リーメンシュナイダーの世界
 著者   植田重雄
 発行所  株式会社 恒文社
 出版年  1997.7.20 第1版第1刷
      1998.4.30    第2刷
 頁数   246ページ
 価格   ¥2.800+税
植田重雄                  リーメンシュナイダーの世界  序  ヴュルツブルク市レジデンツ(旧王宮)の広場に大きな噴水がある。この噴水のまわりに、この市が生んだ三人の 偉大な芸術家の彫像がたっている。中世の詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ、中世晩期の画家グ リューネヴァルト、そして、本書の主人公、彫刻家のリーメンシュナイダーである。  今日、ドイツの人々はティルマン・リーメンシュナイダーを、ドイツが生んだ中世の彫刻家として誇りにしている。 だが50年以前に遡れば、けっして今日ほど知られている存在ではなかった。中世後期のこの彫刻家は、300年以 上も歴史の中に埋没し、忘却されていたのである。  彼の遺した作品のすばらしさにもかかわらず、その人生の歩みは悲劇的であった。そして彼を再び見出すようにな った出来事も数奇をきわめていた。  ゲーテ、シラー、ベートーヴェン、モーツァルト、いずれもリーメンシュナイダーの存在を知らなかったし、また 知るべき知識も時代から与えられなかった。1400年代後半から1530年代に活躍した彼の名は忘れられたが、 幾多の動乱と破壊の中で、その彫刻作品だけが幸いにして残った。それらは誰の作とも知られないままで、多くの人 々に強い感動を与えつづけてきたのである。  おそらく今日ならば、ゲーテやベートーヴェン、ヘルダーリンとならぶドイツを代表する芸術家として、リーメン シュナイダーの名をあげることをためらう人はないであろう。今ではそれほどドイツの人々の中に滲み込み、深く精 神の糧となっている。彼の彫刻作品はたしかにキリスト教の信仰と祈り、瞑想と愛を語る。芸術以上ともいえる内容 を見る者に告知する。  雪の降るマイトブロンの村、教会で見た嘆きの群像における深い静けさと統一感、クレークリンゲンの夕日の中で やさしく手を合わせる昇天のマリア、ミュンヘンの国立美術館では聖マグダレーナが高まりゆく帰依の法悦感にひた っていた。  リーメンシュナイダーの作といわれる彫刻のかぎりを、わたしは教会、聖堂、美術館、個人蔵の区別なく訪ね、と くにバイエルン地方の寒村僻地に点在している御堂、修道院まで足を運んだ。そこには人間の苦悩を見つづける眼や、 神的なものへの憧憬、すべての不安を超えた静けさが彫り刻まれていた。さらに、今日もなお沈黙して祈りつづけて いる修道僧や、素朴な心に帰って仕事に打ち込んでいる人々ともふれ合うことができた。  リーメンシュナイダーが彫刻をとおしてわれわれに語りかけてくるもの、このような芸術を創み出した根源にある ものにわたしは想いをひそめるようになった。マイスター・エックハルト、ハインリッヒ・ゾイゼ、メヒティルト・ フォン・マグデブルク、アンゲルス・シレジウスなどの神秘思想、中世の叙情詩、民間信仰等々にまで関心はひろが り、存在をきわめようとする中世独特の宗教情熱、想像力、きびしい思索の道などを追求しようとした。  中世といっても、彼が活躍する15世紀後半から16世紀前半にかけては、ヨーロッパの南、イタリアではルネサ ンスの全盛期で、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジロが活躍している。中世を初期、中期、後期に分ければ、 ドイツではちょうど後期ゴチックの完成期にあたる。この時期に至り、ドイツの美術は一時に開花する如き観を呈し た。リーメンシュナイダーを除いても、絵画ではグリューネヴァルト、デューラー、ションガウアー、クラナッハな どがおり、彫刻ではファイト・シュトッス、ミヒャエル・パッハー、ペーター・フィッシャー、アダム・クラフトな どが出現し、ドイツにとって前後に比を見ない美術の華が妍を競ったのである。中世都市の市民生活も定着し、ギル ドも形をととのえ、キリスト教信仰も庶民のものになりつつあり、宗教的敬虔にみちていた時代である。(中略)  中世が暗黒時代で、ルネサンスになって急に明るくなり、人間主義が勃興したという誇張した解釈は、歴史的事実 から見て認めがたい。ルネサンスはすでに中世の文化の中で醸成され、準備されていた。このことは中世の歴史を理 解すれば明らかであり、中世とルネサンスは非連続ではなく、連続する。その証拠をあげれば、ルネサンスの芸術家 たちはギリシア・ローマの神話を題材にしながらも、キリスト教の題材を捨ててはいない。しかも、フラ・アンジリ コ、ジォットーのような人々はキリスト教の画題のみに専念していた。他方、回を重ねた十字軍によって東方文明へ の接触、航路や貿易の伸展がイタリアの諸都市に新しい機運を生み出していったことも事実である。ギリシア・ロー マの再発見は、文芸の復興ではあってもキリスト教を捨てることはできなかった。実際は双方の混在であり、相乗的 に作用して、やがてはキリスト教にもバロック風の新しい芸術作品が生れるのである。  イタリア・ルネサンスの華やかな活動ぶりに比べ、ドイツの中世ゴチック芸術は一般に見向きもされず、まだ宗教 的束縛にしばられた遅れた文化ぐらいにしか見られなかった。南欧は気づかぬうちに冬から春へ早くも移ってゆく。 しかし、厳しい寒さにとざされたドイツは、長い長い冬を終えてから、始めて奔流のような春の訪れを知る。ドイツ のゴチックはこのような奥深さをもっていた。(後略)
  目 次   序 T リーメンシュナイダーとその時代   忘れられた彫刻家/マイスターになるまで/後期ゴチックの芸術/壮年期の活動/晩年の悲劇   ルターの宗教改革/農民戦争の予兆――笛吹のハンス/農民戦争/ブュルツブルクの包囲戦   戦乱後の最晩年 U  リーメンシュナイダー紀行  ミュンヘン美術館   聖マグダレーナ像復活のイエスとマグダレーナ/聖ヤコブ像/聖女バルバラ像/聖アフラ像  ミュンナーシュタットの古い町  冬のブュルツブルク   アダム=エヴァ像/マリア礼拝堂  マインフランケン美術館   聖母子像/聖アンナ・ゼルプドリット像/悲しむマリア像/神秘思想とリーメンシュナイダー   祈りと瞑想の世界/聖ニコラウス像/リンパーの教会  フランケン高地の旅   インジンゲンの十字架像/十二使徒祭壇/使徒別離祭壇  神秘思想と芸術   非形象と形象/イコンについて/祭壇彫刻/自然の内面/情熱の神秘  早春のローテンブルクからタウバー渓谷へ   晩餐像/変貌のイスカリオテ/眠れる使徒像/デットヴァンクの十字架祭壇/アイジンゲンの十字架像  五月のクレークリンゲン――永遠に女性的なもの   昇天のマリア祭壇/受胎告知/エリザベト訪問/イエス誕生/神殿詣で/神殿の中の少年イエス   ウィーンの聖母子像/リービッヒハウスの聖母子像/女性的なるもの/トルバドゥール(ミンネ)の愛   グリュンスフェルトのドロテア像/ヴェルトハイムの古城  ハールブルクの古城   十字架祭壇のマリアとパリサイ派の群像  マイン河のほとり   ローゼンクランツのマリア/雪の宿/葡萄園の聖母教会/老神父との出会い/野や森の道しるべ   ゲルマンの森/中世ヨーロッパのキリスト教/渇望の文化/修道院の役割/手わざの意味/工房のマイスター  バンベルク、ハノーファーの旅   皇帝ハインリッヒと皇后クニグンデの高石棺彫刻/石棺側壁のレリーフ――クニグンデの神明裁判/皿の奇蹟   ハインリッヒの病気の奇蹟/ハインリッヒの夢――魂の天秤皿/ハインリッヒの逝去/ハノーファーの聖女像   聖母子像/マインフランケン美術館の初期彫刻展  マリアラーハ修道院   ゴチックの写実/老司教ルドルフ・フォン・シェーレンベルク像/マリーエン・カペレの騎士コンラート像   聖セバスチアン像/初期嘆きの群像/グロッスオストハイムの嘆きの群像/マリア、ヨハネの嘆きの群像  修道院村マイトブロン   聖母の嘆き/嘆きの群像の成立年代/悲しむ女性像/夏のマイトブロン  後記