久昌寺涅槃托鉢 (二十五) 平成十九年三月

 今回は拙寺に安置されている弥勒菩薩様のお話。

 弥勒菩薩はお釈迦様滅後五十六億七千万年の後に世に出現され、衆生済度してくださる慈悲の仏様で、未来仏です。

 「二つの伝説がある。一つは盗人がこのお堂から仏像を盗み出してひともうけしようと したが不思議ばかり起きて始末に困り、お寺の上手の水無つつみへ投げ棄てた。ところが毎夜つつみの底から光が発し奇象が続くので、村人がこれを探しあて掘り出して元に納め奉ったという説。もう一つは水無つつみに夜な夜な不可思議な奇象あり、世人が怪しんでついにこの仏像をもとめ御堂を建立の上、安置し祀ったという説。何れも水無つつみはその後、弥勒つつみとも呼ぶようになったとするところは軌を一にする」〔 『田家風土記』(二百三十九頁) 〕

 山門階段を上がり、右手のお堂が弥勒堂です。現在の弥勒堂は平成十五年に再建。それ以前の弥勒堂は天保六未年(一八三五)八月一日再建で、翌申年五月四日より六日まで入佛供養が盛大に執り行われています《 棟札と平成十五年(二〇〇三)解体の折に発見された壇の裏面の墨書により判明 》不思議なことに平成十五年は天保六年より十四回目の未年に当たっています。当時の住職は十三世様(現住は二十二世)

 拙寺の弥勒菩薩様の制作年代は不詳ですが、既に天保六未年(一八三五)再建の時には確実に存在していた訳ですから、それ以前の制作であることには間違いない(江戸時代初期ではないかと、松本明慶大仏師)現在の弥勒菩薩様は木造座像で極彩古色仕上げ、身丈二尺四寸・総高百五十六センチです。

 平成十五年弥勒堂改築に合わせて、弥勒菩薩を某業者より修復していただきました。しかし、どうも手を合わせて拝む、礼拝する気持ちになれずにいた時、たまたま昨年五月に新潟の三越で『京都・松本明慶大仏師の仏像展』(山古志村の童地蔵制作の仏縁)が開催され、拜観。二百五十余点の大小の仏像、その一体一体に真心が込められており、すばらしい仏像群と出会いました。特に身丈二尺で極彩古色仕上げのお地蔵様のの全体の古色の様子や威厳があり、かつ柔和で温かいご面相、堅い木でありながら柔らかく軽やかなお衣や指の表現など、そのすばらしさに動けなくなりました。

 京都の松本明慶大仏師は中越地震で壊滅的被害を受けた山古志村、その地震で倒れた大杉を童地蔵九体に復活させた仏師です。当時テレビや新聞で報じられていました。

 「満面に微笑みをたたえたお地蔵さんたちが故郷に帰ったその日、多くの方々が自分の家族を迎え入れるように歓喜され、お地蔵様を抱きしめられた光景に触れ、みほとけの 力が苦境にある人々に感動と勇気を宿すことを強く感じました」と、松本明慶大仏師。

 妙な仏縁により修復をお願い。平成十八年五月二十八日搬出、同年十二月十日搬入安座、翌朝に点眼。目に見えるところは勿論、目に見えない箇所にまで心を配り、手を入れてくださいました。威厳のある柔和でやさしく、温かなお顔おすがたになりました。皆様がお参りされることによりまた、表情も更に深まっていくことと思います。

 毎月一日、五日(縁日)、十五日、年末年始、お盆、両彼岸には弥勒堂をあけます。

希望あれば随時。

 

【オン マイタレーヤ ソワカ】 《弥勒菩薩真言》

※ 三月十五日(木)午前十一時より、ねはん会・お話・おとき どうぞおまいり下さい。

   午後四時より、子どもねはん会(だんごまき) ご遠慮なく、どうぞ

涅槃の図 みな泣いていて あたたかし 【久昌寺坐禅会】毎週土曜日 夜七時〜九時 どなたでも