった。
リード役が前に出て、
「山紫に水清く、田上の里の朝ぼらけ・・・」と
歌い始めると、
先生二人も
この輪に入って歌ったのだった。
五年ぶりの校歌だった。
普段、
歌うことがないだけに懐かしさとともに、
新鮮な感覚を覚える。

「毎日飲んでいるが、最近になく気持ちよく飲み過ぎたよ。
ありがとう」と、
樋口先生が席を立たれたので、
二組のメンバーを中心に
玄関までお送りしたことは言うまでもない。
その後三十分ほど頑張っておられた
伝井先生も帰ることとなり、
大半の人が玄関に見送り、
別れを惜しみ、
また記念撮影が十分ほども続いたので、
待機していたタクシー運転手さんの
機嫌を損ねたほどだった。
二人の先生のますますのご健康を祈るばかりだ。

次回は三年後か五年後か、長い一日が暮れた

あっという間の三時間だった。
司会役の高橋さんが中締めに入るのに苦労したことだろう。
興奮はピークに達していた。
いつまでも時間は許してはくれない。
締めくくりの「万歳三唱」にお願いしたのは
保明の松原良彦さん。
彼は春の統一地方選で田上町議会員になったばかりだ。
「県外からも含めて、
これだけの人が田上に集まっていただきました。
これからも田上のよさを生かして、
素晴らしいふるさとづくりにまい進したい。
またぜひお出で下さい」と述べて、
盛大に万歳三唱を和した。
最後に勝手に幹事会事務局の川瀬誠一さんが、
「次の十五喜の会は五年後にしますか、
それとも三年後にしますか」と
問いかけると、
五年後に四割、三年後に六割の人が手を挙げたようだ。
「この件は、幹事会の総括会議で協議します」とし、
閉会のことばを述べて再会を誓った。

外は秋の夕暮れ。
ほぼ暗くなっていたが、
かすかに残照が残っていた。
盛大な懇親会だった。
誰もが興奮し満足していたように見える。
先生がおっしゃったように、
この学年会「十五喜の会」は
ハーモニー豊かな人の輪であることを
再度確認できたように思える。
長い一日が暮れた。

ほとんどの人が用意されていた二次会に参加し、
カラオケをBGMにと楽しんだ。

終了後、
まだ交流が足りずに、
加茂に三次会場を求めた人も
多かったようだ。

(S・Kawase)




先生方を囲んで全員で校歌斉唱の一こまです。


校歌を歌うやまもとくん、ふじたくん



2011/10/04
参加者数は約七十名です。
今週末の「十五喜の会」参加予定者数です。

おまちしてま〜す。


2011/08/18
今日も届きました。
毎日、郵便やさんが来るのを楽しみにしています。

2011/08/10
みなさんからの返事が毎日届いています。
一言メッセージはページトップの「みなさんのメッセージはこちら」をクリックして下さい。
中には名前を書かないで出席の返事をよこした方も居ます。
ポストに入れる前に再度ご確認下さい。

2011/08/05
さっそく出欠の返事が5通着ました。
うれしいので名前を
しだまこと
こばやししろう
さかうちけいじ
やまもとひさお
いりくらようこ
中にはメッセージに
「あんまり飲ませないように。妻より」
と書かれたものも。


2011/08/03
往復はがきが届き始めました。
ハガキ担当者ご苦労様でした。

2011/08/02
みなさんご存知の通り
川の下の渡辺芳孝くん(五組)が
この豪雨で亡くなりました。
ご冥福を祈ります。
合掌

2011/07/29
集中豪雨
お見舞い申し上げます


2011/07/13
まだ案内の往復葉書を出していませんでした。
近日中に担当者ががんばる!
ッて言ってました。

猛暑お見舞い!

2011/06/29
田上は梅雨真っ盛り!
「じめじめ」なんていうもんじゃない
「びちゃびちゃ」です。

昨夜は第三回勝手に幹事会でした。
参加費が決まりました。
日帰りコース¥12000
宿泊付コース¥20000
座席を腰膝が弱ってきたので
椅子席ということでお願いすることになりました。
近日中に出欠の往復はがきを出します。
返信葉書には「一言」お願いしま〜す。

2011/06/01
住所変更で再発送した方は八名でした。


2011/05/30
昨日まで荒れた天気でしたが、今日は穏やかな田上です。


2011/05/26
(田上は穏やかに晴れています)
下記の方々の住所が判りません。
情報をお持ちの方は連絡ください。
0256-57-2034(神田)
一組 岩本正春さん 梅田イツさん     
三組 関根和子さん             
五組 高橋美津枝さん 羽生トシ子さん 

2011/05/16
(田上の天気は晴で温かです)
今日も二通戻って来ました

再発送しますね。


2011/05/12
昨日、「十五喜の会開催告知ハガキ」を出しました。
さっそく、宛先不明で二通ほど戻って来ました。
手分けして情報収集作戦開始です。


2011/05/10
第二回目の「勝手に幹事会」を開催。
十五喜の会2011
開催日を十月八日(土)午後頃〜
会場はホテル小柳
明日、告知ハガキを。

八月に往復はがきを。

2011/05
ことしの秋に十五喜の会をやりましょう!
詳細は近日中に!
「勝手に幹事会」より


2011/03/12
3・11被災された方々お見舞申し上げます。
みなさん 大丈夫ですか?
元気で「十五喜の会」で逢いましょう。


2011/01/01
謹賀新年
ことしは集まる年ですよ〜。


2010/04/14
午後三時半ゴロ、テレビのNHKで各地の話題を放送していた。画面は見ていなかった
のですが、アナウンサーが「柿農家の星野カズオさん・・・」の声に私は反応!振り返って
テレビ画面を見たら、旧姓佐野カズオ君ではないですか。定年まで教職についておられた
とか、画面の肩書きテロップには「柿農家」と紹介されていました。話題は「低温で柿の収穫
が20%にも落ち込む」のような話しでした。


2010/01/01
迎春


2009/01/01
あけましておめでとうございます。


2008/01/01
謹賀新年



2007/11/17
午前 湯ったり館の中二階から弥彦山方向の景色です。
きれいだったので携帯でカシャ!


2007/10/23
みなさん、如何お過ごしですか?
年金生活ですか?
うらやましい!
新しい職場でがんばっている?
すばらしい!
リタイヤして、のんびり趣味に専念?
それもいいことですね!
でも、健康には充分気をつけてください



2007/09
昨年の今頃、「還暦祝賀会」を開催して、一年が経ちました。
みなさんいかがお過ごしですか?
それにしても「六十歳」って歳らいねえ!



還暦祝賀会
平成18年9月23日
湯田上温泉ホテル小柳


御祈祷

祝賀会 先生のご挨拶です。



2006/09/23
飲み足りなかったでしょうか?
記憶がマダラ模様です。
あっという間の一日でした。


2006/09/15
最終打合せ幹事会合を開催
当日のスケジュールや役割などが話し合われました。
御祓いの玉串奉天は、幹事代表一名、各クラスから一名
合計六名にお願いすることにしました。
一組渡辺ひろし
二組小島ひろし
三組久保しずお
四組渡辺しゅうじ
五組川瀬せいいち
勝手に幹事会小池しんいちろう

祝賀会では乾杯の発声を一番遠方から出席してくれた方に
お願いすること。等が決まりました。



2006/08/28
暑い夏ももうすぐ終わりますかね?
九月になれば十五喜の会!


2006/08/13
田上は穏やかなお盆でした。

2007/07/29
今日現在、みなさんからの返事ですが、
129通の返事が来ました。そのうちの
出席者数は90名です。百名に届くかな?


2006/07/21
返事が毎日届いています。
宿泊希望の方もおられます。
まだ返事を出していない方は忘れずにお願いします。


2006/07/13
さっそく、出席の返事が着ました。第一号は、二組の田巻文夫くんでした。
本田上出身で現在は加茂市に在住。

体調が優れず残念ながら欠席という方もおられます。
みなさん気を付けて下さいネ。


2006/07/11
本日、やっとご案内と参加申込の往復はがきを
羽生田郵便局へ持っていき投函しました。
「ふぅ〜っ!」
案内文に書いたけど、みなさん、ネットで検索してこのページにたどり着くかな


2006/06/23
第三回勝手に幹事会の会議でした。
以下のことが決まりました。
集合時間は午後一時として、還暦の御祓いと集合写真
二時から祝賀会。
会費は¥15000です。
遠方の方には宿泊付きコース¥22000
も用意しました。
出欠の往復はがきを7月10日ごろ発送。
出欠申込を7月25日までとする。


2006/05/26
第二回勝手に幹事の会合を開催しました。
「還暦の会」の受付開始時刻を午後の一時頃からにして、
神事・記念写真を行い、祝賀会を三時からにしてはどうか?と決まりました。
この辺はもう少し煮詰めなくてはなりませんが。
宿泊する、宿泊しない、の選択が可能にしよう。



2006/05/12
みなさんのご協力でほとんどの方の新しい(正確な)
住所がわかりました。
住所が確認出来ない方々の名前をお伝えします。
心当たりの方はご連絡ください。
0256-57-2034(神田)

一組 岩本正春さん 山本ルミ子さん 梅田イツさん
三組 関根和子さん                   
五組 高橋美津枝さん 羽生トシ子さん       



やっぱし、何通か宛先が解からず戻ってきました。
これからが正念場ですね。
2006/04/28


4/6の「勝手に幹事会」から二十日も過ぎたのに
本日(4/22)にやっと第一回目の案内状を郵便ポストに投函しました。
宛名書きソフトへ住所録を移すのに手間取りまして、
なんせ、最近パソコンがユウコトヲ聴かなくなって!
住所間違いで何通戻ってくるのかな?
2006/04/22



「十五喜の会のみなさんへご案内です。」
「今年は還暦同期会開催の年です」
「勝手に幹事会を開催致しました。
その結果、決まった事をご報告します。
開催日 平成18年9月23日(土)秋分の日
会場 湯田上温泉 ホテル小柳
詳細後日

連絡でーす。
4/6に「志田や」で会議をやりましょう。
都合のつく方はご参集ください。




(こんなハイカラな校舎ではなかったですが、中学校とゆう風格がありました)
(火災でほとんどを焼失、その後の立替であの頃の面影は、町民体育館脇に今は使われていない野球のバックネットが残っているだけでしょうかねえ)

バックネットの姿が見えません!こんなですよ。(05/09/01)

2006/01/01
還暦の新年になりました。
今年は十五喜の会の開催年ですよ。



2005/01/01
迎春
来年が次回の十五喜の会の開催年ですね。



2004/12/31
今年もいろいろありましたね。
歴史に残る2004年でした。

2004/01/07
昨夜の夢に同級生が出てきました。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
昔と同じでした。


2004/01/01
謹賀新年
みなさんにとって良い年でありますように!



2003/12/31
良い年をお迎え下さい。


2003/03
今年も中学校の卒業式が行われました。

2003/0108
今年もたくさんの賀状を頂きました。ただ、気になるのが「喪中につき年賀欠礼」の案内が増えている事ですね。丁度自分達の親が亡くなる年代になったのかな。順番だけは守っていきたいですね。

2003/01/01
謹賀新年!賀正!迎春!賀春!
あけましておめでとうございます。
A HAPPY NEW YEAR
<十五喜の会>



2002/夏
佐世保在住の馬場正二くん(三年二組・清水沢出身)から、「羽生田小学校入学式の日の記念写真を持っていないか?あったら、コピーして送って欲しい」との事。お袋に尋ねたら、出してきました。真中で足にギブスをしているのが馬場くん。解かりますか?

旧校舎の体育館(講堂)。紅白の垂れ幕に紙テープの飾り、三つのペンの校章。

自分がどれかは解かりますが、他は???解かりますか?
男子はなんとなく解かりますが、女子は皆目解かりません。

2002/6
今年も六月一日に新宿で十五喜の会東京支部の集まりが行われました。その時の写真が小嶋くん(保明)から送られて来ましたので載せました。6/20



田上中「十五期の会」のみなさん
世の中なにかと大変ですが、ひとつ、ぶわーっと
いきましょう。
ご意見・お便りをお待ちしています。
差し支えなければ、ホームページに掲載します。
2002/2/1

2002/1/1
あけましておめでとうございます。
ことしも元気に健康に気を付けて行きましょう。
田上中十五喜の会



十五喜の会2001の「勝手に幹事」の打上会を10/16に志田家で開催しました。収支決算も赤字でなかったとゆうことで承認しました。次回は六十歳の還暦を迎えての集まりになります。なんとか全員が参加できるように毎年の幹事会と二年後に実行委員会の開催を目指して活動を継続していく事が確認されました。十五喜の会at還暦の開催地は地元の活性化の意味も含め「湯田上温泉」で出来れば一泊を、そして、二次会は志田家で行う!と、確認されました。実感として「五年後って遠い感じがします」
2001/10/17

「十五喜の会2001」

無事に十五喜の会2001開催されました。
恒例の参加者の一言も
それぞれの個性が現れていて
人生が感じられました
あっというまの四時間!
そのまま
志田屋へながれての二次会
さすが
今朝は二日酔い
詳細は後日に
2001/8/17


2001年(平成十三年)八月十六日お昼
当日、始る前に「ハイ!チーズ!」
さすが、真夏の太陽はあっちぇーかったー!です。


手元の写真と比べてみてください。後ろの電線を消しました。


早速、みなさんから「十五喜の会2001」の感想が寄せられています。
出席した「渡辺広」「小池三男」「藤田喜恵子」たちから
良かった!楽しかった!おもっしぇかった!
欠席した「馬場正二」「村越文子」「谷口和子」たちから
なじらったあ?みなさん元気らったあ?今度はいくてエ!
のメッセージが寄せられました。
次回は還暦
そんな年齢になりましたねえ
2001/8/24



残念ながら出席出来なかった方がたからのメッセージです
(返信お葉書より)
「幹事の皆さん、どうもお世話様です。五年という歳月があっという間に過ぎてしまいました。七月末より一年間、主人の仕事で日本を離れます。今度、お会いする時は、ひょっとして還暦?!その日を楽しみにしています。先生方と十五喜の会の皆さんに暮ぐれもよろしくお伝え下さい
昆(旧姓:畠山)洋子 福岡県

「誠にすみません。お盆に帰りません。皆様によろしくお伝え下さい。当方も元気に頑張っております。」
佐藤克行 町田市

「三月に亡くなった義父の新盆の為、大分へ行く予定にしております。」
高橋(旧姓:小林)ハルイ 岸和田市

「旅行のため欠席致します」
金子(旧姓:入倉)ミツ 加茂市

「当日仕事が有り大変申し訳ありません次期機会がありましたら案内下さい」
吉澤昭久(田上)

「先生方初め皆々様ご健勝の事と存じます。今回は出席できると思っていたのですが残念です。次回(五年後)にはお逢いできたら嬉しいです・・・・。
飯島(旧姓:阿部)フジイ 宇都宮市

「都合により今回は出られないです。このつぎ よろしく お願いしますいつもありがとうございます。」
川口(旧姓:渡辺)敏子 川口市

「病気の為に当日は入院です。皆様によろしく」
大塚昭一 加茂市

「目が不自由の為欠席します。皆様によろしく」
大塚(旧姓:笹川)光 加茂市

「仕事の都合で欠席しますが、皆様によろしくお伝え下さい」
渡辺政幸 調布市

「都合により出席できません。皆様によろしくお伝えください。伊勢、松阪方面にいらっしゃったら、ぜひ、お立寄り下さい。」
道正(旧姓:師社)久子 松阪市

「今回は残念ながら所用で欠席します。みなさんに宜しくお伝えください写真だけでも分けてください。」
谷口和子(羽生田)

「私は女の子二人ですが、去年5月と9月に嫁がせ、今年は2月と11月に孫が二人になりました。五年ぶりなので楽しみにして居りましたが、私の母を7月4日に亡くした為、今回は欠席させていただきます。
金子(旧姓:山口)君代 中店

「今年は欠席いたしますが、また5年後楽しみにしています。」
染木(旧姓:水信)フクミ 愛知県甚目寺町

「都合により 出席できません。御盛会をお祈りします。」
横山(旧姓:薄田)玲子 新潟市

「元気で過しています。皆々様もお変わりございませんか・・・?次回
には出席します(その時には更年期の長いトンネルから出ていると
思います)皆様、先生方にもくれぐれもよろしくお願いします!!」
大湊(旧姓:須佐)真里子 中店

「残念ながら仕事で出席できません。皆様に宜しくお伝え下さい。」
小嶋 弘 新潟市

「本来なら何を置いても駆けつけてクラス会と和憲の仏参りも予定しいましたが、あいにく当日仕事が入っており残念ながら出席できません (中略)みなさんに宜しくお伝えください。」
馬場正二 佐世保市

「新世紀の同年会を心待ちにしていましたが、仕事の都合で出席できません。皆さんのご健康をお祈りしています。
関川純男 寝屋川市

「残念です どうしても休みの調整がつかないので行けません。会の発展を祈念いたします。次会はぜひ参加したいと思います。
上野(旧姓:長谷川)健吉 上越市

「毎回ご案内を頂き、誠にありがとうございます。寄る年波には勝てず
今回は欠席いたします。申し訳ありません。当日の盛会をお祈り申し上げます」
荒木邦夫先生 吉田新田

「いろいろと”やりくり”してみましたが、今回はどうしてもち都合がつきません。大へんすみません。参会の皆様のご多幸とご健勝をお祈り申し上げます。」
樋口良蔵先生 加茂市

「御無沙汰しております。都合により新潟に帰れない人達12名位で
7/28 中学時代の思い出を語り合うつもりです。皆様によろしく。
清水トヨ子 新宿区

「所沢に来て34年、孫も4人に成り楽しく過しております。皆様もお元気でお過しくださいませ。
難波(旧姓:早津)晴枝 所沢市

「遅くなって申し訳ございません。私は至って元気ですが姑が入院。今は退院しましたが、介護状態になり今回はやむをえず欠席致します。次回を楽しみにしております。皆様もどうぞ健康に気を付けてお過し下さい。
大倉(旧姓:坂口)順子 新潟市

「来客の為出席できませんが、5年後には必ず出席したいと思っておりますので、よろしくお願い致します。
藤田(旧姓:荒井)美智子 下吉田

「3組の皆様、お元気の事と思います。私も元気に暮らしております。都合で出席できませんが横浜方面にお出掛けの折にはお立寄り下さい。皆様の益々のご健勝をお祈りいたします。
山口健二 横浜市

「21世紀激動のスタート。誠に残念ですが欠席させて下さい。リストラの中 沈没しそうです。又逢う日を楽しみにがんばりましょう!」
小林友雄 清水沢

「とっても楽しみにしていたのですが、この度義妹が亡くなりやむをえず欠席させていただくことになりました。先生方はじめ同級生の方々お元気でしょうか、宜しくお伝えください。欠席しますけど記念写真は一枚ほしいので確保しておいてください。代金をおくりますので。」
渡辺(旧姓:村越)文子 三条市

「私、都合により欠席いたしますが、又 皆様にお会いできる日を楽しみにしております」
川村典子 下吉田

「喪中の為 欠席いたします」
加茂(旧姓:長沢)ヨシ 三条市

「暑い日が続きます。お元気ですか。羽生田(田上)の夏はどんなだったかしらー。新潟はやはり少し遠いです。幹事の皆様ごくろう様です」
藤牧(旧姓:今井)貞子 焼津市

「遅くなり申し訳ありません」
村越(旧姓:石崎)良子 新潟市

「大変申し訳ございませんが、出席する事が出来ませんので、先生方、又、15喜会の皆様によろしくお伝え下さい。
牧野(旧姓:皆木)千恵 和光市

「今年は暑さがきびしい折り皆様 体に 気を付けて下さい。」
石井(旧姓:吉野)正子 池袋

「七月末「出席」としながらの変更、申し訳ありませんが、腰痛の悪化、海軍で痛めた左膝が病んで座る事は勿論、杖をついている始末、ご盛会を祈ります。」
椿 一郎 先生 下吉田

「体調不良で、誠に申し訳ないが、欠席です。みなさんに宜しく伝えてください。ご盛会を祈ります。
蒲沢昭英 先生 原ケ崎

メッセージを寄せてくれた方々、本当にありがとうございました。
幹事一同