尊きご縁をいただいて

平成二十年正月二十四日 加茂法話会

 正月五日の朝、朝課の最後に諸堂に線香を立てながらお参りをしている時、札幌の法友から、電話が入り、禅師様遷化の報を知りました。初相見して以来、祖山安居中、その後現在に至るまで、数々の尊いご縁を頂いた事を思い起こし、溢れ出る涙を止めることが出来ませんでした。特に、安居中の思い出を御遺徳を偲びながら、綴らせていただきます。

法堂の正面に本尊様と向き合うように飾られた祭壇

 

 故禅師様が、昭和五十六年秋、監院として本山に上山された翌年の春、修行二年目の小生は、監院寮へ配役をいただき、宮崎監院老師(しばらく老師と呼びます)のお側にお仕えすることができました。

 老師は、振鈴三十分前には、部屋をお出になり、まだ真っ暗な中、坐禅堂へと向かわれました。坐禅堂では修行僧たちが寝ておりますので入り口で待つこと暫く、振鈴が鳴り、修行僧たちが起きるや真っ先にお堂にお入りになり坐を組まれる日々でした。

 そんな折、一年に何回かの暁天大放参の朝、振鈴前に、いつもお飲みになる煎じた薬草を入れて沸かした鉄瓶をお持ちし、そっと、お部屋の戸を開けますと、なんと机に向かって坐禅をされる老師が目に飛び込んで参りました。黙々として自己の光明を照らす禅師号そのままのお姿でした。お声をかけようとした息をぐっと呑み込み、思わず手を合わせ、ご迷惑にならないようにとそっと戸を閉めました。私にとって生き仏様を拝んだ一瞬でした。

 また、老師は、「禅機を働かせなさい」とよく言われました。夏の蒸し暑い日、来客があり、冷たいお絞りをお持ちしました。すると、「弘学和尚(本山での小生の呼び名)、こんな暑いときこそ、よーく絞った熱いお絞りがいいんじゃぞ。」と言われました。なるほど、後で試してみると気持ちのいいものでした。しかしながら、場合によっては冷たいお絞りの方がいいときもあるのです。その時々に、相手の身になって、最善を尽していくことを教えていただきました。

 数々の気づきを与えてくださった老師の行者を勤めていて、とても不思議な体験、お言葉に触れる事が度々ありました。雲水はスリッパを壁に向かって脱いで部屋へ入ります。老師と廊下を歩いていきますと、時々腰を屈められて深い息をしながら、乱れて脱いであるスリッパを直されては、「是でスリッパが成仏した」と・・、また、お部屋の線香が曲がって立てられていると、「こらこら線香を直しなさい」まっすぐに立て直すと「これで線香が成仏した」と・・。戸をバーンと閉めたりすると、そっと閉め直させては「これで戸が成仏した」と・・、いつも腹の底から湧き上がるような独特なお声でニコニコと微笑みながら言われました。当時はそれぞれの物を大切に扱いなさいと言う意味かなあと思っておりましたが、平成十六年に放映されたNHKスペシャル「永平寺一〇四歳の禅師」で、「私は宮崎奕保だ。私が永平寺だ。永平寺と私は一つ。自分くらい大切なものはないけれども、この大切な自分は、大勢の雲水たち、七堂伽藍を中心とする建物、木々・山・川・鳥や獣などの自然環境とともに生きている。人も環境もみな自分だから永平寺を大切にすることが自分を大事にすることになるのだ。」というお言葉をお聞きして、二十数年を経て、『自分と自分以外の人や物との間に垣根を造らない自他一如の教えをお伝え下さっていたのか』と気づかせていただきました。

御出棺

山門より出て勅使門を通って、御出棺

 

 十一日の密葬、火葬場までお見送りをし、午後四時近くに、ご遺骨が上がりました。それまで二百名近い随喜衆がお待ち申し上げ、舎利禮文が火葬場のホールに響く中、皆でご遺骨を拾いました。その折に何と若い宗侶が多いことか、あらためて驚きました。故禅師様の日常の修行底、若い修行僧と共に坐る姿勢、「修行の浅い深いではない、日々の一歩一歩の歩みこそが大切なのだ」というみ教えの実践が伝わっていたのでしょう。

 火葬場より本山に戻り、法堂須弥壇上に安置されたご遺骨への安位諷経、二十数年前の宮崎監院老師の侍者を勤めた往時を懐かしく思い出しながら、導師・永井孝道老師の侍者を有り難くも、お勤めさせていただきました。

導師 永平寺顧問・永井孝道老師、侍者・小生、侍香・寒河江文洋師

『安位諷経(あんいふぎん)』 導師 永平寺顧問・永井孝道老師、侍者・小生、侍香・寒河江文洋師

 

 末筆ながら、生生世世の中、大禅師様と再眉が叶いますよう念じて、報恩感謝の拙文といたします。

東龍寺 渡辺宣昭 九拝   

 

□ 遷化(センゲ)・・この世での教化を他界へ遷(ウツ)すこと。
□ 初相見(ショショウケン)・・はじめてお会いすること。
□ 監院(カンニン)・・禅師様がお留守の時、本山を護る最高責任者。
□ 禅機(ゼンキ)・・禅僧が他に対して示す独特の鋭い言行。
□ 暁天大放参(キョウテンオオボウサン) ・・朝の坐禅が全くなし。
□ 生生世世(ショウショウセセ)・・生まれ変わり死に変わりして、未来幾万世を経ること。