鰯の頭も信心から

平成十八年五月二十二日 於加茂法話会

信仰する心があれば、つまらないいわしの頭でもありがたく思える。どんなつまらない物でも、信仰するとありがたいものに思われるということ。「頭」は「かしら」とも読む。

清め塩―葬送から帰宅したとき、清めるための塩や水。
「清め塩」の廃止にについて
◇ 「清め塩」は、現在ほとんどの葬儀に見受けられ、「死の穢れ」を「清める」ものとして、会葬者のお礼にそえられてきました。人の人生は、生命の厳粛なる摂理であり、「死」に出会うことを通して、人間としての生き方を考え直す機会でもあるのです。つい今しがたまで親しみ、慈しみできた人が亡くなられた途端に「穢れたもの」とみることは、亡き人を限りなくさげすむ行為であるとともに、ご家族に対しても「穢れたひと」とみていくことは、人間の尊厳を冒涜するものといえましょう。こうした「穢れ」の意識を払拭(ふしょく)し旧習をあらため、この度「清め塩」を廃止する事に致しましたので、何とぞ、主旨をご理解賜りますようお願い申しあげます。
                                合掌
火葬場から戻って、家に入る時、鰯を頭に頂き、塩を口になめ、左右後に一振りする。
鰯は施食である、塩は異界(葬儀)より、日常の生活をする固めの意である。忌中のローソクは新潟では赤、亡き人を仏の座で躍動させるためである。

塩 穢れを払うためのもの、色々塩の話はあるが、差別的なところが多いので簡略する。
元々塩は土台を固める、余分な物を出すが、基本である。漬物の白菜は、塩で味をひきしめ、余分な水分を出す。守る事と余分な物を排斥する機能から、地固めと穢れを祓うことに二分化され、後者の意味が専行し、穢れ俗信を産み、差別を助長している所がある。塩は地固めである。

後掃き出棺後、塩で清め、箒で掃く。異界出入り口を塩で固め、掃きだし、忌中の場を準備。

灰よせは、故人の再生(霊力招来)が強い行為であり、香に薫じて、二人でこの世とあの世を橋渡しする行為である。

米は小實(こみ・小さな実)の転化であり、人の身にこめる、また子を生める略である。よねは世の中の根、即ち世根(よね)の意である。米は豊凶ともに押しなべて八十八と殖(ふ)える。

灰よせは、あの世に送り、再来を願い米を撒き、塩でその願いを地固めする事になる。

正壽寺住職 呉 定明合掌