「あ〜ゆ〜君」
こんな甘ったるい声を出しながら接近してきたまどかは、歩に抱きついた。
「だぁ〜、暑苦しいから離れろ!」
「うぅ〜。こんなに美しい姉を捨てるなんて…」
崩れ落ちるように泣きまねをしているまどかに対して、
「自分で美しいって言ってる奴が本当に美しい訳無いだろ」
「ああ、あのお嬢ちゃんに会えないから、私に当たるのね…」
「別に小夜子に会えなくて当たってる訳じゃねぇよ」
“ぶすっ”とした顔でそっぽを向いた歩に対して、まどかは
「最近、会えていないと言う事で、嬢ちゃんと一緒にプールにでもいってきなさい」
といきなり、三枚のチケットを歩に“ずいっ”、と渡した。
引きながらも、まどかの握っているチケットを手にした。しかし、何故に三枚?
「義姉さん、何で三枚なんだ?」
「ほら、あのもう一人いたじゃない。あの女の子」
「ああ、いたな…」
「そういう事、そんじゃ、いってらっしゃい」
半分、強制的に歩はプールに行く事になった。
言い忘れていたが、既に夏休みも終わり、今は学校が始まった最初の金曜日。
そして一番忙しい朝の出来事である。
時期外れの水遊び
蝉もほとんど鳴かなくなったが、気温は変わりなく高く熱気が街を覆っていた。
家の軒先に飾られてある風鈴の音が微かに周りの気温を低くしたような気がしたが、それも
一時の錯覚のようですぐに元の気温に戻った。
「…出たくないな…」
俺は外の気温を思い浮かべながらそう言った。今はクーラーが効いていて涼しいが、それも外に
出ればなくなり、灼熱の地獄が待っているのが目に見えていた。
しかし、行かないと今日の夕飯が質素な物になってしまう。俺はそれでも良いが義姉さんは、
全く変わらない食欲である為に質素だと怒り出すのだ。
「…行かないとな」
俺は財布を持つと、クーラーをかっけっぱなしで外に出た。マンションの共同廊下に出るだけで
ムワッとした熱気が体を包んだ。エレベータに乗り込み、下へ降りる。
降りた所は影であったが太陽が直接当たる道路は、上からの太陽光の暑さと、照り返しの暑さの
相乗効果で地獄が完成していた。
「くそっ…なんでこんなに暑いんだ!」
叫んだ所で何にもならん、と思いながらも俺は叫びたい気持ちになっているのだ。
義姉さんは仕事で警視庁の方に顔を出している。
「…人間、諦めないといけない時ぐらいあるよな」
心に諦める事が出来た俺は、鈍い足取りで商店街へ向かった。こんなに暑いにも関わらず人は
多く歩いており、汗を流しながら歩いていた。俺もその一人である事は間違いない。
いつものスーパーがこんなに遠い感じたのは今日が初めてかもしれない。もう少しで天国へ着く、
と思った時、見慣れた二つの頭が目に入った。声をかけようと思ったが、まぁ、いいか。
スーパーへ入ろうとそのまま無視をしたのだが、向こうは気が付いたようだ。
「鳴海の弟?」
「ああ、鳴海の弟だ」
半分やけになりながら答えた。もう、暑い中でのんびりとした会話等したくないのだから…。
ジリジリと太陽が照り付き、暑くて仕方なくフラフラして来た。
「大丈夫ですか?歩さん」
親切そうに話し掛けてくるのだが、それも今では鬱陶しいだけだった。
「暑くて死にそうだ」
「まぁ、確かに。そんじゃ、スーパーにでも入る?どうせあんた、夕飯でも買いに来たんじゃ
ないの?」
「ああ、そうだ」
「それじゃあ、私達も買って帰りましょうか」
「そうね、小夜ちゃん。そんじゃ行くよ、鳴海の弟!」
先陣を切って歩き出した妙にテンションが高い奴の後ろを、周りが暑いはずなのに平然と
している小夜子と俺はその後をついていった。
不思議なメンバーでの買い物。やけにはしゃいでいる奴はほっといて、真剣に考えないと…。
スーパーの中は涼しいのだが、外の状態を思い出すと食欲が落ちてきた。
考えなければいい、何ていうツッコミはやめてくれ。
「大変ですね。歩さんも」
「そういうあんたも疲れないか?あのバカのお守りじゃ…」
俺の視線の先にいるのは飽きもせず、はしゃぎ続けているバカの姿だ。
本名など、あのバカに必要ないだろ。
「…何ともいえませんね……」
まぁ、そうだろうな。
俺はのんびりと小夜子と一緒に今夜の献立を考えながら、品物を見ていた。しつこいようだが、
バカは未だにはしゃいでいる。
のんびりと見ていたのはいいのだが、何かを忘れているような気がする…。
「どうかしたんですか?」
「えっ?あ、いや…何か忘れているような気が…」
その時、飲料品の前の通った時に思い出した。我ながら情けないもので思い出してしまったな、
と思ってしまったが思い出してしまった以上仕方が無い。
「そうだ。日曜日、暇か?」
「ええ、特に用事は入っていませんけど…。何かあるんですか?」
「いや…。夏休みにどこも出かけられなかっただろ。だから…プールにでも行かないかと
思ってな。義姉さんが貰ってきたんだ」
「ええ、良いですよ。楽しみですね」
と嬉しそうに笑顔を浮かべて、こっちを見ていた。しかし…いつ見てもこいつの笑顔は良いな。
少し見惚れていると、さっきまではしゃいでいたと思っていたあのバカがいきなり話し掛けて
きた。
「ふーん、小夜ちゃんにゾッコンってやつかな?」
「うわ!」
「ふふーん。面白いね…鳴海の弟は…」
ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべて俺を見てきた。
俺が大きな声を出してしまったので、妙に多くの視線を集めてしまった。何か、波乱に満ちた
物になりそうな気がする…。
俺はそんな事を思いつつ、何とか小夜子とバカを誘う事に成功した。
何事もなければ良いんだが……。
大きい、ただそれだけで言い尽くせるほどの大きさを誇るプールだった。
設備的にもプール自体が新しいので最新の物を使っているようだ。環境は良いし、人も夏休み
明けという事でそれほど多くなかった。だが、新しいという事でそれなりに客は入っていた。
「大きいですね」
「中々、気が利くじゃない。鳴海の弟」
「……何かあんたにチケットをやったのが間違いだったようだな…」
「ダイジョーブ。あんた達の邪魔はしないわよ。よく言うじゃない、人の恋路を邪魔する物は
何とかに蹴られて死んでしまえ、ってね。私はまだ死にたくないもの」
…やはり、誘ったのが間違いだった。からかわれるのが目に見えている…。
俺は出だしから憂鬱な気分にされながらもそのプールのゲートをくぐった。さっき、入場料を
みたんだが、結構高いな。義姉さんに貰ってきて成功だな。
「そんじゃ、私と小夜ちゃんはこっちだし、また後でね」
「では、また後で…」
「ああ、後でな」
俺は男子の更衣室に入ると、さっさと着替えた。男だから指して問題は無い。まぁ、適当に
座る所を確保しておくか…。俺はさっさとプールサイドに行くと、空いていた席を陣取った。
四人ほどが座れるテーブルを一つ取っておいた。さて、後はあの二人がくるだけだな…。
俺はのんびりとプールに入っている人を眺めていた。割合的には…カップルが多いという事と
あとは引っ掛けてもらう為か、女性もいて、もちろん引っ掛ける側の男子もそれなりにいる。
って、結局は男子も女子も割合的に変わらないじゃないか…。暑さのためにオーバーヒート
しかかっている頭は変な事しか考えられなかった。
「おや、鳴海か?」
「ん?仁内、お前も来ていたのか?しかし、一人でか?」
「おお。まぁ、その他の友人も居たんだが…」
「はぐれて迷子と…お子様だな」
「うるさい!それより、お前はお前で寂しくないか?」
少しにやけた顔で俺を見ている。馬鹿にしているつもりらしいが、俺には連れがいるんでね。
それにしても遅いな…。まだか?
「生憎だが、俺は連れを待ってるんだ」
「ほー、どんな奴か見せてもらおう」
と俺の隣に座り、何ともいえない顔であたりを見渡していた。
時々『おお、あの人良いなぁ…』とか、『むむ、今ひとつだな』と一人で品評会を開いていた。
それにしても…。
「おお、あれは大当たりだぞ」
「はぁ?」
そいつの方を見ると、どうやら到着のようだ。
「ヤッホー!鳴海の弟、どうだ!」
とまずはあのバカが俺に見せてきた。…仁内にでも見てもらえ。
「こいつにでも見てもらえ」
指を指した方向にそいつはいなくて、すでにバカに向かっていた。
この男の場合、女って言うのはまるで“猫にマタタビ”だな。
「ちょっと、鳴海の弟。こいつ誰?」
「クラスメイトだ」
「ふーん。まぁ、悪くないかな?」
とバカも満更ではない様子で受けていた。せいぜい仲良くしてくれ…。ところで小夜子は…?
バカに気を取られすぎて、小夜子の姿を見失ってしまった。
「何処に…」
と、見渡しているとバカの遥か後方で絡まれていた。性格にはナンパにでも会ってるんだろう。
くそ、面倒だな。俺はバカ二人組みを放っておいて俺は小夜子の所へ向かった。
「あ、あの……」
「いいじゃねぇかよ。なぁ?」
「そうだぜ。連れないねぇ」
はぁ…俺はこんな事はしたくないんだが…、と男の隙間を縫って小夜子の腕を掴むとそのまま
引っ張り出した。
「お、おい…」
俺はかなり腹が立っていた。バカとのコントを見せられて、その後のこれだ。
「何だ。俺の女に何かようか?」
それだけを言って、あの二人の所へ戻った。最初からこれか…。頼むからこれ以上、厄介事は
御免だぞ。
「あ、あの…」
「はぁ、頼むからあんな面倒な事起こさないでくれよ」
「はい…ありがとうございます」
「それじゃ、楽しむか?」
俺はバカ二人組みを放っておいて、さっさと二人でシャワーを浴びにいった。
しかし……俺はシャワーの前で止まっていた。プール自体は嫌いじゃないのだが、この入る前に
浴びるシャワーが嫌いなのだ。何故こんなに冷たいものを浴びなきゃならんのだ…。
「どうしたんですか?歩さん」
「…これが嫌いなんだ」
「これですか?」
シャワーを見て俺は止まってしまった。一歩が踏み出せない。そのとき、白い腕が俺の腕を
掴んだ。そして、冷たい水が降るシャワーの中に突撃していった。
「うわっ!」
「きゃ♪」
引っ張られた俺は強引に突っ込まれ、引き込まれた驚きと水の冷たさで声を上げた。
小夜子の方は嬉しそうに肩をすくめて、はしゃぎ声を上げていた。
「はぁ…」
「はぁ♪」
二人とも“はぁ”と溜め息みたいなものを吐いたが、少し違う。
俺の“はぁ”恐ろしい物を味わった後のような安堵の為の“はぁ”で、小夜子の“はぁ”は
気持ち良かったという“はぁ”である。
こいつは時々考えられないような行動を出るからな…。さて、これでのんびりと遊べるな。
と、今思えばまだ小夜子の水着姿を見ていなかったな。
隣に立っている小夜子の水着は真っ白で、正面から見れば普通の水着だが、背中から見れば
かなりきわどいラインまで見えるものだった。ある意味、露出度の高いものだった。
俺は普通の学校にあるのと変わらない少し深めのプールに向かった。
「よっ、と」
飛び込むと大きな水音共に、身体が急激な圧迫感を受けた。しかし、それにともない浮遊感が
俺を気持ちよくさせた。
「気持ちいいですね」
小夜子は音もなく入っていた。おそらくプールサイドの一旦腰掛け、ゆっくり足から入ったの
だろう。気持ち良さそうに“トーン、トーン”と水の中で跳ねていた。
「仲良いじゃん?」
「そうよ〜。まさしく理想のカップル?」
声をしたほうを見ると、あのバカ二人組みだった。しかし、そっちも仲良くやってるじゃないか。
まぁ、それの方がいいのだが…。からかわれなくて済むし……。
「それじゃ、邪魔はしませんので仲良くどうぞ…」
といって二人は消えていった。これはこれである意味良かったのかもしれない。
「二人とも言ってしまいましたね」
「ああ、これで良いんじゃないか?からかわれる事も無くなったし…」
「そうかもしれませんね」
「それじゃ、二人で楽しむか?」
「はい♪」
小夜子はもぐると、身体をくねらして優雅に泳いでいた。
まるで西洋のお伽話に出てくる人魚のように華麗にそして優雅に泳いでいた。いや、泳いでいた
のではなく、水の中を舞っていると言った方がいいのかもしれない。
見惚れるな…。
「ぷはっ」
水面に人魚が顔を出した。いや、人魚じゃなくて小夜子だが…。俺も泳ぐ事を忘れていて、
見ていたので一緒に水面に顔を出した。
「あんた泳ぐの上手いな」
「そうですか?普通だと…」
おいおい、あんたの泳ぎが普通なら俺の泳ぎとかどうなるんだ?一応、人並みに泳げるが
それが普通じゃないんだぞ…、って一人で心の中で突っ込んでいても仕方ないな。
俺たちは久し振りはしゃいだ。子供の頃とはいったが今でも子供かもしれない。
しかしそれ以上に小さい、小学生ぐらいの時ぐらいの事を指している。無邪気に、何も
知らないあの時のように俺たちは思いっきり遊んだ。
「面白かったですね」
「ああ、楽しんだな」
「私も久し振りかな?」
「俺もっす」
みんなそれぞれ楽しんだようだ。俺として小夜子が楽しんでくれればいい、と少し自己中心的な
考えかもしれないが、それは仕方無い事だろう。
惚れた弱みと言う事で見逃してくれ。
夏に遊べなかった分を少しだけ取り返せたような、そんな面白い休日であった。
これがいつまでも続くようにと思いつつ、四人は家路についた。
言い忘れていたが、どうやら仁内は友人を探すより、あのバカと遊ぶ方が良かったらしい。
まぁ、この二人も少し気になるが今は自分自身の事で大変なので、それは自分の事が落ち着いて
から観察でもしよう。
さて、これから俺は小夜子とどんな思い出を作っていけるのか、それが今の楽しみだ。
次回予告 青い空。白い雲。晴れ渡る空の下、学友と共に力を合わせて頑張る月臣祭。
歩にとっては初の、小夜子にとっては二度目の月臣祭。
しかし、今年の月臣祭は少し違った。波乱に満ちた月臣祭。それに二人は
巻き込まれてしまった。次回、“てんてこ舞の月臣祭”
「俺が一体、何をしたんだ?」