
筑摩世界文学大系 58B プルーストUB 筑摩書房 1979
長編「失われた時を求めて」の第四篇「ソドムとゴモラ」。人間関係はますます複雑
になり、こんがらがってくる。読み手は全体をつかむより一つ一つの場面にしぼって興
味を持続していくのではないだろうか。この本の巻末に載っているジャン=イヴ・タデ
ィエという評論家の小説論から引用する。
「描かれたばかりの時点でいかにてんでんばらばらであろうとも、作者はその諸人物を
無関係に想定してわけではない、それらの関係は小説の構造に大きなかかわりをもつの
である。ここで問題とするのは、人間的なさまざまな関連、意識間のコミュニケーショ
ンではなくて、諸関係の形式である。したがって、レンブラントの「エマオの弟子たち」
でいうならば、キリストの弟子たちのあいだの思想、感情の交錯を云々するのではなく
て、線、色、光の機能がいかにそれらを統一しているかを研究するのである。そのとき、
作品のなかに、また批評家にも、一つの弁証法が樹立される。多と統一とのあいだの、
個と関係とのあいだの、弁証法である。………」
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