中国、湖南・湖北省に禅の祖跡を訪ねて

加茂法話会 平成十九年三月三十日

一、出かけるときの様子

 示して云く。大慧禪師、ある時、尻に腫物出ぬれば、醫師此を見て、大事の物なりと云ふ。慧の云く。大事の物ならば、死ぬべきや否や。醫師云く。ほとんどあやふかるべし。慧の云く。若し死ぬべくんば彌よ坐禪すべしと云て、猶を強て坐しければ、其の腫物うみつぶれて、別の事なかりき。古人の心、かくのごとし。病をうけては、彌よ坐禪せしなり。今の人病なふして、坐禪ゆるくすべからず。病は心に隨て轉ずるかと覺ゆ。世間にしやくりする人に、虚言して、わびつべき事を云つげぬればそれをわびしつべき事に思ひ、心に入て陳ぜんとするほどに、忘れて其のしやくり留りぬ。我もそのかみ、入宋の時、船中にて痢病せしに、惡風出來て船中さはぎける時、やまふ忘れて止りぬ。是を以て思ふに、學道勤勞して他事を忘るれば、病も起るまじきかと覺るなり。

 大慧・・大慧宗杲(一〇八九〜一一六三)

別の事・・普通と違ったこと。かわった事。

 わびつべき事・・力を落とすようなこと。「わぶ」は、つらい事、悲しいことにあって力を落とす事。

 わびしつべき事に思い・・悲しいことつらいことにあってがっかりして力をおとす

 陳ぜん・・申し開きをしようと

 

二、釈迦牟尼仏・・・・→西天二八祖・震旦初祖「菩提達磨」・・→四祖(三一祖)大医道信

→五祖(三二祖)大満弘忍→六祖(三三祖)大鑑慧能・・→(三六祖)薬山惟儼・・→五一祖永平道元・・

→五四祖瑩山紹瑾・・→八八代目・弘学宣昭→東龍寺の檀信徒へ

三、夾山寺(湖南省石門県)→薬山寺(湖南省?州)→四祖寺(湖北省黄梅県)→五祖寺(湖北省黄梅県)

四、嘉禎二年(一二三六年)臘月除夜、始て懷奘を興聖寺の首座に請ず。即ち小參の次で、初て秉拂を首座に請ふ。是れ興聖寺最初の首座なり。

中略

當寺始て首座を請じ、今日初て秉拂を行なはしむ。衆の少きを憂ふること莫れ。身の初心なるを顧みることなかれ。汾陽は僅に六七人、藥山は十衆に滿たざるなり。然あれども皆佛祖の道を行じき。是を叢林のさかんなると云き。

中略

玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。いづれの玉か初より光りある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし。自ら卑下して學道をゆるくすることなかれ。古人の云く、光陰空くわたることなかれと。今問ふ、時光は惜むによりてとヾまるか。惜めどもとヾまらざるか。すべからくしるべし。時光は空くわたらず、人は空くわたることを。

 正法眼蔵随聞記より 

五、薬山弘道大師、坐次(ザシ)に、有る僧問う、

  兀兀地思量什麼(ゴツゴツチシリョウシモ)ごつごつと坐禅していったい何を考えておられるのか

  師云く「思量箇不思量底(コノ フシリョウテイヲ シリョウス)」 思量できないものを思量しているんだ

  僧云く「不思量底、如何思量」 思量できないものをどう思量するんだ

  師云く「非思量」 日常の思量とは違うんだ              正法眼蔵・坐禅箴

東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌