「慈悲心」

 長岡市慶徳寺副住職 金子重典 合掌



今日は、慈悲心について少し話させていただきます。

慈悲とは、親のごとく、まわりのものを生かしつづける心、優しく見守る心を慈悲心と言います。親になったことがない私が親のごとくと言うのもおかしいのですが、親とはそういうものだそうであります。話がそれましたが、私たちは、他の人が困っているのを見れば、なにか手助けできることはしてあげようと思います。もちろん、他の人の難儀を見ても見ぬふりをする時もあると思います。しかしそのような時でも、やはり内心ではできれば助けてあげたいとか、だれか助けてあげればいいのにとか思うと思います。また、助けてあげたくても自分では何も出来ないこともありますが、その心は出てくると思います。

私たちには、このようにもともとこの慈悲心という心を持っているのです。

では、慈悲心と言いますが、それは大変立派なことだけどその慈悲心を持つことでどうなるのでしょうか。慈悲心はみんなが持っている心です。みんながその心をめぐらすことで皆がともに明るく幸せに生きていくことが出来ます。と言われても、いまいちピンときません。

私自身、イライラすることもありますし、いやな気分のときもあります。そのような時はなかなかいい答えはでないものであります。また、けして気持ちのいい状態とも言えません。そのように考えますとやはり、自分自身のためにも慈悲心をめぐらすよう心がけることで、感謝の気持ちもわき、平和的かつユーモアのある考え方ができるのではないでしょうか。