中国禅宗六祖様の祖跡を拝登して


平成十五年三月十七日 加茂法話会

一、 二月二六日〜三月五日に、中国禅宗六祖大鑑慧能禅師(638713)(お釈迦様から、三十三代目)の祖跡を拝登
南宗禪三大祖庭・・光孝寺(法性寺(広州市)祝髪(受戒得度)エイ髪塔・風幡問答)
               南華寺(宝林寺(韶関)・・・住職をされた、真身像安置)
               国恩寺(新興県・・広州から90キロ、生まれてなくなった所)
六榕寺(広州市)・詩人の蘇東坡が、北宋の時代に来遊し、六本の榕樹に因み揮毫。
二、 私の最も関心があり、拝みたかったところは、「曹渓山宝林寺」といい、現在は、南華寺といわれている六祖様の長年住職をされたお寺に、伝わるお袈裟があるかどうか。
道元禅師の袈裟功徳の巻に、

「仏仏祖祖正伝の衣法、まさしく震旦国に正伝することは、嵩嶽の高祖のみなり。

高祖は、釈迦牟尼仏より第二十八代の祖なり。

西天二十八伝、嫡嫡あひつたはれり、二十八祖したしく震旦にいりて初祖たり。

震旦国人五伝して、曹渓にいたりて三十三代の祖なり、これを六祖と称す。

第三十三代の祖大鑑禅師、この衣法を黄梅山にして夜半に正伝し、

一生護持しまします。いまなほ曹渓山宝林寺に安置せり。」
実際には、六祖様が唐の女帝「則天武后」から、戴いたお袈裟が、安置されていた。


三、なぜ、六祖様が大切にされているのか。  南宗禅の祖であるから。

南宗禅 頓悟とは、悟りに高下を認めず、修行に段階を経ず、直ちに悟ること

     五家七宗は、いずれも南宗禅。日本に伝わった禅宗いずれも南宗禅

     五家・・潙仰宗・臨済宗・曹洞宗・雲門宗・法眼宗

     七宗・・五家に、臨済宗下に、楊岐派・黄竜派。

 北宗禅 漸修(ぜんしゅう)とは、順序を踏んで修行し、漸次に高次の境位に進んで悟りに入ること

四、六祖壇経より、

  身是菩提樹 心如明鏡台 時時勤払拭 莫使惹塵埃      北宗禅の祖 神秀の偈

  (身は悟りの樹であり 心は明るい鏡台だ いつも拭くことに勤めて ゴミをつけない

ことにしよう)                      

  菩提本無樹 明鏡亦非台 本来無一物 何処有塵埃      南宗禅の祖 慧能の偈

  (菩提というものは最初から樹ではない 明るい鏡といってもこれまた台ではない

   もともと一物もないんだ どこにゴミが付くところがあろうか)

五、道元禅師のお示しから、南宗禅の教えが伝わっていることがよくわかる。

「仏道は、初発心のときも仏道なり、成正覚(さとりの完成)のときも仏道なり、初中後ともに仏道なり。たとへば、万里をゆくものの、一歩も千里のうちなり、千歩も千里のうちなり。初一歩と千歩とことなれども、千里のおなじきがごとし。」

六、梅関の六祖寺・・衣鉢を嗣(つ)ぐ、法を嗣ぐ大切さ。

   六祖が、五祖弘忍より嗣法して大庾嶺まで来たとき、もと将軍であった五祖の弟子慧明が後を追ってきて、ここで追いついた。そして、ここにある岩の台の上に嗣法の証の衣鉢を置くと、誰も微動だに動かしすことが出来ず、慧明は慧能に法が伝わったことを知り、教えを請うたという話である。

七、荘厳仏閣気融融 師友相親五彩中 一盞點来献祖庭 懇焚香片慕禅風 

(国恩寺 六祖報恩諷経で拙僧導師を勤めさせて頂いて) 東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌