典 座 (てんぞ)

先日、インテリアのお店に行ったときのお話しです。そのお店で食器を見ていたときに、店員のお姉さんが「食器のいっぱいある家庭は円満な家庭だとも言われているんですよ。」と、言っておりました。私はそのお話を聞いたとき、お寺は食器がいっぱいあるなと思いました。一般の家庭とはちょっと事情が違いますが、食器が多いと言う点で、このお話の円満な家庭に通じるものがあるのではないのか考えてみました。

 

修行道場に行きますと、最初に食事の作法をみっちり叩き込まれます。器の持ち方、箸の置き方、食べ物を口に入れるところまで、一つ一つ作法があります。最初はとてもぎこちないのですが、それを覚えると、とてもスムーズでそれ以外の食べ方をすると逆にぎこちなくなります。修行道場では一人で食事をすることはなく、食事の時間にみんなでご飯を食べ、食べ終わるときもみんなで食べ終わります。その一連の流れが一つ一つの作法で、始まりそして終わります。また、食事をつくる、食卓の準備、食べる、かたづける、全部が修行の一つとしてもちまわりで全員が経験します。すると、最初に叩き込まれた作法の一つ一つのこころが全てにめぐらされていることに気づかされます。当時を思い出しますと150人の修行僧たちみんなが食と言うものでかたくつながっていたように思います。

 

食事の準備をする所を、典座寮といいます。食事をつくると言う事は、純粋で雑念のない仏道修行そのものであることによる。(典座教訓)と言われるほど、大切な禅寺の修行の一つです。

 

最近は、一人一台携帯電話に車というのが当たり前の世の中になり、一人一人の時間の使い方が自由な世の中になってまいりました。とても便利なのですが、それによって色々な問題が出てきているのも事実であります。ちょっと考えられないような事件も多いですが、食を囲む席を大切にすることで改善されるところは多いと思います。食器の多い家庭は円満と言うのは食を囲む席を大切にしているといことからきているのではないでしょうか。

 

長岡市 慶徳寺副住職 金子 重典 合掌