一に止まる

平成十六年一月二十六日 加茂法話会

一、正月の正の字は、字引で引くと「何ヘン」で引くか。

漢和辞典では、「止部 とめへん」で引く。・・足が一点で留まる意を表す。

正は、一に止まる。一を守る。

 

それでは、一とは何か。一とはこのわたしです。自分が人間としての原点に止まる。それが正。自分が自分の原点に立ちかえる。それが正です。

自分が自分の原点に立ちかえる月、それが正月。つまり、自分が自分になる月、それが正月。

自分が自分になるとは人間としての本来の自分になること。本来の自分とは何か。?

「そんとく」「勝ち負け」お金の「有る無し」等という比べることをやめた自分、それが本来の自分。

  普段の私たちの生活は、「そんとく」「勝ち負け」という比べっこにふりまわされているから、一年に一遍、そういう世間的な「比べっこ」をやめて本来

の自分に帰ろうというのが正月。そうすると、自分と同じように他を尊重できる

  「修正会」昨年やってきたことのあやまち、失敗を反省し、同じことを繰り返さないよう自分の原点に立ち返って自分の生き方の軌道修正をする。

  そして、自分のことばかりでなく世の中の人々の平安や世界の人々の幸せを祈願する月。

正月とは、そんとくで歪められた自分の軌道修正をする月。お願いをするのではなく、こんな一年を過ごしますという決意の月。

 

二、SMAP「世界にひとつだけの花」 紅白のトリ 選抜高校野球の入場行進曲

  

三、弟子・道昭兄との日々の中で。わがままな自分自身への懺悔(さんげ)。

 

四、濁りなき 心の水に すむ月は 波も砕けて 光とぞなる (坐禅のご詠歌)

人の心の水が澄んでいれば、月がその澄んだ鏡のような水面(みずも)に映るという。私たちの普段の心は、丁度洗面器の水が波立っているように、争ったり、名利を欲したり、人を傷つけて苦しんだりしている。皆、自分と他人を比べてのこと。なんて小さな自分であることか。

自分と他人ひいてはすべての生きとし生けるものと垣根を取っ払って一つになる。

今日が誕生日の道元禅師様は「放てば手に満てり」とお示しになりました。この境涯こそが、「一に止まる」私たち人間の本来の姿心です。

  どうか、皆さんにとってすばらしい一年でありますようお祈りしております。

東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌


「世界にひとつだけの花」  SMAP

花屋の店先に並んだ 

いろんな花を見ていた 

ひとそれぞれ好みはあるけど 

どれもみんなきれいだね 

この中で誰が一番だなんて 

争う事もしないで 

バケツの中誇らしげに 

しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は

どうしてこうも比べたがる?

一人一人違うのにその中で

一番になりたがる?

そうさ 僕らは

世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ 

その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

 

困ったように笑いながら

ずっと迷ってる人がいる

頑張って咲いた花はどれも

きれいだから仕方ないね

やっと店から出てきた

その人が抱えていた

色とりどりの花束と

うれしそうな横顔

名前も知らなかったけれど

あの日僕に笑顔をくれた

誰も気づかないような場所で

咲いてた花のように

そうさ 僕らも

世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ

その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

 

小さな花や大きな花

一つとして同じものはないから

bPにならなくてもいい

もともと特別なOnly one