涅槃にちなんで、

平成二十一年二月二十六日 於 加茂法話会

 

① 遊行会の総会も終わり、 仙台の関さんが教えてくれた。言葉である。

『未足(みそく)』[今年(H5)のキーワード三菱総研が造語]

「一九九三年はこの言葉がキーワードになると、三菱総合研究所が十一日に今年の日本の動向を予測する造語を発表した。「不足はしていないが、満足できない状況」を表す言葉だという。日本の政治、経済、社会は未足の流のなかで、「青い鳥」を探す旅立ちの準備の年になりそうだ、とみている。三菱総研が初めての試みとして造語したキーワードを手がかりにして、消費、企業経営、景気動向、政治の四部野について、予測。消費者はモノを買う喜びを失っているので、企業は、価格や品質、機能のバランスがとれた商品を開発しなければならない。利益至上主義の経営の不足が必要なことははっきりとしているが、その先が見えない。景気は、不良資産の後遺症が残り、不況からの脱出は時間がかかる。政治改革は不透明で、政権交代の受け皿がない。「ありあまる豊かさのなかで、日本の経済、社会、政治は、選ばない、選べない状況に置かれている」と結論づけている。                  朝日新聞93(H5)一月二十日 

 

②佛教に知足という言葉がある。

満足すべき限度や自分の本分を理解する。余計な望みをもたないこと。

欲望は悪いことではない。欲望に振り回されて自己のあるべき姿を見失うことが悪いことである。大いに欲望を持って、佛道修行をする。大般若経の中に世間の道理に合わぬ事に怒りを持って、いかり、大いに欲望を持って道を正すことが説かれている。

 

③少欲と知足の捉え方に問題がある。

いかにして自分の欲望を少なくして生きるか。(八大人覚を理解していない表現)

少欲(未得法)まだ、得ていない物に対して欲求を広く求めない。

例えば、百円ショプでいらないものを買ってしまう自分は、本当に必要な物だけを買うのが、道理の分かった大人(だいにん)である。でも、欲を出して買ってしまう。貯えるのは、(しょうにん)小人である。道理をわきまえない人である。

知足とは、(己得法)自分が得た物に対して、仏の慈悲を感じて、不平不満を言わず感謝する心である。

 

④大人とは、赤子(せきし)赤子の心を忘れないものである。つまり、欲は有るが、与えられし物に満足し、不平不満を言わず、感謝して喜びを現している。

それと反対に小人は、与えられし物に満足ぜず、不平不満をいい。尚、貯える事をするのである。少欲知足は、いかにして自分の欲望を少なくして行くか、ではなくて、いかに、得ていない物に対して欲求を広く求めないかである。いかに足りているか、満足は、貯えることをせず、いかにその物を使い切るか。命を頂ききれるかが、問題である。

 

⑤お釈迦様は苦行を止められ山から降りて、十二月八日に悟りを開かれた。純陀の供養を受けて、二月十五日涅槃に入られた。お釈迦様は「朝食のことで、純陀に自分のしたことを悔やみ、残念に思う心がないであろうか。若しあるとすれば何が原因だと思うか」 阿難「純陀はせっかく朝食を供養しましたが、その功徳は無いと思います。なぜなら、それが原因で世尊がこの世で最後の食事となり、涅槃に至らんとしておられるからです」世尊「そう言ってはならない。今、純陀は供養して大利を得、寿命を得、死後は天に生まれるであろう。その理由は、仏が成道の時に初めて食事を供養した者と、仏の滅度に臨んでよく食を施した者は、正に正しく、その功徳のことなることはない。汝は今、純陀のもとに生き、そのように伝えよ。」阿難はその旨を受け、純陀にそのお言葉を伝えた。佛眼まどかな世尊のお心遣いは、常にこのようであり、満月がその心を現している。

正壽寺住職 呉 定明合掌