学習会を終え、弟子を手放して

平成十七年三月十六日 加茂法話会

一、 中学生の学習会を先日終了。

昭和五十九年十二月から、月例坐禅会とともに始めた。
坐禅会が、二百四十四回。最初の子供たちが、今年三十四歳。
延べ二百名の近隣の子供たちが勉強に坐禅に通って来てくれました。教える私が子供たちから多くのことを学び、勇気付けられた二十年間でした。
坐禅堂が建立できたのも子供たちのお陰、「お陰様」。
お陰様・・神仏からの加護。人から受けた恩恵。


二、 「寺報」山川敏幸君の寄稿から

自らの意志で自分の環境を肯定的に考えていく力強さ。
山川家、家族全員で農業を営む。子供たちも手伝う。
生き物を育てる喜びや思いやり、家族の強い絆。


三、  道元禅師は、同事の教えの中で、「佗(他)をして自に同ぜしめて後に自をして佗(他)に同ぜしむる道理あるべし、」とお示しです。

  まず相手の身になって考えてやるのが普通かと思いますが、道元禅師は、まず相手を自分のほうに向けてみる、つまり、指導してひっぱって行く。そして、ある程度、形が出来てくると、今度は、相手の身になってやる、相手の主張を理解してやることが、同事の教えであると広い心でおっしゃっていることに気がつきました。と同時に、厳しさも受け取ることができました。

四、  大人になっていくということは、自分の責任で生きていくこと。

英語の教材から、教えられたこと。
「日本人のアキラと、アメリカ人のジェーンの会話」
アキラ・・制服があり、不満。ジェーン・・服装が自由だけれど、決して楽ではない。
ジェーンは、学校へ、外国からのお客様が来る日に、Tシャツにジーンズで行ってしまった。他の学生たちは正装してきているのに。
自由ということは責任を負うということ。


五、自分の責任で、人生を前向きに生きていくこと。

そこには他者との関係が「他者との関係がなければ生きていけない。周囲によって生かされ、周囲を生かしている。」
だから、自己選択・自己決定には、自己責任が生ずる。
自分で決めたことを放棄せず、責任を持って行っていくことが人生を切り開く。
周りの人の安易なやさしさは、成長を妨げる。


六、子供たちとの接触が減ることの寂しさはあるが、みなの成長を見ていく楽しみもある。関わってきた縁は間違いなく広がっている。
皆の成長を温かく見守って行こうと思う。

東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌