永平寺上山を控えて

加茂法話会 平成二十四年九月十四日

一、            永平寺布教部部長の御縁

 

二、            昭和五十六年、修行僧としての上山

「御開山拝登並びに免掛搭よろしゅう」

 

三、            ある老師のお示しから

私は、以前は、布教教化というものは、こちらから民衆の中に飛び込んでいって行うものだと、僧侶もそういうことが必要であると思っていたが、今は違う思いをもっている。われわれが、自分たちの道をしっかりと行じていれば、民衆がわれわれを訪ねてくる、法を求めてやって来る。とにかくこうして修行道場で高祖さま(道元禅師)の教えに随って修行を実践していることが大切だ。ここがしっかりしていなければ、仏法は滅んでしまう。しっかりと自分ができていない者が、やみくもに世俗に飛び込んでいくと、かえって世俗に流されて堕落するだけだ。

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小生の役目は高祖さまの教えを本山に参拝される檀信徒の方々へ敷衍してい行くこと。

 

四、            夜話の次に奘問て云く、父母の報恩等の事、作すべきや

  示して云く、孝順は最用なる所なり。然あれども其の孝順に在家出家の別あり。在家は孝經等の説を守て生につかへ死につかふること世人みな知れり。出家は恩をすてヽ無爲に入る故に出家の作法は恩を報ずるに一人にかぎらず。一切衆生をひとしく父母のごとく恩深しと思ふて、なす處の善根を法界にめぐらす。別して今生一世の父母にかぎらば無爲の道にそむかん。日日の行道時時の參學、只佛道に隨順しもてゆかば、其れを眞實の孝道とするなり。忌日の追善中陰の作善なんどは皆在家に用ふる所ろなり。

衲子は父母の恩の深きことをば實の如くしるべし。餘の一切も亦かくの如しと知るべし。別して一日をしめて殊に善を修し、別して一人を分て廻向するは佛意にあらざるか。戒經の「父母兄弟死亡之日」の文は、(しばら)く在家に蒙むらしむるか。大宋叢林の衆僧、師匠の忌目には其儀式あれども父母の忌日は是を修したりとも見へざるなり    (正法眼蔵随聞記 長円寺本三―十六)

                        

五、東日本大震災物故者一周忌慰霊法要で、永平寺貫首福山管長猊下の御垂示より

「震災からずっと皆さま(被災者)の苦しみ、悲しみに心を同じくしようと願っていましたが、及びません。それが自分の一番の苦しみでした。今日ご一緒に法要を営むことができて、少しでも皆さまの気持ちに近づけたように思います。一周忌の法要というのは、亡き人のためにも前向きに生きていこう、絶望の淵にあった心にわずかながらも光が差してくる、このような思いに至るものと思われます。私たちが正しくみ仏の道を歩むとき、亡き人も仏として現れる、故人の為にも前を向いて生きていただきたい」。

六、        最初の加茂法話会の法話原稿は、

平成六年十二月十八日「料理を作ることは、仏様を作ること」

もうすぐ,二十周年、益々のご精進と発展を願っています。

上山中のときどき参加できればと念じております。

東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌