自らの内に潜む闇
闇、漆黒に包まれた空間、何も見えない。何も聞こえない。触れるものが存在しない。
感じるのは自分が地面に立っているという事と右手に何か物を持っていると感じるだけ……。
しばらく、そうやって立っていると向こうから誰かが来るのが分かった。それは風の動きで
分かった訳でもないし、気配で感じた訳でもなかった。直感、いやそう言う物より、来ると
確信していた。来ないはずが無い、来る事しか出来ない。そう言う思いがあった。近づいて来た
人影が目の前で止まった。顔は見えないが、服が見えた。月臣学園の男子生徒専用の制服で
あった。その時、殺意…そう言うものが自分の中に芽生えた。普段は芽生えるはずも無い思い、
感情だった。しかし、今の自分には別に違和感も無く、それが当たり前のように受け止めていた。
目の前の人影は全く動く気配も無く、ただ向かい合っているだけだった。殺意を胸に抱いたまま
右手に持っている物体を目の前の人物に突き刺した。皮を突き破る感触、肉を突き刺した時の
感触。それが右手に伝わってきた。その感触はとても心地よく、興奮状態に持って行った。
そんな気持ちのまま、右手に握っていた物体を引き抜いた。その右手に握っていた物体には赤い
液体が付着しており、目の前の人影はそれを引き抜くと同時に崩れ落ちた。その時、一瞬だけ
顔を確認する事が出来た。その顔には見覚えがあった。いや、“見覚えがあった”というような
そんな軽い物ではなかった。そう、自分に一番近い人、鳴海歩の顔だった。その顔は絶望が
支配していた。その顔を見て、更に心が高ぶるのを感じた。それもすぐにひいた。そして、
その後、感じた思いは恐怖心と後悔の念だった。『取り返しのつかない事をしてしまった』と
いう思いが一番大きかった。
「…っ……!」
小夜子は勢いよく起きあがった。彼女の着ていた服は冬の朝に関わらず、べっとりと汗で湿って
いた。最悪の目覚めだろう、彼女は魘されていた訳ではなかったようだが、それでも気持ちの
優れない事は変わりなかった。
「……ふぅ……」
周りを見て自分の部屋にいたことに安堵した。しかし、その確認の後は先ほどの夢のことが思い
出されて正直、気分が悪くてベットから出る事が出来なかった。しかし、家の人たちに心配を
かけないようにと無理に起き上がると、制服を持って浴室へ向かった。
シャワーから出てくる水が彼女の体の線に沿って落ちていった。それを眺めながら少し気分を
落ち着かせていた。自分の胸を見つめながら、夢で歩を刺した部分を指でなぞってみた。指先に
心臓の鼓動が伝わってきた。その鼓動が感じられる部分を彼女は刺したのだ。現実であれば
ほぼ即死だろう。その事を認識してしまい、また顔色が青白く、血の気の引いた顔色に変わった。
「……」
しばらく、彼女はその鼓動の感じる部分を見つめ、そして何かを決心したように浴室から出て
行った。
「おはよう、小夜子……って、大丈夫!?」
「あ、おはようございます。圭さん。それより、何がですか?」
「何がって……、小夜子、あんた顔色ものすごく悪いわよ」
「えっ…?」
確かに夢見が悪かったためにそれほど気分は良くないが顔色が悪くなるほど、体調が崩れている
とは思っていなかった。確かに目の前にある食事を見ても食欲は全然といっていいほど湧かず、
しかも、赤い物を見ると吐き気がしてしまうほどまで気分が悪かった。どうやら、誰が見ても
分かるぐらいまでに彼女の気分の悪さは明らかだったようだ。
「少し休んだ方がいいんじゃない?」
「……はい、少し部屋で休ませてもらいます」
「うん、学校の方には連絡しとくから気分が良くなってから、行った方がいいんじゃない?」
「そうですね…」
多少、ふら付く足取りで小夜子は自分の部屋に戻っていった。その間も廊下にある赤い色の物に
敏感に反応してしまい、吐き気を抑えつつ何とか自分の部屋に辿り着くと、制服のまま彼女は
ベットに倒れこんだ。寝るのも恐ろしかったが、それ以上にこの吐き気と気分の悪さを忘れる
為に強引に眠りについた。
「来ないとは…珍しいな」
歩はいつもと同じように昼休みの屋上でのんびり、まったりとした時間を過ごしていたが、
いつも来るはずの小夜子の姿が無く、不思議に思いながらも少し寂しい思いをしていた。常に
傍にいる人がいなくなるというのは寂しくなってしまうのは人として当たり前の感情変化だが
あまり彼はその事を認めたくなかった。強情というべきか、なんと言うべきか。
「…ん、ぅん……」
歩は背伸びをしながら後ろに倒れこんだ。目の前に青い空と白い雲が広がってきた。気持ち良い
天気であったが、何故か彼の気持ちは晴れなかった。晴れないというより、気になりすぎていた。
彼女、小夜子がここに顔を見せない事に対してである。歩はこの前の音楽室での事を思い
出し、少し不安になった。自分自身を見捨ててしまったのではないか…、そう言う風に思って
しまった。少しぐらいは信じないとな…今日は偶然、病気か何かで休んだんだ…と歩は強引に
思い込むと、再度眠りについた。
赤い…赤イ…あかい…アカイ……。血、チ、ち……。怖い…怖イ…コワイ…こわい……。
嫌…イヤ…いや……。見たくない…見タクナイ…ミタクナイ…みたくない……。
記憶は無くとも、その遺伝子には刻まれている。人殺しの意識が……。
記憶は無くとも、体には刻まれている。人殺しの快感が……。
記憶に無くとも、快楽からは逃れられない。あの肉を貫く快楽から……。
記憶は無くとも、渇望している。あの生温かい血の温もりを……。
お前の人殺しは宿命であり、変えられない。
お前の人殺しの欲求は、止められない。
お前は人を殺し、その血を欲する。
一番、親しき者の絶望の顔は昂揚を生み出し
一番、親しき者の肉を貫く感触は快楽を生み出し
一番、親しき者の流す血は恍惚とさせる。
「…っ!!」
小夜子は今朝と同じく、声にならない叫び声をあげて起き上がった。見慣れた部屋の風景。外の
賑やかな喧騒。それが悪夢の終わりであり、現の始まりであった。服は制服のままであったが
ぐっしょりと濡れており、悪夢の酷さを物語っていた。時計を見れば既に5時前、かなりの時間
眠っていたようだ。小夜子は自分でも驚いていた。気分を落ち着けている時、部屋のドアが
ノックされた。
“コンッ、コンッ”
「は、はい、どうぞ」
「大丈夫?小夜子」
圭が心配そうに扉の隙間から顔を出して覗いていた。そして、小夜子の顔を確認すると、部屋に
入ってきた。彼女の横に座ると顔をじっと見つめた。
「け、圭さん?」
「ふむ……今朝より顔色が悪くなってるわね。本当に大丈夫?」
「はい、大丈夫です。夢見が悪かっただけですから」
「そっか、ならいいけど。それより鳴海の弟が来てるんだけど、どうする?」
「えっ!鳴海さんがですか?」
「うん、今、待合室にいるけどどうする?」
「分かり…うっ」
小夜子は歩の顔を思い出した途端、今朝の夢と重なって吐き気を催した。別に彼の顔に吐き気を
覚えたのではなく、人を殺した夢を見たことに吐き気を催したのだ。
「ちょっと!……もう、寝てなよ、小夜子。鳴海の弟には私から言っておくから」
「ごめんなさい。圭さん」
「いいから、ね?ほら、少し横になって、寝なくてもいいからね」
「はい……」
小夜子は横になりながら、圭の後ろ姿を見送った。少し残念な気もした…。情緒不安定な時に
一番、傍にいて欲しい人は自分にとって精神的支えとなる人、心の大半を占める人。すなわち
小夜子にとってその人物は夢に出てきた歩に他ならない。しかし、そう願う反面、夢が現実に
なるんじゃないかと思ってしまうのである。小夜子はそんな想いを口に出す事は無く、ベットの
上で睡魔と闘った。
「……と、言うわけでごめん」
「いや、でもあいつは大丈夫なのか?」
「うん、多分…寝なければいいと思うけどそう言うわけにはいかないしね」
歩は圭から事情を聞き、心配をしていたが別に病気では無い事に安心していた。だが、夢には
意味がある、といった人もいるぐらいである。その悪夢が何かしらの意味を持っているとしたら
変な事が起きなければいいんだが……と、また少しの不安を覚えた。その時、
『イヤーー!』
「この声!」
「小夜子!!?」
歩と圭はその声を聞いて、小夜子に部屋に向かって大急ぎで向かった。小夜子の部屋を開けた。
ベットの上には大きく目を見開き、顔色はさっき圭が様子を見に来た時よりも青白くなった
小夜子がいた。服は汗でべっとりと肌に引っ付き、息は完全に上がっていた。
二人は少し呆然としていたが、気を取り直し圭は小夜子に走りよった。
「さ、小夜子、大丈夫?」
「あっ、圭さん……」
小夜子は圭の姿を見ると、急にすがりつき泣き出した。歩はそれを見て部屋を一旦、後にした。
何となく居てはいけないような気に駆られたからである。歩はしばらく部屋の外で待っていると
圭が呼びにきた。
「…鳴海の弟。小夜子が話したいって…」
「…分かった」
歩はドアをノックしてから部屋に入った。さっきより落ち着きを取り戻した小夜子がベットに
座っていた。顔色も大分、血色が良くなり普通の顔色に戻ってきていた。
「大丈夫か?」
「はい、すいません。心配をおかけしてしまって」
「いや……大丈夫ならいいんだ…」
それっきり、会話が途絶えた。とても落ち込んだ様子の小夜子に歩は話し掛ける事が
出来なかった。小夜子も何か話そうとするが、何を思い出しているのか話そうとするたびに
辛そうな顔をした。どちらかが切り出さない限り、この沈黙は破れないだろう。意を決して
歩は話を切り出した。
「話って何だ?」
「……」
「話があって俺をこの部屋に入れたんだろ?」
「…怖いんです。自分が……」
小夜子は震えているのか自分の体を両手で抱きしめた。何かに怯えるような目である一点を
見つめていた。
「…どう言う意味だ?」
「最近、嫌な夢を見るんです。……最初の夢は小さな虫を殺している夢でした。あれは
アリだったと思います。それを一匹ずつ殺している夢でした。その夢をしばらく連続して
見ました。その次は小動物を殺す夢でした。あれはネズミだったと思います。それをナイフで
串刺しにして喜んでいる夢でした。そして次はそれよりももう少し大きな動物を殺す夢でした。
多分、犬だったと思います。それをゆっくりと解体している夢でした。そして……。今日、
人を殺す夢を……うっ」
小夜子は夢を思い出したのか、吐き気をこらえるように口元を抑えた。歩はそんな小夜子を
見ても声を掛ける事が出来なかった。
「……すいません。少し横に…」
「ああ、分かった」
小夜子はそういうと少し横になり、目を瞑った。程なくして心地の良さそうな寝息が聞こえて
きた。しかし、それも最初だけ。しばらくして彼女はうなされ始めた。苦しそうな寝顔。歩は
それを放っておけず、
「おい、あんた。起きろ!」
肩を揺さぶり、何とか小夜子を起こす事に成功したが息も絶え絶え、といった状態だった。
「っ……はぁはぁ……はぁ…鳴海さん?」
「ああ、大丈夫か、相当うなされてたぞ」
「……鳴海さん、生きていますよね?」
「?ああ、生きてるぞ?」
小夜子のこの質問に切れのある頭が回転を始めた。
(生きているかどうか質問してくるという事は夢の中で俺が死んだ、もしくは殺されてしまった
のだろう。そして、こいつのさっきの話から推測される答えは…こいつが俺を殺す夢を見た。
という結論に達するな……)
「……」
「安心しろ。俺は生きてるし、そう簡単には死ぬつもりは無いからな」
「鳴海さん?」
「あんたは俺を殺す夢でも見たんだろ?」
「…!!?」
小夜子は歩のその言葉に驚きを隠せなかった。誰にも言っていない事が彼には分かっていたの
だから……。彼の頭の切れは並みの物ではないと改めて実感した。
「あんたが言ったさっきの夢の話と、そして質問から考えれば導き出される答えだ」
「……私はブレードチルドレンだと夢を見て実感しました。私は殺す事に快感を覚えていました。
…私…それが怖くて……とても怖くて……」
「なら、大丈夫だ」
「えっ?」
「それを実感しているなら、あんたは人殺しにはならない。自分に怯えているなら、それを
行動に移すことは出来ないだろ?」
「…でも……」
「それにあんたは独りじゃないだろ?あんたがブレードチルドレンだと知っているのは、
もう四人もいるんだ。誰かに相談して解決していけばいいじゃないか」
「あ……」
「それに人には光もあれば闇もあるんだ。あんたは自分の闇に怯えていただけじゃないのか?
闇も受け入れる事が出来れば、それは自分の力になるんだ。ゆっくりと受け止めていけば
いいと思うぞ?」
小夜子は、はっ、とした表情で歩を見つめた。歩にしては珍しい笑顔でそれを受け止めた。
彼女はその顔を見て何かを吹っ切る事が出来たのか、歩の笑顔に小夜子も笑顔で返した。
さっきまでの血色の悪い顔から、血の通ったいつもの綺麗な肌の色に戻った。歩はそれを
見て安堵感が心に広がった。それを口に出す事無く、ただ「それじゃあな」と言って部屋を
出て行った。部屋の外には圭が待っていた。圭に小夜子の顔色が戻った事を伝えると、
嬉しそうに部屋に入っていった。女同士の話もあるだろう、歩はそう思い挨拶もせず白長谷の
家を後にした。
太陽は沈みかけており、その空間を真紅に染めていた。血とはまた違う、綺麗と感じる赤だった。
その赤い光に照らされながら歩は家路についた。もう少しで太陽が沈み、夜の帳が落ちるだろう。
真紅に染められた空間は漆黒に染められ、人々に闇という安らぎを与える。闇は何も負のものを
人に与えるばかりではなく、正のものも闇は与えるのである。人は光も闇も知っているからこそ
闇から正を受ける事ができるのだ。