般若心経(十一回目)  

平成十五年十二月二十二日 於加茂法話会

1、無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽。

無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。

 

暗き闇夜の世界なく、暗夜(やみよ)の世界なし。老いもなく、死なく、老いと死のなくなる世界もあらざりき。

空の實感の中に無明もなければ、無明の尽きることもない乃至、老死もなければ、老死の尽きることもない。逆にいえば、そのものをそのものとして認め、認識する。そのものをそのものとして認識することが一番難しい。

 

人はみんな弱点をもっていきてりるのだから、失って初めて分かる大切なものは、なにか?

けんかしても仲直り出来るんだ。コミュニケーションをとることが大切。

具体的に行動すれば、具体的に答えが出る。

私は「納得していたのではない、あきらめていたのです」・・・離縁状

 

二、無罣礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。眞實不虚故。

    

  心に罣礙(こだわる)ところがないから、心に罣礙(こだわる)ことがないから恐怖(おそれ)をいだくことがなく、さらにまた顛倒夢想(まよい)を遠く離れてすべて涅槃の限度まで行き着くのである。

三世(さんぜ)の諸仏(みほとけ)も般若波羅蜜「知恵はらみつの(行)」によりて立ち無上正等覚「優れた悟り」を得ることができる。

このように、理解することができる。

まさに般若波羅蜜というのは、まこと真理の言葉である。まことに真理の言葉は言葉と行動が一致していることであり、これこそ無上の真理の言葉である。それは、行動によって示されるものである。理論も大切であるが、行動して初めて真理に叶うのであり、だから、よろずの苦しみを除き、行動している時は偽りでなく真実そのものが現れるのである。

 

「すっきり、さっぱり、さわやかに」

あなたも、私もこれから自分の人生大切にいきていきましょう」・・・さようなら。

自己の存在がない、居場所がない。「透明な存在」・・「やさしさ探し、自分探し」に費やす時間がない。

心の支えとなる信仰・親交が大切。                        正壽寺住職 呉 定明合掌