隠岐の島へ、布教の旅して

平成十九年九月十八日 加茂法話会

 

一、浄土ヶ浦伝説

 布施村に浄土ヶ浦と言うところがある。むかし、この浦に嶋右衛門と言う人が住んでいた。

その頃、京都に一休和尚がいて、紫野に寺を建てたが、その柱に虫の喰ったあとがあって、文字のようになっており、「隠岐国嶋右衛門にはおとる。」と読めた。

 一休はそれを読んで、そんな偉い人がいるのなら会って見ようと思い、はるばる隠岐国へ渡って嶋右衛門を探し歩き、布施村に着いて漸く彼に対面することができた。そして、一夜の宿を借り、懇ろに語り合った。

 遂に一夜が明けて朝食の時となったので、漁師の嶋右衛門はかねてから、釣っておいた鯛を自分の食事にあて、一休に対し、「御僧には精進物を差し上げねばなりませんが、ご覧のとおり外に食物はありません。どうしましょうか。」と尋ねた。一休は「差し支えないから私にも貴殿と同じ食物をください。」と答えたので、鯛三献を出してともに食べた。

 その後で一休は、たらいに潮水を汲んでもらい「かっー」とせき上げると、いま食べた鯛が元の姿にかえって泳いだ。嶋右衛門はその有様をつくづく見ていたが、「さて貴僧の力は如何にも見事なものですが、食べたものを吐き出してもとの様に生きかえらせるのはどういう意味でしょうか。」と問う。一休これに答えて

 「われは仏僧の身でありながら魚を食べたから、これを成仏させるためもとのように助けてやったのです。如何ですか。」と言った。そこで嶋右衛門は「成仏させることについては私は少し違います。魚を食べてわれわれは身命が助かるのですから、魚は食われて人を助けたと心得て成仏しています。成仏の証を見せましょう。」と言って、うつわに水を入れてその中にせき出したものを見ると、蓮の台座の上に弥陀・観音・勢至の三尊が現れたという。

一休は驚いて狂歌を詠んだ。

釣に出て 身は三峰(さぶ)島の 破(や)れ衣 布施きて見れば 浄土なりけり

このことがあってからこの浦を浄土ヶ浦と言うようになった。

 

二、世界に水ありといふのみにあらす、水界に世界あり、水中のかくのことくあるのみにあらす、雲中にも有情世界あり、風中にも有情世界あり、火中にも有情世界あり、地中にも有情世界あり、法界中にも有情世界あり、一茎草中にも有情世界あり、一壬杖中にも有情世界あり、有情世界あるかこときは、そのところかならす佛祖世界あり、かくのことくの道理よくよく参学すへし、

正法眼蔵 山水経の巻

 

東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌