
現代キリスト教思想叢書 2 トレルチ・ケーラー・ヘルマン 白水社 1974
たとえが適切かどうかあやしいけれども、聖書の永遠性に対して聖書研究の有限
性ということはあるのではないか。史的イエスについてもそうである。その方法論
よりも史的イエスを追求する発想に対して一種の不快感に根ざす批判などを読むと
それを強く感じないではいられない。キリスト教の絶対性や与えられた信仰の優越
性などについての著作や講義なども当時はおそらくさっそうとしていて新鮮な印象
を人々に与えたにちがいない。しかし、聖書が変わることなく読む者に(聞く者に
と言ってもいい)今日の問題を問いかけるのに比べてそれらの著作や講義が時には
読み続ける時間が惜しくなるほど退屈なものとなっているのである。
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