子供の歴史6

子供の歴史6 @子供の行動のはじまり
at 2002 03/04 03:58 編集
目の前に指を差し出すと、しっかりと握りしめて離しません。赤ちゃんの軽い上体は浮き上がり、首の据わっていないせいで頭だけが重たそうです。

肩がはずれはしないか、急に離して後頭部を打ちはしないかと、大人たちはあせります。赤ちゃんを釣り上げないで、引き寄せるままにしてみると、指は彼の口元へと導かれます。

おなかが減っているのではありません。寂しいのです。知的に発達しやすい子供は、感受性も人一倍。指しゃぶりが多く、ミルクも多めに飲みます。

自然、骨太になり真っ赤なほっぺの子供っぽい成長を見ることができます。本やテレビが好きで、英雄やヒロインを夢見てロマンチストな思いやりの深い子に育つようです。

指を握らない赤ちゃん。行動派の勇気のある成長を見ることができます。ハイハイが早く、危険な行動をするのでご注意を!この子たちは抱きつくと離れません。木の枝にぶら下がるかのように、大人の胴体をしっかりと抱きこみます。

泥んこ遊びが好きで服をよごしたり、一人歩きをして迷子になったりして、大人泣かせの子供は、実はとてもデリケートです。行動範囲が広がり視野を広げるほど、ママに甘える頻度も深度も大きくなっていきます。

指を握らないし、抱きつきもしない。平成生まれの子供に多いような気がします。多くの場合両親が30歳代になってからの赤ちゃんで、育てる人が「大人」です。

前出の二人とは大きく異なった様相を呈し、利発的ながら同じ遊びを継続して繰り返し、その遊びに関して精通するという傾向があるように感じられます。

もしかしたら勉強は「やればできるタイプ」といえるかもしれません。しかし、新しい遊びを覚えるごとに没頭するので、必ずしも勉強に没頭するとは限りません。

日本国内でなくとも、仮にアフリカであっても、学ぶ姿勢や技能への取り組みは子供に課せられた宿命でしょう。いえ、もしも無人島に生まれたとしても、生き延びてゆくための努力はしなければならないし、そこにサバイバルの本やレシピ集が転がっていたら、誰もが読みあさるに違いありません。

赤ちゃんが大人を見て学ぶということの意味は、そう難しいことではありません。どのように生きていくのか、そのためにはどのような行動が必要であり、心はいつどこでどんな作用をするのかということを、見たままに学ぶのだと私は考えています。





子供の歴史6 A子供の行動から知る
at 2002 03/02 20:08 編集
子供の人権という言葉があります。民法によれば相続権など特別な場合を除けば、出生と同時に人権が発生します。相続は財産権という基本的人権の保障規定があるから、民法でも特別な扱いがされているのでしょうか。それとも、経済活動の根幹である所有権を社会の中で安定させるために、人権のあり方とは別の考え方がされているのでしょうか。

もし胎児に相続権を付与しないとすれば、誕生予定の子供がよりどころとするような経済基盤を失うことになるから、付与することに異存はありません。問題なのは財産権以外の人権が制限されていることなのです。

子供がおなかの中で意識をもっているということは自明の理です。記憶が残っていないという人でも何らかの伝承と、大きくなってからの証言で誕生前の様子を知ることができます。

実際この時間にも、おなかの中で生育している胎児がいるでしょう。その子を中心として家族や友人間で人生のプロローグは始まっています。胎児の人としての歩みは、誰かがそれに気づいたときから開始され、本人の記憶の有無や行動の可否で定義されるものではありません。

なぜなら懐妊後のあらゆる場面で、子供はその存在について責任や価値観をとわれ、育児や家事、労働の役務対象とみなされ、権利を主張することなく少なくとも10年は過ごすのです。

子供の行動は見たままをそのまま受け入れその結果としてなされるのであり、大人が自由意思で行動するのとは明らかに異なり、そのような状況下で社会的枠組みのルールに依存するよう教えられるのです。

このことが直ちにルールを否定したり批判すべきものであると考えたほうが良いというのではありません。子供の人権に関してよく考えたほうが良いのではないかということなのです。

国連、NGO、ボランティア団体、教育機関、厚生労働省、地方自治体など子供の人権について真剣に考えられている組織は多数存在します。インターネットでもサイトを見つけることは容易です。

ところが遅々として改善される様子が無いのは、それらが真剣さに欠けているからではありません。次々と問題が生じ、その問題が解決困難で、課題が累積しているからでありましょう。

また費用対効果の経営的手法に依拠すれば限界があるでしょう。なぜ問題を客観的分析的に取り扱うのか私には理解できません。子供が見たままに行動することを知ることが、主観的統合的に問題を解決することの重要性を理解するポイントなのです。これについては後述させていただきます。




子供の歴史6 B子供の行動から学ぶ
at 2002 03/04 04:26 編集
子供が自分の好物を、大好きな人に分けてあげようとすることは日ごろよく見られます。これが行為のしるしなのか、感謝のしるしなのか、それとも守ってほしいという願いなのかよくわかりません。

私たちは笑みを浮かべ、会釈し、ありがとうと言って小さなプレゼントを快く受け取るでしょう。口を小さな指先に持っていって、まるで自分が赤ちゃんになったように甘えて見せ、おいしそうに食べて見せるでしょう。

赤ちゃんにものを教えるでもなく、ただ単純に気持ちのまま、無垢な存在に無垢で答えること、そしてこの一瞬にこの上のない幸せを感じるはずです。

ところで赤ちゃんがものを分けてくれるというこの行動、これがどんな意味なのかをつぶさに分析すること、言い換えれば純粋なこころの作用に客観的な意味付けをし、名称を与えることにはどのような目的があるのでしょうか。

赤ちゃんが99パーセントの該当率で一定の行動をなしたとします。このような行動のときは機嫌がよいときで、このような行動をしたときはミルクを与えたほうがよいという、マニュアルができたとき、私たちはマニュアルどおりに対処するのでしょうか。

試料の採集、統計分析、客観データによる裏づけ、他の客観法則との整合性の検査、議論と予測。したがって赤ちゃんの行為は99パーセントの確率で、コミュニケーションの第一段階、自分の楽しみを相手に与える行為であるなどと言われて、あなたなら喜びますか?

今回は子供の行為から、何も背負わない小さな命について、何も考えず喜ぶことの大切さを私なりに書かせていただきました。本人の気持ちをつかむことは、自分が偏向しないときにだけ可能である、少なくとも日本ではそうではないかと私は考えています。





子供の歴史6 C子供に教える
at 2002 03/04 23:35 編集
何を教えるのか、親も祖父母も先生も、初めて教えるときにはたいてい悩みます。希望通りに育たないかもしれないけれど、こうあってほしいという願いはあります。

ご家庭の雰囲気があり、ありのままを見て自然に育ってほしいと考えるかもしれません。立派なお父さんがいて、正義と勤勉を第一に考えるかもしれません。

友達のように気さくな関係、お互いに悩みを打ち明けることができ、最高の相互理解者でありたいとか、プライバシーを大切にし個人を尊重しながら良好な人間関係を保ちたいなど、理想とする像が定まっていて、わき道にそれないよう常に注意深く育てる方もいらっしゃるかもしれません。

つまり、それぞれいろいろな方針があって、子供を教え育てていくのですが、重要な視点として以下のようなことがあると思います。

第一に、社会的な影響の度合い。具体的にはどのような親族内での文化が存在のか、どのような職業上の影響を受けているのか、どのような経済状態なのかということです。

第二に、自己充足の度合い。具体的には現状に満足しているのか、これまでの人生に満足しているのかということです。

第三に、利他的であるか、利己的であるかということです。これは極端な話ではなく、傾向の問題です。

まだ詳細は多岐にわたるのですが、意識の有無を問わず子供さんに大きな影響を与える蓋然性(蓋然性=可能性)のある事柄をあげさせていただきました。

これをお読みになり、なるほどと思われる方と理屈っぽいと思われる方、違った感想をもたれる方がいられると思われますが、そのご感想に見られるような多様性があるということを、子供に教える際の多様性と関連付けさせていただきました。

多数決ではないのです。また真理を追究するようなニュアンスでもありません。子供に教えるとき無理をすることは無いということがお話したかったのです。

同じことをしてあげても、子供がどのように受け取るかはわかりません。機嫌の悪いときには悪く取るかもしれません。しかし、柔軟な一貫性を反復するうちに、チック症状や多動性障害が治ることもよくあります。

子供に考える力を!子供に行動する勇気を!これらの能力は自然から学ぶのでなければ、極端な社会情勢から学ぶでしょう。でもそれは育てる方々の本意ではないはずです。

自然。本当はそこから多くを学ばなければならないのですが、それは後述させていただきます。今回は身近な地域に限定させていただきました。





子供の歴史6 D子供に教える(その2)
at 2002 03/05 22:17 編集
2002年3月現在、日本は経験したことが無いような不況におそわれています。このことを年配の方々と話し合っても、やはり思い起こされるのは第二次世界大戦後から高度成長期に至るまでの十数年間だそうです。

当時の日本は国力を戦争に総動員し、物資人材ともに不足していました。このような時代に生きた人々は、勇気と勤勉とを復興の原動力とし、明日食べるものにも困りながらも生き延びてこられました。

さらに復興を実現したのは、アメリカ合衆国を初めとする諸外国から受けた支援、当時の日本人が持っていた明治時代からの文明開化、殖産興業と大正イデオロギーの底流にあった向上心、国風文化に見られるロマンチックな民族性などによりました。

ところが、今日の不況は環境問題、技術伝播の即時性、資源の枯渇、人口問題などの世界的に乗り越えなければならない課題に対し、先進国の中で特に日本だけが、解決に向けての努力を怠ったからに相違ありません。

このことを裏付ける証拠として、国際競争力を失った先鋒が、銀行であったことがあげられます。資本主義経済を支える根幹である金融機関が、国際基準のハードルを跳べなかったのは、倫理の伴わない投融資を進めた結果であり、ぎりぎりで許されてきた時代背景の中で、反省するどころかハードルを低めようとするような姿勢で臨んだのです。

今回は珍しく政治経済のお話に踏み込みましたが、あくまで一般論です。ご家庭でも、子供に不況のことを教える機会があると思いますので、見方の一つとしてお読みください。

この反対の考え方もあります。日本の隆盛を調整するために、国際基準が日本に不利なように設定されたとする考え方です。一理あると思われるのは、訴えるという形で再び日本にとって有利な国際環境を作り出すという、エネルギッシュな考え方だからです。

私はまた別の考えも持っているのですが、ここでは子供に教えるときの代表的な意見をお話させていただきました。





子供の歴史6 E子供に教える(その3)
at 2002 03/05 22:53 編集
子供に教えることの第一は夢か現実か?この問いについてこれまで長い間多くの取り組みがありました。私は一つの考えを持っています。それは矛盾が無ければどちらでも良い、です。

子供さんの成長過程で一番障害になるのは矛盾である、ということはどなたも体験されていることでしょう。例えば、最悪、戦時下にあって、国の交戦理由が自己の倫理道徳と反している場合、大人でも子供でもとてもつらく苦しい判断になります。

日常生活でも、学校の方針と生徒の考えが不一致の場合、学校に行きたくなくなることもあります。家庭でも同じことですね。

それでは全ての矛盾を無くすることは可能でしょうか。世の中には二律背反した善が存在するので、仮に誠実に暮らすことを信念として持っていても、誠実であるがゆえに異種の善意と相容れないことがあるかもしれません。

そのような点をどう教えるか、ということがとても重要なのです。融通の利く考え方を子供に強制することはやめたほうが良いでしょう。子供にとって融通や要領の良さは、ずるくなって見えたり、自分を見失うことの原因になったりします。

といって、選択肢を用意して最も快い答えをマークしなさいでは、センター試験のようで現実的ではありません。選択式というのは、アンケートと同じで、正確な選択肢を用意できないものだからです。第一、子供が選択肢を全て理解し自分の考えを呼び起こすとは思えません。選択問題はむしろ高度すぎるのです。

できれば、相互理解の考え方を身につけさせてあげてください。生きる力につながりますし、友達をはじめとする協力者が増えるでしょう。とはいえ、妥協を許さないご家庭もあります。でしたら、正しさとはなにかという話し合いを持ってあげてください。

きっと子供さんから学び、ご自分の考えを見つめなおす良い機会になると思うのです。それは夫婦間でも同じですね。難しいのは成功者です。成功とは社会的に、もしくは人間的にうまくいっているということでしょう。しかしところ変わればそのような成功は吹き飛んでしまいます。

郷に入れば郷に従え、ということわざがあります。しかしその郷とは一体なんでしょうか。郷の意味が狭い社会を意味するのか、地域社会の独自性を意味するのか、どちらかによって正反対の作用をするでしょう。

子供に教える。矛盾の中に相互理解を醸成できるならば、結果良しです。できれば、矛盾の少ない教え方、育て方により安定した平和な子供たちが増えてくれればというのが、筆者の願いでもあります。





子供の歴史6 Fきちんとすることと許せないことの相違
at 2002 03/13 00:01 編集
克己心という大変優れた言葉があります。己に勝とうとする気持ちです。忍耐力、精神力、自制心など関連する語句もいくつか浮かびます。このカテゴリーの範囲で考えると克己心ほど貴重な言葉はないでしょう。

私にとってこの言葉との最初の出会いは小学6年生でした。後に新潟県初の女性校長となったクラス担任が自己紹介の冒頭で採り上げられたのです。彼女は克己心の意味を「自分に厳しく他人にはやさしく。」と説明し、以後克己心という言葉を用いずに、通年ことあるごとに訓示のような形で生徒たちへの指導を一貫されました。

宿題や提出物を忘れるなど、自分に甘い生徒は厳しく罰し、清掃活動を怠けるなど他人に迷惑のかかるような行為はさらに厳しいしつけをされました。そして、弱いものいじめや女性に対する一部男子生徒のいたずらのような、他人に危害を与える行動は本人のみならず家庭教育のあり方について保護者に指導されました。ここまでは「自分に厳しく」ということですね。

「他人には優しく」これは自分に厳しくすることよりもずっと難しいことです。まず自分に厳しくなって心に余裕を持つことが実践の第一段階でしょう。自分のことをきちんとやり遂げ思いやりを持った行動ができる人になる、そのうえ自分の仕事がまだ済んでいなくても、他にもっと苦労している人がいるならば優先して他人を助けよという隠れた命題を感じ取ることができます。

利他的でありながら自分の「めあて」を実現するために自己管理を重んじながら自分をも慈しむ心を育てたい、「他人にはやさしく」の中には多くの気持ちがこめられていたのでした。

寛容は子供たちの素養にぜひとも加えたい精神です。きちんとすることで、きちんとしないことを許せなく思うのではなく、きちんとすることの結果として自分の気持ちの中にゆとりを作り、他人に優しくなってほしいのです。

そうすればいろいろな偏見をなくすることができるでしょう。ここでは偏見について列挙しませんが、国際人権規約や日本国憲法に要旨がまとめられています。偏見や差別が無くなり、はじめて努力、自己責任という、自己実現の土俵に上がり夢にむかってスタートできるのです。

きちんとすることと許せないこととの相違は大変重要なことなので後述させていただきます。




子供の歴史6 G子供の規範
at 2002 03/20 22:59 編集
小さな手でつかんだものを口に運びしかられました。10円玉は誰が触ったものか、床に落ちてしまったものかわからないからです。ばい菌を食べてしまったらたいへん、想像できるあらゆる病気を理由に、二度と手の届かないところに10円玉は置かれました。

コンセントにはガムテープがはられ、どのような危険があるのかさえ知らされませんでした。「カンデンスル」

ストーブには柵がされましたが、これはよくわかりました。熱い、近づけば近づくほど熱い、だから触れたらきっと痛い。めらめらしているし、火は怖いものなんだな。風呂も熱いのはいや、お味噌汁も口が痛くなります。テレビで火事のニュースがあり、侮れないものとして大人もそれに従いました。「火あそびはきけん」

近所で交通事故があり、救急車が駆けつけてタンカを運ぶ様子を見て、車は怖い、道路で遊ぶと危ないなどと、子供は一つ一つ理解していきます。救急車を見るだけで、その音を聞いただけで背中が震えるのは、こうした生きた知識が身体に教えていく作業なのです。

「カンデン」は特殊な状況でなければ経験のないおそれです。それは自然には存在しない人工物だからです。車に対する感情と重なる部分が、この人工物であることなのですが、車は動くので動物に見えるのかもしれません。

生存本能の最も大切な要素の一つである「危険回避」は、友達にその危険を知らせることすなわち「思いやり」と、自分が危害を加えてはならないという「自制」を覚えていくために欠かせない行動規範です。

人を助けるためには、人の痛みを理解しなければなりませんが、人の痛みを感知するためには、類推し得る経験と知識を重ねなければなりません。ある子供はカエルを傷つけてもなんとも思わないものです。

これをどう教えればいいのでしょうか。それは優しいことです。カエルの身になって考えることを教えればいいのですから。痛いという神経は誰もが持っていますから、頭で理解できなければそっとつねってあげることも愛情の一つですね。ただし、体得させたいばかりに行き過ぎた体罰をするのは論外です。

さて実体のない人工物に関してはどうでしょうか。「カンデン」は良く理解できないでしょう、電気の知識を教えなければわかってもらえません。NHKの番組などで、電気が音と光を発すること、生き物の番組で筋肉が電気で収縮すること、医学番組で電気的傷害について見聞きさせることができます。

私たちの身のまわりにある危険は、人工物であることが大半です。人工物である限り、子供にとって教わらないとわからないものと考える必要があります。

親が言うことはあたりまえの規範であるとするのは誤りの第一歩です。同様に学校でもそのことに対する配慮が励行されることを願っています。子供の規範は大人の真似なのですから。





子供の歴史6 H新しい文化の誕生
at 2002 03/23 22:52 編集
「北京?漢字で書いてあるからこれは日本ですか。」東京は東の京、北京は北の京、と読んだので先生にたずねてみました。一時期、そうであったこともあるが現在は違うということでした。

その一時期とはいったいどのような時代なのだろうか、そして日本であったというのはどういうことだろうか、図書館にその答えがありました。中学生になると、歴史の教科書をはじめて手にします。あらためてその部分を読んでみると、図書館の本とは違うことが書いてありました。

史実に基づいて書かれているはずの2冊の本が、このように違うのはどうしてだろう、新たな疑問が生まれました。そして、新聞記事。赤潮についてスクラップブックを作り始めました。新聞によって少し違うことを知りました。

現在のことでも記述が違いました。このとき歴史本の違いについてヒントを得ました。史実は現在でいう事実であり、歴史の記述は新聞の記事と同じように、みな違っているのかもしれない、ということです。

私は未来を見ることができました。昭和40年代の記事から知った現在と、21世紀になって読む歴史教科書の違いです。どちらもできる限り取材をして文章を起こしているはずなので、出来事は共通していると考えられます。

ところが、現在知り得る知識と、近未来復習する事項が異なるのです。多数決で押していく力と、時代間に整合性を求める理論との間には若干のずれが生じるのかもしれない、子供終期の学生時代によく考えたものでした。

そしていま、子供の歴史を綴っているとき、私は「わたし」で良かったと思います。ずっと忘れないできた大人として、エッセイが書けているのですから。そしてこう思います。たった今、違うステップの文化が誕生しているのだと。これについては後述させていただきます。





子供の歴史6 I子供の文化が生まれる瞬間
at 2002 03/28 20:17 編集
コピーは優れた文化創造行為だという論文を見たことがあります。模倣は同時に創造性の積み重ねとして、エフェクトを伴うからです。エフェクトにも当然著作権があることから、音楽では編曲と言う分野があるし、文芸にも返歌などが見られます。

つきつめれば、言語を習得することによる、思考パターンの導入は生まれた瞬間から始まっています。そのとき、一つ一つの言葉を親がどんなふうに教え、子供がどんなふうに学ぶかが、エフェクトの重要な部分です。

子供の歴史、または子供文化の継承は、親、近所、社会、言語、体験などにより、多様性を増しています。新しければ、新しいほど、選択肢が増えて個性は細分化します。

ところが、子供はいつでも最初から始まるという点で、コンピュータとはまったく違うのです。DNAレベルまで追求しても、多様性が見られるのです。多様性を初めから持った、最初から始まる生命。子供たちの胸のおくに、胎内環境から備わった感情と知識があり、それはデータでなく彼そのもののはじまりなのです。

新しい文化が生まれる瞬間とは、子供たちが過去の未来を受け入れ、模倣し、主体性を持つ瞬間です。その意味で、私たち大人は、子供を育ています。大人は未来の過去をどのように伝えるべきでしょうか?

伝承の心意気と方法は子供の幸不幸を左右する重大な問題です。これにはストレスを緩和するという視点、自己実現を促進するという視点や人権を守るという視点などに分岐した考え方があります。それぞれの視点から、より良い結論が得られるのを期待してやみません。

熊本大学の教授が独自にされている研究は、本当のことを知るためにアンケートを駆使されました。アンケートに寄せられた回答を独自の観点から分析されました。私が探したなかでは、今のところ、この研究がもっとも子供の立場でなされ、多くの提案に満ちています。

現代は、人の時代といわれることがあります。同時に心の時代ともいわれます。この時代に生きる子供たちの新しい文化がすでに生まれてきています。

そして文化が生まれる瞬間とは模倣の中に新しい創造が生じた瞬間であり、先達の多様性に更なる多様性を加えた瞬間です。そのとき広がりを加える役割と充実させる役割のどちらになりたいのかは、個性の問題かもしれません。しかし、片方のみ偏重すればまた同じ失敗をするでしょう。

経済原理が商品開発と顧客満足度にデリケートなのは以上のことから、たいへん優れた結論に達しています。だからこそ、ほとんどの人は現在の消費経済を支持しているのだと思います。

この経済原理が予期しなかったのは、環境問題と子供についての考え方です。前者は大人をも巻き込む問題ですから、解決に余念がありません。後者のためにも思慮深くなってほしい、そうお考えの方々のために、今回は書かせていただきました。





子供の歴史6 エピローグ「ずっとそばにいて」
at 2002 04/2 23:36 編集
心理的にも身体的にもポジショニングが不安定になりやすい子供たち。せめて大人のほうから手をつないであげてほしいです。本当に大切なものがいつどこにあるのかを優しく教えてあげてほしい。

風邪をひいたとき、母がくれたプリンと参考書。わがままを初めて言ったとき、本当にそれが食べたいのではなかったのに、世界で一番おいしかったのです。参考書なんか、まだ要らないほど簡単な授業なのに、なぜねだったのでしょうか、記憶力のいい私もその理由がわかりません。いいえ、そのときでさえ、あまりにも複雑な心境だったから、理解できない感情だったのかもしれません。とにかくそれをねだったことは確かでした。

腰を大怪我したときに、東京まで駆けつけてくれた父。父母が離婚してずっと会っていなかったのに、どうして父を呼んだのか今でもわかりません。だけど、SOSは父にでした。

新潟県は地縁も血縁も、固定的でなかなか動きません。そんな田舎のデメリットはきゅうくつなこと、反面、メリットはポジショニングがとりやすいことです。農村では大家族があり、子供は相談事をするとき、最もベストな選択をすることができます。小遣いがほしければ祖父母、進路相談は父母、友達関係の悩みは兄弟姉妹にというふうにです。もちろんこれは典型的な例ですから、いろいろなバリエーションがあります。

ともかく、新潟では、子供は必要なときにそばにいてくれる人が容易に得られるのです。私のように父母が離婚していても、ポジショニングが安定している社会では、誰か相談相手になってくれるものです。

ここでは東京にあこがれて、毎年多くの若者が移住します。行ったきりかえってこない人もいれば、Uターン組みもいます。私はその一人です。帰って来ると、新潟に永住する比率が多いようです。

生まれ育ったところがやっぱりいいから、ということの内面には、単に地縁と血縁だけではない何かがありそうです。実はそれが人間のリレーションシップなのです。たとえそれが動かしがたく、古臭い伝統であっても、それを構成する精神的リズムと質感が鮭の子供を呼び戻すように作用して、やがて若者の多くは帰ってくるのです。

新潟に限らず、留学生が帰国するときにも同じようにして、帰るのです。第二のふるさと、という言葉があります。養親にも使えるし、東京にも使えます。人によっては第三のふるさとも存在するでしょう。

どれだって、それは言葉のあやですから、子供が心から帰れる場所があれば、ふるさとと言えるのではないでしょうか。現在の子供にとって、家庭ではなく部活動かもしれませんし、塾かもしれません。

そのこのことをもっとも温かく迎えてくれる人や空間が、ふるさと。私はお母さんにそうあってほしいです。きわめて個人的な意見ですが、ふるさとの外注は残念です。

外注という言葉に敏感に反応される人がいます。本来自分でやらなければならないことを、人任せにしているようで、それを言われると腹立たしいのでしょう。あるいは、専門家に依頼したとでもいわれるのでしょう。サービスを買っているということですね。正当な権利とまで言われる方もいられます。

そうですね。その通りかもしれません。いえ、その通りと信じたいのですね。それではわからないかもしれません。子供さんがそのような考えで、学校や塾や部活動に行っているのではないということがです。

忘れてしまわないでください、大人になると忘れやすいこと、それは出会った人々から、子供たちが分け隔てなくふるさとを感じることなのです。もちろんふるさとは比ゆです。ここでは比ゆで終わらせていただきます。次回から子供の歴史7です、みなさまこれからもよろしくお願いいたします。





子供の歴史1本文 1970年代〜80年代:こどもたちの「きもち」と「たちば」
子供の歴史2本文 1990年代:こどもたちの「きもち」と「たちば」
子供の歴史3本文 2000年代:こどもたちの「きもち」と「たちば」そして各論へ
子供の歴史4本文 2000年代:こどもたちの「成長」「自然」「愛」「風」
子供の歴史5本文 こどものきもちのはじまり〜胎内・寝返り・はいはい・つかまり立ち
子供の歴史6本文 こどもの行動:ゆびをつかむ、子供に学ぶ
子供の歴史7本文 こどもの内と外の話
子供の歴史8本文 こどもの質問にこたえる
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子供の歴史 エッセイ 2003