はなてばてにみてり
                 平成十三年十月二十九日 加茂法話会



一、 はなてばてにみてり、一多のきはならんや」 正法眼蔵 弁道話

はなてばてにみてりというのはここまでが、自分のものという線をひくことは、かえって自分の世界を狭くしてしまうことである。それを打ち捨ててしまうこと、周りとの垣根を取り払ってしまうここにおいて全世界が自分のものになるというような世界が開けるということです。これは、禅の言葉で言うと、無一物中無尽蔵という言葉がある。すべてをなげうった時に無一物となるわけです。何も自分のものなどないそのときにかえって全世界が自分のものとして受け取ることができる。それは、はなてばてにみてりと同様の言葉である。

一とか多のきは、きはというのは、境界線といえば境界線のことである。一とか多ということがない、よく禅の言葉で一即多、多即一などというふうにいうけれども、実は私とあなた、私と私を取り巻く環境とは分けることができないものだこれは一つなんだと説くことが仏教の教えであり禅の教えでもある。


二、

山に行こう

そしてあなたの造られた風景を見てこよう

花のまわりに

囲いがあるだろうか

崖の上に柵があるだろうか

小さな心にさえ

囲いを作っている私

星野富弘


三、

すべての人にとって命は(いと)おしい

(おの)が身にひきくらべて殺してはならぬ

殺さしめてはならぬ

法句経


四、

まこと怨みごころは

いかなるすべをもつとも

怨みを(いだ)くその日まで

ひとの世にはやみがたし

うらみなさによりてのみ

うらみはついに消ゆるべし

こは(かわ)らざる真理(まこと)なり

法句経


五、 アインシュタインの日本の子供たちへのメッセージ
私たちの時代は
異なる国々の人々が友好的で
理解に満ちた方法で
互いに協力しあわねばなりません
国境を越えた人々の
兄弟のような理解の態度が
一層広がりますように               
そんな気持ちでこの老人は
君たち日本の生徒諸君に

はるか彼方から

あいさつを送ります


                   東龍寺住職 渡辺宣昭 合掌