久昌寺涅槃托鉢(二十六)平成二十年三月

平成20年2月28日 加茂法話会

「人生、別離なくんば 誰か恩愛の重きを知らん」(蘇東坡)

必ず別れがある。愛する人との別れ、お世話になった人との別れ、いろんな別れがあります。自分自身との別れもありますね。だからこそ、今こうしてお陰さまで生きていることに、目の見えない大きな力に生かされているこのいのちに手を合わせずにはいられない。そうすると生き方が変わってきますね。

お釈迦様の遺言の教えの最後の最後に、弟子たちに、「生まれたものは必ず死ぬ(四苦『生・老・病・死』)、会うた人は必ず別れる(『愛別離苦』)、是が世の中のきまりだ」

だからこそ、

「世相是の如し、当に勤めて精進して、早く解脱を求め、智慧の明(みょう)を 以て諸の痴暗(ちあん)を滅すべし。世は実(じつ)に危脆(きすい)なり、牢強 (ろうごう)なるものなし」 ( 『佛遺教経』 )

 

 NHK連続ドラマ《ちりとてちん》が、今、放映されています。余命幾ばくもない落語家の草若師匠と弟子の若狭というヒロインの病室での会話がよかったです。

「大好きな人がいなくなる、遠くへ行ってしまうのがいやなんです」

(ベッドから上半身を起こして)

「若狭、おまえはほんまにあほやなあ、どないすんのんや」

「俺より先に死ぬか。俺が先に死ぬのがかなわんなら、おまえが先に死ぬしかないやろ。残った俺にそんなかなわん思いさせるきか」

「こんなもんは順番や、おまえより先に俺が死ぬのが道理や」

「消えていくいのちをいとおしむ気持ちがだんだん、今、生きている自分のいのちをいとおしむ気持ちに代わっていく。そしたら、今よりもっともっともっと一生懸命生きられる、もっと笑うて生きられる」

「若狭、俺を笑わせてくれ、おまえの創作落語で笑わせてくれ」

 

 先日、自宅葬でのこと。葬儀中、二階が騒々しい。親が気を遣って小さい子供達に二階に居てもらったんでしょうね。出棺前に少し時間があったので、申し上げました。「おばあちゃんの今生、最後のお別れだから、みんな降りてきて、お別れして下さい。そして、小さい紅葉のような手で、おばあちゃんの額に触らさせてあげなさい。死ぬっていうのは、こうなんだよって。理屈でなく、直に身体で学習させてあげて下さい。それは、おばあちゃんが身を以て教えてくれているんだから、今、ここを、大切にして下さい、消えていくいのちを大切にして下さい」と。

 今は、生まれるのも、(老いるのも)、病むのも、死ぬのも、葬儀も、みんなほとんどが自宅以外の場所です。場所の是非を問題にしているのではありません。核家族ということも一因していますが、(老いていくこと)、病むこと、死ぬことが、見えにくい世の中になってきています。そうゆう場面にあった時には、きちんと子や孫に直に学習させて下さい。それは先に生きてきた人《先生》の責任のように思います。

 死んでこれでおしまい、すべて何もかもなくなるのではないのですね。確かにすがた形はありませんし、声も聞くことはできません。しかし、人間は不思議な力を持っています。この限りある生命を、自分自身の中で、限りないいのちに転換させることができます。それは、大切な亡き人を思い出すことにより、み跡を慕い追慕することによって、消えた生命を活かしていくことができます。さきほどの草若師匠と弟子の若狭との会話の中にもありましたね。

 『消えていくいのちをいとおしむ気持ちがだんだん、今、生きている自分のいのちをいとおしむ気持ちに代わっていく。そしたら、今よりもっともっともっと一生懸命生きられる、もっと笑うて生きられる」

 

※三月十五日(土)午前十一時より、ねはん会・お話・おとき  どうぞおまいり下さい

 午後四時より、子どもねはん会(だんごまき) ご遠慮なく、どうぞ

涅槃の図 みな泣いていて あたたかし 【久昌寺坐禅会】毎週土曜日 夜七時〜九時 どなたでも

新潟市秋葉区田家 久昌寺 中野睦宗