生きているということと生きていくということ
平成十四年七月二十四日 加茂法話会

一、 東京・埼玉へ初めて七月盆のお参りに行って日帰りの予定が、伊藤さんのお宅に、泊めていただき朝帰り。
田上に居られたときの伊藤さんとの大きな違い。実に生き生きしておられた。
二、 渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長)さんの講演より
生きているということと生きていくということは大きな違い。生きていくことにはものすごいエネルギーがいる。そのもとは、愛と信頼。愛とは見捨てないこと。
三、 道昭兄からの手紙  五月一日に正式に修行僧として認められて、
「以前の私は少し思い上がったところがありましたが、現在はそのような考えは無くなったと思います。早くお師匠様の御側にお仕えし布教・伝道活動のお手伝いをさせていただき、お師匠様と共に仏道の道を歩んで行きたいと思います。そして、道を昭らかにすることができるようにしたいです。
 こちらで古参の方に修行は自分一人だけでするものではなく自分を支えてくれている全ての人と共にするものだという言葉を頂きました。そのことを忘れず私を支えてくれている方のことをいつも心に留め毎日の弁道(べんどう)修行に励んでいきたいと思います。」
四、

六月二十日、二十一日と永平寺で、道昭兄のお母さんが、本人と上山後初めて会って、

 「三月十四日に永平寺様に上山しましてから、道昭は私に今まで一度も辛いとか、痛い思いをしたとか、帰りたいとか言ったことがありません。
 方丈様のもとに帰るまで修行に耐えようと決意
したのだと思います。これからも道昭のことよろしくお願い致します。」
五、 『相田みつを』の詩から
わたしは無駄にこの世に生まれてきたのではない
また人間として生まれてきたからには無駄にこの世を過ごしたくはない
私がこの世に生まれてきたのは私でなければできない仕事が何か一つこの世にあるからなのだ
それが社会的に高いか低いかそんなことは問題ではない
その仕事が何であるかを見つけそのために精一杯の魂を打ち込んでゆくところに人間として生まれてきた意義と生きてゆくよろこびがあるのだ

六、 願生此娑婆国土し来れり 見釈迦牟尼仏を喜ばざらんや (修証義第五章、二十六節)
東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌