<東方日常記>




ここはあきれるほど平和な幻想郷。
いや、平和という概念が今ひとつよくわからない僕にとっては、これが平和なのか、それともそうでないのか……。
しかし、平和に変わりはないだろう。何故ならば、争いなんてほとんど起こっていないのだから。

さて、今日も今日とて人が来ない。
人間の住む所と、妖怪の住む所の丁度中間に店を構えたものの、実際は人間と妖怪どちらからも客が来る事はほとんどなかった。
昔はそうではなかったけれど、今ではもう別にどうにでもなれ、というのが僕の考え方となっていた。
そりゃ、最初は腐っても商人なのだから、物が売れないと困ると思っていた。
けれど客が来る事はほとんどない。それから一体どれだけの時間が経過しただろうか。
それでも、僕は生きている。人間、物が売れなくても、住居がなかろうが、自然災害に遭おうが、生きていけるものなのである。

僕、森近霖之助は、そんな店の店主である。
店の名は、「香霖堂」。何を売っているかといえば、魔法使い相手に売れそうなパーツだの、人間の嗜好品だの、まあ何でも置いている。
身近な言葉で雑貨屋。古く言えばよろず屋である。
そう、つまりはなんでも屋である。用途不明のアイテムが置いてあれば、人間が食べるような物も置いている。
だが、客が来ない。ああ悲しい。
客……そう、客ねぇ。客といっても、彼女は果たして客と言えるのか。最近僕はそう思ってきた。

「しっかし、毎回毎回良く見てるけど、相変わらず私が知らないような物が置いているぜ」
「だったらそのひとつでも買ってくれると嬉しいのだがね、蒐集家さん?」

客……そう、客だ。
彼女は立派な客だ。少なくとも、人の店の物を勝手に持っていくようなどっかの巫女とは違って、物を持っていったりはしない。
彼女、霧雨魔理沙は店内のアイテムを見て、時には触ってその触感を確かめていた。
壺って触ってその価値がわかるのだろうか。
魔理沙だったら壺のひとつや2つは持っていそうだが、生憎香霖堂から買っていった試しはなかった。

「香霖、これは何だ?」
「ん?」

魔理沙は何かを手にとって見ていた。
縦が短く、横が長い。つまり長方形の形をした何かである。
ああ……。僕は思った。それはちょっと女の子が好むようなアイテム。最近調達した物だ。
幻想郷は明治時代に普通の世界と隔離された。そのアイテム……茶色い紙に白い字で「HERSHEY'S」と書かれた物。
創業1907年の、亜米利加の老舗チョコレートメーカーのチョコレートである。

「それはな、チョコレートって言うんだ」
「ちょこれーと?」

流石の魔理沙も知らなかったかな? という顔をしたが、魔理沙は僕の顔を見ずにそれをじっと見ていた。

「よかったら食べてみるか?」
「食べてみる? …ああ、食べ物だったのか、これ。……で、食べていいのか?」
「ご自由にどうぞ」

どうせ僕が却下しても食べるだろう。
恐らく始めて見る物には目が無いはずだ。

魔理沙はハーシーのチョコレートの紙を破き、更に包まれている銀紙を丁寧にはがす。
そこから出て来たのは茶色い長方形の食べ物。太平洋戦争後の日本の子供達が、連合軍兵士によってたかって欲しがったものだ。
多分、戦後を生きてきた子供達は、こんなに美味い物がこの世にあるなんて、と思ったに違いない。
それは1970年代を生きてきた子供達もそうだろう。
裕福な家庭はチョコレートだけではなく、ほとんどの日に牛肉を食べ、ほとんどの日にコカ・コーラを飲むことができたのだから。

魔理沙はチョコレートの端を噛んだ。
ああ、こういう仕草も可愛いなと思ってしまう僕は変態さんなのだろうか。
……まあ、魔理沙は小さい頃から知っているし、それに可愛い少女のそんな仕草を見て可愛いと思わない男っていないだろ?
…って、僕は誰に話し掛けているんだろうか。少なくとも、イメージが悪くなったかもしれない。多分なったな。

「……粉っぽいが、……甘いな」
「それがチョコレートというものだよ、魔理沙」
「初めて食べたが……向こうの世界にはこんな甘いものがあるのか……」

そういえば思ってみるが、幻想郷に住む人間(僕含めて)の食事事情はどうなんだろうと最近思ってみる。
意外とインターナショナルな幻想郷。妖怪が持ち込んだ外の世界の物品もあるし、外の世界の知識は書物となって自由に閲覧できる。
その中に外の世界の料理を扱った書物もある。ヴワル魔法図書館に行けば、1冊や2冊ぐらい簡単に見つかるだろう。

「じゃあ、僕もいただこうかな」
「えっ!? ちょ、まっ!」

魔理沙の手に握られていたチョコレートを強引に奪い、魔理沙が噛んだ部分から噛む。

「うん、甘い。東洋人には口に合わないと思うけど、西洋人は粉っぽいチョコレートを好むんだねぇ」
「そうなのか……。って、香霖! お前!」
「言いたい事はわかってるさ。…チョコの味と、………魔理沙の味がする」
「………………ばか」

そう呟くと、魔理沙は下を向いてしまった。
帽子のせいで表情はわからないが、表情は僕にはわかった。
愛というのはそういうものなのかもしれない。

「まあ、これでも僕は魔理沙が小さい頃から知ってるからね。いつしか魔理沙の好みもわかるようになったわけ」
「いや、言ってる意味がよくわからんぞ、香霖」
「うーん、そうかな。そういう意味で、僕はロマンチストかもしれないね」
「意味不明な言動はやめろ。気色悪い」

ああ、照れてる照れてる。

「で、他に何かないのか? 隠してたりしてるんじゃないだろーな」
「そう思うと思って、人間の嗜好品ってのをまた用意してみた」
「何だ、まだあるのか」

魔理沙が言ったので、僕はその嗜好品を魔理沙に投げてやった。

「わっ。なんだなんだ? ……なんだこりゃ?」
「見れば大体わかると思うよ」

魔理沙はそれの下部に書かれている文字を見た。

『喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます。
 疫学的な推計によると、喫煙者は脳卒中により死亡する危険性が、非喫煙者に比べて1,7倍高くなります』

そこには魔理沙にとっては未知の文章が書かれていた。
脳卒中。脳の急激な血液循環障害による病気の事。急に意識を失って倒れ、手足が痺れてしまい、下手をすると死に至る。
つい昔までは「成人病」。今では「生活習慣病」と呼ばれる、現代人が起こしやすい病気のひとつだ。
他には高血圧、動脈硬化、糖尿病、それと癌(ガン)が代表的だ。癌はともかく、あとの3つは食事の欧米化が原因とされている。
肉中心で野菜不足の食生活が招いた恐ろしい病気だ。

魔理沙は嗜好品を裏返す。

『人により程度は異なりますが、ニコチンによる喫煙への依存が生じます』

と、書かれていた。その上には「MILD SEVEN FK」と書かれている。

「何だこれは」
「シガレットという奴だ。こっちの言葉にするなら、煙草だね」
「たばこ?」
「人間の嗜好品のひとつだよ。中に白い筒みたいのが入ってるだろ?」
「ああ」
「草が入ってる方に火をつけて、白い部分で吸って吐く。何でこんなものが人間好きになるのかよくわからないがね」

ちなみに、煙草というのはナス科の草である。
南亜米利加の原産で、始めは観賞用として栽培されたそうだ。
それがいつしか加工され、口に煙を吸って吐いて楽しむという行動が誕生したらしい。
何でこんな物ができたんだろうと、最近になって再び考え直す事がよくあった。

「吸ってみるか?」
「……吸うって」

魔理沙は煙草を1本取り出す。
それを手にとってくまなく見回した。まるで赤子のようである。
僕は魔理沙にライターを手渡した。

「何だよこれ」
「それで火をつけるんだ」
「火? まさか、こんな小さいもので――――」

魔理沙はライターを見る。彼女にとって初めての物品である。
何か押す場所があると発見した魔理沙は、そこを押してみた。
すると、ライターの口から火が灯った。

「うおっ、なんだこりゃ!」
「外の世界では簡単に火をつけれるようになったそうだ。早く幻想郷にも普及してほしいものだね」

この世界にも、一応ランプというものは存在している。瓦斯(ガス)灯っていうやつだ。
ウチでもよく鍋をやるが、ガスの普及で簡単に火を起こす事ができ、鍋をするのにかなり役に立っていたりする。

幻想郷は明治時代に隔離されたから、それ以前に西洋から輸入されたものは入ってきている。
紅魔館に石炭ガスを燃料とする灯火装置がいくらかあるのは見た事がある。

「その火で草の方に点火するんだよ」
「お、おう」

魔理沙は僕の言った通りに実践する。
ライターのボタンを押したまま、火が灯っているそれを煙草に点ける。

「も、燃えたぞ!」
「焦るな。ライターはボタンを離せば火が消える」

魔理沙はその動作を行う。

「で、白い方を口に入れ、そのまま吸って吐く」

魔理沙は煙草を両手でかかえ、再び僕の言う通りに実践した。
だが。

「ぶわっ! げっほげっほげほ! うわ、なんなんだよこれ! けむっ! げほげっほ!」

やはりこうなるか。

「うわっ! 火がついた物を落とすなっ! 香霖堂が全焼したらどうするんだ!」
「知るかよそんなの! 香霖のばかっ!」
「火をつけたのは魔理沙だろうがっ!」

いつしか、僕も冷静さを失っていた。
やはり少女に煙草は似合わん。魔理沙が落とした煙草を足で踏みつけて鎮火する。
ああ危なかった。発見が早くてよかった。

「……邪魔したな、帰る」

と、魔理沙は帽子をかぶり直しながら呟いた。
僕が「帰るのか?」と言う前に、彼女は店を出て行ってしまった。

またひとり取り残される僕。ああ、孤独っていうのはやはり寂しいものだ。
もっとも、もう慣れたけれど。

………。

何だろう。何をやっても上手くいかないのはこういうことかもしれない。
僕は傍にあった椅子に腰掛け、マイルドセブンを1本取り出す。
煙草に火をつけ、吸う。

「人間の嗜好品、か。風流なものを楽しむのもよし。優雅に紅茶を楽しむのもよし。こうやってひとり寂しく煙草を楽しむのもよし。
 …人間ってのは、実に不思議な生き物だ」

なんとなく、ひとりごつ。
ずれていた眼鏡の位置を直して、深くため息をついた。

さて、まだ店じまいには早いか……。
だったら、まだまだ客を待ってみようじゃないか。
怠惰な店主は何処にでもいるさ。もっとも、客が来ないから怠惰になってしまうかもしれないが。






<――――――了――――――>













<あとがきみたいなもの>

皆様、如何お過ごしでしょうか。月影蓮哉でございます。
6月で気温は30℃を超える日々が続き、暑い毎日を送っております。
そんな環境の中、抽出した時間の中で書いてみたこの文章。
幻想郷の文明って、どんなくらいなのかよくわからない私が招いた意味深な創作です。

内容としては大丈夫だと思うんですが、多分、東方世界にチョコレートとかないと思うんですよね。
『東方三月精』には霊夢が緑茶を淹れ、煎餅を出している描写がありますが、やはり典型的な日本文化だと思っています。

さて、ハーシーですが、1907年(明治39年)創業のアメリカの老舗チョコレートメーカーです。
『東方香霖堂』には幻想郷が明治時代に隔離されたとあり、その後の時代の物品も入ってくるとあったので、
ハーシーのチョコも入っていると思って……で、そのまま香霖堂に入ってきた、という独断で書きました。
多分、皆様存じていると思いますが……どうなのだろうか。

味は確かに日本人には「不味い」と思うかもしれません。確かに粉っぽいです。
で、中にキャラメルが入ってるのもあるんですが、それは極端に甘いです。
ハーシーのチョコは普通にスーパーで手に入りますので、機会があったら一度お食べになられて下さい。

話の内容は霖之助と魔理沙のほのぼのな話です。思えばほのぼの系って初めて書いたような気がします。
霊夢と咲夜も出そうかなと思いましたが、話がごっちゃになりそうなので却下しました。

それでは、あとがきはこの辺で。
いっそのこと短編作者に転向しようかなと考えている月影蓮哉でした。