気付かぬ想い
薄暗い階段を上っていた。“コツコツ”と周りに俺の足音が響く。分厚い扉のドアノブを回し
扉を開けた。扉は重々しい音を立てて開いた。余りにも眩しくて、思わず目を細めた。目の
前には沢山のシーツが干してあり、風でなびいていた。俺はシーツの隙間を縫うように、柵に
近づいた。眺めは中々良く、風がとても気持ちよかった。が、俺の心の中は荒れていた。
「まったく理緒の奴、あれほど無茶するなと言ったのに・・・」
これが原因だ。理緒が無茶をした事が。いくら鳴海の弟の目をごまかすためとは言え自分の
胸を爆破するとは・・・、しかも完全に傷が塞がらないまま、病院を抜け出し、勝負なんて
挑み、また傷が開いてここに入院。まったく無茶にもほどがある。だが、もう一つ俺を
苛立たせる原因があった。それは、どうして俺がこんな気持ちになるのか、ということだ。
「くそ、何なんだ。この気持ち。」
胸の奥のほうがむずむずと、ちくちくして心が苛立ってくる。それが何かで紛らわすことが
出来ないため、さらに苛立ってくる。といった悪循環なのだ。“この気持ちは何なのか”と何度、
自問自答しても答え出てこないのだ。最悪の状態だ……くそ!俺はとうとう我慢できなくなり、
近くにあったバケツを蹴り飛ばした。
『ガンガラガラガラ』
大きな音を立てて飛んでいった。その音でさらに俺はさらに不愉快になった。
「もう、香介くん。物に当たったら駄目でしょ。」
俺は正直言ってかなり驚いた。屋上には俺しか居ないと思っていたのにもう一人、人が居た
からだ。
「り、理緒!何時からそこに。」
さっきまで寝ていた人がそこに居たのもあるが・・・。
「えっ、ついさっきからだよ。気付かなかったの?」
俺はあいつの喋り方がいつもと変わらずほっとした。鳴海の弟との勝負に負けてから少し塞ぎ
込み気味だったからである。
「寝てなくても大丈夫なのか?また傷口が開くぞ。」
心配になってきた。こいつの事だからまた、無理して出てきたのではないか?そう思った。
「大丈夫だよ、香介くん。大分、傷の痛みが引いてきたから。」
理緒の笑った顔を見たとき、ふと、さっきの苛立ちが消えていることに気が付いた。自分でも
何時、消えたのか分からなかった。
『ん?何時の間にか消えてやがる・・・・』
俺は何時、苛立ちが消えたのか思い出そうと考えていると
「香介くん、どうしたの?体調が悪いの?」
理緒に声をかけられ我に戻った俺は、目の前に理緒を顔があり後ろにこけそうになった。
「り、理緒!驚かすなよ。」
はっきりいって、俺は心臓が止まるかと思った。まだ動悸が早い。
「だって、呼びかけても香介くん、返事しないんだもん。」
理緒がふてくされてそっぽを向いた。理緒のふてくされた顔が可愛かった。て、俺は何を
考えてるんだ。
「悪かった、悪かった。で、何だ。」
なるべく心の内を気付かれないように、平静を装った。
「えっと、アイズくんに“メロンありがとう”って言っておいていて欲しいの」
俺は、病室に置いてきたメロンを思い出した。
「ああ、分かったよ。言っとくよ。だから早く病室にもどれ。まだ完全に治ってないんだろ。」
俺は理緒の体が心配だった。無茶をする奴だから。
「うーん、もうちょっとだけここに居たいんだけど・・・だめ?」
少し考えてから理緒が不安そうな顔で聞いた。そう聞かれた俺は、いつもなら『だめだ、早く
戻れ。』というところだが、
「……分かった。だが、痛くなったらすぐに言えよ。」
俺は、何故かこう答えた。自分でもこう言ったことに驚いてしまった。
「何驚いているの?香介くん?」
どうやら顔に出ていたようだ。
「いや、なんでもない。」
「そお、でも何か香介くん、今日変だよ?」
理緒が心配そうに俺を見た。まったく俺は何をやってるんだ。怪我人に心配かけて。
「何でも無い。俺は大丈夫だ。」
はぁ、何か今日おかしいなぁ、どうしてこんなに考え事ばかりしてるんだ。しかも理緒に
心配かけてばかりだし・・・
「香介くん!こっちこっち、眺め良いよ!」
また考え事をしていた俺は、理緒の声で我に返った。まったくあんなにはしゃいで、傷開くぞ。
「分かったから、あんまりはしゃぐな。傷開くぞ。」
俺は理緒の呼ばれた方へ向かった。さっき眺めていた場所だ。空は澄み渡り、風が時々俺の
頬を撫でていく。一人で見ていた時は余り気持ちいいとは思わなかったが、 今は気持ちいい、
と感じた。二人だと気持ちいいものなのか?それとも・・・理緒と一緒だからか……?
「っ痛、」
急に理緒が胸を抑えてしゃがみ込んだ。
「おい!大丈夫か!?理緒!」
心配していた事が起こった。
「・・・だ、大丈・・夫・・・だよ・・・時々・・なる・・から・・」
かなり苦しそうなのに何が大丈夫なんだ。
「先生呼んでくるから、待てろ!」
俺は先生を呼びに行こうと立ち上がったら、急に後ろに引く力を感じた。
「いや・・香介・・くん、傍に・・いて・・・」
引いていたのは理緒だったのである。こいつの考えてるのは良く分からん。何故、先生を
呼びに行こうとするのを止めるのか。
「何言ってるんだ!ほっといていい傷じゃないだろ!」
俺は理緒の手を振り切ろうとすると、
「一人は・・・・いや・・・」
後ろから消え入りそうな理緒の声が聞こえた。俺は悩んでしまった。先生を呼びに行くべきか?
理緒の傍にいるべきなのか?
俺は結局、理緒の傍にいることにした。俺は理緒の体を抱き上げ、近くにあったベンチに運び
そこに寝かせた。理緒は気を失ったようで目を閉じていた。
「まったく、無茶ばかりしやがって。」
俺は理緒の寝顔を見ていた。気持ち良さそうな顔だった。理緒の寝ている隣に俺は座り、何に
もせずただ空を眺めていた。今日はなんだか考えっぱなしだな、ま、こんな日もいいか。
「う・・ん・・」
どうやら目が覚めたようだ。
「あ、香介くん、傍に居てくれたんだ。」
嬉しそうな顔で俺に言った。俺はその顔を見て安堵した。
「ああ、あんな声出されたら先生を呼びにいけないだろ。」
あと“俺が理緒の傍に居たかった”という理由もあるんだが、そんな事は口が裂けても言え
ないだろう。
「そっか、ごめんね、無理言って・・・」
理緒は悲しそうな顔をしていった。なんだ、何でそんな悲しい顔するんだ?俺、何か言ったか?
「どうしたんだ理緒?悲しい顔して?」
「え、なんでもないよ。」
「なあ、俺じゃ相談にのれないのか?」
言ってから俺は何言ってんだと後悔した。まったく馬鹿だな。
「え、香介くん?」
理緒は不思議そうな顔で聞いてきた。
「え!?あ、いや何でもねえ。気にするな。」
「・・・全然気にしてないと思ったの・・・」
理緒がいきなり話始めた。
「香介くんが私のこと気にしてないと思ったの・・・」
俺は理緒のこの発言にかなり驚いた。俺が理緒のことを気にしてないだと。俺は気にしすぎて
困ってるってのに、
「どうしてそう思ったんだ?」
「だって、私が話しかけても全然反応しないし、全然気にかけてる様子も無かったから・・・」
理緒は泣きそうな顔で言っていた。確かに今日は考え事が多すぎて、ほとんど理緒の話を
聞いていなかったな。
「だから、嫌われたと思っ・・・!」
俺は反射的に理緒を抱きしめていた。こうするのが一番だと思ったからだ。
「ごめんな理緒、俺は別にお前のことが嫌いになったわけじゃない。」
そう、嫌いじゃない。むしろ俺はお前のことが好きなのかもしれない。だから俺は、お前が
居なかったから苛立っていたのかもしれないし、お前の顔を見たから苛立ちが消えたのかも
知れない。
「・・・ほんと?」
理緒が不安そうに聞いた。
「ああ、本当だ。」
俺は理緒の顔を見ていないと駄目なのかもしれない。本気でそう思った。
「ごめんね、変なこと言って・・・」
理緒は済まなそう言った。そんな理緒をいとおしく思った。
「いや、俺も悪かった。理緒の話を全然聞いてやれなくて・・・」
俺は理緒を更に強く抱きしめた。と言うより無意識のうちに力が入った。
「香介くん、痛い。もう少しゆるく。」
理緒にそう言われて離してしまった。
「ご、ごめん理緒。」
改めて考えてみると、俺ってかなり恥ずかしい事してたな。
「香介くん、また今度してね。」
理緒のこの発言に俺は顔を真っ赤にした。まったく余計なこと言うなよ。
「あ、香介くん。顔、真っ赤だよ〜」
俺は余りにも恥ずかしくなり顔をそむけた。
「香介くん、かわいい〜」
もう、やめてくれ、と思うと同時に、元気になってよかったな、とも思った。俺は理緒に早く
退院してもらって、元気な顔を毎日見たかった。そう思った時、ある短歌を思い出した。
“石間行く水の白波 立ち返りかくこそは見め あかずもあるかな”
ったく、今日の俺は可笑しすぎるな……。