しっているを、しているへ。

定光寺 乙川文英

平成二十年五月二十六日 加茂法話会

■七仏通戒偈

「諸悪莫作。衆善奉行。自浄其意。是諸仏教」(『法句経』)

「すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、 --- これが諸の仏の教えである。」(『ダンマパダ』中村元訳)

■鳥カ道林禅師と白居易の対話

元和中白居易出守茲郡。因入山禮謁。乃問師曰。禪師住處甚危險。師曰。太守危險尤甚。曰弟子位鎭江山。何險之有。師曰。薪火相交識性不停。得非險乎。又問如何是佛法大意。師曰。諸惡莫作衆善奉行。白曰。三歳孩兒也解恁麼道。師曰。三歳孩兒雖道得。八十老人行不得。白遂作禮。(『景徳伝灯録』T.2036 vol.51 p.230b)

白「いかなるかこれ仏法の大意」
林「諸悪莫作衆善奉行」
白「そんなことなら三歳の子供だって言うことができるぞ」
林「三歳の子供だって言えるだろうが、八十の老人でも行えないぞ」

■しっているを、しているへ。

(いま、わたしたちに、できること。)
(レジ袋を使わない。)「しっているけど していない」
(食器を洗う時、水道を流しつづけない。)「しっているけど していない」
(電気をこまめに消す。)「しっているけど・・・していない」
「しっているだけじゃ、もう、すまされない。」
「しっている」を「している」へ

「明日のために、いま始めよう。」(公共広告機構(AC)の二〇〇七年度全国キャンペーン「身近な環境対策」CM)

■『正法眼蔵』「諸悪莫作」巻より

「おほよそ仏法は、知識のほとりにしてはじめてきくと、究竟の果上もひとしきなり。」

「三歳の孩児は仏法をいふべからずとおもひ、三歳の孩児のいはんことは容易ならんとおもふは至愚なり。」