教え(同事行)を受け継ぎ、教えを伝える

平成17年6月17日 加茂法話会

一、 仏教は仏様の教えであるから尊いし大切であるが、これを実践しなければ事実にならない。仏教を実践していくことを仏道という。              宮崎禅師

坐禅をしていただく意義・・線香→体→心→思うこと→言うこと→行い 真っ直ぐになる

二、

中越地震での新聞記事から
・ある町長さんの発言
「ボランティア地域をほんろう」という題で、
都会から、NEET(ニート)という若者たちがずいぶんと入ってきている。彼らが今まで自分たちの得たもので地域をリードすることは地域の現実から乖離している。
決して悪意で云っているのではなく、現状がボランティア本来の概念を超えてしまっているということ。復興は都会の感覚でなく住民自ら考えるもの。
  ・T氏
   「善意に水さす町長発言」ご自身もボランティアに参加し、周りのボランティア活動の人たちの様子に頭が下がるし、皆感謝をしていた。だから、今後も大事のときは、主役はボランティアということも、為政者は心にとめてください。
  ・A氏
   「町長訓示苦悩垣間見た」主役はボランティアとありましたが、主役は住民であり、そこの行政だと思います。
  ・N氏
   「ニート差別する首長発言」ボランティアの新しい風を徐々に取り入れて。
新聞記事の最後は、
  ・O氏  ご自身が療養者であり、病院ボランティアの方。
   「善意押し付けは本末転倒」 ニートと呼ばれようが、病弱な障害者と呼ばれようが、他者の役に立ちたい心は皆同じです。人間だもの。ボランティアはしてあげるのではなくさせていただくものです。そこから何を学び何に気づくかは、その人の心次第です。上から見下ろすのではなく、互尊(ごそん・・相手を尊ぶ)の心こそ相手も自分も勇気付けられるのです。
  同事とは、お互いが支えあっていることに目覚めていく教え。


三、

私は宮崎奕保だ。私は永平寺だ。永平寺とわしは一つ。自分くらい大切なものはない。自分くらい大切なものはないけれども、人も環境もみな自分だから永平寺を大事にすることが実は自分を大事にすること。(昨年のNHKスペシャル「百歳の禅師」から)


四、

人間はみな仏様だ。
仏様のまねをすれば仏、仏様のまねをやめれば凡夫だ。
一生死ぬまで仏様のまねをすれば、それは本物だよ。        宮崎禅師

自他一如(自他同一)・・他人と対立したり争ったりする心を離れて、それぞれの立場を尊重すること。

五、

同事は薩?(さった)の行願なり。ただまさに、やわらかなる容顔をもて一切にむかうべし
道元禅師

新潟県南蒲原郡田上町(護摩堂山の麓) 東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌