ある文明の苦悶(シモーヌ・ヴェーユ著作集 U) 春秋社 1968
1942年という第2次大戦のさ中、ヴェーユはフランス解放に身をささげようと
さまざまな試みをしていました。かつてスペイン内戦に人民側に立って闘うために野
戦場に赴いたようにこの時もレジスタンス下のフランス国内に潜入してナチスからの
解放運動に加わろうとしていました。しかし、実現することが出来ず、アメリカを経
てロンドンのド・ゴール指揮下の自由フランスの組織で働くためにロンドンに渡り、そこで、人間
のなしうる働きの限界以上に自分に求めることの多かったヴェーユは翌43年、フランス本国の人
々が摂取するより多くの糧食を摂ることを拒み、過労と節食のためにほとんど餓死に近い状態で死
んだのでした。そうした中で書かれた戦後のフランスの「植民地政策」のあり方について書かれた
論文は現今の世界の政治問題に多く問いかけるものがあります。
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