絆を深める

平成二十二年七月二十八日 加茂法話会

一、絆(きずな)の意味   紲(きずな)とも書く。

  馬などの動物をつなぎとめる綱。煩わしいという意味にもなる。

  しかし、ここで深めていく絆とは、煩わしさを克服した相手を思いやる心・言葉・行為。

二、海潮音(新潟県曹洞宗青年会会報)の原稿「法悦の中で」より

前 略 

小生は、会場主とともに、説戒師という大役をお勤めすることになりましたが、当初大きな不安がありました。それは、「戒弟の半数近くは、東龍寺檀家か何からの関わりのある方、そのような知己の方々にお話をすることが果たして出来るか、ましてや私を生み育ててくれた母や伯母たちも戒弟にいる、つまり、自分の行状を全て知っている人の前で果たして、法を説けるだろうか」という思いでした。高名な説戒師様のお話を拝読したり、録音テープを聞いたりして、十六条の戒法を学び、法話を作ろうと努力しますが、授戒初日の拙寺開山・先住忌の準備や戒弟の整理等に追われて中々思うように進みません。とうとう最後は開き直り、自分の身の丈以上の話は出来ない、素直に自分の体験や経験の中から、戒法に照らした話をしていこうと覚悟を決めて臨みました。

ところがいざ始まってみると、南無三世諸仏の戒弟一同の唱和と大擂の轟く中の上殿、自分自身が仏様から後押しをされて大きな力を戴いて、高座に上り、坐を組むと不思議な威神力が授かるのです。今までの布教教場のどこでも味わうことの無かったそれは聴衆との一体感でした。身近な話材が聴衆にすんなり受け入れられ、話す側と聞く側の壁が取り払われたような、話している私が聴衆の声を聞き、聞いている聴衆が私に語りかけてくれているような不思議な感覚になりました。説くものと聞くものが一つになった世界が現れたのです。

そして、この説教の道場こそが、御戒法の世界そのものだと、思えてきました。お互いが仏様なのですから、自分と他人という区別のない仏国土が現成していたのです。

六月三日、完戒道場を終えて、戒師様が、二師様に続いて、小生の前にも挨拶に来てくださいました。丁寧な合掌礼拝を下さり、顔を会わせた時、「ありがとう」とその口元が動いたように私には見えました。「説戒の内容としては不十分極まりないものでも、無我夢中で、痩せる思いで(実際三ヶ月で四キロ痩せたのですが)、何とか、七回の法座を勤め終えたことを戒師大禅師様が認めてくださったのかなあ。」と何ともいえない法悦に浸ることが出来ました。

後 略

三、釈迦牟尼佛が悟りを開かれた時のお示し。

と大地有情と同時成道す」→「大地有情、同時成道す」    瑩山禅師 

東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌