以心伝心

平成二十三年五月二十四日 於加茂法話会

一、お釈迦様のお悟りの時点。

禅はどのように相伝されたか。お釈迦さまの禅定であり、体験である。お釈迦様の成道はつまり、さとりは、十二月八日の朝暁に菩提樹下に於いて……通説であるが、

さて、その禅定とはどんな内容のものであるか。

@          迦様を大覚(さとり)に導いた禅定。

A大覚(さとり)瞬間の禅定か。

 Bその後に引き続く禅定か。

  形は同じであっても内容は違う。成道に導いた禅定ならば、それは手段としての禅定である。また、

成道の瞬間における禅定ならば、大覚そのものの禅定となる。禅宗は成道の瞬間における大覚そのままの禅定を継承する。

 

仏伝を説いた経典をみると、明星の出づる時と云い、お釈迦様の成道の時刻を知らせるものであるが、禅宗では「明星を」見てとなっている。一般には、明星を見ても見なくてもといのであるが、「禅宗では見なくはならないのである。」見たからこそ成道した事になる。それは、明星がさとりの媒介者となったのではない。見たお釈迦様が見られた明星になってしまった。つまり、お釈迦様が明星に入ってしまった。明星がお釈迦様に入ったと云ってもよいのである。お釈迦様と明星(乃至宇宙全体)が一体である。

 その悟境を「我と大地有情と同時に成道す」禅の体験なのである。見明星悟道が禅の相伝される禅定である。その禅定を相伝するのが「以心伝心」ということになる。

 

二、以心伝心

「以心伝心」とは、師匠が先ず体験し、弟子となったものがものが参学し、また工夫して体験する。師匠とでしは個性が違うから全部同一とは行かないが、本質的には同一の体験である。かかる相伝の仕方を以心伝心という。それ故に、心から心にへとはいうけれど、受けられるものも受け取るものもない。

道元禅師は「眼横鼻直 空手還郷」といわれたのである。

 

三、第一の相伝「以心伝心」

 ある日お釈迦様は霊鷲山で大勢に説法していた。そこに梵天がやってきて、一枝の花を献じた。お釈迦様は大衆の前に差し出された、そして、一言も話をされない。一番弟子の摩訶迦葉尊者は非常に気分がよく微笑みかけた。お釈迦様は摩訶迦葉尊者に対し、私の教法は全部お前に譲ったといわれた。

これが禅の第一の相伝である。

 

四、菩提達磨(528寂)から慧可((593寂)の相伝 以心伝心と皮肉骨髄

 達磨は摩訶迦葉尊者から数えると28代目の佛祖であり、南印度から航路三年の歳月を費やしてきた。

 「正伝の佛法」としての禅宗はこの時初めて伝わったので、達磨を中国第一祖と推称する。

 達磨は嵩山少林寺で壁に向って坐禅していたので、「壁観婆羅門」といわれた。ある日、道副、尼総持、道育、慧可の四人の弟子を集め、佛法の所見を述べさせた。それぞれ、禅の趣旨を体得していたので。、達磨は、次々に「我が皮を、肉を、骨を得たり」と証明した。最後に慧可は達磨を三拝しただけであったが、達磨は「汝わが髄を得たり」と証明した。一般に「皮肉骨髄」といえば、外は浅く中は深いように取れるがそうではない。四人が四人ながら、達磨の体験を同じくするのである。

出典 正法眼蔵 祖師西来

五、お釈迦様が花を差し出した時、礼拝した瞬間に心が伝わったというのではない。禅を相伝するには、師と弟子との親しき接触が必要とされる。人が人について学ぶのが禅であるから、正しき師匠と多くの参学が大切とされるのである。

 

正壽寺住職 呉 定明合掌