「人間は、猿より毛が三本多い」

加茂法話会 223

一、大阪府岸和田で中学三年生の餓死スンゼン前まで虐待された事件。

      児童虐待  必ずある  新潟県内教育現場・新潟日報二〇〇四年二月四日

  1、(どこでいつ起こるか分からないケース)察知したら、関係機関との連携が必要。

  2、長岡市浦瀬小の大野英子擁護教諭は、

      「子どもが何か心に課題を抱えていると気付くことは可能」

      「教員はそれを察知し、ケースに応じてほかの職員や家庭、関係機関連携して取り組む必要がある。

      「あざなどの不審な外傷を見て事情を聴いて因果関係がはっきりせず、疑問を持つ場合もある」

      「兄弟と比べ著しく差別的な扱いや、子どもの自尊心を傷付ける言動など、親がしつけと思っても心理的に虐待にあたることがある」

  3、新潟市の足立定夫弁護士は「実際にこれまでも命にかかわる事案があった」

      2001〜02年度  「生命の危機」十四件、少なくない一時保護

      「岸和田のケースは児童相談所、学校、地域住民ら関係者からの的確の把握が足りない」 

4、県中央児童相談所の鈴木  昭所長・02年度三百四十二件  常に感覚を磨ぎ澄ますこと「死の危険があったケースも見られた」

      担当職員「精いっぱいやっても、いつどんなことがあるか分からない」緊張と不安。

  5、予防とケア、態勢急務・・児童虐待相談ホットライン、チャイルドライン、電話。

      虐待が発生した家庭の八割核家族。苦しい経済的事情、夫婦間不和などが複合的に絡む。

   新潟県児童虐待数      全国              子どもの年齢          主な虐待者

      99年一七五件    一万一六三一件    0〜3歳22、8%        67、0%

      00年二六一件    一万七七二五件    3〜学前26、0%        23、7%

      01年三四九件    二万三二七四件    小学生  36、3%    実父以外父  2、6%      02年三四二件    二万三七三八件    中学生  10、2%    実母以外母  1、5%                                          高校以上4、7%      その他      5、7%

      身体的虐待・養育放棄(八割)・心理的虐待(一割)・性的虐待(最近増えてきた)

      十代から二十代前半の若い人が多い。

 

二、98年厚生省、親の暴力死、四一人  相談「六九三二件」、一時保護「二〇五三件」

    死後三十三人

    1、心中を含む突発的暴力十五件十八人。2、食事を与えない、風呂で水死六件八人。

    3、日常的虐待二件二人。4、置き去りや車内放置などの四件四人(怠慢無視否定)

 

三、人事ではないですね。ある先輩言葉ですが、水は掴むものではなく、水は掬うものです。心を掴むのもではなく、心は、受け取るものです。

 

    学校の先生の連絡、新聞で知る。

      担任の佐藤先生から、学校、家庭、地域(教育委員会等)の連携で子供を育てる。

  1、上越教育大の挑戦。

      連携(ともに手を携えて物事を行なうこと)を求めて・・・。

      学生部の試み  子供との接し方体験、「工作体験、実験をする」

      牛乳パック再利用葉書を作る。

 

  2、「学生は物事だけを知っているだけで、体験が少ない。現場で経験を積めば良い時代ではない」

      「社会に学生を送り、社会に育てられる。学校と社会の連携で、子供も学生も成長する」「体験を通して子供たちに変化がある。不登校気味の児童が、他の児童と交流を深める中で、自信をつけ、登校を再開したり、子供たちの元気な声が会場に響き渡っている。

四、私の所でも三回程、教育委員会、新潟大学教育学部等工作の体験させて頂いた。

  1、ブーメラン、ホッカイロ、化石のレプリカ、ヤジロベイ、多色印刷、星座、写真機等、子供と共に物を作る体験は、子供の心を作ること、多くの引き出しを作ること。

      子供が生き生きしていた、

  2、子供たちがラムネ作りができなかったので、家で作る。

      重層3c、クエンサン5c、50CC温ま湯に溶かし、クエンサンを溶かしたほうに

      400CCの水に溶かし、砂糖70cを溶かし、素早く重層水を入れ栓をする。

      子供たちは生き生きしていました。この体験をとうして、コーラ、ジュース等を買うことをせず、家で作ったお茶を水筒に入れて持っていくことが多くなりました。

 

五、宗教的アプローチ・・・家庭教育、学校教育、地域教育のが大切である。

 

  1、人間は、猿より毛が三本多い。『け』とは、「はたらけ」「しつけ」「なさけ」

      「はたらけ」身業、「しつけ」口業、「なさけ」意業、三業

      「しつけ」を学校にまかせて、自分たちの家庭では、あまやかし自由放任して言うのでは困ります。

      「今だけ」やればいい。「ほっとけ」ばいい。「だまっとけ」では困ります。

 

        生きる力の基礎になる大部分は、幼児期の家庭で教える。良いこと、悪いこと。

      一人っ子時代になって親が過保護になって、なんでもかんでも子供に迎合している。

      実際、子供たちはそんな親を求めていない。

 

      「はたらけ」体で実際に行ない続ける「しつけ」正しいことを教える「なさけ」思いやりの心を育てる。

      行動と言葉とこころがアンバランスでは、何もなりませんね。子供たちは、そんな保護者、先生、大人達を求めていません。子供たちは、大人の後ろ姿をちゃんと見ていますね。

 

  2、昔、中国に馬祖という、お坊さんがいました。ここで言うならば、馬祖教授の所に、

      良く物知りで、優秀な素直な生徒がおりました。

      先生、「命の使い方、すべての生命を大切にすることの秘訣を教えてください」

      私は、今日は疲れているので、智蔵教授に聞きなさい。命の大切さは理解しているのもの命の儚さを実感していないな。

      「今日は疲れていると馬祖教授は言ったのですから、大丈夫ですか、相手を思いやるなさけが足りないので、素直な生徒は、智蔵教授の所に聞きに言った。」

      先生、「命の使い方、すべての生命を大切にすることの秘訣を教えてください」

      君は、どうして、馬祖教授に聞かないのかね、私も、馬祖教授も同じ先生に習ったのだから、答えも同じだと思うよ。馬祖教授が先生の所に行きなさい言われたました。

      私は、頭が痛いから、懷海教授の所に行って聞いてみなさい。

      ここでも、生徒は、思いやりの心が受けとめられなかった。

      懷海教授の所で、生徒は、

      先生、「命の使い方、すべての生命を大切にすることの秘訣を教えてください」

        頭が良いと言うのも、困ったものだ。頭の中で考えても、行動に現わさなければ、

        何もならない。いくら勉強が出来ても、応用が出来ないと駄目である。

      いくら説明しても、行動しなければ、教えようがない。

        まだまだ、青いな、他人行儀でこまる。自分の父親だったら、疲れているといえば、肩をもんだり、頭が痛いといえば、薬をもって来て飲ますだろう。

        皆さん、自分の達の大切な子供たちが、病気になったら、どうしますか。

      薬を飲ませたり、病院に連れていくでしょう。当たり前のことでしょう。

       でも、他人事になると犒う気持ちと同時に自分の子供に移らないように願うものです。自分の事だけ考えて、他人を思いやる心、「なさけ」が分からなかったと見えて、

        仕方なしに、指導教授の馬祖先生の所にもどってきて。話をすると、

      馬祖教授は「命の使い方、すべての生命を大切にすることの秘訣を教えてください」ということに白黒がつかず。命ははかないものであるから、おもいやり、「なさけ」心が分からなかったので、人に教えられるのでは無くて、自分自身で実感しなければ、良い先生にはなれないな。まだまだ一生勉強ですな。

六、子供たちは、かけがえのない宝物です。家庭でも学校でも地域で子供たちとの絆が切れかかっていませんか。

    私の所は、大丈夫だと思っていませんか。思いやがりの中に、無言で子供達に圧力をかけて、ささいな虐待をしていませんか。子供もきらきらした心をすくわず、閉ざしていませんか。

    私自身の反省です。自分の子供だから、思いやりに欠けた強い口調で「早くご飯食べなさい。何回目だと思うの」子供たちは、そんな保護者を求めていませんね。

    ですから、家族で皆で、気をつけて、もう少しだから、頑張って食べようね。励ましながら、言葉をかけます。

 

    家庭、学校、地域(教育委員会等)の連携で子供を育てる。連携(ともに手を携えて物事を行なうこと)を求めてというのは、「今だけ」やればいい。「ほっとけ」ばいい。

    「だまっとけ」では困ります。「はたらけ」体で実際に行ない続けて見せる、行動姿勢。「しつけ」正しいことを教え諭す。言葉使い。「なさけ」他の人を思いやる心を育てる。「はたらけ」「しつけ」「なさけ」行動と言葉とこころがアンバランスならないように、この三点をシッカリ行なっていかないと家庭、学校、地域の連携(ともに手を携えて物事を行なうこと)はできませんね。子供は自分たちの所有物ではありません。思い上がりの心を捨てて、自分の所は大丈夫だと思わず、また、他人任せにせず、まずは、足下から共に助け合いながら行ないましょう。