北海道を巡回して

平成十八年十一月十七日 加茂法話会

一、故鈴木章子さんのお寺をお訪ねし、鈴木真吾ご住職にお会いして。
斜里町(知床の羅臼町まで四十キロ)の浄土真宗大谷派西念寺の章子さんは乳ガンの転移で、昭和六十三年の大晦日に四十七歳の生涯を終えられた。

青山俊董老師の法話から
「ガンを得てから私と主人は別々の部屋に寝るようにしました。私に付き合っていたら主人は体を壊すからです。そんな生活を「おやすみなさい」という詩に託してみました。

「『お父さんありがとう。またあした会えるといいね』と手を振る/テレビを観ている顔をこちらに向けて『おかあさん ありがとう またあした 会えるといいね』手を振ってくれる/今日一日の充分が胸一杯にあふれてくる」(昭和六十三年十月十九日)

そして、朝は「お父さん会えたね」「おかあさん会えたね」と恋人同士のようなことをしています。

お会いしてみると「決してそんなに深刻なことではなかったんですよ」とさらっといわれたのがとても印象に残った。修羅場を乗り越えてきた自信。悟りは平生にあることを感じた。

 

 人の、悟をうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなる光にてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。悟の、人をやぶらざること、月の、水をうがたざるがごとし。 正法眼蔵・現成公案の巻

[10月25日] 鈴木真吾ご住職と

 

二、岡本佳子ちゃんの事
父幹雄・母久子さんの次女の佳子がダウン症。昭和四六年十二月生まれ
生後七ヶ月に、ダウン症とわかり、あと三年の命と宣告される。
豊平区福住、札幌ドームの近く。岡本佳子授産研究所、小さな美術館。
札幌の郊外、手稲山と藻岩山に挟まれたところに円山がある。
八十八体の地蔵様が並ぶ。六十一番目が左腕に、おかっぱ頭の女の子、右に男の子の手を取った「母子地蔵」。慈愛に満ちた母地蔵の優しい眼差しに心中を図ろうとした母・久子さんを思いとどまらせた。
おかっぱの女の子は佳子ちゃんそっくり。地蔵様に救われた。
   平成十四年に、田中清元師の晋山授戒で宮崎禅師に「佳法妙真」という戒名を戴く。
   お地蔵様によって生かされた。母や父や姉によって助けられて生きてきた。父や母のために地蔵様を書き始めたが、その後多くの皆さんに喜ばれて皆さんのために書くようになった。
【しおり】
 岡本佳子さんから、すべてに自筆のサインを入れて栞(三五〇枚)等送っていただく。
 私が十月二七日に家にもどり、夜お願いしてから、二十八日に四時間、二十九日に二時間かけて書き上げ、午後送ってくださったもの。一枚一枚丁寧に書きながら、「大事に使ってね」とつぶやきながら書いていたそうです。
 
 綿毛をつけた美しい雪虫が、もうすぐ近くまで寒い冬が来ますよ。心の準備は出来ていますか?。と教えてくれる季節に入りました。

中略

 可愛らしい「リス」も見てくださって本当にうれしい気持ちになりました。佳子も登るときは、いつも先へ先へと案内しているようなとっても可愛らしい「リス」、おやつも佳子の手のそばまで来るんですよ。今年は日本全国より“心の時代”ラジオ深夜便を聞かれたり、“本”を見て沢山の人達が相談と美術館見学に小さな所にいらしてくださって本当に生きる希望をたくさんの人達よりいただいています。人間が生きる世界は今とても“キケン”な毎日ですが、佳子は難病のたくさんの病気の中で三十四年間一日とて休むことなく優しい家族に見守られて、生きる幸せを感じながら、沢山の人達が一人でも多く沢山の希望を大切にして生きていけるように、頑張ってお母さんの研究所でボランティア活動の大切さをお勉強しながら技術の仕事を一に努力。二に努力。三に成功へと頑張る毎日を大切にしています。
中略

  十月三十日夕方大きな箱の中より佳子も見たことのない大きな新高梨が届きました。赤ちゃんの頭位の大きな梨に白い服を着て、佳子の目には笑って見えました。渡辺方丈様、お電話を下さったおばさんにもよろしくお伝え下さいね。感謝してたくさんの皆さんにも「ごちそう」しています。本当に本当にありがとうございます。

中略

  札幌へ来られたときは少しの時間でも佳子の美術館にもお立ち寄り下さいね。たくさんたくさんお元気でお過ごし下さい。佳子も努力で頑張っています。

  平成十八年十一月五日          感謝

館長 おかもとよしこ

[10月27日] 岡本久子さんと 円山88ヶ所 61番 母子観音様で