17Th Home 定時連絡 2001年9月3日〜2001年12月29日
注意!リンクしません。

2001年12月29日(土)
          ○          17期徒然草に野田からのメールを掲載した。
2001年12月28日(金)
          ○         17期2001年に野田からのメールを掲載した。
アンチュウの返信メール    メール、アリガトウ。いろいろあるけど、「当然のように俺の病気が、またすこし進んだことですかね。」の記載、大変心配だ。この17Th Homeを見ている全員はもちろんのこと新潟にいるアンチュウとしては、なんの病気が進んだのかカイモク見当がつかない。ノダクンの近くにいられれば、身体の事なら医者にまかせることとして、心の問題であればアンチュウが治してあげられると自負しているのだが・・・。
”17期2001年”の序文にも記載したが  ”我々17期は”イキアシのある奇数期なのだ。”アンチュウはくるしいときその言葉を思い出し、ここまで生きてきた実績がある。・・・・  実績があるのだ。それこそ、どんな名医にも出せない良薬だとアンチュウは、先輩諸氏に感謝している。
”我々17期は”イキアシのある奇数期なのだ。”       がんばっていこうぜ!!

橋本    ********
西郡    ********         ぜひ、メールを出してくれ。               野田のメールのすべてにコメントできなかったが、一番気になったことのみ返信する。また、メール マッテルデ〜。
          ○         17期徒然草に藤原からのメールを掲載した。

2001年12月27日(木)
          ○         17期2001年に氏野からのメールを掲載した。
 アンチュウの返信メール     ひさしぶり!あいたかったぞ!ちょっと間隔があいたが、シンダのかと思っていたわけではない。テロやらナンやらできっと忙し いのだろうと、いいように解釈していた。17Th Homeは、”17期2001年”に次々メールがきているのでいそがしい。アドレスの件、ラジャー。では。
          ○         17期2001年に橋本からのメールを掲載した。
アンチュウの返信メール      メール、アリガトウ。いつもながら、橋本の文面には敬服する。   さっきまで、”ちゅらさん”総集編をみていた。マチャアキふんする古波蔵なんたらがいつももっているアレだろう?次回の同期会には、橋本のステージが見れると思うと今から、ねむれない?    中川、よろこぶぞ!中川もこの17Th Homeを見ていてくれると思うが、管理人のアンチュウとしては、橋本のメールを中川に紹介しないわけにはいかない。このメールといっしょに送信する。実は、中川には、アンチュウも同じ思いを持っていてその気持を返信メールで送信したのだった。  てなところで、またメール  マッテルデ〜。
          ○         17期2001年に竹下からのメールを掲載した。
アンチュウの返信メール       メール、アリガトウ。”17期2001年” へのコメント、喜んでもらえてアンチュウは、ウレシイ。早く、HPを開設して、アンチュウが持っている写真の置き場所を確保してくれ。”来年もよろしく”とか書いてあるけど、年内にもう1通ほしいね。なんせ、17Th Homeは年内無休で頑張るので。

2001年12月26日(水)
          ○        17期2001年に西郡からのメールの追加分を掲載した。
アンチュウの返信メール   すぐにありがとう。”17期2001年”に掲載したのでまた見てくれ。最後の方も全部載せたぞ。普段のメールも”17期徒然草”に掲載するのでよろしく。
          ○        17期徒然草に小池正行からのメールを掲載した。
アンチュウの返信メール    メール、ありがとう。内容をアンチュウなりに吟味したが、これは、”17期2001年”の趣旨と若干ちがうんでナイカイ?との結論に達してこのメールは”17期徒然草”に掲載したので再度、”17期2001年”送ってくれ。ところで、たまに17Th Homeを見てもらっているだろうか?デキがいいのか悪いのか自分では、なかなかわからないんだ。なにか思いついたことや要望があればぜひ、聞かせてくれ。そして”17期2001年”だけじゃなく普段のメールもよろしくね。とりあえずの お願いでした。
2001年12月25日(火)
          ○       17期2001年に西郡からのメールを掲載した。 

2001年12月24日(月)
          ○       新コーナー ”17期2001年” を 開設した。
          ○       17期2001年に藤原からのメールを掲載した。
アンチュウの返信メール    さっそくの返信、アリガトウ。昨日、17Th Home の ”17期2001年”に掲載した。”17期2001年” 記念すべき第1号だ。藤原はケイタイからだから ”17Th Home” は見れないかもしれないけど、どっかのだれかのパソコンで、見てチョウダイ。確かに、自分の事を考えてみてもよくないことはすぐに思いつくけど、良いことは、すぐに出てこない。人間も、悪いところは10も20もすぐ言えるけど良いところは、2,3箇所だ。45,6年も生きてきて情けないよな。2002年は、逆に行こう。     ・・・ っと、アンチュウは藤原のメールを読みながら自分に言い聞かせているのでアリマス。ところで、17Th Home は、たまに見てもらっているのだろうか。?デキがいいのか悪いのか自分では、なかなかわからないんだ。なにか思いついたことや要望があればぜひ、聞かせてくれ。7Th Homeは年内無休で、頑張るのでこの1通だけじゃなくてまた送ってくれ。   マッテルデ〜。
2001年12月23日(日)
          ○       アンチュウからアドレスの判明している同期全員に、以下のメールを送信した。      ・・・・返事を待っている。
げんきか? 17Th Home だ。今年もあと残りわずかになった。そこで 今年の君の一年を振り返って、よかったこと、楽しかったこと愉快だったことなどをおくってくれ。17Th Homeの 徒然草に掲載したい。お互い よかったことは 素直に喜びを 分かち合おうではないか。17期を力づけるメールを待っている。
逆のせつない、くるしい、わるい、の 反対のことは、自分の胸と、アンチュウへのメールで解消しよう。内容によっては、17Th Homeに掲載するが そのときは、本人の了解を得た上で掲載するから安心してくれ。 アンチュウを信じてくれ。

アンチュウの今年2001年のできごとは、いろいろあったが、大きな変革として、16年頑張ってきた 電気店を閉じたことだ。17Th Homeの定時連絡の9月5日のところにも記載したとおりだ。しかし、それがきっかけで、この17Th Homeが存在する大きな理由にもなったことは、アンチュウのこれからの人生にとって大変、喜ばしい・すばらしい・ありがたい・なにものにも変えがたいことに、いまさらながらに感謝している。

今、君は、当たり前のことだが、それなりに生活しているだろうし、別に 同期がどうしているだろうとか、アンチュウがどうしているかとかは当然ながら、考えて毎日を送っているわけではない。・・・・当たり前のことだ。

しかし、君を思うアンチュウが新潟で暮らしている現実もまた、現実としてあるのである。君がそう思おうが思わずにいようが君の、存在自体が、アンチュウの毎日の生活にそれなりの影響を与えているのも事実である。それは、アンチュウばかりでなく、君を思うすべての人々の心の中に君は生きているのである。 存在自体が、大切なのだ。

存在の明しとしてのメールを 当、17Th Homeは、待っている。


2001年12月21日(金)
          ○       17期徒然草にtakeshita kazuyaからのメールを掲載した。
                     ”メール運びの先任海曹” の前任地、また、彼の生みの親でもある lower_bamboo からのメールだ。     ひさしぶり!! 

2001年12月20日(木)
          ○       17期徒然草に中川生徒からのメールを掲載した。
                     このメール、実は、12月12日に17Th Homeに届いていたのであるが、掲載がおそくなってしまった。「メール運びの先任海曹」におこられてしまった。
                     

2001年12月19日(水)
          ○       この”17Th Home定時連絡”と”17期徒然草”に lower_bamboo 提供の「メール運びの先任海曹」を常駐させた。
                     この「先任海曹」は2001年10月9日に前任地 lower_bambooより 当17Th Homeに赴任していたが、ようやく17Th Homeの様子もわかり
                     第一線にお目見え、”17Th Home定時連絡”と”17期徒然草”の2箇所を担当することとなった。
                     彼は、197?年、海上自衛隊少年術科学校に入校、江田島の大講堂で
                               
                         宣誓    私は わが国の平和と独立を守る 自衛隊の使命を自覚し
                           日本国憲法 及び法令を遵守し 一致団結 厳正な規律を保持し
                           常に得操を養い 人格を尊重し 心身を鍛え 技能を磨き 政治的活動に関与せず
                           強い責任感を持って 専心職務の遂行にあたり
                           事に臨んでは危険を顧みず 身をもって責務の完遂に務め
                            もって国民の負託に応えることを誓います。


                  と  宣誓文を読み、今日に至るまでそのきまりを守り職務を遂行してきた優秀な自衛官である。  ・・・と 自分では言っているのであるが・・・ハテ?

2001年12月13日(木)
          ○      新規のヤカタ 17期音楽館を開設した。
                    収蔵曲数は少ないが、これだけある学校もそうないだろう。おおいに自慢すべし。風呂場で歌うもよし、トイレでの鼻歌もよし。ただ人前で
                    調子こくとしらけてしまうことがあるのでご注意を。あくまで、同期諸兄の胸の内。
2001年12月10日(月)
          ○     17期徒然草に Ishizuka からのメールを掲載した。     緊急! 緊急! 緊急! 緊急! 緊急!
          ○     OCNサーバーの容量が10Mを越えたため一時 17Th Home が 開けなかったこと、深く、深くお詫び申し上げます。
                   回避手段として30周年同期会のサムネイルを削除した。今後の対応は現在検討中。

   2001年12月8日(土)
          ○      17期徒然草に 中川生徒からのメールを掲載した。
          ○      S-IMADA からのメールにアンチュウのヒトリゴトを付け加えた。
          ○      リンク集を別立てにし、リンク先には事後承諾であるがその旨のメールを出した。
          ○      17Th Home index17期卒業アルバム「追憶」CD版注文書 を追加した。

2001年12月4日(火)
          ○      17期文学館に  14期生 谷川先輩の文章を掲載した。
短いながらも、谷憲先輩よりコンタクトがあった。14期生ホームページの情報交換の場で       
87 発言者 12月3日 14:45:58
                安中元気か?奥様も元気か?
        関よ来週は3術校へ出張だ。また呑んでくる。

なんと、わずか13文字であるが、アンチュウにとっては待ちに待ったコンタクトであった。また、我、愛妻にとっても懐かしい顔が浮かんできたようだ。
そうなのだ、アンチュウの愛妻は、当時(昭和47年)佐世保総監部のPXで靴屋さんでアルバイトをしていたのだった。
谷憲先輩と一緒に写っている記念すべき2枚が手元にある。1枚は佐世保通信隊の正面玄関での記念写真。実習生の安中、宮崎、野田の3人がそろって写っている。もう1枚は、通信隊の親睦旅行で阿蘇に行ったときのもの。  な、なんとアンチュウは 「神様」 と 肩など組んでるではないか!この当時からアンチュウは、日本人が大切にしてきた 「遠慮」 というものを知らなかったようだ。 ハズカシイ。
あれから30年近く経とうとしているが、ヤッパ、谷憲先輩は、いい男だ。            (・・・・相変わらず 硬派な雰囲気なんだろうな。)
       

2001年11月30日(金)
          ○      17期徒然草に S-IMADA からのメールを掲載した。
S-IMADA アンチュウは今日は時間がなかったので、コメントはあとで。

2001年11月29日(木)
          ○     17期文学館に 14期生の文章二編を掲載した。
われら17期の「神様」 14期生のホームページとリンクできた記念に 敬意を表して 昭和47年11月15日発行 海上自衛隊生徒同窓会『江田島』第2号より 14期生の文章二編を17期文学館に掲載した。江田島で同期と過ごした4年間があっという間に過ぎたこと。部隊に出て自分一人になったことなど、卒業して直後の不安と、頑張っていこうという気構えとがこれら二編から感じられる。この文学館の中にある 「卒業式」 は、まさに14期生の卒業式のひとコマだ。
まだ、何篇か載っているのでいずれ、ここで紹介したい。 谷川先輩の 「・・・・はやっぱりからかった。」は、卒業式のあの日をほうふつとさせる文章であるが、先輩からの連絡があったら、すぐにアップしたい。

2001年11月28日(水)
17Th Homeのトップページを少しだけ リニューアルした。  それに伴い、掲示板を17期専用に設けたので、ドシドシ書き込みを。
         ○      17期徒然草に鍋島からのメール1を掲載した。 返信メールは出したのだが、17Th Homeに載せるのをウッカリしていた。
         ○      17期徒然草にEinsteinからのメールを掲載した。
         ○     リンク集に14期生のホームページを掲載した。
2001年11月27日(火)
ひょんなことから我々の先輩である、ある意味では、「神様」である14期生徒のホームページを発見した。その中に「掲示板」があり思わず、以下の文章を送信した。

14期生 先輩諸氏、私は、17期通信を卒業した安中と申します。 現在は退職し、生まれ故郷の新潟で生活をしております。 ひょんなことからこちら、14期生のホームページを拝見し、なつかしさのあまり、14期生の書き込みの中に入れさせていただいている次第です。私達17期が入隊したときの4年生が先輩達でした。 まるで、”神様 ”という感じで、それはそれは大変だった記憶が残っています。 あれから30年、我々17期も今年の3月に東京市ケ谷で入隊30周年同期会を開催いたしました。 こちらの情報交換の場で、なつかしい名前を見つけました。「谷憲 」 です。 私が、部隊実習で佐世保通信隊にお世話になったとき、先輩がいられました。 こちらの書き込みの文面を見る限り、相変わらず、シャイな感じですね。「谷憲」先輩。 その節は、大変お世話になりました。 もしよろしければ、アドレスを聞かせてください。私も、17期のホームページをこの9月2日に立ち上げました。 まだまだ内容が充実していませんが、徐々に頑張っていこうと思っています。 よろしければ、おいでください。 http://www2.ocn.ne.jp/~annaka/ 又、ちょくちょく拝見させていただきます。 14期生のホームページのますますの発展をお祈り申し上げます。 (管理者の ”14期電信生徒 関 洋三 ”さんの奮闘を祈ります。)

管理者の 関 洋三 先輩からは、以下の返事がメールを介して届いた。

遠くからありがとうございます  メール友達が一人増えて うれしく思います  よろしく お付き合いの程 お願いします          14期電信 関洋三

また、14期生徒ホームページの掲示板には、以下の書き込みをいただいた。

17期・安中生徒へ 書き込みありがとうございます たいへん嬉しく思っています 情報交換の場として 遠慮なく使って下さい 谷川生徒には連絡とりました  これからが楽しみです よろしく

このホームページのINDEX・リンク集に「海上17期生徒HP]を付け加えました かわいい後輩達の姿を見てやって下さい ハイ

この 17Th Home のほかにも 14期生のホームページに書き込みを。


2001年11月21日(水)
          ○        17期徒然草に奄美 橋本和昌からのメールを掲載した。
橋本からは、11月10日にもメールをもらっていたが、なんと書いたらいいか、いろいろな思いが絡み合ってキーボードが進まなかった。
佐世保の「さわぎり」・呉の「とわだ」・横須賀の「うらが」の3隻が25日前後にインド洋に向け出航の準備と今日の新聞に書いてある。すでに先行して「くらま」・「きりさめ」・「はまな」の3隻がインド洋に向け出航済みである。この先行3隻は、もう、インド洋上であろうか。乗組員約700人は、元気でいるのだろうか。・・・  このたびの米軍等に対する支援活動の基本計画の要旨では、大まかに海上自衛隊員1,200人以内、航空自衛隊180人以内、今年11月20日から来年5月19日までの間としている。  日本にいるときは、当然ながら彼らは、”自衛隊”であり”自衛隊員”であるが、外国に出れば、”日本の軍隊”であり”日本軍の一戦士”である。外国人からみれば当然のことが、日本にいる多くの日本人は単に”自衛隊”が日本の法律にのっとって派遣されるくらいにしか思っていない人が多いのではないだろうか。日本国民は、ここのところをよく、考えてほしいし、隊員はもちろんのこと、その家族を含めた関係ある人たちに思いをよせてほしい。
さらに、”日の丸”を掲げた日本の”軍隊”を見たテロリストからは、日本をテロの標的にされる可能性も格段に高くなると思われる。ニューヨークで起こったことが、自分の住んでいる街にも起こるかもしれない。彼らの標的が、在日米軍基地を抱える地域だけはなくなる。”日本”が標的になる可能性は大きくなる。日本国政府は今まで以上の情報収集と、そうならないための準備、その時の準備を怠ってはならない。ここでは、”自衛隊”の”自衛隊員”の力が何よりも必要だ。私がここで書くまでもなく、もうすでにその体制になっているのだろう、現役同期からのメールがこのところ遠くなっているが、アンチュウは、そう理解している。

橋本は、はからずも 今回派遣される「さわぎり」に9月7日、臼井からの連絡で昼をゴチになっている。(9月17日のメール
そうなのだ、「さわぎり」には、臼井がCPOで乗艦しているのだ。 ・・・・     

2001年11月10日(土)
          ○        17期徒然草に奄美 橋本和昌からのメールを掲載した。

2001年10月30日(火)
          ○       17期徒然草にEinsteinからのメールを掲載した
Einsteinクン、メールありがとう。17Th Homeに掲載、遅くなって申し訳ない。
ところで、現役同期諸君と生徒出身者、関係者、いよいよ ”テロ特措法” が 成立した。政府は11月中には補給・輸送支援の自衛隊艦隊をインド洋に派遣したいとしている。10月29日を待つまでもなく準備に各部隊とも大変な時期にあると思う。当17Th Homeでは、今回の国会通過にコメントすることは控えたいが、現役同期諸君と現職自衛官においては、もし、命令が下されたら、与えられた任務を淡々と完遂してほしい。そして退職組、関係者においては彼等現職自衛官に励ましの言葉を送ろう。そして、労をねぎらおう。当17Th Homeは、少しでも現役同期諸君の気休めの場所になることを目標として頑張るつもりだ。現役同期に送る退職組のメールを待っている。

2001年10月18日(木)
          ○       17期徒然草にlower_bambooからのメールを掲載した。
lower_bambooクン、八戸の全国先任伍長の会議、ご苦労様。”同期の写真by八戸”アリガトウ。同期の宴会は盛り上がったかな?きっとまだとっておきのデジカメ写真があるのだと 信じているアンチュウなのだが。っま、ボチボチ送ってくれ。  それにしても八戸組に誰一人としてインターネットをしているのがいないとはどういうことだ?

2001年10月15日(月)
          ○       17期徒然草にlower_bambooからのメールを掲載した。
          ○       17期徒然草にいしづかからのメールを掲載した。 
2001年10月11日(木)
          ○      17期徒然草にlower_bambooからのメールを掲載した。
          ○      10月10日にいしづかに卒業アルバム”追憶”CDを送付した。
lower_bambooからのメールの最後に ”lower_bamboo(意味は単純に下と竹です。今田に笑われました)”  と あった。カッコイイが 「ナニ?」って思った同期もこれで解決したことだろう。・・・今田に笑われたのは、ムリモナイ。・・・ところでこれで厚木の航空士からもアクセスがあってウレシイ。いしづかのメールによると ”lower_bamboo” は 「厚木地区では彼の上を行くITオタクはあまりいません」 と 書いてある。本来ならば彼が 「17Th Home」 を 立ち上げなければならない立場だったかもしれない。    そう思うだろ、lower_bamboo クン。

2001年10月9日(火)
          ○      17期徒然草に Einsteinいしづかからのメールを掲載した。
          ○      写真館の中の”文学館アルバム”と”徒然草アルバム”を閉鎖した。詳しくは、こちらから。
”Einstein” の 読み方を知らない諸兄は このメールの”アンチュウのヒトリゴト”をどうぞ。ところで、名前の由来はナンだろう?

2001年10月8日(月)
          ○      17期徒然草に氏野からのメールを掲載した。    氏野より素材CDが配達されてきた。内容を吟味しながら17Th Home にも使用させていただく。
          ○      17期徒然草にいしづかからのメールを掲載した。(10月3日)
          ○      17期徒然草にいしづかからのメールを掲載した。(10月6日)
          ○      17期30周年をサムネイルで掲載した。情報源は、シュンスケクン。ちょっと重い。
          ○      17Th Home の 構成を一部変更した。
何日間か更新ができなかった。前々から17Th Home の構成には満足していなかったが、一部を変更することができた。まだまだ発展途上のこの17Th Homeなのでこれからも見やすい、読みやすい17Th Home を目指して頑張る。いしづかのやさしい一面を見た。黒田が殉職してからもう17年になるのか。思い出して黒田の若かりしころの写真をみた。ちょっとかすれたような黒田の声と名前のごとく浅黒い彼の顔が浮かんできた。殉職の日がわかる人がいたら知らせてほしい。黒田の写真を掲載する。

2001年10月3日(水)
          ○     17期徒然草にいしづかからのメールを掲載した。
17期航空士のいしづかよりメールが来た。17Th Homeの存在を知ったのは、どうやら奄美のクロウサギからの情報らしい。いしづかと思いで深い写真があるのでお礼に掲載する。又、以下にアンチュウの返信メールを記載した。

ひさしぶり!  っとは いっても、メールではハジメマシテ。  メールどうもありがとう。 (どういういきさつで、橋本から聞いたか後でおしえてちょ。)  そういうわけで 17Th Home を 開設した次第です。  厚木の同期諸兄は元気そうでナニヨリ。 厚木には、IT オンチしか いないのでは? とは、考えなかったけれども、アドレスを知らなかったので、開設案内のメールを出さなかったナ。  厚木のメンバーの中でオレがアドレスを知っているのは、野田だけだと思う。野田には、開設の案内メールを出したんだけれども  っま、同じ厚木にいても イロイロあるだろうからな。 いしずかの知っている同期のアドレスがあったら是非教えてくれ。 ところで、17Th Home の できばえは、どうだろう?  なんせ、デザイン的センスのない アンチュウの作だからしょうがないといえばしょうがないんだけれども。 今晩は、時間がないので、又後日、メールを送信する。  とりあえず、お礼まで。             アンチュウ時間 23時45分  オヤスミ。

2001年9月28日(金)
          ○    17期徒然草にしゅんすけからのメールを掲載した。
しゅんすけからのメールを掲載した。  アンチュウの気持を察してくれてこちらこそ感謝している。これで また、この 17Th Home を アップしつづける勇気が湧いてくる。 送ったCD、喜んでいただいてうれしい。 ちなみに彼は、コトもあろうに 我、17期卒業アルバム”追憶” を度重なる引越しのため無くしてしまったと言う。(2001年9月4日)  氏野も2001年9月10日付のメールで  「卒業アルバムをなくすなんてとんでもない!」 っと 叫んでいる。 そんな可愛そうなしゅんすけクンのため、アンチュウは、17期卒業アルバム”追憶”全写真とその他モロモロ入ったCDを作成、しゅんすけクンにプレゼントした。 もし、そのような「トンデモナイ!」同期がいたらアンチュウに一報を。
          
2001年9月27日(木)
         ○    17期徒然草にシュンスケからのメールを掲載した。
9月21日付 シュンスケからのメールの掲載をウッカリしていたため今日、掲載した。彼も奄美のクロウサギと同様、今回のテロの件で同期のモロモロを気にかけている。こういう事が起きるとまっさきに気になるのは現役同期のこと。退職組の我々には、どうにもならないことだけど、ここ”17Th Home”に声に出して言うことが現役同期に対しては意味のあることではないだろうか。1971年4月5日に 江田島大講堂の中にいた17期のすべてが気にかけていることと思う。ザンネンなのは、すべての17期が、この”17Th Home” の存在を知っているわけではないということだ。アンチュウとしては、努力がたらないと反省し、近々に行動したい。

2001年9月25日(火)
         ○    17期徒然草に氏野からのメールを掲載した。
         ○    17期徒然草にBanjoからのメールを掲載した。
9月23日に氏野より、9月25日にBanjoよりメールが来た。同時多発テロの関係で現役同期諸兄はかなりの緊張の中で毎日を送っていることと思う。現在のところ、自衛隊に関する国際貢献は、海上自衛隊が先頭にたっている様子だ。国の方針がどうなるのか検討の最中だが、いずれにせよ海上自衛隊に科せられる任務たるやこれまでの派遣とは格段、危険な派遣となることは十分に察せられる。  当 17th Home としては、そんな大変な状況にある現役同期諸兄に対して少しでも、緊張感を休めることができないか考えたいと思う。退職同期諸兄、協力をお願いする。

2001年9月19日(水)
        ○    17期文学館に水川の旭川での迎春を掲載した。
17期文学館に「わが家の正月」シリーズの一遍、水川の「旭川での迎春」を記載した。 彼の文学的才能がこれほどあったとは、今日の今日まで知らなかった。 原稿を見ながらキーボードを打っているわけだが  彼の文章には、風景が見えるばかりでなく、音も聞こえる。気温も感じる。母親の彼を思う母性本能も垣間見ることができる。 表現力のすばらしさを感じる。 そして観察力だ。 そんな素晴らしい文章の中で思わず プッ、と吹き出してしまった一節があった。血筋には逆らえないものがあるということを 今さらながらに確信した。当時の彼には、夢にも思わなかっただろうし考えもしなかったことかもしれない。今の彼を見たことのある人ならアンチュウと同じところで、同じ事を思うに違いない。    ・・・・そういうアンチュウも人のことは言えないのが つらいのだが。(「言ってるじゃないか」の声も聞こえる。)    っま、いいじゃないか水川、ナカヨク しようや。

2001年9月18日(火)
         ○   奄美のクロウサギからのメールを17期徒然草に掲載した。
奄美のクロウサギより17日に送信したメールの返事が来た。それも臼井とのツーショット写真も添えてだ。

2001年9月17日(月)
         ○   奄美のクロウサギからのメールを17期徒然草に掲載した。
自称、奄美のクロウサギよりメールが来た。最初このHPを開設したとき彼にもメールを送ったのだが、アドレス違いで配信できなかった。大変失礼した。その後調査した結果、アドレスがわかり9月16日に再送、その返事だ。しかし奄美のクロウサギとはよい名前だ。奄美のクロヒョウとつけなかったところに彼の生徒時代と変わらぬ正直さ、謙虚さがにじみ出ている。人間、こうでなければならない。  同期諸兄、奄美のクロウサギに ハクシュ〜。
臼井も頑張っているとのこと、ナニヨリだ。もう少しHP開設の案内が早く届いていれば、臼井にもこの17th Home を見てもらえたのにザンネン。
この時代だ、彼も近い将来見る機会があるだろうし、そうなってもらわないと困る。 ところで、佐世保には、誰もいないのかねアドレスを持っている同期は?。
 
2001年9月16日(日)
         ○     17期文学館に今田の正月慕情を掲載した。
今田が先日のメールで 「今からアムステルダム・ミラノ・マルタと言う出張に出発します 帰国は17日です」と書いていたので 帰ってきてからのオタノシミに彼の懐かしい文章を転記した。あの文章を見るまでは、彼は容姿からして生まれながらの シティーボーイと思っていたが、横浜に引っ越したのは生徒に入隊した直前らしい。 どうも コテコテの関西人らしい。  いや、 コテコテの関西人だったらしい。  そういえば・・・・フムフム〜。     うなづけないか? 同期諸君。
シュンクン 出張ご苦労様でした。NYの事件があったのでチョッピリ心配していた。出張は成果があったかな?おみあげのメールがきたらすぐ、17期徒然草にUPするからね。   マッテルデ〜。   お〜っと そういえば頼まれていたアルバムのCD−ROM 明日、送ります。

2001年9月15日(土)
         ○    番上からのメールを17期徒然草に掲載した。
          ○    17期文学館に番上のわが家の正月を掲載した。
番上からメールが来た。うれしかった。昨日まで、北京に行ってきたとか。メールにも書いてあったけど、NYでなくて ホント、ヨカッタネ。

2001年9月12日(水)
         ○    プロ業班Aより立川のアドレスが違っているとのメールを受けた。プライバシーの事を考え、ここでは公開しない。17期徒然草
イヤー、制服組の同期諸兄、最大限の 厳戒態勢 ご苦労様です。まさか斥候には出ていないと思うが、アンチュウが「17期」といったら「1971」と応えてくれ。しかし、ほんとビックリした。だれかが、20世紀の戦争は、国対国だったが、東西関係がくずれた21世紀は、テロ対国 とか言っていた。
まさに21世紀の初頭にそれが起きてしまった。国対国の戦争であれば、それなりの覚悟の上、国と国民と家族のためにでることもやぶさかではないが、テロとなると突然なので何をどう防げばいいのか、かいもく見当もつかない。敵を見定めるのさえ、混迷しているアメリカを見れば、その困難たるや一目瞭然だ。現在の政治も含め、東西関係がなくなってから変な世の中になってしまったな〜。おお〜っと、政治的活動に関与しない の 一言が、宣誓文にあった。  そういえば、アンチュウは あれほどタタキコマレた 宣誓を娑婆に出てからすっかり忘れてしまった。誰か教えてくれ。

 2001年9月10日(月
          ○    氏野より久しぶりにメールがきたので17期徒然草に掲載した。
           ○    前に来ていた氏野、今田からのメールを17期徒然草に掲載した。
           ○    管理人からのお願い事。  傳左衛門の一角に 掲示板がある。メールもありがたいが、ここにも一筆を。
9月8日、9日と二日間にわたって、いろいろ変更した。ホームページの背景画像がすっきりしなかったので海の近似色にしたが、イカガかな。なんせ、デザイン的センスがイマイチのアンチュウであるがゆえ、この程度になるのはいたしかたない。なるべく17期オリジナルを使用したいというムリなキボウを少しでもかなえるつもりで頑張りたい。各ページの定時連絡の隣に画面最上部へ行くアップのリンクをつけた。使いやすくなっただろうか。
管理人の家  『傳左衛門(でんざえもん)』 の  増改築は、遅々として進まない。 っま、管理人の住む家なんか雨漏りさえしなければ、どうでもいいか。
アンチュウは今日、初出社した。 何事にも、つねに 『平常心』 を持って物事にあたれ。 の おしえをまもり、 『 五分前の精神 』 を 忘れることなく一日を過ごした。 おかげで、十五分近くも早く出社した。

2001年9月7日(金
          ○    17期文学館に増書した。詳しくは、17期文学館の定時連絡で。
          ○    17期徒然草にプロ業班AのメールをUPした。
          ○    17期文学館の蔵書に関連写真がほしくなり、文学館アルバムを作成した。文学館の各蔵書にリンクを張ってあるのでお楽しみに。
                                       アルバムだけ見ても おもしろくないと思うので、是非、読まれたし。写真に写っている諸兄は、感想文を待っている。

 2001年9月5日(水)
          ○    定時連絡のバナーとリンク小窓を各ページに配置した。
           ○    17期文学館に増書した。詳しくは、17期文学館の定時連絡で。
           ○    17期徒然草に今田のメールをUPした。
同期諸兄、喜んでくれ。就職がきまった。実は、6月末をもって16年やってきた電気店を閉店した。時代の波に翻弄されても頑張ってきたが、ここが潮時と判断し、閉店することとなった。7月中は残務整理やら、継続の仕事があったりしたが、8月からは就職活動に本腰を入れていた。拾ってくれるところがあり来週の月曜日からの出社となる。そんなわけで時間もあり暇もありで、このホームページが日の目を見たというところかもしれない。 作成するために アルバムを引っ張り出したり、少術校に関係のある文集やらなにやらみたりしていると、江田島時代の苦しかったこと、楽しかったこといろいろ思い出されてきた。同期諸兄の顔も浮かんでは消え、浮かんでは消えした。制服組も大変だろうけど、娑婆組みは この不況の中でがんばっているかな〜とか 思いをはせた。(感じた人がいるのかな?)このホームページを作ることによって、実は、俺自身が、みんなから有形(なにもなかったけど)無形の力と勇気をもらったのだと理解している。
感謝している。
ってなわけで、来週から アンチュウの生活のリズムがどうなるのか今のところわからないが、このホームページ立ち上げの初期の目的を達成するために頑張るので、同期諸兄も、ネタの収集に気を配り 配信をお願いしたい。

 2001年9月4日(火)
          ○    うまくいかなかったところを修正した。(下記の理由他)
           ○    今一度、17期ホームページの開設案内をメールした。
           ○    17期バナーを作成した。できは決してよくないが、オロジナリティが大切。どなたかもっとかっこいいヤツを作ってくれ〜。
           ○    区切り線を作成した。もっとハッキリさせるには、どうしたらイイノダロウ?。
同期諸兄には、大変、迷惑をかけて申し訳ない。きっとうまく表示されなかったことと思う。
ホームページビルダーを使用しての作成なのだが、、なれていないこともあり、ファイル名のつけ方やリンクの張り方で、うまくいかなかった。
原因は、いろいろあるが、一番重要なのが、ファイル名のつけ方だ。ホームページで使うファイルの名前には、必ず半角の英数字を使用せよと書いてある。
そこまではよかったが、ファイル名をわかり易くするため、たとえば、このページは ”17th.home.htm”というファイル名だが、それを”17th,home.htm”としてしまった。 カンマと、ドットの違いだった。これがわかるまで、大変だった。そのおかげといってはナンだが、このソフトもいろいろわかってきた。
問題を解決するとまた次の問題が出てくるの繰り返し。まさに、人生の縮図を見ているようだ。

 2001年9月3日(月)
          ○    ホームページ開設のメールを送ってから、かなり変更した。
           ○    17期徒然草のページを充実させた。おかげで、そっちのネタがなくなった。どなたかご協力を。
自分と、おこがましいが、同期諸兄の生きてきた時代と、これからの生き様を記録するために、このホームページを開設する。
デサイン・内容・リンク等、ない頭をシボッテようやくここまでこぎつけた。っと いうところが実感である。
ホストの都合上、10Mの容量しかないので 写真などは十分に公開できるとは考えられないが、臨機応変に対処したいと思う。
このページは、あんちゅう一人のページではないことは、優秀な同期諸兄、すでに感じてもらっていることと思う。
メールにも書いたとおり、ネタの収集をどうするかに このページが充実できるかそうでないかかかっている。
お互いの苦労、喜びを あの江田島のあの時のように共有しようではないか。
ナンデもいい。是非、いろんな情報を寄せていただきたいと思う。